そうですね、何ていうかこう見たときの、僕もレオスカラックスは名前しか存じ上げてないというか、
確かに代表的なタイトルはいくつか浮かぶんですけど、実は今回初めて見ましたという人なんですけど、
何て言うんですかね、確かに時系列順ではあるし、物語は時間軸に従って進んでいるんだけど、
なんか直線的ではない物語テリングというかだなという感覚がすごいして、
角はあるんだけど、その角からむしろ発散していくような映画。
いろんな方向に発散していくような映画だなっていうふうに見ながら思ってました。
だから物語を追っていくというよりも、あるところまで行ったらまた角に戻ってきて、
そっからまた別の方向に進んでいくみたいなのが何種類かあるみたいな感じの映画やなと思って、
結構それ自体はすごい新鮮だなと思いましたし、
どっかのインタビューで山中横監督、ナミビアの砂漠の山中横監督が、
ナミビアの砂漠を撮る時にフランス映画を目指したってお話を確かされてたんですけど、
ポンドフの恋人見て、そういうことかってすごい納得いったんですよ、なんとなく。
ほんまっすね、ほんまっすね、そうだわ。
なんかこう直線的じゃなくて、いろんなところに行き来しながらというか、
右往左往しながら物語が広がっていくような感覚って、確かにナミビアの砂漠にもあったものだし、
そのポンドフの恋人にもすごく感じるものなので、
本当だ。
本当、映画っていうものの、いわゆるハリウッド的ではない、
まさにフランス映画っていう一個の大きな体系だった映画っていうものを、
初めて味わえたなって感覚がすごいしたので、そういう意味ですごい楽しかったです。
はいはい。
とにかくマニラさんも知られた通り、一個一個のシーンの鮮烈さ、花火のシーンはもちろんですけど、
あと駅でポスターが燃えているとかね。
あれすごいね。
あれすごいっすよね。
うわーってなりました。
そう、なんかその一個一個の映画的、映像的描写の中に、
その感情というか、みたいなものが圧縮されて入ってる感じが、やっぱりすごい指摘だと思いましたし、
あと特に、ミシェルの無機動さというか、もう何をしたいんだこの人はって、
こちらも一緒にアレックスで振り回されてしまうような感覚も、やっぱりさっきの発散的というか、
いろんなことを描くためにはむしろミシェルには、ある種の物語として主人公を振り回すような存在にならなきゃいけない。
そうすることでいろんなところに行けるかもしれないっていう、
そういう可能性みたいなものもすごい見ながら感じましたし、
なんかあとは川の存在が、ある種一種の黄泉の国なのかなっていうぐらいのバランスで描かれたりするところとかも、
すごいこう、黄泉と国とこの彼岸と彼岸の間みたいな、まさに山津の川みたいな感じで描かれているなっていうところとかも、
すごい見てて面白いなと思いました。
はい、っていう感じです。
はい、僕はですね、まずレオスカラックスの名前は最近まで知りませんでしたし、
作品も汚れた地っていう映画は名前は知ってたけど、ポンヌフの恋人は名前も知りませんでした、つい最近まで。
で、ただ、この花火のシーンの画像はよく流れてきてた、SNSに。
で、もう名シーンみたいな感じで画像だけ流れてきて、
これ何の映画なんだろうっていうのはずっと謎だったんですよね、自分の中で。
で、今回ポンヌフの恋人が上映されるってなって、ポスター見て、
あ、これってなったんですね、これのことだったんだっていうことで、
非常に期待をして見に行ったって感じだったんですけど、
まあ、因果関係が間違っていることを承知の上で言うんですけど、
世界系だなって思いながら見てたんですよね。
で、あのポンヌフっていう橋が世界だなっていう、カタガナの世界だなと思って、
だから、あの橋ってセットで撮ってるらしいんですけど、
だからもうあそこだけで完結してる感じって、すごいちょっと世界系感あるなと思いながら見てたんですよね。
アレックスにとって、あそこの上で、あの橋の上でミシェルさえいればそれでいいってなってる、
その世界そのものになってる感じにすごい世界系リズムを感じてたんですけど、
ただその、まあ本来的なその世界系の意味としては、
世界と直結するっていうニュアンスが含んでるんですけど、
別に世界と直結はしてないんですよ。
これあくまで一応これ現実の話だから。
だから彼の頭の中でだけ、世界と直結しているわけじゃないですか。
で、これって秒速5センチメートルとかもそうだと思うんですけど、
あ、これって世界系というか、頭は世界系なんだなと思って、
頭は世界系から、そっから僕、意識世界系っていう言葉を、
一つジャンル名として意識世界系、
世界と繋がってないけど意識は世界と繋がっている、意識世界系の言葉を本作に結びつけました、見ながら。
っていう感じで、ただ、やっぱりこういう作られた世界観って結構好きっちゃ好きなんですよね。
あと、ぽんぬふの上での生活描写みたいなのもなんか良くって、
何よりも花火のシーンはとにかく良かったですし、
あと、ジュリエット・ビノシュ良すぎだなと思って、良すぎだなと、本当に。
そうですね。
ちょっとこれは確かにね、2作続けて撮りたくなるなと思いました。汚れた地に続けて。
っていう感じですね。
ちょっとあんまり掘り下げてないかもしれないんで、話す中で見つけていけたらなと思います。
はい、ではお便りいただいていますので、紹介させていただきます。
大石さんお願いします。
はい、グッドウォッチメンズライジャーさんからいただきました。
皆様明けましておめでとうございます。
