今日のテーマトークは、佐藤さんと佐藤さんです。はい、ではマリオさん、解説をお願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。岸井幸乃と宮沢飛雄が夫婦役で初共演し、佐藤という同じ名字を持つ男女が交際・結婚・出産を経て歩む15年の奇跡を綴ったドラマ
ミセス・ノイジーの天野千尋監督が、夫婦をテーマに人と人との関係を丁寧かつリアルに描く。ダンス好きで活発なアウトドア派の佐藤幸と、正義感が強く真面目なインド派の佐藤珠津。
正反対の性格なのになぜか気が合う二人は、出会いから程なくして交際し、一緒に暮らし始める。5年後、弁護士を目指す珠津は、司法試験を受けるも不合格が続いていた。
それでも諦めず挑戦を続けたいという珠津を応援する佐藤は、孤独に頑張る彼を助けようと一緒に勉強を始めるが、佐藤だけが司法試験に合格してしまう。申し訳ない気持ちの佐藤と、プライドを深く傷つけられた珠津。
そんな中、佐藤の妊娠が判明し、二人は結婚することになる。産後すぐに弁護士として働き始めた佐藤に対し、珠津は塾講師のアルバイトをしながら息子の世話をし、司法試験の勉強に集中できずにいた。
忙しい生活を送る中、育児に対する考え方も全く異なる二人は対立し、絶妙に保たれていたバランスが次第に崩れ始める。
話す犬を話す、などの監督、熊谷窪が天野監督と共同で脚本を手掛けた。
はい、ではここから内容に触れる話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。では佐藤の感想をマリオンさんいかがでしたか?
そうですね、いやーこれめっちゃいい映画でしたね。 まず配給とか制作会社のロゴが出るときにメーテルシネマで出る瞬間になんかちょっと価値を確信しましたよね。
メーテルシネマさんさすがっす!みたいな感じ。 大体の映画当たりが多いからっていう。ちょっともうそこで安心感があったというか。
実際に見てみたらなんかすごいヒリヒリする人間ドラマというか、夫婦犬体ものになってて、ちょっとね、胃がキリキリと痛む思いでしたね。
絶妙にこうずれていくというか、お互いのプライドというか、本当に思っているけどできてないみたいな不平不満みたいな部分が長い時間をかけても、日々みたいな大きな亀裂になっていくみたいな。
すごいなんかネットリと描くなぁという感じ。 しかもそれがなんかすごくリアルな実感を伴ったような物語になっているというか。
本当にちょっと夫婦間の役割の話とかの役割分担の話としても、そこでこう、ああじゃない、こうじゃないみたいな感じで揉めてしまうみたいなことはすごいあるだろうなってすごい思いましたし。
一個一個のこう、このキャラクターのこの反応、うわぁちょっとこれ良くないなぁとか、うわぁこういうこと自分もやってしまったなぁみたいなこととかもすごいなんかリアルで、ちょっといろいろ思い出しちゃったりもするというか。
自分は結婚生活とかをしているわけじゃないですけども、なんかすごくそこの人とのこう、仲が悪くなってしまうみたいな部分がすごいなんかよくわかるなというふうに思いましたね。
今年あの洋画でローズ家、ベネディクト・カンバーバッチとオリビア・コールマンの、あれもコメディというか夫婦犬体ものコメディって感じだったんですけど、結構それとも近い内容実は描かれてるなぁと思ったので、今年の夫婦犬体もの映画2本っていうか、どっちも見てよかったなという感じにもなれたので、いやでも本当にすごくいい映画でした。
はい、大石さんいかがでした?
なんすかね、今年その、人生の何かこうきっかけというか切り替えのタイミングで、必ずこういう映画を見ることになるんですけど、何なんすかねっていうふうに思ってて、あの家行き目で、今妻ですけど当時彼女と若干揉めた次の日にファーストキス見るとか、で、あの今回の映画は式場が決まったその後に見に行ったんですね。
あー。
なんかちょっと調子に乗ってというか、まあいろいろこう苦労して、これこういいじゃんっていうのを見つけた直後に、すごいナイフ刺されたなと思って、映画から。
あの、なんかずっと心臓痛かったっす。で、あのまあ結婚して自分はまだ1年経ってないぐらいなんですけど、わかるなーって思うところが多々あったりとか、そのなんていうんすかね、言わないっていうこと?この映画においてすごいキーになるなって思うんですよ。
言わないというか言えないというか、言葉にならないなんて言うんでしょうね、本音みたいな部分を相手に言葉にせずにぶつけてしまうみたいなことって、まあよくあるなってことをやっぱり一緒に暮らすと日々感じちゃうんですよね。
で、もちろんそれって何かこう、まあ基本コミュニケーションを大事にしていくっていうところとかもあるんだけど、なんかどっちらかがこううまくいかなくなる瞬間って多分どっかにあって、そうするとそれは成り立たなくなるんですよ。
コミュニケーションって体力必要なんですよ、本当に。で、それがいろんな多分方向性で夫婦間の中でそのバランスが変わっていく、目まぐれしく変わっていって、うまくいかない時もあるしっていうのを本当に緻密に描かれてるなっていうのがすごい印象的でした。
