2025-10-07 38:13

#444. 英語史を学ぶとこんなに良いことがある!

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に
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サマリー

英語史を学ぶことには多くの利点があることが語られています。古英語を学ぶことの価値や英語学習に役立つ知識、英語教育への応用が強調され、その魅力が伝えられています。また、英語史を学ぶことで知的好奇心が満たされ、新たな視点が得られ、言語と歴史の関係を理解する重要性が強調されます。さらに、英語史を通じて言葉の不思議さに気づき、日常生活を豊かにできることも述べられています。英語史を学ぶことは、新しい言葉との付き合い方や世界観、人生観を広げる重要な手段です。このポッドキャストでは、リスナーとのコミュニケーションを通じて英語史の価値をさらに確信し、学び続ける意義について語られています。

英語史の重要性
おはようございます。英語の語源が身につくラジオ、ヘルディオのパーソナリティ、 そして英語の歴史を研究しています。堀田隆一です。
8月18日木曜日です。 いかがお過ごしでしょうか。
本日の話題は、 英語史を学ぶとこんなに良いことがある!、です。
実際ですね、ありすぎです。良いことありすぎです。 今日はこの話題でお届けしたいと思います。よろしくお願い致します。
このチャンネルはですね、1年2ヶ月前ぐらいに始めたんですけれども、毎日朝6時に放送しています。
徐々にリスナーさん、フォロワーさんも増えてきまして、改めてこのタイミングで英語史という分野ですね、 英語の歴史ということなんですけれども、これについて考えてみたい、そして紹介したいと思ったんですね。
このチャンネルはですね、英語の語源が身につくラジオということで、 主に英単語の語源ということを話題にすることが多いんですが、
その背景にある分野、学問領域としては英語史、英語の歴史というものがあるんですね。
実際には英語史はですね、単語の語源を調べるだけではなくて、文法、発音、その他ですね、英語を構成する様々な要素、これがですね、歴史的にいかに発展して今の形になったかであるとか、
あるいは英語そのものがですね、どういう社会的位置づけとして存在してきたかということですね、使われてきたかということで、現在では世界的な言語ですけれども、英語の歴史の最初はですね、本当にヨーロッパの一部族と言いますかね、の言語だったわけです。田舎の言語です。
こうした小さな言語が、いかにしてこのように強大な言語になったかという、そのあたりの歴史も見ていくわけなんですけれども、これ英語の歴史、英語史という分野なんですね。
多くのこのチャンネルのリスナーはですね、日本語を母語とする人が多いと思うんですけれども、英語に関する関心というのは基本的には英語力をつけたい。
英語で喋ったり書いたりですね、それに用を足したいというようなモチベーション、これで多くの方が勉強しているということだと思うんですね。私もその一人ではあります。
そうすると、かつての英語であるとか、ここまでに至った歴史というのはですね、直接現代の英語のスキルというのに関わらないと言いますかね。
昔あったことなんて知らないよという言い方をすればですね、そういうことではあるんですよ。
だけれども、この英語の歴史、英語史という分野は、実はですね、学ぶとこんなにいいことがあるんだということ、これがあまり知られていないので、このチャンネルでも私は発信していますし、姉妹版のブログですね、ヘログと呼んでいる英語史ブログでも発信しているということなんです。
古英語の役立ち
そして多くの人にこの英語史という分野を知ってもらいたい。そしてその魅力をですね、知ってもらって、実際に学んでもらいたいということでですね、様々に英語史なんで学ぶのというこの質問にはですね、これまでもいろいろな形で答えてきたんです。
このチャッターに貼り付けていますリンク先の記事も見てもらいたいんですが、どうして英語史って学ぶ価値があるのかというようなですね、これをいろいろなところで発信してきました。
ですが最近ですね、改めてこの問題自分でも考え直してみようということがありまして、考えてみました。そしてその結果を今日お話しすることにしたと、そういう次第なんですけれども、きっかけとしてはですね、大学で授業を持っているわけなんですが、英語史であるとか古い英語、古英語を講読するというそういう授業を持っているんですね。
