00:11
はい、始まりました。映画の話したすぎるラジオリニューアル第30回になります。
この番組は大阪の南森町にある日替わりイベント型カフェバー、週間曲がりにて、
みんなで映画の話をするトークバー、映画の話したすぎるBARを月1ペースで開催している店長メンバーが、
映画について雑談をするラジオとなっております。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
はい、関西の映画シーンを伝えるサイト、キネボーゾーンを運営しています、代表の原口です。
マリオンです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、えーとですね、今回、空白の話をする予定なんですけども、
前田さんの参加が少し遅れそうなので、それまで、ちょっと我々3人でオープニングトークをしておこうかなと思います。
はい、原口さん、最近何をご覧になられました?
えーと、先週ね、ちょっと不在だったんですけれども、ちょうど先週、ちょっと目の手術をして、
ちょうどその時はガンターしてたんですけど、その後保護グラスをしてて、が今日解除されて、という感じだったんで、1週間安静してまして、
で、今週末公開の作品をオンラインでいろいろと見まして、まあいろいろ見たんですけどね、
一個特におすすめしたいのが、韓国映画のビースト。
はいはいはい、なんか名前は?
これね、元は実話をベースにしたフランスのノワールを韓国ノワールにしたんだけども、ちょっとこれがまたすごくてですね、
いわゆる韓国映画によくありそうな猟奇殺人事件が起きて、それについて2人の刑事が駆け引きをするっていうのが基本で、
で、その2人の刑事は元は一緒に仲良くやってた刑事だったんだけども、あることをきっかけにいがみ合いだしたと。
で、だから見ていると猟奇殺人というよりは2人の駆け引きを追うことかなと思うんだけども、そこに周りに怪しい情報がどんどん絡んでいって、
ひたすら斜め上の展開が起きていくっていう。
で、ドラマーの方が中心かと思った猟奇殺人も猟奇殺人で偉いことが起きていて、
だから2人ずつの事件で周りいろんな人が駆け巡って偉いことになっていって、最後の最後までどうなるか本当は読めないっていう。
え、お前やられちゃうの?お前やっちゃうの?みたいな、斜め上の展開がひたすら起きるっていう、面白い韓国ノワールです。
なるほど。ちょっと覚えておきましょうかね。
前田さん到着したみたいなんで、ここから前田さん参加になります。
お疲れ様です前田です。
お疲れ様です。
ちょうど私が今週から公開される韓国映画ビーストについて話しておりました。
03:06
はい。
私の近況ですよね。
そうですね。
私の近況は、ちょっと前に話題になってたジャガンレイっていう、話題になってないかもしれないんですけど、ジャガンレイっていう。
あの、めちゃくちゃ検索しました、頭の中。話題になってたっけと思って。
話題になってたっけってことも話題になってたっけっていうセリフがなってる。
初めて聞いた言葉です。
ちょっとごめんなさい。フィールドが結構違ったかもしれないですね。
ホラー界隈では話題になってたんですけど、ジャガンレイっていう1988年の日本の映画なんですけど、
邪悪な願いの霊って書いてジャガンレイと読むと思うんですけど、一応竹中尚人が出てるんですよ。
ほぼ顔出てこないんですけど、っていう古い昔のホラーがありまして、
88年にモキュメンタリー形式で撮ってるホラーなんですよ。
すげー、その時代に。
なんかね、アイドルをプロデュースするっていう話のドキュメンタリー形式で進めて、それを追っかけてる。
アイドルがプロデュースされるところを追っかけてる番組があって、その中でちょくちょく変な現象というか、
ちょっと奇妙だぞって思うことがどんどん起こっていくとか急に起こってくるというか、そんな話なんですけど。
あれ、めっちゃグロいっていうので有名なやつでしたっけ?
いや、グロくはないです。
それがアマプラに来てて話題になってたんですけど、それがもうすぐいなくなるっていうので、ちょっと見れてなかったんで駆け込みで見てめちゃくちゃ面白かったっていう。
面白かったというか、私がすごい好きな雰囲気の作品でしたね。
なるほど。
なんか当時の日本感も出てて面白かったです。
昭和の映像をちゃんと今見るとなんかいいですよね。
そんな感じですね。
マリオンさんはいかがされてました?
そうですね。先週が1本だけやったんで、今週はちょっといっぱい見てますね。
愛だよどこへっていう映画と、みなまたとメインストリームと、プリズナーズオブゴーストランドを映画館で見てまして、
あとネットフリックスで、これちょっと話題になってたドキュメンタリーなんですけど、本当の僕を教えてっていうドキュメンタリーをネットフリックスで見てました。
なんか本数が戻ってきましたね。
そうですね、今週は戻りました。
特筆するのはどれかってあります?
特筆するならそうですね、本当の僕を教えてっていうドキュメンタリーはちょっとすごかったですね。
06:01
交通事故で記憶をなくしてしまった双子の兄がいるんですけど、
その双子の弟の方が記憶を失ってしまった兄を支えて、何もかも忘れてしまったので、もう一度新しく人生を作り直すみたいな話になっていくんですけど、
ただ実はちょっとこの弟の方にちょっとなんかある秘密がありましてっていうのがだんだん明らかになっていって、
明らかになる真実っていうのもかなりちょっとヘビーなものになってるんですけど、
まず当事者がその隠された真実みたいなのをカメラに向かって話すんですけど、
よくこの内容をカメラに話すまで持っていったなっていう作り手のその何というか根気というかいうのにもちょっと驚かされるし、
最終的に三部構成になってるんですけど、
最後の3部目でいよいよこういうふうに退治させるのかみたいな感じで双子が退治して話し合うんですけど、
その場面はちょっといろいろ題材の重さも相まって、僕もちょっと泣いてしまうようなぐらいの過酷で、
題材も過酷だしその真実に対してどうそれぞれが思ってきてたのかみたいなのも前の段階でわかってきているので、
なんかちょっとどっちのこの気持ちも考えると胸が苦しくなるみたいな映画だったので、
これはちょっとネットフリックスに入っている方はちゃんと見てみてほしいなっていうドキュメンタリーですね。
なんかすごそうですね。
なかなかすごいので、ヘビーなのでちょっと結構辛い内容とだけは言っておきます。
僕はですね、まずキャッシュトラックを見ました。
で、めちゃくちゃ良かったですよ。
めちゃくちゃ良かった。
これのために僕、外立地ジェイソンステイさんの作品を日本に報酬してたんですけど、ノリは結構違いましたね。
で、暴力描写がめちゃくちゃドライ。
めっちゃドライですね。
いいですよ本当に。
こんな感じのテイストなんやって驚きがありましたね。
これは見ていいやつだと思います本当に。
あと、草の響きを見たんですよ。
