で、それだけだったら結構あるあるじゃないですか。
なんかもしかしておばあちゃんおかしいんじゃないかなみたいな話って、
まあまああるかなと思うんですけど、
なんかそのあるある路線の中に急になんか、え?みたいなのがぶち込んでくるんですよ。
こう設定的にもビジュアル的にも。
その、なんていうのかな、その加減がすごい良くて、
あの絶対嫌かんで見てって進めるほどではないんですけど、
私は結構ね、あのなんか掘り出しもんだなと思って。
これ一番嬉しいタイプの期待せずに見て、わー面白かったっていう感じの映画でした。
一番気持ちいいですね、その鑑賞体験。
そうなんですよ。もう監督いただってごめんと思います。
なるほど。はい、わかりました。じゃあマリオンさん、近況いいですか?
はい、えっとそうですね、新作だとトランスフォーマービースト覚醒とマイエレメントを新作は見てて、
あとちょっと、ラース・フォントリアのレトロスペクティブをちょっと見続けてるんですけど、
そこをちょっといっぱい拾ってて、ボス・オブ・イット・オールって映画と、
ニンフォマニアックV2と、あとラース・フォントリアの五つの挑戦っていう映画と、
ヨーロッパって映画と、エピデミックっていう映画を映画館に見に行ったりしてました。
そうですね、なんか一番めっちゃうわーってなったんですけど、マイエレメントめっちゃ良くないですか?
最高!良かったー。
マイエレメントめちゃくちゃ良くないですか?
めちゃくちゃ良い、本当に。
え?これ最高じゃん!っていうぐらいテンション高くなったんですけど、
もうなんて言うんですかね、普通にラブストーリーとしてももう100点って感じですし、
世常と言いますか、他民族あふれる国家というか、日本もそうだと思うんですけど、
いろんな国の人が時間となって都市を作ってるみたいなのって、
もはやどこでも当たり前だと思うんですけど、
そういう意味とかの描き方に関してもすごくよくわかるなって部分とかもあったりとか、
ちょっとしたシーンですごくなんか、あ、気が利いてる!って感じがすごくしてて、
しかも映像めちゃくちゃ綺麗だし、
もうこれ最高じゃん!っていう風に思いながらちょっと見てしまいましたね、久しぶりに。
ちょっと皆さんになんかいろいろ喋りたいことありそうなんで、あれなんですけど、
特にちょっと僕、結構、あのー、エンバー。
はい。
炎の女の子のエンバーの話が結構自分事のように刺さってしまったというか、
重なってしまう部分が多くて、余計にちょっとこの映画のことが好きになってしまったんですけど、
あの、まあ、家業を継ぐのか継がないといけないのかみたいな話があるんですけど、エンバー。
僕もエンバーと同じような立場だったんで、めちゃくちゃあの辺の感じわかるぞって思いながらちょっと見ちゃったんですよね。
まあその、あれって、親から継いでくれって言われてるわけじゃないけど、
案理もう継ぐでしょみたいな感じなものをこう、向こうもかけてて、
で、子供は子供で、言い出せないまま、もう自分が継ぐもんだって勝手に思い込んでそのままずっと人生歩んできたみたいな感じなのが、
もうまるっきり俺やんって思いながら見てしまって、そっくりやんみたいな風に思ってしまったんですよね。
もうちょっとそこだけちょっとね、もう泣けてくるんですよね、今回のちょっとエンバーの話を聞いてると。
そうそう、もうまあね、ちょっとね、ラブストーリーとしても最高なんで、もうこれもう大傑作ですよっていう感じでしたね。
お二人も見られてるんですよね、大石さんと山口さん。
ついさっき見てきました。
ついさっき?
