2024-11-13 37:29

自然経営って 他

参加者(敬称略):Sat、nagi、ティム、おだっち、けいた、ほん

自然経営ってなに? 経営がつくと距離がはなれる? みたいなはなし

サマリー

このエピソードでは、自然経営に関する距離感や理解の深さが議論されています。特に、自然な経営のあり方と人工的なシステムの違いや、共生農法との関係が取り上げられています。このエピソードでは、自然経営の概念とその背景にある哲学的な考え方が議論されます。特に、マインドと行動の違いや、資本主義と自然経営の対比について深く考察されています。このエピソードでは、自然経営の概念とその実践を深掘りし、組織文化やリーダーシップの重要性が考察されます。特に、自立分散の考え方に対する矛盾や、新しいビジョンの継承に関する議論が展開されています。

自然経営の距離感
放課後トーーークのテーマは、自然経営って 今、みなさんにとってどんな感じ?っていう
ふんわりテーマです。ふんわりテーマですね。 じゃあ、例えば、今、自分が画面の左側にいますと
自然経営を右手で表したときに 距離感を表すとどんな感じ?
画面の左端に左手で自分がいます。 自然経営は画面のどこらへんにいる感じ?
えーと、今、左、こっち。 左端、うん。
これ、でも、ラジオですごい。 わかんないよね、ラジオだよ。
ラジオだめだね、わかんないわ。 トークする人がどのぐらいから始めればいいか。
自然経営かどうか。
私もなんか、ここらへんになんか モヤモヤっている感じだもん。
こんな感じの、よくわからん、 そう、よくわからん。
よくわからないよね。 すごっ。
いやーでも、わかんない。 距離感がわかんない。
おー、関わっている人はいないですね。
なんて言うんだっけ?関わってる人? 重なってる。
重なってる? 重なってる、重なる?
くっついたり重なってる人はいなかったね。
やっぱ一番近かった、佐藤さんのこの。 そう、そこらへんが近かった。
なんだろう? 上なんだよね。自分の上にいるんだと思って。
え、でも、なんかこうやって周りに こうやってなってる感じ?
ぐるっと囲んでる感じだもん。
どうやって説明すればいいのかわからない。
多分一番離れていたのはティムさんだった。 あ、そう。
あ、そうそう。それで言うと、いや、わかんない。 次年系がわかんない。
なんか生還している状態な気がしてならなくて。
でも、系じゃないんだよなっていう。 次年はあるけど、系はしてないっていう感じ。
だから、多分次年で言うとこのぐらいなんだけど、 系混ぜるとすごい離れる感じ。
経営と自然の関係性
なるほど。
自然体でいるけどって言います?
自然体でいるで次元なの?
自然体だよね、ごめんね。 こういう自然とありのままの状態でいる僕らって感じ。
あ、そうそう。ありのままも自然体も同じ意味で揃えてたけど。
え、なぎさんは?
私?私結構すごい興味があるけど、 そんなに知らないって感じの距離だから。
なんかこう、近づきたいような気もするから、 興味があるから周りに近いところにいるんじゃないかなっていう感じがして、こうやったけど。
でもその次年系で系は離れるんだよねって言うと、 そうかもって思って。
次年的な感じはすごい好きだし、なんかそうありたいと思うけど。
経営って言った時に経営してるか。だからそういう家庭とかそういういろんな営みみたいなことで言えばそうなのかなとか、どこまで含むかにもよるかな、経営が。
確かに。私生活かもしれないから。
帰るまま。
そうそう。
お金本来はなんとなくそこも含み、家庭の営みも含みみたいなのが割にそういうスタンスもゼロではないんじゃないかなと思ってもっともっと、
竹ちゃんの思っている感じはそうなのかな、わからない。私の勝手な思い込み。
そういうのにも当てはめられるみたいな感じ。その本がどうだっていうのが、そんな感じかな。
あれ、けーたしゆうた?
