今日のテーマトークは、『みなに幸あれ』です。はい、では解説、大石さんお願いします。
はい、映画.comより、誰かの不幸の上に誰かの幸せが成り立っているというテーマをした時期に、
とある村を訪れた若い女性が、この世界の得意な成り立ちに疑問を抱き、
得体の知れない恐怖に対峙する姿を描いたホラー。
祖父母が暮らす田舎へやってきた看護学生の孫は、祖父母との久々の再会を喜びながらも、
祖父母や近隣住民の言動にどこか違和感を覚える。
祖父母の家には何かがいるようだ。
やがて人間の存在自体を揺るがすような根源的な恐怖が彼女に迫り、
偶然と想像、12人の死にたい子供たちの古川琴音が孫、役で主演を務め、
20歳のソウルの松田井子屋が主人公のそのなじみ役で共演。
一般公募のフィルムコンペティション第1回日本ホラー映画大賞で大賞を受賞した
清本優太監督による同盟短編をもとに、
清本監督が商業映画初メガフォンを撮り、長編映画として完成させた。
日本ホラー映画界の巨匠清水隆が総合プロデュースを手掛け、
みんなの歌の門田留美が脚本を担当。
はい、ではここから内容に触れる話入っていきたいと思いますので、
ネタバレ気にされる方がいらっしゃったらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では沢井の感想、今回も僕から聞かせてもらいますね。
ちょっと僕いつも皆さんの意見聞いてから自分の意見整えて喋っているのはちょっとずるいなと思ってたんで。
私もね、私がトップバッターはきついなと思ってます。
ちょっと順番いじりながらやってみます。
僕もちょっと結構日の意見3人変えたりしてたんで今まで。
そうなんですか。
というか、微調整してました。
なるほど。
空気温で微調整してたんで、ちょっとトップバッターでいきますね。
まず、やりたいことは分かるし、言いたいことも分かるんですけど、
ちょっとね、なんていうか、えぐいことにえぐいことを積み重ねたら別にそれがホラーとして怖くなったりとか、
あるいは面白くなったりするわけじゃないんじゃないかなって気がしました僕は。
ちょっとあまりになんていうか、えぐさにえぐさの足し算し続けてて、
ちょっともうなんかあんまり意味が通ってないように感じたっていうのが正直なところです。
まいださんいかがでしたか。
ホラー表現としてはすごく優秀な作品だったんじゃないかなと思います。
ただなんかこの作品のテーマになってる誰かの不幸の上に誰かの幸せは成り立っているっていう、
このテーマ自体はすごく面白いなって思うんですけど、
ちょっとこのテーマをうまく調理できてたかって言われたら、
そこがちょっと引っかかっちゃうとこかなとは思いました。
まりょんさんいかがでしたか。
そうですね、映画のパッケージングという意味において、
みんなやれそうなパッケージだと思うのに、なんかみんなこれやらなかったよなっていう思いがすごくしていて、
それをなんかいち早くできたっていう意味で、
結構それはいいことかなっていうふうにはちょっと思ってますね。
初監督でここまでやれてっていうので。
そこは結構こういう映画がちゃんともっと作られるようになったらいいなっていう意味で応援はしてるんですけど、
映画の内容自体は別にそんな好きじゃねえなっていう感じというか、
こういう感…なんて言うんですかね。
なんかこう…なんて言ったらいいんだろうな。
見ながら僕思い出してたのは、
エヴァンゲリオンの新劇場版のQを見てるときの感覚にめちゃくちゃ近かったんですよ。
そうなの。
僕の中でですけど、周りの大人が誰も何も説明せずに、
やんごとなっきことに巻き込まれて、
なんかお前責任取れやみたいなこと言ってくるみたいな感じ。
って言ったらいいんですかね。
なんかそれを見たときの、あぁムカつくわこの感じっていうのがすっげえイライラしながら見てましたね。
