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2025-08-13 43:32

第224回(1) オープニング~KNEECAP ニーキャップ/アンティル・ドーン/入国審査 etc…~

『星つなぎのエリオ』の話をしました。

オープニングではメンバーの近況の話をしています。

■映画紹介屋さん

あなたが映画に求めることや、雑談の中から見えてくる“今のあなた”の気分や性格など…そんな情報からあなたにぴったりの映画を紹介したり、映画について語ることもできるお店です。映画好きのスタッフが、あなたの好みや価値観に寄り添いながら、世界を広げる一本との出会いをお手伝いします。

  • 日時:2025年9月6日(土)・9月7日(日)
  • 料金:1,000円(税込) お1人様20分
  • 場所:大阪市北区梅田3-1-3ルクアイーレ4F「sPACE」
  • 予約:https://coubic.com/lucuaosaka/2231946

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サマリー

第224回のエピソードでは、アイルランドのヒップホップアーティストの自伝映画『ニーキャップ』を中心に話が展開されます。この作品はアイルランドの歴史や自由な表現をテーマにしており、参加者の近況や映画体験を交えながら深い感想を述べています。また、映画『失う』や『ファントム・スレッド』についても考察され、家族や恋愛の複雑な感情が描かれています。さらに、東京国立近代美術館での戦時中の日本画に関する展示も取り上げられ、戦争のエンタメ性と残酷さに思いを馳せる内容となっています。映画『アンティル・ドーン』と『入国審査』についての感想も語られ、特に『アンティル・ドーン』ではタイムループの設定への批評があり、『入国審査』では移民の尊厳に関する問題が浮かび上がります。映画の解析を通じて、未知との遭遇や『ジュラシック・パーク』などの作品を比較し、リアルとバーチャルの価値について探求されています。

番組の紹介と近況
始まりました、映画の話したすぎるラジオ第224回になります。
この番組は、大阪で映画トークバーイベント、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、まずはじめにお知らせがありまして、昨年に大阪の梅田にある大阪駅のところにあるルクアイイレっていう商業施設で、映画紹介屋さんっていうイベントを開催させていただいたんですけれども、今年もやることになりました。
お!はい。
なんとなんと。
おそらくこの回が配信している頃には告知もしているかと思うんですけれども、内容としてはお客さんと一対一で、こういう感じの映画ないですかねみたいなご相談をいただいて、それに我々が答えるという、なんともおこがわしいイベントとなっております。
日時がですね、9月の6日、7日に開催となっておりまして、もしご参加いただいている方がいらっしゃったら、公式サイトの方からご予約していただけたらと思っております。
今回はちょっとメンバーが増えるというか。
はい、そうですね。前回もご一緒した陽子さんと。
だいちゃんさんも参加してくれることになりましたね。
はい、だいちゃんさんも今回映画紹介屋さんとしてご参加いただく形になってますんで。
シネローファンもぜひと。
そうですね。
はい、ではそんな感じで近況の話も入っていこうかと思います。
ニーキャップ映画の感想
ではマリオさんいかがされていました。
そうですね。今週はちょっと3本ほど話したい映画があるんですけど。
1本目がニーキャップっていう映画なんですけど。
これがアイルランドで活躍しているヒップホップポリオ、ヒップホップアーティストの自伝映画になってて。
で、本人が演じてるっていう映画になってるんですよね。
で、まあ誇張も入ってるという感じですかね。本人談というか。
で、アイルランド語を武器に自由とかを語ったりとか。
あと、圧勢に対しての脳を突きつけるカウンターを食らわせるみたいなアーティストさんたちで、結構人気の。
今はちょっとパレスチナへの連帯とかを示してるのもあって、結構いろんな人が叩かれたりしてるんですけど、それでも強気のパフォーマンスをやめないっていうかっこいい人たちですね。
僕はもうこの映画を見るまで全然知らなかったんですけど。
そもそも彼らにとってのアイルランド語とかっていうものに対するこだわりとかもやっぱり全然知らなかったりしますし、
そもそもアイルランドの歴史ってすごく複雑なものがあるじゃないですかっていうのを改めて知るきっかけにもなる。
そんな作品にはなってたかなというふうに思いました。
あとやっぱりすごく随所にトレインスポッティング味が感じられるっていうね。
やっぱりそうなんですね。
