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2025-12-16 1:19:11

第242回(2)『ズートピア2』ひねくれキツネはそれでも歯の浮く綺麗事を唱える

『ズートピア2』の話をしました。 全作からのテーマの変遷、ジュディとニックの関係性の描かれ方の変化、自分たちが所属する集団の「負の歴史」にどうやって向き合っていくべきかなどについて話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■2025年ベスト映画投票 2025年に公開/配信された映画から「1作」を選んで、作品名を明記して投票ください。年末ベスト回にて投票結果をもとに、2025年ベスト映画を決定します。 締切:12/25(木) 投票はこちら:https://forms.gle/H9sMbb3W8bKzyH9q6 ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年12月20日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com  ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

『ズートピア2』では、ウサギのジュディとキツネのニックが再びコンビを組み、ズートピアに潜む謎を解明しています。この続編は、多民族国家としての歴史や偏見の問題を掘り下げ、キャラクター同士の関係性を中心に描かれています。さらに、『ズートピア2』では、前作のテーマを引き継ぎつつ、新たなキャラクターや環境が描かれています。特に、動物たちの多様性や文化的背景に焦点が当てられ、社会的な偏見をテーマとして展開されています。 また、ビーバーというキャラクターがニューヨーク州の歴史や陰謀論ポッドキャスターについて言及され、物語の中心的役割を果たしています。資本主義の悪も描かれ、前作の暗いテーマも引き継がれています。『ズートピア2』では、前作の持つ多様性の背景に新たな歴史的視点が追加され、リンクスリー家による権利の奪取や差別の構造が浮き彫りになります。特に、動物たちの関係性を通じて、アメリカの差別史を考察する重要な要素が語られています。 さらに、ジュディとニックの物語が展開され、理想主義と現実主義の対決がテーマとなっています。特にニックの視点が強調され、社会の構造とその変わらざる現実について考察が行われています。また、個々の尊厳を認めることの重要性も描かれています。『ズートピア2』では、キャラクター同士の関係性が深まっており、特にニックとジュディの絆が印象的に描かれています。物語はさまざまな社会問題にも触れ、動物たちの人権についてのテーマが扱われています。

ズートピアの続編
今日のテーマトークは、ズートピア2です。はい、ではマリオさん、解説をお願いします。
はい、EGO.comより解説読ませていただきます。
動物たちが高度な文明社会を築き、人間のように暮らす世界、ズートピアを舞台に描き、第89回アカデミー賞で長編アニメーションを受賞した人気ディズニーアニメーション、
ズートピアの続編。前向きで夢を諦めないウサギのジュディと、皮肉屋だが頼れるキツネのニックが再びバディを組み、
ズートピアの謎に迫っていく姿を描く。あらゆるタイプの動物たちが平和に暮らし、誰でも夢を叶えられる、という理想の楽園、ズートピア。
ウサギで初めて警察官になるという夢を叶えたジュディは、以前にも増して熱心に任務にあたり、元詐欺師のニックも警察学校を無事卒業して警察官となった。
再びバディを組むこととなった2人は、ズートピアに突如現れた死命手配犯の蛇、ゲイリーを捜索するため、潜入捜査を行うことになる。
ゲイリーは一体何者なのか。やがて、ジュディとニックはゲイリーと爬虫類たちが隠す、ズートピアの暗い過去にまつわる巨大な謎に迫っていき、その中で2人の絆が試されることとなる。
前作で共同監督、脚本を担当し、ディズニーアニメーションスタジオのチーフクリエイティブオフィサーも務めるジャレット・ブッシュと同じく前作からの続投のバイロン・ハワードが監督を務めた。
日本語版声優も、ジュディ役の上戸綾、ニック役の森川俊幸らが続投し、ゲイリー役は人気声優の下野博が担当。
ズートピア創設者一族の御曹氏、パウバート役で山田亮介も参加。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
キャラクターの関係性
では沢井の感想、マリオさんいかがでしたか?
そうですね、前作がもうだいぶ前になりますけど、見た時すっげえ面白いなってなって、今回もどんなもんかなって期待してたんですけど、
一作目のようなインパクトを求めてしまうと、そこそこって感じはするんですけど、今回もすごい安定感がある、すごい面白い作品に仕上がってたかなっていうような印象でした。
前作がすごくステレオタイプとか偏見っていうのを、すごく見事に炙り出していくみたいな作品だったかなっていうふうに思ったんですけど、
今回もそういった側面はありつつ、今回は特に多民族国家の歴史みたいな部分とすごく重なってるよなというふうにはすごい思いましたね。
特にアメリカの成り立ちみたいなところですよね、きっとね。あれってっていうふうなことを連想させるようなストーリーだったかなというふうには思いました。
あと、今回特にめちゃくちゃ重きを置いてそうだなって思ったのは、やっぱりジュディとニックの関係性の方にすごく注力してる感じがすごいしたかなというような印象でしたかね。
無事晴れてバディとなった2人ですけど、仲が良いとか血まくばっつぐみたいな感じに見えていて、実はちょっと違っていてみたいな部分のズレみたいなのに気づいていく。
それはすごくこのズートピアの巨大な陰謀を巡る話に巻き込まれていく中で、それがおのずと顕著に現れていき、じゃあそのズレがどうなっていくのかなみたいなところを綺麗にまとめあげるみたいな丁寧さがあって、やっぱさすがだなというか、その作り込みの上手さとかはさすがディズニーだなというふうに思ったりしましたね。
今回もすごい面白く楽しく見ることができたなっていう作品でした。
はい、大井さんいかがでしたか。
そうですね、僕実は1作目を見たことがなくてですね、見たいなって思いつつこれも確か見逃した作品なんですけど、
なので、なんとなくそのストーリーラインというか、どういうものを描こうとしている作品か、その偏見とか差別みたいなものを、
てか、レイシズムというか民族主義的な部分、民族差別的な部分を、自身差別的な部分を描く作品だっていうぐらいの前知識でいったっていう感じなんですけど、
本作はそうですね、確かにアメリカ誌だなっていう感じはすごい見ながらしましたけど、
なんかただ具体的に何を例えているかっていうところは結構見事に、いわゆる僕らのいう人類誌、アメリカ誌と重ねられる部分もあるし、そうじゃない部分もあるというか、
そこをすごいうまく混ぜ合わせながら作ってるなって感じが僕はしながら見てました。
特に爬虫類という種族というか、人種でいいのかな、今回の場合は、何を重ねているのかっていうのは結構多様的というか、いくつかのアメリカにおける人種の歴史を重ねているように見えるんですよね。
なんかその辺とかは本当に、これを描きたいですとか、このことを具体的に描くんです。ピクサーとかだったらむしろそこをこそむしろ濃く描きそうなところかなと思うんですけど、
それをうまい具合にバランスよく描いていて、故に現実社会と繋がってるけど完全に現実の話はしてないぐらいのバランスで落ち着いてるなっていうのが、
うまいというか、そうやって描くんだっていう感じがしたなっていう。例えばそれを何かに例えてるから、これは何を表してるんだっていうふうにうまい具合に言えないあたりがもどかしさもありつつ、
でもそのぐらいのバランス感で描くのが正解なんだろうなっていうのを思ったっていう感じですかね。
そこもすごい見てて面白かったというか、プロジェクション、投影しながら、我々の世界を投影しながら見るっていう意味では楽しく見れたかなと思います。
あと自分の劇場、吹き替えじゃなくて字幕で見たんですけど、結構いい劇場で見れたなって気がして、お客さんのほぼ半分以上の方が外国から来られてる方っぽい感じだったんですよ。
なのでめちゃくちゃ劇場内の空気感が良くて、2人のジュディとニックの一挙手一投足とかに思わず声を漏らしたり、みたいな感じが日本の劇場ってあんまないと思うんですけど、やっぱりその辺がリアルタイムであって、
なんかそこも、そういうのも含めて良かったなっていうか、映画体験のなんていうか、その外側にも映画がこう展開してきてるような感覚というか、なんかそういう感じがあって、すごい良い回見れたなっていうのは結構映画体験として思い出に残ってます。
歴史的背景の描写
という感じですね。ちなみに『ONE』ってご覧になりました?