僕もね、なぎさんと結構近いですね。
僕も興味がある領域なんで近づきたいけど、そんななんか人に説明できるほど理解はしてない。
なんとなくこう自然界のあり方を経営に当てはめるぐらいのイメージを持ってるんですけど。
つまりそれはどういうことっていうのはわかんない。
リクソーの世界観とはなんか違うものとして捉えてるってこと?けーたさん。
あー難しい。リクソーも自然系をベースにはしてるから、多分近いんだと思うんですけど。
確かにね。
いやー、その人との関係性とか、あと意思が生まれた時に、自分が意思を出して仕決して進んでいくみたいなところは割と自然的かなと思うんですけど。
お金の管理とかの民間システムとかは自然なのかなっていうのはちょっとありますけどね、その仕組みで人が動く感覚もちょっとあるので。
本当はそういう民間システムとかがなくても、動いていく営みの方が自然的なのかなとか、今ちょっとふと思いましたけど。
いやそう、民間システムが結果的にこれだったねっていうのはわかるけど、
民間システムを入れようねってなってるのとなんか人工物の感じがする。
ここ歩きづらいからアスファルト敷いとくねーみたいな、アスファルトまで行かないから、せめて5座ぐらいの座敷いとくねーぐらいの。
そっか、でも今僕話で思いましたけど、民間システムってあれ要は、これ聞いてる人でもわかんない人いたら恐縮ですけど、
経費講座をいくつかに分けて、経営するための講座と運営するための講座を分けて、運営するための講座は自分たちで使う。
それは誰かに支配されるものじゃなく、みんなの共通の財布になって、その中で事業を回していくっていう仕組みじゃないですか。
で、その中にお金が残ったら分配されるしみたいな。で、ある意味、ちっちゃいお金の会社の中にコモンズを作るみたいなのとちょっと近いなと思うんですよね。
だからそのコモンズっていう感じの表現でいくと、割と自然的というか、誰も何か所有しないみたいなのが僕の中で自然的なちょっと一個のファクターとしてあるんですけど。
そういう意味での自然的な。
みかんってお財布をいくつかに分けるじゃないですか。そのお財布に入らなかったものがコモンズになるって言ってるの?
いや、もうちょっと詳しく言うと、みかんって利益の講座と法人運営していくその、役員報酬とかを入れる、何講座か名前忘れましたけど、そういう講座と。
あと返済業の講座と経費講座とっていうその講座に分けるんですね。その経費講座で事業を回していくと。
だからその中で仕入れ物の仕入れをしたり、人の人権費を払ったり、自分たちの給料を払ったり、公熱費を払ったりっていうのをするのが経費講座。
その経費講座をどう使うかっていうのは、リンゴシステム、リンゴプロセスの中を通じてみんなが意思決定をして、お金を使ってビジネスを回していく。
その経費講座ってある意味コモンズ。みんなのお金をみんなで増やしてみんなで分配するっていう、抽象的には多分そういう場所なので、
そこだけ切り取ったら、なんか次年っぽいのかなっていう。みんなの共有物という意味では、自然社会のいろんなリソースと一緒かなーみたいなのをちょっと一瞬思いました。
経営の意図と調和
比率みたいなものなのかな。なんか経費講座って別に、まあ講座に分かれてるかどうかわからないですけど、経費予算って積まれてるじゃないですか。
普通の一般的な会社の会社はね。普通の会社は予算みたいなのがあって、その上の人たちが決めた、その来年設備投資はいくらとか、
セミナーに行ける福利構成はいくらとかで決まる。
セミナーとか交通費とかはだいたいこのぐらい使うだろうって分けられてて、みんなが一旦で使い回すみたいな感じで使ってるじゃないですか。
承認者の違いなのかな。
そんで、みかんシステムは、リクソーでやってるお金の使い方は、その講座を分けることで中心にお金を置いて、見えるように、みんなにいくら余ってるかも見えるようにして、みんなで使っていくみたいな世界。
透明化と意識って違いがあるか。
ごめん、それの下。
そこに誰か支配的な手が入らないっていう意味では。
ですね。
講座を分けるところ自体は多分分けてるんだよな、みんなって感じがする。
そこまでは多分割とこの仕組みの話ですね。
意識ってプロセスとか、透明なプロセスであるってことが違うんだな、多分。
そうね。
っていうふうに自分は理解しましたけど、みんなどうなんですかね。
私は本の理解じゃないから、全然深みがない。
でも情報の透明化が一番大事っていう、そういう理解でも。
あの本が出たとしては、本当に給料をみんな後悔しろみたいな。
それがいつも聞いてたぐらいの感じで言ってたんです。
結構それがすごい、いろんな本当に心の奥底のドロドロしたものを扱わなきゃいけなくなるから、
また高い目標ですね。
だからリクソがそれを言い勘塩梅で、
実写化、実装できるようにアプリケーションを作ってもらうみたいな。
透明系は結構哲学っていうかな。
そういう感じに近いなと思って。
それを形にアプリを作ったものがリクソっていう、私は理解で。
何がそんなに佐藤さん惹かれるんですかね。
次年経営の話を山田さんと知る間、めっちゃテンション高いんですよ、佐藤さんの。
ずっと興奮状態で、次年経営が、次年経営がって言ってるんですけど、何言うか、逆にあれですよ。
熱すぎる人がいると惹いてしまうタイプなので、私はね、バランスを取ってしまう本性があるらしくて、
何これと思って聞いてたんですけど、何がそんなに惹かれるのかしらって思って。
え?
