1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第119回(2)『TAR/ター』ターも..
2023-06-08 1:17:06

第119回(2)『TAR/ター』ターも我々も軸がぶれている。

『TAR/ター』の話をしました。

見る評価軸によってあまりに評価がぶれまくるリディア・ターというぶれまくった人物像について、メンバーも軸がぶれまくりながら話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema ・まえだ ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2023年6月24日(土)

場所:『週間マガリ』大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar_2023-06

■当番組のグッズの販売を開始しました

https://suzuri.jp/virtualeigabar

■告知用Twitterアカウント

https://twitter.com/virtualeigabar

■お便り募集中

https://virtualeigabar.com/contact

The post 第119回(2)『TAR/ター』ターも我々も軸がぶれている。 first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

00:00
今日のテーマトークは、『TAR』です。はい、では、大石さん、解説お願いできますか。
わかりました。映画ドットコムより拝着いたします。
イン・ザ・ベッドルーム、リトル・チェルドレンのトッドフィールド監督が、16年ぶりに手掛けた長編作品で、ケイト・ブランシェットを主演に、天才的な才能を持った女性指揮者の苦悩を描いたドラマ。
ドイツの有名オーケストラで、女性として初めて指揮者に任命された、リディア・ター。
天才的能力と類まれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、今は、マーラーの公共曲第5番の演奏と、録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。
そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の不法が入り、ある疑惑がかけられたTARは追い詰められていく。
アビエイター、ブルー・ジャスミンでアカデミー賞を2度受賞しているケイト・ブランシェットが、主人公リディア・ターを熱演。
2022年第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、ブランシェットがアイム・ノット・ゼアに続き、自身2度目のゴルピ賞最優秀女優賞を受賞。
また、第81回ゴールデン・グローブ賞でも主演女優賞ドラマ部門を受賞し、ブランシェットにとってはゴールデン・グローブ賞通算4度目の受賞となった第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか、計6部門でノミネート。
では、ここから内容に触れる話をしていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、さわりの感想を伺っていこうかと思います。
前田さんいかがでしたか?
本来絶対見ない系統の映画なんですけど、長いし。
前々回のラジオの冒頭で皆さんがお話ししているのを聞いて、面白そうだなと思って見て、
すごい不思議な、自分にとって不思議な映画だったんですけど、やっぱり圧巻される感じはありましたね。
話す切り口結構難しいなと思うんですけど、
ケイト・ブランシェット演じるターンについては、彼女がやっていることにあんまり嫌悪感を抱く部分がなくて、何があかんのかなぁみたいな感じはありますね、私は。
マリオさんいかがでした?
そうですね、一回オープニングトークで話したんですけど、
まだ未だにこの映画のことをどう言葉にまとめていいのかがよくわかってないっちゃわかってないっていうのは、今も一緒かなっていう感じで、
問いかけの映画というか、いろんなことに対して疑問を投げかけて終わる映画だなというふうには思ってますね。
すごく見て、なんかわかった気になるんだけど、いやでもなんかわかんないなみたいな感じになるのは、
今年だと別れる決心とかと似たような精神性というか、作りだなというふうにある意味思ったりもしますね。
扱ってるテーマは違ったりすると思うんですけど、
03:01
マーラーの後極第5版が流れるって意味でも一緒ですけどね。
本当に見る人によって、リディアターという人とか彼女を取り巻く人々の姿というのが違って見えるし、
僕自身も一回しか見てないんですけど、たぶんまた見たら見え方が全然変わったりするだろうなっていう、
そういう映画だなっていうのも、ちょっとその幅の広さみたいなのがすごいなっていう、
やっぱそれぐらい人間って複雑でミステリアスだしみたいな、
そういったのが面白がる映画としてすごく、やっぱこれ大傑作だなというふうに思いました。
おいさんいかがでした?
僕この映画2回見てきたんですけど、やっぱり1回目と2回目で全然感想が変わるっていうのが面白いなと思ってます。
さっきマリオンさんもおっしゃった通りで、前回、前々回かな?
1回目の感想を簡単にお話ししたかなと思うんですけど、
1回目は結構ターのことを肯定的に、すごく賛否するような形で自分は捉えていたんですけど、
2回目ちょっとだけ視点を変えて見てみたら、なんだこのひどい話はっていう。
なんか結構批判的にターのことを捉えられるようにもなって、
なんかそういう、どっちで捉えてもたぶん正しいし、
同じ人が見るタイミングを変えただけでこんなに変わるんだってことに、
自分自身がそういう見方ができたってことにちょっと驚きを隠せないっていうのが今のちょっと正直な感想です。
僕はですね、僕も2回見てきまして、1回目の時に見た感想は前オープニングで話した感じかなと思います。
ある種の試行実験的な話で、その抑圧的な立場に立った権威を持った人間っていうのの意外な短さというか、
その短さ上の嫌さみたいなのもあるなみたいな、いろいろ見える話やなと思ったんですけど、
2回目見て思ったのは、思ってる以上にしょうもない話だなっていうふうに感じて、
意外と教訓めいた話でもないのかなっていうふうにも見えたというか、
本当に古俗な人間が古俗なことを積み重ねてその果てに自滅する話っていうので、
なんかあんまり複雑な話でもないようにも思えたりはして、
それはその見方が正しいとかじゃなくて、そういうふうにも見えるっていう話だとは思うんですけど、
あとポスターでリディアターが大きく映ったビジュアルの下に狂気っていうコピーが入ってるんですけど、
全然狂気の話ではないなとは思ってます。
リディアターは神経質な人間ではありますけど、狂った人間ではないし、狂って言っているわけでもないというか、
普通のコアクトだなっていうふうに僕は思ってます。
ちょっとそこはね、プロモーションとギャップがあるかなっていうふうには思いました。
06:05
はい、じゃあそんな感じでではお便り、作品に対して2通いただいてますので取り上げさせていただきます。
はい、じゃあ前田さんお願いできますか。
はい、くみさん、東京バー開催大変お疲れ様でした。
限られた時間でしたが耳がしたる店長メンバー様と空間を共に飲める不思議な喜び。
参加者様の番組愛と熱気。
改めてこのラジオの人気度と皆様が語る映画のその広さに、とても貴重な時間を過ごさせていただきました。
第2回の枝開催も切に願っております。
さて今回のお題ターについて。
とにかくターの存在感が圧倒的で、脚本と演出が巧み。
立て続けに4度鑑賞し、余韻の複雑さに射抜かれています。
まず冒頭、完璧最強指揮者リディア・ターを想像して挑んだら、タイトルロゴの異様なほどの小ささに、いきなり違和感。
メインスタッフと同じ級数のようで、ターは神ではなくちっぽけな一人の人間だと表明されたように感じました。
幕が開けて不安はそのままに、世界一とされるターはほころびだらけ、本音を隠し嘘しか語らず、
ズルさやごまかしが見え見えで、ブルージャスミンでも味わった白標を踏む思いで一連の転落劇を見届けることになります。
性別設定においては、夫婦・恋人関係をすべて女性にすることで、ジェンダーの相違で片付けずに、人としてのパートナーシップや思いやりなど、愛情の問題が浮き彫りになったように感じます。
権力ピラミッドの共犯、または黒幕であるシャロンの本当の強さも突きつけられ、彼女からあなたは悲しい人と告げられた絶望感たるや、畳まれない思いでした。
それにしても、狐顔・ターの好みは見事に狸顔女性ばかりでちょっと恥ずかしくなります。
かように、恋大きターのキャラ造形にはピカソも含まれていそうです。
彼の何人目かの恋人であり妻となったロシア人バレーダンサーその名もオルガ、センターパーティーの黒髪も彼女を連想させます。
また、映像演出で印象的だったのは、全体にシックなトーンにおける赤、クリスタの赤毛、ファンの女性のリップ&バーキン、いじめっ子ヨハンナの赤いダウンの使い方、ヨハンナに放った言葉はクリスタの一見で自身に舞い戻ります。
他にも、アコーディオンで狂気じみた曲を歌うシーンでは、カメラをほんの数度傾けて平行を崩し、ターの心の崩壊を表現。
これはオペラの舞台演出でも使われる手法ですが、絶妙な角度が心にくかったです。
そして後半、実家での家の通った涙から、アジアで再生に挑む彼女には新しい魅力が宿ります。
トラックの荷台で街の騒音に揺られながら、ペトラを思わせる少女への柔らかな笑み、マッサージ店での音、街中の屋台でスコアに向かう姿は、まるで一匹のターという動物のようで美しい。
努った彼女がコテコテのコスプレイヤーに囲まれるラストの対比には面食らいましたが、ステージ前の緊張感にはもう薬は使わず、新たなる旅立ちを肯定的に見送れました。
09:06
音楽以外すべてを失った彼女に次世代の育成が残ったのは、かつて立場を守るため優秀と知りながらも積んでしまった方が柄の宿罪。
教育は人生後半において社会への恩返しだと、ター同世代として日々感じているからです。
さて今作はティルダ・スウィントンが演じてもいいのになりそうですが、貴族的なティルダではターの等身大感は表現できなかったかもしれません。
10歳で父親を亡くしアルバイト三昧だったとのエピソードを持つ、ゲイト・ブランシェットだから庶民から成り上がったターに必然性を与えられたのではないでしょうか。
長々失礼しましたが、最後にアートの神が降臨していたドイツ語混じりの色紙品、あれこそ長回して一曲丸ごと見せて聞かせてほしかったです。
拙いお便りでは語り尽くせないターの魅力、皆様の深いお話を楽しみにしております。
ありがとうございます。
めちゃめちゃ要見て張りますね。
4回ってすごいですね。
この長い上映時間の映画、4回すげーっていう。
中身の掘り下げ方もね、ちょっとこれはここまで掘り下げて見れてないとは思います。僕は。
そう、いろんなアートの文脈から掘ってる感じがしてすごいなっていう。
知識ある人が見るとやっぱ見え方も全然違うよな、この映画って思いますよね。
そうですね。
あと性別の設定の部分はすごい共感できるというか、確かこれを全員女性というか同じ性別の人にしたっていうところで、
人間としての、なんていうのかな、人間として見れた、ちょっと言い方おかしいですけど、おっしゃる通り男女としての違いみたいな簡単なところに帰結せずに見れた部分はあったなと思います。
あとは共犯者としての社論って僕あんまり意識してなくて、確かにその側面あるよなと思って、言われて思いましたそれは。
そうだなと思って。だって、諸聖女と教えたの彼女ですもんね。
そうですね。
なんというか、知らんはずがないじゃないですか。いろんなことを。その共犯者っていう側面もあるよなと思って、そうだなっていうふうに思いました。
なんかめちゃめちゃ鋭いなって思ったのが、いやちょっとどうでもいいかもしれないですけど、他の顔の好みのことを触れていて、言われてみたら確かにそうかもっていう。
確かに。
狸顔確かにそうだっていう。
そうですね。
顔の系と似てるなっていうのと、あとああいう感じの顔を狸顔って言うんだっていうのを僕は今これ知ったんですけど、あ、そうなんだって。
12:00
そこ?
