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2025-04-09 1:06:02

第206回(2)『BETTER MAN ベター・マン』俺ってほんと偉大なショーマン、人生丸ごとエンタメにしちゃうぜ!

BETTER MAN ベター・マン』の話をしました。

ロビー・ウィリアムズの日本での知名度についてや、監督の過去作「グレイテスト・ショーマン」との比較、ビジュアルが猿になっていることの意味などについて話しています。

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サマリー

ポッドキャスト第206回では、映画『BETTER MAN』について深い考察が行われており、ロビー・ウィリアムズの波乱万丈な人生がミュージカル映画として描かれています。映画は、彼のエンターテイナーとしての自己認識や、名声と苦悩の間での葛藤を探求し、特に彼の楽曲とダンスシーンが作品を彩る要素として挙げられています。 『ベター・マン』では、ロビー・ウィリアムズのエンターテインメントとしての魅力が描かれ、彼の人生とキャリアを通じて、エンターテイメントの本質が問い直されます。作品はミュージカル特有の時間圧縮を用いて、感情や深いメッセージを観客に伝える手法が素晴らしいと評価されています。 ポッドキャストでは、ショーマンシップの裏側や人生の苦悩を描いた作品『BETTER MAN ベター・マン』について語られており、主人公ロビー・ウィリアムスの父との複雑な関係や夢の追求がテーマとして取り上げられています。エンターテインメントの本質に迫る内容です。 このエピソードでは、映画『BETTER MAN ベター・マン』を通じて、音楽の普遍性と個人の体験について探求されており、彼の音楽の背後にある努力や未知の苦悩も語られ、成功の裏側に潜む影を感じさせます。 ポッドキャストでは、映画『BETTER MAN ベター・マン』を題材に、エンターテイメントと個人の人生の交差点が探求されており、本作の歌や演出に触れながらアイデンティティや自己表現についての考察が行われています。このエピソードでは、映画『BETTER MAN ベター・マン』に関連する議論や、エンターテイメントの魅力が語られています。

映画の概要と主題
今日のテーマトークは、BETTER MANです。 はい、ではマリオンさん、解説をお願いできますでしょうか。
はい、映画.comより解説を読ませていただきます。 グレイティストショーマンのマイケル・グレイシー監督が、イギリスの世界的ポップ歌手
ロビー・ウィリアムズの波乱に満ちた人生を、斬新な映像表現でミュージカル映画化。 主人公ロビー・ウィリアムズを猿の姿で表現するという奇想天外なアイデアと幻想的な世界観
そして圧巻のミュージカルシーンでダイナミックに描き出す。 イギリス北部の町に生まれ、祖母の大きな愛に包まれながら育ったロビー・ウィリアムズ。
1990年代初頭に、ボーイズグループTake Thatのメンバーとしてデビューし、ポップスターの道を駆け上がっていく。 グループ脱退後もソロアーティストとして活躍し、イギリスのポップ界を代表する存在へと成長。
しかしその裏には名声と成功がもたらす大きな試練が立ちはだかっていた。 グレイテスト・ショーマンのアシュレイ・ウォーレンが振り付けを担当。
本作のために制作された楽曲Forbidden Roadをはじめ、ウィリアムズの名曲の数々が物語を彩る。
2025年第97回アカデミー賞で資格効果賞にノミネート。
はい、では内容に触れる話に入っていきますのでネタバレ気にされる方がいたら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、ではあさりの感想、マリオンさんいかがでしたでしょうか。
そうですね、先に死者で見たっていう話をオープニングの時に話はしたので、そこからめっちゃ大きく感想が変わっているということはないんですけど。
あの時ちょっと僕、なんでこれ猿でやってるのかな、みたいな。 猿の姿でやってるのかな、みたいな時に言ってた時に。
エンターテイネーターとしての自分、見せ物としてやってますよか、としての猿っていうのと、
あと一種の疎外観みたいなっていうふうに言ったんですけど、もうちょっとなんか疎外観という言葉よりもなんというか、
自己肯定感の低い自分としての猿だったんだなっていうのをちょっと今改めて思ったっていうのはありますかね。
自分なんて才能のない人間なんだっていうのをずっと抱えたまま、ずっと抱えたままでもどんどんスターダムにはなっていくみたいな。
そのなんかギャップみたいなのにどんどんなんかプレッシャーみたいに耐えかねてどんどん、ちょっとだいぶドラッグ、アルコールに溺れていきみたいな感じだったのかなーっていうのはちょっと改めて見ながら思ったりはちょっとしましたかね。
そんな彼の反省を結構ミュージカル描写圧倒的だったかなと思ってて、特にやっぱもうテイクザットで売れてきますよあたりの本当に疑似ワンカット的なシーンの盛り上がりとか凄まじいなぁと思いましたし、
結構もうバンバンなんというか、音楽込みで時代の流れ的にも飛躍どんどんしていきながら、でも彼の節目節目というのはしっかり描いていくみたいなのが結構徹底されてて、
なんか本当に見てて、まさに見せ物ですよって彼は本当に冒頭言いますけど、本当にそれにもうまんまと乗ってしまうみたいなところはすごいありましたね。
あとラスト結構いいなぁと僕は思ってるんですけど、いや本当にマイウェイでしたねっていうことで、良かったじゃないですかみたいな、っていうふうにやっぱちょっと思いましたね。
僕本当に、グレイティスト・ショーマンよりも断然ベターバンの方が好きだなっていう同じ監督だったっていう感じがご案しました。
はい大井さんいかがでしょうか。 正直予告と思ってた映画、予告から連想する思っていた映画とはだいぶ違う印象だなっていう感じを受けました。
予告からだとなんて言うんでしょうね、それこそボヒミアン・ラプソディみたいな、売れていってその中でも苦悩したり何か自分の悩みを抱えたり、もちろんそういう映画ではあるんですけど、
なんかより個人の話になっているというか、よりもう自意識の話になっていて、だから猿なんだねっていうことも含めてめちゃくちゃそのアプローチとやり方が一致してるというか、
いい映画じゃんっていう感じを素直に受けました。 アイアン・クロウとかも連想したなっていう、親との関係であったりとか、
あるいは表の自分と内面の自分とのギャップであったりとか、っていうところはすごいアイアン・クロウとか、あとジュディ・虹のカナダにとかもすごい連想した作品かなっていうのはすごい見てて思いましたね。
で、これ制作にロビー・ウィリアムズが結構本人として入ってるし、何なら途中から演じてるわけですよね、サロンの中に入って。
よく自分の人生ここまで棚卸しできるなって正直思って。 棚卸し。
だって、もっと多分複雑さというか、ここは割り切らないって多分思ってるところって自分の人生の中であったりするじゃないですか。
でもここまで物語として、しかも結構内面さらけ出して、物語化して映画にしてるわけじゃないですか。しかもそれ自分が演じてるっていう状態。
割とすげーなと思うんですよ。お前どこまでエンターテイナーなんだよってちょっと思っちゃって、自分の人生そこまでコンテンツ化できちゃっていいのかよって思うぐらいには。
で、しかもラストってちょっとだけ現実を改変してるんですよね。
そうなんですよ。ラストをとある人と一緒に歌うシーンがあるわけですけど、そこは現実ではそうじゃないけど、そうしてるらしいんですよ。
そうなんだ。らしいです、どうやら。そうなのか。でもそんな写真なかった?