スタイリッシュな感じとかも含めてですし、何なんでしょうね、疾走感っていうんですかね。
それがね、やっぱりすごく随所にも感じられるような映画になってましたね。
全然知らんくて、拾える場所が一個もないっていう。
恥ずかしながら。
僕もこれで初めて知ったことばかりというか、全然知らなかったなって思ったりしたので本当に。
たまにね、映画とか見てて、IRAとか出てきたりしますけど、
ベルファストって映画とかありましたね。
あの辺の歴史背景って、都度都度触れてはいるんだけど、なんとなく薄ぼんやりしてるみたいな感じだったんですけど、
パーフレットとかもすごい買ったんですけど、すごく細かくいろいろ書かれていたりとか、
そうか、こういう背景を持つ国だったねっていうのもすごいよくわかるような映画にもなってましたね。
でもやっぱり過激なんで、ドラッグとか普通に出てくるので、そこはやっぱりちょっと愛入れないなっていう部分はあるんですけど、見ていて。
それはそれとして、けど彼らが高らかにパワフルな歌詞とパフォーマンスで大切なことを打ち出していってるっていうのはすごい感じられるっていうのは本当にその通りなんで。
あとやっぱり本人たちがちゃんとやってるというか、演技も上手いっていう感じなんですよね。
ポスターとか見てもらうと3人が写ってるんですけど、1人だけ銀行ゴートとかで使うマスクみたいなのを被ってるやつがいるんですけど、
そういう人がね、結構ちゃんと冴えないおじさんみたいな感じの役者の演技ができそうな感じの顔立ちで、すごく演技上手いんですよね。
こんなにパフォーマンスはすごいやんちゃなことしてるのに、元音楽教師でそこから2人と出会って結成していくっていう話なんですけど。
なので結構最初は普通のよくいる先生とかって感じなんですけど、だんだんそこが変わっていくというか。
僕最初見てる時に本当に本人がやってるって思ってなかったので、上手い役者さんだなって思ったら本人だったので、こういう人普通に役者さんとしても生きていけそうな気がするなみたいな。
いい感じの人だなって個人的にはすごい思いました。
トレーニングスポッティング味があるだけで基本ある程度楽しめそうだなっていうのはありますね。
これめっちゃ面白かったですね。
で、もう1本がこの夏の星を見るをようやく見てきました。
青春と特別さの探求
山口さんがめちゃくちゃ熱い感想というか言ってくださってたので、あんまり僕から付け加えることそんなないんですけど。
やっぱりコロナ禍のあの時代をちゃんと切り取った作品としてすごい意義深いなっていうふうに思いましたね。
すごいちゃんとその時の日常が本当に様変わりしていく中で、その時生きていたティーンたちはどういう青春を謳歌していたのかっていうか。
何か自分だけのかけがえのないものを見つけようとしてたのかっていうのをすごい丁寧に描いた作品だなと思いました。
あとやっぱスターキャッチコンテストって面白いなって思いました。
ちょっとこれ物足りないポイントであるんですけど、もっとその競技性もっと見たいなみたいなぐらい。
それわかるかもしれない。何かちょっとよくわかんない感じで描きますよね、そこは。
そう、なんとなくわかりはするんですけど、何かそこの競技性とか、何かもうちょっと見たいなみたいな。
ルール説明とかもちゃんとしてるんですけど、何かね、面白い競技だけに余計気になっちゃって、何かもっと深掘ってほしいなみたいな気持ちちょっとだったりとかしたんですけど。
何か撮り方も本当に何かスナイパーみたいにかっこよく撮りますよね。何かこうカチャカチャってこう何かこう望遠鏡を指定の方角に映して、ピントを合わせてみたいな。
何かね結構かっこよく撮られてるだけに、すごいね競技として面白そうなんで、何かそこら辺何かもっと見たかったなみたいな気持ちになるぐらい。
知らない競技だったんで面白かったですよね、そこはね。
逆に僕、あんまりその競技としての面白みが映画からは感じられなかったんですよ。
だから結構本当に山場でそのエモーションの頂点ぐらいにその競技シーンがあるから、割とそのエモーションでちょっと流しちゃう感じにも見えて、
これって何かその競技そのもののことがよくわかんないなっていう感じは僕は受けたんで。
なんかそのストーリーの語りと競技性がもうちょっと合致してくれても良かったかなっていうのは今聞いてて思いました。
そうですね、何かそこのカタルシスみたいなのがあっても良かったなと思いつつも、
まあでもスターキャッチコンテストっていうそのがある意味中盤ぐらいに出てくるものじゃないですか。
あえて外している部分はあると思うんですよね。
あ、そこじゃないと。
そう、ラスト別のあることをやるじゃないですか。
なんかあそこのスターキャッチコンテストの競技中に起こるその積み重ねの中で、
