組織の中心軸についての議論
はい、放課後トーーーク。
今日の放課後トークのテーマは、組織に中心軸は必要か、というテーマで話したいと思います。
私、佐藤がですね、この間、山田雄一さんたちと一緒にスペインに行きました。
俺も、渚さんは今スペインにいらっしゃるけど、ちょっと全然違うタイミングでスペインに行きました。
スペインのバルセラナのガウディの傑作のカサミラっていうところにオフィスがある、とんでもないところにオフィスがある企業なんですけど、バセティスっていうIT系の企業になります。
AIとかまさにやっているような会社で、350人ぐらいの規模の会社に訪問してきました。
本当に自立分散でやっているということで、そういう、どんなふうに組織運用されているのかということで、めちゃめちゃ手厚く歓迎いただいて、いろんな話をトップと、
あとその右手のある人、自ら話しいただいたんですけど、たぶんね、2時から6時だから4時間くらいしたんじゃないかなっていうぐらい、すごい、どういう組織の編成でやってきたのかとか、
インタラクティブにするに向けて、ちょっと日本語で紹介する時間も持つかということで、途中途中振り返る時間に向けてください、みたいな感じで。
そうですね。
今日そのテーマが中心軸が必要かということで、一応その会社はやっぱりティール組織、ティール組織、あの本が出たことをきっかけに、
これをちょっとやろうということで、そしたら組織が変化していったっていう経緯があったんですけど。
今ね、そうやってこういろんな人数が急増えて、オフィスはそのカサミラっていうところがあるんだけど、本当にリモートで、いろんな国に散らばってるのかな。
いろんなところからリモートで社員が働いてるっていう状況があって。
いろんな学びがあったんで、あるんですけど、私が一番思ったのは、ティール組織って三つあるじゃないですか。
特徴として一つは自主運営組織。
これはそうですね、本当に全くフラットに自主運営組織というか、トップっていうのは立ち上げた人がいるんだけども、
その意思決定のプロセスがあるのは、まさにティール組織として考えたような自主運営とされているという状況で、
あとはもう一つは、エヴォリューショナルパーパスという存在もできる。私たちは何を持って、
そして自分のリレーとして、そこをベースに、
人をカリスマ化してそこに対してついていくというか、
パラセデス自体が実現していくエヴォリューショナルパーパスに人が生きているという、そういうところです。
ただ、やっぱりいろんな話を聞いていて、焦点が当たっていたのはさっきの自主運営組織というところで、
かなり透明性の高いような組織を有しているということで、
例えば、いろんな給与だったりとか、給付が全部オープンになっているという会社の業績とかも。
この間、自己報酬制度の勉強会もやったと思うんですけど、もう本当にあんな感じで給与全公開で、
本気の給与をどうするかということについて、自分はこう思うけど、みんな同じチームの人はどういうふうになることをちゃんと対話しながらやっていくというシステムがあったりとか。
そうですね。
情報共有とか、いろんなプラットフォームが整っているので、そこを見たらみんなが分かるような状態が作られていて、
その中で言ってたのが、350人ぐらいの規模になってくると、みんな好きになった時間に好きなだけ働くみたいなパターンになってくるので、
そういう働き方だったりとか、あとは話せ機制自体がやっているプロジェクトとかに、仕事とかに価値を感じてみんな働いているという状態が作られていたけど、
いつもトップの人が寂しさを感じているのにもあって、
例えば、その間何周年だっけ、記念パーティー、会社でパーティーをしました。
305人中、わずか数十人しか集まらなかったというところで、こんなもんかっていうところもあるけど、ちょっと寂しさみたいなのを感じたりとか。
いろいろその後振り返りでも話したんですけど、やっぱり柔軟なワークスタイルだったりとか、仕事自体の面白さとかっていうところに対して人は寄ってくるという状況があるけど、
あのままずーっとやってたときに、組織って空中分解しないのかなみたいな問いがあって。
トップの人はめっちゃ魅力的でチャーミングで面白い人なんですけど、やっぱりどっか社員に遠慮してるよっていうのもあって、そうしたときに空中分解しても、組織はね、生態系から考えるといいのかもしれないけど、
本当はこういうふうに継続してたらこの組織ってこんなふうになるよねみたいなビジョンだったりとか、そのトップの人が持ってる思いだったりとかっていうところが、続いていくような中心線、中心軸がもうちょっとあると、そこに戻っていく動きが、この組織になったら一回必要なんじゃないかみたいな、
