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2025-07-18 1:04:20

第221回(2)『スーパーマン』スーパーマンはパンクだ。そして君たちもパンクだ。byジェームズ・ガン

『スーパーマン』の話をしました。 本作の神格化されすぎない、どこか身近さを感じさせるスーパーマン像の魅力や、レックス・ルーサーの複雑な内面描写、波乱万丈の経歴を経たジェームズ・ガンの到達点について話しています。

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サマリー

今回のエピソードでは、スーパーマンを新たに映画化したジェームズ・ガンの作品が取り上げられています。スーパーマンはヒーローとしてだけでなく、人間味にあふれた存在として描かれ、現代社会を反映したストーリーが展開されています。このエピソードでは、ジェームズ・ガンが描く新しい『スーパーマン』のキャラクターや物語に焦点を当て、その人間性や内面的な葛藤について語られます。特に、ロイス・レーンとの関係やレックス・ルーサーの描写が深く掘り下げられ、ヒーロー映画の新たな可能性が示されています。また、『スーパーマン』のエピソードでは、映像表現の新しいアプローチやキャラクター間の複雑な関係が探求され、特にスーサイドスクワットからの流れが強調されています。さらに、スーパーマンとルーサーの関係の深さとその心理的背景についても言及されています。第221回エピソードでは、スーパーマンの描写がパンク的な視点で語られ、登場人物の人助けの重要性やクリプトンから地球へのメッセージの進化についても深く考察されています。ジェームズ・ガンによる『スーパーマン』は、パンクの精神を持ちつつ、優しさが重要であることを強調しています。物語を通して、絶望しないことの大切さやカウンターカルチャーとしてのメッセージが描かれ、現代社会のメディアについても考察されています。

スーパーマンの背景と葛藤
今日のテーマトークは、スーパーマンです。はい、ではマリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。 1938年に発行されたコミックに始まり、幾度も映画化されてきたアメコミヒーローの原点、スーパーマンをガーディアンズオブギャラクシー
The Suicide Squad 極悪党集結のジェームズ・ガンが新たに映画化。 人々を守るヒーローのスーパーマンは、普段は大手メディアのデイリープラネット社で新聞記者
クラーク・ケントとして働き、その正体を隠している。 ピンチに殺送と駆けつけ、超人的な力で人々を救うスーパーマンの姿は誰もが憧れを抱くものだった。
しかし時に国境をも越えて行われるヒーロー活動は次第に問題視されるようになる。 恋人でありスーパーマンの正体を知るロイス・レインからも、その活動の是非を問われたスーパーマンは、人々を救うという使命に対して心が揺らぎ始める。
一方、スーパーマンを世界にとって脅威とみなす天才科学者で大富豪のレックス・ルーサーは、世界を巻き込む巨大な計画を密かに進行。
やがてルーサーと彼の手下である超巨大生物、怪獣がスーパーマンの前に立ちはだかる。 世界中から避難され、戦いの中で傷つきながらもスーパーマンは再び立ち上がっていく。
スーパーマン・クラーク・ケントを演じるのは、パール・ツイスターズなどで注目されるデビット・コレン・スウェット。 ロイス・レイン役にはテレビシリーズ、ハウス・オブ・カード、野望の怪談で知られるレイチェル・ブロズナハン。
宿敵・レックス・ルーサーにはマット・マックス・怒りのデス・ロードのニコラス・ホロットが噴出る。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では座りの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、スーパーマン自体は映画として見ているのはスーパーマン・リターンズってやつと、
あとはマン・オブ・スティール以降から始まるDCのユニバースのものみたいなぐらいで触れてるぐらいですかね。
あと小さい頃カートゥーン・ネットワークでジャスティスリーグのアニメとか見てたなーぐらいなんですけど、
で、今回見てなんかめちゃくちゃ超人なんだけど、めっちゃ傷つくな今回みたいな、いうふうにはすごい思いました。
結構ボロボロですよね、今回。
肉体的にも、そして精神的にもみたいな、なんかそこがすごい人間味が感じられる存在としてのスーパーマンみたいなのがすごいなんか印象としてすごいありましたね。
その前のがすごいなんかちょっと深刻化された感じに今ちょっとなっていくような話ではあったので、
どちらも悩めるスーパーマンではあったんですけど、なんかまたガラッとこう変えたアレンジというかがされててすごく面白いなーって思いました。
すごくなんか感情移入もちょっとしやすいというか、なんかすごい気持ちわかるなーみたいな感じにすごい感じましたし、
あとその劇中で描かれているその人として優しさとか親切とか人道的であることみたいなのをなんか結構ここまで高らかに歌い上げてくれるっていうのが結構、今のご時世的に結構やっぱほだされちゃうところがすごいやっぱりありましたね。
やっぱりちょっと、やっぱ現実がちょっと殺伐としているというか、
漏悪であったり、霊性的である方がなんか美徳みたいな風にされているような世の中で、なんか高らかに理想を歌い上げるみたいな映画でもあったので、結構そこにちょっと素直にちょっと感動している自分もすごいいましたね。
ちょっと若干危ういんじゃねえかっていう気もするんですけど、本当に死者ゼロ人かこれみたいなところを含めて、
まぁちょっと、ん?みたいな、単純化しているような気もするんですけど、ちょっと今の世界のあり方を見るとやっぱちょっとこのシンプルさみたいな良さみたいなのに、こうすごくうるっときちゃう自分がすごいやっぱりいましたね。はい、という感じでした。
はい、大井さんいかがでしたでしょうか。
なんか冒頭から結構驚かされたというか、
まぁ無敵、僕スーパーマンシリーズってほとんど見たことが実はなくてですね、なんとなくイメージとしてはザ・ボーイズの悪役みたいなやつなんでしょって思ってるんですけど、その強さだけで言ったら。
ホームランダーは違うやろ、さすがに。
そう、だからあいつの全盛バージョンなんでしょって思ってるぐらいのイメージなんですよ。全盛を持った強いやつなんでしょみたいな。若干ウォッチメントが入ってるかもしれないですけどね、そこにね。
はい、まぁまぁまぁ。
で、実際見てみたら、まず冒頭から負けてるスーパーマンからスタートするというか、あれ弱いぞっていうところから始まるところからまずびっくりしましたし、そもそも一番冒頭のテロップで怒ってる戦争が現代すぎるなと思って。
はい。
あまりにも今すぎるな、今すぎることやるんだなこれからって思って。その時代性を打ち抜かんとしてる感じは、なんかなかなかやるなってちょっと思っちゃったというか、久しぶりに現代性とヒーロー映画、アメコミ映画っていうのが重なる瞬間を見たなっていう気がしました。
それこそ一時期はMCUとかがそういうことやってくれた時期もあると思うんですけど、あるタイミングからなかなかそういうことはしづらくなってたというか、MCU世界観の方をより重視するようになってたからは、結構現代社会とどんどん乖離していく方向にあって、
