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2024-03-27 1:14:04

第159回(2)『私ときどきレッサーパンダ』男3人、母娘を語れるか?

『私ときどきレッサーパンダ』の話をしました。

男3人で母と娘にまつわる関係性の話、家族と個人の話、父親のロールモデルなどについて話しています。

※まえださんは当面収録不参加となります。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema     https://bsky.app/profile/bunkai00.bsky.social ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■月2バー「ちょっと映画の話でも」オープンのお知らせ

山口が店長の映画の話をするバーをオープンします。

毎月第2/第4火曜日

初回オープン:2024年4月9日(火)

場所:Osaka Metro「長堀橋」駅 徒歩2分「CAFE&BAR DC心斎橋」

詳細:https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2024年3月30日(土)

場所:『週間マガリ』大阪府大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar

■映画の話したすぎるBAR東京のお知らせ

日時:2024年5月25日(土)

場所:『イベントバーエデン日暮里』東京都文京区千駄木3-44-9パレ・ドール千駄木B102 https://eventbareden.com/bar-list/nippori

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今日のテーマトークは、『私ときどきレッサーパンダ』です。
はい、ではここから内容を触れる話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、ではあさわりの感想、大井さん、いかがですか?
えっと、今作、もともと配信された直後にディズニープラスで見ていたんですけど、今回改めて劇場で見まして、やっぱり大傑作ですね。
うん、間違いないなと思いました。
なんていうか、これ全く別の回に自分の彼女も見に行ってたんですけど、彼女が自分の物語というか、として見れたっていう風に言ってて、
多分、ある一定の女性にとっては、そういう物語として見れるところがすごくある話。
多分、当事者性のすごい高い話になり得るんだろうなっていうのは、やっぱり見てて思いましたね。
だからこそ、なかなかこの男性3人で語るっていうのが果たしていいのかっていうのは、ちょっとわかんないんですけど。
まあ、しょうがないですね。そこはチャレンジする形で。
でもやっぱり、母と子の話、母と娘の話っていうところもそうだし、
そこと、若いというか、理解した上でどう違う道を歩んでいくかっていうところの示し方がまあ見事だし、
どこが敵なんだけど、でも完全なビランにしきらないっていうところも含めて、すごいバランス感覚で作られた作品だなっていうのは、
やっぱり見直して改めて思いました。そんな感じですかね。
僕もですね、2年前にディズニープラスで見て、その年のベスト9かに入れてたと思うんですけど、
今回劇場で見て、今年ベストですねっていう感じで、2回入れるのかって感じになっちゃいそうなぐらいに良くって、本当にまず面白いっていうのがあって、
面白いのと、これ見たかったんだなって、これを見たかったなって気づかされたなっていうのがあって、
やっぱり、いわゆるボンクラ男子を女の子がやるっていう話だと思うんですけど、そこの遠慮のなさというか、
別にフィクションの中での美少女的に描かれているわけでもないと思うんですよね。
普通に悪書き4人間の中で女の子がそれをやってるっていうのがいいですし、
一方で、男性の自分の身からは分かりにくい、その思春期の女の子の話としても、すごくいいバランスで描いてるなっていうふうに、少なくとも僕は思ったっていうところですね。
あと、そういう束縛の強い親に対する向き合い方っていうのも、少なくともピクサー、引いてはディズニーのアニメーションとしては、
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これはこれで一つの答えかなっていうバランスだなとも思ってて、そこが誰って人も多分いるであろうというのは想像はできるんですけども、
僕はこれで良かったなっていう、本当にいろんな部分がこれで良かったなって思えるバランスでできてる作品で、もうめちゃくちゃ好きです。
という感じです。マリオンさんいかがですか?
そうですね。せっかく今映画館でやっているので見に行きたかったんですけど、ちょっと時間が取れなかったので、もう一回配信で。
今後、吹き替え版で見たことなかったので、吹き替え版で見てみたいな感じです。初見は字幕版で見てみたいな。そういう感じなのと、
あと、メイキングの映像作品がありますよね。50分くらい。あれとかも見たりはしました。
当然、もうめちゃくちゃ面白い。大好きなんですけど、もう一回見るのにちょっと抵抗があって、
すげえ恥ずかしいと思うシーンが本当に恥ずかしいじゃないですか。この映画って。本気であんまり見たくないんですよね。そのシーン本当に。
お母さんがお店に殴り込みに行って、「あんた、私の後ろに何してんのよ!」って言いに行って、主人公が描いた絵を見せるシーンとかも本当にやめてくれっていう気持ちになるんですけど、
あのシーンもう一回見るのかっていうので、ちょっと心が痛いってなってたんですけど。もう序盤ですよね。序盤、このハードルを乗り越えなければこの映画全部見終わらないなって思って。
それを乗り越えてしまえば楽しいというか、面白い。もういろんなことが上手く上手にまとまってて、大切なことが描かれていて、それがやっぱり個人の話としてすごく強い、力強い物語なんだなっていうのを改めて今回感じたっていう感じですね。
あくまで私はこうしたっていう話というか。正直、母親のことを僕も本当に嫌な奴だなってずっと思っているので、それを許すか許さないかは別として、でも彼女はそこにそういう答えを出したんだっていう。
で、そこに至るまでの過程で彼女がいろいろ怒ったり泣いたり、めちゃくちゃ落ち込んだり怒ったりみたいなっていう感情の流れとかがすごく個人に紐づいているので、
やっぱりいろいろ自分の、全然僕は男性だし女性だとか全然違いますけど、けどやっぱりすごく共鳴するところとか共感するところもすごく感じられて、そういったものがいろんな人を勇気づけるんだなっていうのを改めてちょっと感じました。
本当に映像面でも本当にもう最高なので、本当にやっぱ大傑作やなって改めて思いました。
はい。3人とも見てたんですね、じゃあ。
そうですね。
改めてという感じですね。
改めてではなかったですね。
はい、ではお便り頂いているので紹介します。
はい、大石さんじゃあお願いします。
はい、フリッパーさんから頂きました。
店長の皆さんこんにちは。私とげてキレッサーパンダディズニープラスで見ました。
話としてはランマ2分の1、自己開示、ラスボスは怪獣戦隊ものなどなどをうまく物語に落とし込みとても面白かったです。
06:04
CU3人とのやりとりは微笑ましくなりました。
ただ、特応や描写が自分的にちょっとしんどかったのと、変身をお金を稼ぐために使ったりするんやってところらへんが自分的に少し冷める感じになって完全には乗り切れませんでした。
ディズニーやピクサーの作品は久しぶりでしたが、絵作りのレベルが本当に高くてびっくりしました。
今ってこんなに進歩してるんですね。
なのでそれが知れただけでも見れる価値がありました。
せっかくサブスクに入ったので、とりあえず1ヶ月でマイエレメントや、いよいよ重い腰を上げてスターウォーズに手をつけてみようかと思います。