組織の持続的な存在意義
してみたらいいですね。
で、なのでこのとおりに書いてあるんですけど、めっちゃ長くなっちゃった。
私としては多分、
本当にその組織としては、なんでバセッシとして組織があるのかっていう存在意義自体が失われるじゃないけども、薄くなってしまうのがすごくもったいない。
いくら自立分散組織といっても、中心軸って必要なんじゃないかみたいな、
あったんです。
誰か反応してください。すいません、長く話しすぎて。
ちょっとなんか若干カフェ音がすごくて、
聞き取れてるかどうかが多分日本語はない気がしております。
ずっと誰かが隣で喋ってるのかな。
このほうだとノイズキャンセリングができないから全部入っちゃう。
イヤホン買います。
という間に、中心軸が必要ではないか、なのかしらね。
今度は食べてる人が出てきたけど、いろいろ起きるな。
いろんな時間が同時進行で起きてますけど、時間軸は変わらないんですねって思った。
いろんなとこでいろんな時間が動いてるなっていうのは、ちょっと別のことを感想として思いましたけど。
でもそれってあれじゃないの?なんかエボリューショナリーパーパスってそれのこと言ってるんじゃないのって思った。
そうそう、そうなんですよ。
そこがね、やっぱりね、その企業が大事にしようとしてるんだけど、
なんかやっぱりね、みんなそれぞれの考えがあるからね、みたいなところで、ちょっと遠慮しちゃってる部分あるんだなと思って。
これあれだ、どっちって言ってたのかな?
けんしゅうさんの講義聞いた時に、そうかと思いながらその結論を忘れてしまったんですけど、
エボリューショナリーってどこにかかるの?
え、どういうこと?パーパスじゃなくて?
パーパスも、だから進化変化していくのですよね、っていう意味でのエボリューショナリーなんだよね。
中心軸って日本語で言ってしまうと、ずれないもの、ぶれないもの、固定化されたものみたいな、
多少しなってもね、しなやかかもしれないけど、絶対元に、中心に戻るみたいな感覚があって、
でも多分、ティール組織で言われてたエボリューショナリーパーパスって、
どんどん違う材質に変わっていくようなことも、パーパスとして置いてるんだよな、という所感を得たことがあり、
日本語で言う、ずっと同じ中心軸があるって言われると、そうじゃないのかもしれないなと思う。
伝わりますね。でも、ティータさんがめっちゃおなずいてるけど、めっちゃ食べてるな、と思って見てた今。
めっちゃ食べてる。
僕、ちょっと聞いてみたいのが、論点的なのがどこなんだろうと思ってて、
組織に中心がいるのかっていうのと、前者の集まりに10人ぐらいしか集まらなかったみたいな話だったじゃないですか。
それとは僕はあまりつながってはなくて、
10人集まろうが100人集まろうが、エボリューショナリーパーパスに共感してる人がそこに集まってるんだったら、
別に何人来ようがあんま関係ないのかなという気もしていて、来るか来ないかって別に共感してくるから来るっていう話でもないから、
そこは今どうつながっているのかなみたいなのを聞いてみたいのと、
なんでこれを思ったかというと、僕が所属している組織、今正社員じゃなくなったけど、
そこはTL組織風に、今はちょっと違うけど、昔は結構TL組織風に運営してた会社はまさに一緒で、前者イベント任意なんですよね。
別に誰が来てもいいし、来なくてもいいんですよ。
半分ぐらいかな。結構多い時はもうちょっと多くて、少ない時はもうちょっと少ないみたいな感じなんですけど、
でも別に来るか来ないかはあんま関係なくて、その自由度がみんなが好きで集まってるという感覚があって、
そこに全員参加って言われたら、多分みんな辞めていく感じの人たちばかりなんですよね。
だからさっきの10人しか集まらなかったから中心がないんじゃないかみたいなのは、
イコールじゃないんじゃないかなっていうのをちょっと思ってて、
っていうのをちょっと聞いてみたいなっていうのを沢山の話を聞きながら思ってました。
それでいくと確かにそれはそうだと思うというか、その人数によって。
実際に働いてる人はどこに住んでるかって本当にバラバラだろうし、
その状況によって来れる来れないとかもあるかもしれないなと思いつつ。
でも言ってたのは全然その人数が減ってるみたいなことが現象としてあったっていうだけであって。
で、なんだろうな。
それは1個の現象としてあるから、そこから即因果関係があるというか、
だからここのエボルニスのパーパスに皆の気持ちが寄ってないよねみたいな話にはイコールにはならないと思うので。
なんていうのか、他にも何か多分あったんだろうな、現状として。
他にもいろんな話を聞いたときに、