すいません。そうなんや。よく塩顔とかあるじゃないですか。何が塩なのよくわかってないみたいな感じなので、あ、そういう感じのことを狸顔って言うんだっていう。どうでもいいですね。
また、ターがね、そういう自分が目をつけてる女の人の見方がね、なんかね、粘っぽいじゃないですか。
ねちょっとしてるじゃないですか。
そうなんすよ。
これね、あの主役が男性だったら結構見れたもんじゃなかったんじゃないかなと思ったというか、男性やったらもっと小賢しい感じに見ると思って。
あのチラッと見るときにね、もっと小賢しいと思うんですよ。
なんかあのジロジロ見れる感じって、いやまあ同性だからっていうのに乗っかってるような感じがして、それの究極がトイレで個室をしたら覗くっていう。
それはどんな助っ人にも不可能なことじゃないですか。わざわざ忍び込まないとそれは不可能だけど、彼女はやっちゃうんですよね。それをやれちゃうんですよね。
なんかその同性であるっていうことを利用した視線っていうものをやってるなと思いましたね。
あとラストの解釈なんですけど、アジアで再生するっていうの、それは僕その通りやなと思って、僕1回目見たときはすごく肯定的に捉えたんですけど、2回目見たときにね、結構ネガティブな見方も知ったんですよね。
こいつ懲りてないなっていうふうにも見えたというか、同じことをもう1回やろうとしてるなっていうふうにも見えて、後で話すかもしれないしそこは。
ちょっとそういう見方もしたっていう感じだったんですけど。
確かに最後捉え方難しいというか、いろいろここ分かれそうですよね。僕結構逆で最初見たときネガティブな感じだったんですけど、今は結構ポジティブより見方もちょっとしてるかもなっていうのはあるし。
多分ラストが話に盛り上がるんじゃないかなと思ってて、ちょっとメインディッシュに置いておいていいんじゃないかなと思って。
一旦お便り終わろうかと思いますので、くみさんありがとうございました。
ありがとうございます。
じゃあもう1つマリオンさんお願いします。
8さん。
マックスもオルガも、あとフランチェスカも全員若い世代なんですよね。
15:01
マックスをSNSに頭を毒された人間とこき下ろしたリリアが、ローガ拡散によって差し替えされたのは象徴的。
ポップミュージックでバットバニーやロザリアといった非英語圏アーティストが主役の座に踊り出たり、エゴットも所詮アメリカの1アワードとして総体画化が進んだ昨今。
それもクラシックの音楽界の権威が通用する範囲がどんどん狭くなっているのをそれと明示することなく、総体として過程と展末で見事に見せつけられたなと思いました。
リリアの再起の舞台がアジアのモーハンオーケストラというのも史上的コンテンツパワー的にそうやろなとなんか納得。
マネージメント会社わかってるな。
カニエウエストも復活ライブするなら欧米の論理から距離なる日本ぐらいしかないと言われていますし。
余談ですが、ドラマサクセッションも権力の腐敗と異常性と世界ではもはや絶対的ではなくなってきた年老いたアメリカということをやりきっていたので、現代劇として突出した映画とドラマで似たようなモードを感じました。
はい。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
さすがハチさんっていう感じのモード。
いや、鋭いんですよね。
今僕が最後ターのクライマックスをポジティブに捉えてるのってやっぱり僕もちょっとハチさんと似てるところがあるんですよね。
クラシック音楽という西洋文化の頂点に立つ何かみたいなのがもう別にそんな大したこと実はないんじゃない?みたいなところに落ち着いてるみたいな感じ。
それでも彼女は音楽っていうのが今そこにいるけどね。
みたいな感じはまあ権力構造の話をしてた後には権力の解体じゃないですけど、いやもうその権力の形変わってるからみたいな感じにこう見えるようにも見えるなっていうカルチャー面の話ですけどそれは。
あとキャンセルカルチャーっていう側面に関してなんですけど、僕本作の描き方ちょっとその側面からは描ききれてないかなと思ってて、他を擁護する人が出てこないんですよね。
ファンというか観客側の他を擁護する人の存在が出てこないっていうので、そこが一方的になってるんですよね。
他を否定する人かその理解関係の中で他を守るというか内部的な事情で防御する人でしかないというか、
他は芸術家だから彼女を選ぶことは肯定されるべきなんだみたいなことを言う人がいないっていうのは、その側面からの描き方としては不十分というよりあえて描いてないんでしょうねそれは。
複雑になっちゃうってことなんだと思うんですよね。その辺のせめぎ合いまで描いちゃうと多分尺的な意味で。ドラマだともっとそれやりそうですけど。
でもなんかそのせいで多分意図してないかもしれないんですけど、僕ら側がその擁護する側に回りっていう構造もできるんですよね。
お客さん、要は映画を観てるお客さんが、だって他はこんなに頑張ってるのにって擁護したくなっちゃうっていう不思議な構造にもなっていて。
それもある意味上手いなぁと思ったところではあります。
それむちゃくちゃありますよね。本作がケイト・ブランシェットが主役なのとかもむちゃくちゃあるよなと思って。
18:09
本作の感想とか見てて、ケイト様が素敵っていう感じで本作を評価している人もいて、やっぱりそういった本作の魅力なんですけど、じゃあ彼女のやったことってそれで肯定されるんですかっていう風になると思うんですよ。
ケイト様素敵っていう文脈でこの映画を評価した時に、覆い隠されているのは何なのかっていうのをどうしても考えてしまうんですよね。
難しいですよね、そこって。
そのあたりね、乗っかると共感者にされそうな怖さがある映画だなっていうのはね、ところどころに地雷っぽいのがあるんですよね。
このスタンスになった瞬間に爆発する地雷みたいなのがちょこちょこ埋められてる感じがするんですよ、この映画。
何か1個に、一面的なものに乗っかった時点で負けみたいなところがあるというか、この映画。
そこが本作の魅力というか、僕2回目見るときはその地雷を爆発させないようにいかに見るかみたいなのを意識して見てたんで、
どこに足を置こうかなみたいなね、なんかその手探り感が面白かったりしたんですけど、そんな感じで。
はちさんありがとうございます。
ありがとうございます。
では我々から話を出していこうかと思うんですけども、どっから行きますかね、むずいですよねこれは。
冒頭のインタビューからちょっと触れていきましょうかね、じゃあ。
僕は1回しか見てないので、何を喋ってたかねっていうのがちょっとうろ覚えなんですけど、正直。
でもまあ結構、これじわじわ聞いてくる感じの話はしてたよなみたいなところは覚えては、なんとなく印象は残ってるんですけどあれって。
彼女のキャラ造形的な意味でも、ちょっと知ってる名前が聞こえてくるみたいな意味で僕もちょっとクソッとするとかありましたけど。
あそこね、正直ニュアンスがむずすぎて僕全然わかんなくて2回見たけど、字幕で意味がだいぶ削られてるのもあると思うんですけど、
ちょっとね、インテリっぽい会話すぎてついていききれないんですよね、あそこ。
インテリの会話っていうか、そうですよ。
実際のやっぱ指揮者の名前とか、ミュージシャンというか作曲家の名前とか出たりとかっていうのしますからね、あの中で。
その曲の歴史の動向の話とか、指揮者としての時間とかテンポの話とか、こう難しい話してるなっていう感じはするんですけど、
それが崩れるっていうのが面白い話なのかなっていうふうな漠然としてもらい方ですけど、僕は。
そうですね、僕が見てて、ここを拾っといていい要素かなって思いながら見てたのは、ジェンダーの話触れるとこあったじゃないですか、インタビューの内容の中で。
21:07
これまでの女性指揮者がいかに苦労してきたかみたいな、成功した人もあれば客員で終わった人もいるみたいなので、これまで女性指揮者が大変だったみたいなので、
僕、あそこで聞こえた感じとしては、昔は大変だったけど今は良くなったよねっていうふうに言ってるように僕はちょっと感じたんですよね。
それは例えばですけど、昔はすごく差別的だったけど今ってその差別なくなって良くなったよねっていうことで、
今の地位は過去を批判する目は持ってるけど今はいいよねって言いたい人っているじゃないですか。
それって、それを言いたい人って権威側だと思うんですよね。