ファーに顔出したらまた話させてください。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
特応や描写ダメな人多いですよね、本作。
僕もダメというか結構きついって思いながら見てました。
僕逆にそこまで親に束縛されたって感覚がないから結構見やすいなっていうのはあるんですよね、僕は見てて。
ただ、親に趣味を否定されるっていうことに対する記憶はあって。
僕、世代的にファミコンとかスーパーファミコンとかを遊んでた世代なんですけど、やっぱり親からテレビゲームってめちゃくちゃ否定されてて、それは嫌だったっていうのはありますし。
すごい覚えてるところだと、小学校6年ぐらいの時にアニメのドラえもん見てたら、小6になってまだドラえもん見てんのかって言われたのがすごいショックでずっと覚えてて。
ドラえもんが全部で一番面白いと思ってたんで、小学校の間ずっと。
いや、そんなドラえもんずっと面白いやんって思ってたんですけど、同時にそういう成長の過程の中で、
捨てていく何かっていうのがあるっていうのをうっすら気づいてはいたから、そこを言われてるんだっていうのが理解できるからこその居心地の悪さっていうのを感じてたなっていう覚えはありますかね。
僕、明確に思春期の反抗期的なことを経験してなくて、その分自由にやらせてもらってたってことなのかもしれないんですけど、
親とあそこまでぶつかったことってそこまでないんですよね。
ゆえに社会に出てからいろんなところに反抗心をむき出しにしていくことになるんですけど。
そうなんですよ。だから、毒親として共感はできないんですけど、自分としては。
親に毒性をあんまり、ともすれば毒性では言えると思うんですけど、いわゆるわたかりやすい毒性を見出したことがなくて。
ただ、その分、その後、いろんな大人とのぶつかりの中で感じたこととかを重ねて見てるみたいなところはありました。
僕はやっぱり、たびたびラジオとかでも話してると思うんですけど、影を継ぐのか継がないのか話があったので、
09:06
僕も明確に反抗期っていう感じではなかったですけど、主人公と同じ中学とか高校とか、
そういうのはあんなふうには直接ワーって反抗してたっていうことはなかったんですけど、
やっぱりすごく縛られてる感覚だけずっとあったんですよね。
なので、やっぱり今、両親とか別にそういうつもりは全然なかったっていう話ではあったんですけど、
結局、コミュニケーション不足だったねって感じが最終的になるんですけど、
やっぱりそういったものが僕を今縛りつけて、おもしのようにのしかかってきているみたいな感覚にはすごくあったので、
そういう毒王や病者みたいなのとかを見ると、ちょっとやっぱ胸がキュッとなってしまったりとかは、すごくしてしまうところはありますね。
っていうのと、あとやっぱ、一オタクとしてそれはあかんやろっていう気持ちですね。
あと、本当に沢井の感想で言ったときの話とかですけど、
生物ジャンルは本人に出しちゃダメってアンモクリの了解があんだよ、こっちは!みたいな話をあいつやぼってくるじゃないですか。
てめえふざけんなよってなるわけですよ、本当に。
一オタクとして許されんってちょっと思ってしまうというか、そういったちょっと気持ちが混ざってます。
本作のすごく注目すべきポイントかなと思っているところが、
女の子主人公で恋愛が描かれてないとこだと思ってて、で、描かれてるのは性欲なんですよね。
だから、ショップで勤めてる男の子を妄想して絵描いてるのって、例えばこう腕の筋肉とかをすごくイメージして落書きしてるじゃないですか。
やっぱりその肉体に対する関心っていうものであって、あるいはそのアイドルに対する憧れの感情とかは描かれるけど、
じゃあその男の子との関係が恋愛になったりしないっていうのが本作の面白いとこだと思ってて、
女の子だから物語の推進力に恋愛が使われるとかってことがないっていうところ。
そうじゃない感情として近くにいる男の子に対する性的な関心であるとか、そのアイドルに対する憧れの感情とかっていうところ。
かつそのアイドルと近場にいる男の子が別物扱いされてるじゃないですか。
そこも僕いいなと思ってて、遠くにありって思うものとは別に近場で接触したいものっていうのが別で存在してるって、
当たり前のことなんだけど、割とそういうのが全部恋愛っていう名のもとに一本化されていくのって割とあると思うんですよね。
で、それってやっぱり女の子主人公にした時ってそうなりがち。まあこれはイメージですけど。
逆にその例えば男の子のオタクの話した時にクラスメイトの女の子に興味ありますっていうのとは別に、
12:08
そういうアニメとか芸能界の女性とかってに対する遠くのものに対する憧れとしての興味っていうものも同時に描かれてたりとかっていうのは普通にあったと思うんですよね。
で、そこで本作ってちょっと別物としてそれぞれ女の子が楽しんでいるって描いているのは興味深いなとは思いました。
まああったと思うんですけど、あったと思うんだけどそれをピクサー、ディズニーの作品としてそうなってるっていうのはちょっと興味深いことかなっていうふうには思ったんですよね。
なんかきっとこれ監督とか昔こんな感じあった風景とかなのかなって感じがすごくしますよね。勝手にですけど。
それこそ舞台2002年じゃないですか。だからアイドルの感じ。K-POPっぽくも、今っぽく見えなくもないんだけど音楽性、あれビリアイリスとかどうも書いてるっぽいですけど。
あ、そうなんだ。
そうそうそうそう。
そうですよね。兄弟ですよね。作曲やってますけど。
でもあれ完全に2002年の洋楽アイドル。具体的に言うとバックストリートボーイズだと思うんですけど。
バックストリートボーイズとあとインシンクね。
そうそうそうそう。
ジャスティン・ティンバー・レイクがいたインシンクがもう完全に念頭にあるやつね。
そう。だからあの感じとか。自分たちはもうちょっと後の世代、多分2008年とか2000年後半になってくるともう大体ワンダイレクションとかになってくると思うんですけど。
でもなんかそこの階段と高いなっていうか。
本当そうです。めっちゃそこにドハマりしてたわけじゃないけど絶対これじゃんってわかりますよね。
音楽の感じとか。ああわかるわーみたいな感じすごい良いなって思いました。
あとエンドロールとかで出てきますけど、なんて言ったらいいのかな。デコレーションの雰囲気が2000年代だなっていう感じになっちゃないですか。
あーわかります。
ファンシーグッズとかで売ってるステーショナリーってああいう感じの多かったなっていう感じがありますよね。
わかる。わかります。
いや確かにああいうポップなシールをいろんなとこに貼って私の勧誘って出すのってやってたと思うんですよ。
別に2000年代限らずやるじゃないですかみたいな。やってたぞって感じですよ小学校の頃。
彼女の文化わかりませんけど、きっと彼女たちはプロフィール帳とか作ってたはずやしって感じがすごくしますもん勝手に。
あーやってそうー。
絶対やるやろって感じ勝手にしてました。やってないと思うけど。
そうですね。お金稼ぐのに使うところが冷めたっていう風におっしゃられているのはわかるんですよ感覚的に。
やっぱなんかそういうことするのってちょっと嫌だなっていう感覚すごいわかるなと思うんですけど、ただ僕あれ結構大事な部分だなと思って、要は親が嫌がることをしないといけないんですよねあそこって。
15:12
だから生徒同士で金儲けするって正直親からしたら相当嫌じゃないですか。
その部分があって、だから本作ってレッサーパンダになるっていうことっていろんなものの例えだとは思うんですけど、その中の一つが不良になるっていうのが含んでいるわけですよね。
だからレッサーパンダになってない状態でも髪の毛が赤くなるじゃないですか、髪を染めた状態になるっていうとこ自体が、親にとって望ましくない人格を得ていくっていう。
