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2022-11-24 1:25:11

第91回(2) も~っと!『すずめの戸締まり』”ダイジン問題”と悲劇を物語化すること

Twitterスペースに続いて、再び『すずめの戸締まり』の話をしました。

マリオンさんが合流し、ゲストのオス―タ。さん・にしのさんを交えて、本作のダイジンの扱いや近過去の悲劇を物語として描くことの功罪などについて話しています。

■メンバー

・山口 ・マリオン

■ゲスト

・オス―タ。さん
・にしのさん

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2022年11月26日(土)

場所:大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階『週間マガリ』 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar_2022-11

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00:00
はい、じゃあもう早速ですが、すずめの戸締まりの話、入っていこうかと思います。 はい。はい、ではマリオンさん、解説お願いします。
はい、それでは映画ドットコムから解説読ませていただきます。 君の名は天気の子の新海誠監督が、日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる扉を閉める旅に出た少女の冒険と成長を描いた長編アニメーション。
九州で暮らす17歳の岩戸すずめは、扉を探しているという旅の少年、室方壮太と出会う。
彼の後を追って山中の廃墟にたどり着いたすずめは、そこだけ崩壊から取り残されたかのように佇む古びた扉を見つけ、引き寄せられるかのようにその扉に手を伸ばす。
やがて日本各地で次々と扉が開き始める。扉の向こう側からは災いがやってくるため、すずめは扉を閉める戸締まりの旅へ出ることに。
数々の驚きや困難に見舞われながらも前へと進み続けるすずめだったが、罪の声、胸が鳴るのは君のせいなどに出演してきた若手俳優の原七香がオーディションを経て、主人公すずめ役の声優に抜擢された。
ソータ役はこれが声優初挑戦のストーンズの松村北斗、そのほか深津恵里、染谷翔太、伊藤祭里、花瀬香音、松本博雄、らが声優を務め、深海作品常連の上杞雄之介、花澤香菜も出演。
音楽も深海監督と3度目のタッグとなるらとインプスが作曲家の陣野内一馬と共に担当した。
それではここからネタバレの話が入っていきますので、見てから聞きたいという方がいらっしゃったら、一旦聞くのを止めていただけたらなと思います。
はい、じゃあ、大須田さん、本作どのようにご覧になられました?
僕から行きますか。
もうお三方がおそらくスペースでめちゃくちゃ話されているので、何話そうと思って今日来たんですけど。
ただそうですね、まず最初にやっぱり見て思ったのは、監督も多分深海誠本の中でもインタビューで語られてますけど、
場所を痛む視点っていうのにすごい引かれた映画だったなというか、それを映画として刻めたことにすごい意味があった作品だったなというふうに僕は思ってます。
特にその中盤、東北での閉じまりの中での、「行ってきます、おはよう、行ってきます。」っていう挨拶があって、
でもその中、ただいまが彼らは言えなかった。
その言えなかったただいまを一旦結んで行ってきますがあったっていうことを、映画として描けたってことに僕はすごい意味をこの作品には感じました。
はい、西野さんいかがでしょう?
これですか、これを今この収録のちょうど1時間半前に見たてホヤホヤなんですよ、僕実は。
なんで、ネタバレになるんで収録とか前情報全くゼロで言って、
僕の語る情報が正しいとか間違っているのを見た感覚というか、またホヤホヤのうちにちょっとしゃべろうかなと思ってるんですけど、
そうですね、何て言ったらいいんだろう。すごい要素が豪勢ですよね。労働ムービーもファンタジーもあり、
日本の小辞儀ですよね、神様の話で嫁の国があってっていう、その下地に紐づいてて全部新海誠さんお得意のボイミツガールに収録していくのが起きたなっていうのが後半あたり、
03:14
これやはり新海誠の映画だなというふうにやって、すごいいいものを見たなっていう気になりました。
はい、マリオンさんは前回喋ったとこから何か変化ってあります?
そうですね、変化とかはそうですね、あまりまだないですけど、やっぱりなんかそのいろんな人がやっぱりこの映画見て、やっぱりそれぞれ感想をやっぱり上がってくる中で、
やっぱりいろいろいろんな視点が入り混じるようになって、なんかいろいろこうやっぱりだんだん作品自体の深みとか、
これもうちょっと考えなきゃいけないことかもなみたいなのがちょっとずつ増えてきている感じがあって、やっぱりすごくファンタジーはすごく嬉しいなというふうに思ったりはしてますね、今。
はい、えっと僕はですね、前のツイッタースペースの段階から結構印象変わってるんですよ。
で、ちょっと冷静になった感じですかね。
で、やっぱり新海誠監督がこれまで重ねてきたものに対する到達点であるっていう思いに変わりはないんですけれども、
まだちょっと語り足りてないんじゃないかなって思いも少しずつ生まれてきています。
で、それは特に大臣周りですね。大臣周りの扱いに関してちょっといろいろと思うところが生まれてきて、まだまだ次があるぞっていうふうには今思ってますねって感じです。
大臣すごく残酷じゃないですかね。
そうですよね。
残酷すぎますよ、あれ。
さあ、ちょっと気づいたこと。やっぱり僕本読むんで気づいた。大臣が出てくる前に本を読んだらこぼすじゃないですか。
で、落ちる本のタイトル覚えてます?
結構いろいろあったかな。
えっと、カモメのジョナサンとかあったんじゃないかな。
ツルゲーネフの初恋なんですよ。
ロシア文学。
で、あの話って内向的な少年が女の子に恋して盛り上がるんやけど、実は親父の愛人でやったって話。
だから、最初から大臣の恋はツルゲーネフで暗印されてるって言ってえなって思って。
いや、それやってそうだな、やってそうだな。
めちゃくちゃだなって。だからなんかね、ちょっと絶対報われないのわかってる。
そうだったんだ。
もう絶対その意味込めて引用してそう。
ツルゲーネフ出すよって。
なるほどね。
これでもう、大臣の行方ちょっと見えちゃった。
なるほどね。
もうちょっと丁寧に書いたら、より面白くなったんかなっていうのは、山口さん今おっしゃられたように、
ちょっと物語として広がっちゃうかもしれないんですけど、
ただただ物語の狂言回しみたいになっちゃったじゃないですか。
06:00
本当にすごい悲しい話なんじゃないかなって思いました。
僕、大臣もっと描きたいことあったと思ってるんですよね。
それを脚本の変更の中か、あるいは編集上でカットしてるんじゃないかなって気はしてて。
うん、そうですよね。
もうちょっとそこ語んないと置いてけぼり食らうじゃんみたいなところは結構あるんですよね、大臣周りって。
まずそもそもなんで大臣って名前やねんっていうところから、は?ってなるところも含めて思い出したし。
まずその扱いとかっていうのも、結局誰かが何かこれを一手に引き受けなきゃいけないみたいな状態になる中で、
結局は元のさやに戻るっていう話にはなるじゃないですか。
それで良いのかというところは、やっぱちょっと悩ましいですよね。
そこめっちゃ喋りたいんで、後でいいですか?
そうですね、はい。
じゃあお便り2通いただいているので、紹介させていただきます。
はい、ではまず1通目、ふたたさんからいただいております。
はじめまして、ふたたと申します。
2週間前にSpotifyにて聞いたのがきっかけで、聞き心地の良さに、ものすごいスピード感で過去配信を聞いています。
今回のスズメのとじまりを初日に鑑賞し、Twitterの直後感想も途切れ途切れですが聞くことができました。
なぜここまでこのラジオに魅了されているのか、自分でも不思議なくらいなのですが、とても素晴らしいコンテンツに出会えたことが嬉しいです。
私は途中からこのラジオだけを聞いているので、ホームページに掲載されている以外の情報が何もなく、たまに出演者の方々のお仕事、年齢層などが気になることがあります。
もし今後機会がございましたら、簡単な紹介や映画に絡めて知れる機会があると嬉しく思います。
というのも、私自身今は家庭があり仕事も安定しているのですが、10代の頃、映画に魅了された時、何か映画に関わる仕事がしたいと漠然とは思いながらも、作り手になりたい気持ちにはなれず、映画館に働いてみたりはしたものの、結局は違う道を選択し現在に至っています。
今、あの時このラジオに出会えていたらこういうことがしたいと思えていたのではと想像したりしています。
皆様がどのような道をたどってラジオに至ったのか知る機会があれば嬉しいです。
そして、スズメの閉じまりは大傑作だと思いました。10代の頃、被災地かっこ岩手で暮らしていたので、絵で見るのは辛いと感じるシーンも多かったですが、それでも意味のある表現であり、自然災害について改めて考える作品となりました。
気になったのはやはり大人の存在で、唐突な名付けや目的など神様は気まぐれと言われればそれまでですが、何かメッセージがあるのかなと思うともっと深掘りしたいと思いました。
みなさんは大人について負に落ちていますか?という感想です。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
09:01
まず前半、ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
そんなベタモベじゃないですかっていう。
我々が何者かについては、公開されているエピソード内でちょこちょこ言及はしています。
なので、聞いていく中で、あ、そうだったの?みたいなのはわかってくるかもしれないですけど、どっかのタイミングで改めてそこは自己紹介しましょうか。
また再びの自己紹介というか、それは良いと思います、全然。
今日は流石にね、レギュラー2人しかいないんで、ちょっとあれですけど。
とても嬉しいお便りというか、言っていただいて本当に嬉しいですね。
はい、ありがとうございます。
大臣の扱いに関しては負に落ちておりません。
はい、もったく、そこは多分この後しゃべります。
負に落ちてないねというか、ちょっとどう捉えていいんだろうねみたいな感じですよね。
はい、ですね。
はい、じゃあ次お願いします。
はい、続いてもう1通が内山さんからいただいてます。
こんにちは。雀の閉じまり感想です。
そもそもたくさんのレイヤーで読み解ける複雑な構造の2時間なので、本気でお湯で戻すと何十倍にもなりそうです。
バラバラにいくつか書きましたので、1個拾っていただけると嬉しいです。
もう会えない母を求めて泣きながら喋る子供や骨と皮だけの猫、そんな反則型の飛び道具を新海誠が出すとは相当の覚悟だと震えました。
しかし改めて考えるときつい演出などではなく、むしろそれこそが今この世界の大きなテーマだと思いました。
大きな悲しみにさらされたことがない子供たちにもわかるしっかり刺さるお話を作る、今現在の未来の小さな観客に向けた腹をくくった誠実さに泣けました。
千と千尋、ハウル、魔女の宅急便と言いたいし、前田さんのアキラはおお!と思ったんですが私も見つけました。
東京湾アクアラインを走る車の中からのシーン、3秒くらいだったかな?シンゴジラの最序盤。
事情はいろいろながら放置され忘れられた場所、それも大きなテーマだと思います。
自沈災をして開いたであろう場所、人間が使っていた場所がゴミ同然に捨てられている現実。
でもそういう場所が朽ちたり植物に覆われたりして長い歳月をかけて自然に帰る、それを新海誠は救いだと考えている。
お返しモースとはそういうことだと思いました。
競り沢が綺麗と言ったのも、そんな場所はこれからも増えていくだろうという定念とともに、せめてそういった場所に手を合わせていきたいという気持ちを感じました。
終わってしまえば2つの金名士が移動して双方東北に収まり災害を食い止め、4歳の雀が高校生の雀から椅子を受け取りハグされる。
最初から雀の行動はすべて、蒼太や大神の行動もこの2つのミッションのためだったのかうまく言えないんですが、
人はその意思のみを根拠に一人一人生きているというだけではなく、何なんでしょうね?運命?必然?
