不動産ベンチャー談義 〜仕事とお金のよもやま話〜。
改めまして、将来はノマドワークを夢見る、アシスタントMCの阿部まりです。
北海道地所の山崎です。
この番組は、不動産会社を創業以来、経営者として10年以上業界に身を置く、株式会社北海道地所代表取締役の山崎晃信さんをメインMCとしてお呼びし、
そんな彼だからこそわかる、なかなか表に出づらい、不動産の仕事とお金の実態について、リスナーの皆さんに紹介していきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、久しぶりの収録になるんですけど、山崎さん、1ヶ月ほど休暇を取られてたというお話を聞いておりまして。
サンキューをいただいておりまして。
ということは。
ということは、子供が生まれましてですね。ありがとうございます。
5月30日に生まれてまして、その後1週間は奥さんが入院してたんで、6月7日ぐらいからちょうど1ヶ月。
で、明日から仕事復帰するんですけど。
明日からなんですね。
楽しい1ヶ月を過ごさせてもらいまして。
実は双子なんですよ。
なので、さすがに奥さん1人だけだと無理だというところで。
実家が、私の実家が長野で奥さんの実家が山口なんで、なかなか札幌でサポートも受けられないんで。
1人で2人って結構無理ゲーなんですよ。
なので、私も休んで1ヶ月間仕事をちょこちょこできるかなと思ったんですけど、全くできなかったです。
全くできずに、睡眠不足がずっと続くみたいな状態だったんで。
仕事好きなんで、なかなか仕事できないもどかしさあったんですけど。
年生に会いて、あともう1ヶ月ぐらい育てに向き合って、しっかり子育てやってきました。
お疲れ様でしたって言いながら。
いや、お疲れ様でしたです。
結構ね、大変です。
だからもう、子育てをしている女性のリスペクトがですね、改めて一段階上がりましたよね。
では、本日のテーマなんですけど、この瞬間事業が伸びた。
不動産ビジネスのブレイクスルーについてということで。
北海道自社を創業して15年間、右右曲折いろいろあったかなと思うんですけど、
このタイミングをきっかけに事業が飛躍的に伸びたなっていうところだったり、新たな発見があったなっていうところのポイントを詳しく聞いていきたいなと思ってます。
ブレイクスルーですね、会社が飛躍的に伸びるタイミングって実際僕らもあって、
それは過去を振り返るといくつかあったんですけれども、大きく分けると事業が新しく立ち上げた時に大きく伸びたなっていうところがあります。
1つ目がシェアハウスをやった時にすごく伸びたし、シェアハウスの後にゲストハウスホテルっていうのを運営した時に、またこういうビジネスがあるんだっていうようなことを学んで伸びましたし、
その宿がコロナですごく厳しかった時に不動産事業を始めて、またそこでグッと伸びたっていうようなところで、
不動産ビジネスにおいてのブレイクスルーっていうと最後の3つ目なんですけれども、事業においてのブレイクスルーでいくつかあったなっていうのですね。
1個1個紐解いてお話聞いていきたいんですけど、まず最初はシェアハウスのタイミングでググっと伸びたっていうところで、
ここは何かポイントだったなとかっていうこととかってありますか?
あります。2012年とか13年、当時安倍森何歳ですか?