そう、『ONE』はちょっと見たんですけど、まだ最後まで全然見切れてなくて、肉食動物、草食動物っていうそこの偏見の話なのかなって思いながら見てるんですけど、
はい、そうですね。
でもなんか、ズートピア以降って割とそのモチーフって、いろんな特に動物を擬人化したモチーフのアニメーションであったりとか、映画であったりとかって結構使われてる気もしていて、ある意味ズートピアがその発明ではあると思うんですけど、
なんかそれを見ながら、これがおもたなんだなっていう感じでちょっと見てるっていう感じをしてます。
ただまだちょっと『ONE』は全部見切ってないので、とりあえず黒幕だけは知ってるんですけど、どういう事件を起こした黒幕なのかは僕はよくわかってないですっていう。
あ、黒幕は知ってるんですね。
ただでも本作でも見たらわかりますよね。
本作でも見たらそうですね、確かにわかります。
はい、っていう感じですかね。
はい。
僕はですね、本作すごい評価高くてですね、まず一作目むちゃくちゃ好きで、いやもうこれこそ僕が見たい映画だなと思ってる一作なんですよね。
一作目のズートピアが。
本当にこのエンタメで社会を描くって僕が一番好きな切り口。
エンタメと社会性を合わせ持ってて、そのバランスが良いとかというよりも、一旦エンタメ100で見ても良いって、その後それを外して見てもちゃんとしてるっていうのが良くって、エンタメ側が社会の側に気を使ってちょっと引っ込めてるとこがないっていうとこが前作のすげえ良いところだなと思ってるんですよね。
ただ、あの一点だけ前作に関して弱点かなと思ってる部分があって、前作って偏見を描いてるんですよね、ステレオタイプなどに基づいた。
で、肉食動物と草食動物っていうものは、例えば人種の違いに重ねられたりとか、あるいは男女の違いに重ねられたりとかっていう風な見え方がするようになってるんですけど、
ただ、あの作品の中で描かれる偏見と差別っていうものが逆差別していたっていうことに気づくことで、それが解きほぐされるっていう風な着地になっていくんですよね、一作目って。
ただ、逆差別って結構危険な言葉だと思うんですよ。
差別してるって言ってる側こそ差別してるよねっていう論調は、差別してる側にとってあんまりに有利な言葉すぎるんですよね。
それを一作目は許容してしまっているっていう側面があるんですよ。
で、例えば一作目でジェリーとニック、それぞれウサギの女性と狐の男性に重ねられてて、それが実は差別されてたと思ってた側が逆差別してましたみたいなのにあるんですけど、危険じゃないですか、それって。
結構危険なことだと思うし、僕ジェリーとニックの性別が逆だったらこれ結構見え方変わる作品だと思うんですよ。
そういう危うさがあるバランスに本当にギリギリ成り立ってた作品だと思うんですけど、ただ差別ってみんな差別良くないと思ってるじゃないですか、差別は良くないって思ってない人はいないと思うんですけど、
ただ全員の中で差別って自分がされるものなんですよ。自分がする側としての差別って可能性そんなに気にしてる人いないと思うんですよ。
自分じゃない人が受けてる差別か、あるいは自分が受け入れる差別、で自分がする差別っていうものはあんまみんな想定してないと思うんですけど、それによってズートピア一作目ってすごい都合よく見られるような作品になってしまってたと思うんですよね。
女性が見て女性は差別されてるって思うし、男性が見て男性は差別されてるって思えるような仕組みの話になってるから、それがある意味裾野の広さでもあるんですけど、
ズルさでもあると思うんです、それって。なぜなら偏見の話だから、偏見って誰しもがあるから、お前だって偏見あるじゃんって言ったら全然やり返せてしまうんですよ。
社会の構造としてある差別から一旦目を逸らして、お前も偏見あるじゃんってお互い様だよねっていうその相対主義に陥れてしまう話になってたから、そこが一作目の弱点だったと思うんですよ。
2作目はそこが強固というか、違うモチーフを使うことで、そこの構造的に弱い部分がなくなってたんじゃないかなと思って、本作は歴史の話になってるからだと思うんですよ。
こういう歴史がありましたっていうのに対して、それってそういうことがあった自体はもう揺るがしようがないことじゃないですか、それに対して解釈を変えることはできるんだけど、事実は揺るぎようがないから。
じゃあ、それに対してその歴史があったっていうことが都合が悪い人は何するかっていうと、歴史から消すんですよね。
だから偏見によって相対化するんじゃなくて、見えなくする、透明化するっていう解決を取るんですよ。
その透明化を描いてたのが今回だった。いないことにするっていう、それが描かれてた。
これはもう相対主義によっては揺るぎようがないですよ。もちろんそういうことによって発展した良き面もあるっていう、そういうずらし方はすることはできるんですけど、それあったこと自体は揺るがしようがないから。
それに対してニックとジュディは、前作ではお互いを分かり合うっていうことによって解決を見たけど、歴史って分かり合うってもあるから逃げられないんですよね。
これから先分かり合っていったらいいよねとかじゃなく、もう歴史はあってしまう。それは揺るがしようがないっていう。それに対して我々はどう向かい合うべきなのかっていうことを、本作の前作から元々あったジュディの理想主義とニックの現実主義っていうものの対立によって、じゃあ我々はどこにこれを落とし込んでいくべきかっていう話になったと思うんですね。
そこがすごい、なんか1作目から前に進んだというより、別のモチーフを持ってくることで別の結論を生み出すことができている1作だったかなと思って、すごい到達度が高いんじゃないかなというふうに思っているのと、あと2作目今回の解決のキーとなるもの、まあ何というか権利書みたいなものですよね。
それもまた揺るがしようがないものじゃないですか。だからこういう事実がありましたとかっていうニュース自体は新聞記事とか本作途中で見つかってるんですよ。こういう歴史がありましたって。でもそのニュースによって暴かれたことで世の中って動かないじゃないですか。みんな真実なんてどうでもいいんですよ、もはや現代。昔からか。
前作の引き継ぎ
1作目は真実が暴かれることによって解決するんだけど、真実が暴かれたって悪を裁けないじゃん、現実にっていう。それに対して解決策がものとして存在している権利書っていう。この結論はめちゃくちゃドライでもあるけど、ある意味なんていうか誠実だなとも思ってて、これでしか解決できないからこそこれを大事にしましょうって言ってるような感じというか。
もうこのポストトゥルースの時代に真実なんてもはや相対主義に飲まれちゃうから、もうエビデンスで勝負みたいな感じだなと思って。その心意気は持ってないと負けるんだなっていう。
なんかそう、めちゃくちゃシビアな現実も描いてたんじゃないかなと思って、なんかいろんな意味で1作目の穴を埋めてる2作目だったかなと思ってますっていう感じですね。はい、ってな感じで、では我々からトピック出していこうかなと思うんですけれども。さあ、どこから行こうかなってとこなんですけど、どっから行きましょうかね。
そうですね。ちなみに僕も字幕版で見たんですけど、山口さんはどっちのバージョンで見たんですか。
吹き替えですね。子供と一緒に見に行ったんで。
吹き替え版どうだったのかなっていうのを僕と大石さんは分からないので、なんかその辺ちょっと聞きたいなというのはありましたね。
すごい良かったですよ。すごい良かったというか、基本的にディズニーの吹き替えのレベルって高いと思ってるんですけど、特にあいつかな、あの2階裏切るやつ。リンクスリー家の。あいつのね、ねちっこい声すごい良かったですね。
あの名前がパウバートか。
パウバート、山田亮介か。
そう、山田亮介さんむっちゃ上手いんですよ。
イメージなかったですね、そういう。
すごいあのね、あいつのこう自信なくてヘツラう感じの念性のある喋り方がよく出てて、むちゃくちゃ良かったですね。
なるほど。字幕もむちゃくちゃ字幕も良かったというか、英語版吹き替えも結構良くて。
例えばゲイリー最後で見て、あ、そうなんだって思ったのにキーホイクワンやってたんですよね。
そうなんですよね。
そう。
いやもうキーホイクワンの声好きなんですよねっていうか、ちょっと感高い感じと言ったらいいんですかね。
可愛いらしさというかね、愛嬌ある感じっていうのがもう本当にゲイリーというキャラクターそのものだなという感じがしてすごく良かったですよね。
あとあれですよね、あれはエリマキトカゲじゃないんだよな多分。
エリマキトカゲではないけど走るやつですよね、あれ。
そう、多分なんとかサラマンダーのはずなんですけど。
あーそうか、バティリスクはあれか。
バティリスクでいいのかな。
バティリスクってあれ、トカゲいましたっけ。
いますいますいます。
いますかね。
彼もまた渋くていいんですよね。
ダニートリホでしたっけ。
うん。
確か。
本当だ、なんかwikipediaによるとグリーンバティリスクらしいですね、グリーンバティリスク。
グリーンバティリスク。
みたいですね。
いやー、てかあの南米っぽいところに行くシーンむっちゃ好きなんですけど、
あのズートピアの都心部の空気とは全然違う治安の悪さ。
基本水性哺乳類がそこでタブラしてるっていう。
だいぶこうエスニックな雰囲気が漂う場所というか、結構東南アジアっぽくもあるし、もしかしたらこう中央アメリカ的な。
そうですね、中南米的な。
もう入ってんのかなーみたいな感じですよね。
