今日のテーマトークは、アンダー・ザ・シルバーレイクです。 はい、ではマリオさん、解説をお願いします。
はい、映画.comより解説を読ませていただきます。
IT FOLLOWSで世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、白草リッチ、沈黙、サイレンスのアンドリュー・ガーフィールド主演で描いた
サスペンススリラー。セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街、シルバーレイク。
ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。
サラの行方を探すうちに、いつしかサムは街の裏側に住む陰謀に巻き込まれていく。
私たちは誰かに操られているのではないかという現代人の恐れや好奇心を、幻想的な映像と斬新なアイディアで描き出す。
サラ役にマッドマックス・怒りのデスロードのライリー・キーオ。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいたら是非見てから聞いていただけたらと思います。
ではサーリーの感想、マリオンさんいかがですか?
そうですね、あのー、
まあ山口さんの捏ねつるには負けちゃうんですけど、僕もめちゃくちゃ好きなんですよアンダーザ・シルバー。
僕も結構言う、あんまりこの番組では言うでないかもしれないですけど、結構好きって結構言ってる側の人間なんですけど、
改めて見てね、やっぱ好きっすねっていう風になりましたね。
やっぱもう、これが本当に主人公がティーンエイジャーだったら爽やかな青春映画になるんだろうなって思うんですけど、
もういい歳した大人がこれやると本当に目も当てられねえみたいな。
っていうのがね、もうね、痛い痛いっていうか。
本当あの劇中に登場する陰謀論とかポップカルチャーとかの、
そこに対するその情熱とかロマンみたいなものに、ある種どっぷり使ってる身からするとやっぱりちょっとね、
グサグサ刺されちゃうなぁというのがやっぱりありますよね。
自分は本当特別な人間じゃないって気づくまでの泥沼のような足掻きを見せられて、
おいおいと、もう気持ちわかるぞみたいな気持ちになったりしますし、
本当にもう陰謀論とかに染まってる人、本当に目も当てられなくなったりもするし、
あとソングライターと出会うシーンのね、もう本当お前らの信じてるもの、ほんましょうもないからなっていうのを突きつけられてる時、
一番もう本当なんか頭グラングランするというか、でも本当そうなんだよなぁとかすごい思わされて、
なんか本当に、いやもう、このカオス、もう訳のわからなさ、でもなんかすごく真意を捉えてかなさない青春映画として、
もう本当に僕この映画大好きっていう感じですね。
結構マリオンさんと出会った初期にこの映画の話してたんですよね。
そうですね。
映画ファンの集いで。
そうですね、はい。
あの本当に、あそこでの喋ったの、めちゃくちゃみんな熱かった思いがあるんですけど、
めちゃくちゃ大盛り上がりした思いがあって、なんかみんな刺さってるじゃんというか、みんなこう適度にこうこじらせてるのが面白くて喋ってるのが、
もう本当にすごい面白かった思いがあるんですけど。
はい、大井さんいかがですか。
僕多分この映画劇場で1回見てて、実はその時はそこまで刺さんなかったというか、期待値を超えてこなかった感がすごかったんですよ。
っていうのも多分、いわゆる陰謀論みたいなものをどう描いてくれるんだろうって、
多分そこに期待したら、まさに主人公と同じ期待を抱いて映画館に行っちゃった人間だと思うんですよね、僕は。
うんうん。
で、その先にあるのって、まさに空虚というか現実じゃないですか。
そこを多分受け止めきれなかったんだと思うんですよ、当時の自分は。
その現実だったり、あるいは自分自身の特別じゃなさというかしょうもなさを自分で認知するできるほど年を取ってなかったんだろうなって思うんですよ。
だから、この映画のことを多分受け止めることを拒んで出てったような記憶があるんですね。
だから結構、映画のストーリーとかも自分の中で、今回見返したんですけど、見返すまで曖昧で、
ラストはあのソングライターじゃなかったかなぐらいの記憶でとどまってたりして、それが強烈だったからだと思うんですけどね。
で、今回改めて見直して、この映画を受け止めるためには自分は年を取ることが必要だったんだなってことを学んだというか。
今の自分なら彼のことを受け止められるなって、映画を見てて思いました。
若い頃の自分にとってこれは劇薬すぎたんだろうなというか、これを受け止めてしまったら多分自分の生きる意味を失うぐらいに
自意識が高かった。まあ、ザラランドで自分のことだって思ってる人間なんで。
なんかその自意識が邪魔をしてたんだなってことに、もう今年で30になるんですけど、30になって初めて気づけたので、
いやこのタイミングで見返してよかったなっていうのをすごい思いました。
なんかそれこそ本当カップルズとか見て、今日それこそ見直してここに収録望んでるんですけど、
見てる間ずっともうサムみたいなことしてましたよ正直。
映画見るって僕らのとってもうこうじゃんっていうことを、
なんかこんな風に滑稽に、そしてでもその先のに虚無しかないかもしれないよって描かれることを、ようやく受け止められるようになったなというか。