で、あともうなんていうんすかね、その他持つの鬱屈したプライド感、そのどんどん同じ場所で腐っていく感じは、これは男性ならではっていうと多分違うかなと思うんですけど、でもこういう性格の方なら多分そうだよねっていう、なんていうかその地獄描写がまあ自分にもよく当てはまってギリギリしまして、とにかく妻と必ず決めたのは同じ試験を受けないようにしようねっていうのだけは決めました。
絶対あなたに負けるからっていう。はい、そのぐらいすごい今年の中でもかなり指折りの一本だなっていうふうに思ってます。
はい、僕はですね、傑作やと思いました、本当に。で、僕まあこの手の絵が、その夫婦のいわゆるジェンダーロールを反転させてるというより、結構ぐっちゃぐちゃに引っ掛け回してる感じやったと思うんですよね。
単に男女のロールが逆転してるというより、ここは反対になってるなとか、ここはそうじゃないなみたいなのが、分かりにくく混ざってることですごい考えながら見てしまう作品になってて、それによって単なるミラーリングだけじゃなくて、その都度考え込まないといけないみたいな。
あ、この立場に女性がなったらこうなるんだとか、男性がなったらこうなるんだみたいなことが、鏡合わせじゃないものとして描かれてるというか、それによって、あ、やっぱ立場逆になったらそうなるよねっていうのもあるし、同時に立場が逆になってても結局その男性の男性的な側面とかみたいなのが残ってしまってるみたいなこともあらわになってたりとか、すごい複雑なものを描いてるなぁと思って。
うん、すごい緊張感のある作品で良かったなと思いました。あとまあラストも好きですね。ラストというかそのどういう選択を選ぶかっていう部分の結論の部分も、僕はこの結論の出し方結構好きなやり方かなとは思ってますね。
テーマにならなかった、見なかった作品だったんで見れて良かったかなと思いましたね。
ふんふんふんふん。
はい、てな感じでお便りいただいてますので紹介させていただきます。では青石さんお願いします。
はい、タウルさんからいただいております。こんにちはタウルです。
天野千尋監督の作品は前作のミセスノイジーを見ていて面白かったのですが、面白くするための作劇がやや強く感じられる部分がありました。
ところが今作はインタビューで監督自身が収入面で夫に頼りすぎて貯物のようだったり、育児を任せすぎて幸のようだったりしたという経験を元にされたということで、自然だけど実感のこもった描写が多く当事者になったように引き込まれました。
そう、この映画の特徴の一つは女だから幸目線、男だから保つ目線というように男女で固定されない点にあるかと思います。
家事のこと、仕事のこと、育児のこと、親族との関係などで、観客の視点や考え方がコロコロ変わるような作りで、私も自分は今どっちなんだろうと何度も考えさせられました。
まさに佐藤さんと佐藤さんでどちらがどっちということはないのでしょうね。
では皆様の実感のこもったお話、楽しみにしております。
どうのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
佐藤さんと佐藤さんっていうタイトル、僕はあんまり見る前は深く考えてなかったというか、同性の2人が一緒になりましたっていうので、
なんかこう、陰を踏んでるじゃないですけど、単にそう組み合わせたら響きとして面白いよねぐらいの感じとして見てたんですよ。
そしたら、この夫婦の苗字の問題を、そもそも同性だからそこが変わらないっていうことで、
すごい巧妙に片方がもう片方の苗字に合わせるっていうことを、うまいことぼやかして描いてたなと思って。
うんうんうんうん。
で、これによって何が浮き彫りになってるかっていうと、一般的には女性の側が男性側の性に合わせるっていうのが一般的なんですよ。
それが自然であると言われてる。
逆に女性側の性に男性が合わせるってなると、それは特殊なこととして扱われると思うんですね、現実において。
ただその女性の側が男性の性に合わせるっていうことは自然なこととして扱われてて、それには違和感がないのが一般的な多くの人の価値観だと思うんですけど、
それを女性と男性の性が一緒であることで、本作、幸の側が自分の性が変わらなかったことに何の違和感も抱いてなかったっていうことが描かれてて、
これって男性の側だったら一般的には自分に相手が合わせても違和感感じないんですよ。何も感じないと思うんですよ、多くの場合。
それを、同性であることで女性の側がそれに何も感じなかったっていうことを描いてるんですよね。これすごいなと思って。
それこそね、後輩からそのセリフの中でありますけど、「幸は佐藤幸じゃなくなったことないもんね。」っていうセリフが、めちゃくちゃいいセリフだなって思ったんですけど。
そうですね。本当にこの二人の幸と保つ。で、二人以外の周りの人物のこともすごく血肉の通った存在というか、みんなそれぞれ人生があって、
すごく人生の波のグラフで今は上かなーとか、逆に今下の方でちょっと苦しいなーみたいな、人もいてみたいなのが行ったり来たりしてる。そういう波の中でどうやって二人は生きていくんだろうっていう。
どうやってそこを擦り合わせていくんだろうみたいなことをしっかり描くっていうところが本作の肝というか、というふうにはすごい思ったし、
あとその、苗字を変える変えないっていうものが発生しない二人っていうことで、なんかその夫婦ってもちつもたれつな関係だと思うんですけど、互いが互いの苦手な部分を補ったりとかもしたりすると思うんですよ。
