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2025-09-30 1:05:22

第231回(2)『ひゃくえむ。』100mを誰より速く走ってみせる、たとえ何も解決しなくても

『ひゃくえむ。』の話をしました。

個々のキャラクターは100m走というシンプルな世界に没入しながらも、作品世界には厚みと複雑さを持たせるストーリーテリングのバランス感覚と、それらに説得力を持たせる圧倒的アニメーションなどについて話しています。

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サマリー

アニメ映画『100m』は、100メートル競走に人生を賭ける若者たちの情熱と狂気を描いています。物語は、生まれつき速く走れるトガシが辛い現実から逃れるために走る転校生コミヤと出会うところから始まり、二人の友情とライバル関係が進展していく様子が描かれます。映画『100M』では、陸上競技を通じて主人公の内面の成長や葛藤が表現されています。特に、トガシとコミヤの関係を通じて、スポーツにおけるアイデンティティの探求と自己理解の深化が重要なテーマとなっています。 第231回では、陸上競技における自己啓発や競争に対する哲学が語られています。また、登場人物たちのロジカルな思考がどのように形成され、自己の存在を定義しているかが探討されています。このエピソードでは、100メートル走に対する主人公の信念とその周囲の反応が深く掘り下げられます。特に、才能と努力の二項対立を超えた複雑な情況や、登場人物たちの個々の物語が描かれ、人生の意味や挑戦について考えさせられます。 このエピソードでは、アニメ映画『100M』のアニメーション技術やキャラクター描写に焦点が当てられ、特にレースシーンの緊張感とリアリティについて語られています。また、将棋界の藤井壮太とその挑戦者たちの関係がアスリート精神と重ねられ、多くの興味深い視点が提供されています。

スポーツ漫画の映画化
今日のテーマトークは、100mです。はい、ではマリオンさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。
地、地球の運動についてで知られる、ウォートの連載デビュー作で、
陸上競技の世界で100mという一瞬の輝きに見せられた者たちの狂気と情熱を描いたスポーツ漫画100mをアニメーション映画化。
生まれつき足が速く、友達も居場所も当たり前のように手に入れてきたトガシと、
辛い現実を忘れるため、がむしゃらに走り続けていた転校生のコミヤ。
トガシはコミヤに速く走る方法を教え、放課後に二人で練習を重ねていく。
打ち込めるものを見つけたコミヤは、論欲に記録を負うようになり、
いつしか二人は100m走を通じてライバルとも親友ともいえる関係となる。
数年後、天才ランナーとして名を馳せたトガシは、勝ち続けなければならない恐怖に怯えていた。
そんな彼の前にトップランナーの一人となったコミヤが現れる。
松坂通りがトガシ、染谷翔太がコミヤの声をそれぞれ演じ、
共演には内山幸喜、津田健二郎、高橋理恵、種崎敦美、
結城あおいら、豪華声優陣が集結。
2020年の長編第一作、音楽で国内外から高く評価された岩井沢健二が監督を務め、
機動戦士ガンダム、閃光のハサウェイの武藤泰幸が脚本を担当。
はい、ではここから内容の話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
登場人物の成長
では沢井の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、いやちょっとすごかったっていう感じでしたね。
見ながらセッションとかレスラーとかそういう類の映画を思い出すタイプの映画だったなっていう印象でした。
100mを駆け抜けるわずか10秒間の世界を信じる視野の狭い人たちの話として大変よろしいと思いました。
本当にひたすら閉じた世界の話だけしてて、その中で自分とはみたいなことをずっと問い続けてるみたいな映画だったなというふうに思います。
僕はそういうような情熱を捧げるような、人生の哲学レベルまで達するような情熱みたいなものを持って何か、
物を取り組んでるとかってことはないんですけど、ただなんか彼らのその情熱ってもうそれってもう死んでしまったらもう戻れないレベルのものなんだろうなと思って、
そういった類の情熱にやっぱ僕は施されちゃうところはやっぱあって、風立ちぬにおける風が吹いたらもう飛ぶしかないだろうみたいな、
そういうマインドが描かれちゃうと結構僕はもうそこに戻されちゃう部分があるので、なんか今作もそういう映画だったなというふうに思いました。
あとはやっぱりアニメーションの表現がやっぱりすごかったですね。
ノトスコープまで使ったあの動きというか、途中本当にちょっとどうかしているようなレベルの描き込みとか、
なんか彼らの異様な身体性を表現する上で、あのアニメーション表現は完璧だなと思いました。
本当彼らの動きが本当になんか普通の人の動きじゃないみたいな、そこが本当にすごいなというか、そこが表現されてて本当に見事だなというふうに思いました。
ちょっとこれ今年の日本のアニメ作品の中でも1,2を争うレベルのとんでもない作品なんじゃないかなって思いました。
はい。
はい、大井さんいかがでした?
結構僕構えながら見に行ったんですけど、というのも地一級の運動についてが嫌いとまでは言わないんですけど、ちょっとね嫉妬が隠せないんですよ、あの漫画。
科学というものにそのひた向きさで向き合えるのは、かつての自分の理想であって、今自分が手放したものでもあるので、地を語る時って自分は嫉妬にまみれちゃって、
自分の中で一回語ったんですけど、一回語ろうとして没にして、もう一回語り直して、自分がそのこの作品のことを否定したいのは嫉妬のせいだっていうことに落ち着けて終わってるんですけど、なんかその厚いものを持つってことに対して結構こうなんていうかな、コンプレックスがあるんですよね、自分の中で。
で、まさにその前作、今井沢監督の前作の音楽もまさにそういう感じの作品ではあったので、大丈夫かなって思って見に行ったんですけど、しっかり乗れたというか、100メートル走って題材がいいなっていうのをすごい思いましたね、題材で乗れてるところはかなりあるなって自分の中で思いました。
