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2026-03-05 1:12:35

第252回(2)『センチメンタル・バリュー』家が見ていた、父娘のひび割れ

『センチメンタル・バリュー』の話をしました。 それぞれが不完全さを抱えた娘と父の内面を行間に忍ばせて語る巧さ、個人とアーティストの評価の切り分け、家という場に宿る記憶などについて話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2026年3月29日(日) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■【告知】5月は東京イベント2連発! ・5/9(土) 映画の話したすぎるBAR in Tokyo 場所:イベントバーエデン日暮里 ・5/10(日)『Podcast Weekend 2026』出店 場所:世田谷HOME/WORK VILLAGE ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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では、テーマトーク入っていきたいと思います。 今日のテーマトークは、センチメンタル・バリューです。
はい、ではマリオンさん、解説をお願いします。 はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。
私は最悪で世界的に注目を集めた、スウェーデンのヨアキム・トリア監督が、愛憎を入り混じる親子という名のしがらみをテーマに取り上げた家族ドラマ。
オスロで俳優として活躍するノーラと、家庭を選び夫や息子と穏やかに暮らす妹アグネス。
ある日、幼い頃に家族を捨てて以来、長らく温馴不增だった映画監督の父、グスタブが姿を現し、自身にとって15年ぶりの新作となる自伝的映画の主演をノーラに打診する。
父に対し怒りと失望を抱えるノーラは断固として拒絶し、ほどなくしてアメリカの人気若手俳優レイチェルが主演に決定。
やがて映画の撮影場所がかつて家族で暮らしていた思い出の実家であることを知ったノーラの心に、再び抑えきれない感情が湧き起こる。
私は最悪でも主演を務めたレナーテ・レインスウェが主人公ノーラを演じ、
名優ステラン・スカルスガルドが映画監督の父グスタブ役で共演、妹アグネスを因果・イブスドッテル・リッデオールス、アメリカの人気俳優レイチェルをエルファニングが演じた。
2025年第78回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、第98回アカネミー賞では作品賞をはじめ8部門で計9ノミネートを果たした。
女演団優勝ノミネートのスカルスガルドはキャリア初のオスカーノミネートとなり、アカネミー賞を史上初めて外国語映画での女演団優勝ノミネートとなった。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、出たば歴にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では最後の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、これ1回見ただけじゃとてもじゃねーけど語れないなーって思ったんですけど、何て言うんですかね、めちゃくちゃ良かったんですけど、ちょっとこれをかみしめるのにはちょっと時間が欲しいですっていう感じがすごいありますね。
ちょっと喋れるかわかんないなって今日思いながら今日来たとこあるんですけど、ただなんとなく自分の中で1個こう軸じゃないけど1本なんかあるなと思ってる部分としては、なんかこの映画個人的にはなんか隙間からこぼれてしまっているものを見る、見ようとしている映画なんじゃないかなというふうに個人的にはすごく思っています。
はい、なんというか、まああのすごい劇中印象的に登場する家とそこの家の壁にあった亀裂っていうのがすごく印象的に最初に映し出されますけど、なんかそういう亀裂というか、その亀裂から生まれた隙間を覗き込んでみるとその人の本当の何かが見えてきたりとか、
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なんかそういったことを、そこの亀裂の先にあるものを見ようとしなかったり、見たかったけど見れなかったりっていうところのこう愛憎をなんか丁寧に描いているような映画なのかなというふうにすごく思っていて、なんかその軸でこう見るとすごくこう僕の中では1本通ったいい映画だなというふうに思っていますね。
はい、喋れるかわかんないんですけど、ただただすごかったっす本当にもう、いやもう今年ベストじゃないですかみたいなっていうレベルで素晴らしい映画だなというふうには思っております。はい。
はい、大井さんいかがでした。
いやー、超楽しみにしてたんですけど、なんていうんですかね、結構マリオンさんと感想似てて、つかみきれてるかわかんないっていう感じと言えばいいんですかね。
そのかなりやっぱ、描かれていることと描こうとしていることが多層的だなっていうふうにも思いますし、家族の物語を描こうとしてるんだけど、私は最悪って割と実は普遍性のある話だったなっていうふうに思っていて、かつそのなんていうんですかね、かなりファンタスティックだというか、映画のマジカルな瞬間みたいなものもこうただ見受けられるような形である種見やすい映画だったなっていう印象があるんですけど、
本作って割とそこは淡々と描くんですよね。あんまりそういうメタファンタスティックなシーンをたくさんこう盛り込むって感じではあまりないんだけど、だから見終えた後、ちょっと逆に期待してたものとは違う感じがあって、え、どうしようってなっちゃったんですけど、なんか見終えて今数日経ってくるとより、ああ、面白かったなってなってくるというか、見た後に面白さが湧き上がってきてるような気が自分はしてる映画。
かなというふうには思ってます。で、何を軸に話せばいいのかっていうのがすごいむずいなぁと思ったんですけど、結構見てて思ったのは、割とそのノーラの話をメインとして描くんじゃないかなっていうつもりで見に行ったんですよ。
娘にとっての父の話だから、ちょっとだからアフターサンもそうなんですけど、ある種子供と父親の話、そことの和解の話がメインになってくるのかなっていう気がちょっとしていたんですけど、むしろそのグスタブの方も割としっかり描いてくるじゃないですか。
なんなら最後の描き方とかは若干国宝かなっていう感じもするぐらい。なんかね、ここ最近の映画のトレンドでもあるけど、なんかそこにかなり複雑さを残したままこの作品は最後までいったなって気がしていて。
なんかその辺の余韻の深さみたいなものが、ちょっとそのこれまで例えば国宝であったり、あるいは最近のJ.Kerryとかもそうかもしれないですけど、とかにあったものとはもう少し一歩深いような感じが自分はして、なんかそこがすごいやっぱり味わい深い映画だったなっていうふうには思ってます。
06:06
なんかそのある種その男性的なものというか、男性的であったもののある種の父権みたいな文脈はこの映画の中にもちょっとあるのかなと思いつつ、でもそれがじゃあ世間的な父権という形で描くのではなくて、ある種のその家族の中での父、父生の父権と言えばいいですかね。
父生みたいなものがどうそのもう一度、なんていうかその立場を取り戻していくかみたいな話のようにも見えるなとは思いながら見てたりはしました。ただそれだけでは全然語りきれない別のテーマもこの映画の中には多々ありますし、もちろん姉妹のシーンではしっかり感動もしているので、いやーどの切り口で語ろうかなっていうのがちょっと困ったなぁと思ってます。