やっぱ他は自分が権威の側だっていうことを言いたい人だなとは思って、
だから過去の女性指揮者はいろいろ苦労してきたけど、自分はそうじゃないよって、自分は実力で成りあったよっていうのを言いたいのかなっていうふうに感じたんですよね、あそこで。
だから、マエストロとかマエストラとかってそういう言い方とか関係ないよねっていう。
だって私は実力で上がってるからそういう言い方としての男女差とかって気にしないよっていうふうな振る舞いをしている。
だから自分はそういうジェンダーとは関係ないよっていうふうに言ってる感じなんですけど、
でも実際にはその女性指揮者っていう立場めちゃめちゃ利用してるじゃないですか、あの人は。政治的に。
そこがダブルスタンダードでもあるし、立ち振る舞いとして名誉男性的だなと思うんですよね。
あそこの言動にそれが現れてるように僕は感じたんですよ。
今までの女性指揮者って大変だったよねって、今っていいよねって。
そのいい状況で私は自分の力で成り上がったんですよっていう。女性であるということを利用したんじゃないよっていうのを案に言ってるように感じて、
で実際後で話の中で、かつて客演の指揮者だったっていう話出てくるじゃないですか。
あんたも一緒じゃんってなったんですよねあそこで。
でもそこであらゆる処生術を駆使してメインの指揮者になり上がってるわけですけど、
そのずるい部分を塗りつぶして、純粋な音楽の力みたいなもので私はここにいるみたいなことを強調するような立ち振る舞いをしてる。
彼女すべてにおいてそれなんですよね。
いろんなテレンテクダを駆使してるのを、私の音楽の才能で私はここにいるっていうことを浮き彫りに無理やりさせるようなセルフプロデュースを常にしてるじゃないですか。
そうですね。そこやっぱ彼女の強さですよね。セルフプロデュース力というか。
入念に自分の地元のイントネーションを隠しているとか、ああいうのを含めて。
インタビューの最中に差し込まれる映像で、自分のアルバムのCDジャケットの撮影してるみたいなくだりがありましたけど、
24:05
あの辺もすごいプロデュース力って感じですよね。
応念の名識者のものを参考にというか、ほぼ模倣に近いようなぐらいのコピーを使ってやるみたいなのは、
あそこにも私はそこと一緒なんだっていう自負みたいなのがあるし、
またあそこでCDジャケットを選ぶときにね、いろいろバーッて広げて、それを足で選ぶってあたりも彼女の強いところって感じがしますよね。
あの辺はなんかめっちゃ可愛かったですけどね。
実際その田舎から成り上がってきて、いろんな苦労も実際あったと思うんですけど、
それを隠して強がるっていうところは、むしろ私的にはずるさというより可愛らしさだなと思いましたけどね、人としての。
その強がりがないと人前に立てないっていうのはあると思いますけどね。
指揮者っていう大きな集団のトップに立つ人間なのでやっぱり、それは映画監督とかでもそうだと思うんですけど、
そういった文脈でやっぱりあんぐらい強気じゃないと立てないっていうのはありますよね。
っていうのもあるし、やっぱり女性の立場から女性として評価されたくないっていうのはやっぱりあると思うんですよね。
女性として評価される。
だからそこに対して、そこはやっぱりあの言い方は別に難しい。
私は違和感はなかった。
実際、昔と比べて今の状況の方が比較的良くなってるっていうところで、
例えばね、そこで、でも今でも女性ってまだまだ大変なんですよ、私その中で頑張ってきましたって言えないでしょ。
そっちの方がなんかやっぱり小賢しさを感じてしまうと思いますし、それを言いたくないと思います。
努力をしてきた人ほど、私は女性という範例があったけどここまで来たっていうのは絶対に言いたくないと思うんで。
それはなんか彼女の気持ちはなんかちょっと分かりますけどね、あの言い方っていうのは。
そうですね、それは確かにそうだな。
そうですね、それはそうだな。
まさにその前田さんさっきおっしゃってた通りで、そのオーケストラってしかももう思惑渦巻くというか、
いろんな人たちが野心を渦巻いてそこにいるわけで、そんな人たちの前で立ってそれぞれ引き入るってどれだけの覚悟が必要かってことだと思うんですよ。
だから彼女のそのある意味傲慢さ、あるいは自分は権威だって示すことって、
多分そう示さないと目の前の仕事ができないというか、
相対する相手が数十人の強い意志を持った人たちであるから、
その人たちに凶されないというか、立ち向かうためにはどんどんどんどん強くなっていくしかなかったっていうのは確かにあるだろうなぁとは思いますね。
そうですね。
さっきのその2人の女性の指揮者の名前をインタビューの中で出してましたけど、インタビュー中に。
その出した方の名前の片方からこの絵がめっちゃ批判されてるっていうのもちょっと不思議な構造やなって思った。
あ、そうなんだ。
そうなんや。てか、えぇー面白い。
27:03
一指揮者としてレズビアンとして腹を立てていますみたいなこと言ってるのが面白くて、はぁー。
そうなんや。
どっちの方が言ってたかな。めっちゃ成功したって彼女が言ってた方かな。
ちょっと名前を忘れましたけど、実際の人なんですけど、からそういう声明出てるってのもちょっと不思議な感じがします。
そうですね。彼女がいろんな手を駆使して成り上がってること自体は、それ自体は全然いいんですよね。
あるタイミングでは女性であることを利用するし、あるタイミングでは女性であるっていうことは強調しないようにするみたいな。
その使い分けはしてると思うんですよ。
それは、今現時点でこの社会でやっていくために必要なテクニックとしてあるかなとは思うんですけど、
そこはまあ、狡猾っていう言い方がたぶん一番ちょうどいいとは思うんですよね。
結局、彼女の悪かったところって、性的な暴力を振るう立場に立ったっていうことだけかなとは思うんですよね。
私、そこもちょっと分かってないとこがあって、彼女はすごく女癖は悪かったと思うんですよ。
ただ、性的な暴力を振るっていたんですかね、果たしてって思っていて、
例えば、自殺した女の子のメールとかも、彼女に対するそういう性的な関係の内容じゃなくて、
仕事を卸されたこと、それで路頭に迷っているっていうことしかなかったじゃないですか。
あの秘書の子も明らかにそういう関係はあったと思うんですけど、
どちらかというと、そこに関しては同意の上でそういう関係になっていて、
ただ、他自身が、それはそれ、でも仕事は別だからっていうのをはっきりしすぎてて、
そこに対してメンタルがやられていくっていう方が、私は見ててしっくりきたというか。
ちょっと分かる気がするというか。
その映画内で実際どうだったかがあまりぼかされているというか、
もう書いてないのでどうとでも撮れるようにしてるなって感じがすごくして、
なので、どっちでも撮れるかなと思うんですけど、
僕もマヤさんにちょっと近いような見方をしているというか、
それは権力の構造にも近いと思うんですけど、
やっぱり彼女に見染めてもらうことで、それは愛だけじゃなくて、
いろんな利益も生み出すものですよね。
新しい学団への復帰者のポジションだったりとか、名声だったりとかっていう。
もちろん愛しているけど、そういうちょっと打算的な部分とかも入ってくるじゃないですか、人って。
そこが、その調和というか、何か利益なものを受け取れなかったって思うだけで、
それって人は他に対して恨みを持ったりとか、離れていったりするよなっていう。
そういうことが積み重なって権力って落ちていくというか、壊れちゃうみたいなことって、
30:01
あるよねっていう感じなのかなっていうふうに僕は見てたんですよね。
そうですね、クリスタからの恋愛感情の存在っていうのも匂わされてるんですよね。
メッセージアプリの中で。
おそらくフランチェスカとメッセージアプリでやり取りしてる人がオープニングでいるんですよね。
多分フランチェスカともう一人誰かっていう感じだと思うんですけど、
多分あれあえてクリスタしかいないんですよね。
あそこで相手として考えられるのって。
そこで恋愛感情を匂わせるメッセージでやり取りしてるんですよ。
だから単純な性的なセクハラとか、あるいはその性的搾取というものというよりは、
その仕事の関係から延長で生まれた不倫関係っていうのが多分一番正しいとは思うんですよね。
見た感じから察せる範囲だと。
だからインタビューの時でも不倫のことを触れてるじゃないですか。
触れてましたっけ?
