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  2. vol.12 集合的無意識とは/無..
2025-06-29 1:00:02

vol.12 集合的無意識とは/無限画ラジオ(福田さん・亮さん・あきこさん)

[evOる]…物事を夢中で探究すること。エヴォる。 

「evOる!」は、ゲストの思わず気になっちゃうことを取り上げ、みんなで探究していく番組です。

 

【第12回目ゲスト】

無限画ラジオ
https://www.youtube.com/channel/UCj7iS0-03ti5921boaNXZtA

無限画の福田
遠近法を捨て、上空俯瞰の等尺投影だけで“地球を無限の密度で描く”アーティスト。元プロデザイナーとして稼ぐところまで稼ぐも、金銭より表現を選び今は無償制作を続行。完成のたびに「感情が凪ぐ」と語り、見る者にも静けさをもたらす。愛読ゲームは初期ポケモン&マリオRPGのマップ画面。

ゆる伝道師・亮
「みえるか企画」代表|社会システムの実践家
対話で「見方」を変え、社会の「関わり方」を再設計する。
講演・研修|事業コンセプトの壁打ち|対話の場づくり
著書『みえるかVol.1 新米視覚障害者の考える問い』

宇宙を旅する自由人・あきこ
「持続可能な地球ってどうすれば?」そんな問いから始まり、5年ほどの実践を通じてたどり着いたのが「ギブネス(無料で働くこと)」という生き方。2025年から本格的に実践中です。ポッドキャスト『無限画ラジオ』『ギブネスラジオ』では、宇宙の法則にまつわる気づきをシェア中。マヤ暦とカタカムナを融合した「天才暦アカデミア」も主宰し、月1回の無料ワーク「書く瞑想」も開催しています。

 

【深化型組織を探究するコミュニティevOrg】 https://evorg-lab.com/

サマリー

このエピソードでは、集合的無意識について探求し、人類共通の願いについて議論します。福田さんは自身の体験を通じて、コミュニティの中でのつながりと存在感が集合的無意識とどのように関連するかを考察します。また、ユングの見解と現代の解釈を対比し、オンラインコミュニティの形成や人間の原初の記憶について議論されています。特に、焚き火を囲む体験を通じて、人が持つ共通の意識や感覚について深められています。 エピソードでは、集合的無意識や無限画のコンセプトについて深く掘り下げ、自己と他者とのつながりや境界線の不在についての認識が語られます。また、著名なテッド講演の例を挙げながら、個人の体験が普遍的な感覚とどのように結びつくかを探求します。 さらに、集合的無意識とその影響について深く掘り下げ、個々の人間が持つ感情や考えの繋がりを探ります。共感や理解のあり方、自由さの重要性についても語られ、個々の視点から無限の可能性を模索しています。このエピソードでは、美への感覚やアートを交えながら、集合的無意識について探求し、その体験を深めることを目指しています。

集合的無意識の探求
スピーカー 2
始まりました。こちらは、進化型組織を探求する一般社団法人evOrgのナビゲートでお送りします。
evOrgとは、物事を宇宙で探求することという造語なんですけども、
この番組は、ゲストの思わず気になっちゃうことを取り上げて、みんなで探求していく番組になります。
今回はですね、私、evOrgからはSATと、あと桂田さんKickTでお送りしています。よろしくお願いします。
今回のゲストなんですけども、前回に引き続き、無限画ラジオの皆さんに来ていただいております。
福田さん、あきこさん、亮さん、お越しいただいております。よろしくお願いします。
スピーカー 3
お願いします。
スピーカー 2
今日はですね、急遽、私がまだ前回から話したいっていうテーマが、どうしても自分の頭の中から離れなくてですね、
今本当、自分の中でもやろうとしていることとか、この世界こうなったらいいなっていう心からお願いだとかっていうところに結びついていくんですけど、
ちょっとテーマが難しいんですけど、集合無意識とは何かっていうことについて、みんなで話していきたいなというふうに思っていて、
集合無意識、これ何なんだっていうのは、ちょっと学術的に私はうまく説明できないんですけど、
なんか今チャットJPTとかに聞いたら、中学生でもわかる定義は、人間みんなが生まれつき持っている心の仕組みであると、
だから誰か一人の経験からではなく、人類全体で共有しているイメージや考え方のものっていうのを集合無意識というふうに、
これがYUMUが提唱したものらしいんですけども、あるそうですと。
何でこれが私が気になっているかっていうことをちょっと軽くお伝えすると、
直近ですね、私はロンドンに普段住んでいて、9日間のNVCの集中学習に行ったんですけども、
そこでの体験というか、本当にいろんな国から来ていて、アジア人は私一人っていうような状況で、
この人たちと人間として向き合って、心からゆでられるようなコミュニティというものが、
この中、空間の中で出来上がるのかどうかみたいなところが、結構人生のチャレンジとして、裏テーマとして、
目的は違う目的で参加したんですけど、あって、そうした時に、やっぱり言語も何もかもこうやって繋がるっていう体感覚を得たっていうのがあって、
で、これって、なんか今戦争とか本当にね、イスラエルの人たちも来てましたけども、
怒っている、あとはね、アフリカとかって言うと貧困とか、あるいは目の前で両親が殺されるっていう話を聞いたりとか、
実はその、日本の中でも孤独、孤立の問題だったりとか、いろんな社会問題が起きてるっていうところがある中で、
私たちが心から願いを持って、それってなんか人類共通の願いで、それをこう強く願うと何かが時代が変わっていくんじゃないかみたいなことが、
なんか今結構いろんなことが変革の時期というか、表面化していっているような気がしていて、
それをこの流れをですね、こう変えていくというか、変えていくんじゃなくて、むしろ勢いに乗っていくっていうか、
ということができる時代になっているんじゃないかなっていうのがすごく思って、だからこの集合無意識ということについてすごい話したいな。
あまり話しすぎるとダメなんだけど、時期をホームにしたいんです。早い話が。
だからもうなんかこの世界、自分を委ねても大丈夫というか、なんか変な子をよく見せなきゃとか、誰よりも優秀でいなきゃとか、
あるいは好かれなきゃとか、いい人でいなきゃとか、そういうことじゃなくて、やっぱり自分を生きるっていうことが普通に世界で回っていくというか、
循環していくっていうようなところを、私はそういう世界みたいなっていうふうに思っていて、
なんかその、そういうこう、今物理的にここのメンバーも離れているわけですけど、
なんか集合無意識っていうところで、一体感というかつながりを感じることとかないのかな。
っていうことが結構今日はテーマになっております。伝わったかな。
自己開示と共感
スピーカー 1
いいよ。
スピーカー 2
すごい。
どういう笑顔なんだろう。なんか複雑な笑顔を私は。
ちょっとこのテーマ、今の話をちょっと話したい人から話していければなと思うけど。
今、りょうさんなんか言いかけました?
