今日のテーマトークは、『Dear Stranger ディア・ストレンジャー』です。 はい、ではマニオさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。
ディストラクションベイビーズ 宮本から君へのマリコ哲也が監督オリジナル脚本を手掛け、ドライブマイカーの西島秀俊と白標の殺人のグイルンメイが夫婦役で初共演した
日本・台湾・アメリカ合作によるヒューマンサスペンス、ニューヨークで暮らすアジア人夫婦を主人公に、息子の誘拐事件をきっかけに夫婦の秘密が浮き彫りとなり、家族が崩壊していく姿を全編ニューヨークロケで描き出す。
ニューヨークの大学で廃墟の研究をしている日本人女教授の夫ケンジと、人形劇団のアートディレクターとして夢を追いながら、
老いた父の代わりに地域密着型ストアを切り盛りしている台湾系アメリカ人の妻、ジェーン。
仕事や育児、介護に追われ余裕のない日々を過ごしていたある日、幼い息子、カイが行方不明になってしまう。
警察は誘拐事件とみて、夫婦それぞれから事情を聴取する。
悲劇に奔走される中で、二人がこれまで胸に秘めてきた本音や秘密が浮かび上がり、夫婦間の溝が深まっていく。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
ではアサリの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、あの言いたいこととかテーマ好きなんですけど、なんかぼんやりした映画だなーって思いました。
はい。
なんか思ってたんとちゃうって感じが、はい。正直な感想ですかね。
なんか、まあそもそも意図してないと思うんですけど、あまりにもなんかサスペンスなドライブしていかなくて、
抽象的な感じのモチーフばっかりが先行するみたいな映画になってて、なんか、うーんわかるけどそんな好きじゃないぞーみたいな感覚のまま終わってしまったっていうのがちょっと正直な感想でしたかね。
なんかすごく挑戦作だなぁと思いますし、あのルックとかもやっぱりなんか日本映画って今回言ってるのかよくわからないですけど、
すごくルックも整ってておしゃれというか、なんかすごく見てる分にはワクワクはしてたんですけど、
でもなんかこの手の映画であんまり胃がキリキリしない感じなのはちょっと残念かなーって思っちゃったって感じですかね。
あとあまりにもこう連想する作品が多すぎる。
そしてその連想する作品と勝負して勝ててるかっていうと、そんな勝ててないか?みたいな感じでもなってしまってて、ちょっと期待してただけにちょっと残念だなーって感じでしたね。
僕はですね、大体一緒かなと思います。あのこういう映画めっちゃいっぱい見たことあるですし、つい最近も見ました。本当につい最近も見たし、ここで話しました。
ちょっと正直見飽きたとさ言っていいかなって思っちゃいましたね。
まあ監督マリオコテツヤさんってことで、僕ディストラクションベイビーズと宮本唐木見絵はどっちも好きな映画ですし、
あとまあ宮本唐木見絵を踏まえると結構本作って結構理解しやすいかなって気もしてて、
現実より本質を求めたい男の話だなっていう感じ。それってもう宮本唐木見絵の裏だと思うんですよね。
宮本唐木見絵はなぜかそれがうまくいってる。なんでか知らんけどっていう。
で、まあ案の定本作はうまくいってない話っていう風に言えると思うんですけど、
まあとはいえ、本質と現実の対立軸みたいなもので、本質を見たがりすぎて現実を見てない男のダメさみたいなのって、
まあわかります。描きたいのはわかる。もうずっと映画ってこういうことを描いてきたし、男性作家ってこれ描くの好きだと思うんですけど、
もう良くね?って。こういうのをナルシスティックに描くのもう良くないって正直心底思いました。
ちょっともう、ショック症気味とさえ言っていいかなって感じですかね。
あとまあ、終盤で取材受けて聴衆に説明しているところの抽象的すぎるって言われてるのも、ちょっとあまりに自己言及的すぎるなって思って。
なんかこの映画に対して何言われるか先回りしてないかとさえちょっと思っちゃったというか。
確かに言われてみれば、そうですね。そんなくだりありましたね。
まあ、だから自覚してやってるとも言えると思うんですけど、
なんかにしても、その劇中の登場人物の価値観に映画そのものが付き合う必要なくね?ともちょっと思うし、
何でしょうね。もう父になるとか夫になるとかっていうのを、
いや俺その資格ないし、自覚も足りてないから逃げますとか。
もうなんか、自覚も足りないし資格もなくても泥すすってやれやと思って本当に。
ちょっとこれはもうダメでしょ。
これをなんか人間の複雑さっていうのももうちょっとですよ。
これが文学とか芸術とか言われても、いやもう次進んでいいと思いますと僕は言いたいかなって感じですかね。
はい、ではお便り1つ紹介させていただきます。
マリオンさんお願いします。
はい、ムーニーマンさんからです。
刺さるというよりも刺さりに行く必要がある、試作のための映画という印象でした。
138分も彼らと共に生きたのに、自然に感情を移入することが難しかったです。
