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2025-04-01 14:38

#042 神学部卒による『教皇選挙』もんやりレビュー

神学部卒が『教皇選挙』を見たら。

言語好きな一般男性ソウイチが、英語やその他の言語に関するモヤモヤを「悪口」として吐き出しながら、言語についてあれこれ考えていくPodcastです。

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サマリー

このポッドキャストでは、教皇選挙のプロセスであるコンクラウェについて、神学部卒の視点からレビューされている。映画『コンクラウェ』を通じて、教皇の役職やキリスト教のヒエラルキー、数基協の役割が考察されており、教会の権威とその選出過程の複雑さが描かれている。教皇選挙を描いた映画では、主人公ローレンス・スーキー教が演説を通じて、信仰の疑いや多様性の重要性が強調されている。また、聖書の引用を交えながら、信者としての葛藤や疑念がテーマになっている。

コンクラウェの視点
この番組は、言語大好きで英語嫌いな私、ソウイチが、英語への悪口を垂れ流しながら、
言語についていろいろなことを考えていく、ポッドキャストプログラムになっています。
番組内で登場する英語への悪口は、全て私の個人的な見解ですので、どうぞご了承ください。
はい、どうもこんにちは、エイゴサーチのお時間でございます。
えーと、桜がいよいよ咲きましたけども、
なんか私、今年はなんか春っぽいことを全然してなくて、桜もなんか咲いたことは知ってるし、
あの桜が咲いてるところも一応確認は、この目で確認をしたんですけど、
花見らしい花見が、なんかちょっといろいろ時間がなくて、できてなくて、
で、今年の多分感じだと、もう来週まで桜持たないと思うんで、
今年は花見できずに終わるんだろうなーって思ってますが、ちょっと残念です。
えー、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
えっと、僕はですね、先週、あの映画をね、なんと2つも見てきたんですよ。
僕普段映画を見るっていう習慣が全然ないもので、
この映画見たいなーって例えば思ったとしても、結局なんか気づいたらもう公開終わってたみたいなことがすごく多くて、
まあ見れずに終わる。しかもなんかその後配信で例えば出たとしても、
配信に出てるのを見る気はあまりしなかったりするんですよね。
僕はあの、いまだにGreatest Showmanが見れてなくて、
それは公開中に行き忘れちゃって、その後配信もなんか見てなくて、
なんか見たいなーって思った時に配信ではやっておらず、
たまにアマプラに出てきた時にはなんか、まあやっぱり見る気がちょっとねーなーみたいになることが多くて、
タイミングが全然合わず、まだ見れてないんですよね。
みたいな感じで、ほんと映画をね、見るっていうことが普段ないんですよ。
なのに、今回1週間で2作品も見てきまして、その話をね、今回してみようと思います。
あの、コンクラウェ、えっと、強行選挙っていう映画を見てきました。
あの、最近ね、公開されてとっても、アカデミー賞も取ったとかですごい話題になっている映画です。
あの、僕大学の専攻が神学だったんですね。神学、神学と書いて神学ですね。
なので、まあいろんな知り合い、映画好きな知り合いから、
あ、セレブさん、セレブさんってあだ名で呼ばれてるんですけど、
セレブさんだったら神話性高いんじゃないの?みたいなことを言われて、
おすすめをいただいたので、これは見に行こうと思って行ったんですが、
まあね、とっても興味深くて、ちょっとね、大学の授業を聞いているような気持ちにもあったりして、
とっても良かったなぁと思ったので、まあ今日はね、ちょっとそのコンクラウェ、強行選挙の話を、
まあ、僕普段本当映画を見るっていう習慣がないから、映画を見慣れてもいないので、
その、数多いるね、映画系ポッドキャスターの方のようにはレビューはできないと思うんですけど、
ちょっとこう、進学を卒業した人間が見たコンクラウェっていうのはどういう感じだったかっていうのをね、
ちょっと話していけたらなと思います。
教皇の役割とヒエラルキー
ちなみにコンクラウェ見て面白かったら、白雪姫の実写版を見に行こうっていうことに決めまして、
コンクラウェすごく面白かったので、コンクラウェの翌々日に白雪姫見てきました。
なので、後でもうちょっと時間があったら、白雪姫の話もしようかなと思います。
コンクラウェ、強行選挙ですね。イタリア語ではコンクラウェ、英語だったらコンクレイフ。
