今日のテーマトークは、罪人たちです。 はい、ではバリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 ブラックパンサー、クリード、チャンプを継ぐ男のライアン・クーグラー監督が、これまでの長編作品でも数多くタッグを組んできた
バイキル・B・ジョーダンを主演に迎えて描いたサバイバルスリラー。 1930年代、信仰深い人々が暮らすアメリカ南部の田舎町。
双子の兄弟スモークとスタックは、かつての故郷であるこの地で一攫千金を狙い、当時禁止されていた酒や音楽を振る舞うダンスホールを開店する。
オープン初日の夜、欲望が渦巻く宴に多くの客が熱狂するが、招かれざる者たちの出現により事態は一変。
ダンスホールは理不尽な絶望に飲み込まれ、陣地を超えた者たちの凶乱の夜が幕を開ける。 主人公の双子をジョーダンが一人二役で演じ、
マンブル・Bのエイリー・スタインフェルド、フェラーリのジャック・オゴンネル、ザ・ファイブ・ブラッツのデルロイ・リンドウが共演。
クーグラー監督が脚本制作も務め、スタッフにも美術デザイナーのハンナ・ビークラー、作曲家のルドビック・ゴランソン、衣装デザイナーのルース・E・カーターら、ブラックパンサーのチームが再結集した。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、ではアッサーリの感想、マリオンさんいかがでしたでしょうか。 そうですね、めちゃくちゃアメリカで大ヒットしてるみたいな話でしたけど、
これが大ヒットしてるアメリカすげーなと、いう感じがすごいしました。 いわゆるバンパイアもの、ジャンルムービーですけど、
そこにめちゃくちゃこう、文脈乗せてきてるみたいなのが、すごい上手くて、 しかもそれがちゃんと当たるみたいなのが、なんかすごいなーって思いましたね。
なんか文化を辿るためのジャンルムービーというか、って感じは本当にしましたね。 特にもう中盤のダンスホールで、
ブルースを歌うところからの、すんごい長回しとかも、ちょっとあっけに取られちゃったというか。
なんか本当、そこにあった音楽の礎っていうのが、どこから発せられたものだったっけみたいなのを、に立ち返るみたいな。
さらにそこからまあ、この夜の宴に参加してくる者たち、いわゆる仕掛けられてきた者たちの歴史に触れてもいくというか。
なんかそこの味わいがすごいいいなというふうにすごい思いました。 まあでもちょっと、もうちょっとはっちゃけてもよかったなみたいなところもちょっとありましたね。
そこはちょっと、ヴァンパイアものというか、ジャンルムービーなんで、もっとギャーみたいなところはあってもよかったかなっていう気もしたりはしたんですけども。
いやでもこれは見事っていうか。 そのなんか、この映画に込められているその文脈というか、背景みたいなものがこうすごい身近にこう
接続してくる感覚みたいなのは感じられる、素晴らしい映画だなっていうふうに思いました。 はい。
はい、大井さんいかがでしたでしょうか。 いやー
変わった映画撮ったなーっていうか、なんか変わった後味を残す映画だなっていう印象がすごい強くありますね。
その、ある種その吸血鬼というものを
白人というか、いわゆる白色人種の文化投影のメタファーとして取り扱う、まあそれも一部ですけど、取り扱うっていうところに
ああそうやりますかっていうところもありましたし、途中ちょっと音楽バトルみたいになったりして。
なんかその辺もなんか、今何見てんだろうって感じがあってめちゃくちゃ面白かったというか。
なんかそれこそちょっとね、あのスリラーみたいな展開に一瞬なったりしますけど。
うん、なんかそれもすごい、いやー面白いなーと思ったりはしましたね。
でもなんかなんとなく思ったのが、あのー
これに近いような映画は結構見たことあるなーって思ったんですけど、ジョー・ダンピールのノープとかは結構それですよねっていう。
はい。 うんうん。
まあてかまあ、そもそもジョー・ダンピール作品っていつもこんな感じじゃこんな感じなんですけど。 はい。
ライアン・クーグラーも確かにそのオリジンというか、ある種そのアフリカ系アメリカンのことをこれまで描いてきた監督ではあるっていうのは
なんとなくわかっておいたんですけど、この迫り方はちょっとジョー・ダンピールっぽい気がしていて。
特にホラーっていうジャンルでこう、攻めてきたあたりもなんとなくそう思いますし、結構ある種ライアン・クーグラーの新しいステージに入った作品なのかしらっていうのはちょっと見てて思ったところではありますね。
これ劇場で見るとすごい良かったなぁと思います。 そんな感じです。
はい。 ノープは思い出しますよねっていうのがあって、で、
ノープが映画でそれを描いてましたけど、その文化投与とか、そのエンターテイメント化することの暴力性みたいなことを、
映像に関して、映画に関して描いてたノープに対して本作は音楽っていうところの差はあるなと思いつつ、そのノープよりもより
抑圧の構造が多層的だなっていうのがあって、すごい複雑なんですよね。
強いたげるものと強いたげられるものの構造っていうものが多面的だから、
だから強いたげられるものがただ強いたげられるだけのものじゃなくって、強いたげる側に回ろうとするとかっていう、すごい難しいことを描いてるなっていうのがあったなっていうのがありますね。
うんうんうんうん。
はい、えーと、僕はですね、まあ今ちょっと大谷さんのお話を拾って喋った部分がすごい面白さとしてある話だなと思って、
で、まあその音楽っていうモチーフを使って、その抑圧する側、される側の複雑な構造っていうものを見事に描いてたなと思って、
