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2025-11-10 1:06:43

第237回(2)『爆弾』”冷笑の爆弾”に論破されない勇気とPOWER

『爆弾』の話をしました。 特筆すべき佐藤二朗氏の怪演を中心に触れつつ、メチャメチャ鬱屈した人達が「爆弾」を無数に仕掛けた社会で、我々が如何に生きるべきかについて話してます。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

今回のエピソードでは、映画『冷笑の爆弾』についての考察が行われ、物語の爆破事件を巡る緊迫したドラマとキャラクターの複雑さが話題になります。特に、鈴木たこさくという謎の男と警察の対峙から浮かび上がるニヒリズムやシニシズムが印象的です。本エピソードは、映画『爆弾』のテーマとして冷笑と倫理の問題を取り上げ、トロッコ問題や観客の視点について深く考察します。作品が観客に問いかけを行い、感情を引き起こす方法についても議論が交わされます。 映画『爆弾』では、ニヒリズムや悪意に対する恐れが描かれ、現代社会に潜む危険や人間の愚かさ、警察の無力さといったテーマも掘り下げられています。第237回のエピソードでは、冷笑主義の影響とそれに対抗する勇気について深く考察します。鈴木太郎の作品に見られるニヒリズムや善悪の評価、登場人物たちが直面する倫理的ジレンマも取り上げられます。 このエピソードでは、鈴木多護作に見る人間の心理と社会的な圧力、冷笑主義が現代の問題に与える影響について語られます。物語が展開する中で、ニヒリズムやシニシズム、爆弾というメタファーを通じて、最終的には誰も勝たないという結論に至ります。

映画『冷笑の爆弾』の概要
今日のテーマトークは、爆弾です。はい、ではマリオさん解説お願いします。 はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。
このミステリーがすごい、2023年版で1位を獲得した ゴ・カツヒロの同名ベストセラー小説を実写映画化したリアルタイムサスペンス
東京のどこかに爆発予定の爆弾が仕掛けられたという前代未聞の時代の中、 取り調べ室での工房と都内各地での爆弾捜索の行方を同時進行で描き出す。
酔った勢いで自販機と店員に暴行を働き、警察に連行された正体不明の中年男。 自らを鈴木たこさくと名乗る彼は、
令官が働くと嘘吹いて、都内に仕掛けられた爆弾の存在を予告する。 やがてその言葉通りに都内で爆発が起こり、鈴木はこの後も1時間おきに3回爆発するという。
鈴木は尋問をのらりくらりと交わしながら、爆弾に関する謎めいたクイズを出し、 刑事たちを翻弄していくが、鈴木との交渉に挑む刑事、
ルイケ役で山田裕樹が主演を務め、鈴木たこさく役で佐藤二郎。 爆弾捜索に奔走する巡査、ゴーダ役で伊藤祭里。 鈴木の過去を探る刑事、トドロキ役で染田仁翔太。
ルイケの上司、清宮役で渡部敦郎。 ゴーダ巡査の相棒、矢吹役で坂東亮太。 鈴木の見張り役を務める刑事、伊勢役で関一郎が共演。
キャラクター、定一の国の永井昭監督がメガドコンを撮った。 ロックバンド、エレファント鹿島市の宮本浩二が主題歌を担当。
はい、では内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方はぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、サリの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね。都内全部巻き込んだ壮大な事件というか、すごいデカい規模の話をやってるなっていうかと思うんですけど、ここまででっかいスケールのサスペンスやりきれるっていうのがまずすごいなって思いました。
なんかもうちょっと昔の日本映画では全然できなかったろうなこの感じっていうのは思ってたんですけど、なんかしかもそれをすごくなんか格好良くというかすごくクールに最後まで決めきっていう感じがあって、それがすごい見事だなって思いました。
基本は取り調べ室がメインの話であるんですけど、じゃあ実際に爆破シーンとかもどうするのって言った時にちゃんとやっぱりそこも手抜いてないというか、本当にそういう爆破事件あったんじゃね?みたいな映像にちゃんとなってて、それがすごく良かったなっていうのはやっぱりありましたね。
で、そこの鈴木たごさくっていう何とも知れん男が仕掛けた壮大な問いかけと言いますか。事件というか。あれをその不気味さというか、そこもすごい面白かったんですけど、そこを通じて誰しも奥底に眠っているであろうに非リズムとか疑問みたいなものを炙り出しつつ、でもさ、そこにさ、みたいな割り切れなさもしっかり向き合おうとしてるような話だなぁと思って。
なんかそこはすごい丁寧にしっかりやれてるかなというふうに思って。いわゆるトロッコ問題的な問題提起みたいな映画っぽくあるんですけど、問題提起してベロベロバーで終わってるような映画ではないかなっていうふうに思えたというか。そういう意味ではすごいしっかりしてるなというふうに思いました。
ただまぁちょっともうちょい上手くやってたらよかったりなぁみたいなというか、それあんま問いかけになってなくないというか、みたいなのはちょっとあったりもして、なんかそこはすごいもったいないなぁみたいなところもあったりはしたんですけど、でもトータルすごくなんか最後までドキドキしながら見れる良いサスペンス映画だったなというふうに思いました。はい。
はい、大石さんいかがでした?いやー本作はもうとにかく佐藤二郎が輝いてるなぁというのはすごい印象に残りましたね。もうなんて言うんですかね。結構コメディアンをよく演じがちな人ではあるとは思うんですけど、本質多分何考えてるか分かりづらい人だからこういう怖い人と言えばいいんですかね。
自分の中で、その、捉えどころのないような役柄をやらせるとここまで上手いんだなっていうのを改めて感じられたというか、結構その映画見てる間はこの人の手の手中で転がされてる、あの羊たちの沈黙とか、あとセブンとかじゃないですけど、なんかそのそれに近いような感覚を受けつつ、なかなか面白かったなぁとは思いました。
ただなんか一方でその警察側のキャラクター結構出てくるんですけど、なんか最初は結構この人面白そうとか良さそうって思うんですけど、だんだんこうあんまり刺さらなくなっていくというか、いまいちこうキャラとして立ちきってない感じもなんかこうあったりして、その辺は残念っていうのはなんか違うような気もするんですけど、
狙ってるのかもしれないんですけど、そろそろ山田雄輝とか結構最初お、なりもないで来るかなって思ったら案外そうでもない感じでこう絞んでいくというか、あまりそこにカタルシスを持っていかないっていうか持ってってないという感じのところとかは、ちょっと自分としては食い足りないなっていう感じはしちゃいましたかね。
で、あと演出とかも、いわゆる日本映画って階層シーンっていうのが多分出てくるのが、まあ良くも悪くも特徴だと思うんですけど、なんかその階層シーンを本当に食ったように使ったある演出があったりする。それによってもうそもそもこいつが言ってることって全部、しかももうその後半も確かにちょっと階層というか山田雄輝演じるルイケの仮説ってのが階層シーンとして描かれるんですけど、それが真実でもないっていうバランスになってるところとかは、
