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2022-09-29 17:15

【詩吟ch】賛否両論?詩吟の流派を越えることは出来るのか?<武野の晴月>

武野の晴月 / 林羅山
武陵の秋色 月嬋娟
曠野平原 晴れて快然
青青を輾破し 轍迹無く
一輪千里 草天に連なる

#詩吟 #漢詩
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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、分かりやすくザックバランにお話ししていくチャンネルです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日は子供のために休みをとって、健診に連れて行ったりしたんですけれども、なかなか今日は大変だったようで、とにかく奥さんの愚痴を聞くことに専念しました。
こういう日も大事にするというか、奥さんいつも本当にお疲れ様だなと思って。
子供ももともと3キロぐらいだったのが4キロ過ぎてきた感じで、だんだんと重みが感じてきて嬉しいなと思っている今日この頃です。
本題に移りますけれども、今日は賛否両論あっても全然いいかなと思っているんですけれども、
流派の違う、詩吟の流派の違う人に僕がどうやったら教えられるのかなと。
全然頭、言葉がまとまってないんですけれども、流派の違いを超えられるかどうかっていうところですね。
そういう内容をちょっとお話ししていこうと思います。
だいぶ今考えながら、悩みながら話しているので、ちょっと脈絡のないところもあったり、整理つかなかったり、
あとは人によって多分賛成反対あると思いますので、どうかご容赦ください。
僕は今オンライン上で詩吟を教えるというとちょっとおこがましいのでアドバイスさせていただいているんですけれども、
特に何々流じゃないとダメですとか、そんなことは僕一切言ってないです。
あと僕も普段の発信では何々流です。聞いたらすぐ分かるんですけれども、あえて言っていないです。
これは一つはしがらみを僕は極力なくしたいっていうのがあってですね、何々流の誰々さんが発信してるらしいよみたいなそういうのめんどくさいんでそれはあります。
ただもう一つはですね、詩吟人口がどんどん減っていく中で、さらに流派の違いがどうとかっていうのは正直僕はどうでもいいと思っている人間なんですね。
むしろ詩吟自体を盛り上げていくためには一致団結じゃないですけれども、やはり詩吟を楽しんでいる人はですね、そんな流派とかいいからまず楽しんで、
それからこだわりの流派があるならそれはやればいいですしというふうに思っているので、僕は基本的に流派は全然気にしておりません。
ただですね、そういう風にアドバイスしていく中でやはりどうしてもこの流派の壁というものが生じてきてしまいます。
僕が今までやってきた、学んできた吟の仕方に比べて吟じ方がすごい違いがある場合ですね。
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そういう時に僕は一体どこまでアドバイスできるのかなっていうところを今悩んでいて、その垣根を超えられるのだろうかと今実際に悩んでいるところです。
ただですね、自分の中では結論は一個あって超えられると信じています。
超えたいというふうに思っているし、実際に超えられるんじゃないかとも思っております。
そこをなんとか喋って言語化して自分の中でも落とし込みたいなと思っておりますので、どうかお付き合いください。
詩吟はですね、詩を吟じるっていうのは何々流であろうと変わらないんですよね。
詩を吟じるっていうのはなぜ吟じるのか?それは人に伝えたいからだと思うんですよね。
自分自身に伝えたいからっていうのもありますけれども、それも含めて人に伝えたいから吟じるんですね。
この詩の素晴らしさを良さを伝えたい、もしくはそれを自分に伝えて体感したいとかですね。
多分それがやっぱり一番の目的なんだと思います。
じゃあ、ただ伝えたいって言ってもですね、自分が好き放題やってればいいのかじゃないんですよね。
どうやったら相手にうまく伝えたいことが伝わるのか、それをもちろん考えるんですよ。
その考えた結果、多分いろんな流派に分かれているんじゃないかなと僕は勝手に思っております。
だから人によっては、このメロディーを伴奏に合わせてしっかり、伴奏としっかり合った弦がやはり人の心を震わすんだよっていう風な考え方もあるでしょうし、
伴奏とか吟んだ力強さこそが大事なんだとかですね。