とか何かの仕事の割合を夫婦間で何かするっていう時に、この人が60%、この人が40%くらい割合でやってるよみたいな、なんか役割分担の分配みたいなのが多分あると思うんですけど、苗字を変えないことでそれが発生しなかったので、
で、実際に夫婦生活をやっていくことでそこの割合が均等にならないみたいな現実に直面していくことで彼らはちょっとだんだん関係がおかしくなってってしまうみたいなことを描いてるのかなっていうふうに思ったりしましたね。
そもそも同じだったからこそ見えなかったものが後から出てくるみたいな感じになってますよね。
あと僕、この関係ものすごい厄介な問題が隠れてるぞって思って見てたんですけど、どっちがどっちの墓に入るかみたいなそういう部分がなんか微妙に曖昧なままじゃないですか、これ。
そのどっちの実家も結構保守的な家族感持ってると思うんですよ、あれ。どっちがどっちの家に入ったかみたいなのあるじゃないですか。
だから幸が田本の方の佐藤家の墓に入るか、家に入るかですよね。あるいはその田本が幸の側の佐藤家に入るかみたいな、これが苗字を変えるっていうことによって嫁入りあるいはむこ入りっていう概念によって整理されると思うんですけど、
そこが劇中で描かれてなかったなと思って。もちろん主に収入を得ている側、だから家計を主に支えている側が本作では結果的に幸になってますけど、いわゆる大黒柱になっていると思うんですけど、
それはそれとしてどっちの家計に入ってるのかみたいなのが触れてなかったかなって気がしたんですよ。でもこれ結構保守的な家族感持ってる家計であればあるほど問題になってくる部分なんじゃないかなって気がしてたんですよ、見てて。
後々、え、幸さんってこっちの家に入ったんじゃなかったの?みたいなこと言い出しそうな気もするというか、そんなことないです?
あの、なんか、その辺って今どこまで、てかまあ、そういう実体験から話すんですけど、確かにまあ、ある程度そのどちらの家に入るかっていうのはもちろん苗字で明示化されるっていうのは結構あるんですけど、
とはいえ多分現代的な、まあ自分の同世代と仮定すると、とはいえ家制度的なものはできるだけそれはそれとして置いとくっていう親御さんも多いのかなーって気もちょっとしてて、なんていうんですかね、
まあ制度として結局夫婦別姓は現状認められてないので法律上、結婚するってのはどちらかの性を選ばなきゃいけないわけですけど、その性を選んだからどちらかの家だっていう、なんかその家制度的なものは何となくちょっと遠い感じがするんですよね、これ自分の感覚ですけど。
で、なんていうんすかね、なんか多分この2人もそうなんだろうなって気がして、苗字が変わらない、1人1人、俺それだけは個人である佐藤である、佐藤幸である、佐藤保であるっていう関係性のまま夫婦になってる、から家っていうものを多分意識せずにいられてるっていう状態。
で、それは、なんていうかな、割と全然家庭によるだろうなとは思うんですけど、自分のところも苗字は変えど、ちょっとそういうところは、いやーでも変えたのは私じゃないから難しいのもあるんですが、なんか家に入る感は少しこう、なんていうの緩和されてる気がしなくはないし、自分のうちも墓はしまっていいよみたいなことも言ってるしっていう、
なんかその時代の端墓域みたいなところだと思うんですよね、今って。
そうですね。
そうか確かに、そもそもその家が墓残したいかみたいな、しまっていいよみたいなのがあれば確かにその家っていう縛りあんまりそこまで強固にはならないのかなっていう感覚は確かにあるなっていうのと、あとどっちの墓に入るか問題を30代ぐらいで考えるかなっていうと考え出さそうっていうのもあるかなってちょっと思ったんですけど、もうこの年代から考えるもんなんですか?結婚されてる方って。
いや、あのうっすらと感覚的にはあって、ただまあ僕も全然そこのこだわりなくって、妻が自分の実家の方の墓へ入りたいって言っても全然いいっていう感覚はあるんですけど、そうじゃない人って絶対いると思うんですよ。
そうですね、そうじゃない人も絶対いるとは思います。
で、本作においてもその幸と保つは多分そこをそんなに深刻なものとして捉えてないと思うんですよ。
うんうんうん。
実際劇中でも触れてないっていうことはそういうことだと思うんですけど、ただそれをその意識を持たずにこれてるのは2人の性が一緒だからっていう要因は多少なりともあるんじゃないかなと思って。
まあ触れなくていいことになってるというか、そのわざわざそこを明知的じゃないからその映画内でそこのノイズがなくて済むという感じですよね、どちらかというとね。
そうなんですよね、だから2人の性が一緒であることによって個人と個人の話であることにすごい集中できる作劇になってると思うんですけど、
これで幸の側が性を変えてたらああそういうっていう見え方するし、逆に保つの側が性を変えてたらそれはそれですごい意味を持った見え方しちゃうと思うんですよ。
うんうんうん。
本作が幸と幸であることによって2人の性がどちらも変わらない、これは個人と個人の話ですっていう風に見えてるっていうこと自体がそうじゃない場合、