ほんのり話して欲しいなと思っていた、ぽんぬふの恋人が取り上げられるということで、感想をお送りします。
本作は、映画史に残る刺激的な場面がいくつもある大名作ですが、
ここまで恋愛の本質を捉えた映画はないと思っています。
正気ではいられないほどの気持ちの高ぶりが、ここまで視覚的に表現されていることってありえません。
僕は中盤のクライマックスと言えるダンスシーンの前に、
アレックスが爆竹と花火だというセリフがとても好きなんです。
いや、そんなの見ればわかるよというおかしみも含みつつ、
まるで世界が2人を祝福しているかのような多幸感に加え、
これから始まるシーンは本当に起こっていることだと、
たからかに作り手が宣言しているようにも見えます。
上級を意識した身体能力を発揮するドニー・ラバンとジュレット・ミノシュのダンスを、
クラシックとヒップホップが織りなす音楽図解で豪快に畳みかけてくる場面は、
見ていて頭がおかしくなりそうです。
また、終盤はミシェルの目が回復するかもしれないという展開が挿入されます。
ミシェルの目が回復することはほぼ2人の別れを意味しているので、
アレックスにとっては複雑な気持ちを抱えざるを得ません。
誰かにとって幸せが自分にとっての幸せとは限らない。
おそらくその誰かのことを好きであればあるほどギャップに苦しさを感じてしまうでしょう。
恋愛における切なさの本質がこのシークエンスに詰まっているのではないでしょうか。
昨年フランス旅行で聖地巡礼をしたこともあり、
早く映画館へ見に行きたいなと思っています。
昨今のリバイバルブームはとどまることを知らず、
本作に加えヤンヤン夏の思い出が同時に映画館でかかっており、
新作映画への鑑賞意欲が衰えてしまいそうです。
両作ともナルスに密教の影響下にあることもなんだが感慨深い。
それでもこれまでにいくらでも名作がある中、
新作映画を撮り続ける現代のクリエイターたちへの敬意は忘れないようにしなければいけないのかなと。
2020年代も折り返した2026年に全ての映画が完全に過去のものと思えるくらいの
そんな素敵な作品に出会えたらいいなと思っています。
長々と大変失礼いたしました。
皆様のお話をとても楽しみにしております。
田中太です。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
聖地巡礼行ったんですね。
そうですね、たぶん、それこそあれじゃないですか。
イベント、映画紹介屋さんのイベントの前に確かフランス行ってたその時じゃないですか。
だからパリから大阪に直行されたんですよね、確かね。
って言ってましたよね、確かね。
たぶんその時。
そっか、じゃあポンヌフ橋、本物のやつとか見に行かれたんですかね。
あるんですよね、今も。あるってことでいいんですよね、きっと。
語られ尽くしたとも思える本作ですが、
またフレッシュなお話が聞けるのではないかと楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
くしくもナルセミッキオ卿のお二人からお題をいただいている形ですね。
そう、っていうぐらいにはすごい密接な関係があるっていうのを、
シネマの前で論じることで学びましたっていう。
聞きます。
学びましたっていう。
なるほどって思いました。
浮雲なんですね。
全く拾えなくてごめんなさい。
一応見てはいるんですけど浮雲を。
僕も浮雲見てないしなっていうので、
やっぱこういうところですよね、やっぱね。
我々足りてないところというかね。
文脈というかね。
足腰の弱さが出ます、こういう時。
出ますよね、こういう時ね。
本当にそう思いました。
本当に情けない限りですっていう。
フレッシュなお話ができるのかしらみたいなっていう風に思ってるんですけど、
本当に初見の感想というか、見て思ったことを言えたらいいなという風に思いますよね。
引き寄せるしかないですね。
自分の話に、いつものパターンで。
我々のスタイルはそれですからね。
こじつけてまいりますよみたいな。
なんですよね。
僕ね、レオスカラックスを喋るっていうことの怖さをそもそも分かってないというか、
だって知らなかったんですよ、レオスカラックス自体を。
だから風というものを知らないまま、冬空を上着を着ずに歩いている状態なんですよ。
実は危険なのではっていう。
確かにね。
僕も正直そんなに実は詳しくないというか、
自分が映画ファンになったタイミングって、おそらくレオスカラックスの前世紀ではないっていうんですかね。
っていうのがかなり大きいかなと思ってて。
そうですね。
たぶん僕とか大石さんがめっちゃ映画魅了になったみたいな時期って、
どっちかっていうと過剰な作家になってる時期ですよね。
なのでどうしても巡り合う機会っていうのが、
本当に僕にとってはアネットぐらいしかなかったりしたぐらいだったので、
もっと過去に遡って映画を見ておけばこんなことにはならなかったと思うんですけども。
というぐらいには本当にちょっと縁が遠かった人ではあるんですけど。
でも登場当時はゴダールのサイライトまで言われてたんですよね。
そうなんだ。
後継者的なというかね。
アンファンテリブル恐るべき子供たちと新世代、フランス映画新世代とすごい評価されてたみたいなんですけど、
結構過剰ですよね。
すごい作品、監督歴に対して比較的作品数少ないなっていう感覚だったんですけど。
そうですね、80年代90年代とかはまだコンスタントかなって印象があるんですけど、