なんかまぁやりたい意図とかはわかるんですけど、
ムカつくなこいつみたいな感じがずっとしながら見てましたね。
劇中で語られるそのなんて言うんですか、
幸せで誰かの不幸の下で成り立ってるみたいな論理とか、
誰かが犠牲になればいいだとかのそういうくだりっていうんですか、
言いたいことはわかりますけど、
そういうのを世界の真実だよみたいな感じで言ってくる感じなのは基本嫌いなので、
まぁこういう感じにはなるなっていう感じですね。
大石さんいかがでした。
たぶん山口さんの感想に近いかなって気がするんですけど、
確かにホラー表現としては怖いし、目をつむりたくなる瞬間もたくさんあるんですけど、
なんかそれがお話につながってるかって言ったらそうじゃない感じがして、
何の説明もなくそれがただただ気持ち悪い表現としてそこら中に浮いているだけなものを見てるというか、
コントだったら別にいいんですけど、不条理コントとかだったら。
ただこれホラーなんで、僕のホラーの定義が違ってたらすいませんって感じなんですが、
なんかずっと話の辻褄というかな、このシーンいらねえなって思いながら見ちゃってたというか、
なんかぶつ切りっていう印象がすごい強いっていう感じですね。
こういうテーマだよっていうのは確かに新しいし、日本ではあんまりないテーマだなっていうことを思いつつも、
そのテーマってみんな口で語るんですよ、この映画。
それを演出でやるのがホラーなんじゃねえのってちょっと僕は思ってしまって、
それこそ例えばジョーダンピールのアースみたいに、社会性を持ったホラーって多分いろいろあるじゃないですか。
たしかに日本でJホラーでそれが少ないよねってのもそうだよねとも思いますが、
それは言葉で口で語るんじゃなくて、多分演出で語るべきものなのではっていう気が僕はちょっとしてしまって、
そこがいまいち乗れなかったなあっていう感じでした。
はい、ではお便り3ついただいてますので紹介させていただきます。
マリムさんお願いします。
はい、ボーンイエさんからです。
誰かの不幸の上に誰かの幸せは成り立っているという考え方があることもわかるけれども、
不特的だけれども確かに生きている誰かの犠牲でこそ成り立っている究極の世界観は理解しがたく、
田舎ホラーの極地のような作品でした。
冷静に考えれば誰かの血が含まれた味噌汁を絶えず飲み続け、
それを切らしたら体はおかしくなるだろうよとは思わずにはいられず、
例外を許さない絶対的なカルト宗教的価値観が根底にある作品でしょうか。
ホラーソムリエの前田さんはいかに評するのか気になって眠れません。
あ、私の家族が廊下の隅っこで天井を見上げている。
はい。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
あれですね、ボーンイエさんも実家帰ったら怖い思いするタイプの感じなんですね。
家族に対する心境が。
あんまり帰りたくないなっていう感じなんですかね。
前回の映画バーの時に本作の評判というかどういう作品かっていうのをその時初めて聞いて、
実家帰るのが怖くなる映画っていうのを聞いて、
なんかちょっと面白そうやなって思ったんですけど、
そもそも基本実家って帰ったら恐ろしいことが起こる場所ではあるんですけどね。
そろそろ結婚しねーのとか嫌な思いをする場所じゃないですか。
実家って。
そうですね、なんか年を取るごとになんか実家に帰るのかみたいな気持ちになっていくみたいなのはありますよね。
親が置いてたりとかね。
その実家っていう題材自体がおもろいなとは思いました正直そこ。
で、カルト的な価値観の作品、田舎ホラーとしてっていうお話なんですけど、
田舎ホラーってやっぱり名作多いじゃないですか。
僕がパッと思いつく限りでもミッドサマーとかウィッグアーマンとか。
ミッドサマーとウィッグアーマンはちょっと本作に近い部分はあるっちゃあるんですよね。