佐藤泰司さんでしたっけ、原作が。
の小説の映画家。
で、僕この方の原作の映画、そこの身にて光り輝くだけ見てて、今回が2本目だったんですけど、
あのね、めっちゃくちゃ良かったですよ本当に。
あのね、東でマザヒロー緑、すげえなと思って。
ちょっとその精神的に病気になってしまった男が実家のある函館に戻ってきて療養するって話なんですけど、
あのまあもう彼の現状とか重ねていろいろすごい良かったですね。
09:01
で、作中の東でマザヒローさんが演じている人物は精神的にちょっと病んでしまってて、すごく不安定になってしまってるんですけど、
それとは別にして、すごい雑な人間なんですよね。
で、その雑な人間が流す涙の格好悪いこと。
で、僕今回気づいたんですけど、東でマザヒローさんの泣く時の演技ってめちゃくちゃダサいんですよ。
あの男のダサさが詰まってるなと思って、
あのナルシシズムがないんですよね。
自分の傲慢さが崩れ落ちて泣く時の顔なんですよ。
これ本物のやつやと思って、全然かっこよくないんですよ泣き方があの人。
ちょっといろいろ気づかされましたね今回。
いや素晴らしかったですよ。
で、あと僕今回思ったんですけど、ドライブマイカーのタカツキって東でマザヒローさんなんじゃないかなと思って。
もちろん本人の本当の人格はわかんないですけど、パブリックイメージとしての東でマザヒローなんじゃないかなと思って。
これはもしかして浜口隆介監督からのメッセージなのではと。
いやもうこれちょっともうアンダー・ダ・シルバー・レイク入っちゃってますけど、僕の今のこれ。
いやいいですね。いいですね。
本当にパブリックイメージとしての東でマザヒローさんって本当に虚無的な人物として捉えられてる。
けどああいうちょっと色濃い沙汰でのスキャンダルになっちゃってとかっていうのがすごいタカツキっぽいなと思って。
でそれの鏡合わせとしての化学の何かなと思ったら結構浜口監督の前作が寝ても覚めてもなこととかを考えると色々と考えてしまったりはしてましたね。
一応草の響きは監督ちょっと事前にインタビューさせてもらってて。
そうなんですね。
いかにあの二人に演技させないかでやったっていう。
だから結構ああいう演技ができてるかなっていう。
なんか演技プラン的な方向でも似てるってことですよね。あんまり演技させないっていう。
一応ちなみに佐藤康生さんって自主してるんで結構自身のことがかなり色濃く出てる小説ではある。
ですよねやっぱり。作中でもあるシーンとかちょっとシーンに迫りすぎてきつかったですもん。
一応原作小説が文庫としては佐藤康生作の1コマ君の鳥を歌えるかの文庫に入っている60ページを短い図なんで、もし機会あればどうぞ。
はい、てな感じでした。
ちょっとお便り届いてたので紹介したいと思うんですけれども、少し長いので区切りながら読んでいきますね。
12:03
山口様、原口様、マリオン様、前田様、いつも楽しみにしています。
以前ちょっとツイッターで突っ込んでしまい不快感を与えた50代映画好き女性です。
これは僕がちょっとだけリプライでメッセージいただいた方で、おそらくサーチの僕の感想に対してアジア系のアメリカ人の家族の絆の強さっていう意味で
見方が適切ではないのではないかっていうご意見をいただいてたことに関することだと思います。
その指摘はすごく鋭かったので、僕としてはもうすごく気づかされる部分の大きかったところなので、すごい良いご意見いただいてましたね。
で、戻ります。
いつもポッドキャストを楽しみに聞いています。
映画関係のポッドキャストの中では映画の話したすぎラジオはピカイチで。
ほう、すごい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
次回がいつも楽しみです。
皆さんの個性が明確で、特に前回の桐島の回はお腹抱えて笑いました。
そこまで映画と自分の青春や後悔をなぞるかーと。
山口さんの冒頭文の立ち位置が非常に論理的でいいと思いました。
が、かなり笑いましたと。
わざわざと想像できる高校時代のお姿、皆さんのおしゃべり面白かったです。
正直私はそこまで高校生活を想起できる皆さんが羨ましかったです。
だからといって常に皆さんと同意見というわけではなく、前回も解釈の違いを指摘した通り
時代も違えば見てきた映画も違うし好みも違うので
えー、そんな風に見てるの?みたいな時はよくありますが
アプローチは違っていても良い映画に感動する気持ちは同じです。
今回のドライブマイカーも皆さんの論評や感想を楽しくお聞きしました。
最後にちらっと山口さんが話の中で見先についてほぼ言及してない
化腹が苦悩する件に終始していた点を反省していらっしゃいました。
夫も本作を見た後、全く見先について興味はなかったようで
化腹のことしか言っていませんでしたし
結局男性は皆そこだけを見ているんだろうなと思います。
女性に感想を聞いたら多分違う答えが返ってくるでしょう。
ある程度以上の年齢の女性ならばおおむね
化腹を通じ古今東西、男のダメな部分を改めて見せられた気分でした。
彼は見たくないものは見ないで無難に生きてきた
子供っぽさや無責任さ、弱さを抱えたよくいる男だなと。
見先の必死に生きてきた人生の重さの方に感動するでしょう。
空っぽのあの岡田まさきに悟され
とことん傷つく化腹の真面目さに自分を置き換え
こんな目にあったら耐えられないなぁと自重的に
または近い献金をした自分について
過去の苦い経験に思いを馳せる男性の感情を冷めた目で見ます。
私は主に登場人物の分かり合いなさと
その間を若いサーブが走り抜ける疾走感
その映像に酔いました。
化腹は現代の悩める男性の代表
かっちょいい外見とちょっと高尚な仕事とライフスタイルで
15:02
バージョンアップしたあなた自身だから
男性は自分のことのように本作を愛するんでしょうね。
おっしゃる通りですよ。
非常に痛いところをつかれてますね。これは本当に。
バージョンアップした男性像なんですよね。
そこにナルシスズーム込みで酔うために
西島秀さんがキャスティングされてるわけですよね。
本当にずるいですよ。これは。
また皮肉っぽく聞こえたらごめんなさい。本作は大好きな映画でした。
しかし、化腹に共感するかと言われればNOでした。
それでは皆さん今後もポッドキャスト楽しみにしておりますね。
ルイーマルコさんでした。ありがとうございます。
すごく熱量のあるメッセージありがとうございます。
ドライブマイカーに関しては本当におっしゃられる通りで
すごい綺麗な映画だし厚みのある物語なので
誤魔化されちゃうんですけど
めちゃめちゃずるい男の話でもあるんですよね。
僕正直村上春樹自体結構苦手な作家なんですよ。
文章だけの村上春樹だとめちゃくちゃ苦手な世界観なんですよね。
それがドライブマイカーの映像を通じてだと楽しめてしまうなっていう
怖さというか、描き方さえ変われば
僕はこの世界に短歴してしまうんだなっていうのを改めて気づかされて
自分でもダブルスタンダード入ってるなとか思いながら
