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2025-11-06 37:40

第236回(3) 歌舞伎町映画二本立て②『ミーツ・ザ・ワールド』

『愚か者の身分』『ミーツ・ザ・ワールド』の二本を、「歌舞伎町映画」という視点から話をしました。 後半では『ミーツ・ザ・ワールド』の話をしています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

映画『ミーツ・ザ・ワールド』は、自己肯定感の低い主人公のゆかりが、新宿歌舞伎町で様々な人々と出会いながら新たな世界を開いていく様子を描いています。この作品は孤独や人との断絶をテーマにしながら、現代的な人間関係を鋭く描写しています。歌舞伎町のリアルな人間関係や感情が表現され、ゆかりは自らの過去と向き合い、他者とのコミュニケーションの難しさを感じながら物語が進行します。このエピソードでは、映画『ミーツ・ザ・ワールド』のセリフや俳優の身体表現についての考察が行われます。また、青井優の演技とその影響力、映画のアプローチについても深く掘り下げられます。このエピソードでは、映画『ミーツ・ザ・ワールド』に関する感想や出演者の演技力についての議論が交わされます。

映画『ミーツ・ザ・ワールド』の紹介
では次、『ミーツ・ザ・ワールド』の話し入っていきたいと思います。 はい、ではマリオさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 芥川小作家金原ひとみが新宿歌舞伎町を舞台に描き、第35回
柴田レンザブロー賞を受賞した同名小説を、松井大吾監督、杉崎花主演で映画化。 二次元の世界を愛し、自己肯定感の低い主人公が、キャバクラ城と
思いがけない出会いをきっかけに、新たな世界の扉を開いていく姿を描く。 擬人化焼肉漫画、ミート・イズ・マインをこよなく愛しながらも、自分のことが好きになれない27歳の
ゆかり。 同世代のオタク仲間たちが結婚や出産で次々と趣味の世界から離れていく現実を前に、
仕事と趣味だけの生活に不安と焦りを感じた彼女は婚活を開始する。 しかし参加した合コンで惨敗し、歌舞伎町の路上で酔い潰れてしまう。
そんな彼女を助けたのは美しいキャバクラ城の雷だった。 雷との出会いをきっかけに、愛されたいと願うホスト、独絶な作家、
街に寄り添うバーのマスターなど、様々な人たちと知り合い、関わっていくことで、ゆかりは少しずつ新たな世界を広げていく。
主人公ゆかり役を杉崎が演じるほか、キャバ城雷役をモデル女優として活躍する南琴奈。 ホストの朝日役を板垣理人、作家ユキ役を青井優、
バーのマスター役を渋河清彦がそれぞれ演じる。 はい、ではここから内容に触れる話入っていきます。
では3位の感想、マリオさんいかがでした? そうですね、ちょっと愚か者の身分の話の時にもちょっと話ちょっと入れてこんでしまっているところ
あるんですけど、 すんごい僕好みの東京映画だなって思いました。
すんごいわかるなぁというか、 確かに僕も見ていて歌舞伎町のその綺麗な部分ある意味、
汚い部分みたいなのはあんま見せてないと思うんですけど、 ただもう僕好みの東京感のある映画だったので、それだけで大満足っていうのはすごいありましたね。
なんというか、僕的にはその場限りの強くない繋がりに生かされているという感覚が、 すんごいこの映画からは感じられているというか、
もう身近な家族とかよりもそこら辺で知り合った、 酒場で知り合った人と飲み交わして話してた時の方がすごく繋がりが感じられるみたいな、
そういうのってめちゃくちゃあるなと思って。 だって僕でも思いますけど、このラジオで喋っているようなことを親の前で言えないもんなって思いますし、みたいな。
その感覚と近いと思ったんですけど、別に他に似たような感覚でもあるとは思うんですけど、
そういうものを求めにやっぱり歌舞伎町に行くみたいな感覚とかは すんごいやっぱあるだろうなーって思うし、
そういう人たちだからこそ、自分のちょっとあんまりさらけ出せない部分みたいなというか、 弱みというかひけ目みたいなのを開示し合えることもあるだろうしなとかって思ったりしたので、
そういうのがちゃんと描かれている映画だったなというかも思いましたし、 あとその中で描かれる孤独とか、徹底的に人と分かり合えてないっていう瞬間が結構やっぱパカッとするっていうのがあって、
それもすごく人間の営みとしてすごくそうだなって思いましたし、
そういう誰もが孤独と断絶を抱えてた的、歌舞伎町というような世界観っていうのがちゃんと劇中に広がっているっていうのもすごく良かったなというふうに思う映画でした。
キャラクターとストーリーの分析
はい、大井さんいかがでした?
