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今日のテーマトークは、『ノック 終末の訪問者』です。
はい、では前田さん、解説をね、できますか?
はい、えーと、映画ドットコムより、シックスセンス・オールドのM・ナイト・シャマラン監督が、
ポール・トレンブレイの小説『終末の訪問者』を原作に、世界の終末と家族の命を天秤にかけた非常な決断を迫られる一家の危機を描いたスリラー。
ゲイのカップルであるエリックとアンドリュー、そして幼女のウェンの家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、
突如として武装した見知らぬ謎の男女4人が訪れ、家族は訳もわからぬまま囚われのみとなってしまう。
そして謎の男女たちは家族に、いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた。
家族のうちの誰か1人が犠牲になることで、世界の終末を止めることができる。
拒絶することは何十万もの命を奪うことになる。
と告げ、エリックとアンドリューらに想像を絶する選択を迫ってくる。
テレビでは世界各国で起こり始めた寒大な災害が報じられるが、訪問者の言うことをにわかに信じることができない家族は、何とか山小屋からの脱出を試みるが、
謎の訪問者を演じるのはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズのデイブ・バウティスタ、
ハリーポッターシリーズのルパート・ブリント、シャマラン監督のオールドにも出演したニキ・アムカ・バード、
秘密への招待のアビー・クイーン、突然の悲劇に襲われる同性カップルのエリック役をドラマ・フリーバックのベン・オールドリッチ、
アンドリュー役をマトリックス・レザーレクションズのジョナサン・グロフが務める。
はい、ではここからネタバレ込めの話を入っていきたいと思います。
もしネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、ではお二人の感想を聞いていこうと思うんですが、前田さんいかがでした?
いや、なんかちょっと見る前からツイッターとかでいろんな人の感想が流れてきて、すごい賛否あるなと思ってたんですけど、
見てる途中はすごく面白くて、引き込まれてすごい楽しめたんですけど、なんかそのまま終わったなっていう感じがしましたね。
なんか不思議な余韻の残るというか、でも私はすごい楽しめました。
はい、マリオンさんいかがでした?
そうですね。めっちゃ試してくるやんっていう感じでしたね。シャマラニストとして。
いやもう、怒ったことがそのままっていうことは別にいいんですけど、題材が題材だけに、これカルトやんって言われてもしょうがないなっていうことになるんですよね。
なんかこれを、これめっちゃ信じてるって言ったらお前大丈夫かって言われてもしょうがないと。
ある意味そういった意味で試されてるなっていう、シャマラニストとしてみたいなふうに思ったんですけど、
でも迷ってはいるんですけど、これはもう多分もう普通の人から見たらもうダメだって、これカルトだよっていう感じに思われてもしょうがないなと思うんですけど、
それでもやっぱり僕はシャマランが好きなので、いやもう孫子となきシャマランの映画であったというふうに、今回も素晴らしかったですという感じですかね。
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僕はですね、むちゃくちゃ面白かったんですよ。本当に。むちゃくちゃ面白くて、今んとこ今年ベストなんですよね。
シャマラン僕、めっちゃ見てる人ではないんですよね。スプリットとアンブレイカブルとインスターガラスとオールドと、そんだけか、そんだけですね。
結構今回、僕にはシャマランがちょっと自己言及しているところがあるように見えたんですよね、僕には。
今までのシャマランの感じって、俺が信じているものを信じていたらいいでしょっていうのを、そのまま突っ走っている感じだったけど、
それって割と余裕で疑えるものじゃないですかっていうのを言っている感じがして、今までもそうなのかな。ごめんなさい、ちょっとここは整理しきれてないですわ。
ただ、むっちゃ面白かったです。そんな感じですね。ちょっとマニオンさんの話を聞きながら整理していきます。
僕もそんな整理できてないんだけどなって結構思い出されてるんですけど、まあまあお話ししていく中で整理できたらいいかなと、僕自身も思います。
はい、じゃああとお便り5ついただいてますので、紹介させていただきます。前田さんお願いできますか。
はい、はちさん。こんにちは、お疲れ様です。
ノック、週末の訪問者。私は鍛えられたシャマラニストではないので、特に思い出なく見ちゃったのですが、週末世界系映画としてはまあまあ。で、正直、クイア表彰についてはゼロ点と言ってもいいと思いました。
オープンリーゲイの俳優によるゲイカップルのキャスティングをしたこと自体は、承養されるべきことです。しかしながら物語上の使い方はひどいの一言です。
シャマラン映画の肝であるその会議は人為か否か。ここが今回致命的にアウトで、本当に怖いのは人間の差別心理とかに落とし込んでいればまだ納得はできましたが、ほんまにビジョン見えてるどない寸前って感じです。
ちょうど宗教カルトがマイノリティ当事者の生活と精神にいかほどの影響を与えるのかが語られるザ・ホエールが同時期に公開されたこともあり、余計にこの描写はないわぁと思いました。
無断ですが、ジョナサン・グログの顔を見ると、マインドハンターやろうよと思ったり、長々と貴重な配信時間を奪ってしまい失礼いたしました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
本作のクイア表彰、そんなダメでした?僕あんまりそんなに気にならなかったんですけど、どうなんでしょう?
僕は明確にダメだっていうのをちょっと僕の口から言えないんですけど、これでいいのかなっていうのはちょっと重いかなっていう。
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本当に終末論っていうのがあって本当だったっていう話じゃないですか。
その建前の下、ある意味ゲイのカップルに対するヘイトみたいな集団が襲いかかってくるみたいな話にも見えるっていうところは、結構無自覚っちゃ無自覚だったりするのかなみたいなところはやっぱり。
そこは見えるんですよね。
劇中でもお前らどうせゲイが着れないから着てるだけだろみたいな感じで言ってますけど、そういったニュアンスっていうのはどこまで考えてやってるのかなみたいなのかは、確かにちょっと引っかかってしまうのではないかなっていうのは見てては思いますよね。
なんかそこ、あんまりそういう見え方がしちゃうかもっていうのを精査しきらずに作ってるような気はするっちゃするかなっていう。
単にいつもシャマランが扱ってるマイノリティというか少数の人々っていうところで、今回ゲイのカップルかつアジア系の様子を撮ってるっていう、いろんな複雑さを含んだ主人公一家になってますけど、
そこに他の人が見たら結構違う意味を見とっちゃいますよっていうことを、割と無邪気にやってるような感じはあるっちゃあるかなって気はしますかね。
どう見られるかってところを詰め切ってるのかなっていうのは思うかな。
そうなんですよね。これやっぱりクイア表彰の面でもそうだし、あと、現在進行形でどっぷり陰謀論に使ってる人がこれを見たらどう思うだろうかって思うと、
もう自分の言ってることだとさも全て正しいと思い込んでもしょうがないよねっていう。
そこが危ういなっていうのをシャマラニスト的にはちょっといろいろ思いながら見てたわけですけど。
シャマラニストとかで関係ないですけど、これをめっちゃいいって言ってしまっていいのかなっていうのは、やっぱりそこがちょっと僕の中で迷ってたんですよね。
いや確かにね、めっちゃ陰謀論の話じゃないですか。
僕基本的にシャマラ映画って全部陰謀論と相性が良すぎると思うんですよ。
まあまあね、本当に解があるっていう話になって。
そこに今回、いや陰謀論に見えてるぞっていうのを自己言及したように見えて、
なんか今までずっと自分たちだけがこの世界の真実を握ってるんだみたいな話をやってきたのが、
いやそれってどう見ても陰謀論じゃないですかねみたいに見えるっていうのを主人公側に言わせるっていうのはちょっと僕なんか分かってるんやみたいな。
その上で乗り越えてくるんですけどね、そこを。
まあそうですね、それでもっていうのを描くのはやっぱり彼っぽいなっていう感じがするので。
まあそうですね、やっぱり陰謀論者がもう危機として喜びかねないっていうのは見える。
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まあそれほどまでになんというか、そういう陰謀論というか陰謀みたいなのを楽しめなくなってきてる時代だなっていうのはあると思うんですよね。
それはもうとてもちょっと寂しいことでもあるっちゃあるのかもしれないですし。
しかもその陰謀論が同性愛差別にひも付いているように見える。
少なくとも作中の当事者にとってはそう見えたっていう風になってるっていうのは、まあ危ういっちゃ危ういですよね、確かに。
なるほどね。
だからまあその辺とのシャマラン映画としてすごいっていうのと、そういった部分の見え方の部分でちょっとなんか迷うなっていうのが自分の中でやっぱあるかなっていうのはありますよね。
そうですね。
なんか私全然詳しくないんですけど、これもまた聖書の何かしらみたいな話じゃないですか。
そうそうそう。
なんかそれでやったら陰謀論っていうか、宗教とカルトの差ってどこにあるのっていう問いでもあると思うし、
なんかちょっとこの後の話になってくると思うんですけど、個人的には信じるものは救われるっていう話でもあるなと思ったんですよ、すごい。
だからなんか結構そこの線引きって、特に今回このモチーフが聖書から来てるとしたら、ちゃんとした宗教から一応モチーフというか話持ってきてて、
それを信じてる人が陰謀論者とかカルトなのかって言われたら、じゃあそうじゃない人たちとの差って何になるのかっていうのがちょっとわかんないかなっていうのは、
今回の話で言ったらやってることと起こってることがもう全部現実的じゃないからあれなんですけど、なんかちょっとそのテーマは面白い。
そうですね、信じるものは救われる、確かにそういう話でもあるし、僕は信じるしか救われようがないっていう話に見えて、
そうなんですよね。
そういうことにしとかないともうどうしようもないじゃんっていう。
で、そういうの、シャマラってずっと描いてきたと思うんですよね。
そうだったの?