ある意味その、邦画というジャンルを使って、鈴木多呉作的なことをやってるのかな、映画全体がっていう意味ですごいお客さんを食ったような演出になってて、そこは結構この作品においてはありなんじゃないかなっていうふうにも思ったりしました。
そう、あとあれですね、最後のエレファントカシマシの歌はどこに向けた何なんだろうってそういう思いながら。
いや、ちょっとね、それはむちゃくちゃ思っちゃいましたね。
そうっすよね。なんかミサマチっていう、ある意味これをどう捉えたとしてもすごい皮肉になるかって思いながら聴いてたっていう。
そういう意味で使ったのかなとかすごいなんか考えちゃったんですけども、逆に。逆にでも何も関係ない歌のほうが良かったんじゃないかみたいな、というか街の音とかのほうが良かったんじゃないかとかすごい思ったんですけどね。
最初ちょっとその入りでしたけどね、なんかクレジット。
そうそう、だからそれで終わるんだって、あぁいいじゃないって思ったんですけど、なんか最後エレファントカシマシの歌が流れてきて、これはどういう意味なんっていう。
急に知らん曲流れたなってなりましたね。
そうそうそう、ミスマッチというか、マッチしてるとしたらあまりにも握りすぎんなっていう、なんかそういう、最後そこも喉に骨つっかかる感じで出てくるっていうのは正直ありましたかね。
いやすっげえわかるなぁ、あの100ずれてるわけではないんですけど、その股の真ん中の方には当たってない感じがするんですよね。
うんうん。
でやっぱりその宮本さんってこう、男の痩せ我慢のニュアンスがやっぱり出ると思うんで、結構痩せ我慢って本作でも最終的な重要なテーマになってくると思うんですけど、
その本作のラストってそのテンションでの痩せ我慢には着地してないから。
そうですね。
キャラクターとその対立
もっとキワキワの糸がキリキリ張り詰めるようなギリギリ感なんですけど、
うんうんうん。
うわーみたいな感じになってるから、いやいや、その声を出せるやつの話では着地せんかったんじゃないかみたいになっちゃって。
そうなんですよね。宮本から君とかだったらね、全然それでいいんですけど。
そうですね。
そう、いやこの作はちょっと違ったんじゃないかなっていう、個人的な意見ですけどね。
そう思いましたっていう、そんな感じです。
わかりますわかります。
はい、えー僕はですね、いやーなんか悪い映画撮ったなっていう感じが。
悪い映画。
悪い映画撮ったねって感じで、でもうとにかくね、あの佐藤二郎さんの開演はもう本当に本作の見どころだと思うんですけど、
それだけで見れる作品にはなってるし、それと対峙する山田勇輝もそれに負けないだけの演技をやってた。
本当に演技合戦として対決が成り立ってたので、そこはすっげー見応えのある映画だと思います。
で、その本作が浮き彫りにしている、この社会に漂ってるニヒリズムとシニシズムと言いますか。
虚無と霊性がもうたっぷり詰まってて、それでも生きるんですよっていうのの、そのギリギリ感を割と大きい作品のエンタメの中でやってるっていうのも良かったなぁとは思ったんですけど。
ちょっとあまりに話がこう、高等無形さは強いかなっていうのがあって、なんていうかこう、リアリティーラインバットマンぐらいやなと思ってたんですよね。
その、やってることはリドラーのジョーカーやなって思って。で、これがバットマンの話やったらまあってなるけど、あまりにその謎々すぎるぞっていうのはちょっと思っちゃってたから、秘密を解くのが。
ちょっとそこは、なんか謎々やなってなってたっていうのはちょっとあって、なんかそれをさも頭がいい奴が事件を解決してるかのように言われても、
いやこれは謎々を解いてるだけだぞみたいな。この謎々を解いてるのに何人の命かかってるんだみたいに、ちょっとこの目盛りの位置が合わない部分はあったかなっていうのはありましたかね。
あと、えっと佐藤二郎の鈴木多保作と対峙していく、主体となる人間がちょっと誰なのかっていうのが微妙にブレるなっていう感覚があって、トドロキなのかルイケなのかどっちなのかっていうのがちょっとわからない。
いやーわかりますね、それ。
で、これどっちかで良かったんじゃないかなってなるし、初めからこの事件に関わってたトドロキが主体として多保作と対峙し続けるのか、あるいは外からやってきた、あのルイケの立ち位置って僕近代一公式だと思うんですよ。
外からやってきて、もう見届ける役として、で、半分もあっち側というか、この世のルール側で動いてない人としてのルイケみたいな感じで対峙するっていう。
他の人はもう完全に多保作に振り回されるやつみたいな感じでも良かったと思うんですけど、ちょっとそこで軸ブレるなって思って、じゃあこの本作が言おうとしてることの、僕たちが預ける主体が何なのかっていうのがちょっとわかりにくいなっていう感覚はありました。
別になんかすっごい的外れなわけでもないんですけど、あれ、わざわざずらすんみたいな、ずらさんくても良かったんじゃないかなっていうふうに思っちゃう部分はあったかなっていうのと、あとまあその一人の男の絶望と虚無に向き合って、それを読み解くと言いますか。
その対決になっていくんですけど、つまるところ、俺の方がよりお前のことを読み取っているっていうマウント合戦みたいな感じになるなっていう感覚があって、それが悪いとは言わないんですけど、にしてはちょっと人が巻き込まれすぎているというか、最終的にはこれ、鈴木多保作の価値じゃない?って思って。
というか、鈴木多保作の価値というか、警察の負けですよ、これは。
そうですね。
めっちゃ人死んでるもん。
大失態ですね。
何かこの解決できた感は出ないと思うんですよ。これで。
例えばこれが金田一光介シリーズだったら、その、飲酒にとられた人々がみんな死ぬことで、誰も助からなかったけど、一つの呪いは解けましたみたいな、それを金田一光介が見届けましたみたいな感じになるけど、
巻き込まれた人たち、あまりにその他人の仕様がないすぎて、その意味がないじゃないんですよね。
だからまあその、ある意味その、他人を巻き込むっていうのが目的でもあるからあってるんですけど、
だとしたらあの感じでは終わらないんじゃね?っていう、もう純粋に警察は負けましたにしかならないんじゃないかなって思って。
いや、なんか人見の男の虚無を読み解き切って、すっげえみたいな感じにはならんのじゃないかなと思って。
まあ実際、ちゃんとスッキリ終わらないんですけど、その一瞬たりともスッキリはしてないんですよ。
もう完全に闇側に負け続けた話でしかないんじゃないかなと思って、ちょっとこのなんか作りは、違和感は僕はあるなとは思いました。
映画『爆弾』の深掘り
はい、っていう感じでしたね。はい、では、内容深掘りしていきたいと思うんですけれども、さあどっから行こうかなっていうとこですけど、
先にも佐藤ジェオさんの演技の話はほっときますか?っていう。
そうですね。
うん、まず離さざるを得ない。
うん、すごかったですからね、やっぱり。
