町内会の夏祭り
こんにちは、ライフコーチのえりこです。
私は、小学校1年生の双子と、生後5ヶ月の赤ちゃんを育てながら、ライフコーチとして活動しているものです。
昨日、あ、いいえ、昨日ではなく一昨日ですね。
一昨日ですね、ラジオを放送したんですけれども、
そこでラジオの終わりにですね、最後まで聞いてくださった方はわかるかと思うんですが、
夫がね、町内会で出ている夏祭りに子どもたちを連れて行ってくるみたいな話を最後していたんですけど、
町内会の夏祭りに行きましたら、
町内会の夏祭り、ちょっと初めて行ったんですけど、今回。
その夫がね、町内会の役割で今年係になっていて、
焼きそばをね、あ、焼きそばじゃない、焼き鳥だ、焼き鳥を焼いて売るっていう、で店の係になっているからっていうので、
あの飲み物をね、暑い中やってるから届ける、届けがてら、子どもたちも夏祭りに連れて行くっていうので行ったんですけど、
なんか本当にすごい人で、こんなに大盛況になるのっていうぐらい、町内会なんかめちゃくちゃ、町内会やってる夏祭りがすごい本当にね、めちゃくちゃ大盛況だったみたいで、
で、本当にすごい人、人、人の中3姉妹を連れて、あのちょっとね、私一人では絶対に無理だなと思ったので、
私の姉をちょっとね、協力要請をして一緒に来てもらって、で行ったんですね。
もうすごい人で本当にね、ベビーカーで行ったんですけど、通れないみたいなぐらいすごい人で、
でなんかそれに行ってきたらなんかもうドッと一気に疲れてしまって、
昨日はね、すごい寝込んでました。
そんな状態の中、昨日の夜中、我が家の3女が、なかなかね、久しぶりに2時間半ぐらい覚醒して、すぐ寝てくれないみたいな状態になりましてですね。
でそんなことも相まって、なんか普段から寝不足気味ではあるんだけれども、どうしてもやっぱり夜中授乳で起きたりするので、
寝不足気味ではあるんだけれども、さらになんかそこにこう、ものすごい寝不足と、あの、その夏祭りに行ったものすごい疲労感がドッときて、
今日午前中はね、もう本当に布団とお友達になっておりました。
いやーすごいですね、本当にね、活気があるけれども、ちょっとやっぱりサンゴの体にはめちゃくちゃきつかったみたいで、
どうしてもね、サンゴずっと慢性的な寝不足がやっぱり積み重なっている上で、
で、暑いのも、暑さも、結構ね、やっぱりここ、今私が住んでるの仙台なんですけど、仙台もね、やっぱり最高気温36度とかでね、
まあやっぱり暑いんですよね。
で、その、まあ気温はね、夕方だから下がっていたとはいえ、その中でさらにこう、いろいろね、焼き鳥とか焼きそばとかいろんなこう、火を使うものを出して出展しているし、
人も多いしで、なんかこう、本当にね、もわーってした暑さの中、行ってきたら、なんかすごいもう私も、はぁー、なんかもう、
倒れそうみたいな状態になっておりました。
夫の意識の変化
はい、というわけで、あのめちゃくちゃ前置き音が長くなりましたけれども、はい、今日もラジオをお話ししていきたいなと思います。
今日はですね、パートナーシップをずっと言語化してきたんですけれども、
で、あの、当時のことを振り返りながらいろいろエピソードを分けて、
話をしていた中で、ちょっとね、ああ、ふと、あれ、その当時夫はどういう世界が見えてたのか、どういう認識だったのか、
私から見たのは話してるけれども、夫自身はどう思っていたんだろうっていうところを、あの、当時あまり夫にじゃあ直接たくさん聞いて、
っていう感じではなかったんですよね。
当時の夫の姿っていうのは、今の夫から見て、まあなので、今の夫が自分の姿、過去の自分の姿をどう思っていたのか、
どう思っていたのかっていうところがあったんですよね。
ちょっと言い方おかしくなっちゃった。
当時の夫の姿っていうのは、今の夫から見て、まあなので、今の夫が自分の姿、過去の自分の姿をどう見えているのかって、どう見ていたのかっていうのを聞いてみようと思ってね、この前聞いてみたんですよね。
今日はそこで出た話が、結局私がずっと夫と向き合ってきたところの、すごく大事なポイントってここだったよなーって思って、
なんかそれってやっぱり夫婦もそうだし、いろんな人との人間関係もそうだし、もしかしたら自分との人間関係にも大事なのかもなーって思ったところだったので、
大事なのかもなーってか、大事だなーって思ったんですよね。
そこのところをちょっと夫に聞いてみた話も交えて、ちょっとお話できたらいいなと思っております。
では本題に入る前に、先にお知らせを一件させてください。
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では本題に戻りたいと思います。