福田さん。
スピーカー 1
いいテーマだなと思っていて、なんか人って僕たちは違うもの同士みたいに思ってるけど、でも人間って時点で割と近いんじゃないのかなみたいなすごい思うところがあって、
例えば生物分類学で言ったら、すごいあの大きいドメインっていうところからどんどん枝分かれしていっていくと、
人間なんて本当先っぽの先っぽで、なんかこの生物とかの多様の中にいたら、
めちゃくちゃ僕たちってもう、それは違うはずに、本当親戚というかめっちゃ近いはずなんだなと思った時に、
構造も割かし体も近いじゃないですか。
もちろん、医学の教科書を見れば、だいたい同じ、僕たち心臓が4個ある人がいて、とか2つある人がいて、とか10個ある人がいて、みたいな多様性ないし、
だいたい骨も、骨の方はみんなほぼほぼ一緒で、お尻のところはちょっと違うとかあるぐらいであんま変わんないしとか、
大きさはちょっと違うけど基本的に類似型、相似型だしとかって思った時に、
ベースとなっている体の気候が近いから、なんとなく発露する仕組み的に意識っていうものが体とかに依存しているものだとしたら、
すごく近しいものが出てくるのも自然な発想だなーってすごく思ったんですよね。
集合的無意識という言葉だとすごくスピリチュアルな感覚がすごいあるし、それも僕は好きなんですけども、
一方で人間っていうハード面で見た時も結構体ってね、さっきささんもおっしゃったように国籍みんな違う人来たとしても、
基本的にはみんな身体構造はほぼ一緒というか、腕とかが10個ある人はいないわけで、目が20個ある人とかいないし、
下がベロンと伸びてカメレオンみたいな体型の人いるとかじゃないじゃないですか、
ちょっと肌の色違ってちょっと身長違ったり体重違ったり性別違ったり、話す言葉ちょっと違うぐらいで、
基本的には同じ構造を持ってるんだなーと思った時に結構、まあ誤差。誤差って範囲で見た時に、
僕たちはだからこいつ違ぇやんって思ってるけど、結構一緒じゃないっていうところが見え方なのかなーって、
集合的無意識っていうと、意識って個別に保有しているように見えるが、結構僕たちってベースとしているものって結構近いんじゃないんですかねっていう観点。
だから地球がホームっておっしゃってましたけど、地球人っていう観点。もっと言うと多分、生物でも本当はそんな遠くないのかもしれないなとかっていうことをちょっと聞いてて思いました。
スピーカー 2
ありがとうございます。そうなんですよね。実は結構99%だっけ、なんか同じっていう。
福田さんがちょっと話した。もうね、すごい素敵な笑みを浮かべてたんで。
スピーカー 3
いやいや、めっちゃあれなんですけど。
福田さんが、なんだっけ、言語を越えて繋がるみたいな体験をされたみたいなことを言ってたと思っていて、
スピーカー 2
なんかそれって具体的にどういうことが起きたんですかっていうのを聞きたかったっていうだけなんですけど。
どういうことが起きたか。ちょっと一言で話せないんですよ。
まずその自分の自己開示っていうのは、その9日間のプロセスを自分なりに設立してみたんですね。
そうすると最初にやっぱり自己開示があって、脆さを、自分の一番脆いパートを開示する。
それはまずそこをほっていって、何があるかっていうことをまず自分で分からないといけないんですけど、
それを場に出すっていうことによって、すごい安心の空間ができる。
だけど個人の問題はどこまで行っても個人の問題なんですよね。
だからコミュニティというか場が解決することはできないんだけど、
そこででも私たちができることって、一緒に存在する。
聞いてるよ、見てるよ、一緒に座ってるよっていう、そこのプレゼンスの感覚っていうのが結構大きくて、
スピーカー 4
そこにいてくれるわけで、なんてありがたい存在なんだっていう。
というのがありましたね。伝わってるのかな。
今のその話と集合無意識でどう繋がっていくんですか?