それこそちょうど今世界陸上やって、TBS共産に入ってるんで明らかに意図的な時期、公開時期だなって思うんですけど、実際世界の中でのその100メートルの記録みたいなものもこう見ていったりする中で、確かにここにかけるってちょっと異常だよなっていうのは、なんか見ていくと思うんですよね。
最初にこの映画の冒頭ってその人類史のところから少しこう始まりますけど、まさに人類史に対する挑戦でもあるっていう。ありながら自分への過去の自分だったり、あるいは自分の限界に対する挑戦でもあるっていう。
人間のその限界値を超えるっていう営みが100メートル空としたら、そこにかけてる人たちは確かに異常で、なんかそこに熱量はあってしかるべきって思えるので、だからこそ本作はすごいその一点に絞った視野の狭さに乗れるなって思ったんですよ。
なんかそれを予想の別の世界の話として捉えられちゃうと、やっぱりどこか違和感があったりとか、少しこうそこを描かないのはずるくないかなっていうところが自分の中に出てきちゃうんですけど、本作においては全くそれを感じさせない。
しかも、徐々に大人になっていくにつれてそうはなれないっていうか、そうなりたいけどなれないっていう狭間の部分もまさに本作後半で描いてくれてるっていうところもあるので、なんかその辺りが自分にとってすごいグッときたなっていうのは思いましたし、
これなんか累作でこれあげるのちょっと申し訳ないなと思ってあげるんですけど、馬娘プリティダービーの2期が好きなので、話としてはすごいそれに近いなっていう感じというか、諦めかけて走るというところにもう一度挑みに行くその主人公の戸橋の姿っていうのがすごいそこに重なるところがあって、
そういう部分は嫌いにはなれないところもあったりするので、そういう意味で思ったよりもしっかり楽しめてちょっと安心してる自分がいるっていう。そんな感じの感想です。
視覚と音響の没入体験
はい、僕はですね、ものすごく哲学に関する話として見てました。あの実論主義の話やなと思ってたんですよね。意味を持たずに生まれてきた人間が自分の本質は100メートル層だって定義づけようとする話っていう風に見てて、
すごいあの象徴的に劇中で使われる言葉なんですけど、100メートルを誰よりも速く走れば全部解決するって、すごい象徴的なセリフだと思うんですよね。すごい後ろ向きなんですけど、同時にそれによって自分が何者かが決まるっていう力強さにも満ちてて、本作のすごい光と闇が合わさったすごい強力なパワーワートだと思うんですよね。
で、その本作結構100メートル層自体を世界全体が祝福してる感じってないと思うんですよね。で、これはあの監督の前作の音楽とは違う部分だと思うんですけど、音楽はロックを世界が祝福してしまってる映画だったと思うんですよ。
そう、もうその話し出したら僕止まんなくなるんでもう。後で触れるかもしれないですけど。
ただ本作は別に世界自体は100メートル層を祝福してないんですよね。そう、個々人が勝手に思ってるだけなんです。100メートル層に対する執着を。でもそこが良さだと思うんですよね。
俺だけが100メートル層を通じて俺自身を祝福することができるっていう盲念に染まりきってるじゃないですか。そこが良さだと思うんですよ。それこそあの、さらば我々覇王別記における狂撃とかにも近いものがあると思うんですけど。
これしかねえからこれやってんのっていう。それは生きる手段としてこれしかないからっていうのもあるし、俺イコールこれって言っちゃった以上は最後までそれで行くしかねえっていう。
そういう半ば自暴自棄的な、自分は何者かっていう力強さに満ちた、すごいパワフルな映画だなと思いつつ、結構頭でっかちな話でもあるなと思って、個々人が哲学を言語化しようとするんですよ。
しかも結構回りくどくテクニカルな言葉遣いによって哲学を語るんですけど、それがこうちょっとまあ、その頭でっかちさがちょっと重く感じる部分もあって、その頭で考えたアスリート感っていうものにちょっと違和感を感じないでもなかったんですけど、
ただそれを全部圧倒的に乗り越えてくれるロトスコープによるアニメーションですね。これがその頭でっかちなストーリーの部分に、もう圧倒的な身体性を与えてくれていることで、説得力がもう跳ね上がってるんですよ。
頭で考えたんじゃなくて、身体動かしてるんだ、こいつらはっていうことを絵で説得してくるから、だからいいと思うんですよね、この話は、この映画は。そこを本当にやり切ってくれている、口で説明してるんじゃなくって、身体動かしてこうやってるんだっていうことをアニメーションによって伝えてくるから、いやもう格あるべしっていう描き方だったんじゃないかなと思います。
はい、てな感じで、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。まず大石さんお願いします。
はい、ぐっちょんさんからいただきました。
各エピソードごとに衝撃的な展開を見せてくれた地球の運動についてのウォートさんの連載デビュー作を音楽の岩井沢健二監督が映画化。このタッグを聞くだけで見たくて仕方なかったです。
音楽では実種制作体制で7年半の歳月をかけて完成させましたが、今作ではしっかりとしたアニメーション制作の体制が組まれながらも音楽に続いているオトスコープの処方を取り入れ、
必死になって走る各キャラクターの行走を手書きアニメーションの持ち味を活かして表現していました。
音響の素材撮りではスパイクにマイクを装着したり、実際にトラックに水をまいて劇中と同じ状況にするといったことをしており、
実写映画の撮影に近い状態で録音しているほどのこだわりによって劇中での体感度は凄まじかったです。
気が付けば嫌顔でも食い入れるようにスクリーンを見入ってしまうほどに、原作の持ち味を最大限に表現しています。
主人公のトガシは生まれつき足が速く、こんな小学生クラスに一人はいるようなぁと思える優等生タイプですね。
どちらかといえばコミアのような気分で本作を見てしまい、トガシのようなクラスメイトに出会いたかったなぁと思ってしまいました。
だが気づけば誰もが才能を快化し天才同士の競い合いに恐れるばかり。
とはいえ天才同士の中でも順位はついて回るもので、
挫折してしまうものがいれば、さらに故郷の存在となるスプリンターもいるので、
最速にでも男たちの戦いに大いに胸を熱くし続け、見終えた一作でした。とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
あの、原口さんね、書いてくださってますけど、音響?というかサウンドデザインやばくなかったですか?