そうですね、まさに今回2作目、1作目のオルガメの身分の方が夜の歌舞伎町というか、歌舞伎町の深淵部を描くものであれば、このメイトザワールドはいわば朝以降の歌舞伎町といえばいいんですかね。
そこにある生活を描いている映画だなっていうふうに僕は見てて思ったというか、そこにいる人たちが、まあそれこそ半暮れだとかそういったもんじゃなくても結局そうじゃない人たちもたくさんいるわけじゃないですか。
そういった人たちがじゃあなぜ歌舞伎町という街に来るのか、いるのかっていうのを結構見事に描いて見せてる映画じゃないかなっていうふうに思いました。
割とそのシーン自体はどちらかというその会話シーンというか対話シーンというかそういったところでこう紡がれてるような作品かなと思ったんですけど、
ちょっと見てる思い出したのは同じ松井団吾監督のちょっと思い出しただけの途中で池松くんがバレエが踊れなくなって、で街を眺めるってシーンがあったと思うんですよ。
でいろんな人間が、今人生としては交わらないんだけどいろんな人間がそこに歩いていて、でそこはもしかしたら自分の将来だったり過去だったりするかもしれなくてっていうのをこう空想するっていうシーンがあるんですけど、
ミーツ・ザ・ワールドはまさにそれを広げた作品なんじゃないかなって僕は見ててすごい思ったんですよね。
その自分とはこれまで交わってなかった世界みたいなものとそのゆかりがまさにミーと会っていくというか出会っていく話であり、その出会いは理解をし合うことではなく、さっきマリオさんもおっしゃってますけど無理解を理解する。
自分の世界への解像度の低さを理解していく話っていう、なんかそこを描いてる感じがあって、でそれは確かにマリオさんおっしゃったように東京というか、その不特定多数のノーバディがたくさんいる場所だからこそ起こりうることでもあるなと思ったんですよね。
なんかそういった意味で、居場所はないけど仮の居場所として新宿市歌舞伎町を選ぶ。だからそこからフラッと消えていくこともできるっていう、なんかそのバランスがこの街なのである、東京なのであるっていう感覚は確かにわかる気がするなっていう気がして、すごい淡い感じでそれを描いているように僕は思えたんですけど、でもその淡さも含めて一個なんかこの街に漂ってる空気感、特に昼間に漂ってる空気感ですよね。
を、なんかうまく描けてるんじゃないかなっていうのはちょっと見てて思いました。っていう、そんな感じです。
はい、僕はですね、ちょっとさっきまでの雰囲気でなんとなく出ちゃってたかもしれないんですけど、そんなに合わんかったんですよね。まずその背景として描かれる歌舞伎町の背景にいる人々の物語とメインの登場人物たちの物語があまりに繋がらないっていう感覚があって、この話が歌舞伎町で描かれるべき出前って何なんだろうって思っちゃったっていうのがあって、
で、これはそこまで求める必要がないとも言えるんですよ。ただそこをちょっと僕は求めちゃってるっていうのがあって、それは多分その主人公がオタクでお仕事をしてるっていうのもあると思うんですけど、なんか根本的なとこで繋がってない話だと思うんですよね。心と心が。
常に非対称だし不均衡で、相互じゃないっていう一方的なものがいくつもあるものっていう、だから一方的に片方がなくなったりするっていうものをかなりこうドライに描いてるなと思ったんで、なんか関係性の物語のようで関係性の物語じゃないというか、個々人の物語の集合体でしかないっていう、それが東京でやはり歌舞伎町ですと言われたら全くその通りだなとも思うんで、
たぶん見方によっては歌舞伎町って題材は合ってるんですけど、なんか僕は違和感を感じましたね。ある意味そのお仕事っていうものが最もグロテスクに行われている町歌舞伎町において、それをある種無邪気に物語に取り込んでるっていうのも、いいんかなってなっちゃって、
ポストが揉め事で刺されたとかってそのノリで処理していい物事なのかみたいな、それってなんかものすごいおざましいことがこの町で起きてるからそれが事象として現れているのに、なんかそれが人生って色々だよねみたいな感じでキャッチして、ええの?みたいなのは思ったんですよ。
なんかそこの違和感っていう。
たしかに、たしかに。