生贄の話なので。
ただまぁ本作別にカルト、カルトではあるのかな。
カルトでもないんだよな。
カルトでもないんだよなっていうところが怖さをどう感じたらいいかよくわかんなくなるところで、
ただひたすらによくわからないそういう人たちだけにしか見えないから、
怖がるための基準ラインがないなって思ってたんですよ見ながら。
もうただ意味のわからない人たちじゃないかと思って。
どうしたらいいんだろうって思いましたね。
だからそこもわかんないんですよ。どの立ち位置なのっていう。
お前のせいで家族全員死ぬじゃないかみたいな必死さもないから別にそのあの街に漂ってるルールが濃いわけでもないんですよね。
だってもうそのルールに主人公が苦しんでることはあの家族楽しんでるから。
お前の考えが甘いからこうなったんだぞって嘲笑いたいだけだから。
なんなのその主人公をバカにしたいのかそれとも自分たちがちゃんと生きたいのかどこってなってもうその話つながってないんですよ。
その瞬間瞬間これをやりたいってことを継ぎ履きしてるから別に何かつながってないんですよ。
つながってないからどう怖がっていいかわかんないんですよ。
その瞬間画面に気持ち悪いなって思うんですけどなんか精神的な道筋がないから別にきもいなって思うけど怖いなって思えないんですよ。
だって怖いなって思うための道筋が立ってないからって思いました。
僕はなんかそこのなんていうんですかね家族のなんか全然怖がってなさそうな感じ必死そうじゃない感じの。
けどなんかすごい誰かを嘲笑ったりみたいな感じの振る舞いというか老悪的な振る舞いをする感じは僕なんか多分これ僕で思い出したのはソノシオンの映画っぽいなって思ったんですけど個人的にはなんとなく。
ああいう感じに振る舞いたい感じみたいなのがなんかソノシオンっぽい感じが個人的には結構したくて。
なんかそのムラホラー的なというかミッドサマーっぽさはなんかちょっとアリアスターっぽいけどなんかそのちょっとロアックさをとにかく詰め込めました感はなんかソノシオンっぽいって感じがちょっと個人的にはしてましたね。
タイトルの出方もめっちゃあれこれソノシオンの映画だっけみたいな気持ちも確かにしました。
確かに。
感じしません?あの第一とか。
確かに確かに。
って個人的には思いましたね。
あのタイトル見た瞬間あれ?なんか思ってた温度感と違う作品始まるぞっていう予感がしたからあんな情やわと思って。
なるほどな。
多分ねそもそもなんですけど空欄に入れるのが幸せと不幸じゃないと思うんですよね。
幸せとか不幸の定義って何なのっていうところがやっぱりちゃんと定まってないからあの辻褄が合わなくなっていくというか。
もっとあの利益不利益だったらわかるじゃないですか。
でも幸せと不幸ってちょっと違うそれこそ他人から客観的に定義できるものじゃないと思いますし。
なんか例えばその病気の話とかでどうしてもその誰か一人の血がずっと必要だとかっていう落とし込み方だったらあのもうちょっとすんなり話が回ったのかなと思うんですけど。
ちょっと途中であのアフリカの子供の話とか出てきたときにツイッターの人みたいなこと言うやんとか思って。
あーそうそう。
確かにめちゃくちゃ思いました。
この作品の価値観ツイッターですよ。
ツイッターそうそうと思います。
世の中には誰かが犠牲にならないとダメなんだよとかっていうのをしたり顔で言う奴らですよ。
この作品を構成しているマインドは。
なんかあの主人公に対してあなたみたいなお花畑な人がさとか言ってくるじゃないですか。
僕他人に対してお花畑っていう人間めちゃくちゃ嫌いなんですよ本当に。
だってあの作品の中で一番戦ってた主人公じゃないですか。
お前たち暗中してるくせに何を人のことは花畑扱いしてんねんて。
そもそもお花畑っていうのを別称に使ってること自体が嫌すぎるんですけど僕は。
