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今日のテーマトークは、バビロンです。はい、ではマリオンさん、解説をお願いできますでしょうか。
はい、映画ドットコムから解説を読ませていただきます。ララランドのデイビアンチャゼル監督が、ブラッドピット・マーゴットロビーラ豪華キャストを迎え、
1920年代のアリウッド黄金時代を舞台に取り上げたドラマ。 チャゼル監督が、オリジナル脚本を手掛け、ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢を叶えようとする男女の運命を描く。
夢を抱いてハリウッドへやってきた青年マニーと、彼と息統合した新進女優ネリー。 サイレント映画で業界を牽引してきた大物ジャックとの出会いにより、彼らの運命は大きく動き出す。
恐れ知らずで美しいネリーは、多くの人々を魅了し、スターの階段を駆け上がっていく。 やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せ、
共演にはスパイダーマンシリーズのトビーマグワイヤ、レディオアノットのサマラウィービング、 監督としても活躍するオリビアワイルド、ロックバンド、レッドホットチリペッパーズのフディーラ、多彩な顔ぶれが集結。
ララランドのジャスティンハーウィッツが音楽を手掛けた。 はい、それではサワリの感想に入っていきたいと思いますので、
もしネタバレを気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てからここから先は聞いていただけたらなと思います。
はい、ではマリオンさん、サワリの感想いかがでしょう。
えっとそうですね、今回バビロンは僕ドルビーシネマで見たんですけど、
あのなんとまあなんかドルビーシネマだけちょっとモザイクがかかってないバージョンで、 間違えてかけちゃったっていうニュースがちょっと直前に流れて、ちょっと僕はびっくりしたんですけど。
いや羨ましい。
まさかの無習性版というか、まあどうしてもあのね日本で公開するときにちょっと年齢制限ちょっと下げたいとかって感じでね、
モザイクかかったりすることありますけど、まさかの何もない状態のものを僕は見ていたんだっていうのはちょっとまあ驚いたんですけど、
もうまさにそのままですよね。ありのまま、ありのままチャゼルの映画愛を3時間浴びてきたと。
素晴らしい。
いうことをちょっと僕はちょっと胸で誇りを、ちょっとねもうこれは貴重な体験をしたなという思い出を胸に秘めておきたいなというふうに思ったぐらい、
今作のバビロンという作品は何もかもやりすぎてすごいって思いましたね。
なんて言うんですかね、これなんか計算でやってるとしたら、計算でやってるのかもしれないですけど、
よくそのブレーキ踏まなかったなみたいなことをなんか平気でやるよねっていう感じだなというふうに思いましたね。
本当に。なんか本当前回デーミアンチャゼル界で話したことがなんか納得っていうところもあるし、
さらにヤバいことしてきたなみたいな気持ちにもなるし、ちょっとこれは今んとこですけど、これもベストでいいかもしれないみたいなぐらいちょっとよくやってくれたなというふうに思いました。
タブルさんいかがでしょう。
はい、私もドルビーシネマで見てですね、ちょうどマリオさんと同じ回で終わった後、
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そうでしたね、同じ回でした。
そうですね、あったんですけども、よく言った感想になりますけども、チャゼルがいろんなものぶちまけたと言いますか、
そういった映画でやりきった、やってしまったみたいな感じまで言ってるような映画だと思いますけども、
やっぱり映画史を描く映画っていうところでは、僕その辺すごく好きなので、ちょっと数年前からサイレント映画なんかもよく見てきたんで、
その辺の、なんて言いますかね、リファネンスがある意味きちんとも入ってるし、ある意味もうすごく老悪的っていうか面白く滑稽にもやってますし、
その辺いろいろ楽しめましたし、最後まで見ていくと雨に歌えばのチャゼル版だったんだなっていうことが分かって、
で、雨に歌えばが僕すごく好きなんで、その辺の重なって、あちらの方もちょっとメタ的な要素も多いんですけどもね、
そういう面でもすごく面白い映画でした。ちょっとその辺もまた後で語りたいと思います。
僕はですね、見ててですね、ちょっと引きました。
チャゼル映画好きすぎと思って本当に。ちょっと僕引きましたマジで。映画好きすぎだし、自分のことも好きすぎと思って。
ちょっと僕チャゼルのことを侮ってましたね。僕が持ってる10倍ヤバいやつでした。
結構自己愛が同行してるなって思って、ヤバい、本当に。
でも結構僕、チャゼルって視野の狭さを描く作家っていうふうには思ってたんですけど、今回結構開けてるなと思いながら見てたんです。
割と客観的にそのハリウッド黄金期の栄光と没落を描いていく話に僕は見えてって、すごい客観的な話のように思ってたんですよ。
ラストまでね。ラストまでね。ラストのある展開を見てさ、もう呆れかえったんですよ。
お前さ、どこまで映画と自分を一体化して見てるんだよと思って。もうお前がナンバーワンだよと思って本当に。もう勝てない、もうあんなことできる人間には。
本当。ちょっとね、チャゼル監督の詐欺橋って漢字苦手って言ってたんですけど、もう押しつぶされたんで、もう。
もういいです。あんたの勝ちです、本当。
あんたの勝ちですって。
はい、もうそんな感じです。作品としては、ちょっとあの、傑作と言い切るには僕のテキストが足りない気がしているんですけど、まあ改作ですよね、本当に。
怪しい作品だと思います。結構チャゼルのフィルモグラフィーの中でもぶっちぎりの際立った一作なんじゃないかなっていうふうには思いました。
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はい、てな感じですね。で、今回お便りを3ついただいているのでご紹介できたらなと思います。
マリノさんお願いできますか。
はい、ではちょっとお便り読ませていただきます。
牛乳配達さんからです。
映画バビロンの感想を送らせてもらいます。
傑作でした。心の底から大絶賛と言える作品ではなかったですが、188分のすざましい映像を見て、謎の高揚感がある状態で映画館を出ました。
過度なお仏描写やカオスなパーティー場面で最悪だという気分になりながらも、マーゴットロビーの踊りを見て最高だという気持ちにもなるなど、ここ最近鑑賞した作品の中で最も感情が揺さぶられました。
また、大物スターが時代の変化によりキャリアが落ちていく描写は、いろんな俳優やアーティストのことを考えてしまいました。
後半のトビー・マグワイヤーが出てくる場面が必要ないのではという感想が一部で言われているようですが、自分は彼の狂気的な演技も素晴らしかったと思います。
まだまだ語りたいことはありますが、次回の映画バーに参加できればその時にまた喋りたいと思います。
感想会楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
そうですね。心の底から大絶賛と言えるわけではないけども、高揚感があるっていう、ちょっと僕感覚近いかもしれないですね。
後半のトビー・マグワイヤーのところ、どう思われました?みなさん。
はい、トビー・マグワイヤーが出てること知らなかったんで、まず驚きましたし、もうちょっと最近のなんか病的な感じとか、ああいう感じの演技がすごく良かったんですけども、
なんかちょっとどうですかね、ハリウッドがやっぱりギャングに、まあ禁止法の時代ですから、ギャングに乗っ取られていくような感じも描いていたし、
まあやっぱりこの時代を描くっていうことではやっぱり見せ物的なところっていうのは、まあナイトメアリーでもありましたけども、
描くってことが必要だったように思いますし、なんか史実でもちょっと空いたところがあったみたいなんで、
スタートが非常に高い宮殿、お屋敷から始まって最古が空いた、お尻の穴って言ってましたけども、地下に行くっていうところでも話的にもあってたんで、
良かったんですけども、まああそこまでやるとなんかやりきった感じもすごくありましたね。
なんか単純にごちゃついたことをしたかったっていうのがあったのかなっていう気もしたんですね、見てて。
あの唐突な展開だと思うんですよ、あそこ行くの。
そうですね。
あとそのいわゆるその見せ物小屋的なもの、そのいわゆるフリックス的な人たちを見せ物にしてたっていう状況って、まあ当時の世の中としてあって、まあその要素を入れたかったのかなと思ったんですけど、
僕見てて思ったのは、その件を完全に映画から切り離してやってるなと思って、本作見てて、チャズって基本的に映画史の光もそうだし、闇も基本的にほぼ全部愛してるように見えたんですけど、
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あの手のものだけは好きじゃなかったのかなと思って、俺の好きな映画はこれは含まないから、この要素はもう映画じゃないところに持っていきました。
でも時代的にあるものだから、表現はしますっていう風なものにちょっと見えて、フリックスって映画ありましたよね、この頃に。
ありましたね。
結構衝撃的すぎて、本来の上映時間からカットされたりして、かつすぐに遅延しちゃったりとか、結構問題になってた映画だって、その後60年代くらいから注目されて復活してきた映画っぽいんですけど、
やっぱりそのもともとあったサーカスとかの見せ物的なものをそのまま映画には持ってこれなかったのかなっていうふうに思って、
なんかそのいかがわしさが、そもそもああいう産業にはあって、でもチャズルの中でそれは映画には入ってこないでくれみたいな思いがあったように僕はなんか見えたんですよ。
映画ってそういうもんじゃねえからっていう、もうその本気で嘘をつきに行く場所なんだから、実際にそうである人をそういうふうに見せ物にするとかじゃないんだよねみたいなのように見えて、だからもうちょっとその闇側のものとして、ああいうふうに描いているように僕は感じました。
なるほどな。
僕は単純に、映画も含めて見せ物すべての地獄みたいなところ、やっぱり見せ物が持つ加害性みたいなところを映画も含めてやっぱり描きたかったのかなっていうふうに思ってたんですけど、
だからそれに近いのはノープとかの話になりますけど、ノープで出てきた黒い馬の映画もね、その後出てくるのも含めてねって思ったんですけど、