そうなんですよね、あそこの入ってからの雰囲気というか、あそこに来るキャラクターみんなまた個性が良くていいんですよね。
そうですね、やっぱり爬虫類が今回から出てくるというか、
僕も今回2作目見る前に1作目見直そうと思って見てからズートピア2見に行ったんですけど、
びっくりするぐらい哺乳類しか出てこない世界観だったんだな1作目っていうふうに改めて見て思いましたよね。
1作目の動物の選定の話だと、家畜の動物は選んでないっていうのを見てたんですよね。
だから例えば家猫とか、あるいは犬ですね。
犬が出てこなくて狼が出てくるっていう。
だからいわゆる野生動物として生きているものがそのズートピアに選定されているっていうのを見て、
なるほどなーと思って、だから家畜って人間の存在を匂わしてしまうから、
そうじゃない動物の種が選ばれてるっていうのは、なるほどなーと思ってたんですよ。
ただ、僕1作目見てる時点で爬虫類が選ばれてないってことに気づいてなくって。
そうなんすよね。
あ、そっかーってなったんすよ。
僕も気づいてなかったですよね、本当に。
だから本当に今回の2の予告編見て、ヘビだーって言ってみんなわーって騒ぎ出す瞬間見て、
こいつらめちゃくちゃ偏見まみれやぞみたいな。大丈夫かみたいな。
っていうふうにちょっと見えてましたよね。
そこでヘビっていうのがいいですよね。
ヘビっていうのがいい。やっぱりこのどの文化においても忌避される動物じゃないですか。
爬虫類じゃないですか。爬虫類の中でも。
実害という毒を持ってますからね。
大抵の地域において神様になってるじゃないですか、ヘビって。
あるいはキリスト教においては罪をもたらす側になってたりとか、やっぱり意味がでかいですよ、ヘビって。
他の爬虫類より。
そうですよね、確かに。
あれ、ドリームワークスのバットカイズの中にもいましたっけ、ヘビ。
いましたね。
いましたよね、やっぱり。
いました。
あれももう悪者になりそうなというか、ヴィランによくされる動物が彼ら。
彼らが、だからそう、ちょっとズトピアの延長戦場みたいな世界観ですもんね。
そうですね。
それを素直にやってるって言ったらいいんですかね。
ズトピアは動物の種に対する人類史が培ってきたある種のステレオタイプをひっくり返すみたいなことをやって、
そこに問題設定みたいなのを反映させてた作品だったと思うんですけど、
バットカイズはただ嫌われてるから好かれたいっていう。
それぐらいの温度感で描いてるとこがいいんですよ。
そうですね、どっちが良い悪いとかではなくって感じですよね。
描き方のグラデーションですよね、そう。
やっぱりそういうモチーフを描く作品が、結構ズトピア以降で増えたなっていう感じはするなと思って。
結構あれも好きで、えたがきはる先生の。
ビースターズですね。
そう、ビースターズ。
あれも根本としては結構ズトピアのワン的な世界観。
何ならそれをズトピアに至る手前ぐらいの世界観だと思うんですけど。
そうですね。
またその本能が捨て切れてない肉食動物と草食動物が共存を目指すっていうところからの話っていう。
そうっすよね、だからズトピア自体も疑問に満ちてると思うんですよ。
肉食動物と草食動物が一緒にいるって、それって嘘じゃないんですかって。
これって児童書とか見てたら思うと思うんですよね。
ライオン君とガゼルちゃんが一緒に幸せに暮らしてますって。
それはただの絵空事なのではみたいな。
それがどうこう言いたいんじゃなくって。
ただそれを解像度を上げていくと、どこかに疑問が生じますよねっていう。
それを現実の社会問題になぞらえたのがズトピアだったと思うんですよね。
ビースターズに関してはそもそも疑問を誤魔化せるところにも至れてないみたいな。
そうですよね。
結局本能は本能としてまだ残ってる彼らの種族というか、血の中にっていう設定ですもんね。
ビースターズって年齢開始いつでしたっけ。
ズトピアでも今日近い時期なんじゃないかなって思ってたんですけど。
結構近いですよね。
多分。正確な時間は全部分かってないんですけど。
そうですね。
ズトピア以前から動物の擬人化物みたいなのって別にあったっちゃあったと思うんですよね。
そもそもディズニーがそういうのやってきてたっちゃやってきてたので。
それをもう一回やりたいなみたいなのがやっぱズトピアの企画の始まりには多分あったんじゃないかなとおそらく思うので。
それをまたすごいとんでもなくアップデートというか、現代流に仕上げ切った作品という感じがすごいしてるかなって感じがしますね。
それを言うとね、動物農場からもうあるじゃんって言えばそうってそうですからね。
そうですね。ずっとあるけど、
ズトピアが何がセンシテーショナルというか革新的だったかっていうのはディズニーがそれをやったっていう部分だと思うんですけど、
ディズニーってそのおとぎ話が持ってた動物の善悪の境目のステレオタイプを補強してきた側でもあったわけだから。
なるほど。
そうですね。
キツネって悪いですよねってノッキを騙しますよねとか、この動物は善ですよねって、この動物は悪ですよねみたいなモチーフを強行してきた側。
それはディズニーだけが悪いんじゃなくて、そもそもおとぎ話ってそれにのっとってきてたから。
そうですね。
で、もちろんそれに対して嫌われるものも別に悪くないですよみたいなものはあったと思うんです、ずっと。
ただズートピアはド直球でそれを現実の差別と紐付けて描いたっていうところが、もうおとぎ話じゃなくなってるんですよね。
偶話になっちゃってるっていう。
そこがセンセーショナル。
別になかったわけではないと思うんだけど、ディズニーがやったっていう、これが世界中で大ヒットしましたっていう部分がやっぱすごかったんだとは思うんですよね。
なるほどなるほど。
ちなみに、おいさんの視点から動物の描き方とかってどう見えてたのかなと思って。
あー。
でもなんかあんまり今作においては、あーでもな、住んでる場所の描写が面白かったなと思って。
ズートピアという街、動物にはそれぞれ適正の環境っていうのがあるので、それをどう再現するかも。
それを再現したからこそあの場所は共存を許されてるっていうことだというふうに理解してるんですけど、この場所だったらこの動物を出すみたいなところの解像度が結構高くて、そこはすごい見てて楽しかったなと思っていて。
アルプスの山でヤギ出すとか。
あー、なるほど。
そう。で、あとヘビの家族がそこで隠れてた証拠があるって話をしましたけど、確かにヘビかヤギぐらいしかあそこ行けないもんなっていう。
はいはい。
そうなんですね。ヘビはいけるんですね、あそこ。
ヘビは割と崖とか狭い隙間にハッて登ってくるので。
なるほど。
そう。なんかその解像度の高さというか環境解像度の高さ、そこと動物の合わせ方みたいなものは結構面白いなと思いながら見てました。
だから唯一、さっき言った水性哺乳類たちが住んでるあの海辺にセイウチとかアザラシとかいましたけど、
ラツラは基本北極とか南極の生き物のはずなんで、多分暑くないのかなっていうのが気になりましたけど。
確かに。どっちかというと大山猫が作り上げた雪山の世界とかの方が結構好みそうというか。
そう、雪山じゃなくて氷河があればってことだと思うんですけど。
まあそうかそうですね。厳密にはちょっと違いますけど、寒いところが似合いそうですよね。
そうなんですよ。だからあの世界、北極雲はいるんですけど北極はないんだろうなと思って。
あくまで多分あそこは南極か鉱山っていう扱いながら、実はそこも非差別されてたりする?って思いながら見てたりはしました。
いやー、たぶんね、掘り下げていくとあの世界差別だらけだと思います。
いやなんかそもそもズートピアって都市なのか国なのかよく分かんなくなってきたんですけど。
今回そうなりましたよね。
そうですよね。
ちょっと分かんなくなったというか、ちょっと外の世界観というのがちょっと今回出てきたっていうのもあるので、
僕はなんか1都市ぐらいだと思ってたんですけど、市長っていうと都市なんでしょうけど、
都市の中では爬虫類お断りですみたいな感じ出されてるのだいぶやばないかみたいなとは思いますよね。
なんとなく連想するのはまあ発端なのかなって感じですよね、やっぱり。
まあそうですね。
なんかそれこそちょっとこれは僕が気づいたわけじゃなくて問われる人がいてたんですけど、
ビーバーの重要性
あるブログを読んでたときにそうなんだってなったんですけど、このズートピア2の関してノート書かれてる方がいらっしゃって、
その方が書かれてたのがビーバー、今回結構キーパーソンになってくるキャラクターだと思うんですけど、
ニューヨーク州の結構モチーフというかデザインにもなってるような動物らしいんですよね。
もともとマンハッタンとかニューヨークに人が住み始める、植民地として住み始めることのきっかけだったのはこのビーバーらしくて、
その町に住むきっかけとしてビーバーの毛皮があそこは取れやすいと。
ハドソン川とかが流れてるんで、たぶん当時ビーバーがたくさん住んでたはずなんですよ、マンハッタンがもともとあった中津には。
最初そこで狩りをするために結構植民、人々が入ってたというところからあの町の起こりがあるから、
結構ビーバーをニューヨーク州のモチーフとかに使われることが多いらしいんですよね。
でも狩られる側なんでめちゃくちゃ犠牲者でもあるんですけど、そこはだから重なるんですよね、ハチウオリとちょっとね。
なるほど。
そうか、ちょっとそこを興味深ポイントの一つだったと思ってはいるんですよ。
あいつ陰謀論ポッドキャスターなわけじゃないですか。
そうですね、陰謀論ポッドキャスターですね。