ジャンル映画でこういうことをされるのが僕一番嬉しいんですよね、ほんとに。
うんうんうん。
はい、一番好きと思いながら前半めちゃくちゃ楽しんでました。
ただ、ちょっとだけわがままを言うと、ジャンル映画としてはもっと振り切ってくれた方が僕の好みではあって、その前半でやってたことがちょっと気真面目すぎて、
そのジャンル映画としてのやんちゃさがちょっと物足りなさを覚えたっていうのはありました。
いっそ、ジャンル映画っていうのを隠してくれてもよかったなって僕は思ってるんですけど。
ああ、なるほどね。
ああ、ちょっとわかりますね。もう最初の冒頭は、ある種ギャング映画的な感じで始まったかと思ったら、とか、意外性があって面白いみたいな感じですね。
やっぱその、そういう映画ってたまにあるんですよ。このジャンルであるっていうことを前半隠して、後半で実はみたいなやる映画ってたまにあるんで。
っていうか、結構本作かなり構造に似てる映画があったりはするんで、やっぱそれに近いことを、なんかちょっとこんな乱暴なことしちゃうのはみたいなこと、見たさはあって、
ジャンル部分が乱暴であればあるほど真面目にやってる部分の真面目さも際立つとは思うので、ちょっとその誠実さ、真面目さがちょっとそのやんちゃさを抑えてしまった部分を僕は感じた部分はありました。
ちょっとそこが惜しかったなっていう印象です。
はい、てな感じででは、深掘りしていきたいと思うんですけれども、じゃあどっからいきましょうかね。
切り口は多いっちゃ多いので。
そうですね、どこから、意外と難しい。
そうなんですよ、今回喋るのめっちゃ難しいなと思ってます、僕。
あの、映画見てる時楽しんでた楽しみ方よりも、そのちゃんと語ろうとした部分のちゃんとしてる部分がむちゃくちゃ多いから、その結構迂闊に喋るっていうか。
そうですね、なんか具体的な歴史的な背景とかみたいな話は正直めっちゃできるわけじゃないじゃないですか、正直。
知識不足もたくさんあるし。
かつすごく真面目に映画の方が話してるから見たらわかるよってところもちょっとあるっちゃあるんですよね。
そうですね、でも本当にそこまで詳しくなくてもそこに、あ、そういうことかってわかるみたいなのが、エンタメとしてまず素晴らしいよねっていうのはありますよね。
そもそもね、ブルースなんて現代的にあんまり聞かれなくなったジャンルではあると思うんですよ。
そうですね、あんまり僕らはあんまり耳なじみがないって言ったらいいのかな。聞かれてるかもしれないですけど。
そうですよね、だからこんなにもう音楽映画だと思ってなかったっていうのがまずあるんですけど。
本当中盤のモーヒューの主人公である彼が。
サミーですね。
サミーか、サミーが歌い上げるところで歴史が、すべての歴史がそこにあるみたいな状態になるじゃないですか。
あれ本当すごいシーンですよね。
すごいなって思いましたし。
ブルースを起点にそこから音楽のジャンルっていうのが多様化していくというか。
でもあるし、でも音楽って元を辿ったら本当にリズムとかの話になると思うんですけど、
リズムからの原点の話って、それを生み出してたのってどう考えてもブラックカルチャーだったはずなので、
そこまで、そこに繋がっていくんだみたいな感覚が一発でわかるみたいなのがちょっと見事だなって思いましたね。
僕結構あそこのシークエンス印象に残ってるのが、中国の武教とかも一瞬入ってくるじゃないですか。
はい。
だからまさにそこで始まった、そもそも大元はどこかっていうところよりも、
音楽っていうものに共通するそのソウルというか、っていうものを結構描こうとしてるから、
あそこだけやっぱり文化投与を超えていくシーンになってるなってちょっと思ったんですよね。
例えば、もともとは歴史的に見れば、確かにもともとアフリカアメリカっていうかアフリカ的なものからその音楽が始まってるっていう風に言い切っても多分良かったかなと思うんですけど、
そこをあえて別の民族、もちろんあそこの中に中国系の方もいらっしゃるからだと思うんですけど、
別の音楽、別の大陸の別の音楽もそこにサラッと入ってくるっていうことにすることによって、
そもそも音楽のルーツって僕らの中に流れてるDNAじゃないかぐらいのことを言ってる気がして、
そこまで射程広げたの結構すごいんじゃないかなって思ったりするんですけど。
あのシーンは本当すごいですよね。
もうちょっと時間の壁越えちゃってるっていうのが、過去もそうですけど未来とも繋がってるじゃないですか。
ロックに繋がったりとか、ヒップホップに繋がったりとか、DJカルチャーみたいなものに繋がってたりとかしてて、
それって起点にブルースがあって、そこからバックカルチャーとしてだんだん広がっていって、
R&Bに行ったりとか、そういう過去と未来と接続するものとして、
本作においてはブルースが置かれてるっていうのがすごいなっていうのがあるんですけど。
ちょうど前回、ここの話をして、芸能を通じて霊的な領域に繋がるのがっていうのを言ったんですけど、
ちょうどこの話続けちゃってるなと思ったんですけど、ただ僕は本作はやっぱ好きなんですけど、
本作で繋がっている霊的な領域って高さとしては同じ高さなんですよね。
人なんですよ。過去の人と未来の人と繋がってるっていう、その上の領域に繋がってるわけじゃないっていうのが、
僕が心地よく見れる要因だったなとは思ったんですよね。
それってやっぱり人々の間で伝えられて、これからも伝えられていく、生に対する救いみたいなもの。
特にその、教えてあげられた人々の音楽であるっていうことがすごい大事で、
特にこの時代においてはブルースって宗教的にとか、反宗教的なもの。