そうなのかな。
何がそういうふうに言われるかわからないですけど。
でも僕がよく共生農法に勝手にテンション上がって、そのあり方、農法のあり方を聞いた時に勝手にテンション上がってたじゃないですか。
そういう人と近いのかもとかってちょっと思ったんですけど。
さっき、ティムさんが次年と経営って結びつかないっていうか、離れてるようなイメージを持ってたのが、
結構そこって、そこをあえてくっつけるから意味があるんだよなって、結局思ったりしている感覚っていうか。
そういうとき?
そうそうそう。だから議論の世界観って、
あるのままっていうか、シアトル、ヒートナルの、この間のその対話でも、山田さんとの対話でも話をしてたのが、
100一体というか、自分っていう存在があるのかないのかわからないというような感覚が自分の中に持ってきて、
それって割と経営的な発想からはちょっと、逸脱しているというか。
だから、何だろう、経営は割と意図的に自分のこういう目的達成のために、何か
計画立てて、やっていく意図何だっていうふうに思っていると、
なんでそんな自然である必要があるのか、みたいなのってあるのかと思いながら。
だけど、あえてそこを結びつけることによって、例えばそこの中で調和とか共生とか、
一人一人のエッジとか個性が立っているんだけど、
そのありのままでいて、全体で調和が取れているような状況っていうのが作れるよねっていう
そういうイメージはありますね。
ちょっと質問させてもらっていい?
経営の近いと離れているを言葉にすると、何だっけ、
自然と経営が距離離れているけど、それをあえて近づけるって、あえては
何をすると近づけるイメージ、何が間に障壁になっているのかなっていうのは、ちょっと言語化したくなったっていう。
さっきでも所有とかっていう言葉出てきたけど、やっぱりその自分っていう境界線を持った時に
この境界線の中が反映していくことっていうことをこう意図するじゃないですか。そういうことじゃなくて。
経営は自分のテリトリーを反映していくことを意図すると。
もしかしたら経営の語源とか調べても、かっこいいを作るみたいな。
へぇー。
それじゃなかったっけ。ピート・トヨコイトの話があったような気がして、調べてる。
ピート・トヨコイトの話は何か知ってた気がする。バンチャンが何かのラジオで知ってた気がする。
自然経営の基礎
ピート・トヨコイトはね、たけちゃんちゃうかな。
青野さんからも聞いた。
たけちゃんか。
たけちゃんがよく言ってる。
経営をかっこいいに作るのか。
でも確かに、城の系とか国の系考えたら最初に城壁作るのが西洋ですよね。
西洋じゃないか。大陸ですよね。
うん。
リクソーのセキュリストにも書いてるな。
仏教用語で自分の人生をどう。
あ、違うわ。違ったわ。ごめん。
あ、わかった。これだ。
確かに四角く囲むって書いてあるわ。
えっとね、チャットジャイみたいな。
経。
経が縦糸なんだよ。
縦糸なんだ。
でも経がそうなのか。
経がそうで、しっかりとねって糸で四角く囲むことを経なんだ。
へー、じゃあ横糸ないのか。
横糸っていう感じではなかった。
横糸ないんだ。
ね。
え、でも四角く囲むのも。
一応リクソーのテキストは経が縦糸で、自然の節理のことで、絵は横糸。
あー、なるほど。
縦の糸は縦です。
え、じゃあそれが。
絵は横糸なんだ。縦が自然の節理なんだ。
横は?