時系列でいうと、その後に実際に和解するんだけど、あのライブがあった時には和解できてなかったらしいんですよ。
へー、すごーい。そうなんだ。
それをこう編集というか脚色して出してるところが、自分だったらできないって思って。
そこも含めてちょっとロビー・ウィリアムズという人自体のことをこの映画を通じて好きになってしまったというか。
そんな映画だなって僕すごい思いました。
表現とテーマの比較
なるほどな、なるほどな。
僕はですね、結構良かったです。
僕は本作の外観から察せられる、この映画見たらこういう感情を摂取できるだろうなっていうものは、
おおよそ期待通りに摂取できる映画なんじゃないかなっていうふうには思いました。
で、なんでサルなのかなっていうところで、
自分は人とは違うっていう劣等感とかもあるし、同時にだからこそ俺はスゲェんだって思いたいっていう、
人とは違うって思いたいっていう感情も含まれてそうだなとか、
あるいはまあ俺は見せ物でしかねえよっていう、
そういう自意識の現れとか、まあそういうものの現れなのかなっていうふうに出て、
結構まあその明暗入り混じった強烈な自意識の話だなぁと思いながら見てたんですけど、
そこで本作見る前の予告で、セッションのリマスターの予告が入ってたんですよ。
はいはいはい。
そのセッションとちょっと僕見ながら頭の中で比較しちゃって、その予告があったばかりに。
はいはいはい。
で、どっちも自我が強烈な話だけど、
その徹底して人からどう見られるかっていうベターマンと、
人からどう見られるのか関係ねえっていうところに自我が置かれてるセッションっていう違いがちょっと面白いなっていう、
同じ小別の世界の話のはずなのに。
ああ確かに。
自我にも2種類だなって思って。
っていうのが面白いなと思ってちょっと比較してたりしたんですけど、
あとあの、さっき大石さんの話聞いてて思ったんですけど、
本当に俺はエンターテイナーなんだっていうのが強烈に表れた映画だったなぁとは思ったんですよね。
監督の過去作で、グレイテストショーマンありますけど、
この番組でも昔行ったことあると思うんですけど、グレイテストショーマン僕あんま好きじゃないんですよ。
そのP.T.バーナムはなんかもっとエグい人じゃないかなっていうのがあるので。
ただ、グレイテストショーマンってめちゃめちゃP.T.バーナム的な映画だと思ってて、
P.T.バーナムが現代にいたらこういう映画作るだろうなって思うんですよ。
今の人にはこういうのがウケるんですよねみたいな感じで、
自分の人生を作り変えてああいう映画平然と撮るだろうなって思ったんですよ。
だから僕はあのグレイテストショーマンってめちゃめちゃP.T.バーナム的な映画だなと思ってて、
そう思ったら本作もむちゃくちゃなんかっぽいというか、
ロビー・ウリアムズっていうエンターテイナーが自分の人生をエンターテインメントにするんだったらこうするぜっていう、
なんかそういうものとして見たらめちゃめちゃしっくりくるなと思って。
いやだってここで父親とお会いして歌を歌ってたら面白いでしょって。
もう人識パンパンで自分のことずっと猿に見えてたら面白いでしょって。
やりきれる人なんだなっていう、そこが結構興味深いなって思いましたね、大井さんの話聞いてて。
今日話して、より自分にとって興味深い映画になっていくかもしれないなって思ってます。
ちょっとその話に連想というか、どうやら僕もこれ調べたというか、ある人がいててそうなんだって思ったんですけど、
そのグレイテストショーマンのP.T.バーナムを描く際に、マイケル・ブレイジー監督がモデルにしたのがロビー・ウィリアムズらしいんですよ。
へー。
だからグレイテストショーマン撮影時に実際ロビー・ウィリアムズに来てもらって、P.T.バーナムを演じてるヒョージャックマンにどういうふうに演技をしてくれって演技指導を頼んだりしてたらしくて、
その時に話す時点がめちゃくちゃ面白いからこれ映画にしようよって企画になったらしいっていう。
やべー、P.T.バーナムだった。
そうなんですよ。
猫は一緒なんだなっていうことなんですね。
僕はあんま…僕もそのグレイテストショーマンは別に不運ぐらいなんですけど、正直。
めっちゃ好きでもないんですけど、猫は一緒だったんだなーっていうのを。
でもベタマンの方がめっちゃ好きなんだよ。
それは当人がやってるっていう面白さがあるなっていうのはあるのと、やっぱりそうか。
そうですね、それもだし、やっぱちょっとベタマンの方が性楽を合わせ持つ感じっていうのがあるかなとは思います。
踏み込めてるところまで踏み込んでる感じはやっぱりベタマンの方がありますよね。
そうですよね、そうですよね。
だってP.T.バーナム見せ物小屋やってたの、そこをめちゃめちゃおためこかしながら、
あのグレイテストショーマン。
そうなんだよな。
本当に皆さんにお楽しみいただけるように、まんべんなーく、そつなーくみたいな感じがして、
引っかかりがない、悪い意味でっていう、いいけどって。
引っかかりなくてよかったんだっけってすごい見ながら思えた。
って思うわけですよ、あれ。
もうちょっと引っかかっていい話だよね。
そう、引っかかりの塊みたいな人なのに引っかかりのない映画だから、それがもはや引っかかりの塊なんですよ。
なるほど、なるほど。
っていう映画だったので、グレイテストショーマンが。
そういう意味でやっぱベターマンは、結構ちゃんと引っかかりも持たせた上で、
めちゃくちゃミュージカルとして上げてくれるみたいな。
そう。
っていうところがやっぱすごいなと思います。
そうですね、本人やってるし本人演じてるし、もうここまで踏み込めさせていいんですか?っていいんですねっていうふうにマイケル・グレイシーが言ってる感じというか。
いいですよ、描けますからねっていう。
やるよっていう。
そうですね。
何か仕様のないところまで描いてるっちゃ描いてますからね。
そうですね。
そこがやっぱりすごいなと。
本当はもうちょっと不揚曲折あったと思うんですけど、こんな綺麗にまとまるわけないだろうみたいなのがあると思うんですけど。
エンターテインメントの本質
いやー、そうなんだよな。それを本人がやっちゃってるところがちょっと異次元すぎるなと思うんですけどね。
あとね、またグレイシー・テスト・ショーマンの悪口言っちゃうんですけど。
僕、グレイシー・テスト・ショーマンが。
好きな人あんまり聞いちゃいけない。
グレイシー・テスト・ショーマン好きな人本当ごめんなさいね。
ごめんなさい。
僕はそんなテンション高くて好きじゃない。
そんなテンション高くて好きっていう映画じゃないから。
グレイシー・テスト・ショーマンのあんま好きじゃないところが、その批評家が話に絡んできて。
あー。
それがずるいなって思うんですよ。
あー。
で、エンターテイメントは批評とかじゃないからみたいなのを作中で言及してる感じがなんか嫌だなっていう。
作品全体がエンターテイメントを俯瞰してる感じになってる構造が嫌だなっていうふうに思ってたんですよね。
もう楽しんでくださいねって細かいこと考えてくださいね。これはエンターテイメントなんでって言われるの嫌じゃないですか。
いやもう深く考えるかどうかはこっちが決めるわみたいな感じで思っちゃうんで僕は。
