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今日のテーマトークは、市子です。はい、では、大井さん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより、僕たちは変わらない朝を迎える、名前、などの戸田昭博監督が、自身の主催する劇団チーズシアターの旗揚げ公演として上演した舞台、
川部市子のために、を杉咲花を主演に迎えて映画化した人間ドラマ。川部市子は、3年間一緒に暮らした恋人、長谷川よしのりからプロポーズを受けるが、
その翌日、突然と姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の前に、市子を探しているという刑事、後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。
市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼馴染、高校時代の同級生など、彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。
やがて長谷川は、部屋の中で一枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れるが、過酷な境遇に翻弄されて生きてきた市子を杉咲花が熱演し、彼女の行方を追う恋人、長谷川を街の上で、愛に稲妻の若部隆也が演じる。
はい、では内容を触れる話、入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
ではあさりの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、まず杉咲花の演技はめちゃくちゃすごかったですね。元から演技が達者な方だとは知ってましたし、思ってはいましたけど、
これは間違いなく代表作と言っていいような映画になっているんじゃないかなというふうには思いますね、本当に。ベストアクトというか、というふうには思いました。
ただ、あんまり僕作品はよくわかんねえなっていう印象でしたかね、正直。
なんというか、やりたいことがよくわかんないというか、僕は読み取れてないだけなのかもしれないんですけど、
あんまり印象に残らない作品だなっていうのが結構正直な感想ですかね。
最近この手のテーマすごく多いと思うんですよ、ほうが。それ自体はすごくいいと思うんですけど、そこに問題意識がみんなを向かっているんだろうなっていうことはすごくいいと思うんですけど、
じゃあその先行する作品より何か引い出てるかっていうと別にそうでもないなーぐらいの感じにもちょっと見えちゃうし、
かといってこのイチコというキャラクターのよくわかんなさ、まあよくわかんないってあることがこの映画にとっては正解ではあるんでしょうけど、
そのよくわかんなさがなんかそもそもなんか彼女を取り巻くキャラクターの行動の意味不明さによって紐づけられてねえかとかっていうのもすごく気になりましたし、
なんかあんまりそのイチコの人となりっていうのをきちんとなんかあんまり僕は感じ取れなかったですね。
すごく力作なのはわかるんですけど、ちょっと僕はあんまりピンとこない作品でした。
はい、大井さんいかがでした?
僕多分前回の感想の中で少しだけ述べてると思うんですけど、まあ杉崎花さんの演技はマリアンさんもおっしゃる通りすごく見応えがあったし、
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実際見終わった後しばらくこうちょっと立てないぐらい衝撃みたいなものはあったんですけど、やっぱ後々振り返ってみるとあれいいのかみたいなところがどんどんどんどん引っかかってきてしまって、
もちろんそのある種のノワールとしてのジャンル、ノワールなんと思うんですよ、ジャンルとしては。
その日本でのその厳しい社会を描いたノワールというか、その中で生きてく、まあある種ファムファタルとしての女性イチコだと思うんですけど、
なんかその境遇ファムファタルにしていいのかなというところだったりとか、
あるいはその今作、まあ割とこの映画の感想をSNS等で見ててもネタバレがすごく厳禁なタイプの作品かなっていうふうにも思うんですけど、
そのいわゆるネタになっているところがちょっと自分的にはそれ消費していいかっていうところでもあったし、
かつそのまあそれをまあ100歩いってネタとして描いてもいい気もするんですけど、
なんか他の類作と比較したときにあまりにも線引きが甘い気がして、
そこは明確に非だなっていうふうに僕は思ったので、演技自体はすごくいいし、映画のまあ僕テイスト自体も割とダークな感じは好きなんですけど、
単純に物語として、現代いろんな類作がある中でこれを出すっていうのはちょっと甘えてないかなって思っちゃったっていうのが本音ですね。
なるほど、僕はですね、あんまりシビアには本作を見てないかなとは思います。
逆にそこまで到達度が高い映画にもあんまり感じてなくって、特にその社会的なテーマをあんまり描いている作品とは思ってない。
大井さんがおっしゃった通り僕はジャンル映画かなと思ってて、ノワールとかピカレスクロマンって呼ばれるような、
ある種の悪人が活躍する物語として見てたんですよ。本作、邦画の文脈の中でも近年でも連想される映画って結構あると思うんですよね。
例えば探すを思い出した人いるんじゃないかなと思うんですけど、ある男を思い出した人いるんじゃないかなとか、
罪の声を思い出した人いるんじゃないかなとか思ったんですけど、僕が思い出したのはもっとゴリゴリのジャンル映画で、
今年の映画で言うと、パールとエスターファーストキルを思い出したんですよ。
僕はもうそうやって見ました。
それでいいかなと思って、テーマとかがしっかりあるっぽく見える映画でも、そこのテーマの詰めがなんか甘いと感じたら、
ジャンル映画として楽しんでもいいかなって思って、むしろジャンル映画のためにテーマの詰め甘いんじゃないかなっていう風にさえ思ったというか、
そうじゃないとやっぱりそんなに丁寧とは思わないんですよね。そういう社会的な部分の描き方自体は。
06:04
あくまでツールでしかないというか、彼女がそういうことをする理由付け、設定と言ってもいいかもしれないですけどね。
僕は設定として見たし、言うほど彼女に謎が残っているようにも思ってなくて、
割と描かれた中で大体どういう人間かわかる気はするなぁと思いましたけどね。
それでいいかなって今のところ思ってます。
じゃあお便りを紹介させていただきます。今回も結構多くてですね、ちょっと必要に応じて端折らせていただくかもしれないです。
はい、では1通目、フリッパーさんからいただきました。
店長の皆さんこんにちは、フリッパーです。
いちこ見てきました。面白かったのですが、いろいろ乗り切れなかったです。
作品を通じて社会問題を描いているのかな?
