今日のテーマトークは、『我々は宇宙人』です。 はい、ではマリオンさん解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。 2人の少年の30年にわたる友情と再会を通じて人が生きることの意味を静かに問いかけた長編アニメーション映画
平成の日本の田舎町。自分が普通であることに悩む小学3年生の打ち気な少年翼は、クラスの人気者で特別な存在である
行太郎と出会い、親友になる。2人だけの遊びや意味のない会話、夕暮れの帰り道など、小さな世界の中でかけがえのない時間を過ごす翼と行太郎だったが、日常は少しずつ歪み始める。
行太郎はクラスの中で浮いた存在となり、噂や視線が彼を囲むようになる。翼はその変化に気づきながらも何も言えず、何もしないという選択を重ねてしまう。
やがて取り返しのつかない事件が起こり、2人の関係は大きく変わっていく。 夜遊び、優しい彗星のmvなどを手がけたアニメーション作家
門脇光平が長編初監督を務め、緻密な世界観と写実的な映像表現で描き出す。
普通の青年翼役でバンドを領った、特別な存在の行太郎役で岡山天音が声優を務め、オーディションで選ばれた
マキユートと中米タスクが幼少期の翼と行太郎の声をそれぞれ担当。音楽プロデューサーのヤッフルが音楽を手がけた。
2026年第39回東京国際映画祭アニメーション部門上映作品。
ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では最終の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、めちゃくちゃすげえ作品だなと思いました。
アニメーションやばっていう、ここまで写実的な絵、すごく描き込みもすっごいされてて、
あと多分ロトスコープですよね、これみたいな。
100Mの時にも思いましたけど、手描きのところはもちろん手描きで描くけど、
ロトスコープもきちんと混ぜ込んでやるみたいな、うまく使うみたいなのが結構当たり前になってきたんだなって感じがすごいしてて、
今作のリアルさ、実在感という意味ではめちゃくちゃぴったりハマってたんじゃないかなっていうふうには思いましたね。
話とかは、途中のある演出というとあれですけど、中盤の切り替わるタイミングですよね、のやり方とか含めて。
これヒメヤノールだなって思いながらやってましたけど。
まあまあ思い出しますね。
思い出しますよねっていう。
てかちょっと吉田圭介作品っぽさあるんだよなっていうふうにはちょっと思いました。
あーなるほどね、確かに。
で、この圧倒的なアニメ表現なので、結構スタジオ4度Cみたいな描き込み方のアニメっぽいからって思ったので、
スタジオ4度Cたすヒメヤノールイコール我々宇宙人みたいな感じにはちょっと思いましたかね。
あとやっぱりこの小学生時代のノスタルジーが特になんですけど、
やっぱこれもうほぼ同年代な人たちの、僕にとってですけど、の子供たちというか子供から大人になっての話なんで、
余計にちょっとね、来るものがあるというか、こんだけなんかドンピシャに刺さってくる感じは無名の人生ですね。
はいはいはい。
を見た時の感じもすごい思い出しましたね。
もうなんかすごいなって、なんかこんなことあったよみたいなって思いました。
無自覚に誰かを傷つけちゃったりとか、傷つけられたな自分もみたいな。
で、なんかそのままなんとなく友達じゃなくなってみたいな話はめっちゃあったなと僕は思いましたね、僕は。
個人的なことをやっぱどうしても思い出さずにはいられなくなっちゃうというか。
だからこそみんなこうおーってなってるし、その表現の豊かさ素晴らしさもありますけど、
っていうのはめちゃくちゃあるなと思ってますね。
すごいなと本当に思ったんですけど、けどこれでいいんすかねって思いもすごいめっちゃあります、この映画。
ラストとかちょっと僕、ええかこれみたいな、いいんですかねこれってちょっと思ったりとかしました。
ちょっとノスタルジーが持つエモーションというか、エモすぎるのも良くないなみたいなと言ったらいいんですかね。
なんかちょっと違う気がするけどなってちょっとすごく思って、そこはめちゃくちゃ引っかかってますからね。
そこはなんか話の中で言えたらいいかなとは思いますけど。
でもこれ初監督、初長編作とかなのでとんでもない作品だなと思いました、すごいなと。
ここまで作れる人そうそういないと思うので、そういう意味でも唯一無二の映画だったというふうには思って、
僕はそれはそういう意味では素晴らしいなと思っております。
僕はですね、まずアニメーション凄まじいなと思いました。
本当にどうやって作ってるかよく分からないなって思っちゃうぐらい、
アニメーションが凄まじいって思いましたね。
めっちゃ描き込んだからってこれにたどり着けるんかなっていうのがあんまりイメージできないぐらいに、
