1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第234回『秒速5センチメートル..
2025-10-15 57:06

第234回『秒速5センチメートル②』神(新海)不在(な)きセカイの”シン・秒速”

『秒速5センチメートル』の話をしました。 新海誠氏が生み出した原作がどのように受け止められていったか、本作が原作の受け止められ方をどのように解体しているかについて話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

The post 第234回『秒速5センチメートル②』神(新海)不在(な)きセカイの”シン・秒速” first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

サマリー

今回のエピソードでは、新海誠監督のアニメ作品『秒速5センチメートル』の実写化について深く掘り下げられています。対面収録では、感情の変化とともに作品への理解が深まる様子や、現代版としての解釈が語られています。第234回では、実写映画化についての話が進み、モノローグの少なさや登場人物の関係性、宇宙というテーマが分析されています。特に実写版『秒速5センチメートル』では、登場人物たちの感情が深く掘り下げられ、澄田かなえのシーンが際立っています。原作とは異なる視点で過去の愛情が描写され、観る者に普遍的な共感を与える作品になっています。第234回のエピソードでは、実写化の再評価が行われ、現代パートの描写やキャラクターの心理が深く掘り下げられています。特に高木とあかりの関係性に注目し、実写版での演技やシーンの演出が新しい視点を提供している点が強調されました。『秒速5センチメートル②』では、キャラクターの内面と成長、さらには大人になることの葛藤が描かれています。

対面収録の始まり
始まりました、映画の話したすぎるラジオ第234回になります。この番組は、大阪で映画トークバーイベント、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーなどの映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
ワリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、今回は久々の対面収録ということで、大井さんが関東の方からいらして、映画の話したすぎるBARの前に収録しております。
はい、きっとね、今回祭りなんでね。
祭り。そうですね。
ちょっとね、見て思ったんですけどね、ちゃんと集大成だと思います。この番組の。
僕だけが集大成を迎えてるのかなって思ってました勝手に。
振れた作品の文脈をなぜか拾ってた、結果的に。
それは確かにあと話しながら。
その流れでも話しできるかなってことなんですけど。
とりあえずじゃあ。
乾杯しましょうか。
では、おめでとうございます。乾杯。
『秒速5センチメートル』の解説
はい、ではもうこのままテーマトークをやっていきたいと思います。
今日のテーマトークは秒速5センチメートルです。
はい、ではマリオさん、解説お願いします。
はい、eda.comより解説を読ませていただきます。
君の名は雀のとじまりの新海誠監督による2007年公開の劇場アニメーション、秒速5センチメートルを、ストーンズの松村北斗主演で実写映画化。
1991年春、東京の小学校で出会った遠野隆と篠原明は、お互いの孤独に手を差し伸べるように心を通わせるが、卒業と同時に明は引っ越してしまう。
中学1年生の冬、吹雪の夜に栃木岩船で再会を果たした二人は、雪の中に立つ桜の木の下で、2009年3月26日に同じ場所で再会することを約束する。
時は流れ、2008年、東京でシステムエンジニアとして働く高木は、30歳を前にして自分の一部が遠い時間に取り残されたままであることに気づく。
明もまた当時の思い出とともに静かに日常を生きていた。
高木と心を通わせていくヒロイン、篠原明役を高畑光。
高木に思いを寄せる高校の同級生、澄田かなえ役を森七。
高校時代の高木役を青木ゆず。
高木の会社の同僚、水野梨沙役を桐生舞が務め、その他に宮崎葵、吉岡秀孝が共演。
アットザベンチで注目を集めた映像監督、写真家の奥山よしゆきがメガフォンを取り、愛に乱暴の鈴木文子が脚本を手掛けた。
では、内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方はぜひ見てからこの先は聞いていただけたらと思います。
では、マリオさん最後に。
今回ばかりはそうなりますよね。
分かりました。最後に。
じゃあ、オイスさんいかがでした?
すごく良かったところと、そのまま飲み込めないなってところと、そこが両方あるけど、総合的には良かったかなっていうぐらいなバランスで自分は落ち着いてはいます。
マリオさんが言う前にあるんですけど、アニメ版は実は僕そこまで刺されてなくて、見た当時。
当時高校生だったっていうのはかなりデカいと思うんですけど、その当時だったんで、やっぱりちょっとセンチメンタルすぎるというか。
高校生にはちょっとね。
そうですよね。高校生がそんな後ろ見てたらダメですから。
30歳になったらこうなるの?みたいな。
怖ってなったのはこうやって。
なので、あんまり惹かれてなかったんですね。
その後、20歳ぐらいで見た時に、なるほどこういう感じかっていうようやく落とし込める感じがあって、今回っていう感じなんですけど。
実写になったことで、ある程度原作アニメーションのいろいろな部分をちょっとずつアジャステーション変えてたところで見やすくもなってはいるし、
ちょっとテーマ線みたいなのを少し切り替えてるような気もしたというか、恋愛における思い出の話というよりも、
良いか悪いかは一旦置いておくとして、30歳で大人になる話っていうところにどちらかというと視点が行っているような気がする。
もちろん原作にもそれはあるんですけど、そこをより強く打ち出してる気がして、
そこは今回の実写映画で大手配給で描けるっていうところのバランス感としては、なるほどなっていう感じは受けましたし、
あとはアニメでそもそもやってたところを実写化することの強さというか、
あ、こうなるんだっていうところの面白さがあって、特に高校生編ですよね。
あそこはちょっとすごかったです。
結構感動しちゃいました、あそこだけでも。
棚橋真のところは本当にその解釈としても非常に一致するし、
アニメでは少しやっぱり背景になっていた森七が演じる役柄がかなり主体性を帯びているというか、