マーラーの不倫のことかな、確か。
そうですね。
不倫相手に対して音楽家は普通にいらないみたいな感じのことを言ったみたいな話しちゃいましたっけ?
ちょっとこの辺りね、もううろ覚えなんですけど。
自分の奥さんに対して作曲を禁じたって話だよね。
そういうことか。
確かに。
そこで多分クリスタとの不倫関係っていうところが着地としていいのかなっていうのがあるんですけど、
多分恋愛関係でいいと思うんですよ、その二人の関係って。
ただ、仕事とかが関わったパワーの違いの中で生じる恋愛関係って絶対にフェアにならないと思ってて、
それってある瞬間に暴力になると思うんですよ。
例えば今回のこれに関してもね、本当にクリスタが精神的に不安定とか、
指揮者として能力不足で非推薦のメールを送りまくってたのかもしれないけど、
そこに至上が挟まってないかどうかもわかんないじゃないですか。
ただ、ちゃんと仕事人として割り切ってるけど、やっぱりちょっとにじみ出てるじゃないですか。
自分が好意を持ってる人間に非意気したいっていう、
非意気はしてないけど、非意気しようと仕掛けちゃう片鱗があちこちで見えてると思うんですよね。
それは、好意を持ってたらいい方に働かせようとするし、
ちょっと良くない関係になったら悪い方に働かせてしまいそうになる弾みみたいなのがあると思うんですよね。
そのクリスタとの関係になった時に、
それって、2人のパワーバランスの違いから生まれた暴力的な結果を生んでた可能性って全然あるよなと思って、
それがめっちゃ怖いというか、わかりやすい性的暴力とかだったら話簡単なんですけど、
お互い同意はしてるんですよね。
それはフランチェスカもそうじゃないですか。
なんていうか、ちょっと秘書兼丈夫みたいな感じの扱いで、
33:03
でも結局、投与はされなくて辞めちゃうわけじゃないですか。
そこにあった、同意はされてるけどパワーバランスは違うのって、
同意があるっていうことだけを純粋に取り出して、それでフェアですって言い切れるのかなっていうのは、
ものすごい考えるんですよ。
なんかその、ターンに関して、
私、ターンはオーケストラって一つの作品を作ることに対して妥協がない人間だと思うんで、
そこに関して市場を入れるとはあんまり思ってなくて、
その彼女が、たとえばチェロの子。
あれは私は、彼女はチェロの子の才能に惚れてる部分があると思うんですよ。
で、実際オーディションをやって、彼女が、全員が一致で彼女がいいねってなったわけじゃないですか。
私なんか、あとおじいちゃんの副識者でしたっけ、
を外したところも、なんかひどい感じで書かれてましたけど、
あれはビジネスとして正当じゃないかって思いますし、
なんか彼女が、そのオーケストラっていうところに対しては、
なんかより完璧なものを求めてるっていう印象しか、私はそこに関しては受けなかったんですよね。
で、ただ、でなんかその周りにそういう、なんていうんですか、いろんなこう不倫関係の人がいたり、
それは確かにその社会的に褒められることじゃないんですけど、
でもそもそも不倫ですよねってなった時に、
なんかその、彼女たちが一方的な被害者かって言われたら、
なんかこの話はちょっともう他人がすることじゃない気はするんですよね、正直。
だってもう憶測でしかないじゃないですか、その2人の関係が、
どういう風に始まって、どういう感じだったかっていうのは、
描かれてないから、そこに関しては憶測でしかなくて、
まあその、片方の方が権力を持ってるっていうところで、
まあリスク管理ができてないっていうのは正直あると思いますけど、
まあそこに関しては、私は描かれてない以上は断罪するとこじゃないかなと思ってます。
でも結構僕、舌高じめシーン結構あったと思うんですけどね、僕ターンに関しては。
確かに音楽というものにめちゃくちゃ情熱を捧げてるっていう、
その芸術家派だというか、そういうのはわかるんですけど、
明らかにあの、チェロのソロ選ぶオーディションの件も、
あれって実際って多分、本来選ばれるのって、
楽団の中の第一ピオラみたいな人いたじゃないですか、
多分セオリーはあれだと思うんですよね。
だからそれをあえてああやって選ばせてるっていうところに、
まずちょっと、え?ってやっぱなっててっていうところがあって、
多分そこで結構グループ内でも、え?なんで?みたいな感じにやっぱなるわけですよね。
それをあえて狙ってそこでやってるっていうのも含めて、
ちょっとまあ、それはその音楽性ももちろん彼女のね、
今回新人の子の音楽性にも惚れてるのもあるから、
いやいいじゃん、まあどっちもまあある意味理解関係が一致してるみたいなというか、
なんかあるし、結構やっぱりまあでも下高さもあるよなみたいな、
もう自分のそのエゴもあるよねっていう、
まあどっちもあるなってその側面はあるかなって感じで僕はめっちゃしますね。
でもそれぐらいのエゴあってもよくないですか?
36:01
あっていいんですよ、別に。あってもいいというか、
いやまあそういうもんだと思うっていうのは思うんだけど、
ただなんかそこでなんか芸術家だけだっていう感じの見方も、
僕は絶対そうはないかなって感じですし、
っていう感じですかね。
このチェロの子が選ばれていく過程に関しては、
やっぱり彼女が一番才能があるから選ばれていったんだと思うんですよね。
ただそれとは別に、ただが彼女を下心で見てるっていうのも、
コツコツコツと描かれ続けてるんですよ。
まず初めにトイレ覗いてますからね、下から。
で、そこから始まっていろいろジロジロ見たりとかっていうのはあって、
オーディションのやつもね、
一番能力のある人間を登用したいからっていうのは、
それはあると思うんですけど、
同時に純粋にオーケストラをより良いものにしたいっていうのの、
そのすぐ下に下心がずっと忍ばされ続けてるんですよね。
それは金魚の憤怒にずっとついてるんですよ。
何かをやろうとして、そこに人が関わってきて、
自分がその関わった人に性的な魅力を感じちゃうってなったときに、
しかも何だったら自分がそれをコントロールできちゃうってなったら、
何かそこに意図を忍ばせたくなるのは絶対あると思うんですよ、それは。
それはあえて切り離そうとしないと絶対に切り離せないと思うんですけど、
他は、それはこれが芸術としてより良いものだからっていって、
常にセットで連れ回してると思うんですよね。
それはすごいあると思うんですけど、
でも結局すごい強引に何かをしてるわけじゃないじゃないですか、
チェロの彼女に対して。
強引に見えないようにやってるからっていう、だからほんとしたたかだなっていう。
したたかだったらダメなの?
いや、だからいいですよ、別に。
いや、それがダメなんじゃなくて。
それを否定してなくて、それはしたたかだよねっていうことで言ってるだけですよ。
じゃあ、したたかだけど、私は何ていうのかな、
彼女の持つ魅力に引きつけられる人間もたくさんいて、
なんかあんまりそれが他の人に比べて、
著しく突出して、したたかとかマイナスなふうに思わなかった。
人間だいたいあんな感じじゃないですか、みたいなぐらいかなと思います。
そう、そうなんです。この話だから、ターがめちゃめちゃ極悪人とかじゃなくて、
権力を持った人間ってこういうことしますよね、ぐらいの感じだと思うんですよ。
よくある、いたってよくある普通の話なんですよ、これ。
いや、権力なくてもしますよ。
いや、そうなんです。
そんな憧れの人に報えたりとかって、そこに憧れの権力うんぬん関わらず、
やっぱりその人に認められたりとか、恋してるとかで、
そこに行っちゃうみたいな人がついてくるみたいなのは、
往々にあるし、そうやって自分を見せることだってあるしっていうのは、
誰しもやってるっていうのは別にだから、
僕は別にそれをネガティブなニュアンスで僕は言ってるわけじゃなくて、
39:02
そういうものだよね、ということで言ってたんですけど。
でも、それはもう人間はそうするもんだと僕は思います、絶対に。
だから何か仕組みでやらないとダメなとこだとは思うんですけど、
いや、人間ってそういうもんじゃんって言って、
許容していいもんなんですか、これって、本当に。
そうなんですよ。
あり続けていいものなんですか、これは。
どこまでがですか?