でもあれですね、横糸は糸並むこと自体を横糸って言ってるみたいですね。
だからそれ自体の糸並みを横糸って言ってますね、リクソーだとね。
まあでも人じゃない。やっぱり糸並ぶってこと。
だからあの、ティムさんがこの杭を、杭ちゃんはテキストで送ってくれたやつの、
絵のやつだと杭をしっかり打ってって言ってるのを、
糸並みと表現してるだけの違い。
縦糸を上にしたり下にしたりしながら何かを作っていくっていうのが糸並むってことなんでね。
多分そういうことを言ってるんでしょうね。
あー、なるほどね。
だから、まあそうか。
囲いっていう概念的なものも一応あるってことなんだね、きっとね。
経営自体も。だから自分か自分じゃないかっていう。
ここかここじゃないか。
境界線に使うってことまでを言ってはいないんじゃないのかな?
杭をしっかり打って四角く囲むことを仏教では言いますが、
マインドと行動の関係
たけちゃんの言う横糸の糸並みっていうのは四角く囲むことは示してない気がして。
多分あれじゃない?
仏教では縦糸は何のために生きているのかっていう、
マインド的な、実体は伴わないマインドの話が縦糸で、
それを実際に糸並みに落として行動して実体にするのが横糸って言ってるんじゃないかな。
マインドと行動みたいな違いかなって思いましたけど。
あ、そっか。じゃあそのものの意味で言うと自然のマインドで行動することが自然経営。
あ、そうそうそう。っていうことなのか。
だから僕らの経営とイメージが違うんだよな。
そう、たぶんね。
だから自然経営が近づくってそういうこと。本来の意味に近づけようっていう理解だな。
なるほど、確かにね。
なんか経営者とかって言うと、すごいその一部の人がくくられてるイメージなんだけど、
例えばソース原理もみんながソースですっていうこと言ってたりとか。
自分を経営してるとか。
そうそう、自分の人生を経営しているっていう。
アクリエイティブフィールドを経営してるっていう。
みんな経営してるんだよね。
確かに。
面白い。
やだねな。
いつも思うのは、自然っていうのが、縦糸が、縦糸を持った時点で自然なのかみたいな。
ん?
縦糸を持つかどうかはあんま関係ないんじゃないですか。
経営だから縦糸を持つことは。
それ自体は。
その冠に。
え?
例えば、めっちゃわかりやすく言うと、今の資本主義、人間が作ったこの資本主義経営と自然経営が多分対になるとして、
資本主義は、人間が作ったこの価値基準、それが利益という価値基準をベースにした縦糸と横糸の営み。
だとした時に、自然は、
頭に置くものを自然にしたもの、それをベースにした縦糸と横糸の話。
っていうことなのかなって思いましたけど。
自然経営がすげーってなるのが、何かっていうと、
今までくくられていたものがあって、誰かが決めつけてしまったようなそういう概念があって、
そうじゃなくて、解放された感覚を持つから、自然経営なんだよっていう、
解放感という感情が生まれるのかな、この言葉には。
ああ、違う。
それで佐藤さんは解放された。
解放された自然経営なんじゃないの?
多分、糸を所有してないんだと思っているというか。
どういうこと?どういうこと?
自然の糸の中のどこかに乗ってるっていう感覚なのかなと思って。
おお、なるほど。
すごい思うのは、自分と世界っていうか、守護が溶け合ってる感じっていうのはすごい。
なるほどね。
それは結構。
それはどこで感じるの?ちなみに。
え?どこで感じるの?
でも、分かるんですよ。感じないって言ってるので質問してるっていうより、僕もなんか感じるんですけど、
それはなんで言葉からそう連想するのか、山田さんが言ってる内容からそう連想するのか、
何でそう、佐藤さんは、守護が定まらなさを感じてるんですか?