自分そこに息して歩いてるって感じが、もちろん実写の役さんがいることですごくあって、
そこのなんていうか細かい実写ならではの部分っていうのはすごくよくできてるなっていうのと、
監督が多分かなり原作にリスペクトを加えた上で、
じゃあ現代でそれを映像化するのはどうするかってことをよくよく考えて作られた作品なんだろうなとは思いました。
実写化の感想と解釈の変化
ただ一方で、現代版のアカリパートに関しては割とどうなのとは思ってるっていうのは言いたいなとはちょっと思ってるところはあります。
これは多分後々話していければなと思ってるんですけど、
そこを少し優しすぎないかなっていう、
もうちょっとドライでも良かったんじゃないかなっていうのは個人的には思いましたっていう、そういう感じです。
僕はですね、ものすごく解釈一致の部分と解釈非一致の部分が結構両極端に振ってる部分があって、
結構僕前半はむちゃくちゃノリに乗って見てたんですよね。
小学生パートですよね。
アニメ版で言うところの第一章、大河章の小学生のパートと、
あと第二章、コスモワールドの高校生時代の話は今回むちゃくちゃよくて、
ただ、どうしても現代だから第三章、秒速5センチメートルの章を肉厚にせざるを得ないんですよね。
絶対時間が1時間も伸びてるんだから。
そこでこう微妙に解釈がずれる部分があったなっていうのはあって、
それをやっちゃうと結構良くない感じに見えるなっていうのはありましたっていうのがあったんですけど、
ただ全体的な方向性としては、
この番組でも僕とマリオさんが2人でアニメ版の方の秒速5センチメートルの時の話をしたことがあるんですよね。
もう3年以上前の話を。
あの時にアニメ版のラストは過去に縛られるんじゃなくて、前に進む決断をしたところなんだっていう風な話で、
結構世の中では秒速5センチメートルは呪われる話っていう風に言われがちなんですけど、
そうじゃなくて、そのから抜け出して毎日その話になったって話をしてて、
そこの解釈は一致してる部分もある。
ただその呪いがよりちょっと悪視するっていう部分も本作の中にはあるなって思って、
僕はあの桜のとこ行ったらあかんやんって思う。
そこはね結構この、実写版になって場面が増えたことで、
行間ってそれがあったとしたら結構高木よりあかん人間に見えるなっていうのがちょっと際だったかなと思う。
ただアニメ版の時よりもよりあかん人間だったものが前に進んだ話としては良かったのかなっていう風にもう一晩経って、
ちょっと落ち着いてるっていう感じです、現状は。はい以上です。
ではマリオさん回でした。
そうですね、めちゃくちゃ喋るのむずいな。
もうちょっと原作が人生に食い込んでいる人間の話なので、
この作品の個別のどういうとこがどうでみたいな話よりも、
自分と秒速5センチメートルとはみたいな話になっちゃうんですよね、どうしても。
そういう意味では、僕原作を見てからここに至るまで見え方が変わっていってるんですよね。
さっき山口さんが言ってたように、すごく過去にとらわれる話というか、
ただただすれ違ってしまったという強烈な思い出に引きずられてしまうみたいな、それがインパクトのあるラストを、
僕も最初そういう風に受け取っていて、そこに打ちのめされたみたいなところがあるんですけど、
でもやっぱり時間を経るごとに、これは過去を断ち切るというか、
そういったことも含めて人生だし、そこがだから世界は美しいみたいな、
そういう文脈というか、開かれたものっていうのを提示しようとしてたんだっていうのを、
多分前回も山口さん自身も伝えなかったことなんだろうけど、ようやくそこに、
ショック量ほどでかすぎたんで、そこに至るまで時間がかかったんですよ、やっぱり。
っていう流れを初めて見たのが大学生の時ですけど、そこから大人になって、
今までの間に考えがシフトをチェンジしてきたみたいな感じがあるんですよね。
なのでそういう意味では、僕も少しずつ大人になってきたし、
もうそこセンチメイトで作品も一緒の大人になってきたんだなっていう感覚が、
本作からすごいあったというか、僕が考えていたことをちゃんと言語化してやってくれてるみたいな、
作品になっててめちゃくちゃ嬉しかったです。
しかもそれを作っているのが、めっちゃ僕と同世代ぐらいの人たちが作ってるみたいなことに、
めちゃくちゃ嬉しかったっていう、感激したし嬉しかったっていうのが感想ですかね。
ただ一方で、新海誠、新海誠、この原作を同じぐらい30代ぐらいの年代に作ってるっていう意味で、
そのイヤバさも際立つんですけど。
あ、そっか。
マジかってなったんですけど、ただ、僕は30歳でそれぐらいの、
新海誠を作り上げたような繊細さ、鋭さみたいなのは持ち合わせてない音なんですけど、
ただ僕と同じぐらいの感じで丸く収まるじゃないけど、
考えてきた道筋みたいなのが残る原作5cmになってた。
っていうことが何より嬉しかったです。
もうそれにつきます。はい、以上です。
はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。
では3つ目、マリオさんお願いします。
えーと、光幸太郎さんからです。
エンドロールが始まった時、涙で愚書濡れになったあっていで小さく拍手しました。
乾いた今文章を打っています。これはすごい。
秒速を改めて作ること。これまでの新海誠作品が好きであること。
実写として演者に秒速の物語を託すこと。
全てに真実なこれ以上ない自由回答を見せられ、感極まるばかりです。
決して断絶ではないし呪いでもない。素晴らしかったです。
そしてこんなにも店長メンバーの方々の感想が気になる映画もありません。
配信楽しみに待っております。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
すごいテンション。
いやもうでもね、気持ちわかるわーって一緒ぐらいのテンションですよね。やっぱ僕もね。
うんうん。
いや、やっぱそもそもね、実写化できるんですか?みたいな。
ね。
思ってたじゃないですか。
実写化する意味があるのかっていう。
そうそうそうそう。あるんですか?みたいなとこですよね。
あの、まあ原作がアニメ作品ってことで、
まあその、感情移入しやすいものでは、だと思うんですよ。
そもそもあの、これ前マリオンさんと個人的に話してたことなんですけど、
高木はノーバリーであるべきだっていう話をしてたんですよ。
何者でもない存在であるべきっていう。
観客の感情移入の対象のための存在なのだから、
何者かであってはならないっていう存在なんじゃないかって話をしてて、
実写になるっていうことは、もうそれは松村北斗を代入してしまっている状態なんですよね。