強行選挙、強行を選ぶ選挙の話です。
強行が、強行っていうのは基本的には終身、もしくは自分で辞めますって言って辞めるまでが人気なんですけど、
その全強行がなくなりまして、急いで新しい強行を選ぶコンクラウェ選挙をやろうっていうことになりまして、
主席数基協っていうね、いわばナンバー2ですよね。
教会組織のナンバー2的な存在のトマス・ローレンス数基協がですね、中心になってコンクラウェを進めていきます。
100人ちょっとの数基協たちが世界中から集まりまして、
その中で複雑な人間関係だったり、陰謀的な健忘術数みたいな、そういうのが入り混じってローレンス数基協の目がどんどん死んでいくっていうお話です。
まず前提知識が必要になる映画なんじゃないかなと思います。
なくても全然楽しめると思うんですけど、前提として、キリスト教会の用語をいくつか知っておくと話がわかりやすくなるんじゃないかなという気がしていて、
強行ですよね。強行って何なんでしょうかっていう話ですよ。
言わずと知れたキリスト教カトリックのトップでございます。
カトリックの聖職者っていうのはこの強行を頂点として、もう完全な三角形のヒエラルキーを構成しております。
強行に次ぐナンバー2の人たちが数基協と呼ばれます。
強行っていうのはこの数基協の中から選べるのが通常、通例ですね。
プロテスタントの聖職者にはこういうヒエラルキーはないので、その辺間違えないでいただきたいなと思います。
強行の位とか強行そのもののことを聖座っていう風に言い換えることがあります。
日尻の座ると書いて聖座ですね。
英語ではHoly Seeって言ったりします。
もともとはその強行っていうのはイエスの弟子の中にペトロっていう人がいたんですけど、
彼がイエスから、イエス本人から
あなたはペトロ、教会の礎になりなさいって言って天国の鍵っていうのを渡されるんですね。
これが実質的なイエスの後継であるっていう話になりまして、
イエスの死後、今のキリスト教を牽引していく人物としてペトロが初代強行ということになっております。
そこからずっと後継者後継者で今まで来ている感じですね。
数基協っていうのが教会組織のナンバー2になりますよ。
特に人数に制限はないらしいんですけど、
強行がそれぞれ個別に指名していくスタイルらしいです。
ちょっと今調べたんですけど、
2024年の10月現在の報道で、
それは日本人が数基協に選ばれましたっていうニュースなんですけど、
その時点で日本人2人を含む全部で256人いるみたいです。
今回話題になっているコンクラーベの投票権を持っているのは80歳未満の人だけらしいので、
ちょっと一気に人数が減って141人になっています。
でも映画ではね確か108人とかってなってたと思うのでだいぶ多いですよね。
それがコンクラーベですよ。
選出過程の複雑さ
クラーベっていうのは鍵という意味ですね。
鍵をかけるとか鍵をかけた部屋っていうのが元々の意味です。
その名の通り数基協たちが集まってその鍵をかけて、
システィナ礼拝堂に集まるんですけどそこに鍵をかけて外部との接触を立って、
それでお互いに投票し合うっていうものがコンクラーベのやり方です。
一人の人が全体の3分の2以上を得票するまで何度でも投票を繰り返すっていうことになっていて、
日本語のコンクラベとちょっと通ずるものがあるっていう面白いあれですよね。
そういう感じでコンクラベっていうのはやるんですけど、
限られた人数の中でお互いに選び合うっていうスタイルなので、
票がすごく変動が激しいというか、割れる。割れるもするし、
簡単には決まらないっていうところも大きいですよね。
僕が思ったのは、教皇っていう地位のちょっと特殊性というか、
私教皇になりたいですっていう人は、自ら進んでいるようなタイプの人は多分教皇には向いてないんですよね。
教会って昔でこそ権力も権威もあったし力も持ってたんですけど、
今って別に、例えば政治的な権力とかっていうのは全然ないじゃないですか。
だけどいずれにしてもすごく有名になるし、権威はすごいんですよ。
教会の教皇が何か言ったって言ったら全部それが本になっちゃうぐらいすごいので、
やっぱそういう自己権持欲というかが強いタイプの人が教皇とかになられて、
本当に何か改革だなんて言って、よくわからないことを急に言い出されても困っちゃいますよね、教会としても。
なので多分お互いに選び合うというシステムからしても、
映画の構成とテーマの紹介
教皇になりたいですっていう人は慣れないような仕組みになってるんじゃないかなって思いました。
実際、映画というか物語上もそういうような構成になっていて、