おそらく小6。
小6か、若いな。その時の記憶、テレビの記憶とかないかもしれないですけど、テラスハウスっていう番組があったんですよ。
それは何か本当に超イケてる男女3対3で入居して恋愛、恋愛沙汰になるみたいな、そういう番組があったんですけど、
それがあったら結構シェアハウスの引き役っていうか、すごい楽しそうみたいな感じで、シェアハウスっていうのがすごくメジャーになって住みた人が増えたっていうタイミングがあったんですよ。
そこに乗っかれたっていうのはすごく大きくて、一番初め僕らも東京でやったんですけど、札幌でも何かやりたいなと思ってて、
札幌にはその時1社ぐらいしかなかったんですよ。1社が3つくらいシェアハウス運営してるみたいな。
札幌で東京だともう100棟ぐらいあるみたいな感じだったので、これはさすがに札幌でももっとできるでしょうっていうふうに思って、
その仮説をもとにこうやったら結構うまくいったっていうところがあって、そこの波に乗れたっていうのはすごく大きかったですね。
世の中的にもシェアハウスっていうものがテレビを通して浸透し始めたっていう。
そうそうそうそう。こんな暮らしあるんだみたいな。いいよねみたいな。各自が共有部があってみんなで仲良く晩御飯とか一緒に食べれるし、
夜はそれぞれの部屋で寝ればいいっていうところがあるので、プライベート空間と共有できる空間があるみたいな暮らしっていうのもありだよねみたいなのがすごく広まったっていうのがそのタイミングでしたね。
体験価値としていろんな人と経験とかコミュニティを共有することって素敵ですよねみたいな。
そっちに注目されて、だからシェアハウス住むっていうことは単なる貧乏人っていうか安いところに住むっていうことじゃなくて、
そういう共有する価値を求めて住むことに魅力を感じているんですっていう人たちがドット増えたみたいなところがありますね。
札幌にもともと一軒、一社だけあったものにそこに参入していって、どれぐらい作られた、個数、等数っていうんですかね。
個数でいくとご当をやります。一番多いときでご当をやって100室ぐらい、100人ぐらい住んでたときありますね。
それって確かに需要があるというか認知もされてきて、そうなったときにすぐポンポン増やせるものなんですか。
ご当を増やすのにどれぐらい時間かかったのか、3年ぐらい時間をかけてやったので、ポンポン増やせたわけではないんですけれど、
ただそのニーズ自体は結構そのとき強くあったので、新しく出せば入居者で埋まるみたいな状態はあったんですよね。
あとはどうやってその物件を探すかっていうところで、当時やっぱりシェアハウスっていうのが若者の中では認知度が高まったんですけど、
やっぱり死にやそうというか、おじいちゃんおばあちゃんたちはそんな、なにそれ、みたいな感じだったので、
その物件のオーナーさんがシェアハウスをやらせてくれるっていうのはほぼ無理だったんですよ。
だったので結局僕らはどうしたかというと、自分たちは買ってたんですよ、物件を。
物件を買って、公家としてだったら何でもできるじゃないですか。
シェアハウスにするとも自由なので、買ってシェアハウスにするというふうなところをやってたんです。
その物件を買うのにポンポン買えないので、そこがボトルネックになる、では言いましたね。
3年で事を聞くと、早いなっていう感覚あるかもしれないですけど、
オープンしたら生まれるんで、やることないんですよ。
ただ銀行がお金を貸してくれるまでの間待ちみたいな。
次の物件を買うまでその間に何もやることがないっていうことで、
そうさってしまって、オープンしたらあとは確かに住んでもらうだけっていうか。
準備したら入居してもらって、その後は日々のオペレーションとかあるんですけど、やることがあんまりないんで。
新たな物件を出したいんだけれども、金融機関って実績を積み上げることを大事にするというか、
その実績を持って新たな融資をするんで、1、2ヶ月でたまたま入居されたかもしれないものに対して、
新たに入居してもできないし、返済がもうちょっと進まないと貸せないよみたいなところがあったんで、
そこが少し時間がかかったっていう感じですけど、すごく順調に伸びたっていう感じはありましたね。
ありがとうございます。
ちなみにその間に別の事業も並行されてやってた形ですか?
