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『我々は宇宙人』あの日あの時、誰がための「じゃ~ね~」#279
2026-10-05 1:11:41

『我々は宇宙人』あの日あの時、誰がための「じゃ~ね~」#279

『我々は宇宙人』の話をしました。※作品の結末まで触れています。未見の方はご注意ください。

具体的な小物が、世代を問わず記憶の蓋を開けてしまう仕掛け、二人の関係を単純化したことで生まれる強度とそこから失われたもの、恐竜チョイスの妙について話しています。

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感想

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今日のテーマトークは、『我々は宇宙人』です。 はい、ではマリオンさん解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。 2人の少年の30年にわたる友情と再会を通じて人が生きることの意味を静かに問いかけた長編アニメーション映画
平成の日本の田舎町。自分が普通であることに悩む小学3年生の打ち気な少年翼は、クラスの人気者で特別な存在である
行太郎と出会い、親友になる。2人だけの遊びや意味のない会話、夕暮れの帰り道など、小さな世界の中でかけがえのない時間を過ごす翼と行太郎だったが、日常は少しずつ歪み始める。
行太郎はクラスの中で浮いた存在となり、噂や視線が彼を囲むようになる。翼はその変化に気づきながらも何も言えず、何もしないという選択を重ねてしまう。
やがて取り返しのつかない事件が起こり、2人の関係は大きく変わっていく。 夜遊び、優しい彗星のmvなどを手がけたアニメーション作家
門脇光平が長編初監督を務め、緻密な世界観と写実的な映像表現で描き出す。
普通の青年翼役でバンドを領った、特別な存在の行太郎役で岡山天音が声優を務め、オーディションで選ばれた
マキユートと中米タスクが幼少期の翼と行太郎の声をそれぞれ担当。音楽プロデューサーのヤッフルが音楽を手がけた。
2026年第39回東京国際映画祭アニメーション部門上映作品。
ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では最終の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、めちゃくちゃすげえ作品だなと思いました。
アニメーションやばっていう、ここまで写実的な絵、すごく描き込みもすっごいされてて、
あと多分ロトスコープですよね、これみたいな。
100Mの時にも思いましたけど、手描きのところはもちろん手描きで描くけど、
ロトスコープもきちんと混ぜ込んでやるみたいな、うまく使うみたいなのが結構当たり前になってきたんだなって感じがすごいしてて、
今作のリアルさ、実在感という意味ではめちゃくちゃぴったりハマってたんじゃないかなっていうふうには思いましたね。
話とかは、途中のある演出というとあれですけど、中盤の切り替わるタイミングですよね、のやり方とか含めて。
これヒメヤノールだなって思いながらやってましたけど。
まあまあ思い出しますね。
思い出しますよねっていう。
てかちょっと吉田圭介作品っぽさあるんだよなっていうふうにはちょっと思いました。
あーなるほどね、確かに。
で、この圧倒的なアニメ表現なので、結構スタジオ4度Cみたいな描き込み方のアニメっぽいからって思ったので、
スタジオ4度Cたすヒメヤノールイコール我々宇宙人みたいな感じにはちょっと思いましたかね。
あとやっぱりこの小学生時代のノスタルジーが特になんですけど、
03:04
やっぱこれもうほぼ同年代な人たちの、僕にとってですけど、の子供たちというか子供から大人になっての話なんで、
余計にちょっとね、来るものがあるというか、こんだけなんかドンピシャに刺さってくる感じは無名の人生ですね。
はいはいはい。
を見た時の感じもすごい思い出しましたね。
もうなんかすごいなって、なんかこんなことあったよみたいなって思いました。
無自覚に誰かを傷つけちゃったりとか、傷つけられたな自分もみたいな。
で、なんかそのままなんとなく友達じゃなくなってみたいな話はめっちゃあったなと僕は思いましたね、僕は。
個人的なことをやっぱどうしても思い出さずにはいられなくなっちゃうというか。
だからこそみんなこうおーってなってるし、その表現の豊かさ素晴らしさもありますけど、
っていうのはめちゃくちゃあるなと思ってますね。
すごいなと本当に思ったんですけど、けどこれでいいんすかねって思いもすごいめっちゃあります、この映画。
ラストとかちょっと僕、ええかこれみたいな、いいんですかねこれってちょっと思ったりとかしました。
ちょっとノスタルジーが持つエモーションというか、エモすぎるのも良くないなみたいなと言ったらいいんですかね。
なんかちょっと違う気がするけどなってちょっとすごく思って、そこはめちゃくちゃ引っかかってますからね。
そこはなんか話の中で言えたらいいかなとは思いますけど。
でもこれ初監督、初長編作とかなのでとんでもない作品だなと思いました、すごいなと。
ここまで作れる人そうそういないと思うので、そういう意味でも唯一無二の映画だったというふうには思って、
僕はそれはそういう意味では素晴らしいなと思っております。
僕はですね、まずアニメーション凄まじいなと思いました。
本当にどうやって作ってるかよく分からないなって思っちゃうぐらい、
アニメーションが凄まじいって思いましたね。
めっちゃ描き込んだからってこれにたどり着けるんかなっていうのがあんまりイメージできないぐらいに、
実際の世界をアニメーションに落とし込んでる感じは純粋にすごいなって心底感じてましたね。
見ながらどうやって作ってるのだろうってめちゃくちゃ考えちゃったというか、
それは本当に凄いなと思ってましたね。
見てて本当に自分の子供時代を思い出す作品ではありました。
それはまにょんさんもおっしゃってた通り、傷つけた側としても傷つけられた側としてもこういうことはあったよなっていう。
加えて傷つけた傷つけられたではない瞬間の子供時代みたいな。
こういうことってあったなみたいな。忘れてたけどこういうことはしてたわみたいな。
すごい思い出す作品になってたなと思って。
06:01
そこは本当に優れていると思いますし、本作はそれを目指して作られているとは思うんですよね。
本当に記憶の蓋が開いたなって感覚はありました。
ただ優れた作品だということを大前提においた上で、本作の魅力って、
作品そのものというより見た人の個人の記憶に紐付きすぎているんじゃないかなって気がして、
こういうことあったなみたいなのを思い出して、それがすごいというか思い出させられたすごいってなってるんですけど、
この話自体に僕そこまで入り込んでないかなって思って、
見ながら自分こういうことあったなっていうことをずっと考えちゃってたんですよ。
だから話に没入してなかったなって感覚があって、自分のことを思い出してた。
自分はこういうことあったなみたいな。
それを思い出す機能を持った作品としては本当に優れていたと思うんですけど、
なんか思い出すことに終始しすぎてしまっていたようにも感じたっていう。
この作品だけが持っている何かっていうのを僕はあんま感じなかったかもしれないなと思って。
だって見ながら僕自分のことしか考えてなかったんで。
ああこういうことあったなみたいな、こういうことしちゃったな、こういうことされたなっていう。
それはちょっと僕がイメージしている物語映画とはまた別種のものだったかもしれないなっていう感覚は覚えましたね。
それが言い悪いとかっていうことを言いたいわけではないです。
そんな感じですかね。
ではお便り紹介入っていきたいと思います。
ではマリオンさんお願いできますか。
グッドウォッチメンズ大ちゃんさんからです。
今作の門脇光平監督は僕の一つ年下である1996年生まれ、尊敬している映画監督に浜口龍介や深田浩二を挙げていて、
俺やないかい!となり、翼の視点で語られる幼少期のエピソードにも俺やないかい!となり、めちゃくちゃ同時代性を感じる映画でした。
あまりの同時代性に嫌悪なく記憶のフタが開いてしまうという人も多いのではないでしょうか。
僕もずっとパワープロをしていましたし、弁当もチャーハンばっかりでした。
そして小中学校の元友に大学で再会したけどちょっと合わないなという出来事が続いてから素っ気なく接していると、
いつの間にか大学を退学してLINEも辞めていたなんていうこともありました。
そうしたエモ消費に陥らずジャンル映画的に昇華した序盤の演出力は本当に見事でした。
それだけにフィクションで何度も見てきたような後半の行太郎の人物像には引っかかりを感じました。
おそらく監督は翼により実感を抱いていて、行太郎側のストーリーは頭で考えた想像力を抜け切れていないように思います。
一世一代の大勝負に出るにはこの作品が必要だったことは十分に理解できますし、
09:03
それゆえの強度もしっかり備わっている映画だと感じます。
それでも黒沢旧司が大島渚賞のスピーチで懸念を示した日本の若手監督は、
人を上手にとれても社会を取ることを避ける傾向にあるという言葉をそのまま表してしまっている作品だと感じました。
タクシー運転手になってからも乗客との関わりは描かれず、
あの状況から社会復帰ができるリアリティラインの保障に留まっているように思います。
そうは言いつつも、じゃあどうしたら社会を描いたことになるのかと聞かれると本当に難しいのですが、
きつめの感想になりましたがいろんな意味で皆さんの語りがとても気になる作品でした。
追伸、映画龍虎坊さんとのコラボ回、むかり人間もラストサバイバーもとても面白かったです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
同時代なんですね。
そうか、一個下の監督で、かなり俺やないかいというところがたくさんあったって感じですよね。
たぶん作中の主人公2人も監督の同世代って考えていいってことなんですかね、これはじゃあ。
そうだとは思いますね。
という意味では僕よりもちょっと下って感じですけど、同じぐらいの年代に小学校ではあったりとかっていうのはあるかなって感じですかね。
となると今年で30歳をイメージしているってことでしょうね。
ってことですかね。
30年に渡るって話書いてたかなと思うので。
はいはい。劇中って何年やと思います?
