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  2. 第72回(2)『わたしは最悪。』..
2022-07-19 56:29

第72回(2)『わたしは最悪。』どこまで行ってもわたしで生きたい。

『わたしは最悪。』の話をしました。

選んだ人生を肯定したくなる本作の魅力などについて話しています。

■メンバー ・山口 ・原口 ・まえだ ・マリオン

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00:00
今日のテーマは、「わたしは最悪。」です。はい、じゃあ原口さん、解説お願いします。
はい、映画ドットコメを拝借します。母の残像をテルマなどで注目されるデンマークのヨアキモトリアー監督が手がけ、
2021年の第74回カンヌ国際映画最コンペティション部門で女優賞を受賞。
2022年の第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされた異色の恋愛ドラマ。
30歳という節目を迎えたユリア。これまででいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、未だ人生の方向性が定まらずにいた。
年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。
ある夜、招待されていないパーティーに紛れ込んだユリアは、そこで若く魅力的なアイバーに出会う。
子供なくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身を委ねたユリアは、そこに人生の新たな展開を見出そうとするが。
トリアー監督のオスロを8月31日などに出演してきたレナーテ・レインスペがユリア役を演じ、観の映画賞で女優賞を受賞したとなっております。
はい、ではここからネタバレ込みの話入っていきたいと思いますので、見てから聞きたいという方がいらっしゃったら、一旦聞くのを止めていただけたらなと思います。
はい、では各々沢里の感想を伺っていこうかと思うんですけれども、フラグさん本作どのようにご覧になられましたか?
沢里だからちょっと中身は後にするとして、結構作品の作りが面白いというか、今回これ賞立て作品になってて、各賞のそれぞれが不意打ちするようなタイミングで次の賞行くというか、それぞれの賞の長さが別々やから、なかなか見ていて不思議なテンポ感の感覚になりながらちょっと見てました。
はい、前田さん本作どのようにご覧になられました?
私、意外とめっちゃ良かったです。
いや、まあ意外というか別に、いけると思ってましたけど。
本当ですか?なんか結構いわゆる30を節目に女性の選択がみたいな話、結構嫌やなと思ってたんですけど、なんか見る前は嫌だな嫌だな、怖いな怖いなって思ってたんですけど、本当に最悪どころか最高やんって思いました。
うん、それは。なんかそんな切羽詰まった感じの話でも意外とないでしょうね。
うん。
それはそうかなって。
そうです、本当に。
ちなみに、マリオンさんと見に行きました。
ほう?
あ、そうなんですか?
見に行ったというか、私がもうほんまこれ見る前までずっとホラー映画と思ってたんで、一人で見るの嫌やなって思ってたら、マリオンさんはもう1回見てもいいぐらいやってたんで、ちょっとご一緒させていただいて。
ほうほうほう。
珍しいことをしてみました。
なるほど。はい、じゃあマリオンさん。
そうですね、僕はもう僕のなんか自意識にめっちゃ刺さってしまう映画でしたね、本当に。主人公とも年齢がやっぱ近いっていうのもあるんですけど、でも僕自身は全然この主人公と全然違うなって思うんですよね、生き方とか考え方も。でもそもそも性別も違うしっていう、これ全然違うんですけど、
03:09
なんか彼女がいろいろこう自分の中の正しくなさだったりとか、自分の中でいろいろ定義できない不確かなものみたいなものを考えたりとか、あと時間の有限性みたいな話をまざまざと見せつけられる中で、いろいろすごく葛藤とかもするし、いろいろ渇望してるものとか不安なものとかがいろいろいっぱい映画から溢れてて、そのなんか複雑なものに自分のことのように痛くも思えるし、ほろ苦くも思うしっていうふうにやっぱ感じてしまって。
でもなんか最終的にはすごくこの映画を見て肯定されたような気持ちになるっていう、何度もこれからも見返したくなるぐらい好きになる映画でした。
はい。僕はですね、いわゆる刺さるっていう感じの見方はしてなくて、自分ではないなっていう感覚は強いんですね。ただ、普遍的な20代、30代にかかるまでの普遍的な話を描いてるなぁと思って、あんまり男女関係ない話として見れるとは思ったんですね。
ただ、要所要所でその女性ならではの要素が入ってくるんですけど、ただ男の僕の目から見て女性のその話として描かれることで、男性のそういう話であるよりもより普遍性を得た話として見られたかなっていうふうには思ったんですね。
あと、とにかくね、僕この主人公のユリアが好きですね。恋してます本当に。かわいすぎと思って。大好きです。はい。じゃあそんな感じで具体的な話入っていこうかと思うんですけれども、ハロユウさんじゃあより詳しく話していただいていいですか?
でね、さっきも言ってたけど、やっぱり自分が30の時を思い出すと、一部だけ被るのかな。その時は転勤で東京で働いてて、現在の妻と遠距離やってて、割とね30ってなんか人生の壁を感じてた時やったかなという時あって。
ちょうどね、29歳の時にお世話になったお客さんから引き抜き言われて、その時にそこの取締役の人に君は来年30迎えるのか、30代どう生きたいんだねみたいなことを言われたことがあって、そこからかな。でちょっと今まで遊んでたから、いろいろ考えるようになったかなっていうのはあって、結構そういう意味で割と共感したかなっていう。
だからといって、それ以降は別に主人公と重なるところはないんだけども、でも何か何者かにはなろうとしてたかなっていう。
あれとそこでなんかちょっと変な、ある種の闇の時代を迎えてたかな。なんかちょっと意識高い系で出しちゃったことがあったかなっていうのは。
06:00
意識高い原口さん。
前もそう言ってましたよね。
あー言ってたかな、自己紹介の時。
まあそれ以外でなんか異性関係ののは全然もちろんないけども、つまりあれは。
僕、本作あんまそういう人識的な意味ではあんま刺さってないんですよ。で何が違うんかなってちょっと考えたんですよね。
で、主人公結構私これじゃないかも、こっちかもこれじゃない、こっちかもこれじゃないってテンテンってするじゃないですか。
で、僕あんな風な感じに迷った感じではなかったなと思って、むしろ俺は荒野を走ったらその後に道ができるみたいな感じで突っ走ってたら、実は道できてませんでしたみたいな感じやったかなと思って。
むしろ突っ走ってたってこう、荒野でも何でもなかったですみたいな、なんかね、あの三月期タイプやと思ってるんですよ僕。
三月期タイプ。
いやもう俺はこの道だーって言って突っ走ったけど別にその道に何でもなかったって感じで、主人公みたいにこっち行ってこっち見てこっちじゃないかものみたいな感じじゃないんですよ。
どっちも最終的に虚無に陥るんですけど、ちょっと違うなと思って見てたんですけど、ただなんかね、根っこは一緒かなって思って、やっぱどこかにたどり着きたいみたいな思いってあるなって思うんですよね。
それをもう突っ走ったらなんとかなるわなのか、いやちゃんと選ばないといけないなのかっていうの。でもどっちもどこか虚ろなものでしかないっていう感じはあるなと思うんですよね。
そういう意味ではなんか俺もいろんな場所に顔は出してみたりはしてたかなっていうのがあって。
おー意識高い系だー。
闇の時代やろー。だからってなー、行ったからって何かになれるわけでもないやんがわかったかなっていうのはある。
いやそれまさに本作の主人公じゃないですか。この人についていったら何かになるかと思ったら別に自分は何でもなくて、あくまにその人についていっている私でしかないっていう。
オープニングからそれですからね。わー私パーティーついてきただけの人やわーみたいな感じな。
あーまさにそう、そんな感じ。ある種なんか謎のパーティーに参加してみたみたいな。
お金だけはサクシュされたねーみたいな。
最初とね、最後の終わり方すごくいいんですよね。
そう、むちゃくちゃいい。
誰かを見つめてるっていうシーンなんだけど、その見つめ方の考え方が変わってるよねっていうのがすごくもう泣けてくるっていう。すごくいいんですよねー。
ここ全員30代ですよね?
