1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第142回(2)『正欲』”指向”と”..
2023-11-22 1:11:55

第142回(2)『正欲』”指向”と”嗜好”について思考していこう

『正欲』の話をしました。

「性的指向:恋愛・性愛の対象がどのようなジェンダーに向かうか」と「性的嗜好:性的な好みやこだわり」が適切に区別されてなくない?と話す一方、自分たちも言葉の選択がごっちゃになっていたりしています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema ・まえだ ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2023年11月25日(土)

場所:『週間マガリ』大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar

■12/16(金)横浜イベント2本立て

概要:https://virtualeigabar.com/event1216yokohama

第1部:映画の話したすぎるラジオ公開収録 in ネイキッドロフト横浜 https://virtualeigabar.com/public-recording_in_yokohama 開場 開始 終了予定

第2部:映画の話したすぎるBAR in イベントバーエデン横浜 https://virtualeigabar.com/eigabar_in_yokohama OPEN- CLOSE 

■お便り

https://virtualeigabar.com/contact

※お便りの一部を抜粋してご紹介する場合があります。

■告知用X(Twitter)アカウント

https://twitter.com/virtualeigabar

■番組グッズ販売

https://suzuri.jp/virtualeigabar

■Discordサーバー参加申込

https://virtualeigabar.com/bar_online

The post 第142回(2)『正欲』”指向”と”嗜好”について思考していこう first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