何年なんだろうな、なんか書いてたっけ。
小学3年生ですよね、スタートが。
そうですね。
で、ポケモンシールにデオキシスが出てきているから、ルビサファ世代なんですよね。
そうですね、ルビサファ世代で、しかもあのシールね、ポケモンパンですよね、あれはね。
ポケモンパンですよね。
懐かしいわと思って。
うち現在進行形ですよ、あれ。
今もそっか、あるのか、ポケモンパンは。
むちゃくちゃ見覚えあって、あれ。
あのシールめちゃくちゃ見覚えあるわって思いましたし。
とかね、翼の家の目覚ましがコラショとかね。
はいはいはい。
お前コラショとかの目覚まし時計とか持ってんのかいみたいなとか思いましたし。
あとゲームキューブでパワープロやってるんですよね。
そうですよね、とかDSとかね、できましたし。
で、1996年で小学3年生だと8歳9歳だから2004年ぐらいってことになりますよね。
そうですね。
その当時のリアリティを本当に実際の商品を使いながら表現しているのは本当に素晴らしいなと思って。
具体的であることは普遍的であることっていう言葉が聞いたことあるんですけど、
ごまかしなしに具体的にいついつの子供の話っていうことを描いていることで、
12:05
逆に具体的な、具体的かつ普遍的な子供時代を描いてるなとは思うんですよね。
別にあれらのゲームキューブとかルビサファ世代って僕のリアルタイムじゃないんですけど、
じゃあ自分のリアルタイムって何だったかなっていうのを想像しちゃう。
そこに普遍性があるなと思うんですよね。
そこをなんか変なごまかしなしにやってることで、
ちゃんと想像が及ぶようになってるというか、世代が違っても。
そこの徹底は本当に素晴らしいなと思いましたね。
そうですね、誰かにとっての実在感がある話ってことは、
実際にありそうな話だったんだねっていう、普遍的に年代問わずみたいな、
風な話であるっていうことの証拠になるみたいな、ってことですよね。
ちょっとあげていただいてる、後半のギョウ太郎の神仏像に引っかかり覚えてるっていうのは、
わかるなと思って、翼の生しさに対してギョウ太郎は想像力で描いてるようには見える。
そうですね、急に10年後って飛んでアレになるじゃないですか。
なんでってやっぱちょっとなるというか、そこまでだったっけみたいな、って正直思っちゃう。
そうなんですよね、小学校時代にのけものになってたっていう、
そういうこともあり得るとは思うんですけど、
ただ小学校の一番上の階になんか空間作って、
いつもいる子は友達になってたじゃないですか。
そうですね、バタハラでしたっけ。
彼との関係性ってギョウ太郎にとってすごい大事なものだったはずだし、
ある種、世界を許せる理由になり得た存在だと思うんですよ、彼って。
そうですね。
彼の存在が途中完全にスポイルされて、なんかあんまり役割を持ってなくって、
ただ単にギョウ太郎が社会からはみ出していくことだけが描かれていくから、
途中どうやって生きてきたのかみたいなのの、
想像があんまり及ばないなとは思って。
そうですね。
だから社会からドロップアウトしそうになることだけを目的に描かれてる人間として作られてしまっている後半が、
そこに対する何というか実在感のなさというか、
もちろんそういう人もいるとは思うんですよ、それは。
あり得ると思うんですけど、
なんかそこまでの描き方にしかならなかったのかなっていうのはちょっと引っかかったというか。
そうですね。
なんかそういう社会からドロップアウトしかけちゃうというか、
15:00
うまくその輪に入り込めなかったっていうのに、
幼い頃、幼い頃からそういう集団の輪に入れず、今もちょっとうまく入れず苦しんでるみたいな方はいると思うんですけど、
なんかここまで極端に描くっていうのって、それをある種ちょっとゾッとする存在として描くみたいなのって、
ちょっとやり口どうですかね、それみたいなっていうのは思っちゃうというか、
完全にジョーカーみたいな、ジョーカーのアーサー・フレックみたいな描き方というとあれですけど、
これに対する嫌だみみたいなのはあれもちょっと思い出してますけどね、
クレヨンしんちゃんの3Dアニメとか、敵の造形とかめっちゃ似てるなと思いましたけど。
そうだわ、そうですわ、はいはいはいはい、そうだわ。
いわゆるなんですか、弱者男性とかみたいな、いうものを敵に置く時のその手つきの雑さというか、
それに対する解決というか、なんか救いの出し方含めて、なんて上から目線なんだみたいな、
っていう意味でちょっとだいぶどうかと思うってちょっと思った作品ではあったんですけど、
それにもちょっと似てるかなって思いましたね。
そうですね、だから子供の時ってやっぱりその傷つけること、傷つけられること、
どっちに対してもあんまりわかってないし無頓着だったりするから、
結果的にどっちも経験してしまってると思うんですよ。
ただ本作って、つばさが傷つけた側で、ぎょうたろうが傷つけられた側として進んでいってしまったっていう体で、
最終的に二人の人生がクロスするんですけど、人生ってそんなやっぱ単純化できないから、
もちろん本作もその単純じゃないよっていうのを描いてたと思うんですよ。
そもそもぎょうたろうが傷つけてた側面ってありますよねとか、単なる勘違いでしたよねみたいな、
あるいは本作の劇中に描かれていない部分にその単純化できない行間あるなっていうのはあるんですけど、
やっぱりこの二人の関係自体はめちゃめちゃ単純化されてるから、
ぎょうたろうがつばさにとっての過去の罪の象徴のように描かれすぎてしまっている。
もう一人の人間というより、つばさがやったことでぎょうたろうの人生こうなりましたよねっていう、
君のせいではないでしょうかみたいなのを突きつけるような存在になっちゃってるから、
もちろん最終的にそうじゃないところに至るんだけど、過程がその二言論になっちゃってるから、
この映画を描こうとしてる複雑さと二人の関係性の二言論的なシンプルさは微妙にちょっと噛み合ってない感覚も覚える。
そうなんですよね、だって序盤はつばさの視点から始まって、途中ぎょうたろうからの視点から切り替わるっていうタイミングで、
もろに姫アノールみたいに途中でタイトルが出る演出みたいなのをしてまでやってるっていうか、
18:06
だいぶちょっとお便りにも書いてましたけど、序盤のジャンル映画的な演出力というか、
途中ガチのホラー映画っぽいもあるじゃないですかみたいな、
描き方した後にああいうこともやってるので、よりちょっとそれ強めてねとかちょっと思ったりもしますし、
そこに至る過程もちょっとなんか、いや描いてないだけで割りますよって言われたらそれまでですけど、
それもちょっとでも余白あるようでなさそうだぞみたいな関係性のドラマはとか持っちゃったりするので、
そうかなーみたいなふうに思うし、僕もそこは引っかかってましたね。
姫アノールも正直極端っちゃ極端ではあると思うんですよね。
そうですね。
極端ではあるんだけど、姫アノールは別に、じゃあ自分に何ができたかみたいなのは正直ないと思うんですよ。
こうなっちゃったけど、じゃああの頃の俺に何ができたのさみたいなのはどうしようもない。