それでもやるんだよっていうのを受け止められるようになったなというか。
なんていうんですかね。ようやく自分は大人になれたんだなってこの映画を見て思いました。
はい、そんな感じです。
はい。僕はですね、さっきあげなかったんですけど、本作も見返したんですね。今回コロナで寝込んでる間に。
で、やっぱり好きだなと思って。僕にとって本作って、タクシードライバーとかファイトクラブとかに該当する作品なんですよ。
本当に。で、もうなんか自己善否定を通じて義理肯定するみたいなことをしてくれる映画だなぁと思ってて、本当に好きなんですよね。
改めてめちゃめちゃ本作大事だなって思い返したのと、あと本作公開確か2018年だったと思うんですけど、
2018年当時に比べて陰謀論っていう言葉の聞こえ方もだいぶ変わったと思うんですよね。
で、本作で描かれてるようなことって、僕もうちょっと昔って都市伝説って言い方してたと思うんですけど、
なんか都市伝説っていう言葉が使われること減ったなっていう感覚があって、
伝説じゃなくてそういう理論というか、現実に紐付けたものとして、より世の中がそういう物語を使うようになったんだなっていう感覚があるんですよ。
で、本作ってだいたい舞台2010年代前半のはずなんですよね。出てくるスマホがiPhone4かiPhone4sぐらいなんで、
だいぶ2010年代でも前半のはずなんですけど、やっぱりそういった陰謀論みたいなものの扱われ方もだいぶ変わったと思うんですよね。
その頃から比べて。 今って本当にインスタントに陰謀論って接種できちゃうじゃないですか。
SNSとかショート動画とかで、あとポッドキャスト、アメリカだったらポッドキャストだと思うんですけど、そのインスタントに自分を肯定してくれるものじゃない、
なんかまだ一昔前のギリ陰謀論を追いかけるために自分の足を使わないといけなかった時代に対するちょっと統計みたいなものあるなって思ったんですよ。
なんかその追っかけたはずに自分を肯定してくれない可能性があるもの。 その差が本作にはあるなっていう。
だからやっぱ自分の足を動かしたから、そういう自分を甘やかしてくれるだけのものではないものにたどり着いちゃうっていうのもあったんじゃないかなと思って。
だって陰謀論って本来的にあなたは特別ですと。 あなたは特別だし肯定してくれるものじゃないですか陰謀論って。
でも本作って違うんですよね。否定するしお前は特別じゃないって言ってくるもんだから、多分今世の中にありふれている陰謀論とちょっと違うんですよね。
でもなんかその自分の、たとえそれが無茶苦茶な理論だとしても、自分が今まで培ったものを全力で使って必死こいて足使って追っかけた果てに、
なんかどこにもたどり着けなかったとしても、でもそれがお前の人生だよっていう。苦いけどねって言ってくれるラストだなと思って。
なんかその甘えかすための陰謀論じゃなさっていうところがやっぱり僕本作のすごい好きなところだなっていうのを思いました。
っていう感じです。
ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。 では1通目大石さんお願いします。
はい山本さんからいただきました。 こんにちは大好きな映画アンダーザシルバーレイクが取り上げられると知り嬉しくなってご連絡させていただきました。
この映画を初めて見た時の感想は意味がわからないでした。 しかしなぜか心に引っかかり何度か見返すうちに徐々にその奇妙な魅力に引き込まれていきました。
美女の失踪、大富豪の死、ハリウッドと陰謀論、バンドとレコード、同人誌、ヒッチコックの墓、カートコバーンのギター、ゲーム雑誌、そして地下施設。
これらをめぐる冒険にはどうしようもなくロマンが詰まっていて隅々まで身が離せません。 この作品は映画レビューサイトの評価も低めで意味不明、長いといった感想を目にしますが、
そういったよくわからない存在の映画自体にもロマンがあるのではないでしょうか。 アンダー・ザ・シルバー・レイクにそんな不可解さを飲み込んでしまう魅力を感じます。
一方で私は陰謀論やオカルトは好きですが、あくまでフィクションとして楽しんでおり信じているわけではありません。
主人公が陰謀にのめり込んでいく様子をどこか滑稽で冷ややかに描く監督の距離感にも共感を覚えました。
ちなみに映画のパンフレットにはストーリーや元ネタの解説が丁寧に掲載されています。 読むことで作品の解像度がぐっと高まるのでお勧めです。
とのことです。 はい、ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。
いやー、意味不明ですよ、本作。間違いなく。
あの、別にこれなんでっていうのは説明できないですよね。 あの、袋女とかなんでって言われても説明できませんけどみたいな感じなんですけど。
袋女、マジで意味わかんないですからね。 意味わかんないっすねー。
なんか不気味だったねーみたいな。 劇中出てくるのがあとあれですよね、犬殺しとか。
もう、なんか怖いよねーそういうのみたいなのが、本当にあるかもねーみたいな匂わせるぐらいしかないっていうかね。
ともすれば、主人公の妄想って言っても多分差し支えないぐらいのバランスだから。
なんか、真実がどこかって多分考え始めると、この映画すごく無意味なものになっていくなーっていう感じはしますよね。