で、見るこっちが、その代入したいボックスの中に入れない状態で始まってるから、
本来の秒速5センチメートルの原作がアニメにあった、見たときの感覚にはなり得ないと思うんですよ。
あの、史書説的な感覚にはなり得ないから、
ちょっとその、やっぱり距離感がまず変わってるなっていう。
やっぱり劇映画を見てるっていう感覚だったんですけど、
本当にあの、原作の方は、なんか趣旗を呼んでる感じというか。
そうですね。超パーソナルな心情風景の話を延々と見ている、みたいな感じですよね。
そもそも面白い面白くない話が進んでないと思う。
それはそうっすね。
もうその中、もう独り言ですよね。
独り言に、「俺もわかるぞ!」みたいな。
とか、もうそこにうなだれちゃう人はそこにもうめちゃくちゃ刺さっちゃうし、
何言ってんだこいつみたいな。なる人はもうとことんガカツのことを嫌うみたいな。
そういう作品ですよね、僕はね。
そこに肉を与えたというか、地肉させたというか、
まさにその実写化することで実来感を与えていると同時にその物語にしているっていう。
そこで絶対にずれるんですよ、元から。
ただ、そこはなんかおかしくはなってないっていう風な感覚で僕は見ましたかね。
映画の構造と演出
そもそもあの原作を2時間の劇映画に落とし込んだらこうなるっていうのは、
それはそうだなっていうのは思ってましたね。
今回の作を見てて思ったっていうのは、モノローグは本当に少ないですよね。
そうですよね。
結構もう、その行間とか役者の表情とかにタクスみたいな形。
演出とかですよ。
タクスっていうことをしっかりやってましたよね。
僕は見やすくはなってる、じゃなってるっていう。
ちゃんと、まず1本の映画としてめっちゃいいみたいな感じですよね。
そこクリアしてなかったらさ、語る土俵に立ってないですみたいな話に行ったら、
しなきゃいけなくなっちゃうから。
僕今回は初日の夜の回見に行ったんですけど、結構人になってて。
病俗5センチメートル呪われた人ばっかりなのかなと思ったらそんなこともなく。
女性の観客の方もすごい多かったんですよ。若い人も多かったし。
やっぱりここまで実績を積み上げてきた、
真剣に誠の君の名は以前の名作と言われる一つをもとにした実写映画っていう、
そういうののメインバリューもあるし、
松永くんっていう役者さんのメインバリューっていうのはあるので、
結構スター映画になってる。
そうですよね。
広く見られるべき対策として仕上げているものが、
やっぱり原作のあの空気感を再現してしまったら、
たぶんポカンってなるしね。
思わないって評価になるから。
そうですね。
そこで面白い映画になってるっていうのは結構大事なことだったなとは思いましたね。
登場人物の再会の意味
これこそ客食の妙ではないですけど、
話の展開からしてもだいぶ流れも変わってるし、
何を出すかっていったところまで含めて、
じゃあこの秒速5センチメートルの持ってるテーマって何よみたいなのをめちゃくちゃ考えて、
今現状考える最高のラインで出せてるっていうのはまず嬉しすぎるっていう感じですね。
ただね、そこでちょっとどうしても話盛り上げる要素として組み込まれた新要素が、
結構本来のテーマからずれてるなっていうところがあって、
僕それが一番気になってるのはニアミス多すぎもんだよね。
はいはいはいはい。
そうですね。
いわゆる物語の駆動のためにって感じがしますよね。
確かに。
原作は小学生、中学校に入ったタイミングで最後にあって、
それっきり会ってなくて、メールのやり取りもしてない状態で、
もう10年何度も連絡も取ってない状態で、
人生で人と会う確率はもう0.00何パーセントっていう、
その人と人と出会うことが奇跡なんだっていうことを語られながら、
その限られた機会、一度人生で一度あるかないかっていう、
その再会できる機会を会わずに終わらせるっていう、
そこにタカキが前に進んだっていう実感を伴う話なんですけど、
ニアミスチャンス多くて、
ゲームマスターが、お、再会チャンスですって言って、
2人目に対して振ってる感じが多い。
20分の1で会えますみたいな。
もうちょっと設定ミスってないかみたいなね。
もうちょっと倍率高め、だいぶ厳しくした方がいいんじゃないかみたいなね。
分かりますよ。
でも逆に、逆にですよ。
こんなにニアスミスしてるのに会えないって、逆にじゃないですか。
みたいなのもありますよね。
それはそうですね。
ほぼ理論値出してるのに、会わないっていうのが、
やっぱり確率の妙とも言えるんじゃないっていう。
これは逆張りみたいな意見ですし、
それで言うと、やっぱあれですよね。
あ、高木くんだったんだっていうのを認知しないままにしてほしかったですね。
そうそう、それ。
名前知っちゃったみたいなのは、
そこまではやらなくてもよかったかもしれないですけどね。
ニアミスだったら、永遠とニアミスしてて、
逆にね、してほしかったのはあるんですけど。
だからその、これすごい大事な部分なんですけど、
2人が再会しないことが、運命によってなさしめられてるものなのか、
あるいは選択によってそうしたものなのかっていうのは、
宇宙のテーマと繋がり
めちゃめちゃ大事な部分だと思うんですよ。
予測5cmにおいて。
ちょっとそれが運命によってではないようになってるっていうのは、
ちょっとちゃうなっていう感覚が僕はあったんですよね。
会いそうで会わない、会いそうで会わない。
で、最後に会えたところでも会わないっていうのは、
もちろんその最後の選択は、
それはそれでやっぱり際立つんだけど、
会わなかったのは偶然の産物でしかないっていうふうにも見えちゃうなっていう感覚はあったんですよね。
だからあれなんですかね、名前見つけても会わなかったのは、
そこは偶然じゃないって言えますよね、そこは。
これはもうなんかあれですけど、逆張りかなんかあれですけど。
ある種はそこがちょっと世界形的でもあるのかもしれないとこかなとは思ったりはしなかったけど。
決して断絶ではないっていうふうになってるんですけど、
本当にそうだなと思ったんですけど、
ただ、モチーフとしてすごい重要な宇宙ですよね。
宇宙のモチーフっていうのを、
結構今年、宇宙を通じて人と繋がるっていう映画が多かったんですよね。
今年というか去年からですかね。
そうですね。
去年から。
去年からですね。
あの、言い訳のせいで。
まあ名は上がりますよな。
ほぼ思い出しましたよね、プラネタリウムの松村北斗さん。
そう、プラネタリウム松村北斗さんと別のキャラクターでパニック症が今あったので、
これはスリーアウトでしたみたいな。
ちょっと、なんかずらさんかったんかなって思っちゃったというか。
あれこれ?