そのどうしようもなさこそ味だとは思うんですけど、
そうですね。
本作ってむしろ自分がこうしてしまったみたいな側面が強くなってる。
もちろんそうではないんだけど、ストーリーテイニングはつばさのやったことが、
ぎょうたろうこうしましたになってるから、なんかこうちょっと単純顔の強さは感じるっちゃ感じる。
そうですね、そうなんだよな。
そこを、ぎょうたろうの大人になってからだいぶダークになっちゃってる部分の過程の描き方が単純というか、
ちょっとそれどうなんみたいなとか、関係性が単純だからこそちょっと余計引っかかるみたいな部分がまた、
それラストの決着のつけ方によっては多少柔らかいだけの気はするんだよなとかも思うので、
いきなりここまでラストまで含め込んじゃうとちょっとなんか荒れたので、一旦止めますけど。
そうですね、じゃあ次のお便りいったん行きましょうか。
M原さんからいただきました。
9月開催の映画バーの時点では本作を鑑賞していなかったのですが、
ご覧になられた方は一応に厚く語られていた本作。
なるほど期待にたがわぬ恐ろしい映画でした。
恥の多い生涯を送ってきた私にとって忘れるという機能は生きるために非常に重要な能力ですが、本作はそれを許してくれません。
中学時代の翼、貸すすぎるぞお前と思いながら見ていましたが、
端から見れば自分の学生時代も同類だったという自認のため、見ている間は過去の愚行を忘れるなよというメッセージを暴力的に叩きつけられ続けた感覚でした。
とにかくずっと苦しかったというのが率直な感想です。
打足になりそうですが、個人的にはこなつ視点もできれば欲しかったなと思います。
人と語りたいという点では今年見た中でも最上位に入る作品です。
はいありがとうございます。
ありがとうございます。
中学時代の翼、貸すというか不良ですよね。
21:01
そうですねあぐれてますねみたいなっていう感じ。
ああいう感じのぐれた感じは同級生にもいました。
見たことあるわって思いましたね。
僕も中学時代むちゃくちゃ見ました。
僕中学無茶苦茶悪かったんで。
僕のところの中学めちゃくちゃ悪かったんで。
もうちょっと伝説的な世代と言われてるんですよ僕の中学の同級って。
周りからも恐れられてた中学だったんで。
もうどこそこ中の何々はさぁみたいなのが。
結構僕その話題の中心になっていることを小学校低学年の時は仲良かったりしたんですよ。
ちょっとそこも僕ね重なるというか入っちゃう部分あるんですよ。
でもねありますね確かにわかりますね。
くしくもなんですけども僕の世代も随一で悪い年と言われまして。
ぐらいにはクソ荒れてたんですよっていう状態で。
男子も女子も荒れてたのでって感じだったので。
小学校の頃あんなに仲良く遊んでた女の子がもうめちゃくちゃ喋れもできないぐらいの存在になってるみたいなのはあったりとかはしましたね。
劇中の翼たちのヤンキー感がめちゃくちゃ可愛く見えるレベル。
いやあのね正直ね翼不良向いてなさすぎるんですよ本当に。
うーんそうね向いてなさそうだなと思いました。
タバコ吸っただけで警察に追われてるって想像してしまうってちょっと向いてなさすぎるだろうと思って。
ちょっと弱すぎますね。
そっからね割と高校でまあいわゆる一般的な学生に振り戻してるみたいなのはちょっと嘘だろうと思いました。
どうなんですかねまあでもそっか。
僕はでもその高校に入ってからのクラス大半寝てるってあたりに結局このぐらいの学校に入学したんだなっていうのが見れて僕は結構あそこ好きだし。
それはそうかもしれないあの小学校時代翼むちゃくちゃ出来良かったんですよね。
そうですね。
だけどまあ中学で暮れて多分まあいわゆるそこまでの進学校ではない高校に行ってるんだろうなみたいな感じはある。
っていうのがよくわかるクラスだったなっていうか秒針だったので僕は結構まあありそうだなと思いました。
まあそっかいや僕の人生の中ではああいうケースはなかったというかもう中学っていう感じの暮れ方したらなんかその戻ってくる服は来なかったなっていう感覚はあって。
24:02
まあそうですねまあどうなんかな戻ってたんかなちょっと高校時代どうだったかとかその見えないんですけど僕の時には。
まあでもまあ成人式の時とかにまあ同窓会とかで会った時にはまあまあまあそこそこま人間になってそうじゃんみたいな感じではあったのでまああるかなと思っちゃってましたね。
あと僕その翼の中学時代の暮れ方より高校でまあ普通の学生に戻ってきてることにちょっとイラつきましたね。
イラつく。
器用に生きやがってよ。
まあそうですねまあそれはちょっと行太郎みたいにケッと思うみたいな気持ちはありますよね。
あと小夏視点が欲しかったっていうのはちょっとわかります。本作においてめちゃめちゃ重要な位置だし結構この作品がその翼と行太郎の2人であることによって結構人間論的な語りになってしまっているところをより相対化複雑化することができる存在でもあるから。
ちょっと似合わせはあるんですけどねその小夏視点のさらにもっと事実って単純じゃなかったなっていうのの似合わせはあるんですけどまあそうですね。
それやりだすと桐島部活辞めるっていう風になるなっていう。
そうですねなんかまあ僕はこの2人の閉じた世界だからこその強度のある映画だと思っているので。
それはそうですね。
僕はまあなくてもいいかなっていう。まああったらよりなんかいろいろ掘り替えというか深みは増すんでしょうけどなんか僕はこの2人の関係性の強度に欠けている作品だと思ったので。
そこはなんかその選択は僕はいいと思ってますけどね。
画鋲の下りとか本当素晴らしいなと思いますあれは。
はいはいはい。
はいでは次のお便りいきましょうか。
はい黒原ふゆきさんからです。
声の形にもあった過去の出来事を記憶からの脱却を冴えない僕と映える君にあるような同じ時間軸を別視点から描くセリフではなく時代性を反映した靴やシールゲームといった小物を交え小学生らしい挙動をアニメーションで描くという点で計算され尽くした映画でした。
特に見上げる見下ろす視点の設定に関しては繰り返し見て確認したいと思わせる出来栄えでした。
一方で小学校時代に焦点を合わせたストーリーそのものは自分の過去と照らし合わせたり引き寄せられたりすることはなかったです。
ネットで知った人生は思春期の配線処理であるという言葉が人生の真実だと思っているので小学校時代は思春期に回収されると思っています。
思春期以降がすっ飛ばされ翼の過保護な母親との関係の変質やタクシー運転手として社会復帰した行太郎の家庭バターハラとの再会が描かれないため後半がジャーネーのためのお膳立てのように見えます。
27:02
映画としての作りの緻密さはすごくよくできていますが感情面では羽ばらなかったです。
ありがとうございます。かなり鋭いなと思うんですけど、まず小学校でうまくいかなかったっていう経験って中高で挽回できるとは思うんですよ。
むしろ中高で挽回しようとして本当に命の人生にクリティカルに影響するのってそこだと思うんですよね。
だから行太郎は多分中高でさらにとんでもないミスをしてるんだと思うんですよ。それで取り返しかなくなってる。