そう、なんかしっかり佐藤二郎ではあるんですよね。まあこの人の特徴ではあると思うんですけど、
アバスの時の佐藤二郎だとか、あるいはもうちょっと他の映画でコメディアンやってる時の佐藤二郎の振る舞いと同じではあると思うんですよ。
うん。
なんですけど、やっぱりそこに、こう、だから演技ってそうなんだなっていうか、
喋り方だとか、人の表面的な部分じゃなくて内面を変えることで演技って変わるんだなっていう、
なんかそれを見せつけられた感じがする、したなってすごい思いました。
うん、結構佐藤二郎ってコメディでこうはしゃいでる時も、まあずっとそこ知れない顔してるというか、なんか表面みたいだなって思う時たまにあって、
なんか表情真顔で何この人言ってんだろう、こわ、みたいな感覚もあったりするなっていうのがあったんですけど、
それをすごく今回はもう存分に発揮してるというか、
すんごいなんか、コメディっぽく見えるんだけど、でもすんごいゾッとするぐらいに何考えてるかわかんなくて、こわいみたいな感じというか、
決してかっこよくはないんだけど、けどこわいなちゃんとっていうふうにはなってるっていうのがやっぱすごかったですね。
うんうん。
同型やれる人って基本的にこわいですよね。
うん、こわいっすね。
まあね、それこそジョーカーなんかはね、ある意味、同型として社会に反逆する役として、まああるいは定番として言われますけども、
この作は完全にジョーカー的なポジションではあるのは間違いないなぁとは思って見てました。
日本版でジョーカーをやるとしたらみたいなこともちょっと思いながら見ましたけど。
うん、すごいダークナイトっぽいなって映画にはすごい思いましたね。
まあダークナイト三部作というかはやっぱ思いましたね。
鈴木たごさくってキャラクターがすごいジョーカー的であったりもだし、
だからそこで問いかけられる問題っていうのがすんごいダークナイトでやってたような、に近いようなことをやっぱやってますよね、やっぱり。
いわゆるトロッコ問題的な話とかだなっていうのをやっぱ思いましたよね。
いやー、トロッコ問題ね。
いやなんだよなぁ、その試行実験としてのトロッコ問題と、実際に人をトロッコに乗せてそれを選ばせるのって話が全然違うから、
それで何かを、俺が善の欺瞞を解き明かしましたみたいな顔されても、お前がそうなるようにしただけなんだがって思っちゃうから、
そこでお前が勝ち誇ってるのは単にお前が悪いことをしただけだぞって思っちゃうんですよね。
まあそもそもはね、そういうもんかなっていう、そもそも前提に乗っかる必要ないよみたいなところはあるんですけど、
それを使ってエンタメというか、ある種の問いかけとしてやってみるみたいな映画の中でっていうこと自体は、やっていいと思うではいるので、
その使い方ですよね、本当に。使い方間違えたらマジでそれで何か言った気になってるガハハみたいな、「はい、お帰りください。」みたいな感じの映画になったりすると思うんですよ。
ただ、本作ってトロッコ問題してました? っていうのが僕ちょっと思ってるんですけど。
そう、そこなんすよ。
そもそも。
トロッコ問題的な話題ってあれですよね、ヨヨギの爆弾の事件のことですよね。
でもあれ分かってなかったっすよね。
そう。あれ問いかけじゃないですよねって思いましたね。
ちゃんと問いかけてから言ってっていう。悩んでもないからこっちみたいな感じですよね。
いや、それも多誤作の狙いというか、あるいは多誤作の裏側で動いてる人たちの狙いなのかなとはちょっと思って。
いわゆる世間の人からするトロッコ問題って分かりやすいじゃないですか。
警察がそれを選んだように、あの選択肢は見えるんですよ。
だから、外から見た時に警察ってやっぱそういうとこあるよねっていう風に見せるための演出だとしたら、
観客への問いかけ
まあそれもそうかなっていう気はするんですけど、あんまその辺も明確にならないので分かんないって分かんないですけどね。
でも全然ね、その時に対峙してたのは清宮ですけど、
別に清宮さんは別に、問いかけられてもなのに、なんかそうでしたって言われても、
え、困る、そんな言われても?みたいな感じじゃない?みたいな。
僕だったら別に問いかけられた気持ちになってないんだがみたいな。
あそこって、そのあそこがトロッコ問題っぽくなってるのって、
ルイケがまだ謎は残ってますって言って飛べようとしたから、そこがこう、トロッコ問題っぽさになってるんですけど、
なんかその謎が解けた程度でそこのトロッコ問題になられても、
いやそれって謎の解き方失敗してたら、そもそもトロッコ問題は成立してなかったってことですよね?みたいなことになるし。
なりますなります。
なんなんだろうな、それっぽくなったのを後からトロッコ問題に見せかけたのかなっていうふうにも感じちゃうというか。
そうなんですよね。
正直、出題者側のミスって感じですけどね、本当に。
出すならしっかりやれみたいな?って感じでしましたね。
そうなんですよ。結構ね、割とライブ感で動いてるはずなんですよね、これ。
そうなんですよ。そうなんですよ。
だから、何ていうか、仮にそのルイケが最後に言った仮説が正しいんだったとしたら、
割とアドリブで喋ってるわけじゃないですか、続きタゴ作という男。
ってなると、じゃあここまでのやつ全部何だったのかなとはちょっと思うんですけどね。
あいつら何を、まあまあ自分に注目を集めたかったっていうのは、まあ100%わかるんですけど。
とはいえじゃあ、そこまで警察を揺らす動機は果たしてっていう。
どうなんだろうな、なんかあんま動機ってちゃんと描かれてないというか、なんか単純に世界に絶望しましたみたいな。
人間って愚かですぐらいじゃないですかみたいな。
あと僕思うんですけど、あのシーンで本当にトラック問題にかけられてたのって、清宮さんじゃなくて観客ですよね。
うん、そうそうそう。
ですね。
だから、あれが逆でホームレスが無事で子供に死者が出てたりしたら、観客側はもううわーってなっちゃってるけど、
なんか、あれそんなにうわーってなってなくないみたいなのを観客側に与えてると思うんですよ、あれって。
あそこが逆だったら、ちょっともう楽しめなくなってるでしょって、観客が。
その構造になってるんじゃないかなと思って。
確かに確かに。
なんかだったら僕、それ観客に突きつけたら良かったのになと思って。
まあそうですね。
いや、今この映画を楽しめてるあなた、死傷者が出たのがホームレス側だからまだこの映画楽しめてますよねぐらいにやってくれるの良かったんじゃね?みたいにちょっと思って。
そうなんすよね。だからさっき言った回想シーンとかもそうですけど、割とこの映画、
警察側を食うというよりも観客食ってることの方が多いなっていう気がするんすよ、全体的に。
要は観客側がこうかなって思ったものを裏切ってみたりとか、例えばそれこそ朝ヶ谷の駅避難させていて、
で、上にもなんか話通ってるっぽい演出が入るじゃないですか。
で、ああじゃあ大丈夫だなって思って見てると、何のそれもなく突然解除されて、で爆発が起こるって、あれ全く観客側には情報を与えられてないじゃないですか。
なんかあれも、警察側ももちろんえ?ってなってますけど、累計とかも。