ちょっとメッセージを思い出しました。
違うけど。
個人的ベストフードは食べるシーンはなかったけど、ちょっと映った山盛りの刺身、あれ絶対美味しい。
12:04
とにかく新海監督には全力で敬意と賛意を表するものですが、一点お願いがありました。
大神が金名士に戻ってから全く思い起こされていないのが寂しく、エンドロールが終わるまでの間、
その1、2秒でいいから何らかの形で大神のことを振り返ってほしかった。
大神がかわいそう。
あと、新海誠作品をもっと深く読み解きたい向きにはたくさんの先行作品、作家がある中、ルーグウィンの短編、オメラスから歩み去る人々はやっぱり天気の子同様、
本作品にも大きい存在だな、正しい答えなんかないよな、つらいなといった感じです。
以上、お邪魔しました。
皆さんの飾らない感想、いつも面白いです。
見てない映画のデビューも聞いて面白いんだから、もう独立したコンテンツですらあるな、私にとって、年末にかけてお忙しくなることと思います。
身体に気をつけて、これからも楽しみにしています、とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
褒め殺しに来てます?
本当ね、いっぱい褒めていただいて嬉しいんですけど、本当にこういう時どういう顔をしていいのか私はわからないです。
はい、そうなんですよ。
本当に綾波レイみたいなことを言ってますけど。
モチベーションにつながりますよね、この嬉しい言葉っていうのは。
モチベーションすごくね。
えっと、ルグインの何やっけ、書名。
オメラスから歩み去る人々という短編小説みたいですね。
オメラスから歩み去る人々ですよね。
僕読んだことはないんですけど、これすごい有名な公理主義というかトロッコ問題的なことにまつわる偶話ですよね、これ確か。
なるほど、そういう内容なのか。
すごい人々が幸せに暮らしている国か町か何らかのコミュニティがあって、でもそれは一人の不幸な存在によって支えられてるっていう、そういう偶話だったはずです、これ。
なるほど。
僕これちょっとね、今日しゃべるにあたってサブテキストとして読んでおきたかったんですけど、ちょっと仕事となって、ちょっと読めなくなってしまって。
なるほど。
これはね、多分ね、視点として特に大臣を語るのにすごいいい切り口だったと思うんですけど、あと、ちょっとこれも結局読めなかったんですけど、
中上春樹のカエル君東京を救う、あれ自身からね、
東京北にあるやつ。
あれ自身からね、守る話じゃないですか。
モチーフとしてすごい大事だと思うし、あとカエル君東京を救うはね、マルピングドラムでも超重要なアイテムなので。
そうですね、重要ですね。
ちょっとね、このタイミングで見ときたかったんですけどね、まぁちょっとそこは、今回はサブテキストなしでしゃべらせてもらうかと思うんですけども、
はい、じゃあ深掘りしていこうと思うんですけど、そうですね、おすーたさんって前のツイッタースペース聞いていただいてましたよね。
15:07
はい、聞いてました。
はい、なんかまあ補足とかあるいはここが触れられてなかったなみたいなんてあったりします?
あっとそうですね、なんだろう、えっと1点あるとしたら、
そもそもやっぱ災害三部作自体がその新海誠監督自身のグリーフケアなのかなっていうのがあって、
スズメノトジマリンもね、見た後に改めて君の名ごと天気の子を振り返ってみると、
割とその災害とかに対してそれぞれの距離感というか、距離感が全く別の子たちに対してのメッセージ性があるなっていうふうに思ったんですね。
例えば君の名はっていうならば災害を直接は体験しなかったんだけど、
でも遠くで見ていてそれにショックを受けたような子たちというか子どもたちに対して、
ある意味ファンタジーで救いをもけてあげようっていうふうなメッセージも捉えられますし、
天気の子に関しては災害を受け入れなければならない世界に生きている子たち、
今の子たちでもそうですけど、なんていうか災害以後やっぱり日本ってかなり過酷な時代が訪れていると思うんですよ。
なのでそういう過酷な時代の中で生きる子たちへのエールとしての天気の子なのかなっていうふうにも読み取れるなと思ったんですね。
その視点で雀の閉じ回りを見てみると、そういったところで改めてあの災害の当事者になっちゃった子たちに対して何かしらのエールを送りたいっていうメッセージがあるのかなってちょっと思ったりもしたんですけど。
なるほどね。
そうですね。ちょうど新海誠本にもインタビュアーの方から物作業に近いですよねっていうの指摘されてましたもんね、確かね。
そうですね。
そういう意味では新海監督って秒速5cmの頃からやっぱり過去の辛い経験とか何かそういったものに囚われているというか、
そこからどうすれば折り合いをつけられるか、どういうふうに自分はそこに距離を持っていけるかっていうことをずっと考えている監督なのかなって思うと、
新海監督にとっての震災っていうのの衝撃がどのくらい大きかったかっていうのは改めてわかるし、
多分自分自身と向き合う12年間だったんだろうなっていうのもちょっと見ながら思っちゃったりもしたんですね。
そうですね。
そうですね。
えっと、コトノハノニワが2011年でしたっけ?
コトノハノニワは2013年ぐらいじゃなかったかな。
13年か。そっかそっか。
はい。
確か、それこそクダムの星を子供が2011年公開なんですよね。
はいはいはい。
その制作中とかに確かね、地震だったかな。
そうそう、制作中に。なのでコトノハノニワのインタビューでも東京という景色がいつまでも永遠じゃないから、それを残さなきゃならないっていう結構意思というか、
っていうものがあるんだっていうのは。
書かれてましたしね。
そうですね。
確かにあの2011年の地震って、クリエイターにとってものすごい転換点というか、心構え自体が根底から崩されるような出来事だったんじゃないかなっていうのは思ってるんですね。
18:08
例えばこれが違う仕事、例えばその一時産業であるとか、あるいは生産業であるとか、あるいはサービス業とかでもいいとは思うんですけど、
実際人に関わったりインフラに関わったり、生活のために必要な物品を運んだり作ったりする仕事だったら、
いや、この仕事こそ、この仕事をやることで俺は世の中を支えていくんだみたいな気持ちになれると思うんですけど、
フィクションってそこに対する悩みってすごいあったんじゃないかなと思って、だってなくてもいいわけですよ、究極。
で、あと、解釈次第では全然それは救いにならなかったりするわけじゃないですか、フィクションって。
そうですよね。
すごい不確かなものなわけですよ。だから、作ってしまったら後は勝手に読み解いた側が理由を後付けしてるというか、
もうそれはもともとその読み解いた人の内側にあったものでしかないから、じゃあそれってどこまで意味があるんだろうって思っちゃうんじゃないかなって思うんですよね。
いや、それこそもういわゆる巨業、虚ろな仕事って思ってしまってもおかしくないと思うんですよ。
で、そこに向き合ったからこそ君の名にたどり着いたんだろうなとは思うんですね。
ただそのエンタメ的なアニメーションを量産し続けて業界の消費サイクルを回し続けるって、それはそれで一つのあり方だし覚悟だとは思うんですけど、
やっぱり新海監督はその2011年を経た先の自分っていうものの意味をやっぱり問わないといけなかったんだろうなと思って、
君の名も天気の子もスズメのトジマリも作らないですよね。
そうですね。やっぱり自分が何を描きたいのかっていうに関してはやっぱり一貫して何かそこに軸があってようやく市場を回すっていうところにたどり着くっていう感じになるのかなっていうのは思うんですよね。
それがやっぱり場所というか、過去に何か囚われている人が一歩前に踏み出すっていうのもだし、やっぱりそこに込められた場所の記憶っていうのは確かにずっとずっと繰り返し描いてきてた人っていうのはやっぱりあるわけですよね。
やっぱり秒速5センチメートルにしてもやっぱり景色の連なりが入ってきたりとか、もはや深海誠だけの特筆的作画性とは言わないですけども、背景の緻密さってそこもすごくこもってるじゃないですか。
やっぱり今見ている景色がその人にとってどれだけ美しいか、記憶に紐づいているかっていう話だなっていうふうに思うと、やっぱりそこにずっとこだわりがあったけどそれがやはり震災という大きなものがあり、結構一番身近なことだと思うんですよね。
出身の長野から東京に出て、やっぱり東京でそういう大きな災害に遭うって、やっぱり今生きてる人だったらそこが一番大きく印象に残ってしまうような出来事になると思うんですよね。
21:09
やっぱり東京から見て阪神淡路大震災の距離感ってやっぱりちょっと遠く感じちゃうところってどうしてもあるかもしれないし、やっぱりそれがやっぱり自分の身に降りかかったこととしてやっぱりすごく大きかったっていうことが改めてこの3本からもわかることなのかなというふうには思いますね。
そうですね。西野さん的にはその辺り、震災との絡みとかどんな感じでご覧になってました?