うん、確かに。いいですよね、本当に。
僕ちょっとパンフレットとかメイキングとか全然知らなかったので、
原口さんが書いてくださったような、めちゃくちゃこだわりまくった録音みたいなところまでは知らなかったんですけど、
普通に見てて、劇版とかも含めて、イヤガオウでも彼らの信じている狭い世界にどんどんこっちも入り込む、
みたいな感覚、というか臨場感みたいなのをすごい感じたんですよね。
それはお便りにも書いていられたし、それは僕もちょっとすごい状態、すごい劇場体験だったなっていうのは同じ感じましたね。
そうですね、まさに劇場の音響で見るとより没入感を深めるような体験になってるっていうのはまさにおっしゃる通りだなとは思いますし、
なんとなくここでも語られた通り、主人公とコミヤ、トガシの関係性の変化みたいなものも結構面白いなと思って見てたんですけど、
ちょうどさっき原作の1巻が無料だったんでちょっとだけ見たんですけど、割と脚色してるんですよね、本作。
原作自体がもうちょっとセリフ多めというか展開が多めなところを、かなりエッセンスだけを絞りながら、
よりアニメーションっていうところでどう見せるかってところに特化した形で描かれてる。
渡さんの作品って結構やっぱり、さっき山岸さんが頭でっかちっていうふうにおっしゃったように、
映画の表現手法
セリフで対話劇的に進めていくところがかなり多い印象はあるんですよね、絵の力というよりも。
そこに今作の岩井沢監督のアニメーションが入ったことで、やっぱりさっき新体制とおっしゃってた通りで動きが生まれたというか、
明らかにより面白いものになってるっていうのが、やっぱり改めて原作を読んでみてこれはすごい脚色だなっていうのをちょっと思ったりはしました。
結構余白多いですよね、ここのキャラクターの特に心情の部分。
なんか根本的な部分で何を考えて何を感じているのかって、割と余白が多いなと思いながら見てたんですよね。
たぶんそれは漫画やったら絶対語ってるはずだと思うところ。
実際言ってます、結構言ってます。
例えばそのトガシの足が速いことで自分はこのポジションにいるみたいな、その小学生時代のくだりって結構複雑な意味を帯びてるものだと思うんですよね。
足が速い自分というものを通じてしか周囲と接触してきてないから、それはやるしかないみたいなすごい重い鎖に縛られてると思うんですけど、あんまそこを触れないじゃないですか。
そこを割と、まあその映画って限られた尺の中っていう事情もあるでしょうし、
せっかくアニメーションになることで帯びた身体性をスポイルさせないような脚色にも思えるかなっていう。
ずっと喋りっぱなしみたいな、喋って伝えようとしてるみたいになりすぎないような、さじ加減をしてるような気はせんでもないなっていう。
なんかその辺がやっぱりアニメとして、アニメ映画としてこう1本作るっていうところで、まさにその音にこだわるってとこもそうなんですけど、
明らかにその原作、さっきチェーンソーマンはまさに原作のアニメーションをどう、原作の漫画をどうアニメーションに落とし込むかが上手い作品って言いましたけど、
これは別の意味で漫画をどうアニメ映画に落とし込むかってところに成功してる作品だなというふうに思いましたね。
ちょっと原作ね、今日まで読んどけばよかったなって思ったんですよね。
ちょっと評判見る限り見た感じ、すごく原作から結構変えてるじゃないけど、落とし込み方がすごいんだろうなというか、
いろいろエピソードとか削ったりとかもしてるだろうし、っていうのを考えると、
まず原作からのアダプテーションという意味でも、これどれだけ達成されてるのかなみたいなのが非常に気になるなって思いましたね。
はい、では次のお便り行きましょうか。ではマリオンさんお願いします。
はい、エムハラさんからです。
店長メンバーの皆様こんばんは。テーマ映画の100Mですが、ロトスコープの手法を用いた映像は圧巻でしたし、全体的に歴の良い映画だとは思いました。
ただ原作にあるトガシのネガティブなモノローグが大きく削られていたり、高校編の展開も大きく改変されており、原作と比べると淡白で薄味な話になってしまってやいないかとも感じられました。
とはいえ、一本の映像作品として素晴らしいクオリティの作品であることは間違いないとも思います。
逃げ切らない感想を送りつけ、大変申し訳ありませんが、逆に皆様の感想が非常に楽しみの作品です。
はい、ありがとうございます。
エムハラさんは原作を読まれている方ってことでしょうね、これは。
主人公の内面的成長
うん。
だいぶ削っているんでしょうね、本当に。
高校編の展開も全然違うんですね、この感想が。
そう、でも高校編はちょっと僕まだ一巻の途中なんで、もうさらっと見ただけなんであんまりそこまで深く入れてないんですけど、
ただ、使っても前半だけ読んだだけでもあここ違うなって一個思ったところとしては、
コミヤにお前の走り方は陸上続けられなくなるぞみたいなことを言われるシーンが多分高校編の中で入ってたと思うんですけど、
あれを原作で言うのって、原作でトガシと一緒に対談する先輩いるじゃないですか、全国一の。
彼が小学生編の時のコミヤに言うんですよ。
へー。
そう、かなり早い段階で実は言うっていう。
そうなんですね。
で、結構コミヤはそこで明確にお怪我をしていて、その後引っ越すっていうところも結構変わらないんですけど、
なんかでもその子で実はコミヤが呪われてるっていう風な描き方をしてるんですけど、
逆にこの映画版はそれを後に持ってくることによって、
そのコミヤ側のその無自覚な無謀さというかみたいなものは結構はっきり描かれてもいるというか、
なんかそのひたむきに行けばいいんだってなっちゃってる人の見えてなさというか、
それゆえの凄さでもあるんですけど、なんかその辺のやっぱ細かい改編が本当に上手いと僕は思いました。
しかもそれを言うのって、高校の陸上部の首相ですよね、に言われるじゃないですか。
その後大人になった彼、彼らの様子を見てるとか結構熱くないですか?
熱いというか、うわーなんか色々感じるな、ここまでの描かれてない期間のことみたいなのをすごい感じて、
原作でもそれがそもそもあるシーンなのかもしれないんですけど、
あんなことを言った彼が今どんなふうに彼のことをコミヤのことを見てるのかな、大人になったとかいうのをめちゃくちゃ考えてしまうというか想像しちゃうみたいな、
そういう余白もあります。
そうですよね。
そうですよね、もうそれ自分なんでもうほぼ。
今なんかすごい大井さんのかさぶとをベリって剥がしてしまった気がしますけど。
中学編とか多分もっと戸がしんどい思いしてるはずだと思うんですよ。
絶対に。
そこもあんま語らずに、高校編で割と軽いノリで陸上辞めようと思ってましたみたいな感じで、
しかも割と軽いノリで戻ってくるじゃないですか。
僕ちょっとあれ、原作知ってたら熱量当たらんなって思っちゃう分はあると思うんですけど、あんな温度感いいなと思って、
外から見たらあんなもんなんじゃないかなって、
辞めた人とか、あるいは戻ってくる人とかっていうのを、その内面って出さないじゃないですか絶対に。
何を思って辞めたかとか何を思って帰ってきたかとかっていうのが、あんまりこっちからわからなくなってる。
そこが溜めて溜めて最後に、あ、俺って人より速く走ることしかなかったんだっていうのに、見ず知らずの子供の前で気づいて同国するっていうめっちゃ恥ずかしいシーンが。
でもあの溜めが効いてると思うんですよ。
漫画だったら絶対に戸賀氏がいかに陸上に呪われてるかっていうのを語り続けないと、この話のモチベーションって持たないと思うんですよね。