これはどうなんでしょうね。
わかんないですよ、わかんないです。
もう完全にかぶせにきてんのか、
たまたま似ちゃったパターンみたいな。
松村北斗とはちょっとわかんないですよ、という存在はちょっとかぶりを。
これはちょっと合わせてんじゃない?みたいな気がしますけど。
他はちょっと意外となんですかね。
深海マクト的なモノローブと宇宙っていうモチーフを重ねたときに、
プラネタリウムのナレーションをさせるってむちゃくちゃしっくりくる配置なんだけど。
そうそうそう。
てか、それでそもそも言い訳の全てがお好きっておっしゃってたと思うんだよね。
そうそうそう。そうなんすよ。
だから好きなんですよ。
それだから意味決まってるじゃんっていう話だし。
それこそちょっとだけ、
奥山由悠季監督のポッドキャストみたいなのちょっと聞いてきたんですよ。
アナっていうタイトルのポッドキャスト。
ちょうどなんか、まだ続くっぽいんですけど、
秒速路線締めの今回の話をしてたときに、
作り方のときにキャラクターを分厚い、
映画で語られない設定運の資料をちゃんと渡したみたいな話をしてて。
あれ?
で、ちゃんとそこで三宅翔監督も、
言い訳の全てそういうことをやっててみたいなことを言ってるので、
うちは分かってやってると。
そういうのがやっぱりめっちゃ多分意識してると。
ですよね。
だからもう分かってかぶせたってことですよね、そこは。
そこは分かってたね。
でも、その深海マクド的なことをやろうとしたときに、
むちゃくちゃいいんですよ。
やり方として正しいと最後も。
そう、正解ですよね。
正解ですよ。
アニメでモノローグやっても成立するけど、
実写でモノローグは結構軽い演出になっちゃうから。
そう、軽いところです。
実写でやられたら、
全部喋れや、みたいになっちゃうから。
そこをナレーションによってさせる。
劇中で行われているプラネタリブのナレーションとしてそれをさせるっていうのは、
本当にうまいんですよね、そこは。
要所に絞って。
あと似たようなことをしてたのは、
今年で言ったら、星つなぎの医療局か、
ゴールデンレコードとワンポップチキンっていう。
そこも被ってるんですけどね。
そこもね、びっくりしちゃいましたね。
ゴールデンレコードも今年3回目。
そうですね。
ファンタスティックオーの時に確かにゴールデンレコードの話して、
そっからマスターエリオでもゴールデンレコードそのもの出てきて、
で、秒速でしたわけじゃないですかね。
あと、この夏の橋尾美優も。
岡部隆文明くんもいますし。
あれも、宇宙を見ることで人と繋がるっていう話で、
それはエリオもそうだったし、夜明けのすべてもそうだったんですけど、
この秒速5センチメートルって、
はじめ宇宙を見ることは、むしろ現実を逃避する手段なんですよね。
人と繋がらないために、現実じゃなくて空を見るっていう。
すごい原理的な空を見ますよね。
なんですけど、最終的にそれが、
もっかい意味が変わって、
改めて人と繋がるっていう意味になるっていうのは、
これはすごく良いなと思いました。
本当に原作で語っていたけど語れなかったことを、
ちゃんと言語化して語ってくれたなって感じのそこですね。
あんまり僕が。
まさに夜明けのすべてのところで、
星を繋いで星座になるって話をしているのが、
まさに今回その文明を織りにしている感じ。
もうまんまじゃないですか、みたいな。
現代、最近の映画の文明も踏まえて、
ある種相対性的な作品になっている感じがしますよね。
次のお便り行きましょうか。
では、小内さんお願いします。
はい。
うめこさんから頂きました。
店長メンバーの皆様、こんにちは。
私は新海誠監督のファンであり、
アニメーション版秒数5cmについてお話しされていた回で、
このラジオに出会いました。
個人的に思い入れのある作品だったこともあり、
今回お便りを送らせて頂きます。
まず、映画にはとても満足しています。
原作の後味の悪さも好きなのですが、
本作ではスッキリとした気持ちで映画館を後にすることができ、
これはこれで良かったと思いました。
作品に忠実ではない部分もあるのかもしれませんが、
現代30代でいらっしゃる奥山さんなりの解釈が
反映された作品としてとても興味深かったです。
また、配役が本当に素晴らしかったです。
特に松村さんと森さん。
松村さんの佇まいや声のトーン、
そしてどこか何かを探しているような目は、
まさに棟のそのものでした。
森さん演じる澄田も好きな人といられることへの高揚感、
目線の先が自分ではないと気づいたときの切なさが
鮮やかに伝わってきました。
特にストローが鳴ってしまったときに彼を気にするところ、
緊張からくる手先のむちつかなさは実写ならではだと思います。
一方で少し気になったのは
サウンド構成がなくなっていた点です。
完全に初見の方には
少し分かりにくいのでは?と思いましたし、
オオカショーやコスモノートという
ショーのタイトルもとても好きだったので
残してもよかったのではないかと感じました。
皆さんの感想やコメントも楽しみにしています。
キスの代わりめでしたので、
お体を気をつけてお過ごしください。
とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
そもそものきっかけが
アニメ版の方の回。
2人で喋ってた30分くらいの回ですよね。
あれきっかけだったんですね。
僕まだいない頃ですけど。
そうですね。
僕まだリスナーだった頃ですね。
リスナーとして聞いてはいいですね。
役者さんよかったですね。
よかった。
特に書かれてますけど、
森さんの演技が
そうですね。
素晴らしかった。
孫ことなきカナエでしたね。
カナエでしたね。
僕、前から言ってるんですけど、
スミダファンなんですよ。
推しというかファンなんですよ。
ファナティックなんですよ。
スミダがめちゃくちゃ好きなんですよ。
そうですね。
今回、うわーすげーなんか
実写版の感情表現
めっちゃぽい人来たーってなって。
面倒くさくて
森永って出て
森永ってこんな人やったっけ?