ただ、社会問題を描くというより、いちこを描くために社会問題を使ったと言いましょうか。
社会問題を伏線回収のために使っているように感じる見せ方が、私的にはそれほど上手とは思えなかったです。
何も知らない素人がこんなこと言ってすみません。
一番残念なのは、本当に大事なところはほとんどの場面でセリフで説明しちゃってるなぁって感じました。
長谷川がいちこの母を訪ねた母の回想シーンだけは、映像で親子2人の罪を描いていて良かったです。
最後の長谷川とのイチャイチャ回想については、真相を知った上で見るとウルッとなりましたが、私は観客には見せるべきではないと思いました。
いちこの人間性を考える余地がなくなるというか、中途半端ですが、感想を書き出すと止まらなくなるのでこの辺で。
最後に今年1年お疲れ様でした。
当番組を知ってさらなる楽しい映画体験ができるようになっています。
来年もバー開催時には少しの時間でもできるだけ都合をつけて伺おうかと思うのでよろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
結構僕の感想に近いと思うんですけど、
いちこうが置かれてる社会的な状況って本当に背景とか設定的に僕も感じて、
描きたいのはそこから先なんじゃないかなと思ったんですよ。
で、いちこと長谷川とのイチャイチャ回想の部分も、僕もそんなにいいかなと思ったというか、
あんまり謎がどうこうって映画でもないんじゃないかなって思って、
割と説明的なまでの映画に僕は感じたんですよね。
ミステリーみたいなネタバレみたいなのって、
そんなに実はこうでしたみたいな驚きって、
まあそうですかぐらいのふうにしか正直ならなかったですし、
だから正直あんまりジャンルものとしてもパテみたいな感じでもちょっと思ったりもしたし、
で、さっきのフリッパさんのお世話にもありましたけど、
社会的なテーマを描いた作品なのかなって思ったら、
そこまで描き込みとしていいのかみたいなところも引っかかっちゃうし、
みたいなのがちょっとノイズには僕はちょっと感じてて、
09:00
なんかこの映画のことよくわかんないなっていうふうにちょっとなってたんですよね、確かに。
なんか果たして、まさにそのパールってさっき累作として山口さんもそういうのすごいわかるんですけど、
なんかだとしたらやっぱりいちこの視点がというか、
いちこが主人公じゃないのがすごい僕は違和感があるんですよ、この作品において。
あくまでその外部から彼女をどう見たかっていう話になっていくんだけど、
結局彼女の過去を探っても別に彼女は彼女なんですよ、いちこはいちこなんですよ、何も多面的ではない。
もちろんそのセリフの意味合いとかっていうのは知れば変わる部分はもちろんあるにはあるんですけど、
とはいえこのお話づくりのテイストをしてる旨味が何もないなと思って。
で、あるならばむしろいちこの視点にすごくフォーカスを当てる先のマエストロの話じゃないですけど、
引きではなくもっと寄りで見た方がこの映画多分いろいろ考えることがあるんじゃないかなって思うし、
そっちの方が例えば社会問題を描くにしても、あるいはジャンル的に描くにしても、
どちらでももう少し面白く料理できるんじゃないかなっていうのもちょっとあったりもしました。
自分の個人的な感想というか、こうするんじゃないかなっていうアイデアですけど。
なるほどね。
それに関しては、これも僕なりの意見でしかないんですけど、
多分やりたいことを詰め込んだらこうなったって感じなんじゃないかなと思って、
その謎っぽい感じを出したいですっていう、ノワールっぽい感じ出したいですっていう、
その人間って誰かのことわかってないんですよねみたいな、いろんなテイストを足していったら、
結構よくわかんない感じの質感の映画になってたんじゃないかなとは思うんですよ。
イチコが別に多面的じゃないっていうのは、それはおっしゃる通りで、
むしろイチコの主観として考えてるであろうことって、
大体一本筋が通ってる感じはあると思うんですよ。
むしろ周りがわかってなさすぎただけだと思うんです。
うん、それは本当にそうですね。
そうか。
で、僕本作見終わった後に、
Xで次回これですっていうテーマの告知するじゃないですか。
はいはいはいはい。
その時にね、初めて本作のポスターアート見たんですよ。
うん、はい。
で、そこに書いてたのが、
全ては生き抜くためにってキャッチコピー書いてるんですよね。
うん。
むしろあの…
その通りや。
そう、あの、彼女が何を考えてるかってこれが一番ネタバレなんですよ。
確かに。
その通りのことを言ってた。
彼女が戸籍ないとかどうとかっていうより、これが一番のネタバレ。
その彼女が考えてることは別に空白でもなんでもなく、ポスターでネタバレしてるんですよ。
それ見てびっくりして、え?大丈夫なのこれって思って。
12:03
あー確かに。
でもそれで見たら、もうめちゃくちゃわかりやすい映画なんですよ。
それの上で見たら。
うん、なるほどね。
それこそエスター・ファーストキルですよ。
まあ確かに確かに。
だから全然その見方したら難しくはない。
というか、その周りが彼女を難しいと勝手に思ってしまっているっていう話やと思うんですよね。
なるほどなるほど。
そのズレこそある意味この映画の本質の気はするんですよね。
うんうん。
なんかイチコってそんなんじゃなくない?みたいなのを、
みんなが思っているみたいな状態がこの映画の中に入ってるから、
なんか悪い勘やってんなーって気は外せんでもないなと思って。
あーなるほど。
その設定というか物語の外枠だと僕らは思ってたんですけど、
僕とかマリアさんはきっと思ってたんですけど、
実はその外枠を作る状態こそが、なんていうか、本作から言いたいことというか。
うんうん、なるほどね。
あー。
このポスター踏まえて見てたら、
たぶんこの映画の感想めちゃくちゃ変わると思うんですよ、本当に。
うんうんうん。
だってもう答え合わせされてる状態じゃないですか。
そうですね。
そしたらめちゃくちゃ彼女の行動原理って一本筋が通ってると思います、本当に。
うん、それは確かにそうですね。
まあ確かに、そうしたら結構、
あーなんかこの映画すごいわかりやすく見えるなっていうのはわかりますね。
まあそれが劇中でわかるかどうかは別ですよ、本当に。
まあ、うん、なんか、じゃあその、
ずれた見方をしているイチコの周りの人間の描き方って、
だいぶアホっぽく描かれてたなみたいなふうに思う人いますけどね。
うん、まあ一人めちゃめちゃ、うん。
そう、ね、まあその後にしましょうか。
うん、後にしましょう。
あいつマジで何がしたかったのかよくわかんないやつがいて、本当にノイズだったんですけど。
いや、僕彼の話したくてしょうがなくて。
ちょっと、ちょっと僕も謎でしかないので、なんかちょっと答えがあるのでぜひ聞かせていただきたいですね。
はい、では次のお便り行きましょうか。
はい、えーっと、りょうじいさんからです。
店長メンバーの皆さんお疲れ様です。いつも楽しく配置をしております。
僕は作品冒頭とマツビーのイチコが歌う花歌をどう解釈するかに絞って考えてみました。
それがイチコという作品テーマの根幹に関わることだと思ったからです。
無戸籍寺であるイチコは、社会的には存在しない狭間の世界に生きている女性です。
劇中で語られるイチコの幼少時のエピソードは、どれも彼女がいわゆる人間社会の善悪の理とは違うところで生きていることを描いていると捉えました。
そこで僕の頭に浮かんだのがザリガニの鳴くところという映画です。
この作品も、人間社会の法律や倫理ではなく、自分を育ててくれた自然の説に従って生きる女性の物語でした。
この2つの物語の2人の主人公の境遇をほぼ同じと考えると、イチコが僕らとは異なる価値基準で生きていることが飲み込みやすくなります。
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そんなイチコも、人間社会の中で束の間の幸せを与えてくれたパートナーに渡された婚姻届を見てポロポロと涙を流します。
そこに含まれる様々な感情の中には、今の社会で普通に生きることという夢との欠別があったのではないでしょうか。
そのアパートから失踪後にネットで知り合った女性の身分を手に入れたと思われるイチコの心情は、
おそらく僕らが想像するような悲しみや罪悪感はあったとしても希薄で、
むしろこれからの人生の期待から来る気持ちの高揚があり、あの花歌はその現れなのではないかという解釈に至りました。
ちなみに、あの花歌は同様の虹という曲であることを映画仲間が教えてくれました。
歌詞が映画とリンクする内容で、鑑賞後に聞くと胸にしみるものがあります。
店長メンバーの皆さんのお考えを聞かせいただけると幸いです。
はい、お便り読ませていただいたんですけど、
両次さん、この後もう一通、改定版というか内容のお便りいただいてたんですけど、
ちょっと長くなってしまうので、最初の方だけ読ませていただきました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
あの、ザリガニの鳴くところをあげてるのめちゃくちゃ面白いなと思ったんですけど、
確かにそうだなっていう、ザリガニの鳴くところの主人公も社会からはみ出した存在で、
まぁ社会から削除されそうな存在ではあったんですけど、
まぁ最終的にあの、若葉竜也と出会えたとこで終わる話って言ってもいいかもしれないですけどね、ザリガニの鳴くところは。
まぁそうですね、結局逃げなかったって感じのね、いちこが。
逃げなかったらああいう風になってたかもしれないねっていうイラストかもしれないし、
あと似たようなのと僕は、いちこ見てて思い出したのって僕、ゴーンガールとかも見てて思い出しましたけどね。
あー、なるほど、はい。
むしろなんかね、夫視点で見たら、なんかそういう話っぽくも見えるしな、
若葉竜也視点で見たらゴーンガール見たら最初っぽいなとか思ったりとかしましたし、
妻のね、感じとかも、まぁマインドはそっくりかな、みたいな風にはちょっと思いましたけどね。
あー、なるほどね、はいはいはいはい。
そうですね、まぁいちこが普通を求めてたのは、多分それはそうなんだろうなと思いつつ、
彼女のずれてる部分というか、
まぁなんかちょっとそこがスリリングな作品だったのかなとは思うんですけども、
はい、じゃあまぁ次のお便りいきましょうかね。
ちびくろさんから頂きました。
しかし最後いちこはどうやってきみくんを車に乗せて海に落としたんでしょうか?