そうですね。 その、信頼できない語り手っていう言葉があるじゃないですか。
主人公が言ってることとか、主人公が見てるものがいまいち信用できないストーリーテリング、小説とか映画とかってあると思うんですけど、
本作もまあもちろんそれに該当すると思うんですけど、あとなんていうか、その信頼にそもそも値しないっていうのがあって、こいつの言うことはそもそも信用する気にならんみたいなのが大前提としてあるのが、
そもそも何で追っかけてるんだっけみたいなのもよくわからないと思うんですよね。
人へのアバンチュールみたいなことが起きそうになったっていう、それをちょっと実現させようみたいな、そういうスケベ心にも見えるけど、にしてはなんかどういうことですかねみたいにもあるし。
本作モチーフとして7国は明確にあると思うんですけど、マクガフィンっていう概念があるじゃないですか。
ストーリー内で追いかけるけれども、結果的にそれの中身が何であるかっていうのが意味を持たないアイテムみたいなもの。
昔で言うとマイクロフィルムとか、なんかの鍵みたいなもの。あるいはちょっとオカルト的なアイテムとかっていう。
でも本作ってそのマクガフィンとしてもよくわからないというか、そのマクガフィンって見てる我々がそれが中身が何であろうとも追いかける価値があるよねっていうのを信じながら、それに乗っかって映画を見てたりすると思うんですけど。
こっちがその価値を信じられないものがマクガフィンとして働いている映画だから。
なんでですか?みたいな。一瞬だけでもそれの乗り物に乗れてないんですけど、みたいな。
私なんかマクガフィンないのに無理矢理作ろうとしようとしてる人の話ですよね、4日間。
そうですね。
僕の人生にはマクガフィンがあるみたいな。ないんだけどね、みたいな。
世界はマクガフィンを与えてくれないんだよなーっていう。
っていうことを突きつけられてますよっていうね。
はい、次のお便り行きましょうか。
はい、ではマリオさんお願いします。
はい、ペインさんから頂いてます。初めてメールお便り送らせて頂きます。ペインと申します。
映画の話ししたすぎるラジオさんのポッドキャストは、映画を掘り下げる深さに毎回監視しながら楽しく聞かせて頂いております。
今回のテーマはアンダー・ザ・シルバー・レイクということで、これまでもよく話に挙がっていたと思いますし、私もすごく好きな映画なのでお便りさせて頂きました。
私は劇場で2回観ていまして、1回目は公開時に観て、2回目は惜しくも閉館してしまった京都南海館のルーキー映画祭という特集のオールナイト上映で観ました。
こちらの上映はウェス・アンダーソンやアレキサンダーペインなどの初期作を上映する特集で、早々たる顔ぶれの中でデビット・ロバート・ミッチェルの監督作、3作、アメリカン・スリープオーバー、イット・フォローズ・アンダー・ザ・シルバー・レイクがオールナイトで上映されました。
オールナイト最後の朦朧とした意識の中で観た本作は、ふわふわと地に足つかない物語も相まって不思議な体験で、とても思い出深いです。
さて、映画の内容についてですが、本作は古くからあるハリウッド残酷夢物語でありつつ、くすぶった若者の青春物語の最新版でもあり、陰謀論という今日的なテーマも含まれていて、色々な観点で面白いと思っています。
語り方も謎が多く、虚実曖昧なところはサムの内面を追記体験しているようですし、ダークな話になりそうなところをどこまでもポップでアッパーに描いているのは独特な感触で面白いです。
特に陰謀論については、その後の深刻な情勢を考えると少し先取りしているようにも思います。
これほど都合よく物事を繋げて解釈できることに唖然としながらも、そこまで追い詰められてしまう真理もわからないでもないという感じがしました。
本作の好きなシーンに、あらゆるヒット曲を作った男と遭遇する場面があり、ここは陰謀論でよくある、物事の裏に黒幕がいるという言説の口頭無形さを端的に描いていると思いましたし、
自分が人生を捧げたカルチャーが実は空虚なものではないかという恐れにも思いました。
デビット・ロバート・ミッチェル監督は、仮作ですか、個人的には毎打席ホームランを打っているように思うので、自作として予定されているフラワーベイルストリートも待ち遠しいです。
色々と語りがいのある本作、皆様のお話を楽しみにしております。まとまりのない文章ですみません、超分析いたしました。
これからも皆様のご活躍を応援しております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
おそらく直接お会いしたことがあるペインさんでいいんじゃないかなとは思うんですけど。
だと思います。お知り合いですね。
はい。デビット・ロバート・ミッチェル監督の、この京都南海岸のオールナイト、多分僕も行ってたんですよね。
お、なるほど。
いいな。
だから多分同じ劇場にいたと思います。
行きたかったんですよね、これ。
僕、デビット・ロバート・ミッチェル監督本当好きで、ずっとウォラトリアムの終わりを描いてる監督なんですよね。
確かに。
それが、ハイスクールに入るタイミングだったりとか、あるいは若者の自意識が大人になることに目覚めるタイミングだったりとか。
あるいは、このフワフワしてるフリーターみたいなやつが、これ終わるなっていうことに気づくとか。