小学校時代のこと、中学の時代には入ってるけど、多分高校でもまだ何か起こり得たとは思うんですよね。
そうですね、中学校の頃はまだ多分小学校のメンバーほぼそのまま上がってきてってなるので、あんまメンツが変わんないみたいなのはあるので、中学校は引きずりそうだなっていうのは思うんですけど、高校とか入ると結構ガラッと変わりそうな気がしますよね。
人間関係結構変わるじゃないですか、高校って。
変わりますよね、確かにね。
実際、後々の人生で付き合う地元のツレって高校時代のツレだと思うんですよ。
かもな。
ある程度感性固まってからの相手じゃないと、後々の人生で長く付き合うのは厳しいと思うんですよね。
やっぱ小中って感性固まってないから、あの頃は仲良かったけど会わないなってなると思うんですよ。
実際この話ってそういう話だと思うんで、そうですね。
だから、噛み合う人が会うのも、人生に致命的なつまづきが起きるのも高校時代なんじゃないかなって思って。
あるいはその年代、中学を卒業した後、学校行くか、あるいは就職したりそうじゃないっていうこともあり得ると思うんですけど、
人生に何かが本当の後々の人生にすごい影響を与える時間ってそっちなような気もする。
っていうのはそうかもしれないなとはちょっと思って。
で、そこなしに小学校時代の話をこの話延々と引きずってるから、え、高校の時代ってないの?って思っちゃうとこはあるなとは思って。
なんかその、小中と大人時代しかない話になってる感じがするなと思って。
そうですね。確かにちょっと間がやっぱ余白になってる分、
なんか本当にずっと小学生時代にとらわれてる人みたいな、だいぶすげえ尖り方してんなみたいなというか、
というか、なんていうんですかね、下手したら秒速5センチメートルの高きと似てる部分もあるじゃないですか、下手したらですけど。
30:05
小学校時代のある初恋がずっと呪いになってしまってもいるみたいなっていう話だったと思うんですけど、
ぎょうたろうの存在というか、すさみっぷりというか。
けどなんかそれがなんかその描き方どうなんみたいな感じにキャラ造形的にもなってるんで、ちょっと飲み込みづらいなというか。
秒速5センチメートルはまだ内静的な話であり、見てくれ?
で、体裁だけは何とか普通であろうとしてるがゆえにそこの歪みに苦しいみたいな描き方になってるから納得しやすいんですけど、
極端にちょっとね、すさみ切っちゃうみたいなとこまでいっちゃうキャラクターになってるので、
まあまあ、なんかそうか?みたいなふうに思っちゃうんですよね。
だから本作結構本当に間引きしている要素が多いんですよね。
翼とぎょうたろう以外の視点も間引いてるし、小中と大人の間の時間もかなり間引いてるから、
なんかすごい単純化してしまっている。小学校時代のことが人生全体に影響している。
二人の関係だけが人生に影響しているみたいな単純化にはなっているのは、
本作の強度と控えの複雑さの無さっていう、それはトレードオフの側面もあると思うんですよ。
そうですね。
単純化しているからこそ強度が強いとは思うので、
そこをよくよく考えると、なんかそれでいいのかなーみたいに思っちゃう部分はある。
なんですよね。だからやっぱりお便りにも書いてますけど、
全てがラストのためのお膳立てっぽくね、みたいな。
に見えちゃうのも、そうやろうなというふうには思いますね。
そうですね。
よしよしですね、そこは。
そうなんだよな。これをうーんって言えるのは絶対言えるんですけど、
でもこの強度にするにはこれぐらいいるよなーみたいなのもあるので、難しいよなーと思って。
そこはやっぱり引っかかりはしますかね。
ちゃんと見てる人に傷ついてほしいと思ってる映画だと思うんですよ。
そうですね。
そのために作られている映画だから、あんまり相対化したり複雑化したりして、
あーまあ結局それぞれですよねーみたいになったら、見た人が傷つかなくなる可能性があるから、
ちゃんと傷つけよっていう、お前がしたことってこうなってるかもしれないだろうっていうためには、
やっぱりある程度の単純化はいる気はするし、
まあそうですね。
で、傷ついた上で救われるためのじゃあねーだから、
そのためにはある程度やっぱりシンプルな話になる側面はあったのかなって気はしましたかね。
はい。おいちさんが到着されました。お疲れ様です。
33:00
お疲れ様です。
お疲れ様です。
まずおいちさんの触りの感想をここで入れときましょうか。
はいはいはい。今お便りとか紹介してる感じですかね。
はい。
そうですね。あー了解です。
で、触りの感想は、
とにかくこう食らうタイプの作品だなと私は感じたというか、
忘れてたというか、記憶の中に埋めていたものを無理やりほじくり出されて、
殺しに来られたなっていう感じの映画だったなとは思いますね。
まあやっぱりストーリーというか、
その幼少期の加害性みたいなものを
まじまじと被害者側から突きつけられたような感覚はしましたし、
もしかしたらちょっとこちらにこう見た時の感覚にも近いのかなと思ったりもして、
そこのどちらに感情移入したかってところ次第かなと思いますが、
その年齢相応にというか、
まあ年齢相応にってわけでもないんだよな。
こうちょっと浮いてしまう感じの状況に陥ったことのある、
あるいはそれの外側にいたこと、
まあ確かこれ監督両方とも自分だっていう風なこと言ってたような気がしますけど、
なんかそのどちらの立場に置くか、
あるいはどちらの立場としてこの映画を見るかによって、
いろいろ思う感想はそれぞれ変わるだろうなと思ったし、
その人なりの感想が出やすいタイプの映画なのは間違いなくて、
それが多分面白いからこそSNSでこれだけ盛り上がってるというか、
割とこうみんな喋りたくなってる感じの映画かなとは思いましたね。
なので結構明確にこちらにインフルエンスしてくるタイプの映画として、
今っぽいなという感覚はすごいしたっていう感じですかね。
あとはやっぱり面白いなとちょっとだけ思ったのが、
街の描写かなと思ってて、
台風クラブ的な田舎ではないじゃないですか。
ちょっとした郊外なんだけど、
ちょっとした郊外実はめちゃくちゃ東京近くじゃんってことが後でわかるわけですけど、
大人になったタイミングで。
子供のコルビューションの時にはそこが映ってなくて、
家と田んぼ、家しかなくて周りに田んぼがあるっていう郊外。
本当に関東近郊の郊外としてよくあるなって思うんですよ。
実際監督たちが川越えをイメージしてみたいなことをおっしゃってましたけど、
なんかね、その感じ今そこに住んでるので、関東の郊外に。
めっちゃわかるなと思って。
見渡す限りマジでいいしかない。
映画館もなければ本屋もないみたいなところ。
いわゆるベッドタウンって言われると思うんですよね。
ならではの閉塞感は台風クラブにおけるその山とほぼ同義だなと思って。
36:04
もうここから子供の頃においては出ていけないのだっていう。
プラスアルファーで多分特に行太郎がそうかなと思うんですけど、
大人になった時に東京がすぐ近くにあることがわかってそこに働きに行ったりするじゃないですか。
そうすると思っていた閉じ込められていた地獄というのは