女教授と人形劇監督の世帯衆流の不明瞭さ、怖すぎる劇に湧くオーディエンス、
語られぬ夫婦の友人関係、私と作品にまたがる異物感を拭い去ることができませんでした。
あの夫婦にも二股のハート型ストローでトロピカルジュースをすする甘い季節はあったのでしょうか。
もはや最初から崩壊すると確信していたからこそ、ダイワマンは惹かれたのでは、とさえ感ぐってしまいます。
頭はぐるぐる、心はもやもや、いっそ私も抽象的すぎるだろう、と叫んで締め出されても良かったのかもしれません。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
むっちゃわかりますよ、おっしゃりたいこと、本当に。
めっちゃわかりますね、なんかね。
確かにね、周囲のことむっちゃ気になってて、あの人形劇あまりに儲かんないですよ、あれは。
そうですね、かなり最近は知ってるというか、ニッチですよね。
しかも片方は、まだ女教授で十分な地位は得られてない状態ですよね。
その二人が今のニューヨークに二人暮らし、子供一列三人暮らしですけど、むしろギリのお父さんもお母さんと同居しながら、ひいこらひいこら生きてる方がリアリティはだいぶあるなと思って。
なんかこう、ニューヨークに暮らしてるっていうロマンチックな絵のために、なんか現実性放棄してないかとはちょっと思いますかね。
無理だろって、あの生活は。
あんな余裕ないでしょ。毎朝ちゃんとご飯作ってて、カツカツっすよ、ほんとに。
そうですね、ちょっとそれは気になるかなっていうのは思いましたし、
あんまりリアリティがないって言うとあれですけど、抽象的すぎるだろって言われるところの公演の場の西島秀俊の怒鳴り方。
ドン引きですよね。どうしたんみたいにしか鳴らんくないっすかみたいな。
なんかね、そういうところがね、いちいちノイズっていうか、なんか凶を襲われるっていう感じがするんですよね。
あのシーン、マジやばくて。
なんなんでしょうね。あんな人いたら、ちょっとこの人に仕事頼むの無理だなってなりますけどね。
ちょっと僕もそうですね、こいつ何言ってんだろうみたいな。
やっぱ鳴るな。
ほんとにもう背景に対して、生と死の間のロマンしか感じてないから、
じゃあそれのコストどうするんだみたいな、めっちゃ具体的な話一切無視してるから、
そこの話に反論できないのを研究者としてもどうなんと思って、地に根差してないだろうっていう研究の軸が。
そうですよね。
そうなんだよな、最初から崩壊すると確信していたからこそ引かれたっていう指摘もかなり深刻ってるなと思って。
あの二人の間に、なんか生の恋愛感情見えないんですよね。
なんか二人とも抽象的な何かを演じてるから、血肉あまりに通ってないなって思って。
そうですね。
夫は廃墟の研究、テレパとして選んでて、妻は人形で、人形でそういう舞台をやってっていうので、
すごく設定的な感じで言うと、すごく目の前にある事実とか真実そのものを見ない感じって言ったらいいんですかね。
そこにばかり目が行ってしまうような人たちの話なんだろうなって思ったんですけど。
それはあってるっちゃあってるんですけど。
もうその設定でもわかるしっていうか、それありきだなっていう感じがして。
そこからこの二人がどういう話していくのみたいなのが、そんな引かれない話として。
話としてもだし、二人のやりとりからしても引かれないっていうのがあったので。
なんか余計にぽいだけ、それっぽいだけなものに見えたりはしたなーっていうのはありましたかね。
で、妻のかつての恋人まで出てくるわけじゃないですか。
そこで、実際の描写として入れないにしても、話としてセックスに全く触れないってあるんかって思って。
なんなんでしょうね、その身体性を帯びた恋愛の話一切してないなって思って。
それは逆にちょっと別にその濡れ場を見せてくれっていうわけじゃないですけど。
その抽象的な恋愛の話がしてる頭でっかちさが、まさにこの主人公そのものだなっていう感じがして。
そうですね。映画そのものもそうだったみたいな感じは、正直我々を見て思っちゃった。我々というか僕はそう見えたなーっていう。
映画の側はもっとわかりやすく面白くてもいいぐらいかなって僕は思って。
正直その方が飲み込みやすかったなーっていうか。
でもそこを多分初めから目指してはなかったと思うんですよね。目指してなかったと思うんですよね、そこは。
やっぱりもうそこの犯人は誰だったのかとか、息子が見つかるとかみたいな具体的にすぐ終わるじゃないですか、すぐというか。
結構終わったなーみたいな。もう話終わったなーみたいな。
やっぱり描きたいところはそういうところじゃなくて、みたいな。
それはもう意図的というか、目的持ってそこをやってるからこそ、じゃあ合わないなっていう。
いやー、ていうか主演が西島秀俊さんでこの題材やるってなったら、もう頭ん中ドライブマイカーでいっぱいなわけなんですよね。
そうなんですよ。共通点が多すぎるんですよ。
多すぎるんですよ。
テーマもだし、西島秀俊という存在もだし、あと車もよく出てくるし、音楽はジム・オルークだし、めちゃくちゃドライブマイカーとシンクロが、
そもそもジム・オルークと西島秀子さんって組んでたりする方なので、シンクロもかなりというか神話性高いんですよね。