実際の世界をアニメーションに落とし込んでる感じは純粋にすごいなって心底感じてましたね。
見ながらどうやって作ってるのだろうってめちゃくちゃ考えちゃったというか、
それは本当に凄いなと思ってましたね。
見てて本当に自分の子供時代を思い出す作品ではありました。
それはまにょんさんもおっしゃってた通り、傷つけた側としても傷つけられた側としてもこういうことはあったよなっていう。
加えて傷つけた傷つけられたではない瞬間の子供時代みたいな。
こういうことってあったなみたいな。忘れてたけどこういうことはしてたわみたいな。
すごい思い出す作品になってたなと思って。
そこは本当に優れていると思いますし、本作はそれを目指して作られているとは思うんですよね。
本当に記憶の蓋が開いたなって感覚はありました。
ただ優れた作品だということを大前提においた上で、本作の魅力って、
作品そのものというより見た人の個人の記憶に紐付きすぎているんじゃないかなって気がして、
こういうことあったなみたいなのを思い出して、それがすごいというか思い出させられたすごいってなってるんですけど、
この話自体に僕そこまで入り込んでないかなって思って、
見ながら自分こういうことあったなっていうことをずっと考えちゃってたんですよ。
だから話に没入してなかったなって感覚があって、自分のことを思い出してた。
自分はこういうことあったなみたいな。
それを思い出す機能を持った作品としては本当に優れていたと思うんですけど、
なんか思い出すことに終始しすぎてしまっていたようにも感じたっていう。
この作品だけが持っている何かっていうのを僕はあんま感じなかったかもしれないなと思って。
だって見ながら僕自分のことしか考えてなかったんで。
ああこういうことあったなみたいな、こういうことしちゃったな、こういうことされたなっていう。
それはちょっと僕がイメージしている物語映画とはまた別種のものだったかもしれないなっていう感覚は覚えましたね。
それが言い悪いとかっていうことを言いたいわけではないです。
そんな感じですかね。
ではお便り紹介入っていきたいと思います。
ではマリオンさんお願いできますか。
グッドウォッチメンズ大ちゃんさんからです。
今作の門脇光平監督は僕の一つ年下である1996年生まれ、尊敬している映画監督に浜口龍介や深田浩二を挙げていて、
俺やないかい!となり、翼の視点で語られる幼少期のエピソードにも俺やないかい!となり、めちゃくちゃ同時代性を感じる映画でした。
あまりの同時代性に嫌悪なく記憶のフタが開いてしまうという人も多いのではないでしょうか。
僕もずっとパワープロをしていましたし、弁当もチャーハンばっかりでした。
そして小中学校の元友に大学で再会したけどちょっと合わないなという出来事が続いてから素っ気なく接していると、
いつの間にか大学を退学してLINEも辞めていたなんていうこともありました。
そうしたエモ消費に陥らずジャンル映画的に昇華した序盤の演出力は本当に見事でした。
それだけにフィクションで何度も見てきたような後半の行太郎の人物像には引っかかりを感じました。
おそらく監督は翼により実感を抱いていて、行太郎側のストーリーは頭で考えた想像力を抜け切れていないように思います。
一世一代の大勝負に出るにはこの作品が必要だったことは十分に理解できますし、
それゆえの強度もしっかり備わっている映画だと感じます。
それでも黒沢旧司が大島渚賞のスピーチで懸念を示した日本の若手監督は、
人を上手にとれても社会を取ることを避ける傾向にあるという言葉をそのまま表してしまっている作品だと感じました。
タクシー運転手になってからも乗客との関わりは描かれず、
あの状況から社会復帰ができるリアリティラインの保障に留まっているように思います。
そうは言いつつも、じゃあどうしたら社会を描いたことになるのかと聞かれると本当に難しいのですが、
きつめの感想になりましたがいろんな意味で皆さんの語りがとても気になる作品でした。
追伸、映画龍虎坊さんとのコラボ回、むかり人間もラストサバイバーもとても面白かったです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
同時代なんですね。
そうか、一個下の監督で、かなり俺やないかいというところがたくさんあったって感じですよね。
たぶん作中の主人公2人も監督の同世代って考えていいってことなんですかね、これはじゃあ。
そうだとは思いますね。
という意味では僕よりもちょっと下って感じですけど、同じぐらいの年代に小学校ではあったりとかっていうのはあるかなって感じですかね。
となると今年で30歳をイメージしているってことでしょうね。
ってことですかね。
30年に渡るって話書いてたかなと思うので。
はいはい。劇中って何年やと思います?