2000年代入ってから急にグッと作品を抑えてる感じですよねって思ってはいたので、
他にもいろいろやられてること多分あると思うんですけど。
カロージで僕が見てるアネットとかもだいぶ変な映画だったんですよ。
スタートからしておかしいっていう変な入りだてするので、
表現の自由さというか、そんなやり方あるんだみたいな驚きみたいなのを多分ずっと出し続けることができている人なんだろうなっていうのは、
ちょっと見て思ったというか、今回ポンヌフの恋人を見て。
90年代の映画ですけど、今見てもめちゃくちゃ鮮烈だったので、それが衝撃だったというか。
そこがやっぱりもう、そのことに驚きまくってて終わっちゃったんですよね、僕の中で。
ポンヌフの恋人って。わーすごい!みたいな。わー映像すごい!みたいな感じで終わっちゃってたので、
本来だったら僕の方からこれは世界形的であるっていう感想を出さなきゃいけないなって思ったんですけど、山口さんが仮に出してくれたので。
いやじゃあ、まずビジュアルの話しちゃおうと思うんですけど、花火のシーンよっていうことなんですよ。
花火のシーンよっていう。そっから先の語彙はないんですけど、花火のシーンよっていう。
なんか映像的にも楽しいし、音楽的にもそんな混ぜ方あるかいっていう。
そうなんですよ。見たことないなあっていうか。
あのレベルのダイエットシーン、ある意味ツネ人たちはちょっと思い出しましたけど。
ああ、紅葉感という意味ではすごい近いなって思いますね。
あとそこになんていうか、音楽の根源的なこう、なんて言うんですか。
その、リートを持つ意味みたいなものがその中に込められてる感じというか、
なんていうか、言い訳は音楽の進退性って言えばいいんですかね。
みたいなものがすごい詰まってるっていう。
そうですね。動きがすごいですよね。なんかダンスというか。
ちょっとコンテンポラリーダンス味のある動きと言ったらいいんですか、あれに乗って。
うんうんうん。
けどすごいやっぱ衝動ですよね。
役者がちゃんとその登場人物の躍動感というか、衝動を動きにしたらああなるみたいな感じなのが、
ちゃんとスクリーンに映ってるなって感じはすごいしましたよね。
あの、ドニー・ラバンの進退能力すげえあって。
あの人は本当に役者なんですかっていう。
火を吹くパフォーマンスとか上手かったですよとか。
しかもアレックス三部作ずっと彼なんですよね、役者。
そうですね、アレックスと呼ばれてる人は彼ですよね、ずっと。
そうですよね。
なんて言ったらいいのかな。
こう自己投影、預け甲斐のある役者って言ったらちょっとどう言ったらいいかわかんないですけど、
これは俺だって言って預けやすいなっていう感じはあったんですけど。
実際あれですよね、レオス・カラックスの本能がアレックスだから。
ああそうか。
もろ自分みたいな感じみたいですね。
なるほどね。
らしいですよね。
で、自己投影してこの話撮るのはやばくないですかって。
まあ確かにな。
それは本当にそうですね。
まあその大胆さも含めてですよね。
で、作る上でもうわけわからんぐらい大規模なセットまで作って、
3年かけて作ってるみたいな聞きたら、ちょっとすごいなって思いますよね、それはね。
本当にちょっと、ようやるなって。
なんかね、ドリラマン顔がいいんですよね。
ああうん、いやそうなんですよね。
その、いやイケメンっていうわけでもない気がするんですけど、
だからといって可愛気がないわけではないっていうぐらいのバランスで、
絶妙にこう、非合欲をそそる感じの顔をしてるというか。
初めね、もう体ボロボロの人やと思ってたら、大道芸で火星出てびっくりしたんですよ。
そうすると足引かれるところが始まりますからね、この絵がね。
そうだし、しかもめっちゃコミュニケーション苦手そうじゃないですか。
はいはいはいはい。
なんか世界との交流立ってるんじゃないかってレベルで。
なんかこう、もう心を閉ざしてる人が結構オープンな表現者として、
パフォーマーとしてなんかやってるっていうのもちょっとなんか意外性があるというか。
でもなんか、それがやっぱり映画監督っぽいんじゃないですかね。
それだけはできるっていうね。
そうか、なるほどね。それだけはできるっていうことなのか。
むしろその形であれば自己表現はできるっていうぐらいのバランスがあって、
めちゃくちゃ映画監督っぽいのかもしれないとかちょっと思いましたけど。
そこだけは自分を豊かに表現ができるみたいなところですよね。
結構、巨匠っていうこういうねちっこい恋愛感の映画撮るじゃないですか。
パッと作品名今上がってはないんですけど、
なんかこう名作って言われてるけど、
中身、ねちっこい男の片思いの話やぞみたいな作品って結構あると思うんですけど、
なんかそこまで自分というものがいかに賄賞でつまらなくて弱い人間かっていうものを
世界に対してぶつけたいっていうモチベーション持ち続けられるのすごいなって思うんですけど、
なんか僕そこから目を背けたくて生きてきてるから、
いやもうそれを世界に見てくれって言えるのすごいエネルギーだなって
新海誠とかもそう思ってるんですけど。
そうですね。
なんかよくそれを表現できるなという部分というか、
勇気がいるなっていうか、
でもやっぱ書かないといけないっていう思いがすごいやっぱ強いからこそできるんだろうなっていうのは、
そこが本当共通してるかもしれないというか。
本作でもアレックスちょっと見てていたたまれなくて見てられなかったんですよね。
前半の地下鉄で元彼って言ったらいいんですかね、