向こうの世界の話だからなっていうふうに結構距離感を置いてこれまで見てたんですけど、本作スーパーマンは現代社会の話だなっていう感じがすごいしたっていうのが結構感想ですね。
で、実際描かれること自体もすごい現代的な問いというかにあふれてる。もちろんさっきマリオさんがおっしゃったように単純化はすごいしている部分はあるので、そこに対して思わんことはないことはないんですけど、
でもそのぐらい単純化したものをむしろ世界が求めちゃってる。もうそのぐらい危機的状況にあるんだろうなっていうのも含めて、なんか現代だなっていうふうに思ったし、結構僕この映画見て楽しんだんですよ。映画自体はすごく。
ただその劇場の外出た時に、そっか俺たちはスーパーマンのいない世界に生きなきゃいけないんだよなーって思った時にちょっとだけ絶望して。
なんかその素直な前世は確かに僕ら自身が持ってるものなんだけど、結局その前世で世界が動かないっていう現実に逆に打ちのめされちゃったなって気が僕は結構して、割と暗い気持ちで実は映画館出た後に帰ってるっていう感じでした。
優しさの重要性
映画の最中は超楽しかったんですけど、やっぱ現代世界を舞台にしてるからこそ、この前世がこの世界ではないものされてるんだよなーって思って、少し悲しい気持ちになったりもしましたっていう、そんな感じです。
はい。僕はですね、まあ映画の内容も良かったんですけど、何より僕はジェームズ・ガンがやろうとしてることに感動してるなっていうのがあります。
本作の中で語られるんですけど、優しさはパンクだっていうのって結構重要な最定義だと思ったんですよね。
優しくないことが世の中のメインストリームだから、じゃあ優しさってパンクですよねって結構これ大事なこと言ってるんじゃないかなと思って。
で、ジェームズ・ガン自身は作風としては老悪と不謹慎の世界からやってきた人ではあるじゃないですか。
で、そこでスーパーマンって本来的には相性は決して良くないタイプの作品というか、本家本流ど真ん中なわけで、
ジェームズ・ガンが本来特性としては合ってないはずなんですけど、そのメインストリームに対するアンチとして老悪不謹慎をやってきたジェームズ・ガンが本家本流をやることで、
本作も老悪不謹慎の要素もあるんですけど、でも正しさとか優しさをやることで、それが老悪不謹慎かつ冷笑がメインストリームになってしまっているこの世界に対するカウンターカルチャーとしての優しさを作ろうとしているっていうことが偉大だなって心底思って。
だってもう、ジェームズ・ガンのこれまでの経緯考えてきたら、悪落ちしても全然おかしくない人なんですよ、あの人。でも落ちなかったんですよ、あの人。
もう、老悪不謹慎描いてきてそのままサブカルの暗黒面落ちてもおかしくなかった人が優しさを本気で描いて、ちゃんと今の世の中に対して意見性を持った作品作ってるってこれすごくねって本当に思いました。
作品自体の熱量はまあまあって感じなんですけど、あの、ジェームズ・ガンがすげえなって思ってます、僕は。
なるほど。
ジェームズ・ガンがやろうとしたことが希望だなって。もしかしたらそれにはなれるかもしれないなって思ってます、それは。
なるほどな、はいはいはい。
スーパーマンになれなくてもジェームズ・ガンにはなれるかもしれないっていう。
うんうんうん。
っていう感じを僕は覚えてます。
なるほど。
はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。まずは大石さんお願いします。
はい、タウルさんからいただきました。
こんにちは、タウルです。
スーパーマンの実写映画は1978年のリチャード・ドナーヴァンがスーパーマンらしい大らかさと愛に満ち溢れた完璧な作品だと思っているオールドファンです。
でも、もちろん新作を楽しむためにマン・オブ・スティールの時も本作も一旦ドナーヴァンのことは忘れ、違うのがいいというくらいの気持ちで臨んでおります。
本作は誕生誕を省略し、いきなりスーパーマンがやられた姿から始まりますが、これが掴みとして驚きでよかったです。
奇抜さだけではなく物語にも自然に繋がっていきましたし、上映時間も短くなり秀逸だと思いました。
その後もスーパーマンに人間のような弱さが目立ち、変わった連中や犬の方が生き生きとしていて、スーパーマンを救えみたいな作品ですし、
スーパーマンがいなくても正しい行いが勝つ世界にしなくてはと見ていて思わされるような感覚もありました。
リブート1作目から思い切った作風で悪趣味が魅力のジェームズ・ガン監督がこんな真っ直ぐな作品を撮らせてはいけない、
強くて虎行のスーパーマンがあんな姿なのは許せないとも思いましたが、それもこれも現実社会が広い状況だからこういう作風になるんだと思い直すほどに説得力のある作品に仕上がっていました。
まずはシンセイDCのガン社長の先生を受け入れようと思います。
たのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いいですね、大宇堂ファンのコメントをいただけたら。
そうですよね。やっぱりリアルタイムでお作見られてると思うので、やっぱりそういった人から見て今回のスーパーマンでどうだったんだろうみたいなのかはやっぱりちょっと気になる子だったので、なるほどなという感じですよね。
本作のスーパーマンの弱さって、もちろん今までも超越的な力を持ってるけれども、あくまで個人としては素朴な善人であるってことを描いてきて、その素朴な善人なりに傷つくっていうことはこれまでも描いてきてると思うんですけど、
さらに今回はちょっとその賊っぽい弱さを兼ね備えてるってとこがやっぱり今回またテイストが違うなっていうのは思うんですよね。
あ、SNS見て気にしてるんだーとか。
あれいいですよね。
いいですね。
彼女との口喧嘩シーン最高ですよね。
意外と気にされてるみたいな。劇中で出てこないですけど、ゴシップ誌とかめちゃくちゃ気にしそうですよね。
そうそうそうそう。
スーパーマンの人間性
あと、ロイス・レーンってすごい自立してるし、ガーが強い女性で、これまでもスーパーマンの大らかさに対してどうしてもぶつかる部分ってあったけど、
スーパーマンってそれ受け止めてきてたキャラクターだったと思うんですけど、今回やっぱぶつかってるじゃないですか。
はいはいはい。
そこがすごい良いですよね。今までとは違う意味合いで、本当に人間だなっていう。
あの喧嘩のシーン、いいですよね、本当に。
いやでもなんか、わかるんですよね、あの喧嘩すごく。
戦争が起きそう、国家間の問題が起こってる、その歴史が歴年背景を見てるときにどっちが悪いかとか言えないのってめっちゃわかるじゃないですか。
でも目の前で人が殺されそうになってるんだよっていう、その純な意見も正しいしさっていう。
あれって結構いつも、この現実を受け止めるために自分の内側で行われることがすごいスクリーンに映って見えてるような気がしちゃって、自分は。
そうですね。
あとあの言い争いって、現実だとそれになりそうな、ちょっと手前で止めるんですよね、あれ。
そうですよね。
いやだから、やっぱあと2人えらいと思うんですよね、ぶつけるところが。
ちょっと逃げちゃってるもんなって。
あとあの、一輪車をスーパーマナー飛ぶとか、本当にめちゃくちゃよくて、あれ。
意外と気にされるんですね、描写の1個として、最高ですよね。
あ、意外と自分そういうふうに思ってるんですね、みたいな。