ってなって。
逆にそこまで森永が言ってること
感じできなかった。
全然、ちょっと肌が朝黒い日に明けた感じ
この役者さんって誰だ?
新人の高校生の役者さんなのかなと思ったら
まさかの森永さんで
結構マシじゃなかった?って言って
ちゃんと高校生にしか見てなかったんですよ。
ちゃんと鼻を消してるっていうのは
ちょっと違いますけど
なりきりというか
役に入ってくれてるなって感じが
すごいしましたよね。
素晴らしかったですね、本当に。
本当にすごかった。
おしゃれにも書かれてますけど
ストローが鳴った時の
あの演技がもうちょっとすごすぎて
そうですね。
ちょっとやっぱそこはね
実写ならではのプラスというか
ほころびというか
ほつれ?みたいなところですよね。
そこはね、やっぱ
素晴らしかったですね。
たったそれだけのことを気にするという動作に
この人が好きであるっていうものが
詰まってるじゃないですか。
気にしちゃうじゃないですか。
わかりますよ。
ちょっとずっと言っちゃったみたいな
向こう全然気にしてないんだけどな
みたいなことが気になっちゃうみたいな気持ち
めちゃくちゃわかるなと思います。
松倉さん。
なんでしょうね。
言葉選びも難しいんですけど
まず原作の
ノーバディである高木っていう存在に対して
そこまでこう
なんというか
ここができらない
演技というか存在感だったかなって気はしてて
やっぱりこう
ちょっとそこで存在感が強くなりすぎると
本来の高木からずれすぎるかな
と思うんですけど
割とその感情移入の対象として
少しこう
存在感がパジーな感じのキャラクターというか
超男前なのに
ノーバディ感を残してる
雰囲気だったんじゃないかなと思って
すごい良かったんですよね。
そうですね。
原作のアニメと比べるとというか
よく見ると違うなって感じはするんですけど
けど
でも高木だなって思えるというか
絶妙なバランスだなと思いましたけどね。
あとやっぱ声ですよね。
声いいですよね。
プラネタリオンのところの声が
やっぱりいける場面ですけど
ほんとあれですね
ファーストキスの時に思いましたけど
松村くんの声で僕は泣いてるのかなって
思いますよ、やっぱり。
そうですね。感情を抑えてるんだけど
その奥にしっかりあるような感じが
そうそうそう
そうかも。
僕その1回目?
ちなみに2回目って言うんですけども
実写版を2回目
全然言ってなかったんですけど
公開日に1回見て、今日来る前に1回見て
その前に原作のアニメも
3回ほど秒速浴びてきてるんですけど
やっぱね、1回目で2回泣いた
2回泣く箇所だったんですけど
その箇所全部松村北斗なんですよ
プラネタリウムのところと
最後の感情のところ
全部松村北斗なんですよ
もうおいおい泣いてしまって
声もあるし
そこの溜め込んでるものというか
においおい泣いてしまってましたね
あと、今回
尺が伸びた時によって
どうしても今、体ざるを得なかった
シーンだと思うんですけど
懐いてる人にはそれなりに
腹を割れるキャラクター性
そうですね
あれなかったじゃないですか
60分ぐらいのアニメの中で
それを描く時間なんてなかったから
徹底的に非人間的な
コミュニケーション能力に
欠いた人間として
やられてたんですけど
もちろんコミュニケーション能力が
低いというか
したくないっていう方が
強いと思うんですけど
そのくらいなっついた人間に
結構こいつ距離感近いなって思う
それが私とキュンというか
可愛さにもなった気がして
怪異なる人間なんですよね
上司のおはべさんとか
やり取りだったりとか
かつての恩師とのやり取りだったりとか
そうですよね
2人で飲んでるとき
こんなキャラやってなっちゃいました
逆に高校生編で
これはモテるわって思ったぐらい
ちょっとね
あれは
あれ出されるとちょっと
来ちゃいますね
ちゃんと血肉のある人間としての
道の高きみたいなのを
出すっていうことを
どうすればいいのかみたいなのは
多分めちゃくちゃ考えたんだろうなと
思いますねそこはね
あと三部校生なんですけど
僕は仕方ないと思ってます
そうですね
まずはじめて見る人が見たときに
あの三部校生ってかなり
退屈というか
話を引っ張る権威力自体はないんですよ
確かに
元の原則とこの原則を
見進められるモチベーションでいて
高木に感情移入できているかどうか
しかないと思うんですよ
話は別にないんですよ
ただ今回その三部校生を辞めて
結構時系列をぐちゃぐちゃにしたことで
話ストーリーラインができてるんですよ
それはなぜこの二人は離れているのかっていう
ミステリーの要素ができてるんですよね
小学校時代に仲が良かった二人は
どうも今全く他人になっているぞっていう
それはなぜなのかっていう
過去に遡ってその謎を解いていくっていう
ストーリーになってるから
そこが高木に感情移入できるかどうかとは別に
この映画を見続けられる
アニメとの比較
駆動力になっているっていうのがあって
それは最高生の上手さだなとは思ったんですよね
だから高木自体に乗れなくても見れるし
もう少しその昔仲良かった人と別れてしまった話
っていう普遍性が強くなってたと思うんですよね
だからこう対象が広まった映画になってたなと思って
僕はむしろ分かりやすくなってるのかなと思ったんですけど
やっぱりその分癖は減ったと思うんですよ
だから感情移入できない人間を奮いにかけるぐらいの
強烈な悪の強さがやっぱり原作の魅力ではあったと思うので
やっぱりそこを上手くなった分
その上手さが逆に物足りなく感じる部分もあるなとは思うんですよね
そうですね
原作のアニメと公開実写と直近で見比べたので
断然思うんですけど
原作はちょっと濃ゆいっすね
濃ゆい!すごい!みたいな
ちょっとてんこ盛りっすねみたいな密度が違うとはなって
それを期待すると多分片透かしをくれるとは思うんですけど
でもやっぱ僕の中で秒速5センチメートルとは何か
っていうことを考えてこうだって思ったことが