そうそう。もともとは僕らウェブのマーケティングの事業からスタートしてるんで、
ウェブのコンサルティングみたいなこと、SEO対策だったりとかオンベイドスクールみたいなことをやってたんですよ。
そこからシェアハウスもスタートしたんで、並行してそれもやってたっていう感じで、
僕らの中でブレイクスルーと感じたこととしては、もちろん売上利益がいいっていうところもあるんですけれど、
めちゃくちゃ安定ストック収入だなって思ったんですよ。
ウェブのマーケティングとかコンサルティングって、ある種自転車創業的なところがあって、
クライアントがいるときに関してはお金が売上が立つんだけれども、
クライアントから終了でみたいな感じで解約になったとしたら、
リスクは結構大きいなみたいな、安定的なキャッシュフロー作りづらいなと思ったときに、
初めてシェアハウスだったので、シェアハウスはそういう意味では、
まさにサブスクじゃないですけど、月額賃料がどんどん入ってくるので、
すごく計画が立てやすくて、いいビジネスだなっていうふうに思った。
そこが不動産をやり始めたスタートっていうところですね。
そうですね。
ありがとうございます。
第2波について。
第2波ですね。
これはゲストハウスホテルっていって、
それはまさにシェアハウスから派生してるんですけど、
当時民泊、今は民泊ってあるじゃないですか。
民泊法っていうのができたのは2018年とかなんですよね。
あれは住宅を180日に限って宿泊者に対して提供していいですよっていう法律なんですけど、
そのままでその法律がなかったんですよ。
住宅に人を泊めるってことが法律上できなかったんですよね。
僕らはシェアハウス2011年から12年後、12、13年くらいから始めて、
民泊をやってたんですけど、泊まりたいっていう人が増えるんですよね。
1週間だけ滞在したいんですけど、1泊したいんですけど、
っていうところがあったときに法律上受け入れられることができなかったので、
それ用の施設を作ろうっていうので、
ゲストハウスっていうのを第一号、スースキのように作ったんですけど、
やっぱり当たり前なんですけど、月額5万円とかで貸してるわけじゃないですか、シェアハウスって。
なんですけど、ゲストハウスってドミトリの1ベッド、2段ベッドの1つのベッドが1日3000円とか取れるんですよ。
なので、例えばシェアハウスで5万円の部屋が、例えば6畳とかだったりするじゃないですか。
6畳に2段ベッドって6個とか入るんですよね。
そうすると1晩で3000円×6個の18000円稼げる。
完全に全部満室だったとしたらですよ。
それが30日あったとしたら、54万円ですかね、稼げるわけですよ。
それに7割だったとしても40万円ぐらいになって、そこからコストがどんどん引かれて、
残りはまた全然変わるんですけど、でもいろんなものを引いたとしても、
シェアハウスと比べられないぐらい、比較にならないぐらいめちゃくちゃ利益が残るっていうことをすごく体感したんですよ。
それはまさに僕らの中でブレイクするって、こんなに簡単に稼げるのかみたいな。
こんな一気に毎月どんどんお金、キャッシュが溜まるようなビジネスがあるんだっていうことに気付けたっていうのが2つ目のブレイクするんですね。
確かに。下手したら5倍、10倍ぐらい月で稼げるのかな、変わってくる気持ち。
まさにで、10倍までいかないですけど、5倍は稼げるっていう感じなので、
例えばシェアハウス5棟を頑張ってやるよりも、1棟ゲストハウスやったほうが、それと同じぐらいお金が残るみたいなことが発生するんですよね。
それはすごくインパクトあって、これちゃんとやらなきゃダメだなみたいなのがあって、そこからゲストハウスをどんどん増やしたっていうのがあります。
それもさっきのテラスハウスじゃないですけど、インパクトが結構増えているんですよ、2015年ぐらいから。
安倍さんが交渉だったときに、観光立国を目指すっていうふうに言って、
それまでって、アジア圏の人たちに対して、ビザの規制がそれなりに観光だったとしても、ちょっと厳しかったんですよ。
ビザ取ってください、みたいな。それがパスポートあれば入れますよ、みたいなふうにどんどんしたんですよね。
全ての国っていうわけじゃないですけど、パスポートさえあれば入国できます。1週間、2週間の滞在であれば入国できますっていう国をどんどん増やしたんですよ。
そうすると当たり前ですけど、来る人増えるじゃないですか。
っていうのがあって、ドーンと増えたっていうのがあって、それに対して宿泊施設っていうのが一気に増えるわけではないので、