なんかあれも別に誰のミスってわけでもなく、突然ことは起こってるんで、安心して見てたら僕ら側を食ってる演出だなって気がしていて。
なんかもうそうなってくると、なんかこの対決ってすごいメタ的な対決なのかしらっていう感じもしてくるんすよね、なんかね。
そうか。画面の外にいるお前らに問いかけてるんだみたいな、そのメタ的な映画かみたいな。
いや結構その、観客に対する悪意みたいなものは結構ブシブシに感じる。
まああの原作で言うと多分読者だと思うんですけど、あんたがいる立ち位置って結構欺瞞に満ちてますよねみたいなのは、かなり言おうとしてる感じはあるなと思って。
僕が一番それを感じたのは、鈴木太郎作がYouTubeで語ってるシーンなんですけど、
誰それは殺します、誰それは殺しますみたいな、なんか普段ムカついてるものみたいなものを列挙して、でそれってめちゃめちゃ矛盾してるんですよね。
一つのポリシーにのっとってるとかでもなく、なんか腹立つもん全部あげてを殺しますって言って、でもそのお前らこれが腹立つってポストしてるのって、
これぐらい何の信念もなくやってますよねみたいなことをあそこに列挙してるみたいな、お前らに何の一貫性もないですっていう、ただ感覚で嫌いなものをあげてるだけなんで、お前たちってこの程度なんですよみたいな感じを見せつけてる感じはあって。
なんかその感じは、もうすっごい霊性的だなと思って、まあまあそうだなっていう。
で、しかも何とか殺しますみたいな列挙する動画のその次にまた動画公開するやつあるじゃないですか、あれ完全にもう差しに来てるというか、
はい、お前らも加担してるんだぞーみたいな、まああれはまあハッタリですけど、でも言いたいこととしてはそういうことですよねってやっぱり。
一番なんかあそこはなんか観客にもこうダイレクトに届く悪意というかこう指し方というかっていうのはまあしてるなと思って。
今年で言うとあれも近いですけどね、真相をお話ししますっていう。あれももう諸にそういうことをやってたというか。
で、これもまあ本当にトロッコ問題みたいな、トロッコ問題でベロベロバーしててウザいなって問題がそれなんですけど、ようやく名前出しますけど。
もうマッチで終わり方がそういう終わり方してて、あなたはどうするんですかーどやーみたいにして、はい、もうお帰りくださいって感じで言い切ってないですみたいな、そんなことお前に言われるのも知ってますからみたいなことをやってて、まあすごい露悪的というかあの、すごい大げさな映画だなって思ったんですけど。
倫理と悪意の描写
でもやっぱ爆弾はそういう下品なところまでは行ってないかなとは思ったというか。
悪意持ってちゃんと演出上でこの指しに来てくれるというか。そこがやっぱ上手いよなとやっぱ思いましたよね。
結構まあちょっとさっきまであげつらった言い方にはなってるけど、そこの部分は別に本作ダメなわけでもないし、筋が通ってないわけでもないというか、まさに鈴木太郎作がやりたいことってこれなんですよね。
無差別に欺瞞を何とか指摘したいというか、お前ら欺瞞に満ちてますよねって言いたいみたいなのがあるから、むしろそのやろとしてることがあまりに薄っぺらいのはそうなんですよね、その薄っぺらいものに振り回されてるお前らがさっていうのを言いたいから、まさに正解やなっていうのはあるんですよね。
そこがこの本作がちゃんと重みがある部分かなとは思って。
そうですね、確かに。
逆にその鈴木太郎作になんか大層な信念があるって描かれると、それはそれでこのアプローチ合ってたのかって話にもなっちゃうので。
それがないからこそ、真の部分というか、しっかり霊障主義を真正面から描けてる。それがどこまでも霊障、見てる観客も含めて確かに霊障的ではあるんだけど、嫌な気分にならないギリギリのところというか、にはなってるっていう。
そうですね。SNSでのレスバトルって不毛じゃないですか。それと一緒というか、喧嘩吹っかけてくる方も適当な物言いしてんなみたいな。
それに対してこっちも返す方も適当な言い回しで返すからみたいな。その話題についてある種捉えた話はしてるんだけど、不毛になってくみたいな感覚は、
その通りだなというか、爆弾っていう映画そのものっぽい差もあるのかなっていうのは話を聞いて思って。
確かにな。本当に、ただよくわかんないおじさんで、信念もあまり大してなさそうみたいな。ただ世間を脅かしたいみたいな。
僕の持論、人間愚かですよねっていうのを、ただぶちまけたいぐらいの感覚でやっていただいてた方が、
現実問題として捉え方としてすごいなんかっぽいなっていうか。捉え方としてすごいなんか、今をちゃんと捉えられてる感じすごいするなって思いましたね。
本作の良さって、人間の社会の欺瞞性を暴こうとする悪意みたいなものに、ちゃんとそのキャラクターと人格を持たせて、
かつそれをかっこいいものとして描いてないとこだと思うんですよね。
そこ結構ね。そうなんですよね。
かっこよくないですもんね。
で、結構これってキャラクターの描き方変えたら、僕らって熱中しちゃったりしてるわけですよね。
例えばジョーカーとかそうだし、古くはタクシードライバーとかそうだし、ファイトクラブとかそうなわけですよ。
アウトサイダーどうしてもかっこよく描いて欲しいっていう欲求もありますしね。
かっこよく見えそうなんだけど、やっぱかっこよくなくジョーカーやってやりきってくれるっていうのがやっぱいいというか。
この事件もね、別にあいつが全部考えたことじゃないというか、ただのりですからね。っていうところも含めて別にそんな大したかっこよくないみたいな。
だし、もともと計画してた人たちも対してそんなしょぼそうというか、浅はかで軽薄なだけみたいな感じがすごく良かったですしね。
そうなんですよね。だからニヒリズムとかに端を発する悪意みたいなものがかっこいいもののはずがないっていうのはあって、
ただそれを僕らちょっとかっこいいものであったらいいなっていうのを求めちゃってるから、やっぱりタイガーダーデンが生まれちゃうわけですよね。
そうですね。
いやいやって言ってるとこが、ある種痛快でもあるというか。
うんうんうんうん。
そうですね。それこそルイケとの議論って、わりとその話を真正面からしてますよね。
その爆弾を作って、お前ならもっと俺よりもすごいことができるだろう、なんでやらないんだってところで、やっても意味がないからだっていう議論ありますけど。
あれって割と本作の結構真ん中にあるメッセージ性なような気もして。
うんうんうん。
なんかそこを、すごいある意味対話だけでセリフで描いてはしまってるんですけど。
しかもそれが結局、うまく実行というか警察側の行動に描けてるかって言われたら、そうではない。
そこもある意味カタルシスが抜けてるっていう意味で現代的な映画なのかもしれないんですが。
なんかそのあたりの対話というか、問いみたいなものは、しっかり正面から大事なことというかメッセージ性みたいなものを結構言おうとしてるんだろうなとは見てて思ったりはしましたね。
それこそ山口さんが、警察負けてばっかりじゃんみたいな話言われてたと思うんですけど。
だからニヒリズムをかっこいいものとしては描いてないんだけど、結局そっちになんか勝っちゃってるみたいな、現実みたいな。
なんかそこを、ちゃんとリアルを反映してる感じすごいしたなというか、もあったし。