そうですね。特にロードムービーで各震災あった場所を回るわけじゃないですか。いいような土砂崩れを西尾で最後東北の311に行き着くっていうところで、特に本当によく震災のことは君の名はしか見てない人間なんで、阪神についてきてるのかなって思うくらいなんですけど。
特に何かというか、お勘弁。ここにいていいのかなって思うくらいな印象なんですけど。
西野さんが自分の獲物を取り出せるタイミングでズバッと切りかかってもらったら。
だから僕は大人にしか目が行ってない。どちらかというと物語を追うタイプじゃなくて感情移入してみるタイプなんで、しかも哀れさを持ってる人が好きなんです。結局絶対に敵わぬ行為に挑む男なんですよね。大人って。
その視点、いやそうやなって思うんですよ。僕ちょっとスペースの時にも話したかわかんないですけど、新海誠の短編で彼女と彼女の猫っていう短編があるんですけど、あれの彼女と猫の関係性を思い出すというか、絶対愛出ないんですよね、二人って。
なるほど。
絶対愛出ないんですよねっていう。やっぱり新海誠作品における猫ね。
好きな子にちょっかいかける男の子そのものやみたいな。それの規模がでかすぎるんですけど、神様らしいっていうのも。僕はそのツルゲーネスクで暗示されたんですよね、完全に。この猫はあの哀れな小説の少年やんって。
なるほどね。そこを重ねてたんだ。
その擦り込みがでかくて、他のは装飾というか、それを輝かせるための舞台装置になっちゃって、結局この二人の絶対に敵わない絶対的な世界を超越するボーイミスガールがあったわけじゃないですか、あれも。
最後その済みませんかとか全部巻き込んで、この二人の人間的な愛ですね。それに比べたら世界ってちっこいんじゃねーのって思っちゃったというか。それが良い見方か悪い見方かわかんないですけど、なんか昔読んだドキュメンタリーで、戦争は女の顔してないっていうのがあったんですけど、一番印象に残ってるのが独創戦の地獄の戦場を乗り越えた女性兵士のインタビュー集なんですけど、
24:13
人間は戦争より大きいって言って、結局その戦争って絶対的な状況じゃないですか、世界といっても過言じゃないんですけど、結局その中で一番大きかったのは人間だったっていうことを言っているんですよ。これも震災とか、それこそファンタジーのデカい地下の神話的世界があって、それが飛び巻いてて人間の生き死にを左右しているみたいなすごい世界があるんですけど、
それってこの二人の恋愛に比べたら、二人の人間関係の成就に比べたら、言い方悪いかもしれないんですけど、小さいものなんじゃないかなっていう、そのメッセージが正しいかわからないですけど、僕は感じましたね。
人間劇の方が印象に残ったっていう、震災の、それはテーマにはあると思うんですけど、それを乗り越えるのは人間関係しかないんかなっていう。そうですね。辛い思い出じゃないですか。そうですね。
でもこの二人の関係性、どんだけ祈っても結局は返ってこないですし、廃墟は廃墟だし、死んだ人は死んだ人だしっていう話なんで。残酷かもしれないけど、忘れろとは言わないですけど、今の人間性の方が重要なんだよっていうメッセージを感じました。
そうですね。全部乗り越えていったこの二人が、全部乗り越えられるものになる。神様も自身も。
その閉じまりする時に、そこにいた人たちのことを思いますけど、あれってある種の掲示名でもあるというか、もうこっから先思い出す頻度は減りますっていう宣言にも見えるというか。
そうですよね。
だから、もう私たちは前に進みますと。今この瞬間だけは思い出しますが、ただその扉は閉めてしまいますので、だからトコヨとウツシオの境界を閉じてしまいますので、ここでさよならですと。
忘れたりはしませんが、覚えておこうともしません。ちょっと言い方違うんですけど。
もう者の世界に行っちゃうんですよ、全部。お帰りに行ってもらえたら、ソウタだけなんで。
あとはもうみんなもう別の自分の領域から、仏の世界に近いかもしれないですけど、もう亡き者の世界、自分の領域からは消えちゃってるんですよね、最後。
でもちょっとその、今日実は2回目見てきたんですけど、その2回目って若干その閉じまりのあのシーンの印象を、実際見たというか深読みしすぎかもしれないですけど、
思い出して記憶して閉じまりをするっていう視線そのものが新海監督にとっての映画作りなのかなってちょっと思ったんですよね。
っていうのは結構あの感覚を自分は他の映画でも見たなってか知ってるなって思って、
27:05
頭の中振り返ってみた時に片渕晒監督のこの世界の片隅を見た時とすごい似た感覚があったんですよ。
この場所には確かにそこに生活があって、人々がいて、暮らしがあってっていうのを、まあ映画として記録するというか、映画として再現してみせる。
で、そこにあったことを、なんていうか、閉じまりというか、その場所に置いていくというか、
っていうものってやっぱり映画っていうものってそういうものだよねと思う部分があって。
なのであれらのシーンに関して、僕は結構新海監督自身のという言い方がいいかわかんないですけど、
映画作り自体のメタファーのようにもちょっと見えちゃったりもしました。
そうですね。作品としてそこに記録する、とどめるっていう作業みたいな、そのもの自体になんか新海誠っぽさが感じるというか。
そうですね。なるほどね。
まあ、なんかそのどこまで意図してるかはわかんないですけど、やっぱその主人公が正しいと思ってすることって結構自分に重ねちゃうんじゃないかなと思って無意識に。
その自分が正しいと思っていること、自分が美しいと思っていることを主人公にも載せれるから筆が乗るっていうのがあるのかなって気はしてて。
そのとじまりが本当に映画作りの直接的に意図したメタファーですって考えてやってるかわかんないですけど、そういうふうに見える。
それはやっぱり新海監督が作った以上はそうなるものなんじゃないかなって気はしますかね。
多分僕もそこまでメタファーとか意図してやってるわけではないと思うんですけど、多分なんか思ったとそうなってしまってるというか。
そうですよね。だって彼が記憶にまつわる作品を作り続けてきて、あの後ろが過去の記憶を象徴するものだとしたら、当然そこは紐づくというか、結果的にそうなるっていうのはそうなんじゃないかって気しますね。
なんだったっけな。新海誠って今公開されたTチンとかいろいろされてるじゃないですか。舞台映像とか。ちょっと僕うろ覚えですけど、誰かがレポートというかあげてた中で、
常世?扉を開いた先の世界が秒速5センチメートルで高木がすごく遠くのすごい幻想的な風景を見れるじゃないですか。あそこも常世だって言ってるんですよ。
なるほど。
ああそうなのかってすごく思ったっていうか、本当にこの人は記憶だな、遠い記憶をこんなように見ているなというふうに思ったっていうのがあったんですけど。
新海監督の使うこの常世っていうのはオリジナルな概念なんですかね。僕、黄泉の国的なもんかなと思ってたんですけど、今聞くと新海監督の持ってる何らかの概念的な世界なのかなっていう。
30:02
もう全然知らないんで勝手な解釈ですけど、どうなんですか。
西野さんの解釈で僕も合ってると思う。黄泉の国とかっていう意味だと思うんですけど、ただ新海監督作品って割とそれがよく出てくるなって僕も印象があって。
星を子供でも諸にそれとか出てきますし、子供のにはあまりそこを触れられないですけど。
自分たちの住むとは違う世界っていうので出てくるっていうことなんですかね。
死者の国のベタファーでもあります。
世は黄泉の国ですよねっていう意味で、天気のこの空の国とか、あとは君の名は大間形というか何でしたっけ。
大間形で良かったんちゃいましたっけ。
で、合ってましたっけ。
あそこで時空を越えて繋がるみたいなシーンがあると思うんですけど、ああいうのって必ず新海監督の中では1個のモチーフとしてよく出てくるイメージが僕はあります。
そうですね。だから多分そこで繋がってるというか、直接的にその秒速のそこの高木の見てた世界と今回のところが繋がってるってわけではないんでしょうけど、
意味合いはほぼ一緒みたいなところなんだろうなっていうのを見て、やっぱりそれずっとあなた描いてるよねっていうのを改めて思ったと言いますか。
それで痛みとかも包括してるんですか。過去の消せない嫌な部分とか。今回死者を内蔵してましたけど。
そういったものから閉じまりするというか。
閉じまりって内面だとよくわかるんですよね。自分の嫌な部分って開きっぱなしだとどんどん嫌なの出てくるじゃないですか。心の中の話だったら。
閉めに行きたいなって思うのもありますけど、それを実際の世界でやるとは思ってなかったのでちょっと面白かったというか。
実際の内向世界ならわかるんですよ。自分の心の中に入ってて嫌な思い出に行って救済してやったりとか、
その開きっぱなしの扉を閉じて今の自分にダメージを与えている記憶をかぎしめてやってやるっていうのはわかるんですけど、
それを現実の災害と合わせるっていうのはすごいことあるなっていう。びっくりしますね。
確かにね。結局そうですもんね。災害を止めた後はもう物に精神世界の話っぽいことになるわけじゃないですか。
やっぱりスズメのその流れ。お、来たなって思いますね。やっぱり本当にそのまま地続きですもんね。
途中まで王道ファンタジーなんて最初1時間からずっと思ってました。ロードモビーやってるなとみんな締めていくかなって思ったら。
大臣の話をちょっと触れたいなと思ってるんですけど、
僕あのラストいろいろ考えた末にやっぱなしやなって思ってて。
天気の子で与えられた問い、君か世界かっていう問いに対して、天気の子は君を選ぶわけですよね。
その天気の子の物語モチベーションの中ではそれをやってよかったけれども、
じゃあそれって普遍的な正しさかと言われたらそうじゃないし、
33:05
特に天気なら言われてもまだ飲み込めるけど、地震でそれ言われたら無理ってなるものだと思うんですよね。
ちょっと災害の種類が違いますもんね。
で、君の名は以降の新海誠監督が3・1・1を境目にモチベーションというか作る意味を持って描いてるんだとしたら、
天気の子での二者卓一はやっぱおため誤化しだとは思うんですよ、まだ。
まだ足りないと思うんですよね。
やっぱりそれを地震で描くっていうことをやるっていうのがいるとは思ったんですけど、
じゃあそこで誰が犠牲になるのかっていうところでですけど、
本作、東京あたりまでのモチベーションって雀が仮名名詞になるか、
また名前忘れた。
ソータですか?