それが嫌だったんですけど、本作が嫌だ味がないのは、ロビー・ウィリアムス本人が俺はエンターテイナーだって言ってるだけだからだと思うんですよ。
エンターテイメントとは何かじゃなくて俺はエンターテイナーだって言ってるだけだから、せやなってなるっていう。
飲み込みやすいというか。
飲み込みやすい。やっぱ出だしのセリフがそうじゃないですか。俺はいろんなこと言われてるみたいな。ナルシス、ウヌボレアだ。
お前らの言ったように言っていいから。俺こういうもんだからみたいな始まり方するのがすごい潔いですよ。
確かにね、思い返してみるとグレディッド・ショーマンもショーが始まるみたいな歌から始まりますからね。
エンターテイナーを描こうとはしてるというか結局そこなんですけど、
そこにやっぱり本人じゃない、当日じゃない振り込み感の甘さがあったのに対してやっぱこっちは本人が言ってるし本人も演じてるから。
実感こもってやってますんで。
観客も知ってますからね。実際のロビン・ウィリアムズを知ってるから嘘はつけないじゃないですか。
何が嘘かっていうのを分かりながら見るから。
そこでとんでもないことはできないというか、嘘をついたところはあえてやってますっていう。
人生の圧縮
エンターテイメントなんでって分かりながら楽しめるけど、
P.T.バーガンはもうちょっと半分神話に踏み込んでるような人だから。
持ち上げて見ちゃうとこがあって、そこも持ち上げは危険なのではみたいな思いがあったんですよね。
それをしなくていい安心感みたいなのもあって。
マジで最後のマイウェイが嘘だったっていうのか、嘘だったって言われて、
全然嫌な気持ちにならないというか、むしろめっちゃいいガストだもんなみたいな。
ちゃんと積み重ねも上手いじゃないですか。
子供の頃に一緒に歌ってみたいなポーズまで含めて、手を上げるみたいなポーズとかが随所に効いてくるとこも含めて。
いいってなりましたよ。
P.T.あの歌が冒頭でしっかり二人が歌う歌であって、
その当時の歌詞はおそらくお父さんが重ねてる歌詞なんだけど、当時時点においてね。
最後は二人の人生の話になってるっていう。
いやー。
憎いねっていう。
マイウェイがいいじゃないっていう。
嫌って言いたくなる。
嫌って。
売り上げてやってこう。
あと僕見てて思い出したのが、シングを思い出してたんですよね。
イルミネーションのシングを思い出してて。
シングも、あれバスタームーン求めたP.T.バーナムじゃないですか。
シングの劇中の中でもバスタームーンだいぶヤバいやつ。
ヤバいやつ。
P.T.バーナムの写真見ると、マジでコアラみたいな顔してるんですよ。
あー。
とんでもない強烈で悪辣な人間だけど、喫水のエンターテイネーアーがとんでもないことを成し遂げるものじゃないですか。
どっちも。
あと、根っこに幼少期の現体験があるっていうところがあるなって思って。
ラストに、幼少期に見た風景をもっかい見るっていうのがクライマックスで待ってるんですよね。
シングも。
本作も、ベターマンも。
そのあたりの、クズのエンターテイナー者としての気持ちよく見れるラインを守ってる作品だなと思って。
この夢を見てしまったからクズになってでもやるしかねえみたいな。
皆さん分かりますよねっていう。
その観客を握れてる感じがある。
この夢を一度見てしまったら、もう突っ張るしかないですよね。
皆さんお分かりですよねっていう。
せやなって。
それはしょうがないかもしれない。
あんなものを見てしまったらって、ちょっと同調しながら見れるというか。
だから、あれもそうですよね。
風立ちぬとかもそうですよね。
あーそうそう。
オープニングトークで連想した映画は風立ちぬだったんですよね、最後のやっぱり。
もう、俺は好きなようにやったぞみたいなやりきり感。
で、ある夢の話でありみたいな。
今思ったのは、マイウェイという曲に引っ張られすぎてるだけなのでは?って思ったんですけど。
厳密に似てる映画かというと違うところはあるんですけど。
それぐらいの思い切りの良さと飛躍っていうのを積み重ねてここまでやってきてるから、
やっぱ気持ちよさとしては本当にちょっと通ずるものはあるかなっていうふうには思いましたね。
確かに、ほぼ詳細を触れ始めちゃってるんですけど。
これも話せばいいかなと思いますけど。
ちなみになんですけど、
曲、皆さんどのぐらい、この曲知ってるわみたいな曲ってありました?
全然。僕も全然なかった。
日本だとほとんど売れてないらしいですよね、ロビー・ウィリアムズって。
辛うじて本当に、テイク・ザッドを結成して、VV言わしていくぞのところのロックDJでしたっけ?
あれだけ辛うじて聞いたことあるなみたいな。
どっかで聞いたことあったな、あれは。
あれもテイク・ザッドの曲じゃないんですよね、確か。
あれテイク・ザッドの曲じゃないです。
ロビー・ウィリアムズのソロというか、独立後の曲なんですもんね、あれね。
そうです。
なるほど。
テイク・ザッドのこととかも、正直テイク・ザッドのメンバーも、
ゲイリーしかよくわかんないじゃないですか、正直。あの映画見てて。
しかわかんないぐらいの描き方だったなっていうレベルだったので、
あそこまではあんまり知らなくてよかったなっていう感じの描き方だったなと思って。
なんだっけ、最後の方の、あそこの大会場で歌う曲あるじゃないですか。
ネブワーズで歌う?
あの曲はCMか何かで聞いたことがあったような気がするんですけど、
僕は逆にそれだけだった気がしますね。
ちょっと、耳なじみのない曲ばかりではあるが、こんなのせられるのってすごくない?とかもちょっと思ったりしたんですけど。
まずシンプルにっていうのがありましたね。
そうですね。
なんかノリの良さというか、初見でもノレる感じがありつつ、
同時にこの作中でもおそらくキラーチューンとして描かれてるであろう曲をわからないっていう、
このギャップがすごい常に残り続けた映画鑑賞体験ではあって。
もう皆さんご存知、ビッグナンバーデースみたいな感じで多分流れてるんだろうな、知らんけどみたいな感じがずっと続くから。
本当に有名なんやろうな、知らんけどなんですよね、本当に。
ええ曲やしなって思いながら。
ええ曲やなって思いながら聴いてるけど全然わかってないみたいな感じなんですよね。
そこが僕ちょっと逆にすごいなと思ってて。
僕はオープニングの時にも近い映画でロケットマンってあげたと思うんですけど、
逆にロケットマンは知ってる曲が結構多かったんですよ。
これも聴いたことあったけど、これエルトン・ジョンなんだみたいな。
確かに。
曲は知ってるけどそこがエルトン・ジョンとは別にひもついてなかったみたいな感じで。
でもここのシーンのこの曲めっちゃ知ってるじゃんみたいなとかは結構あったんですよ。
だからそういうワクワクみたいなのがあって、
それも相乗効果的に見てて面白いポイントかなと思ってたんですけど。
ベタマンはそれがほぼない。
けどめちゃくちゃミュージカルシーンのグイグイ持ってき方とかで、
ちゃんとロビー・ミリアムズという人の面白さというか、
ドラマみたいなのにどんどんのめり込んでいっている自分がいたので、
それは見せ方すごく良かったってことなんじゃないかなってちょっと思った。
この見方日本じゃないとできないですよね。
でもアメリカでもそんなに有名じゃないから。
ヨーロッパだけってこと?