結構この人がこれをこの星取ったら、ポイント取ったらすごい盛り上がるポイントとか何かしかあるんですけど、
あえてそこ外してたりするんですよね。
でもなんかそれって多分彼らのままならなさというか上手くいかなさみたいなのをあえてそこで描いてるのかなと思うんですけど、
だからこそ最後すごくそこに大きくカタルシスが舞ってるみたいな。
っていうのとかはちょっとあるのかなとは思いつつも、
なんかでも競技が面白いだけにめっちゃ気になるみたいな。
っていうちょっとないもの値段みたいなのとかはちょっと感じたりとか。
なんかドラマももうちょっとなんか深く、もっと深いとこ欲しいかなとかもちょっと思ったりしたんですけど、
まあでもだからといってなんか、これは意義ある映画であるってことはすごい変わらないというか、
大切なかけがえのないものを描いてるなっていうのはすごく思ったので、
すごくトータル楽しかったっていう感じでした。
今回のテーマ作品にも通知いるものがありますね。
この映画見た後に星つなぎのエリオを見たんで、宇宙ばっかりだなって。
望遠鏡を見てる少年少女たちの話だなみたいな。
ちょっとで思いましたけども。
あとなんか僕この映画を見てこの青春って特別なのか特別じゃないのかっていうのをすごい考えたんですよ。
なんかすごく特別というか、な風にも見えるんだけど、
けどなんか彼らにとってすごい特別なことじゃないんじゃないかなっていう思っていて、
彼らにとって当たり前の青春がそれだっただけなんじゃないかなっていう風に思いながら見てたんですけど、
なんか僕らが、僕ぐらいの立場の人が特別なというか、特別なものだったねっていうのなんか違うなみたいな感じにも思えて、
たぶん映画的にもこの青春は特別?なんかコロナ禍という特別な時代の特別な青春でしたって言いたいわけじゃないんだけど、
けど描く上でどうしても特別なものに感じてしまうというジレンマみたいな。
なんかその辺のこうモヤモヤをちょっと感じながらちょっと劇場アートにしたっていうのもちょっとありました。
これ例えとして出すと極端すぎるんで危うい例えなんですけど、
この世界の片隅にとかにも通じるものあるんじゃないかなとは思って、
ちょっとコロナ禍と戦争を並立させるのだいぶ危険な切り口だ気がせんでもないんですけど、
だから特別じゃなさと特別さっていうものが同居してると思うんですよね。
それはもう万事においてだと思うんですけど、
その特別さって大きい目から俯瞰した時に特別さが際立つものってあると思うんですよね。
例えばそのコロナ禍ってそうだし、戦争っていう状態もそうだと思うんですけど、
でもそうじゃない特別じゃない人の営みってありましたよねっていう、
その相反するものを同時に描いてて、
どっちかだけじゃないっていうバランスが良さかなって気はするんですよね。
そうですね。その感じだなと思います。
特別なんだけど特別じゃないみたいな、その揺れ動きみたいなので結構こう、
しっかりキャッチできてるのかわかんないんですけどっていう感覚で、
ちょっと劇場アートにした感じはあったんですけど、そういうもんなのかなっていう。
そうですね、ある種コロナ禍に青春を送ってるわけではなかった。
ある種当事者性が少し離れてる自分からするときに、
それをどう評価するかっていうところの難しさだなと思うんですよね。
これを良いものだっていうのはすごく多者評価というか、
ちょっと距離を離していってしまうことになるから難しいなと思うんですよ。
そう、そうなんだよなーとか思いながら見てて、
僕がなんか彼らのことに何か言うの、なんかすごいおこがましいみたいな気持ちにちょっとだったりはしましたね。
そうですよねー。
そう、青春に当たり前なんてないんだからさーみたいな。ってやっぱちょっと思ったりとかしたので、
まあそんなことはともかく、でも時代を確実に切り取った作品ではあるんで、
映画『失う』の描写
なんかそこに、だから青春のリアルは違うかもしれないけれど、
時代のリアルは確実にそこにあるっていう。
それだけでもすごい大切な映画だなっていうふうには思いましたね。
で、あと最後なんですけど、「失う」っていう映画を見てるんですけど、
これは去年ぐらいにネットフリックスで配信されてる映画で、
エイザベス・オルセンとかキャリー・クーンとかが出てるかな。
3姉妹の話なんですけど、
3姉妹のお父さんがもう終末医療というか、もう癌で余命僅かで、
あとはできるだけ苦痛を和らげて楽に息を引き取るみたいな段階の、
そんな父親を見とる3姉妹の話で、
で、結構その3姉妹が仲いいっちゃ仲いいんだろうけど、
そんなに大人になっても会ってないし、結構喧嘩が絶えないっていう話になってて、
またちょっとややこしいのが、
3姉妹中2人は同じお母さんで、もう1人は腹違いみたいな。
とかなってたりとか、
あとそれぞれ大人になってそれぞれ人生進んでて、
お互いのそれぞれ人生を抱えているプレッシャーとか、