自分のことそう思ってるんですね、みたいな。あれはいいですね。
ちょっとセルフプロデュースの意識働いてるんだ、みたいな。
他のスーパーマンだったら絶対そんなことないですもんね。
そうですよね。
すごい俗っぽいっていうか。
いやでもちょっとそれ多分賛否ある部分だと思うんですよね。
スーパーマンの圧倒的前世っていうものを描く上で、その俗っぽさってノイズになりかねないとこだと思うんですけど。
そのあくまで素朴な田舎の青年っていうところの流度をもうちょっと潰らせた表現にしたっていう意味では、やっぱ本作にとっては結構大事な描写だなっていう感じは受けますね。
レックス・ルーサーの動機
はい、じゃあ次のお便りいきたいと思います。
ゲゴポンさんからいただきました。
店長メンバーの皆様お久しぶりです。スーパーマン見て参りましたのでご報告いたします。
いや想像以上にワンチャン映画でした。まさかここまで物語の中心に据えてくるとは。
あんなに元気を振りまかれたらニヤニヤしちゃうに決まってるじゃないですか。
絶対犬は死なないだろうと安心できるジェームズガンブランドも聞いていましたね。
そしてニコラソウルトのレクスルーサーも最高のヴィラン。
ずっと生きてるけど未知への恐怖とそれを克服したいという渇望という動機は共感できるものでした。
最後のあのピュアすぎる目でシュンと泣きべそかく犬顔まで含めて本当に素晴らしいワンチャン映画です。
ジェームズガンのDCトップ就任とドラマペンギンのヒットで大きく巻き直しを図ったDCユニバース。
現実の意志を盛り込むことすら難しくなったMCUと対照的にもともとそんなことやってなかったからこれからもやる必要がないというDCの自由さは強みだと舐めてましたが、
今回のスーパーマンではっきり撃ちもやるとスタンスとして打ち出してくれたのが本当に嬉しかったです。
まだこういうヒーロー映画見られるんだなって。
お人よしでみんなに頼り切るジェームズガンのクラークケントとインキア爆発マットリーブスのブルースウェイン。
ヒーロー映画の新たな試み
この2人の邂逅はありますかね。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
犬ね。
犬。
クリプトよかったっすね。
いやー、僕犬飼ったことないんですけど、犬ってあんな来るんすね。
あんな、あんなはしゃいでやってきますかねみたいな感じなんですね。
まああの大型犬ってちょっと、あの危なっかしさはあるっちゃあると思うんですけど、かつ出力がスーパーマンですからね。
一発一発がデケェみたいな。
ちょっと命の危機が。
そうそうそう。
でも絶対1回で言うこと聞いてくれないじゃないですか。
2、3回言ってようやく聞いてくれるみたいな感じがね、もう、もうみたいな感じですよね。
そこがね、かわいいんですけど。
いやー結構その、ジェームズガンの映画って、無邪気すぎて話の通じない異物ってよく出るじゃないですか。
はいはいはい。
スーサイドスクワッドだとあのサメのやつとか。
そうっすね。
あいつサメじゃないですか。
あいつサメですから。
サメじゃないですか、ただの。
ただこう犬になることでちょうど良くなってるなって思って、なんかあんまりこれいいの?みたいにならないじゃないですか。
あのサメの時これいいの?ってなってはいたんですよ。
そうですね。パッとしてるのはああああってやっぱりなるんですけど、犬がはしゃぐ分にはもうどうぞどうぞみたいにはやっぱりありますよね。
そのチューニングがやっぱり本作は良かったなというか、ド本流にジェームズガンが作風を持ち込むためのチューニングはいろんなところで行われてるなとは思うんですよね。
今までやったらゴミのようにいっぱい人が死んでたところで死者はゼロ人とかわざわざ言うみたいな、ちょっとおためごかしにも程があるやろうみたいなことも。
いやそうですよね。いや本当に思ったんですよね。絶対ゼロ人なわけないやろってずっと思ってましたよ。
劇中に起こる大惨事全部見て思いましたけど、嘘だろって。
いやでもそれをやるってことがスーパーマンを作るっていうことだなと思うんですよね。
今までだったらもうむちゃくちゃ人死んでますし、もうこいつが暴れたことで悲惨なこと起きてますみたいなことをやってたところで、
むちゃくちゃ暴れますけど悲惨なこと起きてませんっていう、もううずうずはしてると思うんですよね。
もう老悪的なことやりたいって絶対思ってると思うんですけど、それを抑えてるというか、
抑えてるって言うとちょっと言い方が不適切かもしれないですけど、新しいことをやろうとしてるなとは思って。
あとニコラス・ホルトンのレックス・ルーサーね。 いや良かったんですよね。素晴らしい、素晴らしい本当に。
あの、劣等感ですね。あとまあその、もうズバリゼノフォビアと言っていいと思うんですけど、外国人に対する嫌悪ですね。
そいつらが上を行ってるっていう劣等感もあるし、憎悪もあるし、あと扇望もあるしっていうね、複雑な感情ですよね、あれは。
そうなんですよね。でかつ、まあそういうある種の差別性みたいなものはしっかり咎めるんだけど、
その感情を持っちゃう背景みたいなものをあんまり咎めないっていうバランスもすごい良くて。
いやそれはね、結構本作すごいことしてるなと思うんですよね。 彼の感情に我々ちょっと寄り添っちゃうじゃないですか。
うんうんうん、そうですね。 そこは結構本作のリーチの深さだなとは思うんですけど、
その感情自体はあるし否定しないけどなんですよね。やっぱそのけどがスーパーマンなんですよね。
それを持っちゃうことは人間だから仕方ないとしても、じゃあそれをどう行動に起こすべきかというか。
だからあの会社の人たちもそんなに悪人として描いてないあたりとかもすごい上手いバランスだなと思って。
そうですね、結構職場の感じの社員の生き生きとした感じは、
てか結構普通の仕事として、なんか別に悪いという感じもなく普通の仕事としてやってる感じがすごいありましたよね。
悪の秘密結社感ゼロというか。 そこはちょっとなんか、
絵描き家として面白いなーって思ったんですけど、 でも現実あんな感じでそういうことをやられてる人いっぱいあると困るなっていう感じが、
現実そうだなっていう感じがあるので、ちょっとそこはなんて思い出ない気持ちになったりはしましたけどね。
ちょっと裏返したらBキーパーのフィッシング詐欺集団ですよ、あいつら。 そうですよね。一緒だなって思いました。
Bキーパーではそれを悪というふうに明確に見えてましたからね。 明確に悪だし、もうその絵描き方もすごいパッパラパーなというか、
ウェーイみたいな感じでやってたけど、今回のやつは本当に真面目にやってる人たちだなーって感じに映るから、でもそういう人がそこに染まっちゃってるっていうのが、
往々にして、現実そうじゃなーっていうのはたくさん自称としてあるから、そういうのをちょっと思い出してしまってちょっと鬱陶はなったかなっていう。
だから悪をしてる人たちがじゃあ悪意を持ってるかといったらそんなことはないっていう。 そうだし、あとそのウルトラマンっていうやつに指令というかコマンドを出すみたいな人たちがたくさんいるじゃないですか。
なんかすごいゲーム感覚っぽくて、現実見てない感というか、パソコンの画面の中だけで全部が動くと思ってそうな連中だなって正直思ったんですけど、
なんかその感じも現実そうだなーっていう、SNS見てるそんな感じもするから、ということもちょっと思い出したりしてまた余計に鬱陶かなっちゃうっていうのはやっぱりでしたね。
