2024-04-22 04:46

#13 生理について 第11回(昔の生理用品について 01)

昔の生理用品について、

アウトプットしています。


【参考書籍】

生理用品の社会史 著:田中ひかる

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男性だからわからない、を卒業する番組。femsta
femstaは、男性だからわからないを卒業して、女性への理解を深めるために、女性特有の現象を学び、アウトプットする番組です。
どうも、nakamasaです。今回は、生理についての第11回目、昔の生理用品についてアウトプットしていこうと思います。
まず、いつから軽血を処置しようと考えるようになったかは不明なようで、 衣服をまとうようになってから、軽血がつくのを避けるようになったのか、
血液は感染症の原因になるかもということを経験で知って、そうするようになったのか、 布や紙の発明以前は、植物の葉や繊維を処理に使っていたと考えられるようで、
このあたりは記述がない時代のものに関しては憶測でしか言えないようです。 縄文時代頃には麻の湿度が確認されていて、
戦国時代には、木綿が大陸から入ってきて、 江戸時代に木綿が普及するまでは、麻布や屑布の端切れが一般的な軽血処理に使われていたと考えられているようです。
平安貴族は大陸から伝わった絹を袋状に縫い合わせ、 その中に麻綿を入れてナプキンのように当てて使っていたという説もあって、
日本最古の医術書、維新簿の中には、月の帯と書いて汚れるのと読む布製の軽血処置用品が記載されているそうです。
これがその後に登場する月経帯と書いて月経帯の先駆けと推測されているようですね。
月経帯というのは、軽血処置に用いた細長い布のことで、 粉土紙のように蝶の字に縫い合わせて、
蝶の字は豆腐の数え方の1蝶2蝶の漢字のことで、Tみたいな形をしている。 こちらを蝶字帯と呼んでいたそうです。
蝶字帯は馬の原手に似ていたことから、お馬、男性の粉土紙の別称のたずななどとも呼ばれていたそうです。
生理のことを過去には月のもの、月水、月火などと呼ばれていたこともあるそうで、それらに月がつくのは月の周期が生理と同じ約28日だから名前に用いられていたようです。
布以外にも紙が一般に普及した江戸時代頃からは紙が使用されていて、紙だけを筒内に詰めていたり、
綿と一緒に詰めていたりもしたそうです。 明治時代になると婦人衛生雑誌というものが誕生して、この頃からは記述が多く残されていて、
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主に上流階級の女性向けに衛生教育が普及していって、この意図としては時代が不克強兵を目標に掲げていたので、
母体が健康であってほしい、健康で強い子どもを国のために生んでほしいという考えがあったようです。
婦人衛生雑誌では腸自体に使う布や軽血の処理に使う紙などは常に清潔なものを使うように進められていて、
脱脂綿などを使用して、室内に入れずに外院部のあたる位置においてナプキンのような使い方を進める記述も登場しているそうです。
この頃、西洋ではゴム製品の月形体が使用されていて、それに倣って日本でも衛生体という商品が開発されたそうですが、
どの程度普及したかは定かではないようです。 その後、明治時代では月の帯、月衣、アメリカ製のビクトリアという商品が販売されて、
大正期にはさらに多くの月形体が誕生していくようです。
では今回はこんな感じで、次回もこの続きをアウトプットしていこうと思います。
また何か足りてない部分とか、これ違うよとか、情報が古いよとか、ご意見ご感想あればぜひ教えてください。
Xのアカウントを作っていますので、ハッシュタグフィルムスターでつぶやいていただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。
今回もお聞きいただきありがとうございました。 中政でした。ではまた。
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