2人の夫婦が別姓だった人たちが結婚した時に生じる問題っていうものを描かない部分で浮き彫りにしてる感じがするなとは思って。
僕その夫婦は同性でなければならないとは思ってるわけじゃないですよ。
うんうんうん。
ただそれはあると思うんですよ、特に僕どっちの家もすっげえ保守的だなと思いながら見てたから、
え、結構この人実家うるさそうやぞって思いながら見てたんで、
なんかこの2人がそこにあんまり自覚的じゃなさそうに生きてこれてるのは性が一緒だったからっていう偶然によるところなのではっていう風な見方をしてたんですよね。
なるほどね、はいはいはいはい。
なるほど、そういう、あれもなんか保守性ってその結構まちまちというか、ここはなくてここはあるんだってすべての多分家族の中である気がするんで、
うん。
なんていうんですかね、なんか絶妙にそこだけは言わない家族なんだなーって思って。
なるほど。
まあミュージンも変わらないし、多分ちょっとそれぞれの中で思ってるのは保守的だからこそだと思うんですけど、
保つが結局定職に就いているわけではないじゃないですか、アルバイトでずっと試験を受け続けてるって、
そうしたらっていう風に両方の家族が思ってるんだろうな感がすごい強くあるんですよ。
だから一番最後に家族顔合わせしてるじゃないですか、35かな、最後にその試験受かったタイミングで。
はいはい。
ってことはそれまでは、あの両家族ちょっと結婚とは認めてなかったんだろうなぐらいに思ってみてて。
いやーあると思います。
ね、絶対なんかちょっとね、定職も続いてない人と結婚するのかね、みたいな絶対こういうこと言ってそうじゃないですか。
そう、だしあの二人結婚式もあげてないし、あと指輪もおそらく多分はめてないだろうなって気がするんですよね。
要はそういう定型的なものからは外れてる。
多分そういうものがないってことを家族としてはどこかまだ本当の家族ではないっていう見方をしてたんじゃないかなーって気もちょっとしちゃって、
それはそれでそれぞれ苦しいところもあっただろうなと思ったりはするんですけどね。
そうですね、確かに。
両親からのプレッシャーってあんまりは描いてないけど、まあ描かれてるシーンあるんですけど、その一個一個が重いって感じはしますよね。
あれぐらいで良かったなってくらい、映画で描かれてる範囲が。もっと辛いこと言われてそうだなって思いましたね、正直。
最後のあのお祝いのシーン、嫌だなと思いましたもん。
そんなにタモツが合格しなければならないってみんなが思ってたのかよっていう、現れたなと思って。
しんどっていう、その全てが裏返しだから。
そうっすよね。
あそこでお祝いするっていうことは、それまでが祝わしい状況ではなかったっていうことじゃないですか。
うーん、そうなんだよな。タモツがどこまで経っても負けられない、そこが本当に男らしさだと思ってるんですけど、
社会におけるそのレールからは下りさせてもらえてないまま10年間生き続けちゃってるなって感じが、すげー苦しくて。
なんとかしてこう、自分がその一家の大黒柱じゃないですけど、男としてあらねばならんなみたいなプレッシャー?
社会から課せられているプレッシャー?暗黙の了解みたいなものに、やっぱちょっと苦しめられてる感はすごいやっぱありますよね。
僕、幸だけ合格したところのシーン、すごいこと描くなと思いましたもん、本当に。
あの受け入れられてなさ、きつーってなって、確かにしんどいと思うんですよ。
でもそれをしんどいと思ってることが余計しんどいじゃないですか。
あ、これを自分って受け入れられないんだって気づいちゃうことが、そっちの方が辛いなと思って見てて。
そっか、このシーンつらかったなー、その後のコーヒー屋のシーンは笑っていいんだか苦しいんだかわかんないっていうね。
やめてほしいっすよねーみたいな。
絶妙なシーン持ってくれやんって思いましたけど。
やっぱちょっと怒りとか、生きどりのなさみたいなのも抱えてるから、注文するときの口調もちょっと荒くなってるところとかも、わかるなーとか出ちゃうじゃないですか、ああいうところって。
どんなに優しかったりとか、優しい人でもああいう瞬間ってあるじゃないですか、やっぱりみたいな。
そこがね、そういうとこダメだぞとはとてもじゃなきゃ言えないっていうか。
あれつらかったやろなーって思います、本当に。
なんかやっぱね、気にはしちゃいますかね?しちゃうのかな?ちょっと自分がそんな立場になったときにどう感じるのかっていうのが100%で想像できなくって。
なんか大丈夫なような気もするし、当事者になってみたらしんどって思うような気もして、
自分だったらどうなるかっていうのがあんまり想像できなくって、その分では感情移入しきれなかった部分があったんですよ。
自分がどうなるか想像できないっていうのがあって。
絶対多目通になるんだよなー。
100%では祝えない、というか祝わないと思う、すごい不適されると思うところまで全部自分の脳内で再現できましたもん、あれ。
なんか頑張って取り繕うんだけどやっぱ心の底ではーみたいなというか、やっぱなる気がするし、そのなんかプライドじゃないけど、なんかそういうのってやっぱあるじゃないですか、やっぱり誰しも。
だって今回に関してはその先に本気度が高いのは自分の方だってずっと思ってるわけですよ、勉強してる最中も。