僕今テンションおかしいんです、実は。
あの、ツイートからなんとなーく、あ、山口さんこれモード入ってるなって察したんですけど。
いや本当にすごいんだよな、これ。
思った以上に良くてびっくりしたって感じです、本当に。
僕もあの、見てる間ずっともうエンバーとウェイドに幸せになってほしくて鼻息でした、ずっと。
わかる。
わかるわー。
わかりますねー、本当にちょっとねー。
ウェイドって男の、男性のね、キャラクターもね、すごくいいというか、
人前でちゃんと泣ける男っていいよな、みたいな風なのもあると思うんですよね。
泣き虫な男でもいいじゃないかみたいなところがすごくなんかいいなっていうのもありますし、
すごくなんか優しいキャラクターでなんかすごくいいなーって思いましたし。
マイエレメントだと、やっぱ触れ合いの表現がとにかく僕は好きなんですよ、二人の。
その、触れ合うっていうことに対する恐怖心、それは火と水だからなんですけど、
触れ合いたいんだけど、触れ合うのが怖いみたいな、その距離感の表現がまあとにかく刺さりまして。
それゆえについに触れ合う瞬間があるわけじゃないですか、映画の中盤に。
もうあそこのシーンちょっともうラクリすごくて。
わかりますねー。
結構まあ、ベタな話っちゃベタな話だと思うんですけど。
けどやっぱピクサーぐらいになるととんでもない演出力でそれをベタやりきっちゃうじゃないですか。
もう泣くわけですよみたいな感じなんですよね。
本当に上手いっていう、もう素晴らしいですしね。
元素っていうんですか、炎とか水とかっていう、四大元素的な感じの世界ですけど、
その元素の表現みたいなのもやっぱすごいじゃないですか。
水のキャラクターのウェイドの反射とかやばいんですけど、
エンバーとかすごい明るいエンバーとかの明かりに照らされると、
水なので太平洋がめちゃくちゃ七色に輝いて見えるみたいなのとか、
ちょっとすごすぎるみたいな感じでしたし。
また二人が掛け合わさることでいろいろ生まれるものがあるみたいなのっていうのが、
もう化学反応そのものじゃないですか。
だからいないことにすることで守られるよりも、人を詐欺すむ、あるいは詐欺すまれてでも自分がいることを認めさせることに挑戦する話っていう風に読んで、
そこが僕はすごく感動したと言っていいと思うんですけど、正直めちゃめちゃかっこいいなと思いました。
ラストの飛躍は正直僕よくわからなくなっちゃって、まず時系列どうなっているのかなとかがわからなくなって、
そもそもこれって現実?みたいなのもちょっとごちゃごちゃってなって。
それで思ったのが、ちょっとネタバレにならないように言うのは難しいんですけど、空想現実なのか、現実空想なのか、それとも現実現実なのかがちょっとよくわからなくなって。
それを考えていくと、空想空想なわけじゃないですか、そもそもは。小説である以上。
その4パターンがあり得る中で、じゃあこの物語は誰のために作られたのかなっていうのをすごく考えたんですよ。
その誰のために作られたかっていう候補になる人が何人かいるんですよね。その物語を求めた人が。
その物語は誰のためであって、この作者の方は誰のために書いたんだろうっていうのをすごく考えたんですよ。
そこがすごく面白かったというか、僕はこの飛躍は本当によくって、やっぱりこの飛躍した先もめっちゃ不謹慎じゃないですか。
でもだからこそ救いがあるなぁと思って、やっぱりフィクションには正しくないことをしてほしくて、正しくないことが何かを貫くときにすごく救われるんですよね。
僕は本当にね、これはね、この物語から僕が救われたっていうのは正しいかどうかわかんないんですけど、僕は救われました。
というかこの物語で多分救われる人がいるんだろうなっていうことが僕にとっての救いだなと思って。
なるほど。
なんかめっちゃいいもの読んだなっていう感じです。
僕はあの飛躍を小説家というか作者のルサンチマンで終わらせないというか、フィクションをフィクションにするための飛躍だなと思っているんですね。
あの物語ってちょっと当事者性がかなり強いと思うんですよ。
だからあのまま本当にあの終わってしまった場合、これはあくまで作者のルサンチマンを吐き出すための物語でしょ、小説でしょって終わっちゃうと思うんですよ。
だけどそこで一個あの飛躍が生じて、これがあくまでフィクションか現実かっていうのが曖昧にされる。
これまでリアルだと思っていた、何なら作者の話ぐらいに思っていたものが、ふとちょっとリアリティラインを超えてくるってなったときに、その前の話も含めて全部がフィクションになり得ると思うんですね。
そうすることで、私は自分の話も書くけどそうじゃない人の話も書けるっていう宣言というか、作家宣言のようにも自分は思えて。
僕は作者目線であの飛躍を読んでたんですけど、なんか詩小説を否定するというか、私の話ではあるけどないっていうその微妙な淡いを求めて、
それよりもストレートに感覚として、
これを読んでる自分っていうのを捉えられたなっていう感じがすごいして。
あそこ何にも当てはまらなかったとしても、
自分もその延長線上に立ってる一人なんだっていう風に感じる作品でしたね。
なんか読んでて、話すときの言葉入れ入れが難しいのもそうなんですけど、
すごい普段考えないことを考えさせられるじゃないですか。
例えばどうしてこれって自分が言葉にできないのかなとか、
言葉にしちゃダメって思う理由って何なんかなとか、
どこまでが差別性を帯びてるのかなとかっていうことをすごく考えさせられるんだけど、
それが全然嫌な気持ちじゃない?