考えたりしてましたね。前回の話した後。
あの時の回で三崎の話が全然出てこないよねって言った時の話は
収録終わった後もいろいろ自分の中でも本当
ああそういうとこだなって自分の中でもすごい反省というか
こういうのいつまでも短歴してるよだからお前はこうなんだっていうのを
改めて自分の中で反省をするというのはちょっとありましたね。
だからあの回は自分の言いたいことも言えたし
同時に自戒も一緒に込められてるなっていうふうな回になってて
あの回は自分でもいい回だったなって思いますね。
それで言うと草の響きは自分のずるさとか傲慢さに気づかされた男が
ナルシシズム入る余地もなく崩れ落ちて泣く様が見られるって意味でめちゃくちゃいい映画ですよ。
何もカッコつけられなくなった男ってこうやって泣くんだなっていうのが
あれは本当だわっていうのが見られますよ。すごいですよあれは。
ちょっと見てみます。
すいませんちょっと導入分長くなっちゃったんですけれども
では今日のテーマに入っていこうと思います。
18:11
では今日のテーマの空白に入っていきます。
映画ドットコムより解説読ませていただきます。
アニメアノールの吉田啓介監督によるオリジナル脚本作品で
古と新た主演松坂通共演で描くヒューマンサスペンス。
女子中学生の添枝香音はスーパーで万引きしようとしたところを
店長の青柳尚人に見つかり追いかけられた末に車に轢かれて死んでしまう。
娘に無関心だった香音の父三鶴はせめて彼女の無実を証明しようと
事故に関わった人々を厳しく追求するうちに恐ろしいモンスターと化し
事態は思わぬ方向へと展開していく。
悪夢のような父親添枝を振るた、彼に人生を握り潰されていく店長青柳を松坂が演じ
三角の田畑智子、佐々木inmymindの藤原季節、
世を若すほどの熱い愛の伊藤葵が共演と。
はい、では沢林の感想をお聞きしようかと思います。
原口さんいかがでした?
どうしようかな。
重い話で、もうどう終わらすんやろ。
時間が回転するんか思ったけど、最後は何やろ。
親子がちょっと同じものを見ていったんだなっていう、光のある終わり方をしてたんかな。
重い話をしさせると止まらなくなるので、一旦ここまでしておきましょうか。
前田さんはいかがでした?
私は思ったより希望のある話でよかったなと思って。
最初ずっと古と新たが煽られみたいなぐらいの感じで来るのかなと思ったんですけど、
それぞれの人間らしさというか、その中で最後しっかり泣かせにかかってくるやんっていうところにずっと乗っかって見てましたね。
丸岩さんいかがでした?
もうずっと重いというか、もうひどい話がずっと続くなって思ってたんですけど、
やっぱりでも見終わるとこれすごく優しい映画だったなっていうふうに着地にはなるんだよなっていうのはすごく思いましたね。
なかなか空白というか、他者という空白を想像できない社会みたいなのを結構ちょっと荒々しく描いてながらも、
自分が見えてなかった空白に希望の光を見出すみたいな部分の作り方はすごく味わい深くてすごく複雑な人間性を捉えてたドラマだったんじゃないかなというふうに思いましたね。
僕としてはですね、前回の時にゆうこの天秤に触れた時に言った言い回しで、人生において被害者になることと加害者になることは背中合わせだからどちらにも自分がなるかもしれないっていうことを見つめないといけないんじゃないかみたいな話をしたんですけど、
21:03
その話、この空白の方がより当てはまるなぁとは思って、すごくわかりやすく自分は被害者かもしれない、でもこの瞬間には加害者かもしれないみたいなのが端的に描かれてた映画だったかなと思うんですよね。
そこのわかりやすいからこそ良かったかなとも思うし、わかりやすくなりすぎてあんまりすぎじゃないなっていう部分もある映画ではあったんですよ。
そこはうまいこと話していけたらなとは思うんですけども。
じゃあ具体的な話入っていこうと思います。
ここから先、より深くネタバレに触れていきますので、もし気にされる方いたら見てから聞いていただけたらなと思います。
では中身の話入っていこうと思うんですけれども。
わかりやすいところから入ると、松坂通り相変わらずめっちゃいいなっていうのは。
いろんな役できるよね。コロンチみたいな以外にもこういう優しい役もできるね。
そうですね。コロンチレベル2僕見れてないんですけど、結構バイオレントな方向にやれちゃう刑事をやってた感じだったと思うんですけど。
めっちゃ器用ですよね。めっちゃ器用だなと思って。
でもやっぱこういう役が似合うなと思いますね。インな感じの役の方が。
凡人似合いますよね。
普通の市政の人々の中でもちょっと冴えないぐらいの立ち位置だけど、少しアンバランスなぐらいに容姿は整ってて、
なんかそれが容姿の安さが逆に損してるみたいな感じがある人物像、すごい似合うなって思って。
今泉さんのあの頃もそういう感じかな。
ああ、なるほど。
そうですね、確かに。
なんかお前ハンサムで得してるんやろうみたいなのを思われちゃってるので、でも本人そこまでそれに乗っかれなくって損してそうな人物像というか、めっちゃ良かったですね、本当に。
あともう藤原季節はやっぱいいなと思いながら見てます。
いいですね。
なんかなんだろう、今回ちょっとヤンキーっぽい感じの漁師の役もやってて、佐々木インマイマインの時はちょっとうだつの上がらない役者、割とこの人も器用だなって思いながら見てて、
松坂通りと藤原季節が生々しさみたいなのをこの話の中で担保してた2人だったかなと思って、古田新と寺島忍に関しては正直結構誇張のきついキャラクターだなと思って、僕は苦手だったんですよね。
24:07
敵意とか悪意を誇張すると薄く見えちゃうところってあると思うんですよね、薄っぺらく見えちゃうところって、バックボーンなしにいきなりその極端さみたいなのが出てきたみたいに見えちゃうと、この話全体の温度感がリアルじゃない方向にブレちゃうなって思うところがあって、
古田新と寺島忍が出てくる度になんかちょっと不自然な方向に針が触れては、松坂通りと藤原季節が出てきてはちょっとリアリズムが生まれるっていうその針がすごいブレてるなーと思いながら見てたんですよね。
その悪意とか敵意に関しては本当に描き方は誇張といえば誇張なんですけど、ちょっと浅くないかって思う描き方になってるなってとこもあって、特にメディアの扱いですよね。テレビなんて面白いと思うものに食いついていくらでも煽ってひっかき回して当事者を不幸にしていくんやって言いたいことはわかるんですけど、
80年代とか90年代とかのテレビのワイドショーともかく、2020年代のコンプライアンスの中であれはやれないと思うんですよね。今あれをやるとしたらYouTuberですよ、突撃系のYouTuberがいうことをやると思うんですよね。
被害者と加害者、この作中の被害者と加害者っていうのも明確じゃないんですよね。あくまで自己的なものではあるんですけど、そのメディアが取り上げる、あるいはその当事者たちが自分は加害者と思ったりとか自分は被害者だって思う度にその肩書きが入れ替わるものなんですよね、この話の中で。