女ならいいだよって言って豪華そうとするとダサーってなって。
ダサーって。
ミミッチーけど、可愛いがあるけど、後半のポスターを燃やして回るとことかもうダメじゃないですかもう。
ダメですね。
だし殺人を結局やっちゃってますからねみたいな部分もあるので、
結構洒落にならないレベルのことやってるんですけど、
だからやっぱなんか、やっぱり山口さんが世界系っていうワードを出してくれたので言いますけど、
やっぱりちょっと天気の込みはあるっていうか、一番近いのだとやっぱり僕の中でですけど、
すごい感じたというか、特に僕なんて言うんですかね、
なんだっけ、なんか銅像?馬みたいな銅像のとこに二人でまたがって銃撃つじゃないですか。
なんかあそこがね、一番こいつらいいなって思った瞬間なんですけど、
あそこでこうめっちゃつながってて、あらゆるものにペッてこうツボ吐きかけるような感じというか、
今本当にここには俺たちしかいないみたいな感覚がめっちゃあったのは、
どっちかっていうと僕花火のシーンよりもそこだったなっていうのはすごい思い出しますね。
花火っていう現象を受け取るそのパッシブなものじゃなくて、
銃を撃つっていうアクティブな世界に対する働きかけを二人でやってるシーンだから、
結構ちょっと意味違うっちゃ違いますよね。
そうですね。
あとやっぱちょっと銃っていうもののある種のこうデンジャラスさみたいな、
危なっかしさもやっぱ二人のことをすごく表してると思うんですよね。
やっぱりやっぱ天気の子でも銃っていう存在ってめっちゃ異質なものですけど、
すごく大事なモチーフとして使われてたのと一緒だなっていうふうに思ったりとかしますね。
確かにね。
ミシェルも結構たいがいな人物だと思うんですけど、
やっぱアレックス僕も見てらんなくて本当に悲しいでもないんだよな、
哀れだなって僕は思っちゃいました。
哀れ、なんかそこまで寄るべないのはちょっと哀れだなって見てしまって、
そんなこう人殺してまでミシェルをどっかに行かせないようにしないといけなかった時代になっちゃってるっていうのは、
ちょっといたたまれなかったですね、見てて。
しかもそれがね、ミシェルの目が治ると自分は捨てられるっていう、
なんていうんですかね、
ミシェルの方に完全に自分の存在を依存してるがゆえに、
もうそれなしでは立っていれなくなってるっていうところの悲しさというか、
いや、わかるんだけどっていう。
向こうはそこまでじゃないですか。
向こうはそこまでではないじゃないですか。
そうなんですよね。そこがまた、
大地屋さんのお世話にもありましたけど、
恋愛って切ねえなって思う部分というかすれ違いですよねっていうところ。
だってやっぱりちょっと気持ちとしてやっぱり、
どちらもやっぱり孤独な魂であるっていう認知はあったわけじゃないですか、やっぱり。
けどこんなにも通じ合っているじゃんって思えたのにそういうことになるのかもしれないって思ったら、
やっぱり悲しくなりますよねっていう。
これがこういうもんだからって言われるね、そういうもんなんですけど、
いやでも、いざその場に立ち会ってしまったらちょっとやっぱ辛い気持ち、
切なくなる気持ちはめちゃくちゃわかるなっていうふうにやっぱ思うんですよね。
だからこれが世界系アナログだとしたら、
ミシェルが目が治るって言った瞬間に世界が開かれちゃうんですよね。
その瞬間アレックスの世界は終了しちゃうんで。
なんていうか、文字通り恋は盲目ってこうやって描くんだっていう。
いやそう、それをやっぱりね、火を使うみたいな部分でやるっていうのがやっぱり見事っていうか、
なかなか思いつかなくていいんじゃねえかなみたいなっていうふうなことを
さらっとやってのける語りがやっぱさすがだなと思いましたね。
それこそ冒頭で火を吹く大道芸をしてるような、
彼だからそれがある種その後の劇場みたいなところにも繋がっていくっていうバランスが上手いですよね、ほんとね。
なんかさりげないというか。
地下道のポスター燃やしまくるビジュアルいいですよね。
なんかちょっと前衛的な映像になってるし、
ちょっと僕8番出口思い出しちゃってあそこ。
そうっすよね。思い出しますよねあそこね。
男のしょうもなさ由来なとこも含めてね。
あとこの映画結構、オープニングもすごい撮り方が特徴的でいいなと思っていて、
車の車窓というか、ミラーと車窓を行ったり来たりしながら、
ショットが繋がっていくっていうところから始まるんですけど、
最初にアレックスが轢かれる車っていうのがカップルでイチャついてる車なんですよね、確かね。
はいはいはい。
あーそうでしたね。
そう。そこがよりアレックスっていう今思うとですけど、
そこに皮肉も効いてるように見えるし、とはいえショットがとにかくかっこいいんで、
反射して映る。だからある意味その街にいる他者としての主人公たちの物語にだんだんこう、
街のなんて言えばそうじゃない普通の生活を送っている人たちもあるしそれは観客かもしれないんですけど、
そこから徐々に徐々にそっちの方にこう意識をシフトしていくっていうところの描き方がすごい上手いなと思って。
なんかあそことかもすごい映画にまず引き込まれるオープニングだったなと思ってます。
僕あとその後でアレックスが回収されて、
ホームレスの1Gアドみたいなところに連れて行かれる流れがあるじゃないですか。
シェルターのね多分。
あのシーンのなんかリアルさすごいなって、リアルさっていうかその生だなっていう。
この映画って基本的にアレックスが見てる白昼夢みたいな映画だと思うんですけど、
