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2023-08-17 08:09

#005 英語は「理論的」?

「英語は理論的な言語」ってよく聞くけどどうなん?

言語好きな一般男性ソウイチが、英語やその他の言語に関するモヤモヤを「悪口」として吐き出しながら、言語についてあれこれ考えていくPodcastです。
番組へのご意見・ご感想や、言語に関する疑問・質問はこちらへ。

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この番組は、言語大好きで英語嫌いな私、ソウイチが、英語への悪口を垂れ流しながら、
言語について色々なことを考えていく、ポッドキャストプログラムになっています。
番組内で登場する英語への悪口は、全て私の個人的な見解ですので、どうぞご了承ください。
はいどうも、ソウイチでございます。英語サーチのお時間でございます。
今日、録音しているのは日曜日なんですけど、今週は久しぶりに土曜日も日曜日も予定がなくて、
ずっと家に引きこもってたんですけど、ちょっと外に出かけようかななんて思ったりもしたんですけど、
もう家のドア開けた瞬間、外気の熱がすごすぎて、全く外に出られなかったですね。
というわけで、この週末はずっと家に引きこもってました。
さて、今日なんですけど、英語は理論的な言語か、っていう話をね、してみようと思います。
ネットの書き込みとかよく見てると、理論的な英語VS感情的、情緒的な日本語、みたいな感じで対比するような書き込みをよく見かけるんですよ。
この英語は理論的な言語であるって、結構いろんな人が思ってるみたいで、なんかもう何の前触れもなく、英語は理論的な言語だからって、もう周知の事実のように書いてる人もいて、結構驚くことがあります。
大概の場合、理論的な英語VS感情的な、あるいは情緒的な日本語、みたいなセットで語られることが多いんですよ。
英語が理論的だと思われてる理由の一つが、英語は必ず主語を言わなきゃいけないっていうことだと思うんですよね。
誰が何をするっていうのを必ず文章に組み込まなきゃいけないと、文章がもう成立しない。
それから文法的に語順がかっちり決まっていて、曖昧さを許されないみたいな、そういうイメージがあるみたいです。
それに対して日本語って、文章に必ずしも主語を必要としなかったりとか、あと結構語順も自由だったりするので、そのあたりに英語と比較して曖昧さみたいなのを感じる人が多いみたいです。
あとよく言われるのは、日本語には和歌とか短歌とか、そういう詩文っていうんですかね、が昔から豊富で、季節の移ろいだったりとか、自然の美しさとか、あとは人の感情を表す語彙が豊富だから、だから情緒的でいいんだ、だから美しいんだ、みたいな。
逆に英語だとそういう文章は作りにくくて、誰がいつどこで何をしたみたいなガチッとした文章しか作れない。
だから英語は論理的で、日本語は情緒的だっていうやつですね。
でもこれって英語が理論的っていう話じゃなくて、単に英語を話してる人が論理的っていうだけの話なんじゃないかなって思うんですよ。
03:05
英語圏、特にアメリカとかだと、学校教育の中で理論的な和法っていうのを徹底的に叩き込まれるんですよね。
TOEFLとか英語のテストを受けたことがある人だったら分かると思うんですけど、ああいうテストのライティングでも、今からこれについて論じます。
これはこういうことです。その理由は3つあります。
1つ目はこうでこうで、2つ目はこうでこうで、みたいな割とカッチリした構造で書くことをすごく求められるんですよね。
そういう文章が分かりやすくて美しい文章とされるんですよ。
英語がそういう論じ方に向いてる言語かといったら、別にそんなことは日本語でも同じことできるわけじゃないですか。
ただ、日本の国語の授業って、多分あんまりそういう論じ方みたいなのって、詳しく訓練としてやらないんですよね。
せいぜい読書感想文ぐらいのもんで。
僕は個人的にはそういう教育こそ必要なんじゃないかなって思うんですけど、あんまりなぜか日本ではやらないような気がします。
今はどうかわかりませんけどね。
なのでこれも言語のせいというよりは、教育の賜物なんじゃないかなって思うんですよね。
英語は主語がないとダメだからとか、そういう文法構造が人の思考に影響するっていう考え方もあるんですけど、僕はそれに関してもちょっと怪異的なんですよね。
英語ってSVOって言って、主語、動詞、目的語、I eat an appleみたいな。
そういう感じで動詞が真ん中にくるんですけど、日本語ってSOV、だから私はリンゴを食べるっていう動詞が最後にくるでしょ。
それが人の思考のプロセスに影響を与えるんじゃないかみたいなね。
そういうことも色々書いてる記事を見かけたりするんですけど、そういう文法構造が人の思考に与える影響って多分すごく少ないと思うんですよね。
あんまり意識しないんですけど、人って頭の中で文章として考えるよりも、もっと文章にならない、言語化されない部分で考えてることの方がずっと多いと思うんですよね。
だから文法構造は多分人の思考にはそんなに影響しないんじゃないかなって僕は思うんですよ。
あと日本語は感情的だ、情緒的だっていうのもまあまあ怪しいかなって思ってますね。
そういうことを言う人の大半って日本語の和歌とか詩とかを例に挙げてくるんですけど、別に詩って日本にだけあるものじゃないし、
大昔から詩とか韻文の類って洋の東西は問わずいくらでもあるわけじゃないですか。
中には美しい自然の様子を描いた詩だって西洋にもたくさんあるわけですよ。
よく英語には木漏れ日という言葉がないとか懐かしいという言葉がない。
だから英語圏の人たちってそういうものの美しさに感動したりとか、あとは俗な言い方で言うとエモい気持ちになることがないとまで言っちゃう人もいるんですよね。
06:04
いやそれは違うぞと。
それはあくまでも文学の話であって言語の話ではないはずですね。
だって別に木漏れ日だって木漏れ日っていう言葉自体を使わなくたって木漏れ日を言葉で表現することはできるわけじゃないですか。
懐かしいって言わなくても懐かしいっていう気持ちを表現することは言葉を尽くせばいくらでもできるわけですよ。
それを表す単語がないっていうだけでその概念そのものが存在しないみたいな言い方はやっぱりかなり乱暴だと思いますね。
誰だって太陽の光が木の葉を通して地面にマダラに映っていて葉っぱが揺れるたびにそれがキラキラ輝いている様子を美しいって誰しも思うと思うんですよ。
逆に一言で日本語に訳せない英単語っていうのもたくさんあるわけですよね。
いくらでもあるので。なのでそういう例を持って日本語の表現が情緒的っていうのはやっぱりちょっと違うんじゃないかなと思います。
私たちは日本人だから日本語で情緒的な文章とか曖昧なふわっとした文章を書くことができるけれども、
でも英語の勉強を熟練した人とかもちろん英語を母語とする人だったらやっぱりそういうふわっとした表現とか情緒的な文章とかたくさん作ることができると思いますね。
ただやっぱり外国人として英語を読んだり書いたりするときにやっぱりちょっと外国人だからストラクチャーで見ちゃうみたいなところはあるんじゃないかなとは思います。
だからそういう意味では日本人にとっては確かに英語は理論的に書かないとやっていけない言語だとは思うけれども、英語そのものが理論的かどうかはまた別の話かなって思ってますね。
さて、今日は英語は理論的だ説についていろいろと考えてみました。もしよかったらみんなの考えも聞かせてください。
説明欄にお便りのリンクをつけているので、みんなが思っている英語の悪口ももしよかったらいろいろ教えてください。ではまた。
08:09

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