始まりました映画の話したすぎるラジオ第221回になります。この番組は、大阪で映画トークバーイベント映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、では近況からまず入っておこうと思います。マリオンさん、いかがされてました?
そうですね。今週ちょっと3本ぐらい話したやつがあるんですけど、ちょっと巻けるとこは巻いていこうかなっていう感じで。
まず、顔を捨てた男を見ました。
はい。
いやー、もうめちゃくちゃ良かったですね。もう大変痛い。痛い痛い痛い痛い痛いっていう、すごい意地悪な映画でも最高でしたね。
セバスチャンスタンが特殊メイクをして臨んでる映画になりますね。
生涯の名前を忘れてしまったんですけど、ちょっとそういう顔にちょっと特徴のある、そういう特徴のある主人公で、
結構そのことに対して、外からの目線とかすごいやっぱ気にしちゃう人で、結構かなり内気というかナイフな感じの主人公で、
で、ある日その顔を治せるよみたいなっていうことをお医者さんから言われて、
で、まだ実験段階の治療法なんだけどやってみるみたいな感じで言われてやってみたら治って、
で、それを機にもうその名前とかもう全部捨てて新しい人生をやり直し始めるんですけど彼は。
ただその元の顔が治る前の時に隣に引っ越してきたある女性と知り合いになるんですけど、
で、その人がまだ若手の劇作家をやっていて、で、ある時もその自分のこれまでのその醜いと思い込んでいた顔の人生から解放されたある日、
あるちょっと通りかかったら、その彼女が新しい劇をやってて、その名前が自分のことを明らかにベースにした劇局をやってるみたいな、そのオーディションをやってるみたいな感じで、
いやこれはもう僕がやるしかないでしょみたいな感じで言って、で、まあすごくもちろん本人なんで、でも彼女自身はそのことを気づいてなくて知らないので、
わっ、こんなに自分の劇にとってぴったりな人が、自分の糸を汲み取ってくれる、演技をしてくれる人が来たみたいな感じで、
彼を主役に立てて劇の練習をやっていくんだけど、と思ったら、ある日、自分と全く反対の性格を持つその顔に特徴のあるまた別の人がやってきて、その人にどんどん役を奪われていくっていうことになってて、
もうなんかもう、あれだけ嫌いだった自分を結局欲してしまうっていう皮肉がものすごい痛いっていうか意地悪だし、
まあ本当そこにあるその、いわゆるルッキズムの問題というか、あと人からどう見られているかみたいなことに対する自意識みたいなものが複雑に絡み合っている、
まあそれが本当厄介なマリアージュだなと思うんですけど、なんかもうそれによってもどんどんこう、ドツボにはまっていってしまうというか、
だってもうなんか自分とほぼ売り二つのような人が、自分よりもすごい性格がいい感じで明るくてとかいうのを見せられたらすごくもう嫌な気持ちになるというか、
もうなんて自分はみたいになっちゃうじゃないですかみたいな、っていうのがもう本当にちょっと辛いくって、もうそれでどんどんドツボにはまっちゃうってもう本当に最低なことになっちゃうんですけど、
なんかもう若干見てて、ソーシャルネットワークのミームを思い出してしまったんですけど、ソーシャルネットワークの冒頭でルーニー・マーラ演じる彼女がマーク・ザッカー・バーガーに言う言葉があって、
オタクだからモテないと思ってるんでしょ?性格が最低だからよみたいなっていうのがあるんですけど、もうなんかそれをちょっと思い出したりもしましたし、結果内面じゃんみたいなところに落ち着いちゃう、そこに片付けられちゃう、
まあそれシンプルさではない、シンプルなものではないんですけど、なんかそういったことも思い出してしまったりもして、なんかすごいヒリヒリする映画でも最高でしたね。
なんか前にこの番組はどっかで見た目が一緒の同士で比べられるのがほうがいいやみたいな話したことありませんでしたっけ?
何の時だったかな?
何でしたっけね?
恋愛か何かで見た目…あれ?なんかそういう話した記憶あるんだよな。何の時だったっけな?