その肩書きを入れ替えてはメディアが茶化して周りの本当にモブの人たちが当事者たちを不幸に貶めていくっていう話ですけど、誇張しすぎると本当のメディアの怖さからずれていっちゃうと思うんですよ。実際にはそこまではやらんと、もっとそれっぽいフリをして描き出すのがメディアだと思うんですよね。
だからあの青柳を追っかけてスーパーに撮影しに行ったと思ったら、添田を見つけては、何しに来たんですかって聞いて添田が押したら、わざとらしく受けて怪我したって、もうどっちも悪いみたいな感じで取り上げてたじゃないですか。
いやでもどっちも悪いってしないと思うんですよね、ワイドショーとかで取り上げる時って。だからその2人とも加害者であり、2人とも被害者ですよってことを言うために、メディア側が2人とも巻き込んでるっていう風に描くためにちょっと強引な展開にしてたと思うんですよ。
あれはすごい不自然だなと思って、メディアって基本的に悪者って、この人は悪者って設定した、こっちは善側に設定して、偏った描き方をして、新しい事実が出てきて、実はこっちの方が悪かったんじゃなってなったら、一気に天秤をひっくり返してこっちを悪みたいな描き方することあると思うんですけど、どっちも悪みたいな描き方で進めていくことってないと思うんですよ。
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だからあの添田の家になんかいたずら書き、万引き娘みたいないたずら書きあるのと同時に、青柳のスーパーの方に中学生に隠行したのかみたいな落書きしてって同時にされてたじゃないですか。そこはそんなに分かりやすく動かないよと。
もちろんそのモブ的な人たちですけど、悪意あるモブ的な人たちではありますけど、そんなその物語が二人とも加害者で被害者でありっていうのを描くために都合よくモブっていうものを動かしてるなって思って、ちょっと腰が引けたとこあったんですよね見てて。
そういうとこを上手に描くからこそ、大衆って怖いなって思うしメディアって怖いなって。何より人間の心って常に簡単に裏返っては人を傷つけたり自分が傷ついたりするよねって話になるかなと思うんですけど、ちょっとそこは都合良かったんじゃないかなって僕は思っちゃいましたね。
これさ、今更の話だけど、要はあれやね、本屋の万引きの事件のこういう事件、あの点のやつの後の検証特集みたいなやつと割とあるので、冷静に作ってたかなと思うんですけどね。
現実問題のごみ合いともうちょい冷静に報道するのかなと思った。暇となってみれば。今やからこそ。
そうですね、いろいろ誇張激しいかなというのは思うというのは、それは僕が空白を見た後にゆうこの天秤をその後に見たっていうのもちょっと関係はするんですけど、どちらもすごく似たテーマを扱ってる映画だとは思うので、山口さんも言われてたと思うんですけど。
あまりにも二作のラックさは結構激しくて、どっちがいいかっていうのもちょっとその辺はもう好みだなっていう感じはするんですけど、僕はどっちも良かったと思ってはいるので、その辺は難しいですけど。
そうですね、ゆうこの天秤めちゃくちゃいい映画だなと僕は思ってて、善悪の悲願の不明瞭さみたいなものの描き方としては生々しいし、ネットリンチとか悪意あるモブとかをうまく描けないのであれば、描かない空白として描くことで逆に厚みが増すっていう描き方ができてたすごい映画だなと思ってるんですけど、
正直めちゃくちゃ分かりにくい映画だし、面白みを感じるのって結構特殊な資質がいる映画だなと思うし、何よりスターがいないっていう問題があるんですよね。
このテーマ、ネットリンチであるとかモブとかあるいはメディアっていうことを描くのって問題意識がある人じゃなくて、問題意識がない人に見てもらいたいテーマだなと思うんですよね。
30:10
これってちょっと小規模系の文芸作品とかミニシアター系のアート作品とかにも共通する部分かと思うんですけど、すごい良い作品があってもそもそもその問題意識を持った人が見に来るんだったら、あんまり広がっていかないよねっていうのがあるなと思って。
だからそのテーマをその中身をそもそも共有してない人に伝えるためには、やっぱり大作の中で空白がすごい大作映画とは言わないんですけど、やっぱりスターが出てるので広く見られる映画になってたと思うんですよ。
で、広く見られることで、あ、なんか意図が悪いとかって曖昧なことなんだなって100万人その映画を見た中で100人でも持ってくれたらいいなと思うんですよね。それで十分だと思うんですよ。ゼロから100が生まれたわけだから、その問題提起ってすごい価値があったことだと思うんですよね。
で、それを実現するためにはやっぱり松坂通りと古田新田でなければならなかったんだろうなっていうのはめちゃめちゃ理解できるし、この話のわかりやすさ、メディアとかネットの軽薄なまでに誇張された描写があってこそわかりやすくなったのかなと思うので、あんまりうるさく言ってもしょうがない部分だなと思うんですよね。
わかるように言って、またそれを伝えないといけない人に伝えるんだったらある程度の誤調であるとか、パイを広く設定するためのキャスティングとかっていうのは大事なことだなと思うので、その意味では空白ってヒットしてるわけなんで、実現できてる映画なとは思うんですよね。
たぶん僕も言いたいこと終わりました。
言い切ってしまった。
全部出たかも。
私はなんか、唯一平島忍だけが救われずに終わるっていうのが、やめてよって思いました。
あれね、あれちょっとね。
かわいそうすぎるやろって思って。
そうですよね。一番そんな役回りだったと思うんですよ。
そうですね。
朝子だったかな。
はい。
結局その話の中で松坂通りを助けたいと思ってるけど、いわゆる善意の押し付けキャラなわけじゃないですか。
で、これ見る人によっては古田新田より寺島忍の方が嫌なやつじゃねって思いかねない作りになってたと思うんですけど。
そうですね。
一見悪いっぽい人がいい部分を出してきて、善人ぶってる人が実は裏で弱いものいじめしてるって、やっぱりいい人ぶってる人って偽善者で悪人でみたいな見方ができてしまうのって結構バランスとしてちょっとどうかなって思う部分はあったんですよね。
なんかそのボランティアに参加してあるとか、ベジタリアンかあるいはビーガンみたいな描写もありましたけど、なんかそのそういうこと言ってる人間って偽善者だし本当の悪だよねみたいな見え方ができちゃうのってめちゃくちゃ良くないことだと思うんですよ。
33:12
それはめっちゃ思います。
そうですね。確かに。
善とか悪とかすごい曖昧なことだけど、彼女が間違ってたのはあくまでバランスであって、良きことをしようとしたこと自体を咎めてしまったらダメじゃんって思うんですよね。
で、ソエダ、古田新田が演じてたソエダは最終的にちょっといろんなものに気づいていきますけど、全体的にはやっぱり良くない人間ですよ、彼は。