00:00
今回のテーマは、正欲です。それでは、解説の方を前田さんお願いします。
映画ドットコムより、第34回柴田連座ブロー賞を受賞した浅井涼の同名ベストセラー小説を、稲垣五郎と荒垣優衣の共演で映画化。
荒垣優衣の監督岸義之と脚本家稲と武彦がサイタッグを組み、家庭環境、性的指向、容姿など様々な選べない背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描く。
横浜に暮らす賢治の寺井博は、不登校になった息子の教育方針を巡り、妻と衝突を繰り返している。
広島のショッピングモールで契約社員として働きながら、実家で変わり場合のない日々を過ごす桐生夏樹は、中学の時に転校していった佐々木義道が地元に戻ってきたことを知る大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は、準ミスターに選ばれるほどの容姿だが、心を誰にも開かずにいる。
学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した寛兵衛彩子は、大也のダンスサークルに出演を依頼する。
広木雄稲垣、夏木雄新垣が演じ、吉道役で磯村優人、大也役で佐藤寛太、彩子役で東野綾香が共演。
第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最優秀監督賞及び観客賞を受賞した。
はい、それではここからネタバレありでどんどん喋っていこうかなと思うんですけど、
それではまず沢井の感想を聞きたいなと思うんですけど、まず山口さんこの作いかがでしたか?
うーん、ちょっと評価に困る作品で、プラスに捉えたらいいのかマイナスに捉えたらいいのかもちょっと分かってなかったりはしてます。
まず浅井亮原作っぽい非常に意地悪な視点のある作品で、その意地悪な視点は良かったかなとは思うんですけれども、
本作における性的指向のマイノリティっていうものって、なんかうまく僕は本作の描き方をキャッチできなかったなとは思いました。
なんかそういうことなのかなっていう気がしてて、ちょっと正直掴みかねてます。
喋って見つけていけたらなと思うんですけど、あと本作を余計ややこしくしてるのが小児性愛の描写があることなんですけど、
余計ややこしくなってるなと思って、ちょっと小児性愛の描き方の扱いに関してはなんか迂闊に語るとまずいかもしれないなって気持ちもありつつ、
結構でも本作にこれを入れ込んだ方が重要なポイントだと思うんで、触れざるを得ないかなとは思ってるって感じですかね。
それでは前田さん本作いかがでしたか?
そうですね、私は1本の映画としてはすごく楽しめました。
ただいくつかやっぱり引っかかる点はあって、特に性的思考が、どの性別が恋愛とか性愛の対象なのかっていう性的思考と、
03:10
フェテシズムの性的思考が混同されかねないような描かれ方をしているのもちょっと引っかかりましたし、
生きづらさっていうものがマイノリティというかニッチなフェチを持っているからなのか、なんかそのあたりの軸もちょっとつかめないところがあったり、
あとやっぱりそのフェチというか、その対象がやっぱりそもそも人間か人間じゃないかっていうところも結構大きなところだと思うので、
そこを並べて語るとちょっといろんな問題があるなとは思いました。
ただその上で今日お話しするのはすごい楽しみにしてた作品でもあるので、そんな感じです。
はい、では大石さん、本作いかがでしたか?
僕は原作を読んでから映画を見たんですけど、結構原作と映画で読み口というか、
見た時の感想がちょっと変わるなっていう感想を持っていて、なんか原作ってむしろその本当にちょっと踏切的な作品だなと思ってるんですよ。
このを理解できたっていうか理解できないかっていうのは多分人によって全く分かれるし、なんなら理解できない人に対しては理解を拒む話だと思うんですよね。
その分かったって言うんじゃないよっていう話だと思ってるんですよ、この話自体を。
インクルージョンするんじゃないって話だと思うんですよ、ダイバーシティに対して。
それに対して映画は、皆さんの感想とか見ててちょこっと思ったのは、なんか分かるって感想がめちゃくちゃ多いんですよね。
これは本当の意味で、それは自分の何かに重ねておそらく分かる共感を持ってるんだと思うんですけど、原作ではそれを多分すごい拒んでるんですよ。
とにかく僕の読んだ時の感想としては。
なんかそれに対して映画はそこを拒まないっていう選択、まあおそらく映像ゆえにそうなるんだろうなと思ったんですけど、
なんかその違いがどうして生まれたのかなっていうのをちょっと話しながら見つけていけたらなっていうのをちょっと思いながら見ていました。
はい、じゃあ最後に僕なんですけど、そうですね。
分かるような気はするんだけど、よく分かんないこの映画っていう感じですかね、一言で言うんだったら。
僕もめちゃくちゃ気になったのは、性的指向と性的趣向をごちゃ混ぜに語ってるのって本当にいいのっていうのとかはめちゃくちゃ気になってしまって。
なんかその今作で描かれる普通ではないこと、普通じゃないっていうことの幅が広すぎるせいで、
なんかちょっと乱暴な話にすら見えるけどいいのこれみたいなふうな、めちゃくちゃ引っかかってしまって。
で、誰しもそういう普通じゃないと思うようなところがあるみたいなところでこの映画引っ張っていってるっていうのはわかるんですけど、
06:04
でもそれってどっちかというと普通側に立つ人の話のような映画なんだなって思ったときに、
なんかこれでこの気持ちわかるって言っていいのかなっていうのがすごく疑問に思ってしまって。
今とすることはわかるけど、なんかちょっとこれ飲み込んでいいのか飲み込みにくいぞっていうふうにどうしても思ってしまうみたいな映画でしたね。
なんかまたこのテンションなんですね。
このテンションなの?いや、まあわからないですけど。
ここから皆さんの話でどう話が転んでいくかとかね、変わってくると思うので。
じゃあここからがっつり喋っていこうと思うんですけど、その前にちょっとお便り、今回3つ来ていますので、
じゃあまずお便りちょっと読んでいきたいなと思うんですけど、まずは前田さんお便りお願いします。
M原さん、店長メンバーの皆様こんばんは。
テーマ映画の性欲、原作未読の状態で鑑賞しましたが、個人的には2023年下半期ベスト級の作品でした。
語りたいことはたくさんありますが、なんといっても、正常位のセックスの真似を行うシーンが最高でした。
荒垣由依演じる夏希と、磯村優と演じる吉道の2人が、正常位のセックスの滑稽さを笑いながらも、絆を確かめ合う場面は、
性嫌悪症の傾向がある自分には、よくぞ言ってくれたという喝采を送りたい気持ちもありましたし、
普通ではない2人が真に交わり合った尊いやり取りに感じられ、本当に感動しました。
この数年の映画で最も好きなシーンかもしれません。また稲垣五郎、荒垣由依をはじめとした役者陣も素晴らしかった。
特に稲垣五郎は窓目にて出演した役とは大きく違う、いわゆる普通の人、役でしたが、ちょっと嫌な感じが絶妙でしたね。
妻が自分に監視をなくし、料理がレトルトカレーや電子レンジ調理のオムライスになっても、不平を言わず食べる姿は絶妙に不憫で、改めて上手い役者だと思わされました。
妻子との関係も彼なりにはかなり情報しているんですよね。彼なりにはですが、自分には本当に突き刺さる映画でしたが、人によって見え方や感想が全く違う映画とも思います。
店長メンバーの皆様やリスナー各位のご意見、ご感想を非常に楽しみにしています。
それにしてもアサイリョー原作映画は今年も少女は卒業しないという傑作がありましたが、本当にハズレがないですね。素晴らしい。
はい、ありがとうございます。
正常位のシーン、すごい僕もよくて、僕はあのシーン見ててめちゃめちゃクリエイティブやなぁと思って、
意味を問い直していくというか、あ、そういうことみたいな、これをするためにこういう構造になってるんですねみたいな、
正常位を脱構築していくみたいな感じが、あのセックスのポストモーラーっていう、いや面白くてあそこ。
で、単純にやってることがすごく楽しそうなのもよくて。
09:03
確かにちょっと、ある意味正行為をちょっとフラットに見てるみたいな描き方でもあるんかなぁみたいなふうには確かにちょっと思いますけどね。
ちょっとなんか不思議なシーンだなぁと思いながら見てたんですけど、でもまぁあれもまぁなんか真似だけど、ある意味愛を確かめる行為でもあるんじゃあると思うんですよね。あれはあれでも。
なのでなんか見ていてなんかすごく不思議なシーンと印象に残るシーンではしかありましたね。
やっぱりその、役者さんの特に顔の表情は今作すごい良いと思ってて、特にその、原作って結構モノローグ多めというか、
かなりその主人公たちの視点、まぁそれぞれの視点が全員あるんですけど、その視点から見えた世界として描かれているので、表情というよりも結構気持ちが直接描かれている感じなんですよ。