僕はですね、たぶん今日お二人よりよりつかみどころがない感じになるかなっていう感じで、見てていい映画だなって思ってたんですけど、自然体すぎてとっかかりを見つけれてないんですよね。
分かりやすくここですっていうとっかかりあんまないなって思って、で僕そのとっかかりを見つけたところから自分にとってその映画が何かっていうのを見つけていくんですけど、あんまりそれがなかったんですよね。
だから今あんまり自分の中からここから話し始めようっていうのがほぼなくって、出てきた話にカウンターを合わせていく方向性でいこうかなって今日思ってるんですけど、一個だけ自分なりにここって自分にとって注目ポイントだったかなって思ったのが、父と娘って関係性難しいなって思いながら見てたんですよね。
父息子とか母娘って割とこう関係性わかりやすくなるかなって思ったのと、あと母息子も僕は割と理解しやすいかなって思ったんですけど、父娘ってこうなったら、まあこの言い方間違ってる上で使いますけど、こうなったら正解っていう関係性ムズくねってちょっとお前ら見てたんですよ。
なんかあんまロールモデルないなって思って、こうあるのがいいっていう関係性があんま僕イメージできなかったんですよね。なんかその難しさを僕は感じながら見てたっていう、なんかこの映画が本来持ってる部分ではないかもしれないです、この着眼点は。
もしかしたら反省してそこも絡めて喋るかもしれないっていう感じですね。ではそんな感じでお便り紹介していきたいと思います。では大石さんお願いします。
はいタウルさんからいただきました。こんにちはタウルです。センチメンタルバリューはまだ1回しか見れていませんが、あまりにも完成度が高く年間ベスト級が来たと感じる一本でした。
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この映画はいわゆる余白が多い作品で、役者の微妙な表情や無言の間、ちょっとした立ち振る舞いで登場人物たちの感情の流れを丁寧に紡いでいきます。
そしてシーケンスごとの暗点が、その感情をピリオドのように観客の心に打ちつけていくのです。
そんな風に細やかに感情を積み重ねていくと、まるでコップの水が表面張力ギリギリまで溜まっていくようで、それはほんの小さなきっかけで一気に溢れ出します。
私の場合、妹アグネスが姉ノーラが父の脚本を読み始めるのを見て散らかった食器をそっと片付け始める、あの何気ない動作にまさに涙が一気に溢れてしまいました。
感動を押しつけてこないからこそ、ふとした瞬間に心が強く揺さぶられる。
ああ、こういう体験がしたくて映画を見ているんだな、と改めて思わされました。
この10年で言うと、マンチェスタ・バイザーシーやアフターサンが私にとって相応のタイプだった映画だったように思います。
では、みなさんのトーク楽しみにしております、とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
余白多いんですよね、本当に。
そうですね。
登場人物があんまり言葉にしないんですよね、とにかく。
とにかく、もうちょっと言葉にしなよってぐらい。
グスタブとかもそうですし、
一番最初にグスタブがノーラに脚本を渡すというシーン、クエンスがありますけど、
そこで何も読まずに突っ跳ねる。
でもそこから感情的にワーッて言うっていう、
お互いコミュニケーションが親子だからこそなんだと思うんですけど、
少し拙いように見えてくるっていう。
ただ、それをただ拙くだけ描いているかというと、
言われてる時のグスタブの顔がすごい切ない顔してるんですよ。
あの辺とか思い出すとすごい味わい深くて。
本当に顔の映画だなというのは、本当に大平さんおっしゃる通りかなって僕も思いましたね。
ほんのちょっとの場ですごい悲しそうな顔をしてたりとか。
でもすぐ戻っちゃうんですよね。
何事もなかったかのように。
なんかそれがすごく、僕はそれを持って隙間から何かを覗き見るような映画だなと思ってる部分でもあるし。
あと結構、太原さんのお歌にもありますけど、結構暗点でブツッブツッと切れてくるみたいな部分も、
ちょっとその隙間から何かを見ているような感覚を感じる一個の要因かなとも思っていて。
やっぱり、もちろん映画として繋がってる一連のストーリーとしてあるんだけど、
結構ブツッブツッと切れることで、ある種の時間という隙間のところだけを見せてもらっている。
それを繋げてもらっているギリギリっていう。
12:00
けどなんか隙間としてこうブツブツと切れてるけど、そこに連続性がないわけじゃないっていうのは、
なんか本作のすごくテーマとしてすごく大事なことだと思っているので。
家の話とか家族の話って、自分が知らない、生きてない世代のことも含めてそっから繋がってるよねっていう部分と、
あと家もその時からずっとあるよねみたいな話を、
今作の長いスパンの話として描いているように思うので、
なんかそういったところも含めて、うまいなと思ったところでありましたね。
それこそ多分そういう、グスタブが部屋の中に戻って一人である部屋に向かうってシーンがあって、
そこで窓越しでカメラがグスタブを追ってくってシーンあると思うんですけど、
暗転って窓と窓の隙間なんだなっていう。
この映画はフレームナイフレームがめちゃくちゃ多い映画だなと思うんですけど、
家の廊下から撮るとか窓の中から撮るとか窓の外側から窓の内側を撮るとかっていう、
なんかその映画というカメラ自体が一個の窓であるっていうような描き方をしてるからこそ、
やっぱり部分的である断片的にどうしてもなってしまうっていう形の描き方をしてる気がするんですよね。
だから本当に他人の家を外からちょこっと覗き見てる感じがする。
そうなんですよね。
そのなんか味わい深さって言ったらいいんですかね。言葉にするとすごいちっぽけな感じになりますけど、
なんかもうそれを見てるだけでなんかもう幸せだなというか、いい映画を見たなって。
なんかこういうの、お互いにもありましたけど、こういうのを見たくて映画見てるなっていう気持ちになりますよね。
だからなんて言うんですかね。
さっき山口さんがある種のフックというか引っかかりみたいな部分の話をされてたと思うんですけど、
この映画結構やっぱり観客側のと、
共感させないほど共感させないってわけじゃないんですけど、
しっかり距離がある描き方してるなって思って。
あくまで他人の家族の話ですよって感じがずっと見ててするんですよ。
だから私は最悪ですごいいいなって思ったの。
むしろそこの主人公の葛藤に自分が重ねられて、どんどんそこにグルーヴしていくというか、
っていう感じがなかなか自分は好きだったりするんですけど、
本作はむしろ逆ですごい距離がある。
全然別の家族の話をしてる。
でもだからこそ味わい深いものがあるというか、
そのアプローチもできるんだっていう面白さがちょっとあったような気がしていて。
その距離感だから、
じゃあ自分の家族を振り返ってみた時にどうだっけとも思えるなっていう。
ちょっと僕まだ自分の言葉出てきてないです。
15:02
確かに難しいですよね。
いいポイントを僕も大井さんも言ってるんだけど、
これが刺さりやすいのかっていうとわかんないっていう。
めっちゃ良かったんですよね、これがねみたいなっていうとしか言えないよなっていう。
これは僕らの言語化能力の限界なのかもしれないですが。
あとその隙間みたいな部分をつなぐっていうのが、
それが映画的というか映画そのものであったりっていうことを描いてると思うんですよね、これって多分。