そのあそこっていろんなものがロンダリングされていってると思うんですよ。だから元々、最もあの行為に対してエネルギーを持ってるのってレックスルーサーなわけじゃないですか。
レックスルーサーの憎悪とか、あるいは熱意みたいなものとか、あるいはその命令そのもの、だから行動しようとするものが命令として誰か別のところに降りていって、
その情熱とかはロンダリングされてるわけですよね。その責任とかもそうだし、罪性みたいなのもちょっとロンダリングされて、
さらにそこから、ボタンというか、指令を通じてウルトラマンへの命令となって、ウルトラマンに至ってはもう何の自我も持ってない状態で戦ってる。
自我がないわけじゃないけど、知性がない状態で戦ってるっていう、最も末端で、もう意味とか問わずにやってますってなってるっていう。
これってすごい。たぶん、レックスルーサー以外は統治させないものも持ってないと思うんですよね。
いや、そうですよね。そうですね。スーパーマンへの並々ならぬ感情を持ってるのはあいつだけですよ、本当に。
そうそうそう。
いや、あれ、すごい上手いですよね。よくよく考えると、あの描写。
そうなんですよね。なかなか映画でも見ないし、でもすごい真を捉えてるみたいなところがありますよね。
なんか、程よく抽象化されて現代を表している感じがすごいするというか。
うん。
ああいうのって、パワードスーツをルーサーが着て戦う方がいいわけですよ。アクション映画としては。
まあ、そういう風になる話もありますよね。たぶんアメコミとかなんかそういうの、たぶんあったと思うんですけど、おそらく。
で、ちゃんとその2人のヒーローとビランが直接対峙して戦うっていう構図を作れるって意味では、そうしないとその構図は作れないわけですよね。少なくともビジュアル的には。
でも本作って映画だから、その2つのシーンって切り替えることでほぼ同時に描くことはできるし、それをルーサーが実際の現場で戦ってないけど、でも戦ってるように見せるって表現することで、
映像表現の技術
その2つの意味を重ねたまま描けてるって結構すごいですよね、あそこ。めっちゃ上手いなと思います。
だから本作全体的にそのカットとパンというかその会話じゃないですけど、両方の方を行き来するっていうカメラワークがすごい多い具体をされてるなと思うんですけど、
その上手さがすごい光ってる対決シーンだったなと思って。別空間にいるにも関わらずそれを同じ立場に見せられるというか、という風に僕らは解釈できるっていうのって映画のマジックだと思うんで。
本当カット割り今回すごい多いと思うんですよ、映画の中で。めちゃくちゃその短いカットで、そろそろTikTok並みの速さでカットが変わっていく映画だと思うんですけど、
それを上手く使うことによってこういうドラマを作れるんだってことを示してくれてるなと思って、結構そこは映画のアプローチとしても新しいし、ある意味そのあれですよね、
スーサイドスクワットで獲得したパンの感じをよりこう洗礼させた感じっていうのがあって、なんかまたどんどん面白い映画を作ってくれそうだなって期待感が増してる感じありましたね。
あと対スーパーマン用の戦闘プログラムって、アルファベットと数字の組み合わせで命令を組まれてるじゃないですか、
スーパーマンにマウント取ってボコるのがA1っていう一番初めに考えたプログラムそれっていうのがむっちゃいいなと思って。
そこに行くまでを考えるっていう。 もう初めにこれをやるっていうことを設定してから後からいろんなのを組んでるっていう。
確かにな。 なるほどな。 むちゃくちゃ楽しそうなんですよね。A1、A1、A1って、スーパーマンボコボコにすることばっか考えてたんやろうなって。
なんかもう、好きじゃん逆にみたいな感じですよね。 その感じね、まあね。
そうっすよね。あとラストの涙素晴らしいです、本当に。 いやーそうなんだよなー。
別に背景ってそこまで語られないじゃないですか、ルーサーって。 あくまでその会社の社長であってスーパーマンに対して支援を持ってるぐらいのバランスなのに、
あの最後の表情だけでなんかいろいろなものが見える気がするのがすごいですよね。 そうですね、いろんなもん見えるし、
なんかシンプルに子供がベストを描いているようにも見えるし、けどものすごいなんかちょっと うわーみたいな、自分が軸した思いみたいなのもめちゃくちゃあったりとかもするしみたいな風にも見えるっていう。
あのバランスですよね。ニコラソルトはさすがだなーって思いましたね。 僕はあの涙見て思った感情たくさんあるんですけど、一番深く感じたことは恐怖ですね。
あーまあそう、なるほどな。 あの泣き方する大人は僕怖いです。
しかも自分が敵対してる人間があの泣き方したら、絶対に生涯自分のことを恨み続けて攻撃し続けるだろうなっていうのがもうわかっちゃうなって思って。
怖ってなりましたね。 だって生きる理由ですからね、ルーサンとって。
スーパーマンを否定することがリゾンデートルだから。 だからある意味2人とも純粋なんですよね、この作ね。
悪としてというか敵としてというか。 そうですね、だからなんかもう結構映画としてはすごい世界観途中ぐらいの感じで始まりますけど、
2人の関係性はここからスタートって感じがありますよね、ある意味ね。
キャラクター間の関係
このクラーク・ケントとマット・リブスのブルース・ウェインが組むのはちょっと面白そうかなって気はしました。
確かに。 2人ともだいぶ別種のコミュ障じゃないですか。
もうちょっとね、陰と陽がちょっと差が激しすぎるっていうか。 あのブルース・ウェインにここちょっとずれてないとか言ったらマジでもう舌打ちチッチッってやり続けそうだなって。
それをマジマジとなんでだろうって考えそうですもんね、あのクラーク・ケントね。
若干言い返しそうだし。 元々バットマンとスーパーマンってその関係性のある組み合わせですけど、
ちょっとそれをよりなんか濃くしている関係性になりそうだなと思って。
確かになぁ。実際一応ね、あのバットマンシリーズ、ザ・バットマンは一応別シリーズですよっていうふうには言ってますけどね、今後あり得るんですかね、開講はね。
まあそうね。
繋がることは多分ないと思うんですけど、また別のバットマンが出るとおそらく思うんですけど。
当然あのスーパーマンがいる世界にバットマンは絶対いるわけで、どうなるかなっていうのは楽しみですよね。
見ててあの感じてたんですけど、Xルーサーとバットマンも鏡合わせだなって思って。
あー、確かに。
そうですね。
その、人間の力の延長で、超常的なものと対峙しようとするってものを突き詰めた存在の、善と悪だと思うんで。
で、バットマンの善政も結構ギリギリ際どいというか、社会規範から簡単にはみ出しかねない正義だから、彼の正義って。
でもそのレックスルーサーのやってることも、ある見方によっては正義の旗印を帯びかねないものでもあるから、本当結構背中合わせというか鏡合わせだなって。
うん、まあ多分これ言われ尽くしてることなんでしょうね、多分。
まあ、おそらくはですけど。
うん、はい、ではこんなところで我々からトピック出していこうかなと思います。
何かありますかね。
ちょっと引き続きキャラの話してもいいですか。
はいはいはい。
あの、グリーンランタンが好きだったんですけど。
あー。
グリーンランタンを率いるあの3人組好きだったんですけど。
あのね、ジャスティスギャングだっけ?
