2024-04-29 09:34

#14 生理について 第12回(昔の生理用品について 02)

昔の生理用品について、

引き続きアウトプットしています。


【参考書籍】

生理用品の社会史 著:田中ひかる

サマリー

大正期から昭和期にかけて、様々な月形体やタンポンなどの生理用品が登場し、布や脱脂綿を使って自作する方法もあります。戦時中は物資不足で女性たちは創意工夫して生理処理を行っています。1961年には整理用ナプキンが誕生し、女性の地位や整理に対する考え方が少しずつ変わりつつあります。

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男性だからわからない、を卒業する番組。femsta。
femstaは、男性だからわからない、を卒業して、女性への理解を深めるために、女性特有の現象を学び、アウトプットする番組です。
どうも、nakamasaです。今回は、生理についての第12回目。引き続き、昔の生理用品についてアウトプットしていこうと思います。
昔の生理用品の登場
大正期に入ると、様々な月形体が登場して、安全体、プロテクター、婦人保護体、ローヤル月形体、ファーインダ腹巻月月形体、カチューシャバンド、エンゼル月形体、
婦人サルマタ、といった様々な商品が薬局や通信販売で売られていたそうです。
明治期からある衛生体は月形体の大王、安全体は吸収力は脱脂綿の数倍、ローヤル月形体は日本で初めての品、かけかえつきゆえすこぶる便利で清潔で気持ちよく永久の使用に耐えます。
カチューシャバンドは月形体の女王、など様々なキャッチコピーで販売されていたようですが、市場ではビクトリアが強かったようです。
月形体を使用できるのは経済的余裕のある女学生や主婦たちで、一般的には布や脱脂綿を使ってタンポンのように詰めていたり、
親に教わって腸自体を手作りしていたり、同年代の友人に習って処置の仕方を覚えたり、それぞれの地域や関わる人によって処理の仕方は様々だったようです。
生活圏内に月形体が存在するのは情報が届きやすい都市部で、通信販売もしていたようですが、
店舗での販売となるとかなりのタイムラグが発生していたようです。 対象期には製品としてタンポンも発売されたようですが、これらは脱脂綿を丸めただけのもので、
軽血処置を目的としたタンポンは1930年代に発売されたようです。 この頃は生理に関しての話題を家族と話すのもタブー視されていたケースもあるようで、
中には軽血処置用品は不常なものだから、お日様に当ててはいけないと言われていた記述もあるようです。
こういうタブー視や不常視をしていた背景が、日本で軽血処置用品の改善が遅れた原因の一つとも言えるそうです。
昭和期に入るとフレンドバンド、月形体メトロン、ノーブルバンド、スイタニア月形体といった商品が量産されて、
月形体と併用するロール式脱脂綿、シロボタンという商品も販売されたそうです。
この頃にはゴムを使用しない布製の月形体も登場していて、ゴム製には漏れない、匂わないという長所があったようですが、
通気性が悪いので、むれる、かぶれる、ゴム臭いという短所もあったことから登場したようですね。
女性たちの洋装化が進むにつれて、従来はベルトで固定するベルト式が主流だった月形体も、
ズロー姿、ゴムが入ったパンツの形ですね。そちらが登場したようですね。
軽血処置を目的として現在の形のタンポンの第1号は、現在の英材株式会社、この当時は合資会社桜が丘研究所から発売された3本、
生理処理の方法の多様性
同年に現在の田辺三菱製薬、当時は田辺玄座風呂商店からシャンポンという和紙製の製品も発売されたそうです。
3本は約20ミリの軽血を吸収できたそうで、12個入りで45銭で販売されていたそうです。
3個までにこの当時の物価はアンパンが1個5銭、ビールの大瓶が1本41銭だったそうです。
タンポンの登場は医師たちの反抗もあったようで、女の神聖なところに男以外のものを入れるとは何事ぞという発言もあったそうです。