なんで、大井さんはこうある種普遣的なものの新たな捉え直しみたいなニュアンスでおっしゃられてましたけど、
多分その普遣的なものっていうのって多分それ映画も含まれてるなって思ったりはしたんですよね。
だからこれ映画についての映画でもあるよなーみたいなこととかも考えたりは一応したんですけど。
それはそうですね。
この映画の登場人物として行動してることがそのまま劇中で撮影してる映画にシームレスにつながっていく展開が何回かあるじゃないですか。
床に倒れ伏せて泣いてるところとか、あと最後の家のシーンとかですよね。
あれって今こういう状況になったのかなっていう緊張感がそのまま撮影してましたって繋がっていくのが、
僕あのシーンむちゃくちゃ怖くて、実際にやってたことが映画撮影でしたっていうことで、
なんか安心感もあるんだけど、これ逆も成立するじゃんと思って、撮り方によっては。
映画だったものがそのまま現実でそうでしたって繋がりうるから、映画って怖って思ったんですよ。
閉じ込められた感覚になったんですよね、あそこ。
そうだから、あとラスト確かにね、めっちゃ余韻はあるんですけど、最初結構僕も戸惑ったというか、
これはなんていうんですかね、その作品というか映画という現実の前後ってのようにも捉えられちゃうと捉えられちゃうんだけど、
この形で傷を癒えてるのか、傷って思いながら見てもいて。
僕それすごい思ったんですよ。で、中盤で、あれ撮影中でしたっけ、演技の練習中だったか忘れたんですけど、
このソファーみたいなのがある横にこうやって伏せて泣いてるシーンって、その直前に実際にリアルでめっちゃ悲しいことがあった流れだったと思うんですよ、確か。
そこであそこに行って泣いてるって、実際あそこは演技する用の場だっていうのはなんとなく、舞台の練習の場だっていうのはわかったんで、
18:07
その現実にあった悲しい出来事を泣いて悲しんで受け止めようとすることを、舞台の上で演技としてやるってことをやってたら引き裂かれませんかね、心。
それ確かに効果ありそうだと思うんですよ。自分の今悲しいことを演技というものを通して解消するって多分効果あると思うんですけど、
逆に作品がいなくなってやばいんじゃないかなって思ってあそこ。すごいなんか怖いなって思ったんですよね、あそこの。
で、ある意味、それを抱えやすいノーラに、グスタブっていう父親は自分の母親を重ねて映画を撮るわけじゃないですか。
はい。
それはそれで、もちろんグスタブにとってのセラピーというか、回復の作業の中ではあるんだけど、呪いでもあるぞこれっていう、絶妙なバランスだなって思って。
そうですね。
そうですよね。
で、いろんな解釈がある気がしててあそこ。
ちょっぽどからラストシーズンの話すんのいいのかなって思いながら話しますけども。
まあまあまあ、いいんじゃないですか。
そのノーラが、特に劇中でフリのネットで最後の脚本を読んだタイミングで実は自死を考えていたというか、そういった行為に一度及んだことがあるってことがわかるわけじゃないですか。
で、ある意味そこから、あの映画を、映画の中のおそらく母親っていうのはグスタブの母親を重ねてるから自死するという流れなはずなんですけど。
映画上ではそこでカットがかかるわけですよね。
で、ある意味それは父親がノーラのそれを止めたようにも、まあ見えるっちゃ見えるっていう。
だから映画というフィクションの中で彼女を救ったようにも、まあ見えるといえば見えるんですけど、一方でその役を演じさせるということは、そこに向かわせてるのも父親でもあるっていう、なんかなんか複雑だなと思って。
なんかその複雑さ込みで、まあそのなんて言うんですかね、そのなかなか手放せない愛着あるものとしてやっぱり描いてるんだろうなと思うんですよね。
良きものだけではなくて本当に手放したいけど、もうどうしようもなく手放すことができないみたいなものがセンチメンタルバリューなんじゃないですかみたいなことを言ってるのかなともやっぱ思えるわけで。
なんかそこが、その複雑さすげえなと思うんですよね。そこをもっとこうズバッとね言い切れたらいいんですけど、なんかこれすぐは言えないなっていうか。
今こうやって3人でなんか手探りでこうなんか話してるから、ああそうだなって思えてるっていう感じなんですけど、今現状。
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いやその、グスタブとノーラそれぞれが映画と舞台っていうものを通じて、自分の人生をパッケージしようとしているのかなって思うんですよ。
手に納めれるものにしようとしているんじゃないかなって思うんですよね。それはある種の治療としての意味もあるような気もするんですけど、
それによってすごい怖いなっていうことも起きてるなとも思うんですよね。それって手の中に納めてよかったんだっけみたいな。
で、この映画それを救いとしても呪いとしても描いてないんじゃないかなって思うんですよ。
はい、そうですよね。
だからあのラストってむちゃくちゃすごい2人、父と娘が救われたものとしても描けるし、あるいは父と娘がもう呪いの中に突っ込んでいったラストにも描けると思うんですけど、
ただ映画を撮りました終わりって終わるなって思ったんですよ、僕あれのラスト。
分かります分かります。
映画撮って終わったっていう、そこに意味を付随させてないなと思ったんで、それがすごい観客を信頼しまくってますよね、本当に。
そうなんだよな、だからあれで最後のノーラとグスタブが見つめ合ってまさにセッションのラストみたいなのを描くこともできるわけじゃないですか。
この2人にしか分からないことがあるんだっていう風な描き方をすることもできるんだけど、なんかねやっぱ絶妙なんですよね、あそこ2人の表情が。
そうですね。
でも僕そんなもんかなとも思います。
分かりやすい結論があってこうなったとかはなく、なんとなくこうなのかなっていうものの連続の中に実際に起きたことが特に強い意図がなくあるっていう。
それを映画ってものすごい意図があるようなものに作れるんだけど、あんまり意図があるものにしてないから、観客に預けんなって思いながらパースって言って、
あっなんかキャッチしちゃったって、これこの球ってどういう意図でパースしたのかわからないなみたいな球をキャッチしてるなって思ったんですよ。
分かります分かります。
そうですね。
でもどっちかっていうと、僕複雑だとは思うんですけど、どっちかっていうと僕はでもポジティブ寄りに捉えてるところはあるので、どっちかっていうとですよ。
僕はですけど、やっぱり家の姿が変わることがすごい、その前の段階で描かれてることがちょっとあったのがすごいあるんですけど、
てかまずこの舞台となる家めっちゃ僕素敵な良いお宅ですなって思ってたんですけど、すごい。
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結局あの家って、たぶん誰かに買われてリノベされて綺麗に真っさりになるじゃないですかみたいなのってあったんで、
たぶんそこはすごく晴れやかなものとしてやっぱり描いてると思ったっていうのはそういうニュアンスがこもってるんじゃないかなっていうこの映画からあって思ったところなんですけど、
最初の家すごいおしゃれなんですけど、ふと後になって考えるとすごい血に汚れた家っぽい外見してるというか、
黒い感じの外壁に骨組みっぽいところ赤く塗られてて、すごい呪われた血族がめくめくと続いてる感めっちゃあるなこの家ってちょっと思っちゃったんですよね。
その家が最終的に真っさらになる形に生まれ変わるっていう。
そこがしがらみとか嫌なこと含めて持っていた捨てられない愛着あるもの?