それがイコール不良になるっていう側面で、もう良くないバイトをしてるみたいな、友達同士で遊びに行くために良くないバイトをしてるみたいな、そういうある種親にとって嫌なことをしてるからこその物語ではあるとは思うんですよね。
ファッションもちょっとね、パンクなテイストが入ってくるじゃないですか。髪の毛の色にちょっと合ったファッションのテイストがだんだん帯びていくから、やっぱりそういう親にとって都合の良くない存在になっていくっていうのはすごい大事な部分、それは別に親じゃなくても大人が見てあんまり良いと思えないものになる、良いと思えないことをするっていうのはすごい大事だなと思うんですよ。
教室で写真撮影会とかしてお金儲けてるときのいかわしさ半端ないですからね。校内でドラッグ売ってるのとやってることとそんな変わらないから、やり方が。
確かにそうですよね。やり口完全にもうなんか悪い取引やってるなって感じなことですもんね、これ。僕らはすごい、映画見てるときはすごいアハハって笑ってますけど、これ実際やったらドラッグの売人みたいなのやってるので変わらんわっていう。
もちろんそうですね、そう捉えることもできる。一方でただ、あれでレッサーパンダの例えとしていくつかあるうちの一つとして、自分の自由意志をどこまでこう、自分の裁量権でどう決められるかっていうのも多分レッサーパンダの中に1個あると思うんですよね。
それこそ母親たちの世代、母親までの世代だったら女性っていうのはそういうのを捨てなきゃいけないっていう観念があったかもしれないけど、でも私はその自分が面白いと思ったものでお金を稼いでいくとか生活していくっていうものの一番最初として見ると、あれがあったから最後彼女は和解できるんじゃないかなと思って。
で、彼女にとって一番最初は嫌だったり不潔だったり不安の種になるものなんだけど、それが個性として受容できていく過程にはやっぱりあのお金稼ぎのシーンって結構大事だったんじゃないかなっていうのをちょっと思ったりはします。
そうですね。経済的な自立でもありますからね。金稼いでるんだから文句言うんじゃねえっていうことを言えるっていうことでもあるかなっていう。そうですね。はい、じゃあ次行きましょうか。
18:14
はい、次、えむはらさんからです。
大好きな作品ですが、一点だけ言わせていただきたいのは、メイに嫌がらせをする男子生徒のタイラー。メイが許しても俺はまだ許してないからな。お前ちゃんと謝るまで許されたと思うなよ。以上です。乱文失礼いたしました。皆様の感想を楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。タイラーね、そんなに嫌いじゃないんですよね、僕、割と。なんかでもいわゆるなんというか、ジャイアンとかスネ夫的なポジションみたいなやつなんかなって思ったら、なんだお前も推し一緒じゃんで仲良くなるっていいなって思いましたけど。
いや、あれ恋愛じゃないのがいいですよね。恋愛で解決しないのがいいですよね。同じ趣味を持ってたっていうのが和解のきっかけっていうのもいいなとは思って。ああいうやつ必要だなっていう感覚が強くて、あんまり嫌いになれないんですよね、こういう話にとって。
いや、いいなって。推しが一緒じゃんでいいじゃんみたいな話って。でもなんか真理をついているなという気もすごくしましたし。この映画、推しがいることってハッピーだよねっていうのをちゃんと高らかに歌い上げていて、いいなってすげえ思ったんですよね。
とかく、アイドル文化とかって外から見ると、うーんって言われがちな時、たまにあると思うんですけど、いやいや、推しがいるから人生が輝いてるんだぜっていうのをちゃんと言ってくれてるような映画でもあって、そういったところもすごいいいところですよね。
なんか、メイをはじめとして、あの友達4人種が、もう堂々としてるんですよ、とにかく。それがまあすごく良くて、なんかいわゆるオタク的な描写だとしたら、まあクラスの中でおじおじとしててとか、どちらかというとこうちょっとマイノリティなグループでとかっていう風な描写として表彰されがちだと思うんですけど、
たぶんこれは監督の実体験、まあ僕もメイキング見たんで、前の方おっしゃってた通りだと思うんですけど、好きなものは堂々と好きと言っていいやんかっていう青春時代を送ってきた彼女だからこそ、すごいそれを反映してるというか。なんかそれが本当、本作見ててすがすがしいじゃないですか。
一番勇気そこをもらったかもしれないなってちょっと個人的に思います。
21:00
本作見てて思ったのが、推しないし、僕はポップカルチャー全般として捉えたんですけど、ポップカルチャーの救いっていう部分なんですよね。やっぱり勉強しなければならない、いい子でなければならないっていうことに対しての、まあそれってある種の逃げ道としてのものかもしれないけど、自分にとってそれがすごい大事なものになっているっていうところで、
本作の最終場面のクライマックスで歌を歌うわけじゃないですか。儀式のための歌と一緒にポップソングがちょっとグルーヴしてるんですよね、微妙に。
歌を歌って問題を解決する話ってよくあると思うんです。この前のドラえもんもそういう話、歌じゃなくて音楽ですけど、歌の力で問題を解決するって話ですけど、本作ってそれが音楽というものに対する評価が過大評価も過小評価もしてないというか、実際に音楽が与えられる力ってこういう感じだなと思って。
だから、世界は救えないけど個人は救えるっていう。そのバランスをこういうファンタジー的な絵柄の中でやってるけど、やってることはあくまで子の話、個人の話。世界は変えられないかもしれないけど、個人の屈辱した日々を明るく変えることができるかもねっていうバランスで行かれてるのが、すごい歌の力の落としどころとして、僕バランスがすごい好きで。
なんか、なんですよね。
友達描写でいうとというか、4人のフォルムというか、キャラクターデザインもめちゃくちゃ良くないですか。
確かそのメイキングでも、分かりやすく美少女的なというか、っていう感じじゃなくて、ちょっと特徴のあるキャラクターデザインにしたっていうのを、監督とコンセプトデザイナーの方が話されてたかなと思うんですけど。
例えば顔にあるほくろであったりとか、あと唇の形だったりとか、あと眉毛がちょっとかすれてたりとかっていうような、完璧じゃない造形。
ゆえに、キュートというか、すごく可愛らしさみたいなものが出てくるっていう、なんかあのバランスのデザインもすごい良いなと思いました。
しかも4人とも全然個性があるし。
そうですね。しかもそこにやっぱすごくデザインとかに、ちょっとやっぱ日本のアニメとか漫画っぽさも入ってきてるじゃないですか。
表情の付け方1個取っても、めっちゃ漫画っぽいじゃんみたいなのが、すごくしかもそれがいわゆる3Dのアニメーション。
米国、アメリカ製のそういったものの中で、違和感なくめちゃくちゃ溶け込んでるっていうのが、すごい革命的っていうか。
見たことない造形というか、アニメーション見せられてるなって感じすごくしました。
24:04
本当に表情がコロコロ変わるところ見てるだけでもすごい気持ちが良かったっていうか、文字通り絵文字のピエンみたいな瞳してる時とか最高なんですよね。
まらに少女漫画っぽい瞳って言ったらいいんでしょうかね。
本当にああいうのとかが違和感なく馴染んでるのがすごいなって思いました。
じゃあお便りの紹介はここで終わっておきましょうか。
では我々からトピックを出していきたいかなと思うんですけど、
触りの部分はお便りとかの話でもある程度触れられたかなと思うんですけど、ちょっと本題的な部分に入っていってもいいかもしれないですね。
本作見てて非常に連想した作品があって、ディズニースタジオの方のミラベルと魔法だらけの家なんですけど。
僕もめちゃくちゃ対照的な映画だなと僕の中で思って、実は今日しゃべるにあたってミラベルの最後の方だけチラッと見返したりして、やっぱ違うわっていうふうにちょっと思ったんですよ。
ちょっと僕その似てる部分は認識してたけど、こう違うっていう風な捉え方をまだできてなくってちょっと聞いてみたいんですけど。