まあそれも、これはもう僕のこの物語に対する距離感の設定のズレだと思うんですけど、詰まるところ他人ごとの集合体でしかないっていうのが大前提としてあると思うので、なんかその、なんていうか個々人の物語のリンクの弱さっていうのは個人的にはそんなに合わんかったかもしれないなとは思いました。
という感じですね。はい、ではお便り紹介させていただきます。大石さんお願いします。
はい、ヤマさん先ほどのメールの続きになります。
ミーツ・ザ・ワールドは映画バービーのナレーションのように、杉崎花が言うと説得力なしという言葉が頭をよぎってしまうほど、杉崎花さんが演じるモテないオタク像が人間臭くて愛らしく、一方で決して予定調和に終わらない展開が印象的でした。
現代的な生き方や人間関係のあり方を提示する語りがいのある作品だと思いました。とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
正確にはお便りの流れ的には、こっちが先で、後から愚か者の身分の方の流れの文章だったのを、ちょっと今分割してるっていう形で。
そうですね。ちょっとどうしてもちょっと今回の構成上ちょっと分けてます。
はい。で、結構、杉崎花さんのオタク演技、結構評判になってると思うんですけど。
うんうんうん。
あの、ああいう喋り方しますよね?
はい。
しますよね?
します。
しますよね?
しますね。
はい、しますね。
します。
あの、何ならちょっと最近そういう感じの人、会ったことあるなっていう、覚えのある人がいるなっていう人がいましたけど。
あと、よりリアリズムを持ったのが、オタクかつ仲間と一緒に何かをやるときに解像度が爆上がりするんですよね。
はいはいはい。
あの、カラオケルームに行くシーンですよね。
あそこで?はいはいはい。
うわー、なんかすんげー、うわー、あるーって思っちゃったというか。
ありますよねー、みたいな。
あと焼肉屋で、他の席もみんな同じイベント出てた人たちで、ある席での出来事に周りの席がリアクションするっていうの、あれもすごいやーと思って。
あるー。
あるーってなりましたね、あそこ。
そう。周りのなんかオタクたちの解像度すげーなーと思いながら行きました。
すごいですねーって思いました。
そうなんですよね。でもなんかその、さっき言ったように、本作、繋がれてるようで実は繋がらないというか、断絶があるんですよ、結構。
ドライに描かれてる作品という通り、そのオタかつも、オタクとしてその燃えてる方向性、一緒の方向向いてる間はいいんですけど、そうじゃなくなったときというか、結局じゃあそれって繋がりあえてるのかっていう、実はそうでもないよなっていう。
そうですね。
そもそも好きとしてる、推しとしてる対象っていうのがまあ、そもそも二次元っていうなんか、どう頑張ってもたどり着けない存在っていうのもあるじゃないですか。
だからそういう意味でもやっぱ繋がれない、強いけど繋がれない関係性っていうか、気迫な関係性ってそのものだよなとはやっぱ思っちゃったりはするんですよね。
主人公の内面の葛藤
で、ゆえに彼自身が雷の恋愛というか、雷の昔の恋にロマンすら描いてるっていう、あそこももう完全に無理解の象徴のように描かれますけど、
なんかそのぐらいの解像度で今みんな生きてるじゃんっていう、なんかあの感じ、ちょっといじわるだなと思いつつ。
けどそういうもんだよなって、そうやって世界回って、なんかそれぐらいの方がよく回ったりもするよなみたいな節すらあるというか。
そうなんですよね。予定長話に終わらないっていうふうに書いていただいてるんですけど、本当にそれをもって、結構他の物語だったら、
ああいう一方的な押し付けでも物語を進めたら、ゆかりが雷に対してこうすべきみたいなのを勝手に進めるわけじゃないですか。
あれって逆襲食らう展開が一般的だと思うんですよ。なんで余計なことするんだみたいな、そこで圧力というか対立が描かれたみたいになると思うんですけど、そこはないんですよね。
そうですね。もう帰ってきたらね、消えてますからね。
ただゆかりの中だけで盛り上がったことが、ゆかりの中だけで終わっていくっていう展開になって、