いやっていうか愛着とも言い切れないけど捨てられないものがある種綺麗にというか別の形で切り替わったんだなみたいな感覚がすごいその場面の切り替えとか、
家の変化だけ見てすごく思ったっていうのはすごいありましたね。
家の描写僕も好きなとこがあって、家のひび割れの話あるじゃないですか。
そこにものすごい注目したとこから話が始まるんですよね。
ひび割れがあってみたいな。
僕は単にそういう場としての家っていうものを描いてるんじゃなくって、
そういうエピソード込みのものとして家を描いてるっていうのがすごい現実感あるなって思ったんですよ。
実際に自分が小さい時に住んでた家のことを思い出した時に、
なんかここの隙間があってそこにすごい思い入れがあるとかってむちゃくちゃあったなと思ったんですよね。
実際に例えばそれがホラー映画だったらそのひび割れがあるとかシミがあるとかって怪奇現象に繋がったりするんだろうけど、別に繋がらないわけじゃないですか。
単に壊れそうなだけなんだけど、それがそこに生きていた自分としてものすごいリアルなものになるなって思ったんですよ。
家ってそういうちょっとした傷がついてますとか汚れてますとかっていう経験の積み重ねの記憶だと思うんですよね。
それがあるっていうことを描いてるっていうのが、なんか自分家のあれやみたいなのをすごい思い出して、
人が住んでる場所、人が住んできた場所の記憶の集合体としての家っていう意味付けがすごい鮮明になるなと思って。
27:04
あそこが入ると、家ってこうだよなって、家とはこれだよなみたいな感じが。
建物じゃないんですよね。建物の話をしてるんじゃなくて、記憶としての場の話だから、やっぱそこを言っとくだけで全然違うなと思ったんですよ。
そうですよね。なんか、劇中では家を人格のように例えるようなナレーションから始まりますけど、
ほんと実際言ってることって、家という場所に残ってる記憶の話だなぁというのは思っていて、やっぱその僕結構そういう記憶の話というか、場所が持ってる記憶の話ってすごい好きなんですよね。
例えばですけど、なんと僕好きなやつだと、ラストブラックマンインサンフランシスコとかもすごい好きだったりとか、
それも家を巡る話だったりもするし、そういう場所がこういつかはなくなってしまうかもしれないみたいな話とかって考えるならば、
私は光を握っているとか、そういう話だったりとかもすごい好きだったりとかっていうのを思い出し、
そもそもこういう記憶の話するのが多分、もしかしたらこの監督好きなのかってちょっと思ったりもする部分はあるんですけど、
そういうのにもちょっと刺さってるなっていう今回っていうのはありますね。
僕は、ゴーストストーリーを思い出してました。
僕もそれを思い出しましたね。
確かに。あれもいいですね。
あれはもうその場の記憶そのものをゴーストっていう擬人化してる話だったから。
そうですね。
ただまぁそこまで分かりやすくもしてないんですよね、本作。
そうですね。
そこがこうクールやなって思いましたね。
そうなんですよね。そこを擬人化して描いて、そういう作品もあるからってことなのかもしれないんですけど、
その視点から家族を見るみたいなその感じもするんですよね。
むしろ主観が家であるというか。
でなんかちょっと話が若干ずれるんですけど、
今年の芥川賞って叫びと時の家っていう2作品が撮ったじゃないですか、日本の。
めちゃくちゃこの映画とすごい共鳴してるなって勝手に思ってて。
時の家っていう作品に関しては本当にまさに一見の家の話ですし、
僕は叫びしかまだ読めてないんですけど、叫びに関しては大阪のとある土地に根付いてしまった記憶の話なんですよ。
その記憶にある男がある種乗っ取られていくというか、開着されていく話なんですよね。
自分の人生よりも歴史という大きなものに飲まれていく話というか。
ある種それを記憶に飲まれていく話だというふうに捉えることができるんですけど、めちゃくちゃセンチメンタルバージョンと似てるテーマじゃんって思って。
なんかこの家というか場にある、あるいは家族に流れる記憶、そういう名の遺伝子と言えばいいのかなみたいなものを引き継ぐ人たちの話っていうのは、
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なんかすごい世界の中で今ある種共鳴している部分もあるのかなってちょっと思ったりはしました。
なるほどな。僕そういうことあるやろうなって思ってるんですよね。
場とかもそうだし、思想とか組織とかもそれ自体が生命であるかのように挙動するもんだと思ってるんですよ。
記憶を持ってるし、意思を持ってる。意思って言うとちょっと違うんだけど、結果的に一つの生き物であるかのように振る舞うもんだと思ってて。
そこに構成している人々とか実際に存在している物体としてのものとかっていうものが、
その何というか様々な運動を経て、その場が生き物として振る舞うというか、
1個体としての何らかの生存本能みたいなものを持ってるものになり得るっていう感覚は僕あるんですよね。
だから割とそれしっくりくるんですよね、その感覚自体は。
それこそ去年の映画ですけど、三原世代も結構近いことを描いてた映画だったなってこともちょっと思ったりもするので、
アーティストの父親がいて、それが家族を捨てていて、母親がいなくて。
で、あれも実は渋谷という土地に根付く場所の記憶と家族の記憶がある種共鳴していくみたいな話でもあるので。
そうですね、ちなみにパンフレットのインタビューというかコラム書かれてますよっていう。
そう、だから分かってんなって思いました。
分かってますよね。
分かってるやんかっていう。
確かにそれは思いました。
確かに僕、東京のこと生き物として見てるかもしれないです。
で、多分それはまた大阪もそうでっていうか、多分どの土地もそうだってことなんですよね、多分ね。
そうですね、そこに人間があれば、その大きな組織、社会はもうもはや一個の生き物みたいになるんでしょうねっていうことですよね。
だからまさに今作のその家はある母親の自殺っていうものの背景にあるノルウェーという国自体が背負ってるその傷というか、
ナチスドイツの統治下におけるそういった部分っていうのがあるわけじゃないですかっていうのも一応描かれてはいて。
そうなんですよね。
その痛みの重層化というか、そこの歴史が入ることでまた一歩深いとこあるなって思ってるんですよね。
なんか記憶の奥底というか。
そうですね、なんかこれ本当にノーラとグズタフだけの話だったら、すごいやっぱ芸術家同士の話。
33:00
で、なんかそういう繊細な人たちだからこそできる書業なのかなっていうふうに見えちゃうところあると思うんですよね。
けどなんかやっぱそこで妹、彼女は多分歴史家ですよね、どっちかっていうか。
歴史学者みたいな職業多分追加えてる方なんで、そういうちょっともうちょっと歴史ベースの話として、
じゃあそういう痛みというか、ものをどう見つめていくのかっていう視点が入ってくるのも、これちょっとすごいなとも思うし。
で、なんかそうしたこう痛み、まあその俯瞰で捉えたものがすごく個人的なものだったりするときとのギャップみたいなのもすごく描かれてたりとかして。
旦那さんの方はまあそんなにそうだねえぐらいな感じで、としか受け止めてもらえなかったみたいな話あったと思うんですけど、さらっと語られてることの中で。
でもやっぱそれって距離感ってそういうものだと思うんですよね。
多分僕もそんな風に言っちゃうだろうなって思うし、なんというかその痛みに対して距離感って人それぞれだよねって話は特にリアルペインみたいな話だなともちょっと思ったんですけど、そういう。
なのでなんかそこまで入れられるのか、この一本の映画にってちょっと思うんですよね。
一個一個の要素の圧が強くないからいろんなもの入ってるなとは思います。
それらが有機的にシームレスにつながってるなって思うし、個人的なことは政治的なことだったり、今のことは歴史のことだったりっていうことを普通にやってるなって思うんですよ。
だってそうなんだもんっていうことを。
だってそうでしょっていうことをやってるなって思うんですよね。
なんかね、その複雑さをさらっと入れ込めるのがなんかすごいんだよなと思うんですよね。
私は最悪のときもそういう複雑なとこやるじゃんみたいなの結構さらっと入れてたりするじゃないですか。
はいはいはいはい。
環境問題にめっちゃ意識ある彼女とそうでもない彼氏みたいなとか。
ああいうのの対比構造とかすごい今っぽいし複雑だねって思うし、
なんかそういうのさらっと入れてそれが有機的に絡まっていく感じとか本当に素晴らしいなって思いますよね。
そうですよね。
いわゆる1回目だけだとなかなかその要素を全部拾いきれないっていう。
そうです。
今急速に再構築していってますもん。
思い出して初めて成り立つ映画だなって思ってるんですよ本当に。
そうなんだよな。これもだから記憶の映画なのかって思うんですよね。
今記憶を引っ張り出してからにこの映画の話してるからすっごい。
はい、次のお題に行きましょうか。はい、ではマリオさんお願いします。
はい、コルメナさんからいただいてます。
劇中劇の大長回し、あれだけでグズタフが映画作家としていかに優れているか如実にわかります。
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ビットレイルスかと思いましたし、それを突然入れて論より証拠的に観客に思い出せるトリアーがヤバすぎます。
そんな人でもNetflix資本がないと新作を撮れないという状況論が差し挟まれているところもいい。
グズタフは家庭人としては合格点はあげられない。
ちょいちょい偏見をとろする、キッチンロールを丸ごと使うなど、映画から離れるとかきかっこつきの有害性を隠せない人です。
それでも作るものは素晴らしい。
そして他ならぬ娘たちが父親の人間性と作品をきちんと分けて考えていることが象徴的です。
今の時代にアーティストがアーティストのままでいるとはどういうことか、何が必要なのかをこの映画は静かに示しているように思いました。
そしてそれが今最も掘り崩されている通念、つまり表現、かっこ表現者と社会性をセットで取り扱いすぎているという感覚が見終えた後にじわじわと残りました。
はい、ありがとうございます。
グズタフの父としての足りてなさみたいなのって、どんな感じで受け取ってました?