僕触りの感想で個人の話として力強いって言ったと思うんですけど、着地がやっぱり家族の話どっちもしてるんですけど、着地としては個人の話なのがレッサーパンダで、
ミラベルは家族という集団に直結する話っていうことにそこに明確に違いがあるなっていうか、
どちらもある意味毒親的な存在が出てきて、それもどちらもあなたのためを思ってみたいなことを言うわけですけど。
ミラベルに関しては、このラジオでも一回話したと思うんですけど、この話が成立するのはミラベルがとても優しくていい子だから成立する話であるって言ったと思うんですけど、
こんなもん恨まれてもしょうがない話しかならないというか、結局、これ僕の認識ですけど、ミラベルという子の話は言い訳だけして終わったなって感じがすごいしたんですよ。
家族、しょうがねえじゃんっていうふうにすごく思って。別に家族がいい面もあるし悪い面もあるよっていう言いたい映画なので、そもそも今回のレッサーパンダで言いたいことがちょっと違うんじゃないかなっていうふうに。
だから僕はどっちかというと、個人の話をすごく求めてたのかなっていうふうに思っていて。
あの時の話でも、ラジオの方でも、最後は家族として一つの家に留まらなくてもいいじゃん。一人ぐらい出てってもいいじゃんって言ってたんですよ。
なんかそこに個人みたいな、別にそこだけが家族、いることだけが家族でもないよっていう、そういう最低限が欲しかったなっていう話をずっとしていて。
27:04
それはやっぱりそこに個人が直結してるからっていうふうに思ってたんですけど、レッサーパンダの場合は本当に個人の話に注視していて、
今回の母親もすごく僕は嫌なヤツだなって思ってますけど、あれをでも許せるようになるまでの過程がすごく丁寧なのですよね。
母親も私と同じようなプレッシャーの中で過ごしていた少女時代を歩んでいたんだみたいなところに思いを馳せる。
そこは家族だからどうこうというのはやっぱり他者、個人としてそうだったんだねって思えるみたいなラストというか着地というか。
その過程を受けて許すか許さないかは別としてですけど、その段階があるからこそすごく僕は飲み込みやすかったし。
それは収支個人の話で統一してたからこそそこになっとった。僕は生まれてたなっていうふうにすごく思ったので、
ミラベルも別に保守的なものじゃないある意味リベラル的なものを描いてはいたと思うんですけど、
2つ比較した時にまだまだやっぱりやなって感じは僕の中ではすごくしたっていう感じですかね。
画展が行ったっていうのと、僕が言おうとしてたことを整理してくれたなっていうのもあって、
僕は割と2作似てるなと思ってたんですけど、どこが違うかっていうのを今のマリオさんの意見で整理できたんですけど、
ミラベルは家族に奉仕するんですよ、徹底して。でもメイは母親に反逆する。反逆することで和解するっていう違いはあるなと思って、
ミラベルとレッサパンダの違い、個人か家族かっていうところのどこに焦点があるかっていう違いがあるっていうのも描いていくなと思って、
これちょっとあくまで僕が感覚的に言うことなんですけど、ディズニースタジオは社会を描いて、ピクサーは個人を描くっていう感覚なんです。
だから例えばトイストーリーとかもそうですけど、結構個人的なところから出てきてるというか、
割と監督やる人の割とパーソナルなところからアイデア出すじゃないですか、ピクサーって。
ディズニースタジオの作品って割と社会的にどうっていうのをすごい意識して作ってるような感覚、これ感覚なんですけど、
だから僕はアナと雪の女王めちゃくちゃ好きなんですけど、あれって女性の立場、特にディズニープリンセスっていうものに対するカウンターを自分でやってああいう風にしてるっていう、
社会っていう文脈、あるいはディズニーって文脈自体を引っ張ってきてやってるっていう感じで見えるんですけど、やっぱピクサーはパーソナルなところからやってきてるというか、
30:05
ミラベルとレッサパンダが同じようなことをやろうとしてもやっぱ違うんですよね。
レッサパンダの方がパーソナル、具体的、だからこそより深いところに届いてる感じはあって、
例えばミラベルは家族を救って目的を達成すると同時に共同体を守るっていう話、村を守るっていう話もあるけど、
村なんですよね。あの話における社会の解像度って家族とか村っていう感じだけど、レッサパンダってすごい具体的というか、
家族の外にある誰かっていうのが友達っていう具体的な存在、キャラクターとして、単なる外部としてじゃなくてキャラクターとして存在してる。
で、それが家族以外の人間関係として、それがメイの救いになるっていう部分。で、それって確かにミラベルにはないなと思って。
ミラベルはまずは家族っていう共同体を守ったことで、その一個外側の共同体からも承認されるっていう感じになってるから、
その段階構造みたいな感じだけど、レッサパンダっていろんなところに人の繋がりがあるというか、それは個人と個人と繋がりだからと思うんですけど、
個人と共同体の繋がりじゃないからこそメイは救われてるし、レッサパンダはそのパーソナル部分にテーマ的な射程の遠さがあるかなって気はして。
僕、ミラベルは見れてないんですけど、本作見てるとちょっと連想したのがエブエブでして。
あれもあるし、母と娘の話だし、母と娘の闘争の話じゃないですか。しかもあれはエブエブの場合、母目線なんですけど。
一番たぶん近いです。
あの映画の場合は、もちろんその移民の、移民犠牲というかっていうところもすごく本作に似てるところではあるんですけど、
やっぱり母目線だし家族を焦点にされたことって、まさにミラベルと同じように、家族という共同体に戻っていくっていうところに救いを見出すって話になっていて、
ちょっとあれ見てて、確かにどうなんだろうって思ったところは実際あったんですよね。
いい話ではあるんだけど、これって本当に彼女のためになってるんだろうかっていうのはすごい疑問には思ってて。
その点本作に関して、さっき山口さん個人の話していましたけど、レッサーパンダとどう折り合いをつけていくかっていうところで、
自立するっていうところを描いてるっていうのが、具体的だし、かつ物語の中の意味としてもしっかりある。
それはある種メタファーとして色々なものが見出せるじゃないですか。
そこがやっぱりすごく上手い落としどころだなっていう気がするんですよね、表現として。
そうですね。ウェブは確かに思い出しますね。
33:06
読や描写っていう部分に関して、かなり賛否あるというか、
給与できるできないがすごいバチンと分かれちゃう領域だと思うんですけど、
僕あんまりこの部分、違和感を持って見てないというか、こうなるかなっていう感じの見方をしてたんですよね。
うち子供、娘なんですけど、特に女性の親族から女の子に対するしつけってすげえ厳しいなっていう感覚で見てて、
僕はまあいいんじゃねっていう気持ちのところを、女性の親族の方が厳しいっていう感覚があって、
それって多分当事者意識に根出してるかなと思ってて、
自分が女性であること、あるいは女の子であることでこう苦労したから、
それを繰り返させたくないから厳しくするっていう感覚あるなってちょっと見てて思うことはあるんです。
それはあんまり男からは分からない部分なんですけど、
多分それは男親から男子に対するしつけとか教育っていう部分は多分より女の子に対するものより厳しいと思うんです。
それは自分が経験してるもので、
これから先の人生で起こる試練とか課題っていうものを乗り越えるためにはこうしなければならないんだお前はっていう意識が働くんだろうなと思うんです。
それは多分男親から男子に向けて、あるいは女親から女児に向けてっていうそれぞれの厳しさがあると思うんですけど、
自分がその側だから子供を助けられるのは自分だって意識で厳しくしてる感覚すげえありそうだなって。
完全にそこを当事者意識持ってみれないから性が異なってるんでね。
そこで僕は厳しくできない部分があったりはするんですけど、そういうのありそうだなって思うのと、