多分そのプロジェクトをバセティスがやってる仕事ではすごくひもついていってたかなと。
例えばこの製薬業界系のAIのプロジェクトをやってますと。
超楽しいから、そこに対して人がバッて、そこのチームはめちゃくちゃ。
やっぱりどうしてもそこの中にいてる人たちのつながりの中で、これがバセティスだみたいになったりすると思うんですけど。
それって仕事のつながりであって、要はそのエボルニスのパーパスがそれと結びついてるかというと、
またそれはまた違う問題だから、それだけで結びついてないとは言えないんですけど。
要はバセティスってなんだみたいなところの理念が、
どれくらい他のみんなが意識してるかっていうコミュニケーションの中で、
見えるようであんまり見えなかったなっていう感じですね。
たぶん情報透明化されてるから、いろんな情報が自分には自己決定権がある。
会社を説明してくださると、自己決定権がある組織、柔軟に働ける組織、
AI系のこういう事業をやってる組織みたいな表現で会社のことを説明できるんだけど、
自分こういう、それって全く同じ条件で会社がない組織であったとしたら、
自分はそれでもこの場にいるって思うかどうかってなると、分かんなかったりとかするなと思って。
そこまでのことは持っていない必要があるか分からないんですけど、
要はそれがなかったら単なる仕事を回していく集団になっていく。
それじゃあ仕事が分かれるとどんどんバラバラになっていって、
このバセティスっていうのはこの世の中でどんな存在価値を発揮していく組織なのかっていうところがないと、
どんどん拡散的になっていくわけです。
それはそれでいいのかもしれないんですけど、本来この組織ってこんな風に立ち上がってきて、
こういう目的でこの世に生まれたよね、みたいなところの確認があったら、
そうだったっていうことを、それをまたそこに立ち戻った時に、
それを生徒として捉えるんじゃなくて、
じゃあ自分はそれを受けてこういうふうに思うっていうことを、みんなで進化させていけるっていうか。
佐藤さんが言ってるのは、中心がいるかいらないかってことだから、
エヴォリューショナリーパーパスの探究
エヴォリューショナリーパーパスもしくはソースとなる人はいらない、
エヴォリューショナリーパーパスもしくは人みたいな人がいる論と、それすらいらないんじゃないかの対話をしたいって感じなんですか。
そう、いるんじゃないか、結論は。人じゃないんだ、それは。人じゃないんです、たぶん。
人じゃなくてもいいってことね。
人じゃなくてもいい。
いや、この組織。
生体系的組織か生命体的組織の話を見てる感じ?
そうですね。
じゃあ隣のロスさん。
なんとなく、この前山田さんとお話ししたときに、ハイアールってそこを目指してんじゃないんだっけってちょっと今ふと思っていて、
いやその中心みたいなのがあって、そこに中心してハイアールっていう文化はこうで、みたいなものを持ちながら自立分散的に動いていたものが、
いずれそれが世界に溶け込んでエコシステムになって、いつの間にかハイアールって言葉すら気付かれないような世界になるのを目指すのだ、みたいなことを言ってるのかなって今聞いてて思って、
なんかこう進化の過程なのかわかんないけど、次の段階というか、次の進化形態の一つとして、
その中心が消えていく、見えなくなっていく、人に意識されなくなっていくっていう変化をたどるのを目指すこともあるのかなっていうふうに今、
ちょっと聞いてて思った。
生命体から生態系に変わっていくような世界が何かなと思って、それが良いのか悪いのかはわかんないけど、そういう、そっちに行くのがイコウがね、
ティール組織がティール組織に熟練していくと。
テイメイ体の次の組織、生態系の組織、ティール組織の次の。
ティール組織の中が生命か生体かわからんっていう話があったからどっちがわかんないけど、なんかティール組織をやり出して熟練していくと、このエコシステム、生態経営みたいな
考えに人は行くのかもしれないと聞いてました。
なんかその集合無意識じゃないけど、生態圏、なんか意識がない。
アイデンティティみたいなのない。
例えば日本の神教とかの世界になると、日本文化の世界になると中心ってないと思うんですよね、私。
ヤオロズの神が皆さん好きかってやってるじゃないですか。
この日本文化の世界観って。
あそこに中心があったのかって言われると、ない気がするって思ってる。
なかったのか、最初からなかったのかわからないけど、今時点でその中心がどこかって言われるとわからないなって思う。
なって思うから、なんか必ずしも中心がずっとあり続ける必要はないのかなっていう、たくさんあり続ける必要があるかって話もしてたけど、
なんかどこかで消えていくのも一つの変わり方の一つなんかなっていうふうに思っている。