まだ20代です。
そうか、マリオンさんまだか。
今年30歳になりますけど、まだギリギリ20代です。
マリオンさんもぼちぼち感じ始める頃かな?
だからはい、誕生日ね、劇中でも迎えてましたけどユリアが。ほんと近いなって思います。
09:02
そういう意味では結構重なるところがあるっちゃあるか。だからそういう意味では男女共通の話題ではあるんかなと思う。この作品も。
本作の見てた感じで思ったのが、ユリア自身がすごいインテリで、インテリ女性的なアイデンティティー持ってる人ではあるけど、話の要所要所がそういう女性の話でしかないみたいな話じゃないのかなっていうふうに僕は思ったんですよ。
妊娠とか、あとその彼氏に付き添うっていうこととかね、女性ならではの話の描き方にはなってますけど、なんか自意識の置きどころみたいなのは男女関係ない話に思えたんですよね僕は。
そこが僕はすごく良かったなと思ってて。
そういう意味でちょっとかつての自分が重なるところがあるかな?そういう意味でちょっと楽しくは見れてたかなというのがある。
そんな感じですかね。
はい。
小枝さんじゃあ本作どのように?
本作、私本当に主人公がどんぴさに自分を重ねて見てて、ほぼ自分やんと思いながら見てましたね。
その共感っていうよりも、こんなこと言ったなとか、なんか自分があの場にいたらもうそうやって言うだろうなっていう感じ。
だからなんかすごい嬉しかったです。めっちゃ美化してくれて自分の人生を。
あんまりなんかその30歳の節目っていうあんまりそんな話じゃないなとちょっと思ってて。
それは僕も。
結構その彼女自身が周囲にいろいろ言われるんだけど、そこに対しての迷いはないっていう感じなんでしょうね。
鬱陶しいとは思っているけど。
自分の人生の中でフラフラしてるんですけど、それも多分その時にはそういう風に迷ってるっていう感じじゃなくて、
単に興味関心を持つもの、対象がどんどん変わっちゃう。
それに直感的に行動しちゃう。
それをちょっと立ち止まってというか、ちょっとなんかそれに対して悩むというか若干そうやって思うこともあるんだけど、
そんなに気にしてない感じなのがすごい良かったなと思ってて。
結構その恋愛の話も軸になってたと思うんで、彼氏とのパートナーとの話も。
そこに関しては結構女性はすごい共感しやすかったんじゃないかなと思うんですけど、
逆にその辺男性陣どうやって見てるのかなとか思いながら見てて、
印象深かったのが年上の彼氏と別れ話する時に、彼女の中では別れよって決めてるんですよね。
決めても言ってるんですよね、完全に。
でも相手からしたら唐突に言われるから、ちょっと落ち着いて話そうって言われて、
そこでそれっぽいセリフを口に出して言うんだけど、
頭ではもう全然別のことを考えちゃってるとか、
あの辺すごいなんかこう上手いなって。
あれちょっと男性もそんな感じなのかよくわかんないんですけど、
12:02
結構あの辺女性は見てて、あーって思ってる人多かったんじゃないかなと思いながら見てました。
結構そういう些細な描写がすごい上手かったなと思って。
あそこね、なんて言っていいんだろう。
僕は多分折れちゃうんですよ。
もう分からぬって言って話し始めても、話し始まったら、まあせやなみたいなので、
多分途中で、まあやめとこうかみたいに僕はなっちゃうなって思って、
結構ね、僕感情の瞬発力が弱くって、むちゃくちゃバネ貯めないと完結できないんですよね、決めたこと。
だからああいうケースだと向こうの話を聞かないようにしないとダメなんですよね。
聞いたら絶対に妥協点を探してしまうんで、
自分の感情をこのまま突っ走らせるために、
もう他の情報を入れない、もう話を聞かない、もう見ない、こうするこうするっていうとこまで、
コントロールしないと僕はやりきれないなって思って。
だから見てる限りだと、彼女もそういうことしてたのかなっていう気はしたかなっていう。
なんかちゃんとこの話を聞いたら、感情移入してしまったら、
自分がやってることがむちゃくちゃだなっていうのを気づいてしまってなっちゃう。
だから別の物語を自分の中で走らせて、
もうその話、相手は話してるけど終わってるみたいな感じにしちゃうみたいなのってあるのかなって思ったんですよね。
でもなんかあの話し合いの最中に、ちょっと盛り上がってセックスするじゃないですか。
でも終わった後、冷静に、まあでもそれはそれみたいな。
だからやっぱり結構決めてることって覆らないんですよね。
特に別れっていうものに対して。
あの辺の感じ、すごいリアルだなと思いながら見てました。
なんか男女の違いなのかもしれないですけど。
どうなんだろう、男女の違いなのかな。
女性結構急に言うって言うじゃないですか。
別れ話とか急に。
それまでのストーリーは言わずに、言えないとは思うんですけどね、そんな話は。
男は男でね、別にそれ本当はね、察してはいるんですよ。見ないようにしてるだけで。
つらい。
で、ああなんかこういう方向に進んでるな、でも考えたらしんどいから考えないでおこうみたいなのってね、あると思うんですよ。
だからあれね、急にそんなこと言うのって言うのって、あれって駆け引きのために言ってると思うんですよ。
本当は察してたけど、急に言われたら被害者のフリした方が、会話が有利に進められるじゃないですか。
そんな。
ちょっと冷静になる時間も欲しいから、ちょっと動揺してるフリをしてちょっと冷静になろうとしてるみたいな。
面白いですね。
あれ本当はね、あっ、うっすらと勘付いてたけど、ついに来てしまった。でも念入りに水のフリしとこうって言って、スタンスを整えて、会話が有利に進められるようなフリをしてると思うんですよね、僕あれは。
15:06
面白いね。
いや、なんか例えば女の人だったら、気づいたら多分言っちゃうと思うんですよ。ちょっと気づいたというか、なんかちょっとでも思ったら、めんどくさいと思われても結構気づいた段階で、自分の第6感をぶつけていくと思うんですけど。