何年なんだろうな、なんか書いてたっけ。
小学3年生ですよね、スタートが。
そうですね。
で、ポケモンシールにデオキシスが出てきているから、ルビサファ世代なんですよね。
そうですね、ルビサファ世代で、しかもあのシールね、ポケモンパンですよね、あれはね。
ポケモンパンですよね。
懐かしいわと思って。
うち現在進行形ですよ、あれ。
今もそっか、あるのか、ポケモンパンは。
むちゃくちゃ見覚えあって、あれ。
あのシールめちゃくちゃ見覚えあるわって思いましたし。
とかね、翼の家の目覚ましがコラショとかね。
はいはいはい。
お前コラショとかの目覚まし時計とか持ってんのかいみたいなとか思いましたし。
あとゲームキューブでパワープロやってるんですよね。
そうですよね、とかDSとかね、できましたし。
で、1996年で小学3年生だと8歳9歳だから2004年ぐらいってことになりますよね。
そうですね。
その当時のリアリティを本当に実際の商品を使いながら表現しているのは本当に素晴らしいなと思って。
具体的であることは普遍的であることっていう言葉が聞いたことあるんですけど、
ごまかしなしに具体的にいついつの子供の話っていうことを描いていることで、
うまくその輪に入り込めなかったっていうのに、
幼い頃、幼い頃からそういう集団の輪に入れず、今もちょっとうまく入れず苦しんでるみたいな方はいると思うんですけど、
なんかここまで極端に描くっていうのって、それをある種ちょっとゾッとする存在として描くみたいなのって、
ちょっとやり口どうですかね、それみたいなっていうのは思っちゃうというか、
完全にジョーカーみたいな、ジョーカーのアーサー・フレックみたいな描き方というとあれですけど、
これに対する嫌だみみたいなのはあれもちょっと思い出してますけどね、
クレヨンしんちゃんの3Dアニメとか、敵の造形とかめっちゃ似てるなと思いましたけど。
そうだわ、そうですわ、はいはいはいはい、そうだわ。
いわゆるなんですか、弱者男性とかみたいな、いうものを敵に置く時のその手つきの雑さというか、
それに対する解決というか、なんか救いの出し方含めて、なんて上から目線なんだみたいな、
っていう意味でちょっとだいぶどうかと思うってちょっと思った作品ではあったんですけど、
それにもちょっと似てるかなって思いましたね。
そうですね、だから子供の時ってやっぱりその傷つけること、傷つけられること、
どっちに対してもあんまりわかってないし無頓着だったりするから、
結果的にどっちも経験してしまってると思うんですよ。
ただ本作って、つばさが傷つけた側で、ぎょうたろうが傷つけられた側として進んでいってしまったっていう体で、
最終的に二人の人生がクロスするんですけど、人生ってそんなやっぱ単純化できないから、
もちろん本作もその単純じゃないよっていうのを描いてたと思うんですよ。
そもそもぎょうたろうが傷つけてた側面ってありますよねとか、単なる勘違いでしたよねみたいな、
あるいは本作の劇中に描かれていない部分にその単純化できない行間あるなっていうのはあるんですけど、
やっぱりこの二人の関係自体はめちゃめちゃ単純化されてるから、
ぎょうたろうがつばさにとっての過去の罪の象徴のように描かれすぎてしまっている。
もう一人の人間というより、つばさがやったことでぎょうたろうの人生こうなりましたよねっていう、
君のせいではないでしょうかみたいなのを突きつけるような存在になっちゃってるから、
もちろん最終的にそうじゃないところに至るんだけど、過程がその二言論になっちゃってるから、