良くないものとして扱われている中で、でもそこに救いがあるっていう、その反権威であるっていうところ。
でもその反権威であるっていうところに救いがあるっていうのがすごい良いなと思ったんですよね。
たしかにな。
本当あのシーンは良くって、結構本作の肝的な部分にもうちょっと踏み込んじゃうと思うんですけど、
そこで、吸血鬼の側が、アイルランド系っていうのがちょっと深すぎるなと。
そうっすよね。
そうなんですよね。そこすごいですよね。
始めにやってきた吸血鬼がアイリッシュフォークを歌ってるっていうところから、
もうむちゃくちゃイングランドに対する恨み節を込めた歌を歌いだして、
この人アイルランド系なんだなっていうのがあそこでわかるんですけど、
アイルランド系アメリカ人っていうことは、先に入職してきたイングランドのいわゆるワスプの人たちに対して、
下に見られてた非差別的な立場の白人なわけですね。ヨーロッパ系の中では。
非差別的な立場にいる人たちが吸血鬼っていうのが深すぎるなっていうのがあって、
その人が、初めに夫婦を吸血鬼にして、襲って吸血鬼にしますけど、
どうやら彼らはKKKであるっていうのが、家の中の白いマスクからわかるんですけど、
KKKはそのワスプの人たちの、要は上層にいる白人からの、そうでない者たちに対する抑圧のための組織なので、
彼がそのKKKの夫婦を取り込んだっていうことは、そのKKK側に行こうとしてるというか、
その権威を持ってる側の白人にアプローチしてるようになんか見えるなと思うんですよね。
一方でその後で、夜のクラブにやってきて、今度はアフリカ系の人たちを吸血鬼にしていくんですけど、
ここが文化東洋の比喩として言われる部分だと思うんですけど、
実際この時代って、黒人音楽がレコードとして音楽産業に取り込まれていくと。
ただその音楽産業っていうのを支配してるのはもちろん白人の側だし、
白人の中でもワスプなわけですよね。
ただその中間にアイルランド系であるとか、ヨーロッパ系の中でちょっと下にいる人たちがいて、
その中間で搾取する立場に立とうとしてるっていうのが、なんとなく背景としてあるっていう。
そのアイルランド系がそこにいることで、どっちの立場も描いてるのがむずすぎて、
僕は初め見たとき飲み込めませんでした。こんな難しいものをジャンル映画に見せられると思ってなかったから。
そうですよね。単純に黒人を差別する白人みたいな構図にならないっていうことですもんね、そこが。
そういう構図も含んでるけど厳密には違うみたいな。
彼らもまた同じく差別される、虐げられる側でもあったみたいな。
そういうところのすごい多層的だなって思いましたよね。
だからこそおそらくブラックミュージックの魂みたいなところに惹かれちゃうっていうところもあるんでしょうしね、おそらくね。
そうですね。本来はあの場でソウルで繋がれたかもしれないかったんだけど、それは叶わなかったねっていう悲しさも込みでありますよね。
そうですね。そこ本当に難しくて。
音楽とはまたちょっと違うんですけど、ミンストレルショーってあるじゃないですか。
はい。
白人がブラックペイントをして黒人、ひょうきんで愚かな黒人を演じてエンターテイメントにしたっていうエンターテイメントショーがあって、そこに黒人を演じてたのってアイルランド系が多いらしいんですよ、どうやら。
はー、なるほど。
アイルランド系が黒人を演じたっていうことが、アイルランド系をヨーロッパ系の中で非差別的な立ち位置から上の階層のヨーロッパ系の中に同化していくっていう働きをしたらしいんですよね。
そこに参加することが。
要は差別される側じゃないんだよっていう、そういうふうにワスプに代表されるような上流白人層の同化の働きをしたらしくて、それを含めて見ると怖すぎるシーンなんですよ、あそこ。
確かになー。
上に行くために利用してるっていう黒人音楽、あるいは黒人文化全てをっていうふうに見ると、むちゃくちゃ嫌なシーンだなっていうのがあって。
ただその一番悪いやつらの爪の先っちょの奴らが出てきて、最後にもうぶち殺されるっていうのが本作のカタレシス。で、あると同時になんていうか、その構造そのものには全くリーチできていないっていう、あくまでつな先を蹴っ飛ばしてやっただけでしかないっていう切なさもあるかなと思うんですよね。
そういう意味ではすごい印象的なのが、メンカ畑ってこういう映画の文脈でどちらかというとこう牢獄というか閉じられた世界的に描かれることが多いかなと思う。
ここに閉じ込められているっていう文脈で描かれること多いかなと思うんですけど、本作のメンカ畑ってすごいむしろオープンな場所というか。
ここであればそれぞれでいられるというか、ちょっとユートピア的に描いてるような気が僕はして。
なるほど。
それすごいちょっと印象的だったんですよね。ディストピアとしてメンカ描いてないなって思って。
確かにいわゆるそのメンカ畑を支配している白人のオーナーみたいな人は出てこないですよね。
そうそうそうそう。
普通はなんかそれでも夜が明けるみたいな、マイケル・ファスベンダーみたいな極悪な奴がみたいなのが出てこない映画でしたよね。
そうそう。
いるはずだけど、たぶん。
なるほど。そうかそうか。
なんかその辺がたぶんちょっとバランスとして変わっているし、なんかよりあそこで、あそこのダンスホールでやろうとしてることが、
すごいそもそも内輪向けにやろうとしてる感じがなんかすごく、だから後半そこにその文化投影的なというかそこの構造的な話になっていくとは全く思わせない感じがあるのかなっていうふうには見ていて。
うん。