あと他の人に対するちょっとこう、なんというか、
ひけ目だったりとか、羨ましさなのか何なのかみたいな複雑な感情を抱えていて、
なかなかこうちょっと波長が合わないっていう状態の中、
父親を見とることになるっていう話になってて、
もう本当にずっとその部屋とちょっと外ぐらいみたいなぐらいで進行する、
すごいミニマルな感じの映画なんですけど、
なんかもうその金際のやりとりとかがほんとすごく緻密というか、
血の通ったドラマっていうのがすごい描かれてて、
もうまあ喧嘩もリアルというか、
あーあーあーどんどんこじれちゃうなーみたいな感じとかもすごいリアルな感じもしましたし、
他と思ったらすごい最後とか結構びっくりというか、
ちょっとオッてなるような飛躍を込みでラストというかクライマックスに続き進んで、
最後こういい感じに終わるんですよねみたいな、
すごくいい人間ドラマが描かれた映画で、
これめちゃくちゃ良かったです。
なんで去年見てなかったんだろうっていうぐらいめちゃくちゃいい作品でした。
ネットフリックスなんですね。
そうですね。
全然知らなかったな。
結構豪華な3人のというか。
そうなんですよね。
特にその3姉妹のうちのなんかすごいやさぐれた、
もうずっと毎日タイマー吸ってるみたいな感じのやさぐれた人がいるんですけど、
姉妹の中で。
その人演じてるのがナターシャ・リオンという役者さんなんですけど、
めちゃくちゃ良いんですよ。
声がしゃがれ具合が最高に良いというか、
存在だけで好きだなっていうか、
なっちゃうような人が出てきたりしますし、
それとあとその人と長女みたいな人が結構真面目な人なんで、
めちゃくちゃ折り絵が悪くて、
バチクソ喧嘩するみたいな感じになっちゃうのが、
まあまあすごくリアルだなって感じだし、
片方はもう一人でエルザベス・オルセン演じる方は優等生みたいな感じなんですけど、
逆に他の人からはずっとこいつ自慢話してる人だなみたいに覚われてたりとか、
そんなつもり本人はないんだけどみたいな。
そういったことに気づかされたりするみたいな感じになってて、
結局その中で描かれてることって、
私の人生みんなそれぞれ違うというか、
それぞれ相手の人生のことを一側面にしか捉えられることができないっていう、
ことを描いてる映画だなって個人的にはすごい思って、
そこがある種理解できないっていう、
どこまで行っても他人だからっていう。
けど家族という繋がりではあるっていう、
その複雑な関係性っていうのがすごく描かれてて、
で、たぶん本当にちょっとそこに危機感を覚えてるっぽいというか、
父親が亡くなることでその家族の絆もおはやバラバラになっちゃうんじゃないかみたいな。
匂いもちょっと醸し出されたりもして、
でもそれでもみたいなっていうのをすごく味わい深く描くっていう。
これめちゃくちゃいい映画ですね、本当に。
なんかあの、向尾田久尼子のアシュラのごとくとかとも通じるものあんのかなってちょっと思いました、聞いてて。
確かに確かに。
なるほど、そうかもしれません。
うん、なるほどな。ちょっと覚えておきます。
はい、今週はこんな感じです。
『ファントム・スレッド』の評価
はい、大石さんいかがされてました?
僕またちょっといろいろ仕事等々忙しくて、
劇場ではもう今週の課題作以外は見れてないんですけど、
配信でちょこちょこ見てはいて、
まずあのファントムスレッドを見まして、
もう多分お二人もご覧になってるのかなって気がしてるんですけど。
僕は見てますね、はい。
見てますね。
あの、ちょうどワンバトルアフターアナザー、
ポルトマ・サンダーソンの新作が結構今劇場でよくやってて、
で、あんまり彼の作品見たことないなと思って、
それこそリコリス・ピザだけ当時見たんですけど、
あれあんまり僕は刺さんなくて。
で、その前の作品だっていうのでちょっと、
で、いくつかその評判も良かったなーっていうのを思い出して、
見てなかったので見たんですけど、
いやー、超傑作でしたね、僕からすると。
その前回、ザ・バイクライダーズのことを
ファイトクラブの女性目線の話っていう風な形で語ったと思うんですけど、
ファントム・スレッドはマイ・フェラー・レディーのレディー側の話だなと思って。
その、いわゆるピグマリオン型の物語ではあるじゃないですか、
ファントム・スレッドも。
ただそこから、女性側からどう振り向かせるかっていう時の選択肢として、
男性側のその力っていうのを本当に物理的に奪うというか、
身体的に奪うっていう形で、
その対等に立とうとするっていう、
なんかその形って、
毒っていうものは使わないけど、
割と多くの空腹の間で行われてることなんじゃないかなっていう風に見てて思って。
もちろん男性と女性の力の差っていうのは、
多分パートナーによって様々かなとは思うんですけど、