ギャング、うん。
なんか、リーダーやってるグリーンランタンのなんかめんどくせえ感じとか。
こいつめんどくせえから話し合わせとくかみたいな感じとか。
なるほどなるほど。
あと大活躍してて、メカニック担当みたいな人の名前忘れちゃいましたけど。
うん。
テリフィック。
あー、テリフィック。あの人いいキャラでしたね。
うん。
なんか、理系ツンデレ感というかね。
そうそうそうそう。
クーデレ感っていうんですかね。
クールなデレを出すみたいな。
あいついいキャラだったなーという。
だけど対戦のところではちょっと抑えきれなくて、
あーやばいやばいやばいって慌ててる感じもちょっと良かったですね。
うーん、そうですね。
あとフォークガールもすごい、
あ、いい子じゃんみたいなね、感じでしたけどね。
うんうん。
容赦ない感じも良かったですね、フォークガールで。
やっぱあの、アウトロー上手ですよね。
ジェームズが。
キャラ造形が。
そうですね。
やっぱりちょっとギャングってね、作るだけあって、
ソロカーも出てましたよね。
絶妙にあの3人ちょっと悪なんだよな。
うんうん。
そうですね。
悪というかヤンキー感って言ったじゃないですかね。
あー、確かに確かに。
あれはチームの衣装みたいなのも決めてみたいな感じもすごいなんか、
ヤンキー感が。
うん。
そもそもガーディアンズ・オブ・ギャラクシーが、
ヤンキーみたいなもんだし。
うん、そうそうですね。
ああいうの上手いんですよね。
うん。
スサイダー・スクワットも本当にそんな感じでしたもんね。
うん。
そう、あの、
ハン・ソロが助けに来るとこが一番盛り上がるってよくわかってる。
いやそうなんですよね。
そうですよね。
本当に最終クライマックス辺りの戦争に介入してくる時のグリーンランタンたちめちゃくちゃかっこよかったですもんね。
うん。
いいっすよね。
わざわざ中指の造形作って戦車とクワソロの最高にメッセージ性こもってていいなーって思うんですけど。
うん。
あれ、中指立てんのって、あの表現やったらアリなんですかね?って。
ん?
あー。
中指立てんの自体はいいんですか?
まあ、いいのかな?
いいのかな?
きりアリなんじゃないでしょうか。
人間の手じゃなかったらいいとかってことなんですか?
あ、あくまで造形だからいいっていう。
手じゃないから。
エネルギーだから。
エネルギーだから。
あのグリーンランタンが表現してること、結構複雑なことを表現してるなと思って。
俺たちは政治的なことには介入しないんだって言ってたじゃないですか。
はい。
でもその政治的なことに介入しないってめちゃめちゃ政治的な態度じゃないですか。
そうですね。
すごい矛盾だと思うんですけど、この上なく政治的な行動ですよね、あれって。
そうなんですよね。
それはそれで。
いや、それむっちゃ思うことよくあるんですけど、フィクションが政治的なことを描くの、エンターテイメントが政治的なことを描くの良くないって、それを避けようとするってめちゃめちゃ政治的な態度じゃね?って。
めちゃくちゃ良いと思うんですけど。
そうですね。
なんかそれに対する皮肉には見えました、僕には。
うん、そうですね。
だってこんだけバリバリ込めてるのに、この映画を見てそういう感じの感想を書く人もいるわけで。
いちいち政治と繋げんなみたいなというか。
書く人もいるわけでみたいなことを思うと、すげえなって思うんですけど。
彼ら後ろに企業がいるんで、その辺もまたリアルですよね。
企業側としてはあまりそこに多分スタンスを示したくないか故にっていうのもあるんだろうなってところもリアルで。
そうですね。
だから彼ら自身の多分思想ではないんだろうなっていうのも含めて、じゃあ本当に悪いのは誰なんだっけっていうのを案に示してるというか。
僕は分かってやってると思うんだよな、そういうこと全部含めて。
そしたらね、で、その政治的なことは示さない前提の下で、でも人を助けは政治的かっていう多分問いも同時にあるのかなっていう。
最初にそれこそさっきのリケイのクーデルの彼が、スパーマンを助けに行くのはあくまで友人としてだっていうふうに言うところだったりとか。
あるいはそれは多分拡張すると戦争を止めるのも政治的なのかっていう問いでもあるような気がするんですよね。
だから政治っていうのを理由にどこまで正しくないことから目を逸らせるのかというか。
政治と人命はどっちが大事なのかというか。
そういうこともすごい通ってるような気がしますね。
そうですね。スーパーマン自体が人助けを政治的じゃないものとして、すごい極力描こうとしているキャラクター。
本作においては、少なくとも本作においてはそう描こうとしているように見えたんですけど。
スーパーマンってあんなにすごいのに、人助けするとき一人一人助けていってるんですよね。
本人がむちゃくちゃ早いから成り立ってるけど、あれ本来間に合わないはずなんですよ。絶対。
でも一人一人助けに行ってるっていうのが、あれがスーパーマンだなっていう感動を僕は覚えたんですけど。
リスとかね、リス一匹とか助けたり。
いちいち一人一人助けていってるんですけど、だからマスとしてゴソッとってしないんですよ。
スーパーマンの人助け
常に一対一で助けようとするというか、大きくドンという、例えば本作が意図的にそういうふうに描いてたのかもしれないですけど、
たくさんの人を同時に助けているというより、何かに潰されそうな一人を助けるとか、そういうのを個々描いていってるなと思って。
常に一人を助ける、それをたくさんするっていう描き方を本作はしてたような気はしてたんですよね。
それが、スーパーマン性?少なくとも本作が語ろうとしてるスーパーマン性なんじゃないかなと思って。
いや俺、もう凡人なんで、そんな100人とか助けられないですってなっても、いや一人は助けられるんじゃないでしょうかっていう。
スーパーマンも、一人を助けるをたくさんやってるだけなんで、一人を助けたらもうその時点でスーパーマンじゃないでしょうかっていう投げかけなんじゃないかなと思うんですよね、それって。
だから本作、まわりくどいと思うんですよ、助け方が。
でも大きく助けようとすると、個人っていうものを何というか、遮障しちゃうことになって、それって突き詰めて果ては政治なわけで。
人助けを政治にしないように人助けしているキャラクターとしてのスーパーマンの描き方になってた気はしました。
そこがこう、人を動かすレックスルーサーとの差だとも思うんですよね。
いや人を動かした方が効率的でしょうとか、いやでもそうじゃないんです。一人が一人を助けるんですっていうのを問い直すっていう。
一人の人間には何もできないっていうレーションに対する挑戦をしていると思うんですよね、それって。
