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こんばんは、ライフコーチのえりこです。
私は、小学校1年生の双子と、生後6ヶ月の赤ちゃんの3姉妹を育てながら活動をしているライフコーチです。
今日はですね、前回に引き続き、私が保育の仕事、具体的に言うと幼稚園の先生や保育園の先生をしていた頃の時代の意図的なコミュニケーションについての言語化をしています。
前回は、保護者の方々に対してのコミュニケーションはどうだったかというのを言語化していったんですけれども、今回は職場の同僚というか、上司も含めて一緒に働いている先生たちとのコミュニケーションはどういうふうにしていたかというところを言語化していきたいなと思っています。
では本題に入る前に、最初から余談を聞いてほしいなと思うんですけど、
今日はですね、一日お盆休みに医療機関が入る前に、いろいろ病院をね、双子の娘たちの病院に行ったり、双子の娘たちの歯医者の定期検診があったりとかいろいろあったので、
そういうのに行ったりしつつ、私も病院に、病院ではなく美容院ですね。髪を切りに行ったりとか、そういうことをしていて、夕方から夫の方の実家ですね。
あの、義理の両親がいるその実家に、なんかちょっと言い方あれですね、結構紛らわしいんですけど、夫の両親ですね、がいるその実家の方に、双子の娘たちだけで2泊3日泊まってくるということで、本日の夕方ですね、娘たちは出発していきました。
夫がね、送って行ってくれたんですけど。で、実は双子の娘たちが、そうやって私たちとまるっきり離れて、親とですね、まるっきり離れて、そういうおじいちゃんおばあちゃん家に泊まるとかっていうのが、今回実は初めてなんですね。
なので、どんな様子かななんて思いながら、で、おじいちゃんおばあちゃんだけじゃなくて、今ちょうどその夫はお姉さんがいるんですけど、お姉さんとその子供たちがですね、あの、結構あの遠くの方、西日本の方に住んでるんですけど、そちらの方から今帰省して、あの実家の方に帰ってきてるっていうことで、
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あの、双子の娘たちから見れば、いとこといっぱい遊べるし、一緒に泊まっていろんなことできるっていうので、すごい張り切っていきました。で、夜とかどうなんだろう。でも最近双子だけで寝るっていう日も結構、もうほとんどそういう日々になっているので、双子だけで寝るとかっていうのも、
普段の生活では、そういうのに結構慣れてきているから、なんかもう親が一緒じゃなくても、なんか普通に寝れるんだろうなとか、なんかワクワクして、なんかすごくこう夜、逆にワクワクしすぎて眠れないんだろうなとか、
なんかそうやって娘たちの成長を感じつつ、なんかすごい、どういうふうに反応するんだろうなとか、どんなリアクションになるんだろうなっていうのを予想しながら、すごいこう、2泊3日の、その3日の日に、3日目ですね、3日目の日に、
3女も連れて一緒に行って、で、一緒にご飯食べたりして、あとは全員で我が家に帰ってくるみたいな、そういう予定でいるので、なんかどうなるかすごい楽しみだなぁと今思っております。
はい。というのをちょっと聞いてくださいというので言ってみたんですけれども、はい。では、本題に入る前にお知らせです。
今、ミニ体験セッション企画というのを実施しています。
子育てや働き方、パートナーとの関係や、他の人間関係、それからこれからの人生や自分の、自分の生き方とかですね、そういったところで、なんかすごくモヤモヤするなとか、悩んでいることをもう少し晴れやかにしたいなとか、
あとは、具体的に何を話すか決まっていないけれども、話をしてみたいなっていう方などなど、ピンと来られた方、一緒にお話をしてみませんか。
お話ししたいなという方は、この放送の概要欄にリンクがありますので、そちらから私の公式ラインにご登録の上、ミニ体験セッション希望と一言メッセージを添えてお送りいただければなと思っております。
ではですね、本題に戻りたいと思います。
保育の仕事をしていた時代ですね。その時に職員間、先生たち同士のコミュニケーションではどんなコミュニケーションをとっていたかについてです。