俺教皇になりたいですっていう人はどんどん不祥事がバレたり悪事が暴かれたりして、
どんどん脱落してっちゃうんですよね。
なので票もすごく動くし、そこら辺が結構スリリングというか手に汗握るじゃないですけど、
派手なアクションは全然ないながらも、本当に何か息が詰まるような感じがしました。
それから主人公のローレンス・スーキー教ですね。
彼が本当にいい役でして、目がどんどん死んでいくのが私はとっても印象的だったんですけど、
劇中で彼がするちょっと長めの演説みたいなのがあるんですけど、それがとっても印象的でした。
ちゃんと詳しい内容はちょっと覚えてないんですけど、
現代の教会というのは多様性というものをすごく意識していると。
そういう多様性を受け入れるような教皇が選ばれて欲しいですよね、みたいなことを始めるんですよ。
でも多様性を受け入れられる人っていうのはどういう人かっていうと、確信を持たない人だって言うんですね。
つまり超平たく言ったら決めつけない人、言い換えればよく疑う人であるみたいな感じのことを言うんですよ。
その疑うっていうことが物語の中で全体としてずっと語られているような気がしました。
結構聖書の引用なんかもたくさん出てきまして、ローレンス数奇教の演説の中でも、
神よ神よ、なぜ私を見捨てたのですかっていうイエスの言葉が出てきます。
これはイエスが最後十字架にかけられているときに、十字架の上で神に向かって、なぜ私を見捨てたのですかっていう風に言うっていうシーンがあるんですよね。
最後の時にあって彼は神を信じられなくなっていたじゃないかみたいなことです。
それから別のシーンでは呼ぶ機の引用が出てきたと思います。
こんなに呼びかけているのにあなたは一向に答えてくださらないみたいなことを言うんですけど、
この呼ぶ機っていうのも信仰を疑うっていうことがすごいテーマになっている書物なのですが、
そういう疑う信仰とかローレンス数奇教の言葉を借りれば、自分の祈りを疑うっていうことらしいんですけど、
信仰の疑念と聖書の影響
疑うっていうことをすごく大きなテーマみたいな感じでたくさん出てきている映画かなと思いました。
実際、聖職に就く人、神父になるような人、聖職者になるような人っていうのは、
自分の信仰に対して疑いなく信仰してるって思われがちだと思うんですけど、
いわゆる悟りを開いたみたいな、悟りを開いたから神父になったんでしょみたいなことを言う人が結構いるんです。
僕神父じゃないですけどね。
大体の神父は、いやいやそんなことないですよみたいなことを言うと思います。
やっぱりいつだって自分の信仰を疑う瞬間であったり、自分の信念を疑うであったり、
その祈りを信じられなくなるとか、そういう時ってあるものなんですよ。
それは人間であれば、たとえ教皇であっても同じ気持ちだと思います。
その疑うっていうところがやっぱりすごい大きなテーマになっているんだろうなって思ったことのもう一つは、
主人公の名前なんですよね。
トマス・ローレンス・スーキ教、トマスって言うんですけど、
トマスっていうのは聖書にも登場しておりまして、イエスの十二人の弟子のうちの一人です。
彼は、使徒トマスはですね、キリストが復活したことを疑ったんですよね。
最後まで俺は実際に見るまで信じないって言い果てた人なんですよ。
イエスが復活したっていう噂を聞いても、そんなことはあるはずないって信じなかった人なんですね。
トマスの不信っていう絵の題材もあるぐらいで、トマスは基本信じない人として描かれます。
どうやって彼はキリストのイエスの復活を信じたかというと、
実際に復活したイエスに会った時に脇腹の傷に指を突っ込んで、
それでやっとこの人は復活したんだって信じたんですよ。
そういう疑うっていうことをすごくテーマとして強く強く感じた映画でございました。
ちょっと取り留めもない話になっちゃいましたけど、
キリスト教的な文脈をあんまりわかってなかったとしても、
全然楽しめる映画だと思いますし、
映画館で見てよかった映画でした。
とても面白かったので、これを聞いてみたいと思う人はいないかもしれないですけど、
ぜひ興味を持ったら見に行ってみてください。
もしよろしかったらコメントなど、あなたのコンクラベの感想など教えてもらえるととっても嬉しいです。
ふわふわとした感じなんですけど、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
どうもありがとうございました。
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