あとやっぱり本作においては人種的なマイノリティっていうのがやっぱり大きいところだとは思うんですけど、
チャイナタウンに住んでる東アジア系の家族じゃないですか。
やっぱりマイノリティってなるとコミュニティの結びつきが強くなるっていうのは間違いなくある。
それは自分たち同士で自分たちを守らなければならないっていうのがマジョリティよりマイノリティの方がより強くなるっていうのは絶対的にあるし、
やっぱりそこで家族の結びつきっていうのはより強固になるし束縛的になるっていうところもあるし、
東アジアのルーツがある人だったら当然自強的な価値観も強いからっていうのもありますし、
あの感覚ってもちろん今みたいなめちゃめちゃしんどいんですよあれ。子っていうものを殺す方向にパワーが働いているからしんどいんですけど、
36:09
でもまあ家族とか子供っていうものに対するより良くあってほしいっていう働きかけとして僕ああなるのは理解できちゃうんですよね正直。
移民であることっていうのがそこに入ってきますよね。移民第一世代である親と第二世代である子供みたいな時に起こる衝突って、
自分のような苦労してほしくないから教育とかめちゃくちゃ厳しくして、そうしないと自分たちの色々国とかを捨ててきてこっちにやってきて生活をより良くしようと思ってきてるっていうところも、
責任感をやっぱ主人公の目にもすごい感じてましたよ。そういったのとかは入ってくるかなっていうのはすごく思います。
確かにそういう話結構その話、山口さんの話聞いてて僕、WAVESって映画思い出しましたけど。
あれは父親と息子の話だったんですけど、すごくやっぱりめちゃくちゃ、黒人にしてはすごくいい家に住んでいて、
そこに対してすごく努力とかも苦労もしてきた父親の下で息子はプレッシャーに苛まれていってしまうっていう話だったなっていうのをすごく思い出したりしましたね。
あの映画ね、なんかポスターとかちょっと虹色柄のちょっとインスタグラムっぽいビジュアルでプレイリストムービーみたいな感じでちょっとオシャレっぽい描き方してるのが中身地獄のような話でしたね。
本当にきつい、本当にちょっとあのプレッシャーに苛まれてる前半本当にちょっときつかった思いが確かになりますね。
親のしつけとか親の教育っていうものをどこまでなら教養できるものなのかってめっちゃむずいなとは思ってはいるんですよね。
そうですね。すごくやっぱり心配でしょうし、ちゃんと立派な人にというか一人前になってほしいなって気持ちあるんでしょうけど、親の思い描くビジョンと子供が思ってるビジョンがまたちょっと違ったりすることによってどうしてもそこに模段の描き違いが起こってしまうっていうのは多いにしてありますよ。
実際難しいのは時代の要請も変わるじゃないですか。その親世代と子供の世代で、特に最近なんかはそれがすごい顕著だと思うんですけど、そういう中でじゃあ自分が親になったとしたらどう声かけたらいいのかっていうのは多分わからなくなってくだろうし、自分の経験を生かしていいのか生かしたらダメなのかっていうのがなかなか難しいですよね。
そうですね。本作、僕は好きなところ。多分ダメな人もいると思うんですけど、やっぱり親もまた少年期に辛い思いをしてた。その上でここに浸ってるっていうのを理解して和解するっていうのは本当あれは良くって。
39:08
ちょっとここもミラベルと比較したいんですけど、ミラベルは上の世代の出来事、過去はそうでそうするしかなかったからそれを許容するっていう流れなんですけど、レッツアパンダの方は自分と同じようであったっていう風に理解するっていうのがまた違うんですよね。
過去とか社会、歴史として理解するんじゃなくて、自分と同じものだった。親もまた自分と同じだったっていう風に理解して和解するっていうのがいいなとは思ってるんですよね。そっちの方が許容する理由として自然だなと思いますし、そこでもちろん親を許さないっていう選択肢はあるんですよ。
絶対に。独営とか自分が親からの執着に対して嫌だと思ったことを許さないという選択肢はあるんですけど、それは本作としてはやらなくてもいいのかなというか、その本作の結論を許容しないっていう選択肢を取っていいのかなっていう風に見てて、それは本作が子供向けの映画だからっていうのがあるんですけど、
子供に向けて親を許さないっていう選択肢を初めから与えなくてもいいんじゃないかなとは思って、ちょっと今の言い方難しかったですけど。
そうですよね、それこそ男性だと父殺しの話って多分一個の肩だと思うんですけど、だから女性の場合、母殺し的にならなきゃいけないかっていうのは多分そういうわけではないし、そもそも父殺しでなきゃいけないわけでも多分ないと思うんですけど。
たぶん僕はやっぱ思ったのは、やっぱさっき言ってたピクサー的なというか、本作は個人の物語であることに多分全ては起因してるし、社会的要請であればある種山口さんがさっきおっしゃったような、親を許さないって結論の物語も必要だよねっていう形で、それこそディズニーだったら描くと思うんですよね。
そういう物語も。だけど本作、ピクサー、しかも監督のノミー・シーさんがめちゃくちゃ親といまだに仲がいいっていうところを踏まえた上で絶対こうなってるよなっていう。
そうですね。確かにメイキングの映像見たらめちゃくちゃ仲いいなって思って、すごいですね。自分がノミー・シー監督自身が描いた二次創作の絵とかスケッチブックとかを親がちゃんと保管してそれをインタビューで見せてるみたいなシーンとかがあって、
劇中とは真逆だみたいな感じがすごいしたんですけど、自分の作った二次創作みたいなのがちゃんと目に見えるものだけなんでしょうけどもしかしたらわかりませんけど、ここはちゃんと親子の関係とかいろいろあった上で今の仲のいい関係性というか、境地にたどり着いてるんだなっていうのはすごく感じました。
42:03
あとちょっとドキュメンタリー見てて思ったのが、本作制作中に母、親になった人たちが割と多いんですよね。
なんか結構この作品って主要スタッフ陣全員女性で撮られてるんですよ。
もうプロデューサーからコンセプトデザイナーからおそらく作画監督に至るまで、一応主要と言われてるようなキャスト陣は全て女性でっていうピクサーで多分初めての試みだというふうに言ってたと思うんですけど、
その中で制作が3年、4年くらいあったのかな?の中で子供を産んで親になるっていう人がプロデューサーだから確かそうでしたよね。
プロダクションデザイナーの方。
あ、プロダクションデザイナーの方か。そっかそっかそっか。
プロデューサーの方はもうすでにTA者3人の母親でみたいな話でした。
あ、そうでしたね。だからあの制作陣のメインスタッフの中に親とドミシーさん監督の子供目線と親としての目線、特に母親としての目線っていうのが両方多分制作スタッフの中にいて、そこをどう折り合いつけるかっていう話し合いになってたんだろうなっていう気がして、だからこそあのストーリーボードに落ち着いたんだろうなっていう気がするんですよね。
ドミシー自身はやっぱりどうしても主人公側の目線しか立てないみたいな感じのこと言ってましたよね。
けどそこにストーリーみんなでチームでにぎやげていく時にそういった母親のちゃんと視点とかっていうのをすごく気にかけて作ってるっていうのはすごく感じました。
ある意味この映画の中で一番のヴィランのように描かれますけど、かといってめちゃくちゃ悪い人でもないっていうようなバランスでもちゃんとやっぱり描けてるかなっていうふうにすごく本当に思うので、本当にやっぱすごいなってそこは思います。
あと僕思うことですっげーもともこもない意見なんですけど、子供向けアニメってお金出すの親じゃないですか。
経済者の親じゃないですか。なんかそのお金出す側が嫌な思いするような話って基本作んないのかなって気はしてて。
確かにね。
子供連れて行って、親のしつけに対して子供がそれ許さない話って親から見せたら結構肩に狭い話なんで。
そういうリアルな商業原理にのっとったとしてもやっぱり親を許す話にせざるを得ないのかなって気はしてるんですけど。