でも映画でそれはできないので、特に実写映画に関しては、それをどうそれぞれが解釈して表現するかっていうのはすごく見てて面白くて、特にその
稲垣さんと荒垣英さんの尋問シーン、あそこで、あーこの人話が通じないって、荒垣さんがどんどんこう、なんていうかな、原作の表現を借りると顔の筋肉が重力に負けるっていうのが書いてあるんですけど、
そのなんか力がなくなっていく感じはすごい良いなぁと思って、なんかそこはやっぱり見どころ、本作の見どころの一つだなぁと思いました。
あとやっぱり稲垣五郎の存在は、なんかすごくこう大切な存在だなぁと思って、私あの全然料理が変わっていってることに気づいてなかったんですけど、そうなんだと思って。面白いですね。
僕も言われて、「あ、そっか。」って思ってまた言われたら、「そっか。」って思って。僕はなんか、なんか詰められてるのに普通にご飯食べようとする稲垣五郎がおもろいなって思ってたんですけど。
あれ、確かにご飯作らないんやっていうのは見てたんですけど、そもそも関係が冷え切ってるっていうとこまで見てなかったんですよね。
で、どっちかというと、手抜いてるなんてふざけんじゃねえって怒り出すんじゃないかなってどっかで思ってて。
あの、だって彼そういったわけじゃないですか。主婦は当然主人が帰ってくるのを待って、その時にあったかい料理を作った料理を出すべきでしょっていう考えをめっちゃ彼は持ってそうだから、
それでレトルトのカレー温めて出されるのとか許容できるのかなって怒り出すんじゃないかなって思ってたんですけど、お便り見て、あ、そっか、彼は情報してたんだなっていうのが、なるほどって思いました。
がてんがいきました。彼なりにそこは飲み込んでる。
なんか稲垣五郎ってすごい嫌な役に描かれてますけど、結果として全部妻とか子供のしたい通りになってるんですよね。
なんか私それがすごい面白くて、だからなんていうのかな、私にはそんなに嫌な人間には思えなかったというか、むしろこの書かれてるようにいわゆる普通の人っていう役割として登場してる人がちょっと嫌な感じに描かれてるのが本作の性格の悪さだなってめちゃくちゃ思うんですよね。
12:15
意図的な誘導というか、彼らのような普通の人のせいで私たちは生きづらいんだみたいな、そういうような描写に見えるので、すごく意地悪だなって思いながら、結局全部好きなようにさせてるのになって思いながら見てました私は。
でもちょっと思うのが、彼が好きなようにさせてるのって多分無関心がゆえだとちょっと思ってて、なんというか、彼って別の作品で桐島になぞられているなら、東でマザヒロの役って多分、今回大阪でいうと稲垣さんなんだろうなと思っていて、人生に何かしら明確な目的もなければ生きづらさも持ってないっていう。
とりあえず普通に当たり前に過ごしていたら、過ごせてきてしまった人として出てくる。で、なんかそこ上に何か熱をあるものっていうのが特に何もなく生きてきている人なのかなと思いながら見ていて、若干あるとすれば、正義を振りかざす瞬間だけが生きる目的なのかなぐらいな。
だから全然家族にそもそも興味ない人なんだろうなっていうのがだんだん見ていくうちに僕は解釈してきて。だからなんか情報どころか、そもそもそんなことすら本当に気づいてないかもしれないっていう。ただ間違ったこと言われたら、いや間違ってるよとは言いたいみたいな。
なんか難しいですね。なんやろ。なんていうのかな。私結構稲垣五郎側とは言わないけど、だって言っても聞かねえじゃんって思っちゃうかも。しかもなんか結構感情的にこられると苦手やしなって思っちゃう。
あの霧島の話が出たんで、言っとかめさせてください。僕はあの稲垣五郎の役の彼は広木、あの東政広の広木と上木くんの前田以外の稲だと思って。だから霧島がいなくなることで振り回される人たちだと思うんですよ。
で、彼らは何かっていうと、その学校っていう中のロールを従順に演じている人たちなんですよね。自分はこの役割でなければならない。自分はクラスで一番イケてるダンスと付き合わなければならない。イケてない奴は私たちと絡んではいけないっていうロールを大切にしている人たちのロールが崩壊する。
霧島っていうロールモデル、最も頂点にいるロールモデルがなくなることで、彼らの全てのロールが崩壊するっていうのが霧島部活辞めるっていうわけなんですけど。
何頃の彼は、こういうのをやるのって性犯罪者とかがやってるんじゃねーみたいな、そういう学校行かないのってダメでしょみたいな、そういうロールを重視してるっていう彼が、そのロールの外側にいる人たちを理解できないっていう話かなと思って、で、多分彼は最後まで理解できないんですよ。
15:21
きっかけがあっても。っていう意味で僕は、その霧島の中の霧島の不在に振り回される人たちが、稲垣五郎の彼のように思いました。
なるほど。
みんな稲垣五郎の役の見方が全然違っててすごいですね。
なんか僕普通に、普通にというか、誰しもああやってジャッジしたがるよねみたいな部分が結構多くの人にそこは刺さる部分なんじゃないかなって思ってたんですけど、誰もが普通側に立とうとするし、普通だと思っているしみたいな。
ところで、もう何も考えずにああいうこと言っちゃうというか、冗談きついぜみたいなこと言っちゃうわけですよね。水に不実を感じるみたいな新聞記事を見てる時に。
なんかそういうのって、そういうのがSNSとかでぽろっというつぶやきという形で出てきたりするわけじゃないですかっていうのを見てるような感じもすごくして、
誰もがあの映画で普通じゃないよねって思うとこに共鳴してる自分もいるし、普通だよって思ってて、そうやってジャッジしてる自分もいるよねみたいな部分に刺さるみたいな、どっちもに刺してくるみたいな感じなのかなっていうふうにはすごく思ってました。
はい、じゃあちょっと次のお便りに行きましょうかね。
山原さんありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ次は、おいさんお便りお願いします。
はい、ふたたさんからいただきました。
いつも楽しく拝聴しております。久しぶりにトークテーマの映画を劇場で見ることができたのでお便り書きたくなってしまいました。
性欲は原作を読んで面白いと感激した作品だったので映像化はずっと楽しみにしていました。
私が小説を読んでハッとした後半部分での表現が映画には同じ表現がなく、お家と思っていた自分の感覚に自信がなくなりました。
稲垣さん演じる寺井の性癖について明らされる部分です。
ゲーサングファンとしては楽しめましたが、果たして原作未読で楽しめる作品なのか、私にはわからないのでお便りや皆さんの感想を聞けるのが楽しみです。
できるだけテーマ作品を見てから拝聴したいと思っていたので追いついていないテーマもたくさんあるのですが、最近聞くことができたテーマの中でもターの回は皆さんの語り口がター以上に魅力的で本当に楽しめました。
これからも配信を楽しみにしております。
ということでありがとうございます。
ありがとうございます。
ター回人気ですよね。
やめてくれ。
結構言われること多くないですか、お便りの中でも。
喋ってても結構多いですよね。
原作と本作、このお便り見る限り全然違うんですか?
18:05
原作には寺井にもちょっと性癖があるんですよ。
ただそれは妻のとある表情に対する性癖みたいなところなんですけど、
要はそれを語ることで、そもそも性癖っていうのは一般性というか正しさみたいなのってあるのかなっていうのを、彼自身にあるじゃないっていうふうに示すっていう役割になっているんですよね。
具体的に言うと、妻が涙を食べるのに興奮するっていう。
なんかちょっとわかるけどね。
わかりますけどね。
そうなること、なるほど。
好きな人の傷ついてる顔ってめちゃくちゃ可愛いなとか思っちゃいません?
え?
わかんない、わかんない。
なんか多分そこなかもしれないですね。
話を途中で、まあいっかーって自分の主張を。
なんか私だったらそうなっちゃいそう。
例えば言い争ってても、自分が好きな表情を見せてくれたら、まあいっかーってなっちゃいそうな気がする。
まあまあまあ、そうなる気持ちはわかるわけ。
でも結構大事なとこだと思いますけどね、私はこの寺井にそういう部分があるっていう。
そうなんですよね。確かにそこは絵描いても、多分絵描ける、映像的に描いてもいいとこではある気がするので、
なんかあえてオミットしたのは何でなんだろうなーってちょっと思いましたね。
完全になんか、映画の寺井って本当にその普通側の人という一面的な役割のキャラクターみたいな感じな描き方ってことですよね。
今回その原作の寺井を比較すると、なんかそれでわかりやすくなっているのかもしれないんですけど、
その映画を見る側にとってですけど、それが良かったかどうかはちょっと僕も疑問が残りますね、それなんか聞くと。
彼、寺井をいわゆる普通の人っていう表現で喋ってはいるんですけど、
そのいわゆる普通の人とはっていう視点はいるんじゃないかなとは思って。
そうなんでしょう。
そもそも彼って普通ですか?そんなに。
なんか普通の人っていうのを規定してるのって結局、この物語でいう、例えば荒垣由依だったりとか、