それが男性であったり女性であったりというか、
どちらかに多分何かの力学があっていうか、
権力が偏ってるようなパートナーっていうのは基本的にはよくあると思うんですよ。
ってなった時に、何かしらの形でその力を削ぐってことをしないと、
対等に立てないっていうシーンって、
なんかあるよなっていうのを割と自分の実感も含めて思って。
まさにこの映画は、
そのことをある種の例え話として描いてるような作品なのかなっていう風に思えたんで、
そういう意味でもめちゃくちゃ楽しく見れました。
きのこのシーン最高なんですよね。
最高。
最高ですよね。
分かった上で食うっていう、あそこね。
いいですよね。
私はあなたに貸し付きますみたいなね、ほんとに。
ゆーっくり目を見ながら毒キノコを食べるシーン、あれほんと最高で。
でもそういう場面あるよなって思って。
なんかちょっとこれうろうぼえですけど、
なんかこの映画作るきっかけじゃないですけど、
モチーフになってる実体験みたいなのが確かポール・トーマス・アンダーソンの中にあったっぽかったんですけど、
自分がめっちゃ病気しちゃって寝込んでるときに、
妻が何から何まで世話というか介護、看護してくれたみたいな話のときに、
多分思ったんですよね。
今すべて彼女の手の上で転がされてるというか、
手綱を握られているみたいな感じ。
でもなんかそれ、夫婦に形の中にあることだよなんて。
っていう話なことを言っていたような気がするんですけど、
そっから着想を得てこんな話になるのはめっちゃ面白いやなって思って。
そうなんですよね。
これめちゃくちゃ楽しく見れたというか、
ちょうど自分がここ最近に入籍したり同棲始めたりしたばっかりってところもあって、
そういうところも重なりつつ。
いやー、超楽しく見れましたっていう。
ファントムセットで。
あともう一個ちょっと話したいことがあって、
戦時中の日本画の展示
今東京国立近代美術館の企画展で、
記録を開く記憶を紡ぐっていう展示をやってるんですよ。
で、いわゆるコレクション展なんですけど、
1500年、80年っていう今年節目で、
結構いろんなところでそういう形のイベントが催されてるようなと思うんですけど、
まさに戦時ちょっと前から戦中戦後すぐぐらいにかけての、
いわゆる戦時中に描かれた日本画を中心としたコレクション展なんですよ。
で、作品の中にはまさに戦以降陽みたいな、
それこそ戦後すぐにアメリカに募集されて、
今、無期限変容って形で日本のこの美術館に置かれてるようなものなんですけど、
そういった絵とかポスターとかっていうものも飾ってありますし、
あるいは戦争をちょっと批判的に描くような絵みたいなもの、
当時の画館の中の一部で、もちろん直接的ではないんだけども、
間接的にそういうことを匂わせるような絵画を作ってた人、
あるいはむしろもっと戦争かっこいいよね、楽しいよねっていう風に描いてた人、
っていうそういう様々な角度から、
今だから振り返ってみる当時って何だったんだろうっていうか、
芸術って何だったんだろう当時にとってっていうところを振り返ってみるみたいな展示なんですけど、
なんかね、すごい考えさせられて、
もちろんこういう展示だからそれを考えざるを得ないんですが、
戦争というものの残酷さと同時にエンタメ性っていうのが、
戦時中からおそらくあって、
結局それって今でも映画であるものだったりするじゃないですか。
戦争映画はある種の一つ一つのジャンルで、
基本的には反戦という方にメッセージは行くんだけど、
とはいえ戦争描写ってやっぱりワクワクするよねっていう、
そういうなんていうか、ちょっと矛盾してるような状態というか、
で、それをある種片方だけワクワクしてるよねっていうエンタメ性だけで切り取れば、
それは戦意向上につながっていくし、
そこにどういうバランスで落としどころをつけるかっていうところって、
時代によって多分様々だけど、今見てるものってどこまで大丈夫なんだろう。
少なくともこれの絵とかポスターが描かれていた当時って、
描いてる人も描かれているのを見た人たちも、
ある程度は受け入れていた部分もあるとは思うんですよね。
当時ってテレビがまだ日本国内に普及してなかったはずなので、
そのビジュアルを伝えるっていうものになると、
基本的にはやっぱり絵や写真だったはずなんですよ。
しかも結構圧倒的に絵が多く用いられてたらしいんですよね。
ニュースの映像とかのと同時に。
っていう中で、その絵というある種事実をちょっと歪んで切り取れるものを通じて、
何を当時の人たちは真実として見ていたのかっていうところとか、
あるいはそれって僕らが今真実と思って見ているものって、
どのぐらい真実なのかっていうものも含めて、
いろいろと考えさせられるような展示で、
これ多分戦争テーマにしてるっていうところで、
あんまり大々的に宣伝とかされてないんですけど、