これは色々考えたんですけど、人によってこういうふうに、ああいうふうに書いてたというよりかは、基本的に幼稚園や保育園という職場では、ずっとやっていた意図的なコミュニケーションって、もうこれ一つだよなっていうものがあります。
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それは何かっていうと、まずその相手のことを褒めて、相手のことをあげるわけですね。
で、自分はまだまだ全然ダメですって、下手に出るっていう形のコミュニケーションを取る。
で、そうやって下手に出て相手に教えをこうような形で、アドバイスをもらったりとか、下手に出て相手を持ち上げることで相手の懐に入るみたいな、そういうコミュニケーションがもうほぼ9割だったなあっていうふうに思います。
で、それを選択してきた背景っていうのを先にお話をしようと思うんですけど、
まず一番最初、私は幼稚園で働き始めたんですけど、その幼稚園で一番最初に環境としてというか一番大きく影響があった先生っていうのがいて、
かなりベテランの先生だったんですけど、その一番新人の頃にそのベテランの先生が隣のクラスの担任で、
私が同学年のもう一つのクラスの担任をしていて、学年主任っていう形でそのベテランの先生がいたんですよね。
で、その学年としてどんなことをやっていくかみたいなことを常に話をして相談をしながら、クラス運営をしていかなくてはいけない状況でした。
で、まあ新人でいきなり担任を持ってねって言われるんですよ。研修とかもなく。
本当にもういきなり、はい、舞台に立ってくださいみたいな感じなので、いきなり先生としてもガンガンやっていかなきゃいけないんですよね。
で、その状態でもう右も左も分からない。で、実習とかそういうのはやってきてるし、頭で知識としては入ってるけれども経験が全くないっていうような状態でクラス担任をすることになるので、
分からないことだらけだったり、あとその縁特有の暗黙の了解みたいな、そういうのもやっぱりそれぞれの縁で結構あるので、そういうところもやっぱり分からないわけですよ。
で、一つ一つこうやっぱりちょっと教えてもらわないと、最初は分からない状況もかなり多いっていう中で、
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そのベテランの先生に、
そうですね、ベテランの先生に気持ちよく教えてもらうためには下手に出て持ち上げないと、
気持ちよく教えてもらえない環境だったっていうのがすごく大きかったんじゃないかなと今振り返ると思います。
で、そうやって、下手に出て持ち上げて、ベテランの先生が言っている答えとか、
そういうのに、
なんかそのベテラン先生の意向に従わないと、
もう本当にね、子供たちの前とかで平気で怒鳴られるんですよ。
すごいね、もう怒号が飛んでくるみたいな。
何やってんなーとかってすっごい怒られるみたいな感じだったので、当時。
で、しかもその言っていることが、ベテランの先生はコロコロ変わる人だったんですよね。
しかも変わったことすら覚えてないみたいな。
で、結構その気分とかその時の感情の上がり下がりで、
言うことが2点、3点して一貫性がなかったりとか、前回言ったこと全く覚えてなくて全然違うこと言ったりとか、
結構そういうタイプの方だったんですよね。
で、それに対して、
年が近い先生とかもいたんですけど、ほとんどの先生が、
まあ私が一番年下で、ほとんどというかもう、ほとんどじゃないですね、全員ですね。
全員の先生が自分よりも年上で経験年数も上っていう状態なので、
なんか本当同期みたいな人は一緒のところにいないんですよ。
一緒の縁にはいなくてっていう状況だったので、
自分よりも経験年数とか年が上の方々しかいないっていう環境だったので、
自分が一番下手に出て、
自分はこう思ってるんだけどっていうのを伝えるよりも、
そういう目上のベテランの先生の答えに従うみたいな感じの状況だったんですね、まず。
で、そうやって年の近い先生からは、
なんかすごく大変だよね、
そのベテランの先生と一緒にやっていくのは大変だよねとか、
すごいよくやってるよねとかって言われるんですけれども、