でもむしろ、割と軽いノリで陸上に接せている、ちょうどいい湯加減の人間、ただ才能だけは圧倒的に恵まれてるぐらいに見えていたら、かと思ったらっていうね。
これはあれですね、少女怪劇レビュースターライトのテレビシリーズと劇場版の対比にもなってます。
お前ってやっぱ呪われてたよねってなるっていうね。
まさかそこからそこにたどり出てくると思われたからびっくりしたな。
そしておそらく山原さんに通じてることでしょう。
山原さんはたぶんわかります。たぶんわかってくれます。
でもなんかすごいわかるなーというか、そこの本当はじくじたる思いがあってやめてみたいな、
地続きの連続したドラマというか、おもおもしいドラマが付与されるみたいなので、それはそれで全然いいんですけど、
案外なんか普通に、もはやルーティーンみたいな習慣というかぐらいの気持ちでやってたものが何気なく、もしかもそれが、
っていうのが、え、俺の人生これしかないじゃんみたいなレベルのものだったみたいな。
結構そういう人多いんじゃないのかなと思うんですよ。
ここまで切羽詰まったものじゃないにしろ、これ僕というか自分を司るすごく大切なものだったんだみたいな。
それはなんか自分で気づくんじゃなくて、他人から言われてそうなんだみたいな思うみたいなことって結構あると思うんですよね。
だからなんか、今作の100メートルとか陸上へのとかしの、一見さっぱりとしてるんだけど実は深刻なものだったというか、
深刻に自分のものだったみたいな感じの分かり方って、なんかすごく、僕はすごく山口さんがおっしゃってたとおり、僕もリアルだなというふうに思いました。
そのいいなと思うのが、理性で理解するんじゃなくて身体で理解するって感じが全てあふれてる。
そこになんか身体側のその本能みたいなものが、捨て切れない本能みたいなものがしっかり描かれてるところがすごいいいなと思って。
そうなんですよね、なんかそれってやっぱり漫画では少しこう描きづらいところなのかな。
まさにその主観の脳の中とか考えてることは多分すごく描けるんだと思うんですけど、一方で動きだからこそ描けることっていうのを多分しっかり描いてみせてるなと思うので。
うん、そうですね。
トガシが結構高校編って割とサクッと陸上をやってるじゃないですか。
結構体体温だなってなるし、あとそもそもなんですけど、トガシもコミヤもきっかけは手段としての100m走だと思うんですよね。
トガシは足が速い自分という小学生の中でのポジションのために100m走をやってたし、コミヤはゲンジと逃避の手段としてやってたけど、だんだんそれがアイデンティティになっていくんですよね。
俺はこれなんだっていうのにだんだんすり変わっていってると思うんですよ。
スポーツとアイデンティティ
というか常に同時に存在してて、その濃淡がだんだん濃くなっていって、いつの間にかもうそれは人生から剥がせない濃度になっちゃってるみたいな。
それをこの映画の中ではそれに気づくっていうところに最大の場を持っていってるっていうのが、ちょっと原作知らない上で言いますけど、この映画の最高性の一番上手いところなんじゃないかなってちょっと思いましたね。
企画材料持ってないのに言ってますけどね。
ちょっとだから、今回の話は本当に映画の手の話にどうしてもなっちゃうのは申し訳ないんですけど、原作もちょっと読まないといけないですね。
はい、では次行きましょうか。オイスさんお願いします。
グッドウォッチメンズ大ちゃんさんから頂きました。
店長メンバーの皆様、こんばんは。グッドウォッチメンズの大ちゃんです。先日映画紹介屋さんでは大変お世話になりました。
ぜひリスナーでしかなかった自分が今年に入りコラボ会を収録したりイベントでご一緒することになったりと改めてズーズーしくアプローチしてみるものだなと考え深く思っております。
また機会があれば何らかの形で一緒に何かしてみたいと思いました。
さて今回扱われる100Mですが、映画的な表現もさることながらパーソナルな部分で自分と響くところも多くてとても見応えのある作品でした。
私自身走ることが好きだったため、身の回りではそれなりに能力が突出していることを認識した後に井の中の蛙であったことに気づかされたり、体育祭の短距離走でスタートに失敗したり、リレーのバトンパスをたくさん練習したり、
1年準備して挑んだフルマラソンで思ったようなタイムが出ず、完走後に一目も関わらず号泣してしまったりなど、走ることについてエピソードを挙げると湯水のごとが溢れてしまいます。
そんな自分語りをしてしまって恐縮なのですが、スポーツと自分語りって避けて通れないものなのかもしれないと本作を鑑賞して感じました。
競技に参加する者がそれぞれキザな言い回しで自己啓発棒に乗っていそうな哲学的な話を語り出すところに最初はどうしたものかと思いましたが、
相手に伝えるよりも自分を鼓舞する言葉としての覆面が強いように思います。
それは競技に対してガチでやっているからではないでしょうか。
本作では正面の切り返しで言葉を交わすシーンが頻発します。
ガチから生まれる言葉を発して身体を動かすスポーツをする者の功用が描かれた作品として私はとても胸を打たれました。
なかなか大変失礼しました。皆様のお話もとても楽しみにしております。
そのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
自己啓発と競争
映画紹介屋さんもありがとうございました。
ありがとうございました。
本当に参加していただいて本当に助かりましたというか、ありがたかったですね。
急にお声掛けしたんですけどね、本当にフランスから来た大ちゃんですね。
ちょうどね、そうフランス帰りのっていう異名でね。
ちょうどシネマの前で論じることでフランス界が確か抗争されてるはずなので、詳しくはそちらの方を聞いていただけたらいいと思います。
打ち上げで思いましたけど、大ちゃんさん思ってたよりずっと変な人でした。
内容に関してなんですけど、ちょうど走ることに関しての話を大ちゃんさんを含めて話した後だったですよね。
そうですね。
そうですね、そうしたんですよね。
走ることで自分の体と会話するみたいなことを、ちょうど週間曲がりであったお客さんと話しして、この100Mっていうのはすっげータイムウィリーやなと思いながら。
スポーツ選手ってなんであんなに自己形発音出すんだろうなっていつも不思議だったんですけど、
自分を鼓舞する言葉を持ってるからなんだなっていうのをこのお便りを聞いてて、お便りを読んでて初めてそういうことかって理解できたというか。
ずーっと何か考えながら反復練習をしてるわけですからね。
絶対言葉の力借りないといけないし、多分めちゃくちゃいびつな哲学がそこに形成されていくと思うんですよ。
で、僕本作見てて思ったんですけど、やっぱね、なんか変だと思うんですよ。
なんていうか、極端だし、本当は僕そんなこと思ってないでしょって思いながら各キャラクターたちの言葉を聞いてて、
極論すぎるなって、でもその極論を使わなければやっていけないからその極論を使ってるなっていう本心はもう自分でも見ないようにして、
自分の本心を追い隠して自らが言葉として走った哲学で自分そのものを無理やり染め上げようとしてるなっていう登場人物みんなが。
そうですね。
特にカイドウとかちょっともう異様なところに行ってますからね。
変ですよね、あのセリフ。
あのおっさんは本当に変。
あのあれか、いつも二番手って言われてる人。
日焼けもじゃになっている、でも俺は現役を続けるって言ってるあいつです。
登場人物の哲学