そのときにある宿泊施設だけが恩恵を受けられるっていうところで、僕らもいい波にそのときも乗れて、
夏場とかは7月、8月とかリアルに稼働率100%っていうか、ずっと埋まっててキャンセル待ちみたいな状態があったんで、
これはすごいぞっていう、まだまだやれるぞ、このビジネスはっていうふうに思ってどんどんやったって感じですね。
確かにシェアハウスよりも埋めないといけない部屋数が多いので、難しそうだなって素人目線では思ったんですけど、
ただその波も相まって、インバウンドの波も相まって、稼働率100%だったりっていう時期が結構続いたってことですよね。
今のご指摘もまさにで、ホテルとかゲストハウスってプラットフォームがいるんですよ。
ブッキング.comとかジャランとか楽天トラベルとかあるじゃないですか。
あれがすごく充実したマーケットなんですよね。
なので自分たちに集客しなくても、ポータルサイトに載せると集客してくれる。
シェアハウスはそういうマーケットがほとんどなくて、ポータルサイトが全国全世界共通のプラットフォーマーっていうのはいなくて、
なので自分たちホームページ集客しなきゃいけなかったんですよ。
僕ら自分たちホームページ作れてSEO対策とかもできたから、ある程度の公衆客はできたんですけれども、
でも全然パワーが違うわけですよね。
お客数が違うじゃないですか。ブッキング.com、ジャランを使っている人と、
Googleで検索して札幌シェアハウスで検索してきてくれる人って数百倍違うわけですよね。
なのですごく楽というか、集客というものがオープンしたらそれこそ初日からお客さんとかが予約してくるみたいな状況があったので、
それもすごくいいなというふうにビジネスを立ち上げるときに、
そういうマーケットがあるところへ飛び込むというのはすごくいいなというふうに思いました。
それで札幌にもゲストハウスがすごく少なかったということですね。
そうですね。ゲストハウスもそんなに多くなかったので、それも良かったなと思います。
これは一番多いときで何等ぐらい?
ゲストハウスは、我々自分たち運営したものと経営コンソールみたいな形でアドバイザーとして入ったものを含めれば、
国内で6棟、7棟ぐらい。
国内で札幌だけじゃなくて他のところにも?
そうですね。浦野に施工もやったので、北海道内でやったという感じですね。
その他に海外もやったので、ベトナム、タンザニア、メキシコでやったので、
それも含めると10棟以上やったという感じですね。
10棟ってすごいですよね。しかも短期間でという形ですか?
海外も含めると5年ぐらいかけてやったんですかね。2015から2020年まで。
そのスピード感というのは、早い遅いとかってあるんですか?
早いんだと思うんですけど、ゲストハウスを運営する人たちは、
自分の宿をやりたいという感じで、個人事業主でやる人が多くて、
広げるという選択があまりないんですよね。
自分がバックパッカーみたいなのが好きだから、
バックパッカーを受け入れられる仕事をしている。
旅人と会うのが楽しいからやってるから、1店舗あればいいじゃないですか。
1店舗あればそこに来てくれるし、2店舗やったら逆に、
どっちかでしかその人たちに会えないからって感じで。
店舗数を増やすみたいな人たちがとんどんいなかったので、
僕らが8店舗やるのが早いかどうかも比較対象がいないって感じなんですよ。
確かにイメージ的には結構家族経営というか、
まさに1棟、自分の家の隣に1棟あるみたいな、
そういうこじんまりとしたゲストハウスが結構世の中に多いイメージは確かにありますね。
これはさっきのシェアハウスの時みたいに物件の取得が難しかったとか、
ここがネックになってたみたいなところってありますか?
まさにそうで、物件がボトルネックになる。
さっきのファイナンスの話もそうだし、
ゲストハウスができるエリアっていうのが限られているというか、
僕らも旅するときって基本的にターミナル駅の近くで泊まりたいじゃないですか。
荷物、カラカラ持ったりとかバックパッカーで重い荷物持っていくときに、
まず駅の近くで宿を押さえて、荷物を置いた後に観光に行きたいじゃないですか。
なので、本当にできるところが札幌駅から、
鈴木野とか中島公園駅ぐらい、4駅ぐらいしかないので、
ファイナンスのペースピッチが銀行から厳しかったっていうようなところと、
エリアは結構限定されているので、物件を探すっていうことも苦労はしましたね。
その辺がスピード感のネックになってたって感じです。
確かにシェアハウスよりもさらにエリアが限られてきますよね。
しかも4駅分の範囲で探すってことですよね。
それはどうやってクリアしていたんですか?