何だったんかな?でもなんかそんな話した記憶はちょっとやっぱありますね。やっぱだんだん彼女の関心がやっぱり新しくやってきた方に関心がどんどん移っていってしまって、
もうなんか全部奪われていくのかよ、みたいな感じ。でも自分が捨てたんだけどね、みたいな。っていうその意地悪さというか。
もうなんかもう自分の物語が自分じゃない人の手によって語られていくみたいなのもすごい嫌だし、みたいな。
そこのこう複雑なものがこうないまぜになってしまってドツボにどんどんハマっちゃうっていうのがもうすごくヒリヒリしますね、やっぱりね。
正直コンプレックスって全然アイデンティティだったりしますしね。
そうなんですよね。密接に関わってきちゃってるから、アイデンティティと自分のコンプレックスが本当に辛いっていう感じでしたね。
コンプレックスって往々にして捨てれるタイミングで捨てないことないですか?めっちゃ思います。
捨てれたタイミングで捨てなかったですねっていうケース結構多いなと思って。
なんかもう自分に適応されなくなってるはずの感情を未だに自分のものとして使おうとしてるみたいな時もあるよなと思ったり。
難しいっすね、アイデンティティ。
結果なんか抜けないっていうかね、そこに対して培ってきた自分っていうのがやっぱりちょっと抜けないっていうのもあるし。
いやーこれは全然なんか皆さんの感想めっちゃ気になるので取り上げたいぐらいでもあるし、ある種このドツボにハマっていく感じはちょっと違いますけど、
ドリームシナリオ的な感じもちょっとね、雰囲気としては印象としてはちょっと近いものを感じたりとかもしますし。
いやー結構グサグサと刺さっちゃいましたね。
で、あともう一本が、この間の神ハンキーベストの回でも出てきた海が聞こえるも見てきたんですけど、
ちょっとこれはまたなんか取り上げるかもしれないのでちょっとごくごく少ない感想でとどめとくんですけど、
僕同窓会映画大好きなんですよね。
同窓会映画。
同窓会っぽいシチュエーションって言ったらいいんですかね。何十年かぶりに友達と会うとか恋人と会うとかみたいな。
例えばなんですけど、ビフォーサン部作ってあるじゃないですか。僕一番好きなのはやっぱりビフォーサンセットなんですよね。
あーなるほど。
久しぶりにパリで会うみたいな。
ああいうのとかすんごい好きで、海が聞こえるもそういう映画だったのでめちゃくちゃ良かったっていうのがありますね。
なんか同窓会の場というかああいう場で起こるなんというか。
僕はこれは願いなんですけど、たとえなんかいろんなことあったと。
なんかもう喧嘩したりとかもうすんごいもういがみあったりとか、トラウマみたいなこともあったみたいな。あると思うんですけど。
けどなんか振り返った時に、なんかそういったことまるでなかったかのように人としてなんかこうまたなんか話ができたりとか、
仲良くというかつながりを持てたりするみたいな瞬間がすごい好きだなっていうのがあって、
なんか海が聞こえるっていうのがまさにそういう映画だったなっていうのはすごいありましたね。
いやーあの海が聞こえるの同窓会って高校卒業から数ヶ月後じゃないですかね。
そうなんですよね。
あの僅かな時間での差っていうものの味が濃いんですよね、あのシーン。
そうなんですよね。なんかそんな経ってないはずなのに、やっぱりみんな世界がちょっとずつ広がってるんですよね。
大学行ってまた世界が広がったりとか、働いてるやつだっているだろうし。
ちょっとずつやっぱり高校にいた時とかちょっとこう視野が広がってまた会うとなんかすごいで、
あ、お前そんなやつだったんだなみたいな意外と仲良くなれたかもしれないなみたいな瞬間というかあったりとか、
そういった瞬間がねすごいいいんですよね。
いや僕もあのシーンめちゃくちゃ好きで、またね90年代初頭のバブリーな格好みんな大学にし始めてるんですよね。
そうそうしてるんですよね。ちょっと大人びてねみたいな免許取ったんだみたいな話とかしてるわけですよ。
すごい大学生だなっていうのがね。
そして情け容赦ない未成年飲酒病者。
そうそうそうそう。
いやそうなんですよね、やっぱそのほんとその90年代っていうか80年代後半ぐらいからですかね、あれって多分。
なんとなく知ってるものが、あ、やっぱそうだったんだみたいな感覚にすごい感じる映画ではありましたね。
時代の空気感として。
そうだよね、夕方の6時半ぐらいからアニメはやってたよねみたいな。
そういったところとか生活描写とかがもうまずそこもすごい良かったですし、
いやもういろいろもうちょっとね、主人公2人の関係性だとか三角関係の話とかいろいろしたいんですけど、