どこからがダメか選挙は決めるべきだと思います、具体的な。
そうですね。
そうじゃないと主観じゃないですか。
少なくとも自分はなんですけど、
ターが自分が売ったクリスターを雇わないでくれっていうふうに送ったメールの証拠を全部消すところは絶対にダメだなと思います。
やったことには責任持てよというか、
そのことを隠したらお前ダメだろっていうところは本当に思っていて、
結構2回目はそこにかなり強い意気通りを感じましたね。
その責任は自分の責任でもあることは公表するにもしないにも背負っていくべきだし、
そのことをないことにして見なかったことにしようとした彼女は、
もちろん人間そういうことをしちゃうのは仕方ないと思うんですけど、
あの立場に立ってしまった人間ならそれは背負えよっていうのは結構強く自分は思いました。
あと彼女自分のやってることが純粋に仕事のためだけにやってるように見えないっていうのはむちゃくちゃ自覚してますよね。
そのメールを消すっていうのもそうですけど、
例えばオーディションの結果でロシアの女の子が通ったときにめちゃめちゃ安堵してるんですよ。
それってあれ満場一致で通ってるじゃないですか彼女が。
それってもしあれで票がぶつかって自分が彼女を推したりしたら、
なんていうかその下心目的で彼女を推してるように見えちゃうから、
そうならなくてよかったって安堵なんじゃないかなと思って僕は。
その要は自分の中に下心があるのを純粋に芸術のためにやってますよっていう言い訳を常に外にばらまいてるんですよね彼女。
そもそもオーディションをやりますっていう時もそうですけど、
普通にオーディションやりますだけ言ったらそういうふうに見られちゃうから、
いろんなその付属的な説明を足すわけですよね。
全てのことに。
いやこれはこうこうこうこういう理由があっても芸術のためなんですよって。
だからこうするんですよみたいなのを全方向に言ってると思うんですよね。
確かにあの時オーディションの話するときめっちゃ理由言ってたなっていうのを今思い出しましたけど。
だからあれって自分のやってることが嫌ましく見えるし、
自分の中にある嫌ましさも自覚してるから人に対しても説明するし、
自分に対しても私は芸術のためにやってるんだっていうその自分の内面さえ上書きしようとしてると思うんですよねあれは。
でもまぁ仮に私もそのチェロのそのくだり、彼女の下心はあると思いますが、
仮に全く下心がなくて純粋にこの子の才能を正規のルートというか正規のやり方だったら、
絶対この子はもう正式な団員じゃないから登用されないけど、
なんとかこの子の才能を入れてあげたいって純粋に思ってた場合だったとしても、
42:03
その説明はしなきゃいけないんじゃないかなって思うんで、
そこはなんかこう単純に自分に対する言い訳っていうところだけじゃないかなと。
どっちみちその正規のルートじゃないやり方をしようってなった時点で、
なんでやねんってなると思うんで、
そこに関する説明はどっちみちせなあかんかったんちゃうかなと思うんですけども。
そうなんだよな。だから結局そう見えてるっていうとこなんですかねこの映画って。
だから元々の女癖が悪くて善かって言ったあれですけど、
同じようなことを何回も知っちゃってるから周りがそういう風に見ちゃってるわけですね彼女。
またかよみたいな。
めっちゃ見てますよね。
でそれをうすうす気づいてるとこもあると思うんですよね。
だからなんかわかってるけどやめられへん部分もあると思うし、
実際才能に惚れてるっていう部分もあると思うし、
そんでもって全然相手にされてないことに気づいてちょっと傷ついてるみたいなとこもあるし。
あの辺はそうでしたね。
そうなんですよ。だから私的には彼女って権威を持ってこうなった人間じゃなくて、
もともとそういう生き方、例えばその奥さんに対しても、
その体の関係を、ちょっと体の関係を持ったというか、そういう関係になって、
初生術を教えてもらった。
だから無名の時代から彼女ってもうそういうやり方で生きてるわけですよね。
でそれは打算もあるし、純粋に魅力的だからそうなっちゃうっていうとこもあるし、
彼女自身が単に女好きっていうかそういうことが好きっていう側面もあると思うんですけど、
プラスもちろん音楽に対するストイックさというかっていうのももちろんあって、
それで上手くここまで来た。
けどここまで来た結果、私だから逆に彼女にとって権威っていうのがすごくもしかしたら邪魔だったんじゃないかなって思うんですね。
邪魔というか、結果的に彼女を引きずり下ろしてしまったのは権威だったんじゃないかなって思うんですよ。
それはわかります。
そこがすごくこの話の皮肉なとこやなというか。
今話してて、僕ずっと2回目に見たときの感想で喋ってたんですけど、
1回目に見たときの感覚にちょっと近づいてきました。
1回目に見たときの僕の感覚って、パーって下心がどうとか音楽がどうとかというよりも、
常に自分がやりたいことをやってきた人なんだろうなっていうふうに思ってて、
その中に市場命題として音楽があって、それとは別に恋愛とかをめちゃくちゃ楽しみたいみたいなのもあって、
権威力がないときは恋愛は恋愛のままでいてくれたと思うんですよ。
一緒に音楽やってて、音楽楽しね。
そしてあなたのこともとても魅力的に感じて恋愛関係を持ちたいってなって、恋愛関係を持ってきたっていうのも今までずっとあったと思うんですよね。
それがいつの間にか自分が成功して権威を重ねていくごとに、いつの間にかそれにパワーバランスが変わることで、別の意味を帯び始めてしまうと思うんですよ。
45:00
でもそれは、私はあくまで純粋に音楽をしてるし、純粋に恋愛をしてるっていう。
それは今もそのスタンスでいくんだ。
でもいつの間にか自分の足の下には権威が重なり重なってて、いつの間にか自分が思ってる以上に人に強い力を与えてることになってたり、
自分が想像してる以上に人から嫌な見方をされてたりっていうのになっていくと思うんですよ。
多分そうなっていったんだと思うんですよね。
それがいつの間にか性的な暴力として見られたりとか、パワーバランス的なものとして見られたりとかってなってたけど、
いや、私は音楽をやりたかったんだし、恋愛をやりたかっただけなんだっていう風になったのかなと思って。
だから本人がそうしたくてもそうできなかったっていうのはやっぱり思うことで、
権威とか権力って本人じゃなくて周りが作っていくものだなっていうのを思ったんですよね。
本人の才能というか功績とかもちろんそこから付随していくものだと思うんですけど、
権威は結局周りが作っていくものだなっていう感じはすごいしてて、
それゆえにすごく他自身は愛だけというか、ちょっと神的な感じだなっていう風に自分をなぞられてる感じはするというか、
けど実はそんなことないし、
いやいやちょっと待ってくれ、愛だけじゃこっちの飯を食っていけないんだみたいな権威を重ねる人にとってはねっていうのがあったりとかするから、
まあそこで自分の意図せぬ方向にどんどんコントロールが失われていくみたいなところはあるんじゃないかなっていう風には見えますよね。
それこそ自分も2回目で話したなって思って見てはいたんですけど、
その時の視点ってやっぱりちょっと違っていて、
1回目はやっぱり他という権威というか観客側としてすごいあの映画を見てたんですよ。
そのオーケストラのお客様側で他のファンとして自分は見ていて、
だからやっぱりその他のいろんなことにかっこいいと思えるし憧れもいたくしっていう形だったんですけど、
2回目ちょっとまあまさに権威っていう話の中で視点を変えて、
その権威の内側の人であるフランチェスカとクリスタにちょっと自分は視点を合わせて見ていたんですね。
でそうするとまあ彼女たちはある意味他のファンとして多分最初は他に近づいていて、
まあその後恋人関係になったかどうかはまあちょっと定かではないかなと思うんですけど、
でもなんか自分の多分世代というか生き方的にもすごいフランチェスカとかクリスタに近い生き方をしてたなっていう自覚があって、
その権威に近づけばいずれこの世界に入っていけるんじゃないかなみたいな、
そういう生き方をしてた自覚が自分にはあったんですよ。
でその2人は結果的にどうなるかっていうのもまあ映画を見た方ならわかる通りだと思うんですけど、
なんか一方でオルガっていう全く新しい才能がそこで現れてくるわけじゃないですか。
で彼女は他という権威に全く興味がないわけですよ。
それはもしかしたらその昔の他であるかもしれないし、きっとそうだんだろうなって思って、
だからなんか自分がどうしたってこの権威のピラミッドの中にはどうしても削除される側だったんだなってことに気がついてすごく落ち込んだっていう。
48:03
確かに他自身結構さっきの迷路を削除したっていう話あったと思うんですけど、
結局彼女自身がずっとクリスタの亡霊に取り憑かれてるというか、ずっとその影に追われてるっていう。