ぜひもし興味がある方いらっしゃったら見に行っていただきたいなと思います。
なるほどね。
すごいですね。今ちょっとホームページ見てるんですけど、
そのものズバリ戦争を描いてるような絵じゃないものも、
やっぱその時に描かれてそうっていうか、
そういったの含めてその時何を思ってたのかみたい。
とか、いろいろ考えたりとか、そういうのが読み取れるんじゃないかみたいなって、
なんか面白いなと思いました。
それこそ例えば当時ってアジアの民族を全員日本がまとめようみたいな、
大東亜共和圏みたいなところっていうのがある種理想として掲げられてはいたりして、
それってある地点、今の視点で切り取ってみたら多様性を認めようみたいなことを言ってたりもするんですよ、絵の中では。
でもその反面じゃあ実際やってることって侵略じゃないっていうところを今の僕らは知ってたりするわけで、
っていうのもなんかこう、そのダブルスタンダード感を知った上で見ていくっていう、
なんか面白さとうすらこわさというか、
その聞こえの良さと危うさみたいなところというか、
そういうところがすごいこの展示というか絵と絵画の中にあふれていて、
なんかこれって多分映画とか様々な芸術が持ち寄るものなんだろうなっていうのをやっぱ思っちゃったりしましたね。
面白いですね。一人の作家のコンセプトを乗っ取ってるのじゃない展示だからこそ見えるものっていうのはありそうですよね。
そうなんですよね。
しかもある種、最後の最後の方で結構印象的だったのが、
特に戦争を公表する絵を描かれていた人のNHKの1991年のインタビューとかの映像が流れていて、
ちょっとお名前説明しちゃったんですけど、その方がおっしゃったのはやっぱり当時じゃあ、
今はもちろん罪悪感はあるというふうに語ってたんですけど、
当時からそれがあったかといったらそれは嘘だし、
って言ってる人がいたら俺を疑いたくなっちゃうなっていう話をされてて。
当時はこれをいいものとしてそれは描いてたよっていう。
だってそういう、それを思わざるを得ないというか、思いながらそれを信じて描いていたけど、
それによって結局起こってしまったことっていうのも目の当たりにした上で、
でも自分が罪悪感抱えてもそれ以上に抱えるものでもないから、
もちろんその人は結局その後中央の画壇を降りて北海道に移住して、
もう結構長らく作品とかを中央に出さない生活になるんですけど、
でもそのインタビュー見ながら何を考えてここまで生きてこられたんだろうなとかっていうのをちょっと想像したりもして。
だからその時代を生きてる間、その時代の悪さとかダメなことってきっと分かる部分はあれば分からない部分もあって、
後からきっとそれを築くことっていうのがまだまだこれからあるんだろうなっていうのはすごい見てて思いました。
なるほど。これは重いですね。
いやー、これ天津美人とちょっと迂闊にしちゃったなと思って。
いやもう、なのでもしお二人が関東に来られることがあれば是非ですし、
関東に近くにいらっしゃるリスナーさんいらっしゃったら是非見に行っていただきたいなと思います。
はい、今週こんな感じです。
僕はですね、ちょこちょこといろいろ見たり読んだりしてるんですけど、
映画『アンティル・ドーン』の感想
まずアンティルドーンを見てきました。
ホラータイムループものですね。
山小屋みたいなところ、山小屋じゃないんですけど、
山の中の観光案内所みたいな建物の中に入ったらそこからタイムループして出れなくなっちゃうっていう。
だから死ぬ度リセットされて、もう一回スタート地点から始まって、もう一回殺されるみたいなことを繰り返すっていう話なんですけど。
原作がゲームみたいなんですけど、
ゲーム原作映画といえば去年我々もファイブナイツアットフレディーズとか話しましたけど、
本作、初め結構楽しんで怖いなと思いながら見てたんですけど、
ちょっと後半だれてきたというか、タイムループのルール設定が結構ご都合主義というか、
ルールが明確じゃないんですよね。
で、タイムループって結構ルールがこうなってるっていうのがないと、
なんていうか、そこの面白さちょっと半減しちゃうんじゃないかなって気がしてて、
で、そのルールのご都合主義は、いろんなホラー要素を詰め込むたびに使われるんですよね。
そういうジェイソンみたいなスラッシャーホラーにしたりであるとか、
あるいはサイレントヒルみたいなおぞましい場所を探索していくものみたいになったりであるとか、
あるいは修行の原綿みたいな、それこそ山小屋ものですよね、みたいな要素を出したりとか、
あるいは何でしょうね、本当にいろんなものを詰め込んでて、
それをやるためのタイムループになっちゃってて、
それがタイムループもの自体の面白さとはまだ別の扱いになっちゃってるというか、
そこのルール設定の統一されていなさが、
なんでそうなってるのかがよくわからないっていう飲み込み面に繋がってるんですよね。