あとあのちょっとピクサーの作品っていう文脈でちょっとこれ知識不足の部分はあるかもしれないんですけど、今のピクサーって父親の話めっちゃ多かったなと。
そうそう。
まずトイストーリーって父親の話じゃないですか。
はいはいはい。
おもちゃが父代わりをしてるっていう話だし、あとまあモンスターインクとかも子供できてめっちゃ大変っていう話。男親が子供できてめっちゃ大変って話だし。
45:03
あとまあファインディングにもとかもあれ親の小離れの話なんですよね。
うんうんうん。
であとあのミスターインクレディブルはあれ中年に差し掛かった父があの中年の危機に陥る話。
であのやっぱピクサーまあその今までスタッフに男性が多くてやっぱ男性のパーソナルな話として父になってたっていうのがあったとは思うんです。
うんうんうん。
ピクサー作品全部網羅できる論点ではないんですけど、そこで本作やっぱあの女の子そして母親って視点が入ってきてたのはやっぱピクサーの転換の現れなのかなって気はしてるんですけど。
そうですね。多分そのピクサー作品の流れで言うんだったら多分あれですよね。
メディーだと恐ろしの森とかはちょっと近いことをやろうとしていたような気はするんですけど、女性側でっていうことにするのであれば。
でもまあそこからまあでもそんなにやっぱりまあ基本はやっぱりなんかその男性目線というのもちょっと違いますけど、そこからが起点みたいなものはちょっと多かったのかなーっていう気はすごくします。
あとなんかで聞いたことあるんですけど、ピクサーってなんかそのピクサーだけなのかわかんない。
ピクサーってやっぱ基本やっぱもちろん子供向けアニメですけど、親に向けて作ってるみたいな話はなんか結構よくされているようなイメージがやっぱあったので、それもすごく納得するなあというふうに思います。
そうですね。あとあのちょっと論点変えるんですけど、父親めっちゃいい人じゃないですか。子供に甘くて。
こういう話、父親ってああいう立ち位置になりがちですよね。空虚な存在になりがちだなっていう。
善良で推しが弱いっていう。これミラベルもそうだったんですよね。父親って甘々というか、まあミラベルは両親は甘いんですよね、子供には。祖母がめっちゃ厳しいって話やったんですけど。
ただその男やから甘いっていうのは割と共通しているなぁとは思って。
確かにね。最近増えましたよね、そういう。
なんかちょっとハッチングとかも父親めっちゃ空気薄かったなみたいな話だと思ったんですけど、ああいうの確かにちょっと思い出したりします。
これ、例えばあの今年4月に、今年4月じゃないや、1月に公開されたあのエテュベンティフォーの私たちの世界が交わる間。
ああ、はいはい。
あれもすごい父親弱いというか虚無な存在。
息子と妻から自分の大切な記念日忘れ去られる父親ですね。
そうそうそう。とかもありましたし、まあちょっとこれは直接関係ないかもしれないですけど、ヘリディタリーとかもちょっとそういう感じありましたね。
そうですね。何なんだろうな。
48:01
これピクサーじゃなくてディズニーアニメっていう文脈なんですけど、女の子主人公の話の相対する存在って母親か母的な存在多くないですか。
例えばシンデレラってママ母じゃないですか。
白雪姫とかもまあその悪い女王ってまあ悪い母的なものだと思うんですけど、
眠れる萌えの美女だったらマレフィセントとか、あとなんだろうな。
あれ髪の毛。
ラプンツェルもそうですよ。
ラプンツェルは完全に母親的なものだし、なんか敵対するものって母的なもの多いなって気はしてるんですよね。
ディズニーで僕男が悪役の話パッと浮かばなくて、
美女と野獣のガストンとか、
まあ典型的な割と女の敵感ある、完全にトロフィーとしての女性を求めてるやつだし、
ノートルダムのカネのあいつとか完全に性欲じゃないですか。
女の敵だったらあれかな、あの穴行きのあいつとかも女の敵感あるやつでしたけど、
女性進行で男性が相対するものになると、
そういう女性を良くない扱いしてるやつっていう敵になるけど、
女性と相対すると、
自分の負の側面と向き合うみたいな要素が出てくるというか、
鏡合わせの存在と向き合うっていうちょっと内静的な要素が出てくる気がするんですよね。
だから単なる社会の中で対立している存在じゃなくて、
一個の存在の中の両側面としての対立軸というか、
それ結局男でもそうなんですけどね、結局。
そうですね。
男でもそうですね。
父親と子供の対立って基本そういう話、
父殺しって基本そういう話になるから。
ライオンキングとかもそっちの話ですよね。
そうですね。
リズムで言うんだったらどうですか。
何だろうな、この話どこにもたどり着かんなくて気づいたんですけど。
言いたかっただけで。
ちょっと普通に自分に引き寄せて思ったのが、
仮に娘がいたときに父親ってどういう存在としているべきなのかなっていうのはちょっと考えちゃいますよね。
基本存在感を持ち得ないかなって。
ちょっとでもそれ寂しすぎません?
何だろうな、善良だとしても邪悪だとしても顔のない存在になるというか。
そうなるのか、なるほど。
父親が悪い存在の女の子が主人公の話って単なる暴力装置でしかない。
51:09
で、もしその父親が善良だとしたら甘えかす存在にしかならないというか。
いい距離感の父親ってイメージできないですね。
すごく良好な関係性を築いている方も多分いると思うんですけど、
あんまりないのかもなーみたいなというか。
僕の家族の場合は確かにちょっと影薄くなってるかなって思いますもんね。
実家帰るたびに。
実家には母と妹と父親もいるんですけど。
年々影が薄くなってないかみたいな感じを受けることはあるので、そういうのもあるのかも。
今作も少なくとも距離が遠いか故に、彼女に和解の鍵を渡すのは父親じゃないですか。
そこがすごい似てるなと思ったら、エブエブもそうじゃないですか。
和解というか解決の鍵を渡すのは父親なんですよね。
父親というか夫なんですかね、あの場合は。
確かに影は薄いんだけど、いなかったら多分それぞれ、
あの2人の関係性で多分解決しえないっていうキーパーソンにはなり得るのかなとはちょっと思って。
まあまあそうですね、確かにそれはそうだな。
だからあくまでその客観的な、存在は基本的にはないんだけど、
何かがあった時にはそこの間に入れる、ある種セーフティーネットみたいな存在なのかなっていうのはちょっと思ったりはします。
いやー、そうなれたらいいですけどね。
やっぱりミスタンはそうそうですよね。
自分の実感として、娘に対して父親って超有害か超空虚にしかならないんじゃないかなって。
超有害になれないんだったらもう空虚にしかならないんじゃないかなと思って。
でもなんかその2択は悲しすぎますよ。
だから多分そのロールってないんですよね。
そうなんですか。
だから自分で見つけ出すしかないんですよ、きっと。
それは子供との関係性にもよりますし、
こうしたらいいっていう答えが全然ないっていう感覚なんで、
めっちゃ頑張って探さないとダメなんだろうなと思うんですけど、
ポップカルチャーの中に存在している父親のロールモデルは、
もう邪悪か空虚にしかない。
偉大っていう父親像もありますけど、
まあ確かに確かに。
偉大っていうのはもう空虚ってことなんで、
背中があるってことだからもう顔がないんですよ。
男は背中で語るっていうことは顔がなくていいんですねってなるんですよね。
54:02
だから黙って稼いで家庭を支えればいいっていうことは、
つまり父親の名前とか顔とかがないってことです。
稼ぎだけって背中を見せればいいっていうのは、
もうその父親であるっていうことに必要性がそこまでないっていうことになるじゃないですか。
いや、悲しい。
普通にそんな話したら悲しいってなっちゃうと思うんだけど。
めっちゃ頑張らんとダメなんです。
ロールに甘えんなよっていうことを自覚しておかんと、
あなた背中で語るって言うけど、
実質いないのと一方ですねってなりかねないっていう。
ロールに甘えんなって言っても大事やなっていうか、