きちんとそこに描かれてることのほうが僕は大事
本質はトライプルっていう
そうなんですよね
そこが大事かなと思う
もちろん圧倒的な山崎正義の一曲フルで流しますのを
怒涛の勢いで流すとか
とにかくモノログまみれでいきますみたいな
パワフルさももちろん大好きですし
それ変わんないんですけど
でもやっぱ実写版でやり成し遂げたことも
もちろん同じぐらい評価されるっていうか
僕にとってすごく素晴らしいことっていう風に思います
それこそアニメ版はもうそこをこそ魅力にしなきゃいけない
せざるを得ない作品だと思うので
アニメ版がある以上でそれを超えようとはしないっていうところは
結構同じ方向性でですね
超えようとしてこないっていうのはすごい好感持てるなと思って
そうですね
同じ方向性でねもちろんなんか
もう一個一段階違うというか
クオリティのものというか
そういうことをするでももちろんやりきったらすごいですけど
そうじゃない方向でやるっていうのはもちろんありというか
それは多分違う映画でやるべきなのかなっていうのは
どうと思うしっていうのはありますよね
はいでは次の予定に行きましょうか
ではマリオさんお願いします
はいエムハラさんからです
店長メンバーの皆様こんにちは
いよいよ来てしまいましたねこの日が
本ラジオの第49回アニメ版秒速回で
山口さんが言っていたように
電車の扉の開閉ボタンを
無言で教えてくれるおじさんがいないとか
言いたいことはたくさんありますが
ちゃんと秒速5センチメートルしていた作品だったと思います
本作で特に良かった点を2つ挙げると
1点目が小中学生時代
とにかく子役の2人が素晴らしかった
めちゃくちゃ可愛いし
のことなく松村穂太と高畑美月の面影がありましたね
あかりが野暮なことを言う子供2人に
バータという場面は
人によっては
ヨアフネンでの諸々より呪いになり得ると思いました
2点目が森奈々演じる
澄田かなえが登場しているシーン全部
もともと秒速で一番好きなキャラクターはかなえですが
実写版は正直原作を超えたと思っています
特に強烈だったのが
カラオケを歌っているかなえが
途中で照れくさくなって笑いながら歌うようになる場面
アニメ映画にはない本映画のオリジナルですが
率直に言ってこのシーンを考えた人はヤバいです
カラオケこじらせ人間の自分には本作で最も衝撃的なシーンでした
感情移入とストーリー
以上の2点を含め過去編は非常に良かった本作ですが
アニメより描写が断然増えた現代パートは
説明できるセリフをはじめ
アニメ版をよりわかりやすく見せようとした弊害が
違和感を感じる点も多々ありました
とはいえ前編を通して十分に本作を楽しんだのも事実
秒速5センチメートルにいまだ呪われ続けている人間として
本作を皆様がどのように語るか楽しみにしています
はいありがとうございます
ありがとうございます
情報用語に行きたいんですけど
まず電車の扉の開閉ボタン
これ僕が
触れてましたよね秒速の回で
これは今回も楽しみにしてたんですけど
なかったんですよ
アニメ版秒速の回でよく語ってたのは
あそこにこの話が
たかきとあかりの2人だけの閉じた話じゃなくて
ちゃんと他者がいる世界であるっていう
その表現としてあそこに
その開閉ボタンを押すおじさんがいるっていうことを
語って
僕は本当にアニメ版の中で
めちゃくちゃ好きなシーンなんですけど
それはなかったんですけど
ただなくてよかったというか
別にいらなかったと思うんですよ
なぜなら実写だからなんですよね
実写になっている時点で
どうしても他者とか
あるいは漢字の世界の存在が
どうしてもそこにあるっていうのはわかるんですよ
ただアニメって
どうしても書こうとしていることしか
そこにないから
あのたかきとあかりだけの物語のように見える
作品世界の中に
開閉ボタンを押すおじさんを
わざわざあそこに挟むことで
あれが他者とか漢字の世界が
そこにあるっていうことを
ちゃんと示すっていう意思表明だと思うんですね
ただ実写であるっていう時点で
それはもう漢字の世界だし
他者との存在があるんですよ
全体的に
だからそれをやる必要はない
むしろそれをやるのはちょっと苦毒なるというか
めくばしになっちゃう側面もあると思うんで
なくてよかったなとは思ったんですよね
アニック版の方はむしろその
他者とか漢字の世界がある世界の中で
それでも自分と相手の
二人だけの世界を信じている
そのたかきのメンタリティに
カタカナの世界系の要素が
特に何のファンタジーでもSFでもない
秒速5センチメートルが世界系たる
ゆえんの要素だと思うんですよね
だから秒速5センチメートルは
すごいと思ってるんですけど
逆に実写ではそこまでの
新海誠の映像美
エッジの切れって表現にはならない
圧倒的に現実なんで実写の
っていうのがあるから
僕はこうなるかなっていう感じだったですね
特にあれですよね
たかきと職場とか
アカリの場合は職場だったんですけど
やっぱ職場のシーンやると結構
他者性の描写として結構
優れてる感じがしましたけど
いいよいいよこいつ分かんないからみたいな
横寝してる時の感じとかさ
ああいうのとかがすごい
今回の開閉ボタンのシーンに類するもの
ものかなって感じがします
現代パートが入ったからこそ
あえてそこはいいだろうっていう風に
できたことってことですね
現代パートで一番現実性を肉厚にするから
別にそれ以外の部分にそこまで現実性が
いちいち言う必要がないっていうのも
あるかもしれないですね
むしろ電車のシーンは
逆に世界景観を待ってるなと思ったんですよ
途中ちょっと暗闇に赤い光がほんかに
ふわーって上がるところって
エヴァで見たらおかしいな
エヴァとかであるよな
暗闇で止まってしまった電車の中に
一人いるみたいなね
あそこがすごい世界
カタカナの世界っぽさ
曲振りできるっていう
自社でやるためには
むしろ振り切らんとダメだった
他社を入れないっていうことで
カタカナの世界景にできているっていうのは