ラストも、もうライトの物語は終わったんだ、ここを去ろう、じゃなく、それはそれとして行きつけの店もできたし、飲み堂もできたから、この街を楽しんじゃうぞっていう感じで切り替えてもいるんだけど、
そのライトの関係性っていうものが最終的に物語の中心になってないっていうところ。
ただ、ライトは消えましたで終わっていくっていうのが、結構すごいなって思って、こうなりそうみたいな予想をしながら見たら裏切ってくる作品だなと思うんですよね。
そうっすよね。だから、トコトンまで結構主人公の杉崎花が自分自身を見続けるというか、自分自身との対話でしかないじゃないですか。
電話シーンの重要性
ラストそれこそ、あれ、声、須田まさきなんだって、ラストのあれで気づきましたけど。
そうそうそうそう。あれ、須田まさきだったんやなって思いました。びっくりしましたね、あれね。
なんて豪華な俳優、すごい掬い掛けた須田政大子って思いましたけどね。
そう、なんか、彼から電話がかかってきて、結局やってたことの、しかもその前に母親にも会っていて、やってたことの残酷さに気が付くっていう。
で、失ってしまったものとの帰りというか、結局繋がれなかったっていう真実に、もうただただ泣くしかないっていうシーンだと思うんですけど、あれも結局、自分自身の後悔でしかないじゃないですか。
うん、そうですね。
なんか、そこがすごいこの映画、徹底してんなと思って、結局自分は自分のことしかわからないしっていうふうに人間のことを描いてて。
そうですね、そう。一方的にその思いをラインに押し付けてたみたいなというか。
でも一方で逆もされてる、彼女はされてるというか、特に母親から心配されてるときは、たぶん同じように鬱陶しいなって彼女は思ってたりするみたいな、そこちょっと綺麗に反転してるというか。
もうまさに母親と会って、バーって出てった後に須田雅樹の電話のやり取りがあるから、余計にそこのラッカーというか、綺麗に反転する感じが際立つというかね、すごいありましたよね。
あと、僕が勝手に想像してたことなんですけど、主人公が推し活をしてるっていう、ある種の一方的さっていうものが、相手の関係にも重ねられて、
その暴力性を自覚しちゃうみたいな話になるのかなと思って。
ああ、なるほど。それも確かにできますよね。
でもそこってひも付かないんですよね。私がライに向けてた感情って、ある種の推し活だったんだって、私が一方的に何かを求めてただけで、それってもしかしたら暴力であり搾取だったのかもしれないな、みたいなことをひり返って、
自分の推し活っていうものも相対的に見ちゃうみたいなことになるのかなって思ってたんですよね。
というわけでもなく、そのライは去っても自分は推し活を続けるっていう。
いやだから、ちょっと本当に僕が想像してしまったストーリーテリングと違いすぎて、本作って。
すごい、全部裏切られていくみたいな。 確かに。そうなんですよね。
だからそうしたら確かに綺麗で、ちょっとジャンルっぽくもなる題材ではある。
まさにそれをね、ホストの関係にこう、ある種メタファー的に落とし込んでもいいし。
そうですね。たぶんそれしちゃうと、たぶんちょっと積極さくなるからっていうのもあったんかなとは思ったんですけど、
全然確かに僕もなんか、こういう感じの題材作ってくださいって言ったら普通に入れ込んじゃいそうだなって思うし、
それをしてないっていうのは確かに、この映画の特筆すべき点というか、
なんか、まあそれちょっと間違ってることだけど、暴力的であるし加害的でもあるけど、でもなんかそれも含めて、
まあアイスというかじゃないですけど、人間ってそういうものだよなぁとも思わせてくれるみたいな。
なんかそこを深く見つめすぎると、なんかもう何もできなくなっちゃうみたいな。
まあまあそうなんですよね。
これやっぱあるので、また考えないで過ごすのは良くないんですけど、
なんかそこにもハッとちょっと気づかせてもらいながら、それでもじゃあどうやって日常生きていくのさっていうようなものを描いてるのかなっていう気がしますよね。
もしその描き方したら、歌舞伎町である必然っていうものもより強まると思うんですよ。
ある種、押すことと押されることが最も経済的に変換されて、搾取すること、搾取されることになるわけじゃないですか、その関係性って。