スピーカー 2
なんかね、それがね、横で息子がゲームして気になってるんだけど、
スピーカー 4
ちょっと下行っててくれないかな。
分かった。いるらしい。
スピーカー 2
どうやって繋がってくるか。
スピーカー 4
あ、そうそうそう。
スピーカー 2
なんかその、場に出すことで、場自体に願いみたいなものが、こうなったらいいのに。
お互いのありのままの存在を受け入れ合いたい。
スピーカー 4
すぐに何かそのソリューションが見えてくるわけじゃないんだけど、そういうものが生まれていって。
スピーカー 2
で、その中で突如として、どこからか想像性が生まれてくるわけです。
スピーカー 4
私たちは、例えばそのコロンビアでピース活動をしている人がいるんですけども、
スピーカー 2
そのファイナンシャルの状況がすごく良くなくて、いきなり寄付を打ち切られたりとかして、どうしようみたいなのがあって、
それを受け止める、まず。で、何か出てくるわけじゃないんですけど、後半になって、
基金が立ち上がるんです。あるメンバーがイニシアチブを取って、こういう活動をしようと思いますとかして。
で、あとはその長年こう自分がやりたかったこと、だけど怖くてできなかったことっていうのを、
ちょっとこういうことあるんだけど、ホームグループというのもあるので、いきなり全体っていうのはないので、
4人とか5人ぐらいのちっちゃいグループもあるんですね。で、そこでずっとこう振り返りをやったりとかしてて、
本当にそれがあるから結構コミュニティの接続が図れるというか、私もそこにすごい身を委ねられるし、
めちゃめちゃここが一番いいホームグループだって言ってくれる人もいたりとかして、
なんかそういう場所があることで、自分の長年の溜まり溜まった思いだったりとか、こういうことをやりたいんだってこともそこで回避されていく。
で、それで例えば私のグループの中で起きたことは、エンパシービリッジ作りたいって言って、だけどそれ怖くて言えない。
でもいいね、めっちゃいいアイデアあるじゃんっていう、私とかが言うと、そうすると彼の中でいろんな変化が起きて最後、場に出すんです。
コミュニティのつながり
スピーカー 2
そうすると、そこで共感がまた生まれていって、で、今もう終わってからもうそのビリッジを作るプロジェクトっていうのが走ってるんですけど、
で、私がそのグローバルホームっていうジャーナルを立ち上げようっていう、マガジンを立ち上げようっていう声を出したのもそれがあったから。
いろんなこう、集合名式っていうことなのかわかんないけど、なんかコミュニティとしての願いみたいな、
こう会った方がいい、こうありたいなとかっていうのがあったなって思う。
でも、私はどちらかと言うと、今後その人たちと今物理的に離れている状況でも、その繋がりの感覚を得られるかっていうことが結構チャレンジなんです。
で、何を隠そうか。やっぱり私はオンラインでずっと仕事とかもするし、
スピーカー 3
集合名式っていうことを信じられないと、多分この活動って続けられないなっていうふうに思ってるので。
なんか、集合名式って言葉じゃない感じがしました。
スピーカー 1
僕も結構同じことを思ったかも。
スピーカー 3
ユングのいう集合名式とは多分違うことをSATさんは何か集合名式って呼んでるかもしれないなと思っていて。
なんかそのユングが集合名式っていうのはもう先天的なプログラム。
人間がもともと生まれた時から持っている記憶とかプログラムみたいなことを言ってるんだけど、
SATさんが言ってるのは、もう少しライブ感があって、その場の意思とか、
自分たちの創意みたいなことを信じてるというか、より信じたいというか、
なんかそういう感じに僕は聞こえているんですけど、合ってるのかどうですか?
スピーカー 2
いやね、でもね、これは将来的な、人間が本来そのままあったっていうのはまさにでもそうだと思ってて、
その中で同じ人間っていう感覚っていうのがすごい大事なんですよね。
だから上手く自分の中でつながっていない。
スピーカー 4
つながってるようにつながってないのかもしれないんですけど。
スピーカー 2
だからなんか新しく生まれてくるものじゃないのかもしれない。
スピーカー 4
だから本来持ってるから、
スピーカー 2
だけどそれを私たちが今いろんなこの社会構造とか目の前の事象とかで忘れてしまっているものなのかもしれないと思っていて。
新しく作るものじゃないんじゃないかなっていうのはあります。
だから戻っていくというか、
だってその9日のプロセスは、9日間のプロセスはどう考えても子供になるっていうことです。
本当に自分がどうありたいかどう生きるかっていうことを削ぎ落としていったときに見えてくるものだったりとかするから、
スピーカー 4
だから私たち本来集合無意識でつながれてるんじゃないかなっていうのはあって。
スピーカー 2
なんかそう思うと子供に戻っていくってことは、
大人になっていくと自我が形成されていく、迷子が形成されていって、
私は私みたいな、私を前に出してくるけど、
それを取っ払っていって、もっとピュアな状態になっているっていうことをできるのかな、みたいな感じなのかなと思って聞いてました。
そのエゴがどんどん外されていって、外されていくと、
例えば3、2、3、3歳、4歳、幼稚園生くらいのときって、
もう子供見てるとみんな友達じゃないですか。
スピーカー 2
別に約束してるわけじゃないのに、公園に集まってきたら、
その辺にいる子と遊び出して、来てきたら違う子と遊び出してとかって、
そういうのが普通に起きてるなっていうのは思うんですけど、
それが不自然じゃないじゃないですか、当たり前、子供の中では。
なんかそういうものに戻っていくっていうことに、
佐藤さんが私たちはできるのか、みたいなちょっと疑問というか、
問いを投げてくれてるのかなっていうような気がしました。
焚き火の力
スピーカー 2
うーん、そうかもしれない。そうなんじゃないか。
ちょっと、キクティがもう出ちゃうような気がするので、何か。
スピーカー 1
集合無意識の話とか、多分佐藤さんの言いたかったことって、
自分が一人の意思だと思っていても、
実は場が共鳴したりとか深く繋がったりすると、
実はそれがみんな持ってた意思だったとか、
そんな感じでシンクロというのか、
深い次元で繋がるっていうことがあるよね、みたいなことを言いたかったのかもなというふうに、
僕は聞こえたっていうのはあって、確かにそれはあるなっていうのと、
確かにそれは条件というか、やっぱり常にそうなってるか、