生命体と生態系の関係
僕も同じ考え方なんですけど、順番で言うと生命体的組織から生態系的組織になるっていう順番しか起こらないのかなと思ってて、僕は。
ソース原理とかも近いと思うんですけど、全ては一人から始まるとかと結構近いことを言ってると思ってるんですけど、
最初はなんかアイデンティティ的なところがスタートで、それがだんだん溶けていく。
その結果生態系みたいになってくるみたいなのは順番としてあるんですけど、その逆が僕はないと思ってて。
いきなり生態系から始まるものが僕はもしかしたらないかもなっていうちょっと思ってるんですよね。
いくらそのティール組織っぽい会社だったとしても、絶対最初のイーダシッペとか、そのティール組織っぽいのを作った人みたいな1人とか、少人数とかがいると思ってて、いつか生態系組織になったとしても。
なんかその辺とかはちょっと聞いてみたいですけどね、みんなどう思うんだろうとか。
僕はちょっと説というか今の話を聞いて思ったんですけど、例えば人数が350人だろうが3万5千人だろうが、要するに電車で集まろうがやっても同じぐらいの人数しか止まらないんじゃないかなと思っていて。
つまり一つの中心軸になる何かがあって、そこに集まれる人数はある程度限りがあるんじゃないかなっていうふうに思う。
それが一つの1サイクル作れるちょうどいい人数なんじゃないかなって思っていて。
いわゆるサブソースみたいなもんだと思うんですけど、それがたくさんある全体が一つのつながりを帯びているんじゃないかと思う。
飲み会に来ない会社は、任意で参加OKっていう飲み会を世界中どこで開催しても同じぐらいの感じになるんじゃないかなって強制力がなくてもね。
ってことから、いくら頑張っても一枚岩になれる人数の限りがあるんじゃないかと。一枚岩風に見える生態系と見える人数の限りがあるかなっていう説は僕は思った。
生態系じゃなくて生命体にできる数に限りがあるのかなって私は確かに思う。
生態系まで行くと無限で広がる可能性はあるんだけど、どこからどこまでかはわからんみたいなところが。
それでいくとちょっと、今でもグローバル見たら、一万人だ、十万人だ、十万人もいないか。それぐらいの一万人規模の会社とかあるじゃないですか。
あれっていうのは、みんな生態系っていうことでもないですよね。
生態系じゃないと思いますよ。
でも分社化してたりとかするから、生命が分かれちゃってる感じがするときはあるよね。
なんであんな一万人ぐらいのやつが一つの会社で住みたいな感じで運営されてるのが逆になんか私は疑問に思えてきた。
知らない。最大24万だったかな。のグローバル企業にいましたけど、そこはネットワーク型をとってましたね。
各国、ヘッドクォーターというか各国中心地があって、みんな同じブランドのイメージは共有をしていて、
エヴォリューショナリーパーパスは一致させましょうっていう首脳会談みたいなのが毎年毎年あるんですけど、
それを持ち帰っていって、あとは自主経営みたいな感じでしたね。
これを一つの生命体と呼ぶのか、各国に一つ一つの生命体が繋がっていると見るのかは分からないけど、
コントロールの工夫というか、透明化の限界値は意外と何十万までいけるのかもしれないかな。
意思決定の限界値はもうちょっと小さい気がするけど。
ごめん、今もうちょっと乗り換えだからさ。今だったら喋れるな。
いろんな話が出ているけど、私はソースみたいなインダシッペの人が、
生体系とか生命体の大きなものまで、例えばイメージしたとしても、大体うまくいかないことがほぼほぼで、
そこまでやろうと思っても、絶対その同じレールの上、最初から想像した通りにはいかなくて、
こっちにボコンとぶつかり、こっちにボコンとぶつかりながら、結果として生命体になるとか、
そういうある程度の大きさになっていく。何か渦が渦にきちんと回っていくっていうのはあるような気がしてるんだけど、
だいたい生命体を最初からその人がオンリーワンでも想像してたとしても、
中心軸と文化の未来
まあ絶対ならないんじゃないのっていうのが私のすごい感覚としてある。
だから結果であって、今例えば生命体というかある程度の大きさの企業があったとしても、
言い出しっぺの事実、こうありたいっていう姿は思い描いてたとしても、
もしくはだからある程度こんな大きさにしたいと思っても、
思い通りに基本ならない、不覚的要素が多すぎるんじゃないかな一般的に、
っていう気はしている。
常にぶつかりながらどうしたいんだろうって、本当に思ってるところはどうなんだろう、どうしたいんだろうねっていうのを、
ずっとずっと通っていった姿がみんな会社になるみたいな感じなのかなって思います。
石を持つようで、石に沿ったものじゃない?