ソータ。
雀が仮名名詞になるか、ソータが仮名名詞になるかっていう、あるいはそれを放棄するかっていう選択があるように見えるじゃないですか。
天気の子を踏まえるとその選択肢になるっていうのはわかりますね。
で、こっちもそこを想定しながら見れたわけですよね。
天気の子はああいう答えを出したと。
じゃあ地震に対してどういう答えを出すのかっていうのはすごい重い決断だとは思ったし、
そこを期待してたっていうのがあったんですけど、
正直大神が仮名名詞に戻るっていうのはおためごかしにも程があるとは僕は思いました。
今回いろいろ考えた末に。
まず大神は何なのかっていうところなんですけど、
神様なのか、あるいは元人だったりするのかはちょっとわかんないですけど、
少なくとも意思を持った何かではあるじゃないですか。
そこでずっと犠牲を強いてたわけですよね。
仮名名詞になるという犠牲を強いてたわけで、
そこでその犠牲にされてた人っていうものに対して、
君が戻れば済むじゃんっていうのを物語が押し付けるってどうなのかっていうのはかなり思ったんですよ。
大神が仮名名詞に戻るのは雀に好かれなかったからですよね、要は。
ある種の抵感、諦め、これを得られないんだったらもういいやっていう捨て鉢なものの果てに大神に犠牲を強いるわけですけど、
それってちょっともう少し煮詰められたんじゃないかなって気はしてしまうんですよね、どうしても。
大神が石になった時、雀は絶対泣いちゃダメだったんですよ、あれ。
あの涙だけは僕嫌なんですよね、何か偽善っぽくて。
大神が全然心の関係詰めてないじゃないですか。
なんか俺が自己犠牲になるよって急に泣き出すの、
それ自己犠牲になった行為に泣いてるんじゃないかなって大神自体見てないよねって思って、
なんかすごい嫌やった、今思えばあるんです。
大人狼になってますけども。
泣いてほしくないじゃないですか、哀れすぎません?そんな。
36:03
絶対自分が死ぬ前に泣いてくれたところでっていう。
しかもその涙ほんまかわからんしっていう。
関係性が詰められてない涙ほど信じられないものないですよ。
大神の話にしないとダメだったとは思うんですよ。
めっちゃ大変ですよ、この話のスケール感で。
尺とか考えたらね。
もうタダでさ、今もう2時間使ってますからね、この段階でね、映画として。
でも誰かが犠牲になるっていうことを天気の子で否定した果てに今回そこに戻ってくるというか、
しかもなんか捨て鉢な感情でそこに戻ってくるって結構許容しがたいなっていうところはあるなと思ったんですよ。
さっきお便りでもあったルグインの作品、短編でそういう効率主義的な発想が描かれるわけですよね。
1人が犠牲になってみんなが安寧に暮らせたらいいじゃんっていう偶和があるわけですよ。
でもそれってそうだよねって思う人もきっといるとは思うんですよね。
しょうがないって思う人いると思うんですよ。
だからこの作品も丸く収まったねって思う人もきっといるとは思うんですけど、
なんかちょっとあんまり鵜呑みにしたくない気持ちがあって、
よく言われる効率主義的な思考実験でトロッコ問題があるじゃないですか。
トロッコの線路の切り替えレバーがあって、5人が死ぬのか1人が死ぬのかどっちを選びますかっていう問いで、
あれって単なる思考実験なわけじゃないですか、それって。
でもそれをこの世界の根本原理みたいに語りたい人がいますよね、世界には。
トロッコ問題は1人が死ぬ方を選ぶのが正しいことだっていう風に言う人がいるじゃないですか、思考実験でね。
考える材料なわけですよ。
そこをまるでこの世界の真実のように言われても困るっていうか、
シュレディンガーの猫とかマクスベルの悪魔がいますとかっていう概念ですよみたいな。
でもトロッコ問題は現実のものとして語るような論調ってあると思うんですけど、
いやいやって思うんですよ、そっから先じゃんって思うんですよね。
で、そこで世界形的な物語って言ったらちょっと大雑把な括りですけど、
二者卓一の話ってフィクションが描きたがる題材だと思うんですね。
天気の子もそうなわけですけど、どっちが犠牲になるか、どっちを救うか、どっちが犠牲になるかみたいな問いってよくあるとは思うんですけど、
それもあくまで偶話でしかないというか、もっと言うならエンターテイメントでしかないわけですよね。
で、そこで面白いから世界を救うために一人が犠牲になる、あるいはその逆、一人のために世界が犠牲になるみたいなのを描くことの意味みたいな、
39:08
いやそれって面白さ以上の先に行けないんじゃないかなって思いがあるんですよ。
しかも深海誠は面白さだけを追い求めてないでしょ、今は。
で、そこで二者卓一の単なるわかりやすい図式化された偶話的なものでしかないものをそこに縛られ続けるのってどうなんだろうなって思って、
で、僕はツイッタースペースで言ったんですけど、3人でカナミイシになる期間ローテーションしたらいいんじゃねってちょっと言ったんですよね。
おっしゃってましたね。
でもそれちょっと纏いてるんじゃないかなと思って、なんでみんながちょっとずつ犠牲になるっていう選択肢がないのかなっていうのを思うんですよ。
古代からそういう方法で地震が止められてきたって言いますけど、いやもしかしたらそうじゃない方法があるかもしれないって考える?