あとやっぱり、ラストですよね。もうちょっといきなり急にラスト飛んじゃった感じしますけど。
1個まだ不発の爆弾が残ってますよっていう。もうそれって、あれが一番というか、僕らにも嘆けられてるものだなって一番思ったんですけど。
ニヒリズムってみんな持ってるし、それがいつ爆発するかってわかんないよねみたいな感覚がすごいやっぱ、あのラストすごいそこから感じられたというか。
で、現にやっぱそういう、ある種なんでしょうね、無敵の人じゃないですけど、そういう人が凶悪な事件を起こしてしまうみたいな、
世界がもう絶望したみたいなじゃないですけど、みたいなことする感覚って、今回の鈴木太子作の振る舞いって結構重なるとこあると思うんですけど。
やっぱそれがいつこう、何かの表紙で、本当に予想もつかないような形でそこが巻き起こってしまうかみたいな。
物と向き合わないといけないし、何かそれを何か見ないことにはできないみたいなこともちゃんとしっかり描ききってるラストだなと思って、
なんかそこすごい、しかも結構クールめにそこを処理して描いてるなぁと思ってて、結構映画の松野くんそこのおかげで結構高かったなっていうのはあったんですよね。
あのラストは本当に切れ味あるし、あれ小説だったら相当切れ味ある最後の一部になると思うんですよね。
で、最後の一つの爆弾は見つかっていないって、そもそも爆弾がいくつあったかなんてわかんないじゃないですか。勝手に言ってるだけだから。
で、実際に仕掛けられた爆弾の数も後から後からどんどん話し上書きされていってるから、もう無限にあるとも言えるし、もうないとも言えるわけですよね。あれってそもそもが。
で、実際その現実がそうなわけですよ。そのニヒリズムの爆弾がいつ爆発するかなんてわからないから、もうこの社会には無数の爆弾が仕掛けられてる状態なんですよね。
で、それが急に爆発して、何の関係もない人の命を奪うなんてことが、残念ながらしょっちゅう起きてしまってるわけじゃないですか、現実って。
それをまさに映し出しているラストだし、この作品自体がそれだったと思うんですよね。
鈴木タゴ作っていうキャラクターが、薄っぺらいしカッコ悪いんだけれども、ただの強力な悪ではある。で、実際強力な影響力を持っている。
警察の無力さ
何の信念もなくても人を殺すことなんて絶やすい。社会を破壊することなんて絶やすいっていう。その社会に来た上で我々は何をすべきですかっていうことを問いかけているところは、結構重い問いかけだとは思います、そこは。
そうですね。
偉いですよね。社会を壊すほうが絶やすいってしっかり言ってくれるのってなかなかないなと思って。
うん、そうですよね。確かにな。だから、鈴木タゴ作っていう人っていうか、いわゆる極論に走る人って感じがすごいして。
はいはいはい。
で、鈴木タゴ作以外にも極論に走るような事象ってすごいあると思うんですよ。
はい。
例えばですね、劇中の週刊誌報道とかも、ある種の、そこに何があったのかっていう複雑さを、二言論的な、いいのか悪いのかだけで書いてしまう。
それってある種極論ですよね。
はい。
で、そこに振り回されてる社会もみたいな。っていうことがあったと思うんですけど。
うん。
で、一方で週刊誌報道でさらされることになったある刑事の話と、その部下だったトドロキの一言、結構印象に残ってるというか。
極論で分けたら良くないんだけど、でも、その人の全てを否定することはできないっていう、その飲み込めなさみたいなものがすっかり描かれてて。
で、やっぱ最後、トドロキがタゴサクに言う一言もすごくなんか、いやなんかそれでも僕そうやって生きてるなぁみたいな感覚、すごいわかるなぁと思って。
なんかあれは、トドロキってキャラクターすごく良かったなぁと思ってましたよね。
うん。
だからもうちょっとそこが前面に出ても良かったような気もしてくるぐらいっていうか。
うんうん。
もちろんルイケとタゴサクの対比でもあるんですけど。
いやそこね、トドロキとルイケでストーリーラインがブレるというか分かれて、なんかそのどっちが主軸かフワッとしちゃう感じがあるなとは思って。
まああの、群蔵劇と言うこともできるとは思うんですけど、群蔵劇にするには鈴木タゴサクの引力が強すぎるから、やっぱりその鈴木タゴサクに対峙してる人間が本作のテーマを背負う構造にはなると思うんですよね。
うんうんうん。
ちょっとそこが、なんか飲み込みづらいなーっていうのはあったんですよね。
どうしても見てることとしても、鈴木タゴサクに対する対抗馬というか、ジョーカーに対するバッタマみたいな存在をちょっと期待しちゃうところはあるじゃないですか。
それはある意味わかりやすさに走ってるのかもしれませんが、とはいえやっぱりその方が対決構造としては非常に綺麗ではあるんですよね。
その分、警察側が普通の人に見えるっていうのは良いことなのかもしれないんですけど。
そうなんですよね。思ったのは結構、なんか久しぶりというか、踊るダイソーソーセンっぽいなって思って。
はいはいはいはい。
諸葛と本庁の差が結構パッキリ分かれてる感。結構そこ、しっかりなんか分かれてる、描いてるなって思ったんですよね、今回は。
トドロキはどっちかというと諸葛側。で、ルイケは本庁側の人間としていきますけど、もう完全になんかもう組織のかき割りみたいなものにどうしてもなっちゃうみたいな。
物語として面白くするんだったら、だんだんルイケとトドロキがバディー感を持って、現場での聞き取りはトドロキがやるんだけど、
で、ルイケの方にメインで尋問みたいなのやって、いやでも、そこに飲み込まれそうになるんだけどトドロキの一言でちょっと、おどたえないみたいな。
あったら映画的にシンプルには面白いんだろうなって思うんですけど、そこがないみたいな。
なんかかき割り、でもそれが結構現実的でもあるよねみたいな。そこもちょっとあるしリアリスティックに描いてる。
っていうのもなんかちょっと珍しいというか、なんかもしかしたらすごくそれは意識的にやっていたのかもなっていうのはちょっと思いますよね。
だから警察側も思ったよりも、もちろんかっこいい描写はあるんですが、思ったよりもかっこよくないなっていう印象を受けるんですよね。
いや僕あの、矢吹と伊勢の役回りめちゃめちゃ酷いと思ってますよあれ。
各々が各々のこう、成功欲というか出世欲みたいなものに基づいて行動させてとんでもない問題が起きてるじゃないですか。
ちょっとキャラクター描写として浅すぎんかと思ってそこは。
もうなんかただ勝手に行動して被害に巻き込まれて、甚大な被害を巻き起こした人たちみたいになっちゃってるから。
ちょっとなんというかこう、鈴木太子作が上回ったというより警察が愚かすぎたっていう感覚の方が強いんですよね、あそこは。
あそこはだから組織的に、まあそれこそね、政権が負けるシーンで組織が負けたっていう風に言って、で一方で矢吹がその怪我をしたシーンでは個人で勝手に動いたから負けたっていう。
どう動いてもお前ら無理だよねって多分ある種冷笑的に鈴木太子作が笑ってるんだろうなと思ったんですけど、組織でもダメだし個人でもダメじゃんっていう。