意外にもちっちゃいものだったってことに気がつくことの絶望はあるなって思うんですよね。
ここで生まれてしまってここは世界だと思っていたのに、
この外側にしかもすごく近くに手の届くところにキラキラしたところがあって、
特に行太郎はそこに閉じ込められたって思ったから東京に出た後の方がやばいと思うんですよ。
そこで失ったもののデカさに、失ったと思い込んでいるもののデカさに気がついてしまうというか。
そのダメージだなって思ってて。
それめっちゃわかるな。
それは関東ならではというか、関西はもうちょっと横に広がっているイメージがあって、
関東の集中したキュッとしたキラキラしたものは真ん中にあって、
外側はただ街しかないっていうところならではの地獄感だなって思いながら見たりしました。
なるほどな。
その行太郎はティッシュコバリーのバイトで都心に行っていると思うんですけど、
ただ家は多分どこなのかなあれはわかんないですけど、
あんまりこう自由じゃない感じはするんですけど、
翼はなんかもう大人になったら軽やかなんですよね。
そうなんですよね。
結婚式の二次会の後でも、終電で帰るよって言って帰れちゃうっていう、
都心を手段として使えるようになっている。
それは逆に言うと、地元を手段として使えるようになってるんですよ。
使い分けれてるんですよ、都合で。
そのフットワークの軽さはもう行太郎にはないんですよね、あれ。
どっちに行っても何かに縛られるから呪いにしかならないっていうのは、
あの軽やかさの差には出てたなと思いましたね。
そう、なんかその辺の描写の上手さというか、
人物描写もそうなんですけど、その背景にある土地感というか、
ある種の知性学的な部分をキャラクター性にどう落とし込むかっていうところが、
本当にこの映画はうまくできてるなとは思いましたし、
ゆえに多分地方出身者もギリギリ共感できるし、
都心部あるいは関東の郊外に出身の人たちにも共感できるっていう、
かなり広いレンジに届く作品になってるんだなって思いますね。
なるほどな。
はい、さわりの感想こんな感じでございます。
はい、では最後のお便り、オシさんいいですか。
了解です。
オシさんでいいんですかね、からお便りいただいております。
39:01
今回初めてメールさせていただきます。
先日のバーへ初参加させていただきました。
オデュッセイの時計をしていたものです。
これまでも行こうと思った機会は何回かあったのですが、
怖くてうかがえずに時が経過してしまいました。
今回土曜日にハシゴで見た映画は、
我々は宇宙人とさとこはいつもがあまりにも素晴らしすぎて、
この熱量を共有したいと思い、勇気を出して参加させていただきました。
むちゃくちゃ楽しかったです。
また次回以降、時間を使って伺います。
この2作品ともファーストカットがとにかく素晴らしく、
開始2秒で一気に心をつかまれてしまいました。
我々は宇宙人のファーストカットは、
雲に隠れながら月が赤く見える夜空を窓越しに見ていて、
窓の水滴も徐々に見えてくるという描写で、
窓の水滴の描写がすごく見た瞬間に、
うわっとつぶやいてしまいました。
我々は宇宙人の内容は、
事前にあまり情報を仕入れずに予告編の映像のみで
あれこれ想像をして構えていて、
小学生のスタルジーを中心に描いた作品だと思っていたのですが、
展開のすごさ、
とっくに中盤で、
え?ここでタイトルが出てくるのか?と感じ、
起点人物が翼から行太郎に一気に移り変わり、
もう一度小学生時代から物語を編み直す構成にまたしても、
うわっとつぶやいてしまいました。
描かれる小学時代のあるある、
自分は監督とは世代が10年ほど違うのですが、
もう見ていて涙が出るぐらいリアルで、
ああ、こういう変な歩き方やったわ、
ランドセル掴まれたらイラッとしたわとかとか、
見ていて悶々としてしまいました。
そして公式サイトでは、
映画鑑賞済みの人向けに制作ノートが公開されていて、
これがとんでもないボリュームで、
今少しずつ読み込んでいます。
その冒頭に監督のメッセージ、
全人類の人生を肯定したい、が載っていて、
この作品で何を描きたかったのか、
単なる小学生時代ノスタルジーを描きたかった作品ではないことを実感いたしました。
過去を記憶に残さず生きていく生き方、
過去に縛られ苦しみながら生きていく生き方、
この2つの人生がどちらが良いどちらが悪いと描くのではなく、
共に肯定し、それぞれ受け入れることで人生が前に進む。
最後のワイルドスピードスカイミッションの
ラストさながらの車並走のお別れシーンで、
じゃあね、ではもう号泣してしまいました。
土曜日に見に行って耐えきれず、
月曜日にももう1回見てしまいました。
ポッドキャストを聞いてまた行くと思いますし、
何回も行くことになると思います。
配信楽しみにしています。
10月のバーも行きたいと思っております。
とのことです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
子供時代の動作の描写は本当に素晴らしいと思うんですけど、
あ、子供だなーって。
今やれって言われたら絶対できないんですよね。
できないです。できないです。
これどうやってコンテというか、
切ったんだろうなって思うぐらいリアルだなと思って。
僕結構この映画好きなシーンが、
ちょっと時代あるあるでもある、平成あるあるでもあるんですけど、
翼がゲームを親に隠れてしていてっていうシーンあったと思うんですけど、
42:00
テレビのところ。
で、ブラウン化なんですね、まだね。
で、たぶんゲームキューブのパワープロとかやってるんですけど。
はい、そうですね。
で、ちょうど消した後に親が帰ってきて、
で、寝たふりをして、
そしたら親がこいつやってたなってことをなんとなく察して、
テレビ触ってバチバチって鳴るっていう。
静電気がこう感じるっていう。
あれとかうわーってなりましたけど。
なんかああいう細かい時代的なあるあるの詰め込み方、
あるいは切り取り方みたいなところと、
そこに対する子供の動き方というか、
リアリズムがまあよくできているなと思いましたね。
ああいうことしましたね。
しましたね。
してました。
しておりましたって感じなんですけど。
だから本作って、
こういうことしたなとかあったなっていうことを思い出させるっていうのが、
最も意図された機能だと思うんですよね。
それは本当にちょっとした所作もそうだし、
あるいは人間関係のこと、
傷つけたこと、傷つけられたことなどの、
記憶の掘り起こしってものをさせる映画だと思うんですよね。
それは本当に見事だなと思いますね。
だからその細かい描写にも、
多分そういうものが積み重なるからこそ、
小学生の頃の記憶みたいなものに嫌が多でも、
行きつかせてしまうというか、
それが各個人の多分それぞれのところにあるんでしょうけど、
その辺を本当に映画的手法としてやっているなというか、
関係ないシーンのつなぎなんだけども、
そのシーンそれぞれに記憶を、記録された記憶というか、
記憶されているものをルックバックさせるものがあってっていう。
あと中盤タイトルのところってもう皆さん話されてます?
