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2024-05-24 58:18

第168回(2)『胸騒ぎ』芯がなければ悪は存在する

『胸騒ぎ』の話をしました。

主人公ビャアン一家と脅威となるパトリック一家の行動原理の一貫性のなさを突っ込みながら本作が描こうとしたものが何かなどについて話しています。

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00:00
今日のテーマトークは、胸騒ぎです。マリオンさん、解説をお願いします。
はい、映画ドットゴムから解説読ませていただきます。
ある善良な家族を襲う悪夢のような終末を描いたデンマーク・オランダ合作によるヒューマンホラー。
休暇でイタリアへ旅行に出かけたデンマーク人の夫妻、ビャーンとルイーセ、娘のアウヌスは、そこで出会ったオランダ人の夫妻、パトリックとカリン、息子のアベールと息統合する。
数週間後、パトリック夫妻から招待状を受け取ったビャーンは、妻子を連れて人里離れた彼らの家を訪問する。
再会を喜び合ったのも束の間、会話を交わすうちに、些細な誤解や違和感が生じ始め、徐々に溝が深まっていく。
彼らのおもてなしに、居心地の悪さと恐怖を感じながらも、終末が終わるまでの辛抱だと耐え続けるビャーンたちだったが、
アフターウェディングなど俳優としても活躍するデンマークの記載、クリスチャン・タフドロップが監督脚本を手掛けた。
では沢尻の感想、山口さんからお伺いしてもよろしいですか。
はい、ついさっきまで見てました。今僕お腹が気持ち悪いんです。
体調悪くなりました本当に見てて。正直僕この映画のこと嫌いなんですよね。本当に。
中盤まではめちゃくちゃ面白かったです本当に。後半はマジできつい。本当に。
今日前田さん言ってくれた方が良かったと思うんですけど、いわゆる胸クソ悪さが先走ってる映画だと思うんですよ。
ストーリーというよりは。こういうのを評価する軸があんまり自分の中でちゃんとなくって、
なんかうまく評価できない気がするんですよね本作を。
なんかこのある種機能特化した非常に嫌な不愉快な思いをするための映画としての特化している映画だと思うので、
なんか僕の中での評価軸が難しいなって気持ちがあります。
いろんな映画も思い出しつつ、それらの映画もかなりネタバレに踏み込むので、どこまで掘るようかなっていうのはちょっと今迷ってます。
以上です。
マリオンさんいかがでしたか?
そうですね。シンプルに胸クソ悪い映画っていう。これも正しい評価じゃないかなっていう感じがするんですけど、
ちゃんと不愉快な映画で、ちゃんと不愉快な思いをして帰りましたっていう感じですね本当に。
僕もどっちかっていうとやっぱり中盤というか、ちょっとずつ違和感が重なってくるところがやっぱ面白いかなって思ってしまいましたね。
なんかちょっとずつ、あれなんか合わんなあこの人たちとみたいな感じが積もって。
でもやっぱり人としてこうなんというか、あんまりこうことを抗てたくないという感じは、まあよくやるじゃないですかやっぱ。
03:10
やっぱそれ感じとかはなんか僕はすごくよくわかるなあっていう感じがすごくして、
なんかその辺の違和感が積み重なってちょっと爆発しそうになったりしちゃったりみたいな部分がやっぱりちょっと面白かったなあっていう。
そこを突き詰めて一本もっと見たいぐらい。
ああもう怖いわ嫌だわみたいなふうに思いたかったぐらいでしたねやっぱり。
やっぱ最後の方に待ち受ける本当にムナクソ悪い展開に関しては、本当に確かにムナクソは悪いんですけど、
でもなんでこの人たちこれやってんのかなあみたいなことを考え出してしまいいっていうのがあって、
なんかそこまでやらなきゃいけなかったというか、なんか本当にただ不条理なだけっていう感じがすごいして、
でまあその不条理劇なんで、そこに理由なんてねえよって言われたらそうかもしれないですけど、
でもこの話には理由があるくないか、いるくないかとすごく思ってしまったので、
まあちょっと自分の求めているものではちょっとなかったなっていう感じがすごいしました。
そこを突き詰めていくと、前半と後半で断絶が起きてるんですよね。
奴らのやってることに、後半で明らかになった目的が主目的だったら前半みたいな行動しないだろうって気持ちがあって、
下手じゃんってなるんですよ。
あんまり一貫性はないですよね。
そうなんですよね。そこがもう機能特化だなって僕はね、思いましたね。
僕もあのサワーリの感想なんですけど、胸クソ悪いっていうのはもうお二方と同意って感じなんですが、
なんか割と引いた目ですごい偶和的っちゃ偶和的な話だなと思って、
なんかもう本当いいおじいさんと悪いおじいさんがいましたみたいな話じゃないですかこれ、最後まで見てみると。
でまあ普通昔話だったらいいおじいさんに何かいいことがあっていいんがおほを言いますけど、
この話においては悪いおじいさん悪いおばあさんの話、むしろそっちが主観の話というか、
いいおじいさんって本当に悪いおじいさんに勝てるのかねみたいなそういう話になってるなっていうふうに見えてはきていて、
まあ偶和的ではありつつ、まあ確かに真実としてそういう社会の面というか、
そのどうしたっていい人でいるだけで生まれる弱さみたいのは、
まああるのはあるよなーみたいなことはちょっと考えたりはしました。
なんでなんかそれでいるが故に脆弱というか、その悪意に勝てなくなってしまうみたいな。
だから悪は存在するだなーって思いながら映画館は後にしました。
そうですね、いや、あのー、ちょっと言いたいことがどうしても出てきてしまう作品で、
06:03
やっと今日前田さんいてくれたらって思うんですけど、
もっとそうなんすよね。
この路線の映画、我々きちんと評価できるのかという気持ちがあったら。
うーん、そうですね。
まあまあしょうがないですが。
話してみましょうか。
はい、できる範囲で。
まあ、やれるだけのことはやりましょうっていう。
じゃあどこから触れていきましょうかね。
そうですね、前半と後半は切り分けて話したほうがいい気はしてて、
前半から行くのがいいんじゃないですかね。
まずオープニングなんですけど、結構コテコテの始まり方で僕はそこワクワクしました。
画面も驚しいし、音楽も極端なまでに驚々しくて、
なんかすごく良かったですね。
あれ、イタリアの宿泊施設に移動してるシーンだと思うんですけど、
後半の舞台とちょっとまあ、経路が被ってるというかイメージがその辺り重ねてるんだろうなっていうところもあって、
あそこの引き込み力がすごい強かったっていう。
そうですね、確かに車の車窓から暗闇を照らすっていうのは、
なんかある種のこの後の話のメタファーとしても捉えられなくもないですし、
その先の見えない道というか、
その運転者の視点がパトリック側の視点なんで、
あ、そうなんだとかちょっと思うんですけど。
そうですね、細かい違和感の積み重ねが本当に前半上手いというか、
本当、ガッと体重かけてこないですよね、前半。
そうですよね、ベジタリアン、ルイーセって、
デンマーク人側の妻に対してやたらイヌシチニク進めてくるとか。
あれ、余裕であると思うんですか?