いや私前の、オールドは陰謀論やなって思ったけど。
いやなんて言うんですかね、ある意味だって訳わからん回と自分とその主人公の家族の崩壊とかが直結するというか、ある意味典型みたいな感じでやってくるみたいな話って多いと思うんですよ。
自分に課された使命のように思うみたいな、アンブレイカブルも、自分不死身かもしれないけど本当に不死身でしたっていう自分の意義を見出すとか、サインとかも家族がちょっと崩壊の危機で、
そういう時にミステリーサークル現れて、いやこんなのないやろって思ったら本当に宇宙人がやってきてみたいな話とか、そういうのは結構多いと思うんですよね。
そう考えたら結構無茶苦茶、本来だったら、本来とかないですけど、どっちかなって思うけど、そうじゃないっていう着地もあるけど、絶対怒っちゃうわけじゃないですか、シャマランの映画だと。
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彼はそういうことで救われたい、救いをそこに見出してたりするのかなって思っちゃいましたね。
そういったのが、誰の身にも起こり得ることだって思ってるっていう感じがするんですよね。
面白い。
選ばれた誰かじゃなくて、みんなにもそういうのがあるんだぜっていうのをめっちゃ思ってる人なんですよ。
うっとんですぎでしょ。誰にも送らねえだろ、こんなことみたいな話が逆に誰にでも送るっていうことですね。
誰にでもそういう神話的な何かが物語が、みんな人それぞれあるんだよっていう話っていうことですよね。
あれ文字通りの怪異が起こるわけじゃないけどっていう。
それがね、危うすぎるんですよね。誰しもにそういうことが起こり得るっていうのは、そのまんま陰謀論に直結するじゃないですか。
俺にだって起こるぞっていう。
その前提として誰にでも起こり得るって別に思ってないですよ、私は。
前田さんは思ってないと思いますよ。
シャマラ映画に関しては、世にも奇妙な物語みたいなノリで見てるんで、これがすごい何かの比喩であったとしても。
比喩かなっていうか。
シャマラに一つの視点の相違があるかもしれない。
あんなに突飛なことが起こるっていう意味で言ってるわけじゃなくて、もちろん。
誰しも何かそういった物語というか、運命的な、言葉で説明できないような何かってあるよねっていう話っていうことだと思うんですよ。
それを信じてる人だなっていう。
みんなそれぞれに物語があるんだよっていう、神話があるよっていうことを言いたいっていう人なんですよね。
そこがシャマラの面白さかなと思ってて。
前田さんみたいに単に変な話として楽しんでる人がいるじゃないですか。
それが多分大部分なんですよね。
でもその中で、これは己を信じる人の自分自身の物語を信じるぞっていう話なんだっていう風に受け取る人がいるわけですよね。
シャマラの映画を。
でも何かそういう話にぱっと見見えないんですよね。
単に変な話だなっていう風に見えるっていうところが、何かその見た時の受け取り方がめっちゃこう、二分割されてる感じがあるというか。
僕はオールドは本当にただ変な話に見えたんですよ。
もうこれは何の偶話でもないわと思って、ただ変な話と思ったんですけど。
ただやっぱり本作もそうだし、アンブレイカブルから続く3部作は、自分を信じるぞっていう人たちの話だなっていう風に見えたんで。
なんかそこすっげー、テーマに対しての距離感独特な人だなっていつも思うんですよね。
そうですね、独特ですねそこはね。
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いやー、ちょっと一回仕切りの場所がお便りからシーンですね。
もう始まってるっていう、もう始まったなっていう。
ちょっとじゃあ一旦我々からのテーマ投げかけで再出発しようかと思うんですけど。
どうですかね本作、どっからっていうのは。
僕一番本作面白いなと思ったポイントとして、役者陣の演技、特にデイブアーティスターの演技上手すぎやなと思ったんですよね。
もうこんなことやりたくないことをやらんとダメになった人感はむちゃくちゃあるなと思って。
そこがめちゃくちゃ面白かったポイントというか、あの人の演技が下手やったら多分この映画全然面白かったよなぁとは思ったんですよね。
そうですね、確かにこの映画結構バイオレンスなことも起こりますけど、あんまり直接的には見てないじゃないですか。
なんかそういった意味でもなんかあの映画で一番怖いのってデイブアーティスターの巨大感じゃないかなと思うんですけど。
めちゃくちゃ怖い。
あんなん来たら怖いわっていう。
確かに。
怖いけど、ただ劇中では彼らに直接暴力を振るうんじゃないですか。
すごいこんな無理やろみたいな選択は突きつけてくるという意味では暴力的ですけど、直接的に殴ってくるとかではほぼないみたいなところが。
そこのギャップがなんか面白いというか、勝手に侵入してきて捉えるけど、侵入してきた4人はなんか自分の話をしていくっていう。
そのニュアンスというかなんかすごく不思議な感じというか、こういういきなり家に変な奴らが侵入してきて襲われるみたいな映画ってあると思うんですけど。
なんかワラの犬とかいろいろあると思うんですけど、なんかそういったほとんどバイオレンスなものともちょっと一線を隠してるっていうあたりがなんかちょっとまた不思議な味わいがあるなっていうふうにはこの映画見てて思いましたね。
なんか唯一わからなかったのが、あの人たち来て一人一人死んでいくと災いが起こっていくじゃないですか。
あれがちょっとわからなかったのが、なんか死なかったら災い起こらないのではって思っちゃったんですけど。
あれはなんかちょっと私がちゃんと映画を見てなかったのかもしれないんですけど、どっちみち災いは起こるけどそれを目の前で見せてやるよう的なことなんですかね。
なんか死ぬのを君たちがやめたらいいのではとか思っちゃったんだけど。
そこの因果関係は僕もちょっとよくわからなかったですね。そういうものとして見てました。理屈抜きにして。
そうですね。だからそこもちょっとぼかされてるというか、結局因果関係がわからないまま終わってるんじゃないかなって思うんですよね。結局。
だから本当にこれは本当だったのかもしれないし、本当じゃなかったかもしれないみたいな微妙なニュアンスのままで映画は止まってるんじゃないかなっていう。
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なんか本当だったのかもしれないし、本当っぽく見えるんですけど、なんか実際に女が怒ったらそう見えるじゃんみたいなとかあるんですけど。
でも本当だったのかな?みたいなちょっとした疑惑というか、疑念もある意味そのまま残したままみたいな感じはしましたよね。
なんかね、単にタイミングの問題にも見えるんですよね。
特に2人目の人が死ぬところまでって地震で津波が起きましたとか、パンデミックが起きましたとかじゃないですか。
それって確かに事前の予兆あるんですよね。
地震はもう4時間前に起きてたのは分かってましたとか、疫病自体はそもそもある程度流行ってましたっていう。
深刻になったのがこのタイミングっていうだけで、それでテレビつけたらちょうどそれのニュースがやってそうなタイミングで人を殺していって裏切りにいるっちゃ見るんですよね。
そこまではちゃんとこいつらやべえぞっていうので疑えるようにはなってると思うんですけど、
3つ目のところで飛行機がポコポコ落ちだすっていうのがちょっと理屈を超越するから、あれちょっとこれ本当じゃねえみたいなのが起きちゃうっていうのは僕もそれ思って。
2人目のところまではこれ単にカルトナだけじゃねえみたいに見えてたけど、
3番目の人でガチじゃってなったんですよね。
あの辺作りは上手かったです。
一緒に見てるときに自分だったらどうするかなっていう視点もあったと思うんですけど、
誰か一人犠牲になればいいっていうのが、自殺でもいいとかやったら全然もっと話は早いと思うんですけど、
