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こんにちは、ライフコーチのえりこです。
私は、小学校1年生の双子と、明日で生後半年、生後6ヶ月ですね、になる赤ちゃんの3姉妹を育てながら活動をしているライフコーチです。
いやー、早いもので、もう生後半年に明日から我が家の3女はなりますね。
本当にね、スクスクと育ち、本日も相変わらず、授乳をたくさん拒否し、かなり気まぐれなミルクタイムを過ごす、
かなり自分の意思が強い子だなぁ、この子っていうふうにね、もうひしひしと感じております。
今、3女が私の足のすぐ近くで、お尻拭きをバンバンやりながら、さらにおもちゃを片手にたまにカタカタやりながら、足で私の太ももを蹴るっていう形で寝っ転がりながら遊んでおります。
このカサカサ音がいいんだよね。
今日は本当はね、朝散歩を双子が夏休み中に一家としてやっているので、それをやろうと思ったんですけど、
今日、朝からかなりしっかり土砂降りででしたね。
ちょっとこれはなかなか、3女も連れて土砂降りで行って帰ってくれて、
結構、かなりのエネルギー消費、いろんな意味で心も体もエネルギーがかなり使うことになって、
ちょっとその後が厳しくなっちゃうなっていうところで、ちょっと今日はお散歩をお休みさせてくださいということで、双子にもお休みのお話をし、
双子の宿題とか、そっちの方を今日はやっておりました。
なんか急にご機嫌斜めになってきた気まぐれな参上でございます。
はいよ。どうぞ。
このカサカサがいいでしょ。
というわけで、今日もですね、ラジオを撮っていきたいと思います。
昨日の放送ではですね、夫婦関係、パートナーシップについての自分の分析の過程とかアプローチはどんな視点でやっていたのか、
どんなふうにやっていたのか、みたいなところを言語化していきました。
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詳しくは昨日の放送を聞いていただければなと思います。
今日は、仕事編に移ってみようかなと思っております。
仕事編で、保育士の仕事をメインで今までやってはきたんですけれども、子どもと関わる仕事ですね。
今回そこのところは、いくつかに分けてになるかなと思っているので、
その前にですね、私は、一回幼稚園の先生をやり、その後一時期違う仕事をやり、そして保育士をやりという形で、
子どもと携わる仕事をしている間に、全然違う仕事をしていたんですよね。
その時代の話をしようかなと思います。
それが、接骨医の受付の仕事をしていた時の時代の話です。
そこでのコミュニケーションの場面で、自分がいろいろ操作系の能力と何度も言っていますが、
自分が相手の人や一緒に働いている人に、どういうコミュニケーションを意図的にとっていたか、みたいなところをもうちょっと言語化していきたいなと思っております。
では、先に告知をさせてください。
ただいま、ミニ体験セッション企画というのを実施しております。
子育てや働き方、それからパートナーとの関係や人間関係とか、
あとは、これからのこと、これからの自分の生き方などなど、このままでいいのか、もやもやするなとか、
あと、すごく今悩んでいるとか、
あとは、何か具体的にやりたいと思っているんだけど、わからないなとか、整理したいなとか、
あとはもう本当に何を話そうかというのが全然決まっていないんだけれども、
一回ちょっと話をしてみたいなという方も、もちろん大歓迎です。
ぜひお話ししたいなと思ってくださった方は、
私の公式LINEのところにあるリンク、私の概要欄ですね。ごめんなさい。
概要欄のところにある私の公式LINEのリンクから、
ご登録の上、ミニ体験セッション希望と一言メッセージを送りいただければなと思います。
子育て中の方も大歓迎です。
私自身もこうやって三姉妹の子育てをバリバリやりながら活動しているので、
子供がなかなか預けられなくて、これセッション受けられるのかなって、
もし不安になっている方いらっしゃいましたら、お子さんいてもセッション受けられます。
今までにもお子さんいる中でセッションを受けていただいている方もいらっしゃるので大丈夫です。
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なので安心してメッセージを送りいただければなと思います。