18:01
説得して?脅して?女性2人って力づくで?
見た人の数だけラストの解釈があるような気がします。
見た後、人の感想を聞きたくなる映画でした。
皆さんの感想を教えて頂ければ嬉しいです。
では次のお便りいきましょう。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっと面白いお便りだなと思ったんですけど、
お涙頂戴にもホラーにも寄せられたのにしなかったっていうのって、
さっき僕たちが話してたような、
この本作が言おうとしていることのスタンスが明確じゃないっていう部分かなと思うんですよね。
もっとジャンルっぽくもなったし、もっとテーマに寄せた話もできたけど、
なってないっていう。
それをあえてとしてみるというか、
その曖昧さみたいなものを魅力として捉えることもできるのかなとは思うんですよね。
あと、ありがちな女優対愛というのは塗り場がないっていうのも確かにそうやなと思って、
いちくんの立場って、もっと性暴力とかにさらされててもおかしくないはずっていうか、
まあ、それの返りみたいなのはあったけど、直接的にそのシーンがないのって、
すげえよかったなと思って。
あの、対当たりの演技っていう言葉で、よくない撮影するじゃないですか。
あの、なんていうか、そういうのがなかったというか、
そこでそのシーンがあったら、
ほんまに、いちこのその立場が搾取されてる感が半端なかったと思うんですけど、
そのシーンがないのは僕よかったなと思いますね、確かに。
なんか、もう、ド直球でいちこが搾取されてるシーンってそんなにないから、
まあ、あの、背景にはありますよ、もちろん。
あの、建物の中に入った後、良くないことを起きるんだろうなみたいなシーンはありましたけど、
やっぱ、そのものが意外とないっていうのは、
まあ、それはそれで、ある種の線引きとしてはいいんじゃないかなとは思いました。
まあそうですね、最近の映画はだんだんそういう方向に舵を切っているような気がしていたので、
いちこという先に関わらず。
なのでまあ、結構当然かなあぐらいに思ってましたね、正直なんか。
ああ、なるほど、そっかそっか。
そのこと自体で、なんかまだ僕、そういうふうに濡れ葉として押して、
タイヤ代で脱いでもらうみたいなのがないとかいうのをなんか、まあありがたがあるじゃないですけど、
もうそれはもう当然なものぐらいに思いませんかって思っているので、
僕はあんまそこにこう、まあそっかぐらいにしか思ってなかったんですけど。
なるほどなるほど。
あと、まあラストの、2人車に乗って海に沈んでたっていうシーンで、
本当の人の方は、もともと自殺するためにいちこと連絡を取ってたっていうのはありましたけど、
21:04
キタ君ですよね、彼。
いやもう、はあでしょ、いやイチコ以上にわからんわって思ってましたよ。
なんでお前死んだんだよみたいな。
本作で一番ヤバいの、僕は彼やと思ってるんですよ。
まあ、オシャレだと思ってますよね。
意味がわからん。
意味がわからなかったです、あれ。
なんですかあれは。
彼、めちゃめちゃヤバいと思うんですよね、本当に。
まず、彼から見たイチコが、わかりやすくハム・ハタールだと思うんですよね。
彼の目線から見たら、本作はハム・ハタール足りえてると思うんですけど、
その、ハム・ハタールに振り回される男というか、
暴走しすぎて、むしろイチコを振り回す側にちょっとなってるから。
本当にこのキャラクターのことが最後までよくわからないせいで、
都合よく退場させられたキャラクターにしか思えないぐらいよくわからなかったんですよね、正直。
そこまでやる必要ある?みたいな、というか。
というのが終始、つきまとうというか。
あと、死にたい自殺願望のある女性とかも、
すっげえサラーッと出てきて、サラーッと消えていきますけど、
ああいうあたりもすごい、雑みたいな感じがすごい感じがしちゃって、
なんかそこも嫌だなっていうふうにすごい思いましたけど。
ああ、まあそれ確かにそうかも。
それそうかもしれない。そうだわ。
まあ、もうちょっとジャンルに振り切った見方をしたとしても、
あまりにもそれためだけ用のキャラクターにしか見えないなって思っちゃいますね。
なるほどな、確かにな、それは。
例えば、探すとかだったら、自殺願望の人、あっちにも出てきますけど、
結構あの人キャラ濃いんですよね。そうなんですよ。
だから単に殺されるようじゃないぞっていう、
そこにどうしても溢れ出してしまうパーソナリティがあって、
それが結構あのシーン面白いんですよね。
面白いって言うと言葉語弊あるかもしれないけど、
あの物語の奥行きになってるんですよね、あそこが。
そうですよね、簡単に割り切れないじゃないですかっていうのを、
すごく身を挺してというか、分からせてくれるような存在だと思うんですよね。
ある種、主人公、佐藤二郎との一種共犯関係の関係性になってくわたるとかも、
やっぱり面白いところですし、
やっぱり両親の過酌みたいなところもその過程で描かれていく。
トイレのシーンとか僕すごい印象深いんですけど、探すは。
そういう奥行きに確かに今作のあの子はあんまなってないというか、
ほんと突然それを当てはめられたピースのようにその役を果たして去っていくっていう。
24:00
それはちょっと雑じゃないですか、みたいな感じもするし、
そういう存在を持っていちこのちょっと分からなさみたいなのを表現するのも、
上手くねえなって感じですかね、というふうにはすごく思っちゃいましたね。
なるほど、それはそうかもしれないなとは思いつつ、
僕割と本作早めに舵切り替えちゃったんですよね。
見るためのスイッチを、モードを変えて、
そういうあんまり人間の日だとか描く話じゃないのかなっていうふうに結構早めに思ったので、
だから人間描写もあんまり決め細かくなくてもそれはそうというか、
いちこがそもそも他者をそんなに決め細かく見てないっていうのがあると思うんですよ。
北くんのこととか本当にどうでもいいと思ってたと思うんですよね。
むしろ絡んできてウザいっていうのがまずありきだと思うから。
本当に都合のいいやつだと思ってたと思いますけどね、本当ね。
その他者に対する決めの粗さみたいなのがもういちこの世界観そのものなんじゃないかなと思ったら、
割と僕許容はできたって言ってもいいかもしれないですね。
だから僕は割と本当にいちこの主観としてあの世界を捉えてるんだなっていうのを今喋りながら思いました本当に。
うん、そうですね。
もうちょっとね、そこを切り替えしてたらね、もうちょっと正しく見れたかな。
なんか僕多分切り替えたとしてもその視点に対する何か拒否反応の方が強いかもしれないです。
ああね、それはそうかもしれない。
あと北くんの話、一回なんか読み込めなさすぎてちょっと…
いやまあそうそうそう。
無理ですもんね、なんか。
無理というか、それそう描き込みをされてないキャラクターなので、
語っても意味わかんねえなでしかならないなって思うので正直。
まあその程度のやつなんだろうなっていう描き方ですよね、多分ね。
ああそうか、そういうことか。
いやあのね、彼のヒーロー願望ってめちゃめちゃその、
まあ言葉正しくないけどイケてない男子のそれ感すごいじゃないですか。