まあそうですね、だからいまいち、まあもちろんこの映画そもそも最後に語る必要が来ない作品ではあるんですけど、なんかこう入り込める人もあんまりいないというか、入り込みづらいところはあるなぁとは思ってましたね。
なんだろうな、そのそもそもこの話って、警察が勝つの無理な話だと思うんですよ。
だってもう爆弾は仕掛けられてるわけだから、爆発させることは、まあ絶やすいというか、しかも次元式なわけだから、要はもう起爆するとかじゃなくて、もうほっといたら爆発しちゃうわけだから、
もうそれを探して見つけられるとかっていうのも、本人が嘘ついてたらもう終わりなわけじゃないですか。で、その本作が、鈴木太子作がある程度は本当のことを言ってる前提で進んでるけど、全然そんなことないから、むしろあいつボカンってなってくれた方が嬉しいわけで、
警察の描写と冷笑主義
そのボカンとなるのが嬉しい上で、警察の奴らを振り回したいっていうのがあるから、その場その場で一番適当なこと言い続けたら、基本的にもうどうしようもないわけじゃないですか。なんかそこに変に警察の側のとっぴな行動をすることで、なんかよくわかんないぞみたいになっちゃってるんですよね。別にあいつらドラマの中心にもならないから。
そうですね。あんまり取り立てで喋ることないなぁみたいなキャラクターではあるなと思ってたんですね。あの初活の刑事コンビ?刑事コンビというか警察官コンビか。とか、いい感じのなんかキャラクター感出してましたけど、別にそこまでみたいな感じは正直まあ、あったかなっていうのはありますよね。
ひきんな人たちが、とはいえ警察官という役割に準じて正義をなそうとするみたいな、それが犯人のニヒリズムと比較されて、しょうもない犯人に対して凡人ではあるけど努力する人たちとしての警察官たちっていう役方にすることもできたんだけど、なんかそのしょうもないまま終わってしまってるというか。
その彼らの前世が全く良い方向に働かないまま話が終わるから、そこの態勢にもなってないんですよね。もうそこの部分で言ったら、踊るダイソー作戦の方がまだ上手いですよ。劇場版踊るダイソー作戦の方がまだそこできてると思いますもん。
そうなんですよね。だから、鈴木太郎作のその冷笑主義だけが残る感じになる。もちろんそれを狙ってだとしたら、まあそうかなって気もしますが。
そうなんですよね。だから、善も正義も全く対応できてないまま一歩的に負けてるけど、最終的に鈴木太郎作のお前の内側を見通すことができたから引き分けだぞみたいに。引き分けじゃないわと思って。
大敗だと思うんだけどなっていう。その上で最後の宮本広二のアイアムヒーローとかのあれがね、誰のことをヒーローと言ってるんだってすげー燃やるんすよ。
よくわからないですね。
まさか田尾坂のことじゃあるまいっていう。
なんかその、善っていうものがニヒリズムに論破されないことにしかない。
善がその実際の善行としての成果として本作、成果を上げないから、基本的に事件としてはもう全敗だと思うんですよ。
ただ、いや所詮正義とか善なんて何の意味もないよねって言ってる奴に対して、いやそれでも俺は痩せ我慢して頑張って生きていくんだっていう。
なんか俺は論破されてませんしか本作の中にその光がない。
そうですね。大事なメッセージあるんですけどね。論破されないみたいな。それでもっていうのは大事なんですけど。
映像演出とキャラクターの魅力
でもいいんだっけみたいな。なんだこの気持ちはみたいな。
だからさっき小説だったらって話をされてたと思う。まあこれまでの原作小説ですけど。
小説ちょっとだけ人から借りて、冒頭の方だけ読んでって、確かに小説では田尾坂と読者とのやっぱり対話の一面の方が大きいと思うんですよね。
だから警察官側というか謎解く側でもあるわけじゃないですか読者って割と。推理小説でもあるわけでこれは。
そういう意味ではやっぱり犯人とすごい、例えばルイケってあったりとかトドロキに視点を入れながら見れるわけですよ。
それに対してこの映画で、もちろん観客には確かに投げかける形にはなってるんですけど、とはいえ、じゃあ田尾坂と観客かって言ったらいやいやいや。
ルイケとトドロキいるじゃんって話にもなっちゃうわけで。ここはやっぱりメディアの違いによるもの。
時々このラジオの中では話題になりますが、そこによる難しさみたいなのが結構出てんじゃないかなっていうのはすごい感じました。
そうですよね。
じゃあどうしたらよかったかって言われるとすげえむずいんですよね。
まあでも見てる分には結構楽しかったっていうか、ハッタリちゃんとかましてくれてるなーと思ってたんだよなーっていうのはすごいあって。
いや、そう、そう。
後から考えるとちょっとどうなんすかみたいな、まあここまで結構そういう話がちょっとメインになってしまってるとこあるんですけど。
でもやっぱりハッタリ効いてるから見れちゃうじゃないですか。それはやっぱり鈴木田尾坂っていうすごい強烈な人物を演じる佐藤二郎での演技だったりとか、
あと実際にそのもうパニックになっている惨状というか爆発シーンですよね。
あれ本当にマジっぽく見えたんで結構すごいなと思ったんですけど。
なんか爆発が派手じゃないのが怖いっすよね。
そうですね、火がバーじゃなくて、バンってなって煙が土煙がブワンってなるって怖いですよね、なんかね。
こうやってこの爆発したら人死ぬなっていう納得感がすごいある。
確かにそういう実際にそういうテロ事件とかのなんかそういう実際の監視カメラ上でこう撮られた映像だと見るとなんか結構そういうふうに見えたりとかするじゃないですか。
あれとか思い出しましたけどね、あのボストンマラソンの爆発テロ事件とかも確かそんな感じだったなっていうか。
あとそれを元にした映画とかもね、2本ぐらいありましたけど、でもなんかそういう感じの描き方してたなーみたいなこと思い出しましたし。
結構ね、駅のシーンとかすごかったと思ったんですよね。あれどこで撮ってるんだろうと思いましたけど。
割とだからその映像演出の部分というか、CGですよね多分ね、の使い方とかは割と上手いなというか。
そうなんですね、上手いし。多分そのカラーグレーディングっていうんですか?ちょっとクールめな質感みたいな映像のとかもすごいなんかやっぱちゃんと安っぽくないって感じにやっと見えるじゃないですか、やっぱり。
そういったとこを含めてやっぱしっかりしてるなーとやっぱり思いましたね。
それこそ、これはメイクの部分だと思いますけど、鈴木田後作の指ですよね。指の革の描写とかすげーなと思ったんですけど。
確かに。
なんか本当に細かいですけど、でも結構指ってこの作品大事じゃないですか。
そこの部分の指先まで気抜いてない衣装作りというか、メイクのあたりはやっぱ気合い入ってるなっていう。
はいはい。いやーそうですねー、なんかこうリアリズムがあるというか。ここは佐藤二郎さんが出てた作品だったら、探すとかもやっぱこう舞台の質感みたいなのはあって、
なんかそこはやっぱ大事にしてる部分としてあったと思うんですよね。で、本作が多分映像になった時に口頭向けになるっていうものは絶対作ってもわかってたと思うんですよ。
これ謎々の解き合いと、お互い俺の方がお前を見透かしているというマウント合戦をしてるだけなんじゃねみたいなのは、多分映像になったらなるなっていう感覚はあったと思うんですよね。