結構本当に彼女は全然そんなに強い人間でもないんだなっていうのをところを見せられるわけじゃないですか。
そこに対してきっと罪悪感もあるし、
罪悪感があるからこそ私が悪いんじゃないっていうことを言い張りたくなってる心理状態というかっていうのもきっとあるし、
そういう意味でさっき話したみたいにただの人間なのにどうしようもなく魅力的じゃないですか。
そこ本当に。
リディアターという人がめちゃくちゃ面白く見えるんですよね。
こういう感じわかるなっていうところがいろいろ見るたびに変わるしっていうのがこの映画の魅力だと思うんですけど。
前に山口さんが言ってたザリガニの時に話したあの話、あの話ってどういうネーミングだったか忘れちゃったんですけど。
だから僕があの時話してたのって彼女が美人で知的で、観客が好感を持てるから入れ込んで見てるけど。
そうじゃない自分たちが好感を持ったり共感を持ったりするような人物じゃなくても同じ決断を我々はするのかっていう話をあの時したと思うんですけど、
今回の話の方がそれやなと思ったんですよ。
そして私はめちゃくちゃ入れ込んじゃってるからターの魅力にっていうのもあるし、その自分自身のなんていうんですかね、
そんなに正しく生きれないよみたいな気持ちも相まってなんかこうグワーっていう感じになっちゃうんですけど。
ちょっとターに酔ってしまうところがあるっていう感じですか。
ターに酔ってしまうというか、いいじゃんみたいな。
ちょっと思い出というか、これを僕も確かにめっちゃ断罪とかしたらもう僕も生きていけないなって思っちゃう。
それは思ったんですよ。
それは思ったので、うーんみたいな部分も含めて人間って複雑じゃないですか。
やっぱり正しさもあるし、正しくない部分もあるしみたいなのも。
何かしらこれはやっちゃダメみたいな倫理観だとか線引きとかあるはずなんですけど、
なんかそれすらもあれ、これで本当に良かったんだっけすごく不安になってしまうというか、
それをなんかこの映画から問いかけられてしまうみたいな感じが僕はすごくしているので、
やっぱなんかこの映画のことを見るとすごくひたすら自分がどっちづかずな方向にずっと振り続けてるみたいな感覚になるんですよね。
さっき前田さんがおっしゃってたリリアターがケイト・ブランシェットじゃなかったらっていう過程、
あるいは同性愛者の女性であったりとかでなかったらみたいな過程を本作に交えた時の話なんですけど、
51:02
それ本作にすでに埋め込まれている事柄だなと思ってて、
ターってそういう死因者と食事会しまくるじゃないですか。
その中で話する時に過去の有名指揮者たちの性的搾取みたいなことに関する話があるんですよね。
それがいかに追い隠されてきたかっていう話がされてて、
それって要はターはあくまで今回ケイト・ブランシェットが演じる女性の同性愛者が権威を持ったっていうシチュエーションで描かれてますけど、
大抵の場合は男性の異性愛者なんですよね。この本作の中心に立っている人物は。
それはそれまでのクラシック音楽の業界ではそれがずっとあったっていうことがあそこで言われてて、
じゃあ今私たちはこのリリア・ターっていう人物に魅力を感じてちょっと入れ込んでるけど、
じゃあそのクラシック業界がずっと続けてきたその体質そのものを許容するんですかっていう。
ターがそれをやっていいっていうのはクラシック業界がそういう良くない体質だからですよね、それは。
それを肯定するんですかって話になるんですよ。
有名な良い都市してる男性指揮者みたいな、成り上がりたいと思ってる女性の音楽目指してる学生みたいなのが近寄ってきたときに同行しましたと。
それが双方同意の恋愛関係だったとして、我々はそれをどう見るかっていうことまで考えないといけないと思うんですよ。
私は正直男性女性はあんまり自分の中では関係なくて、その人がちょっとこれめっちゃ問題発言だと思うんですけど、
魅力的かどうかっていうとこかなと思ってて、今回のこの話においては。
だから仮に男性だとしてもこれぐらい魅力のある人だったらなんか私の中の評価は変わらなかったと思うんですよね、正直。
だからそこはなんかその評価は変わらなかったって言い方おかしいですけど、
だから本当にその相手、どんな人間だったら許され許せないっていうことじゃないんですけど、正直その視点は入っちゃうと思う。
その法的なとか具体的に誰でもわかるような基準での一戦を超えない限り、遊びの部分の捉え方、何が起こったかわからないっていう想像の部分だったり。
でも逆に言ったらですけど、被害者っていうか、例えばフランチェスカとかがどういう女性かも正直わからないじゃないですか。
もしかしたらめちゃめちゃ性悪な人かもしれないじゃないですか、例えば。
だからそこも現時点でわからなくて、そこも正直印象で捉えている部分があるじゃないですか、今のところ。
だからそう考えるときにちょっとやっぱり事柄で判断するしかないんですけど、何が起こったかっていう。
そうじゃないとやっぱりちょっと自分たちの第三者的立場からフェアに見るってことは絶対無理だと思うんで。
54:03
そうなんですよね。なんかだから、なんかほんと喋るとドツボにはまっていくというか、この感じでその何というかやりとりってもうなんかもうSNSであれとほぼ一緒みたいな感じになるというか、難しいんですけどそれって。
僕どっちもその山口さんの意見もめっちゃわかるし、まやさんの意見もめっちゃわかるしみたいな。
真実ほんとわかんない中ああだこうだ我々いろいろ言ってっていう感じっていうのは、そこもすごく今の社会っぽいって感じがすごくしてしまう。
そのディール載っちゃってる。SNSっぽいディール載っちゃってますか。
っていうか載せられるんですよねどうしてもこれ。載せられる映画にしてると思うんですよこれあえて多分。これしょうがないことだなっていう感じがする。
実際SNSでツイートされた時に、あの時もなんかちょっとひどい言い方はしたけど、それにしても切り取られてもいたじゃないですか。
そうそうそう。
だからそういうところでやっぱりそれを見た人がどう彼女のことを判断するかっていうのはやっぱりどうとっても意図的な面でしか見れないんですよ私たちってこう。
絶対画面的なものの一側面しか見れなくてそこで何か判断してああだこうだ言うみたいなことを劇中では描かないでどっそり観客に求めてくる感じというか。
大井さんが観客側が他の方に堅いでしてみるというかその感じで見ちゃうみたいなところってそこにちょっと繋がるかなと思うんですけど。
なんかそういう感じがあるって。でももちろんそのSNSでそれをやりとりというかそういうああだこうだ言う時ってまあもう結構見てて辛いというか。
もうなんかそういうのに乗っかることがもう結構ストレスみたいなところやっぱあるなぁみたいなのがあって。
あの辺のやりとりというかこの映画を取り巻くいろいろなやりとりとかを見てまあそれは余計に感じるなぁというのは思いますね。
そうですね。
そうですよね。なんかもう二人とも多分正しくてというかその両方の正しさを映画自体が包含している状態でこちらに提供されているので。
そうなっている以上多分両方正しくて両方間違ってるっていうしか言いようがないんですよね。
だからこれある意味敗北宣言かもしれないんですけど。
なんかもう複雑だねとしか言いようがないっていう。
そうですね。複雑しかないなっていう感じになっちゃって。
せめてなんかねこう番組ではいろいろ視点があってこう初めて一個なるからまあそれはまあ回避できると思うんですけどそのSNS的なものからちょっとね。
そうですね。なんだろうな。
本当に何より自分が他人の呪いになりたくないって思いがむちゃくちゃ強いんですよ。
他は自分がやりたいことをやったら呪いになるじゃないですかもうあの人は。
なんかそれが嫌なんですよ。
やりたいようにやれたらいいんですけどそれで呪いばらまくんだったらやりたいことなんてやれない方がいいわって僕は思う人なんですよ。
嫌なんですそれが。
でこれに関しては他が悪いとかでもないと思うんですよ。
57:00
一番悪いのはもう業界の体質ですよこれは。
あんなやり口を許容してしまってる業界の体質が一番悪いと思うんですけど。
なんかねそういう人が変わらないんだったら側を変えんとしゃあないなっていうのを思ってて。
であのまあなんかこうやっていろいろ考えていったら結果的に側を変える考え方を持っていけるのかなって思ってはいるんですけど。
なんかねつらいんですよね他を見てて。
だって僕がの立場になったらああなるなって思うんですよ。
メール消しそうやなって思うんですよ。
なんか自分悪くないなっていうふうに立ち振る舞いそうだなって想像できちゃうんですよね。
でも彼女音楽やってきただけじゃないですか。恋愛やってきただけじゃないですか。
なんであんな目にあってんのって思って。
なんかねもうだったらもう始めからがんじがらめの方がまだマシだわって思っちゃうんですよね。
この話なんなん?