だからといって誰かが、そういう関わり方っておかしいじゃないですかとか、
子供の前で怒鳴るのってなんでなんですかとか、おかしいじゃないですかとか、
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なんかそういうことを言う先生は誰もいないっていう状況で、
自分もおかしいよねっては言えないみたいな、
いや自分が悪いんだって思うしかないみたいな、そんな状況でした。
で、やっぱりそういう、一番最初それがスタートだったのもあってか、
逆に下手に出て持ち上げて教えをこう、みたいな形をすることで、
割と相手のベテランの先生に気持ちよく教えてもらいやすい環境になってったんですよね。
いろいろ工夫していったら。
で、そうやってコミュニケーションの仕方をその先生に対していろいろ工夫していって、
結構言ったことを忘れるから、前にはこういうふうに言ってましたっていう記録をちゃんと残して見せたり言ったりするとか、
そういう一つ一つその先生とのコミュニケーションでどういうふうにやってたら、
クラスの子どもたちも自分もその縁で過ごしやすいかとか、
そういうことをすごく考えて立ち回っていたのがすごい記憶としてあるんですよね。
で、そういう環境が一番最初のその新人の時だけだったわけじゃなくて、
やっぱりどうしてもその保育の現場って、保育の職場って結構こう何円か今までやってきたどこの縁も、
やっぱりかなりトップの人たちの意向に沿わないといけない、空気を読まないといけないとか、
相手を持ち上げて下手に出ないといけないみたいなのがかなり強かったなぁとは思います。
で、どうしても保育ってその子どもたちのことをチームでやっていくんですよね。
クラス担任だけれども、クラス担任だけじゃなくていろんな先生が子どもたちにいろんな形で関わっていて、
そうやってチームで子どもたちに関わっていくし、協力し合っていくし、
で、その子どもたちの体制もフォローし合うみたいな感じなので、やっぱりこうどうしても輪を乱すと思われたりすると、
他の先生たちから後ろ指を刺されたりして孤立しちゃったりするっていうのがすごいあったんですよね。
で、そうやって職場で下手に出ずに自己主張をする。
そのまんま自分が下手に出て相手を持ち上げるっていうことをあまりせずに、
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自己主張だけするとかなり孤立するんですよね。
それが何というか、
ただ相手も尊重し自分も尊重した上での自己主張ではなくて、
必ず自分はダメでっていうような、自分はまだまだでとか、
なんかそういう感じで下手に出てよいしょするみたいな、
そういう形じゃないと自己主張がなかなか聞いてもらえなかったり、
伝えにくいような環境だったっていうのがありますね。
それは保育の職場全部がそうっていうわけではなくて、
私が経験してきた縁がたまたまそうだったのかもしれないんですが、
とりあえず私が経験してきたその職場、それぞれの職場がやっぱりどうしても環境として、
チームでやる分はを乱すと思われるとかなり孤立する。
孤立すると何が良くないかっていうと、ただ言いづらいとかそういう話じゃなくて、
結局そのクラス、自分が担任しているクラスのことか、
あとは自分自身にとってあんまり好ましくない状況とか、
ちょっと周りのクラスとかよりもすごいちょっと不利な条件とか不利な状況になったり、
たま押しにされたりみたいなことも普通に起きやすくなっちゃうんですよね、そうなると。
例えばホールが施設の中にあるんだけども、
そのホールをみんなで使えるほど広くないから、
各クラス、時間や日にちを決めて使おうねって言って、
一応そうやって割り振るんだけど、何か行事の前とかイレギュラーの時に使いたいんだよねって思ってるんだけど、
他のクラスの方にばっかり使うとかって声をかけてじゅんぐりに回してるんだけど、
自分のクラスには後回しでなかなか声をかけてもらえないとか、
使いたいって言ってもあのクラスばっかり使ってるみたいなこと言われて、
他のクラスに譲りなさいって言われちゃうとか、
どうしてもちょっと孤立することによってあんまり好ましくない状況を呼び寄せてしまうことも結構あったんですよね。