で、その相対化することで、なんかもう味噌もクソも一緒にしてしまうような話として捉えてしまうのは結構危険だなと思うんですよね。
しかもまた寺島忍がやってた役ってまたちょっと若干こう、正義感とか親切心とかの押し付けプラス下心みたいなのも入ってるじゃないですか。
あれがまたちょっと余計にこの人の印象が悪くなる元というか、今なってるんですよね。
あの下心みたいなのも、まあそうかみたいなのはちょっと何とも言えんというか、あのちょっと気まずさは何というかちょっとあの吉田圭介の他の作品でもちょっと出てくるような感じはちょっとあったりはしましたけど、三角とか。
けどなんかこれではちょっとなんかどう見たらいいんだろうなっていう気持ちにはちょっとなりましたね。
全員を同じ土俵に上げないといけない話だと思うんですよね。これって。寺島忍だけ微妙に土俵の外でそんな役回りさせられてるなと思って、それで良かったのかなと思うところは正直あります。
しかも見ててきついのが、さっきマリオンさん下心って言ったじゃないですか。私あれ恋心だと思ってたんですよね。
それを言い方あれですけど、結局その寺島忍が真っ逆通りが自殺未遂したときに何て言うんですかね、そこで迫って拒否されて、その時に自分が若くて可愛い女の子じゃないからでしょうみたいなこと言うじゃないですか。
全く私それが事実だと思ってて、あれが若くて可愛い女の子やったら、それが恋心であり真っ逆通りを支えるものになっただろうなと。
でもそうじゃない、それはもちろん年齢だけじゃないですけどもちろんね。だけどやっぱり年をとるということは、どんどんしんどくなっていくんだなっていうのを見てて実感させられてしまうというか、あれが若い女の子のキャラクターやったら全然違う話なんですよ。
それをあの年齢の人にさせるっていうのがきつくて見てるのが、もうお前は恋なんかするなって言われてるのと同じなので、だからあのキャラクターをそこまで追い詰めた挙句に一人だけ希望もないエンドにすんなよと思って、私はもうそれがちょっとショックすぎて、え、忍カレー作って終わりかよみたいな感じがしますね。
36:23
あれがいろんなメタファーが踏まえてるよね。カレーの色っていうので。
全然何のメタファーかわかってないよ。
カレーがこぼれちゃう、食べ物のカレーの話ね。
なんかそういうところを微妙に指先まで力がこもってないように見えてしまうんですよね、僕は。バレエを踊ってる時にちょっと指先だけ力緩んでるなみたいな風に見えちゃうなとは思って。
やっぱりその寺島忍の演じてた役のアサコンの扱いに関してはそう思っちゃうとこはありましたね。
全体としてはね、結構難しいことに挑戦してる映画だなとは思って、あるシーンで被害者の人が別のシーンで加害者になるっていうのは割と一律で描かれてたと思うんですよね。
こっちですごい善人として振る舞ってたけど、自分が攻めれるタイミングで自分より弱い人にあったらそこを攻撃するみたいなのって全員に共通してたと思うんですよね。
松坂通りの青柳も、彼がすごい精神的に不安定になって、お弁当の種類間違えたのでブチ切れるシーンがあったじゃないですか。
彼もやっぱり弱ってて自分より弱い攻撃できる人に刃を向けるタイミングを待ってたんだなと思って。
彼、スーパーで自分のところでお皿作ってるけど、廃棄食品を持って帰ったりしないんですよね。
たぶん経済的に全然余裕ないけど、なんか外で食べたりとかお弁当買って帰ったりするんですよ。自分のスーパーじゃないところで。
あれなんでかなと思ってて、僕自分がお金なかったら絶対自分のスーパーから食べ物持って帰って食べるやろうなと思ってたんですけど、
あの弁当のシーン見て思ったのが、誰かが失敗するの待ってたんじゃないかなと思って。怒るために。
そこまで言ったら極端ですけど、要は常に自分がサーブする側で、お客様が神様っていう観点から言ったら弱者なわけですよね。スーパーの店長だから。
自分が強者になるためには客側に立たないといけないわけじゃないですか。
そこの自分が強い瞬間が欲しいから、買って帰ったり外で食べたりしてるんだなと思って。
私はもう、あのタイミングであの間違い方されたら、私もブチギレると思いますね。
やっぱそうですよね。できれば優しい人でありたいと僕は思ってるんですけど、それは多分この社会に生きる人みんなそういうふうに思っていると僕は思いたいんですけど、
やっぱり何かに追い詰められてるとか、精神的な余裕とか心に余裕がない時って、やっぱその優しさを誰かに与えるみたいなのとか思いやるみたいな気持ちってどんどん減ってくんですよね。
39:09
やっぱ本当なんかイライラしてる時に優しくってなかなか本当できないし、この映画見て優しくするっていうことに対しての、ただ言葉で優しくするっていうの簡単だけど、いざやるの意外と難しいよねっていうところには結構触れてて、そこは結構僕好きなポイントですね。
あのお弁当間違えられてぶちまけちゃうシーンも、後でそのチリトリに綺麗に集めて謝りの電話入れるシーン僕めちゃくちゃ好きで、もしかしたらあのシーンこの映画で一番好きかなと思うな見てたんですけど、常によくあれるわけじゃないし優しくもあれないと。
そうやってしまう罪悪感とかそれを知ってしまったことに対する後悔とかがちょっとだけ物事を良い方向に振り戻すかもねみたいなことを言ってるなと思って、でもそのお弁当はもう食べられないですよねっていうことも描いてるなと思って。
なんかあのそのお弁当美味しかったですっていうのがものすごい切ないなと思って、自分お弁当食べれなかったのになんかそのいろんな思いを混ぜこぜにした中で謝罪と感謝の電話をするっていうのがなんかその人間の尊厳と弱さ隣り合わせの何かが詰まったシーンだなと思って。
僕は人間のああいうところに期待したいなって思ったんですよ。うまく言えないんですけど、その強くないんですよね人間って。だからもう失敗しちゃうし何か壊しちゃうし、もう元通りにならないかもしれないけど感謝したり謝ったりはするしかないんだなと思って、なんかあそこに僕この映画の全部詰まってたなと思ってすごい好きなシーンでしたね。
そうですね、これ本当は取り返しのつかないことになってしまう話ですもんね。お弁当にしろ娘さんが亡くなってしまうことにしろ、さっきちらってたカレーもやっぱそういう部分のメタファーというかそういうのになるのかもしれないけど。
それでもやっぱりこう優しさとか誰かを思いやるみたいなことに気持ちを望みをかけるみたいなのっていうのはやっぱこの映画のやっぱ一番のメッセージというか美点というかいう風なところですよ。
僕は最後にちょこっと出てくる奥の映画を演じる工事現場の兄ちゃんが焼き鳥弁当好きだったんすよのシーンがええよなーって思ったりが。
そうそうそうそう。
あれが救われたなーっていう感じが。
失ってから初めてその大切さがわかるじゃないですけど、やっぱそういう映画だったなっていうのは。
あの感謝のシーンも正直めちゃめちゃ雑な言い方じゃないですか。