殺さなきゃいけないっていうところが最難関じゃないですか。
私も基本的に最後エリックとアンドリューが言い合いになって、どっちがエリックどっちがアンドリューか分かんなくなっちゃったんですけど、
片方は途中からなんか俺にも見えてたみたいな言い出して信じ始めてるというか信じちゃってるわけじゃないですか。
基本的に見てる人ってもう一人の最後まで疑ってる人と同じ目線である程度来てたと思うんですけど、
その時のセリフでこんな世界終わってしまえばいいんだよみたいな。
ほんまにそうやなって思ったんですよ。
私だったら世界の全員が死んでもそれでも自分の大切な人だけで生きていくことを選択したいし、
しかもこの世界がそんなにいいものだと思ってない。
だからなおさらそういう気持ちはすごい共感できるなと思ったんですよ。
ただ飛行機が落ち始めた時に、そういう風に結構強く思ってたのに、
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それでもあんなに衝撃的な映像を見てしまうと、正直震災の時の映像とか、
もしああいう風に現実に見てしまった時に、やっぱり自分の感情が耐えられなくなるっていうのが、
すごい映画を見ながら感じてて、
あの辺の揺さぶり方がめちゃくちゃ上手いなと思って、
本当に途中で殺さなあかんとしたらどうしようって思いながら逃げたんですけど、
仮に両方信じてなかったとしたらもう地獄ですよね、あれはもう。
今回片方がもう信じてたから、よかったみたいになったけど。
でもあれ、もう本当に洗脳の手口じゃないですか。
監禁して語りかけ続けるって。
そうだけどさ、そうだけど怒ってるんだもう。
そう。
怒ってるし、もうパートナーが。
あの辺の葛藤みたいなのってやっぱりもう諸に世界形的で、すごくそこも好きなんですけど、やっぱり。
やっぱ世界って本当どうでもいいというか、どうでもいいじゃないな。
残酷だと、本当ひどいと思うっていう思いと、それでも世界に希望を持ちたいみたいな、
あの葛藤というかはやっぱあるというか。
やっぱ最後その直前に飛行機が落ちてくるっていう一場面で本当にちょっと深刻性が出てくるところも含めてだし、
あとプラスなんかが、自分が犠牲になることで得られる未来みたいなのを彼は見るわけじゃないですか。
なんかあそこに全て世界が希望を持てるみたいになるのであれば自分はそこを選ぶみたいな、
ああいう感じってなんか、いや世界形的にすごくいいなっていう感じはめっちゃしたんですよね。
私の中でまだ解明できていない世界形への謎が深まっていく。
どっちもなんですよね。世界って残酷だなって、ひでえなって思う感じと、
それでも世界に希望を持ちたいっていう感覚がどっちに触れるかっていう。
どっちかに片方に揺れるみたいな話っていうのは多いですよね。
そうですよね。だからその基本的に両天林の話になるっていう。
それはやっぱり世界ってダメだよねっていうのと、世界って美しいよねっていう、
それぞれの価値が重りとして乗ってるから、そこを天林を揺らす価値がある話にはなってくるんですよね。
こういうのって。
でもそう考えたら、やっぱりあの家族が選ばれてるっていうのは、
正直選ばれてる意味もよくわからないんですけど、
一番残酷な選択をさせるにあたって、やっぱり子供が必要だと思うんですよね。
子供がいるからその先のビジョンっていうものがあるし、
あれが2人だけだったとしたら片方だけ残ってるビジョンっていうのは悲しいじゃないですか。
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そこに希望を持てるのってやっぱり子供が必要であって、
だからそういう後世の人たちを選んでるわけじゃないですか。
その辺がちょっと残酷だし、だから選ばれたって言われたら、
世界を救うにはそれぐらい残酷な選択をしなきゃいけないから選ばれたっていうことなんですかね。
そうですね。その残酷さにさらにスパイスを効かせるために、
同性愛カップルになってたりとか、アジア系の養子をとってたりみたいな、
微妙にマイノリティ要素を味付けとして使ってると思うんですよ。
確かにそれはセコいというかズルいなって気持ちはあるんですよね。
その味付けの使い方は結構モラル的に義理だぞっていうのは思うちは思うんですよ。
そこも多分クリア表彰の権利に関してでもちょっとあやってなるポイントの一つかなと思うよ。そこを含めて。
シャマラン的には結局不条理なのだからそこに意味なんてないよっていう。
彼らが選ばれたことにそこまで意味ないよっていうのがテーマとして言いたいとは思うんですよね。
ただ劇としての作りとしてはやっぱり彼らが同性カップルで養子をとってて、
アジア系でみたいなのしかも交信率とかそういうのさえも利用してるんですよね。
そこはね、やらしい。
あれはそうですね、わかりやすくさっきの話で言うと、
こんな世界なんてどうでもいいっていう感情を持っている人っていうところでのチョイスじゃないですか。
家族っていうチョイスだったら別に全然たくさんいる中で、
それでもこの世界に不条理を感じて生きてきた人たちっていう括りで選ばれたっていうことじゃないですか。
なんか、さまらんひでえな。
ひどいですよ。ひどいというか。
極端な言い方が多いのは確かにそうなんだよな。
彼的に言いたいのは、誰にでもその不条理って起こり得るよねって思ってると思うんですよね。
でもそれ選ばれた方からしたら、今まで散々ずっと幸せに生きてきた人がいるだろうって。
なんで今までいろんなことに忍んできた自分たちが選ばれなあかんねんってなりますよね。
それこそが不条理ですよね。
不条理に不条理が重なってるじゃん。
じゃんっていうことが現実で起こってるでしょっていう。現実的に。
起こってるよ。起こってるけど。
起こってるからさっていうのが彼らには言いたいんだろうなっていう。
そういったいろんな不条理の大きさはあると思うんですけど、
そういったものが本当にみんなが知らないところで誰かがそれを背負ってるんだっていうのを、
まあそれって家族の側もだし、
侵入してきて4人も4人なりにめちゃくちゃ苦しんでますよね、あれって多分。
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あれを本気だと思っているところで。
いやわかるんですよ。不条理っていうのは理由もなくやってきて誰にでも起こり得るってのはわかるんですけど、
じゃあ選ばれたなんて言葉を使わないでほしいですね。
怒る。
マジ怒る。
それはそこで選ばれたって言葉を使うのがシャマランなんですよ。
おいおい、シャマラン。
選ばれたっていう。
だから劇中の必然性としては単に不条理で偶然だけど、
シャマランの意図としては必然であり、それこそ描きたいものっていうのがあって、
それが共存してるんですよね。
意味なんてないですっていうのと、
必然です、これは運命です、仕組みです、それにこそ立ち向かうんですみたいなことを平然と共存させるから、
おもろいけどなんだよっていう気持ちもちょっとあるんですよね。
ずるいだろうって思って。
今の聞いてシャマランのこと今まで世にも奇妙な物語王子さんだと思ったのに、
すげーグロテスクな人じゃんって思いました。
残酷な神ですよ。残酷な神ですよ、彼は。
そんな映画に巻き込まないでくれよ。
見ちゃったじゃん。
我々付き合ってますからね、それに。
やっちゃったじゃん。すごいですね。
この映画を見てめっちゃ怒るっていうのは、
怒るよ、この映画っていうのは。めっちゃ正しいというか、
こんなんないやろって言われてもしょうがねーよっていう。
なんか話すまで全然怒ってなかったんですけどね。
なんか全然気づいてなかった。
いざこう深く喋ってみると、あれってなりますよねっていうのを、
だから僕はめっちゃ迷っていたんですけど、試されてるって思ったんですけど。
待って待って待って待って。深すぎる。
これいいのかっていう。
シャマラン人はどんな踏み絵をしながら生きてるんですか?