イギリスだけらしいんですよ結構。
でもヨーロッパでもなんか…。
欧州で基本的にはヒットして、特にイギリスですごくヒットした。
けどアメリカにはそんなに受けてないから、
興行もそんなに伸びてないっていうことらしくて。
なんか不思議ですねそれって。
そうなんですよね、不思議というか。
映像的にもすごい面白く、
ロビー・ミリアムズの内面というか、
つさんでいる時の状況とかを映像化していると思うんですよね。
ネプワーズの、
自分の大きな夢であるネプワーズの舞台が、
地獄の戦場みたいな感じになっちゃうみたいな。
この描き方であったりとか、
テイクザットを脱退しましたからの、
車乗ってからの、
水に沈んでからの、みたいな展開とか。
そことかね、すごかったですよね。
すごいと思うんですよね、グラフィカルで。
ただその彼に起こってた事象というか、
こういう除去されてたみたいなのを、
ただモンタジー的に見せるのではなくて、
すごくちょっと内面の心情、
風景的なニュアンスも込みで描いてるっていうのは、
やっぱすごい、いいなと思いましたけどね。
それでいうとすごい切ないシーンだったのが、
途中でアイドルグループの別の女の子と、
脱退した後に出会って、
船で、
あなただったんだね、みたいな。
運命の相手はあなたなんだ、みたいな感じで歌うシーンがあるじゃないですか。
あれで歌いながら、その後の未来で、
ポンポンポンって出てくるっていう。
感動的な出会い
あれ、うわーってなりながら見てました。
あれいいですね。
やっぱああいうちょっと飛躍、
こそやっぱミュージカル映画見てる喜びだなと、
思いますよね、本当に。
あのシーンは本当に良くて、
本作のハクビのシーンだと思ってるんですけど、
本当に見た目が、
本当にミュージカルだからこそできることでもあり、
時間の圧縮率が変わるみたいな感じだと思うんですけど、
この出会いが意味するものとは、みたいな、
その先まで全部含めて、
良いも悪いも、酸いも甘いも全部含めて、
でもここで今出会いました、みたいな、
人生の圧縮の仕方として、
僕すごい綺麗だなと思って。
うんうん。
いやー良かったですね、あそこは。
あれは僕、スーパーハッピーフォーエヴァです。
あそこのシーンは。
父との複雑な関係
なるほどね。
そうだな。
冒頭もちょっと触れたくて、
お父さんのパーソナリティ、
すごい僕注目してみちゃったんですけど、
自分が目指すものになれない、
自分が、
夢を諦めきれなかった人。
で、家族と夢っていう天秤にかけて、
夢を追いかけちゃった人。
ただそれがある意味、ロビー本人には呪いになっていくっていう話。
でもあるじゃないですか。
だから冒頭で特別な人っていうのは、
もうすでにあるものを持ってるんだっていう風に。
それがなければ、この世の世界では、
エンターテイナーになる資格はないんだっていうわけですよ。
あれは明らかに自分に言ってるわけですけど、
これ、親になった時に、
子供に言わない自信ないなって思って。
自分が。
自分の自意識を、
どうその、親っていうロールになった時に、
コントロールできるんだろうっていうのを、
すごいちょっと考えちゃって、あのシーン見て。
結構お父さんへの描き方というか、
かなり愛憎を入り混じる感じがすごい強い。
本当にやっぱり、
自分のエンターテイナーとしての
原点にいるような人でもあり、
自分を愛してくれなかった人でもありみたいなのを、
愛憎っていうのがめちゃくちゃ、
今作めちゃくちゃ生きてるし、
本当に嫌なお父さんなんだけど、
嫌いになれないみたいなのが、
ちょっと印象には残ります。
お父さんが成功してないっていうのが、
僕結構好きで、
現実だからしょうがないんですけど、
話上そうなざるを得ないんですけど。
それを目指すかどうかっていうことと、
目指す相手が偉大であるかどうかっていうのは、
別の問題なんですよね。
そこが、その、
すごい良いなと思ったし、
実際そうだよなとも思って、
めちゃめちゃ関係ない話するんですけど、
ワンピースでシャンクスっているじゃないですか。
後からどんどんすごい海賊っていうことになっていくんですけど、
初めて、
そこそこ強い海賊ぐらいで、
ルフィがシャンクスを目指すのってなるけど、
僕は別にシャンクスが超強い、
世界最強クラスの海賊じゃなくても良かったんじゃねって、
思いながら見てて、
目指すものが偉大じゃなくても、
目指した主体がもしかしたら偉大になることだって、
あるんじゃないかなみたいな。
そういうものも見たかったなって思ってたんですよね。
ワンピース見てて。
確かに今作はそういう文脈で言うと、
夢を叶えられなかった人の夢を繋げた、
話のようにも見えるし、
そのせいで、
苦しむ人生を歩むしかなかった、
っていう風にも取れるっていう。
そこが僕、アイアン・クロウにも似てる気がしてて。
そうですね。
最後のマイウェイって和解でもあるし、
ある意味父殺しでもあるし、
みたいなところもあるんだろうなって、
ニュアンスが。
もしかしたら2つ入ってるのかなって思いますね。
途中の半分月人みたいになる瞬間があるじゃないですか。
夢の追求と苦悩
お父さんが。
ありますね。
どんな気持ちでって思うんですよね。結構。
お父さんあのずぐっとさがすごいですよね。
そこがね、あいつ憎めないんですけどね。
だってあれ、
ファンの女の子に手を出すためにやってる、
不死あるじゃないですか。
あれ最悪だよなと思って。
最後の方で、
ロビーがとにかく追い詰められて苦しんでるところで、
いや俺は観客少なくても一生懸命やるんだみたいな、
あの心意気はエンターテイナーのそれだなって思ったんですよね。
確かにそう。
貸すのくせに。
絶妙なんですよね。
クズだけど、
真だけは捉えてるみたいなのが、
ただ憎むべき存在じゃないっていうのが、
あの父親像として、
すごい複雑さをたたえてる人だなぁというのがあって。
やっぱり実話だからっていうか。
本人そう言ってるからねぇっていうのもありますしね。
なのかなぁと思うんですけど。
逆にちょっとお母さんの影薄いのとか気になっちゃうんですけどね。
おばあちゃんとのエピソードは結構、
おかぼりもされてると思うんですけど、
死に目に会えなかったくだりとかもありますし、
お母さんの影薄いのとか、
おかぼりもされてると思うんですけど、
死に目に会えなかったくだりとかもありますし、
お母さんの影薄くないかみたいな気はしましたけどね。
この話の中でお母さんに複雑さを持たせるの、
むずいっすよね。
お母さんの描き方が複雑になればなるほど、
お父さんもロビーも、
そのお母さんをないがしろにしたクズとして、
より際立つから。
実際どうだったの?みたいな。
お父さん勝手に出て行ってとか、
