今日のテーマトークは、災 劇場版です。
はい、ではマリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。
2022年の長編レビュー作、宮松と山下で国内外から注目を集めた監督集団。
5月の関雄太郎と平瀬健太郎が監督・脚本編集を手掛け、
同作でもタッグを組んだ香川照之が主演を務めたサイコサスペンス。
25年4月から5月にかけてワウワウにて放送された連続ドラマW、
災の劇場版で、各話完結の全6話を大胆に再構築し、
交わることのない6人の日常に紛れ込んだ1人の男がもたらす災いを描く。
家族や進路について悩む女子高生、ある過去を抱えた運送業の男、
ショッピングモールの清掃員と利用士、不才を抱える旅館の支配人、平凡な主婦、
彼ら6人のささやかな日常は突如として不可解な災いに襲われる。
警察はすべて自殺や事故として処理するが、刑事の胴元は妙な気配を感じ取り事件の真相を追う。
6人の災いの周辺にはある1人の男が紛れ込んでいた。
男は性格も顔つきも変えて全くの別人として6人の前に現れ、彼らに災いをもたらしていくのだった。
胴元刑事を中村安、胴元の同僚刑事を竹原ピストルと宮近海斗、
災いに見舞われる人々を中島瀬田、松田隆平、内田地下、藤原季節、二郎、村野、
社会いまきがそれぞれ演じた。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では沢居の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、前回大石さんがオープニングトークで語られていたので、
それを聞いてすごいどんな映画なのかなって楽しみにしててたんですけど、
なんとなく予告編見た時はキュアっぽいのかなと思ってたんですけど、
でも確かにそのっぽさもあるんだけど、キュアっぽさもあるんだけど、
キュアとはまた違う嫌な怖さを頑張って作り出してるなっていうふうにすごい思いました。
で、ある種その災いというか、
誰しも突如として死が訪れるというか不幸が訪れるみたいな話を描くために、
結構いろんなところで因果を外そうとするっていうことにかなり力を入れている映画だったなというふうに思って、
映画ってどうしてもやっぱり巡り巡って因果がっていうふうなものとして仕上がってしまうことがどうしても多いと思うんですよね。
伏線がどうだとか、こういう展開があったから最終的にこうなったよねっていう因果みたいなのがあると思うんですけど、
なるほどね。
だからこそ、なんか血肉が通ってないなっていうふうに思われてしまうと、なんだよってなる。
まあ現にその百花とか八番出口はそうなってる人もいるなっていう。
まあ分からなくはない、その気持ちも。
結構露骨に嫌っている人を僕は周りにいますんでっていう。
まあそれはいいなと僕は思ってるんですけど、おっしゃる通りだなっていうふうに僕は思ってますけど。
あまりにね、こう他人事としてやりすぎだなと思うんですよ。
この仮にも人が死ぬっていう重い内容のはずなのに、デザインっていう手法だけでやりきっていいんだっけみたいな。
みたいなことも思わなくもないんですよね。
因果が繋がってない、ストーリー的な必然がないまま人が死ぬ。
でも映画としてはむちゃくちゃ必然にのっとって人が死んでいくわけじゃないですか。
そこをもうなんかゼロ、百でやりきってるから、その感覚の癒さはすごいわかるなと思いますね。
そこまで完全にコントロールされたものをいいと思いたいわけじゃないみたいな反発を感じるとこはあるっちゃあるんですよ。
でも今回の題材だったら全然アリになっちゃうなっていう。
だってシステマティックじゃないですか、ある意味。
あの人がなんか周りにいたら誰か死ぬっぽいっすねみたいな。
誰かわかんないけどっていう、そこは因果がないんですけど。
ただすごいもう容赦がなくそうやって進んでいく感、もうベルトコンベアに乗せられてる状態ってないですかね。
で、そういうことが起こっちゃう、良くないことが嫌なことがっていうものとしてはめちゃくちゃハマってると思う。
なんかそこで人間の温かみがどうとか言い出したらちょっと待ってくんねみたいな風になるだけであって。
今回に関してはめちゃくちゃそれは最適なんじゃないかなというふうに思いますけど。
最初から最後まで徹底してドライですからね。
この監督集団5月ってもともとちょっとこの前のオープニングでも少し話したんですけど、
佐藤雅彦さんの研究室から出てる人たちなんですよね。
この人はわかりやすくピタゴラスイッチ作った人なんですよ、NHKの教育番組の。
あれって数学とかアルゴリズムみたいなものをどう教育番組の中で見える化してお届けするかっていう話をずっとやってる。
あの人の研究室でずっとそのメディア論をやり続けてる人だと思ってるんですけど。
この今回の際っていうのももうピタゴラスイッチのように人が死ぬなって思ってて。
ピタゴラス放置のようにというか、球が転がれ始めてそこに行き着くべくして行き着いてるみたいな感じ。
そういう不条理をどうしようもないものとして受け取りたいっていうのはむちゃくちゃ理解できるけど、
それを警察側が口にしたらダメじゃないかっていう。
確かにそうですね。
で、しかも彼女は殺人事件としてそれを疑ってるわけでしょ。
殺人事件に対して、これじゃまるで災害みたいじゃないっていうのを、警察倫理としても最悪ですよ。
ちゃんと止めに行けやって思うから。
だから、僕彼女だけ本当ノイズ。
特にあのセリフが本当ノイズ。警察は警察としてちゃんとやり切れと思うから。
あそこだけ役割によってあのセリフを与えられてるから、急に脚本目に見えるやんみたいな。
まあ確かに。
ドラマシリーズにした時に、あの存在がいないと本当にドラマが閉まらないってなったんですかね。
確かにね。意味分からないですからね。
本当に日本の全く繋がりのない場所の年代も違うものを繋げる、狂言回しですよねっていう存在。
だから多分どうしてもそこだけはないと映画としての因果を作れないっていうので、どうしてもいるものだったと思うんですけど、
じゃあもうちょっといい導入で入ってきてほしいな、その因果はっていうのはあるのかなっていう感じですかね。
まあちょっとドラマ版を見てないので何も言えないんですが。
でも多分ドラマ版最初回にあれがあったか最初にあれがあったかどっちかですよね、多分ね。
だと思います。
一応なんかこれwikipediaになんとなくそのドラマのこととか書いてたんですけど、
各登場人物のあらましみたいなとかこういうことになりますよみたいな書いてたんですけど、
映画ではそこ全然書いてないやんみたいなことたくさん書いてるから、え、そうなの?みたいな。
ちょっとドラマのネタバレを見ちゃったんですけど、映画を見てなかったんですけど。
え?みたいな感じではありました。
もうちょっとストーリーが書かれていた。
書かれてるし。
へー。
なんかこれ間違ってるかわかんないですよ。
wikipediaに書いてたのでびっくりしたんですけど、
あの後松田龍平死ぬんだなっていう。
あ、そうなんだ。
嘘みたいな。あ、そうなの?みたいなって思ったんですけど。
そうなんや。
だから映画としてああいうアレンジしてるのはやるじゃんと思ったんですけど逆に。
確かに。
本当にこの人が死ぬと思ってたのに死ななかったが一番衝撃だったので。
じゃあもうちょっとドラマは少しストーリー的因果が、
それないとさすがに一時間のドラマにはならないですよね多分ね。
おそらく思うんですけどね。
だから本当このサイという物語をドラマから入るか映画から入るかで結構見え方がらっと変わる可能性があるなというふうに思って。
僕は映画から入れてよかったのではないかと思いますけど。