その古英語です。千年ほど前の英語なんですけれども、この講読の時間にですね、こういう反応がある学生からあったんですね。古英語って役に立つんですかという、ズバリ直球の質問です。
これはある意味でですね、目の前で私が教えているわけですよ、古英語。それに対して古英語って何の意味があるのと言われているようなものなので、これですね、場合によっては挑発的なコメント、質問というふうにも見えるかもしれないんですが、その学生はですね、実はそれはタイトルで古英語は役に立つのかみたいなタイトルで、その下にずっと文章があるわけですよ。
結局ですね、その学生の言ったことを要約すると、古英語などを勉強して何の役に立つのかと思う人が多いと思いますが、と言いつつ、現代語の様々な素朴な疑問、ずっともやもやしていたような謎がきれいに解ける。古英語から順にですね、追っていくと、なぜこうなっているのか、現代英語がですね、こういうのが分かる。
その意味でとっても役に立つという、そういう結論だったんですよ。それに対して私がコメントバックしたんですね。
コメントバックと言いますか、その評談の古英語が役に立つんですかというような質問に対して、私の答えは、全く役に立たないとは言いませんが、言うほど役に立たないんじゃないんですかって答えたんですよ。
多分これはですね、その学生も予想していない返答と言いますかね、やりとりになってきたんじゃないかっていう気がするんですよ。
事前におそらくですが、予想されたやりとりっていうのは、学生の側から見ると、学生は、古英語は役に立つんですかと挑発的な質問をし、そして私が、もちろんこれこういう理由で役に立つんですというような答えをおそらく期待していたと言いますか、予想していたんじゃないかと思うんですが、むしろ逆の展開になってきたんですね。
私の出した答えは、全く役に立たないとは言わないけれども、言うほど役に立たないんじゃないのっていうのが私の答えだったわけなんですけれども、これ本当にそう思っているんです。
まず、そもそもですね、役に立つっていうのをある学問ですね、学問領域について言ってどういうことなのかっていう問題があったりするんですね。
私は役に立つっていうことと、価値があるっていうことは別物だと思っているんですね。役に立つと言いますと、実用的ですよね。すぐにためになる利益につながる。もう少し言えばお金になるとか、時間が節約できるっていった感じですよね。
これはこれで決して悪いことではない。役に立つに越したことはないと思っているんです。ただ、その役に立つとは別軸でですね、価値があるという言い方、形容詞があると思うんですよ。
この価値があるっていうのは、別の言い方で言えば強要的であるとか、すぐには役に立たないかもしれない。だけど、後で役に立つかもしれないし、実際役に立たないかもしれない。役に立つというところから超越したものですね。
価値があるっていうのは、こういう基本的に別物だと考えてるんですね。ただ、別軸、別物だとは言っても、常にバッティングするかというとそういうわけでもなくて、いろいろなパターンがあると思うんですよ。まず、価値があって役に立つっていう、これも最高ですよね。
これ一番いいに決まってるっていうことで、これ私大好きですね。もう一つは、価値があるけど役に立たないというものですね。これが次ぐらいに私としては好きですかね。次に、価値がないけれども役に立つと。
やはり役に立つっていうのは、生きるためにいいことなので、実際そういうものに飛びついてしまっている自分もいるわけなので、これも嫌いではないということですね。最後に、これはいらないなっていうのは、価値もないし、役にも立たないということだと思うんですね。
マトリックスにすると4つパターン、組み合わせがあるわけなんですけれども、その中で価値があって役に立つ。これ一番まずいいんですが、ただ役には立たないかもしれないけど、価値があるというこのオプションですね。これも重要だと思っているんですね。
英語詞を学ぶと役に立つっていうことは確かにあります。ただですね、それを上回るもっと価値があると言いますかね。強要的と言いますか、後で役に立つかもしれない。すぐではないけれども、後に役に立つかもしれないとか、後でもそんなに役に立たないかもしれないっていうものも含めて価値がある。
今日はですね、英語詞を学ぶことで得られるもの。まず役に立つから始めたいと思うんです。役に立つこと、それ自体はいいことだと思っているので、それも挙げます。ただ、もっともっと重要な、そして私自身が好きな方はですね、価値があるっていう方なんですね。これを後半にかけてお話ししたいと思います。