それよりも、もっと勢いだ。全てが勢いだとかですね。
もう全力でやり切ることにこそ意味があるとかですね。
ここの間合いはできるだけ短くする方がいいとか、そういうのも多分いろいろあると思うんですよ。
僕もそんな流派詳しくは全然詳しくはないんであんまり言えないんですけれども。
全てはどこから来ているかと考えると、人にその詩の素晴らしさをどうやったら伝えられるのか。
その詩を聴いてですね、その詩の条件が相手に浮かんだり、感動させたり、何か行動に移させたり。
多分そうさせたいがためのいろんな試行錯誤はですね。
それが多分いろんな流派に考え方に分かれて、流派に分かれていってるんじゃないかなと思うわけですよ。
なので抑えるべきところはですね、それが果たして聴いている人にどれだけ響くのかということですね。
そこを抑えることができれば、流派とか関係なしにですね。
僕は人にアドバイスもできるかなと思いますし、そういう細かい違いはですね、あんまり気にしなくていいんじゃないかなと思っています。
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ただ本当そうなんですよ。流派の違いは僕はもうある意味、ただの多様性だな、個性かなっていうふうに思ってるんですね。
伝えたいことがちゃんとあれば、核が備わっていれば、そこから先の表現方法の違いっていうのは、
もう個性なんじゃないかなって思うわけですよ。
カラオケとか歌ってもですね、それを好きなように自分に投水して歌う人もそれも素晴らしいですし、
相手に聴かせるためにとか、全力で歌う人もいればですね、やっぱそれも個性だしいいかなと思うので。
そう、ちょっとまどろくしくなりましたけれども、やっぱりそういう意味でアドバイスできるかなと思います。
具体的に何をアドバイスしようかなと思うんですけれども、これは僕が常々話しているんですが、
一つは音程なんです。音程。ここは外せないかなって思います。
特にコト、現代人、現代に生きている人にとってですね、音程があまりにぐちゃぐちゃなものを人は聞いていて心地いいかどうかですね。
ただその音程のズレに意味があるのであれば、それは多分それも表現方法の一つとしてありだと思います。
ただ、流派が違っていようと基準の音っていうのは必ずあって、その基準があるからそれに合わせて節回しでいろんな音を表現することができる。
安心して聴くことができるんですね。基準になる音がブレブレだったらどんなに表現しようとそれはやっぱブレてしまうので、
基準の音が本当に正しく取れているのかどうかですね、これが流派関係なく僕はアドバイスできるところかなと思います。
そして2つ目。2つ目は言葉ですね、言葉。言葉がちゃんと聞き取れるかどうかですね。聞き取れるかどうか。
詩を伝えるのに言葉がぐにゃぐにゃだったらそれは絶対伝わらないんですよ。
どんなに美しい銀をどんなに美しい声で美しい節回しで表現したところで何を言ってるのかわからなかったら何を言ってるのかわからないんですよ。
だからですね、ちゃんと正しい発音、発声で言葉が相手にしっかりと聞き取れること、聞きやすいこと。
多分そういったところもどんな流派であろうと間違いないんじゃないかなと思います。
でもまあ強く言えるのは間違いないと思って僕は自信を持ってアドバイスできるのはやっぱここになるのかなと思います。
あとはですね、テンポとか。テンポとか間の取り方はこればっかりはまあちょっと難しいかもしれないですね。
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やっつき場に言う方が伝わるんだっていう流派もあるかもしれないですから。
まあそこばっかりはあまり踏み込みすぎないようにしようかなと思っております。
そうですね、テンポはまあそれはそうだし、あとは節回しもですね節回しもいやここは絶対こういうふうに表現するんだとかは僕は全然思わないです。
むしろ全然違うのを聞いたらですね、こういうのもあるんだ面白いなというふうに僕の中の引き出しとしてですね、勝手にいただくと。
市議員普段やってる時にちょっとアレンジを加える時にそれを使わせてもらうとかですね、そういうので全然いいんじゃないかなとかって思っております。
そうなんですよ。だからまあ節回しとか間の取り方、アクセントはちょっと悩みどころですね、アクセントはちょっと悩みどころですけれども、
まあこれはですね、言葉が伝わるっていうのとアクセントが正しいっていうのはですね、ちょっと厳密にイコールではないのかなと思います。