そればっか言われてるなっていうのが。
本作、アメリカン・スリープ・オーバーに出てた女の子出てるんですよね。
アメリカン・スリープ・オーバー、劇中で上映されてますからね。墓場で。
あー、そっかそっか。あれそうなんですね。
墓場で上映してる野外上映が、アメリカン・スリープ・オーバーなんですけど。
実際のアメリカン・スリープ・オーバーの映像じゃないんですけど。
あ、そうなんですか。
じゃない、じゃないです。確か。
今回のキャストで演じ直してる一番目みたいな感じです。
それは知らなかった。
ちょっと勘違いしやすいんですけど。
劇中で自分の映画の上映会やってるみたいなのが流れるっていうか。
それも一種のある種、夢を打ち砕く設定として秀逸だと思うんですよね。
どういうつもりであの女優さんキャストしてるんでしょうね。
結構ひどい話だと思うんですけど。
あんな映画に出てる女優さんが実は?みたいな。売れない女優たちというか。
本当にハリウッドってそういう夢がくすぶってる街っていう感じだと思うんですけど。
でそれを本当に明るく、明るくというか。
すごくロマンチックに描くならララランドになるし、
本当そのニコゴリだけを集めればアンダー・ザ・シルバーレイクになるっていうか。
そうですね。
それこそララランドで映ったグリーンズ天文台とか。
同じところで映ったりしますよね。
タイミング的に同時に撮ってるとは思うんですけど、
ララランドと本作って。
なんか当てつけたみたいになってますよね。
それこそ確か公開当時の宣伝文句の中の一個に闇版ララランドというか。
そんな言葉があったような気が。
キャスティング的にも結構当てこそり感あるというか。
劇中でも出てきますけど、アメイジング・スパイダーマンの当てこそりがすごいというか。
あるじゃないですかやっぱり。
カタヤ、エマ・ストーンはララランド出て、
アノリ・ガフィルドはこっちに出て、アンダー・ザ・シルバーレイク出てっていうか。
で劇中、陰謀論メイター同人誌と一緒にアメイジング・スパイダーマン買ってるとかもありますけど。
あれわざとでしょって感じですよねって思うんですけど。
絶対このキャスティングでの当てこそりですよねみたいな感じがしますよね。
この時点だと2人と別れてますよね。アンドリュー・ガフィルドとエマ・ストーンって。
あーそうなのかな。かもしれないですね。
どのタイミングだったかな。
なんかそういう見方もしちゃうんですよね本作。
確かに。
なんかいいっすよね。モラトリアム終わりのアンドリュー・ガフィルド本当に好きで。
わかるー。
ティックティックブーンとかでも大好きだったんですけど。
わかるーそうよねーっていう。
なんかなんだろうもう完全に僕らのアンドリュー・ガフィルドって感じがしてるんですけど勝手に。
なんなんすかね。地に足つかない感じが絶妙に上手いというか。
なんか声裏返るんですよね。声上ずるというか。
あの感じのなんかうまさなのかななんて言ったらいいんだろう。
あってんなって感じはあるんですよね。
あとなんか絶妙に走り方ダサかったりとかね。
その辺がちょっと幼稚に見えるのがすごい魅力的なんですよね彼。
やっぱちょっとナイーブなとこがすごいハマるというか。
ナイーブであるからこそすごい思い悩む人であるみたいな感じの役に結構ハマると思うんですよね。
それこそサイレンスとかも確かにそうもうめちゃくちゃ大いに悩んでくださいみたいな感じの役ですし。
なんかそういうのがすごいハマる人だとは思うんですよね。
本作の陰謀論の取り上げ方。さっきも言ったんですけど、実際の陰謀論とはやっぱ微妙に違うとは思うんですよね。
やっぱり自分を特別扱いしてくれないし、自分を肯定してくれない陰謀論なんでちょっと変なんですよね陰謀論として。
むしろ逆なんで陰謀論って。
だからなんて言ったらいいのかな。
うまくは言えないんですけど、結構シビアな手段を選んでやってんなっていう。
やり方変ですけど、自分の手と足でやってるんですよ全部。
スメルズライクティーンスピリットを引っかくシーン、僕ゾクゾクするんですよね。
彼を一番動揺させるのはニルバーンなんですもんね。
お前が信じている反対性のアイコンであるカートコバーンも俺が生み出した原影ですって。
すごいですよね。
それこそあのシーン見て思い出したのが、僕はジュラシック・パークがすごい好きなんですけど、
ジュラシック・パークってなんで撮られたかってエピソードが結構残酷なエピソードが一個あって、
スピルバーグがシンドラのリストを撮りたいと。ただ撮るためにはめちゃくちゃ金がかかると。
じゃあ資金集めために映画一本作るかって撮ったのがジュラシック・パークらしいんですよ。
俺が感動してるのはスピルバーグが金集めのために作った映画なのかってちょっと思って。
結構ありますよね。本来撮りたい映画があって、そのためにこの映画を作ってるみたいなやつ。
その系統で言うと、確かバトルシップも同じ流れで作ってたはずなんだがっていう監督、ピーター・バーグって確か。
みたいなのを思い出したりしたんですけど。ありましたよね。めっちゃ。
神聖でもなんでもねえよみたいな。
そこね、全部好きなんですけど、ニル・バーナとバックストリート・ボーイズを並立させるわけじゃないですか。
いやーそう、あれいじわるだよなー。
サム絶対あれの嫌いというか見下してるんですよ。サムカル側の人間だから。