何なんですかね。それこそラストのサミーが結局その自分の家の境界から逃げていくところとかも、すごいダダッピロい面科畑のところを車走らせるんですけど、なんかあれ開放のモチーフっぽい気がしちゃうんですよどうしても。
あと、面科畑のシーンは結構その僕今回レーザーアイマックスGTで見たので、フルサイズで見てるんですけど、面科畑のフルサイズシーンがめちゃくちゃ多かったですねそういえば。
あ、そうなんですね。
だからそこも多分すごい意識してそうですよね。すごい開放としてのっていうか、彼らにとってのとても苦しい歴史の中の風景であるんだけど、でもそこは彼らの象徴する景色でも同時にあるみたいな感覚があるのかなっていうのが思いますね。
ある意味ブルースを生んだのはこの土地であるっていうところもすごくあるのかな。オリジンであるっていう。
なるほどな。
そこに誇りを持ってるみたいに見えるっていうのは結構特徴だなと思います。
なるほど。その側面はありますよね絶対。このクソめてーな場所だけど、そこに俺たちの魂があるんだって、そこからブルースが生まれてるんだっていう。
それこそね、スモークとスタッフが帰ってくる理由もあるし、そういうところあるじゃないですか。結局レペゼンじゃないけど、自分の地元のことをもう一回考えてみようとしてる2人ではあるわけで。
そういう意味でそのメンカ畑にある種の複雑な背景はあるんだけど、ちょっと共同愛みたいなものも描いてるところは結構独特だなと思って見てました。
ちょっと僕逆の印象を持ってたかもしれないですけど、どこまで行っても抜け出せないものとして、地平線の彼方までメンカ畑っていうところに、我々の大好きな山で囲まれた日本の田舎、ここから抜け出せないなというものを感じてたんで。
だからサメにとっては多分そうなんですよ。そのモチーフでもある気がするんですよ。
なるほど、そうですよね。
だからどっちも含んでるんだろうな、その複雑な。
そうそうそう。スモークとスタックにとってはここぞ俺たちの故郷でもあるし、サメにとっては抜け出せない牢獄にも見えるしっていう。
なるほどな。
確かに結構サメには出て行こうとするみたいな。で一方でそのスモークとスタックから、どっちでしたっけ?どっちからだっけ?からはこう、いやお前なんか出て行くなよみたいな。
ちょっと彼をこう、将来の道をちょっと飛ばすような一幕もあったじゃないですか。
ありましたね。
だからやっぱちょっと双方見てた面科畑の風景の意味合いは確かに違ったのかなというのはありそうですよね。
ちょっと話戻しちゃうんですけど、本作東アジアルーツの人たちも出てくるじゃないですか。
はいはいはい。
あそこがすごい良かったなと思って、さっき名前も出たんですけど、ジョーダンピールのノープって結構そのアジア人冷たく突き放してたから。
そうでしたね。
結構僕あれ引っかかってて、まあなんというかアジア系とはいえども、なんというか削除する側の資本主義の側に突っ込んで行ってた人だったんで、ノープのあの人は。
だからまあなんというかしょうがないよねそうなっちゃうよねみたいな感じだったのかもしれないですけど、
やっぱりなんかそこで人種違ったら扱い変わってるようにも見えちゃったからドライやなーと思って見てたんですけど。
削除する側だから、あの吸血鬼。
でも吸血鬼というか、夜の世界に行ったから二人は多分一緒になれたしっていう。
絵描き方とかも上手いし、結局最後はやっぱブルースいいよなって言って終わる感じが。
本当素直に音楽映画として最後終わったなと思って。
あと双方音楽で戦い合ってる感じは、なんとなくウエストサイドストーリーのミュージカルシーンを思い出しながら見てました。
踊り合いながらかまし合うみたいな双方が。
しかもあれも、あれもよう考えたらそういう、あれもアイルランド系でしたよね。
アイルランド系とベルトリカンですよね。ベルトリコ系も。
あれも確かにそう、どちらもある種仕入れられてる側のその者同士の居酒屋の話というか。
そこの引き裂かれる悲劇みたいな話だと思うので、なんかちょっとそこも思い出したりはしました。
確かに確かに。
あの吸血鬼って多分めちゃくちゃ長生きしてますよね。多分。
多分。
イングランドからアイルランドに入職してきてその宗教弾圧みたいなのをしてる時代から生きてるってことですよね。
多分あの200年とかそれぐらい前なのかなって思うんですけど。
いやなんか、え?初めどの時代の人ってなってあのセリフ聞いて。
うん?ってなって。よくよく考えたら、あ、吸血鬼やから別にいいのかそこはみたいな。
まあね。
ていうか、本作の吸血鬼説ってあまりにも古風じゃなかったですか?
そうめちゃくちゃクラシックですよね。
ですよね。
あの招待されないと入れないし、ニンニクダメだしみたいな。
で、悔いを心臓に打ち込んだら死ぬしみたいな。
めちゃくちゃクラシック。
そのなんか、あのブラムストーカーのドラキュラみたいな感じだし。
そうですね。
あのドラキュラとかもそうだし、ノースフェラーというのもそうでしたけど、
あれってその西洋から見た時の東洋への差別意識みたいなものの表れでもあるから、
やっぱり本作でもその強いてあげられている側としての吸血鬼っていうのも、
なんかそこも引っ張ってきてるのかなみたいな考えたら。
ああ。
ちょっと周到すぎるっていう。
確かにな。
どうですよね。
めちゃくちゃ綿密に考えてるなっていう映画だと思います。
本当になんか、すごい真面目。
いやーそう。
そう。
真面目。
うん。
それがちょっとあるし、あだになってる時もあるんですけど、この映画。
いやーそこがねー。
と。
そこがねー。
いやーでもねー、そうそう。
正直、もうちょっと老上線見たくなかったですか?