それでですね、夫に、当時の、当時のというのも、夫の本当の意識がガラッと変わって、自分も共同経営者として家庭の家事、育児をしっかり営んでいこう、
主体的に動いていかないといけないなっていうような意識に変わる前までの状態のところをちょっと尋ねてみたんですよね。
今の夫から見て、過去のその状態の時の夫ってどういう状態だったんだろう、どういうふうに見えている世界があったんだろう、どういう認識だったんだろうみたいなことを
夫に自分で自分を振り返ってみてもらったんですよね。
そうしたら、やっぱり夫自身は、まあ転職して、まだ転職した先の環境もそうだし、仕事内容もそうだし、なかなかこう慣れていない、余裕がない状態だったっていうのはすごくある。
さらに、ただ余裕がないからっていうだけともちょっと違って、ここが大事だなって思ったのが、やっぱり元々のその家族のあり方、夫婦のあり方が、夫が思っているのと私が思い描いているのとの食い違いがめちゃくちゃ大きかったなぁと思うんですよ。
しかもそれが、食い違いが大きいけど、今まで自分が当たり前に思ってきているもの、当たり前に思っている家族のあり方とか夫婦のあり方だからこそ、
そこですれ違ったとしても、簡単に修正とかすり合わせみたいなのができるものじゃなかったっていうのが、本当にパートナーシップを構築していくのに何年もかかった理由だったのかなって思います。
夫が、夫曰く、夫のその家族、両親がいるんですけれども、その夫の両親ってどうだったかというと、夫の両親というより家族、夫のその実家での家族のあり方って、やっぱりお母さんがいて、お母さんが何でも家事をやってくれる。
育児もやっぱりお母さんが中心でやる。
で、赤ちゃんの時、お母さんの、例えば手がなかなか難しいなって思うような、例えば、新生児の赤ちゃん、木浴に入れるとか、どうしても物理的に、私もね、そのお母さんに聞いたんですよ、ギリのお母さんに聞いたら、やっぱり新生児の時とかは、お父さんにお風呂を、赤ちゃんのお風呂入れてもらってた。
なぜなら、赤ちゃんって耳を押さえるんですよね。耳の中に水とかお湯が入らないように、後頭部のところに手のひらを当てて、親指と小指だったり薬指だったりで、両耳を塞ぐわけですよ。パタンと耳タブを閉じて。
そういうのとか、夫のお母さんは小柄なので、指もそんなにすごい長く、長いわけじゃなくても小さめだから、物理的にね、それができなかったそうなんです。
なので、そういうのは、お父さんにやってもらっていたらしいんですよね。
そういう物理的に、もう無理だよね。難しいよねっていうのは、お父さんがやるけれども、大体他の身の回りのことっていうのは、もうほとんどお母さんがやる。
ご飯を作るのもそうだし、洗濯とか掃除とかも、基本的にお母さんがやる。
それが当たり前だから、当たり前だから特に感謝の言葉もない、みたいな状態だったらしいんですよね。
夫自身は一人暮らしの経験もあるはあるので、一応一人暮らしではどうしてたかというと、最低限やっぱり洗濯とか必要なもの。
ちょっとやらないと生活が困るよねっていうもの。
例えば最低限の洗濯とか、そういうのはやるけれども、
例えば食事を作って用意して、食器を洗って片付けるみたいなところとかは、
別にすぐ近くに牛丼屋さんとかあったらしいんですよね、チェーン店の。
そこで定食とかも食べられるし、そこで食べるかインスタントのカレーを食べるか。
ご飯も炊くこともなかったんですよね、夫は。
そういう感じで本当にちょっとした洗濯ぐらいはするけど、
あとはもう全然やらない、ほとんどやらないみたいなことがすごい多かったんですよね。
自分の仕事の余裕がなければもちろんやらないみたいな、やらない一択みたいな感じで一人暮らしでも過ごしていた。
そうすると、家にやってくれる人がいれば、
自分のお母さんと同様やってもらって当たり前の感覚になるっていうのが当たり前だったんですよね、夫の。
だからそれは家族の中で自分もやるべきことだよねっていうような感覚、
自分も何かしらの役割を持って動くよね、やるよねっていうような感覚は一切なかったみたいなんですよね。
だから余裕があればちょっと手伝うっていう、
言ってしまえば、これは夫本人が言ってたんですけど、子供みたいだよねって言ってて、
小学生とかの子が今のまさに我が家の双子みたいに、
自分で手伝える余裕があって、手伝える時にはちょっと手伝うけど、基本はお母さんの仕事だよね、
自分の必要なこと、自分の必要な仕事とは思っていないっていう状態が当たり前っていうことだったみたいなんですよね。