やっぱりある一定まで場が深まるとそうなるよな、みたいなものを感じながら聞いてましたっていう。
スピーカー 4
そうだ。はい。
スピーカー 2
なんか、いろんな人で解像度を深めてもらっているっていう感じが。
ありがとうございました。
スピーカー 4
はい。
スピーカー 2
その、後天的なものでもないのかな。
やっぱりその、本来私たちが当たり前に人間として持っていることだけど、
ということで、結構自分たちのウェルビーングというか、
生きるっていうものにフォアに関わっている。
スピーカー 1
関係ない、関係あるかもしれない話していいですか。
最近、僕ね、焚き火この間体験したらめちゃくちゃ良かったんですよ。
焚き火をですね、囲んでただ過ごすだけだったんですけど、
ちょうどいい夜でですね、風も気持ちよくて、
火の心地よい感じ、ちょっと肌寒いところに火があることで心地よくてですね、
初めましての人ばかりだったので、なんとなく安心感のある場所だったなっていう体感があって、
焚き火ってなんかすげえなと思って、そこからちょっと色々調べたんですけど、
火ってある意味、人間が人間になれたのって火のおかげじゃないっていう仮説もあるんですよね。
なんか調理することで消化が図って、この僕たちの肥大な脳とかを支えることができたから、
モンスターピエンスってこの島で進化できたんじゃないのってとか、
火があることで夜の明かりを灯すことで猛獣とかから身を守ったり、
あとコミュニティ形成っていう時間が取れたんじゃないのとか、
やっぱり単純に暖かいからとかっていう火の持つ力ってめっちゃすごいんじゃない、
もちろんその焚き火といって管理された火ではあるんですけども、
それの力ってめっちゃ大きいんじゃないっていうところで、
火を見るとですね、それって誰しもが人間って1回1万人まで減ったらしいんですけどね、
どうやらモンスターピエンスの進化をたどっていくと、
意外と多様性あんまないと、モンスターピエンス自体は。
だから結構僕たちの人間自体に共通して持っている性質というものがあって、
焚き火ってもの一つ囲むことで、原初の記憶というか、
人間ってこうだったんじゃねみたいなのを感じやすいんじゃないかな、
っていうのをこの間体感したんですよね。
これって多分、焚き火一緒にしないと絶対分かんない感覚だなと思うんです。
さっきオンラインの限界値もあると思う。
オンラインの素晴らしさとオンラインの限界値があると思ってて、
やっぱり焚き火を囲むとね、さっき言ったキティさんが言ったように、
深いところに入るみたいなのが容易になりやすい側面があるなと思ったんですよ、焚き火自体に。
だから全然初めましての人がいても全く不安とかないんですよね。
この焚き火囲んでるってことは仲間だよねっていう、
勝手に共通認識が図られてしまうみたいなのがすごい怖くて、
だから最近ね、焚き火いいなーっていう関係あるようなないような話でした。
人間の本質と関係性
スピーカー 2
あるよ。でもそうですね、なんか火は無意識と繋がりやすいんだろうな。
スピーカー 3
だから、
スピーカー 1
揺らめきとかパチパチとか匂いとかね、すごくいいんですよ。
なんか体温まるし本当に、真から。
スピーカー 2
ケントさんもしかしてもう出ないといけない?
スピーカー 1
まだ大丈夫ですよ。
スピーカー 2
大丈夫です?
うん。
ここまでの話とか聞いて思うことってありますか?
スピーカー 1
そうですね。僕もさっき焚き火さんが言ってたのと近い感覚を持ってて、
僕が思ってる集合無意識っていうのは、
人間がもうDNAレベルで組み込まれてる深い記憶というか、
そんな認識があって、生まれていく過程の中で忘れてしまったり、
抜け落ちてしまってるけど、
スピーカー 4
この場合の心って何かちょっと分からないけど、奥の奥には共通として存在してて、
スピーカー 1
しているものみたいな感覚を僕は集合無意識っていうイメージで捉えていて、
佐藤さんがさっき話してくれたやつはどっちかと、もうちょっと顕在的な共通意識みたいな、
無意識というより共通意識みたいな、
でもそれも、それのそのすごい素敵な体験をしたのかなっていうふうに思ってて、
でもこの場合別にもう無意識だろうが意識だろうがあんまり関係はなくて、
素敵な体験だったら、だからいいっていうことなのかなと思ってるんですけど。
スピーカー 2
どちらかというと、私今回の体験で集合無意識をこれだって思ってないかも。
だから今回このテーマに持ってきたっていうのがあるかもしれなくて、
だってそうやって目の前にいて話したりとかしたら、それはもっとつながれるじゃないですか。
なんだけど、いないと。
しかもその話せる機会も限定的であると。
そういう状況の中で相手を仲間だと思えるかとか、なんだろう、
無意識でつながれるのかみたいなのって思ったりするんですけど、
スピーカー 4
それは何か違うのかな、よく分かんなくなってきたけど。
スピーカー 1
でも何か笹田さん、このラジオ前に話したことは結構コアだったと思うんですけど、
生きるって何だろうかって、人間って何だろうかみたいな話をされてたと思うんですけど、
多分そういうことなのかな、シンプルに僕は聞いてて思いますよね。
人間ってよく言う話ですけど、明治期は人間が世間みたいな意味合いだったみたいな話がありますよね。
人間っていうのが世間的な使い方をされた、社会みたいなイメージで使われてたっていう。
だから一つのは人がいる人がいることで人間になるみたいなのはよく言われますけど、
何か笹田さんが言ってることは、僕はそっちの方が何かより近い。
生きるって結局人と関わるって、人と人ってっていうところの話を何か僕はしてくださってんじゃないのかなっていう感じはしますけどね。
スピーカー 2
そうですね。
世間っていう言葉って日本語結構特急ですよね。
スピーカー 3
こっちで多分ね、そんなに世間ってないと思うんだよな。
スピーカー 2
だから、だけど日本人って結構世間にとらわれるっていうか、
世間って言った時にポジティブなイメージを持つかネガティブなイメージを持つかっていうと、
どちらかとネガティブなイメージを持つ方が多いんじゃないかって勝手に思っちゃってますけど、
そこに対応されるっていうようなところなんだけど、
スピーカー 4
そういう意味でいくと、ポジティブな意味での世間じゃないけど、
スピーカー 2
そこが自分をジャッジするような、要は自分が良いか悪いかだったりとか、優れてるか劣ってるかとかっていうことを、
スピーカー 4
ジャッジするための存在として世間を捉えるっていうかは、
アカシックレコードじゃない?なんだっけ?