逆にこういう話って正直こういう場で喋ってるから出てきてるのであって。
私正直あの映画を見てなんかへー全然オーケストラのことか知らんけどこんな感じなんやとか。
なんかあのターって魅力的やなとか。
まあでもこういうとこもちろん嫌やなとか。
私もこれ関わったら多分メンヘラになるわとか。
なんかもっとすごいライトな感じ正直見てて。
でターが全て失って実家に1回帰って昔のビデオ見直すシーンとかね。
あのシーンとかもすごい彼女がもう1回自分が何が大切だったか思い出して。
っていうシーンで最後こうなんか私最後そのみんなほどピンとは来てなかったんですけど。
まあなんか彼女はそれでもこうやって生きていくんだなみたいな感じで見てたんで。
逆になんかこのターってそのまあみんな皆さんねこの間のバーでもすごい良かったって言って。
どんな捉え方でみんな見て何の部分が良かったって言ってるのかなって私すごい不思議なんですよね。
なんかこう話したらどんどん辛くなっていくんじゃないかな。
いや僕こんなしんどい思いすると思ってなかったですもん。
そっか。
ちょっと時間あれなんでラストシーンの話しときたいなと思うんですけど。
皆さんどう見られましたあのシーンを。
最初はまあいわゆるなんて言うんですか宮口みたいなニュアンスかなって思っちゃったんですけど正直。
なんとなくやっぱりああああいうとこから落ちてしまって今こんなところにみたいなニュアンスなのかなって思っちゃったんですけど。
まあそれはまあちょっとさっきのお便りにもあったんですけど。
もはやああいう西洋文化中心みたいなのはもう終わったよねみたいな部分。
という意味ではやっぱりもうそこはやっぱり彼女にとって新たな自分の音楽と向き合える場所なのかなっていうところがあるというか。
ゲーム音楽というか映画音楽とかでもそうだと思うんですけど。
やっぱりちょっと下に見られがちみたいなのがクラシック業界から。
エンニオモリコーネのドキュメンタリーでそういう圧力があったりとかっていうのが描かれてたんですけど。
1:00:03
そういうのに近いというか。
でももう下じゃないしというかむしろクラシックを生きながらされているのはそういったもののおかげだろうっていう感じがするので。
やっぱりあそこで彼女が自分のもちろんその自分の音楽的な才能というか努力の才能をあそこでいかんなく発揮していくっていうのはすごくいいことだなというか。
ちゃんと観客がいる感じがすごくするんですよねあそこって。
もうあの場にいるの絶対ファンじゃないですか。
もうコスプレまでしてあそこで一面でもうまっすぐ見てるわけですよ。
けどなんかそのいわゆるクラシックのコンサートってまあ別にそのもちろん好きな人いますけど。
でめちゃくちゃバカ高いコンサートの費用まで払ってこう見る人ももちろんいるんですけど。
大半意外と招待客やったりとか。
まあいわゆる上流のね人たちそんな興味ないみたいな感じで来てる。
まあたしなみとして来てるみたいな人とかがいて。
やっぱそれって本当の意味で好きな音楽って届けられてるのかみたいな部分にもつながるのかなっていうのが大気として。
そこ実はちょっとだけあったりするのかなみたいな想像とかを今は働かせるようになってきてるかなっていう感じですかね自分。
なんか結構自分もマリオさんには近いっちゃ近い感じなんですけど。
さっきマリオさんの話聞いてるあって思ったことが一個あって。
これまで観客ってみんな多分他のことを要はクラシックの世界では他本人のことを見てたと思うんですよ。
だけど最後のラストシーンでのコンサートって他のことは見てないんですよねみんな。
他じゃなくて音楽そしてその後ろにある画面と演出その一部とあくまでその一部としてしか他を見てないって。
それって多分ずっと他のことを勝手に呪ってきたさっき山口さんがおっしゃってたようなその権威そのものからの解放だと思うんですよ。
一人の人間としてオーケストラに関わる1メンバーとして彼女がようやく音楽の中に入れたっていうことでもあると思うので。
そう考えるとやっぱり彼女の呪いの解放のようにも見えるし、
あと彼女が実家で帰って見てたバーンスタインのテレビ番組ありましたけど、あれ日本でいうと代名のない音楽会みたいなものらしいんですよね。
日本の代名のない音楽会想像してみるとわかると思うんですけど、
要は一般の大衆にクラシックとかオーケストラってこういうものだよっていうふうに示していく。
そこから彼女は音楽に入っていった。
だとすれば、あのラストシーンのあの場所はきっとそういう場所になり得るものなんですよ。
あそこの観客の誰か一人でもオーケストラだったりクラシックにいいなって思えてもらえたらきっとこの世界は続いていくし、
彼女が続けてきた、脈々と続けてきたものが生きながらえるきっかけにもなると思う。
そうすると彼女が本当に売れたかったのは実はそっちなんじゃないのっていうふうにも自分は思えて、
そういう意味ではやっぱり解放的なラストのように自分は思えますね。
僕もだいたい同じ意見で、すごいポジティブなエンディングだと思ってるんですよね。
ラストシーンに対する感想で、ポップカルチャーとかサブカルチャーを下に見てるみたいなので、ちょっと行き通りの声もあったりしたと思うんですけど、
1:03:01
僕、だからこそあのシーンって意味があると思ってて、
クラシック音楽から見たゲーム音楽、あるいはヨーロッパ文化から見たアジア文化みたいな絶対に下に見てると思うんですよ。
下に見てったと思うんですよね。
それが言葉上は宮口を下、そこにたどり着くわけですけど、
それでもここで音楽をやっていくんだっていう決意表明ってやっぱり、
当初は下に見てたところに降りてでもやるっていうのがないと、
単なる横移動だったらそれはそんなにドラマチックじゃないとは思うので、
絶対今までのTAだったら下に見てるじゃないですか、あれは。
あの作品がゲーム文化とかアジア文化を下に見てるというより、TA自身は絶対今までは下に見てたはずなんですよ。
だからこそあのシーンはいいんだとは思ってて、
僕もすごい好きなエンディングなんですけど、
ちょっと2回目見た時に違う見え方をちょっとだけしたんですけど、
もともと彼女ってAmazonかどこかの部族音楽の研究みたいなところから始まってるじゃないですか。
で、それってクラシック業界から見た時にどういうふうに見えたのかなって思うんですよね。
まあなんかそういうエキゾチックなものでマジカルなもの。
でもそれって根本的には下に見てるからこそ帯びてる意味じゃないですか、それって。
そういう辺境のところ行って研究をしていく。
そこまでやって音楽を突き詰めたいんだねっていう、
そういうニュアンスがあるように感じたんですよね。
それはもしかしたらラストでもう一回繰り返されてしまうんじゃないかなっていう不安がちょっとあったんですよ。
あのラストの国がちょっとどこか僕ちゃんと分かってないんですけど、
なんか川でさかのぼるシーンみたいなのあったじゃないですか。
地獄の目視力みたいなとこ行って、
地獄の目視力みたいなと思ったら本当に言うから、
地獄の目視力なんやってなったんですけど、
あれってもうアジアの辺境イメージじゃないですか。
彼女、アジアの都会に行ったのにわざわざあんなとこ行くのって何でってちょっと思ったんですよね。
やっぱなんかそのアジアのエキゾチックイメージを取り入れたいんじゃないかなって気がしてしまって、
だとしたらもう一回そのゲーム文化とかを踏め台にして、
もう一回権威の世界に登っていっちゃうんじゃないかなっていうふうに、
ちょっとそういう不安を覚えたんですよね。
だって彼女はもともと音楽に対する初期衝動から始まってたけど、
いつの間にか権威を帯びていったわけじゃないですか。
彼女がやりたいことをやると権威を帯びていくんだと思うんですよ。
だとしたらもう一回落ちるんじゃないかなと思って。
そんな人生もいいかもしれない。
上がることもできない人もいっぱいいるんだから。
それに対して言い悪いというか、
凝りないよねっていう、人間凝りないよね、ちゃんちゃんって感じに感じて、
1:06:02
なんて言っていいんかな、落語っぽく感じたというか。
それはわかんないですもんね。
彼女が違う生き方を選択する可能性もあるし、
世界が彼女を違う道に進ませるっていう可能性もあると思うんで、
そこはその可能性は含まれてるんじゃないかなとは思いますけども。
ある意味オープンエンディングというかね、感じはするというかある意味で。
こんなドロドロの話すると思ってなくって。
いやー、絶対盛り上がるだろうなって思いましたけど、
めっちゃ話盛り上がりましたねっていう感じですね。
思ったよりも深いとこ、海底タッチして帰ってきたなって感じも、
程よい疲れもありますね。
帰ってこれてるのだろうか。
帰ってこれてるか、
最初なんかもうケイト・ブランシェットすごいよねみたいな話をして、
終わる可能性もあったなっていう感じもしたというか、