だからそういう小学生のお手伝い感覚が夫婦になっても、やっぱりそれが当たり前だよねっていうふうにずっと根強く思っていたから、
なかなかそんな変わるっていうことがなかったっていうふうに夫は自分のことを言っていました。
育った環境の違い
じゃあ一方で私の当たり前は何だったかっていうと、
私の当たり前は、もともと私の実家の方では両親とも働きで、
そして全体的に家のことは子どもでも毎日日課の手伝いとして、
週間の手伝いとして、家のことを何か一つでも担うべきという考え方の同居の祖父母がいまして、
しかもそれもただ子どものお手伝いだから、ささっと適当にやっちゃってもいいよねではないんですよね。
もう完全に本当に一人間として、子どもだろうが何だろうが容赦なく超ビシバシ怒られまくって、
すごい例えば玄関掃除とか、その時の子どもができるレベルではあるんだけれども、
必ずその時の子どもができるレベルの中でも最高潮のものをやらなければいけない。
玄関掃除ささっとやったから終わりではなくて、
本当に一人がその家事の担当としてきちんと自分の責務を果たさなければいけない。
その責務の果たし方も本当に大人がやったのと同じくらい綺麗に、
例えば玄関掃除だったら掃除をするということが求められる感じの実家だったんですね。
だからそうすると、みんなで家事、育児、育児はそんなにあれか、家事を分担しているっていう感じではあったんですけれども、
そういうふうに全ての家事について、
誰か一人が背負うっていう形ではなく、子どもがやるべき、子どももやるべき。
あとは祖父母の力がかなり強い家だったので、昔ながらの昭和の家っていう感じの家だったので、
嫁が基本はやるんだけれども、嫁か子どもがやるみたいな感じだったんですよね。
だからその子どもが、例えば洗濯を干すとか、昔なのでね、そんな乾燥機とかなかったので、
洗濯を干すとかもそうだし、田舎のね、一軒家で育っているので、庭があるんですけど、
結構広い庭があるんですけど、その庭の葉っぱとか全部自分で剥けみたいな、毎朝剥けみたいな感じだったんですよ。
ちゃんときれいになるまで剥けみたいな、それやってから学校行けみたいな、そういう家だったんですよね。
そういう家だったのもあって、何でもかんでもやってもらって当たり前ではなく、
必ず子どもでさえも大人に近いようなレベル感で責務を果たすことが当たり前だよねっていう環境で育ってきたのが、
私だったんですね。夫の当たり前と私の当たり前が違いすぎるっていうところがめちゃくちゃあったなと思います。
家事育児の分担の必要性
やっぱりそうやって、私の場合は余裕がないから、子ども時代の手伝いでやっていた家事、責任を持ってやる家事を余裕がないときにはやらなくていいかというと、
あまりそんなこともなかったんですよね。余裕があるときだけ手伝ってくれればいいよではなくて、日課として必ず毎朝やりなさいよと。
やらないとめちゃくちゃ怒られてたんですよね。
それが当たり前で育っている私からすると、余裕があるからやるってどういうことっていう感じだったんですよ、感覚的に。
なので、たぶんそこの私の当たり前と夫の当たり前があまりにも違いすぎて、
子どもが生まれる前までは、
子どもが生まれる前までは、そういう形だとしても、私自身も別に全く余裕がないわけじゃないからよかったんですけど、
やっぱり子どもが生まれて、双子の育児という余裕なんかあるわけないよねっていう状態になったら、
すいません、今泣いていた三条を抱き上げておりました。
そうやって双子を抱えながら家事育児してたら、余裕なんかないわけですよ。
余裕なんかない状態なのに、結局、むしろ人手が一人で双子を見ながら家事も育児もやるって、正直かなり厳しい状態だったので、
やっぱりそういう時には分け合わないとねっていう感じがやっぱりあったし、
実際に自分の両親を見ると、祖父母からは嫁が一人でやるのが当たり前だって思われていたけれども、
やっぱり共働きの両親は、嫁である私の母が一人で全部やるのは不可能だったんですよね。
もう人間として不可能の域になってしまう。
仕事も普通に長時間やってましたし、8時間勤務か。
前後合わせてもかなり長い時間仕事の方行ってましたし、
当時はあまり休休もそんなにない時代だったので、本当に3休明けてすぐみたいな感じで仕事をしていたので、
そんな状態の母が全部家のこともやるってなったら無理なわけですよ。
やっぱりそうなってしまうと、私の父が一緒に少しでも分け合わないと厳しいというかもう回らないんですよね、家が。
だから私の父はですね、なかなかあんまり母曰く全然家事をやらないあの人っていつも文句を言っていたけれども、