いやいや別に、僕だってこんな踏み絵を、そんな試練を課されたくないですけどっていう感じですけど、
こんなかつてくると思ってないですから。
へー。おもろ。
あと、トロッコ問題じゃないですか、要は。
要するに。
2者卓一ですよね。
より多くが助かる道か、少数の自分の大切な人たちが救われるかっていう、
要点日というかトロッコ問題だと思うんですけど、
これ、スズメのトジマリの話した時も、トロッコ問題のこと僕めちゃくちゃ喋ってたんですけどね。
トロッコ問題ってね、ずるいんですよ。
世界ってそんな2者卓一じゃねえからっていうのがあって、
誰かが死んだら誰かが助かるとかそんなシンプルじゃねえからっていう。
その世界をシンプルにしてそこに意味を見出したがるのが、
なんていうか、宗教的であり陰謀論的でもあると思うんですよね。
2者卓一に意味を足したがるって、
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無理やり人生に意味を後付けしようとしてるじゃんっていう思いがちょっとあって、
それを実際こうやってエンタメとして楽しんでるから、
あんまりぶつくさ言うのは適切じゃないんですけど、
それにこの不条理な感じで良き人々が苦しむのを見るっていうのは、
本当にひでえよなっていうのはあるんですけど、
ただ僕本作すごく好ましく見てたのがあって、
トロッコ問題の何が嫌って、レールの上に立たないんですよね。
そのトロッコ問題の話をする人って、
自分がレバー握ってる側だと思ってるわけですよ。
その時に選択する責任だけを負うことの話をしてるんですけど、
実際引かれる側のみになってみろよっていうところで、
本作そのトロッコのレバーを握ってる人出てこないなと思って、
登場人物全員レールの上に乗ってる人たちだと思うんですよ。
その切実さがあんまり傍観者として、
責任取るふりして無責任な人がいねえなっていうのが、
すごく好ましく見てたんですよ。
全員必死、世界か、あるいは自分たちを助けるために、
全員必死だし余裕ないし、
そこで、やっぱり世界すぐダメに、
CO2が死なんとダメですよねみたいな、
安全事態から言う人が出てこないじゃないですか。
あの事態を知ってる人もいないんですよね。
もう最後知ってるのは、
あの2人しか残ってないんですよ。
この事態が起きたっていうことを。
世界が彼らに、
あいつらが死んだらどうにかなるんだぜっていうことを、
勝手に裁いたりしてないっていうところが、
図式化された二項対別の話でしかないんですけど、
でもそこを必死でやろうとしてるとこは、
僕結構好ましいなとは思って、
全員当事者だぞっていう感じがね、
いいなとは思ったんですよ。
だから、やってきた4人も必死じゃないですか。
どこまで本当かわかんないけど。
だって死ぬしね。
単なるカルト宗教かもしれないけど、
自分たちはもうこれやらなかったら、
世界滅びるわっていうのに、
全力投球なわけですよね。
そうなんですよね。
こんな嘘みたいな話を延々と見せられて、
真実あるを得ないみたいなところまで持って行かされて、
結局本当にそれが死んじゃうみたいな話にさせられるっていうのは、
この世にもめちゃくちゃ辛い思いしてるわっていうのは、
めっちゃ思ったんですよね。
だからめっちゃ自分の身の上話を相手にするしっていう、
あの感じを、
ある意味こんな残酷な仕打ちねえなって思いましたけど。
そうそうそう。
トラック問題って、
思考を楽にするためのものとしての役割が結構あるなと思うんですよ。
だから選択肢は2個ですって。
大か小かどっちかですって。
33:00
楽じゃないですか。
じゃあ、世間一般的には大を取る方が、
みんなが、より多くの人が助かるからいいですよね。
大を選んだらいいよねっていう。
楽するための思考法なんですよ。
実際は違うんですよ。
思考実験だから、もっといろいろ考えるためのものだけど、
多くの人は楽するための思考法的に捉えてるんじゃないかなって気がしてて、
その楽してる感じがないなと思ったんですよ。
楽してるのかもしれないけど、カルト。
微妙だな。
カルトって楽するためのものだから。
ダメかもしれない、彼ら。
しゃべってって思いました。
難しい。
彼らの言ってることが本当だとしたら、
やってることは正しいと思いますけど、
何当たり前のこと言ってるんだろうよ。
そりゃそうだ。
そこが本当だったかもしれないし、
本当じゃなかったかもしれないみたいなのを、
本気で信じさせて、
あの映画を見てる感はさせてくれるっていうか、
そこがシャマランぽいなっていうか、
ようやるなこの人って思うんですよ。
本当にこの人はったりめっちゃ信じてるんだなって感じがするんですよね。
そうですね。
残酷さに対して誠実だなと思いましたね。
見てて。
作りが。
単におもろいから二者卓一にしようって感じというか、
むっちゃ悩むでしょって。
その感じを受け取ってほしいっていう、
シャマランの思いみたいなのは感じたかなと思いましたね。
あと、いわゆるホームインベージョンものっていうやつだと思うんですね。
家にフラチなやからがやってきて、
その家にいた人たちにひどい命をあわせるっていう、
さっきマリオンさんがおっしゃってたワラの犬とかもそうだし、
僕思い出したのはファニーゲームをやっぱ思い出したんですよね。
布かぶせるのとかファニーゲームめっちゃ思い出して。
ファニーゲームは何が嫌って、
やってきた奴らがむちゃくちゃ適当というか、
不誠実なのがむちゃくちゃ嫌なんですよね。
それがあの映画の良さですけど、
本作、全員必死やし割と誠実ではあるから、
事態に対して。
そこがね、ある意味面白いし、
めちゃくちゃ怖いとこだよなと思って。
デブアーティスタとかめちゃくちゃ体でかい野蛮な人に見えるけど、
むちゃくちゃ理智的じゃないですか。
そもそもご本人がそうだし、
本作でもそういう役ですけど、
むっちゃ本力あるだろうし、
かつ理智的、かつ狂い切ってるっていうのが怖すぎるんですよね。
なんか本人の中で理屈が完結してる暴力ってもう、
なんというか、
抗いがたいなっていう。
映画の登場人物にいつも思うのが、
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もうちょっと上手く説明しろよって思いますよね。
今まで自分たちが映画とか見てきて、
思わなかったんかって思いますよね。
こういう時はこういう風に説明しようみたいな。
いきなりあんな感じになったら、
そりゃ警戒して話聞かへんやろってなりますよね。
僕やったら多分もっとプレゼンの計画を練ると思うんですよね。
山口さん上手そう。説明すんの。
しかも優しいというか、
一番安らかに死ねる道具とか持ってきてくれてそう。
なんかもっとね、学士保険とか入っときたくないですか?