でも確かにあの見せ物小屋というかを仕切ってるのがやっぱり映画側の人間じゃないっていうところがやっぱりそういう、山口さんが言うところや、映画とはそこは切り離されている部分に見えるっていうのは聞いててなるほどなというふうに思って、
確かにどう考えてもチャズルは映画好きな人なので、そこはやっぱり描きたくなかったというか部分もちょっとあったのかなというふうに思ったんですけど、
まあ僕は普通にシンプルにというか、もう映画も含めて見せ物の持つ地獄が広がってますよっていうところをやっぱり描きたかったのかなみたいなふうには思ってました。
山口さんの言われることもちょっとわかって、なんか全体的に監督の嫌悪感っていうのはずっと流れているような感じをしましたね。
ギャングが出てくるシークレンスは。まさに偽札がバレて彼ら逃げ出すんですけど、まあ映画ってちょっとフェイクなものっていうものがあるんで、それと実際の見せ物の対比をちょっと入れてたのかなっていうことを今聞きながら思いましたけども。
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確かにそうですね。あいつらがやると洒落にならないってことですよね。ギャングがやったら。嘘じゃなくなるって、もうガチじゃねえかみたいなふうになっちゃうっていうところとの対比ってことですよね。
あと誰か言ってましたけど、あれはウォルトディズニーじゃないかっていう説もあって、なんかディズニーランドじゃないかっていうか、それにのっとられていく感じって言いますか。
だからネズミ食べてたの?どうなんですかね。ちょっとわからないですけど。そんなことまで考えているのかな。すごい見立てですけど。
ただ僕はちょっとギャングと見せ物が出てくるかなと思ってたんで、まあちゃんと入れたかなっていう感じはしたんですけど。
はい。でもなんかちょっと全体の流れからいくと取ってつけた感はちょっとあったかもしれないですね。確かに。そうですね。
間違いなく今作一番気持ち悪い演技してましたけどね。トビー・マグワイヤーとして。そうですね。おしろい。一番気持ち悪い役をしてたんですけど、プロデューサーですよね。今作のね。一応ね。何やってるんでしょうねって。
いやー、権力があってかつ暴力装置と直結してる人がセンスないこと言って耐え難いですよね。あそこ。
本当ですね。そうですね。で、ちょっと撮りたい映画言い出すんで。困っちゃうというね。ヤバいヤバいってね。そうそう。
はい、ありがとうございました。次のお便りお願いします。はい、次がハチさん。お疲れ様です。バビロン見ました。アカデミー賞で万歳なしよみたいなことをされたチャゼルが映画史、厳密にはハリウッド史を若い感性でめちゃちゃかすのを期待していたところ。
かなり歴史に手足を絡め取られながらもがき叫んでいるような印象を受けました。冒頭チャゼルといえば掴みと落ちですが、最初の30分ぐらいで全部出し切ってるような気がします。
パーティーのものすごいインテンシティで引き付け、この曲大好きと言わせてさもクラシックナンバーみたいに見せておいてバリバリオリジナルの新曲を使うのは笑いました。
マニーの歴史に名を残したい発言しかり、自意識と歴史の繋ぎ方が力技すぎてめちゃくちゃ笑うと同時にこれがしたいねんという今作のトー&マナーを象徴する仕草。
極論ですがこれが見るべきものすべてです。 あとは主要3人の物語が進みますが累計にどんどんハマっていく人物像。
パーティーを差し込んで流れを変えようにも一度ハマった定石は簡単に逃してくれません。 かさべて素敵な演出演技が好きなチャゼルがパターン落ちしていくのを見ると歴史の引力半端ないと怖くなりました。
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わけても全体のトンマナーがどんどんブギーナイツ化していき、あれをチャゼルより10歳若い時に作ったポール・トーマス・アンダーソンやばいなと思っていました。
ラストも2階席から1階席に移って観客の顔を人並みしてまた上に戻るという狂ったワンカット。
で、あのサンプリングのセレクトどうなん?なやけくそ大ジャンプ。 映画愛で全部まとめようとしてて一人の作家が扱うには題材が巨大すぎたよねと思いました。
とはいえ、若い才能がぶつかっていく流れはこれからもどんどん続いていってほしいなと、たとえそれが敵に吸収されて文字通り歴史の一部に取り込まれたとしても。
以上、お三方のチャゼル論を先に配置をしていたので、テクストより、なんとなく形式よりで語ってみました。
はい、ありがとうございます。
この映画はあんまりテクストで語るとちょっとドツボ入りそうなんで。
あと、テクストでチャゼルに勝てないっていうのが、このお釈迦様の手のひらの上になってしまうので、やっぱちょっと別の切り口の方が喋りやすいかなっていうのはありますね。
いやでも、お便り鋭いなっていうふうに思いながら聞いてましたね。
チャゼルといえば掴みと落ちっていうのがすごいですね。
いやでも確かにそういうとこあるじゃないですかね。
掴みと落ちすごいよねってわかる。
そうですね、掴みはね、まあまあ強い、確かに。
で、落ちはもう、落ちはね、もうちょっと後でむちゃくちゃ喋ると思うんで。
そうですね、落ちの件はもうちょっと置いておきましょうかね。
で、司用3人が肩にはまっていくっていうのは、まあわざとやってるとは思うんですよ。
なんかキャラクターそのものはそんなに複雑なものにせずに作ってると思うんですよね、チャゼルって基本的にはいつも。
なんかその、いわゆるハイコンセプトって言ったらいいんですかね。
一言でどんな映画かって言い表せるような映画を作ろうとしてるような気はするんですよ。
今回で言うと、サイレン時に映画の栄光を極めた3人が、陶器の時代になって没落していきますっていう話じゃないですか、基本的には。
そこで一旦は言い切れるような映画になってるかなと思って、それはチャゼルの過去作もそうだと思うんですよ。
ドラムでスパルタ教育を受ける話とか、イメオイビと2人が恋愛して、イメと恋どっちを選ぶかみたいな話とか。
ちょっとモーネに取り憑かれた男が月に行きますっていう話とか。
もちろん中身はそれぞれ複雑なんですけど、キャラクターが持ってる役割とかは割とシンプルなんじゃないかなと思って。
なんかあとやっぱチャゼル監督そういうのをなぞりたいっていうのもあると思うんですよね。
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こういう映画をなぞりたいからそういう、あんまり複雑にしないというか、ある程度肩にはまったものとして作る。
その中に俺流を出していくみたいな感じなんじゃないかなと思って、むしろ肩にはまっていくのは狙い通りなんじゃないかなっていうふうに僕はちょっと思いましたかね。
確かにもうこの時代が舞台で、こういうキャラ造形ですって何度と見たことがあるようなというか、思い浮かぶ作品結構皆さんあるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
それをなんでやるかって自分がやりたいからっていう。
自分がこの時代を舞台に、もう好きだから、やりたいです。それ以外のこと以上のことはないと思うんですよね。
それをちゃんと叶えてるし、いさぎというか、そういう思いからまずものづくりって生まれるじゃないですか、表現って。
自分が作りたいものを作りたいから始まることだと思うので、それをちゃんとやってることだなというふうに思って。
お互いで歴史に囚われちゃうというか、偉大な歴史の作品たちに勝てないみたいな部分がどうしてもあると。
それも多分分かってやってますよね。でもいいの。僕がやりたいからやってるからっていう。
そこがね、そこがやばいんですよ。今回本当に。
なんか前回のチャゼル回も聞きましたし、今回のお便りもみんななんかチャゼル、チャゼル、チャゼルって結局チャゼルのこと喋ってるような感じがありますよね。
なんかそうなんですよね。気やすく呼んでるというか。
なんかそういう監督さんっていますよね。気軽になんか、さも友人かのような形で喋っていい監督みたいな。
まあね、やりがちですけど。今回やりますけどみたいな感じで言っちゃってますけど。
そうですね。多分このお便りの話は深くしていくと多分本質に迫っていくので、ちょっと一旦置きましょうか。
はい、わかりました。
じゃあ次のお便りお願いします。
はい、次が大石さん。前回全然回答出てくださった大石さんからもうメールいただいてますので、ちょっと読ませていただきますね。
店長メンバーの皆さんこんにちは。第101回第102回とゲスト出演させていただき本当にありがとうございました。
今回のテーマ作品である映画バビロンを見てまいりましたので映画の感想をお送りします。
結論から言えば、実にチャゼルらしい意地悪さとロマンチックさたっぷりの映画だったなという感想です。
競争の1920年代のハリウッドをとことん意地悪く描く前半から、まるでナイトメア・アリーのような後半に至る作品の温度差に風邪をひくかと思いました。
そして上映時間3時間は長かった。とはいえ、やはり映画という夢を紡ぐことを前後抵するラストシーンには、かつて夢追い人だった私はまんまと泣かされてしまいました。本当にずるい。
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マニーは劇中で何か大きなものの一部になりたいという欲求を語ります。これは第102回で山口さんがお話しされていた道にするということと同義であるように感じます。
ただ最近、生物戦線異常な死を見たこともあり、何か大きなものの一部になりたいという欲求は、権力者にしてみれば、民衆、とりわけ若者を搾取する構造を生む原動力にもなる危険性もあることを忘れてはならないなとも感じました。
大きなものを国家や社会に置き換えればナショナリズムにもつながるわけで、店長メンバーの皆さんの感想を聞けることを心からお待ちしております。
つらつらとまとまりのない文章で申し訳ありません。まだまだ寒い日が続きますがどうかご自愛ください。
ありがとうございます。
ちょうど前回のデイニアンチャンネル監督作3作の話をした時に、大きいものの一部になりたいみたいな話はしてたんですよね。
今回もセリフとして言ってるから、ドンピシャやなと思ったんですよ。
結構あのセリフ唐突というか、僕は結構これ見よがしなセリフに聞こえて、これをやる気やなみたいな、この件についてやる気やなみたいな、わりとわかりやすいセリフだったように感じたんですけど、