いや、そうそうそうそう。
老上線はもうちょっとねちっこく見たかったし、海戦じゃーみたいな、戦うぞーみたいなところも、
もっと血みどろでよかったよねみたいな。
そこにもうちょっといろいろ戦い方にアイディアも欲しかったよねとか、いろいろちょっと思いますよね。
いやーあのー、最終ね、アジア系の女性の人が子供に害が出てほしくないからって、
もうバーンってやっちゃって、もう正面衝突みたいになるじゃないですか。
はいはいはい。
いやーなんか、ブラックパンサーの時とそんな変わらんぞと思って見てて。
確かに。
この人たち真っ正面から海戦するよねって思って。
そうですねー。
なんかその、老上線の駆け引きしないから、なんかモンスター映画としてのあんまり気も抑えてくれてないなと思って、
もったいねーと思ったんですよ、あそこ。
だって、やりかけてるから、いろいろ。
あのニンニクを食べてお前大丈夫かってくだりとか、
モロニーで、幽静からの物体X的なね、ワクワクするじゃないですかとか、
あとなんかそこに寝転がってる死体は、こいつもワンパイアなのかみたいなのか、
もっと膨らませられるじゃんみたいなことは、ちょっと求めちゃいますよね、やっぱね。
ホラー演出がすごい浅いところでチャプチャプって感じで終わっちゃうから。
いやーそうなんですよね。
だからそこはね、冗談ピールがやってたらもっとぐっちゃぐちゃにしてくれたと思うんですよ。
そうなんですよ。そこはそうなんですよ、確かに。
だから冗談ピールは冗談ピールで、あそこにいる人たちが、
この表現、ちょっと今よくないかもしれないですけど、
クオーと女性がいたりとか、アジア系の人がいたりとかっていう、
あと敵がいるランド系で仕入れられてるものでもあるみたいな、
すごい複雑さを冗談ピールやったらやらなかったような気がするんですよ。
あんまりそういうことしなさそうだなって思うんですよね。
やっぱそこで、ノープとかゲットアウトのシンプルさになると思うんですけど、
その代わり、やるとこぐっちゃぐちゃにしてくれるじゃないですか、冗談ピールって。
そうですね。
スペクタクルですからね、その辺は本当に。
そこがね、ちょっと物足りなさを感じたとこではありました、本当に。
そうだなー。
惜しいって感じなんですけど。
背景設定とかそこまでのキャラクターの積み上げ方は、
それこそね、ブラックパンサーだって見事でしたし、
クリートももちろんそうなんですけど、
結局その積み上げた先に何を語る必要があるのかっていうところが、
確かにちょっといつも、もうちょいって感じがするのは事実としてはあって。
ちょっと真面目すぎるなと。
そう。突き抜けてほしい。
真面目だからこそこの複雑さだと思っているんで。
そうなんですよ。
だからね、吸血映画として見るべきではないと思うんですよ。
音楽映画として見るべきだし、
そういう社会を描いた映画として見るべきだと思うんで、
吸血鬼映画として見ると、
なんかそこは詰め切ってないとは思うんですけど、
ジョーダン・ピールとライアン・クーがあって、
それぞれポリティカルのためにジャンルを使ってるのか、
ジャンルのためにポリティカルを使ってるのかって微妙な差がありますよね。
ありますよね。確かに。
そうですね。その差がありますよね。確かに。
よくよく考えたら、
ブラックパンサーって1も2も、
その、欧米から見たときに、
虐げられる側同士が戦ってる話だなってちょっと。
うんうんうん。
そうですね。
その、本当に虐げてきた側とは対決してないじゃないですか。
うん。
どっちも。
うんうん。
っていうのがなんか複雑だなぁと思うと同時に、
なんというか、着地がどうしても多重構造になる分、
思い切りの良さには欠くとこはあるっちゃあるかなっていう。
哀愁漂っちゃう分もあるよなっていうのは。
そうっすよね。
だから最後のKKKとの対決はちょっとそれやろうとしたんだろうけどなぁと思って。
はい。
そうですね。
うん。
いや、そう、だからKKKって本作においての全部の悪の塊じゃないですか。
うんうん。
もう、無遠慮でぶち殺していい奴らになってて、
だからあの、だから最後にちょっと食べたりないっすよねって最後にちょっと、
メインディッシュは最後につけましたっていう。
そうですね。
デザートのタイミングでメインディッシュ出しますねっていう感じではあるんですけど。
いやーでも僕やっぱりね、ジャンル的な喜びを言うんだったら、
KKKが吸血鬼だった方が気持ちよかったと思うんですよね。
あーねー、それはそうなんですけどねー。
それはそう。
それはそう。
まあシンプルですからね、そののがねーってのはありますけど。
いやーでも、もう、分かる。
難しいとこなんですよ。
うん。
前半の複雑さは好きなんで。
うんうんうん。
ただその前半の複雑さを、そのKKKが吸血鬼ですみたいなシンプルさの後半につなげるわけにはいかないと思うんですよね。
やっぱり。
それはそうなんですよ。
そうなんですよ。
あーだから、いやー。
いやー。
これはもうなんか、ないものをねだりって言われたらそれまでなんだよなーみたいな。
てか、ライアンクーベルにそれを求めるべからずって言われたらそれはそうなんだけどさーっていうね。
まあそう本当に真面目だし。
いや本当にその、さっきそのブランクパンサーがその、虐げられた者たちの諍いの話だってありましたけど。
まあある意味その、諍いじゃないですけど、クリードもあるしそういう。
うんうん。
虐げられた者たちの戦いの話だったなーみたいな話。
はい。
ちょっとやっぱ、ちょっとちゃんと見れてないですけど、フルートベル駅でとかも、虐げられた者たちの悲劇の話として。
うん。
やっぱそこに対しての、めちゃくちゃやっぱ、作家性というか。
うんうん。
ずっと描いてきた人なんだなっていうのは、ちょっとやっぱすごく思いますよね。
なんかそれがようやくこの、オリジナルのこの規模の作品で、結実したっていうのが。
うん。
もう見事ですよね。
うん。
いやー。
うーん!