そのアクセスする感じですね。
スピーカー 2
アカシックレコードって言うんだっけ?
スピーカー 4
宇宙の中でもう全てがある。これまでのデータが全てがあって、
スピーカー 2
エイジがある、記憶があるっていうところにアクセスするような感じ。
だからそこにいて、そのことアクセスするとすごく安心感だし、
自分っていう、さっきみたいにジャッジしたいとかじゃなくて、
集合的無意識へのアクセス
スピーカー 2
自分という存在とかともつながれてるし、
相手と相手の命ともつながれてるっていう感覚があるっていう。
そういうものにアクセスできるようになったら、
人類もっとみんな幸せでかもなって思うんですけど。
なんだっけ?ケイドさんがさっき言ってた、仏教にもありますよねって話してたんですって。
スピーカー 1
仏教の荒屋敷ですかね。
スピーカー 4
意識の奥底にある自分の表面的にあるものとは全然別だけど、
スピーカー 1
奥底にあるものみたいなのと、
スピーカー 4
集合無意識と僕はちょっと近いなっていうふうに思ってたりするんですけど。
スピーカー 1
ちょっと話変わりますけど、佐藤さんが言ってるのってあれと似てるなと思ってて、
名前はちょっと忘れちゃったんですけど、
農科学者の右脳だけになった人いるじゃないですか。
海外の。誰でしたっけ?
有名なテッドの講演のやつ。
スピーカー 2
いますね。
スピーカー 1
いますよね。あれ誰だったっけ?ちょっと忘れちゃったな。
スピーカー 4
なんだっけ?リサさんじゃなくてなんとかさん。
スピーカー 1
有名なんですけどね。
ジルボルトテイラーさんのやつ。
あれでその講演の中で言ってたのが、
左脳の機能が一時的に欠落してしまって右脳だけになった時の物語みたいなのを言ってたときに、
いろんなものの境界線とか時間軸も含めて全部が一緒になる感覚になったみたいな話を。
要は上下もないし左右もないし、
何かをこう自分というものがなくなるみたいな感覚を、
それを左脳という機能で区分けしてるみたいなことを。
だから元々は本当は区切りなんてなくて境界線なんてないけど、
人間の機能がそうしてるみたいな話がちょっと違う解釈してるかもしれないですけど、
そういうことを話されてたのかなと思ってて。
佐藤さんが今言ってるのもそれに近いというか、
佐藤さんと僕いろいろ一緒に活動してますけど、
佐藤さんの感覚とか近くで見てると、
佐藤さんの価値観なのか、そんな世界で生きてるなっていうふうに僕は見てるんですよ。
全部の境界線がない世界でいる、
あと無くしたいとも思っているなっていうふうに思ってて、
スピーカー 4
その世界観は僕すごい好きなんですけど、
スピーカー 1
すごい近さを感じるんです。
スピーカー 2
それが集合無意識とちょっと近い気もしてて、その話も。
スピーカー 1
無意識レベルだとみんな一緒みたいな。
そうそうそう、人類みんな一緒。
いろんな表現ありますけど、アカシックレコードとか、
ゼロポイントフィールドとかもしかしたら。
スピーカー 2
そうそう、ゼロポイントフィールド。
私そのゼロポイントフィールドとアカシックレコードの違いがうまく出てきた。
スピーカー 1
ごめんなさい、僕はあんまりわかってないですけど。
スピーカー 2
何回読んでも理解できない。
スピーカー 1
でもこれ共通言語的に言うと無限画の世界じゃないかなと。
無限画もすごい僕も近い世界観じゃないかなとかっていうのも、
無限画の世界がいいなと思ったときの感覚と近いんですよね。
無限画の体験
スピーカー 1
境界じゃないって聞くと面白いですよね。
スピーカー 2
これちょっと今度マガジンで設けられるかどうかわからないですけど、
その企画としてグローカルパースペクティブっていう企画で、
要はそういうことをどうやってつながるかみたいなことを、
そういうことを無限画取り上げてもいいし、
なんかできたらいいなみたいなのはなんとなく思ってるんですよね。
っていうところですごいうなずいてるから、
スピーカー 4
うさがないよ、今。
スピーカー 3
いやいや、別にないけど。
スピーカー 4
でもそう、無限画のことだなと思っていました、僕も。
スピーカー 3
無限画ずっとぼーっと描いてると境界がなくなる。
境界なくなるっていうか、自分を見失うみたいなことが結構僕も具体的に何度もあって、
すごい印象的なのが、小学校のグラウンドで無限画描いてるときに結構広いんですよ。
広くて、この中をうろうろ歩き回りながら目でリサーチして、
それで画面をこうやって埋めていくんだけど、
それやってる間は自分がどこにいるか本当にわからなくなります。見失う。
自分がどっちの方向向いてるかとか、
自分がどの座標にいるかとか、
本当に意識してないというか、本当にわからなくなるみたいなことがあって、
自分の体の大きさはどれくらいなのかがなくなるんですよね。なくなったんですよ。
誰かに話しかけてもらわないと、ふって自分の体に戻ってこれない。
そういう感じなんですね。無限がずっと描いてると。
そうなってきて、なんかそれがすごく…
スピーカー 1
その時に世界の本当の姿を見てるんですよ、僕は。
スピーカー 3
見てるっていうか、世界になってる。
なってるっていうか、溶けてる。
なってる。
山を描きながら山になってる。
自分との境界…境界じゃないっていうか、本当に地球のディテールとして自分を見てる。
っていう感じになる。
なんかその感じが結構やみつきになるんですね、僕は。
だからなんかそのドラッグにハマってる人とかと近い…
僕やったことないけど、なんかそう近い感覚なのかもしれなくて、
話聞いたりとかね、読んだりすると。
だから、とても気持ちいいんです。
気持ちいいし、本当の外部環境の姿を見れてる感じです。
それは佐野がさっき止まった体験とすごく似てるかもしれないんですけど。
それをね、やって戻ってくると、
他のをガンと使ってこの世界をガンと認識するみたいなことをまたやり始めるっていうこと。
スピーカー 4
そういうふうに戻ってくると、なんかね、
スピーカー 3
あ、そうかそうかと思うんですよね。
これは嘘だって思う。
スピーカー 4
嘘だって思ってから何もしてない。
スピーカー 3
思うっていうか、分かる。
これは自分が作ってる。
勝手に作ってる認識だというか、解釈が分かって、
本当のところは自分なんてないし、自分の家なんてないし、
