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この番組は、言語大好きで英語嫌いな私、ソウイチが、英語への悪口を垂れ流しながら、
言語についていろいろなことを考えていく、ポッドキャストプログラムになっています。
番組内で登場する英語への悪口は、全て私の個人的な見解ですので、どうぞご了承ください。
はい、どうもこんにちは。エイゴサーチの時間でございます。
ちょっと風邪をひいてしまいまして、喉をだいぶ痛めてしまったので、
ちょっとお休みをいただいたりしてたんですけど、
だいぶ良くなってはきたんですけど、ちょっとまだお聞き苦しいところがあるかと思いますが、どうぞご了承ください。
さて今日はですね、ネットでよく見かける、都市伝説的なやつの話をしていこうと思うんですけど、
皆さん夏目漱石ってご存知ですかね?知ってますよね?
ぼっちゃんとか、我輩は猫であるとかで有名な明治時代の文豪です。
彼の有名な逸話としてよく引き合いに出されるのが、
夏目漱石が英語教師をやってた頃に、学生がI love youを訳そうとして、
我、汝を愛す、みたいなことを書いてたら、夏目漱石がね、その人を叱りつけて、
日本人はそんな風にね、直接的なことは言うもんじゃないんだと、もっと奥ゆかしく言うもんなんだと、
月が綺麗ですねとでも訳しておきなさいと言ったっていう話がね、まあ伝わってるんですけど。
これって、いわゆる後世の創作なんですけど、もうなんかあまりにも有名になりすぎちゃって、
ほぼほぼ事実みたいな扱いを受けてるのが僕すごく嫌で、
今日はもう夏目漱石は月が綺麗ですよなんて言ってないよっていうことを、とにかく言っていこうと思っています。
まずなんですけど、これ英語教師であった夏目漱石が、我、汝を愛す、だなんて、
そういう直接的なことを日本人は言うもんじゃない、日本人はもっと奥ゆかしくね、
こう言うもんなんだ、風に言ったっていう文脈で語られるんですけど、
それが文学ならまあ仕方ないにせよ、文学としてアイラブユーを月が綺麗ですねと訳すのは、
まあありかもしれないんですけど、物語のその舞台が英語の時間、学校の英語の授業ということで、
英語の授業として、英語の翻訳としては完全なる間違いじゃないですか。
それを夏目漱石が言ったっていうことにすることが、もう夏目漱石の既に侮辱なんじゃないかと思うんですよね。
日本人はそんな直接的な表現はしないなんてことも、そんなことは全然なくて、
例えば平安時代の和歌とか見ると、もっとすごく情熱的に直接的に愛を語るような和歌っていうのはたくさんあるわけで、
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日本人はもっと奥ゆかしいものなんだみたいに言うのって、やっぱりちょっと言い過ぎなような気がするんですよね。
さて言うたらこのデマがどうして広まっていったのかっていうのはちょっと今一つわからないので、手元の便利な機会で調べてみたんですよ。
そしたら国語学者の飯間博明さんという有名なツイッターでよく書いてらっしゃる方が、
1970年代後半の小田島雄志さんという方のエッセイに登場するエピソードなんですね。
これエッセイの中で塚光平のセリフとして、夏目漱石がこういうふうに言ってたらしいんですけどねっていう話から始まってるみたいです。
ただこの時出てた話では夏目漱石はアイラブユーをなんと訳したかっていうと、月がとっても青いからと訳したっていう話になってるんですね。
月がとっても青いからというのは、もっと昔1950年代に大ヒットした歌謡曲のタイトルなんですよ。
この時点で結構もう創作臭いんですけど、ここからだんだんこう月が綺麗ですねに変化していったんじゃないかっていうことが書いてありました。
1970年代。
調べてみますと、ここの70年代から先、月がとっても青いから以降、夏目漱石がそんな風に訳したらしいっていう話はどんどんいろんな作家が書くようになります。
例えば、月が綺麗ですねと訳さなきゃいけないといったとか、
あるいは、月が青いですねと訳させたとか、月が青いからと訳すんだといったとか、月が青いなぁ、月がとっても綺麗だね、星がとっても綺麗だね、なんていうふうなことをね、書かれてるんですよ。