映画の本編の本にちょっとだけ戻しますけど、
母親も母親というロールにとらわれてたからこそ愛振る舞にもなるわけじゃないですか。
いや、でも難しいわそれっていう。
そのロールであることからは変わらないというか逃れられないんだけど、
じゃあそれだけにならないようにするとかって難しいわっていう。
だからみんなこれ永遠に続く課題なんだろうなっていうふうに思いますね。
ちょっと話をライトなところに戻してみようかなと思うんですけど、
レッサーパンダっていうモチーフ僕すごい好きで、
いろんなメタファー入ってるじゃないですか。
メタファー入ってなくてもまずビジュアルがいいんですけど、
確か元々レッサーパンダを描きたいみたいなスタートだったと思うんですよ、本作の企画って。
それ自体がいいし、すごいメタファーとして豊かだなと思って、
それは自立心の芽生えっていうものも含んでるし、
大認知成長も含んでるじゃないですか。
レッサーパンダが単に可愛い存在じゃないっていうのはすごい好きで、
臭いんですよねあいつ。
あの描写すっごい好きで、
だから大衆が強くなるっていう大認知成長を迎えてっていうところ。
あと体毛が生えてくるっていうのはやっぱり毛深くなるとかっていうのも含んでるとは思うんですけど、
そういういろんなものを一つのファンタジーな絵面にしてるっていうところがいいなと思いつつ、
ただその純粋なファンタジーに逃げてないんですよね。
やっぱこう生理用ナプキンとかが出てくるっていうところ。
だから本作がレッサーパンダが大認知成長の比喩っていうのは間違いないと思うんですけど、
それで比喩描いてたら結局アンタッチャブルになり続けるじゃないですか。
直接描けないから大認知成長をレッサーパンダっていうメタファーに落とし込みまわしたってやってる限りは、
57:00
ちゃんとその大認知成長における生理とかっていうのを描けない。
描きにくくなり続けるからちゃんと出す。
ただ今回は話の軸はレッサーパンダの方でしたっていう風な、
あの持ってき方すごい上手だなと思って、
すごいあそこ上手いなと思いましたね。
確かにそのレッサーパンダ可愛いんですけど、
食肉目というかしっかり猛獣でもあるっていうところも確かに上手くて。
レッサーパンダって肉食?
ササ食ってる、パンダなんでって言い方あってるのかな。
ただすごく大きく見ると食肉目だからクマとかの仲間ではあるんですよね。
ふとあれ何食べてるんだっけみたいなことを思ってしまっただけなんですけど。
奴ら頑張ってササ食べてるんですよ。普通のパンダもそうなんですけど。
頑張って食べてるか。
あれ消化効率めちゃくちゃ悪い中で頑張って食べてるんで基本的には。
なんでそんな生き方になったんやっていう感じがしますけど。
だから特に平らに切れる時に牙がしっかり剥き出されるじゃないですか。
牙と爪。
だからしっかりモンスターとして描けるし、
それが後々母親が巨大化した時にしっかり怖いというか、
怪獣映画にもなり得るところとかも含めてかっこいいし、
すごい良いバランスの動物を選んだなと思うし、
おばあちゃんたち、親戚一同のおばさんたちレッサーパンダズになった時のかっこよさ。
あの変身シーンのかっこよさ。
可愛くてかっこよくて怖いっていう全部を盛り込んでる動物として、
すごいのを選んできたなと思って。
現代ターニングレッドって英語だとレッドパンダって言うんですよね確か。
だからレッサーパンダになるっていうそのままの意味もしてるし、
やっぱり赤って色が感情の色っていう意味合いで使われてる。
それは劇場の色でもあるっていうことではあるんですけど、
あとは中華圏におけるめでたい色。
お祝いとかに使われる望ましい色としての赤でもあるし、
やっぱりカナダの赤でもあるんですよね。
こんなにピッタリなものあるんやって感じがしますよね。
物語とか映画のコンセプトとして赤とレッサーパンダというモチーフがこんなにピッタリいろいろ勝手にハマるっていうのは、
ちょっと怖いぐらいですよねっていうのは思いますけど。
ピクサー例え力うまいですよね。マイエレメントの時にも思ったんですけど、
人間の感情とか情感みたいなところをそれに例えるかっていうのが、やっぱピクサーうまいなと思って。
1:00:00
そうですね。その赤の劇場を抑える色としての緑があって、
一般的に安らぎの色って言いたいんですかね。緑って。
感情を抑える色でもあるし、赤色に対しての補色の関係でもあるから、
すごい最もコントラストが強い色の組み合わせでもあって、
おばさん連中が家に来た時に全員服緑色なんですよ。
確かに。
メイだけ赤なんですよね。
だから緑色の中で唯一赤っていう風なコントラストとして使われてたりしてて、
そこもうまいなと思いつつ、結構その緑色の装飾品が政治とかの色をイメージしてるから、
そこも中華圏の文化の衣装も取り入れられてるから、すげーうまいなと思って。
だから本当にコンセプトデザインというか、全体の色もそうだし、
あとはある種出てくるツールというか、
例えば2002年っていう舞台をどう表すかっていうところでガラケー出てきたりとか、
タマゴッチ出てきたりとかっていうのも含めて、
やっぱり全体的にデザインがすごいですよね。
めちゃくちゃうまいと思います、本当に。
やっぱそこさすがピクサーだなって思っちゃいます。
そうですね、なんか展開としても、話の展開とか描写にしても楽しいとこしかないじゃないですか。
楽しいとこばっかりというか、本当にちょっとちらっと触れてましたけど、
最後完全に怪獣映画じゃんみたいなこととか、
すごいしかも、私はライブ会場に行くんだって言ったときの主人公のメインの、
ナルト走りかのような軽快な走り、大変よろしいアクションシーンを見せてくれるなって思いましたし、
おばさんたちが変身するところはブリキワかな?みたいな感じ。
そういうところのけれんみとかもめちゃくちゃいいんですよね。
それが僕らがアニメとかを見て慣れ親しんでいるものだからなのかもわからないですけど、
やっぱそういう奇名的なというか、ちょっとしたけれんみみたいなのを、
向こうの3Dアニメーションがどんどん積極的に取り込んでる感じはすごい感じますよね。
漫画とかアニメのけれんみをどんどん入れてくって、
スパイダーバースとかバットガイズとか長靴を履いた猫とか、
そういうのがどんどん取り入れてる感じがすごくやっぱ最近感じますよね。
コンサート会場に向かって屋根の上とかを走っていくシーンなんですけど、
あそこレッサーパンダに変身してポンっていう効果が出ると、
なんか二段ジャンプみたいなことできてるんですよね。
なんかしてますよね。
めっちゃアクションゲームみたいな動きしてるんですよね。
落下が1回キャンセルされてポンってもう1回飛べるようになってて、
1:03:00
すげー操作感いいゲームやなーって見てて。
なんかやりたいですよね。
世界観のオープンワールドで飛び回るみたいな、
やりたいって感じがすごくします。
関東結構ゲーム好きな人みたいな記事をどっか読んだことありますけど、
そういう感じもあります。
メイがお母さんに体当たりするシーンとか、
ドラゴンボールっぽい気がするんですよね。
ちょっとわかるかもしれない。
カメラワークとかちょっとそんな感じでしたよね。
お母さん、巨大お母さんめっちゃいいですよね、あれ。
めっちゃいい。
すっげー盛り上がりますしね、あそこ。
劇場ウォッてなりましたよ、あそこ。
そうですよね。
あれだから劇場のスクリーンに見るとちょっと嬉しかったんですよ。
あそこやっぱ見たかったなと思って。
ちょっと見たくなってきた。
映画館行きたくなってきた、今。
今回、前ディズニープラスで見て、
今回劇場でやってるのを見たわけなんですけど、
何が良かったってね、
結構同じ回に女子大生かな、
多分若い女性のグループが何個かあったんですけど、
全部の先からめちゃくちゃ面白かったって声が上がってて。
むちゃくちゃそれが良かったんですよ。
だから一番見てほしい世代というか、
その人たちがめっちゃ面白かったって言ってて、