出ましたって感じですよね、出ましたって言うとあれですけど。
最近アメリカの映画って物語の駆動力に陰謀論ポッドキャスター使うことが増えてますよね。
明らかによく見るようになった。
いっぱい思いつきますよね、ゴーストバスターズとか、モンスターユニバースのあいつとか。
日本だと陰謀論をばらまいてるやつって、ユーチューバーじゃないですか、日本だと。
アメリカだとどっちかというとポッドキャスターなんですよね。
そうですね。
で、陰謀論ポッドキャスターがまたまた出てきたっていう。
結構ここね、センシティブな領域だと思うんですよ。
陰謀論ポッドキャスターの扱いってセンシティブだと思うんですけど。
ただ、映画って陰謀を描くもんだから、どうしてもこの主人公の側の味方に陰謀論者が作って生じてしまうこともあってしまうのかなっていうのも知ってて。
っていうのがあるんですよ。
で、ちょっとなんかね、そこがどうなのっていう意見を聞いたことあるんですよ。
陰謀論ポッドキャスターを味方にするのどうなのっていうのを聞いたことあるんですけど。
確かになって、僕あんま気にしてなかったけど、言われてみたらそうだなと思いつつ。
ただ、あいつって弱者の味方なんですよ。
そうですね。
非差別側の味方なんですよね。
南米っぽいエリアの爬虫類たちの味方してたじゃないですか。
で、現実の陰謀論者って差別されてる側を攻撃するやつ多いじゃないですか。
そうですね。
ちょっと今の断言しすぎました。すみません。
なんていうか、多分陰謀論の論によるんだろうなとか色々思いながら考えちゃって。
フラットアーサーズとか多分非差別側だしなってちょっと思ったりしたね。
あー、そうか。
別のものを差別してそうだなって気はしますけどね。
多分そうなんですよ。陰謀として多分権力側とか、すでに成功している。
そうじゃない自分たちの守るための陰謀論っていうことになると思うんですけど。
今そこが結構描かれつつあるのは半分論を言ってる。
もちろん論を流すっていうことによる社会的な悪影響って結構もう知られてるところかなと思うんですけど。
じゃあ彼ら側のその捉える理由というか人生って何なんだろうっていうのを振り返ってみると、
意外と切実だったりするよねっていうのもなんか最近描かれてる気もちょっとしていて。
あー、まあそれはそうですね。
だからその陰謀論を唱えることそのものの善悪と、
彼らの人生が良いものであるべきっていうことの是非っていうものは全然別の問題としてはあるんですけど、
それはそれとしてちょっと現実の陰謀論は僕むっちゃ嫌なんで、
ちょっと基本的には陰謀論者そのものには非と示したんですけど、
ただ強いてあげられた側であったっていうその今回のあいつの出陣みたいなもの。
資本主義の批判
ただまあ別にズートピアの作品内でそう扱えたわけではないと思うんですけど、
ただなんかズートピアの都市部分にいないっていうのはなんかあるのかなって気もして、
なんか彼なりの人生みたいなのが逃げ隠れするのかなって思って、
単なるその風評を撒き散らす側というか、
映画においては陰謀論って正解になっていってしまうからちょっとそこの評価は難しいんですけど。
そうですね、陰謀論者という総体自体にはちょっとえ?ってなるとかあるんですけど、
個別で見た時、個人で見た時、いやいやみたいなところってやっぱあったりとかは、
個人で最小単位で見た時にはこの人たちに何かあるのかなとか、
あったりもするっていう個別具体的な何かがあるかもっていうのがあったりするので、
確かに陰謀論者そのものが触れづらいっちゃ触れづらいなみたいな部分は正直あるので、
なので僕はどっちかというと、
あのビーバーのキャラクターはすごい好きですけど、陰謀論者のポッドキャスターかみたいな感じは正直思ったっていう、
うーんみたいな感覚は正直あったっていうか、
それだったら別に記者でもいいわけじゃないですかっていう、
なんかもうはぐれ者の記者みたいなというか、
誰も信じてくれないけど俺だけはこの真相というか黒幕を突き込めてやりたいんだみたいな、
なんか記者みたいな、ちょっと骨気概のある記者みたいなキャラクターにしててもまあいいっちゃいいのかなって思うし、
なんとなく思うのは彼の発信の仕方が陰謀論になっちゃってるだけなんだなっていうのは見てて思ったりはしたんですけど、
彼というかそのビーバーのあの子は取材はしてるわけですよ、一応現地に足を置いて。
そうですね。
足運んでるからね、こたつ記事じゃないから偉い。
そうなんですよ。
だからその発信の仕方がどうしてもエンタメに寄りすぎるというか、ちょっと過剰に盛りすぎるところが多分あるのが良くないところで。
確かに喋りたつ感じでしたもんね。
あれですね、アテンションエコノミーの地獄ですね。
そうなんですよ。だから逆になんかそれはそれでむしろ別の悪を描いてる感じもするなっていう。
資本主義という悪です。
そうそうそうそう。
本作はちゃんと資本主義という悪の話をしてるから。
そうなんですよ、そうなんですよ。
てか前作からそうでしたけど、結構ちゃんとドス黒いですよね、敵というか。
悪とされるものの存在感というか、特に一作目のが完全にノワールみたいじゃないですか。
操作パートとか、あとガチでマフィアに殺されそうになるとか。
ハブギャグみたいにして笑わせてくるのが面白くなるんですけど、結構ノリが怖いですよね、ちゃんとね。
そう、一作目良くないんですよ、一作目。
良くないっていうのは善悪の視点で見た時に良くないというか。
マフィアの手を借りて操作してるから、しかも操作の手段として拷問を使ってますからね。
そうですね。
このままだと冷水の中に落として投資させますけどって拷問を尋問のために使ってるから、良くないんですよ、あれ。
良くないですね。
ごめんなさい、見てなかった。ごめんなさい、大石さん見てなかった。
いやでも全然いいですよ。今回も出てましたもんね、あのマフィアは。
もうゴッドファーザーみたいな人が出てきますけど。
ゴッドファーザーだと思って見てましたけど。
あのシーンもね、パチモン作ってるのかなと思ってました、あそこ。
多分一応ブランドものなのかな。
ちゃんとね、なんかイタリアっぽいブランドと提携してるっぽかったじゃないですか。
あそこで縫製してるというか。
そう、違うんですけどね、エドリー・スコットのグッチとかちょっと思い出しちゃいましたもん。
あー、ハウスオブグッチ。
そう、ハウスオブグッチ。なんかあれマフィアっぽいみたいな。
ハウスって言ってますからね、何々家っていう。
大事なんですよね、そうですね。
そんな変わらんっていうね。
実はね。
そうですね。
だからさっきのゴッドファーザーもそうですけど、結構実写の映画モチーフの引用みたいなのも多々あって。
その辺も結構、しかもわかりやすくある気がして。
後半のシャイニングもそうですけど。
羊たちの沈黙がね。
ですよね。
ハンニバル・レクターの牢獄のみたいなシーンあって、しかも中にいるのは羊なんですよ。
そうそう、お前が飼いっていう。
いやーもうあれさー、笑っちゃうじゃないですか。
ネタがね、おもろすぎるっていうか、ネタの配置が前方位すぎるって言ったらいいんですかね。
子供だったらあれですよね、レミーのおいしいレストランネタとかに笑っちゃうわけですよね。
そうですね。
やっぱりだーっていうライオンのコック棒取ったらネズミがみたいなやつとか、おいおいおいみたいなやつとか笑っちゃう。
子供はそれを笑っちゃうでしょうし、いい歳した大人は羊たちの沈黙ですとか。
多分シャイニングは大人しか笑ってないと思うよ。
あそこわかんないですからね。
大人たちの沈黙ネタは、かろうじて前作のキャラクターのあの羊のあいつが出てるっていうところで子供は笑えると思うんですけど、シャイニングはもう絶対大人しか笑ってないだろうなって思いましたね。
いやーもうあれやるんだったら、あいつに相談言ってほしいぐらいですよね。
確かに。
レクター博士に、もう犯罪のことは犯罪者に聞こうみたいな感じで言ってほしさはありましたけどね、あれやるんだったら。
夢の共演をね。
夢の共演をやったらね、面白そうですけどね。
ちょっとやりすぎかな。
確かに。
ちょっと小ネタが過ぎるっていうかね。
そうですね。
全体的に小ネタ好きなんですけど、冒頭でニックがね、ネットフリックスっぽいやつを見てるんですよ。
はいはいはい。
見てても、エイリアンの卵の作品にプラティパスって書いてて、確かにカモノハシって、ホニウルイの中で卵産むもんなってなったら、確かに卵出てくるってなったら、あ、そっかカモノハシなんやみたいなの。そっかってなって。
そうですね。
だってね、他出てこない動物じゃないですか。ハチウルイとかチョウルイになっちゃうから。
そうですよね。
なるほど、みたいになったりとか。
あとその後ね、露店で海賊版DVD売ってるやつが、DVDは勢いあるからみたいなこと言ってて、嘘つけーと思って。冒頭でネットフリックス出てくる作品の中でDVDに勢いがあるとか嘘つけーと思って。
確かに。
あいつね。
酔ったものすぎるわと思ってあそこ。酔ったものだからいいんですけど。
あいつ前作から売ってますからね、海賊版のDVD売ってるやつですからね。あいつあれしかないんですよねっていうのはあるんでしょうけど。
じゃあキムズビデオなんすらおそらくね。
ね、そうそう。
で、たぶんあと、ネックが見てたのは、たぶんネットフリックスっていうか、たぶんあれフルルーですね、たぶんね。
あ、そうなんだ。
たぶん緑色だったからフルルーじゃねえかなっていうか、まあ参加だし。
たぶんフルルーだなって思いましたけど。
え、フルルーって参加なんですか?