あるかもしれないですね
それこそ
映画見る前からマリオさんと
ちょこちょこ話してたんですけど
アプローチの違いというか
新海誠監督ってめちゃくちゃフォトリアルな
アニメーションを作ることで
世界景をカタカナから完全に世界景に
しているなと思うんですよ
たださっき山口さんおっしゃったように
実写では完全な世界を映してしまうものなんで
カメラって
それをあえてフィルムカメラに
フィルム調の撮影をすることで
ちょっとカタカナの世界景に寄せてると思うんですよね
寄せてる寄せてる
それがまず
奥山さんはそもそも
フィルムカメラで映画を撮られるっていうことに
持たれてる方のはずなので
アトザベンチとかその他の作品
編集見る限りは
フィルムっぽくしてるって
フィルムに撮ってるわけじゃないと思います
フィルム調にしてるだけだと思います
ただ例えば
フィルムノイズみたいなちょこちょこ映るじゃないですか
ああいうのあえて入れてきてるとことかは
明らかにフィルムらしさっていうのを
出そうとしてるなとは思うんですよ
そこって
おそらく
アニメーションは意図的に書くから
抽象度が増しちゃうから
それを現実に落とし込んだ新海さんのアプローチに対する
現実からの逆のアプローチ
って言っていいのかなと思ってて
そうですよね
そういう感じでやる作家って別にね
いるとは思うんですけど
結構思い出すのは岩井春二とかね
思い出すと思うんですけど
でもそれの真似という感じでもない
というか
結構ゴリゴリに
フィルムっぽくする
感じするなぁと思ってて
キャラクターの描写
本当に映写の上手い
シアターで見たら本当にぼやっとしか
見えないみたいな感じがしちゃう
というか
1回目の映画が
どっちかというとぼやーってしがちなとこで
見ちゃって
考慮が足りないというか
あれ?目がシワシワするみたいな
感じで見てて
聞かせすぎちゃうかなって思ってたんですよ
そこで
この映画ちょっとダメなとこかなって思ったんですけど
2回目見て
めっちゃクリアというか
いい感じの
塩梅での
ちゃんとフィルム感を残した
映像になってたんで
これはやっぱ素晴らしいわって思った
僕もちょっとね
映写用目の
映画館で見たんですよ
やっぱちょっとぼやけてみるんですよね
聞かせすぎちゃうみたいな
結構映写に左右されそうやな
というのはちょっと思いましたね
逆にプルビーシネマぐらいで
パキッとしてくれた方がいいっていう
映写自体は
って思いました
なるほどなぁ
いや面白いですね
アニメの時は漢字の世界に近づけて
実写の時はカタカナの世界に近づけるように
演出して
いや面白い視点だなぁ
あとは
良かった点
焼酎時代
いやもうね
あかりそうっすよね
あれは
ほんとすごい下達者な人
出てきたなぁという感じですよね
統合シンデレラらしいですね
今回デビュー作に近いような
そうですよね
確かに
パンフレットの次が
果てしなきスカーレットで
声で出てた
そうなんだ
すごい子が現れたなっていう
すごいなぁと思いました
あの
バーカっていうシーンちょっとやばくて
僕自分がタカキで
あかりに呪われるとしたら
あのシーンですよ
バーカって初めて言ったって
一生ここにおるわみたいな
そうですよね
今この側面を知っているのは
私だけであるという
ところを見てしまったっていうのは呪いですよね
天体望遠鏡で夜空見せてるシーンより
あっちやわって
そうですね
その声よりも確かに好きかもしれない
どっちが好きですけどね
2点目が
カナエのシーンということで
エマさんはカネ好きでしょうよ
でしょうね
本当に
コスモナウト原作の
評判めちゃくちゃ高いですよね
素晴らしいと思います
タネヤ島の雰囲気
風景も
見事に綺麗でしたし
やっぱり
ロケットを
運んでくっていうところで
入ってるじゃないですか
そこで
自分たちとは全く関係ない大きなものが
世界を動かしてるんだ
っていうところが
本当に物理的な大きさで
見せられてる感じがあって
より発射シーンの
高揚感みたいなものが
すごかった
ちゃんと再現できてるというか
実写に落とし込めてるのが
ちょっとねやっぱね
すごいなって思っちゃいましたね
あれは理解するわって思って
圧倒的な
何かがそこに目の前にあって
全てが決定的になって
しまう瞬間の象徴ですからね
あのロケットの
発射のシーンって
秒幅5cmの中で
最もフォトジェニックなシーンだったんですけど
それを結構実写でやるのは
かなり加工もしてると思うんですよ
あんな絵には撮れないと思うんですけど
でもちゃんとやってますからね
やってる
すごいですよねやっぱ
一番こう
強いシーンだなと思って
あとねあの
高校時代の高木の
役者さんもすっごいよくって
わかります
この人興味ないなって
わかるんですよ
そう
確かに
アニメ版と実写版見て
それが結構露骨に感じたのが
後姿
高木の後ろを引っ張るシーンがあるじゃないですか
アニメ版は
ちゃんと振り返るんですよ
実写版振り返らないでしょ
あいつ興味ないなみたいな感じするよね
バックミラー越しの
うわこれ結構
だからそのなんだろうな
興味のなさみたいな
結構短く見てる瞬間みたいなのが
結構実写版の方がきつい
なって思いました
見比べると
ナムに歩いて帰ろうとか言うんすよ
どう思ってんの
やっぱちゃんと
その高木のダメなところ
美化しないっていうのを
こんなのが結構
しれっとやってはいて
トータルラーのすごいことやるんですけど
お前がどこね
ある種の伏線ともなってるな
って感じがしましたよね
なんかこの人
あんま今起きてることに
興味ないなっていう演出で
ちょっとおってなったシーンがあって
高木じゃなくて
あかりの方なんですけど
現代パートで本屋さんで働いてるときに
人と話してるときに
ペットボトルのお茶ピッて
動かすシーンがあったんですよ
あれ
多分人の話より
ペットボトルのお茶の位置が
気になって
この位置気になるなっていう
こうやってパッと動かすんですよ