ちょっと悪意あるように一瞬見えんやんかなんか俺。
もうなんかほとんどチンピラが絡んできたようにしか見えないんですけど。
42:03
それもそのさっきのいっぱいいっぱいやったら人に優しくできないっていうことの裏返しかなと思うんですけど、いっぱいいっぱいやとそこまですごい熱い気持ちがこもってない感謝の言葉でもめちゃくちゃ刺さるんだなって思って。
で、もう言った本人はもう半分どうでもいいと思いながら言った言葉でも言われた本人からしたら全てに等しいぐらいの言葉になり得たりするんだなと思って。
やっぱりねその良くも悪くも言葉強いなと思うし、だからこそ言葉って丁寧にやらないといけないなとは思うんですよね。
そうですね。僕のさっきのこの下心って表現したらもうなんかちょっとまずかったなーって。
いやいやいや、そう見えるっていう表現のされ方だったので、なぜか忍に感情移入したら見てしまうっていう。一切おせっかいじゃないのに。
あとすごいまあ難しいことに挑戦してる映画だなと思いつつ複雑になりすぎたのかなっていう部分もあって、完全に添枝と青柳の話に終止してもよかったんじゃないかなとはちょっと思ったんですよね。
だから中心にあるその2人とは別に別のその流れの中で加害者だったり被害者だったりする人たちが出てきますよね。
で、最も端的なのが1回目にカノンを引いちゃった女の人。
あの人は加害者であり被害者であるっていうのが同じフェーズに存在してるんですよね。
他のキャラはこっちでは加害者こっちでは被害者っていう感じなんですけど、彼女だけは同じところに加害者性と被害者性が存在してるっていうので特殊な立ち位置だなと思って。
あと本当にそのカノンの致命傷になったトラックの運転手。
彼は自分に全く責任を感じない自分に責任がないように振る舞おうとしている人物として描かれてて、当事者なのに当事者でないと思ってるあるいは当事者にならないように振る舞えてしまう人っていうある意味本作で最も特殊な人物だなと思うんですよね。
何らかの形で当事者になってしまう人物責任を背負ってしまう人たちの中で責任を負わないことができてしまう一番重い立ち位置なのに。
あの後触れられないじゃないですか彼のこと。めちゃめちゃ重要な立ち位置だと思うんですけど。
だから当事者なのに他人っていう立ち位置の存在がいたりとか、あるいは朱梨が演じてた学校の先生とかもカノンを厳しく指導してた。厳しく指導というか嫌みったらしく指導してた。
でもそのやり方が良くないんじゃないかなと後悔したりとか、いろんなところに加害者性と被害者性がぐっちゃぐちゃになってて、すごい難しい話になってたと思うんですよね。
だったらもうそこの構造を添田と青柳の2人だけにして、この人は加害者です、この人は被害者です。
でもこの瞬間には逆に見えますよねっていうその2つの軸を中心に描いた方がシンプルな話になったんじゃないかなと思って。
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その、なんか話の主軸がだんだん青柳からずれていってるなみたいな時があったんですよね。
だから学校に矛先が向かったりとかして、少し複雑でシンプルな話じゃなくなってるなと思ったところがあって、その白だったものが実は黒かもですみたいなぐらいの構造だった方が分かりやすい話だったんじゃないかなともちょっと思ったんですよ。
やろうとしてることとしては正直オムニバスに近いんじゃないかなってちょっと思って。群蔵劇だしオムニバスというか。
だからなんか一つの悲劇的な交通事故を主軸にいろんな人の加害者性と被害者性が入り混じる話としてオムニバスみたいな形で描いてたらその切り口としては分かりやすかったと思うんですけど、
添枝と青柳の2人の話であることと群蔵劇であることが結構工作しながら話が進むので、なんかあれどっちやっけみたいになる時があったんですよね結構。
それなら一層キャラクターの視点ごとに衝立てを作ってっていうのが整理はつくというか分かりやすくなるかもしれないですね。
あらゆる人の加害者性と被害者性を描くんだったらオムニバスの方がそういう話として見えたと思うんですよね。
加害者の人が被害者かも被害者の人が加害者かもっていう表が裏返ったり裏側が表になったりする話をするんだったら添枝と青柳の2人の話にしたらよかったかなとは思って。
っていう感じは覚えました。
私の中では逆に古田新田と松坂通り2人の話っぽいんだけどほぼ古田新田パートだなと思ってて、さっき言ってたその他の人々っていうのもほぼ古田新田が自分の加害性に気づくために用意されてるというか。
確かにそうですね。
だからちょっと逆に松坂通りパートが薄くはないけど、2人の話というよりは結構古田新田に寄ってるなぁと思いながら。
確かに松坂通りに成長する要素ってなかったんですよね。
古田新田の側が松坂通りをどう捉えるかの変化で物語が進んでいくので、松坂通りの側はひたすら罪悪感に押しつぶされていくだけの立ち位置だから、彼ってあんま変化しないというか、ベクトルとしては同じ方向ずっと見てる感じなんですよね確かに。
古田新田が変わったから話が進んだっていう感じはあるなぁと思って。
確かにそうですね。そうなったらもう古田新田が演じた添枝の話だったのかもしれないですね、それでいくと。
うんうん、なるほどなるほど。
深く思ったのが今の話を聞いてて、こう人って自分の罪に気づく人だけが罪を背負ってしまうんだなっていうのがすごい皮肉だなと思います。
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そうですよね。
気づかない方がじゃあいいやんっていう、なんていうんですかね、そのふうに思うこともできちゃうというか。
そうですね。他人ごとにしちゃうのが多分一番楽なんでしょうけどっていう、けどそれじゃ本当いけねえんだよなっていうのは、まあそうですね、本当確かにあの一番最初に聞いた、じゃなくて、一名称を与えた方のトラック運転手数が確かに出てないっていうのは確かにそうだなって思ったし、
あと究極に他人ごとなふうに振る舞ってるっていうのは多分メディアですよね、この映画における中で。
他人ごとだからあんなに土足で適当なこと言えるし、終わったら別の話題でその場の会話のネタとしてしか消費しないみたいな感じのやり取りとかはすごく強調されてたと思うんですよね。
やっぱ空白という他者を想像できるかみたいなのもやっぱすごくテーマとしては深いところにあると思うので。
それで言ったら安坂トーリーって結構最後まで対話をしようとしないじゃないですか。
そうですね、基本的にあんまり人と関わり合わないみたいなスタンスの人なんですよね。
彼最後まで対話してないですよ、結局最後も謝罪一片とだったんで、添田と言葉を交わしてはいないんですよ。
最後も相手のことを見ずにただ導入して謝っただけだったんですよね。
そこに関してはそれでいいのかなって思った部分はあって、
その罪を背負った人はただもう額を地面に擦り付け続けて謝ることしかできないで終わっちゃうっていうのは何かなと思って、