ダメな人なんだろうなっていうふうには思ったんですけど。
自分の主張なら嫌だなっていう。
ダメな人ではあるんだろうなとは思うんですが、ただ本当に監督としての腕は本当に良いんだろうなというふうにお便りを書いてましたけど、それはすごく思いましたね。
ビクトリー・エリスって僕も一目を閉じてすごいこの映画を思い出しながら見てて。
思い出しました、僕も。
やっぱそうですよね。
唐突に劇中な映画がしれっと普通に、しかもちゃんとクオリティの高いものがいきなり流れてくる感じってすごいっぽいなって思いました。
しかも、ある種役者じゃない女の子、娘というか妹ですよね。
主演にしてるあたりとかめちゃくちゃ三葉ちゃんささやきやんって思いながら見てたし。
思いましたね。
久しぶりに映画撮ったと思ったら、自己言及的な映画を撮るって、僕ビクトリー・エリス一本も見たことないのに、これビクトリー・エリスやろって思いながら見てましたもんね。
そうそうそうそう。
ここ最近そういうのがあったからこそ、本当にそうなのかなって思いましたもんね。
たまたまなんでしょうか?っていう感じなんだけど。
いやでも、たぶん一番有害な時期はもう終わってるんだろうなと思うんですよね、クスタブーにとって。
たぶん若い時はエグかったと思うんですよ。
まあそうでしょうね。
今70歳ぐらいやったと思うんですけど、カフェの女の子とか看護師さんとかにいちいち声かけるじゃないですか。
だいぶ浮き名を轟かせてたと思うんですよ、あれは。
39:02
そうでしょうね。
ただ、そういう男の将来に待ってるものは孤独しかないです、本当に。
で、そういう男が最終的に求めるのって、娘に愛されたいっていうのもむちゃくちゃそうやろうなって思います。
そうなんだよな。
僕、最近イン・ザ・メガ・チャーチっていう小説を読み終わったんですけど、
その中に出てくる主人公のうちの一人が音楽プロデュースに携わっている40代後半の男性なんですけど、娘にだんだん飽きられている父親なんですよね。
なるほど。
やっぱり若い時にやってきたことがたたってこうなっているっていうことをうっすら自覚してるんですけど、
彼が言うことにおいてから人生に現れてくるのはこれまでやってきたことではなく、やってこなかったことだっていうセリフがあって、
僕、むちゃくちゃ刺さったんですよ、そのセリフ。
いいセリフだな。
やってこなかったことが現れてくるって。
はいはいはいはい。
もう絶対そうやわと思ったんですよね。
だからやっぱりそういう喪失に苛まれている人なんだろうなって思って、グスタブ自身は。
そうですね。
でもそれで、娘たちと繋がる方法がまた映画っていうのもこいつなっていう。
そうなんですよね。だから本当に根っからの芸術家、アーティストなんだろうなというのはすごい思ったんですよね。
多分そういうことでしか人と繋がることができないっていうか。
それがいいのか悪いのかって言うとちょっと、僕もそれは断大できないなというか。
結局には見てると思うし、
本当に孤独で辛そうなんだよなっていうのが結構容赦容赦見られるところは本当に、
ちょっと胸がキュッとなってしまうところではありましたね、見てて。
それはノーラに対しても同じなんですけども。
最終的に映画でしか娘と繋がれないっていうのって、
それは芸術家だからっていうのはあるんでしょうけど、
その芸術家って単に芸術しか言語がないだけなんですかね、これって。
芸術しか言語がないからこうなってるんだとしたら、別に芸術家って偉くなくないですかって僕思ったんですけど。
それは多分国宝の時のラストの話の時にも触れた気がしてて。
あれは謎に突然許されるからよりはいって思うんですけど。
そうですね。
結局あの物語って多分割とみんなが享受したかったものって、
アートというかそこもある種芸術ですよね。
42:03
で、もうだけに入園した人でさえ人こそ救われてほしいみたいな、
どこがそういう願望があるんだろうなという感じがするというか。
いいもの作ってるんだからいい人生を歩んでほしいというか、
なんだろうな、あるいはそこのもっと奥底にある、
頑張って仕事をするということを認めてほしいっていう全員の願望なのかもしれないですけど薄れある。
ライフワークバランスとか言わずに。
それ何かわかりますね。
国宝がヒットしたのは僕、
そういう世の中の急に対するカウンターの側面ちょっとあるかなって気もしてて。
だから芸術家が悪しきものだった時にそれをキャンセルするのかっていうのは、
いやキャンセルするかどうかとは別に、
これはいいものでしょっていうものを許したいみたいなのが、
世の中にあるような気はするんですよ。
それは僕、その意見はわかるっちゃわかるんですよね。
でも僕、その芸術と人格を切り離すんだとしたら、
人格の側が許されるのは反則やぞと思うんですよね、それは。
芸術だけが認められて、
でも人格だけは否定され続けるよと思うから、
人格の側に許しが入ってきたら、
今、疑問スイッチ入ったぞって僕言いたくなっちゃうんで。
ちゃんと地獄に落ちろって思うんですよ。
それは本当に国宝の甘っとるところですけどもっていう感じですけど。
法則はそこまでは行き切ってないところはあるというか。
そうですね。
人格まで多分認められて、
最後に看護師さんに甘い言葉をかけようとしているおじいちゃんを見て、
自分の父親を見て、本当に呆れかえった2人の表情が映るわけじゃないですか。
この親父はっていう。
やれやれってね。
そうそうそう。
だから何というか、120%で許してるわけではないが、
でもまあ、これが父親かって諦め、いい意味での諦めでもあるというか。
僕それに対する捉え方、ニュアンスの違いなんですけど、
昔父親だった他人っていう割り切りをちゃんとやれたっていう感覚かなって思うんですよ。
昔父親だった他人がまたスケベなことしてますね、タハハみたいな感じで、
なんか姉妹があったり、やれやれみたいな感じでなってるので、
もう他人ですからねっていう。
ただもう他人だから、一回父親っていう鎖を外したら、
その範疇で昔の知り合いなんで、よし何やりますみたいな温度感には見えて。
なるほど。
ラストも映画に出るじゃないですか、ノーラ。
グスタブの映画出るじゃないですか。
で、そのグスタブの父親としての良くなさと、
映画人としての才能があるところっていうものを切り分けたっていうことは、
45:04
もしそれを切り分けてあの映画に出てるんだとしたら、
父親として別に父親との和解っていうことを意味してないってことじゃないですか、それって。
才能がある昔の知り合いの、今は他人の人の映画に出たっていう意味合い。
でもまあ仲良くはします。他人なんで。
嫌な父親じゃなくて他人なんで仲良くしますっていう温度感の着地をしたっていう捉え方はできるなと思って。
めちゃくちゃドライですからね。
さすがにドライすぎるなーって僕思っちゃうけど。
人格と技術を切り分ける論を出してきたらそうなりませんか。
切り分けてるというか、
まあ僕はそこを切り分けるというのではなくて、
答えを出さずにいい感じに自分の中で丸くするっていうニュアンスなんだよなーって感じがするので。
僕はちょっとドライすぎるなって思います、それは。
それはちょっと嫌です。僕は嫌ですっていう。
あの、どう捉えてるかは別に人それぞれなんで別にいいですし、
本当に彼女たちがどういう風に、
どういう気持ちに至って自分たちのしがらみとか愛着あるものをこう、
収めていったか、手に収まる形にしてったかはもう分かりませんけど、
僕はそうじゃないと思いたいです。
そうっすね、なんかその、ただ一方で、
山口さんがおっしゃってることもちょっとわかる気はするというか、
他人とまでその、突き放すことはないにせよ、