社会のことを考えさせられるっていうよりは自分のことを考えてる感覚で、
自分のことを知るっていう感じでそれを考える行為に入れるから、
それが小説のすごいとこだなって思います。
やっぱりあの作者にしか書けないっていうのも絶対あると思いますし、
例えばハンチバックはこのメンバーには全員刺さるんやろなと思いながら。
ちょっとびっくりするぐらいうわーって読んでしまいましたね。
あっという間に読み終わっちゃったので確かに。
短いですね、そんな長い小説じゃないか。
そうですね。長くないっていうのもありますけど、
読んでて文章が結構面白い感じっていうのは思ってたんですけど、
確かに本当に宮本さんも言ってましたけど、
インターネットに結構どっぷり使った人の感じって言ったらいいんですかね。
めっちゃわかるなこの感じの言い回しとか、
専門用語とかさ、わかるなみたいな感じがすごくしてしまうというか。
この人もなんかもしかしたらすれ違っていたかもしれないじゃん、
このSNS時代のどこかでさ、みたいな感じにはすごくなるんですよね。
文章のすごい難しい言葉と低俗な言葉をすごいミックスして書くじゃないですか。
それもなんかすごい面白くて、
なんか試されてるなみたいな。
すごい知的だし。
全然読まれへんねんけどみたいな。
ちょいちょいやっぱり専門用語みたいなのがわかんなくて調べたりはしたんですけど、
いろいろそんな用語あるんみたいなのもいろいろ知ったりもしたし、
引用してるモトコトコとかもいろいろたくさんあって、
すごい頭がいいなっていう感じがすごくして面白かったですね。
それこそちょっと1個エピソードというか中に出てくるで紹介されてたので、
びっくりというか、確かにそれ言われてみたらそうだって思ったのは、
読書の特権性とかはけっこう驚かされましたね。
そうですね。
そうか。
でさ、その時にさ、なんか文系は自分たちがこう、
普段しいたげられてるみたいな言い方してるけどさみたいなとことかも、
言い覚えがありすぎると思った。
そうですね。確かにあります。
文系特有の特権性じゃないですけど、文化系の特権性って言ってるんですかね。
映画だってやっぱり映画館に行くことの特権性とかも重なったりするじゃないですか。
それって映画で置き換えるのであればね。
そうなんですよ。
そういうのとかも思うとなんかうってなりますよね。
何か紙のぬくもりがいいじゃんって感じかのかって怒ってましたけど、
いや確かにそうやんなっていう。
言ってみればそうですねって。
だから僕らが劇場でやっぱ映画を見るのはいいよねって言ってるのと近いところがどうしてもあるんですよね、それはね。
うん。
結構ギクッとさせられるんですよね、そういうとこが。
だって芥川賞の受賞作見るのなんて文系ですよ。
当然文化系ですよ。
そうなんですよ。だから本読んでるこっちに現在進行形で付け育ってくるんですよ。
で、君らこの本多分だけど背筋伸ばして読んでるでしょっていう。
なんかその特権っていう言葉はすごいそれを言い出すと全てに言い出すことができるかなとは思うんですけど、
それをなんか嫌な感じがしないって言い方おかしいんですけど、
それが文章の上手さ、表現の上手さだなっていうのはあって、
単純に自分が責められてるって感じるというよりは、
テクノロジーってそもそもこういうためにあるよなっていうことを思い出させられるというか、
なんかすごい自分の視点でしか捉えてなかったことに対して、
そうじゃないよなっていうことを単純に気づかせてくれるので、
そこに関して自分が責められてるなとか、
そういうネガティブな方に感情が向かないんですよ、読んでて。
そのあたりがすごいな。
アサイリョーの作品ってわりとこっちをひねりにくるんですけど、いつも。
まず最初にアサイリョーってこちらを普通というものに乗せて、乗せた上で乗った君らってさって言ってくるんですよ。
なんか読んだことないから読んでみようか。
だからめちゃくちゃ意地悪だな、それはそれで好きなっていうか、
アサイリョーの味として僕はいいなと思ってるんですけど、
ハンチャーバックはなんかそのいやらしさがないなとは思っていて、
最初からもう赤コーナー青コーナーに最初からいて、
で向こうから結構綺麗なカウンターパンチが飛んできてるっていうか、