いやー、あいつね、かっこよかったなーちょっとなー。
あれね、すげーちょっと飲み込んじゃうなっていう、あの人哲学本とか言ったらちょっと俺飲み込まれちゃうかもなーみたいな感覚ありましたね。
現実を知って現実から逃避してやるみたいな、あれすっごかったですね。
ちょっとね、もう言葉遊び入ってると思うんですよ。
そうそうそうそう。
でも、だからそこはやっぱり自己啓発本っぽさなんですよね。
だから各登場人物が言葉遊びで自分を騙してるから、100mが人より速かったら全部解決するなんて嘘なんですよ。
それを自分に言い聞かせてるから、そういうことだって思おうとしてるから、やっぱそこに変なロジックが入った哲学をみんなが持ってて、
なんかその自己啓発本、各登場人物たちの自己啓発の文章を読まされてるような感じもあるなと思って、そこは魅力でもあるなと思います。
そうですね。そういう意味で、日本王者の人、ちょっとお名前を忘れてしまったんですけど、あの人が一番僕ヤバいなって思いました。
なんだろう、こんなにも人間性捨てれますか?みたいな、走ることに対してみたいな。すべてロジカルじゃないですか、あの人。
普通人間ってそんなロジカルに動けないと思うんですけど、あれちょっと異常だなって思って、合理性で生きてる感じっていうか、
あれ、あの人が一番狂気をはらんでるなって思っちゃったんですけど、なんかさらっと引退宣言した後、あの人なんか普通に死んじゃうんじゃないかなって思っちゃったんですけど正直。
生きる希望とかなさそうで、大丈夫かって思いましたけど。
僕結構あの人に関しては、結構極論を口にすることで、ということにしたいっていう感じかなと思って。
そうは思い切れてないからこそ口に出しているっていう。
俺はエキセントリックだっていうのを世の中にも出すし、自分にも訴えかけてるっていう感じに見てました、あの人に関しては。
もうキャラ付け?自分のね。
キャラ付け。そのキャラ付けから自分自身を後から定義しようとしてるっていう。
俺はこうだっていうのが、言葉が先にあるみたいな感じだと思いました。
ロジックと現実の関係
もう放った言葉で自分にこう、自分自身に言ってるというかフィードバックしてるというか。
だからもうちょっとカイドウっていうのは確かに対比にはなってるなぁとは思って。
現実を見る王者と現実から逃避するカイドウっていう。
そのぶつかり合いですよね。
ありますよね。
いやーでもほんとね、カイドウが下馬評を覆して勝っちゃうところ、取り方立っちゃいましたけどね。
うわーって。
そこいいっすよねー。逃避してやろうじゃないかって言ってニヤッと後ろから。
こいつマジで現実逃げまくって塗り替えたぞみたいな。
ちょっとね、痺れちゃったというかね。
いやーあれちょっと一番上がったシーンの一つですね。
なんか本当にそれぞれのアスリートのメンタルコントロール方法を見てる感じだなっていう。
こう思うことで俺はベストのパフォーマンスを発揮できるからこういうこととして話を進めるみたいな。
摩擦係数はゼロであるとするみたいな。
ないないないないないみたいな、現実ないよみたいな話ですね、確かにね。
そうですね、だからそれ考えると結構コミヤが大人になっていくにつれてよりこうロジカルな方に行っていくのが、
あーなんかだからこうそれがちょっと面白いなというか、むしろコミヤって気持ちで走る方だったはずなのにっていうところも、
しかもその間が描かれないじゃないですか、またこれも。
なぜそっちに行ったのかっていうのは結局描かれないけどでも匂わされるというか感じられるというか。
そうですね、なんか気持ちだけで追いつけなくなってるというか部分は絶対あるかなーと思ったんですよね、あそこで。
王者ではあるんだけど虚無に陥ってたじゃないですか。
ちょっとチャレンジャーズも思い出したりしたんですけど、戦うことの投資というか意義をちょっともう見失いかけてるみたいな。
あの辺ちょっとスポーツ選手ってそういう時期来るのかもな、ものなのかなとかはちょっと思ったりしたんですけど。
完全にお話としてはコミヤとトガシがある意味小学校の関係性が入れ替わるというか、片足を怪我してるのがトガシになり、
でコミヤは逆に勝つことの意味を見出せなくなっていてっていう。
それは小学校の頃のトガシとコミヤの真逆の関係性になってるところもなかなか構造としてすごい上手いなと思いましたし。
上手いっすよね。
はい、では我々からトピック出していこうかと思うんですけれども、まず支援2人の声のお話をしたいんですけど。
はいはいはい。
むっちゃ良くないですか。
めっちゃ良い。
めっちゃ良い。
めっちゃ良い。
もうね、コミヤの声をイメージしてる染谷翔太。
本当染谷翔太がね、なんか食わせ物感のあるね。
エキゾイントリックなキャラクターやらせてほんとピカイチなんですよね、みたいな。
ほんと最高ですね。
松坂とおりもね、やっぱね、同国のシーンで際立ったなって思いました。
ちょうど声の低さが冷静な大人っていうのを出しているというか、演じられてるわけじゃないですか。
でもそれがこうやっぱり崩壊する瞬間のあの声すごいっすよね。
同国のシーンやっぱりあのシーンが一番、やっぱりこの人たちおかしい人たちの話だって思えた瞬間でもあって、
そういう意味でも好きなんですけど、完全に子供たちがドン引かれてるみたいな。
あ、すごい走りの速い兄ちゃんなんだーじゃなかったわ、みたいな。
この人変な宗教の人だ、みたいな。
多分あの子たち思ってますよ、あれは。
でも現にそうだし、みたいな。
そうなったよな。
あとこれ映画だけの部分かもしれないんで、原作じゃないからわかんないんですけど、
高校編で先輩の陸上部の人たち、特に女子2人ですよねが、そんなガチでやってるわけじゃないけど陸上好きっていう人たちが、
特にそれに対してあまりこう、どうこう言われないというか作品から。
そこにあ、なんかぬるたいことしてんなーみたいな視点が入らずに、それはそれとして陸上のあり方として話が進んでいくの、めっちゃいいなと思って。
思います。
で、原作そこわかんないですよ、どうなってるか。
で、なんだったら僕この作者さんの漫画って、むしろそういう凡人に対する視線冷たいんじゃないかなっていうイメージあったんですよね。
はい、おっしゃる通りだと僕も思いました。
僕はちょっと地を読んでないので知らなかったんですけど、やっぱそうなんですね。
そうなんですよ。
もう地とかもうなんか作品コンセプトからして凡人に対する冷たい視線があるじゃんみたいな気がしてたから、そこ結構マイルドになってるんじゃないかなって思って。
たとえばその地においては地動説を信じるっていう部分であるとか、本作においては100メートル層ですけれども、それを絶対の断りにしてなさだと思うんですよね。
あの先輩たちの存在って。これぐらいの温度感で100メートル層に接しても別にいい。
まあ100メートル層というか、あの人たちはリレーだったんですけど、出演をした時は。
本来陸上はこれぐらいでいいっていうことが作中で言及されてるって結構やなと思って。
その上でこの異常者たちがいますっていうバランスなのがいいなって思うんですよね、僕は。
地で僕が乗れなかったのは完全にそこなので、生活のために地動説を唱えてる科学者が誰もいないことにすごく違和感を持えて。
別にあの当時はそれでもいいっていうか、むしろその方が多分正しいのかもしれないんですけど、科学者って割と飯の種のためにやってるよっていうのは結構思うところではあるんですよ。
だから高校生にとって地はすごい科学の啓蒙というか的な部分ですごいお手本のような評価者のような漫画だなとは思うんですけど、