ちなみに、それに対して双葉亭氏名は同じ文章を、私死んでもいいわと訳したっていう話もあります。
これはね、明らかに出典が確認できていて、これはロシア文学のツルゲーネフが書いたアーシャ、日本語では片恋と訳された作品の中で、主人公のアーシャちゃんが、
主人公のアーシャちゃんが、わーしゅ、あなたのものよって言った。私はもうあなたのものよっていうのを、もう死んでもいいわと双葉亭氏名が訳したっていう文章ですね。
私がもうあなたのものっていうこと、それ自体も結構既にだいぶ奥ゆかしい表現だと思うんですけど、それをさらに死んでもいいわっていう、
奥ゆかしくもちょっと情熱的な翻訳にしたっていうのが双葉亭氏名の凄さだと思うんですけど、これはねまた全然、I love youとは全く関係ない文章になります。
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この死んでもいいと訳したのが、よさの秋子だっていう話もあったりなかったりするみたいです。
さて、夏目漱石に戻りますが、夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳したっていう、この大元の話が1970年代の文章にあるとしたら、これも既に伝聞の形になっているので、さらに昔の話があったはずなんですよね。
それをちょっと探してみたんですけど、実は英語のI love youって日本語にはなかなか訳しづらいよねーなんていう話は、
70年代以前にも、いい月ですねとか月が綺麗ですねではないにしても、そういう言葉は訳すのが難しいですみたいな話が結構出てきます。
特に注目したいのは、漱石文庫という夏目漱石が書いたメモの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、I love youは日本にはなきフォーミュラなりと書いているメモがあるんですね。
おそらく漱石とI love youの話は、超大元のネタは多分ここから来ていて、漱石はどうやらI love youっていうのをうまく訳せないっていうふうに言ってたらしいっていう話と、
それからI love youを月がどうのみたいなことを誰かが言ったらしいみたいなのが、合わさって今みたいな話になってるんだと思います。
結局のところ、夏目漱石自身がI love youはうまく日本語には訳せないよねって話をして、その話がよく知られるようになって、
じゃあ日本人はなんていうふうに言うのってなった時に、大体日本人はいい月ですねとか、月が海が綺麗ですねとか、そういうことを言うようだ、言うらしいみたいな話になって、
そこからだんだん話が具体的に肉付けされていって、元ネタにあった夏目漱石の名前も合わさったりして、
どうやら夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳したっていう話が出来上がったっていう、そういう感じなんだと思います。
この話がもう本当に人口に感謝しすぎてしまって、私はもう普通に綺麗な月をめでるっていうことがもう日本人はできなくなっているんじゃないかと思うんですよね。
だって月を見て、月が綺麗ですねって言ったら、もうそれがさ、え?月が綺麗ですねってことは?みたいになっちゃうじゃないですか。
そういうのがすごくね、嫌なんですよね。で、そういうことを知ってると、教養があるみたいな空気が出るじゃないですか。
なんかこう、夏目漱石だし、なんかちょっとこうみやびな感じだし、夏目漱石はI love youを月が綺麗ですねと訳したっていうことを知ってるって、なんかちょっと教養ありそうな感じじゃないですか。
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別に教養でもなんでもなくて、ただのデマなのに、なんかこれを知ってることによって、ちょっと教養がある人?みたいなフリをしてくるのもすごくムカつくのですよ。
そんな感じで、月が綺麗だとしても、月が綺麗ですねって普通に言っていいと思うし、それを変なふうに曲解するのはもうやめていただきたいなって思います。
というわけで、今日のお話は以上です。どうもありがとうございました。