絶対そう。
絶対見下してるあれは。
そこで、いや一緒なんですよーっていう。
ね。
いやー、それであの、ギターで彼の頭をボコボコに殴るんですけど、頭蓋骨の中が空虚というか、空っぽなんですよね。
そうね。
何も詰まってないんですよ、そこには。
どんどんね、魔法が解けていくっていう。
もうね、その瞬間がもうね、ゾクゾクしちゃうというか。
もうなんか、ほんと映画見てる時ドMだなって思うんですけど、こういう時に言うと本当に。
そうっすよね。だって僕らその魔法を信じて映画見てるんじゃなかったっけっていう。
いやそうなんですよ。信じて見てたんじゃなかったのってなるんですけど。
信じてるんですけど、同時にお前のやつしょうもねえよとも言われたいんじゃないですか、みたいな気持ちが。
僕は同時に成立し得るというか。
それをマジで叶えてくれてる映画だなって思うんですけど。
いやでも、それでもポップカルチャーの力はあるって信じて行動してるとこは、やっぱそうならざるを得ないっていうのもあるんでしょうけど、ちょっと何ていうか分かるなって思っちゃうんですよね。
もうこのフレークのおまけについている地図がファミリーコンピューターマガジンのこの地図と重なってテテテテーって。
いやもうあのシーンは本当に楽しそうだなって思いましたよ。しかもそこで重ねる地図がゼルダの伝説じゃないですか。
謎解きの象徴なんですよね、彼にとっての。
そう。本当はそこも本当よくて。
そこなんみたいなのもあるんですよ。よりによってすがるのそこなんみたいな。
そうですね。もういい加減そこにすがるのはやめようやっていうのにもう最後まで乗っかっていくじゃないですか。
いまだにあの年で俺はリンクだみたいな感覚であんな冒険というか陰謀論にのめり込んでいくので良くないよみたいな感じですし。
その言った果てに待ってるのってまあ本当の意味での幻想との決別って感じがしましたけど。
ちょっと結構最初に戻りたいんですけど、本作って匂いって結構大事だと思ってるんですよ。
ロサンゼルスの東はスカンクがいるから臭いみたいな話が冒頭であって、
あの時ってまだサム自身の匂いじゃないんですよね、あの時点だと。
周りに忍び寄ってきてる何かの匂いなんですけど、あるタイミングから統治者になるんですよね。
具体的に言うとスカンクを食らって自分が臭い側になるんですけど、
それと合わせて本作ってちょこちょことホームレスが出てくるっていうのがわざと出てきてると思うんですけど、
あれって自分が負けた側の存在であるっていう自覚だと思うんですよ、あの匂いって。
それは周囲から歧視されたり、あるいは女性にモテなかったりとかそういうものでもあるし、
そういう見なりとか何もできなくなってしまう側に自分が今落ちていってるっていうその感覚なんじゃないかなって見てて、
ずっと匂いの話って出てくるんですよね、妙に。
たしかに、言われてみればそうです。
あんまりこの匂いとかについてこうめっちゃ注目して見てなかったんですけど、たしかに言われてみればそうだなって思います。
それこそ匂い描写で言うと、パラサイトとかもすごい匂いの話結構象徴的に出てくるじゃないですか、
あれもある種貧乏の象徴というか、言い方変えれば敗者の象徴としての匂いですもんね。
あと敵とかの匂いって結構重要だったりとか。
そうだ、たしかに。
そこに関わってくるのはやっぱり成功してるししてないっていうのもあるしやっぱりモテもあるんですよね。
サムって初っ端からずっと女性のことをずっと意識してるんで本当に。
コーヒーショップに並んでる時からもう店員の女の人のことをジローって見てたりとか、ずっと女の人のことを見てるんですよ。
オーディションかなんかで女の人が集まってるとこ行った時に、なんか臭くない?みたいに言われた時も、スカンコ多いからねみたいな感じで、
俺じゃない、俺じゃないっていう。
俺のことじゃないっていう。
そういうのがずっとある人間なんですよね。
でもなんか関係はモテてるのは結構不思議だなと思って見てて。
そこはルサンチマンとして出ないというか、でも多分深くは関われないっていうのもあるんだろうなと思いつつもなんですけど。
多分ね、20代はモテてたんじゃないかなって思ってて。
で、なんかその女性には困らないし、ハリウッドの街を遊んで暮らせてる、なんかよくわかんねえ、あの街にうごむいてるたくさんの人たちの中の一人であったものが、
なんていうかそのイケる若さ貯金が切れてきて、あれゲームオーバー近いぞっていう、匂い忍び寄ってきてるぞっていう。
その匂いに飲み込まれたら俺はハリウッドの上には登っていけないぞっていう、下に潜る側になっちゃうんだぞっていう、そのタイムリミット際際の話。
というかタイムリミットはもう来てるんだけど、気づいてない話だと思うんですよね。
なるほど、なるほど。
そうですね、なんかわっ、そっか、きつそうだんだなーって、そうだなーっていう。
そういうところ、匂いって映画に表現できないものなので、そこを入れ込むとちょっと違う軸が生まれるなって思うんですよね。
あ、そっか、今臭いんだとかって言われることで気づいて、そこにちょっと微妙な奥行きが出るというか。
そうですよね。ある意味セリフで表現できるといえばそうですし、まさに映像に映らないものだからこそっていう。
てか逆に言えば僕ら自身が認識できないものだからこそってことだと思うんですよ。