大人だと見るときにもっとそのなんていうかな、大人な大人なって言うと、ただただそれだけにかけるだけじゃダメな部分というか、ある種ちょっとだけ政治的なところとかもやらなきゃいけないし、
なんかそういったところが全部ある種お見通されて、純粋な自分の興味に従った人たちによって科学が成り立ってるんだって言われるとすっげー違和感があって。
そこも乗れなかったとこだったんですけど、本作の100円も特に高校生編は結局走るのが速い人たちでもそうでない人たちも走ることの楽しさを見出すっていうことに軸足が置かれてる。
そこらへんは身体的な楽しさというか快楽の部分に軸足が置かれてる部分がすごい誰でもそこを許容できるようなバランスで描かれてるなと思って。
変なんですけど、でもその変さは誰しも持ち得る変さなんだっていうふうにも描いてるように見えるんですよね。
その間口の広さが本当に見事だなって思いました。
走るタイムを競うってあまりにもプリミティブなものすぎて、そこに意味とか込めるのがすごくハマっちゃうみたいなところがあるよなとは思いましたよね。
あとやっぱり、僕は地を読んでないのであれですけど、地動説を信じた科学者としての話っていうことですけど、
信じたものがたまたま正しいことわりのものだったからよかったけどさ、みたいなことなんじゃないかなと思っていて。
何かに妄信するって実はめちゃくちゃ怖かったりするじゃないですか、みたいなところがあると思うんですけど、たまたま今回はなんかそういった部分を、なんていうんですかね。
ちょっとやっぱ異常ではあるんだけど、なんかそこにジャッジしない感じって言ったらいいのかな、みたいなのがあるから。
信念と反応
そう。で、まさにうごとさんのその妄信することの怖さ、まさにその、ちなみに実は最後ちょっとこう反転するような描き方するんですけど、
妄信することの怖さより主題として描いたのがファクトっていう3冊目の作品。それは陰謀論にハマる男の子の話として描いてるっていう。
鏡合わせじゃないですか。
そうなんですよ。
すげーな、そんなことやってるのか。
僕結構3冊目の、3作品目の方が僕一番好きなんですけど。
ちょっとやばいな、それ読みたくなったわ。
まさにそれをずっと描いてきたうごとさんが、その異常さの方がむしろ際立つ形で描いてみせるっていう。
テクニカルだな。
そもそも地ってちょっと狡猾なコンセプトがある作品だなと思ってて。
だって我々は地動説が正しいっていうことを確信した状態で読んでるから、
その登場人物たちがチャレンジしているものの重みとかも本当の意味ではわかってないんじゃないですか。
天動説信じてる奴らおろかーって、地動説に挑む奴らかっけーっていうのを絶対に正しい位置から僕らが見てるっていう。
ある種のずるさがあると思うんですけど、それを疑わないと本当の意味で地動説を信じた人たちのところには行けないわけじゃないですか、それって。
しかもまさにファクトはそれで負けていく人たちの話なんで。
はいはいはい。
まさに。
なんかそこね、真理だなというか、さっき山口さんが言ってた構造のずるさみたいなのをすごい感じる映画とか結構ありますもんね。
僕何とは言ってもあんまこれ炎上するんで言わないようにしてると思うんですけど。
っていうのとかね、思ったりとかしますし。
あと今回の100Mの話において、100メートル層の閉じた世界だけを描いていて、なおかつそこに対する温度感の違い。
普通ぐらいの情熱の人も普通にいるみたいな描き方って、すごくなんか対比してこの世界がいかに素晴らしいかみたいなことを言わないようにしてる感覚がすごいあって。
だから結構乗れたというか、あるなと思っていて。
それこそ音楽の映画の話に出たんで言いますけど、音楽のロック史上主義感本当に大っ嫌いで。
ふざけんなよって思って。何がロックじゃって思ったんですけど、フォークでもええやろって思ってて。
そこのロックとフォークを比較して、どっちがプリミティブですか、ロックでしょって言いたいみたいな感じがすごい嫌だったんですよね。
等しくなんでも音楽って尊いだろみたいな。
そういう比較してあげるみたいな感じがすごく嫌だったんですけど、100Mってそういう作品じゃなかったんで。
それはやっぱり閉じた世界にあえてしてることによって生まれたものだなとはすごい思いましたね。
いや、ほんまにそうなんですよ。ほんまにそうで、僕もめちゃめちゃ懸念してたとこだったんですよ。
だからその100Mを誰よりも速く走ったら全てが解決するっていうのを主人公だけが言ってるからこの話はいいんであって、
世界がそれを認めてしまったらこの話はぶっ壊れるんですよ。
そうなんですよ。
才能と努力の深層
そのバランス感覚がこの作品にはあったからめっちゃ入りやすかったです、本当に。
僕も見る前めちゃくちゃ100Mヤバい映画だろうなって思ってました。
はいはいはい、100M走り切るやつが偉いんでしょみたいな。
100M走はいかにプリミティブでその他のスポーツがいかにゴタゴタしてるかみたいなこと言いたかるのかなみたいな。
ギャスいじゃないですけど、正直やりました。
あとこの手のスポーツ漫画とかではよくあるんですけど、ずるい構造として才能と努力の二項対立っていうのがあると思うんですよ。
はいはいはいはい。
才能があるキャラと努力しているキャラっていう二項対立させて、それぞれが才能はないけど頑張ってるとか、あるいはもう才能だけでいってるとかっていうところに魅力持たせたりするけど、
それって僕オカルトだと思うんですよね。
物事が才能と努力の二項事項だけで決まるってそれオカルトだと思うんですよ。
例えば努力ってどういうトレーニングをするとか何を鍛えるとか、あるいは才能って言っても筋肉の筋とか骨格とかっていう、そういうもっと遥かに細かい色んなものが組み合わさったものを超大雑把に才能って言ったりとか努力って言ったりしてるっていう。
でそれをキャラクターの属性にするっていうことはめちゃくちゃずるいことだと思うんですよ。
勝手にこっちが感情移入して俺って才能ないけどとか、あるいはちょっと才能ないね努力してとかっていう感情移入をできるような、本当は全然そんなことないのにそういう乗っかれるようなものとして作ってるじゃないですか。
なんかそのずるさを本作あんまり誇張してなかったなと思って。
だからトガシが天才でコミヤが努力家っていう、なんかそんな単純なものじゃないっていうことをそういうふうにしてる。
でこれで努力が才能打ち破るとか言語化されたらちょっとなんかそこまでシンプルなことしていいんかってちょっとびっくりしちゃいかねないから。
やっぱりそのそこもなんというか身体制だと思うんですよ。身体を言語化しきることはできないっていう。数値化もできないしっていう。
ただ最終的にどっちがこの100メートルを速く走り切ったかだけは分かるっていう。そこに美しさがあると思うんですよ。
もっと本当にこの世界の複雑さすべて、あるいはもうそれぞれの才能とか努力だけじゃない、人生全部含めた中で、
そんなもう圧倒的に複雑すぎるこの世界のすべてのことわりをたった100メートルに詰め込んで、どっちが速く走るか勝負しようぜって言ってその結果を決めるっていう。そこにロマンがあると思うんですよね。
だからいいと思うんですよ。そのそこのなんかわかりやすさに逃げてないから。
いくらでもそのキャラクター付けできますからね。この特に小学生編見る限りは。
そうですね。そういう安易さに逃げてないところは本当になんかすごいというか、やっぱ最後の終わり方とかなんかもうそこに人生が並列しているだけでしたみたいな終わり方じゃないですか。