子供いるし。
確かに確かに。
今から保護者一人いなくなっちゃうんで、
この保険入っといたら、
山口さんが学校出るまでだとか。
今後のケアのことも含めて、
アフターケアも含めてみたいな感じ?
いやでも、より怖いですねそれ。
より詐欺感も強まりますね。
強まるし。
それやられると、
本当によりも奇妙な物語感が強くなるなって感じしますけどね。
世界のルール根本から違う話系のやつですよね。
もう世界が俺に死ねと言ってくるんですけどみたいな。
それはそれまたちょっと面白いのかもしれないけど。
もうなんかね、不審者としてだけやってきて、
不審者としてだけ自殺を推奨してくるから、
それは無理だし、
少なくとも初めの2人ぐらいは死ぬこと前提の計画でしょあれ多分。
そうなんですよね。
もうちょっとね、それ、
もっとどうにかしてあげたいよな、
死ぬみたいなことさせられるのであればね、
みたいなのが思いますよね。
もっと必死であるがゆえに説明難しいのかもしれないですけど、
ああいうのって。
あと、もしあれやるとしたら、
せめて事前に知り合いには納得気がしません?
他人よりもまだ知り合いの方が説得力は出ないですかね。
ああ、訪問者とターゲットがってことですよね。
その時間がなかったんじゃないですか、
ビジョンが見えてから。
そうなんだけど、
そうなんだけど、
遠くから来たし。
まあね、なんか看護師の人とか、
全財産の大部分を投げ打ってここに来たみたいに言ってましたからね。
結構みんななんか、
この時代にいろいろなものを犠牲を払ってるというか、
看護師の人とかをめっちゃ金かけてるとか、
お子さんいる人とかいるわけじゃないですか、中には。
ちょっとあれとか、本当にいたんだみたいになっちゃった。
やっちゃったなみたいに思いましたもん、あの時なんか。
だからこそ、
39:01
ほんまに何のひねりもなく終わったなと思ったんですよ。
まあね。
だから、オチとかあんのかなと思ったんですよ。
実は起こってる事象は全部本当なんだけど、
あの4人は全員嘘ついてたとか、
なんかそういうひねりあるのかなと思ったら、
全部本当っぽいみたいな。
本当だ、みたいな。
いや、でも多分その、
信じてたことが嘘でしたみたいなことは、
多分描かない気がするんですよね。
彼らの中で信じてたことは、
一旦は本当ですってしてると思うんですよ。
だから彼らの言ってたことは嘘でしたみたいなのも、
あんまりしてないなと思うんですよね。
そうですね。
あそこまで人3人くらい死んだ時点で、
ここまで来たらもう世界滅びてくるのは困るわみたいな空気感でしたもんね。
逆に。
もう引き下がれないよみたいな。
死んでるしみたいな。
そうですね。
シャマランだとイコールどうしても
どんでん返しを求められがっちなとこもあるので、
いやそういう人じゃないよっていうのは今回を見て、
改めて言っておきたいなって思いますけどね。
めちゃくちゃ素直に終わりましたからね。
シャマランはどんでん返しの人じゃなくて、
素直に終わる人だよっていう。
でも私もしあの状況で、
あの状況だったら自分が一番死にたいですよね。
どう考えるの。
それはそう。
残るのはきついですもんね。
残る方がきついあれは。
そうです。
で、それやったら私も首絞められて死ぬのが一番いいと思うんですよ。
それ以外の死に方はもうやめてほしい。
殺され方は。
僕どうやって死ぬのが楽かなってよく考えるんですけど、
全部しんどそうなんですよね。
いや、首絞められて死ぬのが一番楽らしいぞ。
落ちるから?
うん。
知らんけど。
そういうこと?
書いてた。
知らんけど。
そういうことなんですか。
もうめっちゃ苦しそうじゃないですか。
首絞められてる時ってなんか。
こうギューって絞めるからあれだけど、
例えばこうチョークスリーパーとかで、
筋トレ力グッと押したら落ちるじゃないですか。
落ちたまま絞めてたら多分そのまま死んじゃうんじゃないですかね。
分かんないけど。
そう、多分そうもあるし、
しかもあの状況って自分の愛する人に殺されるわけじゃないですか。
その時になんか温もり、手の温もりとかを感じてたい。
それはそう。
だからなんか刺されるとかはちょっと嫌やし、
銃があったら銃は楽なのかもしれないけど、
なんかこうこの人に殺されるというか、
この人の手で自分の人生が終わるんだなっていうことを実感しながら身体に攻めて。
それはそうかもしれない。
自分が愛してる人だったら。
え、でも締めてるほうきついなそれ。
ずっと結構やってることだもん。
自分が締めてるほうやったら、力入れきらなかったら相手がずっと苦しいし。
そうです。
え、ちょっときつくなってきた。
私もうツリーハウスで耳塞いでおきますわ。
いやそう、描写として結構一番ついというか、
42:01
辛かったなって思ったのって、
一人結局死ぬことになって、
その後車で脱出するじゃないですか。
で、ダイナーとかで行って、
状況が改善したみたいなと言った後に、
車に戻るじゃないですか。
その後に思い出の曲が容赦なくかかるじゃないですか。
あっこ一番辛って思いました。
あそこね。
辛くないですか。
結構すごい演出やなって思いました、あれ。
あんなに残酷なシーンないなって思いましたけど。
こんな身を切るような選択をした後に、
でもそんなこと知ってるのは誰もいないわけで、
あの二人しかいないし、
世界はそれで普通に動いてるので、
それは何もこう普通にラジオつけたら
自分のあの大切な人との、
亡くなった人との思い出がガンガンかかる
みたいなことが起こるみたいなのって、
もうあそこ残酷って思って、
あれ辛って思いましたね。
いや、あれすごいですね。
しかもつけたらその曲がかかって、
消して、で今度娘がつけ直して、
娘がもう一回消して、
最後自分でつけ直すっていうのがね、
あれむっちゃいいなと思って、あそこ。
で最後音楽かけながら出発していくっていうのが、
希望でもあるし、
希望があるということにするしかないっていうシーンでも
あるなと思うんですよね。
だからこういうことを選んだのは、
意味があったんだ、そう思うしかない。
意味がなかったらもう、
自分たちはやっていけないからっていう。
だから音楽をつけるんだと思うんですよね。
そうですね。
それちょっと本当危うい話なんですよ。
意味があってほしいっていうのはもう、
そのまま異変暴論に直結する話だから、
危険なんですけど、
でもやっぱり人生ってそういうことでもあるんですよね。
意味のないところに意味を見出す、
それを自分はせめて信じておくっていうのって、
人生の真髄だと思うんですよ、本当に。
そうですね。
そこに刺さっちゃうなっていうのがあって。
だからその信じるということを揺るがすような事態をやっぱり、
シャマナンは描き続けているのかなって気はするんですよね。
特に今回はもう、
陰謀論じゃんって見えちゃうようなことになってたから、
いやもう、これ信じない方がいいのかなっていうことも、
いや、でも信じようっていう話になってるっていうのは、
言ったけどな、いい話だと思うんだけど、
喋れば喋るほど危ういよなっていう。
そうなんですよね。
ヤバくないか?これみたいになっちゃうんだよなっていうのはあって。
映画を見てる間は完全にそこに乗っかって信じてるじゃないですか、
観客としては。
やっぱりそこが強いなって、
45:01
この映画強いなって思えるとこかなっていうふうには思うんですよね。
しかもまた、
ルパート・グリーンとか演じてた、