でも子供の私から見ると父はやっぱりめちゃくちゃ早起きして自分が出勤する前に掃除機をかけたりとか、
何かしら洗濯をかけるところはやったのかな、洗濯機かけるとか、何かしらやってはいるんですよ、家事を。
そうやって夫も、夫じゃない、父も毎朝何かしら家事をやっていく。
自分のことだけをやって、全部奥さんに任せているっていう状態ではなかったんですよね。
そうなった時に、やっぱりこう全部その夫婦で妻だけが全ての家事育児を担うっていうのは絶対無理だよねっていう状況なんだったら、
夫婦で少しでも家事を分担する、協力し合うのが当たり前だよねっていう環境だった。
そうしないと無理だったんですよね。もう回らない。どう頑張っても無理っていう状態だったから、
それが当たり前できていた私にとっては、やっぱりその夫の当たり前が、夫の当たり前を双子育児をしながら家事をしている私に突きつけられると、
夫婦の形の再構築
いや回るわけないじゃん、そんなの私一人でできるわけないじゃんっていう感じだったんですよね。
で、やっぱりそうやって夫の当たり前と私の当たり前をちゃんと認識することっていうのがやっぱり大事だったし、
そしてその夫の当たり前と私の当たり前をお互いに押しつけ合っててもしょうがなかったし。
夫婦として目指したいその夫婦の形とか、夫婦の夫婦像みたいなところを考えたときに、
じゃあ家事育児とかその家庭を営むっていうことに関してはどういう形で営んでいったらいいんだろうね。
何をその夫婦の当たり前としていったらいいんだろうねっていうようなところがやっぱり大事だったんだなと思います。
なのでやっぱりその自分が何を当たり前に思っているか、相手が何を当たり前に思っているかっていうのを探っていくっていうのはすごい大事な作業だったなって思いますし、
そこをやっぱり擦り合わせていって、しかもその時のその家庭の状況ってあるじゃないですか。
子供が生まれてとか、例えば何か介護があってとか、そういうその家庭の状況をどう回していったらいいかっていうような視点も入った上で、
何をどういう形をその時の夫婦のスタンダードとするかというか当たり前にするかはやっぱり擦り合わせて新しくお年どころを探っていくことが必要だったんだろうなというふうに思います。
結局は私たち夫婦の場合は、双子育児っていうのはもう変えようのない事実なんですよね。
双子育児をしながら家事をやらなきゃいけないというのはやっぱり変わらなかったから、
そうするとじゃあ夫の当たり前を採用してしまうと、私が潰れるっていう状態だったんですよね。
私が潰れるということは結局双子ももう立ち行かなくなってしまうっていうことなので、やっぱりその方法は採用できなかったんですよ。
だからやっぱり立ち行かなくなるから夫の当たり前を採用し続けるのではなく、やっぱり私の当たり前に少し意識を変えてもらわないといけなかったっていうのは大きかったんじゃないかなと思います。
なのでいろんな夫婦の形ってあるので、例えば夫の当たり前を採用できる形に模索するっていうのも一つありだとは思うんですが、
我が家の夫婦の場合、家庭の状況的には、それはもう採用するっていう選択肢が持てなかったんですよね。
なぜならすべてが家にいている人がすべてを担う。家事・育児もすべてを担うだともう回らないからです。
もうそれだと生活が立ち行かなくなるので、やっぱりそれは外に働きに出ている人も何かしらやって、自分ごととして家事・育児を一緒に営んでいく必要があるっていう結論に至ったのが私たち夫婦の結論なので、
また子どもの状況とかに変化が見られたり介護とかそういうことになってくれば、またこれは夫婦の形は変わると思っています。
今の現段階では私たち夫婦の形としてはこれだけれども、やっぱりその時々でまた自分たちが何を当たり前に思っているかっていうことを考えて、そこを認識してやっぱりすり合わせて、
私たち夫婦の当たり前をどこに置くかみたいなところを常に探って話し合っていくことがやっぱり必要なんだなというふうに思いました。
ということで、今日は夫と話をしていて、当時の夫のことを今の夫が見たらどういう世界、どういうふうな認識なのかっていうのを振り返ってもらって、
そういうふうにちょっとお話をしてみました。すごいお上手。はいはい、わかったわかった。
というわけで、手の中で産女がものすごいウェーンって言っているので、ここら辺で今日は終わりにしたいと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。最後まで聞いてくださった方、いいねボタンを押していただけると大変励みになります。
それではまたお会いしましょう。