だから孤立するということは結局自分自身だけではなくて、
自分のクラスの子も不利益をこむる可能性があるっていう状況になることもあって、
ちょっとそういう状況を考えるとやっぱり下手に出て相手の懐に入ってとか、
相手というか目上の人ですね。
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特にトップの層に近い人、
おさのおさですね。
おさの位置に近いような人たちの懐に入れるかどうかでかなり変わるっていうような状況でした。
そういう職場ってたくさんあるとは思うんですけれども他にも、
私が経験してきた保育の職場でもそういう状況が結構あったんですよね。
だからそうやってトップの人たちの意向を空気を読んで、その意向に沿うようにしつつ、
相手を持ち上げて下手に出ないと、そもそも話をそのまま受け止めてもらいにくい。
じゃあどう受け止められるかっていうと、
ちょっと批判的に、いつもこの先生はこういうことばっかり言うみたいな、
最初から批判的に受け止められてしまったりとか、
そういうことになりかねない状況だったんですよね。
環境的にかなり閉鎖的っていうのもあるとは思うんですけれども、
人事というかそういうのもかなり閉鎖的だからこそ、
そうなってしまいやすいのかもしれないんですけれども、
そういう状況だったので、いかにそのトップの意向をしっかり組みながら、
周りとのバランスもとってコミュニケーションをとるかとか、
周りにいかに合わせるかとか、足並みをいかに揃えるかとか、
そういうことでしたね。そういうのがすごく求められていたし、
そういうのをやらないといけないというか、
やらないと自分やクラスの子に不利益が出かねないような状況だったっていうのがあって、
やっぱりその仕立てに出て、相手のトップの人たちの懐に入るみたいなのを、
なんかすごい生き残り戦略としてやっていたなぁとめちゃくちゃ思います。
そうなんですよね。
そうですね、あとは、
なんかそのトップの意向を組めないと、じゃあどうなるかとか、
そうですね、なんか仕立てに出て、
あ、なんか自分がダメなのでごめんなさいみたいな立ち回りをしないとどうなるかっていうのの例で、
一つ挙げると、ちょっとこれ分かりやすいかどうかあれなんですけど、
一つ例を挙げると、
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保育室、そのクラスでですね、そのクラスの担任が、
保育園の給食作っている栄養士の人が施設内にいるんですよね。
その栄養士さんに、そのクラスの子供たちへの給食を用意するタイミングを、
いつも大体これぐらいって全クラス決まっているものを、
ちょっと子供の様子に合わせて若干早めにしてほしいと言ったんだか、
ちょっと当時のこと忘れちゃったんですけど、
なんかちょっとタイミングを少しこんな風に変えてほしいみたいなことをお願いしたんだけれども、
栄養士だけじゃなくて、給食を作っている他の技師っていう、
他のそうやって調理をしてくれている調理師さんがいるので、
そういう調理師さんたちに、なんかそれがうまく伝わってなかったみたいなんですよね。
その状況の時に、私はそのクラスのサポートをしている時だったので、
パート保育士としてサポートをしていた時だったので、
給食そろそろ取りに行きますって言って、
私がクラスを抜けて給食を給食室まで取りに行くっていうのをやっていました。
その時に取りに行った時に、また給食が準備できてなかったんですよね。
多分ちょっとタイミングが早かったんですかね。
早めに用意してほしいっていうことを言ったんだけど、
まだ準備できてないっていう状況。
すいません、いつ頃準備できますか?みたいな話を聞いたんだけど、
取りに来るの早すぎない?みたいな話だったんですよね、調理師さんからすれば。
どういうことなの?って言われて、
こうこうこうで、こういう状況で、って担任がそういうふうにお願いしてた。
っていうふうに担任からは聞いてたんですけど、
あれ聞いてませんでしたか?っていう状況説明をしたんですよ。
調理師さんとしては、あれ取りにいつもより早く来てるし、
なんで?っていうふうに、どういう状況になってんの?っていうことを聞かれたので、