普通にパンチが飛んできてるみたいな、
それがほぼほぼストレートにパクンってはまるからもう逆に気持ちがいいみたいな。
なんかそういうなんだろうな、
言葉の使い方が上手いっていうのももちろんそうなんですけど、
なんかすごいスッキリとしてるんですよね、そこが。
なんか爽やかというか。
あれは確かに独特の読み味で、
もうちょっとそのサラッと読んじゃったんですけど勢いで、
ただもうちょっと一文一文とか言葉の使い方をこう、
味わって読みたいなって欲求が今ちょっと生まれてきてます。
そのときに自分と妹は、完全にまさにさっきの当事者性って意味で、
すごく描かれている子供のことだったりに、
等身大でいろいろ共感したりとか、
今ほど深い解釈、
例えば東でのラストに対して深い解釈とかしてなかったと思うんですけど、
ただ自分たちの話としてあのとき見たんですね。
印象的だったのが、そのとき一緒に見た父親と母親、
映画ある程度見るんで、
そんなに深く解釈とかをするタイプではないのは知ってたんですけど、
でもなんか全然刺さんなかったって言われたんですよ、その二人に。
何にもわかんなかったって言われて。
それが妹と自分と結構ショックで、
あ、そっか、感じれなくなるというか、お皿がなくなるというか、
需要できるものが消える瞬間ってあるんだなってことを、
ちょっとそのときにすごい自覚をして、
そこから見れるうちに見れるものを見ようと思って、
結構いろんな作品見始めたっていうのがあったりするんですよ。
結構それが引っ掛け、後々の映画にはまる引っ掛けの一つになったりするんですけど、
そういう作品によっては出会うべきタイミングで出会えなかったら、
逆にもうそれ以上深く入れない作品とかもあったりするのかなって何となく思っていて、
その辺どう思います?ってすごい雑なフリをしちゃいますけど。
いや、まぁ、あると思いますそれは。
あ、あります?
あると思うんですけど、
ただその、例えばその雷麦畑が思春期に刺さるっていうので、
それは多分一般的にそうなんですけど、
じゃあ全ての人にとって賞味期限が思春期の作品かと言われると、
そうとは限らないとは思うんですよ。
ですよねそれは。
僕が桐島を初めて見たのは多分29歳なんですよ。
ちょうど10年前か。
ちょうど10年前ですわ、桐島を初めて見たのは。
だから29歳の時で、29歳の自分にはめっちゃ刺さった映画だったんですよね。
リアルタイムとしての当事者性っていう意味では別に全然そういうわけではないとは思うんですけど、
そこでじゃあ桐島が学生のことだけを祝ってる話かと言われるとそうではなくって、
あれって別にどのタイムでも見れるし、
解釈によっては誰でも刺さることはできると思うんですよ。
作中で学校だったものは今の自分にとって何なんだろうって想像したら、
別にそれは刺さらないってことはないと思うんですけど、
そこの想像力を持てるかどうかって、
じゃあその想像力がないとそうならないのかと言われるとそういうわけではなくって、
別に想像しなくてもなんか刺さることはあるじゃないですか、はずないで。
それはもうやってみないとわからないと思うんですよ。
なるほど。
だから賞味期限は絶対にあるとは思うんですけど、
じゃあこの本は30歳の人に刺さりますっていう本が、
自分に30歳に刺さるかと言われるとそうでは限らなくって、
40になってから刺さるかもしれないから、
よく言われてる賞味期限っていうものにこだわらなくてもいいのかなとは思うんですよね。
もう刺さった時に刺さるでしかなくって、それは賞味期限とかじゃなくって。
だからその人が言う賞味期限でその作品であるとか、
あるいは自分自身をカテゴライズしない方がいいよなとは思うんです。
なるほど、なるほど。
だから多分その賞味期限というあくまで何歳までですとかっちり決まっているものではなく、
そのメッセージというかコアにあるものというのに読み取れるというか、
わかる。もちろんそれは言語的明治的にわかるでもいいし、
そうじゃない場合、ある種非言語的な直感的に感じるでもいいと思うんですけど、
そこは多分確かに人それぞれだし、そこをどう折り合いつけていくかって結構、
そもそも人の成長に典型的な段階なんておそらくないと思うので、