音楽もすごいぽいなって思いましたし、あまりににすぎ。
いやー、にしてはちょっとなー、なんだろうなー、浜口隆介の比較するの良くないかな。
でもやっぱり連想しちゃうからなーっていう、ちょっとこれはもうしょうがないかなっていう気はします。
比較がどうこうじゃなくて、似てるなっていうかシンクロあるなって思うのは多分みんな思うし、
そこからちょっと並べた時にどう見えるかっていうのが少し対照的ではあるので、
興味深いっちゃ興味深いんですけど、他にも似てる絵がたくさんあげられるんですけど、浜口隆介以外にもは。
んー届かんなーみたいな感じにはやっぱなるなっていうのと、
あとやっぱりあの落下の解剖学とかも思い出しましたね。
ジュスティーンといえば。
あと別れる決心とかね。
別れる決心とかですし、
あとちょっと胃がキリキリするような感覚みたいなというか、
演出面とかはやっぱり黒沢清とかは思い出したりするかもなーみたいなとか、
っていうのとかは思い出したりします。
ラストでね、父であり夫であることから逃げる映画ってまあよくあると思うんですよね。
ちょっとまあ作品名あげだすとキリないんであげないんですけど、
まあよくあると思いますし、名作って言われるものもあるとは思うんですけど、
なんて言ったらいいのかな、俺は逃げますみたいな感じじゃなくて、
あれラストって結局あいつって自殺でしたよね、表現としては。
そうですね。
誘拐してた人ですよね。
誘拐した彼ですよね。
自殺じゃないですか。
ってことですよね。
でも俺が殺したって言ってるじゃないですか。
であれ、まあ俺が殺したって言ってるのって、
実質俺が殺したようなものだを短くして俺が殺したって言ってるやつやと思うんですよ。
そうですね。
よく敵のライバルキャラが主人公の父親殺したのっていうのを、
実質俺が殺したようなものだっていう、
罪悪感から勝手に言っとるみたいなやつやなって僕思いながら見てたんですけど、
なんでしょうね、そこもなんだろうな、
もう逃げますみたいな感じじゃないところも、
ちょっと変に複雑にしてるところも飲み込みづらいなとは思ったりとかして。
そうですね、まあなんか、あれも一種の逃げというか、
だからこれ僕の解釈合ってるかわかんないですけど、
結局男たちは目を背け続けて、
妻は向き合うようになっていくみたいな対比の終わり方であってますか?
なんかちょっと僕もなんかで解釈むずいなと思って。
ちょっと僕リーチできてないかもそこまで。
僕はなんかちょっと思ったんですけど。
まあそうなるかな?
なのかなーって個人的には思ってたんですけど、
なんかまあそもそも関連的な、関連的というか重症的すぎて、
まあちゃんと真に捉え切れてる自信もちょっとないし、
なんかまあちょっと真相としてそうかーみたいな、
っていう感じもすごくするし、
なんだろうなーみたいな、
モヤモヤだけが残ったなーっていうのはすごいありましたね。
この話って詰まるところまあ三角関係の話でもあるわけだから、
なんかそこの部分はもうちょっと生々しい感じのサスペンスにした方が良かったとは思うんですよね。
あんまり関連的な話にせずに、
もっと生の匂いがする感じとかあった方が、
こじれ方はよく出たんじゃないかなと思うし、
あとまあサスペンスとして面白くするんだったら、
あいつ死んでるのかなりこの話の前半で出さないといけなかったと思うんですけど、
子供を誘拐した男が死んでいたっていう、
それがフックになるはずだと思うんですよね。
この映画を見ていく。
今回話しする前にもう一回解説というか概要見どこと思って、
映画ドットコンボ読み返してたんですけど、
この映画の紹介、そこが入り口なんですよね。
子供を誘拐した男が殺されていた。なぜだっていう。
それ中盤以降になってるじゃないですかって。
しかもこの主人公が疑われていくのもなんかフワッとしてるというか、
実際に疑われていることそのものよりも、
主人公が勝手に罪悪感とか焦燥感膨らませて自滅していってる。
ちょっと自罰感が先走りすぎてて、
この話全体の本来の持ってる側の部分が全然ちゃんと描いてないなって思うんですよね。
だからよくわかんないし、
面白がる部分が少ないんですよ。
息子が実は建造の血の繋がりのない子ですみたいな話って、
観客は結構後の方になって、
あ、そうなんだみたいな感じになると思うんですけど、
向こうからしたらもうわかりきってる話を、
今更そういう話でごちゃごちゃしだすの、
もっさりしてんなーみたいな感じがすごいしてて、
そんなもんさっさと言ってからそこに対する圧力みたいなとか、
やったほうがめっちゃ面白いよなーみたいな気はしてたりしたし、
さすがにこいつ犯人だろうみたいなのがバレバレすぎるっていうか、
ずっと顔も合わしてるじゃんみたいなレベルで知ってるし、
さっさとこいつ探せやみたいな、
なんでそれを警察にも言わないんだみたいなことがどうしても気になっちゃうし、
お店に強盗が襲われた時に実は彼もいたみたいな話、
カメラを見て気尽くしみたいなシーンありましたけど、
フード被って全然顔もわかんないのに、
ほぼ何か見えてない、ちょっとしか映ってないようなあれ見て、
あいつだみたいにならんくないですか?