うーん!
うーん!
うーん!みたいな。
そう。
いやもう分かる、分かる、分かる。
本作の良さは、それをやってしまったら到達できないとこにあるのは分かるんですけど。
うん。
やっぱ、あのー、なんて言ったらいいのかなー。
ぶち殺していい奴らが、ちゃんとその映画の山本一致しててほしいっていう。
うん。
ジャンプスキャンもあんまなかったですしね。
ほぼほぼなかったっすよね。
うん。
うん。
なんかそういう意味ではストレスなく見れたというか。
うんうんうんうんうん。
あのー、最初の休憩期がフーフー襲うところとか、結構怖い演出来るのかなって覚悟したんですけど、全然怖くなくてびっくりしましたもん。
そうですね、もうなんか開けたらあーもうやってますわみたいな。
そうそうそうそう。
感じだったから。
いやもう僕的にはすごいありがたかったですけどね。
うーん。
アイマックスの音響でジャンプスキャンとかされたら死んじゃうんですよ。
いやーでも。
見たくないですってなっちゃうんで。
冗談ピル無邪気にやりますからね、それを。
うんうん。
もう本当に冗談ピルの作品見れないわほんとに。
だって、あのノープとか冒頭のチンパンジーシーンが何なら一番怖いけどっていう。
あー怖い怖い怖い怖い。
あれほんと怖いよね。
うん。
ギャーっていうシーンでしたし。
いやほんとにあのー、ジャンプスキャンにしていいところを丁寧にその手前でバツって切りますよね。
そうそうそうそう。
そのところをね、ほんとに。
だってあのー、何でしたっけあの、見せ場やってた男の人がその外で立ち証明してそのまま帰るところで明らかに襲われるってところじゃないですか。
あそこ絶対怖く演出できない。
明らかにスッてカット切れたから。
そうですね。
いるよーっていうのだけに要して終わるみたいな。
そうそうそうそう。
で帰ってきたらまあそれはそうなってますよねっていう。
うん。
絶対こいつあれだぞみたいなね、もうわかるみたいなね。
すげー親切設計だなと思って。
うん。
うーん。
結構、普段こういうその、冗談ピールならやってライオンクーグラーならやらないことに対して、こういう人たちに対してちょっと配慮が足りない描写ですよねみたいなことをたまに言ってるんですよ。
はいはいはいはいはい。
やっぱちょっとこういう立場の人からしたらあのよくないですよねみたいなことを言ってるんですけど。
そういうところ丁寧にちゃんと潰せてる映画に対してジャンル性が足りないって本当わがままですねって思って。
痛い痛い痛い痛い。
この2枚自弾より見たいって言われてもしょうがないであーみたいな。
いやーなんでしょうね、結局自分が痒いところを描いて欲しいだけで、痒くないところは描いて欲しくないんだなっていう。
なんでわがままなんだってちょっと思っちゃって。
いやーわがままですよね僕ら本当。
映画楽しむのってむずいんだなー。
いやまあ楽しいんですけどねこの映画はめちゃくちゃ。
全然楽しんではいるんですよ。
そう、すごかったよって思ってるから本当に。
そうなんですよね。だから本作のすごさって僕らが語りたいところにある。
そうだなー。
映画館で見てこのスピリットで感じるものだからあの一番盛り上がる歌のシーンっていう。
あらゆる時間とかあらゆる人生っていうものが音楽でつながって、それは良いものでもあるし悪いものともつながり得るっていう。
すごい難しいものを描いててそれを音楽っていうパッションというかエモーションで貫ききってて。
この映画このシーン見れて良かったっていう本当にあそこだけでもずっと印象に残る、記憶に残り続けるシーンやと思うんで。
あれを作られただけでももう全然この映画成功してると思うんですよね。
なのに。
なのになーみたいな。
正しいんだよな多分ずっと。
だからある意味ホラーを期待して見ていくとっていうのは確かにいろんなところで聞いてたというかいろんなとこ行ってたんで実際。
そこはそうだろうなと思うんですけど音楽映画ってジャンルだと思うことで何とか良いものというか見たことないもの見れたなって思えるっていうのは確かにあるかもしれないなというか。
どこに期待値を置くか。
特に予告とかだと結構ホラーですみたいなところが結構前面に押されてますしね。
だからホラーですって見に行くとその前段のお店を開店するまでのくだりが結構長いと思うんですよね。
長い?