あそこだけちょっと目をそらしたくなるような現実だから。
てかあれ役者さんじゃないですよね。
あれ多分役者さんじゃないガチですよねって言ってました。
ってダイジャーさんが言ってました。
でもやっぱそうですね、あそこだけちょっとガリガリですもんね。
ドキュメンタリーですもんちょっと。
ちょっと多分そういうちょっとそこだけ撮り方が違う感じですね。
そうなんか現実の生さあそこで出してるというか、
あそこで見せといて、でそこから先のポンヌフでのエピソードって割と人工的な空間だと思うんで。
なんかね、そのあれを差し込むのも僕センスだなと思うんですけど。
そうなんですよね、あれを差し込んだからといってリアリズムの方にはいかないっていうところで結構。
堅牢地ではそれはもうリアリズムの方に一直線で進んでいくような気がするんですけど。
そうですね。
確かに。
なんかそういうものがジャンル別でこうバンバン混ざってくる感じとかがまさにさっき言った角は同じなんだけど、
こういろんな方に発散していく映画というか。
まさにそのポンヌフの端に1回戻ってきてまた外の世界に広がっていってっていうのを繰り返していく感じがするんですよね、この辺がね。
なんかそんな自重な飛躍、映画って良かったんだっていう。
確かにな。
ちょっとやっぱ笑いそうになるんですけど、いやーミシェルはすごい水上スキーが上手いなーとか。
あれはいやおもろいんですけどめっちゃ上手いなーみたいな。
謎のそれありなんやーみたいな。
ツッコミ出したら止まんないわけじゃないんですけど。
けどこういうもんだからって出せる感じがやっぱパワフル。
でもなんかその彼らのすごく今幸せな時間の表現にはちゃんとなってるじゃないですかみたいな。
なんかそこすごいなーと思って。
ロジッカルでやってるんだろうけど全然大胆みたいな。
なんかそこはすごい、やっぱすごいレオスカラックスのすごさなんだろうなっていうふうに思いましたね。
そこ悪くしてるのにあんな汚い川で水上スキーやるのどう考えてもおかしいと思うんですけど。
なんかそこを見せてくるやんってなるんですよね。
いかに無機動かみたいなのも伝わってくるし。
そうっすねー。
しかも花火がそこでバーって両目にあったらもう美しいって話しないと。
そうなんですよ。
特別じゃないですか。だってあの景色からの花火なんて2人しか見てないわけですからみたいな。
ところ含めてやっぱりあれは特別なんですよねっていう。
しかも結構あのシーン予告で出た時に結構クライマックスなんだろうなって正直思ってたんですよ。
わりと序盤、わりとね。
そうですね。
だからあの風景だからやっぱりあれですよね。
天気の子における本当に晴れるよって瞬間を2人で見つめてるシーンと一緒じゃんみたいな感じ。
今日全部天気の子に例えられるぞみたいな。
確かに確かに。
例えられるなって。
天気がこう花火上がりますしね。
そう花火上がるし。
あとそのポンヌフの恋人だったらお金稼ぎをするシーンあるじゃないですか。
あれはもうあのあれですよね天気晴らしますあたりの仕事やってるシーンと一緒ですし。
ポンヌフの恋人ほぼ天気の子なのか。
なんか言及してたっけみたいなの全然思い出せないんですけど。
いや僕あの新海山こと絶対レオスカラックス見てると思うんですよね。
あのアレックスさんの作は絶対見てると思います。
うんうんうん。
なんか言ってたりするんかなみたいなの全然僕知らないんですけど。
世代的にはむしろこのレオスカラックスぶっ刺さっててもおかしくないんじゃないですか。
かもしれないですね。
確かに確かに。
なんかあの長野の田舎でレオスカラックスなんて俺しか知らねえって孤独を抱えながら見てたのかもしれないですよ。
それはそれでほぼ確かにアレックスだな。
結構脇役にとるまでは割と脇役といっても基本的にはあともう一人ぐらいしか多分この映画の主要の登場人物いないと思うんですけど。
橋のおじさん。
仕切ってる人ね。
仕切ってる人。
あの人も含めて結構脇役的なというかポジションなのかなと思ったらちょっとエピソードが挟まれたりするあたりとかも。
意外とこう深いというか寝られてるなと思って。
そうですね。
いやでもね、この映画難しいとこだと思うんですけど、その個々のエピソードが同じ方向に向かっていかないじゃないですか。
そうそうそうそうそうそう。
あれ川落ちた後どうなったの?みたいなのなんかふわっと流れていくから、むちゃくちゃこうそのハリウッド映画見慣れてると飲み込みづらすぎるんですよね。
そうですね。
だから基本的に僕はあの映画見て川に落ちたら退場というか死なんだなって思ってて。
まあそうですね死んだなと思いましたけど、落ち方的にもって思いましたけど。
まあそれこそ2人も最後出生後落ちるんですけど、その落ちる前と後のロジックが全然繋がらないんですよ。
ああでも確かにそっか。
なんかそのてらいのなさみたいなもの、カッコつけなさ、カッコつけられなさみたいなものを全力で描くって、やっぱ時々現れるんだな、こういう作品がっていう感覚ですかね。
うん。
なんかそれこそ、前回、誠監督が天気の子を公開時に何か言ってたような気がするんですけど、世間的にはこの作品がどう評価されるかわかんないけど、これを必要としてる人がいるのだって言って、確か天気の子を作ったって話を当時されてましたよね、確かね。
うんうんうん。してた気がします。
多分そういうことだと思うんですよね。
うん。
おっしゃってるのって。
そうですね。
全員に、万人に受けるわけじゃないけども、でもこれを必要としてる人はいるじゃろっていう。