石取りはいかないだろうなと思うのと同時に、ちょっと近いような議論で、
ケイトさんが最初は一人から始まるんじゃないかみたいなのはその通りなんだけど、
そういう一人が同時多発的に発生する可能性も結構あるんだろうなと思ってて、
それの一人一人がぶつかった結果、出来上がっているものも結構あるんだろうなと思った時に、
複数人のソースがぶつかった時にどっちがソースだったの?理論とかいうと、
ちょっと無謀な争いにはなるんですけど、
そうやって生命体と生態系の中間ぐらいのものが出来上がっていくのかもな、みたいなことを今思ってましたね。
たぶんね、その辺がソース原理を掲げる人との少し論争になるところで、
ソース原理で書いているのは、本人が言ったような、ソースが2人いると思うような組織だったとしても、
必ずどっちか一人がソースであるっていうのを本は書いていて、
だからそのソースの存在をまず明確にして、
クリエイティブフィールドみたいなのを明らかにする理想があるっていうのを本では書いてるんですよね。
僕もそれをすごい見に行くっていう感覚は持ちたくないけど、
事実そうなんだろうなっていう感覚は持ってるんですよ。
いくらその例えば5人で共同創業者だったとしても、
5人なのか、たぶん1人が何かしらのソース原点っぽい存在であるんじゃないかなっていうのはちょっと思ってて。
ごめん。
僕はソース原理側にいた人じゃないんですけどね。
ちょっとなぎさんには。
ソース原理のね、この間言ったステファン・メルケンボハンさんが言ってたけど、
誰がソースかってチェックする方法がある。
それは誰かが死んだとしてもそれを続けるか続けないかっていう意思を持つ人なんだって。
同じように2人で創業したときでも。
それで本当にメルケンボハンさんは2人で創業したけど、
2人ともソースだと思ってたら、
1人は僕が死んだら多分会社は立たぶって言ったし、
メルケンボハンさんは僕はやり続けるって言ったって。
そういうふうにチェックするって言ってたよ。
でも感覚は僕もそういうもんなんだろうなっていう気はしてます。
ちょっとヒットじゃないって話で始まったはずなんだけど。
ヒットになってる。
いやスタートですよ。あくまでもスタートですよ。
スタートね。
え、ちょっと待って。
それは生命体組織の中でのソースっていう話?
それで生体系になったらソース原理はどうなってくの?
どうなってくの?
溶けてくの?
この辺もちょっとみんなに聞きたいんですけど、
僕はそれは、その溶けてくけどゼロにはならないって言ってて、
存在としてうっすら残り続けるもんだ。
てか、もしかしたら年月が経ったら少し薄れるの極限消えちゃうかもしれないけど、
多くがうっすら残るんじゃないかって思ってるっていう。
ちょっと一個だけ話したい、それは。
なんかその、
生体系になったら、
なんかそのままでも言ってたけど、
生体系であろうがその中に生命体はあるわけじゃないですか。
だから絶対生命体組織と、全体として生体系になってるっていうだけで、
生命体組織はあるんです、きっと。
その生命体の中で、もしかしたら中心っていうのが新たに立ち上がって、
ソースが立ち上がって、
同じ生体系組織の中なんだけど生命体ができるみたいなのはある気がするっていう。
だから、生体系の中で中心軸はもしかしたらなくなるかもしれない。
そうすると、ホールディングス・カンパニーみたいな。
我々はこういう同じ生体系、
同じ銀河系、太陽銀河系に
所属はしてるみたいなぐらいの感じで。
たぶん、ニクルーズとかそれに近いんじゃないですか。
たぶんですけど。
僕はそんな好きじゃないですけど、文化は。
でも、たぶんああいうのとかはそうなんだと思いますけどね。
その辞めてもなお、全然違う会社になっても、
IT社会の生態系
元リクレスっていう人同士でめっちゃ繋がってるじゃないですか。
あれはビジネス系だからそうですよね。
発注するから辞めた人に対してね。
すげえなと。なるほど。
仮に発注関係なくてもよく同窓会みたいなのしてるじゃないですか。
あれはたぶん一個の生体系なのに気はしてるんですけどね。
そこの生体系に入りたいかどうかとかは置いておいてですけど。
思ってたのが今、IT社会って生体系の一つじゃないですか。
じゃあそのソースがビルゲイツだったのか、スティーブ・ジョブズだったのか、
WW、あれ忘れた。
を作った人だったのか。
若干この創始者が溶け込んでる感じがすごいあります。
名前は覚えてるけど、別にそこまで強制力が入ってない。
ああいう人たちがいて、出来上がった社会だよな、ITっていう文化はっていう感覚があり、