では本題に入っていきたいと思います。
私が1年半ぐらい子供と携わる仕事を離れて、全然違う仕事をしていた時代があります。
その時に、私は保育士時代や幼稚園時代の周りの同僚の人とか職場の人とのコミュニケーションではない、
そっち側でやっていたコミュニケーションとはちょっと違うコミュニケーションを私はとっていたんですね。
今日はそこのところをもうちょっと言語化してみようかなと思います。
それはどういうのかというと、私が勤めていた接骨院というのは、
雇い主は接骨院の院長ではなくて、接骨院の院長自体も雇い主の会社に雇われた院長だったんですね。
なので受付も院長も、いろいろ手術をする先生たちも、みんなある会社に雇われていて、その接骨院の運営に携わっているっていう感じでした。
その中で接骨院の雇われている院長というのが、当時の院長というのがめちゃくちゃモラハラっぽい感じの院長だったんですよ。
自分はいいんだけど、あなたたちはダメみたいな。特に男の方だったんですけど、院長が、同じ同性、男性に対してはそんなに強く言わないんだけれども、女性とかちょっとあんまり言い返してこなさそうな人に対しては、かなり強く出るタイプのコミュニケーションを取る人だったんですよね。
特に受付の女性、受付が2人、私も含めていて、2人とも女性だったんですけど、受付の女性に対しても、かなり見下すような感じで、強く出て、言い方がもしかしたら語弊があるかもしれないですけど、思いのままに支配しようじゃないですけど、
そんな感じのコミュニケーションをめちゃくちゃ取ってくる人だったんですよね。
その院長は、いろいろ自分が、自分はいいけどあなたはダメみたいなコミュニケーションをめちゃくちゃ取ってくるし、そういうことをやれるぐらい、日々の勤務態度や実績等々をしっかりとその場所で出していたかというと、実はそうではなくて、
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遅刻は当たり前だし、遅刻なんかしょっちゅうで、しかもなかなかこう、仕事も本当にしているのかって、別に院長の部屋があったんですけど、その院長の部屋にこもって、なんか仕事してるの?この人寝てるの?みたいな状態だったりとか、
なんかこう、勤務している状況も、なんかこれはどうなんでしょう?ちょっとお給料もらっているんだから仕事しようかっていうような感じで、院長がね、院長が作っている院だったらわかるんですけど、そうではなくて、雇ってもらっている側なので、院長も雇ってもらっている側だけれども、
本当に遅刻は毎日のようにしてくるし、っていうようなそういう感じだったんですよね。で、周りのこともかなり見下したような発言をするし、っていう状態でした。
でも、院長なのでね、なかなかそれに対して言い返せない女性スタッフとかもいたんですけど、特に受付は、受付の女性たちっていうのは、受付なんか誰でもできる仕事でしょ?みたいな感じで、すごく見下されていたっていう状況がありました。
今までしゃべっているのは私がそういうふうに認識しているのと、プラス、他のスタッフ間で話していたときに共通認識としてあったことっていうのをお話ししているので、その当時の院長自身が本当にそう思って意図的にやっていたかっていうのはちょっとわからないんですけれども、そういう例に近いようなコミュニケーションがあったっていう状態だったんですよね。
で、じゃあその状況のとき私はどんなふうに立ち回っていたのかというのを考えてみたんですけど、実はそういう状況のときには、かなり私もその相手の院長に対してめちゃくちゃ芯が強い人で、院長が上から出ても、上から見下してきても何にもへこたれない。
むしろ逆に見下してやるぐらいのことをしてくるな、この人はっていうふうに院長に思わせるような態度をひたすらとっていました。
で、そのような態度を取ることによって、上下っていう関係ではなくて、同じ雇われているもの、そして同じ院を盛り上げて運営していくものとして、なるだけ対等に近いようなコミュニケーションを取るっていうふうにしていたんですね。
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で、もちろん役職がついていて、その役職に適するような仕事もしていたので、そこに関して見下しているわけではないんですが、人として見下しているみたいな感じだったんですよね、相手が。