いや、余裕であると思います。
ありますよね、忘れてたりとか、いろんな理由で、
必ずこう苦手なものというか、その人の嫌なことをやってしまうみたいな、
進めちゃうみたいなのがやっぱりありますよね。
どちら側にも立つというか、
ルイーセもルイーセで、
いや、私ちょっとベジタリアンなんでってもう一回言えばいいんですけど、
客人として歓迎されてる手前にそれが言えないって言われたりとか。
いや、そう、あの辺なんか自分のがというか、主張をこう、
まあ一旦ここは納めとくかみたいな感じにする振る舞い、
めっちゃやってるなーって思って。
わかる、わかる。
例えばですけど、レストランで注文したものと違うものが来たときって、
まあええかって食べちゃう人なんですけど、
はいはいはい。
その感じをすごい思い出しましたね。
09:00
あー。
いやーでも、ほんと細かいとこなんですけど、
そのあり得るとこが本作のすげー面白いとこだと思ってて、
これ余裕で自分がこっち側の可能性あるぞみたいな見方してたんですよね。
で、例えばそのベジタリアンのことを触れるときに、
あ、環境気使ってるんですねみたいな言うじゃないですか、あいつが。
いやそのベジタリアンっていろんな理由あるから、
環境ありきってめっちゃ偏ってるやろみたいな、
そこをなんか普通に言ってくるとこうすっげー嫌だなと思って、
ただその、わかってますよ、全然オッケーなんで大丈夫ですよっていうのを示すために、
先回りしたことが実は的外してるって僕全然あるなと思って、あそこ。
あー。
確かにありますね。
で、あそこはほんとに、うわ、なんかすっげーリアルな言い合いな感じ出してるなっていうのは思って、
そこは上手なんですよね。
あとあの、イタリアのシーン、僕結構後々聞いてくる要素があるなと思ってるんですけど、
あの、名前忘れた?主人公の。
えっと、ビアンですか。
あ、ビアン。
が、イタリアで外食しようとするときに、ここって観光客向けだろみたいな感じで言うじゃないですか。
これあの、男性あるあるというか、地元の人が行ってる店の方が上手い理論、男言いがちっていうのはあって、
後半でそれで痛い見合わせですよ。
ガチの現地の人が行ってる店は相当居心地が悪いっていう。
確かにそうだな。
確かに確かに。
確かに、いやわかるな確かに。
やっぱね、値段高いしな、やっぱりなみたいな、それじゃないですか、やっぱ観光客向けとか。
まああとね、今だとすごいインバウンド向けのやつとか、えぐい金額になってるとか、誰が食べんねんみたいな金額、でも向こうの人はそれ食べるしみたいなやつとかね、あるのとすごい似てますよね。
で、それよりは例えば地元の街中華とかをあえて選んでみたりとかそういうことしちゃいますよね。
そうそうあるあるで、本作ね結構そのリアンの中年男性人識みたいなのがちょこちょこと見えるんですよね。
わかります。
で、僕はそこを拾うの大好き人間なので拾ってみてたんですけど、まず旅先の出会いで自分の人生が変わるかもしれないロマンを感じてるんですよね。
はいはいはい。
この本でわかるんですけど、彼中年の危機なんですよね、今。
もうなんか人の顔色ばっか伺ってこんな人生閉じ込められてるみたいだみたいな感じをよりによってあいつに打ち明けるわけなんですけど、その偶然の出会いで自分の人生は変わるかもしれないみたいなロマンを抱いてるんですよね。
12:05
それでこう旅行先で出会った木の井家族に招待されて、ちょっと俺人生のフェーズ変わっちゃうかもみたいなので、もうそっからずっと上細らんってあいつ。
いやーおっしゃる通り。だってルフィー生がめちゃくちゃやな顔どんどんしてくるじゃないですか中盤以降。
女の人はああいう時やっぱめちゃめちゃ気使うんですよね。行ったことない場所にホテルとかじゃない人の家に行くっていうことの厄介さをやっぱ女の人の方がよくわかってるんですよね。
特に子供いるからそこのブレーキはより強くかかるんですけど、やっぱり男の方がそのあたりちょっと気楽なんですよ。僕心当たりあってヒヤヒヤしてますよ。
娘の発表会とかまともに聞いてなかったですからね。
確かに。
お呼ばれしてーってなってたから。
でも彼ずっとそのベッドサイドで本読んでますけど、あの本が1ミリも進んでないところも結構彼らしいんですけど、オープンって書いてあるんですよ。
多分オープンマインドでいようみたいな自己啓発本だと思うんですよね。
なるほどね。
そういうところも彼の危うさというか。
あーいやちょっと全然そこまで見切れてなかったな。あいつなんかおもろいやつやったな。おもろいやつというかすごいなんかめっちゃ親近感もっと湧くじゃんっていうキャラクターだったかっていうことにちょっとこう気づかされますね。
友達家に誘って食事してる時のこう目回しする感じとか。
この前イタリアで会った家族にお呼ばれしてさーって行こうか迷ってんだよねみたいな。
いや断ってたやん妻がさーって。
いやいい感じなんだよねーみたいに。
もううまいことこう巻き込んで。
これは行った方がいいっていうモードに巻き込んでいくじゃないですか。
いやまあああいうことする時はあるんですけど。
正直こうやりたいことをどう説中するかっていう風間駆け引きはだいぶ心当たりあるんです僕は。
この映画のジャンル分かった状態でそれを見るのはもういやすいんで本当に。
いいことにはならないのは目に見えてますからねそれが。
まあまあそこはねちょっと前半で見え隠れするのがなかなか怖いなというか。
相手もちゃんとリアルな範囲での違和感を出してくるから。
これってまだ飲み込んだ方がいいやつかなみたいな。
できるだけ我慢しちゃうじゃないですか。
人と人ってさこういうとこあるよねみたいな。
15:03
なんかちょっと自分もここ飲み下しちゃうかもみたいな。
ギリギリの分水嶺みたいなとこで嫌なことが積み重なっていくのすげえなと思って。
確かになんかいい人でいようというか、
例えば偏見をできるだけ持たないでいようとかってやっぱ映画とか見てて思ったりはするじゃないですか。