英語教育の応用
合わせて7点くらいお話ししようと思います。イントロが長くなりましたけれども、この7点をご紹介していきたいと思います。英語詞を学ぶとこんなに良いことがあるということで、7点お話ししますけれども、順番としてはですね、およそですけれども、きれいにきれいはしないんですが、まず役に立つ側面というのからですね、始めて徐々に価値があるっていう側面。
に向けて、そして後半に行けば行くほど私自身は大事なことだと思っているんですけれども、その順番でお話ししたいと思います。
まず第1点目です。
英語学習に活かせる。
これですね。
英語の歴史を知っていると、
現代の英語ですけれども、英語のスキルを磨くための学習ですね。これにいろいろと活かせることは確かに多いです。
典型的には単語暗記ですね。ボキャビルです。語彙を増やすのに、語源から学ぶというその類の本とか単語帳っていうのは、たくさん巷にあふれていますよね。
実際にこのチャンネルを始めるときにつけたチャンネルタイトルっていうのは、そのあたりを念頭に置いてつけたわけですね。
英語の語源が身につくラジオということです。
実際には英語史という名前あるいは英語の歴史っていうのを入れようとしたんですけれども、
これいきなり英語史と言ってしまうと、あまり聞いてくれる人はいないのかなということも危惧して入りやすいタイトルにしたっていう事情はあるんですけれども、
実際に単語暗記の際に語源を使うっていうのは本当によくあると思うんですね。
例えば、瀬戸字をですね、主要な瀬戸字を覚えて、それから主要な語幹っていうんですかね、これを覚えると、
特にラテン系の単語だとですね、これだけで複数の組み合わせがあって、しかも意味的に何らかの関係があるんで覚えやすいっていうようなことがありますね。
例えば、duceとかductっていうのはラテン語で導く、英語のleadに相当するものなんですが、例えばconductというと導くっていうことになりますね。
conっていうのは一緒にって意味でductっていうのが導くっていうことで、強く導くっていう感じになるわけですね。
それからproduceっていうと、これproっていうのは前にって意味ですから、前と導いていくっていうことで生み出すっていうことですね。
提出する、生み出すっていうことです。reduce、reっていうのは再びとか帰ってbackの意味ですから、減らす、lead backっていうことで、どちらかというとマイナス方向に導いていくっていう感じですね。
からinduceっていうのは引き起こすだし、seduceっていうと誘惑するっていうことで、ductとかduceっていうのは導くって意味があるんだ。
そこにいくつかの瀬戸字、主要なものを覚えると、これだけでも簡単に覚えられるというような、そういう語源から覚える単語っていうのはありますよね。
例えば、こういった英語学習に直接生かすことはできます。他に英語に限らず、語学学習と言ってもいいのかな、とりわけフランス語であるとかドイツ語のような英語の近隣の言語です。
英語はこうした言語と同じルーツを持つか、あるいは大きな影響を受けてきたので、特にやはり語彙なんですけれども、語彙の領域において共通するものが多いです。
ですので、英語で覚えたものが、語彙的な知識がフランス語でも活かせる、ドイツ語でも活かせるということで、他の語学学習との連携という意味でも、やはり広く語学学習に活かせるという利点はあると思うんですね。
これがまず第一点です。次、第二点。今度は英語の先生にとっていい点なんですけれども、英語教育に活かせるということです。これは第一の英語学習に活かせるということと連動していますけれども、英語教員も常に英語学習者でもあるわけですよね。
ですので、先ほどの英語士の知識を利用して、英語学習を自身がどんどんつけていけば、当然教えるという際にも役に立つし、そもそも教えるための引き出しが増えるということです。
英語の歴史を勉強すると、直接それを生徒学生に教えるんじゃなくても、自分の中にストックがあるので、そこから必要なところだけ取り出して、効果的に効率よく生徒学生に英語を教える。英語の知識をこういう覚え方をするといいよであるとか、こういうふうに考えると納得いくでしょうというような言い方で、英語教育の際に活かせるということですね。