そっち側の人間が逆に普通の人っていうものを規定してないかってすごい思っちゃって。
普通を作ってるの、君たちじゃんっていう。
勝手に他者のことを普通っていうふうな決めつけをしてないかっていうのはすごい見てて思いましたね。
それは、マイノリティとマジョリティって言葉を使うときも、
その使うときむちゃくちゃ怖くって、何に対して今マジョリティって言ったんとか、マイノリティって言ったんとか結構思うんですよ。
ただ、文脈上どうしても必要なことがあって、
映画のテーマ的にも、特に社会的なものだったら重要だったりはすると思うんですけど、
21:01
そういう個人のことに紐づいてる話のレベルでそれをやろうとしたときに、
突き詰めると、そもそも最大公約数的なものなんてないんじゃないかっていうのがあって、
結局どのレベルで因数分解するだけの話じゃないですか。
異性愛者ですって言ったら、ノーマルだよねって、カッコノーマルですけど、
じゃあ女の人が目に涙溜めてるので性的に興奮しますって言ったら、
ちょっと珍しいかもねってなるけど、その線ってその時々でつまみ上げたものの捉え方でしかないし、
同じものをつまみ上げたって、それ見方によっては大多数だねってなるし、少数だねってなるかもしれないし、
めちゃめちゃ恣意的だし、使ってる人が自分の都合のいいタイミングで自分をマジョリティーかマイノリティーかを切り替えて表現してるじゃないかっていうものに思えてくるというか、
なんか互いに双方暴力的だなって思うんですよね、どっち側も。
あとやっぱりマジョリティーだから行きやすいとかでもないから、
その分け方をする意味ってどこにあるのかっていうのも、ちょっと本作、結構その行きづらさみたいなのも結構大きな要因、映画の中の要因になってると思うんで、
そこをどこに結びつけてるかっていうのがちょっと曖昧なんですよね。
そうなんすよ、切り締まるんだと各マジョリティーの人って別に行きやすくないよねっていうのを描いてたから、
あれ?逆戻ったってちょっと思って。
まあ映画と原作って多分違うから、同じね、アサイー両原作って軸では語れないかもしれないけど、
あれ?なんかマイノリティーとマジョリティーが恣意的に分断されたぞって本作見てて思って。
そこに関して、原作を読んだ上で特に映画というよりも僕は原作にそれを強く感じたのが、
多分そのマジョリティーとマイノリティー、さっき言ったようにどこに視点を当てるかで違うと思うんですけど、
結局視点の当て方自体では全員、すべての人間がマイノリティーになり得ると思うんですよ、どこかの観点。
例えば性欲に関して言うならマイノリティーになる人がやっているし、その線引きって多分個々人だと思うんですよ。
で、結構そこのカウンターの役割、今回当てがわれてるのはカンベ・ヤイコだと思うんですけど、
つまり彼女からダイヤに対して言うセリフっていうのが、「いや、でもあなたが線引いてんじゃないの?」っていうところを言うわけですよね。
私たち理解したいんだよ、みたいなところを言ってくる。で、なんかそれってある種そのマジョリティーとマイノリティーを描きながら全員が全員そのマイノリティー性を発信できる時代になったから、
あえてマイノリティーしか描かないことで、でもこれってみんなそう言ってない?っていう風に描けてるのかなって気はしていて。
なんかその線引きは全員が全員意図的にやっているからそう描いているのかなっていうのはちょっと思ったんですけど。
24:03
だからSNSでわかるって感想が溢れるのはちょっと今話してて若干納得できてきたのが、みんなマイノリティー側にいるって自覚があるからだと思うんですよ、それって。
まあそうでしょうね、みんな生きづらいっていう側だと思ってるだろうし。
で、その生きづらさは自分の中のマイノリティーな性格の、てか性質のせい、それとして社会の問題であるっていう風に、
たぶんみんなが議論をしている時代だからこの描き方になってるのかなっていうのはちょっと思って。
だから確かにそう言われるとすごくわかりやすいし、なんか僕もこの映画を見てわかるって思ったのはすごくそういうとこなのかなっていうのは思うけど、
なんかすごい乱暴な話にも今なんでだろうなっていうのをめっちゃ考えてしまいますけど。
いや、かんばやい、このシーンすごい良かったんで。
そうですね、僕あのシーン一番好き。
そう私ね、めちゃくちゃ嫌な気持ちだったんですよ、だから好きなんですけど。
なんか人でトラウマを克服しようとすんなよとか思って、自分が言われたらめっちゃ嫌だなって思ったんだけど、でもなんかすごい好きなシーンですね。
あのシーンほんと嫌で、あんたには俺の孤独はわかんねえだろうけどっていうのを枕言葉のようにセリフにいちいちつけるから、そういうとこだぞって思って。
そう、なんかね、手前勝手というか身勝手なんだけど、でもなんかその思いだけは切実さだけはめちゃくちゃ伝わってもくるし、
もうめちゃくちゃこの矛盾だらけでアンバランスな感じっていうのはめちゃくちゃなんか、あのシーンは僕もめちゃくちゃ好きでしたね。
だから結局理解をされたいっていうのは、あくまでも自分が、自分が許容した人間に対してだけ思うことであって、
それがない人に理解を一方的にされようとする気持ち悪さみたいなのもやっぱあるなと思うし。
まあそれはあります。
そこがでも、それをあそこまでストレートに出すシーンっていうのはなかなかいいなと思って。
まあなんかその辺結構噛みしとえなところあるじゃないですか。一歩間違えたらわかるし、もう一歩間違えば気持ち悪いなみたいなことになるしみたいな。
なんかそこを的確につくような部分だなってすごく思ってて、だからやっぱりあのシーンが確かになんか僕もすごく良かったなって思えるし。
役者さん素晴らしいですね。
2人とも初めて知りました。
そうなんですよ。2人とも初めて知ったんですけど、2人とも大好きになりましたね。
うんうんうん。
次行きますか。
はい、次行きましょうかね。
ふたたさんありがとうございました。
ありがとうございました。
では最後、こちら僕読みますね。
8さん。
こんにちは。
27:01
せいよく見ました。
リックロングはなぜ死んだのかを想起させるテーマの映画でしたが、
それとは全然違う味わい。
よくも悪くもマジョリティから社会の片隅を見つめるような映画でした。
良いところから挙げると、
スタイリングの的確さでしょうか。
荒垣唯の等身大感ある肌の具合とはいえ荒垣唯は荒垣唯でしたが、
稲垣五郎の休日のユニクロコーデなど、
装いや綺麗さでトンチン感な思いをすることがなかったのは大きかったです。
また、中学時代の回想シーン。
壊れた蛇口に向かうときに、
人が踏み倒した砂利道ではなく、
草が生え放題なところを選ぶところに映像の演出ってこういうことよね、と思いました。
逆に残念なのは、水へのフェチズム、セクシャリティを趣味の改造図でしか語り得なかったところです。
ベッドで一人吹ける冒頭のウォーターベッドみたいな水の取り扱いは何か違うと思ったのかはきりに、
己で選べないセクシャリティの苦しみを描くのか、
マイナーな兆候を持つ者同士の連帯を訴えたいのか、
性的というには爽やかすぎる水の弾け方、
それに比べて形式的な擬似セックスシーンは、
やけにロゴに入ったような親密さ、
だんだんこの映画化、カメラを通して何を表現したいのかがわからなくなってきました。
あるところ、結局は異性愛規範に集約していくところが、
世に問いかける作品としての座りの悪さを感じたのかもしれません。
大学生の二人のやりとりにしてもそうです。
いつの間にか、水よりも同じ水フェチの、
磯村ハヤト自身に終身しているように見える荒垣映画そうであるように、
バレ持った性質と、社会の関係性ではなく、
人と接することで生まれる感情、お気持ちに重きを置くようなストーリーラインは非常に方が的だなと思いました。
裸足ですが、小児性愛を絡めたのは悪種です。
マイノリティは思考実験の対象じゃねえ、とのお便りでした。
ありがとうございます。
ディック・ロングはなぜ死んだのかは、言われて確かにって思ったんですけど、
僕、本作見て思い出した作品2つあって、
まず、ぬいぐるんと喋る人が優しいという映画を思い出したんですけど、
あれは明確に恋愛感情をそんなに持たない人、
あるいは性欲自体をそんなに強く持たない人たちの話になってて、
本作よりも構造が非常にシンプルなんですよね。
そこが本作、性的思考とセクシャリティが、
あれ?どっちの話?みたいなごちゃ混ぜ感がなくて、明確に一本なんですよ。
そこが非常に分かりやすくて、僕は結構あの映画好きなんですけど、
あともう1個思い出したのが、チタンを思い出したんです。
で、おじさんがさっき言ってた、インクルージョンするなっていう話。
そもそもインクルージョンできないっていうので、
あれ以上の話はそうそうないなと思ってて、
貴族とセックスしますっていう。
なんなら妊娠しますっていう。
理解の範疇の外にあるんですけど、
30:02
それを特に正しいとか正しくないとかを語らずに、
ただそのままボンと出てくる感じで、