中心があるかって言われるとわかんないけど、
ソースがビルゲイツかスティーブ・ジョブズかどっちかって言われたらちょっとわかんないな
というぐらいの溶け込み方になったら生体系になったのかな、みたいなことを今ちょっと不安に思ってます。
なんか近そうなのがあれですよね、Linuxの創業者とか誰かわかんないじゃないですか、僕らからしたら。
わかんないね。
名前すら出てこない。
でもいるはずだよね。
でも絶対いるはずで。
調べてるんだよ。
でもLinuxのオープンソースの考え方ってきっと哲学的に残ってるじゃないですか、多分。
わかんないけど。
やる人みんな中心地に行く行く。
絶対違うじゃないですか、Windowsの哲学とか。
そういう感じなんだろうね、多分、生体系って。
中心軸がいっぱい立つんだと思うんですよね。
そこを行き来し始めたら生体系になっている気もするな、確かに。
中心軸と文化
何か送りますか、Linuxのソースですか。
いるのは知ってるのよ。
いるだろうなとは思うよ。
みんなこうやって名前が出ないのがすごい面白いですよね。
確かにね。
クロピー声出して。
写真まであった。
クロピー声出して。
確かにクロピーに聞いてみたい。
中心軸って聞くと、大体のいかなれ組織だろうとあるんだろうけど、
ものすごく鎖につながれた感覚を感じるよね。
呼び戻される感じというか、中心がいると。
いるとね。
だから始まりは人がソースが始めるっていうので、そこを中心軸に物事が動いていくんだけど、
今はLinuxの話じゃないけど、
徐々に人から理念とかカルチャーとかそういったものに統合されるとか融和されていって、
いつの間にかそれが中心軸になって、見えるものではなくなっていく。
でもみんななんとなく感じているというかね、呼び戻されるぐらいの見えない感覚、
可視化されてないものに中心がなっていってもらったほうがいいような気がする。
リクルートの話とかだと、そういうのって古き良き時代のブランディングというかブランドというか、
そこへのプライドみたいな、そこが中心にあるような気がするよね。
俺は元リクルートだ、みたいな。
こちらから見ると、なんじゃそれ、みたいなものを中心に置いてる感覚があるから、
端から見ると、そんなに接する人が悪い人いないけど、
俯瞰で見るとなんか嫌な感じはね、ゾワゾワッとする感覚は感じるか。
でもLinux OSの思考に関しても、信者は絶対いるはずなんですよ、今だけ。
ああ、まあね。
それを見てゾワゾワすることもあれば、ちゃんと考えてる人がいてすげえなって思うこともあるっていう、
軸の性格はいろいろあるんだろうなと思いますよね。
この前、エヴォーグウィークリの中で話したけど、
日本の妖怪の総代表ってヌラリヒョンなんですよね。
え、そうなの?
ちょっとごめん、聞いてないのパイと。
そうだね、聞いてないの。
ごめん。
いや、いいんだけど、すごいどうでもいい話をしたんだけど、
このヌラリヒョンって、よくわかんないものを中心に置ける日本社会ってすげえなって思って。
え、ヌラリヒョンなの?キタロウじゃないの?
でもあれは後から出てきたキャラクターだから、水木しげるのキャラクターだから違くて、
日本が文化として妖怪の総代表に置いたのが、
ただ家の中入って茶飲んでるだけっていうヌラリヒョンを中心に置いてて、
こいつ中心なの?って思いつつ、
そこに中心軸を置ける文化ってすごいなって思った。
誰、どこで定義されたって言ってる?ヌラリヒョンのソースっていうか。
ヌラリヒョンって調べてみない?総代表って書いてあるよ。
確かにめっちゃ出てる。
総代表?マジか。
大将これってすごくない?このぐらいまでの自由度があるわけですよっていうわけですよ。
論文と文化的視点
何もしないんだろこいつっていう妖怪。
中心力とかも別にいらないんだろうなと思った。
マーベルのアニメじゃ絶対出てこへんもんなこれ。
絶対真ん中にはいかないですよね。レッドじゃないやつですねこれ。
ゴレンジャーズ絶対レッドじゃないやつみたいな。
大における。
そういう意味だと、山田さんが次年経を世界に広げたいって言ってるのは、
日本だからこそ広げられる感覚っていうのはちょっとわかりますよね。
そうそう、なんか思います。
このぐらいわけわかんなくてもいいし、何なら神の、神教の世界だと中心がもう溶け込みすぎててよくわからないみたいな。
ぐらいでもやっていける文化、社会。
生態系のある意味、結構成熟度が高い文化って言われたらそうだなって思った。
そう。
ラスボスなの?