そう考えるといわゆるマーケットとしての客層は変わるかもしれないけど、
でも作品自体にはその人にとっての多分出会う武器タイミングがあるって考えるのが多分私は妥当かもしれないですね。
そうですね、あと刺さることだけを価値にしなくてもいいとは思うんですよ。
例えば今雷鳴畑を見て刺さらなかったですと、
じゃあその刺さらなかった理由を自分がもう資深期じゃないからということに求めるのではなくて、
今の自分が読んで年齢以外にその理由っていうものを掘り下げた方がいいかなと思うんですよ。
その理由は多分年齢以外にあるんですよね。
その年齢っていうのはあくまで大まかなターゲット設定でしかないから、
刺さらなかった理由を自分の内側に求めていく方が多分価値があるとは思うんですよね。
なるほど、なるほど。
だから刺さらないことにも意味があるとは思うので。
刺さらなかったから自分用じゃなかったで終わるのはもったいないかなって気はしますね。
このラジオをしていたら毎回そんな気持ちですけどね、私は。
なんかちょっと違うかもしれないですけど、
私隣のトトロを、子供の時トトロとかって金曜ロードショーでやったりするんで、
なんとなくで何回も見てたりするじゃないですか。
大人になってから、金曜ロードショーでたまたまそのトトロを見た時に、
なんか私わけもわからずボロボロ泣いてしまったんですよ。
それが何でかって言ったら、猫バスが走るシーンなんですけど、
あの時に村の大人たちは風しか感じないんですよ、猫バスが見えなくて。
今の自分は猫バスが通って風しか感じひんねやって思ったら、
しかも少なくともトイストーリーのシリーズの中では、
4に関しても別にウッディが5人の一番のお気に入りとかでもないから、
もう二軍三軍になっちゃってるって実感があるからこそ、
自分がもっと違うところで子供を喜ばせられるんじゃないかって思ったわけじゃないですか。
そうですね。
考えたらなんか意思があるのにそこまでいいおもちゃを演じてくれてる視点で、
ありがとうっていう。やり返されてもおかしくないとみたいな。
確かに。結構ひどい周知受けてますけど、
結局おもちゃとしての役割みたいなのにはめっちゃやっぱり、
そこは絶対曲げられないものがあってっていう話ではあるし、
おもちゃの役割に目覚める話っていう意味では、
フォーキーがその立場になるんですけどね、読んだというか。
そうですね。
最初ずっとゴミって自分のこと言ってましたけど、フォーキー。
だんだんそれがおもちゃとしての自覚が芽生えてくるようになるみたいな、
おもちゃとの役割を目覚めていく話っていうのは、
そこはなんか結構おもちゃとは何かみたいなものに
根源に立ち返っている映画ではあるんだなっていうのはちょっと思いますね。
確かに。
だからフォーキーが完全に1作目のバズライトイヤーと同じ立ち位置というか。
そうそうそう。
やっぱりなんかその賛否の非派の多分意見なのかなって僕が思っているのは、
トイストーリー結構やっぱり賛否の非を言ってるのって結構僕世代というか、
トイストーリーと一緒に育ってきた世代の人が割と多いイメージがあって。
少なくとも自分の周りは結構フォー否定派が多いんですが、
やっぱり聞くと3というかファンタジーとしてのトイストーリーにすごい魅力を感じてるんだと思うんですよ。
なるほど。
ファンタジーとしてのトイストーリーとして3があまりにも完璧すぎた。
それで多分自分の中でトイストーリーというファンタジー及び、
おもちゃと自分っていう線を多分1個区切りがついちゃってるんですよね。
だからフォーが多足だっていう言い方をするんですよ。
なんかその考えで言うと、なんかその感じで非の感想がめっちゃ増えるのって、
ドラゴンクエスト、ユアストーリーにも似たようなもの感じますけどね、それだと。
現実持ち込んでくんなよっていう怒りでめっちゃ怒ってたんですよ、あれって。
なるほど、なるほど。
で、ある意味トイストーリー4がファンタジーから1個離れたちょっと現実的なものというか、
おもちゃも1つの個人としての特性があってっていう話と、
あとおもちゃの役割とは何かっていうのをもうちょっと深く描くみたいな話になると、
どうしても現実的な方向になるじゃないですか、やっぱり。