ただそこに走り抜ける人とは人がいて並列していました以上みたいな、なんかあの切れ味のある終わり方もねすごくいいんですよね。
俺はここにいるぞっていうレスラーってもうマジそういう映画だったなって思ったんですけど、ちょっとレスラーを思い出しましたよ僕は本当に。
そこらへんに馬娘を連想させたんだけどね。馬娘まさに走る話なんで。
ドンピシャでねそっちはね。
走るというアイデンティティの話だからまさに近いところはあるなと思いつつ見てたんですけど。
僕はねあのガローデンってご存知ですか。
ガローデン。
ガローデン。
ガローデン。
イメマクラ爆の小説なんですけど、それのタンバ分支地包み城兵船っていう超傑作エピソードがあるんですけど、
才能とか努力とかそういうのじゃなくて、もう全部詰め込んで俺とお前という2人の人間を比べ合いっこしようぜって言って殴り合いするんですよ。
あーそういうの。
なるほどなー。そっか。そっか確かにな。
たぶん馬娘もそのやっぱそのライバルという存在みたいなそこに向けるレースの話で人生がみたいな話ですよね。
そういう意味ではレスラーは完全に1人の話になってるので要は。
俺はそれでもリングに行くからみたいな思い方するので、
本当にあの体ぶっ壊れててもうやばいですけど大丈夫ですかみたいな。
俺これしかないからみたいな。という意味ですごいレスラーを思い出したし、
まああとまあ僕は摂書も思い出したのはそこは2人だからっていうのはあるんですけど。
あーなるほど。
僕それこそあの結構その高校生編であのトガシの先輩でもう陸上を辞めている彼について描かれたのが結構僕にとっては救いで、
もう要は負けていく人がしっかり描かれているというか。
もう残らないことを決めてるけども走り続ける人を描いてるあたりがすごいいいなと思っていて。
かっこよく引退するわけでもないんですよ。ただただあいつはもう終わったなって終わるんですけど、
でも彼の中ではある種の満足とか達成感が描かれてるっていう。
まあなぜ好きかそれは僕だからなんですけど。
いいですねいいですね。
人生の意味
やり切ったこれはやり切ったんだっていうなんか個人の中での完結がしっかり描かれている。
それは怪物たちの世界に行けなくてもいいんだっていう風な。
その要は一番早く走れたらすべてが解決するっていうテーゼだけど、
全然そのテーゼにはたどり着かなかったけどでも俺なりに走ったからなって思えている登場人物が1人いるだけで僕結構救われるんで。
そうだよなって思えたというか。
そうっすよね。負けを悟った後って負けながら戦うっていう第二の戦いが始まるじゃないですか。
後の人生全部それですからね。負けながら戦うってことを死ぬまで続けるっていう。
そうなんですよ。負けたからってね人生終わんないんですよ。
そうっすよね。
同じ100メートルの世界を信じてる話なんだけど、
なんか宗派が違うというか、それぞれ見えてる神が違うみたいな感覚があるなと思っていて。
高校時代で辞めちゃう先輩は、あれはあれで自分の神を見つけ出してたかなと思うし、信じるものを。
見つけられたと思うし、まだ見つけられない人は永久に走ってるし。
っていうのが、だから信じる何か違うというか、そういう意味では三ツ鉢と遠来とかもある意味そういう近いとこはあるかなというか。
目指す音楽の神様というのが違うみたいな感覚があるなってちょっと話聞いてて思いました。
僕むしろ、ちょっとずれるかもしれないですけど、吉田圭介のブルーとかは結構連想しましたね。
常に負けていく主人公というか、負けるんだけどボクシングは好きっていう主人公がいて、
その主人公になんで彼がボクシングを続けるのかってことを描く映画なんですけど、
ラストシーンの高厚さがまさに彼の辞めていくラストランにもちょっと重なるところがあって、
走ったことには結果とは違う形での意味が生じるっていう、綺麗事っちゃ綺麗事なんですけど、
でもその綺麗事信じなきゃ人生やってけないじゃんってところがあって。
なんかそれをすごい感じられる、彼のキャラクター性から感じたんで、そこは僕にとっては結構救いになったし、
ああ良かった、うおっと作品まだ好きでいられるわってちょっと思いました。
なるほどな。
だいぶこう、いろんなことを分かりながらやってそうな作者さんですね。
うん、うん、だと思います。
怖さがあるな、手のひらの上で転がされてそうな怖さがある。
いや、でもちゃんとそれ引き出してね、面白いもの作れてるから、それすごいんだよな。
負けを知っても、そっから負けながら戦うっていう話の一方で、
こみやのね、目が好きなんですよね。
小学校の時からというか、小学校の時のエピソードで、
トガシ君と先輩の中学生のやついたじゃないですか。
で、どっちの方が早いかなみたいな言って、いやさすがに向こうでしょみたいにトガシが答えたのに対して、そうかなみたいなので、
トガシ君の方が早いんじゃないかなみたいな、
自分が信じているものの方が勝つ可能性っていうのを常に信じているやつだと思うんですよ。
で、同時に自分が今そんなに早くないって分かってるんだけど、
それでも世界で一番足が速いやつと一緒に走るってなったら、
いやでも俺は勝ちますけどって思ってる目やと思うんです、最初。
例えば自分の方が足が遅いと今この瞬間理屈で分かっていたとしても、
実際にやるってなったら、お前を殺すって言って走れるやつの目。
だから殺意があるんですよね、あの目に。
いやー、あの河川敷で対決する時の後ろから迫りくるあの狂気、やばいぞって思いましたよね。
あれは完全に殺す時のあれですねって思いましたね。
アニメ映画『100M』の魅力
そう、あいつ目に殺意があるからいいなと思って、
100メートルをどんだけ速く走っても人は殺せないからいい殺意だなって思うんですよ。
ウォート作品よく、てかよーよーあの目の人現れるんですけど、
多分ウォートさん一番好きなのはあの目の人なんだろうなっていうぐらい、
結構いいキャラクターになることが多いんで。
それを描く作家ですよね、きっと。
だから本質はずっとそれを描きたい人なんだなっていう。
それはそれをいろんな方向から批評もするし相対化もするんだけど、
でもこの目をした奴がいるんだっていうのを描きたいっていう。
どんなに批評しても相対化してもブレない殺意がそこにあるんだっていうことを描きたいのかもしれないですね。
そこに対する共振とっていう。
現代における共振者を描く作家だなって僕は思ってるので。
それは頭でっかちな作風になるよなっていう。
それは。だってそれを描きたいんだもんっていう。
共振を描きたいんだから当然頭でっかちになるよなっていう。
そうだからこそね、ほんと映像化する、
ほんと100M以外のファクトとか映像化するとしたらどういう感じになるんだろうなとかすごい興味ありますね。
なんなら実写化してくれたら一番面白いかもしれないぐらいで思ってますけど。
すごいなそれ。すごいですね。
ほんとファクトっていう漫画は知らなかったので、
こっちはアニメにも有名ですけど、ファクトめちゃくちゃ面白そうだな。
ぜひ読んでみてください。100M土地で応答した人はぜひファクト言ってほしいなと思います。
陰謀論の話なんですよね。
そう。
地動説の作品の次にフラットハウスの話描いたらめっちゃすごいやろなってちょっと今思って。
そういうことですよね。やってることとしてはね。
近い、近からでも遠からでも。
だからある意味地で描いた天動説みたいなものを相対化するというかね。
いやーすごい。
あとちょっと語りきれてなかったんですけど、
インターファイの決勝のシーンのアニメーションすごくないですか?