なんか男の人のその、冷静ぶるっていう。面白いですね。
冷静ぶると見ないフリをするというか、見なかったことにするみたいなのは、僕はあると思いますよ。
あとやっぱり、これみんな思ったでしょうけど、やっぱ時間が止まるシーンが良すぎて、
いや、ほんと最高。
もうほんとにあれだけで、この映画にすごい引き込まれちゃうというか、ほんとに自分も恋してるような気持ちになる映像表現、ほんとに素晴らしかったです。
あの瞬間だけはほんと全ての時間を超越して、思いだけがあそこに向かってるんだっていう感じがすごくいいですよね。
たまに個人の主観の妄想だけでファンタジーなことが起きまくる映画ってあると思うんですよね。
個人の妄想、空想が現実に起きてるように見える話とかってたまにあると思うんですけど、本作ってファンタジーってあそこだけですよね。
ものすごいファンタジーですけど、あそこでしか起きないっていうのがすごい良いなと思って。
だから彼女がいろんなことを迷ってあっちへフラフラこっちへフラフラしてるように周りから見える。
観客もそう見えてるとこはあるとは思うんですけど、彼女の主観にとってあれほどの世界の法則を変えてしまうような吸引力がある感情にのっとって、
彼女は動いてるっていうことがあそこでわかるっていう感じがあるなと思って。
だから気まぐれで曖昧な人間なのではなく、その瞬間瞬間の瞬発力の強さっていうものが見てるこっちにわかるっていう感じがするなぁと思うんですよね。
これぐらいこの瞬間の感情を彼女は大事にしてるっていう、あのミラクルはね素敵ですよね。
あとなんかやっぱ彼女が街を歩くシーンが時間が止まるシーン以外は結構やっぱ寂しいシーンが多いんですよねやっぱり。
アクセルのパーティー抜け出してトボトボ帰って行くところとか、
あとアクセルの死がもう明日まで持たないかもしれないって言った時に夜の街を歩くシーンとかすごくやっぱなんか切なかったりするシーンが多いのもあるので、
なんかやっぱあの時間が止まってすべての時間が止まっているところを街を描けていく姿っていうのはすごくやっぱ映えるというか、
すごく対比的にあのシーンの輝きがさらに増してるなっていうふうにやっぱ思います。
あと何か?
いやもうなんか前編良かったんですけど、
18:01
あとやっぱりヘアメイクもすごい可愛くてファッションとか、
しかもたまたまなんですけどあの女優さん同じ歳なんですよ。
あ、そうなんですか?
だからもうあれはマルチバースの私だってずっとマリオンさんに語りながら歩いてたんですよ。
めっちゃ刺さってるますやんっていう。
なんとなくですけど見ながらなんとなくこれは前田さんめっちゃ刺さるんじゃないかなと思ってたんですけど、
ここまで刺さるとは思ってなかったっていうか。
刺さるっていうのがもうちょっと悪い意味と思ったんですよね。
傷をえぐるみたいな。
そうじゃなくてなんかこう鎧を纏うみたいな感じの気持ちにすごいなったというか。
なんかすごい自分に誠実じゃないですか。
他の何にも誠実じゃなかったとしても自分には誠実だっていうか。
で、そんな彼女を見て周りの人というか変わる恋人も幸せを感じているっていう。
その光景がすごい素敵やなと思って。
もしかしたら年間ベストも被るかもしれませんねって言ったんですよ。
あら。変わるかもしれませんねっていう。
一旦そんな感じですかね。
じゃあマリオンさんいかがでしょう。
そうですね。
もうめちゃくちゃ刺さってて好きなんですけど、いざ喋ろうとするとどうやってこれをまとめればいいんだってくらい複雑な映画だなっていうふうには思うんですよね。
いろんな視点もたくさんあるし。
で、パンフレット読んでて監督のインタビューとかで読んでたんですけど、
この映画のことを大人になることについての映画ですが、まだ大人になりきれていないと感じる大人のための映画でもありますって言ってて。
もうこの端的な言葉でいいではないかっていうくらい綺麗にまとめてくれてる言葉があって、もうこれですっていうふうにめちゃくちゃ思いましたね。
で、やっぱ自分にとってこの映画どういうふうに刺さってるのかなって考えてたんですけど、冒頭にも言いましたけど、全然僕とこの主人公は全然違うなってやっぱ思ってるんですけど、
彼女は何でもなんかいろいろコロコロいろんなものに手を出して結構率なく何でもこなすじゃないですかやっぱり。
自分はなんかそんな器用なこと全然できないぐらいやっぱ不器用だし、そういういろんなことを始めようっていう感じにもならないというか、
なんかやっぱ臆病だから全然そういうのを始められないし、自己肯定感っていうのは結構自分なんか低い人間なので、ほんと全然違うなって思うんですけど。
でも大人になりきれてないっていう意味ではやっぱり主人公のユリアと僕はやっぱ近いなってやっぱ思うんですよね。
世間一般のある種の正しいこととか幸せの形とかライフステージとかっていろいろあると思うんですけど、
そういうのからもなんか自分は当てはまらないことが多いなってやっぱ多分彼女も僕もやっぱどっか感じてるんじゃないかなって思ってて、
あんまりこれ見たくないんですけど、フェイスブックとか見るといつの間にか友達が結婚してるとか、なんかめちゃくちゃ出世してるとか見ると、
21:03
やっぱどうしてもなんかこう比較してもしょうがないことなんですけど、なんかやっぱ自分の不甲斐なさとかいろんなこと感じてしまったりとかしてしまうし、
そうやってどんどん自分って普通じゃないんだなーとか自分って孤独なんだなーってやっぱ思っちゃうんですけど、
けどなんかその当てはまらないことがすごくいいんじゃないかなってやっぱこの映画言ってくれてるんじゃないかなって思って。
何にも当てはまらないし、正しくないかもしれないけど、孤独かもしれないけど、でもそれでも自分を愛していけるっていう風な話に捉えて、