この映画を描こうとしてる複雑さと二人の関係性の二言論的なシンプルさは微妙にちょっと噛み合ってない感覚も覚える。
そうなんですよね、だって序盤はつばさの視点から始まって、途中ぎょうたろうからの視点から切り替わるっていうタイミングで、
もろに姫アノールみたいに途中でタイトルが出る演出みたいなのをしてまでやってるっていうか、
だいぶちょっとお便りにも書いてましたけど、序盤のジャンル映画的な演出力というか、
途中ガチのホラー映画っぽいもあるじゃないですかみたいな、
描き方した後にああいうこともやってるので、よりちょっとそれ強めてねとかちょっと思ったりもしますし、
そこに至る過程もちょっとなんか、いや描いてないだけで割りますよって言われたらそれまでですけど、
それもちょっとでも余白あるようでなさそうだぞみたいな関係性のドラマはとか持っちゃったりするので、
そうかなーみたいなふうに思うし、僕もそこは引っかかってましたね。
姫アノールも正直極端っちゃ極端ではあると思うんですよね。
そうですね。
極端ではあるんだけど、姫アノールは別に、じゃあ自分に何ができたかみたいなのは正直ないと思うんですよ。
こうなっちゃったけど、じゃああの頃の俺に何ができたのさみたいなのはどうしようもない。
そのどうしようもなさこそ味だとは思うんですけど、
そうですね。
本作ってむしろ自分がこうしてしまったみたいな側面が強くなってる。
もちろんそうではないんだけど、ストーリーテイニングはつばさのやったことが、
ぎょうたろうこうしましたになってるから、なんかこうちょっと単純顔の強さは感じるっちゃ感じる。
そうですね、そうなんだよな。
そこを、ぎょうたろうの大人になってからだいぶダークになっちゃってる部分の過程の描き方が単純というか、
ちょっとそれどうなんみたいなとか、関係性が単純だからこそちょっと余計引っかかるみたいな部分がまた、
それラストの決着のつけ方によっては多少柔らかいだけの気はするんだよなとかも思うので、
いきなりここまでラストまで含め込んじゃうとちょっとなんか荒れたので、一旦止めますけど。
そうですね、じゃあ次のお便りいったん行きましょうか。
M原さんからいただきました。
9月開催の映画バーの時点では本作を鑑賞していなかったのですが、
ご覧になられた方は一応に厚く語られていた本作。
なるほど期待にたがわぬ恐ろしい映画でした。
恥の多い生涯を送ってきた私にとって忘れるという機能は生きるために非常に重要な能力ですが、本作はそれを許してくれません。
中学時代の翼、貸すすぎるぞお前と思いながら見ていましたが、
端から見れば自分の学生時代も同類だったという自認のため、見ている間は過去の愚行を忘れるなよというメッセージを暴力的に叩きつけられ続けた感覚でした。
とにかくずっと苦しかったというのが率直な感想です。
打足になりそうですが、個人的にはこなつ視点もできれば欲しかったなと思います。
人と語りたいという点では今年見た中でも最上位に入る作品です。
はいありがとうございます。
ありがとうございます。
中学時代の翼、貸すというか不良ですよね。
小学校時代のある初恋がずっと呪いになってしまってもいるみたいなっていう話だったと思うんですけど、
ぎょうたろうの存在というか、すさみっぷりというか。
けどなんかそれがなんかその描き方どうなんみたいな感じにキャラ造形的にもなってるんで、ちょっと飲み込みづらいなというか。
秒速5センチメートルはまだ内静的な話であり、見てくれ?