そんな彼がレックスに、めっちゃ努力してんだぜみたいなというか、悩みながらやってんだよこっちはみたいなのを、結構ストレートにスリフで言ってくれるのも結構熱いなって思いましたけどね。
こっちも一人の人間なんだわっていう。
そこは結構ね、ちょっとうるっときちゃうというかね、いいなって思っちゃいましたね。
アクションと語りの魅力
めちゃくちゃいいシーンですよ、あそこ。
本作全体的に僕、アクションシーンがあんまり楽しんでなくって、
なんかキャラクターの語りが面白い映画だなって思って見てたんですよね、全体的に。
もちろんアクションよくできてると思うんですよ、格闘シーンとかも。
でも、見慣れたというか、もうできるよねって、これぐらいはできますよねってちょっと思っちゃってるとこもあって、
むしろこのスーパーマンっていうキャラクターの今回の描き方とか語り口っていうのの面白さの方が、すごい目がいったんですよね、本作に関しては。
そうですね、なかなかヒーローもののアクションで新しさを打ち出すってだんだん難しくなってきてはいるのかなっていう気はしてるし、
かつチームものだったらまだ、それこそジェームズ・ガンのお得意の形でできるような気もするんですけど、
本作は完全にその一人のヒーローの話っていうところもあるので、やっぱりちょっと単調なりがちではあるかなと思ったんですけど。
でもやっぱり語りとスタンスの面白さは確かにおっしゃる通りで、なんかやっぱそこに感動してるんだろうなっていうのも思いましたしね。
でも僕アクション好きなとこありましたけどね。スーパーマンにラプターズがいっぱいバーってまとわりついてきて、それを全部回転して振りほどいて光線でバーってやっていくところとか。
あれとかすごいおーって思いましたし、あとロイス・レインとテレフィックがぬるっと入っていって、テレフィックのバリア内に囲ったとこでバーってやるとことかすごい好きですけどね。
あれもうガーディアンズ・ウォーキャラシティ2のヨンドゥだなって思えてますよ。
あー確かにそうかも、ヨンドゥっぽいね。
この飛び道具というか、このファンネルっぽいの好きなんだなと思って。
ファンネルっぽい。確かにね。ルーサーも使ってましたからね、カメラでこう見るという。
ああ、確かに確かに。
あれもある意味ファンネル的なね、というかね。リモートでね、やってますけど。
まあ、ただ、犬がいたらダメっていうね。
あれはおもちゃになるから。おもちゃです、あれは。確かに手頃だなって思いました。
そこから伏線系で良かったなと思いました。なるほどっていう。
そうですね、確かに。
さりげない伏線というか、そんなに大きな伏線というわけじゃなくて、さりげなくサラッとやるあたりはちょっとやっぱ上手さ感じましたね。
あとまあ、タマゴ本作ですごい大事な部分なんですけど、
スーパーマンのクリプトンの両親の描写、あれにしたのって本作結構、結構なことをしてると思うんですよね、あれ。
そうですね。めっちゃ大したことなかったっていうか、むしろ俗悪というか。
まあ、あんなこと言うよねっていう感じがね。
リチャード・ドナーのスーパーマンでも、やっぱり地球人に教えを与えてあげてみたいな言い方をしてるんですよね。
お父さんからスーパーマンに対してそういう言い方はしてて、やっぱりそのより進んでいるクリプトン人から少し遅れた地球人を導いてあげるみたいな、ちょっとその西洋の啓蒙主義的な感じはあるんですよ、やっぱり。
で、それをアメリカでやってるって、ちょっとヒヤッとしちゃうし、今回の描き方って、要は入職するってことじゃないですか、つまり。
そうですよね。
アメリカじゃないですかってちょっと。
まあ、あれも結局ちょっとどうなんでしょうね。そこで子孫残しなさいぐらいのニュアンスを、あえて曲解させて侵略みたいなところまで言い切っている可能性もあるような気はしてるんですけど。
フェイク的なってことですよね。
意味をちょっとだけ誇張してああいうこと言うみたいなことをしてるから、ちょっとああいうふうになっているだけなのかちょっとわからないですけど。
でもやっぱりなんか僕もちょっと、マンオブスティールとか見てた時に、やっぱちょっともう深刻化がすごいんですよね、スーパーマネーという存在に対しての。
2人の父の話とか、ものすごいその父の存在が偉大でみたいな感じの描き方をしてるので、クリプトン星での父と地球での父とみたいなのがあった話の中でやってた中で、
だからすごい良い意味で本当にちょっと深刻化が溶けてるのが僕結構今回はすごい良いなと思ったんですけどね、すごくね、そういう意味で。
だって地球上のお父さんもだいぶ普通でしたからね、なんか。
なんかそれがまたいいんですよね。
そうそうそう。あんなぐらいがちょうどいいですよ、なんか。
そんなにすごい前世じゃなくて素朴な前世。
であるところがすごく良かったし、ようよ考えたらジェームズ・ガンっていつも2人の父の話をしてる人だなっていう気もして、ガーデンズ・ガラプシーV2とかまさにそんな話だったよなっていうことを思い出しましたけど。
確かに確かに。産みの親と育ての親の話ですね。
どちらの父親を選ぶというか、どちらの父親を引き継ぐのかっていう話を。
それこそピースメーカーとかも確かそんな話だったような気がするんですけど。
そうなんですね。
すごく曲的なお父さんのところで育てられたから、曲ヒーローになった彼だけど、そこから抜け出す話なんで。
抜け出せてたんですかね。チラッと出てきてましたけど。今回のやつにも。コメンテーターで出てきてましたけど。
なるほどね。なんかね、たぶんジェームズ・ガン本人の自分、実際の父親との関係性みたいなものもかなりあるんだろうなとは思うんですけど。
なんかそういう不正というか、不正っていうよりも何を大元とするのかというか、何をオリジンとするのかっていうところに対する問いみたいなものは結構ずっと描いてきたし、本作もそれをスーパーマンでやってみせた感じがあって、それまた結構好感持って見てましたね。
あと僕、アメリカ誌引いては西洋誌の話でもあるなと思ったんですよね。
近代においてそういう啓蒙主義とか植民地主義で他の文化であるとか、土地に対してそういう入植であるとか、あるいは侵略をしていった現実とか歴史があって、それに対してその事実は揺るがないです。
で、その流れの中にこの国は存在していますが、ただそうじゃない歴史を今私たちは選ぶのがいいんじゃないですかね、みたいなことを言ってるなと思ったんですよね。もう自分の上の世代がそういうふうに行動してたことはもう揺るがない。