そこがね、最終的に大きいものの一部になるというか、イコールになるみたいな感じじゃなかったですか。
そうですね。
溶けてましたね。
溶けてましたね。確かに、あれ溶け出してましたね。
僕も本当世界系やなと思って、僕と世界が直結、今回本作における世界って映画なんですよね。
映画イコール世界、その世界イコール映画と僕が直結するって、もう世界系やなと思って。
なるほど。
確かにそうですよね。最近ちょっとそれこそ、映画愛にまつわる映画、ちょっと前にもう一本見てたんですけど、エンドロールの続きっていうインド映画があるんですけど、あれも映画愛の話なんですけど、
僕それを見た時に、あんまり僕ちょっと好きではなかったんですけど、でもこれ監督と映画っていう、これも世界系ですよねっていうふうに思ったんですよね、その時。
これも、だからバビロンも世界系っていうのは、いやそうだねっていうふうに思いましたよ。
そうなんですよ。
エンドロールの続きでも映画になりたいって言いますもんね。
言いましたね、そう言ってました。
そうですね、僕やっぱチャゼルは世界系だなっていうのは、今回確信しました。
大きいものの一部になりたいっていうのが、作手を生む原動力になるっていう、それで国家とか社会っていうのを挙げていただいてるんですけど、確かにそうだなっていうのもあるし、そもそもエンタメ産業が作手構造の典型的なものっていうのがありますよね。
24:13
そうですね。
もうやりがい作手の恩賞じゃないですか。
そうですね。
そこをあんまり否定してないなって僕思うんですよね、チャゼル監督は。そういうもんじゃんっていう、そこをサバイブしてみろよっていう感じ。
俺はサバイブしてるよっていう、生きるか死ぬか勝つか負けるかですよみたいな、結構圧強いなって思うんですよね。
だからやっぱりスパルタ機質は変わんないんですよね、セッションからずっと。音楽ではそれやられて辛かったって言ってるのに、映画ではそれやるんだもんなみたいな人だからね。
そうなんですよ。
ねじれてますよね、本当にね。
やっぱりそっちが生きたかったんじゃんって思っちゃうんですよね。
もう圧をかけられての渦の中に入っていきたい人なんじゃんって思っちゃうというか。
結構ね、やっぱやべえ奴だなって思うんですよね、本当。
はい、まあそんな感じで。はい、青石さんありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、では我々からテーマを掘り下げていけたらなと思うんですけど、どっからいきましょうかね。
オープニングとりあえず触れときますか。
はい、そうですね。
パーティーシーン、競争の20年代を象徴する。
ああいうもんっていうことでもないんでしょうけどね。競争の20年代ってそういうことではないっていう。
そういうことではないとは思うんですけど。
ただやりきりたかった感がすごい伝わってきて。
あのパーティーシーンいつ撮ったのかなっていうか、今このコロナ禍のご時世ですよ。
あんなに密なパーティーシーン撮れますのっていうのはちょっとびっくりしたというか。
3密大丈夫ですかみたいな気持ちになるんですけど。
結構テンポも異常にというか食い気味で次のシーンポンポンポンっていきますよね。
前半は特にそうでしたね。
なんか本当に3時間のうちの1時間半ぐらい食い気味テンポで行ってるような感じで、後半になってようやく腰が落ち着くというか。
上り調子のうちは立ち止まることなんてないっていう感じの編集テンポだったような感じがしてて。
何なんでしょうねあのパーティーシーン。
チャゼルが描きたかった狂乱、狂熱、狂騒だと思うんですけど。
27:00
シティ・ニクリンを描くっていうその概念があって描いてるって感じで。
実際はどう見てもああいった感じじゃなくてね。
なんか本当にシンボリックにある意味なんか綺麗なんですよね。
ちゃんと統制が取れてるっていうか。
だからやっぱりなんかララランドの最初のオープニングの高速道路での渋滞があそことよく似てて。
なんか夢追い人たちの渋滞してる心意気っていうのが描くんですけど。
やっぱりなんか綺麗に統制されてるし、異論もちゃんとしてて。
今回もカメラもちゃんと綺麗に回るし。
なんか本当に賢い人が考えたシティ・ニクリンっていうか。
よく制御されたシティ・ニクリンって感じはしましたけどね。
すごいデザインされてますよね本当に。
そうですね。
そういう概念としての狂騒っていうものを表現したし。
さっきララランドの冒頭と一緒っていうことをおっしゃってて。
なるほどと思って。
リアリティラインが現実のところではないっていう。
ああいうちょっとそういう非現実的なあっち側の世界として誇張されてる。
だってあんな狭いとこでパーティーせんでしょ。
近すぎる。隣の人が近すぎるあれは。
案外狭かったですね。
全員がこのパーティーを楽しむとかじゃなくて、
私はシティ・ニクリンの一部となりますっていう心づまりで全員があそこに参加してるから。
なんかおかしいですよね本当に。
ちょっと笑っちゃうんですよね。
そうですね。
なんかみんなはどういうつもりなんだみたいな。
だからまあ全員が浮かれてるというか。
時代のドライブ感に押し流されている誰しもが理性なんかないですよみたいな感じで。
明日のこととか考えてますかみたいな。
それはみんなこの最も映画が華やかだった時代ですよね。
サイレント期で本当に僕たちが映画見てるのとは預け方が全然違うなってすごい思うんですよ。
なんかもう見ても僕たちは映画好きで役者がとか演技がとかって言いながら見てるじゃないですか。
それは別に映画そんなに詳しくなくても何々さん演技上手かったよねみたいな。
そういうレベルの話はみんなしてると思うんですよ。
今回の何々って演技良かったよなみたいな。
なんかもうそこがそういう作られた商品っていうことを結構ちゃんと小手先でコントロールしながら楽しんでると思うんですよね今ってみんな。
でもなんかもうその全乗っかりですよね。
30:00
作る側もそうだし見る側もここにもう究極があるみたいな。
この映画さえ見れば俺は現実から離れられるみたいなのを本気で信じて見てるって。
その温度感も僕たちは絶対持ち得ないから全てを相対化してしまってるので。
もう現実があってそれの向こう側に映画がありますみたいなのを信じてる時代っていう。
イカれてるなと思うんですよ。
でもあのイカれ方って羨ましいなと思うんですよ。
冷静になるってなってないっていう。
そんなに凶乱なんてできないでしょっていうのは思っちゃうのは僕たちだけど。
その凶乱に乗っかれた時代っていうのをあそこで表現してるなと思うんですよね冒頭で。
冷静さもなさみたいなところがちょっと頭でっかちな感じに見えんこともないとは思うんですけど。
もう凶乱を描きますっていう。
凶乱という概念を描きますっていう感じだから。
頭でっかちな感じが結構嫌いじゃないですよね僕は。
丁寧ですよねそういう意味ではなんというか。
こういう時代の凶乱を描きたいから最初にパーティーシーンで出しますっていうか。
すごい汚いものもたくさん映りますので最初にゾウのうんちまみれになるシーンも入れときましたんでこういう映画ですよっていう前提で進みますよみたいな。
なんかちゃんとリードしてくれてるというかあるよねっていうのは思いますね。
そういえばゾウはイントラランスからの引用だと思うんですけども。
ああそうなんですね。
バビロンを舞台にしたグリフィスのすごい映画がこのサイレント時代にあって。
バビロンを宮殿みたいな都市を作っちゃったんですけどそこにシンボリックに置かれているのがゾウなんですよね。
だからすごくその時代に引っ込まれるモチーフをバーンと持ってきて。
なおかつ僕はちょっとあれバベルの塔に上がっていく感じがしたんですけどフリューゲルの絵みたいに。
無理なところを登っていくと。
ゾウが映画の代名詞じゃないけどその登っていくんだけどもなんかあったらもう吐き捨てられる人物たちをこれから描くよみたいな感じがちょっとつかみとしてはあって。
ちょっとフンニオッケーとかゲロとかぶちまける映画でそれをやりますよっていうスタートなんですけどもね。
なんかすごくそこの最初のつかみとオープニングの乱チキ騒ぎはさっき頭賢いとかって言いましたけどもやっぱりうまいなぁと思いましたね。
もう一気に引き込まれる感じは。
そうですね。
もう一個バビロンでいくとこれがあって。
ハリウッドバビロン。
ハリウッドバビロンっていう本があってこれがだいぶ元ネタになってるんですよね今回の映画。
33:02
これは1960年代に出たハリウッドのスキャンダル本って言いますか暴露本なんですけど先ほど象徴的に描いてるって言いましたけど中に出てくるエピソードはここから撮ったあのオーバードーズで死んじゃう女性とか
トイレに首突っ込んじゃう人とかであと孫とロビーが演じる彼女もクララボーがだいぶ元ネタになってるんですけどもすごくエピソードがここにありました。
やっぱりクララボーがモデルなんですね。
いくつかの人物入れてるってみたいですけど相当お父さんがああいう人でお母さんがちょっと精神疾患でいわゆるパーティーガールみたいなとこが出てきた感じってことではだいぶあれですし
あともうズバリ女性監督と一緒に撮った映画で大学の寮に行くような映画があって陶器になってからそこで声があんまり良くなくて真空管割ったとかいうのがここに出てましたけども
だいぶエピソードはここから撮ってきたものが多いみたいです。
これがいわゆる今となってはちょっと大げさっていうか嘘もめちゃくちゃ多い本ということでちょっとその辺を滑稽に描くことでだいぶ映画としては面白く見せてたように思いますけども
ちょっと出演が決まってからすぐ図書館行って借りてきました。
すみませんありがとうございます。
ちょっと毎回読みたかったんですけど。
有名な本だというのは知ってましたけど。
完全元ネタですね。
こうして聞くと。
元ネタは多分チャゼルが若い時に読んでそのイメージはすごく膨らんでたと思うんですよね。
だからこの20年代30年代を描くにはこのなんて言いますかねちょっと露白的に描くことの方が面白いんじゃないかっていうヒントはここにあるったように思います。
なるほどね。
すみませんちょっと。
僕クララ某って全然知らなかったんですけど
20年代のああいうライブスタイルああいうファッションの女性のことなんて言うんだっけっていうのをちょっと調べてたんですよ。
いわゆるフラッパー。
調べてたらその代表のイメージ人物としてクララ某が出てきて
そのエピソードがまんま本作の青虎になったんですよね。
完全に重ねてるなっていう。
クララ某は60歳くらいまで生きてたみたいなんですよ。