そうですね。
そうですね、確かに。
ディズニーですね、ディズニー。
ディズニーの参加になってますね、今ね。
フルルーの作品ってディズニープラスで今見れるじゃないですか、日本でも。
うんうんうん。
そうそう、なのでたぶんそっちかなって感じがしましたね。
フルルーの日本法人ってアメリカから分離してませんでしたっけ?
分離してますね。
してると思います。
あれは別物ってか、日本のフルルーは別物かですかね。
日本のフルルーは日テレのコンテンツ見る用のやつでしょって勝手に思ってますけど。
いやすいません、話反りました。
都市の成り立ちと多様性
ああいうね、都市の成らず者描写好きなんですよ、ズートピアにおいての。
だから決して平和な街じゃないんですよ。
差別もあるし、暴力もあるし、犯罪もいっぱいあって、なんかそのね、汚い入浴感があるんですよね、前作から。
うんうんうん、確かに確かに。
でもだからこそ、あの街は多様性があるとも言えるっていうね、なんかね、そこの良さがあるんですよ。
うんうんうん。
うん、好きなんだよな、ああいうとこ。
あと、まあちょっと本筋の方、話入っていこうかなと思うんですけど、
まあ今回の敵がリンクスリー家っていうね、ああいう名家っていうのが前作と違うところとしてあると思うんですよ。
はい。
前作って、差別されてる側が手段として別の差別を上乗せすることで、自分がコントロールする側に回ろうとするっていう、あの持たざる側が悪に落ちたっていう話だったんですけど、
本作って最初から構造的な悪としてあるやつなんですよね、あいつら、リンクスリー家って。
で、そこがやっぱりその偏見の話ではなくて、負の歴史の話になっているところが本作の面白さかなと思ってて、
うん。
ただちょっとそこに弱さもあると思ってるんですよ。
うんうんうん。
なぜなら、その話の構造の部分にニックとジュディそのものが含まれなくなっているっていうのがちょっと弱いところとしてあって、
はいはい。
一作目って、ニックとジュディ自身の偏見と差別意識に意識が行くことで、その全体の話も繋がっていくってなってたんですけど、今回完全に切り離されてるというか、そこは。
うんうん。
もうニックとジュディの関係性自体はできてますっていう、ただその関係性が揺らぎますってなるんですけど、
一旦完成してるから、もうあるはね、いちゃいちゃなんです、あそこは。
そうですね。
そうですね、だからまぁ、ある種のキャラ萌え映画的な側面もまぁあるっていうか、まぁでも全然それはあっていいことだし、
むしろそこをもっとこうなんていうんですか、ジュディとニックの関係性詰めてくれてるのを個人的にはありがたいですって感じですけど。
そうなんですよね、ちょっとまぁそこがニックとジュディのドラマと全体のドラマっていうものがちょっと切り離されてる感があるとこはあるんですよね。
この二人の信頼関係の揺らぎって、全体の話とは別の話ですよねっていうのになってる。
リンクスリー家の権利の奪取
そこが完全に一致してるから一作目の脚本は凄まじい完成度だったと思うんですよね。
ちょっとそこは弱さにはなってると思います。単純なプロットとしての弱さではあるとは思うんですけど。
ただまぁ僕はその歴史の話をしてるっていうのがすごいよくできてるなぁと思って。
で僕は本作ね、リンク3系を見てて、なんかこいつらエディソンみたいだなって思いながら見てたんですよ。
リンク3系の上の世代とゲイリーの祖母の世代の話って、たぶん電気とかの照明ができ始めたくらいの時期なんですよね、実際のアメリカ史で言うと。
でそこで権利を奪っていくやつとしての姿が、なんか僕が持ってる良くない方のエディソンのイメージだなぁと思って。
特強の方のエディソンってことですね。
エディソンを負の側面で語るのって、発明王エディソンに対するちょっと逆張りイメージすぎて良くないなっていう自覚はあるんですけど。
というよりエディソンというより、あれってもう資本主義という構造の中でどうしてもああいう暴走が生まれてしまうっていう、
資本主義の負の側面を体現している存在としてのリンク3系だったかなぁと思ってはいるんですけど。
でもそっか、そもそものあれですよね。
いろんな動物が住めるように各エリアを分けるような技術を考えたよっていう話の権利の話を巡る話だったなっていうことですよね。
だからエディソンとかの電気戦争あたりのことを思い出したってことですよね。
なるほどな、なんか言われてみて気づきましたっていう感じでした。
確かにその側面めちゃくちゃありますね。
あと思い出してたのはキラーズ・オブ・ザ・フラワームーンです。
そうですね、それやっぱ思い出しますよね。
そうですね、僕どっちかっていうとそっちですね。やっぱりその爬虫類がいわゆるネイティブアメリカンかなっていう。
で、後から入ってきた人たちによってどんどん侵略されていくみたいなニュアンスの方を結構連想してたって感じでしたね。
で、僕本作ね結構そのリンクスリー家とあとゲイリーの一家のダースネークっていう家系の名前の付け方なんかありそうやなって気がしたんですよ。
まずダースネークって初めに言われた時にダってこのアフリカ系アメリカ人とかがザを名乗った時のダじゃないですか。
なんかそういう意味なのかなと思って見てたら途中でダーの発音を実際に綴ったところでDEって書いてたんですよ。
これザそのものが名乗ったんじゃなくてそういうダっていう音そのものとして綴ってるんだなと思って。
これって何の意味なのかなって調べてたらこれってイタリアとかフランスとかのラテン系のヨーロッパのそういう有所あるところの名前の付け方らしいんですけど。
でちょっとねそっから調べててごめんなさいあのちょっと調べ甘いんで弱めの論になっちゃうんですけど。
そのまだアメリカにフランス寮があった時代のルイジアナ州とかだとそのクレオール文化っていうそのフランス系の文化とかあるいは黒人の文化とかが混じった文化があったらしくて。
そういうものが混じり合ったものとして荒れたそういう文化があったらしいんですちょっとこれ論弱いと思います。
でもあれですあの時代的にはですけどファーストカウとかが多分その時代のそのアメリカが舞台だったはずですよね。
確か。
なのかな。
だからあれってその人種というか主人公がアジア系と白人系の二人の友情の話ですけど。
多分そういう背景なんじゃなかったかなってフランスのところに入った初めての物資をちょっと頂戴するっていう話だったはずなんで。
なのでそのあの名前の綴り方はそういう意味が込められてそうだなと思ってただその後そのフランス寮だった場所ってアメリカ寮になるわけじゃないですか。
そうですねナポレオンが売りましたからねあの時期ね。
でそのクレオロ文化っていうのがあったのがあのルイジアナ州とからしいんですけどニューオーリンズとかのあたりですよね。
でそのあたりがそのアメリカ寮になってそこってあのジャズの発祥の地じゃないですか。
確かに確かに。
でジャズって黒人たちから生まれてきた音楽だけどその音楽の権利はアングロサックスによって奪われちゃうわけですよ。
そうですね。
であのリンクスリー家のリーっていうのってアングロサクソンの由緒ある家系によくつく名前のルールらしくて。
はいはいはい。
だからそのゲイリーのダ・スネークっていう名前はそういう人種の多様性を認めてた文化の中のマイノリティとしての存在を意味してて。
それに対してリンクスリー家がもう由緒あるもうずっとイスタブリッシュメントとしているアングロサクソンっていう対比になってるらしいなって思ったんですよ。
あの後から調べてね。
はいはいはいはいはい。
だからモロなんですよ。
うんうん。
そういう文化が交わったところからいやお前らいないですってなって。
だからもう完全に分けちゃうんですよね。
有色人種か白人化って分けるかのように哺乳類か爬虫類かに分けちゃうわけですよ。もっと多様だったはずのものを。
そっかだからニューオーリンズとかってその後まあ南部に分類されちゃうってことはおそらくプランテーションとかが発達してまあ黒人奴隷制っていうのがこの後できていくっていう話になってくるんですもんね。
そうだからあのちょっとここ歴史の勉強甘いとこなんですけどフランス領から離れた後は多分厳しい現実が待ってたはずなんですよね。