その、ようやく30代ぐらいになってくると、
親と大人として話せるようにはなるなとは思うんですよね。
うん。
その、一個人というか要は子と親っていうその、
ある種の縛りみたいなものを一個超えて、
一、大人と一、大人として話せるっていう瞬間は確かに来るなってのは、
自分の人生の自覚としてはある気はしてて、
で、その時に初めてその、
親だったらすごく嫌だったというか、
親だった時に抵抗感があったものをすごくこう、
俯瞰して捉えることができるようになるなって気はするんですよね。
うーん。
なんかその感覚なのかなって気がしてて、
それも最初のノーラってすごく娘としての反応をしてる気がするんですよ、めちゃくちゃ。
そうですね、もう娘としての話ですよね。
で、そこからまさにその本を読んでっていうふうに妹に言われて、
読んだ後っていうのは、
ある種一芸術家としての父親と初めて向かい合った瞬間なんだろうなっていうふうには捉えられて、
で、おそらくそれは妹にとってはむしろ、
あの映画撮影のタイミングから実はそうだったのかもしれないっていう。
そうしたらその妹の方がちょっとそれを早く気づけた。
まあただとはいえ、妹も妹で、
あの子供を無駄に出させた子には非常に怒りを表にしてたので。
そうですね。
父親としては許してないとか許してないんだなってところもすごい描いてたのが良かったなと思うんですけど、
そういうとこやぞって。
いや、あれダメでしょ。
あ、ね。
48:00
そうですね。
いや、あのそうしたらね、売れますっていうのはわかりますけど、
本人の意思とかその辺がむしやないかいみたいなのはね、
まあ本当思いますよそれは。
いや、あれね、あの小学生の子供にギャスパーノイとかミハイルハネキのDVDプレゼントの持ってきてるじゃないですか。
なにこいつと思って。
あれね。
そういうとこなんだよな、あの人な。
何やってんだよって思いましたよ、あれはね。
本当に。
あの、アイライクムービーズのあいつかよって思いましたけど、
それはちょっと思いました。
けど、まああれやれやれって思ってるんですけど、
ノーラはちょっとだけなんかその、なんていうんすかね、
高度な変なギャグセンスちょっと笑ってる節があるから、
なんか似てんなこいつらって思っとるっていう。
そうなんすよ、あの二人似てるんですよ。
似てますよね。
そう、アレックス渡してくるギャグセンを笑えるやつってどういう感じっていう。
僕たぶんギャグとして渡してないからされるけどな、あの人。
ギャグじゃないんだよな、そうそうそう、ギャグではないですね。
真正面からたぶん天然のボケなんだよね、あの人な。
本当にあの、映画を信じてる人だなーってことだと思うんですよ。
信仰しすぎなところがありますからね、あの人はね。
立派なんですけど、でももう映画って今もう娯楽の一番手じゃないからねっていう、
時代でじゃあ映画ってどうなんでしょうねっていうのをやり直してる映画でもあるから、
それでもちょっと映画の力を信じてみるっていうのもだし、
そこに関わってくるのって本当にやっぱりすごくパーソナルな物語とか考えてることっていうのを表現する場として、
映画って今でもその力を発揮できるんじゃないかっていうのをやっぱ信じてるようなところはすごくあるのかなっていうのは思いますけどね。
ちょっと僕さっき他人っていうことはわざと強い言葉使ったんですけど、
他者ですよね、だから。
親が他者であるっていうことをようやく飲み込めたっていう、
それの飲み込む媒介として芸術が使われてたと思うんですよ。
自分の父親との関係性っていうものを一旦映画というものに落とし込んで、
それによって実際の自分の父親との関係性を一回生産して、
父ではなく他者として再解釈することができたっていうふうな着地なのかなっていうぐらいなのかなって気はしますかね。
グスタム側がグスタム側でノーランモデルに作品作ってる間どういう気持ちだったんだろうなと思いましたけど。
僕その後エルファニングに話持っていくのこいつさってマジで思って。
こいつさってほんまにどういう神経してんの。
いや俺いい映画撮りたいだけですけどみたいな小学生みたいな言い訳すんなよと思ったよ。
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あそこもちょっと有害性なんだよな多分な。
あそこの格好つけもうザ・男子ですよね。
あの馬車に乗せてね。
マネージャーとかそこらへん置いてて行ってこいみたいな感じでやっちゃうあたりとかね。
年取ってあれできる男若い時大害ですよマジで本当に。
あのシーンで一番感じたかもしんないですそれ。
そうですねいやでもなそういうちょっとプレイボーイ感に何とも言えない気持ちにもなりつつなんですけど
なんかやっぱ難しいなってか何とも言えんなって思うのは家族にはそういうことができなかったんだよなっていう。
他人にはすぐそういうことがサラッとというか彼女のキャリアの悩みとかいやもっと羽ばたけばいいじゃないっていうのを
これ本来は娘に対してそういうアドバイスをサラッと言ってあげるっていうのが本当は必要だったと思うんですよね。
けどそれがやっぱり実際の娘にはできずに彼女に他人というかちょっと距離の離れた人に対してはそれができるっていうか
監督としてはできるっていう話ですよね。
なんかそこがやっぱりこう人間って複雑よなって思ったりもしましたね。
だから娘側、ノーラ側は割とグスタブのことをある種のもう一人の他者として見れてるっていうか切り分けられてるんですけど
グスタブは多分最後まで娘と思ってるっていう。
でしょうね。
なんかそのねじれの感じもまたこう複雑だなというか。
そうですね。だからなんかこの映画で結構ちょっとうるっときたポイントってたくさんあったんですけど
一番最初にうるっときたポイント本当に浜辺のシーンだったりするんですよね意外と僕は。
結構あんまりなんてことないシーンのようにも僕思えるんですけど
なんかなんでこの人はこういうことできないんだろうなーみたいなのを
そこにこう映画を見ながら思いを馳せるだけでちょっとまた涙が出ちゃうみたいな感じはすごいありました。
そのグスタブ側から娘という関係性を手放すことができないのってやっぱり多いだと思うんですよ。
ノーラ側にはまだまだ未来があるし関係性も様々なネットワークがあるじゃないですか。
ただグスタブってもう権威はあるけど関係性はあんまないと思うんですよ。
でものすごく重要な描写だと思うんですけど
昔の映画作りのパートナーが足が悪くなってて映画撮影に参加できなくなってるって
あの断り方よって僕はあの断り方よっていう。
いや本当だって最初にこうよーって言ったとき完全にやろうぜやるよなーみたいなテンションで
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最後そんなテンションじゃないじゃないですか。
やんわりとねそれとなく直接は言わないよでもね多分無理だねっていうのをごめんなっていう
俺が声かけて悪かったなみたいな感じで出すじゃないですか。
あれはね。
持ち帰って検討いたしますみたいなこと言うから。
急に。お前検討せえやんかそれみたいなやつね。
いやもう本当ねあれねしかも彼が思考してたこういうやり方で撮りたいっていうのを
センチメンタルバリューと映画そのものですでにやってるんですよねっていう手ぶれ感のある映画で
っていうのを含めてこう行動としてしっかりしてるなっていうのもすごい思ったりもしましたし
なんかあの辺で直接的に湾曲的に言い続けて察していただきたいみたいな感じのが
それ以外にも続いていく映画だと思うので
それだけでできているような映画でもあると思うので
これがニュータイプかというふうにも思いましたっていう。
なるほど。