でも、私も自然っていうこと、自然なのか、何なのかっていうことのインプットというか、
いろんな情報の積み重ねによって、だから何がっていうのはすごい醜いなって思って。
それこそエヴォグで、自然から生態系から学ぶ組織論みたいなことを、いろんな人と会話したときに感じたし。
今思い出して、絶対ここで書かないと忘れると思ったから、ちょっと忘れてください、後でね。
山田さんとの会話でそんな話が出たなって、なんかこうIRの例を出していただいたんですね。
で、エコシステムにいずれなっていくのだ、みたいな、そうなるともうIRかどうかなんて誰にも関係がないのだ、みたいな話をしてくれたんですよね。
中国企業でさえそういう発想になっているっていうことが結構いい。
今ちょうどヒューマノクラシーの勉強会、私も途中から出てないんですけど、本を読んでいたときにIRって事例で出てくるんですよ。
それこそ自立分散的なたくさんの会社に分割するっていう考え方で動いているのである、みたいな話をしてるんですけど、
最後その分割をするのだと考えた創業者は一体何者なんだと思って、それが神的な存在になっちゃうんじゃないのっていう、私の最後の疑問が一個あって。
なんか自立分散と言いながら一人の独裁とも見えなくはないよね、とかちょっと思っていたりする。
ソース原理で感じる僕の感覚とちょっと近いのがあって、僕の持論はそこの中に途中で気配を消す人が消すかどうかの違いだと思ってて、
スタートこそ誰かの意思から始まるは全部に共通してるけど、途中から気配を消す人がいるなと思ってるんですよね。
消せはするけど、消していく人もそれなりにいるけど、最後神としてあがめ立て祀られないとかちょっと思ったので、それが一心教じゃないと思ったんですよ、最後。
でも確かに薄っすら残る。
資本主義と自然経営の対比
薄っすら残るよね。
薄っすら残るのはあるんですけど、それはなんかあがめ祀るっていうよりは存在としてこう大事にするとか感じるとか、
神みたいな感じではなんか盲目的に感じる。
想像心的なとこありますよね。
そうそう、まあまあ想像心。
シンボル。
シンボルとか、あと仏教の仏陀とかも近いなと思って。
仏教にとって仏陀でやってる人いっぱいいるけど、でもやっぱり仏陀が一番みたいな感じで意識はあるけどそうじゃないっていう。
そうそう、別に仏陀はあげ、縦祀、あげ?え、なんかわからんけど。
あがめ立て祀らない。
あがめ、そうそうそう。あがめ立て祀ってるわけではなくて、考え方自体はすごくいいよね、でこう広がってるんです。
けどそれよりいい理論が見つかったら、それこそ定座部から大乗仏教に派生してるとことかも考えると、
無思考に崇拝してる感じじゃないじゃないですか、仏教の感覚は。
仏陀の場合ってこの自分の考えを広めていっただけであって、こうしなさい、ああしなさいって権力を持って分けたわけではないんですよね。
作ったわけではないんですよね。
でもハイヤルみたいな一社になってしまうと社長の一言で分割という制度が決まって動いているような気がしていて、
結構想像的に作ってないかと思ってちょっと見ちゃったのね。
これはめっちゃ面白い。僕ちょっと次やるんで、めっちゃ面白いテーマなんですけど、ここでね。
続きは僕は音声で聞きます。
続きは音声と僕で。
これ話して、この話話して。
はい、ではすいません僕はここで。
今のって結局ソースに対するリスペクトみたいな感じ?言葉で言うと。
リスペクトの部分も絶対あると思うんですけど、それプラスなんかちょっとゴースト的な感じで、
あの社長だったらこう言うよね、みたいなのとか、社長の最初の理念はこうなんだよっていう謎の伝道師みたいなのが現れそうな気がしていて。
監督系ですね。
という構造を作ってしまうのが人類なんじゃないかなっていう感じが私の中にはあるんですよね。
なんかその話のテクニック的にあの人が言ったからっていう一言入れるだけで伝わり方が全然違うから。
そうそう、それもある。
そうやってなんかこう宗教みたいなのって定着していくように同じような経路をたどるんじゃないかなとか。
でもそれをなんかゼロ化するのが、たとえばディクソーだったりするじゃないですか。
ディクソーに最初の回に参加した人ってまたちょっと違う目で見られますよね。
あー、あの人はゼロ系って感じ?
でもほら、エヴォーグでもさ別にそんなに回想を考えてるわけじゃないけど、最初の合宿に参加した人たちっていうのがずっとやっぱ残るじゃん。
残ってる?
誰も残ってない。
言語化するから。
そうそう、そこに権威は感じてないんだけど。権威、権力は感じてないんだよ。
資料にするとそうなっちゃうよね。
そうそう、資料でずっと伝説として残るなーと思って。
そうだね、あれをやると確かに、創業者だし作ってきた人って印象を与えてしまうから残っちゃう。
だから残るのが悪いって言ってるわけじゃなくて、結局ハイアールの進化も異神経とかの西洋の進化と大して変わらないんじゃないかっていう風に思った瞬間がある。
思うところもあるっていう感じですね。
同様文化だって話しちゃったけど、うーんみたいな感じがしてた。
これを次元形的なことで考えると、だから守護が私たちっていう世界観なんだよね。
どこにいたとしてもポジションが上だろうが下だろうが、箱庭もない世界。
けどなんとなく意識としては残っちゃうから。
自立分散と言いながら、自立分散という社会を最初に作った人がいると、結局それは一つの、一人の人の独裁ではないけど、思想に基づいた世界になっちゃわない?とか思って、
自然経営の考察
ぐるぐるしてた。ぐるぐるすんなこの会社って思ってずっと見てるんですよ、ハイアールは。
矛盾感があるよね、確かに。
言葉に親しむ関係がされちゃうし。
でもそういうマインドで言いましょうなんて言ってたんですけどね。
自立分散、世界を作りましょうって言ったら、それは独裁じゃないのかしらって思って、ちょっとなんかね、矛盾を感じてます。
竹ちゃんは。
でもさ、それってさ、本ちゃんのそれってなんか、その一番言い出した人にパワーがあるって認識があるっていう感じがする?