それでいいのかな、もう被害者当人に対してできることなどないと。
ただ他の人からかけられたちょっとした言葉で救われたりするかもねみたいな話なのかな。
結構身も蓋もないというか、それにしてはそれこそ安坂トーリーって100%加害者って言えるほどのキャラクターでもないから、
そこはちょっとそのスタンスでいいんですかって思っちゃいますね。
登場人物が結構多いことで、誰が悪いのかみたいなのがすごい散らばったことでわかりにくくなってるのかなって思ったんですよね。
女の子、万引きましたかどうかわかんないけど、
しけざとしたら女の子悪いやんってなりますしね。
そうなんですよ。でもあの状態で彼女が悪いっていうことはできないんですよね。
それはまあ状況がさせることなんですけど、彼女を悪く言えないっていうのは。
彼女が被害者って言うしかない状態になっちゃうっていう。
それはあの1回目に引いた女の人の葬儀のシーンでもそれあったなと思って、
あのシーンで初め娘を亡くしたお母さんが親族に、添田が来た時に親族に止められるシーンがあって、
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バリで雑言ぶつけるんじゃないかなみたいになったらひたすら謝るっていう。
結局添田が彼女の謝罪を受け入れなかったからそこまで追い詰められたっていうのもあるんだろうけれども、
どっちが悪いっていう話になったらやっぱり引いた方が悪いってなっちゃってるっていう残酷さだなと思って。
謝ることしかできないっていう。
そこ結構事故のシーンしかも結構リアルに描いてましたよね。
そんなに見せる必要あるのかっていうぐらい2回目のトラックに引きずられるシーンとかもこれが本当の事故かと思って。
予告編やと2代目はトラックなかったから思わずあれでえぇって声出てもうてんけどあれは。
濃く過ぎてあれが。
結構きつい描写だなと思うし話だけ組み立てるんだったら事故のシーンってあえて描かないっていうこともできるタイプの話作りだと思うんですよね。
でもあれを取ったしかも露悪的なまでにエグい描き方をしてたと思うんですけど、
やっぱそのそこに関わってしまった人の罪悪感っていうことに焦点を当てた話にするんだったらあのエグさって必要だったのかなと思うんですよね。
こんなことを起こしちゃったと、それを自分は見ちゃったと、他人事にはできないと、他人の不利はできないと、自分は当事者だとっていうのが見せつけられるっていう意味ではあのシーンって必要だったのかなと思うんですよね。
そう思います。
現実的なことを聞くと俺法学部じゃないかわからないけど、あれってこの事件で誰かを罪に問われないのって正直思うんですわ。そこらへんどうなのって正直思ったんですけど。
誰か捕まらないのって正直思うんですけど、どうなんですかこれ。
誰か悪いって法的な意味での問題になるんだったら車で引いた人なんじゃないですかね。
1回目と2回目それぞれ何対何とかになるんじゃないか。
トラック側が多分結構重くなるような気はしますけどね。多分致命傷というか間違いなくあれなので。
しかも捕まれるやろあの距離って思う。
そう。明らかにあっちの方がノーブレーキで突っ込んじゃったなって感じでしたからね。
全速力で行ったやろって。
うん。乱事するから。
だったらトラックの停車は手錠かけられてんのかな?どうなるのなーって思いながら。
事故、自動車の事故だったらそこまであれなんじゃないですか。それこそ悪意があったわけではないというか。
法的な罪には問われるでしょうけど、逮捕とかって感じではないと思うんですよね。
何より彼は自分は巻き込まれたとしか思ってないから、この空白っていう話の登場人物としてはもうあれ以上出してもしょうがない人物なんですよね。
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彼が罪に問われるかどうかっていうのはこの話の意味的に必要がないっていうことだとは思うんですよね。やっぱり。
その罪悪感を感じてしまう人だけはこの話の中心になれるっていう。
結構なんか私、古田新と元奥さんの2人の対比というか、父と母のそれぞれの娘に対する関わり方というか、古田新は結構ギリギリまで娘が万引きなんてするはずないって思うじゃないですか。
でもお母さんの方は、いやしてたかもしれないよって結構最初から言うじゃないですか。
それってすごく、たとえそういう間違いや罪を犯しても、あなたのことを愛してるっていう存在であるっていうのがすごく、
私個人的にも結構父と母に対する感覚が結構似てるというか、母の方がそういうふうに見てくれてるだろうなっていう思いが結構あるので、
その違いはどっちももちろん方法が違うだけなんですけど、その違いはちょっと面白いなと思いながら見てましたね。
娘としては、お父さんに対しては自分が間違ったことをやったら受け入れてもらえないんじゃないかっていう部分もあったから逃げたんだろうなっていう。
そうですね。古田新の添田の家紋に対する思いっていうのもちょっと僕はうまくつかみきれなくて、基本的に興味はなかったと思うんですよね。事故になるまでは。
事故になって娘のことを興味を持ったというか、関心を持ったと。その関心が何なのかなっていうのがちょっとうまくつかみきれなくて、
単に自分の娘が悪かったって思いたくないだけなのか、娘の名誉回復をしてあげようと思ってああいうことをやっているのか、
あるいは娘が殺された父親っていう自分が許せないから自分が被害者になるっていうことが許せないっていうプライドなのかとか、
結構父親像としてうまくつかめない人物像だったんですよね、僕的に。
そのプライドの塊なのか、実は娘に対する思いがあったのかっていうのがちょっと僕うまくキャッチできなかったですね。
たぶんですけど、たぶんそのキャラクター自身もつかめてないんじゃないかなっていう気がするんですよね。
それはそうですね。
たぶん自分もわかってないような気がしてて。
真っ逆とおりと話すときのあの感じも、なんかようやくそれらしき答えはつかめたけど、やっぱまだ自分の中で整理はついてないなみたいな感じの人だったので、
たぶん今言った3つぐらいのことは、たぶんその要素が合わさって異常なぐらいの怒りを駆り立ててたんじゃないかなという気はするんですけど。
母親の方に透明のマニキュアをしてたっていうことを知らされて、そこからの動揺からいかにこうしろうとするかっていうのを迷いというか矛盾ないのを、自分の中のもどかしさがまず以下になっちゃった。
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透明の化粧をしてたっていうのが、そこからのこう変えからの、そこから素直になれないとかのああいう行動。
そう考えたら結構複雑なキャラですね。
何もかもわからないからもう当たるしかない、当たり散らすしかないでしょうねっていうのだと思うんですよね。