ラスボスヌラリヒョンなの?戦えんのあいつ。
なんかそんなシリーズがあったんですよ。ゲゲのケタルのね。
初期のやつですか?
初期でもなんかいないです。
えー。
西洋戦時代とかだったかな。
ちょっととあるシリーズね。結構ラスボスみたいな感じで。
掴みどころないから倒せそうにもない気がする。
日本でおけるラスボスってもしかして、なんか筋骨リュウリュウのガーって感じじゃなくて、
ヌラリヒョンタイプが確かに多いかもしれない。
結局倒せないんですよね。
めっちゃ弱そうに見てたら、実は影のボスみたいな。
そう、なんか宮本さんが毎回じゃないけど、結構やっぱり、
涼文とかもよくかわいはやおの中空構造っていう。
かわいはやおさんの、新年学生のかわいはやおさんの中空構造を取り上げて話したりとかするから、
やっぱりそこをなんか意識してるんだろうなっていうのは思いますね。
ゆうじさんが。
中心がないみたい。
空波のかな、空洞なんだろうなっていう感じがありますよね。
でもね、やっぱり、またこの議論に戻ってくちゃうけど、
自然系研究会はアウトプットなかったみたいな気がする。
すごいその辺が、やりたい、この方向なんだろうなって思うけど、
自分自身がやりたいかどうかって言うと、そうでもないんですよ。
自然系を自分が組織を持って、自然系でやっていきますっていうのは、やりたくないみたいな。
ちょっとそれが伝わってくる。
それやってるのが竹竹ちゃんじゃない?
そう。
実行者側をやってるのが。
生体系作ってるのか竹ちゃんは。
作ってると思う。
生体系はできてるんじゃない?だって佐藤さんやジムさんやらもザワザワしてるしさ、
それで両本とかも繋がっていくわけじゃん。
だからその中心組織はなくなってるんだろうけど、
それこそもう消えないですよね、たぶん。
確かに。
中心組織が消そうと思っても消せないネットワークができてきたらもう生体系ですよね。
竹ちゃんがぬらりひょんかって変わっちゃった。
いやなんかすごい、歓迎されそうに今ちょっと思ってしまったよ。
ぬらりひょんですかって。
ぬらりひょん的な生き方は憧れるんじゃない?
確かになんか全然違うとこで茶々しばいてそうですよね、竹ちゃんね。
なんかね、憧れるよね。
割と私、日本の多くの人がこの生き方憧れるんじゃないかって思うんだけど。
生草坊主にじゃあみんななろうって話ね。
生草坊主なんだけどこいつ。
誰からも別に責められないんでしょ、これ。
それでいて。
面白い。
黒くいなくなっちゃってる。
出なきゃいけない。
外出たら大雨。
そろそろ閉めます。結局結構話しましたね。
旧空港座の話ね。
なんかこの話ってずっとできるじゃないですか。
ずっとできるけど、ずっとできないところ、
次のなんかじゃあこれもうちょい深めようみたいなところまでほんまは生きたいんですけどね。
次の、ずっと中心にとどまって議論してる感覚あるじゃないですか、これ。
中心にとどまって議論。
中心にとどまってというか、一箇所かな。
同じ箇所にとどまって議論してる感覚を持ってて。
確かに。
もう一個なんか何やろうな、次このこれを試してみようとか。
じゃあこれを探求してみようみたいなピンポイントでいくとか、
そういうとこまでいきたいなっていう感覚は、
今日じゃなくていいんだけど。
ありますね。ずっとやっぱなんかこの掴みどころの無さがこれなんだろうなっていう感じもあるんだけどね。
多分この議論自体が中古構造みたいになってる感はあるけど、
それをもう少し解像度とか輪郭をちょっとはっきりさせる話とか一歩が出せたら面白そうだなって思ってる。
それはもしかしたら論文みたいな話なのかもしれないけど、
論文のテーマは何するの?