だからちょっとそこはアレンジしてるというかっていう感じでしたね。
マットロビーどうでした本作。
僕はすごく良かったんですけど。
36:00
ちょっとああいう役が多いっていうのはあるんですけど。
確かにそうですね。
でもなんか案外出来そうで出来ない役だと思うんですよ。
あれで突っ走るってスターがね。
なんかそれやりきった感じもありますし。
特にどうですかね。
あんまり深掘りはされないんですけどこの映画キャラクター。
やっぱりこの映画は最初と最後がまあまあ良くて
彼とメキシコに行くっていうことを決めた後
キエルサルシーンのマットロビーの演技がすごく良くて。
で結局彼女泣ける女なんで
あそこの涙もどうだったかなとかね。
もういうことをね最後車から出て行くところを見ると思いますし
あそこでセリフなんか人生最高とか言いながら
なんか暗闇まさにね暗転のスクリーンの中に消えていくような感じっていうの
なんかすごく体験しててとても良かったように思いますけども。
ラスト良かったですよねあの作り方。
本作で言うスターだった人が
その没落して舞台から消えていく。
ありがちっちゃありがちだけど上手に描いてますよね。
だからカメラから外れていってっていうのが
まあ二人ともそうなるじゃないですか。
基本中の基本だと思うんですけど
やっぱそこがねグッと狂っちゃ狂うんですよね。
それは良かったなっていう。
本作好きなのが
一番初めの映画を撮るシーンの無茶苦茶さがめっちゃ好きで。
あのドイツ人監督と熱ですよね。
あそこむちゃくちゃ好きで。
なんか怪我の効果をつけてるのか本当に血だらけになってるのか
分からなくなってるし
ちゃんと人死んでるみたいな。
そのセットにもアスベスト使いまくってるんですよね。
使ってましたね。
なんか全部が安いんですよね扱いが。
ただもうとにかく全力っていうのがあって
絶対にいいことではないんですよあれは。
絶対に正しくないんですけど
そこにやっぱロマンはあるっちゃあるんですよね。
レイニアンチャジェル自身もそこのロマンってむちゃくちゃ抱えてると思うんですよ。
この熱狂の中に入りたかったわっていう。
もう今の時代冷静にしか映画なんて作れないけど
この頭いかれた中で映画撮ってみたかったよっていうのが
ビシバシ伝わってくるんですよね。
もうやってることむちゃくちゃだし
本当に自転車創業というか
もう今ここで使うものを5秒前に手に入れてきましたみたいなこともないじゃないですか。
39:05
あれそうでしたね。
本当にギリで作ってて
なんかその生き物だなって映画って
それを活かすために自分自身が血管になったり臓器になったり血液になったりって
動き続けて映画っていう巨大な生き物を活かすための細胞になっていくみたいな
ものすごい躍動感があって
出来上がった瞬間全員で歓喜するじゃないですか。
あの感じが憧れは感じてしまうというか。
いやそうですね。
僕も見てて同じようにガッツポーズしたくなるというか
本当につらいことしかないんだけど
あの一瞬のために俺たちここで働いてるわみたいな
のにものすごいロマンというかロマンチックさを込めてますよね本当に。
あの映画的な瞬間をマジックアワーギリギリで撮れましたみたいな
あそこしかも腸までついてくるんですよ。
ロマンチック肩ですよ。
素敵。そういうとこがいいなって思いますけど。
あれ良かったですね。
ああいう瞬間のために僕たち映画作ってるしっていう感じがビシバシ伝わってきますよね。
ちょっとブラピが見たが腸まで痛いぞってね言ってましたね。
確かに主演は酔っ払ってるしカメラはその場で帰ってきたやつだし
もうなんかいい加減なんですけども
それでもあの感動的なシーンが生まれるっていうか
まあそれだからこそ本当になんかね大騒ぎして作った感じがとっても
なんかちょっと文化祭じゃないですけど
本当にね手作りでギリギリのところでやってるっていうか
そういう感じはありますよね。
なんかブラットピットが撮影現場に山の上登っていくときの
スタッフ全員後ついてくる感じとかが
映画の神様についていきます感と言いますか
すごいですよね。宗教画みたいな感じの作りしてて
なんかすごいなと思いますし
実際ああいう撮影現場なんですかねあの当時って
なんかよくわからないまま見てたんですけど
なんか実際観客として見るときって
その映画って音がないわけじゃないですか
音ないのに現場でオーケストラが待機してて
もう合戦して音楽ガンガン鳴らしながら
うわーってやってるのを撮ってるって
その撮影現場のなんかすごいなこの贅沢というか
こんなことをやってたのかみたいな
迫力みたいなのはすごかったですねあの時見てて
そうなんですよあそこ音撮ってないんだよなって考えたら
なんというか時の声を上げてるみたいな感じじゃないですか
戦場で時の声を上げて
だから戦争用の楽器を鳴らしてるみたいな感じですよね
42:03
コブみたいなねトントコトントコンみたいなね感じですけど
やばいテンションですよね
だからなんですかね逆に静かなきゃいけないっていうかね
なんかそこが面白いですね
昔は逆にその場で音楽流して
雰囲気作ってやってたっていうのが
どんどんどんどん騒ぎまくってやってましたって感じですよね
なんか本当に戦争をやるように映画を撮ってたのかなって思って
だからもう士気を上げるために音楽をかき鳴らすとか
ご飯食べる時もね配給みたいに食事を継いで
みんなが地べたに座って食べてる
これ第一次世界大戦の戦場の映像みたいな感じだったし
本当に大石さんのメールでね
戦部前線異常なしって出てきましたけど
いや一緒かもしかしてみたいな気持ちになりますよね
なんかすげー豪快で
なんかやっぱロマンがあるんですよねそこには
特に映画好きにとっての
なんか神の代の話じゃないですか
神話じゃないですかあの時代って本当に
今のシステマティックな映画制作の現場では全く考えられない
もう信志が寄り集まってやってるような世界って
本当に黎明期ならではのロマンがあって
そこには愚かしいこととか間違いもたくさんあるんですけど
そこにもう憧れを覚えてしまってるんですよね
デイビアンチャジェル自身が
その憧れは止められないっていう
間違ってようがやるぞっていう
それは俺は昼日に留めたいんだっていう思いが
もうバシバシに詰まってる映画で
すごいなーと思いながら見てましたあのあたりは
人が死のうが止まらねーんだぞ映画はっていう
あそこ本当に好きなシーンで
そこから結構いろいろあってですけど
長いからどこ話しようっていうのちょっとありますよね
そうですね
もう一気にトーキーの撮影現場の話
映りたくなっちゃうんですけど
対比的にやっぱり
あそこもねすごい
今まで感じたことのないストレスをみんなが感じてるっていう
あそこはもうなんかよくできたコントみたいな
そうですねコントっぽい感じもあるし
時代がやり方に困惑しながらもやるぞってなって
やっぱあそこはあそこでどこか熱狂的というか
あの時代ならではの熱に浮かされた感じっていうのがやっぱありますよね
たったもうほんのわずかのシーン撮ってみんなで
イエーイっていうのは
もう同じですよ
最初のサイレントの時代と一緒みたいな喜び方してるんだとか含めて
45:03
一緒じゃないかっていう
直前までお互い殺し合いしそうなくらい緊迫感高まってたのに
成功した瞬間もイエーイってなってるじゃないですか
イエーイってなりましたよね
あのテンションすげーなって見てて
でも傍らで人は死んでますみたいな
死んでましたけどね
ああいう人の存在もたくさんあったんだろうなっていうのがね
それが全然深刻なものとして捉えてないっていうのがね
すごい怖いしすげーなっていう
命がけで映画作ってるんだから
それは人も死ぬんでしょうさーみたいな感じでみんな流していくから
なんか本当運が悪かったなーぐらいな感じで流すじゃないですか
なんかおいおいおいって感じじゃないですか
すごいなーみたいな
あと多分本作の本当にちょうど真ん中ぐらいなのかもしれないですけど
トーキー映画のプレミアを見に行くっていう
ニューヨークにジャズシンガーがあるシーンですよね
あそこ作品全体の潮目が変わるシーンじゃないですか
すごい重要なシーンで
観客の熱狂というか感動みたいなのが伝わってくるんですよねあそこ
音が出てるよっていうすごい感動があって
主人公のマニーでしたっけ
他のこと考えててあんまり映画の画面見てなかったんですよねあそこ
でも最後に観客の反応を見て動揺してすぐに電話をかけに行くっていうので
時代が変わるっていう
中身とかじゃなくてもう根本から違うんだっていう
切り替わってるところがあのくだりで上手く表現されてるように僕は感じて
あそこの好きなシーンでしたね
その時代じゃないと味わえない感動っていつの時代でもあるじゃないですか
ブレードランナーとか
その当時めちゃくちゃすごいけどもう僕たち若い世代からそれにオマージュを受けた
後発の作品を見てるからもうブレードランナー時代に驚かないみたいな体験とかって結構あったりすると思うんですけど
なんかやっぱそういうのを味わうことはできない
なんかもう真に楽しめてるかというか味わうことはできないけどそこにちょっと近づけるというか
触れることができる瞬間だなっていうああいうシーンを見ると思うんですよね
観客の反応を撮るっていうのがそういうのを表現するのに大事なんでしょうねやっぱり
その映画だけ表現されても僕たちはもうピンとこないから
どんだけその人たちにとって経典同時の出来事だったかっていうのを
受け手を表現することでそれを伝えるっていうのはすごくやれてるシーンだったのかなとは思って
48:04
いや本当にあそこはすごく歴史の一場面を描いたって感じもすごくしましたね
で撮り方がなんかラストシーンもそうなんですけども
劇場の撮り方って独特のなんか良さがありましたね今回ね
カメラ回ってまた戻ってきたりとか観客ちょっと舐めたりとか
でまあまああの頃ってちょっと清掃してタキシード来たりしてる人が多いんですけど
その人たちがもう興奮して立ち上がって拍手してしまうっていう
でそれがまあ分かってるんだけど最後映って映画館の上の看板見せてジャズシンガーだっていうことで
大きくターニングポイントだったっていうのをね分からしてとても印象的なシーンでしたね
時間測ったら本当にちょうど真ん中あたりになってるんじゃないかなって気がするんですよね
なんかそういうことはしそうだなと思って
もしかしたらしてるかもしれないですね
ジャズシンガーもあの半年ぐらい前ちょうど見たんですけど
あれ半分トーキーみたいな感じなんですよね
歌のシーンだけが音が入ってるんですよ