だからカナミイシで一人が犠牲になることで日本が救われますっていうのがこの世界の根本原理ですみたいなのを世界のルールにしてる話じゃないですか。
でもそこを疑うというか、そこを解きほぐそうとすることがこの次の時代に求められる偶和なんじゃないかなって思うんですよ。
誰かが二者卓一のトロッコ問題を押し付けてくるところでそうじゃない答えっていうものを見つけていく。
それを誰かが描いて世界に問いかけるっていうことをすべきなんじゃないかなって思ったんですよ。
なぜか悲しみって一人が背負えばいいじゃんってなりますけど、なぜ悲しみを再配分しちゃいけないのっていうのがあるわけですよ。
悲しみとか辛さとかね、再配分したらいいじゃんって。
3人でローテーションするかあるいはちょっとずつ何らかの人生のパーツを分かち合うことで、3人で一つのカナミイシみたいな。
それができないっていう話なわけですけど、それをできないっていう話にしてるのは作り手じゃないですか。
それを実際の世界でもそうなんだからしょうがないじゃんって言うけど、でも世界をそういうふうにしてるのは我々ですよ。
そこを問えと思って、誰かが犠牲になったら解決するよねっていう二者卓一を楽なく上に逃げ続けるなって思って。
少なくとも天気の子の次にやるのはそれなんじゃないかって僕は思って。
むしろ天気の子の方がそういう悲しみを再配分はしてますよね。
そうですね。
ひながずっと背負ってたものを世界に再配分するわけだから、むしろ天気の子の方が民主主義的ですよ。
確かに。
民主主義的っていうのもまたすごいですけど。
僕の民主主義の取り方はみんなでちょっとずつ不幸になるっていう。
でもそれは嫌じゃないですか。
俺は不幸にならない。自分じゃない1人か自分じゃない5人が不幸になるっていう。
でも結局その公立主義的な問いとかトロッコ問題って自分がレバー握ってる側だと思ってるでしょっていうことなんですよ。
でもそうじゃないかもしれないって思わないといけないんじゃないのって思って。
42:03
特に今の世の中ってそういうトロッコ問題をそういうことに従う風潮あるから、だったら真っ事語ってくれよって思って。
山口さんすごい理想主義ですね。いい意味ですけど。
今の話で思い出したのがフランスのモーパスタの死亡の塊って小説あるんですけど。
ひどい話なんですけど。
ドイツにフランスが負けたんです。戦争で。
負けてみんなで逃げてくる難民がおって一つの宿に泊められるんです。
フランスの社会代表主体の人が貧乏人から革命派、民主党員からプルジア夫妻までおって。
シスターたちもいるわけです。
一人小婦の女の人が高級小婦がおって。
みんなお腹空いてるでしょって。
道中馬車でご飯みんなにあげたりするんですけど。
ある宿屋に泊まって。
その宿屋にドイツ人の将兵が住んでて。
馬車出さんって言い出して。
どうしてもその小婦と寝たいって言うんです。
寝かしたら、俺と一応共にしたら出してやるって言って。
みんなで説得するんです。
その小婦は愛国者でこのドイツ野郎みたいな。
みんなでシスターたちまであなたのその行為は公証で求められてるんですよって。
みんなでありとあらゆる言葉を使って泣きながらその小婦は抱かれるんですね。
ドイツの兵団に。
翌日、馬車が出発するけど。
その馬車では全員その小婦を無視するって話で。
一人の犠牲でみんなは助かるって話なんですけど。
モーパーさんそれは人間の本質だよって。
どうやっても。
でもそれって200年前の話です。
それをやっちゃダメだろっていうのはあるし。
犠牲を書くのは話ではないんですよね。
今の話出したんですけど。
それをやっちゃったってことですよね。
世の中は悪い方向に生きやすいものだと思うんですよ。
誰かに犠牲を押し付ける方向に生きがちだと思うんですけど。
そこを期待する物語を描くことはいいんじゃないかなと思って。
人間の前世とかに期待してる話でも。
やっぱり話の構造の中にはそういう二者卓一があったりするわけじゃないですか。
例えば雀の閉じまりの最後で。
みんなからちょっとずつ気持ちを持ち寄ったら。
カナミイシが生まれましたって。
それはご都合主義的な話ですけど。
じゃあ誰かが犠牲になった世界が救われるっていうルールに縛られた世界も。
それはそれでご都合主義なわけですよね。
じゃあそこを疑って。
そこを解体してしかも面白くするって。
やらんとダメなんじゃねって思ったんですよね。
恋に破れた男はもう永遠に凍結されてもいいみたいな話ですよね。
酷い見方すれば。
未来はないってことじゃないですか。
確かに大神と雀の関係が本当に初期作品の彼女と彼女の猫と星の恋みたいなものだと捉えたら、
45:00
結構腑に落ちる展開というか。
星の恋とか最後も心を固くして生きていかねばみたいなことを言うぐらいですからねとか。
まろにそれっぽく見えるんですけど。
山口さんの言っているもっと開かれた理想みたいなものを描いてほしいっていう気持ちだと思うんですけど。
それもすごく僕もわかるし。
やっぱり僕もどっちかっていうと、人間の本質ってこうだよねっていうのをバッて描いた作品よりも、
もうちょっと僕理想を描いてほしいなって思うかなので。
それはすごく今言われてなるほどなとはすごく思って。
確かにその着地が安易なのかなっていう。
じゃあ地震に対してどういう地震的なものを誘発するあれに対して、
水に対してどういう落とし所があるかっていうのが全く今考えつかないっていうのがちょっとあるんですよね。
その再配分言ってましたけど、交代でいいじゃねえかみたいな話ってありましたけど、
なんかそれともちょっと向き合い方違うなというか。
やっぱり、交互に持ち回りしたからっていって、絶対あれいつか歪みが起きて絶対たぶん爆発するというか、
たぶん何度も何度も人間がなだめても結局あれ起こるものなんだろうなっていうところがあると思うんですよ。
都知事っていうのがあったとしても多分関東大震災が起こってたしみたいなこととか含めて、
多分それが起こり続けるみたいなことにもなると思うので、
なんかそれで地震そのものがなくなってしまうみたいな風に見えますよねっていうのはちょっと思ったんですよね。
その持ち回りでやることでっていうことで、理想が保たれたみたいなのって言ってしまうと、
なんかそれはそれでちょっと別のものを否定してるような気もするというか、
難しいんですけどちょっと自分でも今パッと思いついたことを言ってるだけなんですけど、
ある種の自然の節理的なものですよね、これっていうのが。
なんか本当にこれが問題、誰か一人が解決したら犠牲になればいいじゃねえかっていう諸問題と一緒にできることはできるけど、
ただその問題がやっぱり超次元的な何かというか超自然的な何かであるときに、
それってどこまで通用するかなっていう。
それをすら否定していいのかっていうのはちょっと悩ましいなというふうに思います。
僕の感覚で言わせてください、ここは。
全然正しさでもなんでもないことをしゃべるので、
あくまで個人的な視点として聞いてもらえたらと思うんですけど、
一人でやろうがみんなでやろうが、歪みは生まれているものだとは思うんですよね。
だから一つの要因でも解決しなかったわけじゃないですか。
こうやったら、みんなで分かち合ったら解決しますっていうことじゃない。
それは全くその通りで、結局やり続けるしかない、問い続けるしかないっていう。
終わりはないんですよね、この悲劇から逃げるっていうことをやり続けるっていうのは絶対に解決方法がないからこそ、
48:04
ベターなやり方を探していくっていうのがいるとは思うんですよ。
じゃあそれを誰かに任せっぱなしにするのかって、あるいはみんなでやっていくのかっていうことを考えていくみたいなことがいるのかなと思って、
一人で全部抱え込んで人生すべて投げ打って何かを成し遂げるのはそれは自己犠牲だと思うんですね。
でもみんなの人生のリソースのうち、時間や労力をちょっとずつ割いて何か世の中を安定させていくって、
僕これって仕事をするってことだと思うんですよね。
だからその犠牲ではなく、仕事として世界を守っていくことってできるんじゃないのかなっていうふうに僕は思ってるんですよ、なんですけどね。
人々の連帯ですよね、それって。
そうですね。だから、犠牲っていう形を取らないもので世界を維持していく、世界を守っていくっていう可能性を問うということ、
それはあまちょろい理想論でもなんでもなく、そうじゃないと持たないからそうすべきなんじゃないかなと思うんですね。
一人に何かを押し付けるのは持たないと思うんですよ。
だからみんなでやらないといけないっていう。
それだったらあれですよね、スズメも都知事になるとかいうラストだったらちょっとそれニュアンスとして伝えられるのかなってちょっと思ったんですけど、ちょっとそれは違うか。
でも僕それも可能性だと思うんですね。
なんか都知事ってやっぱ、もっと人いるんじゃねえのかっていうところがちょっとあるじゃないですか。都知事ってソウタだけなのかみたいな。ソウタいなかったらこの日本終わるのかみたいな。
ちょっとツッコミどころとしてあると思うんですけど。
なんかそういう決着として、仮に大臣に今回カナミ氏になってもらうっていうのは、そこは僕結末として他に思い浮かばないっていうのがあるので、ちょっとそれにしますけど。
そのあと踏まえた上で、やっぱり都知事っていう文化がもっと世に出るというか、なんかさらにそこが継承されていくみたいなラストだったら、もうちょっとそこがニュアンスとして伝わったりとかっていうのができたのかもしれないなっていうのは今ちょっと思いました。
そうですね。なんか都知事とカナミ氏がこの世界に必要なんだったらそれをみんなで維持する仕組みみたいなのをやるっていう。
でもそれは物語としてはすごい染みったれた感じになると思うんですよ。
なんか深海誠の作品じゃなくなりますよ、そうすると。
いやー、まあでもその染みったれたされ、もう描いてほしいけどなあ、そういうのがなあ。
内面世界とこれくっついてるんでややこしいんですよ、この作品。
そうなんですよね。
内面世界だったらその山口さんおっしゃることで、内面世界入るとじゃあ他の人々の連帯がこのスズメの心に入ってくれるかってなるとなんか違うじゃないですか。
51:05
行為としてはあれなんですよ、確かおっしゃる通りなんですけど。
内面解除する余地がないんで、それになると。
制度的な話になってきたりとか、みんな都知事にして何人かでみんなでやる。
確かに解決案ではあるんですけど。
そうなるとスズメの心の描写がない場所になるというか、自分の傷つきと向き合えないというか、解決しちゃうと。
だから都知事ないといけないっていう、解決はできないんですよ、これって僕は思いました。
というかね、僕がさっき言ってた通りやると、そういう都知事を職業として成立させて人材を常に維持するみたいなそういう制度的な話になっちゃいそうな気はするんですけど、
もっとファンタジーに捉えたら、みんなから世界を救いたいって思いを集めたらカナミイシになりました。
それは別にそれでいいじゃないですか。
ダメ?ダメ?
元気玉みたいなことですか?
元気玉ですよね。
元気玉だし、デジモンアドベンチャーは僕らの大ゲームです。
あー、なるほど。
そこを細田守に寄せていくと。
細田守るならそうするだろうなって思いましたね。
ちょっとお互いに相互作用し合う感じ、いいですね。
みんな忘れてるけど、みんな災害はなくしたいって思ってるはずじゃないですか。
その思いをちょっとずつ集めるのってダメなのかなと思って、結局私たち私たち、俺たち俺たち、我が我がの話になるじゃないですか。
だからそこがやっぱりその世界系からはみ出しきれてないというか、もっと他人たよっていいと思うよっていうのはあるんですよね。
他人って守られるだけじゃなくて、守りたいとも思ってるよっていう。
それは100は思ってないかもしれないけど、1だけ思ってるんだったらその1を集めてみたらどうかなっていう風にはね。
それをファンタジーの中でやれるのがやっぱりアニメーションだし、フィクションだし、映画じゃないですか。
って僕は思ったんですけどね。
まあでもなんか、それもこれもなんというか、その元から持ってる深海誠の作家性と、
今これを描きたいんやっていうその世界、多分今すごくどう見えてどう描きたいかみたいなのを伝えたいメッセージ性が、
ちょっとなんか食い合わせが悪いわけじゃないですけど、まだちょっとそこに折り合いがついてないところっていうのがあるんだろうなっていうところがあると思うんですよ。
やっぱりそのトコヨっていうのが自身そのものの根源であるミミズとスズメの内面とかもうごっちゃになってるっていうところからもそういうことだと思うし、
あとなんか今回のある種のボーイミーツガールとかガールミーツボーイとかの話の仕方ってずっとやってますけど、
今回そのなんかやっぱりそのあんまりその2人の関係性にその恋愛感情感ってあんまりない方がいいものじゃないですか。
てかあんまり今回感じない方だなという風に思って、それ好ましくは思ってたんですけど、
なんかインタビューとか読んだら結構やっぱそこには結構こだわりがあるというかやっぱりそこはなんかそのボーイミーツガールとかガールミーツボーイのそのなんか恋のつながりというか、
54:08
本人的にはやっぱり描きたいっぽいではあるみたいなインタビューをちょっと見たときに、
ちょっとずれるよねそこでっていうのはスタッフからどんなにこれはちょっとそこ恋心とかあんま見せない方がいいですよって言って、
まあ多分いろいろ切ってるところあると思うんですよ。その結果が今回だったと思うんですけど、
本質的にはやっぱそこを描きたい人ではあるみたいなところとかがちょっとミスマッチになってきているのかもしれないっていうのを指摘されている方結構いて、
確かになとちょっとそこを思って。
それはそう。
多分今回のその大臣の問題も含めて多分そういったところの歪みなんだろうなという風には思います。
ボーイミーツガールの全部土台になっちゃうってことですか?