だって自分の方が長くそのこと考えてきてる、なんならそのためにここまで生きてきたみたいな自負があって、っていう中で、じゃあ私もやっちゃおうかなっていう人にさらっと先にされる、あれ答えますよ。
うん、あれは辛いなーっていうか、そう、あれはなー、いやちょっと老付けもちょっと近かったんですよね、そういう意味では。
なんかなんていうんですかね、夫婦のパワーバランスがそれは変わるっていう話だったんですけどそれは。
夫の方が有名な建築家で、奥さんの方はシェフなんだけど別に今は子育てに専念してみたいな感じだったのが逆転しちゃうみたいな話になってて、
夫の方が仕事で失敗しちゃって、で一方奥さんの方が仕事がこううまくいくようになって、で夫の方が子育てするようになってっていうバランスが変わっちゃうことで、
もうこれはこれでちゃんと夫婦だし、いやそれはもちろんやっていくんですけどみたいな感じで進んでいくんだけど、やっぱりなんか自分のプライドというか本当はこうありたかったみたいなことがずれていく。
多分特に結婚式とかそういう儀式的なものを挙げないと寄り添うなるなっていうのはすごい感じてて。
多分そのミュージカルもある種の儀式じゃないですか、もちろんそこにいろんなそのなんていうんですかね、制度上の問題はあるんですけど、
ただそれをする、あるいはコイントロケを出すって何かしらやっぱり区切りだなっていう感じがやってみて思うんですよ。
コイントロケ出すと実はそんなにあんまり実感ないんですけど、例えば色状を探すとか結婚指輪をつけてみるとか、なんかそういういわゆる定番って結構正直言うとなんかあんまり乗り気じゃなかったんですよ、正直。
なんか肩にはまるというか、そのために、誰のためのなんだろうっていうのがすごいわかんなくて。
で、なんかほんと資本主義側のその、なんていうかな、上手いようにやらされてる感が若干あるなみたいなことぐらいまで思ってたぐらいで。
ただ、いざじゃあ実際に、まあゾーンをやりたいっていう意向も示したし、あと家族に結婚しましたって挨拶したときに、どう祝っていいかわかんないってみんなに言われるんですよね。
そのきっかけがないと、いいのかこれでっていうぬるっとそのまま入っていく。もちろんその2人の話だからそれはいいはずなんだけど、でもなんかやっぱり区切りは欲しいよねっていうのが
どことなくこうあって。で、あるいはそういうことまで開かない限りは、例えば親にとか友達にお礼言う機会なんて正直そんなないし。
そういうのを思ってたときに、その友達の結婚式とか参加したときに、何ていうか儀礼として必要なんだな、これはっていう、なんか文化人類学的にこれが必要なんだなっていうのをすごいわかった気がして。
実際幸のお母さんもそれ言ってましたもんね。こういうのはやっと言ったほうが後々いいよみたいなこと言ってたじゃないですか。
言ってましたね。
儀式ってそういうもんだと思うんですけど、僕も式あげてないんですよ。
ああ、うんうん。
ああ、そうだですね。
で、妻も全然それで納得してて、特にそこで、なんかよく言うじゃないですか、式あげなかったら後々揉めるみたいな。
それは全くなくって、その部分で揉めたことはなくってですね。
で、妻がどういうつもりで式をあげなくていいって思ったかわかんないんですけど、僕が式そんなにあげたくないなって思ってたのは、やっぱりその家族というかその家計の中でのそういう儀式的なものを示すっていう段階を減るのが嫌だったんですよね。
そういうのを示すものが結婚なんですよっていうのが嫌だったから、そういうのはやりたくなかったんですよ。
だから、あくまでも一対一のもんですよね。で、済ませたかったというか、結局その親戚の挨拶とか言ったりはする形にはなっちゃうんで、
そこから完全に逸脱できてるわけでもないんですけど、いわゆるそういう最も明確な儀式としての結婚式っていうのを、
なんかやりたくないなっていう、そういう宣言を皆様に向かってしますみたいなことをしたくないなみたいなのは僕は思ってて、そういうふうに最終的にそうなったっていうのがあったんですけど。
そう、だからこの映画もその最後、ある種保つが受かっておめでとう会をしてる同じ会場の隣で結婚式が行われるっていう。
まさにその花束みたいな恋をしてるんですけど、威風の僕たち、私たちみたいなものが一瞬会話見えるんですよね。
なんかそういうところの、なんていうか、だから自分はそれこそ敷地を決めてこっちに来てるから、本当に威風の自分を見てるような気持ちにすごいなったんですよ。
もちろんそれやらないからどうっていうことはないんですよ。ないんですけど、でも多分こうなり得る未来もあるだろうなっていうのをすごい目で感じて。
なぜなら自分の日常に大体の描写がわかるから。トイレットペーパーのとことか。
あー。あれ、リアルだろうなって思いましたよ、なんていうか。
そこまで本当に含めて言ってるのかわかんないぐらいの湾曲した感じの表現で言っちゃうみたいな。
言い逃れできるような言い方しちゃうって言ったらいいんですかね。いや言ってないしっすよみたいな。言えちゃうみたいな。けど言ってるみたいな。
あの辺のバランスで揉めるはあるよなって思いますね。
いやーそうですね。一旦次のお便り行きましょうか。はい。はい。ではマリオさんお願いします。