できるだけ公平な視点でというか。
でもなんかそうしようしようとするがために明らかにこれはどうなのみたいなことも全部見逃しちゃうもんなんだなと思って。
そうですよね。
ただ絶対に許せないのはやっぱりデビーシッターの偏見だったと思うんですけど。
あれはそうですよね。
あれは絶対に無理でうーんってなりつつ言ってるけど、あれ絶対許したらダメなとこで。
絶対そこ引っかかる人はいかねないとこなんだから、事前の了解は取らんとダメなやつですよ絶対に。
それを取ってない人たちはそこでちょっともう無理ですねってなるというか、
うちの妻だったらあれだったらもうその時点でちょっとって無理ですねってなると思うんですよ。
あそこが結構作劇上の都合だと思います。
逆にあそこまで許しちゃう親から最後のことをやっちゃってるのかなって思って。
まあまあそうですね。
ある種あそこでそのパトリック夫婦がもうこいつは大丈夫だなっていうなるか、
こいつはダメそうだわってなるかっていう結構分水例にしてる可能性もあるかなとちょっと見てて思いました。
それはあるかもしれないです。
あいつら試してるんですよね。人を要所要所で試してて、だんだん心折れていってるなっていうのを確認している感じあるんですよね。
確かにそれは確かにそうかもしれない。
まあそうですもんね。結局今回の違和感って完全にその悪気なくというレベルではないものっていう感じだから、
試してる感じっていうのは随所に出てくるというか、やっぱ悪魔みたいな存在って感じがすごいしますよね。
なんかお前ら本当はこうなんだろうみたいなことを言ってくるみたいな。
途中でそのビャーンがすごい自分の今のこう不安みたいなトロする場面とかも完全になんかあそこたぶらかされたじゃないですか、
打ち明けちゃったなみたいな感じに、それが完全に悪魔だったねっていう感じになってるのかなって感じがすごい見てて思いましたし。
まあ多分普通の人だったらもう帰るわみたいななってる瞬間は結構あって、それでもなんでこの人たち残るにやろうみたいな感じはやっぱりしてはいましたけど。
あとちょっと僕思ってたんですけど、お客さんとして呼ばれた人様の家に今お邪魔するわけですけど、その家でセックスすんのかってずっと思ってて。
18:05
それね、ちょっとあれこいつらはこいつらって思いましたよね。
いやそう、あの時にお前もだいぶなんか何様じゃないけど、どういう心境っていう感じがすごいしたんですけど。
そうですね、まあそうなんですよ。
ホテルと勘違いしてねって感じが旅行先のホテルと勘違いしてねってちょっと思っちゃいましたけど、あれなんかちょっとなんかよくわかんないなこの人たちのこともっていうか、あんまり良く振る舞おうと、あんまり良い人たちじゃねえなと思いましたかね、その時に。
良い人たちじゃないし、ちょっとあまりに話の都合にのっかりすぎてるとこはあるんですよね。
娘が子供部屋の床に寝かされてるのとか、まあ苦笑いしちゃうのはあるかもしれないですけど、この子も一生じゃないと寝れないんでとか言って初めからベッドで寝かすとか多分するんですよ、ああいうのがあったら。
確かにそうですね。
気使うというよりもそのシナリオにのっとって動いてる感が強いとこが多いんですよね。
あまりに譲らなすぎるというか、なんかこう引くべきところを引くっていう線を引くっていう覚悟をしとかないと人んちなんて子供連れていけないと思うんですよね。
それがしんどいからやっぱ子供連れての人んち行くってしんどいんですよ。何を許容して何を許容しないかっていう線引きはめちゃめちゃ判断がしんどいからやっぱ人んちって行きたくないんであって、それを全部飲み込んでたらそれは無理でしょってなるんですよね。
やっぱなんかちょっと都合って感じなんですかね、物語の都合なのかって思うと、ちょっとした違和感で人間関係壊れるというかなんかしちゃうみたいな感じの、やっぱその序盤とか中盤あたりのあの辺がやっぱ面白かった身からすると、
だんだんちょっとあんまり自分の求めてるやつじゃないのかみたいなふうになっていくのはしょうがないなーっていう感じはすごいしちゃいますけど、人んちに泊まりに行くのってなんかやっぱちょっと緊張しますよね、緊張するしちょっと。
いやでもこないだちょっと大井さんの家に泊まったのって言うのおかしいんですけど。緊張してたのかなってちょっと思いました。
いやでもやっぱやっぱ気使うというかなんというかそのやっぱり親しきながらも礼儀ありじゃないですけど、なんかやっぱちゃんと一線は引くじゃないですか、一線というか。
そうですね、なんかホテルの一人部屋に泊まるのとはやっぱわけが違いますよね。
そうそう、わけが違うので、なんでもじゃあ泊まるからって、じゃあ人んちの冷蔵庫のもん買ってみなさって食べていいのかってそんなわけじゃないじゃないですか、もちろんみたいな。
21:06
そこにやっぱこう、自分のやっぱパーソナルな一線とかがそれぞれある中で泊めてもらうっていうことなので、そこはやっぱ気使うのは絶対使うのが、なんかあんまりこの人たちの気の使い方っていうかなんか線そもそもどっちの方もガバガバだなっていう感じがすごいしてしまうっていう感じですよね。
そうですね、ちょっとこの線は越えないだろうっていうところを越えていくのはやっぱ少し見づらいなって思うとこはちょこちょことありましたけど、
ベビーシッターのところは割と一番初めの大きいアウトのポイントなんですけど、あとのシャワールームのところとか、娘ベッドに連れて行かれるところとか、もうとっくにボーダーライン越えまくっているので、
でもなぁ、あそこでセックスしてたかなぁ、ひけ目でちょっと。 そうなんですよね、なんかこいつらもこいつらでなぁってなっちゃうんですよね。 なんかあれもね、あそこでひけ目感じるのって娘無視してセックスするぐらいのことをしてないとひけ目に感じようがないからって無理やり話の都合でセックスしてる感じあって。