不動産会社をひたすら回ったりとか、空き家を見つけたら手紙を送ってみたりとか、
所有者を調べる方法があるので手紙を送ったりとか、そういったことを地道にやってましたね。
足で稼ぐ?
足で稼いでましたね。
それでやっと見つけたけど、この物件だとちょっとな、みたいなのもあるんですか?
ほとんどですよ。物件が紹介されてもらったりとかあるんですけど、
高く過ぎて買えないんで、僕らが当時やれた銀額とかっていうと5000万とか、
頑張って1億くらいだったと思うんですけど、高すぎてできないみたいなこともあったりとか、
エリアがちょっと微妙だったりだったりとか、
ラブ崩壊とかもあるじゃないですか。好きな男になると。
ラブ崩壊すぎると銀行もなかなかお金を貸してくれないみたいなものもあったりするので。
金融機関って最終的にその事業がうまくいかなかったワーストケースとかも考えるわけですよね。
そうするとじゃあそれをラブ崩壊の物件を買う人たちって、
一般的な他のエリアに比べて少ないよねみたいなネガティブな評価をしたりするので、
ってことは最終的に売りづらいってことは融資をしないみたいな判断をすることがあるんですよね。
とか、暴力団事務所が近くにあったりすると、
なおさら最終的に売りづらいんじゃないみたいなところがネックになったりするので、
そこも結構厳しかったですね。
その壁をクリアして駅近くで取得した物件自体は何個くらいあるんですか?
自分たちで取得したっていう意味で1,2,3,4、4件ですかね。
自分たちでできない規模だったので、
同資家に持ってもらって運営したものが1,2,3件あったって感じです。
高すぎて買えなかった?
そうです。
投資額が3億円ですみたいなのが当時できなかったので、
それをオーナーさんに、
投資家に紹介して持ってもらって、
それを我々が運営するっていうようなことをやってましたね。
ゲストハウスをやり始めたっていうところが、
2回目の波のブレイクスルーで、
1個前のシェアハウスをやってた時代よりも、
利益で言うと5倍くらい稼げて、
この金額で仕入れて、これくらいリフォームをすれば、
これくらいの金額で売れますよっていうのを教えてもらって、
じゃあやってみようかっていうので、やったという感じ。
なるほど。
だいたい教えてもらえるんですね?
ちゃんとお金を払えば。
お金を払って適切な人をちゃんと探せるかみたいなところと、
その人たちにちゃんとお金を払えるかっていうところと、
あとはコミュニケーションですよね。
一元産で教えてもらうっていうことよりも、
その人たちに対して逆にこっちからしてあげられる、
ケアのアドバイスだったりとか、
僕らが知っているシェアハウスの運営の仕方だったりとか、
ウェブマーケティングの仕方みたいなのを教えてあげて、
バーターで教えてもらうみたいなこととかもやってましたね。
なるほど。
一つ思ったのが、
これ1,2,3の波全部に関わってくるかもしれないんですけど、
ちょっとずつ事業が変わっていく中で、
社員の方の適応力というか、
どうやって適応していったんだろうって思いました。
そうですね。適応は常に僕らはそういう会社なんだっていうような、
本業が常に移り変わっていく会社なんだっていうような、
リクルートのような会社でやりましょうっていうのを言っているので、
よりモーカルな仕事、最終的に僕らがやりたいことって、
企業支援だったりとかいうことなんで、
やっぱりそこにお金がかかるんですよね。
そこにつなげるためにもしっかりとお金を安定的に稼いでいくっていうのを、
考えたときに、この事業よりもより適切な事業があったら、
どんどんピボットしていきましょうって話はしているっていうのがまず一つ目と、
っていうのが格好良めの理由で、
格好悪めの理由でいくと、コロナの時、タイミングでは、
ホテルから不動産にシフトしたんで、そこは結構辞めましたね。
新しいことをやっていくしかないからっていうようなところで、
ホテルのスタッフとして入ってきてくれた人たちは、
英語を使ったコミュニケーションで仕事をしたいっていう人たちが多くて、