すべて使うわけではないけれども、必要なときに引き出してくる知識が多い方が先生というのがいいに決まってますので、その意味で英語教育に活かせる。
実際にこのボイシンのチャンネルも英語の先生にもよく聞いていただいているようだということもありますし、英語史はむしろ直接英語を学ぶ人よりも、英語を教えるという立場の人に多く有用な知識を提供してくれるという、そういう分野ではあると思うんですね。
これが2点目です。そして3点目。素朴な疑問に答えてくれるということです。このボイシンのチャンネルでも、そしてヘログ、ブログのほうでも非常に多く取り上げてるんですが、直接英語学習者から私が受け取った、寄せられた素朴な疑問にひたすら答えていくというようなことが一つの話題の探し方だと思います。
英語史の魅力
話題の探し方になってるんですね。そして多くの場合、必ずしもきれいに答えられるとは限らないんですが、その歴史的背景を説明するぐらいっていうのはできることがかなり多いんです。これは英語学であるとか言語学の他の分野よりも、おそらく英語史が得意とする分野だろうと思います。
すでにこのボイシンであるとか、ブログのほうでたくさん取り上げてきまして、ブログのほうへのリンク、素朴な疑問に答えたという、そういう記事を集めたところに飛べるように、このチャプターにリンクを貼っておきますので、そちらから見ていただければと思うんですが。
これ素朴な疑問って、長年英語を勉強していてもやもやっとしていた謎があるんですが、これがきれいに解かれる瞬間っていうのがあるんですね。これ英語史が得意とする分野なので、目から鱗が落ちるという言い方してもいいと思うんですが、とにかく知的好奇心が満たされるっていうことですね。
知的好奇心を満たすって、とっても学びにおいては重要なことでモチベーションが上がりますので、そしてその分かった瞬間のアハ体験といいますか、これもう感動もんですよね。これまい一種のエクスタシーだと思うんですよ。知的エクスタシーですね。これを届けられるっていうのが英語史の強みだと思うんです。
例えば三単元のs、なんでつくの?であるとか、どうして動詞には不規則活用、edをつけるんではなくて、ごえんとだったりですね、seeing、sangだったり、こんな変な活用があるの?とか、childの複数形はなんでchildsではなくてchildrenなんて変な形なの?とか、いわゆるそういう話ですよね。
その中でも私のお気に入りといいますか、このVoicyの第1回がそれなんですけれども、なぜa penなのにan appleなの?ということで、不定関詞aとanっていうのを英語では使い分けることになってるんですが、なんでこんなことになってるのかっていうことです。
これは私が2016年に出しました、研究者から出しました、英語のなぜに答える初めての英語史という本の冒頭でも使っている話題なんです。私にとってお気に入りのネタということなんですけれども、実際これいろんなところで様々な素朴な疑問を取り上げて、これがある意味一番すっきりと解けるって言いますかね、受ける話題なんです。
なので本を書いたときも、そしてこのVoicyを始めたときもその話題で出したということなんですけれども、まだ聞いてないという方は、ぜひこのHeldioの第1回、なぜa penなのにan appleなの?っていうのを聞いていただけるといいと思うんですね。
簡単に言いますと、一般に言われていることとは全く逆の理屈なんですね。一般に英語教育で言われているのは、aが基本なんだけれども、appleが付く場合にはappleと言いにくくなるので、nを挿入してan appleと。
こうすると滑らかな発音になるっていうことなんですが、英語指摘に言いますと全く逆っていうことなんですね。anが基本だと。これはoneが語源ですから、当然nがあるわけです。だからan appleが基本なんだけれども、次にpenのようなシーンで始まる場合にはnが押してa penになるという、つまり従来の説明とは全く逆になる。こういうことが英語史では非常に多いです。英語史は知的刺激を与えてくれます。
このあたりから英語史を学ぶということの価値のある側面、役に立つというよりは価値のある側面というところに徐々に踏み込んでいきたいと思うんですけれども、第4点目ですね。言語と歴史を合わせて考えられるという点です。
これはどういうことかと言いますと、一般に教育、小学校、中学校、高校と勉強してくる過程で英語化、英語っていうのがありますね。一方、社会化っていうのがあって、その中に日本史とか世界史っていう歴史があるわけですよ。これは2つ交わらない領域です。英語化っていうのと歴史化っていうのはですね。