あのシーン切なかったっすよね。
本当さっきJ.E.キリーにも似たようなシーンがあって。
ありましたね。
なんかここ最近おじさんの老いを描く映画多くないってちょっと思ってるんですけど。
そうですね。
これを見て思ったのはやっぱり本当に大御所監督が自伝的映画を撮るって
こういうのをいろいろはらんでいるのかしらってちょっと思っちゃう。現実の。
そうなのかしらみたいな。
そうですよね。ひとみうとしとか絶対こういうことだよなって思いましたもんね。
そうなのかなってちょっと思ったりもして、そこまでつなげすぎるのは良くないかもしれない。
良くないけどもっていう。
結構頻発してたじゃないですか。一時期というか。
今もでもそうでございます。
こういう感じに思っているのかしらっていう。ちょっと思ったりしました。
悲しいですよね。かつての大監督が一人で家で酒かっくらって寝落ちしてるの。
寝落ちして救急車呼ばれるの悲しすぎるなと思って。
どんな人でもそうなるのかもしれないですけどね。
ある種の無情感はこの映画の中からも感じますけど。
ちょっと話をグスタブに寄せすぎたかなって思うので、ちょっとノーラの話をしたいんですけど。
似てるんですよ。さっきの話しましたけど、グスタブに似てるんですよね。
まず芸術に対して繊細すぎるオープニングが僕はむちゃくちゃ好きなんですけど。
もう舞台に出たくないっていうダダコネるシーンですよね。
むちゃくちゃ面白くて。
そんなことあるかみたいな。すごいなって思いましたよね。
でもあれすごいなって思って。舞台人ってすごいなって思って。
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毎回舞台に出るたびに生きて死ぬかのようなことを繰り返してるってことじゃないですか、あれ。
すごいなって思って、あれは。
あのメンタリティーでやってる人すごいなと。
ちょっとほんまにすげえ心底感心してたんですけど。
一方で、芸術に振り切ってる態度の一方での社会生活のだらしなさなんですけど。
こいついきなり不倫しとるぞみたいな。
もうあそこでいきなりお前さーってなって。
僕はちょっと私は最悪を見た後は不倫くらいサラッとやってくれる方がありがたいんですけどもっていう。
しかもちょっと私は最悪のあのキャストらしいっていうのもちょっと。
そうなんだよな。本当に同じなんだよな。アクセル役の人と一緒なんだよなって思うんですよね。
でもやっぱりグスタフットの比較で、ノーラはまだ若いからっていう話はありましたけど。
年齢関係なくうまく関係性を築けてない問題っていうところ。
そこに対する孤独っていうのはものすごく彼女を蝕んでいるなというのはすごく思ったんですよね。
別に不倫でも別にいいわけですよ。別にそれがきちんと自分にとって安らぎのある環境というか場所となっているのならってなるんですけど。
でもやっぱりそれも長くは続いてはくれなくてっていうところ。
結局誰ともつながることができないというか。
なんとか他者を理解できるのは本当に役に入り込むことだけっていう部分での。
本当にそれはすごく才能であると同時にすごく辛いことでもあるっていうのを考えるとちょっと切なくもなるのはありましたね。
そして繊細すぎる絵が故に、最初の冒頭もそうですけど。
核心に迫られそうあるいは自分がそこに立ち入りそうになると逃げるっていう。
この絵が何度もノーラが逃げるんですよね。
そうですね。確かに逃げるところ多いですよね。
せっかくいい詩書いたのにチェーフォーのカモメにしちゃったよっていう話が始まりっていうね。
ある意味自分自身と向き合うことから逃げてるっていう話にも取れられるかなと思うんですけど。
そこなんだよな。自分自身に向き合うところを演技にするじゃないですか彼女。
正しいキャッチの仕方であると同時に不健全だなっていう思いがずっとあって。
そこだな。本作、不倫自体を映画自体が良くないものとして描いてないじゃないですか。
そこはすごいいいなと思って。私の噂役の時も感覚に近い描き方だったのかなと思うんですけど。
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別に性にある程度奔放でもいいじゃないですかぐらいの感覚はいいと思うんですよ。
別にそこを男女の不均衡を持たせて描いてないから。
ただそれに対して良くないって僕が思ったらいいだけだから。映画側が言わなくても。
お前さっていうのは僕が思ったらいいだけなんで。そこはいいなと思ったんですよ。そのバランスは。
映画側がそれを断罪してこないっていう。その価値判断はこちらに委ねられてるっていう感じのところはやっぱりさすがトリアーだなっていう感じがしましたし。
あとちょうど役者さんというかノーラーを演じられて、レインスベの顔がちょっと幼く見えるというか。
これ私は映画監督からもちょっと思ってたんですけど、少しあどけなさを残してる感じの顔なのがやっぱすごいいいなっていう感じがして。
父親がハリウッドスターを連れて家に来た瞬間に握るじゃないですか。赤い瓶を持って。
どういう状況って感じですけどね。
そうそう。でもあのシーンめちゃくちゃ良くて。
そういう人生を歩んできてしまった人なんだろうなっていうのを本当にあのシーンだけで全然描けてるし、しっかりコメディーというか面白いシーンでもあるから。
なんかやっぱいいなってそこ見てても。
いつの間にかやっぱり何というか、最初は多分お姉さんの方が、ノーラーの方がアグネスを守ってたんだけど、それがやっぱりいつの間にか変わっていってるっていうのもだんだん見てたらわかるじゃないですか。
なんかそういう意味でもなんかこう、なんていうんだろう、彼女のちょっと不安定さ、あどけなさみたいなのがだんだんわかってくるみたいなところはあるし。
本来的にやっぱりこう、性質的には結局、なんていうんですかね、ノーラーはそういう役者の道を歩むことになるわけですけど。
でも子供の頃の映画に出てたのはアグネスだったわけでみたいなのって考える。そこでも既にこうやっぱりこうきちんと見てられなかったっていうズレがより際立ってしまっているっていうのもあって。
ああ、辛い、辛いなっていう、家族ってなんか近くにいても本当に分かり合えない時は本当に分かり合えないしなっていう、そのズレを捨てることっていうのがなかなかできないみたいな。
どうじゃあ自分の中で収めるかっていうのが本当に難しいなっていう部分も含めてなんかしっかり描いてるよなというふうに思ったりしましたね。
だから故にあの姉妹のシーンがやっぱり感動的なんですよね。
そうですね、ちょっとあれも本当ね、本当あれもちょっと泣いちゃいましたね、あれはね。
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言ってること自体、アグネスが言ってること自体ってわりとこう当たり前のというか、ある意味なんてことないセリフなんですけど、この積み重ねの上にこれが来るとこんなに累戦に来るんだっていう驚きというかはあって。
そうですね、本当に他の人の家族の様子を隙間から見ているだけなんですけど、もうその距離感と近いもので見えてしまっているというか、点と点が線に繋がっちゃってるのでっていう状態であの場面に出くわしちゃうと、それはちょっと泣いちゃうなっていうのはやっぱりありますね。
だからなんかいわゆるその劇的な感動をするみたいな作品じゃなくて、なんていうんですかね、こんなに泣くと思わなかったぐらいな感じっていう意味はいいんですかね。
突然来るからびっくりしたんですよね、結構いつもの感動のやつじゃないなっていう感覚というか。
そこがすごい印象的だって、やっぱこの映画のある種ポスターっていうかメインビジュアルにもなってますけど、やっぱりハクビのシーンだなと思いましたね、あそこ。