ヒメアノールだなっていう話をしました。
まあヒメアノールですよね。
ヒメアノールだなって思いながらっていうか、
ちょっと僕触りの感想でヒメアノールだなって言いましたんですけど、
吉田圭介っぽいっすよねっていう話を。
ぽいぽいぽい、めちゃくちゃぽい。
なんかこう人と人との関わり合いで、
本当に些細なボタンの掛け間違いみたいなことで、
マジでぐちゃぐちゃになるみたいな。
でも本当にぐちゃぐちゃになるわけですけど、
モンスターもみたいな。
この人間模様とかはすごい似てるし、
それでも希望画みたいなものを描くところとかもすごい似てる。
似てる、似てる。
ていうか、下手したら吉田圭介よりもリーチが届くところに、
まだ持って行っちゃってるじゃん、この映画みたいなぐらい。
もうあるっちゃある。
ですね。
それ分かります。僕吉田圭介作品見るの怖いっすもん。
怖いっす。
しんどすぎて。
怖いっす。
今度の新作も怖いなって思ってますよ、メンバーとか。
45:01
怖いってこの設定って思いますけど、
なんかそういうのをやってる映画でもあるというか。
あと、ひめやのおるの原作漫画の
漫画家の古谷実作品っぽさもあって、
いきいなちゅう卓球部ってギャグ漫画、
多分お二人よりもはるか上の世代の漫画なんですけど、
ギャグ漫画って僕よりちょっと上の世代では伝説的な
青年ギャグ漫画なんですけど、
ずばり今回のこのエピソードみたいな回があって、
主人公が昔小学校の時に、
そいつがやったんじゃないのにそいつに罪を押し付けちゃって、
それを謝れずにめっちゃ残ってるっていうのに、
じゃあ謝りに行こうぜって言って、
謝りに行こうとしたらむちゃくちゃグレてても、
怖すぎて謝れないっていうエピソードがあるんですよ。
近い近い。確かにね。
それはギャグ漫画でやってるんですけど、
ただその古谷実はそのいなちゅう卓球部とかで、
そういう人生の傷みたいなものをギャグとして洗ってたものを、
だんだんギャグとして笑わなくなっていくんですよね。
ほうほうほう。
だんだんそのギャグからシリアスのグラデーションが濃くなっていって、
その後秘密で完全にシリアスに振るんですよ。
はいはいはい。
そっか。
秘密もなのか。
その秘密以降の系譜にあるのが姫アノールなんですけど、
なるほど。
あれギャグとして笑えてたものって、
いやでも笑えなかったでしょっていう風に転換していった先の、
果てみたいなものになってて、
すごい古谷実作品を思い出してたんですけど僕は。
確かに確かに。
なんか本当に考えたくない展開というか、
ちょっともし小学校時代とかに異婚がある人と、
大人になって出会うことになったらっていう最悪のシチュエーションみたいな、
のを煮詰めたような映画というか、
そういうちょっといたたまれなさみたいなのもやっぱり似てるというか、
吉田圭介っぽさとか多分それもちょっと似てる部分かなと思ったりしたので。
だからお話自体が新しいわけでは多分ないかなとは思っていて、
ただなんて言うんでしょうね、その型には確かにハマってるし、
それに共感するのはまあそれはそうでしょうっていうぐらいの、
ストーリーテリングではあるなあとは思うんですよね。
明らかにそこに影響を受けている。
でまあ別に映画すべてが新しい必要はないとはいえ、
この映画じゃあなんでみんなこんな新鮮に捉えてるんだろうっていうところを考えると、
なんでしょうね、時代感の描写はあるにせよ、
ちょっと思ってるのがこの手のテーマってもうちょっとサブカル寄りというか、
なんかなんでしょうね、もうちょっとこう、
48:03
ニッチなところに届く感じの作品が多かったんじゃないかなって気がするんですよ。
に対して本作って割とメジャーに受け入れられてる感覚がちょっとあって、
でもそれは多分さっき言ったあるあるの要素の詰め込み方のメジャーさは確実にあるなと思うし、
あと昨今の予告の出し方とか宣伝の仕方っていうのもすごくこうメジャーっぽく出してるところが大きいなと思っていて、
いわゆる展開を何も出さずになんとなくこういう絵ですよだけで見せに行くとか、
そこら辺の多分売り方と波及の仕方はメジャーなんですよ。
どちらかというともちろん作品自体はストーリーというか、
絵作り自体も確かにちょっと新しいっていうか他にもあったしなと思いつつ、
これがこんなに受け入れられてるっていうの自体が私は新しいなと思っていて。
そうですね、確かにこの内容って、
ぎょうたろ側だけで描かれることが多いような気はするかなってちょっと気はして、
それがちょっとそのサブカル的な視点になるっていう、
サブカル側の人間としてのある種のこうアイデンティティとして、
そういうものを語るみたいな側面はあるのかなって気はしたけど、
やっぱり今回って翼側が基本的にはメインの視点。
あくまでそのぎょうたろは翼がやったことを主観で当事者として見せるっていうのが後半だからだと思うんですよ。
あくまで翼側だと思うんですけど、
ちょっと僕それに具体的に体験としてわかるなっていうことがあって、
僕が見た回なんですけど、
20代中盤ぐらいの男性グループ、5、6人ぐらいが見に来てたんですよ。
で、終わって帰ろうとしてる時にそのグループがめちゃくちゃ喰らってたんですよ。
あーなるほどな、はいはいはいはい。
で、もういかにもなんですよ。
確かに。
いかにも翼っぽいやつらなんですよ、それが。
はいはいはいはい、なるほどね。
なんですよ。
確かに。
で、実際この映画見に来るのってそういう人たちなんじゃないかなって気がしていて、
サブカル感がないから、僕、ギョウ太郎が実際にいたとしたら、
ちょっとサブカル側の人間になってると思うんですよ、たぶんね。
でしょうね、うんうんうん。
メジャーに対するアンチをよりどころにして生きていくことになると思うから、彼は。
51:01
でもそのサブカル側になった時に、
たぶんこの映画そんな見に来ないんじゃないかなって気がしていて、
だっていじめっ子側が許される映画なんて許せるかよってなると思うんですよ。
はいはいはい。
そうじゃなくて、やっぱ本作は翼側、メジャーのまま生きてこれた側の人間たちが、
ちゃんと傷ついてくれっていうつもりで作られてると思うから、
ちょうどその人たちが傷ついてるとこを今僕見たんじゃないかなっていう。
なるほどな。
でもわかりますね。
うちの、私が見た回でも割とやっぱり似たような層が多かったような気がしていて、
もちろんぎょうたろ側もいるとは思うんですけど、
やっぱでもメジャーでというか、
なんかその普段映画見に来ないけどちょっとこれは気になるなって言って見に来たくなるような売り方はしてたなと思って、
北市の情勢の仕方というか。
で、たぶんその確かに正しくそこの層に刺さるように映画は作られているから、
そこをターゲットにして作ったってこと自体がやっぱりこの映画の新しさなのかなっていうのは思って。
なるほどな。
ちゃんとぶっ刺さって、かなりぐらついてる人がいるんならまあいいかと思ったんですけど、
まあちょっと翼側っぽい人たちがっていうのがあって、
まあじゃあいいのかと思ったんですけど、
これちょっと個人的に思ってるんですけど、
あのラストっていいんすかねってちょっと思っちゃってるとこあるんですけど、正直。
すいませんね、お便りの感じと僕真逆なんですけどイメージが実はっていうのがあって、
何許されようとしてんねんってちょっと思っちゃったんですけど、あのラストは。
まあね。
いやちゃうくねってちょっと思っちゃったんですけど、僕だけですかこれっていう。
なんていうんすかね、そこはなんかあれでじゃあねってして、
綺麗に別れることでなんか許されたような気持ちになって出て行けるじゃんこれって思ったんですよ。
あの時お互い悪かったねみたいな。悪かったっていうか傷つけちゃったねみたいな。
ズダボロになったねみたいな。
けどお互い人生ちゃんと歩んでるんだなみたいな。
まあ会うことはねえかもしんねえけどみたいな感じでじゃあねってするわけですけど、
まあしてもいいですけど、ちょっとは引き受けた方が良くねって思う。
全部なかったことにする感じありませんかみたいなあのラストみたいな、綺麗なラストってちょっと思っちゃって。