いかにもな貧乏白人男性、
差別的だっていうのが、
それに噛んでるわけじゃないですか。
一見陰謀論の物事に。
確かに。
そこがね、もう危ういというか、
実際、アメリカでああいう人たちが陰謀論ガンガン乗っかってますよねって人が参加してるから、
なんか、より怖いっちゃ怖いんですよね、そういうの。
そうなんですよね。
本当なんか、今までの話の中にも何回か出てきましたけど、
信じるって何だろうなって思いますよね。難しいなっていう。
そうですね。
本当、シャマランの描く信じるって、
僕ずっと危ういなって思いながら見てて、
自分たちじゃない人、まあ死んでいっかみたいなところも、
ぶしぶしに見えるし、
今回みたいな本当に、
陰謀論すれすれ、もしかしたら陰謀論そのものかもしれないみたいなことでも、
まあ信じてみようみたいなことも描くしで、
信じるっていうことが結構極奥を描いてるなとは思うんですよね。
一番危ういライン、
でもギリギリ自分たちの側としても捉えられるかもみたいなラインを描いてて、
本当に怖いなとは思うんですけど、
でもやっぱりだからこそ、
喋り甲斐のある映画だし、喋り甲斐のある作家だなと思うんですよね。
むしろこうやって喋ったりとか、あるいは批評したりすることで完成する作家なのかなって気も僕はしてるんですね。
本人がどう思ってるか知らないですけどね。
だから作家が描いたものが正解なわけではないじゃないですか。
一人の人間が描いたことが正解に入っているはずなんてないし、
正しさを全部内包できるわけではないと思うので、
それを、やっぱりしゃばらんって危ないよねって、
でも信じることの大切さも描いているよねっていう批評が交わることで、
なんというか、その作品のより良いやり方をできるかなって気がしてて、
そこでようやく完成するんじゃないかなって思ってるんですよね。
これ思ったの最近、
こちらあみ子に関して、
発達障害の当事者の方が書いたノートっていうのがあって、
読まれました?
なんか山口さんがリツイートされてたのから読んだ気がする。
僕も読みましたね、それは。
他の記事すごくよくて、
こちらあみ子って作品の危うさだから、
あみ子ってもしかしたら発達障害かもしれないみたいなのを描いてたけど、
なんていうか、そこに対してぼかしたまま、
なんかちょっと子供時代の良き話みたいな雰囲気を残したまま終わっていくじゃないですか。
48:05
それって発達障害っていうものに対してはすごく不誠実なものでもありますよね、やっぱり。
僕はあの映画すごく好きな映画だし、いい映画だと思ってたけど、
あのノートを見て、確かにそうだと思ったんですよ。
それでじゃあこちらあみ子がそれで良くない映画ってなるわけでもないとは僕は思うんですね。
その批評がなされることで、こちらあみ子の良き面と足りない面みたいなのが補完されて、
ようやくなんかこちらあみ子っていう作品が望ましい形に完成したんですよね、僕の中で。
批評ってそういうものだなと思って、
だから自分の好きなものが否定されたからムカつくとかじゃないと思うんですよ。
むしろより完成していくというか、シャマランもそうだなと思うんですよ。
このシャマランの作品を見て危ういよねっていうことが大事やなって思うんですよ。
でもいいよねっていう、どっちもするっていうのはすごく大事やなとは思って。
なんか映画を見るときに難しいのが、例えばさっきのあみ子の話だと、
すごい言ってることもわかるんですけど、
自分があみ子のことを発達障害の子供として見てるわけじゃなくて、
あみ子の話として見てるわけであって、
それが現実とどこまでリンクさせて考えるかっていう話もあると思うんですね。
映画の中の設定や表現っていうもの。
なんていうのかな。
ちょっと言葉にするの難しいんですけど、
もし現実社会で似たようなことがあったとしても、
当たり前ですけど映画と一緒じゃないし、
その時にその人とかその事柄に対して、
なんていうのかな、自分が、難しいな。
映画の批評するときに結構現実とのリンクも込めての批評って結構あるじゃないですか。
それを自分だったらどうするかなってことは結構考えるんですけど、
映画の中のことは映画の中のことみたいなことも結構思ってるところがあるんで、
今回の映画もそんなことをみんな考えて見てたんだって思ったんですけど、
本当にこういう話みたいな感じで見てたんで、そうなんですよね。
前田さんの見方もそれでいいと思うっていうか、
僕の見方と山口さんの見方と前田さんの見方が違うように、
批評家の見方も違うから、評価軸がっていう。
それを自分の評価軸じゃないからって言って、
え?みたいになるのが一番問題だなっていう感じがするんですよね、そこで。
51:00
それを別の評価軸で見た時に、
自分の好きな映画がちょっとどうかと思うみたいな形の、
ちょっと批判的というか、ネガティブよりニュアンスで語られてる時って見た時、
どうしてもそこの時、この作品が好きな自分が否定されたみたいな気持ちになる人が結構多いなっていう感じがすごくあって、
気持ち分からなくもないですけどもちろん。
それですごく変な方向で批評家に噛みつくみたいな、
この人の見方は間違ってるみたいな言い方をするみたいな、
結構そういうのをネットではよく見るので、それは違うでしょっていうのがやっぱあるのかなっていう。
わかります。お前は感想の評論家かって言いたくなりますよね。
そうなんですよ。
あまりにも事実語にみたいなこと書いてるとかだったら、それは言われるべきですけど、
そんなに好きだったら自分の評価軸もっと大切にしてそこで言えよって感じが僕はするというか。
前田さんみたいに自分が見た時の、自分がこの映画見た時自分だったらどうだろうって評価軸をめっちゃ大切にその映画のこと喋ってるとか、
その感想を評価として持っておくっていうことが大事なのであって、
そこに別の評価軸があって初めて自分には見てないことも見えるかもしれないしっていう。
その発見とか出会いこそが面白いんだよっていうのはめちゃくちゃ思うんですけどね。
だから本当になんか、あのアミコの記事を見た時にこういう見方というか評価軸あるよなって本当にあれもめちゃくちゃ考えさせられたしなっていうのがあって、
本当にあれもちょっといろいろ考えましたね。
その批評の評価軸が一つしかないっていうのはむちゃくちゃ危険だと思うんですよ。
みんながその軸に乗って評価するとかってなったら危険だと思うから、
その別方向な批評がまた存在し得るのが望ましいと思うんですよね。
だから一つのものに対して複数の批評があるということ自体が批評同士が相互に批評し合ってるっていう側面もあると思うんですよ。
だからこの評価軸で評価してる批評はこっちの評価軸で評価してないから別の評価軸で批評しますっていうのはもうその相互で批評し合ってるというか相互互換し合ってるようでもあるし、
だからそのやっぱ複数あるのは望ましいと思うんですよ。
ただその一つの評価軸だけで語ること自体が間違ってるとかでもないとは思うんですよね。
あと批評と感想もちょっと違うと思うんで、感想はやっぱりその映画を見て素直にというか純粋に感じたことであって、それは動かせないじゃないですか。
それと映画の批評、内容であったり作りであったりの批評っていうのはまた違うと思うんで、そこが混合されてると感想の否定はちょっときついなと思うんですね。
それはね、それはダメ。
そうですね。
だってそう思っちゃったんだもうみたいなとこはあるんで。
そうですね。