やっぱりそこが、いやなんかちょっとみたいな風になる人は多いんだろうなっていう感じはありますよね。
そういう意味では近いものがあるし。
で、僕はそのどっちの非の感じでも僕もあんぴんとこないので。
僕4否定派じゃないっていう上で、
どういう感情でもってこの非の気持ちを覚えるのかっていうのを結構想像してたんですけど、
トイストーリーを好きな人って多分トイストーリーをおもちゃ箱の中に入れてるんじゃないかなと思って、
トイストーリーの思い出をおもちゃ箱の中に入れてて、捨てたわけじゃなくてね。
で、たまに取り出してトイストーリーの思い出というおもちゃで遊びたくなるのかなって思うんですよね。
で、だから普段は遊ばないけどそのトイストーリーという思い出を取り出したときは、
おもちゃとして振り回ってほしい。自分にとっての大切なおもちゃとして振り回ってほしいっていう気持ちがあるんじゃないかなっていうあくまで空想として考えてみて、
で、トイストーリー4ってそのトイストーリーという思い出をおもちゃ箱から取り出したら、
それであることをやめる話になってるじゃないですか。
だからおもちゃ箱から取り出したときには、いまだに自分のおもちゃであってほしいっていう気持ちなのかなと思って。
捨てたわけじゃないから、トイストーリーというおもちゃを。あくまでまた遊べるおもちゃ箱の中に入れてるだけであって、
そのだけなのに自らおもちゃであることを、自分だけのおもちゃであることをやめちゃうから、トイストーリー4が。
ちょっとそこで裏切られたって気持ちを覚えるのは、なんかわかるなって気がせんでもないなとは思って。
だから普段は裏でタバコ吸っててもいいんだけど、僕がおもちゃ箱の中から取り出したときだけは、あの頃のトイストーリーでいてくれよっていう。
いや、だからそれ元彼のメンタルなんですよ。
そうなんですよ。元彼のメンタルって。
それ元彼のメンタルなんですよ。
そうなんですよ。そうなんです。だから、俺はもうお前のことを別にそんなどうとは思ってないけど、お前は俺のことをずっと思っててほしいなっていうメンタル。
そう。で久しぶりに連絡してきたかと思ったら、あれ、なんか変わった?とか言われるっていう。
なんかこれ以上ないぐらいピシャリと纏い抜かれたような気持ちです、今。
こういうことかっていう。
パンチが飛んできた。
なんかすごい今、めっちゃ視界がクリアになりました。ああ、そういうことやったんかみたいな。
どう聞いてても元彼の話にしか聞こえなかった。
そうなんですよ。そうなんですよ。突き詰めると。
あの頃のお前でいてほしいみたいな。
これもうめちゃくちゃ否定派から叩かれそうだなみたいな。
すいません、本当に。
ここ否定派がいなかったんでしょうがないんですけど。
いやいや別に元彼がそれで悪いとか言ってるわけじゃない。
そうそう。だからその気持ちは分かるんですよ。
分かります。
そのメンタルは。
まあ確かね。
分かります。
もうやっちゃうときあるしね、こっちも。
もうこっちもそのマインドになることしょっちゅうあるわみたいな。分かる分かる。
だからそう、否定派になる気持ちも分かるんだけどっていう、
なんか多分距離感というか、その思い出の強さの話なのかなっていうのは結構思いますね。
なんかあの、結構後から見たんで。
公開してだいぶ時間経ってから見て、なんかなんでそんなに言われてるのかなと思って。
それもちょっと興味を引いた一つでもあったので。
結構そういう賛否言われてるって聞くと興味湧くじゃないですか。
どういうとこで言われてるのかなとか。
自分はどっちに思うのかなっていう。
だからそれ込みで楽しませてもらったのは結構ありますけど。
でもなんか私思うのが、歴史が違うんでしょうけど次、なんかこう歩んでる。
なんか現実に戻すなよ批判さっきのドラゴンクエストの話とか。
でもなんか最近はエヴァンゲリオンとか、宮崎駿のあれもそうですけど。
現実に戻せよう系結構多い気がしてるんですよね。
でもそこでなんかありがとうってなってる。
だから私なんかさよなら、なんか見てないんですけど、エヴァンゲリオンとかも話聞いてると、
え、ファンの人それでいいの?って思っちゃったんですよ。