こういうふうな状況で、こういうふうに担任がお願いして、
それで行きますっていうふうになったので、
そういうふうにしたみたいで、私は取りに来たんですけど、
っていうふうに伝えたんですよね、調理師の方に。
そういうふうに状況がやっぱりわからないし、
現場で状況とか前提というか、こういうふうに変えていきたいんですとか、
っていうような変更事項とかも、
共有しておかないとわからないところもあるし、
なんかそれが共有うまくできてなかったら、
どういうこと?って聞かれて状況説明することって、
普通に他の職場でも全然あると思うんですけど、
それで状況説明をしたんですね。
そしたら後々、ことが全部済んだ後に、
私はその縁のトップに呼び出されまして、
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その時に状況を聞かれて状況説明をするのは余計なことをしてくれたな、
みたいな感じで言われたんですよ。
何にもなかったことにして、こううやむやにして、
すいません、給食を取りに来るのが早すぎましたって、
自分が悪いことにして謝ればいいのに、みたいな、
ちょっとそんな意地悪な言い方ではなかったんですけど、
ああいう時に状況説明をするのは良くない、
みたいなことをすごい言われたんですよ。
だからちょっと間違えて早く取りに来ちゃったみたいで、
って言ってごまかせばよかったんだよ、
みたいなことをすごい言われて、
あなたの対応はおかしい、みたいなことをすごく指導されたんですよね。
この時の状況って、
ちゃんと連携ができていなかった、
連絡にミスがあったっていう状態だったんですよ。
別に調理師の方々に言ってはいけない情報ではなくて、
むしろ必要な情報だったのに、
それが一応担任は給食を作る栄養士さんに伝えたと、
栄養士さんは調理師さんに伝えたんだけど、
伝わりきれなかったのか、
ちょっとそこら辺がはっきりは分からないんですね。
そこで余計なことするな、みたいなこと言われて、
私はもうその件には全くノータッチになったので、
余計なことするな、みたいなことを言われてしまったので。
ただやっぱりその時の状況って、
そうやって人と人との連絡ミスが起きてたり、
認識が違うよねっていう状態になってたりする、
っていうことだったんですよ。
で、その状態って、
今回は給食のタイミングが、
他のクラスよりも少し早めのタイミングで出すかどうかだったので、
まだいいですけど、
例えば食物アレルギー等々、
そういった重大なこととかだったら、
そういう連絡ミスが起きたら本当に危ないじゃないですか。
だからそういうちょっとした連絡ミスだったとしても、
やっぱりこういう状況でこういう風になってたんですけど、
どこまでその状況は伝わってたんですかねとか、
その情報はどこまで伝わってたのかっていうのを確認したりとか、
どうやったらその連絡ミスとか認識のミスが起きにくいかとかっていうのを、
考えて改善する必要があると私は思っているんだけれども、
その縁のトップからしたら、
そうすると誰が悪いみたいな詮索になっちゃうでしょって言われたんですよね、
その時。
で、私としては誰が悪いではなくて、
どこでそういう行き違いが起きて認識のズレみたいなのが起きてしまったのかっていうのを探ることで、
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誰が悪いではなくて、
どうやったら連絡ミスをなくせるかとか、
認識の違いで対応がズレちゃうとか変わっちゃうみたいな、
そういう構造をどうしたら改善できるかっていうことを私は思っていたんだけれども、
だからこういう状況だったみたいで、
どこまでその状況って伝わってたんですかねみたいなのを聞いたら、
まあ余計なことをするなという話で、
指導が入ったんですよね。
で、たぶんアレルギーとか重大なことではないから大事にするなっていう、
余計なことをするなみたいな感じだったのかもしれないんですけど、
そうやって、
そのトップの意向としては余計なことをするななのに、
そのトップの意向をちゃんと組まない行動をすると、
そんな感じでめちゃくちゃ指導が入ったり余計なことをするなみたいなふうに言われたり、