どっちかってそこに映ってる明らかに落書きまみれの車、
あれ見たことあるのほうがめちゃくちゃピンとくるだろって思いましたけど、
そういうところからもなんかピンとこない、なんか違うなーみたいな、
いちいち意識がそがれってすごい見ながら思ってた。
あの強盗のシーン、ちょっとだいぶどっちだっけで、
うん、わかります。
あいつが強盗に来てる意味わかんないんですよ。
あの仲間誰やった?みたいなのはなるし、
しかもあんな防犯カメラに映ってんのも、
警察に早々に提出して捕まえれやと思って、
なんで俺だけが見つけられたみたいな、
もう全員見たらわかるだろなんて。
しかも人の顔じゃなくて車を見たら一発わかりますからね。
これでもかってくらいあの車映ってますからね、劇中。
もうわかるだろって。
なんか俺だけがこの真実に気づいた感全然ないから、
明らかやんて。
なんかそうなんですよね。
こちらへの情報の引き出しがなんか雑っていうかなんていうかみたいな、
あんたらはわかってるからいいですけど、こっちはわかりませんけどみたいな感じがすごいしちゃって。
で、そんな人たちの話のなんかこの喧嘩じゃないけど、
そのすれ違いとか見てもハートしかならんなーって思っちゃったなーっていう。
期待してた時ちょっとなんかなーって思っちゃうんだよなー。
あとまああの警察側の視点から見た時に、この話ってやってることは刑事コロンボみたいだなって思ったんですよ。
だいたい犯人わかってて、それをネチネチネチネチ攻めていくっていう。
で、犯人側はこのネチネチに対してどんどん冷静さを失って混乱していってこうボロが出ちゃうみたいな。
なんかやってることは刑事コロンボみたいだなと思って。
帰る間際にもう一つだけみたいな感じで話すとこも。
コロンボとか古畑忍者風呂みたいなやつを思いながら見てたから。
いっそそのフォーマットでも良かったのではとさえ思って。
全然違うタイプの話になるんですけど、正直もっと側はジャンル映画で良かったと思うんですよ。
別にそのサスペンス映画じゃないにしても、恋愛泥物の側でも良かったと思うんですけど。
その側の奥の方に人間の虚無みたいなものを描くことはできるんですけど、
その人間の中心部だけじゃなくて、側の部分も全部空虚だから面白がり方を見つけるのがすごい難しいと思うんですよね、この映画。
かなり努力を要すると思うんですよ。面白がれないことはなかったですけど、かなり集中力を要する作りになってたなと思って。
やりたいことはめっちゃわかるんですけど、単的に弱いなっていう。
弱いし似てる。
そうっすね。
分かりますよ。僕も自分の中の虚無西島秀俊に演じてほしいですもん。
そう、そうです。
男ってダセーな、でも側は西島秀俊だからかっけーなみたいな感じで映画として楽しむみたいな行為したいですよ。
したい。したい。したいでーす。
にしてはちょっと楽しませるガイドラインがちょっと不明瞭だから、かなり暗中模索しながら見てましたね。面白がり方を。
そうですね。
妻の被る人形が幻想として見えちゃうみたいな、あると思うんですけど、何か言いたそうみたいなのはわかるんですよ。
それもちょっとよくわかんないなって思って、何か言いたげだけどよくわかんないなっていう感じがしてしまって。
そうですね。
多分僕なりの解釈で言うと、主人公は本質で繋がりたいと思ってる。本質を見たいと思ってる感じ。
で、妻の本質は今ある肉体というよりも人形の側にあるという風に感じているからそれを求めちゃってるんじゃないかなっていう風な感じが僕は受け取ったんですけど。
ちょっとわかりにくいというか、その解釈をしてもあんまり自信がないなっていうのがあって。
そうですね。うん、確かに。
西島秀俊演じる男が見るのがやっぱりその人形の息子っていうのがやっぱり、やっぱりどっかで自分の息子じゃない感を持ってるから幻想として出てくるのは人形なんだなーみたいな感覚はやっぱりあったので。
で、それすらもあいつはつかめないっていうかったりとか、あと劇場のシーンでも出てきましたよね、廃墟の劇場のシーンでもチラッと。
なんかこよっとしてるのにもかかわらず彼は銃を撃っちゃうわけですけど、それを振り切っちゃうみたいなところからして、すごく目を背けがちなやつだったなっていうところはある一方で。
で、奥さんの方もそうなのかなって思ったんですよ。やっぱり人形というものに入れ込むということで。
けどなんか最初それっぽいのかなーと思ってたんですけど、その人形の中に入ることで繋がっていくみたいな感覚が、だんだんそれが本当に息子との関係、関係というか元から大切にはしてたと思うんですけど、
なんかよりそこに向かうようになってる感が、まあ僕映画の中から感じられたので、だからあの人形って結構そういうその見えてなさとか、そういうちょっと断絶みたいな象徴っぽさもあるんですけど、