どう受け取っていいのかなって思いながら見るっていうのが、
多様性としてこれ以上ないんじゃないかなと思って、
ダイバーシティって言葉が、
回収できるダイバーシティだけをインクルージョンしていくっていうのは、
僕、ものすごい心当たりがあって、
本作でも非常に悪意を持ってダイバーシティって言葉使われてたと思うんですけど、
CMとか見てて、ダイバーシティってよく描かれると思うんですけど、
その中で障害を持ってる人っていうのが、
車椅子に乗ってる人みたいな、
ある種のダイバーシティの象徴的に出てくる。
障害の方もこの社会にインクルージョンされます。
それは車椅子に乗ってる方ですみたいな。
そこで実はステレオタイプになっていってるっていう感じがして、
そもそもダイバーシティは定義ができないものを含む。
だからそもそもAGBTQっていう言葉に仕切れないものが山ほどあるけど、
ただどうしても一旦必要だからその言葉を使ってる。
けど本当はその間にある無限をキャッチしないといけないって話じゃないですか。
それを例えば障害があるっていうことが、
車椅子に乗ってるっていうことで表現されるんだとしたら、
じゃあその間にある、
例えば車椅子に乗らないけどちょっと足は引きずってますとか、
あるいはそれとは違うタイプの障害ってなった時に、
そうやってインクルージョンされないんですかねみたいになっていくと僕は思って、
そのため誤解するんだったら、
ダイバーシティって言葉使ってほしくないなって思う時は正直あるんですよ。
アリバイのために車椅子に乗ってる人を表現して、
だからどうしたのって思うことは正直僕はあるんです。
それをちゃんと本作はやゆり捨てるというか、
悪意を持って描いてるから、
ごめんなさい、チタンから離すぜって言ったんですけど、
チタンはもうキャッチできないからあれは。
キャッチできないっていうのが一旦正しいというか、
少なくとも今自分が知ってるものでは当てはまらないっていうのは、
想定しとかないといけないというか、
そうだなっていうふうに思って、
その2作品を思い出したんですけど、
水に対しての性的な興奮を覚えるっていうので、
言われて思ったんですけど、
確かにベッドに寝てるシーンで水で沈んでいくのに、
どうやら性的な興奮を覚えてそうだっていうシーンがあった後に、
公園の噴水ではさいでるシーンがあって、
あれ?なんか水だったら何でもいいのっていうふうには見えるなっていうのは
お便りを読んで思って、
だから水に性的な興奮を覚えるっていうことから先が存在してない。
33:03
だからあの2人の間だって水でも違うかもしれないじゃないですか。
水のどこがいいのって違うかもしれないけど、
それはどうも完全一致してるように見える。
もしかしたらそれはお互い情報してるからかもしれないですけど、
なんかその誤差があるっていうのも描いてもよかったんじゃないかなと思って、
私ちょっと水が噴き出してるのがいいんだよね。
僕は水に沈んでいくのがいいんだよねみたいな、
その多様性と言われた先にある、
そっから先の細分化みたいなのがあってもいいんじゃないかなというか、
めちゃめちゃ実はカッチコシなんですよね、本作のカテゴライズって。
めちゃめちゃ多様じゃないというか、
なんかそれはそもそも本来のマジョリティである異性愛の中でも、
そっから先のめちゃめちゃ細かいわけじゃないですか。
そうなんですよ。
じゃあその水が好きって一色の、一つの色なんですかって。
そうですね、あとやっぱり趣味の解像度っていうのすごいわかるんですけど、
なんていうのかな、性的興奮って、
そんな公園でパシャパシャキャハハっていう感じのテンションではないんじゃないかなっていうのもやっぱりあって、
そう、そう、そう。
それも思いました。
それで、2人でダムとか行って、すごい爽やかなシーンもありましたけど、
サントリーのCMかなっていうぐらいの爽やかなシーンで、
いや趣味じゃんってなりますよね、そりゃ。
見てると、いいじゃんこれでみたいな。
2人で山登ってるみたいな。
そうですよね。
それと何が違うのっていう。
マイナス4浴びに行ってますみたいな風にしか見えないっていうのは、そう思ってる。
なんか何なんでしょうね、めっちゃあの2人の関係性というか特殊さみたいなものが、
すごい無垢な感じに見えるみたいなのが、
なんか危うくねそれもみたいなっていう風にすごく思っていて、
なんかそれだったら何ですか、危害加えないからいいんですかみたいな話っぽくも見えるじゃん、下手したらみたいな。
それはどうなんだみたいなっていう風にすごく見てしまってて、
やっぱそれはもう全部なんか、いろんなものがごちゃ混ぜになって普通じゃないものみたいなカテゴライズで、
なんか雑にこう提示して見せて、それで疑問を投げかけるからちょっとそこが飲み込みにくいんだけどみたいな風に感じるところなんですけど。
あのシーンを爽やかに見れてるのって、
結局僕たちが水妖精的に感じるっていうのがないと思ってるから、あのシーンを爽やかに見てるわけですよ。
あのシーンは異名的にはマスターベーションをしてるシーンじゃないですか、要は。
それを爽やかに見えてるっていうのは結局水に精的な興奮を覚えるっていうのはないですっていうのを、
僕たちが思ってるからああいうシーンに見えてるとは思うんですよ。
本当は精的な興奮を覚えてるんだったら、
高骨な表情をするのではって気もしたし、そもそも夜のシーンではしてたから高骨な表情。
36:00
あれ?これは単に水遊びをしている表情に見えるというか、
なんだろうな、なんかちゃう気がするんですよそれって。
わかんないけど。
ちょっとなんか騙されそうになってる気がするみたいな、
めっちゃそこになんか引っかかってるのがずっと見てる間なんか警告が頭の中に鳴ってるみたいな感じでどうしても見てしまってて、
なんかそれこそ僕、人でないものに恋をする?みたいなというか思って、
なんか映画でもたまにあるじゃないですか。
恋する遊園地とか僕思い出しましたけど、
遊園地のアトラクションに恋をしてしまった女性の話とかがありましたけど、
あれとかやっぱりちょっとなんか、彼女にとっては切実なんだけど、
なんかどこかちょっとおかしくもあって、
でなんかやっぱりちょっとドロドロした部分とかも描いていたはずだったんですけど、
今作そこがあんまないっていうのはいいのか?それってめっちゃ思ってましたね。
なんか本当に飲み込みやすく包まれちゃってるせいで、
やっぱりなんか結局多様性側になんていうかな、
僕らが立ちたくなっちゃうような、
多様性っていいよね、やっぱ彼らもインクルージョンすべきだよねみたいな意見にだんだんなっていくような、
なんかそれってすごい作品の意図とは逆なんじゃないかなみたいなこともすごい感じながら見てたんですけど、
それこそ多分原作の中で1個、僕好きなセリフがあって、
多様性とは都合よく使える美しい言葉ではない、
自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだっていう一説があるんですよ。
なんかそういうシーンが今回はなかった、とにかく。
そう、なんか、いやそんなことだったら勝手にやってくださいとしか思わないっていうか、
なんていうのかな、そもそもなんかフェチであったり、
自分の性的なものって別にそんなに人と共有しないじゃないですか、普通の、普段から。
だからなんていうのかな、この8さんも書いていただいてるんですけど、
結局その異性愛規範というか、私が今回すごい嫌だったセリフがあって、
2人でYouTubeでサトルさんを見つけて、これ違うの?ってなった時に、
私たちじゃない誰かなんだってなった時に、この人が1人じゃなかったらいいねって言って、
誰も1人じゃなかったらいいよって言うじゃないですか、
その時にめちゃくちゃ普通の価値観押しつけてくるやんと思って、
すごくなんか嫌だったんです、あのセリフ。
なるほど。
なんか結局誰かといたかったんだっていう、そことフェチの話って、
限りなく趣味が合う誰かといたいっていう話なのですかっていう、
それもすごく違和感があったし、
ありましたね。
別にそれを誰にも理解されなくてもいいって思ってる人ももちろんいると思うし、
誰かが理解してくれる、誰かがそばにいないことはかわいそうだみたいな意味合いのセリフに聞こえてすごく嫌だったんですよね。
39:08
素敵なセリフでしたけど。
なんかそのセリフってしかも特にですけど、
なつきは同じようなこと言われてめっちゃムッとしてたじゃないですか、職場の先輩みたいだから、
同じような似たようなこと言われてめっちゃムスッとしてるのに、
自分はあんなこと言ってるんだからなっていうのはめちゃくちゃ思いました。
何なんだろうなっていう、
つながりを求める気持ちはわかるんですけど、
やたらとそこだけに回収してくるなみたいなというか、
せっかく他とは違う、普通とは違うみたいなことに対するものを描くみたいな話のはずなのに、
なんかそこめっちゃ引っかかるぞっていうのはすごく思いました。
本作って人間の側面が性的思考しかないかのように見えるんですよ。