最初と最後のシーンの切れ味も含めてどうしても僕はこれの映画が自分のことのように刺さってしまうっていう風に感じたのはそういうところかなって風に思ってますね。
この映画の真髄すぎて返す言葉がないというか、そういうことですよねっていう。
そうですよね多分もう。これぐらいやっぱ自分の自意識というかモラトリウムな自意識に刺さってしまっているっていう、
なんかやっぱり女性ならではの問題とかもやっぱ映画では描かれてますけど、
やっぱそこに思いも馳せることは今作の丁寧な絵描き方からできると思うし、男性も。
もちろん性別は違うけれどもその彼女の不安な部分とか葛藤とかにも全然自分のことのように感じられるしっていう。
こんなになんか深くて複雑な気持ちみたいなのが丁寧に描かれてるなんてって思うと本当にこの映画すごいなって思っちゃいますね。
本作オープニングがすごい好きで、医学部行きました。でも私カンセラーとかの雰囲気が向いてるかもって。
カンセラーじゃないかも、カメラマンかもみたいな感じでうつろうつろするじゃないですか。
あっち行ってこっち行ってっていう。あそこのテンポすごい良くって。
あれを一貫性がないと見るか、経験値をいっぱいと見るかって全然違うと思うんですけど、
やっぱすごいですよ彼女は。
やっぱすごい頭もいいし、もう何でもできるんですよ本当。
彼女はめちゃくちゃ恵まれてるというか、けどそれにやっぱ彼女自身は実は気づいてないっぽいですよねっていう自分がないというか、
ずっと自分というものがないと思って続けてるところからしても、そこのちょっと何とも言えない感じももどかしくてすごく好きですね。
でやっぱり自分がない、自分がわからないっていっていろんなところに色々手つけてしまうというか、
まだ彼女の中ではやっぱすごく自分っていうのが若くて、何でもまだできるんだっていう思いがすごくあるんだなって思うんですよね。
だから年上の彼氏のアクセルの下では、なんか安定性をやっぱアクセルはちょっと今求めてる感じのところではやっぱちょっと合わないのかなって思っちゃうし、
で新しく付き合うことになるアイバンとはなんかまだ彼もまたちょっと自分っていうのが不安定というか、
自分っていうのがまだわからないようなところがやっぱ惹かれ合ってるんだろうなっていうふうに思いましたね。
彼女の自分のなさ、本人的な自分のなさみたいなものが現れてるとことしては、
24:02
まあ秘めくれものというか、こうした方がいいって言われた方じゃない方のことをするみたいなところがあるんですよね。
そうですね。
アクセルの親戚の家に遊びに行って、なんかめんどくさい喧嘩に巻き込まれたら、なんか子供っていいかもみたいになったりとか、
なんか秘めくれることで、まあそもそもアクセルと付き合い始めるのも、いやもう付き合わない方がいいみたいになった後、
いやでも私こっちやわみたいなのになって戻って付き合い始めるとか、
ちょっとその秘めくれた方がいい答えが見つかるかもみたいなのをやってる癖みたいなのが彼女にはあるなっていうのが見受けられて、
そこはすごい気持ちわかるんですよね。なんか秘めくれたくなるっていうか。
めっちゃわかりますね、ほんと。
そこでね、ふと振り返った時に、いや単に逆張りしてるだけはみたいなのに、
思って自分ないなって思っちゃうとこもあるかなとは思うんですけど、
ありてーな答えをなぞるんじゃなくて、秘めくれる時は秘めくれるという自分がそこにいるっていうことがやっぱ最終的に彼女に残るのかなっていう風に思って、
わかりやすい絵に描いたようなもの、グラフィックノベル作家として成功するであるとか、
そういう地で起こせるようなものじゃないものになるっていう、
それは人から見たら単なるふらついてるだけのようにとか、秘めくれるものに見えるかもしれないけど、
最終的に自分としか言いようのない何かになるというか、
自分としか言いようのないものであったということを受け入れるみたいな感じはすごい好きだなと思って。
そもそも彼女そんなに自分のこと嫌いじゃないですよね。
もうそれは思います、ほんとに。すごく自信たっぷりだし。
私最悪やわーって言って、ちょっとネタで自虐してる感じじゃないですか、基本的には。
なんて私最悪なんだろう、てへ、くらいな感じというか。
その思いきりの良さもすごく自分の中で救われますね、ほんとに。
自分があんまモンモンとしちゃう身からすると、こんなに生き生きとしてるんだって思うと、それだけで勇気もらえるというか。
でもやっぱ30歳っていう節目を迎えて、もういよいよ若いとはちょっと言えなくなってくるような時期というか、
ぼちぼち時間っていうものの有限性をちょっと自覚し始める時期なんだろうなっていうふうにも思っていて。
それを感じさせるのがアクセルの病気の話がそれになるんだろうなって思うんですよね。
いつまでも浮ついていて、そういった自分が好きっていうのも全然いいと思うんですけど、
けど時間っていうのは容赦なく誰にもみんなやってくるし、そういったものをまざまざとそこで感じてしまって、
その後やっぱどう生きようみたいなふうに最後になっていくっていうのが、ちょっとほろ苦さもあるけど、
すごく祝福に満ちたような喜びも感じられるような終わり方になってるんじゃないかなっていうふうに思って。
そこもすごく好きなところですね。
ちょっとちらっと言いましたけど、最初と最後誰かの人生を遠目で見ているシーンで終わるっていう感じですけど、
27:08
なんかそれでもいいじゃんって思える自分もいるし、それがちょっと寂しいよねっていう自分もいて、
それをどっちも相反するかもしれないけど、その2つの感情がどっちも存在し得るっていうのがすごくいいっていう終わり方で、
もうやっぱすごい好きですねっていうふうになっちゃいますね。
終わりの曲がなんかまた結構地味に切ないけど肯定してくれるような感じの優しい曲が流れてくるわけですよ。
あの曲好きすぎて最近ずっと聴いてるぐらい好きになっちゃいましたけど。
この映画、音楽選びむちゃくちゃ良くないですか?