自分の匂いってわかんないじゃないですか、自分では。
でも、まさにパラサイトでも確かそうだったと思うんですけど、その染み付いた匂いは人にはすごくよくわかるんだけど自分にはわからないっていう、
もうメタ認知ができてない自分の象徴のようにも捉えられるじゃないですか、それって。
そうですね、確かに匂いって存在してる時って必ず誰か言及してる時ってことになるから。
そうそうそうそう。自分ではどうしても自覚できない、絶対に切り担けないものだから。
それって自分の痛さそのものでもあるっていう風に捉えられますよね。
あと、追っかける女性がライリー・キーホーっていうのが僕はずっといいと思っているんですけど、
なんでしょうね、すっげえいいなって思ってるんですよね。
何なんでしょうね、ミステリアスとはちょっと違うのかな、何だろうな。
何でしょうね、ヒチコックの映画に出てくる金髪の美女ってやばいぐらいミステリアスだし、神秘化されてるんですよ。
ヒチコックのブロンド神話というか、神秘の象徴として金髪の女性を使ってるっていうのもあるらしいので、ヒチコックに関しては。
ただちょっとなんか生なんですよね、ライリー・キーホー。生っぽいんですよね。
象徴化されきってないものっていう、粘り気みたいなものがある存在として描かれてるなっていう感覚があるのと、
あと、なぞらえられてるのはやっぱりマリリン・モンローっていうのはあると思うんですけど、
ブロンド神話の日本柱、ヒチコックとマリリン・モンローだと思うんです。
いいんですよね、あれが。
ある意味振られたからこそっていうのもありそうですしね。
そこの金髪を求めるという至る真理っていうのは。
もうめちゃめちゃヌネマキみたいな格好でナイトパーティー出てますからね、あそこ。
あれほんとね。
お前そういうとこだぞって言うね。
本当に水墨らしくなっていくというか、
車、劣化したら引っ張られてるとことかもあいつの見栄みたいなものじゃないですか、車ってやっぱり。
あれが剥ぎ取られていくっていうか、そういう映画としても流れとしてもすごく意味のあるシーンだなってちょっと思ってるんですけど。
そこにこれ見逃しに男性機描かれてますからね。
そうです。
やっぱね、主人公自体が別にいいやつではないじゃないですか。
子供ボコボコにするしみたいな。
彼の特別じゃないっていうところにどんどん気づかされてる話としてはすごい好きで、そこにはすごい共鳴してるんだけど、
人としては別に本当に好きでも別になんでもないみたいな。
ところがこの映画の味わい深さだなと思ってるんですよね。
ちょうどうちのラジオで若干話した話ともすごい通じるなと思ってて、
男ってプライド捨てられるのかって問題でもあるなと思うんですよ。
それまで育て上げてきたプライドというか、なめられたくないとか、あるいは勝ち組でいたいみたいな、
そういう形で自己肯定してきた人が、それをいざそうじゃないっていうのを現実を直面した時に、
それを受け入れられるの?っていう話だと思ってて。
最後まで見ても、ちょっとそこは僕らに結構委ねられてる気がしたんですよね。
少し捨ててるようにも見えつつ、でも結局最後にセックスをして終わるっていうところもあるから、
現実を受け止めたようにも見えるけど、でもちょっと自分のいいところでプライドを保ったようにも見えるっていう気がしてて。
僕もそうかなって思ってるんですけど、
ラストって本当に自分がなりたかったものとかになるのは捨てて、
多分アパートの向かいの中年女性の部屋に転がり込んで、おそらく紐として生きようとしてると思うんですよね。
それは彼が今まで捨てられなかったプライドを捨てることができて、そこにたどり着いてはいるんだけど、
やっぱなんかちょっと態度存在だし、あとその自分が去った元自分の部屋を向かいから見て、
大谷さんが部屋に来てあのでっかい暗号が書いてあるのを見てブチ切れてるのを見てニヤニヤ見てるんですよ。
いや俺はその意味知ってるけどねみたいな感じでニヤニヤ見てて、やっぱりその守るプライドは全然まだあるとは思うんですね。
彼の中になんかその負けて転がり落ちていったとしてもその転がり落ちた先でまた別のプライドを作って、そこに巣を張る生き物なんだなって思ったんですよね。
プライドを全部捨てられる人っていないと思うんですよ。
誰かに負けてこのプライドは捨てました。
でもその下のところにまた別の巣を掘ってプライドっていう城を建ててるのが男っていう生き物だと思うので、
彼はもちろんその向かいの中年女性の部屋に転がり込んだけどそこで新たな別のプライドを立ててると思うんですよ。
で、また世の中をニヤニヤニヤニヤ見てるんだろうなと思うんですね、あいつらは。
僕も近いっちゃ近いんですけど、プライドを完全に捨てるっていうのは無理だと思ってるんで、
とりあえずラストでなんとか自分の身の丈にあったようなぐらいの義理のプライドは丸く収めたみたいな。
その前はずっとすごい高いプライドがあってボッキリ折れて、ようやくそこがちょっと先がとかって丸めて、ようやく自分のちょうどいいぐらいのプライドに整えられたみたいな感じがしてたんですけど。
プライドは捨てられないよなっていう。
三月期みたいなもんで、虎になってもプライド捨ててるわけじゃないんですよね。
そう思うんです。
プライドいう風に虎になってるわけですからね。
そうですね。