うんうんうんうんうん。
まさにそれを表してるのがあのリンクスリー家がゲリーのおばあちゃんから権利を奪ったこと。
うんうんうん。
そういうマイノリティが持ってた土地であるとかアイデアを奪っていったことを意味していると思うんですよ。
うんうんうん。
でしかもあそこであの殺されたお手伝いさんって爬虫類の亀じゃないですか。
そうなんですよね。
もうお手伝いさんやるのって絶対有色人種じゃないですか。
そうですね。
もうモロじゃんと思ってあそこ。
うんうんうん。
何一つ隠してないやんと思って。
うん。
ええのって思ってあの一作目がむしろちょうどいい感じに都合よく見られるところをあんま都合良さないなと思ってたんで。
うんうんうん。
差別の構造とその影響
ええのかと思いながらめっちゃ嫌う人おりそうやなと思いながら見てたんですけど。
だからちょっと見ててそれこそさっきマリアさんもおっしゃってましたけどね、その爬虫類をネイティブアメリカンのようにも捉えられるし、山口さんおっしゃるようにちょっとそのアフリカアメリカンというか黒人にも捉えられるっていう。
なんか要はアメリカでの差別史みたいなものを扱ってるなっていう感じがすごいするんですよね。
そうですね。特定の何かというよりかはその他諸々の歴史全般を指してるって言ったらいいのかなっていうか。
今言ったようにネイティブアメリカンだったりとか、あと黒人であったりとか、あとゲイリーの声をやってるのがキーホイクワンであることも考えるとアジアも入ってくるよね実はねみたいなこととかも、
多分念頭にはありそうだし、だから本当にその差別の歴史そのものに色々差別されてきたというものたちの色々なものがそこにこもってるし、
差別してきた側の要素も多分にリンクスリー家にはふんだんに散りばめられてるというような感じですかね。
それを一つのその蛇が起こしたとされる事件というものをきっかけに爬虫類丸ごと排除していくってなるっていうのが、この二元論になっていくのってなんかまさにだなっていう感じがするんですよ。
そうっすよね、しかもそれこそなんていうかそのリンクスリー家が自分たちの住めるその雪山の領土を広げようとするじゃないですか、あれとかもジェントリフィケーションだなって思って見てたりもしましたし。
そうですね、土地の拡大っていうのがまたなんか支配的な何かというか、これまでの歴史の流れを放送させるし、ジェントリフィケーションのことも連想するしみたいな色々重ねようと思えば何でも代入できるという感じですよね。
なんかあの話の中で、山猫ってすごい縄張り意識の強い動物っていうことで多分山猫を選ばれてると思うんですけど、でなんか話の流れの中で縄張りを広げようとする動物は怖いみたいな話ちょっとあったと思うんですけど、これ人間の話だよなと思って。
そうですね。
人間のことを言ってるよなと思って。
人間のことを言ってるし、なんならアメリカ史のことも言ってるしね。
縄張りを広げるために元いたものを駆逐して、元いたものは透明化してっていう。歴史すぎるなーみたいになって。
そこは本当にアニメーションという、だから僕、ウルトピア1まだ見れてないからこそ2で思ったことではあるんですけど、よくこのテイストのアニメーションでそのことを描くよなと思って。
別に例えばこれは子供が見てわからないとは思うんですよ。現実の世界に投射することはできないとしても、でもなんかこう記憶には残るじゃないですか。
いざ歴史見た時に、なんかこれ見たことあるなっていうアナロジーがそこで動けるような起爆剤にはなってる気がしたんで、その理解を促進はしてくれるよなと思って。
そうですね。まだ今の段階では種まきみたいな状態ですよね。
ここから大人になっていくうちに、あれこれウルトピアって言ってたじゃん、みたいな。って気づくみたいなことですよね。
本当なんかウルトピア、確かに1作目からすごい、これは子供が見たらしっかり楽しめるエンタメとして見えるけど、一緒に見たお父さんお母さんというか大人が見た時にはしっかりそこに社会が描かれているようにも見えるっていう、手をどちらも抜いていないっていうアニメーションだっていうのでいろんなところで評価されたと思うんですけど、
本作はなんかそれよりそれが歴史っていう一つのもう一つの軸を、現代っていう軸に対してもう一つの軸をそこに加えることによって、それをより深くしているような気がしたんですよね。
物語のテーマと登場人物
しかもそれを現実はそのまま投射する、もちろん現実のある程度の投射はされてるんだけど、でも結構技学化というか単純、ある程度のシンプルな作りにもしている。
そういうことで理解はすごくしやすくなってるなと思って、プロットを目指してわかりやすいし、なんかそこはすごいやっぱり志が高いなっていう感じが見ててしまいましたね。
そこで本作のジュディとニックの物語になってくるんですけど、前作だと彼ら自身が偏見と差別意識を持ってたっていうことが全体の話にもつながっていくんですけど、そのリンクは今回はないんですよね。
今回にあるのは、ジュディは正義を突き詰めなければならないっていう理想主義に突っ走るんですけど、そうなったらお前が死ぬじゃんっていう、お前が死ぬしどうせ世界は変わらないっていう現実主義をニックはそれに対して投げかけるんですよね。
その大変になってるなと思って、彼ら自身がその物語の中心部分とリンクしてるわけではなく、それをその物語全体がどこに向かうべきかっていう、それを評価する側に立ってるみたいな感じになったかなと思うんですよね。
それに対してどちらも視点もいるというか、今回精神的な主人公はニックの側だなと思うんですよ。
だからジュディはその理想主義という駆動力によって物語を推進させるための存在。ただそのジュディの真っ直ぐさに対してそうなれない、そしてそれを自分とジュディに害害及ぶことに対する恐怖心もあるし、どうせ世界は変わらないっていう低下感もある中で、その上で何をすべきかっていうことをニックが選ぶっていうのが今回むちゃくちゃ大事な部分だと思ってるんですよね。
実際ラストで投げかける言葉で、お前らがそれがやったって世の中変わらねえよって言われるわけですよ。
どうせこの権力構造は変わらない。それに対して芸利のためだからって言うんですよね。
僕この視点すっげえ大事だなと思ってて、例えば現代の社会の発展ってもうおびただしい犠牲の上に成り立ってるわけじゃないですか。僕たちがこうやって批判しているものさえ自分たちはその恩恵を預かりながらでしかなくって、そこに欺瞞性ってあるんですよ。
お前が批判しているものでもお前それを甘んじてますよねって言われたらおっしゃる通りなんですよ。
それらの恩恵を全て投げ捨てることなんてできないんですよね。過去は消せないんですよ。
ただそれはあったからその人たちの尊厳を認めるということはしなければならないっていう。
別に今その権力の上にいる人たちはお前らのやったこと悪だから全部捨てろっていう。そしてその仮想にいるすべてのその恩恵を受け入れる人たちもそれらをすべてリセットしろって言われてもできないんですよそれは。
すべては血塗られた道だから。ただそこにいた人の尊厳は認めなければならないっていう。そうした方がいいっていうことを本作は着地にしてるんですよ。
それすごいなと思って。別にその蜂うるいたちに丸ごと土地を返すわけではないじゃないですか。最終的な結論ってゲイリーの実家に帰ることができたっていう。名誉回復はできましたっていう。
そこが着地なんですよね。ちゃんと悪い奴らは捕まるんですけど、そこはある種物語的な子供向け、子供も見る映画としての盛り上げの部分だと思うんですけど。
ただ、たぶんあのズートピタ自体は揺るがないんですよね、あの構造。なぜなら今自分を持っているものを捨てたいと思う人はいないから。
ただ、その虐げられた人の尊厳を認めることはできるんじゃないですかねっていうことを言ってると僕は思ってて、これはすごいことだぞって思って見てたんですよね。
なるほどなるほど。
理想主義と冷笑主義の対立
実際現実においては、既得権益を持っている人たちはその尊厳さえ認めたがらないわけですよ。それを認めたら既得権益ごと揺らぐと思ってるからそれを従わないじゃないですか。
でも、その尊厳を認めなければ前には進めないんじゃないですかねって言ってるなと僕は思ってはいるんですけど。