で後の家族との会話とかやりとりっていうのは普通のサイレントの頃みたいで
喋った後に字幕が出てるってことで
だからやっぱり歌ったり踊ったりっていうする迫力が音と一緒に来るっていうのが
当時すごかったのかなとか結局それって何て言いますかね
映画のちょっと前の時代のボードビルとか見せ物小屋の
やっぱりみんなが歌ったり踊ったりしてるのがまた戻ってきたっていう感じも
あの時代の人たちにあったのかなとか思ったんですけど
結局雨に歌える場でもそれがすごく取り上げられますけど
やっぱりそこから映画の一つの形のミュージカルには
すごくこうなって全盛期が来るっていうのが分かる感じもありますよねあそこね
そうですねだから本当にトーキーといえばミュージカル映画っていう感じはあると思うんですよ
ちょっと今の時代ってミュージカル映画って何で歌うんだよみたいな
ちょっと茶化しがされることってたまにあるじゃないですか
ありますね
でもその当時のリアルみたいなのを考えた時に
まずそもそも見せ物って歌って踊ってでしょっていうのがあるのと
収録環境がなんか多分そういう繊細なセリフのやり取りとかがやりにくかったのかなとも思って
あのセリフの収録のシーンを見てて
ちょっとした位置でちょうど喋り言葉を取るとかがむちゃくちゃ難しそうだなと思って
もっとその歌って踊ってにしてしまったらもっと大きい塊での音っていうもので取れるから
なんかやりやすそうだなと思ったんですよ見てて
51:02
レコーディングって感じですよね本当に
そうですね
なんかそういう作る側の事情みたいなのもあったりするのかなと思って
やっぱそれいろいろ含めてのやっぱミュージカル映画っていうカルチャーなんだろうなとは思ったんですよね
それを見た時の感動ってそりゃすごかろうなとは思うんです
ブラッドフィットが雨降ってるとこでピンクのカッパ着て
あの辺りのねそのトーキーを模索してる感じの
なんかみんなが正解が分かってない状態っていうのは
なんかすごいいいですよね
どんなものでもそうですけど
レイメイキって正解分かってないことをいっぱいやってるっていうあの感じ結構好きだなと思って
確かに変な感じですよねピンクのレインコートに後ろに何故かノアの箱舟があってスターが歌う歌うて
あれ何だったんですかね
あれ何なんですかね
あれ実際にある映画なんですかねどうなんだろう
あれが確かハリウッドレビューって映画かな
雨に歌えばが映画でちゃんと歌われたのかな初めて
なるほどそのエンドクレジットでそういうフッテージが一覧されてるじゃないですか
ちょっともう多すぎて分からなくて
分からないですね
どれのことか分からないしラストでババババババっていっぱい来るから
どれのフッテージですかねみたいなのがもう分からないから
あれ一時停止しないともう読めない
やっぱあるんですねああいうのがあったんですね
あったんですねはい
でちょっと僕タオルさんさっき本作雨に歌えばチャジル版っておっしゃってたじゃないですか
僕ちょっと雨に歌えば見たことあるんですけども
うろ覚えでちょっと概要みたいなの教えてもらってもいいですかね
はい雨に歌えばはまさにラストシーンの1952年に公開されたMGMのミュージカルコメディですね基本的に
で今回バービロンと全く同じ時代を描いてて
サイレントで始まって時の波が来てっていう映画で
そこでのスターとかが生き延びるか生き延びれないか
あるいは撮影現場がドタバタしてる雰囲気っていうのを
本当に明るく楽しく描いてるっていう感じの映画です
僕もなんかすごい楽しい映画だった記憶はあったんですけど
ただまあなんか結構主役の取り合いみたいな
結構きつめの話でもあったなっていう風にちょっと記憶してて
なるほど本作を雨に歌えばとして見るんだなっていうのはさっき聞いて気づいたんですよね
なるほどなーと思って
54:01
絶対チャゼル雨に歌えば好きじゃないですか絶対
ララランドでもやってましたし
ラストの話はもう一回するんですかね
基本的にだから舞台が一緒っていう感じの映画です
あとトーキーになることでのようみたいなのを描いたのが雨に歌えばだと思うんですけど
サイレント映画が終わるっていう側面もある映画ですよね
それで言うとサンセット通りとか思い出してて
あれ出てたグロリアスワンソンちょっと名前上がってた
ちょっと似合わせというか
グロリアスワンソンが触れられるっていうことは
サイレント映画が終わってこいつらが没落する話ですよっていう
ちょっと予兆みたいな感じなのかなと思ったんですよね
まあそのいっぱいあるでしょうけどね
そういうサイレント映画の没落みたいなのを描いた映画っていっぱいあると思うんですけど
僕が思いついたのはサンセット踊りとかだったかなっていうところで
僕はその時代の名作みたいなの全然撮ってないので
そういうののフォロワーというか憧れを抱いて作った作品を見てる感じなんですよね
それこそアーティストとか
ララランドもやっぱりそうだし
バビロンという作品もそうだし
そういうので僕それ出てきてたのでなんとなくわかるって感じですけど
そういうのを改めて見たいなというふうに思いましたね
マリオンさんがその時代の映画全然触れてきてないっておっしゃられたじゃないですか
それでちょっとこの件振りたいなと思ってた話をしたいんですけど
ブラッドフィットがもう完全に終わったって言われるようになってからの展開で
ゴシップの記者のとこに押しかけていって問答するシーンがあるじゃないですか
あそこでスターはいつか終わるもんだっていう
あんたがとかじゃなくって
もうスターというものがそういうもんだからみたいな説得をされるシーン
でも映画に出てたということは永遠で
私たちが死んだ後でもこのフィルムをかけられたら
蘇るんだみたいな話をしてたと思うんですね
よく芸術とかで言われる
人が死んでも作品は残るみたいな話ってよくあると思うんですけど
ちょっとなんか僕はすごい楽天的というか
欺瞞的なセリフに僕は思ったんですね
芸術は永遠じゃないぞって思ってて
だって僕たちサイレント期の映画なんて見ないじゃないですか
57:02
そうなんですよね
古い映画っていうか古くなっていくもの
私もあると思うんですけど
本当に時代が経てば経つほど触れてくる人が減るなっていうのはありますよね
映画を人に勧める時とかでも
ちょっとひとたび古そうって思われたら見てくれなかったりとか
白黒かみたいな風に思われたりとか
結構あるじゃないですか
映画を勧めたりとかする中で誰かに
それはあるよねっていう
それを一概に咎めることができないというか
それは見てほしいけど
そう思う気持ちも分かるなみたいな風に思うというか
映画に対してはそこに敏感だけど
他のジャンル世界になったら
意外と同じような対応してるよねみたいなことがあったりするので
自分の中でも意外と
そういうのってやっぱりよくありますよね
なんかすごい何かを誤魔化してるセリフだなと思ってて
例えば映画好きってなっても
白黒映画何見ますかって言われたら
ギリギリ市民圏見てるかなどうかなぐらいだと思うんですよ
それこそ20年代の映画なんて
山ほど作られて山ほど消費されていったものですよね
エバーグリーンなものになるとはとても思えないというか
テレビ番組作ってるのと感覚的には近いんじゃないかなと
ちょっと思ってて
それを残すっていうのを言い切れるって
僕なんか映画に関わってる人たちの
すごい傲慢な言い回しだなって思ったんですよね
永遠になんてならんでしょって思うんですよ
人が作ったものが
人が作ったものに関して
すべていつか消え去るものだっていうところはあると思うんですけど
でも多分あのセリフを言えるかけるっていうのは
チャネル自身はそこにいるって思ってるんだろうな
っていうところがあると思うんですよね
そこなんですよね
自分は残る側だからっていう
そこなんですよね
強気な発言というか
多分残ると思うんですよ
残る側ですよ
彼は確実に残る側だと思うんですよね
だしやっぱ信じたいだろうなっていうのもあると思うんですよね
そういうのをやっぱり
終わると分かっていても信じたいという気持ち
だからすごいなと思った本当に
信じたいと思ってるし
残るとも自負してるってことだと思うんですよね
すっごい自己肯定感強いなというか
なんだろう
あのセリフが出てきて
じゃあバビロンって映画は残るんですかねってなったときに
まあ残るでしょうねって思いながら作ってるのかなって考えたら
1:00:01
すごい自信ですよね本当に
すごい自信ですし
何を言っとんねんって思われるかもしれないけど
やっぱそういうのが出てきてくれるからこそ
観客もそういうのが見たいと多分思ってるんですよね
やっぱそういう歴史に残るようなものを見て
それを後世に
俺はあの時見たんだぜってやっぱ言いたいみたいな
それこそ僕はバビロンのモザイクなしを
ドルビーシネマで見たんだぜって
多分これから言っていったりすると思うんですよ
めんどくせえおっさんやなって思われるぐらい
言ってしまう可能性があるってことですけど
だから映画を作るということに
預けてる預け方がちょっと振り切りすぎてて
やばいなっていう変品があのシーンで見えたんですよ
でその後もラストで
それが針が振り切れるんですよね
具体的に言うと
その主人公がギャングに追われて
1回ロサンゼルスから逃げて
20年ぐらい経って1952年に
家族を連れてロサンゼルスに
ちょっとだけ帰ってきましたと
その時に映画館に行って
映画を見ますとっていう時に
今やってる映画を見て
かつて自分が関わってた映画作りと
ちょっと重ねて泣いちゃうみたいなシーンが
まずありますよねまずは
まずはいありますよね
僕あのシーンものすごいいいシーンだと思って
なんか自分たちがやってたことも
こうやって今につながってるんだなみたいな
それを実際そういう側面もあるし
勝手に自分が思ってるみたいな
側面もあると思うんですけど
それら全部含めて泣いちゃう
俺はかつて映画を作ってたんだな
そして今も映画を越して作られてるんだなみたいな
ちょっとだけ自分がその大きな流れの中に入った
みたいな感じで泣いちゃうみたいな
いろんなことを思い出してみたいな
すごいいいシーンだなと思って見たんですよ
そのレベルだったら
そんなにおかしくないというか
いいいいいいシーンだな
これだけでも十分なんかこう複雑な
ニュアンスを込めたラストで
いい味わい深い映画だなって
振りたほうがあると思うんですけど
思うんですけどその後ですよね
これから作られる未来の映画のフッテージが
バシバシバシって挿入されるんですよね
凄まじいテンポで
あれこれ見たこと
見たことあるなーみたいな映画が
どんどん出てくるっていうね
一回元に戻りますよね