お母さん絶対に生まされてるじゃないですか。
ちょっと気になっちゃうけどなーみたいな。
そういうのは思いますけど。
そのサイドを描けば描くほど、
エンターテイメントに対する暗示提前になっていってしまうのは、
ありますからね、必然性として。
そこまではできないか、みたいなね。
もちろんロビー・ウィリアム自身が、
そもそも人生を描くことで暗示提前にもなってると思うんですけど、
そうですねー。
まあ、母親の解像度を上げられないっていうのは、
もうこの手の話の宿命かもしれないです。
思えばグレイテッド・ショーマンもそうでしたしね。
うーん、確かになー。
ロケットマンもちょっと、ん?みたいな感じだったしなー。
ロケットマンすらちょっと。
これ、ソースちょっと曖昧なんでね。
ロケットマンのソースは、
これ、ソースちょっと曖昧なんで、
調べて、もしかしたら削除するかもしれないんですけど、
またワンピースの話するんですけど、
おだいえいちろ先生が言ってた話で、
母親っていうものはあんまり描かないっていうのがあって、
母親っていうものは冒険の対局にあるものだからっていう。
はいはいはいはい。
冒険を描く話だからワンピースで母親っていうものは描けないというか、
描きにくいみたいな話をしたことがあったらしくて、
これ、ソース曖昧なんで、あれやったら消しますけど。
そういうことなんだなって思って。
だからお父さんもロビーも海賊じゃないですか。
やってることは。
確かにワンピース世界で言えば2人とも海賊団を率いてますよ。
ですよね。だから大暴れして、夢を見て、
エンタメの本質
大冒険して、酒かっくらってっていう。
もう海賊ですよあいつら。
うん。
そういう話だなって思って。
だから母親っていうものは家庭の象徴として、
あんまりフォーカスを当てられないというか、
より、ただ純粋なクズとして見え出してしまうからかなって思うんですけど、
そうなると。
だから、
今後エンターテイナーになっていく人を描くっていう面においては、
ある種女性が仕事に出てたりとか家庭の中心になっていたりとかっていうところで、
ある種不正的な役割を女性が担うこともあり得るってことかもしれないですけどね。
なるほどな。
個々のシーンで何か喋っておくとこあります?
そうですね。
さっきちょっと一瞬触れましたけど、
印象的なのが逆劇に自分がいるっていう描写だなと思って。
常に自分が自分のアンチになっているっていう。
うぞうむぞうの中の声というか、
本当は愛の声もたくさんあるはずなのに自分にはその声はもう聞こえていなくて、
っていう、
閉じた世界景観と言えばいいのか、
内面でしかないっていうライブが。
そのライブの孤独性っていうのがむしろ際立つように描かれてて、
それすごいなって思って。
それ見てちょっと思い出したのが、
星野源が東京ドームでライブをしたときの話をラジオでしてるのを思い出して。
源さんがそれこそライブのとある場面で真ん中に立って、
照明が自分にしか照らされてない状態でアコースティックで歌を歌うみたいな場面があったんですよ。
その時にめちゃくちゃ孤独だったって話をしてたんですよ。
ただいい意味で孤独だったっていう。
ステージに立つっていうところで、自分以外のものが全て消えた感覚になって。
数百万人の前で歌ってるはずなのに、その声がどこにも届いてないような感覚になって。
それは自分が部屋で作曲してる時の感覚に繋がったっていう話をしてるのを思い出して。
ベターマンは人がすごく目の前にあるからそういうのと少し違うかもしれないんですけど、
ただ歌を歌いながら自分の内面と向かい合う作業だったんだなっていうのをすごい思ったんですよね。
カラオケとかで歌ってるとちょっと思うことがあるんですけど、
歌の歌詞って聴いてるうちってあんまり理解してないじゃないですか。
でも声に出して歌った時に、こんないい歌詞だっけって思うことありません?
わかるかも。
聴いてる時は歌詞をちゃんと認識してるようでしてない。
作ってる作業の時もたぶんちょっと同じところはあると思っていて、
こう繋がったら気持ちいいかもなみたいな。
でも繋がって歌った時に初めて、
あれ?これ俺の人生じゃんってなるっていうことをこの人はずっとやってんだろうなって思って、ライブで。
アーティストというか、シンガーって言ったほうがいいのかもしれないですけど、
が、身体勢を持って歌うを歌うっていう行為で自分を見つめるっていう結果として、
自分と向き合うっていうことがその行為でもあるんだなっていうのを改めて本作見てて思ったというか、
ライブは孤独なんだっていう。
なんかそれをすごい、藤野源さんもよくマイケル・ジャクソンは孤独に見えたって話もよくしてるんですけど、
なんかそれともすごい近い感覚が本人の中にありながら歌ってたんだっていうことを表現してるんだろうな、
自信なんだろうなと思ってめちゃくちゃよかったんですよね、そこが。
いや、大江さんってカラオケ行くんやなってちょっと。
割と、まあ一人では行かないですよ。
みんなになった時に時々こう一緒に行くって感じですけど、
高校生の頃とか結構好きで行ってましたから。
そうなんですね。
ちょっと意外だったかもしれない。
めっちゃミスター・チルドレンとかをほぼ歌詞見ずに歌える人ですよ。
カラオケね。
意外にマリオさんとも行きました。
行きましたね。
行ったことある。
本当、あれオールでしたね。
カラオケオールでしたね。
カラオケオールでしたね。
あれを思えば青春だったのかもしれない。
青春でしたね。
青春って。
なるほどな。
確かにあんまり、あんまりめっちゃ行く方ではないですけど大人になってからは。
でも人からとか行くの好きでした。結構大学の時は人から行ってましたよね。
音楽の意義と普遍性
僕は映画に無理矢理そこを引きつけて言うと、歌を歌うっていう身体的な喉を震わせるっていう運動的な行為で、
その意味を知るというか歌詞の意味が自分に飲み込めるようになるって、
めちゃくちゃ浜口隆介だなって思ってるんですよ。
歌詞がね、染みてくるわけですね。
テキストを声に出して発話することで初めてそこで意味が生じるというか、
ある種楽器としての自分、その身体みたいなものを浜口隆介映画って、
そこを脚本という楽譜に対してやってるっていう、
いつも実践してるっていう映画だと思ってるんですけど、
なんかそれとすごい近いことが起こってるっていうことなんだろうなって、
いつも自分で歌を歌いながら思う瞬間があって。
なるほどなぁ。
そういうのって結構、その普遍性がある歌詞の方が、
むしろ歌ってみてパーソナルになる部分があるというか、
もうこの歌って、この人用だなぁみたいなアーティスト的な曲よりも、
ポップソングの方が染みるみたいなところってないですか?