でもやっぱ高すぎるプライドみたいなのはできれば高くなりすぎず、程よいものに収めたいなっていう思いはやっぱありますね。
だから一回気づいちゃったそれをもう一回建て直す、プライドの城を建て直すためにはあれだけ痛みが伴うんだっていう映画にも見えるんですよね。
ニルバーナ尊厳破壊みたいなことされてますからね。
そうそうそうそう。
本当に戻っちゃうけど、あれが一番辛いって。
カートコ・バーンって彼にとってキリストみたいなもんじゃないですか。
いやもうまさにそうですよ。
なっても生きていかなあかんねんなっていうのが、そこが好きなんですけどね本当に。
だから僕はあのシーンショックすぎて、あれをラストだと思ってたんですよね。
そう結構前半なんですよ。
中盤行くか行かんかぐらいなんですよね。
確かにもうちょっとありますもんね。
今日だから僕見返してびっくりして、あれこれラストじゃなかったっけって思って。
その先に人生が続いてる映画だったんだこれって思って。
自分に置き換えるんだったら、深海誠になっちゃうわけですよ。
こんなずっと深海誠深海誠って言ってるわけですよ。
もう彼がカートコ・バーンのこと話をしてるみたいなのとほぼ一緒なわけですよ。
やっぱりアンダー・ザ・シルバー・レイクを見てめっちゃ共鳴できるのって、
やっぱり僕の中で深海誠を卒業すればならぬって思いがずっとあるんですよ。
深海誠という作は本当にあれなんですけど、そこにとらわれるんじゃないってずっと言ってる人ではあるんですよ。
秒速5センチメートルとかにしても。
その前が明らかにデカい呪いすぎてそういうわけいかねえんだよって話があるんですけど。
ある種未練を断ち切っていく話でもあるんですよね。
踏切の先を越えないということだったりとか。
その辺をもうちょっとわかりやすくしたのが君の名のラストだったりするなと思ってるんですけど。
なのでそれってやっぱり、ある種卒業すればならぬっていうことを言われてるような作品かなってずっと思ってて。
なんかそれを完全に取り去ることはできないんだけど。
けどそこに端的しすぎもせず生きていかなきゃならんよなっていうのはずっと思ってるっていうのがあって。
だから多分あのソングライターのシーンめちゃくちゃ好きなんだろうなっていうのはありますね。
僕だからその対局というかそれを実践してる人が地下に潜ったブロンドの彼女だなって思うんですよ。
地下に潜ってこれからもう日の目を見ることはないけどそれを受け入れてるわけじゃないですか、サラって。
それってサムが現実は残酷だけどそれを受け入れて生きるのとほぼ同義だと思うんですよ。
だからなんだろう、あそこですごいマクガフィンとして、あるいは理想像として見てた彼女が現実を受け止めてるっていう瞬間を見て、
俺もそろそろやらなきゃダメなんだなって自覚できるようになったんだなっていうふうに結構素直に思えたというか。
あそこすごい、あそこ僕2番目に好きなシーンというか、ソングライターのシーンが僕大好きですけど、その次に好きなシーン、あの2人の邂逅だなって思ってるんですよね。
ちょっとパリテキサスっぽくもあるし。
確かに。
僕の好きなシーンで、あと僕的には本作のすごい大事なシーンだと思ってるシーンで、悪い言うとドローンで女の人の部屋覗くシーンなんですけど、
モデルで抜群の体してるんだよとかって言ってドローンで人んちの部屋覗いてて、実際めっちゃスタイルいいんですけどその人。
ただ泣き崩れるんですよね。それを見て2人ともなんか帰ろうかみたいになって帰るっていうのがあって、結構僕すごい大事なシーンだなと思ってて。
それかじり三部ってずっと女性のことを自分の都合で見てたんですよね。ずっと。ずっと覗いてるしあいつ。双眼鏡を使って向かいの部屋とか覗いてるんですけど、
今回もドローン使って覗いてるんですけど、本当の本当に食らってるのを見て、なんかその痛みに共感しちゃって引いちゃってるっていうのが結構印象的で、
多分彼女が感じた絶望ってもしかしたら三部も似たようなことがあったかもしれない。全く同じではないかもしれないですけどね。
女性なんでもしかしたらセクハラみたいな目にあったかもしれないけど、何か自分が目指してたものの夢がつい得た日なのかもしれないみたいな。
それは俺もあったかもしれないなみたいな、ずっと他者として見てた女性に対して自分と共感してしまったみたいな瞬間なんじゃないかなと思って。
結構そのフィッチコックでいうと、裏窓とかもずっと他人の家覗いてる話なんですけど、裏窓のジェームズ・スチュワート主人公ってずっと他人事として見てるんですよ。
向かいのオールドミスは今夜も孤独で大変ですなみたいな感じで、ずっと他人事として見ててこいつエーセ隠そうなみたいな感じのやつなんですけど、
サムはやっぱりちゃんと痛みに共感しちゃう人間ではあるんですよね。
だからこそ暴走しちゃってるというか、他人の痛みに共感できる人間だからといってそれが別に優しさには繋がらないっていう。
むしろ彼はその繊細さ故に他人に対して偏狂な人間になってしまってるとさえ言えると思うので、
でも彼なりの他者に対する共感みたいなのがあって、それは後半に向けてちょっとツルがなってるシーンだと思うんですよね。
フェーズが、彼の中での心境のフェーズが変わるシーンだなとも思ってて、
彼が大人になるための第一歩と言ってもいいかもしれないんですけど、大人になった果てにやってることひもになろうとしてるからこいつってなるんですけどね。