ノープの馬から始まりますよね
そうそうノープに出てきた馬の写真
映像が出てくるんで
そしたら時代飛び越えて52年飛び越えて
あれって思ったら
なんかマジかみたいなフッテージ流すって
何て言うんですかね
まずなんかこう自分がなんかその
1:03:01
映画作りますとか言った時に
色々影響を受けた作品とかって
あげる監督さんいるじゃないですか
そういう時って
ちゃんと言ってくれる人もいるし
ちょっと恥ずかしいから言わない人も
いるじゃないですか
そういうある中で
堂々と映画のフッテージそのまま
カットで使っていくみたいなのって
何だろうな相当なんか
下手したら恥ずかしいじゃないですか
お前そのままやんのかみたいに思われても
やらないんですよこれはしょうがないじゃないですか
それをなんかやるんだみたいなところに
なんかちょっと恥ずかしさとかの
ブレーキとかないのかなみたいな
この人みたいな気持ちになったというか
よくやるなこれっていう
あのシーンに明けで帰る人も当然いるだろうし
僕はもうやるなっていう
ブレーキ踏まないんだなっていうところに
僕はちょっと感動を覚えましたけどある意味
もうあそこ進行関係なくなってると思うんですよね
ちょっと僕は
そうですね
あそこで自分がいっぱいできますからね
だってもうその主人公が作ってきた映画の文脈とか
関係なくなってるんですよ
であそこで本来的に言うとですよ
この彼が関わったのの未来につながっていきます
っていうレベルの話にするんだったら
それこそミュージカル映画の歴史みたいなのを
過去から未来につなげるとかやったら
まあ理解できると思うんですよ
彼が撮ってた
彼が制作に関わった映画の流れみたいなのになったら
まあ分かるけど
全部じゃんって
映画全部じゃんってなるからあそこで
映画史全部みたいに
しかもなんかそれも文脈があんまりないというか
もう全部詰め込みましたみたいな
ものすごいランダム性が強く見えてるというか
いや分かんない
個人的にはあれあるんかなって思ってたんですけど
なんというか全部は分かりませんよ
あの映画、登場した映画全部が分かってるわけじゃないですけど
分かる範囲で言っても
ターミネーター2とかジュラシックパークとか
アバターとかって
多分それって映画というか
革命的な何かをもたらした作品ですよね
映像面とかでおける
だから多分そこの文脈というか
映画という技術的な面というか
映像なのか音楽とかでもいいし
そういう映画を構成する
いろんなものがあると思うんですけど
その中で何か革命的だったものが
あそこで選ばれてるのではないかなとは思うんですよね
サイレントからトーキーへの流れみたいなのを
描いてるのであれば
そういうのはなんとなく感じたりはしたんですけど
全部分かれないので当然
一応なんか技術革新を進めた映画が
多かったような感じはありましたけど
1:06:02
多分そういう側面かなというのはちょっと思いました
マトリックスとか2001年宇宙の旅とか
アンダルシン犬とか
犬とか
目玉切るやつですよね
ゴダールとかも入ってましたっけ
入ってましたね
ゴダールとか
ベルイマンとか
あとソウルバスのオープニングみたいなの
なかったでしたっけ
あれは違うんかな
なんか早かったですから
なんじゃこりゃみたいなシーズンは
たくさんありましたけど
ダフィーダックとか出てきたじゃないですか
ルーニー・トゥーンズの
あれもなんか映画あるのかみたいなとか
アニメ映画一本だけ入ってるなとか
思いましたしよくわからなかったですけど
技術革新ですね
そうですね
いやそうだわ
そうだわそうだわ
そっかそっか
多分ですけど
そういった映画をそのまま
フッテージを使うっていう
よくやるなっていうことを
やってくれるっていうことですよね
なんかラスト話していくと
いろいろあるんですけど
あれ一回ちょっと
うとうとっと寝ちゃうんですよね
主人公ワニで
目を開けたら
雨に歌えばだっていうことが分かって
というか今までやってきたことが
雨に歌えばのシーンだったと
愛してる愛してると言ったり
声を気にしながら撮影してたり
それが映って
僕らはもうそれを知ってるんであれですけど
1952年の人にとっては逆に
なんて言いますかね
あそこ説明しづらいんですよね
もうなんかいろんな視点が入ってて
まあ先達のやったことを
後で自分たちがやってたことのように取り替えて
見て感動させるような感じも
ちょっとあるんですけど
でぐるーっと回ってくるじゃないですか
であの映画の波が来るんで
なんかもう最後は
チャゼルが出てくるのかな
ぐらい思ったんですけどね
本当に
出てきかねないし
マーニーってちょっと自分と似てるかなっていうか
彼がすごく自分を投影してる人だと思うんですよ
あの時代に入り込んで
映画監督になって
ちょっとイケイケの映画女優と恋をするっていうね
彼の夢が託された主人公だと思うんですけども
その映画のDNAの中に
俺は入ってるんだっていうことを
認識してやるっていう
なんか本当に
映画愛というか自己愛と
根前一体となってるシーンですよね
チャゼル出てくるかもしれないって
思ったっておっしゃられてましたけど
僕も実質出てると思います
出てますよ
あれチャゼルの自意識じゃんと思って
1:09:02
そうですね
世界イコール映画と直結したいっていうのを
自分でそのものだなと思って
しかもね直前に
他の観客の存在を舐めて映すんですよ
僕本作すごい今までで一番開けてるなと思ってて
映画作る自体が競争に次ぐ競争で
もうなんか世界そのものがドライブしきってるから
あんまり自意識どうこうっていうのは
あんまり感じずに見てたんですよ
やりたいことというか
そういうレベルの話で見てたんですよ
ラストでその観客を舐めてみて
もうこれらは観客も含めて
映画というカルチャーですって言ったと思ったら
もう一回一人に戻ってきて
その後も映画の舐めじゃないですか
やっぱ自意識やっぱ個人に
たどり着くのかと思って
もう半端に観客を舐めて撮ったことで
もはや噛ませになってるなと思って
観客はいるけど突き詰めたら
俺だからみたいな
俺の話だからみたいな
俺は知ってるんだってことですね映画の
俺の話だって言ってくるのね
いやすごいもう
ここまでなんか本当自分しか出てこない
自分と映画しか出てこないみたいなのって
世界系的なものが好きなので
どうしてもハマらざるを得ないというか
あれをやることによって何というかもう
多分レイミア・チャゼルという人は
多分好きだと思うんですよ
1920年代のハリウッド黄金期の世界のほんと
好きでこの映画撮ったと思うんですけど
もうなんかどうでもよくなるというか
そこをやりたい
本気でやりたいのそこだよねみたいな
気持ちになってしまうというか
だんだん今までの
描いてきた歴史的な背景みたいなとかが
もうどうでもよくなるというか
いやもうこれ俺だからみたいな
なっちゃうことで
何と言うんだろう
だからあの時代のことが
ちょっとおだなりに見えちゃうみたいな
愛情がないように見えるみたいなとか
じゃあ描けてないよねみたいな
言ってる感想結構ツイッターで見たんですけど
そう見えるよねなんかもう
だってそういう描きたい
描きたいというか歴史とかよりも
自分がドンってくるんだもん
これ映画っていう
風になっちゃうので
それはそう見えるよねっていう
でまたその
自分との映画という
その映画愛が強烈すぎるからこそ
お前の映画愛なんて知らんなな
みたいになったら
もうこの映画のことはもう
もう何ももう
擁護するとこないみたいな風に
やっぱ思っちゃうという人は多分
たくさんいるだろうなっていう
お前の映画感というのが
気に食わないんじゃみたいな
これもセッションで
ジャズ感が気に食わないんじゃ
みたいな話とか
通じますけど
1:12:00
またそういうことやってるっていうね
その本当に
デミアンチャズルってやべえ人だな
とちょっと思ったんですよね
だからララランドで
本当にやりたい仕事じゃない
仕事なんてやりたくないみたいなのが
結構僕苦手な描写なんですけど
そういうことできちゃう人というか
言えちゃう人なんだなと思って
あのシーンもね
だから映画って観客のためにあります
っていうのが
商品としての
映画作りしてるものの
建前だと思うんですけど
でもその先は
観客は映画のためにあって
イコール俺のために観客がいる
みたいになってると思うんです
あそこ
ちょっとぶっ飛んでると思いました
本当に
それ言う?言える?って
2階にいましたね
上から開いてましたね
もう完全にね
見渡す側の視点ですよね
俯瞰してね
これやりきっちゃうのすごいなっていう
だからある意味ですけど
ある意味チャズルもナチュラルなんじゃないですか
そういう意味では
いやそう
今回考え改めました
あの言葉が出てくる
シャワーラン側に結構言ってる人やなと思いました
なんか
僕もなんか
前回の山口さんと話した時に
まあまあ確かに
ちょっとそこは違うかもね
って僕も思ってたんですけど
今回バビラを見て
いやこれ計算じゃない気がするんだよな
みたいな
ガチだなって思ったんですよね
そうなんですよね
ちょっと全体に露悪的であったり
なんかを褒めるために
なんかをけなす構造とか
なんかすごくこじらせてる感じがあるのと
なんか無邪気に
オープニングとかエンディングでは
やりたいことでやっちゃうっていう
なんかその2つがある作家かな
って感じはしてるんですけどすごく
結構やろうとしてることを
えぐみ強いなってほんと思うんですよね
観客さえ
俺の作品のためにいます
みたいなことを
言っちゃってるから作品が
すごいえぐいなって思うし
本当に自分が世界で一番映画を好きと思ってる
ような気がするんですよね
まあまあまあ
いや気持ちはそんぐらいあるんじゃない
そうじゃないと
あんなその映画のフッテージを
連続でやって
自分とそれを直結させるって
勇気
勇気でもないんですよね
だってそう思ってそうだから
大学生が映画作って
フッテージ好きに使えたら作りそうな
感じが
誰もやらないでしょ
1:15:00
プロノガンとか
やらないなって
なんかほんとなんか若いですよね
なんか本当に
さっき大学生っぽい感じって言いましたけど
なんか若い
実際若いですけど
実年齢よりももっと若く感じるというか
作ってる映画の
考え方というかが
ほんとなんか映画好きになり始めぐらいの
大学生みたいな感じって
ほんとそれが
ぴったりかもしれないってことかな
と思ったんですけど
そのマインドを
今も映画の中にぶち込み続けてる感じがするな
というふうに思いましたね
やばい
ただ僕あの
この出演が決まってから