彼らって水に性的興奮を覚えるというより、
まずアロマンティックっていうのが近いのかなと思うんですけど、
恋愛感情を覚えないっていうのがあって、
彼らの生きづらさってどっちかというとそっちの側面の方が強いと思うんですよ。
恋愛感情を覚えないから結婚してる人の話を聞くのがしんどいし、
親の圧力も鬱陶しく感じる、だから生きづらいっていうのが強いと思うんですけど、
それって水へのフェテシズムとはまた別の問題だと思うんですよ。
そこで、でも彼らの関心の中心は水に対する性的思考になっていて、
それを共有できない人は孤独だっていうふうに評価するっていう。
でも僕、例えばインターネット見てても恋愛感情を感じない人、
あるいは性的興奮を覚えない人、アセクシャルとかアロマンティックっていう人たちが
映画とかポップカルチャーを楽しんでるっていうのを見たことあるんですよ。
だから別に性的思考だけじゃなくても人と繋がることはできるんですよ。
人間の側面多面的だから何かで人と繋がることはできるんだけど、
そこをそもそも持とうとしてない、彼らは。
それって性的思考の少数派生動向とは別の話じゃないですかって思って、
それを性的思考の話にすげ替えてる気がするんですよ。
そこじゃなくないって。
しかも彼ら、その唯一人生で楽しみを覚えてる水に対する性的興奮っていうことだけで繋がって、
それでそれ以外の人たちと自分たちを完全に分断するじゃないですか。
お前たちの価値観、性的思考しかないのってめちゃめちゃ反多様性だなっていう気がするというか。
しかも生きづらさに対する表現が、地元の友達に周りはみんな結婚しててとか、
親にもそんな空気出されるみたいな、いやそれ別に性的思考がどうとか関係なく。
42:07
僕らだって感じたことあるわっていう。
よく感じるやつなのだがっていう。
そこもすごくもったいないというか、そんなもんなんですかみたいな。
生きづらさそのレベルって思っちゃうじゃないですか。
それだったらみんな生きづらいよねみたいな話になっちゃうので。
そうですね。だからあえて極端で解像度低い言い方で表現すると、
彼らって視野の狭い寂しがり二人だと思うんですよ。
性的思考以外に何かを見出せなくて、かつめちゃめちゃ寂しがりというか、
それでつながることに意味を見出してるって、別にそれが悪いとかじゃなくて、
それ以外の人間のつながりってあるじゃないですかっていうことをしてないから、
性的思考のマイノリティであることとは別の要素が強い二人に見えるというか。
なんかそれを性的思考の話で、それに彼らは孤独って話されたら正直困る。
なんかだいぶずれてる気がする、それは。
そうですね。
結局そのずれが気になったのを見て、
結局これやっぱりなんかその、いわゆる普通側にいる人のためようの話だなって、
そうですよね。
なるじゃないですか。
普通の感覚じゃんって思いますね。
なんかそれいいのか本当にっていう。
これでなんか普通じゃないことあるよねみたいな、共感するのは本当に乱暴じゃんってやっぱすごく思うし、
なんかそんぐらいの解像度になんか留めちゃう雑な感じって。
申し訳ないですけど、この監督の前作の前科物の時にも思いましたけど、
同じじゃね?料理はって正直思いましたよ。
雑だなって思ってましたけど。
前科物よりも映像面でははっきりこの作品が良かったと思いますけど、
内容の密度に関しては一緒じゃないですか?正直って思ってしまいましたけど。
この二人、特になつきと磯村ハヤスさんが演じてた佐々木の二人における、
本質的な問題点って何て言うかな、問題点という言い方がいいのかわからないですけど、
既死念慮というか、世界に対する期待を全くしないことだと思うんですよ、どちらかというと。
原作ですけど結構それが描かれてるというか、そこの紐づきとして自分の特殊な性癖があるっていう描き方をしてるんですけど、
そんな異常な性癖を自分で自分の評価としてそういう性癖を持っている自分はいなくなればいいと思っているみたい。
むしろ問題はそっちじゃないかなという気もちょっとして。
本作、あんまりそこも役者さんの演技に任されているとはいえ、
45:04
あるいは最初に磯村さんがモノローグ的なところで、
明日当たり前のように生きたいと思っている人たちのもので溢れてるみたいな台詞があるから捉えられるんだけど、
あんまりそこの問題を重視してない感じがして。
むしろ二人になれたから一緒になれる、寂しがり屋が二人になってようやく一緒になれたのは、
それはそこがなくなったからだと思うんですよ。性癖が満たされる相手が見つかったからじゃなくて。
なのにそこがあんまり描けてないというかわかりづらくなっている。
原作読んでるから、原作読んでる人はそこを補完してそうだねって見れるんだけど、
そもそもそれを人の気持ち、あるいはモノローグでしか表現できないようなものをどう映像化するのかって、
多分非常に難しいところでもあるとは思うんですけど。
でも少なくともそこが欠けていたところは、ちょっとやっぱ原作を持ってたメッセージをすごい軽くしてしまった感じも少しして、
フランクに見やすくなっている。悪くも。なんか悪い意味でっていう。
そうですね。
だから割とあれなんですよ。結構忠実なんですよ。本作、原作と比べると映像化するポイントだとか、
映像としてその役者さんに演じさせるところとか、割と忠実なんですよ。今回原作と比較すると。
だけど、ただ映像化すればいいってもんじゃないぞっていうのもちょっと思ったというか。
原作は原作にできることがあって、小説は小説にしかできないことがあって、それをやっていて、
それに対する映画っていう立場が多分映画としてできることをしてない気がしたというか、
ただ映像化しただけに見えてきてしまったっていう。
なるほど。あとちょっとめっちゃ触れにくい部分を触れたいんですけど、
小異性愛者が出てくるのを、本作は非常にややこしくしてて、
本作って、心の内側は基本的に何を持ってもいいっていうのがスタンドとしてあったと思うんですよ。
そういうセリフもあったと思うんですけど、でも小異性愛って共有されないじゃないですか。
それで実際、本作でも悪として描かれてるんですけど、
なんだろうな、これ言い方ほんまに難しいんですけど、
小異性愛の人はいちゃいけないっていうか、
子供に対する性犯罪が行われてはいけないっていうのは、
僕はそれは絶対嫌と思うんですけど、
なんていうか、心の内側はどうしようもなくねって思って、
実際思っていることは発露するっていうのは本作でも描かれてたことだと思うんですよ。
それ言い出すな、みたいなのもあって、
あと、たぶんすごい大事なセリフなんですけど、
いなくならないよって言ってたじゃないですか。
それは、排除してもいなくならないよっていう、
それは水に性的興奮を覚える人もそうだし、
小異性愛の人もいなくならないよっていうことも含んでしまってると思うんですよ。
いや、これほんまに言い方難しいんですけど、
48:03
当て馬に使ってる、
違うんだよな、なんだろうな、ごめんなさい。
これほんまに言い方むずすぎて、ちょっとしゃべれないんですけど、
なんていうか、小異性愛に対して許容できるものになってる。
水に性的興奮を覚えることが。
でも、だから、
いや、もう言い方むずい。
この本作で小異性愛者を出すのであれば、
やっぱり、実際に行動を絶対に起こさせてはいけなかったと思うんですよね。
人間が心の中で、
何を考えても自由だっていうのは、本当にその通りで、
ただ行動に移してはいけないことがあるっていう。
そこに対して、行動に起こしてしまってる上に、
その行動の起こし方も最悪な、
最悪なケースを持ってきてるせいで、
これまで許容しろってことですか?みたいな気持ちにさせられてしまったというか。
私からしたら、結構すごい、やっぱり、
子供に対する性犯罪って、本当にめちゃくちゃ許せないことなので、
それがあった後に、あの二人が取り調べ室で、
自分の何ていうのかな、自分の中の譲れないものを主張するシーンとかも正直どうでもよくなってしまって、
いや、今それどころじゃないから、みたいな風に思えてしまって。
だからすごく嫌。本当にお便りで書いていただいてる通り、本当に悪手だと思いましたし。
そうなんですよね。
あそこであの例を出すことで、分断させようとしてるのかなって思ったんですよ。
そういうマイノリティとかに対しての。
ああいうのって分断ある行為の一つだと思うんですけど、
あまりにもちょっと極端に悪い例を持ってきて、
それで全体のイメージを悪くさせるみたいな手口というかレトリックみたいなもんじゃないですか、みたいな風にすごく見えて、
そこでこの人たちはあんま真剣に考えてないのかな、この辺の話みたいな風にすごく見えてしまうし、
本当に実際やっぱあれは起こさせないことみたいなのが大事というか、
実際に内心思ってる、内心の自由ってある人もいますし、
実際そういう人いると思うんですけど、
そういう人たちってやっぱめちゃくちゃ苦しんでるはずなんですよ。
実際できない、やっちゃいけないって分かってるし、
だからこそ自助グループとかがあったりもするだろうし、