資本主義も地獄です。帯ただしい血が流れました。でも僕たち資本主義捨てられないです。ただ、そこに踏みつぶされた人の名前ぐらい思い出せませんかねっていう。
なるほどな。
いや、そうですね。なんか今年結構そのメッセージ多い気がちょっとしていて。
それこそ何度もちょっとこの番組に名前挙げてしまって申し訳ないんですけど、見晴らし世代っていう映画は割と僕そういう話だったなって思ってるんですよ。
東京の宮下パークっていう場所を作ったお父さんの息子が主人公の話ですけど、
映画の途中、宮下パークにいたであろうホームレスの方々を宮下パークの再建に伴って出て行っていただくというような描写が、
そういうニュースの記事みたいなところが映るっていうシーンがあるんですよね。
それはおそらく実際に宮下パークの開発において起こったことなんですけど、その映画にまさに宮下パークという綺麗なものを建てるため、
あるいは今の新しいピカピカの東京を建てるために何を失ったんだっけっていうのを思い出す映画が実は見晴らし世代っていう映画で。
そのような東京が成長するために失ったものっていう中の、ある種のもう一個のメタファーとして伊賀はるか演じる妻というか奥さん、
あるいは母が出てくるたりはするんですが、ただこの見晴らし世代すごくいいのが、そういったものをあるよねっていうことを認識しながら、
でも僕たちはそこの血塗られた上にある東京という街を軽やかに進んでいくんだっていうメッセージにも取られるラストがすごく僕は好きで、
あったことは忘れちゃいけない。それは事実として残ってるんだけど、とはいえ僕らはその上を生きていかなきゃいけないんだっていう。
なんかそれって今作にもすごい通じるメッセージ性だなっていう気がしていて。尊厳を認めるであったりとかその存在を認める、透明化しない。
でもじゃあその上で僕らは新しい時代を生きていくんだっていう希望にもしっかり溢れてるというか。
なんかそれってその定観主義に行くわけでもなく、ある種社会とか歴史を冷笑するわけでもなく、結構大事なことなんだろうなっていう気がするなと思ったんですよね。
で、もう一個似てるなって思ったのがジェームズ・ガーのスーパーマン。あれもまさに歴史的な定観主義とか冷笑主義に負けるって何なのよっていうか。
正面からさせられることがパンクじゃないかっていう話の映画だったと思うので、なんかやっぱり今この時代にすごい共通のメッセージが問われてる気がするなとちょっと思って。
てか僕らが戦わなきゃいけないのはそれこそ陰謀論、もはや陰謀論でもなくポストスルースでもなく冷笑主義だったり定観なんじゃないかっていう。
なんかこの現代においては一番戦わなきゃいけない相手はそこなんじゃないかっていうのをすごい感じますよね。
このここ最近の映画を見ていると。
そうですね。で、ニックって定観と冷笑を内包しているキャラクターだから、彼が何かを選ぶってむちゃくちゃ大事なんですよね。
そういう仕草をしがちな人だから。
いやでもそれでも選ぶっていうのが結構大事だなと思ってて。
だからそのニックとジディの関係性というよりも理想主義と現実主義の対決というか。
でその現実主義という名の冷笑主義は現実の中で何を成すべきかみたいな話だと思うんですよ。
そのリアリストぶってる冷笑主義者っているわけですよ。
それは冷笑じゃないかっていうのがすごい大事だなとは思ってて。
自分でさえともすれば期待しないことで自分はもう出るじゃないですか。
やっぱ楽なんですよ期待しないってすごく。
だからついついそちらに行った方が楽だし。
で一作目のニックが僕見れてない上で言いますけどちょっと大人っぽいっていうような。
だからジディがその一番若々しくて新卒警察官みたいなポジションだからこそちょっとその大人っぽいニックと関係性ができていくっていうところが面白いよねって言ってるような表を見たらそうなんだって思ってるんですけど。
その大人っぽさの裏にある疑問と言えばいいのか。
自分もそう振る舞ってる時ありますし。
いやむちゃくちゃありますよ本当に。
あの自分個人、自分ごとになっちゃうんですけど。
今年新卒の子を指導してて、でその子のまっすぐすぎる理想というかつけつけられた時にちょっと冷笑的な方行っちゃうんですよ。
よくないなーって思ってて。
これはこういうもんだからって言っちゃうみたいなことですよね。
そう。本当よくないなっていつも反省はするんですけど全然直せてなくてマジでどうしようって思ってるんですけど。
でもこういうことだと思うんですよ多分。
いやそれね、男性のサバイバルと微妙にひも付いてるからなんかこうしないとやってこれなかったなっていう気持ちもあるんですよ。
この仕草がなければ俺は自分の心を守れなかったみたいな感覚はちょっとあるんですけど。
それって社会前には貢献できてないんですよね。
いやそうなんですよ。そうなんですよ。
うっすらとみんなで社会を良くない方向に運んでるという感覚はあるんですよこれが。
そうなんですよね。だからやっぱり理想は理想として言うべきだし間違ってることは間違ってるって思わなきゃいけない。
あるいはそれを言ってかなきゃいけない。怒らなきゃいけないんだと思うんですよね僕らって。
いやあのニックのラストの演説とかもぬるたいこと言ってますよあれは。
でもあれは言わないとダメなんですよ。
嘘みたいな理想を掲げないとダメなんですよ。
っていうかあのズートピアという街自体がその理想はあるよねっていうことを信じないと成立しないんですよ。
ほっといたらもう差別と腐敗にまみれるからあの街は。
そうですねまあかなり理想の都市とは何かっていうのをずっと考え続けている作品シリーズではありますよね。
そうだからあの照れないっていうね。
そうだなぁ。
そうあのニックのあの態度でお前に気づいてほしくないんだっていうの結構負荷かかってると思うんですよ。
一番柔らかい部分ながらそれ晒すの相当怖いけどあいつはそれを晒したしラストでも毛穴が浮くような理想主義の演説をぶち上げるわけですけど。
俺はこれを言わないとダメなんだなっていう決心をできたって偉いなと思って。
僕そのジュディとニックの関係性が成熟していく感じがすごくいいっていうには最初の沢居の感想で言ったんですけど。
僕そんななんかの理想主義と冷笑主義の対比としての関係性の成熟みたいな風にまでは普通に見てなかったのでなんかこれまでの話になることだとすごい思ったんですけど。
シンプルに僕はなんか目の前のことばかり追いかけちゃうジュディとそんなジュディのことを見ているだけを見ているニックの関係性のずれみたいな。
シンプルにそこにずれちゃってるなみたいなというか。
そこがようやくちゃんとお互いの気持ちを打ち明け合ってようやくちゃんとバディになれるみたいなところがすごく良かったなというふうに思ってたんですよね。
シンプルに個々人のその人間関係の話として、まずそこがしっかりできてるからこそすごく見ごたえのあるドラマ性が作られてたのかなっていうふうにすごい思ったというか。
あくまで一作目はお互い違いがあるねって言って手を取り合ったからスタートですよみたいなところまで描いていて、そっから実際にずっと手を繋ぎ続けるにはどうすればいいのか。
その違いを見つけることでしょっていうことを丁寧に描いてたよねっていうところがすごく僕はすごく良かったなっていうポイントとしてはあったんですけど、
山口さんのおっしゃるようにすごくその見方もすごく絶対含まれてるだろうなというふうには思ったので、
ちょっとその視点は僕なかったので、新しい築きが僕の中で生まれたなって感じでしたね。
いやでもその視点も本作はいいんですよ。やっぱあのペン型レコーダー壊すとことかいい味がするなぁと思うんですよ。
あれめっちゃ大事じゃないですか。もうあれが壊れるってなった時の結構ショックですよやっぱり。
そうショックで本当にちょっとある意味その人間関係のほつれというか、きびみたいなというかその壊れかけてしまっているどうしようみたいな瞬間を、
あの人参型のペン一本でやりきってるなっていうふうに思ったんですよね。
本当あそこちょっと結構目がキュッとなりましたね。
あのねペン型デバイスがまたね蛇毒の下毒のためのエピペンに使われるとかのねモチーフの重ね方はうまいなと思うんですよやっぱり。