なので、その見下しているっていうあなた自身がおかしいよねっていうような見下し方にはなるんですけれども、その人を尊重しない、ちゃんと役職によって人を尊重するかしないか決めるなんておかしくないみたいな、そういう強めの態度を私はめちゃくちゃとっておりました。
で、これは実は保育地時代には全く違う、同じような、ちょっと近いような人が職場にいたとしても、私は全然また違う立ち回りをしているんですね。
で、そこのところはちょっと後で話そうかなと思うんですけれども。
で、その時のそのモラハラっぽいようなところがある委員長に対しては、いや、こちらも負けてはいないよっていうような感じで、何でもかんでも言うことを、いいと思ったことはもちろん素直に聞くけれども、
その人自体を見下したり、その人を全く尊重しないような態度をとることに関して、それから自分は遅刻してもいいけど周りは遅刻したり休んだりすることにはものすごく非難をしたりしていたので、そういう明らかに自分は良くて周りはダメみたいな態度をしてくることに関して、
めちゃくちゃ反発をし、ただ陰口を言っていてもしょうがないので、本人に直接それおかしいですよねっていうことをめちゃくちゃはっきり言っておりました。
で、あまりにもそういうふうに言ってくるので、なんか最初は、今まで他のところでやってきた委員で、こんな風に受付の、ただの受付の人にこんな風に言われたことないみたいなこともすごく言われた記憶があります。
が、おかしいものはおかしいということで、ちゃんと人を尊重するべきだっていうところをめちゃくちゃ言っておりましたね。
はい、という感じで、そういうコミュニケーションをとっていったらどうなったかっていうと、受付の人は頑張っていますもんねっていう風な態度に相手が変わっていったんですよ。
で、それから、そうですね、なんか私に対しては、なんかやんややんやすごい言ってくるな、この人は、だけれども、ただ相手を傷つけようとして言ってくるのではなくて、
なんか、この人が言っていることも、かみついてくることも、そうだよなっていうふうにちょっと思うところもあるのか、だんだんなんか、もともとすごい受付の女性になんか心を開くもんか、みたいな態度をとっていた人が、なんかだんだん心を開いてくるみたいな状況が少しずつ出てきて、
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最終的には、その委員長と仲良くなることは全くありませんが、コミュニケーションとしてただ対立しているというよりかは、コミュニケーション一環として、なんか軽く、はいはいっていうような言い合いをする。
そういうふうなことを、かなり言われましたね。
で、それもある、あったのも、一つ影響としてあったのかなとは思いますが、なんか少しずつその委員長自身も、そうやって自分が見下していた相手の話をちょっとずつ聞こうとするようになるとか、意見を求めるようになるとか、助けを求めるようになるみたいな感じの構図がちょっとずつ出来上がっていきました。
そんなに長く年数働いたわけではないので、ずっとそういう変化がさらにずっとあったわけではないんですが、でもそういう関わりというかコミュニケーションを意図的に取ることによって、
相手が自分はいいけど、周りのことを見下してすごく非難する、みたいなコミュニケーションが状態化しないようにコミュニケーションをあえて取る、みたいなことをやっていたなというふうに思います。
ただこれができたのは何でかというと、今後お話しする保育士時代のところと関わりがあるんですが、環境としてその委員長以外が、やっぱりちゃんと自分それぞれの考えをちゃんと思っていた。
委員長には言えなくてもちゃんと考えを持っていて、そもそも遅刻してくる委員長はそれはおかしいよねとか、そういうところで他のスタッフ間が考えていることが一致している部分も大きかったんですよね。
なので、そうやってちょっとあえて対立するような立ち回り、あえて委員長とちょっとバチバチするような立ち回りをしても、周りのスタッフの中で私が孤立するっていう状態ではなかったからこそそれをやれたっていうのはあります。