それってものすごい不均衡なんだけど、同時に強依存でもあると思うんですよね。
そう、うんうんうん。
そのめちゃめちゃ複雑な関係性を、歌舞伎町っていう街と押し勝つっていうものと、ゆかりとラインの関係性っていう3つを重ねることみたいなことができちゃうと思うんだけど、
全部が重ならないまま、別にそれって、この2人の関係は押すことでも押されることでもなかったし、
奪うことは奪われることでもなかったし、強依存でもなかったっていう。だからパッと終わって切り替えていきますみたいな、
ある種むちゃくちゃドライな、めちゃめちゃ個人主義的な着地をしていくっていうところが、本当にびっくりしたっていう。
そうだね。いやーでもすんごい、東京の映画だなーって思うんだよな。そこがね、もう大変東京っぽいって勝手に思ってますけど。
そうですね。確かにちょっと先週オープニングで話した見晴らす世代的な、そのドライさですよね。
そう、そういうの好きーってなっちゃうんだよな。
なるほどな。なんか、言わんとすることがようやくわかってきました。たぶんそうなんだろうなって思ってたことが腹落ちしてきているというか、
ものすごい量の個人の集合体なんですよね。その関係性があるようで関係性がないものがより集まってマッチができているっていう。
そうそうね。
なるほどな。あと、僕がさっき言ってたようなことを求めすぎると、そうやってもうアンダーザ・シルバー・レイクになっていくんですよね。
確かにそうだ。
囚われてくーみたいな話ですもんね、確かにそういうの。
そうっすね。そうか。
だからこれでよかったんですよ。
これでよかった。
なんていうか、意味の集合体みたいな話になってないから。
意味というよりも人の集合体っていう感じの意味ですもんね、ある意味ね。
そうですね。
そろそろ次のお便り行きます?
そうですね。はい。では、マニオさんお願いします。
原作の適応について
はい。サン・ルイセンさんからです。
これも一応2作にまたがったメールなんですけど、どちらかというとこれ多分、
Meets the Worldに対して言いたいことの方が多そうだなっていうことでこっちに回してきたんですけども。
一応2作まとめたお便りってあるので、先に言っておきます。
こんにちは。表題の2作を並べると、歌舞伎町のリアルや人間というより、
原作小説を実写化する際の脚本とはどうあるべきか、そこの命題にたどり着きました。
原作をうまくアダプテーションするとは、時代に合わせて当てにいくなんて簡単な話ではなく、
紙の上の活字では成立していることを、俳優の身体表現、セリフを声に出して言うがまさにそうですよね。
に、即したものに最適化する営みだと捉えます。というか脚本ってパンチラインが必要なんですかね。
人が人によって変えられるは45度まで、とか、人が一生のうちに出会う言葉は5万語、とか、
文字に起こせば様になるものが、俳優の喉を震わせ、声として発せられると変な気分になります。
坂本裕二以降、顕著になる現象というか問題に思いを馳せる今日この頃です。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
この着眼点、僕めちゃめちゃ興味深いなと思ってて。
僕も本作すごい思ってたんですよ、これに近いことを。
で、一番強く感じたのが、須田まさきが演じてる雷の元彼との電話のシーンなんですけど、
急に入り組んだことを言い出すんですよね、あそこで。電話の相手が。
で、それをゆかりがこう、割と一方的に聞いてる感じになってて。
で、あそこって、お互い何も分かり合ってなかったですよねっていうことを、第三者から言われるみたいな、
結構もう作品の根幹に関わってるシーンだと思うんですけど。
で、僕、あのシーンをカツジで読んだら、むちゃくちゃドライブしていくだろうなと思ったんですけど。
実際に人の演技として見たときに、急にこれを言われている身でずっと聞いてる立場って、
何なんだろうみたいに見えてたんですよね。
うーん、なるほどなるほど。
実際にそこに喋ってる人間が電話の向こうにいて、それを聞いてる人間が画面に映ってて、
喋っている間の時間が流れているんですよね、映像として。