で、ホラーでもなんでそうなるかよくわからないってあると思うんですけど、
それって語らないことの引き算の怖さだと思うんですよ。
でも本作って、これを入れたい、これを入れたい、これを入れたいっていうたち算をして、
その辻褄の合わなさを成立させるためのよくわからなさなんで、
なんかずるいなって思って、
いろんなものを詰め込んだら美味しくなりますっていうのよりも、
一本筋が通ってるっていうものを僕は好きかなっていうのがあるんですよね。
ちょっとそこがやっぱりゲーム原作ホラーの、
ちょっと映画にする時のマイナスに働いてしまう部分が出た一作だったんじゃないかなと思いました。
ただ映画館は結構込み合ってて、やっぱりホラー自体は人気コンテンツだなと思うんですけど、
それを踏まえて感じたことが、
ホラー映画っていうその映画っていう括りで見ること自体がもはやちょっと時代遅れなんかなって気がして、
ホラーコンテンツを楽しむんだって見るものなのかなっていう。
ホラー映画として見た時に辻褄合ってないとか辻褄通ってないみたいな感じちゃうけど、
いや怖かったらいいんですよ。たし算しても怖ければ面白けばいいんですよっていう風な捉え方をしないと、
なんかその映画としてのみたいなことを言ってること自体がナンセンスなのかなって気もしてしまって。
そもそもお呼びじゃない客っていうことはあるんでしょうけど。
まあ正直好みではなかったです。
映画『入国審査』の魅力
と、入国審査を見てきました。
面白かったですね。
舞台が第一次トランプ政権ぐらいのタイミングのスペインからアメリカに移住してくる男女カップルが空港で呼び止められて、
その入国審査を受けるって話なんですけど、まあ見ててね本当に嫌な話なんですよ。
本当に圧迫面接と言いますか、そこのとこどうなのみたいなのを本当に尊厳を傷つけまくる、やっぱりこういうの良くないよなみたいに思いながら見てたら、
え、そうなん?みたいな。その事実後から出てくるの?みたいなのがね、これがね、すごい嫌な事実が後から出てくるんですけど、
それを踏まえた上で、我々観客が見終わった時にどういう気持ちであるかっていうところが非常に面白い映画です。
そういう映画なんだ。
そういう法的な、だから外国から移住してくるみたいなことに対する法的な正しくなさとは別に、
個人間の倫理観の不誠実さみたいなものって、それは別問題としてありますよねみたいなことをちょっとごちゃ混ぜにしながら見ちゃうんですよ。
社会の正しさの話と個人間の誠実さの話って別でしょ?でもなんか今ごちゃごちゃになったらみたいな。
見てて何に寄り添ったらいいかが、すごい夜出ない映画なんですよね。
僕も見てたんですけど、これ見たんですけど、めちゃくちゃ面白くて。
もしこれを、主人公夫婦二人のあるとあるプライベートな内容みたいなっていう個人間の話が、
事前にこれ共有されたらもうちょっとこれスムーズだったのかなとか、ちょっとやっぱ考えちゃいますよね、これね。
そうなんですよね。なんかこの、でもこの映画にそれを適応するのはいいことかどうかわかんないんですけど、男クソダサい映画としても非常に面白いんですよね。
なるほど。
そうね、いやー。
そういうレベルの話ではないんですけど、そういう側面もあるっていう意味で。
ただ彼のやったこと、やろうとしたことが、なんかその、そういう見方していいのかどうかっていうぐらいに切実でもあるし、みたいな。
そうなんです。
これどう飲み込んだらいいのかなみたいな、これ男女逆だったらどう見えるんだろうとか、本当にいろんなことを考えて見ちゃうすっげー面白い映画ですし、あとラストの切れ味ですね。
おーなるほど。あれね、あれね。
もうバツッと、素晴らしい切れ味で終わって、切れ味はいいけどこの後さーみたいな。
いやもう、なんかね、いやもう、それあんたら仕事かもしれませんがーみたいな感じですよね、なんか。
いや、いやーなー、ほんと嫌だったなー。なんでそんなこと聞くみたいなこと聞いてくるじゃないですか、わざわざ。
なんか、よっぽど、あ、入ってほしくないんだなーみたいな感じの質問とかしてくるじゃないですか、揺さぶりというかね。
もうなんか、いやらしいなって思いましたし。
本当に嫌でした。あれは。きつかったですね。
そういう、いろんな癒さを含めてすっげー面白い映画だと思います。
いやー、少し時間あったら見に行こうと思ったけどなかなか、ちょっとこれはいずれ見ます。
短いんでね、ほんと。
そうっすよね。
いい、いいです。
でもめっちゃ長かったなー、ほんとに。70分とは思えないぐらい長かったですけどね、もう体感は。
あーちょっと楽しみだなー。
スピルバーグの『未知との遭遇』
はい。あと、えっと、もう一本だけ映画触れたいなと思うのが、今回のテーマに合わせて、未知との遭遇を見まして。
はいはいはいはいはい。