あぁ、確かに。ちょっとぼー、なんか唐突な感じでしたもんね。 まぁまぁわかるんですよ、不安は。 それわかるんですよ、気持ちは。 めちゃめちゃ不安だと思うけど、言うだろ。 そうそう、てか言えよっていう。
ホラーとかサスペンスにおいてそれを言っちゃおしまいよってことなのかもしれないですけど、でも言えよっていう。 なんですよねー、だから前半はこの他人がオッケーなライン自分が無理かもっていうのの微妙なラインを探っていってるところは結構面白いんですよ。
ただちょっとアウトのラインを平然と踏み越えていくところに、なんかちょっと話の都合を感じるなって思いながら見てはいて、でも面白かったですけどね、前半は。 そうですね、そしたらちょっと中盤以降の話にも入ってますけど、より確信というか物語の中身に触れる話に行きますか。
そうですね、まず一本の映画のオチとしては結構アリだと思うんですよ。 特にこう嫌な映画としてのオチとしてはアリだと思うんですね。
ただ、なんだろう、やっぱり下手すぎるんですよね、パトリックの夫妻のやり方が。 単的に言うと狩りをしてたわけじゃないですか。 観光地に行ってちょろそうな一家を見つけて、家に誘って、そいつらを殺して物と子供を奪うっていうことを繰り返してるっていう話なわけですけど、
24:17
オチは下手なわけですよね。 もうとっくの昔にキレられててもおかしくないわけですよ。 だからあれを意図してやってるんだとしたら、狩りの成功率めちゃめちゃ低いはずなんです。
そうなんですよね。 だからあんなにいっぱい被害者が生まれるはずがないんですよね。 天然でやってるとしたら、それはそれでそもそも無理なんですというか。
正直何がしたかったのかな、この人たち。目的何?みたいな感じがすごくしてしまったんですよね。 自分たちの子供が欲しいのか、君たちはみたいな。
にしてはあまりにもやり方くどいなっていうか、もっと上手くやるじゃんみたいなことは思いましたし。 結局何がしたかったのかな、このパトリック夫妻はっていう。単純に人さらいっていうわけでもないし。
そういうオチというかそういうのをするのであれば、何かしらそういう理由がないと、こういう普通に意外とありふれたような話の中で実はみたいなことをする上では、すっげえノイズだなって思ってしまって。
それは何か意味がそこにないですよみたいなところに、ああ怖い、不気味って思うことありますけど、この話ではそれはダメじゃねっていう気がすごいしてしまいました。
前半部分がやっぱり日常の中で僕らは共感できる部分が多い分、後半のジャンプアップに余計無理というか、無理があるとは思いますよね。
教養もデリカシーもないならず者なのか、あるいはその人を信じるということに救う悪魔なのかっていうのがよくわかんねえんですよね。多分話としては悪魔として扱ってるんですよ。
人を信じることを悪用しながらその人をどんどん落としめていく悪魔なんですけど、やってることがあまりに単にバカにも見えるし、どこまでちゃんと狙ってやってるのかもわからないんですよね。普通になんか愚か者に見えるというか、
実は医者じゃないってわかるとこも、あれ結構ヒヤッてなるシーンで、え?この家の収入は?イタリアへ旅行するのか?どっから出たの?みたいな後半に対する伏線にもなってるんですけど、ただそれを言う意味がないというか、
結局その主人公夫妻と観客を我々に疑念を抱かせるためだけに行動してるから、すっげえ役割なんですよね。でも役割なんだけど、役割でしかないというか、本当に人格がなさすぎて、だから悪魔としての人格もないから一貫性がない感じがするんですよね。
27:25
なんか本当、その場その場を切り抜けるためだけに生きてる存在みたいな感じになってますよね。 そういうことなのかな?本当に目先のことだけ考えてる、それこそならず者ってことなのかもしれないですけど、だとしたら特に捕まってるだろうみたいな。
じゃあなんで子供連れてくる理由は?とか思うんですけど、あるし。 そう、子供入れ替える理由ないですからね。 そうなんですよね。なんかそれをずっとこだわってやってる理由って最後まであんまり明かされないですし、別に明かされたところでってところもあるんですけど、結局彼ら何したかったんだろうなっていうのは。
だから本当にならず者とかサイコパスとかそういうちょっと理解し難い何かみたいな感じなんだなって思うと、途端にまあ結構、まあそっかみたいな、すごい単純というか、あんまり複雑なもんじゃなくなっちゃうんだなっていうのがすごい感じたりはしますよね。
そう、そこが結構ノイズなんですよね。だから瞬間瞬間の生理的嫌悪感に前振りしすぎてて、なんかあの、え?ってなっちゃうとこはあって。
たとえばですけど、個々の悪業に関わってる実行犯自体は、そやべ、ひきんな、パンなる、ならず者でしかないけれども、全体像としては人を飲み込むためのシステムのように働いてる悪っていうものを描いているのが、僕とマリオンさんが大好きな悪の法則っていう映画があってですね。
あれ、メキシコのマイクカルテルにマイケル・ファス・ベンナーが巻き込まれていくっていう話ですけど、あれその実行犯当事者が出てくるとめちゃめちゃしょうもないんですよ、本当に。
強要もないし粗暴で、一個一個の悪は非常にひきんだけど、全体像としてはもうそういうシステムになってる感じが描かれてる映画で、めちゃめちゃドライでカッチョイイ映画なんですけど。
でもやっぱ悪の法則は、悪をどう描くかっていうコンセプトがしっかりしてるから、そこがブレないんですけど、多分本作の悪ってコンセプトはないと思うんですよね。コンセプトはないというか、コンセプトは瞬間瞬間の生理的権威かっていうところに置かれてる感じがあって、インスタントには盛り上がるんですよね。
30:07
もうムラクソ悪いってなるんだけど、あんまりそこに関しては残るものがない感じはするんですよね。