すごかったんですけどね。
ちょっとあんまり触れられなかったけど、
子供、唯一あの世界の中で、
ターが人との向き合い方で、
そういう意味では、彼女は人を育てるとか、
自分の意思を継ぎたいっていう思いは強かったんだろうなと思うんですけど、
子供が、あなたは世界で一番美しい人だねっていうシーンあるじゃないですか。
あの時、きっと観客含め、ター自身含め、
見えてる世界が全く美しくないっていうところに差し掛かってるぐらいのシーンだったと思うんで、
あそこであのセリフっていうのは、
なんかすごい、なんていうのかな、
なんかグッと来るものがありましたね。
ター自身は子供のことむちゃくちゃ愛してるとは思うんです。
でも、愛してるけど、だからといって良き親でありきれるわけではないっていうところも、
残酷に描いてたなとは思って、
家庭では、家の中にいさえすれば良き親ではあれだと思うんですけど、
そもそもあんま帰ってこないとかっていうのもあるし、
職場に行ったらああなわけですよね。
ちょっと恋心大きというか、
そういうタイプで配偶者はいるけど、それはそれとして恋愛しちゃいますみたいなタイプで、
でも子供のこと愛してるって多分よくある話なんですよね、それも。
僕はなんだろうな、子供の存在が救いにも感じたし、
逆にちょっと絶望的にも思いましたね。
子供いても結局人は懲りないっていうところがなんかね、つらいなと思って。
でもまあいい映画だと思います。いい映画だと思いますけど。
テーマも複雑で深いし、演出とかディテールもめっちゃ細かいしみたいなところまで含めて、
この映画のことみんなしゃべりたくなるしみたいなところはやっぱり感じましたね。
微妙に僕、ターン乗ってる車とかめちゃくちゃディテール高いなって思ったんですけど、
1:09:03
ポルシェのタイカンっていう電気自動車なんですよ。
確かに、なるほど。
なんかインタビューで読んだんですけど、ターンってなんか音嫌悪症っていう、雑音が嫌みたいな人っていうか、
実際に識者もそういう人多いらしいんですけど、
なんかそういう人が乗る車って、それはエンジン音のしない電気自動車だよなっていうところがまず一個と、
あと彼女のベースのモデルとなってるであろう識者の一人のカラヤンがいるんですけど、
彼はポルシェ島なんですよね。ポルシェ大好き人間なんですよねっていう、その辺のめくばせもしてるみたいな、
なんだそのディテールの細かさみたいなっていうのがあったりとかもするし、
気づく人が気づけばいいとこですけどそういうのって別にね。
なんかその割には家の外で借りてる仕事場のリッチあんま良くないですよね。
まぁリッチ良くないですよね。めっちゃ雑音に悩まされてましたけど。
あんなうるさい隣人いる部屋使うのダメですよね。
あの後吹っ切れたかのように隣がうるせえみたいなって言われたからアパート売れないってアコーディオンで言われて爆笑しましたけど。
あれどこいいなっていう。
あとこれ大事なことだと思ってるんですけど、他は暴力めっちゃ恐れてるんですよね。
ランニング中に女性の悲鳴聞こえた時とかの怯え方ってやっぱりそれって女性が持ってるその男性に対する怖さというか、
社会に対する怖さって言ってもいいかもしれないですけど、いざとなったら腕力で勝てないっていう恐怖感っていうのは彼女の中にはあって、
ちょっとそれは本作のバランス感覚の一つだなとは思うんですよね。
だから彼女は名誉男性的な立ち振る舞いしてるけど、男性そのものじゃないっていうところっていうのは要素として入れてるのかなっていうのは思ったんですよね。
あんま意味ないシーンじゃないですかあれ。
唐突ですもんね。
唐突にサイコホラー演出みたいなのが入ってくるんだよなこの映画っていうのがあるんですけど。
あとあのすっ転んで顔怪我したの殴られたっていうのもあれなんなんてちょっと思ったんですけど。
確かに。
なんかこの映画ターという人俯瞰で見てるかなって思ったら急になんか彼女の内面のシーン不安に苛まれてるような不安な内面とか、
その彼女が落ち込んで感じたであろう落ち込み具合とかが画面にふっと出てきて、
キレッと俯瞰に戻るみたいなことをやってる映画だなって思ってなんか不思議って思って。
なんかねめちゃめちゃパラノイアックですよね。
棚の中のメトロノームの下りとか楽譜がなくなってる下りとかあれなぜかとか意味ないじゃないですか。
なぜかを描かないからすごく見てて不安になるんですよね。
でもなんかの楽譜がなくなってて、なんか最後最後というかあの棚の代わりに指揮してた人。
1:12:07
あそこにあったのって他の楽譜なんじゃないかなと思って。
なんかなーっていう気がするかな。
だからパートナーのシャロンが裏切ったんじゃないかなっていう。
まあねどうなんだろうなーっていうのは。
あんまりこの映画誰が何をやったかみたいな真相って結構どうでもいいっちゃいいよくないですか。
あんまりこの映画のことを喋る上で結構どうでもいいかなっていう感じがちょっとしてるので個人的には。
もう誰でもいいですそれが誰であろうとみたいな感じはします個人的に。
それはそう思います。
まあこんなところにしておきましょうか。
いやーちょっと今までで一番疲れたかもしれない。
時間が早かったですね。
あっという間でしたね。
はいじゃあそんな感じでターのお話は終わっておこうかなと思います。
十分に話せたのかなどうなんだろう。
結構一箇所に集中して掘り下げてた気がするけど。
まあまあじゃあそんな感じで終わっておこうと思います。
次回どうしましょうかね。
次回か。
次回なー。
まずクリードは触れてないじゃないですかまだ。
一つ候補かなっていうのと。
あとまあ怪物。
あーそうか。
怪物も公開。
そうなんですね。
ありますね。
あとはブラックデーモン。
ブラックデーモンかー。
あのー大石さん的にねちょっとね。
ちょっと言いたいことがあるみたいなね。
ありそうでそれは触れるのはちょっと面白そうでちょっと惹かれてるんですよね。
僕はサメ映画ポリティカルにダメなんです。
大石さんはサメ映画に対するポリティカルコレクトネスが働いて楽しめないっていう事情があって。
その話だけ聞きたいんですよ。
ちょっとねそれワードとしておもろすぎるんですよ。
ポリコレってちょっとパワーワードすぎるんですよね。
大石さんのサメ映画に対するポリシーの話をちょっと聞くっていうのは
ブラックデーモンの話をしつつなんかサメ映画の話するっていうのもいいんじゃないですか。
好きなサメ映画皆さんありませんかみたいな。
そうかサメ映画って取り上げたことなかったでしたっけ。
ないかもしれないですね。
ないですからね。
一大ジャンルと化したサメ映画の話するのも全然ありかなっていうのもありますし。
お便りもあったけどアフターさんも全然いいですよっていうのもありますしね。
結構選ぶのを。
アフターさん全然いいです。ありです。
僕どれでもいいですよ。
まあよな。
アフターさんも割とターほどではないにしても結構重たいというかしっかりと重量あるんですよ。
ちょっとサメでもいいかなっていう気持ちが。
僕はしましたけどね。僕はね。
前田さんどれやったら見に行けそうですか。
1:15:00
私とりあえずサメとクリードも見ると思うんですけどまだ見れてなくて。
クリードとテリファー2は見ようと思ってるんですよね今週。
テリファー2もそうか。
アフターさんは多分聞いてる方的には取り上げてほしいとは思うんですけど
キャッチする感性が。
それは別に構わないです。
オープニングで喋ればいいですし最悪で。
そうですね。
クリード、怪物、ブラックデーモン。
この3つから何かが選ばれるということ。
DMで決めますか。
そうしますか。
そうしましょう。
この中の3つから何か選ばれるっていうところまででここで。
はいじゃあ後で決めましょう。
はい。
じゃあそんな感じでいきます。
はいではお知らせになります。
6月も映画なし出せるバーを開催する予定です。
場所は大阪の南森町にあり日帰りイベント型カフェバー週間曲がり
日時は6月24日とおよびオープンが19時クローズが23時となっております。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想次回テーマ作品の感想などご注意をお送りいただけると幸いです。
また次回バー開催情報ポップキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします。
あとこの番組のイメージキャラクター映画の話しさすぎる猫かっこ狩りはしあったグッズ販売していますので
よろしければご購入くださいませ。
お便り受付先ツイッターアカウントグッズ販売サイト以前の番組説明文に記載しております。
はいそれでは映画の話しさすぎるラジオ第119回ターの話を終わろうと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:17:06

コメント

スクロール