もうなんかそのレベルで作品一本成立させようとしてるとこが僕すっごい苦手なんですよねこの作品。
なんか人間感がちょっとあまりに踏み込めてなさすぎではと思って。
そうなんですよね。本当にあのおっしゃる通りというか。
本当ツイッターの冷笑系みたいな感じのマインドが通停してる感じがまあまあ嫌だよね。
嫌いだなって思うというか。
それで映画作るのは別に構わないしいいんですけど。
これを映画を出しに使ってそんなこと語り出すやつが出てきそうだから嫌っていう感じ。
もう嫌すぎる。
絶対出てきますよ。
こういう映画でもこういう感じのよって言ってたようにみたいなこと言い出しそうなやつ。
いそうなんで。
そういう奴らにこうくさびを打っとく意味でもこの映画のこと嫌いって言った方がいいな。
いやでも一方でこの底の浅さってわざとやってんじゃねえかなっていう気持ちもあるんですよね。
そうそうそれはそう。
浅いし浮っ面だけじゃないですか。
でもそれってあの価値観そのものがそうだからっていうのはあると思うんですよね。
もうなんか目先のことばっかりじゃないですか本作って。
それこそがまあそういう冷笑的な価値観そのものなんじゃないかなって気がせんでもないんですけど、
じゃあ別にそれをやったからといって作品として出来が良くなるわけでもないんだよなっていうのはありました。
まあでも初めてだしな初監督だからなみたいなと含めるとまあよくやったなっていう気持ちになるというか、
結構僕この作品自体はそんな好きじゃないですけど監督には結構シンパシーを感じていて、
僕とそんなに年齢変わんないのと出身が福岡なんですよね。
今回舞台は神田福岡でしたけど。
北九州じゃなかったですか。
そうそう北九州ナンバーでおこれじゃ福岡の話じゃんって思って。
いや街にからし明太子の上り建てがあったじゃないですか。
九州ってなって。
そうなんですよ。だからまあすごくなんかああそうなんだって思ったんですよね結構。
でその僕はその映画のパッケージングはいいと思うっていう話したと思うんですけど、
そのまあA24がやりそうなホラーっていうことなんですけどそれは。
なるほどね。
でもそれなんて言うんですかね。やろうと思えば誰かできるはずだったと思うんですよ。
その商業的に今一瞬で活躍されてる人でも。
けどそれが今まで出てこなくて、その僕と同世代ぐらいの人がようやくそういう映画を一本撮って、
まあそれが結構邦画では初めてぐらいじゃねみたいなパッケージングの映画ができたっていうのは、
なんかそれはすごい好ましいことだなっていうふうにすごく思ったんですよね。そこは。
今後ねそういう映画が増えてきてやったとしても、まあそういう中の一個ねみたいに思うと思うんですけど、
それをやっぱ初めてやれたってことはまあそれは勝ちでしょ。運がいいことやなってすごい思うというか。
それはなんかすごくいいことだなって思ったし、あとなんかネットの記事かなんかで読んだんですけど、
あんまホラー映画見たことない人みたいでやったんですよ。
えーそれすごいな。
なんかそのいわゆる悪魔の生贄だとかゾンビだとかそういうまあホラーの晴天になるものあんまり通ってきてなくて、
でどっちかっていうとやっぱりそのジョーダンピールとかA24のホラー映画みたいなのを通ってきてみたいな感じの人らしくて、
なんかそこも僕近いなって感じに思っていたというか、僕もあんまホラー映画そこまで通ってきてる人じゃなかったので、
だからそこがすごく勝手にもうあのおこがましいっていうかなんかもう身勝手極めにないですけど勝手にシンパシーは偉いているっていう感じがすごくして。
すごい。新世代のホラー作家じゃないですかそれ。
いや言わせてもらっていいですか。
え、はい。
私ねそこがね本作が一番間違ったところだと思ってて。
ほうほうほう。
はいはいはいはい。
あの別に監督がホラー映画通ってないとか全然関係ないと思うんですけど、