全員がテンションめっちゃ上がってて、
スクリーン出て行く時の空気がすごくて、
もうめちゃくちゃいいやんこれと思って。
やっぱ初見は映画館が良かったよなって改めて思いますよね。
これ何で配信に回しちゃったかね?って
ちょっと本当に思っちゃいますよ、本当に。
だから配信で見たら一人でめっちゃいいなをかめしめるんですけど、
共有がやっぱできないっていうのが
ちょっと寂しいところではあるんですよね。
やっぱり本作、特に男性である僕らって
当事者的に完全に入り込んで見れるわけじゃないからこそ、
女性観客の視点からどういう風な感想があったかとか
どういう温度感で見終わった後なのかっていうのは
わかんないじゃないですか、配信で見ただけだと。
やっぱり劇場で僕も見た時に
すごい女性の回答がすごく多くて、
実際確かにめちゃくちゃ熱中量が高い感じだったんですけど、
なんかやっぱそれも劇場の醍醐味の一つだなって思って、
この映画を誰が見ていて、
どういう人が受け止めてるのかっていうのを
お互いが知り合ってない人たちでも見れるっていうのって
やっぱり映画鑑賞体験の1個の大きな意義だなと思って、
そこ本作はやっぱり劇場でもう1回みんなを見れてよかったですし、
なんかやっぱ笑い声が起こるとことか、
そういうのもやっぱ共有できるっていうのも含めて
やっぱり映画館いいなってちょっと思っちゃいました。
本当によかったですね。
1:06:01
このままなんて本当に僕、今年ベストに入っちゃいそうで。
今年ベスト。
仕方ないな、仕方ない気がするな、それは。
劇場公開作品に限るとかだったら、
初めて公開してますんで入れても別に、
その人の基準によっては全然ありですね。
はい、じゃあそんな感じにしときましょうか。
はい。
次どうしましょうかね。
そうですね。
前田さんがいないので、
長い作品とかアニメとかを選べるっちゃ選べる。
ちょっと思ってたのが、
テテテではやりたいんですけど、前章なんですよね。
そうなんですよね。
ちょっと思った、それは。
それは思ってたんですよ。
前田さん言ったら絶対できないじゃないですか、これ。
どうだろう、そうかもしれない。
これ多分皆さん見ますよね。
見ます。
見ようと思ってるって感じですかね。
あんま見る気もないとかやったらあれですけど、
後編まで見て、その踏まえた上でやるとか、
前田さんしばらくお休みっていうのがどれくらい続くかちょっとまだ分かりませんけど、
前編だけでやってもらっていいですか、この時点でどうなのか。
でも前編でも120分あるんですね。
結構ボリューミーなんですよ。
短くないんだ。
結構長いな。
長いな。
強気やな。
なかなか強気やな。
前編後編に分けてるわけでしょ。
後編ね、ちょっと伸びましたけど。
5月くらいに伸びました。
ちょっとインタビューというか、
完成広視社会で浅井尚先生が結構本人が手直されてるっぽいんですよね。
若干そのスラムダン組を感じるというか、
かなりレタッチというか100テイクぐらいリテイクしてるみたいな話がそれで伸びてるらしいんですけど。
いいですね。
だから絶対力入ってはいるんですよ。
あと脚本は吉田玲子さんだし。
前編だけでやるかどうかですよね。
そうですね。
見て判断したいところではあるんですけどね、そこは。
しゃべり、スパイダーバースとかで何でやったねんとかになっちゃったなっていう。
我々そんな言い出すとってなるけど。
やれんことはないかもしれない。
確かに評価は確定できないのが難しいところですけどね。
ちょっと後編待ちますか、さすがに。
前編見ておきます。
めちゃくちゃ見る気満々でした。
5月か、微妙なタイミングだな。
旧作って言ってはありますけどね。
そうですね、旧作って言ってもいいですね。
旧作か。
この3人だからできるものっていうこと何かありますかね。
何でしょうね、パッと浮かばないな。
1:09:00
旧作の候補言ってましたっけ。
アンダー・ザ・シルバー・レイク。
アンダー・ザ・シルバー・レイクか。
これね、前田さん入れたいんですよ、アンダー・ザ・シルバー・レイクは。
ちょっと置いときましょう。
これはちょっと巻き込むの申し訳ないな。
何ですか?
何ですか?
最初に今週公開予定の中で、若干目をそらすかどうかを今悩んでいる作品が1個あって。
4月になれば彼女は。
僕は全然目をそらす気はなかったですよ。
これもバリバリ見る気満々でしたけど。
多分バリオンさんそうだろうなって思ってたんですけど。
あれですよね、河村元気案件だからちょっと目をそらしたがってるってことですか?
河村元気さん原作の小説を絵画家っていう話で。
最初予告見た時にまたこういうの始まったよみたいな感じでちょっと冷ややかな目で見てたんですけど。
本予告が出た時にあれ?良さそうじゃんってちょっとなっちゃった自分がいて。
これを本気で見つめるかどうか今すごく迷ってるんですけど。
いやー。
これね、そうなんですよ。
これね、めちゃくちゃ楽しみにしているんですけど。
びっくりするくらい全部見てるわけじゃないですけど、河村元気に対して全然嫌悪感とか特にない人なの。
警務官じゃないですよ。これは完全な僕の個人のコンプレックスなんですよ多分。
憧れから来るコンプレックスなんで。
憧れか。そういうのもないからな。
パストライブス始まってたらよかったんですけどね。
そうなんです。始まってたらもうパストライブスに行けるんですけどね。
一応やりますよね、今週。先行上映があるんですよ。
やるんですか?
そうなんだ。関西やります?
多分大阪だと東方梅田で一応見れます、確か。
この時間は無理ですね。
でもパストライブスはもう公開週にやりましょう、じゃあ。
そうですね。
で、次の次はもうあれじゃないですか、ノーランじゃないですか。
まあそれはそうなりますね。
だから今週、次週だけ何か決めれたら、ネタはいくらでも。
次週ね。
4月になれば彼女は行きますか?
いや、なんか巻き込むの申し訳ないな。
そうだね、喋れるかはまた別なのかな。
そう。
じゃあ、じゃあもうでででで前哨で。
後編やったタイミングで取り上げられるかどうかも微妙なんで。
1:12:04
だったらまだででででの方がいいですかね。
そうですね。
期待値だけで喋って、後編楽しみですねって言って、後編のこと触れないかもしれないみたいな。
触れなかったらまあいろいろ事情ありますけどね。
時間的に取り上げられなかったのかもしれないですけど。
いいんじゃないですか。むしろ会おう互いをできるかもしれないですよ。
そうですね。ちょっと話してみますか前編。
でみますか。
多分早々取り上げれないと思うんでこの手のやつは。
確かにまあそうですね。
ではじゃあ次回、デッドデッドデーモンズでででデストラクション。
での数合ってたかな。
これ未だにこのタイトル覚えられないですね。
デッドデッドデーモンズでででデストラクション。前章で。
じゃあ行きましょう。
ではお知らせになります。
映画南下杉リバー次回は3月30日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊曲がり19時オープン20時30クローズです。
そして映画南下杉リバー次回東京開催は5月25日土曜日の予定です。
場所はイベントバイデン日暮里18時オープン20時30クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体次回テーマに向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報番組次回テーマXにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画南下杉ラジオ第159回
私時々レッサーパンダの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
さよなら。
01:14:04

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