同じ文系という括りかもしれませんが、基本的に平行線で交わることがない。この2つの教科が英語史では完全に交わるんですよ。接点がむしろ多すぎっていうことですね。この言葉の問題と歴史、一般には政治史とか社会史っていうことだと思うんですけどね。文化史とかこういったものが平行線ではなくて、実はクロスして絡み合ってるんだっていう気づき。
これを得られるんですね。高校までの普通の学びでは決してこの感覚をつかむことはできません。ですので、私は英語史っていうのは辞儀どおりにはもちろん英語の歴史ということなんですが、そうではない。英語と歴史なんだっていうことを常に言い続けてるんですね。
この2つの普通はですね、結びつかないもの、あるいは結びつけられないものって言いますかね。意図的には結びつけられないものをあえて結びつけようとするっていうのが英語史の新しさであり、面白さなんだということを言い続けています。この2つを組み合わせたことって大体ないと思うんですよ。
ですからありそうでなかった2つの領域のマリアージュということなんですね。組み合わせたことで滲み出てくる面白さって言いますか知的興奮と言いますかね。知的萌えというものがあるんです。これは英語史を学んでみないとわからないですね。
学ぶと何のことかよくわかる。歴史的な事件が言語に影響を及ぼし、そして言語が変わることによって社会も変わり、場合によってはそれが原因となって歴史が動いていくというような相互関係ですね。これがですね、面白い。この両者が絡み合う感覚って言うんですかね。
これはおそらく英語史以外にはなかなか接する機会ないんじゃないかと思うんですよ。もちろん日本語史というのも同じような方向性を持っているわけなんですけれども、母語なので近すぎてちょっとわかりにくいことが書いてあるんですね。英語って母語でない人が多いと思うんですけれども。客観的に見られるというところがポイントで、なかなか面白い位置取りにあるんですね。
この歴史と言語を絡める際には、なかなか英語というのは使い手があるというふうに考えています。次に第5点目ですけれども、発想としての通じてき視点が身につくということです。通じてきというのは、時間に沿って物事を見るっていうことですね。
言葉の不思議と楽しさ
木で言えば木の成長をずっと見守る観察日記をつけるっていうような時間とともにその成長を見守る変化を観察するっていうことです。それに対して共じてきと言いますけれども、共じてきっていうのは時間をある一点で切ります。木の観察で言えば、幹を横切り輪切りにしてその年輪をじっくりと眺める、観察する、研究するって感じです。
それでも木の成長についていろんなことがわかるわけなんですけれども、あくまで時間は止めているっていうことですね。物の見方には2つ時間という観点から通じてきというのと共じてきっていうのがあります。これどちらが良い悪いではなくて見方の問題です。必ず物事には通じてきな視点と共じてきな視点があるっていうことです。
そしてより難しい方というかより慣れていないのは通じてき視点です。私たちは今あるものについてはいろいろと観察する目に見えますし、互換で感じることはできるんですが、過ぎ去ってしまったことっていうのは今感じることはできませんし、さらに将来未来のことっていうのは予想することしかできないっていうことで直接観察できません。
ですから同じ観察するにも通じてきに観察するって手間がかかるんですよ。なのでこれをする人っていうのが圧倒的に少数派です。通じてきな視点で物を見る習慣がついている人っていうのはですね、非常に少ないってことです。ということは少数派なので新鮮なことオリジナルなことあるいは普通の人が考えないことっていうのを言えるんですよ。
この視点を身につけると。つまり大多数の人にとってあっと驚くようなことを言いやすいんです。これオリジナリティが求められる今後ですね。とても大事なポイントだと思ってるんですけれども、先ほどのあとあんの話不定関心の話題でも通じてきな視点を取ることで見方が逆転しましたよね。あれです。
一種の発想法と捉えていいと思います。通じてきな見方。だいたい逆になるっていうことが多いんですね。常にではないですが、一般的な、つまり共持的に多くの人が見ている見方と反対になることが多いです。そしてこのコツと言いますか、極意みたいのを知ってしまうとですね、楽しくてやめられないっていうことになります。