僕が女の子を救うんだっていう。
マインド的にはね、もうこれも言いたくないけどちょっと世界系入ってるじゃないですか。
うん、入ってますね。
で、ああそういうキャラだなって思って見てて、
まあそれがどんどん暴走していくなっていう風に極端なキャラだなって見てたけど、
今喋ってて思ったけど彼の解像度めっちゃ低い気しますわ、そう考えたら。
いきなりヒーローとか言い出すから、
いやなんかその、僕はそっち側のマインドに入りかねない人間って自覚があるから、
うわあこいつ怖ええと思いながら見てたんですけど、
むしろその乗っけて欲しかったんですよ。
ライドさせて欲しかったというか。
まあそうですよね。
いや、確かにもう僕じゃないとイチコ救えないかもって、
27:01
僕しかいないんだっていうのに乗っかりたかったかなっていう。
で、乗っかった後、ああやっぱこれに乗っかる自分ってやべえ奴なんだなって思いたかったというか、
早々に彼をやべえ奴として切り離しちゃったんですよね、自分から。
それもったいなかったなあと思って、もうちょっと決め細かいですよ、人間。
いやそうだと思います、確かに。
だんだんわかってきた、二人のスタンスが。
確かに気付いた。
スタンスは、僕よりも大石さんの方がそこ鮮明だと思いますけど、
僕もフワッとしてますからね。
そこら辺でなんかガヤって思ってるだけなので。
はい、まあじゃあとりあえず次のお便りいきましょうか。
はい、では最後のお便り。
シュワージと希望さんからいただきました。
店長メンバーの皆様こんにちは。
いちこ、すごい話題ですね。
まず思ったのは、カメラがうるさいなと。
動きすぎて運動神経の悪さを露呈していました。
手持ちカメラですごく近くから被写体を映しずっと揺れ続けていて、悪い映画ひどかったです。
極論ですが、映画とはカメラをどこに置くかで決まるものです。
手持ち撮影のメソッドといえばドグマ95が有名で、
そのようなある種のセンセーショナルさを売りにした作品だと思うのですが、
運動を捉えるべきカメラが誰より何より動きまくる。
これは本末転倒と言えるでしょう。
若葉竜也の原付けが去っていく姿を、
後ろからぐちゃぐちゃに揺れながら映しているのは意味がわかりませんでした。
シナリオに関しても、被写体を摂取している上に極端にかき割り的な背景事情と、
ウキョウさんのいない相棒みたいなミステリー展開に都合の良さを感じました。
抱きしめてあげたいですね。
そんな答えしか持ち合わせていないから、いちこは姿を消したのでは?
ありがとうございます。
まずカメラは僕も見にくいなと思いました。
グラグラグラーって揺れるシーン。
あんまり僕あれ好きじゃなくて、
あれってカメラが持っている人が撮影をしているっていう体じゃないと、
僕はあんまりやってほしくない表現で。
カメラを意識しちゃいますよね。
これはカメラですって言っちゃうっていうことじゃないですか。
映画ってそういうメタを含んでない以上は、
基本的にカメラって神の視点ですよ。
神の視点はグラグラと揺れないっていうのが僕の考えとしてあるので、
そこで揺れるっていうのは、
動揺とかを示すというより単に、
そんなに上手に感じないっていうのは僕もそう思います。
そっか、そんな…
あんまり印象に残ってなかったので、
そうやったっけっていう感じがあるんですけど正直。
あんまり手持ちやった…
ちょっと僕がイチコを見る前にマエストラとか見てるから、
そっちで頭いっぱいだったのもあるんで、
あんまり覚えてない部分は聞いてないんですけどね。
ほんと申し訳ないんですけど。
なるほど。
あんまりハシゴはやりすぎると良くないなって思いますね、ほんとね。
30:03
ウキョウさんのいない相棒って、
だいぶ面白い例えやなと思ったんですけど。
そうですね。
でも結構的を置いてるなとも思いましたけど。
めちゃくちゃ的を置いてると思って、
ちょっと笑えそうになりましたけど。
そうですね、なんかめちゃめちゃわかりますね、その感じ。
だから1時間ドラマとかにしたら、
めちゃめちゃ収まり良い話だったかもしれないですね。
わかります。
かつこのある種社会問題的なテーマの扱い方も、
1時間ドラマだったら許せるなって感じが、
ちょっと自分の中にあるかもですね。
なるほど、はいはいはい。
そうですね、あと追っかけるのが、
ウキョウさんって相当安心感のあれというか。
そうそうそう、確かに。
安心感あると同時に、
どうしようもないものはどうしようもないなって、
割り切る人でもあるイメージがあって。
で、そこに過剰な感情移入をしないっていうイメージがあるんですよね、ウキョウさんって。
で、その突き放す感じが、
ある種テーマに合ってるのかなと思って。
そうですね、なんかいいですね。
相棒のワンエピソードとしてこれあったら、
結構面白そうやなって思いました。
確かにな、ありそうだもんな、こういう人。
ありそう、すごくありそう。
あと抱きしめてあげたいですねは、
僕もだいぶ幼いセリフやなって思いました。
あれだけの事情を把握した上で、
それかっていうのは僕も思って。
しかも言ってる相手、キタ君でしょ、言ってたの。
あー、そうそう、そうですね。
当てつけじゃないですか、それ。
そうですよね、確かに。
あー、そっか。
当てつけに聞こえる。
いや、もう恋の冴え当てじゃんと思って、あそこのあのセリフ。
そうですね、元彼と今彼のマウント合戦みたいな感じになって。
キタ君側はそのルールで動いていい側の人間なんですよ。
そういう人間として描写されてるから。
でも、和川龍也の側はそういう次元を超えたシンパシーを
いちこに抱いてるんじゃないかなと思って。
抱きしめるなのかなって。
その抱きしめるって、要は寂しかったんでしょって
示してあげるってことでしょ。
それ多分、確かに一番言われたくない気がするなと思って。
いや、なんか確かに消えるかもって思いました、この二人を読んで。
そうですね、なんかその解像度で彼女のことを知った上で、
まあ、そう何ができるかというと難しい問いですけど。
そう、何もできないかもしれないですけど。
そうですね、そこがね、ありますね。
何もできないかもしれないけどっていうのが答えなんじゃないかなっていう。
何もできないかもしれないけど、
それでもから先は言えないんじゃないかなと思って。
33:01
だって自分はいちこのこと分かってなかったし、
まだ分かってないかもしれないっていう恐怖があるって良いのではないかと思って。
そうですね。
なんか、いや、めちゃめちゃ幼いなって思ったんですよな、あのセリフ。
なんかすごく。
しかも結構物語において、
本当、もう終わりなんだってところで、彼の最後のシーンが終わりますけど。
なんかやっぱ、それこそ類作の探すであれば、まさに娘、
佐藤二郎の娘さんがまさに若葉竜也的なポジションだと思うんですけど、
探すはやっぱり最後、すごいキレがいいのはしっかり線引きするんですよね、物語の中での善悪に対して。
それをしかも追ってきた、真実を知った彼女がやるっていうことに意味がある。
で、本作も、なんかやるなら若葉竜也はそれを絶対しなきゃいけないわけじゃないけど、
でもそれに近い、ある種の線引きをする役目だったんじゃないかなってちょっと僕は思っておいて。
そうですね。