葉っぱなんてないし、空なんてないし、お金なんてないっていうことなんです。
なんだけど、そういうふうに決めてみてるっていうだけ。
時間もない。
そういうことが分かるから、分かった上で、
あえて決めつけて、
その決めつけた自分のオリジナルの海の中を自由に泳ぐっていうことをすると、
スピーカー 4
ただ楽しいだけになるんです。
スピーカー 3
楽しいだけの海になったらまた無限が帰ったり、他の方法もあるんだけど、
スピーカー 4
無限が帰って、またそっちの本当の認識の方に戻っていく。
スピーカー 3
みたいな生き生きができるようになると、
幸せになりやすいし、いろんなこと成功させやすいなっていうのは
思っていて、今いいことしかないなと思ってるんですね。
人類の変遷と未来
スピーカー 3
そのスキルが、多分100年後の人類はみんな、
スピーカー 4
このスキルが手に入ってるかもしれないなと思ってるっていう話。
スピーカー 2
サイケデリックスとか結構アンダーグラウンドに広まっていくのが認知され始めて、
それが時々はこのやばいスピリチュアルな人たちだけのものというか、
あとは先住民族のものっていうものが、だんだん科学的にも、
そのいわゆる世界観、研究され始めて、
もしかしたら当たり前になる世界が来るのかなとか、
なんかちょっと今パッと思いましたけど、
でもまだそこに対してなんだろう、
アレルギーというか、またまたみたいな感覚がある?
福田さんの話聞いても。
私だからとこの狭間で、こっち行こうかな、あっち行こうかな、
スピーカー 3
みたいなのをまだ迷ってる存在だなって。
スピーカー 2
すごいお話聞いてたら楽しいし、面白いし、
ぜひその世界を体験してみたいなって思うんだけど。
スピーカー 3
100年後なんで僕はそうなるかって思ってるかっていうと、
多分ね、だから1500年前くらいまでそうだった。
もっと言うともっと前だともっとそうだった。
スピーカー 1
1万年前はもうそうだ、完全にその状態で生きてたと思う人類全員。
スピーカー 3
というふうに僕は考えていて、
僕はお絵かき大好きな人間だから、
人類が描いてきた絵の足跡を見るとそうとしか思えなくて、
絵の中に十分じゃないと思ってしまう、昔の絵は。
スピーカー 4
だからそうなんだろうなと思うんですね。
スピーカー 3
絵の中に十分じゃない?
絵の中に自分がね、無限画的な話でパースがない。
昔の絵は、94世紀とか以前の絵はパースがないんですよね。
パースがないって言えば遠近法を使ってないし、陰影法も使ってない。
だから自分から見た世界、カメラのレンズがないし、焦点もないし、画角もないんです。
パース描かせてない。
だから自分に近いものは大きく描いて、自分から遠いものは小さく描くっていうことをやってなかった。
15世紀に。
だからダラーンとしていた世界が。
中心と周辺がないみたいな絵を描いていて、
その中で自分も他人も全く等価に描かれていないっていう、
ラスコの洞窟壁画みたいなところからお絵かきが始まって、
ずっとそうなんだ。何十万年もずっとそうなんだ。
何十万年も過ぎた。何万年もずっとそういう絵を描いてきて、
本当に最近になって、ほんの数百年前に、こういう世界の見方に人類は切り替わったと思っていて、
こういう世界の見方をしているんです。
自分中心で、今ここの自分から世界を見るっていう見方。
身体性をとても強く持って、エゴイスティックに生きるようになったのが、
本当に最近の話だと思っていて。
だから最近、どんどん人間が力を持ち始めた。地球の中で力を持ち始めたっていうか、
スピーカー 4
遠心性みたいなことになってきたような気がしていて。
スピーカー 3
で、その役割が人間が終わりかけているような感じがする。
最近、地球の中でそのポジションに人間が担うっていう。
その時期が終わりかけているような気がしていて。
もう一回また、こっちの世界の認識の方に戻っていく。
昔の人の感覚っていうのは赤ちゃんの感覚みたいなとも言えるんですけど。
子供の、4歳とか3歳とか、4歳5歳くらいまでの子が描く絵は無限がそのものなんですけど。
スピーカー 4
だから、なんかそういう、この感覚を僕らはこの数百年すっかり忘れているような感じがあるんだけど。
スピーカー 3
デフォルト層っていうね。
そう感じてもいるし、やる中で感じてもいるし、
いろんなもの聞いたり見たりしても、どう考えてもそうみたいなことを僕は思っている。
信じ込んでるっていう感じなんです。
スピーカー 2
今回ちょっとやりたいなと思ってる試みとして、
例えばこっちでコミュニティをやっている人だったりとか、
いろんな活動している人のインタビューをして、
スピーカー 4
それを記事化しようかなと思ったりとかするんですけど。
共感と理解の探求
スピーカー 4
そういうのって、読み手としては自分と違う人として見るじゃないですか。
スピーカー 2
だから、自分と違う対象として、それにどういう感覚を持つかっていうと、憧れっていうことかもしれないし、
あるいはちょっと嫌悪感かもしれないし、違和感とか。
だからちょっと排除するとか、違うものとして見るみたいな感覚ってあるだろうな。
これまでのいろいろとビジネス雑誌とかに載ってるようなインタビューって成功者インタビューとか、
そういうの多いなって思うんですけど、それと何ら変わりもなくなってしまうと、
それは私がいいとしていることじゃなくて、むしろその人の中に自分を見てほしいっていうか、
こんなにも違うんだけど、同じ人間だなとか、それってやっぱり自分が大事にしてたことだなとか、
スピーカー 4
そういうふうに同じ繋がりとして見てほしいっていうのがあって。
スピーカー 2
福田さんのお話はもう人間とかっていうレベル感じゃなく、世界っていうレベル感でお話しされてるっていうのは認識はしてるんですけど、
スピーカー 4
まずはそこかなっていうか、目の前の人っていう対象に対して、違うから分かり合えないよねとか、だから関係ないよねとか、
スピーカー 2
そこからこう、実は繋がっている同じ人間、共感とか、そういうふうになるにはどうしたらいいんだろうみたいなのが、
スピーカー 3
結構、自分の中で問いとしてあるっていう。
スピーカー 4
なんか私、すごい思うことがあって、分かり合わなくてもいいんじゃないかな、そもそもっていうのがあるんですけど、それはどう思いますか?