その土台が邪魔しちゃってるところがある。
一番上の上位外の神の領域にあるじゃないですか。
その開催する余地がないってみんなとか、あとはもう舞台装置になっちゃう。
この二人の歩みが全てで、その心の動きと近づきが全部になると、
みんなって土台が伸びてきたってもう触手じゃないですか。
映画に出てきたミミズみたいになって、お前ら開催すんじゃねえみたいな。
明確な線引きがあると思いますよ。
だからそのまあ本来的にはボーイミーツガールの人なわけじゃないですか。
そこに311以降の世界とか社会に対する目的意識みたいなのが、
後から強く生まれてきたと思うので、
どうしてもギャップがある、ミスマッチがあるっていうのはその通りかなって気はして、
特にやっぱり男女周りのちょっとしたエロネタみたいなのの、
え?ってギョーってなる感じは最たるものだと思うんですよね。
元々持ってたものとやろうとしてることにギャップが生まれ始めてるみたいなところは、
そこがまず顕著にあるかなって気はしますかね。
それでもやっぱり本作そこは薄かったなとは思いたいですけどね。
薄かったけど、よくよく考えると椅子にキスするのは結構あかんだと思いました。
見た目が椅子やからちょっとごまかされてる。
できる限りちょっと違和感を減らそうとしてる結果があれだと思うんですよ。
今回椅子と旅するっていうのがね。
まあしてるけどっていうことですよね。
でもあれ年齢とか男女逆にした瞬間めちゃくちゃ引くじゃないですか。
大いに引く人多いと思うので。
今後新海誠という人がどういう作品を作っていくのかは分かりませんけど、
やっぱりそこの引きずみみたいなの、ギャップみたいなのが、
それが味となるのか、
おいおい、こらこら、描き方ちょっとどうかと思うぞみたいになるのかっていうのは、
本当に今後次第というか。
だから本当にもう、
僕これ天気の子を見た時にも思ってたんですけど、
もう本当に秒速5センチメートルみたいな映画絶対撮らないな、
この人とは思ってたんですよ、やっぱり。
57:01
やっぱりもう未来に開かれた話しか撮ってないよねっていう。
秒速も未来には開かれてると思ってるけど、
過去に全乗っかりするみたいな映画もう撮らないなこの人って思ってたので、
それはいいと思ってて、
本当にもうこれ新海誠好きですけど、
やっぱりそこにとらわれ続けるのは良くないっていうのを、
常々新海誠好きな人と、
それこそ大須田さんともね、いっぱい話したことがあるんですけど。
そうですね。
そういった意味でも本当に、
だから僕はこの成長、今の引きずみとか含めて僕はいいなと思ってるし、
どんどんこれがどうなっていくのかっていうのは、
すごく僕めちゃくちゃ楽しみにしてるっていう。
本当にやっぱり楽しみだし追いかけていきたいなって思ってもらえるっていうところですね。
マリオンさんにお聞きしたいんですけど、
今回物語の舞台装置とか土台の次元に置いちゃったものが、
今後の新海誠が上というか、
物語の領域に組み込ませていく可能性っていうのをやっぱり感じました。
今回の映画で。
どう言ったらいいんだろうそれ。
今後はあり得るのかなっていう。
他なんかすごいこの、
監督の中で絶対的なものであって、
他はもう下の土台になってるんじゃないかなっていうふうには思ったので、
全部、もちろん全部すごく機能して動いてるものなんですけど、
やっぱりそれ乗り越えられないし、
同じの領域の横並びにもならない話で、
過去作って僕は全然見てないんで何とも言えないんですけど、
この新海誠監督は今後その、
ボーイミッツガールミッツボーイの中に、
この土台あったものを並べることってあり得るのかなっていう、
ちょっと思ったんですけど。
やっぱりそれは崩さないんですかね。
そうなんですよね。
崩すのか崩さないのかっていうのはわからないですけど、
ずっとこの人これを描いてるっちゃ描いてるわけですよね。
やっぱそれが、
作家性といえば作家性になるものであって、
それを突き詰めていくのかっていうのはどうなんだろうな。
ボーイミッツガールの根幹は崩しそうにないような気はするなという気は、
今の段階ではします正直。
でも今後もっと大きく何か、
世界に向けて打ち出すみたいな気持ちがすごく多分あると思うし、
全然やってくれる人だと思ってるので、
そういった意味でそこにある種の欠別じゃないですけど、
何かもうちょっと脇に追いやるような話し運びとか、
何かを描くことが今後ないとは言えないんじゃないかなっていう、
まだやっぱりわからないっていう感じですかね、僕の中では。
ありがとうございます。
すごい根幹的なものを感じましたけど、
これ絶対不動、それこそ脊髄みたいなもんじゃないかなと思って、
これ崩すとなると、
何かもう複雑感するっていうか、
そうなんですけどね。
だから今のところ僕あんま崩さないような気はするんですけど、
その歪みをこれからも延々と言われ続けるのかもしれないし、
やっぱこの人ってっていう。
この周辺領域で社会性を出してきたり、
今回ちょっとあれになった大臣周りの気持ちもちょっと含めた作品を出してきたりとか、
1:00:05
っていうのはあり得るかなっていう。
それはあり得ると思います。
絶対その本当に観客のダイレクトな反応というか感想とか、
結構踏まえた上でやっぱり作ってる方だなっていうのはすごく思うし、
今回のやっぱその何というか、
雀と蒼太周りの何かのあまり気持ち悪さを感じないぐらいの、
すごく抑えた感じの塩梅って、
めちゃくちゃ多分スタッフとやりあって、
ようやくここまでたどり着いたものだろうなっていうのはすごく感じるので。
次がめちゃくちゃ期待できる人だなって毎回思うんですよね。
見終わったと毎回思うんですけどそれは。
次むっちゃ期待してます、本当に。
まだやること残してるんですよね。
良い方に捉えるのであれば、
大臣周りを彼はまだやらないといけないわけですよ。
結構な腰を入れて、
一本の絵が丸ごと作れるぐらいのカロリーを、
大臣の中に残してきてるはずなんですよね。
だからやっぱそれを次はやらないとダメだと思うんですよね。
やらないとダメって、お前は誰だって感じですけど。
次問題を、世界を見つめてどういうのを描きたいのかなってのもよると思うんですよ。
ある種の震災三部作っていうか、震災三作作ったので、
もっと行くのかもしれないし、
やっぱり人によっては、
今回あまりコロナ禍が踏まえられてないというか、
そういったムードみたいなのが入ってる作品を望んでた人とかも、
多分いると思うんですよ、おそらく。
天気の方がそういった要素を予知するような作品でもあったっていうのもあると思うんですけど、
やっぱそこに描いてみるっていう可能性は全然あるだろうし、
本当に次どうなるんだろうなっていう。
楽しみでまた公開直前になったらめちゃくちゃ不安になるんだろうなっていう感じですね。
はい、そうですね。
あ、すいません。山口終電の都合で何駅かだけ電車乗りますんで、
しばらく喋れないです。
分かりました。
そっか。
じゃあちょっと山口終電の都合で、ここで収録外れます。
はい。
なので、マリオンさん後閉めといてもらっていいですか。すいません。
分かりました。はい、分かりました。
すごい回答だな。
よろしくお願いします。それでは。
はい、分かりました。お疲れ様です。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
というわけで任されたんですけど、
喋りたい、まあでも結構今回、
喋ってみて、僕たちの公開初日のスペースって、
結構後提的な面見た直後ってのもあるので、
やっぱそういうのが多かったと思うんですけど、
今回のでちょっとここってどうなんやろうみたいなところとかを、
まあなんかみんなと喋れて、
ちょっとそういう考えていく過程の作業とかね、
がインタリスティングなものになったんじゃないかなとは思うんですけど、
まあそうですね。
まああと僕もこれスペースでずっと言ってたことであるんですけど、
やっぱり震災当事者の方がこれを見てどういう気持ちになるのかなっていうのは、
1:03:01
やっぱすごく気になってることではあるんですけど、
まあここにその当時被害に遭われた方っていうのはいないと思うんですけど、
そこに対するちょっとここってどうなのかなみたいなのとかって、
皆さんあったりとかってします?