うん。
うーん。
そうなんよね。いや、いやー、ちょっとなんか、もう一回見たくなったな、ぽんのふの恋人っていう。
引き寄せて言っている今、自分たちのほうに。
もうちょっと自分の中の世界系マインドを高めてから見に行きたかったというか。
うん。
ちょっとね、前提知識がやっぱりちょっと、高尚なアートを見に行くような感覚で見に行ってしまったものが、なので。
うんうんうん。
で、そのやっぱ先列さんにちゃんと感動してるんですけど、ちょっとね、世界系アンテナがね、ちょっとね、冴え渡ってなかったなっていう、見てた時に。
もっと冴え渡ることできただろう、自分みたいな。
ふふふ。
いうふうにちょっと思いましたね、話を聞いてると。
だからこそ、その他の作品、気になりますよね。
その、アレックス三部作って言われてる、その他の2作品とか、あとはその後の作品もそうですけど。
はい。
いや、そうなんですよ。これね、アレックス三部作見んとダメなんじゃないかなって気がしてて。
うん。いや、そうですよね。
とりあえず、汚れた地は絶対見たいんですよ。
いや、わかります。
わかります。
やりますしね。
うん。
あの、めっちゃ有名じゃないですか、こう、両手広げてる。
うん。そう。
ジュリエット・ビノッシュの写真のビジュアルめっちゃ有名じゃないですか。
そうですね。
あ、あれって汚れた地なんだって最近知りましたけど。
そう。同じくポスターでね。
あの写真ってそれなんだって思って。
うん。そう。
ですし、それこそね、あの1作目、アレックス三部作の1作目、ボーイ・ミーツ・ガールってタイトルですからね。
そうですよね。
もうね、もうやりに行ってるやんっていう。
そうそう。
そう。
そうですね。いやだから、なんで今まで見てなかったかな、みたいな。逆に、みたいな。
そうですよね。
いや、ちょっとね。
うん。
いや、これ。
うん。
ちょっと3作見て喋りたかったですね。やっぱりこう、ちょっとフィナーレ感がやっぱあるから、今回。
うんうんうん。
本物の恋人が。
ただ、なんかね、あの、ちょっとだけ調べてたんですよ。あの、今回。
あの、何も知らなすぎたから。
ただ、あの、本物の恋人のラストって。
うん。
ちょっと変えてるらしくて。むしろ、このアレックス三部作の中では、ちょっと異質なラスト。
あ、そうなんですか。
らしいと。
えー。
ちょっとごめんなさい、あの、きっちりとした情報がないんですけど。
うん。
なんかあの、ジュリエット・ウィノッシュがラスト納得しなくて変えたみたいなのを、ちょっと見たんですよね。
あー。
えー。
で、それで、むしろその、アレックス三部作の中では、違う着地になってるっていうのを見たんですけど。
うん。
だとしたら僕、その、違う方の方が好みの可能性があるんですよね。
確かに。
それでいくと。
確かに。うんうんうんうんうんうんうん。
いや、だから汚れた地見たくてしょうがなくて。
なるほど。
で、実質これって、ポンヌフの恋人のイフでしょ。
むしろ順番的には逆か。
あの、汚れた地のイフがポンヌフの恋人なわけじゃないですか。
うんうんうんうんうんうん。
配役的に。
そうですね。そうですよね。
多分そうですよね。
いや、これはちょっと見に行きたいんですよね。
うん。で、あのこれフィルマークするコメントから拾ったんで、本当かどうかわかんないんですけど、
あのラスト、その橋というか、あの船に、でこう二人で、あの船の船頭で抱き合うシーン。
あの見てて、タイタニックだなーって思ったんですけど、
タイタニックの元ネタらしいっすよね。
あ、すごい。
やっぱそうなんすか。
やっぱそうなんですね。
らしいっす。
いや、思いましたよ。タイタニックだなーって思いながら見ましたけど。
むしろ公開順で言えば逆なので、そうらしいっす。
えー。
はいはいはい。
確かにね、タイタニックも世界の王だって言いますもんね。
そうそうそう。
でもまあ真似したくなりますよね、あれは確かに。
いやあれは、うん。
でもやっぱみんなはあれをタイタニックと呼ぶけど、やっぱ好きな人からすると、
いや、あれはポンヌクの恋人なんだっていう人が世の中にはいるんだろうなって。
そうっすよね、多分公開当時に思ってる人いるでしょうね、きっとね。
まあこれあれですね、タクシーで疲れてるあの曲をパルプフィクションが先だろうみたいな話と一緒みたいな。
これ映画がわかる人しかわからないあれですけど。
はい。
秒速5センチメートルより春とキャベツのほうが先だろうって、春とキャベツでしょ。
月とキャベツかな。
月とキャベツか。
月とキャベツですね、そうそう。
月とキャベツですね、はい。
だろうっていう順番的にはみたいなね。
みたいな、まああの、老害ムーブって言ってるんですかね。
老害ムーブって言うとあれですけど。
老害ムーブって言っちゃいけませんけど、こういうムーブね、したくなるじゃないですかみたいな。
はい。
うんうんうん。
いやでもあの、ラストの後、あの二人の関係続かんくないですか。
いやーそうそうそう。
続かんくないですか。
うん。なんかそこがやっぱ。
うん。そもそもあの猫、眼科のところで今飼ってるでしょ。
確か、たぶん。
うんうんうんうん。
ミシェルの猫、今眼科のところにいますよね。なんか描写見る限りだと。
そう。そこで突然現れて、ふぇってなるんですけど。
え、僕はあの描写の意味って、え、付き合ってるんちゃうんってこと?っていう。
いや、ですよね。
だとしたら、もうアレックス絶望しかなくない?