この間、聞いてる側が何を考えているとかっていうのが、ちょっと欠落していると思うんですよ、あそこ。
ふんふんふん。
で、文章だと僕、それあんま思わないと思ったんですけど、
なんかこれ、聞いてる側が聞いてる側に回ってんな、みたいにちょっと思ったとこはあって。
ふんふん。
やっぱこう、映像になったときに、これを喋ってる人がいるっていうのを映像として見せられると、
ちょっとこれ、文章ってそっくりそのまま落とし込めないなっていうのはすごい思った。
まあ、元がどういう原作かっていうのは知ってるわけじゃないんであれなんですけど、
こう、ちょっとなんか、浮ついた感じを覚えたっていう感じですかね、あそこは。
ふんふんふん。
映像とセリフのリアリティ
だから、文章としてのリアリティと映像としてのリアリティって全然違うのかなっていうふうに、
僕は思ったっていう感じですかね。
ふんふん。
まあなんか、言わんとすることはすごいわかるんですし、
このお便りもすごい、ここのポイントというか、これってどうなんだろうっていう、
ある種の連続性というか、すごい問題提起として、すごい僕もわかるとは思うんですけど、
僕は、「で?」って感じはちょっとしてるというか、
何が悪かったですかみたいなという気持ちもあるというか、
まあこの、人が人によって変えられない45度までっていうのは、
これはね、ミズ・ザ・ワールドに出てくるセリフの一節ですけど、
あとついでに秒速5センチメートルも一緒のLINEで語ってくれてますけど、今回ね。
人が一生のうちに出会うことが5万5ってこれ秒速5センチメートルのことですよね。
なんか一緒に当てこすってきてるなっていうあたりが、お?って感じがね、しますけど。
っていうので、わかりますよ。
俳優の身体勢でアダプテーションしていく感覚とか、確かに僕もそういうの好きですしね。
アダプテーションの妙って確かにそういうとこにあると思うんですよ。
文章から離れて、セリフでないものでそれが表現されるみたいな動きであったりとか、
みたいなところって確かにそれは見事なアダプテーションだと思いますし、好きですけど、
パンチラインもあって良くないですか?みたいな気持ちなんですけど、っていう感じですかね、個人的には。
青井優の演技の重要性
っていうのはあるかなっていう。これはもう好みというか、感じかなというか。
特にやっぱり新海誠系のやつってモノローグ型って言われがちなんで、
動きのない、映画的でないって言われがちなんで、そこに対して悪いっすか?みたいな気持ちがあるっていうのもあるんですけど、
僕はあって良いかなっていうふうに思ってるというか。
あえて言葉で飾って欲しいことは飾ってくれた方が僕は好きかもなっていうのはあったりするので。
この映画って、さっきちょっと僕も冒頭に話したんですけど、やっぱ会話劇がメインというか、
割と言葉についての映画ではあると思うんですよね。
そこまでアクションというか、役者の動作とか動きに重きを置く、顔すらもあんまり映さないような瞬間もあるなとは思うんですけど、
この言葉を言うこの人というのを描いて見せるというか、撮って見てるというか。
前回のトロンで浜口龍介の名前出してるから、若干近いと思いますけど、
このセリフをこの役者に流し込んだ時にどういう感覚反応が起こるかを見てる、観察してるような形での撮影だなっていうふうに思ったんですよ。
特にこのセリフを言った青井優が演じたら作家だったと思うんですけど、
青井優の自分の人生語る時の動作がちょっとすごかったなと僕は思ってて。
それは僕も思ってます。
ちょっと前に普通の子供で結構母親役、すごい痛にしてた母親役やってたのが印象に残ってたんで、
こんな役の振り方できんだってちょっと思ったというか。
そうですね、確かに幅はすごいですよね。母親してた人がこんなにも母親失格なキャラクターまでできるみたいな。
なんていうか、この人の適応できなかったっていうことに後悔もあるんだけど、もうちょっと割り切ってるぐらいの。
で、そこを語る時のどこを見てるか、てか多分自分の過去を見てるんだろうなぐらいの目線の振り方の演技の見事さ。
ここもう完全にカメラがフィックス撮ってるんですよね。