うーん、まあその、私読んでるのはヒューマンの暮らしの本なんで、ずっと社長のインタビューを流してるわけですよ。
こういう思想でこんな構造にしたんです、みたいなことを社長さんが言うわけですよ。
それってあなたの世界観を実現しちゃってるだけじゃない?みたいな感覚に私はとらわれたってだけですね。
そう、なんか逆に、別に創業者が創業者で、その、まあなんていうの、その後から出てくる人たちのメンタルが、
いやまあこれはこれでその人たちはやったかもしれないけど、今私たちが作り上げればいいやっていうメンタルがあれば、そこまでになるかっていう気がする。
あ、そのなんていうのかな、カルチャーとか、その辺に左右されるところもあるのかなって気がした。その話聞いてたよね。
なんかすごい、創業者がすごいさ、すごいどうしようもない創業者で、いやみんな何とかしなきゃって自立分散になる会社ってあると思うんですよね。
だからそこにすごく文化がさ、カルチャーというか、割にこう右側への方がすごく動きやすいんだよね、僕たちって言うんだったらやっぱりその、
社長のそれが聞いてるって感じだし、いやいやそれそうじゃなくてあなたたちが作るんですよっていう文化を違う意味で育んできていたら、
割にそういうことを考わらず、まあリスペクトはしてるけど。
文化育んでるわけじゃん。育んでる人って何者っていう、なんかまた、わかる?親みたいな感じになっちゃうじゃんと思って。
自立分散と言いながら、自立分散ってどっからどこまでが自立分散なのってちょっとなんかこうぐるぐるする事例だなと思ってたわけです。
文化とリーダーシップ
IRが全部じゃないと思うから、別に自立分散が全てそう言ってるわけじゃなくて、あれは自立分散なのかと思いながらちょっと聞いてたっていう。
自立分散と言いながら、文化した会社のモデルに沿わない人は辞めさせてるわけですよ、社長さんは。
離れていってるのかもしれない。でもさっきケイタさんが言ってたように、最初始めるのは人の意思だったりとか、どこからか外れ地みたいな人たちが始めるっていうのはあると思うんだけど、
残っていくのはコンセプトであり、概念であり、例えばそのビジョン・ミッション・マリオみたいなものとかっていうのが、なんか知らないけどゴーストのようにあって、でもそれを
盲目的っていうか、そこに対して共感してたりだとか、これ大事にしたいなって思いがあると、それが続いていくんだけど、それがもうダメだね、もう古いねとか、
こんなことを全然共感できないなっていうのは、それはもう組織の悪いというか。だから最初は人なのかもしれないけど、途中から溶けていくというか、
それこそゼロポイントフィールドって。ゼロポイントフィールドって、私エヴァンゲリオンっぽくて、そっちは想像するんだけど、いまいちわかってないからね、ゼロポイントフィールド。絶対エヴァンゲリオンにありそうな言葉じゃん、ゼロポイントフィールド。
大きめなポイントでね。
おだちーさんが聞いてました。
ちょっとね、裏っていうか、今、才能っていうか自分のっていうか、やっぱり自分迷子なんで、そういうふうな話題には結構つられてて、それでそっちの方のイベントが今まで押してたので、裏の方で。
そっち、それプラスちょっと何か、家の大体等々で追われてて、しかもパソコンが全部固まったんで、くるくるくると。
ありがとうございます。それでも入ってきてくれて。
なかなかちょっと今日のは、途中これを聞きたいなーって思いながらも、全くだったんで。
終わりましょうか。また続きがきっとどっかである気がする。
ちょうどいい時間なんですよ。
終わりましょう。
はい、じゃあ録画止めてください。ありがとうございました。
37:29

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