あーと、難しいなぁ。
両方あるなって思っちゃう。自分は。
なるほど。
よりパーソナルなものほど、逆に今の自分の状況を表す瞬間がある。
聴いた当時には全然わからなかった。聴いてる間はわからなかったものが、
10年くらい塩漬けして、もう一回、ちょっとこれ懐かしいから歌ってみようかなって思って、
口ずさんでる瞬間に、あれ?今の自分じゃんってなったりとか、
っていうことがあるので、
なんか普遍的なものでもあるし、個人的なものでもあるというか。
ちょっと僕も整理できないまま喋っちゃうんですけど、
そのアーティストが歌ってるからこそ響くみたいなものもあれば、
大衆歌謡として、誰しもが口ずさんで、その口ずさんだトーンにとって
当事者的になるみたいな歌もあったりするのかな、みたいなのもあって、
それって自分が発する側になって、
当事者的な感じを意味しちゃうものとかもあるのかなっていうのをちょっと今考えてました。
自分としても強く実感があるわけじゃないんですけど、
ちょっと今思いついたから喋ってるっていう、
思考実験みたいなことを今喋ってたんですけど、
あるのかなと思って、
なんかこの歌って自分が歌ってもそんなに嫌なみたいなものもあれば、
自分の言葉にし直した時に、
なんか当事者性あるみたいになることもあるんじゃないかなっていうのをちょっと今想像してたんですけど。
そうですね。
そういう観点で言えば、結構ロビー・ウィリアムズの歌詞って割と普遍性のあることを歌ってる感じしません?
めちゃめちゃポップソングだと思いました、聴いてて。
そうですね。結構特定の何かというよりかはフワッとしてるけど、
それがなんかシーンを捉えてるみたいな感じっていうのはありますよね。
それこそ曲作りしてるシーンが一箇所あるじゃないですか。
ピアニストというか作曲編曲者の人と一緒にやってるんですよね。
プロデューサーみたいな人。
あそこの出来るって曲ってまさにそういう曲じゃないですか。
だからなんかそういうのがやっぱり、
しかもその曲が多分書いたのって、
本当に自分のその時に起こったことをやっぱりちょっと具体的に書いてるわけじゃないけど、
その時に思ったことを書いてっていうのが、
いやそういう歌詞の方が絶対いいんだよみたいな。
さらけ出せよみたいなことはそこでも言ってるわけですけど、
そういったものがなんか人を引きつけるというか、
ものがあるんだろうなっていうのはやっぱりいますよね。
すごい不思議だなって思うのが、
エッセイとか文章って具体性を増せば増すほど面白いと思うんですよ。
個人的な感覚ですけどこれは。
描写が具体的であればあるほど、
読んでてそういうことがあったんだっていうところから、
例えば普遍的な部分につながっていく。
例えばこういうことって別のところでもあるよねって言われると、
なるほどなってなる。
それは映画とかでもそうだと思うんですけど、
音楽の歌詞って、
普遍性と具体性っていう両方が文章の中にあった時に、
その具体性だけちょっと取ってる気がするんですよね。
うん。
そこだけを1個切り立ててそこを余白にして、
で繋げてるみたいな感覚がちょっと自分の中にあって。
だから普遍性のある歌の中に個別具体的なものが乗っかりやすくなってるというか、
でも大元はその具体は、
てかその普遍はそもそも個人の具体的な、
しかも非常に個人的な経験からしか来てないっていう。
なんか作り方が違うというか、
成功の影
なぜ音に乗る、リズムに乗るっていうだけなのに、
ある種、詞っていうものになるってことかもしれないですけど、
っていうものに変換するタイミングで、
良さの基準が変わるのが結構面白いなって思ったりしてるんですよ。
うーん。
そうですね。確かに。
しかも音楽っていうところにおけば、
普段文法的におかしかったり、
言葉の繋がりが絶対ここ繋がらないだろうってことが容易に繋がっちゃったりとか。
うーん。
それこそあの、いのぶようすいの青春時代でしたっけ?
少年時代ですか?
少年時代、かぜあざみって言葉ありますけど。
ないんですよね?あんな言葉。
あんな言葉はないんですよ。
あー。
でも僕ら自然にかぜあざみって言われてうんうんって思ってるじゃないですか。
うん。
で、なんかその、かぜとそこのあざみの、
間にあった具体的なものをポンって取って、
ぎゅって圧縮して置いてる感じがするんですよ、なんとなく。
あー。
なんかそれが成り立たせられちゃうのがすごいなって思って。
まさにその、映画の中盤のあのシーン。
その、自分が読んだ歌詞で音楽がそこに乗っかっていくシーンがあるじゃないですか。
そこを繰り返してっていう。
あれも、その過程を見てる感じがあるというか。
うんうん。
こっちは具体的な人生をそこまで見てるから、
それがあ、こうなってくんだっていう製作の過程を
リアルタイムで見てる感じがあって、
すごいなんか興奮したんですよね、見てて。
うん。
確かにね、ああいう曲作りしてる時に
すごい良い曲が生まれてくみたいなシーン。
うん。
すっごい好きで。
ヘッドマンのYour Songのシーンとか最高に好きなんですけど。
あー。
そういうのと一緒というか。
そこに今何がこもってるのかみたいなのが、
めちゃくちゃあの、描写されてるわけじゃないんだけど、
うん。
めちゃくちゃ語りかけてくるじゃないですかみたいなところが。
うんうん。
もうやっぱ好きになっちゃうよなーっていうのはやっぱあって。
うん。
ちょっと話ずれ、ちょっと戻っちゃうんですけど、
うん。
あのー本当にあのロビー自身がライブ中に見る自分の原影?