これ以上はちょっともういつか取り上げると思うんで。
なるほど。
ちょっとここぐらいにまたこの辺の話をまたね、その実際取り上げる回の時にまたするかもしれないですけど。
今回はちょっとこのぐらいにとどめとこうかと思うんですけどめちゃくちゃでも良かったです。
あ、ちょっとだけ追加でリライトも同窓会映画なんで。
あ、そっか。
そうですね、確かに。
リライトは10年後なんですよ。
はいはい。
27歳のその30代になりかけのヒリヒリ感のタイミングでの同窓会なんで。
またね、味変なんですよそこで同窓会でも。
僕ちょっと、まずそのなんていうんですかね、大人になってからそのヒリヒリとした同窓会にまだ遭遇してないというか参加したことないんですよね。
ちょっとわかります。
まだどっちかってその海が聞こえるみたいな同窓会なんですよ。
成人式の日とか大体やるじゃないですか。
はいはいはい。
その同窓会しかまだやっぱちょっと僕の実際経験上ないので、
いやヒリヒリする同窓会いやいやいやちょっと見てみますね。
はい、今週はこんな感じです。
はい、大石さんいかがされてました。
今週はなんと1本だけ映画見てるんですけど。
今日からAmazonプライムで配信されているフローをようやく見まして、
公開当時見てなと思いつつ、いろいろ忙しくて見れなかったんですよね。
家にあるテレビで見たんですけど、
なんていうんですかね、たぶんお二人ともおっしゃってたと思うんですけど、
なんとなくそもそもゲームエンジンで作ってるっていうところもあって、
画質のゲームらしさ、あるいは物語展開も若干ゲームっぽい感じはすると思うんですけど、
それのおかげかわかんないけど、テレビで見ても結構集中力そがれなかったなというか、
違和感なくその世界に入り込めたなって感じがあって、
それはむしろ良かったのかなと思ってたりはします。
で、
そうですね、なんか飽きなかったですね、ずっと見てられたというか。
あと思っていれば犬が犬すぎたなとか。
そう、あの映画犬だけ犬なんですよ。
他は確実に何かのメタファーというか象徴としているはずなんですけど、犬だけ確実にこいつは犬だなってなるんですよ。
確かにね、本当に犬だったなみたいなのは今回のテーマ作品にもかかってくるはずなんですけど、犬だなこいつっていう。
犬の犬っぽさって何なんだろうなっていうか、
なんか許せちゃうんですよね、あれ。
なんかやっぱ、死というなら、無垢というか純粋さみたいなものを犬に預けてるのかなっていうのもちょっと思ったりはして、
なんか、そういう意味でちょっとあの本当に今作っていうか今回の課題作があったから、犬映画として途中から楽しんでるところがありましたね。
そうですね。
そう、なんかあの力加減がうまくいかない感じも犬じゃないですか。
そうそうそうですね。なんかこう、発散するものがなんかちょっとねぇみたいな。
そうそうそうそう。
あとやっぱ個人的には常に動物が好きなので、出てくる動物のチョイスがマニアックでいいなっていうところを見てましたね。
ヘビクイワシとかでっかい鳥、あそこでヘビクイワシチョイスするの、なかなかマニアックだとって思いながら見てたりとか。
あとまぁ基本的に多分全ての動物の住んでる地域、犬と猫は全世界にいますけど、カピバラとかは南アメリカだし、ヘビクイワシはアフリカだったはずだし、
で、もう一人ワオキツネサルに立ってはマダガスカザンで、相当地球環境終わってんだなっていうのはわかる。
地球環境終わってる。
しかも急速に。
なんかその辺もこうそういう動物がこう、地域的にも全く別の文脈を持つ。
まぁ現在社会においてはですけど、っていうのがある種同じ船の中に乗ってくるっていうところとかでも、
まぁ監督が言いたいこととかを示してることなんだろうなぁと思ったし、
本当にあれですね、スーパーも見た後だからよりこう分断をどう解消していくかの話に見えたなぁと思って。
なんかそういう意味ですごい、このタイミングで見れて良かったなと思ったし、
フローに関しては配信で見ても全然こう、なんていうかな、劣らないというか、
観賞体験として十分なものになるような気はしたので、ぜひぜひ配信でまだ見てない方はいたら見てもらいたいなって思いました。
なるほどな。
僕はちょっとそんなに熱量なかったって前も言ったんですけど、
多分あるゲームでやってたらすごい抑圧にできたんだろうなと僕は思って。
ゲームって例えばそのストーリーがちゃんと語られなくても、そこを自分がプレイして行動していくこと自体がストーリーになるから、
その体験とあの世界が語ろうとしていることっていうのは合致するような気がしたんですけど、
映画っていう受け身だと僕はちょっとそれをうまく授与できなかったっていうのがあったんですよね。