たとえばウィッカーマンっていう映画があって、あれも田舎に行ったら田舎の人たちめっちゃ気持ち悪かったっていう話なんですけど、あれは本当にちょっとカルト的というか、ミッドサマーとかにもひも付けて語られる映画なんですけど、ちゃんと信仰の話もなってて、その主人公が敬虔なクリスチャンなんですよね。
その土着のカルト的な価値観に触れても、そこで信仰を失わないということで、倫理的な線はしっかりしてる話にはなってるんですよね。瞬間瞬間のこいつら気持ち悪いみたいなのもあるけど、ちゃんとそこが何に対して信じていくのかみたいなのがしっかりしてる映画だったりはすると思うんですけど、
そこもパトリック夫妻も瞬間瞬間のセリ的危険感に振ってるし、主人公夫妻の側もそれに単にわざと乗っかってるような、わざとらしい選択を選べ続けるっていうので、本当に登場人物の中に軸が全然ないなって思っちゃうんですよね。
本当にそれこそビアン夫妻が発信的に子供を渡しちゃうのって、お前らに軸がなかったからで私と思っちゃうぐらい行動原理というか、だからビアンがそういう旬の危機を陥るのもそりゃそうだろうっていう感じがだんだんしてくるんですよね。
そうですね。もうちょっと軸がない人たちの話を、もうちょっとリアルなものというか実感のあるものにしてたら、目も当てられないぐらい嫌なもの見せられたって気持ちになったと思うんですよね。それだけで本当に。
軸がないってことがどういうことなのかっていう、そういうもんにからすめ取られるぞみたいな話とかだったら、もっとすごい意味のあるというか、もっと真実味が増すような映画になったんじゃないかなっていうのは本当に思いますよね。
いやーでも、このシークオフ祭を軸がない人たちっていう風にするには、なんだろうな、ちゃんとダメなものにはダメとかって言うしなーみたいな、まあそこもあれか、結局一個一個洗うがおうとしたらそれへし折られていってる話でもあるんですよね、野崎って。
うんうんうん。
だからまあなんだろう、軸が、か細い軸はあるけど全部それをへし折られていく話として見てもいいのかな。
まあそう、そっか、まあそうだったらまだ。
まあそのね、やっぱダメなのはダメって言い続けても、じゃあそのダメって言ってもそれがやっぱ変わらないままそのまま流されていってしまうみたいな状況ってまあ、まあいろいろあるじゃないですか。
33:01
いろんなことに当てはまることたくさんあると思うんですけど、まあそういう意味ではまあ、そう捉えたらまだ一本この映画の、なんかああこういうことをやりたかったんかみたいな、まあ見えてはくるかな、多少。
まあやっぱ、まああえて教訓を引っ張り出すとするんだったら、まあただよく生きるって、自分を持たずに生きることじゃないぞってことなのかなとはちょっと思って。
うーん。
だからある種そのパトリック、加害者夫妻というか、あの二人もまあ確かに軸もないですし、ある意味、まあ私は怖くてだと思うんですよね、ほぼ、やってることは。
でもそんな、ある種ちっちゃな悪意、こんなにわかりやすい悪意にも軸がないだけで絡めとられんぞっていう、なんか注意喚起だと捉えたら、ああ自分を持って生きねえかなと思えてくるところはちょっとあるかなとは。
うーん。
そうですね。
なんか起こるべきことは一個一個ちゃんと行かんとダメやなって思って。
そうそうそうそう。
で、はしょるじゃないですか。
はい。
起こりポイントいくつか。
例えばシャワー浴びてるときにトイレに入ってくんなとか、もっとちゃんと起こってよかったと思うし。
あのまあ、子供のダンスシーンもいや厳しすぎだろっていうの、あれまあそうなんだけど、あとはあのお土産のコップ割るのやめろやっていうのもちゃんと言っといていいとこというか。
いや確かに、割ってた割ってた。
いやだからその、お前たちこんだけ良くないことしてるぞっていうアピールポイントがあったら、そのひけ目に感じないというか、あのまま変える決断をもうちょっとできたと思うんですよ。
で、そこ飲んじゃってるから変える決断もだんだんできなくなってるというか、どんどんこう巻き取られていってる感じすると思うんですよね。
なんかだからちょっと思ったのは、いろんな場所でよく言う言葉ですけど、とはいえあの人悪い言葉じゃないんだよなとか、悪い人じゃないんだよなとか、
あとあの人悪気はないんだよなとかっていうことってあるじゃないですか。
そうやって自分に生かせ飲み込む瞬間とかって。
でも本当にそうかって時も考えなきゃいけないなと思って。
いくら悪気がないからって全部許せ必要もねえだろってちょっと見てて思ったというか。
そうですね。だから究極言わなくてもいいかもしれないと思うんですよ。一個一個全部。
ただ自分の中であいつのやったことは良くないことと思って、今自分はそれを許してるだけだぞっていう。
本当は自由を仕切ってないぞっていうのをちゃんと残しといたら、危機に対して瞬発力を持つことはできると思うんですよ。
それを飲み下しちゃったから反撃の瞬発力が生まれてなかったと思うんですよね。
やっぱこう正しくなさに対する行き通りは形のない状態にしてしまってはいけないんじゃないかなって思って。
36:01
反撃ポイントは実際結構あるんですよね。
そうなんですよね。
てかあのネイブルメトリーに帰るところってあれ偶然ですからね。あそこ帰れてるから。
いや確かにな。確かにあれ普通に帰れるなって思いましたもんね。見てる時も正直。
帰れる。帰れるよ。
帰れるよ。良かったやん。なんかこう嫌だよねって話終わるんかなって言ったら、人形ないとか言って、じゃあもう取りに行くかみたいな言って、そしたら人形あるとか言って。
見てる時はもうおいおいって感じでしたけど、旗から見たらもう完全に都合でしかねえな話のって感じがすごいするじゃないですか。
見てる時はもうおいとかなんでやねえみたいなの言うんだけど楽しんではいたんですけど。
だから僕あれもう偶然じゃなくて完全にアウネス側が仕掛けてんのかなって思いました。ベビーシッターに引っ込まれたのかなって。あまりにも出来すぎてるから。
そっちの方がね、筋通ってますよね。てかそこやってないからやっぱ弱いんだよなって思った。