あー。
まあ関係あるなーと思って、見とこと思って見ました。はい。
で、まあスピルバーグの代表作の一つですけど、まあ謎の飛行物体が来て、地球のみんな大騒ぎっていう話なんですけど。
これはね、ほんと、スピルバーグの真骨頂と言ってもいいんじゃないかなと思うんですけど、
その飛行物体が何をやろうとしてるかはわかんないんですけど、それを目撃する人たちを中心に話が進んでいくんですよね。
うんうんうん。
だからその起承転結のケツがないというか、因果のががないまま、その過程だけがどんどん描かれていって、
でもそれなのに迫力満点と言いますか、ジェラシックパークの時にも話したんですけど、
何かがすごいことが起きてるのを目撃する人をちゃんと撮るから面白くなるんだみたいな話したと思うんですけど、本作そこばっかなんですよ。
なるほどなるほど。
UFOがやってきた、なんかすごい超常的なことが起きてる、なんかよくわからない。
それを見る人たち、謎に振り回される人たち、そしてそれを追いかける人たちの見る視点にとにかく追っかけていって、
その果てに何があるかっていうのはよくわかんないっていうの、だけどなんか清潔してる映画なんですよ。
まさに未知を見る話だなとは思って、これで成立させられるのがやっぱスピルバーグのすごさだなと思いました。
まさにそれって映画じゃないですか、未知を見る我々と登場人物が重なってる、そこに面白みがあるって映画にはなってて、すごいねって思いつつ、
映画の分析と考察
とんでもない映画で、その飛行物体を見た男の人生がゴリゴリに狂っていく話なんですよ。
もうちょっとね、陰謀論めいた感じにもなってるし、深読みしようとしたりいろんな見方ができる話もなってて、
本当にあの銃銭を見てそれに取り憑かれた話にも見えるし、宗教的な神秘体験によって信仰に目覚めてしまった男の話みたいにも見えるし、
あるいは太子がいるのに別の相手を見つけて不倫にハマっちゃう男の話みたいにも見えるし、結構多面的に見えるなと思いました。
周りが、いやもうあんたやめてよみたいになっても、なんか追い求めていくんですよね、その見てしまったものが何かっていうのを。
それが、ゾディアックとかアンダー・ザ・シルバー・レイクもちょっと思い出しちゃいました。あんたそれハマったらあかんてみたいな。
で、それがラストで肯定して終わるっていうのがすごいんですよね、本作。
ヤバいですよ、この映画見て目覚めちゃう人いてもおかしくないぐらいに、ちょっとスイッチ入っちゃってる映画やなと思いました。
ちょっとね、危険な映画だと思いましたね。
一回町山智寛さんがジェラシック・パークと未知との遭遇を並べて比較して語ってるのを聞いたことがあって。
未知との遭遇はさっき弥生さんもちょっとおり、向こう側に行くじゃないですか。
それに対するジェラシック・パークの回答が、ラフトルの爪を捨てるっていうシーンだと思うんですよ。向こう側に行かないっていう。
そこが確か町山さんがやってたのが、スピルバーグがちょうど父親になって、家族捨てちゃダメなんだってことを学んだ。
年だったっていうふうに、ジェラシック・パークをちょっと撮った、あるいは企画を考えていた頃が。
で、やっぱりその未知との遭遇の頃はまた独身というか、妻はいたのかな。
結婚はしたけど、でもやっぱり映画とかそっちの方に家事を切りたかった頃だった。
やっぱり仕事に自分の方で引っ張りたかった頃だったっていうふうにおっしゃってたんで、
なんかその若さの違いみたいなものもあるのかなっていうのはちょっとお話聞いてて思ったりはしたんですよね。
なるほど。
いやでもそう切り替えてもらって良かったなって思いますよ。
だってレディープレイヤー1で、俺はバーチャル世界でずっと生きていくんだってなってたらちょっと怖いじゃないですか。
あれちゃんとリアルが大切だろみたいに言ってくる映画じゃないですか、最終的には。
いや良かったなって思いますよね、それはね。
いやーレディープレイヤー1のラストも結構賛否ありますけど、
未知との遭遇のラスト見て、これ全肯定したらアカンなって思うんですよね。
それは未知との遭遇の主人公の息子が、その主人公親を見る目すごいんですよ。
本当に。ゴミを見るように見てるんですよね。
その大人になれてない大人を子供から見るっていう視点は本作の中にはあるなとは思って。
結構突き放してはいるんですよね。
でも同時に突き放されたからいいでしょって言って飛び込んでるようにも見えるから。
やっぱりジェラシックパークでラットルの爪を捨てるのは大事だったかなって思いましたね、そこは。
いろんな意味でやべえもんみたいなって思ってます、未知との遭遇。
そんな感じでした。
では今日のテーマトーク入っていきたいと思います。
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