そういうグループが見つけられなくて孤独で自殺を考えるとかっていう人だっているしみたいなのが見たことあるんですけど、
そういったのとかが実際ある中で、ああいう極端に悪い例を持っていって、
ほら、こういうのも許容できないんですか?とか許容できないでしょ?みたいな感じで問いかけるみたいなのって、
すっごいやだなやり方するよねってすごく思って、
いじわるとかじゃなくて、むしろ分断させようとしてるんですか?みたいな気持ちにすごくさせられて、
ここもなんかすっごい乗れなくて、どうなんだってすごい思ったところでしたね。
51:04
小児性愛の人が実際に求めている性的な行為に比べたら、水に性的興奮を覚える人たちの行為って、
はるかにこの世界に存在しやすいわけじゃないですか。
そうなんですよ。
単に水遊びしてるだけなんですよ。
そこで私たちはしんどいですっていうのもあるけど、
この人たち、したいこと絶対したらダメな人たちなんですけど、この人たちの救いってどこなの?って思って、
だから僕本作、そもそも性的指向に関する話って言われてたから、
じゃあこの2人って小児性愛なのかなって思ってみたんですよ。
めちゃめちゃ難しいテーマ挑戦するやんと思って、
絶対にやってはいけないという欲望を抱えてる人たちの孤独の話なのかなと思ってたら、
もっと事例としては珍しいって言ったらいいのかな。
わかりにくいというか少なく見えるけど、
もう何喋るのも言いにくいんですけどね。ごめんなさいね。
やっぱりさっきも言葉としてあったんですけど、無垢なものに見えてる。
水に性的興奮を覚えるっていうことが、だって性行為じゃないから。
でもそうじゃなくて彼らにとっては性行為なんですよ。
何だったらちょっと汚いことをしてるわけじゃないですか。
僕基本的に性欲って全部気持ち悪いと思ってるんです。
それをギリギリで共有してるものだと思ってて、
例えばそれって昨日会った2人で偶然上手いこと言ってるだけで、
本来的にはぶつけ合ったらめちゃめちゃ気持ち悪いものだと思うんですよ。
でも共有しないといけない。なぜならこの世界に存在してしまうのだから。
それを自分が理解できないもの、自分が本当は形容できないかもしれないものもこの世界にあるっていうことを理解するっていうのが
ダイバーシティなのかなって僕は理解してるんですけど。
そこで彼らの無作を物語が担保するんだとしたら、正直ずるいじゃないですかそれは。
何だったら、実際作中でも描かれてるけど、
いわゆる一般的な異性愛の方がよっぽど気持ち悪いことをしてるわけですよ。
なんかよくわかんない性情意っていう行為をして、よくわかんない儀式をしてる人たちで、
なんかよくわかんねえことをしてるわけですよ。
いや、性欲って気持ち悪いなっていうのがあると僕は思うんですけど、
その中で唯一水という清いものに喜びを覚える人たちっていう、
何かちょっと保証されてる感じが見えちゃってる。正直。
だってやってることただの水遊びなんだものっていうのが何かねって思います。
なんか私だったら、めちゃくちゃ調達するのが楽だから、
なんだろう楽だし、だって家で水出てくるわけだから、
なんかいろんなことできるじゃんって、
54:02
やっぱり対象が人間だと相手のもちろん気持ちもありますし、
自分の欲求を満たすために人間を一人存在させるってめちゃくちゃ難しいことなので、
そういう意味でのハードルはむしろ低いのではっていうのもあって、
それは別に本筋の話じゃないんですけど、
私あと稲垣五郎の奥さんが、途中でYouTubeの件で喧嘩してるときに、
コメントに、例えばそういう小児性愛の人とかがコメント欄で、
変な人も来るから、みたいな言い争いをしてるときに、
いや、そうやって、何て言ったか忘れましたけど、
私からしたらそういう人たちは異常に思えないみたいな、
異常って言って切り捨てないでみたいなこと言うじゃないですか。
あそこらへんもすごい違和感があって、
やっぱり親というか子供に対しては、
子供はその学校に行かないっていうことと、
小児性愛の人の異常さひとくくりにしちゃうの、
そういう文脈で、子供に対する心配の方が、
やっぱり勝つもんじゃないのかなっていうのが、
そこらへんもちょっと違和感はあったんですけど、
女の人の方が敏感だと思いますよ。
そうなんですよ。
普通はね。
普通って言っちゃった。
言っちゃいましたよね。
そもそも人の生き方の話と、
性的思考の話、
思考じゃないな、これ趣向だと思う。
趣向の方ですね。
また違うしっていう、
そもそも別のベクトルとレイヤーの話で、
一緒方に語られても論点ちゃいますよ、
みたいな風にしかならないので、
違和感感じるってところだと思うんですよね、そもそも。
原作では、
そういう小児性愛の方に対するところって、
どれくらいの重要度で描かれてるものなんですか?
原作は、ちょっとそれがミステリー要素で使われてるんですよ。
最初にまずこういう事件がありましたっていうところを出して、
それが小児性愛の最後に出てくる事件なんですけど、
それが最初に出して、
その後にそこに出てきた登場人物それぞれの、
2年前から彼らのモノローグで入っていくみたいな話になっていくので、
ある意味そこはかなり要素としてあるだけなんですね。
そうなんですね。
逆に言うとほとんど描かれない。
ほぼほぼ描かれないと言ってもいいという。
多分触れるのめちゃめちゃ難しいから、
そうならざるを得なかったのかなっていうのはあるんですけど。
一つ言うと、
吉道の知り合いの子供が噴水の中で遊んでたっていう設定が原作ではあって、
その知り合いが会社の同僚なんですけど、
あの事件が発生しますで、
その同僚の人が吉道のことをすごい悪く言うみたいなところが最後の方で挟まるんですよ。
57:04
やっぱり承認性愛者じゃダメだよなみたいなところをすごくそこでめちゃくちゃに言うっていうシーンが出てくる。
結局そこぐらいっちゃぐらいなんですが、
あえて原作はそっちをオミットしていて、
承認性愛者に対することを。
確かにこれは悪だと描いてると思うんです。原作の方向。
悪だと描いた上で、そう勘違いされても言い逃れができないっていう状況を描こうとしてる。
要は理解されないから。
そういう舞台操作としてしか動いてないっていうのが正直なところです。
さっきのYouTubeのやつも、こういう人たちがいてもいいっていう言い方だったかちょっとうろ覚えなんですけど、
あのコメントってグルーミングの現場なわけですよね。
ズバリで性犯罪の行為なわけですよ。
子供をグルーミング、手名付けるように誘導しているっていうのは、あれはもう性犯罪の一つの形としてあるけど、
それを主役の2人は良き者というか、自分たちと共有している人たちっていう人として捉えてて、
悪いものとして考えてないじゃないですか。
最終的に実はそうでしたっていうのがなったときに、
いや、子供が被害だっていうのは私たちとしても遺憾の思いですみたいなことを言ってるけど、
でも私たち関係ないのに巻き込まれた立場で不服なんですよねっていうのが出ちゃってると思うんですけど、
彼ら大人としての責任まず果たせてないんですよね。
そうなんですよ。なんか今そこってめっちゃ思いましたもん最後に。
いや、加担してるんですっていうのがオミットされてる。
それはめちゃくちゃ問題で、だってあれは普通に子供に被害が出てるんですよ。
そこで理解されない私たちとか言ってる場合じゃないんです本当に。
むしろ加担した自分たちを反省しないといけないはずなんです本当は。
でもそれでも私たちは自分たちが理解される方が優先順位が高いっていう非常に偏狂な人たちの話として見ることはできるんですけど、
本作の言いたいこと多分そこじゃないと思うんですよ。
言うべきことは多分そこじゃないと思うんです。
もうそれは性的指向がマイノリティかどうかの話ではないっていうのはめっちゃあるとは思うんですよね。
あそこの態度としてやっぱりどういうふうに証明しても証明できないっていうような、
そういう焦りみたいなものが見えたら話としては理解できたんですけど、結構ディンとした感じで。
どうせ理解してもらえませんもんねみたいな感じで。
諦めてますね。
沢冠ですよね、どう考えても。
1:00:00
めちゃくちゃヤバい状況だぞ今っていう。
大丈夫かこのまま言ってってすごい心配にもなりました。
全身全霊をかけて証明できないのかな。
そんなに無理ですか。
私たち水に興奮するんですよねって。
実際あの写真以外に子供をどうこうした証拠なんて私たちの手元には全くないんですって。
そういう事例もあるんですっていうのを訴えたらダメですかあれ。
実際隣の犯人の宇野昌平さんは結構理解を示しそうな態度を途中から出してるじゃないですか。
そうですね。
結局彼に心開かないのはそちらの問題で後も取れるというか。
挙句の果てにオタクは家庭大丈夫ですかみたいな。
逆に尋問されるみたいなことになりましたよね。
家庭円満マウントをかけてくるっていう。
そう。
あれそうなんですよね。
なんかトータルやっぱりこの絵が何やりたかったんだみたいな風になっちゃうのかな。