アクセントなしでも伝わるっていう言葉はやっぱなくはないので、まあ難しいですね、より正しくアナウンサーばりの美しい言葉でっていう僕は結構基本的に言ってるんですけれども、
まあそこはちょっとまあいいかなっていうふうに思ってます。僕の中の勝手なバランス感覚ですね。
ということで、ちょっとだらだら長くなってしまったらキリがないので、そろそろまとめさせていこうかなと思うんですけれども、
詩吟の流派は僕は全然気にしていないです。なぜなら詩吟を通じてやりたいことっていうのはきっと共通していると僕は信じているからですね。
それは相手を感動させること、詩を通じて相手の心を打つこと、何か行動に移させること、いろんな思いに吹けさせること、その相手っていうのは自分自身でもあってもいいと思うんですね。
そのために音程、基準となる音をしっかりと正確に出すということ、多分これは必要であるし、言葉がハキハキとしっかりと聞き取れること、
ここがこの2つが間違いないのかなと思っております。なので僕もアドバイスしていく際にはどんだけ流派が違おうと、ここばっかりは自信を持ってビシバシとやっていこうと思います。
あとはどれだけメロディーを重視するのか、アクセントを重視しないのかとかですね、そこら辺はその流派をできるだけ尊重して個性を尊重しつつやっていけばきっとできるんじゃないかなと。
流派関係なしに僕も受け止めることができるんじゃないかなと思っております。
なのでですね、この平平さんの詩吟全然私の流派と関係ないわっていうふうに知り込みしている方がいらっしゃったらですね、全然気にせずに質問とかアドバイスとか考えとかもぶつけてもらえればいいかなと思っております。
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よし、自分で喋りながらだいぶ頭が整理できたので、流派関係なく詩吟を好きなんだ、楽しいんだ、もっと頑張りたいんだ、生涯にわたってじっくり遊びたいんだとかですね、楽しみたいんだ、そういう人たちをもっともっと応援してあげて、僕自身も生涯にわたって楽しめるようなものにしていきたいなと思います。
結構喋っちゃいましたね。では後半一つ言じていきます。
今日は9月29日、まだギリギリ9月ですね。
じゃあまだ引き続きしつこいですが、もうお月様のやつはまだまだいきますよ。
こちらですね、これも僕過去に何回か言ったことあるかもしれないんですけれども、
林ラザン作 舞屋の聖月ですね。
舞僚の修飾 月戦堅 荒野平原 晴れて改善 聖々陽転発し 鉄石なく 一輪千里 草天に連なる
武蔵野の原野の秋の景色はまことに素晴らしい。
月があでやかに美しく輝き渡り、野原はどこまでも遠く平らかに広がっていってまことに気持ちがいい。
それは草の緑がどこまでも敷き散らねて、車の輪立ちの跡もなく、車といえばただ一つ、
このまんまるのお月様が空高く千里の彼方に輝いていて、その光を受けてこの草原が遠い大空と一続きになっているのである。
こういう自然描写は大好きですね。本当に大好きなんですよ。
どこまでも遠く、自分の声が遠くまで飛ばしたい、気持ちよく飛ばしたいっていうのとこの詩がものすごくマッチするんですね。
星々を転発し徹底なく、一輪千里草天に連なる。
本当に声を出していてスカーッとするような感じなので、秋の満月の時はですね、やっぱりこれは本当に欠かせないなと思います。
ではこちらを弦辞で終わっていきますね。
舞屋の聖月 林羅山
無料の就職月
千金荒野
永遠晴れて
15:04
改善
星々を転発し徹底なく
一輪千里草天に連なる
気持ちいいですね。車の中で弦辞手はいるんですけれども、目線は50m、100mぐらい先を想像してそこを見据えて弦辞るわけなんですよ。
どこまでも遠くに行ってほしい。むしろあそこのまんまるのお月さままで、別に何も見えてないんですけど、まんまるのお月さままで遠くまで声が飛んでいってほしいなみたいな。
ただそれだけの気持ちで弦辞た詩になります。
だからあんまり細かいことはそんな気にしてないんですけれども、やっぱこういうのはですね、前仙台に住んでいたときに、夜の青葉城市で満月が綺麗なときに、これを弦辞たらめちゃくちゃ気持ちいいんでしょうね。
その時は弦辞たか忘れましたけど。
こういう詩も楽しいですね。
ということで今日はこれぐらいにしておきます。ちょっとしゃべりすぎましたね。
ではでは引き続きリクエスト、アドバイス、質問、疑問、いくらでもいただければ嬉しいです。
詩吟のミルクを発信する詩吟チャンネルどうもありがとうございました。バイバイ。
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