私は全然違うから冷静に聞けるけど、逆にファンの人それで怒らへんの?って思ったんですけど。
結構あれはファンからしたらありがとうみたいな感じじゃないですか。
それは多分、まず創造者が宮崎駿と庵野秀明っていう圧倒的な存在だからっていうのがあると思うんです。
オリジンとしても圧倒的な存在っていうのがあって、その作家性込みで認められてて。
あとまあそのクリエイターとしての歴史がまずあるっていうのがあるから。
そのIP、ドラクエっていうIPそのものじゃなくて、宮崎駿というクリエイターの歴史とか庵野秀明っていうクリエイターの歴史に対してのものだから。
でもドラゴンクエストイラストーリーは、ドラクエっていうIPに対してその時の雇われた監督が急に言うから、おいってなるっていうのが多分ある。
お前がそれを言って立場にいるのかっていうふうに思われてしまうっていうのは多分あって。
宮崎駿と庵野秀明はもうこれ以上言うにふさわしい人間はいないじゃないですか。
多分その責任の置き所みたいなのが心情としてあるのかなって気はして。
別にドラクエの話になるからな、これ言うと。
別に現実に帰れよみたいな話をしたいわけではなかったので、ドラゴンクエストイラストーリーって別に。
そういう話でもないのに、見た人はそうやって怒ってるのが僕は不思議っていう感じなんですよね。
そうなんや。
そうですよ。
なんでこれに僕、怒ってるのかよくわかんないっていう感じなんですよ。
私、怒ってる人の話だけ聞いてて、見てないんですけど怒ってる人に全部聞いて、えーって。
こういうのでっていうのあるんですよね。
別にそれ怒ることじゃなくねって思ってるんですけど、僕はっていう。
それでエヴァじゃねえって思ったんですけど、それがちょっと面白かった。
現実に帰れよって言ってるわけじゃないので、メッセージは。
むしろ逆な方だと思うんですけど。
なのに見た人はめっちゃ怒ってるっていうのが不思議でしょうがなくって。
なんでこれに怒ってるのって感じなんですよね。
怒るべきところはそこじゃなくて、普通にドラゴンクエストの元の活劇の部分が退屈っていう部分の方がめっちゃ怒った方がいいでしょ。
元の冒険部分の演出がクソダサいぞっていうところに怒るべきなんですけど、そこにみんな怒ってない。
確かにそこで怒ってる人よりも、ラストで怒ってる人の方が効きますよね。
怒ってるポイントが違うと思ってるんですけど。
面白い。
さっきの山口さんの指摘でトイストーリー、国内と国外で評価が全く分かれてる点について思ったんですけど、
トイストーリーとか特にピクサー作品もそうですけど、国内での売り込み方というか見方、見られ方って多分IPとしてのトイストーリーしか見られづらいと思うんですよね。
要するにキャラクターとしてのトイストーリーとして見られるから、多分そういう偏愛に落ち着きやすくて、
クリエイター側の話であんまり、アンテナ高い人は聞きますけど、普通の人は多分そこまで伸びないと思うんですよ。
そうですね。伸びないでしょうね。そこまで行かないな。
だけど、さっき言ったように庵野さんとか宮崎さんはそこまで、国内だから行くじゃないですか、話が。
あー、なるほど。国内と国外、そういうことね。
で、実際そのトイストーリー4の評価って日本だけ賛否両論で、アメリカ本国ではかなり賛の方が多い評価なんですよね。
えー、面白い。
ロッテントマト100%とかって言われてるぐらい、フレッシュって言われてるぐらいすごく評価が高くて、割と日本ぐらいなんですよ、割れたのって。
なんかそう面白いですね、その真理が。
なんかね、不思議だなって感じだし、話しててもあそこドラクエのこと思い出すとは思わなかったんですけど、近いものあるんだよね。
多分ね、あると思います。そこを多分一緒なそうな気がする、怒ってるの。知らんけど。
IPとしてのトイストーリーが怪我されたって思ってしまうのは、なんかそうかもしれないんですけど、クリエイターがそこで見えてくるかどうかは結構希望かなって気はします。
なんかわかるな。
ちょっと、ごめんなさい。
ごめんなさい。
いいですか?
はい、すみません、長く言ってしまった。すみません。
すみません、最後の最後にトイストーリーの話を出してしまったのがまずかったかもしれない。
適当に聞いてください。