うんうんうん。
もうすっごいネガティブなことを投げかけてくる自分みたいなことにと戦っていくというか、
まあすごい苛まれてるわけですけど、
でも多分なんかそう、めっちゃその、多分これはあんまその、
これはエンターテインメントなんでそこ別に描く気ないからだと思うんですけど、
本人めちゃくちゃ努力したんだろうなっていうのが、
うんうん。
なんかめちゃくちゃ感じられるというか。
うんうんうん。
最初歌とかもなんかリズムになんか乗せられないみたいなことやったじゃないですか。
うん。
はいはいはい。
で、でゲイディの方はめっちゃ歌える。
うん。
曲も書けるみたいな。
でめっちゃ劣等感持ってるじゃないですか。
うん。
いやでも普通にもうババやってってるわけじゃないですかみたいな。
どんどんスターダムになってるじゃないですか。
ってなったら、それなんでなのかって言ったらそれは本人がめちゃくちゃ努力してるから意外ないなって思って。
うんうん。
でまあエンターテイナーなんでそんな努力してる姿なんて全然見せたくないと思うので、
そこが当然描かれないわけですけど、
あんなになんかめっちゃ、でもすごいネガティブな感情でめっちゃ押しつぶされそうになってるっていうのが、
いやめちゃくちゃ努力してる人でもこんなんなっちゃうんだみたいな。
っていうのをめちゃくちゃ感じましたねあそこ。
なんかあの性格だから努力できただろうなっていうのも逆説的にもあるし、
でもあの性格だからいくら努力しても自分を受け入れられないっていうハンディキャップも同時に持っていて、
なんか人間ってうまくいかないですよねほんとに。
そうっすよね。
実際のロビー・ウィリアムズがどうかわかんないですけど、
あの劇中のロビー・ウィリアムズを見てる限りだと幸せは来ないなって思ってて、
やってることをサイの体で意思積んでるのと一緒じゃんって思いながら見てたんで、
何をやっても次は失敗するかもって思うだけの輪廻でさ、
そうっすよね。
抜け出せないですよね。
でもなんか俺はここを抜け出さないよっていうラストの宣言だと受け取ったので、
もうやってくれよ、やってくれていいよって思いました。
そうなんだよな。
全然夢が叶ってからが地獄っていう。
そうね。
歌作るシーン、ソロが始まるシーン、めちゃくちゃいいシーンだと思いつつ、
今まで自分の側だけを見せるものとして売れてたじゃないですか、テイクザットでは。
そっから内面を出す作業が新たに始まるじゃないですか。
ここからが新たな地獄だぞって思いながら見てて。
あれめちゃくちゃ怖いはずですよね、あの性格だったら。
だってずっと出せなかったわけでしょ。
ずっとノートに書き溜めてるけど誰にも出してないわけですからね。
それまではアルコールとドラッグ、コカインとかをやってましたけど、
ソロになってからはヘロインやってたじゃないですか。
そうね、そうなんですよね。
もうアカン方向にエスカレートしていってるから、やっぱりよりシンドなってるじゃんみたいなのもあって。
エンターテインメントの裏側
ソロでどんどん売れていくシーンで、もう売れて華やかになって、
ドラッグやって、売れてドラッグ、売れてドラッグって、
ダーレン・アロノフスキーのレクイエム4ドリームみたいな演出になってたから。
ちょっとありますね、その系はね。
でも、やっぱり偉大なポップスターって結構同じ道にハマっていくじゃないですか、やっぱり。
ロケットマンにしろ、ボヘミアン・ラプソディもそう、ちょっとあれは違うか。
でも一瞬そのシーンありましたよね。
結構、ベターマンに関しても、描かれてることにしても結構何度もその話聞いたことあるわけ。
あると思うんですよ、正直。
スターになりました、でもその後めっちゃ役中、ある中だって、そっからみたいな。
何度もあると思うんですけど、やっぱ、でも育ってしまう何かっていうのがなんか結構ずっとそこにはあって、
そういったものを僕らはなんかすごい夢中になって見てるっていうのがなんとも、なんともなぁというか気持ちにもなるし、
エンターテイメントと個人のジレンマ
結構賞美使いっていうのが恐ろしいものよなっていうのはちょっと思いましたけどね。
まぁね、なんか見えないですからね、名声とか人気って。
名曲度数も別に存在してないから。
ただただ残酷なチャートというランキングだけが常に立たれるという。
チャートの1位が果たしていい曲なのかっていうのもまぁわかんないし。
そうですよね。常にこう、なんだろう、チャートは定量化されてるものじゃかもしれないけど、
気持ち的にはもうすごいふわふわしたものでしかないんだろうなっていう。
そのふわふわしたものの中でずっとなんか立たなきゃいけない、だから孤独でみたいな状態になるんだろうなっていう。
しかも平気でなんかその、いろんなものがねじ曲げられちゃうみたいなというか。
本当あの、彼女が忠実させられるみたいなのも、あれやばいなって思いましたけどね。
あれ本当にきついしね。
完全にレーベルの移行みたいな感じでやってますよね、あれ。
うわーって思いましたけど。
あの話、有名な話なのかもしれないけど、出していいんだってちょっと思いましたしね。
30年くらい前の話でしょうからいいんですかね。詳しくないからちょっとそこもわかんないですけどね。
あれとか見てるとちょっとジェディとかも思い出したというか。
若くしてエンタメの業界に入ってしまったが故に、いろいろなものを奪われていく人というか。
この人の人生あるんだけどなって思いながら、結局だからすごく華やかだけどそこにはある意味何かが奪われてるっていう状態。
それを僕らはただただ楽しく消費しちゃっていいんだろうかっていう問いも少し生まれてくるっていうあたりとかは、すごいジェディとかを思い出したりもしました。
例えばそのジェディと違うのはやっぱり本人の覚悟がすごく詰まっているのが伝わってくるから。
映画の感情的な深み
俺はエンターテイメントで生きて、エンターテイメントで死ぬっていう覚悟が伝わってくるから、やっぱりそこに対する信頼感が楽しみやすさにはつながってるかなっていうのはあるんですよね。
僕、職業を選んで、その先にある人生を選ぶという行為って、自分がどう消費されるかっていう覚悟を決めることなんじゃないかなって思うんですよね。
その消費のされ方に対して覚悟が決まってなかったらやっぱりすごい悲しいことになるじゃないですか。
でもそのあるラインを越えて、俺はこうやって消費されるんだっていう覚悟を決めたら、それってもう不可逆なものではあるんだけど、でも人生ってそうなのかもしれないなってちょっと思ったんですよね。
もう後戻りはできない。
で、俺はもうあらゆるものを失ってきたけど、俺これで生きてきたから、もうこれからもこれで行くぞと。
で、もうお前たちはもうエンターテイナーとしての俺を思う存分消費してくれよと。
俺はそれで生きてるんでねっていうね。
だからまあこんな映画作るんじゃないかなと思って。
そこまで腹がくくれてる人ってそんな世の中にいないと思うんですよ。
そうですよね。
そうなんだなー。
なんか、ロケットマンも近いと思ったんですけど、ロケットマンも確かに見せ物的ではあるんですけど、でもトータル、自分のために作ってる感がすごいしたんですよね。
自分の内面のセラピーとして作ってる感がすごいあったから、だからやっぱ指名はアイスティールスタンディングだし、みたいなのがあるなーと思ってて。
けどやっぱりベターマンは本当にどうやー見てくださいみたいな感じでやっぱスタンスとして作ってるから、そこはやっぱちょっとスタンスがちょっと違うっていうか、セラピー的であるけどちょっと違うんだよねーみたいなのが結構どっちも好きですけどなんか違いはあるなーっていうのはちょっと思ったんですよね、見たときは。
もし自分が自分の人生じゃあ映画にしてください、まあそんなこと絶対ないと思うんですけど、してくれてなったタイミングになったとして、ドラッグとかで自分の底についてる時のものを自分で演じるってもうちょっと地獄すぎると思うんですよ。
したくはないですね、演じたくはないですよね。
もうフラッシュバックしてきますよ、その時の感情とかいろんなものが。この人よーやるなーと思って、距離置けねーって普通そんなにそのことに対して自分自身でっていう。
そのために猿なんじゃないですか?