で、体裁だけは何とか普通であろうとしてるがゆえにそこの歪みに苦しいみたいな描き方になってるから納得しやすいんですけど、
極端にちょっとね、すさみ切っちゃうみたいなとこまでいっちゃうキャラクターになってるので、
まあまあ、なんかそうか?みたいなふうに思っちゃうんですよね。
だから本作結構本当に間引きしている要素が多いんですよね。
翼とぎょうたろう以外の視点も間引いてるし、小中と大人の間の時間もかなり間引いてるから、
なんかすごい単純化してしまっている。小学校時代のことが人生全体に影響している。
二人の関係だけが人生に影響しているみたいな単純化にはなっているのは、
本作の強度と控えの複雑さの無さっていう、それはトレードオフの側面もあると思うんですよ。
そうですね。
単純化しているからこそ強度が強いとは思うので、
そこをよくよく考えると、なんかそれでいいのかなーみたいに思っちゃう部分はある。
なんですよね。だからやっぱりお便りにも書いてますけど、
全てがラストのためのお膳立てっぽくね、みたいな。
に見えちゃうのも、そうやろうなというふうには思いますね。
そうですね。
よしよしですね、そこは。
そうなんだよな。これをうーんって言えるのは絶対言えるんですけど、
でもこの強度にするにはこれぐらいいるよなーみたいなのもあるので、難しいよなーと思って。
そこはやっぱり引っかかりはしますかね。
ちゃんと見てる人に傷ついてほしいと思ってる映画だと思うんですよ。
そうですね。
そのために作られている映画だから、あんまり相対化したり複雑化したりして、
あーまあ結局それぞれですよねーみたいになったら、見た人が傷つかなくなる可能性があるから、
ちゃんと傷つけよっていう、お前がしたことってこうなってるかもしれないだろうっていうためには、
やっぱりある程度の単純化はいる気はするし、
まあそうですね。
で、傷ついた上で救われるためのじゃあねーだから、
そのためにはある程度やっぱりシンプルな話になる側面はあったのかなって気はしましたかね。
はい。おいちさんが到着されました。お疲れ様です。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
まずおいちさんの触りの感想をここで入れときましょうか。
はいはいはい。今お便りとか紹介してる感じですかね。
はい。
そうですね。あー了解です。
で、触りの感想は、
とにかくこう食らうタイプの作品だなと私は感じたというか、
忘れてたというか、記憶の中に埋めていたものを無理やりほじくり出されて、
殺しに来られたなっていう感じの映画だったなとは思いますね。
まあやっぱりストーリーというか、
その幼少期の加害性みたいなものを
まじまじと被害者側から突きつけられたような感覚はしましたし、
もしかしたらちょっとこちらにこう見た時の感覚にも近いのかなと思ったりもして、
そこのどちらに感情移入したかってところ次第かなと思いますが、
その年齢相応にというか、
まあ年齢相応にってわけでもないんだよな。
こうちょっと浮いてしまう感じの状況に陥ったことのある、
あるいはそれの外側にいたこと、
まあ確かこれ監督両方とも自分だっていう風なこと言ってたような気がしますけど、
なんかそのどちらの立場に置くか、
あるいはどちらの立場としてこの映画を見るかによって、
いろいろ思う感想はそれぞれ変わるだろうなと思ったし、
その人なりの感想が出やすいタイプの映画なのは間違いなくて、
それが多分面白いからこそSNSでこれだけ盛り上がってるというか、
割とこうみんな喋りたくなってる感じの映画かなとは思いましたね。
なので結構明確にこちらにインフルエンスしてくるタイプの映画として、
今っぽいなという感覚はすごいしたっていう感じですかね。
あとはやっぱり面白いなとちょっとだけ思ったのが、
街の描写かなと思ってて、
台風クラブ的な田舎ではないじゃないですか。
ちょっとした郊外なんだけど、
ちょっとした郊外実はめちゃくちゃ東京近くじゃんってことが後でわかるわけですけど、
大人になったタイミングで。
子供のコルビューションの時にはそこが映ってなくて、
家と田んぼ、家しかなくて周りに田んぼがあるっていう郊外。
本当に関東近郊の郊外としてよくあるなって思うんですよ。
実際監督たちが川越えをイメージしてみたいなことをおっしゃってましたけど、
なんかね、その感じ今そこに住んでるので、関東の郊外に。
めっちゃわかるなと思って。
見渡す限りマジでいいしかない。
映画館もなければ本屋もないみたいなところ。
いわゆるベッドタウンって言われると思うんですよね。
ならではの閉塞感は台風クラブにおけるその山とほぼ同義だなと思って。