いやすごい良いんですよ。サントラとかプレイリストとかね、まとめてくれてる人とかすごくいるので聴くんですけど、
なんかヨーショヨーショで流れてるパーティーの音楽とかもすごくポップだったりもするし、
すごく良いシーンとかヨーショヨーショで流れるシーンもすごく印象的だってするので、
音楽映画としてもすごく良いですよね。
今年みたいに一番音選びのセンス良かったなって思ったんですよね。
エンドクレジットの流れる曲とかはアート・ガーファンクル、サイモアンド・ガーファンクルの歌ってる三月の水っていうボサノバのカバーみたいですけど、
なんかすごくアンデュインな曲ですごく好きですね。
あとなんかいろいろ人生とかの自我とか、いろいろ正しくなさとか割り切れなさを描くためにいろんな問題提起というか視点が用意されてるっていうのがすごく知的で良いなって思ってて、
例えばユリアが描き上げるMe Too時代のオーラルセックスの記事とか、全部が読まれるわけじゃないですけどすごく複雑なところをつくようなテーマだと思うし、
あとアイバンの元カノ、環境問題にめっちゃ熱いれてるけどその横で全然環境のことあんま考えてないアイバンというか、
正しくなさをまざまざと感じるみたいな風に思うところとか、
あとアクセルがラジオ番組でフェミニストと表現について議論する討論番組のあれとかめっちゃツイッターでよく見るやつやんっていうぐらい、
正しさと正しくなさの間で揺れる話じゃないですかって思ったりとか、
そういういろんな視点で彼女自身の身に降り起こること以外にもそういう彼女の身の回りで起こってたその正しさと正しくなさの狭間の話っていうのがすごくこの映画のアクセントとしてもすごく良いというか、
章立てがちゃんとある映画なのでちょっと小説チックというか、そういったところの知的さもすごく良いなって思えるところのポイントでしたね。
やっぱりユリア自身がインテリなのもあって、女性の性のあり方にもすごい先進的な考えを持ってるじゃないですか。
アクセルの書いているグラフィックノベルがちょっと女性差別的だなっていうのもわかってるし、
でもやっぱりそこはそれは別にしてアクセル個人の魅力に惹かれて付き合ったりするし、
そのラジオの討論の時でも多分フェミニスト側の言い分、彼女わかってると思うんですよね。
30:03
あれだけ賢かったら何が言いたいかってわかってるけど、でもアクセルがラジオ出てるわみたいな方に考えが行ってるように見える。
だからその世界にはすごい解決しきれてない問題がたくさんあって、
この話の後ろにずっと漂ってるくらい何かとして存在してるけれども、
個人としてそれを全部キャッチできるかどうかっていうのはまた別の問題として描かれてる感じがするんですよね。
だからキャッチできる分はユリアも自分で言及できるけれども、
ちょっとそれ全部はキャッチしきれない自分の人生の問題もあるしっていう個人の問題とは別に世界の問題っていうのがあって、
どっちも解決しきれないまま生きていかないといけないみたいなのを描いてるっていう感じがするなぁと思って。
アクセルの思想、ちょっと乗っかれないけど、でも人間としては付き合えるんだよなぁみたいなね。
それが前提にわたってあるような感じの話だと思うんですよね。
乗っかれないけどでも立ちきれないよなぁこれみたいなので生きてるっていうのがすごいリアルというか、
人生ってそうだよなっていう感じがして、そういう問題提携映画ではないけどやっぱそういう問題って描かないと、
どこか漂白されたものにあってしまうというか、この人の人生にはこの人個人の問題しかないですみたいな感じではなく、
みんなが共有している問題っていうものが描かれて、それでもやっぱり個人の問題の方が非常に大きいんですよねみたいな。
そこにすごい実在感のある女性として描かれてたのかなっていうふうに思って、僕もあのバランスめちゃくちゃ好きなんですよね。
みんなやっぱ割り切れないし、簡単にまとめることなんてできないんだなっていう、その人個人をっていうのはと思いますよね。
この映画自体もすごく複雑だから、やっぱ一言でこの映画をまとめるってほんと難しいなって思うぐらい、その深みにもすごくやられますね。
あと時間止まるシーンもすごく胸キュンなポイントでしたけど、アイヴァンと出会ったシーン、不倫の定義というか、どこまでが不倫かみたいな話するところめっちゃいいですね。
あれね、あれね。
ビフォア三部作とか大好きなので、ああいうシーン見るとほんと最高だし、あの別れ方最高じゃないですか。
お互いちょっとタイミングずれて振り向くとか、なんて胸キュンシーンなんだって思いながら見てました。
あそこね、ちょっとね、ツヤっぽすぎてね、やばかったですね。
特にタバコの煙交換するところがね、ちょっとこれはもう、もはや直接的なシーンの方がエロくないぞと思って。
そうですね、確かに。
あのね、なんかここまではアイヴァキじゃないよね、みたいな理性を働かせてるフリするのとかね、これ多分あれやつやわと思って。
33:05
もうここまでは不倫じゃないよねとか言ってるけど、いやもうバリバリ不倫みたいなことやってますやん、みたいな。
精神的な意味ではもう一戦めっちゃ超えてるみたいな、あれなんかいいですよね。
あそこね。
僕はこんな感じでした。
じゃあ僕はですね、さっきも言ったんですけど、主人公ネイラが可愛すぎるんですよ、僕本当に。
で、実際付き合ったらなかなか大変な人物だとは思うんですよね。
まあ客観的には気まぐれ、客観的には秘めくれ者で、強情だし理屈っぽいとこもあるしで、
実際付き合ったら、まあなかなかぶつかることも多いのではないかなと思うんですけど、
やっぱこの、こういう独立した人間っていいなって思うんですよ。
何言ってるんやって感じですけど、一人の人間で成立してるなって思うんですよね。
何かに寄りかかってないなと。何か寄りかかりたいものは探してるけど、
実は一人で立って生きれてる女性だと思うんですけど、
その躍動する自我というか、他人にとって都合のいい存在でなさっていうのが、
すごく一緒にいて楽しいんだろうなっていう存在として映るんですよ。
僕はそこすごい魅力的で、なんか一緒にいたら楽しいんだろうなと。
まあめんどくさいと思うこともきっとあるだろうけど、
この人はきっと一緒にいたら人生を楽しくしてくれる人なんだろうなって思えるとこがあって、
ものすごい良かったんですよね。
なんかね、本当に言動もインテリで、なんかビシバシいろんなこと言ってる感じ。
親戚との食事の席で、それってマンスプレーニングですよ、みたいなこと言ってくる。
なかなかこっちとはヒヤッとすることもありそうだけど、
ただ対面で話したらむちゃくちゃ話し合うだろうなと思うし、
好きなんですよ、本当に。
めちゃくちゃ好きなんですよ。
なんかまあ、ちらっと振り回されてみたいって言ってたじゃないですか。
好きすぎてこの彼女に気持ちめっちゃわかるなって。
最終的にアクセルと恋愛関係じゃなくなってから、
それなりにコミュニケーション取ってきてるじゃないですか、病気になってからのアクセルと。
だから個人として結構上手があってるんだろうなと思うんですよね、あの2人。
インテリジェンスのレベルが…
ただなんか…
え?え?なになに?