54:00
だから批評っていう軸に乗るんだったらやっぱ感想とはまた違うステージで話しないといけないなと思うし、
なんかそんなの言い出したらちょっとこのラジオにもなんかこう自分たちの首を絞めるような感じで壊されるから。
まあ、いいじゃないですかそれはっていう意味じゃないですか、それなんておかしいですけど。
僕らその間ぐらいというか、感想よりともどっちかにも触れるときあるしみたいな。
私がほんまに基本的にそんなに見た直後に何かを考えがあって、それを持ってきてることがほぼなくて、
なんか2人はどんな感じで見たんかなみたいなテンションでいつも参戦して、
おーってなってるんでいつも。
だからなんかこうそういう意味では話すことで視点が増えてるっていうのは確実にあるんですけど、
なんか自分一人の中で完結するときになんかすごいそういう批評っていうかなんかっていうのがあんま自分でないんですよね。
だからツイッターとか見てたらそういう意味では心の中で他人の意見と話してるみたいなときもあって面白いんですけど、
最近だとやっぱりあの新仮面ライダーの話がすごい面白くて、
自分の中ではいやいやこれはこうだろうって思うこともあるんですけど、
でもそれは人の意見を見て初めていやこうだろうって思う自分の意見も出てくるわけじゃないか。
だからなんかそういう意味で自分と違う意見とか感想っていうのも聞くのはすごい面白くて好きなんですよね。
ちょっとシャンマランの話からだいぶずらしちゃったんですけど、すいませんこれは僕がずらしちゃいました。
ただあのやっぱ本当にあやうい作家だなとはずっと思ってるので、
だからこそ喋りたいし喋りがいあるなと思うんですよね。
なんかやっぱあやういよねって思うし、
でも死にたいよねっていうのもやっぱこうやって喋ることで再確認できたなぁと思って、
クワ表彰のこととかも僕見たときこんなもんかなぐらいの感じで見てたけど、
ハチさんのお便りとかマリオさんの意見とか聞いては確かになぁみたいなのも思ったから、
それは確かにこうやって喋ることで広がったなっていうのもあるし、
シャンマランもねなんか自分の作品で他人の考えとか全責任持ってるわけじゃないじゃないですかそこは。
それはこうやって僕らが喋ってちょうどいいシャンマランのキャッチの仕方っていうのを
自分たちで見つけていくっていうのがいいのかなとかね思ったりするんですけどね。
いやでも僕今んとこ今年ベストだし、シャンマランの中でもベストです。
すごい。
シャンマランの中でもベストか。
今まで喋ってて今年ベスト感あんまなかったと思うんですけどね。
めっちゃ面白かったですよ。
これ今年ベストなのは結構意外ですね。
僕が自分で一番意外です本当に。
57:04
ちなみに皆さんのシャンマランベストはなんですか?
シャンマランベスト。
うわー迷うな。
シャンマランベストか。
うわーどうしよっかな。
むず。
でもハプニングかもしれない。
ハプニングめっちゃ好きですね。
前さオールドの時も言ってた。
言ってましたよねきっと。
でもなんかシャンマランへの見方が変わったというか、お前そんな奴だったんか。
映画自分も登場したいおじさんじゃなかったんか。
そこがまた不思議ですよね。
今回も出てましたけど、よく出せたなって。
ワンシチュエーションでよく出せたなって思いましたけど。
キャラクターたちに試練を強いる残酷な神をやりつつ、出たがりおじさんでもあるっていう、なんか不思議な人だなっていう。
もしかして全部無邪気にやってんのかとか考えたら余計怖くなるんですけどね。
っていうかもうあくまでは。
この変さがいい。変ななっていうのがもう味ですわっていう感じします。
映画を作ることが自分が神であるっていうことがちょっと面白い。
確かに映画において神でいられますもんね。映画を作っていたら。
そうですね。
シャンマランその気が強い感じしますけどね。描いてるものの内容的に。
確かに。洗脳されてる。
やっぱだから僕そういう意味でもやっぱMr.ガラスがベストかもしれない。
なるほど。なるほどね。
Mr.ガラスこそ本当になんか、いろんなイノセントな人たちにも神話があって、それが本当に世界に波及していくみたいな話になってて、
もうちょっとあそこ感動的やったなーって思って。
その年のベスト10とか余裕に入れてましたね。
確かにシャンマラン好きな人、Mr.ガラス好きな人多いイメージあります。
天気の子の次にMr.ガラス入れてましたね。
そうやったかも。
天気の子1位の2位Mr.ガラスっていうその年の。
何の1位?
2019年の年間のベストで。
1位天気の子、2位Mr.ガラスとかいう風にしてましたね。
なんかすごい並びですね。
もう完全にその2つ同じ文脈ですからね。
完全にね。完全にそんな文脈です。
どっちも世界系ですから。
シャンマラン、世界系やったんか。
世界の終末の話って世界系っぽくなるよなっていう。
1:00:04
世界の終わりからっていうね。
オープニング動画で話したりかもそうでしたけど、
世界の終末を目の前にして、
その時に世界に対して何を思うかみたいな話をめっちゃその時に考えるみたいなのがすごく好きなんだろうなって思って。
その考え抜いた果てに自分のエゴを突き通すなり、
世界に従順するというか、
残酷さを胸に引き受けて生きるとか、
希望をそれでも見出して生きていくとか、
いろいろ選択の先はいろいろあると思うんですけど、
そこでめっちゃ迷うことっていうのがすごく自分の中でめっちゃ刺さってるんだろうなという風に、
この2作を見て改めて思い直しましたね。
ノックと世界の終わりからを見て。
僕も世界系的な映画がよく好きって言ってるんですけど、
むちゃくちゃ合わない時もあるんですよ。
世界に置いてきぼりすんなよって思う時もあれば、
お前たちを自分を選ぶという選択をよくやったってなる時もあって、
やっぱその自分の感情がどっちに触れるかの差ってなんだろうって考えるのはすごく好きなんですよね。
なんかそんな意味でもやっぱ、
自分と世界の二項対立っていう試行実験が好きなんだなって改めて思いました。
世界と自分を天秤にかける時にその天秤を世界に振る理由とは何なのかとか、
自分に振る時の理由って何なんだろうかっていうのを考えるのが多分好きなんですよね。
世界系はほんまにちょっとまだちょっとずつ情報は入れてますけど、
世界と自分っていう二項対立っていう感覚がほんとわからないですよね。
世界って自分が存在するか存在するやんって思ってるんで、
世の中とか社会がクソでムカつくなとか思いますけど、
なんか世界と自分とかはあんま思ったことないかもしれない。
まあ頭でっかじゃない発想だと思いますよ。
あまりフィジカルな発想じゃないというか、
概念ばっか考えてる発想だと思います。
まゆさんがふりくり見たらどう思ったんだろうとかちょっと興味もありますけどね。
世界系なー。あれはマインドゲームとか世界系ですか?
いやただのあれはちゃうんですよね。
いやむず。
マインドゲームって世界系じゃないの?
え、そうなの?僕の中で違うんだよな。
世界系的じゃないって思ってましたけど。
もうちょっと世界系を醸成させてほしい。
2人の中の山口さんのゆゆりみたいな感じで、
あそこまで輪郭をはっきりさせていきたい。
世界系の輪郭をはっきりさせるのは無理くねって思ってんだけど。
結構今僕ら2人乱用してますけど、定義曖昧だし、
迂闊に使うと結構世界系警察に怒られかねない案件なんですよ。
1:03:02
そんな人いるの?