なんか繋がりの象徴でもあるのかなーみたいな見え方をちょっとしたっていうか、この解釈が僕合ってるかわかんないんですけど、まあでももう抽象的なんで、もうなんぼこじつけてもええだろうと思って、僕はそういうふうに見たって感じですね。
スマの実際の人形劇の舞台見るシーンも、スマがかぶってる人形、荘園する人形と獣みたいなのが絡むところで、なんかめっちゃ喰らってて劇場出て行っちゃうんですけど、僕あれあんまわからんくて、
僕もあんまわかんないです。
何に喰らってるかがよくわからなくて、めちゃくちゃ感受性高いなって思いながら見てて、でも割とそこが本作の肝な気もしてて、いやそんな受け取ることありました?みたいなところで勝手に盛り上がっちゃって喰らっちゃってる人の話やなと思って、
ちょっとあんまりに抽象的すぎるから、僕本当にあの舞台終わった後、ポカーンってすると思うんですよ。本当に。
ポカンとします。僕もポカンとしてました。そうですか、なんかすごいですねって言って終わりそうっていう。
それに一人だけ、観客結構ワーって拍手してましたけど、たぶん一番キャッチしてるの西島秀俊なんですよね、あれを。
あんなに入られないくらい喰らうってめちゃくちゃキャッチしちゃってるんだと思うんですけど、それをキャッチするの、この映画の観客も無理だってなっちゃったから、
むしろあの人魚劇の舞台ってテーマとかもっとわかりやすくてもいいのではってちょっと思って。
そうですね、そうです。それこそね、ドライブマイカーにおけるワーニャおじさんみたいな、すごく物語の中と最後彼が直接演じる意味みたいなのを含めて重ねてたわけですけど、
あんまり上手くいってないですよね、今回の場合たぶんみたいな。というか僕の理解が悪いだけなのかもしれないですけど、ちょっと読み解けなかったですし。
そっから何をバーで一人で飲んで、そっからのやりとりとかもよくわかんねえなみたいな。なんでこんなふうとなってんだっけみたいな。
あそこでの妻の言う感じ含めて、なんか彼女はちゃんと見るようになったのかなみたいな。本質から目を逸らさないぞみたいな覚悟はあるんかなっていうのはそこからも感じられたっていうのと、
あとちょっとこれはやりすぎだと思いましたけど、ブランコのシーンでめちゃくちゃなんかやめなさいみたいな感じになるのとかも、まあそういうことなのかなーみたいなって思ったんですけど、
にしては弱いな、エピソードとしてと思いましたけど。
弱えーっすね。
弱えーっすね。
結構浜口雄介監督って、ポイントポイントをむっちゃわかりやすく作ると思うんですよね。
ドライブマイカーのワーニャおじさんもそうなんですけど、例えば夫婦が分かり合えてないっていうのを抱き合った状態で、でも視線はもうかわされないみたいな、お互いの向こう側を見てしまってるとか、
あるいは車に乗ってる時に、2人並んで座ったら、視線をかわすことなく、お互いが勝手に自分のことを話してるみたいになるみたいなのって、セリフでは説明してないけど、映像はむっちゃくちゃわかりやすく有弁に語ったりするんですよね。
で、そういうこのわかりやすさがないなとは思って、
なんかの象徴だけど、言語化した瞬間にズレるなみたいなぐらいの、ちょっと曖昧さを残したままだから、こうだなみたいなのに、腑に落とすことができないというか、
映画を見てる時にもちろん解釈の幅があるものって全然あってもいいんだけど、全体のストーリーはわかってるみたいな、こういう話だったねっていうのは腹落ちしている。でもそれに対する解釈はおのおのに任されてるみたいなのはありだと思うんですけど、
全部が余白としてあると、そもそもどういう道筋で見たらよかったのかさえよくわかんなくなってるみたいな感じなんですよね。だからこうこうこうこういう話でした。それの結末は余白しかありませんみたいな。
そこから先はあなたに任せますみたいな。スタート地点から任されてるからあまりにオープンワールドすぎるなと思って、もうちょっとお使いゲームやらせてもらってもいいけどなみたいな。
なんかあそこ、ほんと車回りのところは結構好きなんですけど。
なんかちょっと全然関係ない話するんですけど、あのチャイナタウンっていう映画で、主人公が探偵だったと思うんですけど、街の謎を追っかけていくんですけど、ずっと鼻怪我してるんですよね。
ここにベターンってこう、絆創膏みたいな張った状態で話し進んでいくんですけど、すっげー違和感あるんですけど、なんかそれぐらいでいいと思うんですよね。
その主人公の欠落の表現、欠落というか不完全な表現、コンディションが100%じゃないっていう表現ってそれぐらいでいいんじゃないかなと思って、車のメンテがちゃんとできてないとかでいいと思うんですけど、
それをこうあまりに文字っていう形で意味として重ねてるから、ちょっとその重い意味が。
でもそのチャイナタウンのずっと怪我してるみたいな話で思い出したんですけど、西島秀俊もずっと怪我してましたよね、今回。なんかこの辺ずっと傷ありませんでした。
ありましたっけ?