そして重要なのは、そのように新たな通じてきな視点を得た。これは素晴らしいことなんですが、そうすることによって、共持と通じという2つの見方を手にすることにもなるんですね。自由に切り替えが利くようになるということがあると思います。
ある意味で多数派の人が見ている世界観とか人生観みたいなものとは、逆の裏の見方に切り替えるっていうことがおそらくやりやすくなるっていうことですね。ですので、新しいものの見方を得るということにつながるっていうことです。
言葉の話だけではなくてですね、やはり通じてきあるいは歴史的な見方ができるっていう人はですね、強いですね。圧倒的に物事の見方が立体的になるんで。平面の世界に住んでいる人を上から見下ろすと言いますかね。ある意味そういうことも可能になるんだろうと思います。もちろんこれ訓練と勉強っていうのが必要になってくるわけなんですが、私も最中なわけなんですが。
明らかにですね、これ物の見方としてどっちも重要なんです。教授と通じですが、多くの人は通じの方を無視してしまう。半分を無視してしまうんです。ですから、この無視された半分というのを補うことによって物の見方は絶対に豊かになるはずなんですね。これが英語史で磨くことができるっていうことです。
6番目、言葉をフラットに見られるようになるということです。これは何のことかと言いますと、母語も外国語も相対的に見ることができる、相対視できるんですね。もちろん上手なのは母語で英語であるとか、その他外国語を学んでもですね、うまくは扱えないっていうことの方が多いと思うんですけれども。
それでもですね、言葉って結局どの言語も同じようなもんだなっていうこともまた分かってくるんですね。日本語と英語、いろいろ違う。例えばLとRというのが英語では分けるけれども、日本語では分けないっていうことになっていますが、英語の歴史見ているとですね、LとRが混乱してるなんていうことはですね、しょっちゅうあるんです。なので日本語と同じじゃないかという言い方もできる。
さらに昔の言語と現在の言語っていうのは常に比べることになりますよね。言葉の歴史を勉強するっていうことはですね。なので、昔と今とで今のほうが優れてるかっていうと、そうでもないっていうことが分かってくるんですね。
現在では例えば英語SVOみたいに語順が固定していますが、1000年前には全く語順は今ほど固く決まってなかった。比較的自由だったっていうこともあります。ですので今の英語っていうのは世界的な権威のある言語ということで偉い言語なわけなんですけれども。
日本語はそれに対して劣っているかっていうと、そんなことがないっていうのも分かるし、一方英語の古い姿を見てみるとですね、実は権威のある言語どころかイングランド一国の国語ですらなかった時期があったということも分かったりして、結局相対的なもの。
今この社会、世界において英語は偉い言語っていうことになってるけれども、それは仮の姿だろうと、一時的な姿だろうっていうような感じにもなってくるんですね。片肘張らずに英語と付き合えるっていうことになります。最後の第7点目になります。言葉の不思議と魅力に気付くということですね。
言葉の歴史っていうのは、言葉に関する話題の方向です。今の例えば英語だけ見ているのが1だとするとですね、歴史も含めて英語という言語の様々な語法であるとか表現であるとかはですね、1どころか10とか100っていうことなんですね。
言葉の豊かさであるとか、あるいは不思議さとか魅力というようなものに気付く機会が圧倒的に多くなるんですね。言葉で遊べるっていうことです。それくらい面白いものであれば、当然言葉を大事にしたいっていう気持ちにもなります。これは英語だけでなく母語についてもですね。
そしてこんな言葉というものを扱っている人間、人類っていうのはすごいなという、ただただ簡単するようなですね、そんな気持ちになりますね。言葉って日常的に使っているものですよね。なので、この言葉に面白みを見つけることができると、言葉を楽しめるっていうことは、要するに日常生活が楽しいってことなんですよ。
私、見るもの聞くものっていうのは全て言葉なわけですけれども、日本語にしても英語にしてもですね、全てがネタになるというようなことなんですね。日々付き合っていくもの、毎秒毎秒ある意味起きてる間付き合っていくようなものなので、ここに面白みを見出せると毎日ハッピーだなということなんですね。これは言葉への愛っていうのが言葉の歴史を学ぶと一層育まれますね。
さて、7つのですね、英語史を学ぶことの役に立つ側面、それから価値のある側面ということでお話ししてきました。この7つ最後に復習しておきたいと思います。