私は社会的インパクトを測りたかったけど、
なぎさんにそうやって測ろうと思ったら、測れないんだよ、そんなもの。
でも、掴みどころがないからね。
論文を持って何をしたいかにもよるけど、
こういう掴みどころのないものを広めていこうと思ったら、
もうちょい三文的なやり方なのかなって思うことがあって。
どういうこと?
論文って論理に立ててこうこうだからこれは絶対いいんですとか悪いんですみたいなことを証明していく
ロジカルシンキングじゃないですか。
このロジカルシンキングは西洋理論しかうまく当てはまらないんじゃないかなみたいなことを思って、
日本社会みたいなこのヨールズ系の文化って、
あそこにはこんなことがある、あっちにはこんなことがあるみたいなのを
うわーっとたくさん多発的に起こすことによっていつの間にか馴染んでる。
ちょうど古典でやってるような創始思想ってそんな感じなんじゃないですか。
老創思想って、論理立てて何か書かれてるわけではなくて、
こういう時はこうだよね、ああいう時はこんなことが起きるよねとか、
一本一本別に繋がってるわけじゃないけど、文化を形成していくみたいな広め方。
無限画じゃないですか。
でも今話聞いて私はただの箱庭を思い出しましたよ。
今の私はこう巡り合わないから、ただの箱庭に。
ここまで来たら巡り合わない続けようかなと思ってるぐらい周りの人が読まれてるのを見てるっていう。
そのうち来る。
そのうち来た時はなんかもうだいぶ違うことが起きてるかもしれないですね。
まあいいんだけど、同じものはそうやって流すというのもありだし、
多様な視点の重要性
どっちかというといろんなことがいろんなような場所で起きているものが実は繋がっているみたいな。
でも今日本の中で起きてることはまさにそんなことなのかもしれないですね。
竹ちゃんというヌラルヒョウとか。
ヌラルヒョウは支配してないんだけどね。
ほんちゃんが言ってる3文的に広がるってめっちゃそうだなと思って。
なんか言語にするともう言語がそぎ落とすもんとかが生まれちゃうから。
あと論理がそぎ落とすもんとか生まれちゃうから。
だから次年系っていうテーマでいろんな角度で深めるみたいなのを一人でも数人でも撮ってみるみたいな。
それをまとめて共有する回みたいなのを設けたら。
それは多分論文を書きたかったら論文でもいいし、絵を書きたかったら絵でもいいし。
ティムさんみたいにAIを駆使して何か深めたかったらAIでもいいし、
自然と向き合って何かやりたかったらそれでもいいしみたいな。
それぞれいろんな角度でやってみたものを共有し合うとかをやったら何か生まれるのかとか。
そっか、じゃあ最初はもう行ってこいやーみたいな感じでそれぞれが。
やるのもあるかなって思う。みんなで論文作ろうぜじゃなくてね。
なるほどね。一点集中みたいな、総力戦みたいなことではないって言うんですね。
ないかもなっていうのを確かに本日の話を聞いて思った。
なんかちょっとこれからやろうかなと思ってるのは、
えいさんに自伝経営、実践してる企業ってあるのか。
そこになんか、それこそインタビューさせてもらうんじゃないですか。
それを3分的に記事にしたりとか。
それ集めてみたら。
記事にするとかそれを隣の人に話してみるだけでもいいかもしれないけど、
ありとあらゆる方法、計画的にやるというよりは、
思いついた方法をどんどんやっていく感じなのかもしれないっていう。
なるほど。
馴染むものは残っていくし馴染まないものは残っていかないっていう。
たくさん何かやる。数打ちゃ残る、みたいな感じの考えなのかな。
はい。ということで。
話しましたね。
はい。
ということで、最後フロッピーに。
いや、なんかさ、
中心軸の必要性についての議論
問いが組織に中心軸は必要かっていう問いだから、
なんかケツを取りたいけどね。
必要だと思う人。
ラジオだから数えてね。
佐藤ちゃんの問いに対して、
必要だと思う人は手を挙げて、みたいな。
結局みんな話聞いてると、必要は必要。
だけど中心軸が何なのかは、議論の余地あるよねっていうのが、
なんかみんなの結論なのかなって思うと、
だいたい必要だっていう感じですかね。
ほんちゃんあたりは結構怪しいよ。
怪しい。
一番怪しいよ。
中心軸が見えないかもしれないですよね。
あれが中心になったのか。
1対7ですね。
1対7で組織に中心軸が必要かという結論になりましたというところで。
そんな簡単な話じゃないけど。
ありがとうございました。
3分的に探求していきましょう。
ありがとうございました。
なぎさんお疲れ様です。
お疲れ様です。
レコーディング止めて。