構造としてここを改善していったらいいんじゃないかとか、
そういうところを見ても、
それに口を出すことで、
なんか今までそれをいいことにしてきたのに、
それをひっくり返すようなことをするなみたいなのとかを言われたりとか、
ひっくり返してごちゃごちゃにしたいわけじゃなくて、
そこでちょっと認識の違いが生まれてるから、
その認識の違いをどう擦り合わせたらいいかな、私はちょっと思っているだけなのに、
そこを、その認識のズレは、
もううやむやでいいから大事にするなみたいな感じの話があって、
もちろん日々業務の中で、職場の中でいろんなことが起きるので、
一つ一つのことをピックアップしてたらキリがないっていうのはもちろんあるとは思うんですけれども、
ただそこのところでやっぱりアレルギーとか重大なことではないけど、
その認識ミス、認識の擦り合わせができてないとか、
連絡ミスみたいなのが起きてるっていうことは、
それ以外の何か命に関わったりするような出来事でも、
そういうことが起きかねないなって私は思っているから、
状況説明をして、
どこまでしてたんですかみたいなことを聞いただけだったんだけれども、
どういうふうに聞いてたんですかみたいに聞いただけだったんだけれども、
それは余計なことだったらしいんですよね。
なので、そうやっていかにそのトップの意向を汲んで、
自分はダメなんで、みたいな、下手に出るような立ち回りをして、
相手の懐に入るかっていうことの方が立ち回りとしてはすごい重要だなっていうふうに、
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当時まではやっぱりずっとそっちを意図的にやっていて、
例えば状況を見て、
いや、これはトップの意向というよりこうした方がいいんじゃないかとか、
そういうのは求められない。
どちらかといえばトップの意向をちゃんと汲んで、
っていう形でコミュニケーションを基本的に取る。
そうやって、相手に対して下手に出て、相手のことを褒めたり上げたりして、
教えを込むっていうような形で、
コミュニケーションを取るっていうのが、本当に生き残り戦略だったんだろうなと思って、
それ一個がもうかなり強いなっていう状態でした。
なので、そういうコミュニケーションを息を吸って吐いてするのと同じぐらい、
当たり前に保育の仕事をする時には、それを必ずやるっていう状態がずっと根強くやっていましたね。
というわけで、ちょっといろいろ言っていきましたが、
自分でちょっとまとめづらいというか、
だなぁと思いながらちょっと話をしていたんですけど、
でもまとめると、やっぱりその一番最初に働いたところでもそうだし、
他の職場でもどうしてもその下手に出て、相手を持ち上げっていうことが必要で、
そういう相手とか上の先生、トップの人たちの意向に沿うように空気を読む。
で、そうやってトップの意向を汲みながら空気を読んで、
自分を下手に、自分を下げて下手に出ながらコミュニケーションを取るっていうことをすると、
相手のところに入って自分の思いとか意見を伝えやすいっていう状況を作ることができるっていう、
そういう環境に基本的に身を置いていたのかなというふうに思います。
そういう環境だったので、自分がその時にある程度やっぱり自分の思いや意見というのもあるので、
そこで自分の思いや意見を伝えやすく、
さらにいろいろわからないところはフォローしてもらったりアドバイスしてもらったりっていうふうなのをしてもらいやすい、
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そういう環境、そういう状況を作るためにはコミュニケーションとして下手に出て相手を持ち上げるっていうやり方、
そうやって相手の懐に入るっていうような形を取ることが一番その時の自分の最適解だなというふうに思っていたんだなというふうに言語化してみて感じました。
ということで、今回はもう本当に保育の職員同士、職員間でのコミュニケーションはもうまさに意図的にこれだけずっとやっていたっていうのを言語化していきました。
はい、というわけで最後までお聞きいただきありがとうございました。
それではまた。