じゃあもう絵力じゃんっていうところで、絵力でこの映画はすごいことになってる。間違いなく。だから達成はしてる映画だと思うんですよね。
うんうんうん。
ほんといちいちかましてくるというか、もうオープニングクレジットっていうか、タイトルの出方からしてかましてくるじゃないですか。
はいはいはい、そうですね。
なんじゃこりゃみたいな出し方するじゃないですか。何このスタイリッシュな感じで出してるけど怖いなみたいな。
あの辺りはすごいなんか、なんて言うんでしょうね。長谷明っぽいって言ったらいいのかな。オープニングにこだわってる監督感すごいあるんですよね。
なるほどなるほど。そこにプラスして、あれですかね、それこそこれまでのキャラクターとか、低地の国とかそうかもしれないですけど、
役者の魅力みたいなものをどう出すかっていうところもすごいこの人上手いんだなっていうのは思っていましたね。
ほんとそれこそ言わずものかな、佐藤二郎はそうなんですけど、割とこう、ルイ家も完全敗北をする役ではあるんですが、やっぱり面白さはすごい出せてるというか。
山田勇輝という人柄ならではの、これはこれで食えない感じが、結構見事に出せてたと思ってて。
ほんと役者の色を出すのが上手い人だなって印象が僕はありますね。
キャラクター良かったですからねー。
ねー。
もう世界の終わりの深瀬塚井最強やと思います、あれマジで。
そうですねー。
発明ですよね、ある意味ね。
もうあれでね、あの深瀬以降ね、映画に出るとき大体あんな感じですよね。
そんなイメージですよ。
僕見てないけど働く細胞にも出てたと思うんですけど、たぶん一緒でしょ、感じ、と思っちゃったんですけど、予告編とかポスターの見る感じ、一緒でしょ、みたいな思っちゃったし。
いやマジでハマり役でしたからね、あれは。
へー。
ほんと僕、長居昭監督の撮ってる映画ってどれも当たり多いと思ってるんですけど、定位置の国もだし、恋は雨上がりのようにもだし、すごい丁寧だし、
要所要所ちゃんと演出というか見せ方というか、ちゃんと楽しませてくれる感じすごいしてたんですけど、
今回もレイに漏れずっていう感じだなっていうのはすごい思いましたけどね。
映画として見応えが本当にあったなと思ってて、
まあ、絵力の部分がやっぱり本作を牽引してるっていうのは間違いないと思うんですけど、
そのミステリー部分の弱さというか、ちょっと尻滅裂さ、尻滅裂ってほどでもないんだけど、
なんか謎解けたなーみたいな、そこにそんなに面白みはないかなって気はしてはいるんですけど、
まずその、この話の背景の謎として中心にある警察の過去の不祥事ですよね。
あの部分が、僕これそんなにかってなったんですけど、
僕、もっと酷いこと想像してましたよ。あれ。もっと酷いこと想像してたから、これそんなにかってなって、
そんな一人の人間と、その人間の家族の人生丸ごと破壊するようなスキャンダルかっていうのは、すごい疑問で。
まあ確かに、あれ以上いくと、トドロキが気持ちはわかるっていうのは言えなくなると思うんですよ。
いやそれはあかんってなっちゃうけど、まあなんかそれをわかるって言えるラインではあるんですけど、
なんかその言えるラインであることで、なんかそんな強烈なスキャンダルには見えなかったし、
確かに、そのカウンセリングは受けてほしいと思います。僕も。ちょっとその同僚側になってたら、純粋に心配やなっていう。
その問題があるというより、心配が勝つっていうのがあって、ちょっと結構キテンネ君ってなると思うんで、
ちょっとしばらく休職して治療に努めた方がいいかもなってなると思うんですけど、
その話を、医療機関側がマスコミに流してってするほどインパクトは強くないんじゃないかなと思って。
しかもね、本庁の刑事とかじゃなくて、ほんと地方の、地方というか、一、派出所の刑部ですからね、そんなにかなっていう。
それはありますよね。
で、それに付随してなんですけど、結果それで一家離散するっていう流れになるわけですけど、
そこの結果息子があんなに世界に恨みを持つんだろうかっていうのもちょっと同時に疑問を持って。
持つとしたら、世界じゃなくて親父にじゃないかっていう。
そうなんですよね。なんでしょうね、ああなった時に何を憎むかっていうのがちょっと想像できないっていうのもあるんですけど。
それ、憎む対象違うんじゃないか問題は、実はあれも一緒なんですけど、真相をお話ししますでも実はその同じ病理抱えてるんですけど、実は。
復讐する相手そいつじゃないだろっていう、親だろみたいな話があるんですけど。
まあそれに近いなってちょっと思いましたけど、それはもうなんかあれなんですかね、都合のいいだけの話なのか、
ロジックがただ破綻してるのかちょっと僕はよくわからないですね。
何か原因があって道を踏み外せば結果的にはそうなるよっていうのもわかるっちゃわかる気はするんですけどね。
ただ唐突にそれを投げられて因果のように見せられるとなんか違和感があるっていう。
そっちじゃなくない?みたいになったりとかでしましたね。
そうなんですよね。だから、世界を憎む理由としては鈴木多護作の方が圧倒的にあるんですよね。
彼が世界を破壊して世界を嘲笑いたい動機はめちゃめちゃ理解はできるんですよ。
冷笑主義と人間の心理
そうなるのは従順理解はできるっていう。
鈴木多護作にこそ気持ちはわかるって言ってあげないといけなかったですよね。
ここに至るまでに。ここに至ったらもう言えないけど、そこに至るまでに気持ちはわかるって誰かが言ってあげないといけなかったんだけど。
なんかね、そこのズレみたいな。世界を破壊して嘲笑いに値するほどの憎しみの動機っていうものが実行犯たちに生まれるのかどうかみたいな。
あいつらだけ急にキャラ描写浅いじゃないですか。特に息子じゃない2人の、なんていうかそれをやるように設定されたキャラクターみたいな感じで。
いいように退場しますからね、あいつらもね。
あと、これも僕重大なズレだと思うんですけど、トドロキがルイ家に引き継ぐ時に、あいつはそういう地堕落で世界を恨んでる中年男性みたいな、そういう典型的なのじゃなくて、
むしろ無邪気みたいな、引き継ぎをするんですけど、むしろそのものだっただろうと思って、あそこ無邪気さの欠片もなかっただろうなと思って。
確かに無邪気ではないな。 そうそうそう、あれやっぱズレですよね。
めちゃくちゃピンとズレてる意見だから、全然ダメなんですよ、あそこの焦点の当て方。
言われてみれば確かにそうだわ。人物評価間違ってるわ。 そうそうそう。
むしろこの、そういう男性像の一番濃縮されたやつが鈴木たごさくだから、
なんでしょうね、茶色とか灰色だったら濁ってるってわかるけど、真っ黒すぎたらもはや純粋って思っちゃったみたいな、認知のズレが生じてしまったのか。
しかも意外とルイケしばらくの間それを真似受けてますからね。
そこも僕は結構引っかかってるんですけど、ルイケ結構その後ろに控えてる時は、たごさく純粋論に乗っかってる気がするんですけど、いざ前に出てる時にすごい煽るじゃないですか。
キャラ変えてますよねみたいな感じで。 そう、あそこキャラがなんかちょっと繋がんなくて。
上司もちょっと驚いてましたよね、時々ね、顔。 えー?みたいな顔しましたよね。
お前そんな奴だった?みたいな顔しましたよ。 そうなんですよ。