だから、彼女の罪を追っかける役でも良かったかもしれないですよね。
殺人を繰り返しててみたいな、ちょっとだいぶ極端な話になってくるけど、
それを止めに行くというか、そもそも妹さんを手にかけてはいるわけだし、
そうですね。
例えばそれ、あそこでイチコに会ってどうすんだよって言われて、
ああまあ、ごめんなさい、まただ。時系列ずれてたわ、ごめんなさい。
だから、彼女を止めに行くんだでも、ちょっとだいぶジャンル映画になりますけどね。
もちろんだいぶジャンルですけどね、そろそろと。
まあ、どうかな、そこまで分かりやすい作品にしなくてもいいのかな。
まあ、確かにそれは線引きとして分かりやすすぎるかもしれないですけど、
でもなんか、彼におそらく物語上割り当てられた役割が結局果たされずに終わった感が僕はちょっとあったんで。
うん、確かになんか、ふわーっていなくなったなみたいな感じする物語からみたいな感じは印象としては確かに受けて、
結局イチコという彼女の物語でしたみたいな感じで、ちゃんと終わるっていう感じは、
結局どのスタンスでこの話が進んでたんでしたっけみたいな気持ちには確かになりますよね。
いやだから、最初からイチコの視点の話として見ないと、多分飲み込みづらすぎるのかなと思って。
だから、若葉竜也も思い出の1ページでしかなくなるわけじゃないですか。
そうですね。
で、今のイチコにとってもうそんなに価値があるものでもなくなってる、そういう時代もあったよねって思い出すことはあるけど、
でも彼女の史上明大は生き抜くことだから、それにはかまってられないわけですよね、彼女は。
だからあんまり比重がないというか、結局イチコと彼の人生ってイチコが消えてから1回も交わってないですからね。
36:03
そうですね。
だからイチコは、ああまあ、あの頃は良かったなって思い出してただけなんですよね、この話上は。
あとは全部過去を思い出してただけで。
だから、なんかラスターのエモーションって本当にイチコの視点なのかなというか、そんなに思ってるかあいつのことっていう。
ああ、まあそうも見えるか、そうですね。
そうか、だからさっきのお便りであった、あそこの思い出入れなくても良かったんじゃね、になるわけですね。
なるほど、そこは空白でも良かったかもしれない、確かに。
あれを幸せ、彼女にとっての幸せな時間と定義することは、むしろ彼女の考えとは多分別な気がして、
なんか作り手が取ってつけた感じがすごいするなーって思いながら、なんか見ちゃいましたね。
あそこであの回想が、幸せな日々の回想が挟まることで感じた感触は、いわゆるサイコパス的な感じのキャラクターであることを印象付けられたんですよね。
自分にとって価値のない人間は本当にどうでもいいんです。
ただ、よくしてくれる人との絆はめちゃめちゃ強く感じてるんですっていう、そういう明確な線引きがある人間性描写として、
いわゆるサイコパス的な人間なんだなっていう印象が強まったんですよね、あそこで。
なるほど、なるほど。
あの頃は良かったなーって思い出してる肌で、興味ない人間と昔のウザい知り合いを海に落としてるわけじゃないですか、彼女。
そうですね。
とんでもない奴ですよ、本当に。
確かに、そう、確かにね。
そういう人間として描いてると思ったので、いやもう、エスターやんって思い浮かびてたんだな、本当に。
うん、じゃあ振り切ってほしかったな、それやるんだなみたいな気持ちになるけどなっていう、なんか。
まあじゃあお便りこれで取っておきましょうか。
はい。
はい、じゃあまあ我々から話し出していこうかと思うんですけども、
大井さんがどうしても引っかかってる部分、もうちょっと割り下げてみたいかなと思うんですけど、どうでしょうか。
そうですね、まあ端的に言うと、まあある種その山口さんが設定として、あるいは背景として置いた部分だと思っている。
僕はそこが、なんか、うーんとこの言い方はすごく失礼ですけど、あえて言いますけど浅はかだなと思ったんですよ。
うんうんうん。
例えばイチコって、まあ社会的に言うと多分ワードで言うなら、ヤングケアラーっていうポジションではあると。
かつその妹が当時は難病してされてなかった病気としていると。
ゆえに彼女の家族がその貧困にあえていくという話になっているっていうのが、まあ後々わかってくるわけですけど。
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うんうん。
うーんと、結局その妹の描写っていうのがまあネタとして使われている分、ほとんどないんですよね。
うんうんうん。
で、妹との生活というか、妹と彼女がどういう関係性だったのかっていうのが一切描かれない。
うんうんうん。
で、描かれない状態で突然殺人のシーン、妹殺害するシーンだけが出てくるっていう。
うん。
もちろんそれは物語の性質上というか、今回のストーリーテリングの性質上、外から見てる話なので、そうなってしまうっていうのは非常にわかるんですが。
うん。
その描き込みが一切ない状態で突然現れて、突然いなくなるためだけの妹。
うん。
そしてそのまあ、障害を持っている方というかをこう出してきて、で、この問題も触れてますよ、いちこはヤングケアラーでしたみたいな感じで、さらっと触れてますよ感出してくるのがちょっと腹立つなと思って。
うんうんうん。
あー、なるほど。
なるほどね。
あの、彼女たちの背景、要は当事者的な背景が一切描かれない状態で、
うん。
ネタとして、要はそういう状態あるよねっていう、なんか本当に知ってますみたいな感じで出して扱って、なんかすごいこう、なんていうかな、社会発揮どりだなって思っちゃったんですよ、すごく。
うん。
で、なんか。
なるほど。
うん、やっぱりその現状として結構僕、一緒にラジオやってる土屋さんは結構ヤングケアラー実際当事者の方とも会ったりしてるっていう、で結構そういう人のままならない人生というかどうしたらいいんだろうっていうような悩みみたいなものをいろいろ聞いてるっていう趣旨もあるし、
うん。
あと実際ちょうどいちこ見に行った次の日ぐらいに、
うん。
障害者のリアルを語るゼビっていうところにちょっと顔を出したっていうのもあって、
はいはい。
近日じゃないんですけど、ALSを持たれてる方のトークとかをいろいろ聞いたっていうのもあって、やっぱそこの解像度の浅さがやっぱムカついてきたというか、
はいはいはい。
どうしてもやっぱり僕は完全に僕の目線ですけど、当事者の方々の声とかいろいろなものを間接的では聞いている立場である以上、なんかこれをゼとは言えんなっていう結構明確な立場ができちゃって、
うんうんうん。
なんか本当にそこの背景も描かないまま突然出していなくなってもらう存在、あるいは彼らを苦しめていた存在としてそういうふうにすると出すのはやっぱちょっとなしだな自分の中ではっていうのがすごい思ったと。
うんうんうん。
いうところがありますかね。
うんうんうん。
なるほど。
確かに本当にその妹とのそのやりとりというかそのこれまでどういう二人が関係性だったのかって確かに全くなかったですよね。
うん。
この映画の中において。もう出てきた時にはもうはい、もう辛いので殺しちゃいましたみたいなシーンだけでしか確かに出てこなかったので、