えっとですね、僕実は神戸に来る前に東北に、東北の大学に行ってまして、
なので結構リアルに基礎だけになっているああいう廃墟だとか、
あとは福島の本当に家しかない、人がいない町みたいなものを、
結構リアルに見てきてるんですね。
そうなんですね。
じゃあ距離感的にはちょっと近かったりするってことですね、本当にね。
はい、なのであのシーン、
まず多分象徴的なのはセリ沢がこんなに綺麗な場所だったんだっていう言葉に対して、
雀が何を言ってるのっていう顔をするっていうシーンが非常に象徴的だったというふうに思うんですけど、
やっぱりその独特の、あの場所に行った時に心臓をつかまれるようなギュッとした感じというか、
それは映画を見た時にも同じように感じました。
で、あとこれ僕の方のラジオ、ポッドキャストの方で関わってくれてる作家の方がいるんですけど、
その方はまさに当事者でして、
その方にちょっと聞いた時に、子供のちっちゃい雀、
子雀ってあの確かパンフレットとかで書かれてますけど、
子雀に対して高校生の雀が、君は大丈夫だよって言ってあげるシーンっていうのがあるじゃないですか、
あのシーンに対して多分子雀にとってはあんなの救いにも何にもならないっていうふうに言っていて、
そこは多分思う人絶対いるんだろうなと思ってたんですよね。
あそこで大いに僕は泣いてはいたんですけど、
あれで救いになるのか、救いにならないのかっていうのは人によるよなっていう。
なのでまさにその人は、あれは高校生の雀にとってのシーンであるというふうに飲み込んだからすごく泣けたけど、
でも多分子供の雀のためのシーンではないと思ったっていうふうにおっしゃってて、
確かにそうかっていう。
確かにそうですよね。
そうなんですよね。
やっぱあれで、いやいやちょっと待ってくれよって思う人絶対いるよなとは思っちゃうんですよね、そこで。
やっぱりそこがどうしてもこの、実際の震災との距離感っていうのが関わってくる話だなと思っていて。
新海誠も東京でそういう震災というのを体験はしたけど、やっぱりもっともっと辛い体験をされた方っていうのがたくさんいるっていうものだから、
ちょっとその限界はあるよねっていう。
でもその距離感の問題だけで描けないのかっていうのもちょっと違うし、
そこにもっと思いを馳せるということもできるよねっていうことは考えてはしまうというか。
いろいろ今までアニメ作品にかかわらず震災の描いた作品ってたくさんありますけど、
どういったものが本当にどうやって描けばいいのかなっていうのはちょっといろいろ考えてみたくはなったんですよね、今回見て。
1:06:00
まだちょっと物語にするには早いんじゃないかなっていうかちょっと気がして、
経験の世界じゃないですか、まだ。経験と物語。
昔、僕の祖母が戦争文学みたいな、児童文学を読んでたんですけど、
もう80にもなって、私の経験したことは物語になっちゃったのねっていう感想だけ残して。
当人は絶対に経験なんで、物語になるのは明確な違いがある。
終わったことは物語にできるけど、まだ経験に残ってる人にとっては物語にしてほしくないんです。経験として残してほしい。
戦争だったとしたら、11年だったら55年で、ゴジラで直流かけないじゃないですか。
ああいうふうにぼかしてぼかしては描けるんですけど、あまりに直流しすぎやなっていうのが思ってて、
ちょっとまだまだまだ経験だぞって物語に。
今の戦争は物語に、戦争経験者もどんどんどんどん物魂に入られて亡くなっているところなんですけど、
あるにしてももうちょっと物語でもあまりに物語次元に行っちゃってすぎてるんじゃないかなっていう気がして、
せっかくやるんだったらもっと経験してる人もいっぱいいるんで、
その概念的なものにしていいのかなっていう疑問みたいなのもこの中では浮かびますし、
でも忘れられたことになっちゃうやんっていう。
そうですね。
物語にしていいのなん?っていうのがちょっと思いましたね。全部の場所もそうですけど。
いや難しいですよね、そこね。
それは不謹慎だというよりもサラサラないんですけど、なんかそれちょっと引っかかった点というか。
うんうん、いやなるほどです、そこは。
経験としてまだ語られてることを。
そうですよね、そこやっぱり。
難しいですよね、その描き方って。
それを忠実にやると物語なんて作れないじゃないですか。
そう、やっぱ物語として語る意義みたいなのもやっぱあるじゃないですか、やっぱり。
忘れされていくものだから残さないといけないって思いもそこもわかるし。
かといってじゃあああいうふうにやっていいのかみたいなところっていうのはやっぱりあるよねっていう。
ほんとにさっきの西野さんのおばあさんの言葉って重いなって思ったし、今すごく。
すっごい覚悟いったと思いますよ、今回。
それを見てそういったふうに物語にされたっていうので、その内容とかじゃなくその事実でちょっと感じる人がいると思いますよ。
経験じゃなくなっちゃったんだなっていう。
そうですね。
嬉しいですし、語り尽くせてないものであったらもっと悲劇があったっていう、あんなグロデスクなものを見てしまった人もいますし。
そうなんですよね。そこが難しいよなと思うんですよね。
やっぱ閉じまりするって行為が結構乱暴に見える人もやっぱいるわけだなと思うわけですよね。
僕はそのやっぱりただ忘れるものじゃないと思ってるからそこはその意義はあると思ってはいるんですけど、
そこで区切りをつけるみたいな一種のね、区切りをつけるっていうことに対するちょっとどうなんだろうみたいな気持ちっていうのはある人絶対いるよなっていうのは思いますよね。
だから別に新海監督が区切りをつけたからって僕らが区切りをつける必要はないんだなって思ったというか。
1:09:05
そうですね。
扉閉めたくても閉められない人はいっぱいいるってこと?
そうそう。
向こうに審査の景色があって。
まだそういう人はね。
開いても鍵かけられないとか。
ともすればすぐ開いちゃうっていうのを、鍵かけて鍵穴が消えるっていうのはなかなかまだ難しいんじゃないかなと思います。
そうですね。
この11年間。
まだそんな時しか経ってないんだなっていうのはやっぱり思いますし。
確かにこれでやっぱり新海監督的には区切りはつけたのかなと思うんですけど、やっぱりそれを日本全国の人が見るものであるっていうことがまず余計にその気づみと言いますか、是非と言いますかっていうのを意見として呼び起こすものではあるっていうね。
こればっかりはしょうがないですよっていう。
ではあるんですよね。
たぶん覚悟して書いてるんだろうなとは思いますよね。
そうですね。
覚悟はしてないと諸に出さないでしょ、今回みたいなことじゃないですか、やっぱり。
今までメタファーでやってきたものを今回あえてやりますって言うからにはっていうことですからね。
直接に。
そうそう。
たださっきのセリザ王の視点がそうだと思うんですけど、これまでやっぱり新海監督って自然だったり、あとはよく世界系のカタカナの世界で書かれますけど、新海監督はやっぱり漢字の世界を描いてる作家さんだと思うんですね。
で、その作家さんにおいて世界は綺麗だっていうのがたぶん大前提にある作家さんが、セリザ王にあのセリフを言わせてああいう反応、あのシーンを撮らせたっていうのはなんか自分に対する批評性というか、またエンタメにするんじゃねえぞっていう批評する、自分のメタの批評のシーンにもちょっと見えて。
なるほど、はいはい、確かにそうですね。
なのでなんかちょっともちろんそうじゃないことはわかってますっていうエクスキューズにもちょっと見えるシーンだなって自分はあのシーンを見て思ったりはしました。
ああ、なるほど、確かにね。あのセリザ王の一言って結構なんかすごいニュアンスのことをあのシーンで出すなと思ったんですけど、まあ確かにそこに批評性がもしかしたらあったのかもしれないっていうのは確かに。
なるほどな。
だからちょうどあのシーンがカメラが最後セリザ王側の視点でパンを押していくんですけど、パンをして右側に映るのが原発じゃないですか。
うんうん、そうですね。
だから当事者からしたらそこをやっぱり綺麗という言葉で片付ける。もちろん絵は綺麗なんですけど、綺麗な言葉で片付けられることに対するやっぱりそこは重複しかねるっていうところをしっかりわかってますよって言いたかったんだろうなと思って。
うーん、ですね。
電車降りちゃいました。
あ、降りちゃいました。
はい、山口帰ってまいりました。
お帰りなさい。
お帰り。
お帰りなさい。
お帰りなさい。
全然すいません。締めませんでした。締めませんでした、全く。
いやいや、本当にそうやなと思って。確かに早いっていうのは本当にそうで、今回だからメタファーをしなかったっていうところのすごい危険性だなっていうのが本当にあるなって聞きながら思ってたんですけど、
1:12:12
直接描いてしまったら、もうそれは忘れる準備オッケーっていうふうに。
ね、まあ。
僕、2016年にシンゴジラと君の名はが公開されたときに、あ、けじめというか区切りをつけに来たなっていうふうには感じたんですけど、ただやっぱりそこまでやってることがグロテスクには見えないというか、だってメタファーだもんっていうところ。直接的じゃないもん。
でも今回直接的だから、がっぷり4つなんですよね、いろんなものに対して。過去の、あの当時の記憶とかにがっぷりつかみかかってるから、当事者全員と戦うような作品にならざるを得ないと思うんですよ。
そうなんですよね。
で、それ、当事者だった人たちはあの映画を見て、絶対にがっぷり4つで捉えるはずなんですよね。お前そのものを描くってどういうことだよと。忘れるっていうことなのか、いや忘れるなっていうことなのか、どういうことだよって絶対問うじゃないですか。
で、そこで、いや、僕はこいつまで作ったなんて、そんなものは通用しないですよね。
うん、なるほどね。
で、それを多分分かっててやってると思うんですよ。多分ね。
多分ね。
あの、そこまで僕は新海誠監督に、無自覚な人出会ってほしいとは思わないので、多分分かっててやってると思うし、そうであると信じたいんですけど、でもすごいしんどいことだし、危険なことでもありますよね、それは。
いや、全然誰かの人生をこの映画のタイミングでずらせる可能性あると思うんですよ。