全て手のひらのエイデス予感がないんじゃないですか。
確かにな、せっかくだったらそこまでして初めて今まで話してた、ちゃんと悪いことに悪いって言わないと本当にかすめ取られちゃうぞみたいな。
軸がないと大変だぞみたいな。一線ないとダメだぞみたいな話が、やっぱ生きてこないのかなっていう。
感じ取れはするけど、もっとそれこそもっとちゃんと言ってこいよっていう話ですよね。
そうなんですよね。だからそこって、あえて良く捉えるために教訓として言いましたけど、やっぱりそれをもっと強化させるためには、悪側が最強じゃなきゃ意味がないと思うんですよ。
世界とか、あるいは他者がいかに悪意を持ってこっちに接してくるかっていうので、それをどうしても崩せないからこっちも守るしかないっていうような論理じゃないと、やっぱりメッセージとしても強くはならないと思うので。
やっぱりそこの爪は甘いんですよね、この映画。
ぬいぐるみ捕りに戻って見つかった時の言い訳も下手すぎて。
めっちゃ下手やなって思いました。おいーってなりましたよ。
想定しとけよと思ったんですけど、厄介な奴らの家に戻るんだから、言い訳は武器として持っとけよと思って。
なんだろうな、その悪に対して、悪辣さで武装する必要はないと思うんですけど、上手にはなれるだろうと思って。
悪にならなくても上手にはなれるだろうと思って。
しかもあの夫婦、わりと頭いいというか、教養高そうな二人じゃないですか。
それぐらいは働くだろうと思って。
どうしても仕事があって、僕だけ帰るわけいかないからとかっていろいろ言えますよね。
僕ずっと途中から、急に親が死んで帰らんとダメだって、それが一番強いカードだろうと思ってて。
39:03
親が死んだって言え、親が死んだって言えって思ってたら、何とは言えないけどいろいろあってとか、アホかと思って。
何濁しとんでんっていう。
思いました。
その程度の辻褄を合わせることもできないんだったら、あいつ仕事できないですよ、絶対。
もっと頑張れ、そこは。
確かにな。
仕事でも伸び悩んでそうな気はしますけど。
まあまあね。
でもそれはある。
いい家住んでんだよな、あいつ。
いい家住んでるんですよね。
もっと小賢しいと思うんだよな。
微妙に馬鹿正直というか、なんかなーって思ってましたけど。
あとやっぱり子供とっかえる理由本当に作れない。
そう。
なんなんすかね、優秀な子供を自分の子供にしたいってことなんすかね。
もうなんか飛ぶ日にしか見えないんですよね、離れとかが。
物品も置いてるし、あれ全部証拠じゃないですか。
そうですよね、そうそうそう。
だからまあ多発している外国人の行方不明事件とか。
一応まあ国またいでるからパソコンとか示してるんじゃないですか。
EU同士だったらそこまでゆるゆるなんすか、あんま詳しくないんですけど。
いやでもやっぱ事件にはなりますよね。
オランダに来た観光客の行方不明の事件が多発しているってなって、
あの家族証拠全部置いてますからね。
そうそうそう。
まあでももしかしたらですけど、一回やったら場所変えてんじゃんのかなと思ったんですけど、
最後なんかまた別の場所行ってたから。
まあまあまあ、確かに。
で多分別の場所行って、その行った場所でわざわざ証拠品並べてるんだと思うんですけどね。
多分。
同じ家に定住とかしてたらバレるから、多分そこはしてないような気はするけどどうでしょうっていうね。
だってもうあの二人、あの夫婦の遺体置いてくじゃないですか。
証拠隠滅とかも一切なしかと思って。
そう、あれセメントに埋めんとダメなやつじゃないですか。
絶対に泥かセメントに埋めるんやと思ってて。
でこう、夫婦の死体がセメントの中に埋まっていくシーンでエンドぐらいの感じ。
その画的な不条理。
この夫婦はいなかったかのように処理されていくみたいな、画的なあれかと思ったら、
むしろ残したまま哀愁を伴わせるって、いやいや、犯罪としてどうやねんみたいな。
多分なんかあれですよね。
多分なんか宗教的ななんかあれですかみたいな感じの演出というかモチーフみたいなのをしたいんかなーみたいな。
もう僕全然わからなかったですけど、したいんかなーって気はすごい、その後エンドロールすごい宗教画みたいなのが出てくるので、
42:02
なんかかなって感じはしたんだけど、そっち優先したんだなって感じがしましたね。
まあ確かに石ぶつけて殺すっていうのは結構宗教的な意味を感じましたけどね。
なんかあるらしいですよ。石打ちっていう処刑方法がオランダに昔あったらしくて、
まあそれをこう抱負させてるっぽいんですけどね。
まあ石打ちはまあ今もありますけど、
イスラムとか多分イスラム教とかはあったりとかしたような気がするんですけど、
まあそれはそれとして、まあでも旗から見ててちょっと笑っちゃうんだよな。
あのすごいな、陶器のコントロールいいな、こういうふうに手先になってしまって、
めっちゃ的確に頭当てるやんみたいな、なんか動かんとはいえなんか上手いなとかなんか思っちゃったりしたんですけど。
まああそこも正直意思落ちてるから反撃できるだろうって気持ちもちょっと芽生えるんですけど、
やっぱまあ心折られていってるっていうのはあって、まあそこまでに。
自分たちは誤った選択を選び続けたっていう意識を植え付けられていってるっていうのは間違いなくあるとは思うんですよね。
で、それの最終的な決め手が一旦車止めておしっこするところなんですけど、
いやあそこね運転席に移ってブイーンってやれんことはないと思うし、
まあちょっと移してほしいね。
まあ妻の方乗ってるけど、もう押し出せみたいに必死になることはできると思うんですけど、
もう心がへし折られてるからそれできない。
で、それを確認されてるなっていうのは感じました。
で、最終的に子供は舌切られて連れ去られてっていう、
もうあの時点であの夫婦が生きてる意味なくなってるんで、
もう死を受け入れちゃってるっていう、
まあ反撃、反撃しようがもう娘が連れ去られて舌を切られてるからっていうので、