なんだったら悪気なくそれをやってた。でもそれってその当事者から見たらそれって悪には見えますよねっていう。それはもう揺るがない。でも揺るがないと同時に現役世代がそうじゃないふうに行動していきましょうねって言ってるふうには見えたんですよね。
ちょっとここ言い方のバランス難しいとこだとは思うんですけど、いやすげーことしてんなと思って。だからあの歴史修正はしませんっていう過去は過去としてもう厳然たる過去があって、その上で現在と未来を語りますねって言ってる感じだったんで。すごいって思いましたあそこ。
たしかにそれこそジェームズ・ガン自体が一度過去の問題発言で、FCUに一度追い出されてっていう文脈もあるじゃある。しかもその問題発言は確かに問題発言ではあったってことを本人も認めてるっていう背景もあるので。
そうですね。
なんかその過去の過ちはないことにはしないっていう算数は本人のそういうところからも来てるのかなとかっていうのはちょっとひも付けすぎかもしれないですけど。
いやでもひも付けて見ちゃうとこはありますし、彼がもともといた世界ってそういう不謹慎ジョークなんてもう乱れ討ちしてた世界だと思うんですよね。そこに対してその自己批判というか、自分たちでそこを冷静になってみるってなかなかできなかったと思うので。
まあそれを後になって言われると、まあ確かにってなるとは思うんですよね、そこは。
そこがね、いいですよね。そういうことありましたけど、少しでも良き人であれるよ、努力してるよみたいなマインドっていうか、それが本当にスーパーマンの最後の独白というかにもやっぱり通じることだなって思いますし。
努力してるよみたいな感じっていうのは、でもそれがやっぱり求められてるよな、みんなにもっていうふうにすごい思いますし。難しいんですけどね、それは一歩一歩が。
どうすればこの社会の中で冷笑主義に飲まれずにスーパーマン的な前世を保つことができるんですかね。
僕たちはどうやって猿にならないようにするかでしょうね、劇中の。
そうっすよね。
インターネットに貼り付いてガーって書いてる猿みたいにならないようにするんじゃどうしたらいいんでしょうみたいなね。
あそこは老悪的でしたね、あそこくらい。そういうことはするんですよ、だからやっぱり。
そういうことはするからね。
そういうことはするんですよ。
そういうやつのことはもうけって思ってるっていうか、最近の映画ちょっとそういうの多いと思うんですけど、ミッションインポジティブでもインターネットばっか見てんじゃねえみたいな話ありましたけど、SNSばっか見てるんじゃねえぞみたいな。
これもそうだなって思いましたね。
そうですね。
そこで猿にするのかね、さすがやなっていう。もう老悪不謹慎のジェームズ感だなって思う。
さすがですよね。
笑っちゃいますけどねあそこね。
いやでもあのさっきも言ったんですけど、やっぱりその老悪不謹慎のまま前世を描くっていうことはできるっていうのは結構偉いとは思うんですよね。
いやそうですよね。
パンクと優しさ
もう老悪不謹慎、霊性の三点セットになりがちだと思うし、かつてのサブカルってそうだったと思うんですよね。今もそうかもしれないですけど、老悪不謹慎でもうずっと前世を描くっていうのは、
で、もうメインストリームを嘲笑いますみたいなレーションって全然あったと思うし、そのオタクカルチャーって全然その延長に今もあるとは思うんで。
だからあのジェームズガンのかつての不謹慎ジョークもまあそれの流れの中にあったと思うんですけど、そこでケッてなって、もう世の中なんてよーって人の過去ばっか上げつらってよーってなってないの偉くないですか。
その話でちょっと連想した人がいるんですけど、米津玄師って偉いよなみたいな話をちょっと思ったりするんですけど、
あの人元はやっぱりニコニコ動画というグラウンドでしてた人じゃないですか。ニコニコ動画ってそういう場の温床じゃないですかみたいな。
僕あの場からよく米津玄師みたいな人が羽ばたいて、なんかすごい今も一躍、しかもなんかすごく前世をもってやってくださっている感じが、なんかすげえなって思って。
いや、染まらなくてよかったよみたいな感じがあると勝手にイメージして思ってたんですけど、それとちょっと近いなって勝手に思ってました、今の話。
あと星野源ですね。
いや、そうなんです。
その2人。
そうなんだよな。星野源もまさにね、連想っていうか、てか2人とも多分曲の歌詞とか聞いてると正しく絶望はしてるんですよね、世界に。
しっかり絶望はしてるし、こんな世界は地獄だよって、そこは共有できていた上で、多分優しさを持つっていうパンクな方向に行けてるんですよ。
そうですよね。優しさこそパンクであるっていうのを山口さんに言ってましたけど、そうですよねっていう、むしろそういうなんていうんですかね、今までそれをロックとかヒップホップとかやってたと思うんですけど、今逆にちょっとあれ?みたいな感じで使われること多いじゃないですか。
なんか一周回って今そこなんだなっていうか、かっこよさというか反骨精神的なものが宿るのって、今そういうところにしか宿ってないのかなっていうのはちょっと思ったんですよね、優しさとかいるところに。
むしろポップスの中にこそ、それこそクラーク・ケントが好きだって言ってたグループはヘビーメタというか、どちらかというとポップス寄りなグループなわけですよね。でもむしろそういうまっすぐさに今はパンクが宿ってるっていう。
そうっすよね、今結構みだりーにロックって言葉を使う人、むしろ権威主義者みたいな人多くないですか。
そうなんすよ。
そのイメージちょっとあるんだよな、本当に。
そうなんすよね。今って本当に霊性がメインストリームの時代になっちゃってるから、本当に優しさがカウンターカルチャーだと思うんで、本当に。
そうっすね。
優しい方がかっこいいんですよ。だって優しい人が少ないから。
この世界で優しくいられるのは相当タフですからね。
すごいことですよ。
たぶん人によってはヨネズや星野源は才能があったからスーパーマンになってるわけでしょって思っちゃう人もいると思うんですけど、やっぱちゃうって言ってると思うんですよね。
ジェームズガンもヨネズも星野源も違うとは言おうとはしてる。それが全員に伝わらないことも分かってる。
そうですね。
でもその上で言ってると思うんですね。
そうですね。人類滅亡した世界で誰かに届けって言ってモルスシンゴずっと打ってるみたいな感じですよね。
そこがね、かっけえと思いましたよ今回。もうジェームズガンかっけえと思いました僕は。
本当にそうですね。だからすごいポップに勇気づけられていいんだなっていう。
全然本作幸福ばっかってないですからね。すごいポップなヒーロー映画だと思うので。