それも宿を閉めてたんで、休業してたんで、
しばらくできないよと。
だけども、毎時みんなでこう生き延びるために、
新たな事業をやらなければいけないっていうところで、
そういったことをやっていたときに、
辞めていった人たちがいるというところなので、
切れ事ばかりじゃない手がついてこなかった人は、辞めていったというのは実態としてありますね。
コロナが一番多いときに25人ぐらい社員いたんですけど、
そこから7人ぐらいまで減って、
15人ぐらいはババババッとコロナのタイミングで、
辞めていってっていうようなところがあって、
助かった部分もあって、
電費がどんどん下がったっていうのは、
コロナのタイミングで売り上げないのにコストばかりかかってたんで、
ある意味では助かった部分はあるんですけど、
集めたメンバーが去っていくっていうのは、
寂しい感じはありましたし、
申し訳ない気持ちもあったんですけど、
どういえやることをやっていかなければいけないっていうようなところで、
事業を立ち上げて、粛々とやってたって感じですね。
なるほど。
その時の気持ちとかを想像していると、
苦しいだろうなっていうのが、今すごい感じたんですけど。
そうですね。振り返ればそうですね。
当時はどうやって生き延びるかみたいなことの方があれだったから、
また事業が盛り上がってくれば、会社が伸びてくれば、
戻ってきてくれるメンバーもいるだろうっていうふうに思いながら、
今もそういう気持ちでやってますけどね。
次に進むしかないっていう気持ちを持ってっていうところと、
とにかくやれることを今はやっていくのみみたいなところで、
気持ちをぶらさずに持っていったっていう感じですかね。
そうですね。最後の最後に僕らがやりたいことを達成できればいいんだっていう気持ちだったんで、
その道中、いろんなことがあってもしょうがない。
特にコロナみたいなことがあったときには、
やむを得ないなっていうふうに思ってやってましたね。
ありがとうございます。一気に15人減ったときって結構焦りませんか?
焦りますよ。焦るし、
人集めるの大変ですから、
こんなに苦労して集めたけどっていうところもあったんですけど、
リアルに毎月のキャッシュローが数千万単位でマイナスだったんで、
そっちの側のストレスもあったから、
人が辞めていくイコール寂しい悲しい気持ちもありつつ、
そのキャッシュローがマイナスが数千万円から数百万円に
セーブできるっていう意味ではポジティブに捉えられる部分もあったんで、
彼らがやりたい環境を作れる状態では当時なかったんで、
ポジティブに捉えるようにしてましたね。
決してマイナスの側面だけではなくて、
それこそ社員の方からしたら、やりたいことができる別の道もあるみたいなところもありますし、
考え方次第ですね。
前を向くしかない。
前を向くしかない。
ちょっと話ずれるけど、
結局諦めないっていうことなんですよ。
経営って平たく言うと、諦めずにもがき続けるっていうことが
唯一にして最も重要なんじゃないかなって経営者に求められることとして、
この人全然大した能力ないけどないなと思いながらも、
会社すごい長年拡大して経営してる。
コロナとかあったりとか、いろんなやばい話とかありながらも、
平気で仕事変えたりしながら生き延びてる経営者の人たちっているんですよ。
すごいなと思って、
諦めるっていうことをしないし、
辛いとすら思ってないんだろうな、この人たちはみたいな人たちがいるんですよ。
僕なんか、まだまだ女の口っていう感じで、
すげえな、みたいな。
倒産したとしても、別の形で再度起こしてる人たちもたくさんいるわけなんで、
しぶといな、この人たちっていう人たち多いです。
増えたら終わりみたいなイメージもあるんですけど、そっからまた別の形で。
別の会社破産して、別の会社作って、
全く同じことを平気でやってて、
いろんな人から悲観されながらも、しょうがないよねみたいな感じで、
どこ吹く風みたいな顔してやってる人たちもいるから、
しぶといな、この人たちって思いますね。
あきらめない気持ち、
授業がブレイクするとプラスで、ポイントとしては、