そう怒られると。
世界系警察に会いたいよもはや。
あるんですよ。
いるよって。
え、まじですか?会いたいわほんまに。
多分、僕ら2人多分世界系警察に逮捕されかねないんですよ。本当に。
そうだね。たぶん逮捕されると思う。
お前らの言ってる世界系はゴヨだって言われてますからね。
いや私ね、そう考えたらね、映画界隈で一番平和なのって実はホラー界隈ちゃうかなって思うんですよね。
いや、ホラー映画の人たちってあんまり揉めないんですよ。
人と人が揉めることはありますけど、作品に対してどうとか、あんま警察もいないですし、
人がいないだけかもしれないですけど、なんかみんな基本的にみんないいねみたいな感じで話してるんで、
なんか最近平和やなって。
ホラー警察いないんですか?
いや、いるんかな実は。
いや、何々オリジナルしか認めないみたいなこととかじゃなくて。
え、なんですか?
え、何とかの作品はオリジナルしか認めないみたいな、
なんかそういう原理主義者的な人がいそうなイメージが僕、ホラー映画界隈にいるイメージがあったんですけど勝手に。
え、いやなんか、でもそれホラー映画ってよりオリジナル史上主義みたいな人はいるかもしれないですけど、
なんか何たら警察はいない気がしますね。
え、とか、いたら会いたい。捕まえてほしい。
殺し合い中警察とか。
ホラー映画界隈は平和なのか。
いやなんか、思いました。
今までホラー畑にしかいなかったところを、このラジオ機にちょっと外の世界に踏み出てみたら、
意外となんか物騒やなみたいな。
すぐ怒られるやんみたいな。
そうですよ。世界は怖いところなんです。
こんな世界、転んでしまえばいいって思うんですよね。
ね。
でも生きるんだよな、みたいな。
そうなんです。
明日もホラー映画を見て生きていくんですよ。
はい。
まあじゃあちょっとそんな感じで、
ロック週末の訪問者の話は終わっておこうかなと思います。
はい。次回どうしましょう。
次回ね。
新作よりも既にやってるやつ行くのがいいのかなって気もするんですけど、
うん。
サルインはちょっときつそうですよね、マリオンさん的に、過去作にいるのは。
そうなんですよね、でもなんか、
14日になんかどうやらあれですよね、
ハロウィンと、ハロウィン3部作一挙上映みたいなのやるらしいですよね。
え、どこで?
時間的に無理でしたけど、梅田で。
まじっすか、14?限定?
そうですね、限定、1日限定。
絶対無理じゃん。
ただ時間が15時45分とかだったので無理やなってなって。
ホラー映画好きなやつのこと無職やと思ってんか?
無職やと思ってる。
そう、もうちょっと遅かったらその3部作連続上映みたいなのに行きたかったかなとは思いましたけど、ちょっとね。
1:06:01
いや、でも大元の1作目あるんやったら映画館で見たいかも。
あ、大元のじゃなくて、新しい版からの1作目から。
ハロウィンのと、ハロウィンキルズ?
キルズと、で、ハロウィンエンズ。
ハロウィンエンズ、あーなるほど。
を連続でやるっていうのはあったんですけどね。
公開作やと聖地にはクモがすごく映るとかありますけど、
正直オープニングでお2人がお話しした作品どれも魅力的だなとは思うんですよね。
そうですね。今回オープニング特に上がった4本の中からでも全然いいのかなっていう。
どれでもいいっす。
1個目何でしたっけマリオンさんの?
エアー。
エアーはめっちゃ見たいんですけど、ちょっと。
時間が。
今週じゃなくて来週見るかもしれなくて。
なるほど。
それか別に、え、狼?殺し?
狼狩り。
狼狩りか、狼殺しじゃねえなって。
狼狩りはほんまに見てほしいけど、そんな語るほどのことはないかもしれないけど。
喋る系じゃなさそうかもしれないですね。
ないのか。
いやそうなんですよ。
ないんだな。
でもとりあえず見てほしい絶対に。
わかります。
世界の終わり。
世界の終わりからは、いやまた世界系回ってなるなっていうのがちょっとあって。
いや違う、またというか、今回は世界系と別に思ってなかったんですけど。
思ってなかった。また世界の終わり、週末論映画会っていう感じがちょっとするんですけど。
いやー、ふりくりから世界系だいぶ続いてますからね。
そうなんですよね。
世界系ラジオになってる。
そう。
まああの、僕ら二人が世界系寄りがちっていうのがあるんで。
っていう、そうそうそう。
そこしか放ってこなかった人の末路でしょっていう。
もう世界系って言葉ちょっと古いですからね、だいぶ。
まあそうですね、もう。
使ってきていないようなあんまりなっていうのは思いますけど。
いや、もう2020年代にキキとして世界系って言葉を使ってる人あんまりいないと思う、本当に。
いない、いない、いないですよね。
本当にダメですけどね。
思いながら使ってるけど。
だからなんかまあ喋るならなんかザホエールとかの方が面白いかもしれないですけど。
うん、かも。
ザホエールな。
マイナセン的にちょっとピンときてないですかね、もしかしたら。
いや、見たい気持ちはあるんですけど、いっぱい見たいやつの優先順位的にちょっと割り込めない。
っていうことですね。
そうですね、ちょっとそこが迷うとこですね。
え、むずい。
それか他でも全然いいですけどね、作品、他に何かあれは。
あれは面白くないですかね、この世界の中で今。
ね。
あとは、ヴィレッジ。
え、ヴィレッジまだですよね。
まだですね。
あ、来週か。
来週1から。
そうなんです。
マイナさんヴィレッジ気になってるやろうなと思ってましたけど。
うん、でもなんかこの監督の作品が半々なんですよね、自分の中で。
おー。
合う合わないが。
おー、それか、ダンジョンズ&ドラゴンズの話します?
1:09:03
ダンジョンズ&ドラゴンズ、いいっすね。
ありちゃいます?
それとかやったらもう2人見てて、まあマイナさんが今週見に行くのかわかりませんけど。
今週見に行きますよ。
予定がこう、かみ合ってるのであればそれでもいいのかなって。
そう、ちょっと時間がまだ出てないのは気になりますけど。
それかもう、来週出たとこ勝負でやります?
出たとこ勝負?
偶然3人が揃って見てた作品について話するとか。
新しい。
新しい。
それ新しい。
ほうほうほう。
3人が揃わなかったら何の話するのかっていう感じになっちゃいますけど。
ちょっと置いときますか、テーマ。
ちょっと置いときましょうか。
なんか土日過ぎてどうですかっていう感じで。
じゃあ土日過ぎてから決めましょう。
はい。
じゃあその感じでいきたいと思います。
はい、ではお知らせになります。
4月も映画の話し出すギルバーを開催する予定です。
場所は大阪の南大門町にある日帰りイベント型カフェバー週間曲がり、
日時は4月29日とよびオープンが19時、クローズが23時となっております。
あと5月に映画の話し出すギルバーの東京開催が決定しました。
場所はイベントバーエデン日暮里、日時は5月27日とよびオープンが18時、クローズが23時となっております。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
次回テーマ作品の感想など50人を送っていただけると幸いです。
また次回バー開催情報を取ってキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします。
この番組のイメージキャラクター映画の話し出すギルバーを販売していますので、
よろしければご購入くださいまして、
お便り受付先、ツイッターアカウント、グッズ販売サイト、
全員の番組の説明文に記載しております。
はい、それでは映画の話し出すギリラジオ第112回
ノック!週末の訪問者の会を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。