1、英語学習に生かせる。2、英語教育に生かせる。3、素朴な疑問に答えてくれる。過去、知的好奇心が満たされる。4、言語と歴史を合わせて考えられる。5、発想法としての通じてき視点が身につく。
英語史の学び
これ私一押しのポイントです。6、言葉をフラットに見られるようになる。7、言葉の不思議と魅力に気づくということなんですけれども、結局ですね、英語史、私にとってのということではありますが、英語史っていうのは言葉との新しい付き合い方であり、
ものの新しい見方を提案してくれるものであるということなんです。言葉との新しい付き合い方は、私もですね、後半のものの新しい見方というのは、ある種の世界観とか人生観っていうことなんで、かなり大きなことを言ってしまった気が今するんですけれども、これただ私自身は本当に信じてるんですね。
このものの新しい見方ということで、これ当然ですね、英語史を通じてでなくても様々な方法で得られる。他にそこにたどり着く方法でいくらでもあるとは思うんですが、少なくとも私がこれを伝えられるのは英語史を通じてのみなんですね。英語史をずっと研究してきて、それで気づいたっていうことなんで、この経路を通じてしかですね、お話しできない。
っていうことです。なので、他にも新しいものの見方というのはですね、いくらでも得る方法っていうのはあると思うんですが、私が伝えられる方法はこの英語史を通じてしかないっていうことなんですね。これが私が今も英語史を学び続けている理由ですし、そしてこのヘルディオであるとかブログのヘログを続けている理由、そして続けられている理由でもあるんだと思います。
そして今日の放送でずっと話してきたことはですね、信じていたことではありますが、このVoicyでの放送を1年、2ヶ月ほど前に始めて、信じているというよりも、さらに確信するようになりました。
これは本当にですね、リスナーの皆さんの反応のおかげだと思っています。こちらで気づかないところであるとか、足りないところというのをですね、指摘していただいたり、コメントや質問という形で問い合わせていただいたりして、それに対して反応するというようなコミュニケーションが、ここ数ヶ月で取り分けなんですけれども活発になってきていました。
私もですね、ますます楽しく面白くお話しできるようになってきていると思いますし、聞いている皆さんも同じように感じていただいていればいいなというふうに思っています。
このVoicyで声でお届けするというのは、ブログで文章を書くのともまた違って、それからYouTubeのようなものでですね、ビジュアルにお話しするのとは違って、声だけだと熱くなりがちですね。今日も熱く長くなってしまったんですけれども、ご容赦ください。
併せてですね、414回の放送なんですけれども、声でも英語誌の話題を広く長くお届けしたい。私がVoicyを始めた理由のような回もありましたし、それから431回ですが、ヘログ英語誌ブログをやめることができません。
最後にお話ししたようなですね、この英語誌で私が伝えたいと思っていることについての放送も何回かお送りしていますので、そちらも併せてお聞きいただければと思います。長い放送でしたけれども、今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
このチャンネル英語の語源がミニスクラジオヘルディオでは、あなたのご意見ご感想ご質問をお待ちしています。チャンネルで取り上げてほしいトピックなども歓迎です。Voicyのコメント機能あるいはチャンネルプロフィールにリンクを貼っています。専用フォームを通じてお寄せください。
とりわけ今日最後にお話ししましたように、皆さんからのコメントであるとか質問のようなエネルギーを受け取って、私がお返ししているというような形でやりとりが続き、そして1年2ヶ月何とかかんとかですけれども、常に話題にはですね、話題欠乏症になりつつも毎日続けられたのも一重に皆さんのおかげです。
今回の放送につきましてもコメント、質問等、ぜひぜひお寄せいただければと思います。そしてこれからもですね、英語詞、今日言ったような意味で役に立つあるいは価値があるということです。英語詞を学ぶとこんなに良いことがあるということでお伝えしました。
それでは今日も良い1日になりますように、ほったりうちがお届けしました。また明日。
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