すごいサクッと見れますし、これまでのユニバースモンドでやりがちなクリフハンガー的なめくばせみたいなのがあんまないというか、やってるけどあんま邪魔してこない感じとかもすごくいいなって思ってたんですけど。
さらっと新キャラ出すし、伏線出すしみたいな感じ。もうそれぐらいでいいんですよね。
まず一本の映画として楽しみたいみたいなところもすごいあったので、この感じでやってくれるならどんどんやってほしいなって感じでしたね、今回。
何なら繋げずにこういう単作をどんどん作ってもらっても全然オッケーですけどっていう。
オッケーです、それでっていう感じですね。
あと結構本作語ること多いな。マスメディアの描き方もちょっとこれ今これやるのなかなか意味込めてるなと思いました。
マスメディアが取材した内容で世の中の善悪が覆るなんて残念ながらも今の世の中なくなってしまってると思うんですけど。
でも描くんですよね。SNSやってる奴は猿で、マスメディアの記者はちゃんと正義を描こうとしてるっていう。
もちろんそこまで極端ではないです。マスメディアに正しくなすなんて全然ありますけど、
でも今は相対的にマスメディアの可能性を描かないといけないと思って描いてると思うんですよ、あれは。
いや、そうですよね。ネットに記事上げるぞみたいなシーンはシーセットみたいだなって思っちゃってました。
そうそうそうそう。
あんな感じでしたよね、ラストシーン。
高齢と。
そうそう、高齢ボタン押して。
チェックを付ける感じですね。
そうそう、チェックして、今回ポチっと押すぞみたいな。
うん。
そうそうそう。ああいうシーンね、いいんですよね。ペンタゴンペーパーズだったら新聞の輪廷みたいなガラガラってやるシーンに近い、
ペティッシュな興奮ってやつですけど、そういうのもちょっとあったよなって思いますよね。
いやでも、大事なプロセス。チェックしてるってだけでも、誰かがそれを見てOKを出してるってだけでも、その発信してることの意味の重さって全然違うじゃないですか。
絶望しないことの重要性
指先一つじゃないっていう。
うん。
ハッシュタグで何かを煽るだけではない、どんな意味があってっていうのを考えた上で記事を書くっていう。
はい。猿のポストを指先一つでリポストしてるわけじゃないっていうことを言ってるんですよね、あれは。
うんうんうんうんうん。
いやー、だから描くべきって言い方はあれだけど、本当にカウンターとしてこれまでメインだとされてきたものをあえてもう一回メインとしてというか前世として描くって、
うん。
結構チャレンジングなことをしてる、してるのかもなーっていうのはなんか改めて振り返ってみると思いますね。
うん。
いやーあのー、罠の中に気づく人がいなかったとは思えないんですよね。
これってーって、たぶんすごいいろんな人が思ったと思うんですけど、でも通してるんだと思うんですよ。
あーそっかそこもまさに。
そうですね。
もう、いろいろね、思うとこありですよね。やっぱね、劇中で描かれる二国間の戦争ってどう考えても、
えっと、みたいなことをやっぱね、連想させられてもしまうし、それでもちゃんとゴーサイン出してるっていう値はね、本当にさすがだなーって思いますけど。
うんうんうん。
確かにそれをハリウッド映画としてやってるっていうのも結構ロックちゃロックですもんね。
うん。
ポップの中でね。
そうポップの中で。
スーパーマンっていうドポップの中で。
やってるから。
それをやってるから。
うん。
確かになー。
かっけえなって思います、本当に。
うんうんうんうんうん。
だからまずはゴミを拾うとかから。
あれですかね、ゴミを拾うとか、手を届く目の前の人に何が前世なのかを考えるというか。
うん。
そうですね。
それで、そこで世の中帰れねーって絶望しないことですよね。
うん。
絶望しないことこそがスーパーマンかもしれないですね、じゃあ。
そうですね、いやーそうだなー。そうなんだよな。
自分の力の弱さというか、影響力の無さに絶望しない、あくまであいつだって一体一つじゃないかってことを思い返してみろよってことですよね。
そうですね。あんだけ超人的な能力を持っててもそこに思うんだみたいな。
うん。
自分の不甲斐なさみたいなとか、なんか力の及ばなさみたいな思うんだからっていう。
うん。
今回もその一人を助けられなかったっていうことが全部の中心になりますもんね。
確かに確かに。
そうですね。
ありましたね。
大きな動機はそこですもんね。
力の代償とか世界を変えられるとかじゃなく、絶望しないことがスーパーマンであるということなんじゃないですかねって。
なるほどかな。
この映画見て絶望すべきじゃなかったんだな。
なるほど。
絶望しないってむちゃくちゃしんどいですけどね。
そうですよ。難しいよな。
絶望すると当たり前だけど、そこから霊障に逃げずに前世を貫くっていうところの難しさは、できればスーパーマンになれるってことかもしれないですね、本当に。
そうですね。
ネットね、見ればもう嫌なことばっかり流れてくるますからみたいな。
そういう時には頭の中に猿と一緒に思い浮かべればいいんですよ。
猿が飼えている、猿が飼えているみたいな。
だから、ジェームズ・ガンティキ不謹慎とロアクは、霊障を加速させるためのものではなく、それを相対化して抗うためのものなのかもしれないです。
確かに確かに。
絶望を茶化して絶望しないための手段としての不謹慎とロアク。
絶望してからロアクと不謹慎やるのはダセェですよ、もはや。
すごい時代になってきたな、なるほど。
そうだと思います、それは。
はい、まあじゃあそんな感じでいいですかね。
はい、大丈夫です。
はい、ではこんなところでスーパーマンの話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の反射すぎるバー次回開催日は8月2日土曜日です。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南大森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております番組全体の特定作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはXおよびインスタグラムで告知しております。各ご案内や番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話すだすぎラジオ第221回スーパーマンの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
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