もう死の側に飲み込まれちゃってるっていうのは、
まあなんとなくわかるなとは思って、
でも一番嫌な死に方やなって思いながら見てました。
自分たちの選択のミスで子供が失われて、
その後自分たちは生きることを諦めさせられて死ぬっていう、
一番怖い死に方やなと思った、あそこ。
ほんとそこやっぱシンプルにやっぱ胸クソ悪いポイントというか、
いやほんと人が絶望する過程というか、
ほんとに絶望するなっていう内容をよく考えてきたなって感じでやっぱそこはすごいしましたよね。
あとやっぱガッツリ子供の死体も今回出てくるじゃないですか。
いやよくやるなってちょっと思いましたけどね。
やっぱああいうのっていうかまあ、ホラー映画で子供を殺すシーンとか、
死体が出るとかやっぱあんま出さないじゃないですか。
出さないというかちょっとやっぱそこまではちょっと鬼になりきれんなみたいな。
45:03
やっぱそこがちょっとある種の安全のライン、見る側としてもやっぱラインとしてあったりするところだと思うんですけど、
普通に越えてくるからああーってやっぱなりましたしね。
いやーあれもよくわからんというか、
子供連れてるってもう誘拐の証拠そのものですかあれ。
まあね、そうそうそう。
そうなんだよな。
なんかこれリメイクが決まってるっていう話あるじゃないですか。
アメリカのブラムハウスでリメイクっていうのが決まってて、
もう予告編出てるんですよね。
それちょっと見たんですよ。
ジェームズ・マカボエがパトリックをやってるんですけど。
わー、なんかわかる。
やってるんですけど、そのシーンで子供が男の子ですよね。
もうバリバリ予告編で娘さんに対して口開いて、
チョキで口の前でパックパックっていうか、
ハサミで切られてるみたいなジェスチャーしてて、
ガッツリ言うとるなみたいな。
ガッツリ言うとるなみたいな感じになってて。
だからどうなるんかなっていうか、
もうバレるやんっていう。
そうなんですよね、別に下なくっても伝えれるからな、いろんなこと。
そう言えるんだよなっていう。
一回男の子が主人公夫婦に口の中見せて、
たぶんあれは訴えてたってことだったと思うんですけど、
ジェスチャーできますよねっていう。
そうそうそう。
もしかしたらそういうちょっと、
元の今回のムナサギのオリジナル版のちょっとなんか、
あれなんかここツッコミポイントじゃね?みたいなところを、
ちゃんと補強してリメイクしてるのかもしれないっていう感じでちょっとしましたよね。
そうなんですよね。
登場人物全員レールに乗ってるからな、そこがな。
ただやっぱこの不快感を与えるっていう意味でも結構僕究極に近い映画だとも思ってて、
いやちょっと僕今まで見た映画で一番腹渡が気持ち悪くなった感覚があったんですよね。
意味が通ってないのが逆に嫌やったかもしれないなと思って。
理屈で不快感が緩和されないというか、
理屈が通ってないすぎて、ただ嫌さだけがそこにあるみたいな。
そうですね。
すごい一貫性のない悪だし怖悪党的なところはあるけど、
理解ができないから怖いってところはあるかもしれないですよね。
本国だともっと宗教的な意味とか読み取られてるんですかね、これってもしかして。
かもしれないですけどね。
ちょっとそこまでは読み込めてないですけどね。
でもそうだ、すごい良かったなって思ったのはやっぱデンマーク語とオランダ語。
48:04
あれいいですよね。
漢語として機能するっていう話。
楽観の解剖学で見たやつっていうか、ちょうど見たやつって。
ちゃんとオランダ語の時字幕出ないじゃないですか、
パトリックさんがオランダ語で喋ってるとき、
全く何やってるのか分かんないっていう感覚がちゃんと伝わってきますよね。
あれはすごい見ててちょっとゾクゾクしたというか、いいなってすごい思いました。
それ言おうとしてたの忘れてました。
結構クールな使い方だなと思いました。
僕正直楽観の解剖学より上手いと思いました。
わかります。
言語の使い分けは。
しかも伝わってるかどうかちょっと分かんないですけど、
途中子供にオランダ語で話しかけるシーンがあるじゃないですか。
自己夫婦の娘に向こうの夫婦がオランダ語で話しかけるみたいな。
それでなんか目の付いてるみたいな。
あそことかも嫌だなっていう感覚とか強く覚えましたし、
なんかすごい印象的な使い方してますよね、この本作。
もう瞬間瞬間にゼンブリみたいな映画だったなと。
ただやっぱ不快なだけで終わる映画がちょっと僕あんま好きになれんなとは思いましたね。
例えばですけど、ジョーダンピーウのゲットアウトっていう映画がありましたけど、
あの映画ってこの作品のように終わることってできたと思うんです。
今からゲットアウトのネタバレしますけど、
あれって最後反撃できちゃうんですよね、ゲットアウトって。
そうですね。
そこに至るまでの絶望ってすごくて、
どんどん状況に絡めとられていってるっていうのがビシバシ伝わってくるし、
あとゲットアウトのいいところは本当に筋がめっちゃ通ってることなんですけど。
そうですね。
やってることの意味が。
元々のアイディアって結局主人公はもう奴らに絡めとられるエンドだったみたいなんですけど、
そうしてないんですよ。
僕結構ジョーダンピーウのクールなとこだと思うんですけど、
単にムナクソで終わったらいいってだけじゃないっていうのは、
結構このエンターテイメントとしてのホラー映画作る上で結構な良い部分だと思うんですよね。
元々その嫌な感じで終わるところを切り替えれたっていうその判断ができたジョーダンピーウは、
結構エンタメ作家としてクールだなと本当に思うんですけど、
嫌な感じになるとそれっぽくなるじゃないですか。
ジョーダンピーウなんてポリティカルなテーマ入ってるし、
これが現実なんで皆さん考えてください。
51:01
持って帰っていろいろ深刻になってくださいって言う終わり方もできるんだけど、
やっぱ気持ちよく変えれるんですよね。
それと明日はどうかな?