この後、戦争が起こるようになってくると、脱脂綿は軍隊での使用が優先され、代わりの製品として脱脂綿に似せたラモードやゴムを使用しない月形体ラモードバンドなどが登場するようです。
雑誌主婦の友では、脱脂綿の家庭再生法と代用品の作り方という特集が組まれて、脱脂綿に吸収された軽血の落とし方、
消毒の仕方、繰り返し使ってボロボロになった脱脂綿を布袋に包んで利用する方法などが紹介されたそうです。
太平洋戦争が始まると物資が排給性になって、陸軍省は商工省に脱脂綿の代用品の開発を依頼し、
紙綿もしくは紙綿という紙に特殊なシワ加工を施し、水分を吸収しやすくしたものが開発されたそうです。
戦時中の軽血処理に関しても記述があって、
あらゆる物資の不足で脱脂綿や布、紙はもちろん入手しにくい状況だったから、毎月月経が近づくといつも処理法に頭を悩ました。
母親がさらしの両端を作ろい、それを何度も何度も洗い替えして使用したものだという記述や、
戦時下の激しい労働や防空演習にからぎ出される女たちにとって、
両足の間でねじれたりずれたりする腸自体や、じっとりと軽血を含んだ再生綿、ボロの始末は、
苦痛以外の何物でもなかったのです。
戦時制無月経に陥った女がおかげで助かったと思ったと後になって語っているのは、おそらく実感であったと思います。
戦争中に室内に入れて軽血を吸収する、いわゆる淡泊式の処置を覚えた女が多いというのは、物資の徹底的な不足と激しい動きを要求され、
便所へ行くのさえままならない不自由な戦時生活のゆえでしょう、という記述があります。
戦時中の生理処理
この頃はまだ、現代に比べると整理の回数は少ないと言われていますが、
それでも、戦時制無月経の症状があったとしても、整理が起こらないわけではないんですよね。
記述にあるような背景から、戦争中に自己流タンポンが普及して、戦後に婦人衛生雑誌では、そういったタンポンの細菌感染などの弊害を解く記事がたびたび掲載されたようです。
1951年に脱脂綿の配給制が解除されて、再び様々なタイプの月経体が発売されるようになりましたが、
まだこの頃のものは、スポーツや仕事に打ち込めるような整理用品は登場しておらず、それから10年後の1961年11月11日に初めて整理用ナプキンが誕生しました。
整理は人類の約半数に起こることなのに、なぜ、タブーやけがれとして見なされなければいけないのか。
女性の地位が低かったこともあるだろうし、やっぱり地位なので、ほとんどの場合、けがをしないと出てこないものなので、確かに
ネガティブなイメージを持ってしまうかもで、血は適切に処置しないと、感染症などを招く危険性もあって、
でもそのことから整理自体を悪くするのは違うなぁと思っていて、
整理は妊娠の準備を整える大切な体の機能で、その循環の中で受精をすると人が誕生して、
みんなそうやって生まれてきているのに、なんで隠したりタブーやけがれとして認識されなくちゃいけないのかなぁというのを疑問に思うんですよね。
そうなってくると、すごく極端な話ですけど、僕ら人間はすべて生まれながらにけがれた生き物ということになってしまうんですよね。
でも自分に子供ができてみて感じたことは、
こんなに美しくて純粋な存在を見たことがないなって思ったんですよ。 その存在を生み出すためには整理が必要で、
それに対して言ってはいけない空気だったり、周りが理解しないことって、 そもそもなんか自分自身の存在も否定していないかなぁと
考えたりしてしまいます。 では今回はこんな感じで。また何か足りてない部分とか、これ違うとか、
情報が古いとか、ご意見ご感想あればぜひ教えてください。 Xのアカウントも作っていますので、
ハッシュタグフェミスターでつぶやいていただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。
今回も聞いただきありがとうございました。中政でした。ではまた。
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