あれすごいなと思って
あんまちゃんと話聞いてなかったんや
みたいな
結構多分それ
なんだろうな
無自覚でやってそうな
癖みたいな感じするから
それでそれ言われたら僕結構いろいろやってるけど
ってなっちゃうからあんまり
だからそれを
わざわざ残してんのが
本当ですか
話的にいらないんですよ
むしろ
ペットボトルのセッティングの位置
悪かったですね
別にあってもいいんだけど
残してるっていうのは何かあるんじゃないかなと思って
僕のあんま興味ない会議のときとか
手遊びしてるから
めっちゃここまでやろうと思って
手遊びめっちゃしてるし
なんですかね
別に今こういう場でも
真剣に話してますけど
それはそうなんですけど
そうなんていうか
起きてることに
全集中している人じゃなくて
別のことを考えてるとか
っていうことが
そこに現れてると思うんですよね
やっぱりもちろん
人によってそこの濃淡ってあると思うんですよ
最も
濃度が濃いし
ある意味薄いのが高木のわけですよね
目の前に起きてることに全然興味がない
っていう興味がない
目の前の人に対して全く
アテンションを払ってない人として
高木が描かれてて
別に他の人が
いい人かって言われると別に
明かりだって目の前にそんなに
お茶のほうが気になって
その人の話を聞くというより
お茶を動かすほうに
気持ちがいったりとか
しますよみたいなことの
別にそこにすごい強い意味があるとかではなく
言語感に至らない程度の
わずかな人間の
好きみたいなものがポッと入ってるのが
すっげーよかったですよ
確かにそれこそ本屋さんで団子虫の
特集やるときに一人だけ宇宙のほうに
行って
あの子は空見てたんだろうねみたいなことを
言われるぐらいの距離感っていうのは
職場でもそこまでなじめきってはいない
っていう
ちょっと原作よりも
明かりを
ちょっと高木の影に
移して描いてる
っぽさがあるんですよね
ただそのバランスは不均衡です
高木のほうが圧倒的に
深みにはまっちゃってるんだけど
じゃあ明かりが別に
超器用な人として
描いてるかっていうとも
現代パートの演出
そうでもないし
ただそれも
そういう人もいますというか
なんかやっぱり
アニメのほうの明かりって
ちょっと理想化された存在というか
高木の記憶の中にしかいない人
理想化が激しいというか
もうなんか見えてるみたいな
って僕思ってたので
少年時代に見た幻想みたいなこと
になってるかな
そうじゃなくって普通に好きがある人間ですよ
ってなってるこの時代が
良かったなっていうのは思ってたんですよね
なるほどなるほど
そうかなるほどな
っていう見方をしてたんですけど
高木の高校時代の役者さんの
目の前に来てることの
興味のなさそうさは
桐島部活辞めるっていうのを
東へ増広を思い出してました
なるほど
近いな
すごい大人に見えてるのは
目の前に来てることに興味がないだけ
遠くを見てるだけ
というよりも興味がないだけ
キャラクターの成長
あの役者さん確か
あってるかな
海辺の女の子って
あれで確かに
似たような役やってんすよ
やってましたよね
中学生だったはずですけど
まさにここじゃないどこかを
目指し続けてる男の子
そこに掘れる女の子っていう
まさに本当に高校生パート
みたいなお話が
それも思い出しましたね
同じ役者さんの文脈では
高木
タバコ吸ってんのは良くないですか
良い良い
ちゃんとね
擦れてるっていうか
この時から擦れてるかっていうね
やることないからタバコ吸ってる奴の
タバコの吸い方
ゴリゴリなんか
俺はむかってやるぜみたいな
ヤンキー的素揚ではない
何もそこに主義も主張もない
っていうのが良かったなと思って
あそこも完全に
足されてたエピソードですね
むしろね
カナエマンネに今ついてるんですよね
あいつなぜか
そうですね
カナエマンネの人は
この野郎みたいな
感じになりますもんね
俺は泣きますわ上辺で
ちょっと大人をね
やっぱり夢見てる
というかね
そういうのに
惹かれるじゃないでしょうけど
試行しちゃうんでしょうね
自分の意思で決めれる
ものが大人だと
思ってんのかなってはちょっと思って
転勤族で大人の都合で
あかりとも
離れることになったわけだから
自分で決める大人の方が
良いわみたいな思いが
ちょっとうっそらあるのかなっていう
それの裏返しとしてタバコ吸ってんのかな
っていうのもあるんですけど
じゃあ大人になって
自己決定を強くできる人間になれるか
というとそういうわけでもない
イメージでそういう意味ではないんですよね
っていうことに気づくんでしょうけど
だからこそ仕事を辞めるっていうね
何回辞めるって
何回辞める
何回辞めるって結構良かったなと思って
やっぱちょっと
どうやって自社がするのかなって思ったとき
そもそも3の分量を増やします
だろうなとは思ってたんですけど
やっぱその大半分を
3から始めますみたいなのは
ちょっと想像したことがあったんで
もうそこはね
分かりますって思いました
サイバーラリーってミステリーにも
なってるというか
結局この人の闇は何なのかっていう
話でもあるんだよなそういう
ちょっとそのやっぱり
分かりへの
執着というか
その分かりへの思いというよりも
もうちょっとまた
違うところにもちろん明かりを含んで
上での虚無みたいなの
あるっていうのが
分かるっていう
そこで何回仕事を辞めるっていう
しかも29歳でね
ちょうど辞めがちな歳
っていうね
世間ではクォーターライフクライセスとか言われますけど
そうなんですよね
30歳のモラトリアム映画に
なってるっていうのを
これはもう完全に
分かるぞと
世代的にも作ってるんだな
って思うんですけど
その意味では
ちょっとお二人に
未来と見てほしいかもしれない
なるほどな
30になる手前の
人間と
タイムループが重なるんですよ
世界系
大人の世界系って感じしますよね
いいですね
結構いい意味が持ってるんですけど
57:06

コメント

スクロール