スピーカー 2
分かり合えないんじゃない?っていう問いがあって、
分かり合わなくちゃいけないみたいになるとプレッシャーになる気がしていて、
分かり合わなくてもいいじゃん、みたいな元々が、分かり合わなくても別に嫌いじゃないし、そこに攻撃はしないよみたいなのだったら平和だなと思ってるんですよ、基本的に。
なので、誰かインタビューをして、私は誰かに対して憧れを持つかもしれないし、嫌悪感を持つかもしれない、実際持つこともあるわけですよ。
私はこうなれないとか、私はこう考えられない。
でも、だからといってそこは否定しないよっていうふうにさえ思っていれば、
違う人間というか、違う生活、違う環境で生きている人だったら、別にそこはみんな仲良くしなくてもいいんじゃないかなって思うんだけど、どう思いますか?
そう、仲良くしなくていいとは思うんですよね。
スピーカー 4
だけど、なんて言うんだろうな、グラデーションかな。
スピーカー 2
多分、共感って同感と違うじゃないですか、やっぱりシンパシーと違うというか、
いや、それってあなた同じように、私が思うように感じてるんだねっていうのと違う。
けども、やっぱりあなたの立場になったら、私もそういうふうになるっていうのがすごく理解できるっていう。
スピーカー 4
そうすると、その人に対しての見方ってこれまでとちょっと違ってくると思うんですよね。
だからもう全く違う人間、知らない人間なんだけど、実はちょっとその共感を覚えるというか、
スピーカー 2
その人はこんなことを大切にしたいと思ってたんだ、みたいな。
そこの気づきを得られた時に、いわゆる繋がりが生まれるなと思っていて。
思ってる人次第なのかなっていうか、例えば、私が繋がってると思っていれば勝手に繋がってるし、
私がこの人とはちょっと繋がれないと思った時点で繋がらないような気がしていて。
スピーカー 3
どんなに嫌いな人でも、繋がってると思ってれば繋がってるし。
自由さと無限の可能性
スピーカー 4
もちろん相手の立場に立って考えて、こうじゃないかなっていう想像はできるけど、
スピーカー 2
多分100%は理解しづらい、できないだろうなと思うのを思いながらも、
人とそういうふうに繋がることは逆にいけないのかなっていう。
私が多分べったりべったりがちょっと苦手っていうところもあって、人と。
もちろんリトリートとかそういう場があって、そこで楽しいねっていうのはもちろんあるし、
その高揚感のようなものも何度も体験してるからすごいわかるんですね。
で、じゃあそれが終わったら終わりってなることに対しても罪悪感みたいなものは私特にないんですよ。
繋がってるなあという感じがあるから。
だからわかんないけど、なんか私の何を言いたかったのかわかんないんですけど、
どうだろう、ちょっとわかりません。何を言いたくなったかわかります。最後また終わりません。
そうですね。ちょっと時間も結構来てきてるので、チェックアウトしながら終われたら、
なんかテーマが結構深いというか大きいので、
スピーカー 4
この場で何かまとまるっていうのは難しいかなと思っていたんですけど。
スピーカー 2
どうでしょう。今思っていることを話し出していただければ。それでちょっと終わっていきたいと思います。
じゃあ私いきますね。
なんかね、ちょっと別のところで、私やっぱり地球をね、地球健康とかそういうことに対して、
やっぱり気になること、イライラすることとかもやっぱり目につくこともよくあって、
本当に人間ってバカだなぁみたいに思ったことがあったんですよ。
で、そんな話を問わる方にしたら、なんか人間とか地球とかって言ってる時点でまだ有限レベルの問題、
有限レベルにいますよねみたいなこと言われたんですよ。
で、そこでなんかすごいガツンってきて、あ、そうだそうだみたいな。
スピーカー 4
本当はその先に行けば、なんか全て解決できるんだったなっていうことに気がついた時があって、
スピーカー 2
なんかそう思うとどうしても有限レベル、その地球レベル、物質レベルだと違って当たり前だなと思うんですね。
なんか集合無意識までは行けてない感じがする、健在意識のところにいる感じがあって、
それでいいんだと思うんですよね。
なんかそれが当たり前なんていう、それがみんな違って当たり前なんだみたいな、
それが平和なんだって、それが自由なんだっていう感じが私の中であって、
なのでみんながみんな同じ方向性に行く方が、なんか私の中ではとっても不自由さみたいなものを感じる時があったんですよ。
だから今日のお題はとてももう一度改めて考えるきっかけにもなったし、
スピーカー 4
あとはその無限がっていうものに、なぜ自由さを感じるのかみたいなものもなんか今日改めて感じて、
スピーカー 2
なんかそこのレベルまで私はなんか人間が行ったら本当になんかもっと自由になって、
その佐藤さんが多分おっしゃってるアカシックレコードにつながって、各自それぞれみんな自由にやってるよねっていうなんかビジョンを見えてて、
多分佐藤さんのおっしゃってることもすごいわかるなと思ってて、
結局まだまだ有限レベルでごちゃごちゃやってるから争いがあったり、自分というものに押し殺してしまったり、
そういうものに不自由さを感じてるけど、そのアカシックレコードとつながりつつ自分を発揮できるみたいなものにすごく力を入れてるんだろうなっていうのもすごい感じて、