確かにうん、そのイチコに関わる人物が希薄であるっていうのは僕はそのキタ君に対してめちゃくちゃそのうんって言ってましたけど、
もっとそのキタ君以上にもその妹の存在ってもっと描かなきゃいけないことだなってすごく思うので、
なんかそこも確かに希薄だったなって思うと、ああ、なんか差もありなんだなこの映画っていう感じがすごくしてしまいましたね、聞いてると。
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うーん、なるほど。
僕の愛の意見なんですけど、詳しく描いたら誠実になるかって言われてもそうじゃない気はしてて。
うんうんうんうん。
特にこの題材を。
うん。
多分どう描いても面白がるために登場してるっていうのは一緒だと思うんですよ。
うんうんうんうん。
で、そこが描写が鮮明になったらそれがいいのかって言われると、なんかそうでもない気がするんですよね。
うんうんうんうん。
で、むしろそこはあんまり触れないことにしてたんだなと思って、で、それは本当に設定だけのものとしてやってると思うんです、僕も。
うん。
いちこがヤンガケアラーで戸籍がなくてっていう、その複雑な事情を実現するために難病の妹がいてて、その妹の戸籍を借りてたと。
で、その妹のケアをしてたっていう、いちこの人生の複雑さを描くための存在だと思うんです。
僕もそう思います。
うんうん。
でもそこを詳しく描いても、多分誠実にはならないんですよね、多分。
おっしゃるとおりだと思うんです。
この話では。
だったら、あんまり描いてないっていうのは、僕はそれが正解とまでは言えないですけど、ありなんじゃないかなって気はしたんですよね、今聞いてる限りだと。
あと、この映画に妹との関係が全く描かれてないってことはなくて、あの家族4人で撮ってる写真にはそれはあるとは思うんです、僕は。
で、あの写真を見て、母親が幸せだった時期もあったのよって言ってるんですけど、僕はそれで十分だと思ってて。
なるほどなるほど。
家族っていうものは、僕はそれで十分変わられてると僕は思ってるんです。
うんうん。
で、僕はあそこちょっと泣いてたんですよ、あそこを見て。
ああ、なのにそうなっちゃったんやなっていうのはあったので、で、父親もああなっちゃってるし、お母さんも嫌探れてるし、いちこはああだし、妹もああなってしまったと。
まあそこは、逆にあの写真だけに収めたっていうのは、僕むしろ誠実な気もしたんですよね、そこは。
うんうんうんうん、なるほど。
細かくしても不誠実なものは不誠実やと思うので、だったらあのほとんど描かないっていうのは、まあこの題材の複雑さに対してありなんじゃないかなとは思います。
まああの、そもそも論の話にはなるんですけどね。
そうなんですよね。
じゃあそもそもこの題材でなければっていう話にはなるんですけど。
うん。
結構そうですね、いやおっしゃる通りで、たぶん細かく描いた、あるいはそれを詳細に描いたとしても誠実にはならないっていうのはおっしゃる通りだと思うんですよ。
もう設定がこうである以上、それをさせるためのやっぱり、だからさっきの自殺願望のある女性と同じですよね、いちこにそういう行為をさせるための妹であり、
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で、もちろんそれの背景として十分な家族の愛は描かれてはいるんだけど、でも結局それを深掘りしたって同じようなことしかないからじゃあ浅く描くっていうところは確かにおっしゃる通りだなっていうふうにも思いました。
まあやっぱとはいえそうだな、やっぱそもそも論なんだと思います、僕の場合は。
そうですね、この題材を選んだ時点で描き方どうこうではなくなってるっていうのはあるかもしれないですね。
もちろん事実としてそういう境遇の方がいらっしゃるし、全然いる可能性はあるというか、でもなんかその人に向けては描かれてない気もするしなみたいなことを思ったり。
どちらにしてもいちこのことをすごい消費的に描いてる気がしちゃうんですよね、どうしても。
いちこだったりいちこの家族のことを、しいてはそういう状況にある人のことを。
そこがやっぱ自分なりの言葉にするとちょっと許せないなーってなっちゃうというか。
なるほど、聞いてて思うこと、あと本作を見てから僕ずっと思ってたことだったんですけど、ジャンル映画とそうじゃない映画の境界線ってどこなんだろうなって思ってたんですよね。
僕は本作を早々にジャンル映画として見出したんで、楽しんでるんです、あんまり突っ込んでないんですよ。
でもやっぱりこの題材だとちゃんとしてほしいっていう思いもあるんですよね。
でも僕はそこに目をつぶってたわけです、見てる間。
特にそのジャンル映画、ノワールとかあとホラーとかもそうなんですけど、悪事を重ねる人って不幸な事情がありますよねっていうのが物語の話の説得力として存在しているわけじゃないですか。
はい。
例えば、ジャンル映画の一つの例として13日の金曜日をあげたら、
ジェイソンはそもそもキャンプ場に来た若者にいじめられて殺された子供なわけですよね。
めちゃめちゃ不幸なわけですけど、でも彼の境遇に別に同情はしないわけじゃないですか、13日の金曜日を見てて。
なぜならそれは13日の金曜日がジャンル映画であるっていう地位をもう得てるからだと思うんですけど、
そこに至るまでにその境界線ってどこにあるのかなって思うんです。
僕はジャンル映画とそうじゃない映画を線引きをめちゃめちゃ明確にして、これはジャンル映画なんだって、これはそうじゃない映画なんだって、割り切り切るのは好きじゃないんですよ。
ただ、ジャンル映画的に見るっていうスタンスもあるし、そうじゃない映画として見るってスタンスは自分の中で使い分けてるっていうのもあるんですけど、
ただ、例えば娯楽映画に社会性入れ込むのやめてくれやみたいな意見には僕はノーだと思ってるし、逆にその文芸的な映画を面白がるのもいいじゃんって思ってるんです。
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だから、100、0に振ってないぐらいな感じなんですね、僕は。70と30には振るけど、100、0には振らないって感じなんですけど、本作って何なんだろうと思って、そこで。
不幸な境遇な人がモンスターになってもいいわけですよ、ジャンル映画だったら。
で、この難しい題材を描くときにテーマに対して誠実に描きましょうってなって、モンスターを描いてはいけないってなったら、完全にジャンル的な要素を切り落としたことになると思うんですよね。
それって何なんかなって思って。僕がイチコの中のジャンル映画性を許容できてることと、大井さんがイチコをジャンル的な見方を許容しない。
そもそもジャンル映画なんて見方は大井さんはなさってないと思うんですけど、じゃあ多分どっちの見方の方が変って言ったらあれですけど、あえてねじって見てるのは僕の方だと思うんですけど、ただ、なんかその線ってどこなんかなっていうのがわかんなくて見ててね。
そのどこから本来モンスターじゃなかった、現実ではモンスターじゃない人のはずがモンスターになるんかなと思って、映画の中で。