はい。さけるチーズさんからです。こんにちは。いつも楽しく拝聴しております。11月の映画バーに参加させていただきました。
10月の雰囲気とは不違っていろんな方とゆったり映画の話ができて今回もとても楽しかったです。 開催いただきありがとうございます。
さてテーマ作品の感想です。 倦怠カップル、倦怠夫婦もの中でも傑作だったと思います。
岸井ゆきの演じるサチと宮沢飛を演じるタモツと、脇のキャラクターにも背景や人生を感じる実在感が素晴らしく、
だからこそサチとタモツがすれ違っていく様子が痛々しく映りました。
今作には明確に性別役割分業に対するアンチテーゼが込められていると感じました。
ベンガル演じるおじいさんの態度が象徴的ですし、サチもタモツも周囲が求める女性像、男性像に苦しめられて二人の関係は壊れてしまいます。
もちろんその結果に司法試験に合格できないとか、サチの時間的な理想すぐそという現実的な不安も関係はしていますが、
主演の二人の演技は本当に素晴らしかったです。
良くも悪くも表情豊かな岸井幸野の表情の演技と、繊細で内省的な宮沢飛雄の演技アンサンブルがとても印象的でした。
私は同性や結婚をしたことがありません。
今作は見る人の経験によって感じ方が変わるタイプの作品かなと思います。
皆様がどう今作を語られるか楽しみにしております。
ちなみに今作を見に行った時におそらくマリオンさんをお見かけしました。
11月最後日曜日のムービックスはまがさきお昼の12時少し前から始まる回でした。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
えー、合ってると思います。その回を見てました。
その回を見てました。
その回を見た後に週刊ばかりのイベントに行きました。
合ってます。合っております。
なるほど。
夫婦犬体ものとしてよくできてるっていう。
性的役割分業に対するアンチテーゼ。
まあおっしゃる通りだなっていう。
そこで幸が弁護する人たちがそれの対比として出てくるじゃないですか。
おじいさんもそうだし、最初と最後に出てくるなんでしょうね、あのイケスカンやつ。
中島亜佑美演じるね。
ああいう中島亜佑美見るだけにこいこいっちゃいますよね。
やったぜっていう。こういう中島亜佑美見るの大好きみたいな。
いやー結構ね、僕あれ、貯物の威風だなって思いながら見てて。
そうっすよね。
本当に順調に弁護士になって、がっつり稼いで、
幸は家庭に、家を守ってくれたらいいからって言って、
家を守ってくれたらいいからは、お前は家を守らなければならないっていうタスクとしてどんどん強固に押し付けていくことになった先があれですよね。
まあね、それも無償タスクですからね、それはね。
いや、俺の価値はお金に換算できる価値だけど、お前の価値はお金に換算できないので、俺の方がまあ価値ありますよねっていうのを心の底では持ってるやつですよね、あれは。
いやーですねーって言う。
そうっすよねー。
だから僕、あの、タモツが途中で、追い詰めれて告白するシーンで、男らしくないとか言われてとかっていう告白するシーンあるじゃないですか。
いやむしろむっちゃ男らしさに縛られまくってるけどなーみたいなのをむっちゃ見てて思って、
すっごい気にしてるじゃんっていう、全然男らしさの檻の中やけどなーみたいなのを見てて思いましたね、あれ。
まあその、彼が一旦こう回復するところっていうのが地元のホモソーシャルの中に入るところっていうのがまたこうきつくてですね。
あれね。
いやでも、それはまた人生ではあると思うんですよ、全然その選択肢もあるなーと思ったし。
そうそうそう。
ああいう、ひょっとしたなんというかきっかけになると思うんですよね、あれが。
その弁護士になるっていうのに縛られてるかとらわれてるかもしんないけど、こういう道もあるじゃん。
新たな道を見つけて、そこがなんか自分にとっての軸じゃないけど、すごく大切なものになるってこともあったと思うんですよ。
でもね、そこでさちえが言うセリフがきつくてねー。
まずちょっと、僕もたもつと同じようなことをしてたことあるんですけど、大切な、結構人生がガラッと変わるようなことを電話で言うっていう、それ良くないっすね、やっぱ。
せめて直で会って言うべきですよね、それはね。
でも、直で会ってもさちえはどうせ同じことを言ってますよ、たぶんだけど。
いやまあそうだと思うんですよ。
けど、それでもし本気だったら、たぶん直で話すと思うんですよ、やっぱりっていう。
それが違ったとしてもですよ、違ったというか、いや、逃げてるだけでしたみたいなことがなるかもしんないんですけど、
けどまずそこが本気かどうかを測る上で、まずそこで電話って選んだ時点でそれ本気じゃねえなってなるっていう感じを、
僕は一個そこ指標だなって僕は思ってて、まあ僕も同じことしたからわかるんですけど。
なるほど。僕はそこのシーンは、人生逃げたっていいじゃんって思ってるかなと思うんですけど。
あ、そうそうそう。
なんか、逃げたっていいけど、結局この関係性はもう逃げられないんだっていう、
なんかその、もう呪いになってしまった関係性なんだなっていうところがすごいはっきりしたシーンだなって思って。
別にただ一人の人間だったら、そこでそこに留まって地元でちょうどよく保守的に暮らすこともできると思うんですよ。