ちょっとその語られるものが少なすぎるなっていうふうな感覚にはなったんですけど、
でもゲームだとそれが成立するなと思って、
ちょっとそのゲーム的なもの、もともとすごいゲームエンジンで作られているとかもそうなんですけど、
それをこう映画に寄せていっている途中の座標にある作品だなっていう感覚はあるんですよね。
ほんとそうですよね。
なんかこう、映画とゲームっていうところが、そもそもゲーム自体がかなり映画に近づいてきているところではあるし、
僕多分テレビ見たからむしろゲームとして半分楽しんでる感じというか、
ゲームのムービーだけ繋いだものとして楽しんでる感じがすごいしたので、
なんかやっぱりもう、なんなんですかね、ゲームと映画の違い。
例えば、エイリアン・コブナントってすごいゲームっぽい映画だっていうふうに山口さんおっしゃってると思うんですけど、
エイリアン・ロブルスですかね。
ロブルス、すいません。ロブルス。ステージの作り方とか。
でもやっぱりあれは映画よりじゃないですか。
もちろん実写かCGかって違いは割れますけど、
現在において僕らはどこの垣根でゲームっぽさと映画っぽさを見分けてるんだろうなとかっていうのはちょっと考えちゃいますね。
それこそ大石さんが今プレイしているデストランディングとか、
多分フローにやろうとしていること近い作品だと思うんですけどね。
めちゃくちゃ近いと思います。
ただやっぱりデストランディングはゲームとしてデザインされてる感じがすごいするんですよね。
もちろんムービーシーンのフォトリアル感はすごいんですけど、
とはいえやっぱりシステムでむしろ語ろうとすることを語ろうとしているというか、
ステージとかシステムで語ろうとしている感じがやっぱり映画ってもうちょっとストーリーとかキャラクターに依存してる気がするんですよ。
それをステージとか世界観とか、あるいは何をするのか、何をドゥイングするのかっていうところに寄せてる感じは、
やっぱなんかまだ映画とゲームの違い、あるいはメディアの違いとしてそこがやっぱり大きく出るのかなって気はしていて。
僕はゲームで一番すごい達成をしてるって思うのがラストオブアースのパート2なんですけど、
お二人ともご存知ですか、これ。
僕はわかります。プレイをしたわけじゃないんですけど、プレイ動画を見て、なんてこったいって思ったんです。
見てるだけでも思ったぐらいなので、やってる身からしたら相当なストレスかかりますよね、あれきっと。
もう売り出して数年経ってるんでネタバレというか展開をちょっとお話しするんですけど、
一作目の主人公が冒頭で殺されちゃうんですよね。
で、ゲームの中盤まではその疑似的な娘にあたる人をキャラクターとしてコントロールしながら、
その一作目の主人公を殺した人の仇討ちをしようとしに行く話なんですよ。
ただ、その中盤でその仇の人に出会うんですけど、出会った瞬間にパッて画面が切り替わって、プレイするのがその仇側になるんですよ。
で、その仇の人のちょっと前の話からスタートするっていう。
だから両方を体験しなきゃいけないんですよ。
体験した上で最後の対決どうするかっていう決断をこちらに投げられるというか。
その両方の事情みたいなもの、あるいはその事情を作り出すものまで全部責任をこちらに負わされた上で、
最後の最後じゃあどういう選択をするっていうのを迫られていくっていう。
おーすごい。
まさにプレイするっていう、能動的にこちらがやらなきゃいけないっていうことがゲームのメディアの特徴なんだとしたら、
それを100%フル活用した上で社会的倫理というか、あるいは復讐って何のためにあるんだろうっていう提示を説いてくるっていう作品で。
そうですよね。もうなんか、普通に話としてもすごい面白いんですけど、
これをプレイする感覚込みでやったら相当刻まれますよね。
自分の中の糧としてすごい刻まれるだろうなって思ってるし。
なんかやっぱり本当にゲームと映画を分けるものじゃないですけど、
なんかそこに選択をするみたいな自分でっていうのが1個入るだけでガラッと変わる感じはやっぱりしますよね。
それは僕、デトロイト・ビカム・ヒューマンとかをやった時も思ったんですけど。
まんま映画なんですけど、話とか。でもなんかそこにプレイヤーがちょっとなんかこれをするかしないかみたいなちょっとアクション込みで、
選択できるっていうだけで、こんなにも自分の中に入ってくる感じのものになるんだっていうのはすごい感じましたよね。
やっぱなんかウォッチと悪との違いがある気がしますね。
同じ展開の物語を映画で見るのとゲームでプレイするのとだと、