一つ考えられるところとしては、リアリズムから超越するかどうかかなっていう気はしていて、例えばパールがすごい良い例かなと思うんですけど、パールもある種お父さんが障害を持っていて、ヤングケアラーっていう側面が確かあったかなというふうに記憶している。
パールはやっぱり超越するんですよ、ラストに向けて。あるいは最初から彼女の悪性みたいなものも描かれてるし、あるいは前作のXにおいて彼女のおばあちゃん、パールおばあちゃんの物語だよっていうふうにも言われているから、なんかすごいジャンル映画として見てくださいねっていうお膳立てがめちゃくちゃ整ってるなと思うんですよね。
で、そのお膳立てがある上で、やっぱり彼女の行動っていうのは定期を一致するじゃないですか。それに対してイチコって定期を一致する行動はあんまカメラのところで出てこないんですよね。全部リアリズムの中に収まっている。
それってすごくジャンル映画的な読み取りづらさではあると思っていて、例えば殺し方がちょっと猟奇的であったりとか、あるいはちょっと画的な、カメラ的な演出で若干そういうシーンで幻想みたいな形に見せたりとかっていうふうにしてもいい。
あるいは彼女の目にはそう映っていたかもしれないんですけど、でもこの映画は周りの人の目なのであくまで他者の目から彼女を見てリアリズムを持って彼女の姿を見ているわけですよ。っていう意味ですごくジャンルとして読み込みづらい。
やっぱジャンルとして秘薬みたいなものを生むのは主観性なのかなって気はするというか。でもパールで言うならパールの主観ですよねとにかく。そこにどんどんどんどんのめり込まされる。絶対この人正しくないんだけど、でもカメラと演出のせいでどんどんどんどん彼女の人生に自分が重ねなっていく。
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その何か楽しさというか、そこにちょっと違いがあるのかなっていう気がして。やっぱ本作はカメラが離れすぎてるような気がするんですよね、いちこに対して。ジャンル的にもしやるんだったらもっと近づいてもよかったと思うっていう。
そうですね。僕も基本的にそうだと思うんです。ただ今日はちょっとそれを疑ってみたい気分。だからカメラの距離で人間の善悪が決まるっていうことを肯定する発想のわけじゃないですか、それって。
だからそうですね、それこそ冒頭にマリオさんが言った、マエストロとターンの比較でもそうですよね。 そうですよね。
例えば僕、エスターとかパールは本作見ててめちゃくちゃ思い出してたんですよ。自分の生存、あるいは自分のやりたいことのために自分にとって害のある、あるいは自分が興味ない人間を殺していいって思ってる人の話として、やっぱりエスターとかパールが極端だから楽しめるんですよ。
じゃあ極端じゃなければ楽しめない、じゃあ極端なら楽しんでいいって言ってるのって何なんだろうっていうのをちょっと考えてたんですよね。その境界線って別に明確に引かれてるわけじゃないですよね。そのやり方とか見方でその線を引いてるんだなと思って。
確かに。そうか。干渉側の態度みたいなものでそれが変わり得るってことですよね、まさに。 楊 それ完全にターンの時のやり方と一緒というか、見ていろんな見方してくださいねって言って、そのほとんど見方違うことによってさらに圧力が生まれてっていうのを誘発する?みたいな感じ?
ああ、なんかそれを目指してたのかって言われたら、ああそうかって気持ち今なんかなりましたけど。 楊 わかんないですよ、この映画が目指したかどうかは。
わかんないですけど、僕は中途半端というか何がしたいのかよくわかんない映画だったんですけど、なんかそういうのでターンとかそういう一種の鏡みたいな映画というかを目指していたのだとしたら、まあちょっと言わんとすることはわかるけど、別に面白くはないなっていうことですかね。
それが別になんかめっちゃキレがいいわけでも特にないと思ってたし、探すとかもある男とかと比べてもストーリーテリーが結構平板だなって正直思っていたので、まあ単純にお便りもありましたけど、本当になんか都合のいいミステリーだなみたいな感じっていうのは確かにその通りだなっていうのはあったので、
まあ目指しているものが例えそうであれ別にまあ面白くはなかったっていうことですかね、僕の中で。まあちょっと正直ここ話す前にはなんかあんまりこの映画のことがよくわかんないというか、何がしたいのかよくわかんない映画だったので何だったんだろうって思ってたんですけど、なんかちょっと自分の中ではなんかあ、まあそっか、そもそもこうかっていうのが結構答えとしてはなんか自分の中では出たかなって話していく中でっていうのはすごくありましたね。
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そうですね、あのターの名前を出していただいて僕の中でもちょっと明確になってきた気がするんですけど、結構ターの評価ってめちゃくちゃ分かれてて、すごいターのこと足玉に言ってる人をネット上で見たことがあったんですよ。何が面白いのかわかんないと、でまあそういう政治性みたいなテーマ性みたいなのを織り込んで全くエンタメ性がなくてどこがいい映画なんだみたいなめちゃめちゃ厳しい意見を見たことがあって、
それに対して僕どこがええとこんなすげえ映画想像ないだろうがと思ってたんですけど、でもそれは僕はあの映画を見るための手がかりを持ってたからなんですよね。それは例えばキャンセルカルチャーであるとかハルスメントであるとかそういう文脈で見れるんだなっていうのを僕は材料を持ってたから、
それで見たら、なるほどそういう多面性、一人のターっていう音楽家の多面性を見る視点によって変わるんだなっていう、その見る視点が何かっていうのはカードは僕は持ってたわけですよ。ハルスメント視点で見たらこうなんだなって、キャンセルカルチャーで見たらこうなんだなみたいなのを持ってたから僕はターのことを解釈できたんですけど、
たぶん本作イチコはそのカードがあんまりない作品なんじゃないかなと思って。だからジャンル映画にもなりきれてないし、そういう解釈する映画にもなりきれてない。それは見る側のカードが当てられてないからだと思うんですよ。
たとえば、ヤングキャラとか無戸籍の人の問題とかって、それはずっとある問題だと思うんですけど、たぶんその映画業界の中で別にメインのストリームではない題材だと思うんですよ。だからちょっとつかみにくいっていうのもあったし、まあターはもともとアカデミー賞とかの話もあって、ある程度どういう話かっていうのはつかみやすかったっていうのもあるんですけど、
イチコはやっぱりそのあたりすごく不明瞭な話だから、ジャンル的に楽しむカードも十分に作中で与えられないし、解釈するためのカードも別にこっちが持ってない状態で見るっていうところがすごく難しかったんだろうなと思って。でもそれってこっちが持ってるカードの問題でしかないのではなっていう気持ちはあるんですよね。だからこっち側の持ってる情報のカードが変わったらイチコを解釈できる可能性はあるよなと思って。
イチコが解釈できない作品みたいにちょっと言っちゃってますけど、なんて言ったらいいのかな。そんなにめちゃめちゃずれてないんじゃないかなって気はしてるんです。ごめんなさい、伝わってます?