本当の意味でのシスターフットというか。
それが姉妹なのがすごいいいなって思いました。姉妹のシスターフットって実はあんまり描かれづらいから。
あとなんか触れとくとこありそうですかね。
あと音楽良かったですね、今回も。
エンディングの曲めっちゃ良くないですか。
良かった。
ずっと聴いてるんですけど今っていう。
いつもね、ヨアキムトリア曲線良いなって思ってたんですけど、今作特に良かったっすね。
絶妙にアンニュイな曲をラストに持ってくる力が強いっていうか。
そうそれみたいな感じ。
明るくもなければ暗すぎもしないみたいな、絶妙なバランスのしみじみ良かったねみたいな、思わせてくれるみたいな曲をめっちゃちゃんと選んでくれるよなっていうのは、
今回思いましたし、
あと結構今回センチメンタルバリューとタイトルっぽさもあって、ちょっとノスタルジックなジャズナンバーみたいなのが結構多い印象、今回は。
私は最悪の時はちょっとどっちかというか、もうちょっとポップ寄りなイメージがあったんですけど。
ロックというかそんな感じのバランスでしたよね。
入っててって感じだったんですけど、今回結構そう、かなり落ち着いたけどめちゃくちゃ印象に残るみたいなナンバーが多いなというふうにはすごい思いましたね。
確かに、あともう一個これちょっと音楽とはまた別の話ですけど触れておきたいなって思ったのが、今回あんまりその結構家族の話というか、
グスタフとノーラとあとはアグネスを主人に話しましたけど、レイチェルかわいそう問題もちょっと話したかったですけど。
1:06:00
レイチェルなー。
あれね、髪の色まで染めさせられて。
あれ悲しいな。
髪の色ちょっとね、引きますよね。
いや役だとはいえ、なんかどんどん自分を襲われていくっていうあの感じのかわいそうさというか、そこがある意味グスタフの有害性でもあるんですが。
しかも別にそれをハラスメントっぽく言うんじゃなくて、だんだん淡々とそっちに向けていくっていう。
そうですね。
いやーあれは辛かったろうなーと思って。
でまた彼女めっちゃ大人じゃないですか、やっぱりなんか。
そうそう。
これは本当に私じゃない、あなたたち私がやる役じゃないと思うっていうスパッと切れるみたいな。
本当になんか彼女がいい人だから、それ相応のすごく素晴らしい感受性があるから、なんか丸く収まってるという感じもあるんですが。
本当に?本当にそう。
けどなんかそういう、この人もなんというかその感受性の高さというか、その人間力すごいな感は、パストライブスの時のあのいまかれにも通ずるすごさがあるなと思っておりますねっていう。
ちょっと毛色は違うがっていう、そう。できた人ですよ本当に。
いやもう、そのできた人に対してそれこそ一番最初のあの、というかここで母が自殺したって椅子の下りとか本当グストップ思いしたって思いましたけど。
IKEAの椅子かーいってなりましたもんね。
あそこ本当ブラックだなっていうか、まあそういう人だからなっていうのもあったんですけどね、もともとね。
いやー昔の芸術家ですよね、そういうことするの。
本当。
本当ね。
だから本当なんかエルファニングめちゃくちゃ上手いなと思いますけど、そのある種不憫な役というか。
そうだしね、まあ本当でも彼女レイジェルという役というか、まあ本当に外から見たらこう売れっ子のなんか、スターですねみたいな風に思われてそうな人なんだろうけど実はそうじゃないよっていう部分の、
こうやっぱり複雑さみたいなのをやっぱりしっかりあるキャラクターになってて、なんかねそこもね素晴らしかったんだよなあっていうのを思いましたよね。
現実にエルファニングコーチとかのねブランドイメージしてますからね。
だからあの途中エレベーターで彼女がめちゃくちゃ映るシーン現実かなって思いましたね。
実際じゃね、実際にありますもんねあんな感じのって思いますよね。
そうそうそう。街の中エルファニングいるからな普通にっていう。
いるいる。
あの辺でリアリティレインがちょっと分かんなくなってくるね。
だし普通にしれっとネットフリックスとかより普通に出てくるのとかもさ、結構ちょっといいんやって思いますけどね。
そうですよね。
ちょっとびっくりしちゃいますけど。
いやあの、最近ネットフリックスを映画が普通に引用するようになってきた感覚はあって、
特にまあ本作みたいなある程度文芸志向のある作品もネットフリックスっていう存在を無視しなくなってきてる。
1:09:06
できなくなっているとも言えるし、しないようにしているとも言えると思うんですけど、
入れ込んできてるじゃないですか。状況。
映画は今こういう状況にあるっていうものを描いてきてるっていうのは、
結構この、ちゃんとしようとしてるなって思うんですよ。現状を理解して。
今自分たちはどういう立場に置かれて映画を作ってるかって分かってやってるっていうのはいいなと思いつつ、
このタイプの映画ネットフリックス拾うんかっていうのをちょっとすげー思ってたんですけど。
でも拾う気がしますよこのタイプの映画。
あ、そうか。そうか、そうか。
てかむしろ今ネットフリックスってこういう、スター俳優使うかどうかはさておきとして、
いわゆるその大御所監督に好きなように撮っていいよってやりがちじゃないですかむしろ。
あ、そうですね。そうか。そうですね。
まあそうですね。
それこそね、ジェインカンペオのパワーオブザドッグとか。
はいはいはい。
ありますしね。そういう、まあローマとかでもいいですと思いますけど。
ローマとかでもいいです。だからそういう類のね、あの企画だったんだろうなこれちょっと思いました。
あ、まあつまりあの、ヴィクトルエリスにネットフリックスで作品撮らせるってことですよね。
そうそうそうそう。つまりはそういうこと。
確かにしそう。ネットフリックスやりそう。それ。
エルファニング主演にしてね。
ああ、やりそうやりそう。めちゃくちゃやりそう。
やりそう。
めっちゃラットックありましたよ。だから見てて。
本当だ。
そうなんだよな。
それでオスカー狙いに行くっていう。
うわあ、絶対やるわ。
だから本当にリアリティラインがわかんなくなるんですよね。フィクションなのかどっちなんだっけっていう。
すごいですね。なんか境界線ぐちゃぐちゃになりますね。
そうそうそうそう。
はい、すいません。ちょっと時間があるなのでこんなところでセンチメンタルバリューの話はおっとこうかなと思います。
はい、ではお知らせになります。映画の話したすぎるバー、次回開催日は決まり次第お知らせいたします。
場所大阪南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
そして5月9日土曜日に東京で映画の話したすぎるバーを開催します。
場所はイベントバーエデンにっぽり18時オープン23時クローズです。
また5月10日日曜日に開催されるポッドキャストウィークエンド2026にて映画の話したすぎるラジオのジンを発売しますのでそちらも合わせて遊びに来てください。
またこの番組ではお便りを募集しております。番組全体やトークテーマ作品に向けてご自由にお送りくださいませ。
次回テーマはXO及びインスタグラムにて告知しております。各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
1:12:02
それでは映画の話したすぎるラジオ第252回センチメンタルバリューの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:12:35

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