あのA24目指すべきじゃないんですよホラーは。
ほうほうほうほう。
いらないのよそんなの。
あのねこれね、
そうやってA24とかジョーダンピール寄りの作品になってるから今ここでこんなボロカス叩かれてるのであって、
これちゃんとホラー畑にちゃんとはまってたらもうみんなもっと優しくて温かい評価が待ってたのに。
あーなるほど。
いや私はねその基本的にホラー映画にそんなに社会派なテーマとかいらないと思ってるので。
常々言ってますよねそこはね。
その社会派なテーマの作品にホラー要素を入れてるんだのかその逆なのかそれをはっきりまずさせてほしいんですよね。
うんうんうんうんうん。
そこは私はそのホラー映画として怖さを突き詰めるのであればちょっとそれはあのあんまり意識してほしくないなっていうのがあって、
だから、もともとおかしいじゃんってなるんで。
むしろ一般の人、一般の人っていう区別もよくないんだけど、あの街では一般と呼ばれてる人を引いて、もうみんながもう慌てるためにやべえ人殺しちゃったみたいになってるのに、
あ、オタクの。あ、じゃあごめんなさいねっていう感じでボルテージが一気に下がる方が怖くないですか。
だから初めからずれてるから、楽さがないから怖くてならないんですよ。
もう初めからもうおかしい人にしかなってないから、そういうとこがなんか足らんなっていうのをずっと見ながら思ってて。
まあしかも、あんな見通しいところでてもらって。
確かにね。
主人公も気づけよっていう。
感じだし、そもそもあの状況がよくわかんないですからね。
なんか、何あいつをホタホタと歩かせてんだお前らみたいな感じですけどね。
何がしたいんだっていうのがよくわかんないですからね。
あとあれ閉じ込めてる人ってあの街の人なんですよね。
だってあの中学生の男の子も僕なってもいいですよとか言うし、最終的に幼なじみの人を閉じ込めちゃうじゃないですか。
だからともすれば、あの街の人たち自分があの立場になりかねないんですよ。
だからミッドサマーみたいによそからさらってくるとかじゃないから、
まあさらってきてもいいよっていう案は出してましたけどね、街の人が。
でも割と手短にもう近場で済ましちゃうじゃないですか。
えっそれでいいのって。
普通にじゃあ次自分の番っていう疑心暗鬼になるのではみたいな不安を覚えたんですけど、
まあそういうとこもないんだろうなと思って。
なんかそのルールが設定されないまま細部を詰めてないから、
なんかわかんねーし怖くなんねーっていうのがずーっと続いていく感じが。
わかんないし、けどイライラだけが募るっていう感じですよね。
説明してくんねーしよこいつらよみたいな。
本当にシンジ君みたいな気持ちでしたよ。大人ってさーみたいな感じがすごいしましたけどね。
ノリ的にはどっちかというとファニーゲームとかに近いかもしれないです。
怖いというかムカつく。こいつらが全員ムカつく。話通じなくてっていう。
古川琴音が自分の目を縫うシーンは、
あそこ良かったですよね。
特殊メイクにしても一歩間違えたら目傷つけへんみたいな。
普通に目への攻撃ってやっぱりきついものがあって、
しかもあのシーン結構しっかり長く見せてたんで、
あそこは一番テンション上がりましたね。テンション上がったときはふーって。
大事なシーンですしね。自分の意思で自己犠牲をすることは無理だってなる。
すごい大事なシーンだから、良いですよねあそこ。
まあ無理だろ、そりゃあって思いますけどね。
僕は触りの感想でエヴァンゲリオン9みたいだなって話しましたけど、
穴がけっこう間違ってない感じがちょっと話を見て、映画を見た時に思ったのが、
やっぱり周りの大人たちが何も説明してくれなくて、
どんどん理不尽な状況に追い詰められていって、
唯一理解してくれる人は死んじゃうわけですよねっていう感じって。
エヴァ9でカオルくん死んでもめちゃくちゃ絶望的な状況に陥って、