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言わんとすることはわかるんですけど、楽しめるカードがなかったっていうことに関してですけど、でもそういった、僕冒頭にも言ったと思うんですけど、結構似たようなテーマの絵が最近多いですよねって話したと思うんですよね。だから別に揃ってないわけじゃないと思うんですよ。
確かに揃ってないパターンもあると思うんですけど、全くちょっとわからんかったわみたいなのもあると思うんですけど、今回のイチコに関してそれはあまりなくないですかっていう気はまずしますけど。もうめちゃくちゃわかってますよっていうことは言いませんけど、結構似たようなテーマを扱ってる映画とか、結構触れてませんかっていう、最近多くないですかっていうのはみんな感じていたはずなので。
だから楽しめない、楽しめなかったっていうか、楽しむカードがなかったっていうのはちょっと違うかな、今回に関してはっていうことはしますけどね。
そうですね。だから楽しむカードがなかったというか、なんだろうな。
個人的に思うことは、カードは多分持っていると思っていて、わかんないですけど、これはおそらく鑑賞のタイミングであったり、その人の映画これまでどのくらい見てきているか等々のいろんなことに依存するので、人によるとは思うんですけど、ただ少なくとも僕個人、あるいはマリオンさんが感じた上でカードを持っていると仮定した場合ですけど、多分どのカードの切り口でこの映画を見てもあまり深いところがないっていうところがすごく難しいところなのかなって思って。
ジャンルのカードで切ったとしてもちょっと半端やなってなるし、あるいは社会問題のカードで切ったとしてもちょっとこの切り口だと甘くない?踏み込み甘くないかな?あるいは大丈夫かなっていうところがあったりとか、もちろん全体としてすごくバランスとしてどちらにもいかないってことは多分意識して作られてるなっていうのは思うんですけど、ジャンルにもいかないし、社会問題にもいかないしっていう、いちこのことを描きたいんだっていう。
おそらく監督はその一点に絞ってやりたいんだろうなと思うんですけど、逆に僕らが持ってるカードのせいでこの映画を楽しめなくなってる可能性もあるのかなっていう。
そうですね、それはそうですね。
ごめんなさい、僕も言いたいことをどんどん横滑りして言っちゃったんですけど、映画の絶対的な評価というか、映画の出来みたいなものってめちゃめちゃ曖昧で、僕たちは持ってるカードで判断してますよねっていうのは分かっておきたいなと思って。
ただそのどのカードを切ったらいいかっていうのが、やっぱりこのいちこって作品は不明瞭だと思うんですよね。どのカードを切って楽しんでくださいっていうのはやっぱりちゃんと示してない作品だと思うので、もし本作の出来不出来があるとしたら多分そこかなと思うんですよ。
どういうカードを切って楽しんでくださいっていうのが不明瞭っていうところ。そうなったら、じゃあもう大石さんだったらこの社会的テーマの描き方が好ましくないですっていうカードをやっぱり切ってみてしまうわけじゃないですか。
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僕はそういうある種のノワール的なカードを切ってみようとしたわけですよね。
すごくスタンスが曖昧な作品だったんで、そういうことをめちゃめちゃ考えちゃいました。映画見終わった後も、今話してても。じゃあどこに話が着地するってわけでもないんですけど、こういうよくわかんない映画もたまにはいいかなとは思ったんですけど。
でもやっぱり逆にお互いの中でもありましたけど、話してみてその見方の違いみたいなものを楽しむというか、お互いのカードの手札の違いというか、それを楽しむ作品は映画の後の感想回ありきでもあるのかなっていうのもちょっと思ったりもして。
それはそうかもしれないですね。確かに確かに。
まさにターンの回もめちゃくちゃしんどかった。僕が初めて参加っていうのを言いましたけど、めちゃしんどいけど、でも話してみたことで、ターンの多面性って結構明らかになってきたじゃないですか。
もちろんそこと比較するっていうのは難しいんですけど、よくできてない、あるいはダメだなって思ったらどこがダメだったのかって話すことで多分より深まっていくものがあるだろうし。
多分それがある意味この映画に対する一番鑑賞者としての誠実な立場なのかもなっていうのはだんだん僕は思えてきてます。
本作を一つ明確な側面がある映画として定義付けるとしたら、杉崎花映画だと思うんですよ。
それは間違いない。
そうですね。唯一はそこだけははっきりわかるんですよね。
いろいろ不明瞭で整理されてない材料がごてごてと道筋立たないままくっついてる感じなんだけど、それを成り立たせてるのは杉崎花緑。
そうなんですよね。
これなかったら本当に結構この作品のことよくわかんなかったって結構はもっと足様に言っていたかもしれないっていうレベルだと思いますね。
実はそこをこそ評価の中心にすべきだったのかもしれないなと思って。
でも多分結構マリオさんも評価の中心だったと思いますよ。
そこじゃない部分の話をあまりに長くしすぎたかなと思って。
それはそう。
まあまあ、でもどうしてもそれは触れざるを得ないと思ったからっていうのはありますけどね。
演技がいいのはもういいじゃんってもうわかってるからさ、もう見るからにっていう。
じゃあちょっともうちょっとその以外の話しましょうっていうのが今回だと思う。
逆にそれだけそのバラバラなというか題材の下でそれを一本の映画にまとめ上げる彼女だけがそこを背負ったっていう意味では、なんかイチコなのでは?って思いましたけど。
そうですね。
いやすごいなぁ。
1:03:00
いやすごいですよ本当に。
すごかった。
すごい。
いやそう、もっとそこを僕肯定すべきだった今日。
確かに。
時間が来てしまったけど。
本当です。
もっとそこを中心に褒めるべきだったなって。
いやあの僕結構楽しんだんですよ。
だからまあそれをやってる意味ではまあまあ良かったんじゃないかなとは思いました。
実際このまあ説明がない分セリフの一つ一つの重さみたいなのはすぎすぎ話すげえなって思いましたね。
特にあの神社で着物見て可愛い着物っていうシーンでいろんなものがあるじゃないですか、あの一言とかよく出るなぁと思って。
いいですね。あそこ良かった本当に。
あれはすごく良かった。あの一言で全部出たすげえなと思いました。
はいまあちょっと時間なんで。
いやなんかこの感じ久しぶりやなって思いました。
そうですね。
そうですね。
はいじゃあまあそんな感じで一行の話は終わっておこうかなと思います。
次回トークトゥーミーでいいんですかねこれは。
うん。
そうかそうか。
はい。
行きましょうトークトゥーミー。
トークトゥーミーで。
新年一発目がトークトゥーミー回になるんですよね。
そうかそうなってしまうのか。
なるほど。
しょうがないですよね。
パーフェクトデイツとかもありますし、ファーストカーとかもありますけども、我々はトークトゥーミーで。
トークトゥーミーでいい?
地味に祭りですよね。
そうなんですよ。
そうなんですよね。まあまあ結局ホラーで。
はい行きましょう。
ではお知らせになります。
映画の発車すぎれば次回は1月27日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊回り、19時オープン、23時クローズです。
またこの番組ではお二人を募集しております。番組全体は次回テーマに向けてご自由にお送りくださいませ。
最新情報は番組次回テーマはXにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第147回、いちこの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。