そうですね、明日は逆にねっていう。
ちょっとうわーっていうやつでしたけど。
そうか、だからゲットアウトだけなのか。
まあ、
ただまあ、
ムナクソだけじゃないというか意味がちゃんとあるっていうのは、
やっぱいいなって思えるというか、
意味のないムナクソってただの不快感でしかないなっていう。
どうしてもそうなっちゃうなーみたいなのはありますね。
そうですね、だから読み取らないこともないし、
監督のインタビューとか読むと、
やっぱり危機意識としていい人というか、
ポリティカルコネクトネスだけが良かると思われる社会ってのはどうなの?って問題意識はあるっていうのは言われてますけど、
ポリティカルコネクトネス、
そうね、なんかそのメッセージもあるけど、
よりもっと不快感の方を多分優先した演出ですよね、これ。
だからなんかやっぱりそれをやりたかったんだろうなって思いますし、
あとちょっとインタビュー見てると面白いというか、
監督はあんたもあんただなって思ったのが、
結構これ実際に自分が旅行家族で旅行してる時に、
会った家族が、オランダ人家族がいて、
で、その家族からほら遊びに来なよみたいな人たちが本当に来たらしいんですよ。
で、監督は行かなかったんですって、それに。
もし行ってたらどうなってたのかなって想像してこれ書いてるって言うんですよ。
えー性格しとるな。
そうそうそうそう。
どうなんそれはって思ったりもして。
そうなんだよ、なんか、うーん?なんだかな。
その方向の作り手としては大事な視点かもしれないですけどね、
常に空想の中の威風で嫌なことを考えるっていうのは、
ホラー作家としては重要な性格だと思うんですけど。
ただそれね、もし仮に会ったとしても言うなよって思いましたし。
仮に会ったとしても言うなって。
そういうとこちょっとね、美案っぽいなって思っちゃいましたつい。
なるほどね。
あと何かありますかね。
真枝さんいてほしかったなって思った。
いやー真枝さんだったらこれどう見ましたかね確かに。
真枝さんはめちゃめちゃ楽しんだ可能性もあるし、
もしかしたらこういう筋道取ってないのだとダメって言うかもしれないし、
真枝さんも意外と読めないですからね。
そうですね確かに。
ちょっともし次来られる人がいたらあれ見ましたって聞いてみたいですね。
そうですね。
そんなとこですかね。
ですかね。
じゃあこんなところで胸騒ぎの話は終わらせていただこうかなと思います。
次回テーマってどうされます?
54:01
ちょっと難しいなとは思ってて、また後でやりとりしますか。
そうですね。
ちょっと後ほど話して決める形にしますか。
ちなみに候補あります?
候補ね、来週そのね、
意外とその再来週ぐらいまで来ればミッシングとかもあったりするんですけどね、
今週ってなるとちょっと確かに。
ミッシングは今週だよ。
ミッシングは今週か。
今週だね。
って意味ではミッシングは確かにありではある。
あー言ってたな真枝さんも。
じゃあミッシングはまあありっちゃありなのかな。
ですね。
まあ喋るとしたらそのミッシングがありふれた教室かなって感じはしましたけどね。
パッと見た感じ。
そうですね。
あとちょっとなんか見たいなと思ってまだ見れてないんですけど、
今やってるトラペジウムはちょっと気になってます。
いや僕絶対見ようと思ってて。
やっぱり。
もうM原さんから直接バチバチに山口さんのための映画ですって言われて。
ほーなるほど。
M原さんはトラペジウムはプロレスとイコールでつなげられる映画って言ってて。
はいはいはい。
男にとってのプロレスが女性にとってのアイドルだっていう。
はー面白い解釈されるなM原さん。
強い痛みを伴う高いところにある目標としてのアイドルそしてプロレスラーであり、
僕的には巨人の星なんですよ。
なるほど。
高い空にある星を目指すことには強い痛みを伴うっていう話。
うんうんうん。
だとしたらもう僕のための映画の可能性があるなと思って。
なるほど。
はい。
あんまり実は見る気なかったんだよなトラペジウム。
はい。
なんとなく。
いやまあM原さんが興味ないやろなと思って。
テーマには無理かなと思ってたんですけど正直僕は絶対見ようと思ってる映画なんですよね今一番。
なるほどやっぱそうですよねちょっとなんとなくその感じかなと思って上げてみたんですけど。
はい。
結構ね予告からねなんか変な感じがあるんですよ。
いやそうそうそう。
あの映画。
ちょっと違和感ですよね。
あれアイドルってそういうものだっけみたいな。
そうそうそうそうそうそう。
うん。
よくわかんねえなこれって思ってました正直。
なんか間違ったスポコンというかあれって感じがあるんですよねちょっとね。
で実際それの批判とかもツイッターとかで見ますけどたまに。
うん。
うーん。
いやーそういうの好きなんでね。
巨人の星も野球やってないんですよ。
野球やってない。
確かに。
そっか。
巨人の星を目指すっていう行為をしてるのではって野球をしてないんですよね星フィルマーって。
いやそこが最高なんですよね。
間違った努力っていう。
そこが最高って。
じゃあちょっと前田さん参加可能かどうかも含めて後ほど決めるって形にしましょうかね。
57:05
そうですね。
はい。
はい。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー東京開催5月25日がいよいよ迫ってまいりました。
場所はイベントバーエデン日ポリ。
18時オープン23時クローズです。
大阪震災場地で毎月第2第4火曜日に山口さんが店長する月2バー。
ちょっと映画の話でももやるあわせでお願いいたします。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や次回テーマに向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報番組次回テーマはXにて告知をしております。
各ご案内は番組説明文をご確認ください。
それでは映画の話したすぎるラジオ第168回村騒ぎの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さようなら。
さようなら。
さようなら。
58:18

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