直接描くっていうことは、その、いや私はそんなつもりでやってませんって逃げ道がないっていうことにはなると思うんですね。
うんうんうん。
いやその、フィクション無罪なんて通用しないですよ。だって描いてるもんって。
うん。
逃げるんだったらメタファー使えよって話じゃないですか。
うんうんうん。
でもそれをやってる?公罪あると思います、それは。
うん。
良きにつけ悪きにつけあると思いますけど、やったっていうのは、まあ僕は賞賛します、僕はね。
でもそれを強く否定する人がいても、それは正しいと思いますし、そうあるべきだと思います。
うん。
この作品の一側面は咎められるべきだと思います。
うんうんうん。そうですね、ほんとに。
いやー、なんかいい話できましたね、なんかとか言ったらあれですけど。
最初めちゃくちゃ不安やったんですけど。
いやなんか、そう、やっぱこう、ちょっと公開から日が経った上でやっぱり改めてこう、見つめ直すってことが今回できたんじゃないかなっていう、思いますけど。
はい、そうですね、ちょっと僕も当日浮かされた感じありましたけど、ちょっと作品というよりやっぱり深海誠監督との付き合いっていう感じというか、
おー、今回やってくれたねーみたいな、その長い付き合いに対する評価というか、積み重ねを知ってるっていう部分があったなと思ったんですね。
1:15:10
まあそういう見方をしちゃいますよ、やっぱり、好きなのでとかはほんとに。
分かります、分かります。やっちゃいますよ。
でも作品単体の意義みたいなもの、特に今回直接的に描いたものに対する評価ってなると、結構冷静になってしまうなと思ったんですね、ここ数日で。
で、それはされて叱るべきだし、むしろ深海誠監督に残された次のフィールドだと思うんです、そこが。
うん、そうですね。
そこを期待したいなと僕は改めて思いましたね。
これを書いて次、メタファーにも戻れないんですよ。いけますかね、こんな得意を書いて。
そうですね。
次の次回作があるとしたら、またメタファーに戻るのかどうなのかわかんないですけど。
あまりにダイレクトでちょっとびっくりしたくらい、重大災害が起こったところを点々とロードムービーするあたりで、
あ、これはってなってきて神戸行くし、愛媛の伊予のところ行くし、熊本ですね、最初。
宮崎ですね。
宮崎。
そうですね。本作は熊本から出発すべきだったんじゃないかって意見を見たこともあります。
そうか、宮崎って別にないんか。
それか、南海トラフって宮崎関係あるのかな。
大抵多い感じですからね。
ありますね。それはあると思います。
あるかなーとか思ったけど、まあいいです。そこまではいいです。
初め見たとき、各地、舞台となる各地が災害とどこまで関係してあるかって、あんまり僕関連づけて見れてなかったんですよ。
愛媛の土砂災害ですよね。違いましたっけ。
あれ大雨ですけど、土砂災害の。
あれは広島か。愛媛もありましたっけ。
あったのかな。
すみません、うろ覚えで。
廃墟になっている原因は土砂災害でしたね。
土砂災害。
神戸の遊園地、山の上の廃墟の遊園地、あれは直接災害によってどうこうっていうものではないですけど、
やっぱり神戸って阪神大震災を境にさびれたんですよね。神戸っていう町の勢いがなくなったんですよ。
で、それの結果の一つとしても見えるかなって思って。
で、東京は関東大震災があり、東日本大震災の一部でもありっていうところでもあるから、そういうふうにも触れてるっていうところ。
ちょっと僕の知る限りだと宮崎はパッと浮かばないですけど、そういう意味づけはあったのかなって気はしましたからね。神戸の遊園地に関しては。
あそこでわざわざ大阪ではなく神戸を選ぶっていうのはやっぱりそういう意味合いはあるんやろうなとは僕も思います。
特にアーケードになっている下町のあたりとかってむちゃくちゃ被害ひどかったところですからね、あのあたりは。
1:18:03
あそこで三宮とかじゃなくてあっちの方の商店街出すっていうのがやっぱり、今実際住んでるからでもありますけど、
その三宮よりもやっぱり東側に行くとだんだんやっぱりこう勢いがなくなっていくっていう印象は僕も。
それはやっぱり話を聞くとその大震災以降やってるのは聞いてたので、そこのやっぱり商店街の場所を出すっていうのはやっぱりそういう意味合いがあるんだなと思うんですよね。
閉まりそうでちょっと広がっちゃいましたね。
そうですね。
広がっちゃったなと思って。
広がっちゃいましたね。僕がちょっとこじ開けてしまいましたね、最初ね。
山口さんが途中で抜けた時に閉じればよかったものを私が。
閉じまりが全然できない。
私は金銘匙を引き抜いてしまいまして、開いていたしました。すみません。
じゃあ閉じまりしますか。
閉じまりしましょうか。
お返しモースしましょうか。
しましょうか。
そうですね。
じゃあここら辺でスズメの閉じまりの話は終わっておこうかなと思います。
次回はブラックパンサーワガンダフォーエバーになる予定です。
たぶん。
そうですね。
ちょっと最近ね、あんまり計画的にテーマ選んでないから、次どうなるかわかんないですけど。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバーを11月も開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日刈りイベント型カフェバー、週間曲がり。
日時は11月26日土曜日、オープンが19時、クローズが23時となっております。
スータさんと西野さんは今回いらしていただけるんですか?
もちろん。
お願いします。
もちろん。
ありがとうございます。
お待ちしております。
この番組ではお便りを募集しています。
次回テーマ作品の感想や番組全体の感想など、ご自由にお送りいただけると幸いです。
この番組のイメージキャラクター、映画の話したすぎる猫、仮をあしらったグッズを販売しております。
あと、次回テーマ作品の告知などを行っているツイッターアカウントもありますので、よかったらフォローください。
ツイッターアカウント、グッズ販売サイト、お便りフォーム、いずれも番組説明文に記載しておりますので、よろしければご確認ください。
はい、あとマリオさん、単価喫茶のお知らせを。
単価喫茶の?これ単価喫茶間に合うんですか?配信。
わかんないです。
わかんないですか。とりあえず取得ってことですね。
取得。
わかりました。え、てか僕でいいんですかね、これね。
11月の19日に週間曲がりにて単価喫茶、単価をテーマにした企画をやりますので、単価をテーマにしたカードゲームですとか、それこそいろんな佳人さんとか喋りたいとか、
1:21:02
そういった単価についてあれこれまったりするような喫茶になってますんで、14時から19時の間、週間曲がりにて開催しますので、私マリオンと大須田さんと西野さんがお出迎えしますので、よろしければ皆さんいらしていただけたらなと思います。
西野さん、今夜バーのお知らせもどうぞ。
本屋バーはですね、なんと18日なんですよ。
さすがに。
18日。さすがに19時からテーマは独唱ギリって言って、初めて読んだことない本手に渡されて、僕がくじ引き引いて、これは人生で一番泣いた本みたいなテーマが出て、はい喋ってくださいって言って2分間で大ギリしてもらうっていうもうめちゃくちゃな企画なんで、
本読んでない人がいっぱい来れるっていう、で大嘘もうめちゃくちゃ熱く語ってもらうっていう大ギリです。
あれ、単価喫茶の後ってこと?
前日。
あの前ですね、前日の金曜日の夜なんです。19時から11時までので、で翌日は単価喫茶です。
さすがに間に合わんかな編集。
あれ、次回まだ決まってないですか?
12月は全然決まってないです。
分かりました。週間回りで本屋バーやってますので、月1ペースぐらいでよかったら来てください。
あと大須田さん、ご自分の番組も。
あー、すいません、ありがとうございます。私とあと大学時代の友人ドヤと、あとさっき出したんだけど、構成作家さんのパノさんという3人を含めまして、話の合わない俺たちはそういうポッドキャストをやっております。
だいたい週1回何かワンテーマを決めて日常の中で感じた些細なモヤモヤだったりとか、あとは推してる単価家人さん、あとは映画、漫画などの感想をゆるいと話したり、30分ぐらい話した番組を行っております。
もしぜひご興味ある方はスポティファイやアップルポッドキャストで各社アプリでお聞きいただければと思いますので、ぜひぜひといったところですかね。
はい、ありがとうございます。お二人番組参加いただいてどうでした?
僕もこのラジオのヘビーディスナーなのでめちゃくちゃ緊張というか、なんかスワッスワしてます。
緊張しなくていいです。
僕も見た映画はみなさんどんな感想をのたれたかなっていうので聞かせてもらうんですけど、そんなに僕ここでといてなんなんですか。映画見ない。
月2本見ていい方くらいの人間なんで、あとはなんか借りてきてみたり、サブスク飲んでみたりとかそういった人間なんで、その目線でもなんか語れる部分もあるんかな。
それはやっぱり本読んでたり普段の経験とかで込み上げて、今日もちょっと話したんですけど、おばあちゃんが話してた時にふと思い出したりとか、そういったのも含めて映画の語りって面白くなるものなのかなっていうようなちょっとした気づきがありました。以上です。
映画の話はバーリトゥーズですから。バーリトゥーズというかストリートファイトですから。何使ってもいいですよ。
1:24:09
ファイト経験少ない奴でもなんか別の飛び道具とか出せるじゃないですか。その視点で語る奴もおってもちょっと変わった感じが面白いんじゃないかなって思っていただけたら嬉しいです。
ちょっと今日トラブル続きではあったんですけど、参加いただいてよかったです本当に。ありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
それでは映画の話したすぎるラジオリニューアル第91回、スズメのとじまりの回を終わりたいと思います。それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
さよなら。
01:25:11

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