うんうん。
すごいあれ。
本作のハイライトだと思うんですけどあそこが。
特に僕ね、レース始まってからより前準備のシーンしっかり時間かけるの。
クラッチングスタートやる機械の名前わかんないんですけど、
あれのセッティングとかすべての選手がしっかりやってるところから描くんですよね。
あれを描いてることでこの映画本当に心から信頼できるなって思って。
わかりますわかります。
あそこで身体勢が乗るというか、
ザ・ファーストスラムダンクにおける体の動き方みたいなそういうに近いような、
これからこの体が躍動するんだっていうのを息を呑んで見る瞬間みたいな。
そうですね。
本作が走ってるシーンのアニメーションにだけすごい力を入れて描いてたら、
この身体勢の厚みって出なかったと思うんですよ。
本作において走るシーンって半ば言語化に近いものだと思うんですよね。
走ることに命を懸けてる男の絵を描くっていうのって、
言葉にしてるのとそんなに飛距離が遠くない気がするんですけど、
そのまだ走っていないシーン、それを準備しているシーン、
しかも主役だけじゃなくて周囲の脇役たちのその姿もしっかり描くんですよね。
あそこで本作、圧倒的に厚みが出たなと思ったんですよ。
将棋界の競争とアスリート精神
すごいよくってあそこ。
ロトスコープっていう手法も相まってというか。
これほどロトスコープが効いてくる作品もなかなかないよねっていうか。
やっぱりいちいち普通のアニメ映画というか、
アニメのような遠間で動くような動きじゃない動きが唐突に入ってくる感覚が随所にあるから、
よりあ、この人たち異常だっていう、違いの表現にもなってるし、
その躍動感にただただ感動をするっていう感じですよね。
最後ちょっとだけちなみにって感じなんですけど、
最近それをロトスコープで、無名の人生もちょっとだけロトスコープのシーンを使って、
一緒にそれをうまく使えてたアニメ映画だなって思ってたんですけど、
なんか本作と最近そういうアプローチが多いなって思ってエンドクリス見てたら、
背景鈴木達也って出てきて、
あ、関わってんだっていう監督。
そっか、そうだったのか。それ気づかんかったな。
Xによると千何十カットぐらいその後ろの背景描いてるみたいです。
結構アプローチが近いんで、なるほどなと思ったんですけど。
そうですね、似たアプローチを取る監督さんだし、
僕が冒頭で言った今年日本のアニメ映画で1位2位を争うって言ったのが、
1位2位って100Mと無名の人生のことなんですけど、
完全にこの2本が突出してると僕は思ってるんで、
すごい偶然というか、
同じ理念を持った人たちの話というか作品が、
なんか結実した年だったんだなって思いましたね。
しかも2人とも1人で制作した経験を持つ2人っていう。
だからもう誰もいないグラウンドで1人スタートの練習をし続けてたようなことを
やってた人たちがこのアニメを作ってるんですよね。
そうなんですよ。
何これ、これもまた100Mであるって話ですか?みたいな。
すごいな。
いやこんなことして何になるのかなって思う。
人が走ってる絵を模写してロトスコープのアニメーション作っていって、
これをやって何になるんだろうっていう。
いやでも俺が俺であるたびにこれをやるんだって言ってやってるんだと思うんですよね。
うんうんうん。
いやすごいですよね。
ちょっとこれだけあの、エンドクリズムであって思って言いたかったね。
気づかんかったわステージ。そのこと知れてよかったです今。
あとちょっとだけ触れたいんですけど、エンディング曲良くないですか?
あーらしさ。
あれヒゲ団の曲の中で一番好きになっちゃったかもしれないですね。
テレフレでちょっとね、なんていうんですかね、良い独語感って言って、
これ読み物じゃないかあるんですけど、すごい良い曲だったなというか。
なんとか敵っていうのを繰り返すあたりのとこすごい好きでした。
僕も一個だけ挟ましてください。
トガシとコミヤのラストのレースに近いことを現実でやってるのが、
ウジ・ソータ・リュウオウ名人と長谷拓役団っていう将棋騎士の2人だと思ってるんですけど、
この2人ってもうむちゃくちゃライバル関係で、
ウジ・ソータ・リュウオウ名人はほとんどのタイトルを持ってるんで、
大抵タイトル戦は2人の対決になるんですよね。
で、今んとこ全部ウジさんが勝ってるんですよ。
長谷区団は挑んでは負け、挑んでは負け、
たまに勝ってもタイトルを取れるほどの勝ちに繋がらないみたいな感じで、
ずっとその状態で、将棋騎士なんて死ぬほど負けず嫌いな人たちなんで、
負けるたび死ぬぐらいの心持ちでやってるんですよね。
でもその一戦が終わった後、
乾燥戦っていう、こうでしたねっていうのを振り返る時間があるんですけど、
その時はね、ほがらかになるんですよ2人とも。
さっきまで殺し合いしてたけど、でも楽しかったよねって言って。
で、藤井壮太という圧倒的な頂きに対して挑み続けてるんですよ。
やるんだって言って。
これはヤバいですね。
今の将棋界ヤバいんですよ。
藤井壮太に挑むということが何かっていう。
イカれた人たちなんです本当に。
まあ確かにな。
この瞬間は絶対に勝つって言ってやってるんですよ、全員が。
すごいですよねっていう。
これだけ言いたくて。
そこにもあるし、アスリートの世界があるっていう。
将棋界マジでアスリートです、将棋士は。
あとまあ将棋界は日本がトップなんで、本作の世界観が近いです。
番組の告知
確かに。
本作やっぱ世界がないじゃないですか。
そうなんですよね。この後世界陸上行ったらこの人たちどうなんだろうといつも思いながら見に回りましたけど。
確かにそうなんだよな。もっとヤバい人世界にいるもんなみたいな。
って思った思った思いました。
そこがちょっと陰徳してる話でもあると思うんですよ。
日本の頂点を世界の頂点として語ってる話でもあるから。
はい。
ちょっと。
時間が来てしまいました。
ちょっと良かったですね。
では100Mの話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話し出すいれば次回開催日は10月11日土曜日になります。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話した次ラジオ第231回100Mの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:05:22

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