ただあれに関しては、やっぱり恋人の器のデカさが結構あると思います。
アイヴェンの側?
一人目の人。
アクセルの側?
相性も良かったんでしょうけど、かなり彼女を受け入れるっていう覚悟と、
愛があったんだなって、その上で成立してた感じはしますけどね。
ああ、そうか。
年の差もあるっていうのもあるけど。
36:01
いや、だって最後死ぬって時にそんな言ってくんなよって思います。
どうなんだろう。
死ぬってなったら逆にあれ言ってほしいのかなって気もしたんですよね、僕。
どうなんだろう。
えー、やだな。
わかんない。かなり精神が大人?
ああ、まあそうか。
それも言っても怒らないぐらいの精神。
余裕があるというか、大人というかってことですね。
怒らないし、もう呆れたりもしないし、
彼女らしいねって、君らしいねって、それも含めて言えてしまうぐらいの成熟した感じがあったところが、
相性が良かったって言えるのかなと。
前田さんが今言ってるのって、別れ話の時点って今からにあってたっていう部分ですか?
まあ、それもそうですね。
妊娠したとか、
だって自分がずっと彼女と子供欲しいって言ったけど、
その時には言い返されてたこと、
今、他の男性と妊娠してるっていうのを、
今、その病気のカウンターで言うみたいな、
その挙句に、いい母親になるよって言ってほしいって言ってくるんですよ。
すごくないですか。
それはなかなか、今さら怒ってもっていうのはある。
怒るというか、今さらそうやってネガティブな感じになってもっていうのはあるんでしょうけど、
結構なこと言う。
難しいところな気がしますね。
多分そういう話をしたいわけではなかったっていうのはあったと思うし、
今みたいなのはあったと思うんですよ。
俺、もうちょっとで死ぬけど、その話みたいなのはあったと思いますよ。
そこはあえてひねり出して、
受け入れたように言ったようにも見えるし、
そういうこと言う人やしな、そこがよかったしな、
みたいなのもあったと思うし、
最終的に彼にとっての死の淵に現れても、
彼にとって都合のいいことだけを言わない存在だったっていうのは、
彼女の物語としてすごくありというか、
妥当な気がするんですよね。
結局、死に目にも会いに行かなかったですよね、あれ。
そうですね。
あれはわかるなと思って。
私が死ぬとこ見たくないからとか、
いろいろな要素で行かなかった。
僕が思ったのは、親戚に会いたくないもあるやろうなと思って。
そこもあるかもね。
この後に及んで。
別れた彼氏で一回挨拶行った親戚にも会いたくないしな、
みたいな、しょうがない部分ですけど、
そういうの全部含めて行けなかったなって思うんですよね。
あと、ちょっと綺麗な感じでまとめるのだったら、
やっぱり彼と彼女の記憶で言うのだったら、
やっぱりアパートに暮らしてた頃のままで終わりたいんだろうなっていうことを
ちらっと言ってたので、
そういう感じもあったりするのかなとかは、
ちょっと綺麗な感じで言うのならって感じですかね。
そうなんだよな。
現実の絶対に、
自分にとっての都合の差を相手に求めてしまうと思うんですね。
39:04
だからこそ、フィクションって、
都合の良くない恋愛を楽しめるものかなと思うんですよ。
だからこそ、フィクションの中の都合の良くない恋愛が美しいからこそ、
現実の都合の良くない恋愛にもギリギリ希望を見出せるというか、
僕、この話たまに出してるんですけど、
フリクリがね、そういう話なんですよ。
めちゃくちゃ宇宙レベルのツレない相手なんですよ。
主人公にとってその恋愛対象がね。
こっちのこと見てるんだか見てないんだかよくわかんない。
でも僕は好きなんですよっていうのでぶつかっていくっていう。
それに対して別にリターンはないけどみたいなのがね、
僕はすごい好きで、
逆にツレないと思われてた女性が、
実は一途でしたみたいな話に切り替わったら、
はぁ?ってなるんですよね。
何?と思って具体的な作品名あげないんですけど、
僕はそれで、いわゆる悪女やってる奴が、
なんで一途になってんの?っていうので、
ブチ切れたことがあるんですよね。
ちょっと山口さんの例外感むずいっす。
何の映画やろ?めっちゃ気になるけどな。
まあまあ、都合の良くなさを楽しめるっていう。
なぜなら、相手も独立した一個体の人間だからですっていうのがね、
その一個体としての尊厳みたいなのが満ちてる話だったので、
僕はすごい良かったなと思って。
あと、ラストですね。
あれって、流山したってことでいいんですかね?
そうですね。
いや、あれ私生理学的なことだと思うんですよね。
違います?何か書いてます?