だからそこに動きをあえて入れるんじゃなくて、むしろセリフを言わせることにこの映画を注力してるなってその瞬間すごい思って。
それこそもう一つ高平車がやってた、彼も僕結構好きなんですけど。
分かる。めっちゃいい。
なんかね、両方とも似てるんですよ。セリフはあって、あるいはもしかしたらアドリブもあるかもしれないんですけど、
でもその役者が喋ってることに対してカメラはただただそれを撮り続ける観察に徹するっていう映画だなと思って。
これはこれでやっぱり一個の意味、映画としての語り方の一つではあるなと思うんですよ。
役者の体に起こっている化学反応を撮ってみせる、映してみせるみたいな。
なんかそれはそれで多分、坂本隆二以降というか、僕結構浜口隆介以降と言ってもいい気がしてるんですけど、
その顕著になってるようなものの中で、それすらも身体表現、アクションなのであるっていう風なやっぱりトレンドが今あるからなんじゃないかなっていう風に僕は思ってます。
ああ、なるほどな。
そうですね。確かに。その言葉から発せられる時にその違和感を含めてですよね。
それもある種身体表現というか、っていうところになるのかなというか、気もするというかね。
だから確かにその、山口さんおっしゃってた電話越しの対応に関しては確かに電話で喋ってる彼のことが映らないから、
やっぱそこはちょっと上手くはなかったかなっていうのは僕も思ってはいるんですけど、
ただそれ以外のアプローチに関しては割と正解なんじゃない?って思ったりもしてるっていう。
あ、それは僕もそう思ってて、あの、アウイユーが語るシーンは本作のハクビのシーンだと思ってるんですけど、
むしろあのシーンって独り語りなんですけど、その喋ってる当人が、
その野宮っていう独り語りをしておかしくないシチュエーションの中で、身体勢を伴いながら喋ってるっていうのの躍動感がすごいシーンなんですよね、あそこ。
で、僕結構本作、やっぱさっきまで言ってた通り、ちょっと入り込めないまま見てたんですけど、
あそこのシーンでむちゃくちゃドライブしたなと思った話が、たぶんこれ原作の金原ひとみさんもめちゃめちゃ筆乗ってたんじゃないかなって思うんですよ。
原作においてのあのシーンって。で、まあ作家だから感情移入してる部分もあるだろうし、むちゃくちゃドライブしてるなっていうところに、
もうアウイユーがむちゃくちゃ強い身体勢を帯びさせてるから、つえーってこの映像がつえーってなっててあそこ。
すごい情念を今流し込まれているなっていうのを感じてて、
すごいなんかいろんな人が、情念を掛け算であそこに載せてるなって思ったんですよね。
映画におけるキャラクターの描写
あとこれは僕は勝手に思ってることなんですけど、あの杉斎一美花さんって結構その演技力のある若手として注目されてると思うんですけど、
僕それってアウイユールートなんじゃないかなと思ってて。
はいはいはいはいはい。
で、あそこってその先駆者からの後輩に対する挑戦状であり、メンターとしての振る舞いでもあるんじゃねえかなと思って。
なるほどね。それはなるほどな。
僕が勝手にそう見たってだけなんですけど、私のとこに来てみなよっていう挑戦状で見えたんですよね、あそこ。
確かにな。
すごいメタな文脈も込みで面白くしてるなっていう。
なるほどな。
いや、だからすごいぞこれはって思い浮いてて、あそこ。
いやまあすごい、あのシーンは本当大好きで。
てかまあああいうこと喋るのがね、飲み屋ですよ。
いいかなっていう気もするしなっていうので。
あのちょっと僕このお便りに対して若干ケンガ越しで言ってしまったことを今ちょっと若干反省してるんですけど。
秒速5センチメートルの名前まで軽く出されてるもんなんで、ちょっとケンガ越しになってしまって申し訳ないかなと思うんですけど。
ただめちゃくちゃお便りの視点というか軽眼だなっていうか、確かに最近やっぱりそのセリフの強さみたいなのがやっぱなんか映画の中でパワーを振るってるっていう感覚はやっぱりすごくあると僕も本当に思うので。
坂本雄次的っていうお便りでは書いてますけど、まあ確かに並べられるよなってすごい思ったんで。
ちょっといやすげー素晴らしいお便りだなっていうふうには思いました。
はいもうほぼ時間がないんですけど、あとなんか触れとくとこあります?