佐藤さんがなんかすごい勉強になりました。なんかすごい改めて考える時間ありがとうございました。
人間の本質と関わり
スピーカー 2
ありがとうございます。
りょうさん大丈夫ですか?まだ時間。
スピーカー 1
大丈夫ですよ。面白いテーマで、やっぱり無限が面白いよなっていうところで改めて僕も最近すごく感じてて、
福田さんとグローバル無限がプロジェクトとかどうかなとかって話したりするとやっぱり楽しいなっていうのを改めて感じてます。
スピーカー 2
こんな楽しいのは絶対関わらせてほしい。
スピーカー 1
ぜひぜひそういうのもちょっとやりたいなと思いつつ、僕思うのが悟るなと思うんですよね。
人間死にきてるんじゃなかったっけ、ここにっていうのを忘れちゃいかんなって今のたくさんの人とつながりに行こうという気がしてるんですけど、
ついつい透かしちゃうんですよね、僕たちは。僕たちは悟りました。
私たちは同じ方向に向かって平和になるようになりましたみたいな、いらんと思ってて、
もっとみっともなく、もっと悔しいとか、もっと情けないとか、悲しいとか、怒るとか、ふざけんなとかも含めて、
もちろん喜びも思いっきり、思いっきり心から喜ぶもそうだし、
全部味わいききたんじゃなかったっけと僕はいつも思うようにしてます。
なんかついつい透かしちゃうんですよね。
あ、でも私これ別に悲しくないんでとか、私これで大丈夫平気なんでって、
私はあの人に共感しに行きます。なぜなら私はより良い人間でありたいから。
もちろんそれもすごく素敵だと思うけど、やっぱり出てくるものは出てきてるんだから、別に透かすなよって。
だって人間でしょってあなたって、何しに来たんだっけここにって、
めちゃくちゃ自らにいつも僕は問うようにしていて、
だからすごい大事なこと、分かり合わなくていいじゃん、密にみたいな。
分かり合えないものでしょ、でもいいし、その時に、
でもなんか分かり合えたような感覚があるみたいなのも、
またこれまた人間っていう、このなんかたゆたってる感じをやっぱ味わいに来てんだなーっていうのが、
僕のなんか今日のね、ほんと皆さんから受け取った感想です。
スピーカー 2
ほんといい講演ができそうです。ありがとうございました。
ありがとうございます。福田さんはいかがですか?
スピーカー 3
いやなんか、楽しかったです。ありがとうございました。
なんかね、そのグローバルフォームみたいな、
それが自分とさっき佐藤さんが他人事になっちゃうっていうか、
相手の話でしょっていう話になっちゃうもんだみたいなのを考えていて、
僕何かのメディアを見てとか接して、深く共感するとか、
自分のことだって思うというか、
そういう体験があるメディアってどういうものかなって考えるときに、
なんかね、僕は、言葉を媒体にするなら、
詩とか、なんかそういうふわっとした、
ふわっとしたっていうときは美しい、なんていうかな、
そういう言い回しとかに出会ったとき、
音楽の曲の歌詞とかさ、
なんかそういう美みたいな、
スピーカー 4
アート作品に対峙したときとかもそうだけど、
美に局面したときに僕は、
スピーカー 3
その発信者と自分の境界が解けやすいみたいなことはあるなと思っていて、
スピーカー 2
まあまあまあ、そんなことを思ってました。
スピーカー 3
いいえです。ありがとうございました。
スピーカー 4
ありがとうございます。なんかもういろんな、ちょっと胸いっぱいです、私。
スピーカー 2
だから一言で終われない感じに本はなってるんですけども。
スピーカー 4
そうだな、確かにあきこさんがいうように、
スピーカー 2
無限画のレンズというか、
宇宙視座というかっていうところにアクセスする生き方っていうことにも大事にしたいし、
りょうさんのおっしゃってる、
人間、くたさっていうのをこう、
フルスイングで楽しみたいっていう思いもあるし、
スピーカー 4
人間すぎるなって思うし、
集合的無意識の探求
スピーカー 3
くたさんのそのなんか、何て言うんだろうな、
スピーカー 2
いやだから、そのメディア、どういうメディアであるとその感覚を持てるかっていうことについては、
ちょっともうちょっと探求していきたいなっていうのは本当に思うところで、
美ってそうなんですけど、美の感覚も、
なんかその自分のなんか遠い存在として持つ感覚と、
なんか今ここにある美っていうかっていうのを感じるのと、
スピーカー 4
なんかそういうのもあるなとか思って、
いや、一個でもね、アートはね、切り口にしたいなって今思ってるんですよね。
スピーカー 2
っていうのをちょっとなんか思って、まとまらない感じで今日は終わっていきたいと思います。
ということで、今日は集合的意識とは何かっていうテーマで話してきたわけですけども、
合言葉は続きはエヴォーグでということで、
ディスコードのプラットフォームがエヴォーグではありますので、
そちらのまた議論とかアクションっていうのを展開していきたいなというふうに思っております。
まだディスコードの入ってない方はですね、
比較のエヴォーグのメンバーに入りたいなという方はお声掛けいただければと思っています。
それではエヴォール第12弾のエヴォールを終わっていきたいと思います。
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
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