本当に絶望のどん底に叩きつけられたシンジ君みたいな気持ちになるよねみたいな感じになってて、
すごいエヴァンゲリオン、穴がけ間違ってねえじゃんみたいな感じがちょっとしたというか、
自分の中でですよ、こじつけですけど。
最後の捉え方がちょっとよくわかりにくいんですけど、
結局元の世界に帰っていってって感じ。
あれをどう捉えていいかにもよりますけど、
彼女はあれを受け入れたんだということだと思うので、
そういう意味では本当に新エヴァンゲリオンの最後ちょろっとだけみたいな、
ラストシーンだけくっつけましたみたいな感じにも見えるなというか。
本当はあんなことあったらめちゃくちゃ精神崩壊するじゃないですか。
シンジ君もヘトヘトになって農業やってようやく回復するわけですよ。
そのシーンばっさりカットして、ラストの駅から出ていくシーンに大きくくっつけたみたいな映画だなと思いました。
最後、本当に医者と結婚するんやと思いました。
家族が提示した幸せを受け入れていくんですよね。
だからその陰に不幸な人がいたとしても、
自分の幸せだけを大切にしようっていう風になったってことですよね。
でもその変化の差をつけるのが、
横断歩道を渡る老人を手伝わないか、手伝うかの差っていうなんて些細な差なんだろうと思いました。
それでそんな大きな差を表現するのはちょっと無理筋ではと思って。
確かに横断歩道を渡る老人を手伝いするのはめっちゃどうということですけど、
それを手伝わなかっただけで、
まるでこの世界全ての闇に飲まれたかのような悪口を表現するのは無理だろうと思って。
しかもあの老人を冒頭で助けた時に、なんてことを言うんだってことを言うんじゃないですか。
あれもなんか、うん?ってなるんだけど、
結局その後何もなく最後に渡れてきて助けられるから、
あんたもそっち側の人なの?みたいな。
そうですね。結局あの世界全部が狂ってるなっていう感じがあるなって。
多分そういうことなんでしょうけど、結論としても。
むしろそれを出さずに、ラストでこっちも狂ってたってなる方が怖いかなって気もするんですけどね。
こういう余白とかまこそ良いんじゃないかっていうのも待ち相撲なんじゃないかって思いがちょっとそれを見て僕の中に生まれたんですよね。
なるほどなるほど。
私なんかそういう意味では私余白弱者やと思ってるんですよ自分が。
それこそホラーにおいてはなんて言うんですかね、わかんないことが怖いからいいやんみたいな思ってますけど、
普段このラジオで取り上げるような作品でも、普段自分があまり見ないジャンルの作品とか見たときに情緒が全然理解できないとか、
ちょっとみんなが喋ってることをどこで読み取ったみたいなことだらけなんで、基本的に多分余白のことをわかってない人間やと思うんですけど自分が。
でもなんかそのそこに対するフォローっていうのはあった方がいいなって思うんですけど、
全部の役を埋める必要は絶対ないじゃないですか、そのフォローが存在すればいいんじゃないかなっていう。
それを知りたいと思ったときに知れる手段があるとか、だからその紙の本じゃない手段があるとか、
違う手段も作っていこうよっていう動きの方がいいかなと思ってて、だからそのわからなかったら後で、
でもしそれが気になるんだったら人と話したり何かを調べたりして自分の中で補足していくってこともあり得ると思うんですけど、
なんかそこはなんていうのかな、しかもその捉え方も正解もなくて、
もともと何もないところにあなた方が勝手に意味を見出している可能性もいっぱいあるわけじゃないですか。
何でも代入していいですよっていう箱だと思うんですよね、やっぱ余白ってそこに。
ある程度答えはあるかもしれないけど、そこにいろんなことを代入して、
そういうことだったかもしれないっていうふうに思うみたいなことはあるんだけど、