そう。
ミシェルからしたら、昔の友達と遊んでるだけですよね、ラスト。
うんうんうんうんうん。
いやー、不均衡がありますよね、ここに感情の。
そうなんですよ。
だからむしろ、あの二人は、その、まあだから、僕はアレをそのある種の悲願と捉えてるのは、この世っては繋がれないんじゃないかと思ってて。
だからこそ、あの二人がとりあえず今は一家ってなれるのって、この世としてやっちゃうと、もうだからあの後にまた別れが待ってるから、辛すぎん?ってちょっと思って。
むしろあの世ぐらいに解釈したほうが、自分としてはこの世の中で救いだなって思っちゃったんですよ、なんとなく。
うん、そうですね。
なんか僕の見方としてはもう、なんかこの世界のルールで動いてたら、ああはならないから、あそこはもうすっげえ変な世界なんだなっていう。
ああ、逸脱というかね、ある種の。
いやもう、あの後、あの映画が終わった瞬間に、あの世界なくなるんじゃないかぐらいに、後が想像できないんですよね。
もう、あの映画に描かれてない時に、あの世界はないぐらいの感じにちょっと見えるなとは思っちゃうというか。
そのある種の異常性の中にだけギリギリ成立している2人の関係だなと思うし、本当にあの状況でないとあの2人は繋がることはなかったっていう、その吊り橋効果なるの、石橋効果だなっていう。
そうですね、ポンヌフの橋効果というか。
それがなくなったら当然、あの2人の物語はなくなるし、あの世界もなくなるぐらいの感じで僕は見ちゃうなとは思って。
だからその辺も、ちょっとこれ無理で繋げすぎかもしれないですけど、天気のこのラストに通じるところというか。
そうですね。
世界が壊れるというか、まあ世界から逸脱するというか。
そうですね、まあ逸脱した選択を取り、で、何も大丈夫じゃないけど大丈夫だったねって感じで映画が終わるっていうところを含めて一緒じゃないですか、みたいな。
うんうんうんうんうん。
いいんですよ、あれで大丈夫なんです、みたいな。っていうね。
だからある種、映画にしかできないラストでもあるなと思って。
めちゃくちゃ現実を突きつけるんだけど。
うん、そうですね。
そこは何ていうか、映画だからこそ嘘で終われるというか。
そこ全然飛び越えてもらっていいというか、現実を。
だからすごい、全然ロジックというか飛躍がめちゃくちゃあるんですけど、受け入れられちゃうんですよね、あのラストね。
それをさらっと飛躍できるからすごいんだろうなっていうか。
なんか天気のこの話しますけど、天気の子ってめっちゃロジカルだなって思えるんですよ、そういう意味では。
はいはいはい。
ロジカルですよ、ロジカル。
はいはい、だと思います。
すごいロジカルに、頑張ってめちゃくちゃ世界観作り込んでロジカルに話組み立てていって、
なんとか現実とリアルな世界とファンタジーを繋げてるみたいな映画じゃないですか、あれって。
けどポンヌフの恋人ってそんなことじゃないじゃないですか。
うん。
ガンガン飛躍していくじゃないですか、みたいな。
うんうん。
それを全然許容していくみたいな。
はい。
で、やっぱり映画の力っていうか、もちろん天気の子ももちろん素晴らしくて大好きですけど、
なんか映画的な語り口って、なんか真髄ってこういうとこにあるのかなって思ったりしましたよね。
うんうん。
いやその、天気の子って納得しながら見られるんですよね。
うんうんうん。
まずその天気の巫女っていう概念があるから、SFないしファンタジー的な要素があることで、
実際に登場人物たちが世界と直結することができるギミックが物語中に用意されてるから、
あの作品は世界系だし、そこに理が通ってるんですね、理がかなってるんですけど、
ポンヌフの恋人って理はかなってないわけですよ。
うんうんうん。
その彼らが世界と直結できるロジックはあの世界の中にはないはずなんですけど、
それをあることにできるっていうのが、まあ映画のマジックだし、
世界系ならぬ意識世界系だなと思って。
頭の中だけ世界と繋がれるっていうことを、それを映像にしていいのが映画だなっていう。
うんうんうんうん。
そうなんですよね。で、そろそろオープニングで言いたいんですけど、
ほんとナミビアの砂漠のラストとかもすごい思い出しましたし、
うんうんうん。
なんていうか、すごい飛躍を超えた先にでも何かあるかもしれないっていう風なラストを迎えたりとか、
うんうんうん。
なんかなんなんすかね、その映画だからこそできる片利口って、
こういうところにあるよなっていうか、
映画的快楽ってよく言葉ありますけど、
僕らが日常の中で抱えてるもやもやであったりとかっていうことを、
映画はあえて嘘で超えてくれるから快楽が生まれるんだなって今回見てて、
結構割と身体的に分かったというか、そういうことかってなった気がしました。
うんうん。
なんかそれを映画的嘘って言いたくない気持ちが僕の中にちょっとあるんですけど、
ほうほう。
ルールが違う世界だから成立してるんだから、
それは現実世界から見てそれを嘘って表さなくてもいいかなっていう風な感じ。
あーなるほど。はいはいはいはいはい。
そのルールの世界なんだからそれでいいっていう。
うん。
あ、つまりスクリーンの向こう側のその新しいルールの中で動いてるというか。
はい。その物理法則あるいは心の動きの法則もまたこっち側とは違うから、
嘘ではなくてその世界があるっていう風な、
何かを投影されたものを見ているっていう感じですかね。
なんかその言い回しの問題でしかないんですけど、
ちょっとこの言い回しは僕大事にしたいかなと思って。
うんうんうん。
フィクションの嘘っていう、その嘘って言い切ってしまうのはちょっともったいないかなって気がしちゃうんですよね。
これを嘘っていうのは。
うんうんうんうんうん。
そっち側にはそのルールがあるっていうことを信じるっていうことが大事なんじゃないかなって気がして。
うん。なんか嘘というよりかは、
うんうん。
なんていうんですかね、語る言語が違うみたいな感じ。
うんうんうんうん。
なんかその天気の方がロジカルに見えるっていう話って、
それって設定をちゃんと説明するからそう見えるんですよね。
うんうんうん。
けど、ポンヌフの恋人ってめっちゃ説明をしているわけではないんですよね。
はい。
そうですね。
それは嘘というよりかは、映画の嘘というよりかは、
違う言葉で語っている。
はい。
具体性であったりとか表現であったりっていうことをパワフルにやれる。
だからこそ細かい説明とか設定というか、その時の気持ちみたいなのを、
まぁある種の丁寧な説明みたいなのなくても、ダイレクトに伝わってくるみたいな。
うんうんうん。
なんかそれが映画ってすごいというか、
僕らが映画見てこうのめり込んじゃう立候補の理由?