実はもう1回見に行ったんですよ
あれですか
すごい
見たんですか
あのラストシーンもなんか
なんかやり切ってるなっていうか
やっちゃったなっていう感じだったんですけど
ちょっと1回ずっと
もう1回見直すと
よく考えられてる感じもあって
映画の一部になりたいっていうことを
ちゃんとあそこで伏線回収みたいな感じもしてるし
あとブラピに言わせてた
孤独な人たちが見るもんだっていうのを
ちょっと観客を舐めることで
改めて再認識させるし
あともう死んでも
フィルムの中に生き続けてるよっていうのが
もうまだ似てるし
あとそうですね
ブラピが最初に
革新だ技術革新だって言ってるんですよね
結局それに乗れなかったんですけども
それを最後のフッテージでは
技術革新はやっていって
成功して残ってる映画っていうのを見せるし
そっから考えて出てきたセリフが
いろいろ散りばめられてたなって感じはしました
そうですね
確かにブラピが技術革新って言いまくってるシーンって
多分あそこって彼が
陶器に乗っていけないというか
だんだん没落していくのを
なんとなくわかるから
すごいなんか切ないシーンなんですよね
ただ魂みたいなのは
ちゃんと残ってて
あそこで見えたみたいなのが
ある種の救いみたいなシーンにもなってるな
っていうのはありますよね
あと僕
もう一つここ大事なポイントかなと思ってたのが
主人公がラストのあの時点では
もう映画作りに携わってないっていうことなのかなって思って
だから映画作りの世界を
サバイブできた人ではないんですよね
そうですよね
その彼がそれでも映画そのものと直結する
直結したと思えるって
それはなんというか
デイビアンチャンネル自身は
今も映画作りをできてる人ですけど
そういう映画作りをする人
したことがある人
あるいは映画好きな人
全員含めてそこに含むっていう風に
1:18:02
言ってるようにもちょっと見えるし
だから映画作ってるやつは
全員映画そのものなんだぜっていう風に
言ってるようにも見えて
だって彼がまた映画監督とか
映画プロデューサーやっててそれ見えたら
まあそうでしょうねって
だって現役だからなみたいに思えるけど
終わった人がそれをやってるっていうのは
結構大きいのかなって思ったのと
あとちょっともう一つ別の見方なんですけど
主人公にチャズルは
多分重ねてますよね自分を
その彼が映画作りをやめた状態で
ラストを迎えてるっていうのは
結構ちょっと自己評価
微妙に冷静なとこもあるのかなと思って
なんか自分も
なんかこんな映画作ってるけど
もしかしたら映画作り
やれてなかったかもしれないみたいな
運がいいだけだったのかもしれないし
自流に乗れただけかもしれないし
あるいはそういうギャングとトラブルになったら
もう嫌でもこの業界を去らないといけなかったかもしれないみたいな
その映画作りを続けられなかった
デイミアン・チャズルみたいなものを
あそこに預けて
なるほど
それでも映画を作り続けられなかった
俺も映画と繋がれるみたいな可能性みたいな
ものもあるんじゃないかなって思ったりはして
なるほど
僕今回見てて思ったんですけど
すごい頭でっかちだな作品だなと思ったんですよ
冒頭の概念としての競争みたいな
映画やってるのとかも
なんか天然じゃないなと思って
デザインに仕切る人
設計する人だなと思って
これ本当に僕の極界でしかないんですけど
デイミアン・チャズル自身は
自分は映画に愛されてると思ってないんじゃないかなと思って
自分はめっちゃ映画愛してるけど
自分は映画に愛されてないと思ってるんじゃないかなって
思ったんですよ
もうこじれてるじゃん
こじれてるな
めちゃくちゃおかしい
すごいな
だから映画作りに関わってない人が
映画と繋がるっていうラストシーンって
ちょっとすごいいびつな感じを
僕は受けたんですよね
でも自分は宇宙で一番映画を好きと思ってるから
どんな手を使っても
映画を作り続けるんだと思うんですから
それがどんだけ悪が強かろうが
反則みたいな技を使おうが
自意識を詰め込んでても
それが受けるんだったら
僕はそれで映画を作り続けるっていう
本当に魂打った宣言なんじゃないかなと思って
すごいな
その見方もめちゃくちゃ面白いですね
1:21:02
なるほどな
主人公が映画業界に残れなかった人だったっていう視点から
ここまで発展するのすごいな
さすがです
あれが残ってる人だったら
ニューシーンはパラダイスになって
そうそうそうなんですよね
そこってあんまりロマンチックじゃない
ニューシーンはパラダイスはロマンチックですけど
でもそれって必然の成り行きというか
実際に彼は映画に関わっているから
それは現実なんですよね
でもそうじゃない人が
その夢を見るっていうところに
ものすごい巨大なロマンと
巨大なエゴを見出せるというか
確かにそうですね
デイビアン・チェズが多分映画史には残るだろうって僕言いましたけど
ここから何十年か経って
一線に立って映画撮ってるかって言ったら
また違う可能性もあるわけじゃないですか
今めちゃくちゃこの監督すごいって言ってた人が
いざ年を重ねていったら
あれなんか最近全然見ないなみたいな人とかも
結構いるじゃないですか
本当にスピルバーグとかみたいに
ずっと一線で残ってる人も
そこからさらに限られた人しか
いないなって思うんですよね
自分は残るとも思ってるし
デイビアン・チェズ自身は
けど残れない自分いるよな
いるかもなみたいな気持ちもあるのかな
みたいな話を聞いていて思いました
あとやっぱり雨に歌えばに戻っちゃうんですけど
雨に歌えばの方は
サイレント期からトーキーに変わる時を
乗り切った人たちの話なんですよね
こっちはダメになった人たちの話で
そこにスポットを当てたこともあって
映画業界から身を引いた感じで
終わらせたかったのもあるのかなというのと
あとあのさっき山口さんが
雨に歌えばちょっと
なんて言いますかね
コメディーが強すぎるっていうか
破れていく人たちに対する
優しさがないっていうふうにおっしゃいましたっけ
僕そういう捉え方ではなかったけど
確かそれはそうやと思うんですよね
だからミュージカル映画に乗っかれて
ハッピーって人たちの話だから
完全に影が隠されてる話になるんですよね
そこに象徴的なのが
喋りが酷くて
最後本当にバカにされるように去っていく
人物がいるんですけど
思い出した!いた!
思い出しました!いました!
いましたね
もうみんなの前でバカにされるっていうか
幕が開いたら違う人が歌ってたっていう
それがリナだったかな?
っていう女優さんなんですけど
今回ちょっと胸グッと捕まえたのは
マニーが最後見てる映画で
雨に歌えばのリナが出てきたシーンで
そこにあれは宮廷の映画でしたかね
1:24:01
昔自分がネリーと一緒に作ってた映画っていうことで
やっぱりそこの雨に歌えばのリナを
救済してるような感じもちょっとあって
そこは多分ちょっと意識的にやったのかなって感じは
すごくしたんですけどね
なるほどね
ちょっとその流れで僕も今思い出したことがあって
ブラッドピットが落ちぶれてから
凡庸な映画に出るようになるじゃないですか
その時に化粧してくれる人
おじいさんの化粧直ししてくれる人があって
何本映画撮ってたっけみたいな
80何本目みたいな話をしてて
あの人ってもうあれしかできない人ですよね
映画産業の中であれしか役割を持っててない人
本当に映画の時流が変わって
その役割いらないですってなったら
絶対に切り捨てられる人だと思うんですよ
でもまだ彼はギリギリ
凡庸な映画の化粧をするスタッフとして
映画業界に残れてるっていうのがあって
陰にいた映画作ってる人のことも
もうあいつしかないってなってるんじゃないかなと思ったんですよね
なんか今までララランダとか
あんまりそういう人たちに
そこまで目を向けてなかった気はしたんですけど
勝者ばっかりでしたよね
そこに目が向いてるというか
そんなに映画の歴史に残せなくても
それでも映画を作り続けてた人っていうものに対する
ちょっと思いが乗っかってるような感じはちょっとするんですよね
その化粧するスタッフさんもそうだし
さっき太郎さんがおっしゃってた
陶器に乗れなかった雨に歌いれば寝てきた役の人
とか本作で言うとほぼ全員
ほぼ全員映画の時流が変わっていくことに乗れなくて
切り捨てられるはみ出してしまう
あるいは大したことがない映画作りに関わり続けるみたいな
でもそういうのを含めてデミ・ハンチ・サズエルは
映画全部愛してるから
その人たちを許容するしかなくなってるんじゃないかなと思って
それは昔のチャゼルは作れなかったような気はちょっとします
やっぱもう長く映画監督やってプロとして関わってるから
すいも甘いも見てきてるとは思うんですよ
やっぱり彼らも映画の一部ちゃんっていう思いあるんじゃないかなと思って
ラストのあのシーンはそれもあるような気がします
あいつあの時に映画業界去っちゃったけど
お前も映画の一部だぜって言ってるんじゃないかなって
今ちょっと喋ってて思って
ですよね
1:27:00
だから観客はだしにするけど
作る側に関わった人間のことは
全員抱え込もうとしてるというか
すごいよやるなあそこや
でもあそこ
あのシーンだけで1時間くらい喋れると思うんですけど
2001年宇宙の旅のターゲットの映画版ですよねきっとね
モロ
みんな思いついたけど誰もやらなかったこと
誰もやらなかった
やりたくてもみんなどっか理性でブレーキ踏むとか
踏まなかったっていう
そこにあの音楽流れてテーマ曲の
ブードゥママでしたっけ
盛り上げていって終わるというね
音楽もやっぱすごかったですけどね
ジャスティン・ハーヴィッツの音楽
音楽よかったですね
あんなギラついたジャズ久しぶり聞いたなみたいな
あんななんかもう俺今もうめちゃくちゃやってますぜみたいな感じの
なんなんですかねあのジャズはみたいな感じというか
ギトギトですよね
あんなギトギトな感じの
あんななんかサウンド久しぶり聞いたなっていう風に思いましたし
かと思うかあのね
ネリーとマニーのテーマとかなると
ララランドと似たようなね
セブンのテーマと似たような感じのセンチメンタルなテーマが流れたりとか
あとまぁアジア系の謎めいた女性歌手のテーマとか
ちゃんと中華系のね
匂いがするようなサウンドが出てきたりとか
本当に他種多様で
サントラが異常に長いんですよね今回
長い確かに
1時間半ぐらいあるんじゃなかったかな
だいたい映画のサントラって1時間ぐらいあるかなーって思うんですけど
バビルの1時間半ぐらい収録だった気がするんですけど
長ぇわ
さすがですねと思いましたけど
誰か汚いララランドって言ってましたけどこの映画のこと