そこを結局幸せ、逃げとして捉えるしかない、勝負せざるを得ないっていう常に。
それをパートナーからむしろそうであるべきだよねっていうふうに押し付けられてしまうっていう。
その瞬間だけでもあの関係は呪いになってるなっていう感じがすごいして、きつかったなと思います。
僕もマリオンさん側の意見なんですけど、逃げでしょって感情的に返したの、電話でそれを言ったからだと僕も思ってるんですよ。
なんかその、面と向かって言わない、それが逃げじゃんっていうのが、あの言葉として現れたっていう感覚だったんですよ。
その問題、この温度間で言っていいことじゃないなって思うし、僕はあのシーンの最大の問題って福島ですよね、たぶん。
福島ですね、確かに。
タモツの実家って。幸が福島についてくるのってそんなに大きな問題じゃないよねって前提で話してるのが、僕はあそこのシーンの最大の問題だと思うんですよ。
いや、やっぱタモツ幸がタモツ側の佐藤家の墓に入ると思ってるんじゃないかな、やっぱり。
そうじゃないとあの距離感で、だって結構慎重なネゴが必要だと思います、あそこ。ネゴシエーションが。
そうです。それまで一切会話なくですからね。
そこで、いや、いけるよねって、それで言い出せるのは、やっぱりタモツ良くない家族感持ってたと僕は思うんですけど。
うんうんうんうん、それは間違いないと思います、確かに。
家族感というか、まあシンプルに面と向かっていうのが怖かったみたいなのはあると思うんですけどね。
僕もそうだったなっていう。
これは別に言っていいんですけど、親に対してですね、実家継ぎませんっていう話を電話でしたっていう。
あー。
これデカいじゃないですか、やっぱり。
うんうん。
それを電話で言うなっていう。
なるほど。
ちょっとちゃんとそれは面と向かって言えよみたいなことをちゃんと言う、それはそうですねっていう。
うーん。
いうようなことが僕はあったので、それと一緒じゃないですか、これって。
って僕は思ったんですよね。
なるほどな。
いや、僕それ家族揃った時に言ったかも。
そうです。
うちの実家の農家継がないなって、ずっと返答をぼかし続けてきた山口家の問題だったんですけど、
もうなんかその、実際どうなんみたいなのか、父親から家族がみんな揃ってる時に振られて、
やっぱ無理かなっていうのを、そっかーみたいなのになった時があったんですよ。
うんうんうんうん。
実家で会ってる時にね。
で、この前帰ったら実家の畑にソーラーができてました。
あー、なるほど。
っていうね、ちょっと切ない話もあるんですけど。
でもまあ、一応僕と父が選んだ答えではあるんですよ、それ。
そっかそっか。やっぱ対話がないからというか、物理的に距離も離れてるし、顔も見てない状況で、
ただ一方的に決定事項を言うっていうのは、誤発となんですね。
そう。まあ一方的じゃないですか。
うん。
え、え、なんかそれはその場で言わなきゃいけないんじゃないけど、
そこはちゃんと面倒向かって言って、まあそれが、じゃあいいでしょってなるのか、いやダメでしょみたいになるのかは、
まあちょっとそれはケースバイケースですけど、少なくともあの話は面倒向かって言うべきでしたよっていうことだったなと思ったんですよね。
うん、確かに確かに。
逆に幸の川なんですけど、なんでしょうね、その、
他物はやっぱり、男性があの立場に置かれたらしんどいだろうなっていうのはわかるんですけど、
その幸が、まあ弁護士として、がっつり働いてる状態自体のしんどさというか、
まあ家族を見られてないしんどさ、ああそれもやっぱり女性だからなのか、
子供の面倒をちゃんと見られてないっていうのが多分男性よりも強めに老い目として現れやすかったのかなっていう。
それはあるんじゃないかなっていうふうには思ってますね。
老付でもそうだったんですけど、私子供のこと何も知らないんじゃんみたいな、だったりとか、
まあそもそも子育ての価値観が実は違っていて、もっとのびのび過ごしてほしかったのに、
ガチガチになんかスポーツとかに進むような子になってしまったみたいな、
それに対してこんなんじゃなかったのにみたいな違和感みたいなとかがやっぱりあったりっていうのが老付では描かれてたんですけど、
まあそれと一緒だなというような感じはしましたね。
僕あれで思い浮かべたのは、まあちょうど弁護士っていうのもあるんですけど、
虎に翼の後半の展開をすごい思い浮かべながら見ていて、
ある種女性、男性関わらず結局社会で働くっての時に名誉男性的に振る舞ってしまうというか、
これまでのジェンダーロールである男性的ジェンダーロールがただ女性になるだけでは何も解決しないっていう、
なんかそれを見てるような気がしてて、結局だからなんていうかな、
結局のところ一番の問題点は社会側の構造にあるんですよ。
そこまで働き詰めないと生活ができなかったりとか、
あるいはそれを認めている社会構造自体にそもそも問題があるんだけど、
結局この社会の中で生きていく上ではどちらかのロールを選ばなきゃいけない、そもそも選択肢はその2つだけじゃないのにっていう、
なんかそれをすごく感じながら見てましたね。
僕も虎に翼を思い出しました。新潟行くところの展開ですよね。
で、虎に翼のトムコは弁護士というか裁判官でしたっけ?