うんうんうん。
みたいなものなのかなっていうふうに思うんですよね。
うん。
確かに。
その映像言語として語られるものが何かどこかで言語化して形になり得るものというか、
我々のルールの中で理解し得るものだけではないと思うんですよね。
うん。
多分分解してこうだからこうだっていうふうな、
ある種言葉におけるロジックでまとめられるものではないというか、
でもなんかわかるっていう。
そう。
そういう一種の確かに、そこが映像言語だから成り立つっていうところもあるのか。
そうかなっていうふうには思うというか。
うんうんうん。
で、これが例えば今特に天気のことぽんぬふの恋人って並べるとやっぱ、
実写かアニメかみたいなさ僕も見えるんですけど、
全然逆もあり得るというか。
そうですね。
そうですね。むしろ。
アニメでもガンガンその説明なく映像とかいうか、
表現だけでこちらをねじ伏せてみせるみたいなことができるみたいな、
こっちの感覚をぐらつかせることができるみたいなのも全然あるし。
そうですね。岩澤さん監督とかのアニメーションは割とそんな感じですもんね。
どっちかというと。
そうですね。とかまぁコンサトシとかね。
パプリカとかあの辺でもうガンガンこっち揺らしてくるじゃないですかみたいな。
うんうん。
なんか同じ夢を扱った映画で逆にインセプションはめっちゃロジカルに説明してあれは面白いみたいな映画になってますけど。
確かに確かに。
そこはちょっと逆になって見えるなっていうか。
うんうん。
ルールが違う世界を描くっていうのって本来的にはアニメの方がやりやすいはずだと思うんですよ。
うんうんうん。
それをより問答無用でやれるのが実写よりはアニメの方がそれをやれると思うんですけど。
ただポンヌ風の恋人を結構その実写の範疇でむちゃくちゃな表現結構してたと思って。
そうですね。
酔っ払った時にちっちゃくなってるとこあったじゃないですか。
ありましたねはいはいはい。
わざわざねあのでっかい瓶のセットみたいなやつ作って酔っ払ってなんか俺たちちっちゃくなっちゃったみたいですよねみたいなのを映像的にやるって。
僕あれやってるの見て偉いなって思ったんですよ。
なんか実写だから実写の範疇でやらなければならないとかじゃなくてむしろこういうことをする方が映画って正しいなってちょっと思って。
いやそうですね。
あるいはそのポンヌ風の箸を丸ごとセットでやって丸ごとセットとして撮りましたみたいなのも。
あれ自体がこの世界ですっていうのをやるっていうのをやりきるっていうのはむちゃくちゃ大変だったみたいなんですけど。
なんですけどただそれをやるのってすごい大事。
その世界にはそのルールがあって嘘とかじゃなくそれがあるって僕たちが信じられるものを作るっていう覚悟の現れだなって思うんですよね。
確かに。
そうですねだからそうか。
ある種の信仰じゃないですけど本当にそこにそのものがあるってまあ信仰だと思うんですよある種。
もともとだって物語ってそもそも信仰を広げるために作られたところも少しはある意味そこで利用されてきたっていう歴史があるわけですから。
なんかその存在を信じれることで現実社会の生き方もちょっと変わるというか。
なんか現実社会も少しこう信じてみてもいいかなってなれるっていうのはそういうものを作るための別のルールを提示してみせてるっていう感じなんですかね。
そうですねその違うルールの世界があると僕たちが信じるためにはその世界と我々の世界を一時的につなげる必要があると思うんですよね。
でそれをつなげるためには非常に特殊なプロトコルをつかないといけないと思うんですけど。
なんかポンヌフの恋人はその特殊なプロトコルの非常に顕著な例というか。
これをやったらなんかそれを押し通せるなみたいなのをちょっと我々が信じられる描き方になってる感じがするなっていうのはありますかね。
なるほどなるほど。
全然話変えるんですけど最近エドワード・ヤンのヤンヤン夏の思い出っていう映画を見たんですよ。
そこにメインの登場人物じゃないんですけど出てくる少年のキャラクターで意識世界系のやつがいるんですよ。
というかねクーリンチャー少年殺人事件の主人公みたいなやつがまた出てるんですよ。
エドワード・ヤンもずっとこんなやつ描いてんねんなって思って。
クーリンチャー少年殺人事件も当然天気の込みがある作品っていう感じですし。
なんならカップルズもすごく天気の込みを感じる場所だからね僕はね。
なんかすごいなやっぱ名作に天気の子は通じるんだなみたいな感じですよね。
僕最近思ってるんですけど巨匠は世界系を作るもんなんだなっていう。
でもまあそれはそうかもしれないな。
かもしんないですね。
なんかその世界系をどう信じさせるかっていうのが巨匠の腕なのかもしれないなというか。
だってフェイブルマンズも結構世界系でしたよっていう。
なんか視点によってはっていう。
視点によってはです。
だから世界丸ごとなのかある登場人物の内面だけなのかっていう違いはあると思うんですけど。
なんかその偏りに作家の際立つ才能が現れることが多いのかなっていう気はして。
エドワード・ヤンは結構突き放してはいると思うんですけど。
そうですね結構ドライですよね。
僕はつまんない奴だぞって言って突き放した上で意識世界系の奴が一人でこの世界にポツンといるみたいなことを描くんですよね。
ほんと気の毒になるんですよ。
そうだな確かに。
そうですねクリティション殺人事件は本当にいたたまれなくなるんですけど。
それこそカップルズの主人公とかも結構そっちですしね。
けどカップルズはどっちかっていうと大丈夫だよって言って終わる。
あたりのそっち引っ張ってくるのねみたいなね。
すべての道は天気の子に通ずということでよろしいでしょうか。
後ろ番組らしいけど大丈夫だったかな。
いいんですかね。この番組がというか僕はこれでいいんですけど。
やばい今回のエピソードの副題かなり頑張って予防線貼っとかないと。
蓋開けてみたらこいつらずっと深海真子と話してるなみたいに。
本当ですよねごめんなさいねみたいな。
我々の持ち札がね得意分野はそこなんでね。
手札が足りてないんです。
ずっと同じカードを切り続けてる。
擦ってますから。
はいではそんな感じでポンヌフの恋人の話は終わっておこうかなと思います。
はいではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー次回開催日は1月24日土曜日になります。
場所は大阪南森町週刊曲り19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や特定の作品向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはxおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内や番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第246回ポンヌフの恋人の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。