映画の先がどうなのか全然描いてないですしわかりませんけど、お願いだからちゃんとショクぐらいは見つけてほしいぜって思ってますよ、本当に。
自分の身の丈にあった仕事をね。
華やかな世界にちょっと読されすぎちゃうのも良くないというかね。
自分の思い通りというか、何も物事は運ばないし、そんな甘美な甘い嘘みたいなのはないんだよねみたいな。
っていうのはちょっと本当にちょっと、そこにすがりたくなる気持ちを大いにわかるか、でもないんだよねってことはちょっと肝に銘じておかないといけないよなっていうのはちょっと考えてしまいますね、いつもね。
さっき言ってたラスト、向かいの部屋を見てニヤニヤ煙草吸ってるシーンなんですけど、今回見て僕結構あのシーンに感情移入したとこがあって、
これまでは俺が信じてきたポップカルチャーはこの世界の秘密につながってるんだっていう、その一縷の望みに追っかけていって、結果何でもなかったですみたいな。
意味ありませんでした。偉い奴が勝つだけの世界でしたみたいな。お前はそのルールに全く何の関与もできてませんみたいなことを思い知らされて、何もなくなりましたってなってるんですけど、ただあの謎の暗号みたいなのは彼は読み取れるんですよね。
なんかその別にそれを知ってることがこの世界の秘密とかこの世界の価値につながってなくても、俺は知ってるけどねみたいなのに一縷の何というか寄りどころがあるっていうのは、そうやってなんか僕にとっての本作やなと思って。
皆さん、アンダー・ザ・シルバー・レイクの魅力お分かりになりませんか?私分かりますけどねみたいな感じで。実際それは何にもならないんですよ。まさに幕画品なんですよ。
でもその幕画品って僕が人生かけて必死に追いかけてきた映画好きですとかポップカルチャー好きですっていうものを全部預けた上でのアンダー・ザ・シルバー・レイクが好きですなんで。
で別にそれが誰かのものでもないしこの世界に何の関係もなくても自分にとってアンダー・ザ・シルバー・レイクは価値がある映画ですっていうことだけは確かにここにあってそれに少しギリギリ満足しながら生きられてるっていう自分やなと思って。
たしかになー。いやあるわーそれ。あるわー。
安いプライドなんですけど、安いプライドなんだけども、なんかその意味のなさ価値のなさも含めてそれを抱きしめなければこの先どこに行けるというのかっていう。
いやそうですよ。ほんとそうだわ。別になんか大いな何か重要な意義があるとは思いませんが、けどそこに込める何かその僕だけがこの何かを知っているっていう感覚というかね本当にそのこれだけを熱く語れるとかなんか深く惚れるんだみたいな情熱はめっちゃかけがえのないものだと思う。
そのスメールズライクティーンスピリットをソングライターが金儲けのために作ってようが、あるいはもしかしたらカートコバーンが金儲けのために作ってようが、でも俺はニルバーナ好きなの俺がっていう。それをそれをよりどころにしなかったら何が残るのって話なんですよ本当に。
ポップカルチャーなんてもうゼロですよゼロ。本当のゼロ。たしかにな。だからいくらスピルバーグが金儲けに作ったってもジェラシーパーク好きって言っていいのか。そうなんです。もうそれを言うしかないんですよ。
そうですよね。そこのなんか情熱というか、何でしょうね。無駄な情熱って言いたいんですか。それこそが、やっぱどれだけやれるかっていうのが本当にやっぱ大切というか、そこにはやっぱめちゃくちゃ輝きがあるなと思ってて。
だから劇中に登場するその同人陰謀論作家も、あれはあそこまでできるのは本当はすごいことだと思うんですよね。あの作品を作り上げるというか、めちゃくちゃ相当すごいことだと思うんですよ。信じすぎて本当に虚実がわかんなくなってああなるのかなって感じするんですけど、ただあそこまでできる彼はめちゃくちゃ実はすごいんだぞっていうのは本当は感じるところはあったんですよね。
今ってその何者かになるのが楽なんですよね。嘘ついたらいいから。嘘ついたらバズれるから何者かになるの結構簡単な時代だと思うんですけど、誰も見てないから何者かになるのって俺が許すしかないんですよ。俺がとことん突き詰めて、俺が自分にとっての何者かになるしかないから。
そのやっぱり本作のなんかそこは信じたいんですよね。サムはちゃんと自分の足と自分の手で見つけ出したゴールではあるんだよあそこは。
だからそのものになんて言うんでしょうね。世界の中で意味があるかどうかは別としても、あるいは世界の中での意味はものすごくしょうもなかったり商業主義的なものかもしれないけど、でもそれを愛してるってことに自分の中で意味を見出せなかったらそれはもうダメじゃないかというか。
それが結局より僕らが生きるより白じゃないっていう。しかもそれはあれですね、サムと例えば女性にモテるとかっていうある意味他者評価から自己評価に変わった瞬間でもあるのかなと思って。
自分の中にすごく一本軸ができた瞬間でもあるし、結局それがポップカルチャーの価値なんじゃんっていう。だからポップカルチャーそのものを出してる側にもしかしたら意味がないかもしれないけど、それを意味のあるものにするのは僕らなんじゃんって言ってるというか。
自分でそれを意味を見出していくっていうことはすごく素晴らしいことで、安易にそこに乗っかっちゃうみたいなのがやっぱり良くないっていうか、誰かが作った意味に乗っかっちゃうみたいな。