長い。
本当にギャング映画ですよーぐらいで感じてみたら全然アリじゃないですか。
そっからのジャンル変化がどんどん面白いみたいな。
ギャングものから音楽映画映りそっからヴァンパイアものになりみたいな。最後は痛快なアクションものになってみたいな。
っていうの流れになるから。
ギャングロードムービーからのヴァンパイアムービーになるっていう。
どこに期待値を置いて見に行くかって宣伝もむずいと思うんですけどね。
いやーこれは難しいと思いますよ。
難しいと思いますよね。
内容の複雑さもだし。
そもそもやっぱりそういうブラックカルチャーアスカッパ映画がヒットするのかみたいなところの問題というか。
ヒットしないと思われて普通に映画館でやらないみたいなことが平気で発生しちゃうから。
これを日本の観客にどこに期待値を置かせるかって結構難しいですこれは。
これは難しいですね。
上映感むちゃくちゃ少ないですからね。
実際そうですよね。
少ないし急に決まりましたもんね本当にね。
6月に入ってくるんだみたいな感じしませんでした?
いややるんだっていうね。
嬉しいけどやるんだみたいな感じだったから。
期待値の設定っていう。
高い低いっていうのももちろんあると思うんですけど。
何ジャンルを期待するかっていう設定もすごい難しいなと思って。
やっぱり吸血鬼が出てくるってなると吸血鬼映画として見ちゃうっていうのがあって。
でもそれはすごい難しいんですけど。
本作ってブラックカルチャーが描かれる映画だからそういう映画ですよっていう見方をしといたら多分的を射てると思うんですよね。
何でしょうね。
普段の行いというかそよというか。
何を期待しちゃうかっていうところが出たのかなっていうのはありますかね。
ライアンクーグラー監督だからなって思ったら確かにその文脈で見ようっていう風になるのかなとは。
過去作ずっとそのことをやってきてるしっていう。
そうですね。
それめちゃくちゃあります。
だからその要素を分解していった時に何が勝つかっていうのだと思うんですよね。
監督名とかが一つ。
ライアンクーグラーっていうのがあったりとかブラックカルチャーとかあるいはその黒人音楽とかっていう。
でもう一つ吸血鬼っていう。
あるいはギャングっていう文脈もありますよね。
でどこを期待してどの順番で置くかってなった時に、
僕の中でライアンクーグラーより吸血鬼が勝ってしまったんですよ。
まあまあそうなりますよね。
まあまあまあそうなんだよな。
何が好きかっていうのがあらわになってしまいました。
僕はライアンクーグラーより吸血鬼の方が好きなんですよきっと。
いやまあまあ僕はライアンクーグラー好きだからなーみたいな気持ちがあるけどな。
物足りないとは言いつつ好きだからなーみたいな。
いや期待値設定ってほんと難しいなと思います。
それで取り延ばしてるというか取りこぼしてる映画とか結構ありますしね実際。
いやありますあります。
横から見ても正直何かわからないじゃないですか。
ホラーとは言葉だけ出てくるけどホラーっぽいシーンはほぼ出てこないし。
確かによくわかんない映画だなと思ってました横系の段階見て。
なんかだからライアンクーグラーってマイケル・ビー・ジョードンだからまあまあまあいつもの感じだろうなって思いつつ、
あんまり舞台もそれこそわかんなかったし、
ぐらいの感じで見に行ったんで割とこんなもんが出てくるとはちょっと意外だなぐらいな期待値で僕は行ったから、
楽しめたって楽しめたんですけど。
難しいですね。
ライアンクーグラーが描くギャング&ブルースムービーって言われてたら、
まとは外さなかったと思うんですよ。
1930年代ってそういう人種的な構造的な分断がめちゃくちゃ激しかった時代だし、
ミシシッピ・デルタ地帯でブルースがテーマって絶対ライアンクーグラーが、
描くのめっちゃ上手い領域じゃんってわかるから、
そこやったら僕も完全にど真ん中射抜けたと思うんですよ。
そこにこの吸血鬼っていうスパイスが一滴入ったことで、
僕の中でも吸血鬼映画になってるんですよね。
こんなこれまで生きたスパイスとかなんかだしとか全部消えましたかみたいな。
全部カレー味みたいな。
カレー粉。
タバスコ入れちゃいましたみたいな。
吸血鬼って言ったらお客さん入ってくるもんな。
日本でどれの要素で売るってなったら、
吸血鬼とまでは言わないにしてもホラーって言った方がお客さんは呼びやすいですよね。
絶対そうですよね。
さすがにね、ブルースギャングで来てくるかっていうと結構来ないんじゃないかなって気しちゃうんですよね。
正直アメリカでもどこまで呼べるか、
クエスチョンマークつくと思います。それやったら。
そうなんですよ。
まあ本語でもちゃんとホラーとして紹介されてたから、
俺がふたを開けてみたらこんなに映画だったんだみたいになってたのがちゃんとヒットしてるっていうか、
まあすごい大ヒットですけど。
本当に。
だからまあやっぱりそのクリードもボクシング映画だし、
ブラックパンサーもヒーロー映画なわけですよね。
一番上の表面のレイヤーは。
その中にポリティカルなもの、歴史的なものとかっていうものが入ってて、
それがこう人を呼べる映画になってるっていうのがあると思うんですけど、
今回はそれがオリジナルでその領域を達成してるってすごいことだなと思うんですよね。
しかもこれまである意味チャレンジしてこなかったジャンルでこれを成し遂げてるってあたりが、
まあ腕あんなっていう。
いやすごいですよ本当。
すごいんですよ。すごいにはすごいですよ。
勝手にボクの中で舌を華麗にしちゃったんで。
前半3分の2で終わってたら今年ぶっちぎりベストです、ボクの中で。
なるほどな。
結果として見たことないように変なバランスになってたんで、