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やっぱりどうしても孤立してしまうと自分が働きにくい環境になってしまうので、やっぱりそこが、それをすることによって自分が働きにくい環境になるかどうかっていうところはすごい重視して、その自分の立ち回りを決めていたなっていうふうにも思います。
あと最後に一つ思い出したのが、その委員長に対してはっきりと物思うし、芯が強いような人で、そうやって私に対して見下して強く上から出ても、この人はしょうがないっていうふうに諦めさせるような、そういう立ち回りをしていたんですが、
そのうちの一つで、多分それの後押しになったのが何かっていうと、それぞれ委員長も含め、委員長やその実際いろいろやるもんだりとかそういうのをやるスタッフ、そして受付も含めて、それぞれ順番に持ち回りで営業時間内に、
例えば体験会のイベントをやるので、
それの体験会に来ませんかっていうようなことを、もう本当に個人宅を何軒も回って営業活動をしてたんですよ。
一軒一軒ピンポンって行って、そういう営業活動をしてたんですけど、その営業活動で、もちろん得意不得意はあるとは思うんですけど、
委員長はそこで営業で、委員長も行くけれども、予約全然取れないんですよ。もう一軒も取れないみたいな感じなんですよね。行っても行っても。
逆に、いろいろ私は営業得意な、すごく営業が得意な他のスタッフがいたので、そういうスタッフと回っているときに、どういう話し方したらいいんだろうみたいなのをいろいろ見ながらやっていったら、
実際、比べているところは小規模ではありますが、実際委員長よりも件数はたくさん取り、委員長からしてみたら、自分はほとんど取れていない。
でも、かたや見下していた受付の女性は、私は、バンバン体験会の予約を取っているみたいな、そういう構造も作り出したんですよね、実際に動いて。
そうすることによって、いやいやもう見下している場合じゃないですよっていうような、見下す対象じゃないですよ。
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こういうところでもあなたより実績残してますよっていうようなのも、実際に見せることによって、
本当に、何というか、実際の仕事内容でも示せる姿を見せるっていうようなところで、委員長からは、この人に対して見下してもダメなんだなっていう風な印象を植え付けるみたいなことはすごくやっていたなと思います。
1年半という短い間だったので、実際にその委員長と働いたのは、途中で委員長を辞めて他の店舗に行ったので、結局なんか俺はここは会いませんみたいな感じで、辞めて他の店舗に行ったので、結局委員長と働いたのは1年もないんですよね、一緒に。
なんですけど、その期間の間で、この人にこういうふうにちょっと上から目線で、自分はいいけど何でもかんでもなんくせをつけたり、何でもかんでも見下すみたいな態度をこの人にとってもダメなんだっていうことを相手に分からせると言ったら言い方が悪いかもしれないんですが、そういうコミュニケーションをめちゃくちゃ私は意図的にとっていたなと思います。
ということで、ちょっと毛色が違う感じではありますが、そういうちょっと諸原っぽいような、何でもかんでも自分のことを正当化して周りのことを非難したり、役職によって人を見下すような、そういう態度をとっていた委員長に対してどういう立ち回りをしていたのかというと、
実際はそういうふうに真が強くて、この人にそうやって見下しては無理なんだな、いけないんだなっていうようなことを分かってもらうような、そういうコミュニケーションをひたすらとっていて、それをとることによって、その委員長とある程度対等にコミュニケーションがとれる。
もちろんその役職としては全然違うので、同等っていう形ではないですが、同じ人と人のレベルで言うと、同じ人と人だよねっていうことで、なんか上下とかそういうのはないよね、話すのにっていうような感じで、コミュニケーションをとるっていう立ち回りをしていたなと思います。
はい、はい、分かったよ。
はい、ということで、今日はこの鉄骨委員の受付をしていた時代のコミュニケーション立ち回りについて、今日は言語化をしてみました。
それでは、最後までお聞きいただきありがとうございました。最後まで聞いてくださった方、いいねボタンを押していただければ、はみ出していただけると思います。
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それではまた。