確かに確かに。
ニックとジュディの絆
そこはねディズニーぬかりなしって感じですよね。
いや本当ちょっと見れば見るほどニックって本当にジュリーのこと好きなんだなっていうふうに思える作品でもあるじゃないですか。
あいつジュリーのために命かけてますよみたいな、なんかそういうところがすごい素敵だなと思って。
なんかもうその2人の関係性がようやくこうでちゃんと本当にバディーになったみたいな感覚がすごくやっぱ実感としてあるみたいなのがすごい感じられたので、
この先本当にあー良かったーって思えたっていうのはありますね。
しっかりキャラ燃えさせてくれるんですよね。
いやもうあの潜入捜査のとこのジュディにニックが嫌ごと言うとことかもうニコニコ見てるし、
あと僕あの潜入捜査のためにニックがタキシード着るって流れの時声出ましたもんね。
ニックがタキシード着るっていう、僕あのバットカイズでもうウルフがタキシード着るのもうゾクゾクしながら見てたから。
もうフェティズムのど真ん中に。
いやでもねあのバットカイズのウルフのタキシード姿の方がシルエットは良かったですね。
それは確かに等身がね。
そんなめちゃくちゃバリバリかっこよくみたいな感じにされてもなーというのはあるので、あれぐらい親近感わけぐらいがいいなっていう。
確かにだから逆に本作2になってこれができたことでそのもちろんこの構造としてのあるいは歴史としてのその差別誌というか、
あるいは長友とされている透明化の歴史みたいなものをあるいは社会のそういった部分を描くことができながら二人のイチャイチャで続けられるっていう。
結構稀有なシリーズになりつつあるんじゃないかこれっていう。
そうなんですよね。もういくらでも作品作れそうというかもうテレビシリーズでもなんない作ってくれよみたいな感じじゃないですか。
もうちょっとシャーロックホームズみたいにしてもいいんじゃないぐらいな感じですもんね。
そうなんですよね。もうここからは愉快な二人の事件簿じゃないですけど、全然やれるじゃないですか。
社会問題の描写
囚人も200人脱走したことですしみたいな。
ちょうどよく。
200人分話作っていいんですよみたいな。これあれですね、バチカンのエクソシストも同じようなロジックになるんですけどちなみにこれ。
確かに。
バチカンのエクソシストも実はこういう感じになるっていうのがあるんですけど。
ちょっとそれも思い出しましたね。
でも囚人200人逃がすのはあの功績でも打ち消せないですよね。総裁できないよなって思って。
いろいろ想像をやらかしたんですけどね。このホンちゃんの事件にする前のやらかし、あれもだいぶ対外ですよみたいなとこあるので。
だいぶ帳消しできてるかなって言うとちょっと難しいとこあるんですけど。
それよりもだいぶゴシップ的な扱いを二人されそうだなと思って、ちょっとそこだけが懸念ですかね。
やめてくれよっていう。
名誉回復のためのちょっとね。
あとラストラストね。
あ、鳥っていなかったんやみたいなのも。
やっぱ鳥かって思い浮かびちゃいましたけど。
どうなるんですかみたいなっていうか、よりまたこう世界が複雑化するというか。
あとこれどの種族までが人権があるのかみたいなっていうか、ちょっと気になるとこですよね。
今のとこ虫と魚には人権がないのは分かってるんですよ。
そうなんですよね。
虫と魚には人権がなさそうだなって思って。
そうそうそうそう、食べられてたし。
で、鳥は今回というか次何かしら出るだろうということが決まったので、
じゃあ両生類あたりいかがですかみたいな。
カエルっていましたっけ、いないですよね。
いないですね、まだいないです。
両生類はどうでしょう、どちらですかみたいな感じ。
ただなぁ、両生類ってバリエーション少ないんだよなぁ。
そうですよね、カエルとオオサンショウオオ、サンショウオオとみたいな感じですか。
そうですね、カエル、オオサンショウオオ、アシナガイモリの3択ですね。
3択しかないのか。
はい。
あとイルカ陸上にいたじゃないですか。
はいはいはい。
あ、いましたね。
あ、やっぱ海洋哺乳類はOKだけど魚はダメなんだみたいな、シビアな線引き。
うんうんうん。
まあまあまあみたいなね。
ちょっと思ったのは、イルカ言葉通じないんだなってちょっと思いましたけど、
イルカとオオサン、言葉通じないんだと思って。
やっぱ言葉の差はちゃんとあるんですね、あの世界も。
そうなんですよ、そこら辺も超シビアなんですよ。
そうなんだよな、掘り下げていったらどんどんシビアさが出てきそうだなっていうのはありますよね。
そう、たぶん声打ちがギリギリ言葉を回避するぐらいなんじゃないか、もしかしたらっていう。
ギリギリでしたけどね。
途中やりとりわけわかんなかったですよ、ボボボボボみたいな、ボボボボボみたいな言い合ってるときに何言ってんだろうなって思いましたけど。
あと鳥、あ、移民ネタですかみたいなことになる。
そうっすよね。
ですよね。
渡りという習性もあるし。
空から羽が来たってことは渡り鳥じゃないですか、もう。
うんうんうん。
あ、移民ネタですねみたいな。
そうですね、移民というと難民とかそういうところも入ってくるそうな感じもしますね。
全然あり得る。
そう、新しく受け入れるんですかどうなんですかみたいな対応されるのかなみたいなことは起きそう。
そうですね、爬虫類はネイティブだから。
じゃあ移民は難民はどうなるのかっていうのはね、またね、あの世界の差別意識が爆発すると思うんですよ。
作品の完成度
でしょうねー。
あ、それ描いてくれるのかすごいな、Zootopia。
やれます?センシティブどころじゃないですよ、マジで。
いやでもやってくれなきゃ困るんだよな。
うんうん、ここまで来たら。
もうZootopiaにはもう地獄のような窯の中で理想論をぶち上げるっていうね、タスクをやってほしいんで。
どんなにキレイごとでもキレイごとを言うっていうね。
そうですね、いやこれ改めてディズニーなのすごいよな。
僕は結構傑作だなと思ってはいるんですけど、話していくうちにその奥深さがわかってきた感じがします。
そうですね、ちょっと今回の話を聞いてこう話していく中で、あ、ちゃんと良かったじゃんみたいな。
っていう風に、なんか一作目と比べたらちょっとみたいな感じで言ったらちょっと恥ずかしくなるみたいな。
でもまぁまぁまぁみたいな。
ちょっと一作目があまりにもエポックメイキングだったからこそっていうのがあるというか、
その世界をちゃんと正当に拡張した続編っていう感じなので、
それはインパクト面では負けるってそりゃそうなんですけど。
完成度やったらやっぱ1だと思うんですよ。
2はやっぱり社会の描くボリュームが増えたことによる良さだから、
1作目の奇跡的なバランスのものとはちょっと違うものにはなってるかなって気はしますかね。
なるほどな。これから1作目見ます。レンタルはしたんで。
1作目も面白いですよ本当に。
いやちょっと楽しみになりました今日話して。
はい、ではそんな感じでZootopia2の話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話しさすぎるバー次回開催日は12月20日土曜日になります。
場所は大阪南森町週間曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品向けてご自由にお送りくださいませ。
そして2025年ベスト映画の投票も募集しております。
2025年公開配信の作品から1作品を選んで投票くださいませ。
締め切りは12月25日木曜日中にお送りいただけたらと思います。
前回まで曜日は間違ってました。
25日木曜日中にお送りください。
バーの最新情報を次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。
各言論や番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第242回Zootopia2の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
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