何というかその文学とか流れがわからないことで、それをゼットするのがまちぞも的だっていうのはわかるんですけど、
じゃあわかんないからじゃあわかんねーやーで、止まりがちなの方が嫌かなって感じですかね、僕なんか。
何というか、そこからもっと掘っていこうとしないんだとかっていうところの方がちょっと結構、
そのまちぞも的なところもあるのかもしれないですけど僕が、
けどなんかそこで止まっちゃう感じがまあそもそもなんか嫌やなっていうのはめちゃくちゃ感じたりはしますかね、
そういう話を聞いたりするときって。
それこそその前田さんがおっしゃったようなその余白を埋めるというか、
当てがう作業が例えば僕らみたいだったら自分の人生に当てはめて語るとかってよくやってるじゃないですか。
もちろん全員が全員それができる必要はないと思うんですよ。
ただ確かに僕ら自分のことなんかある種棚上げしてるみたいでちょっとあれですけど、
探しに行けば確かにあるって状況を作ることがむしろ大事な気がしていて、
なんかそこにそれこそ年末の宮崎駿のドキュメンタリー見てても思ったことですけど、
作り手側が答え出すのは多分なんかちょっとねじれてるなって気がして、
どちらかというとやっぱり読み手側がいろんな解釈があるよねっていうのを、
要は正解がなくてそういう解釈ができるよねって埋めていく作業をみんなでやっているっていう、
それを開かれた場所でやるっていうことが多分大事なんじゃないかなって気がして、
もちろんそれが自分の中ではできないから楽しめないって方もいらっしゃると思うし、
それはそれである種の価値観だと思うんですよ。
ただ一方でそういう人がある種人の感想を見引きする中で、
徐々に徐々にさっき筋肉って言いましたけど、
その筋力が鍛え、筋力というか自分なりの心の動きみたいなのが出てきたりもすると思うんですよね。
それは多分対話の先にあるものだと思うんですよ。
だから僕はやっぱりそれを信じたいっていう、ある種待ち相撲っちゃ待ち相撲なのかもしれないんですけど、
でももうその待ち相撲はちょっと受け入れたくなってしまうというか、
例えばだったら僕ら側からこういうこと僕あるんですけどどうですって話を振ってみるとか、
たぶんそういう人が目の前にいた時にですけどね、
僕なんかあの作品からこういうことを感じたんで、自分の人生だったらこういうことを重ねたんですけど、
どう思いましたみたいな、そういうことありませんかみたいな感じで、
そこの余白を一緒に埋めていくって作業ができたら理想論ですけどね、いいのかなっていうのはちょっと思ったりもしました。
そうですね、だからまず前提として、
感性の問題と能力の問題をちょっと混同するのはちょっと危険な気もするので、
一旦そこは分別して考えるべきだと思うんですけど、
それはそれとして分からないっていうこと、
それは読み取れないっていうことと解釈できないっていう段階もあったりすると思うんですけど、
その段階に限らず、何というかお互い埋め合って補完していくというか、
やっぱりそれ、映画の話をすることなんかなってちょっと思うんですよね、そこは。
ちょっとまあ自分がこう何か映画とかフィクションとか芸術を解釈する時に、
ともすればマッチョになりがちなんじゃないかなっていう思いがあるからこそ、
じゃあ読み取れないなっていう時に、でもその範囲内で感じたことはどんなんですかとか、
純粋にこれってこういう意味なんでこういう話ですねっていう風な補足をするとか、
うまく言えないけどそういう風になれたらいいなとは思うんですよね。
それこそ横断歩道を渡る時にお手伝いするようなことができたらいいなとは思うんですけど、
何の話をしてるんですかね、今。
なんかすごい、全然違う話になってすいませんちょっと。
何の話でこうなったんだっけっていう、映画の話じゃなくて、この映画の話してなかったっていう、すごい。
この映画に予約がなさすぎるがあまり生まれた議論。