もちろんそのお互いの人生それぞれ、あの時はすれ違っちゃったけどお互いなんか自分の道生きてんだねみたいな。
分かち合うみたいな希望はあっていいんですけど、そのまあ希望を見せるみたいな。
人生を肯定するって意味はいいんですけど、さすがに肯定しすぎやしねえかみたいな。
54:02
バランス感覚ちょっとエモに振りすぎやないってちょっと思っちゃって、だいぶ引っかかってました僕。
まあそれはそうかなと思って、自分がぎょうたろ側だったら許さないまま生きていくと思うんですよ。
あいつ許せんなっていう、今は生きて生きてるけど自分はそれはそれとして許さんなっていう。
生きていくし、やった側も許されないまま背負って生きてくれよって思うと思うんですよね。
そうそうそう、そうなんですよ。
だから本作は僕、傷つけた側、傷つけられた側、それぞれの立場じゃなくて、誰しもどっちもあったよねっていう、
そのどっちもあった身としては、もうそのどっちもあったことを自分に対してはせめて許すしかないと思うんですよね。
どっちかだけじゃないから許すっていうことが結末として許されているんじゃないかなって気はしていて、
これが完全に純粋にいじめた側といじめられた側の話になってたら、ふざけんなよってなると思うんですよ。
でしょうね。
背負えよって。
そう、おいって。
あと不安はあったけど、直接いじめたいじめられたの関係じゃないっていうのは結構大きいような気はしていて。
きっかけは作ったけどもぐらいなと思うんですよね。
本人ちょっと忘れてるぐらいじゃないですか。
まあそれも最悪ですけどね。
それは問題なんですよ。
だから加害ではないと思うんですよ。傷つけてはいるけど、結果こうなったけど加害しようとしたわけじゃないみたいなのがあって、
だから僕中学時代にパッシーさせられてた彼がじゃあねーは言わんとは思うんですよ。
でしょうね。
絶対言わないでしょうね。
本作の本当に中心になるべきは彼なんですよ。
だから本当の被害と本当の加害は実は描いてないっていうのが多分ポイントで。
あくまでずれてしまったっていう。
だからまあじゃあねーでもいいかっていう。
うーん、そうか、みたいなと思うけどなっていうのはちょっと思ったりするというか。
あれね、行太郎から言うからさらに厄介なんですよ。
お前から許すなやっていう。
ところがあって、お前から発するなよというのは思ったりもしたし、
なんか希望を見せるというかお互いの人生もあるし、ちょっとまた分かち合って別れるみたいなエモーショナルさで持っていくのはいいんですけど、
なんかもうちょっとつつましやかにやってくんねえかなとかは思うっていうか。
これルックバックのアニメを見た時にも思ったんですけど、
なんか過剰にエモすぎんかっていう部分に同じものを感じたというか。
57:04
いやー難しいなあ、なんかすごいおっしゃってることもすごいわかるし僕もそっちの方が好きなんですが、
さっき言ったその翼側に届けるためにはこれしかなかったなっていう気もちょっとしてて。
そうなんですよ。
前は加害者だって言われたまま劇場出るの嫌だと思うんですよ。
あーなるほどね。
なんかね、そのメジャーに届けるためのバランスだなって感じがすげえするんですよね。
それが嫌なこともわかりますという前提で言いますけど。
いやーそうね、なるほどな。
でもそのバランスだったらやっぱ吉田圭介の映画のラストって絶妙やなって思うというか、
本当に希望、ほんのちょっとしか見えんけど希望だったなと思う。
バランスの方が良かったと言うとあれですけど、
ルックバックのアニメを出して実写版のルックバックを見てたんですけど、
やっぱ実写版のルックバックって抑制されてるなと思ったんですよ。
やっぱさすがやなって思ったんですよ、この映画さすがっすって思って。
このバランス感覚があるべきだったなと思ったので、
やっぱアニメになるとそこのリミット外れがちなんかなーってちょっと思っちゃったんですけど。
まあでも外れるからこそ届けやすいみたいなところかなという感じですかね。
そうですね、まあそれ言うと秒速5センチメートルとかもそれぐらい研ぎ澄まされたから良かったじゃんみたいな話になるんですけど。
分かるんですけど、でも秒速とこれ違うのって、
やっぱ秒速は余白を残して終わるから、あれ余白じゃねえもんなーって思っちゃうからな。
そうですね。
なんかガチガチに固めてきてるやんっていうのも、んーって思っちゃって、
なんか僕ちょっと違うくねーかーってずっと思っちゃったんですけどっていうのはありますね。
秒速が上手いのは、そのエモーションを当人たちじゃなくて、
マサヨシに預けてるからなんですよあれは。
本人たちは言葉を交わさないけど、
全ての上巻をマサヨシが代弁しているっていうことをやってるから、
あれをできてるんだと思うんですけど、
今回やっぱじゃあねーって自分たちで言うから、
いや目線交わすだけでもいいんじゃないかって気持ちはある?
そこを、やっぱ秒速は上手いですよ。
実際の人間がここで声をかけたりはしないなっていう、
それを全部マサヨシに預けててるから、
秒速を認めてるはすごいんだと思うんですけど、
やっぱりほぼ他人だから、
じゃあねーって言うほどの関係ももはやうつろになってるなとは思うんで、
だから僕が本作見てて思ったのは、
そのじゃあねーって言って許されるなというよりも、
1:00:00
本当にあの時間ってそこまで、
あの二人にとって大事だったのかなっていう描写足りなくねってちょっと思ってて、
はいはいはいはい。
だから翼とギョー太郎の関係が、
マドカとホムラぐらい強くないと成立しないんじゃないかってちょっと思ったというか、
たとえ関係が不安になって、
お前のせいで俺の人生こうなったとしても、
時が経ったらじゃあねーって言うほどの関係じゃないといけないと思うんですけど、
幼い時の友達って別にああいうもんだと思うんですよ。
むちゃくちゃ仲良かったけど、
ずれたらそのままお互いに薄れていって、
もはや覚えてさえいなくなったりするみたいなもんだと思うので、
子供の時の何々組んだって思っても、
なかなか声かけたりまではいかない。
もう人生ってずれてるから、すれ違ってるから、
声かけたりしないと思うんですよ。
じゃあそこまでの酸いも甘いも噛み分けた先に、
30歳になってじゃあねーって声をかけるほどの関係って、
ただの幼い頃の関係以上じゃないと無理くねってちょっと思っちゃったというか、
私あのじゃあねーに対して、
ちょっとお互いに言ってない感じがあるなと思っていて、
自分ですよね。
そうそうそうそう。
結局青春時代の終わりだんだなって思ったんですよ、あれを見て。
自分自身に対して言ってるそうですね、自分の過去に対してね。
そうそうだからパストライブスのラストに近いなって思ってて。
それはわかるんですよね。
で、なんかそういうのはもう2人の呪いの連鎖というか、
それぞれ何かしらの枷は背負ってるっていう風な描写はあるわけで、
そういうものを自分自身で許すっていう風な描写なんだろうなとは思ったんですよね。
だからそれをね過剰にエモくするためにじゃあねっていうのは言わせてるんだと思うんですけど、
言いたいことはそういうことだろうなって解釈してて。
そっちの解釈だったらわかるわって思います。
もう自分で許すしかないじゃないですか。
他人からの許しなんて求められるもんじゃないからこれ。
それは全然納得します。
だからまあ要は呪いの抽象化というか、
特にギョウ太郎にとっては青春時代を送れなかった呪いの象徴としての翼なわけじゃないですか。
翼にとっても罪悪感の象徴としてのギョウ太郎なわけで、
もうそこはそれぞれでも存在というか象徴なんだと思うんですよね。
わかるんですけど、
本作ってものすごい幼少時の感覚をものすごいリアリズムを持って描いてるから、
象徴っていうことを取り入れるのにちょっと違和感がある。
1:03:02
あまりに生々しいから、
そういう何というか概念みたいなのを持ち込むにはあまりにリアルだと思うんですよ。
私、だからアニメなんだなと思ってて。
そうなんですよね。
アニメだからギリ象徴になるんだなっていう。
それはそうだね。