なんかずっと揉み合いになって、拳銃で当たらなかったんですけど、缶一発みたいな感じの揉み口になるみたいなところで多分怪我したんだろうなーみたいな感じがあったんです。
確かあれ以降ずっとなんか目の当たり赤いなーみたいな。
あーはいはいはい。
あったんです。それなのかもしれないですね。
チャイナタウン的なのかもしれないですね、それがもしかしたら。
ちょっとねー、重いかな?ぐらい。
車自体はね、本当に良かったです。マリオンさんがおっしゃる通り、車種もなんとなく僕いいなとは思ってましたし、ニューヨークの街に映えるなと思ってたんですけど、
あとあの音を無視し続けるっていうのが本質を見えてるなさんみたいなのも表してるのかなーみたいな。
重ねてるのかなーとかって思うとすごい味わい深いなーみたいな。そこら辺は結構良いなって思ってたのと、
あとちょっと話出しましたけど、揉み口になるところ?喧嘩して。やっぱアクションいいっすよね、ああいうところの。揉み口になるところ。
自然な感じって言ったらいいのかわかんないですけど、いい感じに見ともなさもあるみたいな。あれいいですね、やっぱ。
喧嘩撮るの上手いですよね。本当そうですね。なんか唯一、ぽいな、みたいなというか。
僕、マリッコ・テツヤの映画、宮本から君へと、あとイエローキッドも観てるか?ぐらいしか観てないですけど、
やっぱそういう暴力描写というか、喧嘩描写みたいなのはやっぱすごい、おーってやっぱ、特に宮本から君へと、やっぱ唸らされたので、
なんかその片鱗が見えるというか。そこはすごく、というかあれですよね。
誘拐犯の存在がめちゃくちゃマリッコ・テツヤのなんか映画に出てくる主人公っぽいなって思いましたけど、個人的に。
いい感じに深いな。深いで、書き立てられるというか、いいキャラだなって思うんですけど、
何でしょうね、その、育ちが悪いキャラをちゃんと育ちが悪いキャラとしての存在として、
いさせてあげないところとかもすごい気になっちゃうんですよね。落ちたものを拾って、もうぐしゃぐしゃと食べてるみたいなところの、
こう、生き汚いところを描きつつ、車に対する落書きブランクって言ってみたいな、
もっともう土俗級に下品な落書きでもいいんじゃないかっていう、その単なる悪意でいいと思うんですよ。
彼の存在自体は、もう象の存在として描くだけでいいんだけど、そこにブランクっていうことを書かせることで、
彼自身のその哲学性みたいなものを帯びさせちゃうから、なんかそこをやっぱり本作が頭でっかちにしちゃってるとこだと思うんですよね。
本当にこの社会の底で這いずるように生きてきた男の、その生の感情みたいなものをそのまま表現せずに、なんか意味にして表現しちゃってる。
そうですね。
そこにこう、なんというか、身体性の帯びてなさを僕はすごい感じちゃうんですよね。この映画に。
頭で考えてる感じがあって、実際にそこに生きてる、本当に底辺で生きてきた人間の性みたいなものがなくって、
意味から逆算的に作られたキャラクターになっちゃってるというか。
そうですね。それって要は波紋を呼ぶための舞台装置みたいな存在になっちゃってるなっていうか、
ちょっとよく考えてるかわかんない、でもかき乱すだけの存在みたいなっていうのがあるんですけど、
そうですね、あんま語られないですけど、どういった経緯で元彼と付き合って子供を産んで、
そこからどう彼と出会って夫婦になったのかみたいなのがあんま想像できない感じはしますよね。
あまりにもちょっと違いすぎるんで、2人が。
あと、主人公西間秀俊の過去なんですけど、震災で家族全員亡くしてるって言ってたと思うんですよ。
はい、言ってました。
で、舞台が2024年、最後母標に2024って刻まれちゃったから、劇中のタイミング2024年らしくて。
で、そのタイミングで主人公の年齢からしたら、子供の時の震災って阪神大震災だと思うんですよね。
そうなりますね。
東日本大震災ではないはずなんですよ、絶対に年齢的に。
で、となると、僕当事者なんですよ。被災当事者なんですよね、阪神大震災って。
で、その時10歳だったんですよ。小学校5年生で10歳だったんですけど、11歳か、だったんですけど、
2024年の時点で僕40歳なんで、ということはだいたい主人公と僕、歳近いはずなんですよってことになるんですよね。
でも、あの西島秀斗氏が40歳ってことはないと思うんですよね。
まあ、50歳いってるかどうか。でも、準教授みたいな感じだったから、50歳いってないとしても、まあ45とかだと思うんですけど。
あー、準教授ってもうちょっと若いイメージあるかも。
ということは、あの西島秀斗氏40歳ぐらいっていうことですかね。
なんかなーと思うんですけどね。
むしろその、もしその本作が家族を失ったことで、家族っていうものにアイデンティティが紐づいてない人物として描くんだったら、
15歳過ぎてる子供が家族なくして、その家族の欠落ってあんまり感じないんじゃないかなって思ったんですよね。
もう結構ちゃんと字がしっかりしてるかなって気がしたから、むしろ家族をなくしたっていうことを背負って生きていくんじゃないかなと思うんですけど。
で、僕当時10歳だったから、10歳当時に家族なくしてたらそうなってもおかしくない気はするんですけど、あるいはもっとしたかったらね。
でもそうなるためには、あの西島秀斗氏30代じゃないとダメになっちゃうんですけど。
どういう、俳優の実年齢イコール役の年齢かどうかわかんないっていうのもあるんですけど、どういう想定で作ってたのかちょっとわかんないかもしれないですね。
いや僕、だからタイミング合っちゃってるから、小学校の子供が家族なくすのと、中学校で高校行くかどうかぐらいの年齢の子供が家族なくすのって、だいぶ上層に与える影響って全然違うんじゃないかなと思ったんですけど、