そう、まあいやでも、でも中身自分ですよ、一応アクティングはやってるわけですよ。
それはこう、普段やってることだから、これまでやってきたことだから、ドラッグ食らってうわーってなってるのって今までやってきたけど、客観視して自分の見た目のものが映像の中でやってたらうわーってなるかもしれないけど、まあ一旦は猿やからみたいな。
なるほど、客体化するための、自分の守るための猿っていうこともあり得るのか。
戦んだいって、ままの自分そのものは耐えられなかったから猿なのかもしれないなっていう、これはもうなんというか邪推ですけど。
それは確かにちょっとありそうだな。
猿をかぶせてることで本作に対する距離感もちょっと取れるというか。
俺じゃない俺に演じてもらってますみたいな、この絵が俺じゃない俺ですみたいな距離感をいろんな意味で取りやすい。見てる方もそうだし、演じてる方、作ってる方もそういうふうに見やすいんじゃないかなと思ったりはしたんですけど。
そういうあらゆるものを含めて、自意識のための猿っていう。
本人ちゃんと猿っぽいパフォーマンス実際にやってるかなって思ったんだよね。
そうなんだよな。
ネプハーズの逆さずり、猿だからやってるのかなって思ったら、普通にちゃんとやってるやんこの人みたいな、ちゃんと猿っぽいことやってたみたいなのが。
だから本当に自分のこと猿だという自負は結構あるのかなっていう気はちょっとしてる。
そもそもが確かTake Thatの時に、猿みたいにステージに立たれたんだみたいなインタビューから、じゃあ猿でいこうぜってなったっていうところもあるらしいですし。
本人の自意識もやっぱある程度あるんでしょうね。
確かにちょっと思ったのは、ネプハーズっていうのは自分対自分の殺し合いのシーン。
あれ本当に自分だったら見てらんないだろうなと思って。
特に子猿をちょっと謝るシーンあるじゃないですか。
あれ人間だったらさすがにちょっと無理かもしれんって思ったりはしました。
確かにね。
逆に猿ならいいのかっていうところもあるんですけど。
だいぶグロテスクなシーンですよ。
地獄ですよ。
僕の席の前が4人家族で、家族で多分みんなで行く映画としてこの映画選ばれたんですけど、真ん中の子供たち大丈夫かなと思って。
え?
PG12ちゃいましたっけ?
本作って。
多分12ですけど、多分親の指導というか。
でも子さんで言っても多分中学生ぐらいのお二人だったんで。
じゃあPG12いいのかな。
でも多分ご両親が想定してる映画ではない気がちょっとするんだよなって思います。
そうなんですね。
正直予告編見た時に思ったんですけど、
すごい華やかなミュージカルだってシーンはほぼTake Thatのところだけじゃないですか。
予告編使ってるのはほぼそこだったから。
あと本当にすっごいぐちゃぐちゃな内面の話しかしないから。
あんまりどうですか華やかなミュージカルでしょうみたいな作品じゃ全然ないっていう実は。
冒頭で終わるっていうのがあります。
あと結構ヘドロみたいな自我を吐き出すタイプが多いから。
いやそうですよね。
そうなんですね。
なかなかドギツイっていう。
なかなか病んだ映画ではあるんで。
この映画自体がそれこそ冒頭のお父さんの才能があるものしかっていう呪いみたいになってないかなとかちょっと思ったりして。
特に若い子たちに対してこれを見た時に。
まあでも覚悟してやっていけよってことならいいのかとか思ったりして。
そこまで考えてないんじゃないですか。
鑑賞体験と音楽の影響
ですよね多分ね。
多分俺の人生、うよ曲折面白いでしょっていう雑エンターテイメントっていうための映画だと思うので。
そこに教訓とか啓蒙とかあんまない気がするんですよ。
俺の人生は面白いっていうための映画だと思うんですよね。
いやもう間違いなくそうだと思います。
そこの割り切りがいいんじゃないかなって思ってるんですけど。
確かに確かに。
あとベターマンっていい歌でしたね。
うんうんうんうん。
なんかよりいい人間になりたいみたいな。
文字通りの意味だったんだみたいな感じで。
おばあさん亡くした直後で。
葬式とライブシーンが重ねられた演出もクールやなと思いつつ。
観客はワーワー言ってくれてるけど本当に大事な人は全員刺していきますみたいな。
結構クールな演出も聞いてたし。
すごい歌もいいし演出もいいしすごいいいなと思いつつ。
ベターマンっていう歌知らんかったなっていう。
これボヘミアンラプソディみたいなビッグタイトルの一つだったりするのかなって考えると
そのつもりでこの映画を見に行けてない時点でちょっと損してる感があるなっていう。
まあでもこの映画からでいいんじゃないですか。
いいと思うんですけどね。
ここ入りで全然いいと思うし。
あとたぶんベターマンの曲。
おばあちゃんの葬式の時に流れてる曲ってベターマンでしたっけ?
あ、ですか。後か。後っすかね。
後じゃないか。
結構ラストの方だったっけ?ベターマンは。
たぶんベターマンは本当にセラピー的なところにやってる曲じゃないかな。
そっか。
おばあちゃんの葬式とライブルが重なっているってことはエンジェルって曲じゃないですか。
エンジェルだ。エンジェルだ。
そうですね。だった気がします。それは。
確かにそうだわ。
そうでしたね。
だから1回目たぶん、僕ちなみに昨日も見たんで2回見てるんですけどベターマン実は。
やっぱ1回見たら、1回目では全然曲わかんないなってなるんですけど。
2回目見たら曲がわかりますから。
あー。
あーってなるわけですよやっぱり。
なるほどね。
そこがうおーってなるんで、ちょっと除名時間長いですけど2回目見るの良いと思いますっていう。
そうか。
やっぱり曲を知らないことが鑑賞体験の不利に働いている。
まあまあ知ってればよりねっていうのはありますけど、でも知らなくても全然乗せられてはいたのでね。
そこはめちゃくちゃ誇って良い作品だと思いますけど。
いやでもいい映画だったと僕は思います。
楽しみました。
かなり好きでしたし。
本当この2月3月ミュージカル豊作ですね。
いや本当にちょっとウィキッドとベターマンはうおーっていうミュージカルだったので本当にちょっと良かったなって感じですね。
あとめっちゃどうでもいいんですけど、リアムとノエルの兄弟ってやっぱ嫌な奴なんやっていう。
オアシス出た時のなんかそこはかとなくグググってなっちゃう感じが僕はありましたけど。
なんかでも一時期ノビー・ウィリアムと仲良かったみたいなことも話としてあるらしいですけどね、オアシス。
まあいじりじゃないとあれできないですよね。
ですよね。
多分そうですよね。
いやちょっと面白いなと思って。
全然ねノビー・ウィリアムのこと知らないで見に行ってるから、もう正直オアシスの方が知ってるわけですよ。
そう日本ではねオアシスの方が。
映画『BETTER MAN』の議論
オアシスが出たっていうところがちょっとインパクトとして最初残ってたのはちょっとあります確かに。
あの映画でも良かったですね。
似てるんだか似てないんだか別名のラインですけど。
似てる感覚はよくわかんないですけど。
概念としてのオアシスが出てきたこと言っちゃった。
フフフと笑ってしまうのもあるからね。
はい、ではそんな感じでベタマンの話は終わっていこうかと思います。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎれば次回開催は4月19日土曜日です。
場所は大阪南森町中間曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはXORBインスタグラムにて告示しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎれラジオ第206回ベタマンの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:06:02

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