娘さんをなくしたっていうのはやっぱ辛いことなので、ちょっと一概に悪くもないよねみたいな感じに見えるようにはなってるというか、
でもあの人、そもそも嫌なやつだなと思ってましたけど、関わりたくはないなっていうのはずっと思いましたけど。
もっとモンスターにできたとは思うんですよ。
共感性がほぼないように見えるような怪物で、もっと口下手の人物像でもよかったかなと思って。
結構この添田っていうキャラクターが自己言及するの上手なんですよね。
古と新た自体の演技の饒舌さ、優弁さも手伝って、めちゃくちゃ自分のことを説明するの上手な人間なんですよ。
この人、わりと他人と分かり合うの上手なんじゃないかなっていうふうに見えて。
自分を説明するのめっちゃ上手なんです、この人。
言い方が。
ただ怒鳴り散らすだけみたいな人間に描くこともできたと思うんですよね。
本物の輩ってそれなんですよ。
ただ怒鳴り散らすだけなんですよね。
自分のことも説明しないんですよ。
当然相手もわかってるみたいな振る舞いをしますからね。
わかるわけないのに、そういう人って。
押し付けることが戦略として生き方に染み付いてる人っていて、
自分が攻めれるとこになったら、もう理屈じゃなくて、もう押したらいいだけと思ってる人っているんですよね。
でもそういう人物像ではなかったなと思って。
どっちかというと、ちゃんと自分のことを説明しないと相手に伝わらないと思ってるような言い回しの人だったと思うんですよ。
言う時に、特に藤原季節の若者と話しする時とか、結構上手に喋ってたんですよね。
なんか僕が考えてる、こういう粗暴で無骨な輩みたいな人物像って、
ああいう自己言及の上手さってない人だと僕は思ってるので、
そこはあえてやったのか、そうなっちゃったのかちょっとわかんないなと思ったんですけど。
そうですね。
なかなか心を開ける人が少ない人だなとは思うんですよね。
そういう自己言及ができる人って、心を開いてないと多分できない人なんじゃないかなというか、
いざ誰かと知らない人と喋る時に、ある程度自分を開示するというか、
会話する意思がありますよみたいなのを示す必要があると思うんですけど、
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多分それをする幅みたいなのが狭いというか、
本当に心許せるような人じゃないとちゃんと話さないみたいな感じっていうんですかね、
ああいうのって。ちょっとまた違うかな。
この添田はイラギのあるキャラクターだなって思いながら見てました。
途中から娘のことを知ろうとして、絵を描いたりとか漫画読んだりとかするじゃないですか。
あそこはすごく共感できたんですよね。
私母、互いしてるんですけど、その時に自分ってお母さんっていう人間のお母さんっていう側面しか知らなかったなってすごい思ったんですよね。
その人がどういう人生を生きてきて、ここでどう思ってとか、
誰かにとったら友達で、誰かにとっては元恋人でっていうようなことを想像ができてなくて、
その時に初めてそれに気づいたんですよね。
私もその後しばらくトルコ原宿と同じような行動をとった時期があったんで、すごく分かりましたね、あそこは。
今更ながらに家族って一番分かってるって思ってる相手だけど何も分かってなかったよなって思った時に、
それを知りたいって思う気持ち、でもどうやって知ったらいいか分からへんから同じことをしてみようとか、
っていうのは結構あそこは共感できる描写だったなと思いました。
だからめっちゃ泣きました。
なるほどね。
自分と重ねて見てしまうところってあると泣けちゃいますよね。
絵が下手な時点で泣けてくるんですよね。
そこから押し込まれてるわけじゃないですか、そこから。
あれはどんだけベタでも泣いてしまいますね。
なるほどな。こんなとこですかね。
なかなかやっぱり語るのが難しいですよね、正直。
何が良くて何が悪いのかっていうのがやっぱりすごく曖昧なものをちゃんと言葉で説明するって本当に難しいなって今回改めて思ったし、難しいな。
とりあえず飛び出すのは良くないっていう。
あそこからは見えないんやっていうことは学んでほしい。
やっぱね、視覚がありますからねっていう。
物事の善悪とは別に危ないことをしてはいけないっていう、それだけは確か。
ちょっと僕はじめにも言いましたけど、すごく飲み込めた話ではなかったんですよね。
なんかあんまり好きじゃない波長で作られてる映画だなと思ったんですけど、話すことで補完できたなと思いました。
なんか話すことですごくまとまりのある映画として飲み込めましたね。
なんかみんな誰かに許してもらえないと自分を許せないんだなって。
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私も誰かに許してほしいですね、こんな人間であることを。
はい、じゃあそんな感じで終わっておきましょうか。
次回は映画の話したすぎる場当日にデューン砂の惑星の話を対面収録する感じで。
その次特に決めてないんですけど何かあります?後で決めますか?
後でもいいんですけど、私の次の週ワクチン打つんですよ。
あ、そうか。
だからもし何か見れる、まあまあでも金曜日とかもあるんで早めに決めてもらえたら何とか見れるかも。
上がりのこいつワクチン打ちます。
え、じゃあ次回のリモート収録の時お二人グロッキーの可能性があるってことですか?
あ、違います。私の次回の次回です。
あ、そういうことか。
だからデューンの次の週が。
ちょっと怪しいというか、お題の映画が見に行けないかもしれないし、収録もちょっと厳しいかもしれないってことになるかもしれない。
水曜やったら大丈夫だと思いますね。水曜までにはちょっと。
あれなんですけど、私これいつも入るときにこの収録に最初エンジンかかるまでめちゃめちゃかかってもそうですけど、すごい適当に喋ってるんですけど、マリオンさんとかの喋りが上手すぎて。
いや上手くないよ。上手くないですよ。
どうしたらそんなコメント出てくるんですかって思いながら。
分析力が高い。
多分一回ツイートしてるからだと思うんですけどね。感想に書いてるからそれ読むっていうか。
もうちょっとざっくり整理して読むってことしてるから最初言ってるのがあるからかなと思うんですけどね。
咀嚼してる。肌に落ちてるから。
そうそうそうです。
じゃあデューンの次は今決めといた方が見やすいんですよね。
私デューンの時でも全然気に入ってます。
その時にしましょうか。
とりあえず次回はデューンで。
ではお知らせになります。
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映画の話したすぎるバーは次10月16日開催なんですけれども
おそらくこの配信間に合わないのでちょっと詳細は省いておきます。
それでは映画の話したすぎるラジオ第30回空白の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。