そうですね。裁判官、裁判所に勤めていくっていう。
裁判所に勤めと母親っていう役割をどっちもやるんだっていう、どっちも選ぶんですよね。
で、あれ結構エグい選択だなぁと思いながら見てて、結構マッチョな結論でもあるなって。
どっちもやったらいいんだって、どっちもやれる私であればいいんだって結構マッチョな結論でもあるなぁと思って、
怖いなって思った部分あったんですよ。だからそのどちらもできないっていうのは、ある種正しい結論でもあるとは思うんですよ。
だから本作の佐藤さんと佐藤さんの方における幸においてもしっかり働いてます。
で、母親って言い方が良くないんだよな。親であろうとしてますっていう。
ただ両立、完全な両立はできてませんっていう。その完全にはできなさっていうのを互いに受け入れられたらいいんですけど、
それを自分として授与できてないことが新潟さんにつながってる。
だからそこを互いに不完全さを認め合うことで自分自身の不完全さも認められたらいいと思うんですけど、
やっぱりその両立しなければならないっていうのって結構マチズモなのではっていう、母性マチズモなのではっていう現代における。
女性は仕事と家庭を両立するのが良きことであるみたいな。結構怖い結論だなって思うし。
男性側ってその結論ってそんなに強くはあるべきなんですよ。あるべきなんですけど、強くは求められてないから、その比重が女性側に偏ってるじゃないですか。
女性がどっちもやるんだっていう。それが幸にのしかかってる感じもあったとは思うんですよね。
あのシーン、疑似的なシングルマダンになってますからね。
うん、いや僕あのラストめっちゃ好きなんですよ。
その既存の関係に当てはまらない二人になるっていうのがすごい好きで。
で僕あの大学時代にマンケン入ってたって話ってしましたっけ?
はい、僕らは聞いてます。
あの大学時代に書いてた漫画がちょっとあれに似てたんですよ。
おーへー。
でその話がその男女二人、恋人二人が対等な関係で居続けるために結婚式の途中で離婚するっていう話だったんですけど。
すごい。
でラストが取引相手として商談の場で出会って終わるっていう話だったんですけど。
はぁはぁはぁはぁはぁ。
そのすごいあの時考えてたことを思い出したなと思って。
確かにお互い弁護士場所つけてって言ってたもんね。
うん、そうですね。
なんか好きなんですよね、ああいうのが。
決まってるルールに収まるのが、特に男女が決まってるルールに収まるのがつまらないなって思っちゃうとこがあるなっていう。
コテコテのラブストーリーよりはちょっとひねくれてる方が常に好き。
まあそのひねくれっていうのも、ひねくれっていうこと自体がもしかしたら適切ではないのかもしれないんですけど。
オーソドックスに対するアンチではなく、そういうものがあるっていうのの信じたさみたいなのがあるかなって気はしました。
まあスタート地点はアンチだったかもしれないですけど、今はなんかそういうものが一つのオーソドックスとしてあったほしいみたいなのはちょっとあるかなって気はしてるんですよね。
うんうんうんうんうんうん。
そうですね。
いやー、まあそろそろ実感なんですけど、ちょっとムズかったっすね、今回。
そうですね。
これ良かったんかなって、喋ったこと良かったんかなってちょっと今僕、あれ?ってなってるんですけど。
怖いな。
なんか一方的な正解がなければ多面的にこう、どういうふうにも取れられるのが夫婦感だしっていうのもありますし、
この映画は特にどっちが正しいどっちが間違ってるか全くない映画だと思うんで、全くないのは違うかもしれないけど、部分的にはあるかもしれないですけど、
なんかそれがやっぱりそこも対等なんで、この映画。
うん、そうね。
そこがやっぱり現代の夫婦犬体もの、なんかあるある的なダメさじゃない、でもリアルな対等な傷つけ合い方っていうのをしてるのはすごい良いので、
いや多分怖がったりにしかならないと思います。
そうですね。
でもまあなんか、あ、自分って意外とこうなんやみたいなのに気づいた部分はあったっちゃあったんですよね。
あの映画見ててというより今日喋っててですね、あ、自分この部分結構これ固まってんだなーとかいうのは気づいた部分はあったというか、
あ、なんか意外と保守的だったのかもっていうのに気づく部分もあって、
まあそれが何でしょう、周りの人を不幸にしないように是正できたらいいなと思うんですけど。
うんうんうんうんうん。
うーん、むずいなー。
むずかったなー。
はい、ではまあそんな感じで佐藤さんと佐藤さんの話は終わっておこうかなと思います。
はい、ではお知らせになります。
映画の話したすぎる場、次回開催日は12月20日土曜日になります。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
馬車大阪南室町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報、次回テーマはXおよびインスタグラムで告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
あと2025年ベスト映画の投票も募集しております。
締め切りは12月25日金曜日中にお送りいただけたらと思います。
はい、それでは映画の話したすぎるラジオ
第241回佐藤さんと佐藤さんの会を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。