なんかそこでその設定ちょっと無理すぎじゃないかなって気はしたんですよね。
そういうことか。そうです。確かに。どういう設定なんでしょうね、それね。
いやこれ、ここを突っ込んでいいとこかもしれないですけど、家族っていうものに対して虚無を感じるには英都市だと思うんですよ、たぶん。
確かにちょっと年取ってますもんね。
なんかそこを自分に重ねて思っちゃってたんで、自分がもっと幼い時に震災でちゃんと家族なくしてたらとか、あるいはもう少し上の年齢で家族なくしてたらとかっていうちょっとイメージしちゃったんですよね。
そうなった時に、こうなるとそうなるのかなみたいに思っちゃうし、災害が個人の上層に影響するっていうものを物語にどこまで組み込んでいいのかっていうのも結構センシティブな領域だとは思うので、あんまり突っ込まんほうがいい気もするんですけど、ここって。
ただ、だったらもう震災に線といてほしかったなと思って。
まあ、劇中でもほんのわずかちょっと触れるだけですもんね。
まあ、廃墟への興味みたいなのはそこから生まれてるであろうっぽいみたいなのが描きたいからっていうのもあると思うんですけど。
確かにちょっとそこ、一度ちょっと気になっちゃうと、なんかずっと引っかかるポイントなんじゃないかなとは思いますね。
あと、台本の方に僕、山口さんが書いてたんで、ここから触れるのあれかなって思ってたんですけど、授業でバベルの塔を触れるの、僕ちょっとなんていうんですかね、向こうの人からしたら釈迦に説法ではって思ったんですけど。
そう、僕あのシーンびっくりして、バベル塔はこういうことを意味して建築において、人類の初めての建築で初めての廃墟かもしれないですねみたいな、マジでと思って、アメリカの人にそれをさも私の方が存じ上げてますみたいに語るの、マジでと思ってあそこ。
あれ、釈迦に説法すぎるとかと思ったんですけど、なんかみんな知ってるなーって思うから多分聞いてそうだなーって思ったのと、あとまぁちょっとそのテーマ的な意味でも、車の落書きがブランクみたいな近いレベルのわかりやすさだなーと思って。
いや、いいんすよ、別にバベル塔の話してもいいんだけど、アメリカでやるのは結構無理よ、それは。
いや、僕もね、同じこと思ったんで、台本に言いたいことのとこに山口さんが書いてて、めっちゃわかるって思ったんですよね。
いや、せめて日本の大学の、かつ1回生のうちの授業ですよ、それは。
そうですね。
ちゃんとそのあたりの研究しだした人間が、バベルの塔がとか言い出したら、いやいやいやいや、あんたそれ、教授目指してる人間がそれ言うの、ちょっとヤバいですよっていう。
ちょっとなんか、え?みたいな。向こう人も日本はわかりませんけど、わかってそうな気がしますけど、みたいな。
もうそれこそいきなりその、日本とアメリカの背景に対する捉え方が違うみたいなくだり、いきなり始めてもらって良いですみたいな感じしますよね。
いや、それ思います。バベルの塔の話を踏まえたせいで、こいつだいぶ勉強してきてない人間やなってちょっと僕見えちゃったから、いやそれはお前無理やぞって、多分教授なんの無理やぞって言っちゃって。
だから実際ちょっとその後、研究内容はもうかなり研究され尽くした領域でって、いやもうおっしゃる通りですよねみたいな。
そうですよねってちょっと思ったんですよね。そりゃあなんか、そこでバベルの塔の話するからあいつは見えてない奴なんだって言いたいのかもしれないですし。
あと、バベル塔の実話で言うとやっぱり言葉が分裂したってことですよね。言語が分裂したっていう話も込みだから入れたかったんだろうなと思うんですよね。
夫婦間で話す言葉ルーツも違ってて、無理やり夫婦の話は英語でやってて、でも本音ですると母国語が出るみたいな、落下の解剖学でも出た話ですけど、それを言いたいがための話の例え話として出してるのかなって思うと、
まあわかりますけど、なんかあまりにもリアリティがないのかな。この場でこの話、アメリカでこういう実況するかねみたいな感じはめちゃくちゃしたので。
しかも彼、本出すんでしょ?あの内容でアメリカで本出すんですか?やばくないですか?
西洋と日本での廃墟感の違いみたいな。とか言ったらまだまあまあそういう本面白いかなって思うんですけど、それでバベルの塔出された日にはなんかちょっとなんかあれ?そんぐらいか?みたいな。大丈夫か?みたいな気持ちになっちゃうっていうのは本当にその通りって感じですよ。
あそこでやってる説明って、本でいるところの前文とかのとこに書くことですよ。前文にあれ書いてて、欧米の人があの本手に取ったら、買うのやめませんか?テキストとしてはだいぶ弱いでしょ?それ。
ちょっと本の引きとしてはちょっと弱いなーみたいな。やっぱりね、そういう教養本というかの前書きってやっぱりいかに引きつけてなんもじゃないですか。え?実はそれがそうだったの?みたいな。
意表をつくような何か例みたいなのを出してそこが繋がって、その謎をではこれから解き明かしていきましょうじゃないですか?みたいな。だいたい流れな気がするんですけど、ちょっと直球すぎるぞ?みたいな感じがしましたね。
いやーちょっとね僕はもうあそこ、ずこってなりましたもう本当に。 いや僕もちょっと思いました。いやーバフェルの塔の話はみんな知っとるやろ?みたいな。知ってるくないか?みたいな。
それなんかね、大学の講師で江戸時代の初代幕府は徳川家康で?みたいな話してるのと一緒じゃん?みたいな。高校でやりましたけど?みたいな感じしたんですけど、どうなんでしょうか?っていう。
いやーちょっと怒られると思う。理事長とか来てたでしょ?あれ。来てましたね。いやー彼はすごいんだとかって言って、さも我は存じ上げてますみたいな感じでバフェルの塔の話しだしたらこいつはあかんぞってなると思うんで。