そういうことか。
たぶんこれを実写にして確かにさっきルックバックが実写で抑制されたってありますけど、
実写にしたらその人の人生になっちゃうんで、
象徴にはなり得ないと思うんですよ。
そうですね。
一方でアニメにすることで、
アイコン、キャラクター、象徴になる。
ちょっと一個次元が変わるっていうところはある気がしてて、
その目で見るから、
ギリギリお互いの呪いからの許し、
もちろん背負うんだけども、
とはいえ許さなきゃ前に進めないからこそ、
許すっていう風な描写にはなってるなと、
ギリギリのところですけど思って。
分かります。
さっきマリオさんがおっしゃってた、
アニメだからやりすぎてしまったっていうのは、
ちょっと因が逆かなって気もして、
やりすぎるためにアニメだと思うんですよね。
だから合ってる、そもそも。
とは思ってはいますね。
だから映画的というよりかはやっぱり、
アニメ的、漫画的っていう方が正しいかなと思って、
ラストのあの感じは。
それが今のまさに翼的世代に受け取られやすいのも、
一番メディアとして覇権を握ってる事実があるわけだから、
そうだよなと思って。
そうですね。
なるほどな。
すごい言ってることは分かりました。
なるほどなっていう。
好き嫌いは別にしてですね。
好き嫌いは別にして秘書としてどうかっていう。
でも確かにそれだったら分かるわってなったので、
僕の好みとしてはええって思ってますけど。
それは正しいと思います。
でもなんかちょっと自分から出せない視点というか、
それもあるじゃんっていうのが、
ちょっと今回気づけたのがめちゃくちゃでかかったっすね。
なるほどな。
あと僕1個だけ本作にめっちゃ言いたいことがあって、
バタハラの存在をあまりに脅迫しすぎていると思うんですよ。
はいはいはい。
だから、ギョウ太郎にとって、
バタハラってむちゃくちゃ大事な存在なはずなんですよ。
彼の人生にとってむちゃくちゃ救いだし、
支えになり得たはずだと思うんですよ。
だから最後バタハラと会ってたのはいいんだけど、
間のバタハラとの関係どうなってたのみたいなのも、
あまりに脅迫しすぎている。
それはもうツバサとギョウ太郎の関係だけで、
この2人の人生を描くために、
バタハラの存在を空白にしちゃってるんですけど、
いや違うだろとか。
ギョウ太郎にとって本当に大事なのは、
ツバサじゃなくてバタハラでしょうがって思って。
でしょうね。はいはい。
1:06:00
本作ってあれ忘れてしまってたなとか、
こんなこと覚えてるのかっていうことだけを、
子供時代に描いてて、
本当に当然のようにそばにいたもの、
今も覚えていて当然のものって、
あんまり描いてないんですよ。
思い出してしまったことと、
忘れてしまっていたことだけが幼少期に描かれてるから、
本当の子供時代にあった、
当然そこにあったものって描いてないと思うんですよね。
確かに確かに。
そこがあまりに作為的というか、
当然そうなんですよ。
強度を持たせるためにそうなるんですけど、
はいはいはい。
多分同じですよね、さっきの議論と。
そうですね。
そのために忘れてしまっていたバタハラっていう存在が、
ギョウ太郎って存在を作為的に描くために、
バタハラの存在感をなくしてしまっているっていうのの作為感が、
そういう存在がいるからこそ人生じゃんみたいな思うんですよ。
おっしゃる通りだと思う。
たとえ小学校時代にずっ転んでも、
それでも生きてこれたのって、
ああいう悪有、腐れんがあったからじゃんみたいな。
そうですね。
あったのに、でも人生こうなっちゃいましたって、
描くためにバタハラ途中いないことになってるから、
なんじゃねっていうのは思っちゃうんですよ。
そうですね。
人生で本当に大事なのがバタハラなんですよ。
本当にそう。
それはそう。
最後見て追ったやんって思いましたもんね。
追ったやんって思いますよね。
いや、なんでこの間会わんかったねんお前みたいな、
っていう感じはありますよ。
本当に。
自粛割りしてる時に会ってれば、
ちょっと話変わってただろうみたいな。
会ってたかもしれないけど、
そこ編集でカットしてるのはさすがに監督さあって思いますよね。
何があったよって感じになってたもんね。
本当に。
さすがにね、ギョウ太郎悲劇の象徴として描き過ぎだぜって思いますよね。
翼がずっと中学の暮れてた時の友達とずっと付き合ってるのが、
明らかにわかるようになってるのに対して、
ギョウ太郎とバタハラの関係性がすこんて抜けてるのは、
ギョウ太郎イコール不幸になるためでしかないと思うんですよ、その描き方は。
人生ってそんな単純じゃねえからって。
そうね、本当にそれはそう。
っていうことも含めて、めっちゃすごかったけどめっちゃなんか気になるってなっちゃうんですよ。
これもどかしい感じ。
避難してると思われたくないんですけど、すごい映画なのはすごいんだけど、
めっちゃ引っかかるとこもあるやんこれみたいなのは、
共有しときたいわこれみたいな。
いやわかる、わかります。
これはみんな喋りたくなるわっていう、これも含めてねっていうのはめっちゃ思ったりしたので、
いやちょっとね時間あれなんでね、
本当はセイスモサウルスとかのモチーフがあったらいいよねって思えてたよねって話したいんですけど、
したいんですよね、ちょっとそれだけしますよとか言って。
いや本当に大事なものも忘れちゃうんですよね、大人になるって。
でね、それをセイスモサウルスっていうところに紐づけるのがいいんですよ、恐竜好きからすると。
1:09:05
これもう大井さん言っちゃってくださいよ、このセイスモサウルスというチョイスがいかに素晴らしいか。
あのですね、セイスモサウルスはね、人によって絶滅させられた恐竜なんですよ。
あー、前言ってたやつ。
そう。あのね、あの時期にしかいない恐竜なんです、唯一。
あー、そういうことか。
あれね、だからすげーなと思ってチョイスとして。
本当ですよね。
現在学名ではセイスモサウルスはないんですよ。
ただあの当時2002年ぐらいにめちゃくちゃフィーチャーされたんですよ、恐竜博とかでね。
そういうことかー。
ゾイドにもなってますからね。
そうそうそう、だからあの時期にしかあの恐竜はいない。
つまりそれは彼らの青春そのものなんですよ。
すげー。
ちょっとそれはね、マジで痺れた。
それ本当にそう、だから私はこの映画恐竜映画だと思ってますからね。
いやほんまに。
大人になってあの龍脚類のオブジェ見て、あの恐竜なんだっけお前言ってたやつって言って、セイスモサウルス思い出せないところとか。
そう。
もううわーって思っちゃいますよ。
そう思いますし、俺は覚えてるけどなって思いましたよね。
そう、俺も覚えてたけどなみたいな。
はい、ということでございます。
最後にちょっとひとめた爆発させたから確かにちょっとこれを言いたかったので。
ちょっとオーバーしちゃいましたけど。
ではそんな感じで我々は宇宙人の話を終わっておこうかなと思います。
お知らせになります。
映画南下スギルバー次回開催は、
ポッドキャスト映画リュウコボーさんとのコラボ開催となります。
日付は10月17日土曜日。
場所は大阪南街1週間回り。
中級場オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便り募集しております。
番組全体や次回トークテーマ、今回のトーク内容や感想などご自由にお送りくださいませ。
番組内で取り上げさせていただきます。
バーの最新情報は次回テーマ、
エックスライブインスタグラムにて告知しております。
確保ございない番組説明文をご確認くださいませ。
さらにこの番組のジンの通販を開始しました。
初めてのリスナー向けオススメ回編、神回実践多選編の2種類です。
よければぜひお買い求めください。
それではエガンハンシスタースリーラジオ第279回
我々宇宙人の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。
01:11:41

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