これみたいな風に感じるというか。
収支ずれたところで話されてたなみたいなところかなって感じになっちゃうんですけど。
トータルはずっと見た時に僕も感じてた違和感みたいなのが、
今回改めて喋ってもよけいにそれは違和感だったなっていうのがはっきりしたんですけど。
なんか合わないなーと思ってたけど本当に合わなかったなっていう。
それは僕の、これもちょっと関係ない感じの話ですけど。
エンディングの曲もあんま好きじゃなかったんですけど。
バウンディーの。
この話でこんな曲流されてもなんか不運みたいな感じになりませんですか。
僕だけですか。これは僕だけですね。
なんか違う気がするぞみたいな気持ちになったんですけど。
あんまり音楽聞いてなかったかもしれないです。
私も終わった瞬間、これどういう風に話そうかなって。
音楽のテンションがこのしっとりした話に合ってるのかみたいなことが気になってしまう。
もちろん映画の内容自体にもすごく引っかかってる部分がすごいあったので、なんだかなーっていうのはすごく思ってたんですけど。
なんか終始勘どころを外した映画だったのかなみたいな感じがしてしまうなーっていう。
僕やっぱりあの大学生の彼女の話が一番飲み込みやすくて。
僕にも刺さった話で。
ちょっとやっぱ分かりにくく感じたとは思って。水に性的興奮っていうのを。
それをちょっとこねくり回しすぎてたんじゃないかなって気もして。
異性愛嫌悪って非常に分かりやすいというか、異性愛者に対する直接的なアンチなわけですよね。
アンチテイゼなわけだから、何ていうかそういうねじれの位置にあるものじゃないので、裏っかわだから想像をしやすいというか。
1:03:02
なんか彼女僕、軸でもよかったんじゃない?話のコンセプト変わりすぎるから違うんですけど。
そういう自分たちと違う趣向あるいは思考の人の思考を考えてみようって意味では、僕やっぱりぬいぐるみと喋る人は優しいは好きな映画なんですよね。
あれは結構丁寧だったなとは思って。
あとアセクシャル、アロマンティック、あるいはその異性愛嫌悪もあの話の中には描かれてて。
そこをちゃんとそれでもこの世界とどう向き合っていくかっていうのを描いてたから、僕すごい好きな映画だったので。
もしこの映画ピンと来ないなって方がいたら、一回見てみてもらいたいかなって気はしてるんですけど。
そばかすとかも思い出しました。そばかす。
あれもすごいよかったし。
もっとこの映画で描いてたことみたいなのを、今回制約で描いてたテーマのことを、もっとちゃんと丁寧に描いてる映画は大河にもあると思うっていうのはすごく思いますね。
そこはやっぱりアサイリョー原作の構造的な問題提起パッケージが強い。
そうですね。
からかな?そうなのかな?
今年、それこそM原さんのお便りもありましたけど、少女は卒業しないもん、今年。アサイリョーなんだよなって思って。
今年アサイリョー原作の映画で僕の中結構外してんなーみたいな。
あれ?っていう。おかしいなーみたいなっていう感じなんですけどね。
ちょっと原作とは違うっていうことがあるんですかね。
かもしれないんですけどね。
私この映画見て、昨日家でグッドバイバッドマガジンズを見たんですよ。
その作品についてどうこうっていうことじゃなくて、エロについて真面目に考え直してもいいんじゃないかなって急に思ってきて。
なんか自分が思う、この性欲も見た後に、なんか自分が何が好きとか、別にそこまで意識すごくしてきたわけじゃないので、
なんかちょっとそれ、残りの人生かけて考えてみてもいいかもなとか思って。
なんかポジティブに。
なんかなんていうのかな、結構そういう性的な話ってあんまりポジティブな部分だけ最近ちょっと語ることがなかったんで、自分の中で。
でもなんか、本来もっとバカで楽しくていいものだよなとか思ってきて。
で、なんかその作品の中で女性向けの成人誌を作るっていうとこが出てくるんですけど、女性向けの成人誌ってそういえばあんのかなと思って調べたんですよ。
1:06:04
めちゃくちゃ真剣に調べてるわけじゃないんですけど、ざっと調べただけだったら全然出てこなくて、レディコミしか出てこないんですよ。
え、女性向けの成人誌ってないんやと思って。
なんかそれもすごく自分の中で衝撃というか面白くて、それがどうしてないのかとか考え始めたら、結構テーマとして自分の中で面白くて。
なんか、なんていうんですかね、ちょっとなんかそういうの考えてみよっかなって思いました。
自分の中の水を探しに行こうかなと。
たぶん、まやさんフリーバック好きやと思うんですけどね。
フリーバックってずばりでこういう話でしょ。
こういう話やと思いますけど。
こういう話?
性に本本、セックスの話ばっかりしてる話なんですけど、当然。
すごいセックス好きな女性の人の話。
ちょっと雑な言い方しちゃってますけど、でもそういう人の話ではあるので。
そういう人が結構明けすぎにいろんな自分で、ここの愛のエロいよね、いいよねみたいなのを全力で語ってる話ではあるので。
伏線ですやん、もう。
これ話がフリーバックに着地するためにマリオンさんが見に行ったとしか思えないぐらいの。
いやいやいや。
見事な伏線回収。
全然違うんですけどね。
同じ日には見たんですけど、たまたまその日しかやってないんで見たんですけど。
あんまり今回性欲を見た段階で、これ性欲の話してんのかなっていうふうにあんま思えなかったんですよね、そもそも。
普通じゃないことの話みたいに捉えてしまったので。
そういう意味で、ちゃんと性の話という意味ではフリーバックの方が真っ当ですよねっていうのはありますね。
見てみます。
じゃあもうちょっといい時間にはなってきたので。
お便りの延長で喋ってもいいかなって思ったんで、僕は特に止めなかったんですけど。
いやもうよかったと思います。
全然もうここから話ドライブするかなと思ったんで、特に止めなかったんですけど。
じゃあそれでは今回のテーマである性欲の話は終わりたいなと思います。
次週はどうしましょうか。
次週ね。
理想郷、行けたら理想郷がよかったんですけど。
ちょっと約束できなくて。
なるほど。
そうですよね。
なんかありますかねっていう。
実は僕思いつかない今週なんですよね。
首第1週ですもんね。
そうなんですよね。
確かに今週僕気になってるのはあれぐらいだもんな。
アメリリなんだよなっていう。
なるほどね。
アメリリを実は見たことないんですよ。
はいはいはいはい。
というだけなんですけど。
映画館で見なくても別にいいっていうぐらいなんで正直。
企画テーマいきますか。
お、久しぶりですね。
何ですか?
前言ってたやつあります?
1:09:00
前言ってたやつ。
何言ってました?
自分しか好きじゃない映画。
難しいなこれまた。
自分しか好きじゃない映画ですもんね。
言い方がずれました。
自分が知ってる範囲で自分しか好きな人がいない映画。
いないっていう。
なるほどなるほど。
あるかな?
いやでもあると思うんだよな絶対。
とっさに出てこないんだよな。
僕は一個思いついてるんで、もしやるんやったらそれ見返します。
で実際あんまし面白くなかったってなるかもしれないですけど。
まあでも出会うタイミングとかによってはありますからね。
はい。
まあね、ありますよね。
うん、確かになんかね。
ちょっと探してみますか自分の中で。
やります?やります?
やってみましょうか。
やりますか。
じゃあ来週は自分の範囲内でどう考えても自分しか好きって言ってる人がいない。
という映画を皆さん持ち寄ってその映画を話をするという感じでいいですかね。
はい。
じゃあそれでいきたいなと思いますのでぜひお便りでも
なんでか自分しか周りで好きって言ってる人がないんだよなみたいなね
送っていただけたらいいかなという風に思いますので。
よかったらよろしくお願いします。
はい、ではお知らせになります。
11月も映画の話ししたすぎるバーを開催予定です。
場所は大阪の南森町、週間曲がり。
11月25日土曜日、19時オープン、23時クローズとなっております。
あと映画の話ししたすぎるバーの第2回関東開催が決定しました。
場所はイベントバーエデン横浜。
日付は12月16日土曜日。
18時オープン、23時クローズとなっております。
さらにこの日は初の公開収録を開催予定です。
場所はネイキッドロフト横浜。
12時開場、12時半開始、15時半ごろ終了予定となっております。
またこの番組ではお便りを募集中です。
番組全体や次回テーマへの感想などご自由にお送りください。
バーの最新情報、次回テーマはxツイッターにて告知しておりますのでぜひフォローをお願いいたします。
頼り受付先、xアカウント、番組グッズやディスコードサーバー参加などのご案内を番組説明文に記載しておりますのでご確認くださいませ。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第142回、性欲の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:11:55

コメント

スクロール