そういうとこもね、なんか弱いんですよやっぱり。弱いですよそれは。だったらもうアメリカでトランといて欲しかったもん。そんなことするんだったら。日本の大学でバフェルの塔の話されてもまあまあまあ日本の学生はバフェルの塔、大学一回やったらその話されてもまあわかるなってなるんですけど。ちょっとねっていうのは思いましたけどね。
この人はわかるくないかみたいな気がしちゃうんですよ。
呉崎サンダーロードとかみたいに、自分の代わりに死んでくれる映画っていうのは僕はアリだと思うんですよ。
だから夫としても父親としてもあれなかった男が破滅します、結果みんな破滅しましたみたいな、
いやでもそのダメさを背負って死んでくれる映画みたいなのがあるのは僕別にアリだと思うんですけど、
なんかやっぱちょっとそこもやりきれてないとは思うんですよね。
ちょっとお金動かしが多いとは思って、
なんかもうお前がちゃんとしなかったせいでみんな不幸になりましたけどぐらい言ってくれてもいいんじゃないかなって思って。
そうなんですよね。なんかいっそそこまでやりきればいいのになって思って、
なんか半端に光見せるせいで、なんか気取ってんなって思っちゃったというか。
ただでさ、ニューヨークという場所でこんな感じでいい感じに撮ってるっていうのはだいぶ気取ってるんで、
さらにそこにこうちょっとナルシーな感じ入ってたら、ちょっと引くなーってはやっぱ思いますね。
こういう本質を見れない男みたいなのって、僕大好きですけどこういう話。
だから僕すごい期待してたんですけど、あまりにもふわっとしてるなって概念でしかないって思って。
こういう本質見えてない男みたいなのって、存在自体がそもそも空虚っていうかあんまり現実味ない話であるのかもしれないんですけど、
けど映画の中においてはある程度実在感を持って描いてくれるからこそそこに、
まあそんななんというか、なんかすごいいいご身分ですなーみたいな悩みですら感情を揺さぶられてしまうみたいなところはあるんですけど、
今作はちょっとそこまで至ってないって思っちゃうなーっていう。
こういう映画好きだからこそ余計にちょっと厳しく見てるだっていうのはありますかね。
それの根っこにあるのはやっぱりこの具体性のなさだと思うんですよね。身体性のなさというか。
そのせいでふわっとしてるし、結末も弱い。なんかちゃんと向き合ってる感じがしないから、
なんか自分の中のダメさを背負ってくれてる感じもしないし、
なんかただふわっと自分とちゃんとは共有できないものが語られ続けたっていう感覚は正直あるんですよね。
そうですね。ちょっと洒落てるだけみたいな感じでパッケージされてるぞーっていうのは、
それは結構見る人にとってはかなり知らんがなってなる要因になるから、
そもそもこういう題材が確かにもう人によってはそもそも知らんがなって話になるものなので、
それでも僕は好きだって言い続けてる側ですけど、だからもうちょっとしっかりしてくれよっていう話かなーって。
なんて言っていいのかな。内蔵が出てないですよね。
内蔵が出てない、そうですね。
観念的で、本当の意味で男のきしょいところ見せきってないですよ。
もう見てて気分悪くなるようなダサさを見せてくれないと、
僕の中のダセい男は死んでくれないですね。
そうですね。僕の言葉で言うなら胃がキリキリしないっていう感じですね。
キリキリしたり、胃がキリキリさせほしかったな、やっぱりな。
いくらでもできる題材ですからね、これは。
そうそうそう、そうなんですよね。
もっとお前、うううう、なんか自分の嫌なとこ見てるみたいな、
とかその自分の、あ、なんか刺さっちゃうみたいなポイントを言ってくれてるのはわかるけど、やっぱりそこは届かないなっていう。
もっと真に迫ってほしかったなっていうのは思いましたね。
ちょっとね、洗い物を流しまで持っていかないとか、洗濯物の靴下が裏返ったまま出されてるとか、
そういう描写の積み重ねやと思うんですよね。
そう、確かに。いやもうなんかね、確かにあの夫婦の生活オシャレっていうか、
なんか朝食で卵焼きが普通にしれっと出てるのとかもなんかすげえ嫌っていうか、
あんま生活感ねえなって思っちゃいましたし、正直。
味噌汁の具はこれじゃないとダメとかね、そういうことの積み重ねを、
この映画の中のディティールとして描いてないから、概念としての夫婦の圧力になっちゃってて。
もうなんていうか、子育てに関することなら子育てに関することで、もっと不安をちゃんと解像度高く描くべきだとは思うんですよね、本当に。
なんかいろいろ混ざってるんですよね、本当ね。
夫婦倦怠者であり、その誘拐サスペンスだったり、男女間の差だったりみたいなのがあるんですけど、
なんか全部やろうとして全部薄いなみたいな感じでもあるし。
そうですね。僕はやっぱり早々に死体が出るとこから始まるべきだったと思います、この映画は。
じゃあそんな感じでDear Strangerの話は終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話ししたすぎる場、次回開催日は10月11日土曜日になります。
これまでは毎月最終土曜日の開催が基本でしたが、今後は開催タイミングが流動的になりますのでご注意ください。
場所は大阪南森松週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や特定作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
場の最新情報、次回テーマはXおよびインスタグラムで告知しております。
各オンラインは番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第230回Dear Strangerの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。