一応、パンク見たら流山って書いてましたけど。
たぶん流山かなと思って、
その後、エピローグというかエンディングに入るじゃないですか。
で、窓の外に子連れの夫婦がいたと思うんですよね。
で、あれの夫側って相番だったと思うんですよ。
で、妻側って見えました?あれ。
僕見えなかったんですけど。
僕もちょっとあんまり顔が一致してないんですけど、
パンフレット読んだら、女優さんのスチール写真撮ってたじゃないですか。
あの女優さんみたいなことをパンフレット書いてるんですけど。
あ、そうなんですね。
あんまりちょっとそうやったっけみたいな、
あんまりちょっと顔が一致しないんですけど。
なるほど、そういう話だったんだ。
というふうなことは書いてました。
自分が写真撮ってた被写体が元彼の結婚相手だったっていうこと。
そういうことか。
で、子供も生まれてっていう。
いや、僕ね、あそこで流産したイリアと死なかったイリアって人生が分岐して、
子供を産んだかもしれないイフの自分を窓の外に見ながら、
子供が生まれなかった自分はここで生きていくっていうのを選ぶっていうイラストだと思ったんですよね。
42:02
僕はそう見てたんですよ。
外にアイリンと子供が生まれた自分、そしてその子供がいるっていうファンタジーを見て、
でも私はああはならなかった。
ああはならなかった、私はここにいてこれからも生きていく。
エンドっていう感じかなと思って。
僕はそこがすごいよくって、
さっきも言った、アイリンに会いに行くところで本作最大のファンタジーが起きますけど、
ラストのラストでもう一個ファンタジーを原始する。
あり得たかもしれない自分の人生を原始して、
でも私はそうじゃないっていうのを選んで生きていくっていうラストだと思ってて、
僕はそこがすごいよくって、
本作を語る時にちょこちょこ言葉として出てくる、
何者かになりたいっていうことは、
何者かになりたくていろんな人生を選ぼうとした、
けれども何か違うってなっていくっていう部分。
ラストの彼女は多分何者かになってたと思うんですね。
それは職業とか役割とか何らかの達成で得られるものとかではなくて、
ただ自分であるということだと思うんですね。
何者かになるということは、
他になれたかもしれないものの可能性を失うということだと思うんですよ。
他のものにはもうなれないということを自覚するっていうことだと思うんですよね。
もう私は私でしかない。
今ここにある私でしかないっていうことを掴んだ状態がラストの彼女だなと思って、
だからあり得たかもしれない人生っていうものは、
もうなろうとしてなれるものではなく窓の外に原始するものでしかない。
空想するものでしかなくて、
現実はここにある自分の今やるべき仕事、
そして生きていくべき自分というものだけがあるっていう。
でもそこに悲しみとか切なさとかはあまりなくって、
むしろ力強さとか優しさみたいなものがあるなって思うんですよね。
私はもう私にしかなれない。
ここにある私にしかなれないです。
でも私は私で生きますよっていう。
むちゃくちゃいいなと思って。
でも解釈違いってことですよね。
でも別にそれがイフというか夢というかじゃなくたとしても、
やっぱり同じような気持ちだったと僕は思ったんですよ。
結局。
それは。
彼女の中でちゃんと何か蹴りがついて、
自分というものが何なのかちゃんと答えっていうのが何となく自分の中で見つかって、
それを踏まえてやっぱ誰かの人生を窓から見たり、
パソコンの画面越しで見るって、
これ結構な大人な着地としか言えないんじゃないですかってぐらい思ってたので、
決して何か間違ってないというか、
別にこれが本当にイフの世界を見ていたというふうな解釈でも全然いけるんじゃないかなって思いましたけど。
でもそうですね。
オープニングとの対比がすごい好きなんですよね本当に。
多分向いてる方向も逆向きだったんじゃないかなと思うんですけど、
多分オープニングはパーティーでタバコ吸いながら右側を見てる感じだったのが、
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舞台の上下で言うと右下下でしたっけ。
どっちだったんでしょうね。
向きの演出論言い出すと詳しくないからあんまりよくないと思うんですけどね。
どこか虚ろに前を見てるのに対して、
ラストは確か左を向いてたんですよ。
左を向いて仕事に向かっていく向きだったと思うんですよね。
それでオープニングとは違う、向き合っていく向きを向いているっていうのもすごい良くて、
もう私はこれにしかなれないから、でも私はこれになれました。
行きますっていう感じ。いいですねって思って。
好きな映画です。
めっちゃ好きですね、僕も。
あとちょっと思い出してたんですけど、
ポッドキャスト内でチクチク文の話したじゃないですか。
その時に山口さんだったのかな。
30歳ってこうやってみたら案外楽だよみたいな話してたと思うんですけど、
この映画見てすごく元気もらえる映画だったので、
いろいろやっぱり小難しいこと考えちゃうけど、
案外こうやってみたら何度かなるし、
普通じゃないことも全然いいよって思えるよっていう風にやっぱりこの映画見て思えたので、
そういう意味でもすごくこの映画好きですね。
30っていうあれ、十進法が生み出した幻でしかないんですよ、本当に。
十進法が生み出した幻。
ただなんか、やたら30歳を節目にっていう作品って多いじゃないですか。
逆に40歳バージョン早く作ってくるよって思ってますからね。
30くらいでそういうふらふらしてて、
いろんな生き方普通じゃなくていいよみたいなのはもういいんですけど、
30超えて普通じゃなかったら結局やべえぞみたいなところやっぱりあると思うんで、
私は最悪40歳バージョンも早く作ってくださいって私は思ってます。
まだ最悪でしたみたいな感じでお願いします。
もっと最悪みたいですね。
本来的には40歳っていう不悪って呼ばれるぐらいなので、
もう固まってるはずっていうふうに世間的には言われてるわけですけど、
いや、40でまだ固まってないですよみたいなね。
まだワクワクですよっていう。
まだうまだうですよみたいなね。
だからこそこの映画をあんまり30歳の不死身映画にしてほしくないっていうか、
生き方の話。
別に落ち着いたとか落ち着いてないとかじゃなくて、
ただそうやって生きていく。
人生の中の一部分を切り取ったっていうだけっていう感覚で、
捉えていたいなっていうのはあってすごく。
本作も30歳っていう誕生日が劇中で描かれてて、
周りも結婚の話とかしたすし、子供がとか言い出すから、
30歳の不死身映画っぽく見えるんですけど、
48:00
本人は別に30歳の不死身っていう部分をそこまで重要視してる感じではないですよね。
ただ年齢関係なく今の自分じゃない方がいいなってちょっと思っちゃってるみたいなのが、
本作の肝だとは思うので。
これが別に35歳でもいいし、25歳でもいいと思うし、