なんかもうちょっと理論性と対話していくというか、たごさくの長髪に全く乗らずに淡々と行くタイプなのかなって正直思ってたんで、あれ?っていう。
あれ?お前もガンガン乗るじゃんみたいな。 上司もびっくりですよ、本当に。
けっこうね、教室の端っこでずっと本読んでそうなタイプに見えるじゃないですか。
ちょっとペン回ししてたりとか、足組んでたりとか、ちょっとお行儀悪い気はあるんですけど、
まあなんか教室の端で本読んでそうだけど、いざ対峙したらけっこうオラオラ系やから、ちょっとドキってなっちゃうくらいなのかな。
ねえ。
すっごいちょっとやっぱ繋がらなかったんだよなあと思って。
確かに言われてみればそうだ。
そう、なんかね、全然みんな鈴木たごさくのこと読み解けてないんですよね、本当の最後の最後まで。
うん、そうっすよね。
なんかね、話せば話すほどどんどんずれていくなあ、この絵描いてんのになっちゃって、なんか、あららーって感じですけどね。
前提としてそもそも原作というかストーリー自体が原作にかなり忠実のはずなので、
もしかしたら冒頭だけ読んでる限りはそうなのだと思うので。
そんな大きく変えることないでしょうしね、おそらくね。
たぶんお話そのものが抱えてる問題っていうのはかなり全面的に出てしまっている気はするんですけど。
そうなのか。じゃあなんか、一瞬だけ、あの、容疑者Xの献身みたいな展開になるのとかも、まんまなのかなあみたいな。
たぶんね、まんまなんだと思うんだよなあ。
ちょっとあれ、容疑者のXの献身感ありましたよね、あれありましたよね。
いや、ほんとめっちゃ思い出しました。
ねえ。
容疑者Xの献身や、ってなりました、あそこ。
まあそれ裏切る話にはなってたんですけど、そう。
ルイケ直前まで読んでた?って思いましたもん。
そっちまで読んでたのかって思いましたよね、ほんとに。
いやあ、でもね、そこで、あの罪かぶってくださいみたいな話の振られ方したら、
ああもういい、こんな世界ぶっ壊してやるってなるかもしれない。
もう、信用してた人にあんなこと言われたら。
まあ、あれが正しいかわかんないですけどね。
話の流れで、ほんとは止めてほしかったのかもしれないですね、みたいな。
どんな甘えやねんと思って。
そうなんですよね。
あれ多分違うと思うけどなあっていう。
そんな都合のいい話ないですよ、それは。
いくらなんでも甘えすぎそれは、他人に。
うーん。
だから鈴木に対して救いはまあないんですけどね、そういう意味ではね、あの話に。
それもまあテーマかなと思って、結局ニヒリズムとシニシズムが爆発してしまったら勝者はいないっていうことだと思うんですよ。
物語のメタファー
誰も勝たないっていう、全員負けですっていう結論だとは思うんですよね。
実際現実もそうだと思うんですよ。
もう世界を破壊するしかないってなった人が、その引き金を引いてしまったら、もう幸せになる人はいないですよね。
その絶対に負ける勝負を、そもそもその引き金に手をかけさせないっていう、そこの勝負をするしかないっていうことを描いてる話でもあると思うので、
そもそもこの話が始まった時点で全員負けてるんですよね。
そうですね。確かにな。そもそもやっぱこれね、そもそも警察が負けてばっかりっていうか、そもそも警察無理ゲーじゃんって話ありましたけど、
圧倒的に攻め有利のゲームっていうか、なんかそれってあの、さっきのコンピューターウイルスとかの被害の話っぽくも見えるというか。
どんなに企業側がなんかセキュリティ強化しても、一点なんか抜かれるだけでもう負けみたいなのと一緒だなっていうか。
もうなんか攻めた奴が勝ちみたいな、論理。戦争とかもそういうもんだと思うんですけど、いかにそうさせないかっていうのとかは本当に問われてるよなというのは本当に思いますね。
いやしんどいですよね。僕最近しんどいですもん、生きてんの。こんな、もう無茶した奴が全部壊せるだけじゃんってなってますもん最近割と僕。
ちょっとね、なんか最近ちょっと絶望的な映画多いなーって思いますよね。ハウスオブダイナマイト見たら本当に辛くなりますよねみたいなとか。
そうですね。
あれも撃った奴のせいでもう全員みんな不幸いである道しかないじゃんみたいなことを示した映画でしたけど、あれは。
だから危うい世界の中を生きてるってのは本当にそうなんだろうなとは思いつつ、この映画はある意味希望を示してはくれないので、
こっちで探すしかないっていう、探すというか、たぶん身近にもうそれを置き続けるしかないんだと思うんですけど。
そうですね。だからそういう意味ではトドロキが良かったなっていうか、トドロキの存在がちょっと僕にとっては救いというか、それでもまだ頑張れるかなって思えたっていうのはありましたね。
街中に爆弾はもうばら撒かれてはいるんだけれども、そこで折れないっていう。ただその爆弾が爆発したらもう負けは確定しているっていう。
そんなアンバランスなゲームをやり続けるっていう勇気がいるんですよね。
しかけられたら負けるゲームをどう起こさせないか、ゲームにしかさせないかっていう。
そうですね。ゲームにしかさせないからですね。本当ですよ。
しんどいっすよね。本当に。
だからこの映画のそのカタルシスの無さは、この現実社会のカタルシスの無さはそのものではあるってことですよね。
現代社会への警告
そうですね。
ここ最近本当に2010年以降のほとんどのハリウッド映画がカタルシスをどんどんどんどん削ぎ落としているのが結構それを顕著に表してる気がするんですけど。
明らかにヒーローの勝利がしょうもなく、できるだけしょうもなくなるように描いてるっていうところとかは、現実社会のカタルシスの無さみたいなもの。
それはそれにカタルシスを与えてきたものへの抗罪というか、そこに対する反省みたいなものがすごいあるので、本作もある意味その系譜の中にある映画なのかなーっていうのはちょっと想像しますけどね。
まあ、折れずに生きていくしかないんですよね。
そうですね。
大変ですけど皆さん頑張っていきましょうかっていう。
はい。頑張っていきましょう。爆弾は見つかってないですけど。
そうですね。はい、じゃあそんな感じで爆弾の話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。映画の話したすぎる場、次回開催日は11月22日土曜日になります。これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南森松週間曲がり19時オープン23時クローズです。またこの番組ではお二人を募集しております。番組全体やテーマ作品向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはXおよびインスタグラムで告知しております。各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第237回爆弾の回を終わりたいと思います。それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:06:43

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