あの音楽的には
さっきのロマンチックな音楽
あれってもう似てるんですけど
なんかGO出したっていうかチャゼルも
もうなんかララランドをメタ的に入れちゃおうっていう感じもあるぐらいで
思いましたそれは
もうなんか見てて連想してもいいよっていう感じの
音楽にしてましたよね
一番好きなのが僕はブラッドフィットが
フェイだったっけにあって
自分の思いトローした後に消えていくシーンなんですけど
あそこでかかってる曲が
確かサイレントの時にかかってた音楽で
でよくある
よくあるっていうかすごくうまい使い方で
ホテルのロビーで演奏してるんですよねその曲をね
1:30:02
それがそこから離れたら
もう映画音楽としてずっと
ブラッドフィットの後ろに流れて
で最後ちょっと今回のブラッドフィットって
タキシード着てたり髪黒くしてるんで
あのやっぱりゴッドファーザーのマーロンブラント的な雰囲気もあって
ラストがまあゴッドファーザーの終わり的なね
ちょっとドアが閉まるっていうところで終わらせてるのも
なんか意気だなって思いましたけど
ちょっとあんまり触れてなかったんですけど
ジャズ奏者のパーマの下り
顔にブラックピントするシーンちょっとしんどくて
あれは
あれひどいですよね本当に
あれ本当にあったみたいですね
あったんですね
ひどい
モデルになってるサッチもルイ・アームストロングだったかな
なんかあったとかチラッと見たような気がしますし
ジャズシンガーがまさにブラックフェイスをやる映画なんですよ
そうなんですね
あれはもう白人がブラックフェイスやって
ジャズを歌うっていう映画なんですけど
なんかそこに対する批評っていうか
やってきたし
そういうとこで言うとパーティーのシーン
シドニーとかネリーが集まる
そこもなんかロワーク的な
ハリウッドの牛耳ってる政治家とか
メディア王
あれが出てきましたね
メディア王のハーストとマリオンが
マンクに出てきてた
市民系のモデルの
ビリーとマリオンですって紹介されて
ちょっと背の高いおじいちゃんの人と若い女優が
ミーガーリータ
そういうことか
あそこで流れてるボレロみたいな曲が
ハーストパーティーって曲で
やっぱりそこの家に行った話みたいですけど
そうなのか
そこでちょっとマンクと繋がってくるんですけど
全然繋がってなかったですね
今聞いてあーってなってました
でギルハ見せられてましたけど最後
なるほどね
ちょっと遊んでますよね
マンクと繋がるってことは市民権と繋がるってことですし
欲張りセットです
いやーもう本当ですね
なんかねちょっと
喋ってる言葉がスパッと出るんですけど
メイヤーあの映画撮らせてダメだよっていうのがチラッと出るんですよね
だからこれちょっと時代的にはもっと先なんですけど
市民権をちょっと言ってるような感じも
そういうことか市民権取るため
なるほど干されちゃうから
1:33:00
そうそうそう
なんかそういったパーティーの声も入れてたり
やっぱりその辺の知識とかもやっぱり見た上で
知った上で見たい映画だなって思いましたね
今日話を聞いていて本当に
なるほどだからあれですね
俺の考えたハリウッド黄金時代をもう一回作るぞっていう映画ですね
そうですね
欲張りで市民権も入れてくるというね
市民権入れちゃうし
それを全部まとめるのは雨に向かいかったし
いやもう映画史全部入れてって
パパパパパって全部入れちゃうみたいな
いやすごいやっぱちょっと動向してるなこの映画な
なんかすごいとにかくすごいですよやっぱこれ
なんかもういい作品か悪い作品かわかりませんけどすごいですこれ
いやもうやばいと思います本当に
僕も今のところ今年ベストですね
いやなんかこれ食らって
なんか参らないわけにはいかないというか
そうですねもう
参りましたよ
いやちょっとまぁ見て損はないというか
めっちゃ嫌いな人がいてもおかしくないと思うんですけど
めっちゃ嫌いな人いっぱいそうだなっていう
その人の意見多分聞くたびにもめっちゃわかると思いながら
でも好きなんだよねって多分言い続けそうだなっていう
また意味がわからない方が健全に見れるというか
意味がわかった上でむっちゃくちゃ嫌いみたいになると思うんですよ
可能性もありますね確かにね
めっちゃあると思うんですよ
だからなんか映画好きっていうか
映画評論家的に言うとなんかすごくその辺が
なんですかねやっぱり老悪的だったり
茶化し方がね
もう少しやり方があったんじゃないかって声は出るのは
確かだなっていう感じはしますけどね
なんか先ほどから山岸さんが言われてるように
なんかセリフが奥深いっていうよりも
本当になんかね
よくありえない
わかりやすいんですよね言葉がね
説明的だし
すごい役割をなぞるようなセリフ回ししてると思ってて
なんかその行間とか余白に何か意味がこもってるというより
言いたいことは一旦セリフにはしてると思うんですよ
全文において
何というか構造を見る映画かなっていう
そのセリフとかというよりは
構造自体がもうそういうデミアンチャーゼルの
映画黄金時代に対する偏愛みたいなものを
形作ってる感じだから
それが気に入ればもういけるし
淡かったらもう何というか
毒でしかないと思うんですよね
1:36:00
どっかないとそうですよね
そんな動画にしときましょうか
まだ喋れそうやけど
そうですね
もう一旦は喋れた気がします
やべえもう見たなっていうことをここまで喋れて
僕もほんとなんかスッキリしました
ちょっとすいません
リファレンス的なことばっかり喋ってしまって
めちゃくちゃ頼りになります
助かりました
厚みが全然違いました
本当に
本当にすいませんでした
ありがとうございます
失礼しました
それではバビロンの話はこの辺りで終わっとこうと思います
マリオさん次回どうします
今週やばいじゃないですか
話題作が
そっからどれ選びますかっていう
ゲストを誰かお呼びする可能性もあるし
2人の可能性もあるしっていうことじゃないですか
そうですね
どうしようかな
作品で言うと
まずアントマンがありますよね
アントマンがありますね
アントマンがあって
別れる決心があって
はいパクちゃんのクール
あとはベネデッタ
ポルバー方面もありますし
あとルカガダニーノのボーンズアンドオールとかも
その情報が僕抜けてました
キモシイシャラメが出てきます
他も映画ちょっと気になる
人からすると話題作ですよね
なるほどね
アニメ映画でブルージャイアントってね
ありますけどね
ジャズの映画が
ジャズがね
ジャズ続くなっていうのは
そういえば今ちょっと
カレンダー見ながら見て
またジャズの映画があるなって思ったんですけど
そうですね
既にやってるのだと
エゴイストとかもありますよね
そうですね
エゴイストとかも話題ですしね
結構難しいな
そうですね
ちょっとどうしましょう
今のところこの2人しか決まってないんですよね
そうですね
ちょっと誰かね
お呼びできるかもまだ分からないじゃないですか
なのでやっぱり
基本的にはもうなんか2人で喋る前提で
先に決めてしまって
そこでゲストの方をお呼びする上で
どうですかって
お聞きするかたしの方がいいのかなというのは思うんですけど
ちなみにタオルさんの声を聞いていかがですか
どうなんですかね
なんか喋りやすいのはベネデッタ
そんなことないか
いやベネデッタむずそうな気がしてるんですけど
むずいですかね
ちょっとそうだなと思いますけど
そっかそっか
あと僕バーコベそんな強くないっていうのが
ロボコップとスターシップトゥルーバーぐらいしか見てないんで
なんかそのちょっと厚みのあるバーコベ
ごめんごめん
確かにななんかバーコベだとなんか
1:39:00
それだと前田さんとかの方がなんか
いっぱい喋ってくれそうじゃないですか
そうなんですよね
あそっか
前田さんいるときのバーコベ盛り上がりそうな気がするんですけど
そうなんですけど
でも今回のは厚みのある方かな
ぽいですよね
僕一番喋れるか分かりませんけど
楽しみにしてるのは別れる決心ですね
一番楽しみにしてるのは
別れる決心いいですね
別れる決心
いいかなって
どんな映画になるのかなっていうのはちょっと分かりませんけど
パクちゃんとかねお嬢さん大好きですから
そんな話になるか分かりませんけど
あとまあ無邪気にアントマンやるっていうのは悪いですよね
アントマンもねそれでもねいいですけど
アントマンどうなんでしょうね
フェイズファイブ
フェイズフォーなんでしたっけ
違うフェイズファイブか次から
ファイブで合ってるかな
分かんなくなってきてましたね
なんか別れる決心が一番面白そうな気はするかな話して
別れる決心かアントマンかな
喋りやすいというか取り上げるとしたら
ゲストが特にあってがなさそうであれば
アントマンが一番安打かなって気はする
分かりましたじゃあそうしますか
ゲストを誰か呼ぶんであれば別れる決心で
ちょっと呼べなかった場合はアントマンって形にしますか
そうしましょうか
なのでちょっと告知すぐにできないかもしれないですけど
不確定で
そのどっちかにするつもりにしときましょうか
はい分かりました
はいじゃあ一旦その感じで
バビロンの話は終わっておこうかなと思います
はいではお知らせになります
2月の映画ナンシャスギルバーを開催する予定です
場所は大阪の南森町にあり
日替わりイベント型カフェバー週間回り
日曜日は2月25日土曜日
オープンが19時クローズが23時となっております
はい今回前田さんが店長お休みでして
私とマリオンさんの2人でお迎えさせていただく形になります
はいバビロンの話をしに来てくださいっていうことですね
これはそうですね
もうやばかったって話も全然やばかったって話もしますし
もう文句も全然あの一気に引き受けて
そうだねそうだねって言ってあげたいなって思いますので
全然乗りますよね文句に
もうそういうとこだよねみたいなのは全然乗りますので
チャズルそういうとこだぞって
全然乗りますので
はいよかったら遊びに来てください
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています
番組の感想次回テーマ作品の感想など
ご自由にお送りいただけると幸いです
1:42:00
また次回バー開催情報ポッドキャスト
次回テーマ作品の告知も行っておりますので
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いつでも番組説明文に記載しております
はいそれでは映画の話したすぎるラジオ第103回
バビロンの回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら