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2024-08-07 12:17

#020_愛について偉そうに語る回

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#高校 #国語 #教員 #読書 #声日記

▼愛とためらいの哲学 (PHP新書) https://amzn.asia/d/9TRqZ2S

 

 

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どうもお疲れ様です、いかです。この番組では、高校の国語科教諭をしている私、いかが、仕事のことや仕事以外のことを緩くおしゃべりしていきます。
今日は家に帰ってからは、晩御飯の後、本を読んでましたね。
愛とためらいの哲学、岸見一郎さんが書いた本です。PHPC書から出てます。
私、最近、Kindle Unlimitedというサービスに登録しまして、Kindleは皆さん使われている人も多いかなと思いますが、
本の形じゃなくて、電子で見れるやつですよね。
Unlimited、そこに登録されている本だったら、サブスクで定額でいくらでも読み放題ですよっていうサービスですね。
今私無料期間なので、これでもし良ければ、ずっと続けてみようかなと思います。
一発目に読んだのがね、ケンスーさんという方の物語思考っていう本だったんですけど、
まあ割とやっぱりKindleって使いやすくて、さらっとそれは読み終えて、次に読んだのがこの愛とためらいの哲学でしたね。
岸見さんといえば、言わずと知れた、嫌われる勇気の作者ですね。大ベストセラーですね。私も持ってました。
あそこに書かれているアドラー心理学は、結構わかりやすいし実践しやすいし、もうベストセラーになるのも納得ですよね。
全ての悩みは人間関係の悩みであるっていうような、まあこう、何でしょう潔い断言の仕方も、まあ納得感がありますよね。
まあそれはアドラーが言ったことであって、岸見さんはまあそれをまとめてくれてるわけですが、やはりまとめ方もこう上手というか、すごくわかりやすいですよね。
そんな岸見さんの書いた恋愛の話ですね。
まあ恋愛の話というか結局は愛の話なんですがね。
なぜあなたの愛は幸福をもたらさないのかという問いから始まって、まあ要は大切なのはいかに愛されるかではなく、いかに愛するかを学ぶことだと言ってるんですね。
まあ愛っていうのは能力で技術だと。
だから私たちはいかに人を愛したらいいのか、愛するべきなのか、まあアドラーとかフロムとかミッキー生とか多くの賢人たちの知恵を書いてますね。
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手がかりにこの岸見さんも独自の視点も踏まえながら書き進められているような恋愛論、愛の話ですね。
まあこれもやはりさすが岸見さんわかりやすくてですね。
てかつ具体例も多いので、まあ想像もしやすくて、結構ちゃちゃっとというかサラサラと読み終えられましたね。
で、えーと、まあすごい納得感のある部分多かったんですけど、フロムの愛するということという本も結構この中で引用されてまして、
で私このフロムの愛するということを読んだ時のことも結構覚えてて、
でそういえば読書メモじゃないんですけど、なんかそれを踏まえて書いた文章があったなぁと思って遡ってたんですよ。
そしたら見つけて、えっとね、去年、2023年8月に書いたメモで、なんかね美術館に行った時の文章だったんですよ。
美術館で愛をテーマにした展示がされてて、でそれを見ていろんなこう自分の経験とかいろんな作品とかを踏まえてなんかメモを残しててね。
で今回はちょっと恥ずかしげもなくそれを読み上げようかなと思っています。
というのも、まあこれ自分の記録でもあるので、まあいいやということで恥ずかしげもなくね、読んでいこうかなと思います。
今回のこの愛とためらいの哲学を読んで、そういえばこれも思い出したなという繋がりという意味でね。
はい、では読んでいきたいと思います。
2023年8月23日。
悠久をとって丸々ちゃんと京セラ美術館へ。
ルーブル美術館展、愛を描く。
愛をテーマに選ばれた73点の西洋画を堪能してきた。
ギリシャ・ローマ神話を題材とする神話画に登場する神々やアモルは表情豊かで、
三島光の音声ガイドも相まってなんだかチャーミングだった。
一方、キリスト教の宗教画はもっと幻覚というか、信者たちに示される主題がはっきりとしている印象だった。
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時代や場所や宗教、また個人によって愛の形は様々だなぁと、
コナミ館満載の感想でその日は終わったんだけど、もう少しだけ考えてみる。
夏休みの楽しみの一つにバチェラーがあった。
毎回とても見ごたえがあって、職場でも多くの同僚と感想を言い合った。
ここでは愛という言葉がよく使われる。
使われすぎていて正直陳腐にも感じられる。
あの人たちは普段生活している中で、
ああ、私は今まさに愛を受けている、そして与えている、と心の中で思ったり口に出したりするんだろうか。
そういうもんなんだろうか。
私が西山真央さんにこういう感を抱いたのは、
そういうメッキみたいな言葉を使っていなかったからなのかなと今になって思う。
映画ちょっと思い出しただけでは次のようなセリフがあった。
どの道愛なんて逃げ道なんだから。だからいいの。みんなそんな強くないんだから。
誰かが誰かを思って信じ合って。
人と人とをつなぐのは気持ちとか思いとか。
言葉にしたらすぐに壊れるよ。
言葉は本来言葉にできないはずの複雑で重みを持った美しい何かを無理やりまとめることによって、
単純で軽薄で陳腐なものへと変えてしまう。
それでも言葉にしなければ生きてゆけないんだから人間は愚かだよなと途方に暮れる。
愛するということを読んでいる。
読み刺しのまま夏休みを終えてしまった。
フロムは愛や愛するということ、そしてその技術について複数の観点から様々な言葉を使って説明している。
その中に愛とは愛を生む力であり、愛せなければ愛を生むことはできないと述べている部分があるんだけど、
その上でマルクス経済学哲学創行より次の言葉を引用している。
人間を人間とみなし、世界に対する人間の関係を人間的な関係とみなせば、
愛は愛としか、信頼は信頼としか交換できない。
その他も同様だ。
芸術を楽しみたければ、芸術について学んだ人間でなければならない。
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人々に影響を及ぼしたいと思うなら、実際に他の人々を本当に刺激し、影響を与えられるような人間でなければならない。
人間や自然に対する君の関わり方はすべて、自分の意思の対象にとってふさわしい、君の現実の、個人としての、性の明確な表出でなければならない。
もし人を愛しても、その人の心に愛が生まれなかったとしたら、つまり自分の愛が愛を生まないようなものだったら、
また愛する者としての性の表出によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である。
難易度高い上に救いがないなぁと思う。
結局普通に暮らしている中で、愛を的確に捉えている人なんてほとんどいなくて、捉えていたとしても人それぞれで、正解とかはなくて。
言葉として暴力的に簡素化して表出すると、それはもう原型を留めていない。
交換しようとして与え続けても、それが10日で帰ってくることは保証されない。
永遠のようでもあり、刹那のようでもあり、繋がりを感じるものであり、また孤独を感じるものでもある。
人はこの困った代物をどう扱えばいいのか、その一つの答えが芸術なのかなぁと思う。
言葉では伝えきることのできない何かを、何とか表出する、あ、何とか表現する。
ある時は自分が神から与えられた愛を、ある時はわかる人にはわかるようメタファーを使って、
それが美術館というメディアを伝って、何百年後の私にまでその愛の一端が届いている。不思議。
こうして私が絵画について考えることで、その芸術家たちが救われるとは思わないけれど、
与えられた分くらいは返したっていいかなぁと、でもこんなに長文にしなくたっていいと書き終えてから反省する、いつも。
はい、以上が私のメモでした。
まぁ、今回のね、愛とためらいの哲学を読んで、
あ、そういえばこんなんがあったなぁと思って、ちょっと自分の中で関連づけて記憶をしまい込めたらと思ってこんな感じでやってみました。
読んでみるとちょっとお恥ずかしいことを書いておりますし、文章がちょっと文法的に変なところもあったし、
12:08
ちょっと拙いところもありましたが、何かしら感想があれば送っていただけるとありがたいです。
また、あの愛についてこういうコンテンツも見たり聞いたり読んだりしてもいいんじゃないというものがあれば是非ご紹介ください。
それでは今日はこれぐらいで終わりたいと思います。ありがとうございました。
12:17

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