あきらめないことと、あまり深く気にしすぎないことみたいなところ。
ポジティブシンキングっていうか、
物事の捉え方、1つ起きたときに15人辞めていくみたいなことって、
悲しいことというふうに捉えることもできるし、
ポジティブに捉えると会社が生まれ変わるタイミングだっていうふうに考えることもできるし、
あるいは15人じゃなくてこれが100人の体制だったときに、
コロナみたいなのが起きたとしたら、本当に潰れてたんだろうけども、
25人のタイミングでコロナが起きたから、ちゃんとピボットできたんだっていうふうに捉えることもできるだろうし、
起こったことをどう捉えて前に進むかみたいなところが、経営者にとっては大事なのかなっていうふうに思いますよ。
山崎さんのそのマインドはどうやって培ったんですか?ポジティブシンキングマインド。
なんですかね、どうなんでしょう。
より私よりも大きなチャレンジをして、大きな失敗をしている人たちから比べたらすごい小さな話ではあるから、
そういう人たちを見ているみたいなこともありますし、
どうなんですかね。やりたいことがあるし、
企業を自分が自己実現できている、そういうチャレンジをしたいという人たちがいる。
そういう人たちのために力になってあげて、その人たちが成功していくっていうのはめっちゃ嬉しいし、
それによって僕らがお金をもらえるっていうのが一番言いがいがある仕事なんですよね。
それはどうやってやるのかみたいなことを常に考えているだけで、
一つのやり方が難しかったら別のやり方を探そうみたいなところで、
メンタルが強いとかそういうことではなくて、
どうやってやるのかを常に考えているみたいな。
その中でどうしよう、起こることに関しては、
起こった上でそれをどうするのか対策を考えているみたいな感じなので、
そこに感情がない感じですね。
なくはないですよ。
年一ぐらいで寝れない一日がありますよ。
僕も寝れない一日があって、
奥さんと結婚しても8年ぐらいになるんですけど、奥さん笑ってますね。
8年、毎年一回やってるってそれ。
終わった俺はっていう。
もう無理だみたいなネガティブな一日があって。
1年のうち1回だけ。
奥さんも初めはめちゃくちゃ心配してくれたんですよ。
初年度とか2年目とか。
大丈夫みたいな感じで何でもするからみたいなことがあるけど、
最近はまたかって。
また来たかみたいな。
大丈夫大丈夫。去年もそれ言ってたから大丈夫だから。
成長して。
確かに次の日起きたら何とかなりそうな気がしてきた。
あれやってこれやってこうすればしのげるっていう結論に対して。
家を出てくんで。
そうそうそう大丈夫大丈夫。
だいぶ話は広がりましたけど。
そうですね。
ブレイクスルー。
ブレイクスルーはやっぱ、
同じ事業でもそうですし、
マーケティングのやり方を変えたら伸びるとかっていうような
同じ事業だったし、
少し変えた時にそういったブレイクスルーが起きるんだと思うんですよね。
僕らの場合は今回は事業として
伸びたタイミングのことをブレイクスルーとして
説明させてもらったんですけど、
何かって言ったらやっぱり
種を巻き続けるっていうことが大事だったと思うんですよ。
僕らシェアハウスだけをやってたら
ゲストハウスがこんなに猛毒あることを気づけなかったので、
そんなに違わないんですよね。
シェアハウス、ゲストハウスって
法律上は違うんですけども、
建物を買ってリフォームして
お客さんを受け入れるみたいなプロジェクトを
抽象化するとほぼ一緒みたいなところがあるので、
ちょっと軸をずらすだけで
新たな事業に捉えできたりすると思うので、
自分たちが得意な領域からの周辺を
常に種を巻き続ける。
僕らも今言った仕事以外に
たくさんいろんなことにチャレンジをして、
そのほとんどで失敗してきてるんですよね。
たまたまうまくいったものが
ブレークするとして会社を成長させてくれたというのがあるので、
種を巻き続けるかっていうのが大事だし、
その種を巻き続けるための
知らないとできないじゃないですか。
アンテナを張って情報をいろんな人から得ていく