それこそ40歳でもおかしくないっちゃおかしくないと思うんですよね。
ただ、客観的には40歳でフラフラしてるなっていうのは、
ちょっとおーってな部分は出てくると思うんですけど。
でもいい絵が出してね。
どんな年齢になっても自分ってまだまだ大人じゃないなって、
多分思う部分であると思うので、
多分そういうとこに刺さるんじゃないですかね、やっぱみんな。
怖い。怖すぎる。
むしろ自分のこと大人って言ってる人間って、
信用してはいけない人間だと思いますね。
自称でしかないというか、
それ自分のこと大人って言いたいだけですよねみたいな人はいるなとは思うんですよね。
でもものすごいあなた不寛容ですよねみたいなの。
大人だから自分が正しいって言いたいだけですよね。
全く正しくないと思いますがみたいなね、あると思います。
じゃあそんな感じでいいですかね。
では私は最悪の話は終わりたいなと思います。
次回どうしましょうかね。結構次回難しいと思うんですよ。
そうですね。
なんかまだ4月1日からの公開の映画から引っ張ってきてもいいのではってぐらいな気がしますね。
なんかリコリスピザとかバズライトイヤーでもいいし、エルビスでもいいしみたいな感じはしますね。
中身コインだったらブラックフォンとかXありかなって気はするんですよね。
えっとね、ブラックフォンはね結構いいと思います。
Xはもうホラー映画って感じなんで、スラッシャー映画って感じなんで、
語るっていうか好き嫌いという感じだったり、あとホラー好きには語るって感じだと思うんですけど、
ブラックフォンはなんかジュブナイル映画っていうか少年の正装担って感じなんで、
お二人は好きそうやなと思います。
気になってる映画としてはボイリングポイントとかめっちゃ気になってるんですよね。
90分くらいワンカットで厨房のあれやこれを描くってやつですよね。
まあ多分喋るのはむずいと思います。ワンアイディアものなので。
あと喋れるのかもしれないけどめちゃくちゃヘビーそうなのは、戦争と女の顔とかですよね。
ヘビーですね。
超ヘビーだなとは思いましたけど、内容は恋そうっていう。
ただそんな喋れる気がしない。
コチラアミコは?
何です?
コチラアミコ。
なぜか原口さんが喋れなくなって。
あれもしかしたら原口さんマイク切れてます?
本当だ。
51:00
いつから?気づいてなかった。
なんか置いてきぼりで喋ってしまってたかもしれない。すみません。
コチラアミコね。
ソウもめっちゃ人気高いですよね。
ソウやります?僕はソウありですけど。
僕も全然ソウありですね。
ただどうなんですか?続編的なあるものは。
私見るとしたら何も見ずに見ますけどね。
MCUなんて早く見たいなと思ってるのでソウは見に行く予定ですけど。
タイカワイティって監督として結構今載ってるから。
あれコチラアミコってもうやってるんでしたっけ?
今週末からやと思います。
関西はこれから今週末からなんですよね。
そういうこと。
原口さんが何かを伝えようとしている。
どうだ?聞こえました。
なんか今日生息があれで、コチラアミコは見たんだけど、
結構山口君がどう思うか聞きたい。
そうなんですか?
私もそう思う。
結局子供の話なんで。
どうしましょう。
神々の頂きは僕はちょっと気になってるんですよね。
フランスのアニメのやつ。
谷口二郎の漫画。
夢枕博の原作のやつ。
やれやめたけどもう語れられかなと思うんだけどな。
あえてジョージョーさんのBelieversと聞きたいんだけど、それはあれかな?今は。
今触れたらどうしても踏み込まざるを得ないものがある気がしますけど。
なんでなんで?山本直樹原作のやつですっけ?
そうです。
めっちゃエロいって聞きました。
山本直樹ですもんね。
今何か振り組まないといけない何かあるんですか?教えてください。
踏み込まない方がいいかもしれないっていう話です。
怖い。
どうしましょうかね。
僕何でもいいっす。
あ、消えた。
消えちゃった。
もうお二人が何かあれば。
僕、そうかリコリスピザがいいです。
リコリスピザって私は最悪かぶらないですか?
かぶるんですか?あれは。あんまりよくわかってない。
いやわからん。なんかイメージ。
あ、そっか。マリオンさんも見てないんか。
見てないんですよ。
私もどっちでも。
どっちかか。
原宿さんいないから決めにくいな。
でもちょっと時間危ないですよね。
まあそうにします。
そうですね。
そうにしましょうか。
リコリスピザ期間空いちゃったし。
そうでいいんじゃないでしょうか。
はい。
はい。
じゃあラブ&サンダーでいきましょうか。
イエーイ。
マリオさんそんなテンション高くないでしょ。
でもなんかちょっとアホっぽいというか楽しめそうなんで。
54:01
楽しいと思います見たら。
じゃあその感じで次回はソーラブ&サンダーでいきたいと思います。
はい。
ではお知らせになります。
7月の映画の話さすぎる場を開催する予定です。
場所は大阪の南森町にあり日刈りイベント型カフェは週間回り
日時は7月31日日曜日オープンが19時クローズが23時となっております。
またこの番組にはリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想次回テーマ作品の感想などご自由にお送りいただけると幸いです。
また次回バー開催情報ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので
ツイッターのフォローもよろしくお願いします。
あとこの番組のイメージキャラクター映画の話ししたすぎる猫括弧カリオ
あしらったグッズを販売していますのでよろしければご購入くださいませ。
お便り受付先ツイッターアカウントグッズ販売サイトいずれも番組説明文に記載しております。
あとマリオさんからお知らせがあります。
バーブ&スタービスタデルマールへ行く夏休み上映企画のお知らせです。
ブライズメイズ史上最悪のウェディングプランのクリスティンウィッグとアニーマモロ主演のロタバタコメディで
残念ながら日本では劇場未公開となっているコメディ映画を関東と関西で1回ずつ限定上映する企画イベントとなっています。
日時は8月5日の金曜日の夜に塚口さんさん劇場、8月12日金曜日の夜に横浜シネマリンとなっております。
また12日の上映時には映画ライターの村山明さんと、映画や音楽のイベントでのMCだとかライターとかで活躍されている奥浜レイラさんとのトークイベントも開催する予定です。
詳しくは公式ツイッターと公式サイトをご確認ください。
バーブ&スターで検索したら出ると思います。
非常な機会ですので、ぜひ皆さん足を運んでいただけたらなと思います。
はい、それでは映画の話したすぎラジオリニューアル第72回私は最悪の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
56:29

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