ゲームでプレイするのだと多分アクター側としての役割をプレイヤーが担うことになると思うんで、
この話って演じたらこうなるんだみたいなのをキャッチすることになるんじゃないかなって気はしますね。
もうそれってもうアクとすること自体がストーリーじゃないですか。そうなんですよそうなんですよ。
だからあくまで線は決められてるし、どういう風になるかっていうのはこちらも予想はつくけれど、
とはいえアクとするっていうこと、真摯の時にちょっと話したことに近いかもしれないですけど、
演じるみたいなことを多分させてもらえるのがゲームなのかもしれない。
なるほどねー。
だからそういう意味では、じゃああれですよね。
ブラックミラーのバンダースナッチとかやったらどういう気持ちになるんだろうみたいなとかは思いますけどね。
確かに確かに。
今もやってるんだっけな。
なんかもう配信なくなってるみたいな聞いた覚えもあるんですけど。
でもそれこそデトロイト・ビカムヒューマンとか、ほぼバンダースナッチみたいなことをやってるゲームだったりしますしね。
そうなんですよね。
だからもうそこはだんだん垣根がほぼないようにもなっている試みっていうのはたくさんありますけどね。
今って僕、娯楽の王様ゲームだと思ってるんですよ。
もう映画ではとっくの昔になくなってると思ってるんですけど。
やっぱり描けるものをゲームの方が深い気はせんでもないなって。
でも難しいのはさっきフローでもお話した通りで、ゲームはそれだけ悪党するっていうことは複雑なものは描きづらい気はするんですよね。
まあ確かにね。
やっぱりどこか単純化しちゃうというか、描ききれないところは今現在においてはどうしても出てきちゃう。
それ以上やっぱり描くと情報量が肩になってしまって、あんまりプレイヤーの楽しさみたいなものからはどんどん離れていっちゃうようなものなので。
実際ラストバースパート2は超複雑なんですけど、ゆえに賛否両論だったんですよね。
なるほど。僕はですね、今回のテーマ作品に合わせて1978年のスーパーマンを見てまいりました。
超有名作かと思うんですけれども、さすがの名作と言われるだけの完成度みたいなものはあったかなと思うんですけど、
やっぱり特筆すべきは、初音スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴと、ロイス・レインを演じたマーゴット・キダーの2人のハマりっぷりかと思うんですけど、
結構これだけで持つ映画だなぁとは思っては見ていました。
ただちょっとさすがに古い映画っていうのもあって、ちょっと無邪気には感じちゃうとこもあるというか、
今の僕のモードとして、善とか正義っていうものを無邪気に描くことは難しいというか、
善とか正義を僕が授与するためにはある程度の複雑さを内包してくれないと、僕が授与しにくいモードに今入ってるっていうのがあって、
まあ楽しかったですけど、そのドハマリはしなかったかなっていうのはありましたかね。
ちょっとその無邪気な正義っていうものをあんまりもう信じられなくなっちゃってるなっていうのはあります。
あとね、ちょっとね、スーパーマンがなんかセクハラチックなことに巻き込まれる展開が2箇所ぐらいあって、
それがすごい苦手だったんですけど、投資能力を表現するためにロイスレーンのパンティーの色を言い当てるっていう流れがあるんですけど、
僕はもうめちゃくちゃ苦手で。
確かに時代が出ますね、それはなんか。
そうですね、今やったら多いってなりますね。
まああのこれスーパーマンから自発的に言い出したことじゃないんですよこれ。投げかけたのはロイス側からなんで、
あくまでスーパーマンはそれを受けた側なんですけど、なんかそのスーパーマン悪くないよっていう受け入れだから悪くないよっていう感じで、
ちょっとその女性にそういう接触をする箇所が2箇所あって、
もうスーパーマンはそんなことしないって思っちゃったんですよね。
確かに現代の倫理家のスーパーマンならしないでしょうね。
なんかそういうシーン、だから昔の漫画にあんまり問われることなくスカートめくりのシーンが入ってくるのと近い感覚でちょっとそれが入ってくるから、
おーってなっちゃう。しかもそのスーパーマンが悪くないよっていうのを担保してる状態っていうのがちょっとギョってなっちゃうのはあったんですけど、
それも含めてなんですよね。そういうのも含めてなんかイノセントな前世みたいなのを描いてる話でもあるんで、これはもうちょっとしょうがない部分もあるかなっていうのはあるんですけど、
っていう感じでした。あと番組全体にお便りいただいてますので紹介させていただきます。マリオンさんお願いします。