僕はそういう意味で好きですけどね。
めっちゃ変な映画ですよね本当に。
思い返すといい映画だけど変な映画なんですよやっぱり。
変な映画だったのかあれは。
なんかあの仲間集めパート長いですからね。
そうそうそうそう。長い。
七人の侍かなぐらい。
それはその仲間集めがそんなに仲間っぽくも機能しないあたりもまた独特ですし。
あとパーティー式も結構長いですしね。
変なとこに気合い入ってるなーっていうのはそうかも。
あとやっぱりちょっとマイケル・B・ジョーダンが2人っていうのがだいぶイカれてるなって思ってるんですけど。
それはそうなんですよ。地味に面倒くさいことやってますよね。
なんだっけな。すごいなって思うんですけど。
シンプルにマイケル・B・ジョーダンの魅力が2倍っていうのが最高に面白くないですかみたいな。
同じシーン2回撮ってるってことですよねつまり。
何をやってるのかなみたいな。っていう感じがすごいして。
いやーまたこの一人二役っていう意味。そして吸血鬼とそうでない側に別れるという意味。
めちゃくちゃ象徴的じゃないですか。
お前はそっち側に行ってしまったのかみたいな。
そういうすごい悲しいシーンに悲しいというかエモーショナルなシーンになり得るんですけど。
そこの対決って最終的にふわっと終わって。
どっちかというとその大元の吸血鬼、アイルランド系吸血鬼のあいつとの対峙が本作の一番重要なテーマ。
削除される側と削除する側。それはすごい境界線が曖昧で。
削除する側も別の側面ではされる側っていう。
それぞれがその日の出っていう一つの許しの時を経て終わりを迎えることができるっていうすごい象徴的なシーンなんですけど。
それすごい大事なシーン。もう本当に本作が言おうとしていることとしてめっちゃ大事なんですけど。
ただその2つに分かれた2人の対峙っていうのがふわっとするというかめちゃくちゃ象徴的な意味あるのに、あくまでこのそこは吸血鬼ものとして終わるんやみたいな。
そこはテーマを帯びさせないんやみたいな。むしろその生き残って後で出てくる方に意味があるから。
まあそうですね。
そっちなんで。だからいいとこ取りをさせたいがための双子設定っていうか。
どちらの旨味も重なっていくっていう感じですよね。マイケルビージャパンの。
ある意味そういう対決をブラックパンサーでやったしなっていうのもあるかもしれないですけど。
まあやったし、そうですよね。
そうですね。それってもう本当にブラックパンサー1ですよね。
あとまあちょっと切り口は違いますけど、ジョーダンピールのアスとかっていうのも。
確かに。
同じ人が別の立場になった時に加害される側になりますよねみたいなすごい複雑なもの。
同じ人種でも立場違ったら、いやもうそのしいたげられることなんて気にしないかもしれないですよねみたいなめちゃくちゃ難しいことをやってて。
あれってすごい同じ存在が2人いることの意味めっちゃある映画だと思うんですけど。
なんか本作、別に片っぽマイケルビー・ジョーダンじゃなくてもいい可能性あるなってちょっと思ってるとこもあるかなっていう。
どうですかね。もちろん変わったら全然見方変わるから、これは非常に一面的な見方でしかないんですけど。
正直双子説じゃなくて、ただの兄弟で別の方が演じられててもまあまあまあ話は成り立つわなとは思っちゃいますよね。
けど双子にしたかったっていうあたりの、なんかもう単純にマイケルビー・ジョーダンが好きなんやなっていう。
それはそう、それは間違いない。
のもでかいし、多分。
名優だなっていう。
いやもうわかります。僕もう、この話を今更するの惜しんですけど、スモークとスタックが出てきた時の、マイケルビー・ジョーダン、この男なんてホットなんだっていう感情。
わかる。
わかりますわかりますよ。
わかる。
でやっぱあの、1930年代とかって、衣服って分厚いんですよね。やっぱり。
生地がすごいしっかりしてて、そのしっかりした生地を着ている男からしか醸し出せないオーラが放たれてるから、イロッペーって思い出してたんですけど。
確かに確かに。
登場シーンから、うわかっけー、マイケルビー・ジョーダンが二人、なんてこったみたいな感じだったなーっていう。
あの煙草を回してこう吸ってる感じとかもいいっすよねー。
いいっすよねーもう。
ちゃんと二人キャラ違うしさ、そこのうまみっていうんですか。
ご丁寧に赤と青をちゃんと色分けしてるあたりの丁寧さとかも含めて。
いやーいいですよねーみたいな。
ちなみに僕、色分けとキャラ分けされてもあんまり区別ついてなかったんですよ。
ついてなかったんですか、あれ?
あれ、どっちだっけっていうのを都度確認しながら見てました。
やっぱいい映画なんですよね、本当に。とんでもなくいい映画だと思うんですけど。
なんかどうしてもあれ?みたいなこと言いたくなっちゃうみたいなのが、まあまあまあ。
まあしゃーないっすこれは、もうしゃーないっす。
そうですね、たぶんフリはあるからこそその後あるじゃんってなっちゃうんですかね。
僕らはジャンルに教育されすぎていて。
なんですかねー。
いやーあのー、今年最大の期待作だったんですよ。
はいはいはいはい。
今年一番好きな映画になり得る可能性全然あるなと思って見に行ったので、
この80点取られてもまだ取れなかった20点に目が行ってるんですよね。
良くない親です、良くない親。
どうしてあと20点取れなかったのって言ってるんですよ。
あーやばいですね。
そうですね、褒めてあげなきゃまずみたいな。
東大の入試なのに。
東大の入試で80点取ってるのにどうして100点取れなかったのって言っちゃってるっていう。
全然合格ラインは優位に超えてますからね、そのテーマでよくこんな映画取れたなっていう。
難関はもう完全にクリアしてるんですよ。