さっきサラッと触れましたけど、車の演技どうでした?
でも最高じゃないですか。
もうてか、そんなんもできるのかよ、お前ほんと完璧じゃないの?って思いましたけどね。さすがだなって思いました。
いや僕ね、ちょっと合わんかったんですよ。
ああ本当ですか、いいですよ。
監督が、松井大吾監督がちょっと思い出しただけで、ニューヨークの屋敷をもう最高の使い方してたのがあったから。
要は当て書きじゃないですか、芸人を役者として使うって、僕は当て書きであるべきだと思ってるんですけど、
ニューヨーク屋敷の当て書き感素晴らしかったと思ってるんですけど、今回の高平車使いはちょっと当て書き感が良かった気はしてて。
もちろん彼はちょっとその社会に対して不器用なもん、もともとある人ですけど本人が語ってる通りに。
でもなんかね、性的なことをずけずけ言うタイプではないというか、元カノの柔軟剤買い溜めするみたいな、そういうキモさを出すタイプではないなっていうのがちょっと想像しちゃって。
ああなるほどね。
でももう一個深いところでめんどくさいんですよ、高平車は。
確かに確かに確かに確かに。
なんか、僕ちょっとこれ、もしかしたらですけど、この役、お笑い芸人で言うんだったら、カラタチのアニオタの側の人がやったら良かったんじゃないかなと思っちゃったな今。
あー確かに。
どうすか。
確かにちょっと車だとね、ちょっとなんかやっぱりその、元のちょっとパブリックなイメージで、当て書きって言うとちょっとまたキャラ違う感じはしますよね。
あの僕、「ひっかかりニーチャー」っていう番組結構見てて、長野とかと一緒に、長野さんとかとやってるやつで、
そういうデートで元カノのエピソードの話しする男はキモくないですかって、車が言ってるイメージなんとなく浮かぶから、そういうのは良くないっていうのを理論的に言うタイプかなって思ったから。
で、なんかセックスの単位の話の途中から入って、これはさすがにキモかったですねみたいなの言うけど、いやもうずっとキモかったわって思ったから。
ずっとキモかったっすね。キモかったキモかった。
とっくの昔にキモいわって思っちゃったから、なんかそこは違うなって思って、高平車はもうちょっと複雑で高度なめんどくせえ人間を演じた方が、当て書き感はピッタリくるんじゃないかなって思って。
ちょっとわかります。
わかります。ちょっと一旦、当て書きかどうかわかんないにしても、ただ僕ああいう感じのキャラね、すごいね、親近感湧きますっていうのはある。
映画『ミーツ・ザ・ワールド』の感想
あれに親近感湧くってのはどうなんだって話ですけど、メンタリティーですげえわかるなってちょっと思っちゃって。
キャラクターとしては好きってことですよね。
そう、めっちゃ好きだなって思ったんだよな。
サプライズとしては素晴らしいですけどね、あのシーン。
だから、ある意味当て書きではないけど、車も演技できるんだとは思ったというか、あんまりレイワロマンのコントって見たことないじゃないですか。
基本は漫才の人っていうイメージなので、この人コントも多分いけるんだろうなーっていうのは見てて思ったりはしました。
まあね、二人とも絶対そつなく何でもね、できる人だと思っているんで、全然役者としてもやれるだろうなって思ってましたけど、
まあ、もうこれでもう、今後とも役者としてもできたら、こうにっこりするような感じの役として出てくるんじゃないかなっていう気がしますよね、今後。
いや絶対役者やりますよね。絶対やると思うなー。
器用すぎるもん、あの二人。
確かになー。
はい、ではそんな感じでミーツ・ザ・ワードの話を終わっておこうかと思います。
イベントのお知らせ
はい、ではお知らせになります。映画の話しさすぎる場は次回開催日は11月22日土曜日になります。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南宮町週刊回り19時オープン、23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております番組全体へとテーマ作に向けてご自由にお送りくださいませ。
場の最新情報次回テーマはエックスおよびインスタグラムにて告知しております。各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話しさすぎるラジオ第236回愚か者の身分ミーツ・ザ・ワードの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
37:40

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