もうここから子供の頃においては出ていけないのだっていう。
プラスアルファーで多分特に行太郎がそうかなと思うんですけど、
大人になった時に東京がすぐ近くにあることがわかってそこに働きに行ったりするじゃないですか。
そうすると思っていた閉じ込められていた地獄というのは
意外にもちっちゃいものだったってことに気がつくことの絶望はあるなって思うんですよね。
ここで生まれてしまってここは世界だと思っていたのに、
この外側にしかもすごく近くに手の届くところにキラキラしたところがあって、
特に行太郎はそこに閉じ込められたって思ったから東京に出た後の方がやばいと思うんですよ。
そこで失ったもののデカさに、失ったと思い込んでいるもののデカさに気がついてしまうというか。
そのダメージだなって思ってて。
それめっちゃわかるな。
それは関東ならではというか、関西はもうちょっと横に広がっているイメージがあって、
関東の集中したキュッとしたキラキラしたものは真ん中にあって、
外側はただ街しかないっていうところならではの地獄感だなって思いながら見たりしました。
なるほどな。
その行太郎はティッシュコバリーのバイトで都心に行っていると思うんですけど、
ただ家は多分どこなのかなあれはわかんないですけど、
あんまりこう自由じゃない感じはするんですけど、
翼はなんかもう大人になったら軽やかなんですよね。
そうなんですよね。
結婚式の二次会の後でも、終電で帰るよって言って帰れちゃうっていう、
都心を手段として使えるようになっている。
それは逆に言うと、地元を手段として使えるようになってるんですよ。
使い分けれてるんですよ、都合で。
そのフットワークの軽さはもう行太郎にはないんですよね、あれ。
どっちに行っても何かに縛られるから呪いにしかならないっていうのは、
あの軽やかさの差には出てたなと思いましたね。
そう、なんかその辺の描写の上手さというか、
人物描写もそうなんですけど、その背景にある土地感というか、
ある種の知性学的な部分をキャラクター性にどう落とし込むかっていうところが、
本当にこの映画はうまくできてるなとは思いましたし、
ゆえに多分地方出身者もギリギリ共感できるし、
都心部あるいは関東の郊外に出身の人たちにも共感できるっていう、
かなり広いレンジに届く作品になってるんだなって思いますね。
なるほどな。
はい、さわりの感想こんな感じでございます。
はい、では最後のお便り、オシさんいいですか。
了解です。
オシさんでいいんですかね、からお便りいただいております。
でもそのサブカル側になった時に、
たぶんこの映画そんな見に来ないんじゃないかなって気がしていて、
だっていじめっ子側が許される映画なんて許せるかよってなると思うんですよ。
はいはいはい。
そうじゃなくて、やっぱ本作は翼側、メジャーのまま生きてこれた側の人間たちが、
ちゃんと傷ついてくれっていうつもりで作られてると思うから、
ちょうどその人たちが傷ついてるとこを今僕見たんじゃないかなっていう。
なるほどな。
でもわかりますね。
うちの、私が見た回でも割とやっぱり似たような層が多かったような気がしていて、
もちろんぎょうたろ側もいるとは思うんですけど、
やっぱでもメジャーでというか、
なんかその普段映画見に来ないけどちょっとこれは気になるなって言って見に来たくなるような売り方はしてたなと思って、
北市の情勢の仕方というか。
で、たぶんその確かに正しくそこの層に刺さるように映画は作られているから、
そこをターゲットにして作ったってこと自体がやっぱりこの映画の新しさなのかなっていうのは思って。
なるほどな。
ちゃんとぶっ刺さって、かなりぐらついてる人がいるんならまあいいかと思ったんですけど、
まあちょっと翼側っぽい人たちがっていうのがあって、
まあじゃあいいのかと思ったんですけど、
これちょっと個人的に思ってるんですけど、
あのラストっていいんすかねってちょっと思っちゃってるとこあるんですけど、正直。
すいませんね、お便りの感じと僕真逆なんですけどイメージが実はっていうのがあって、
何許されようとしてんねんってちょっと思っちゃったんですけど、あのラストは。
まあね。
いやちゃうくねってちょっと思っちゃったんですけど、僕だけですかこれっていう。
なんていうんすかね、そこはなんかあれでじゃあねってして、
綺麗に別れることでなんか許されたような気持ちになって出て行けるじゃんこれって思ったんですよ。
あの時お互い悪かったねみたいな。悪かったっていうか傷つけちゃったねみたいな。
ズダボロになったねみたいな。
けどお互い人生ちゃんと歩んでるんだなみたいな。
まあ会うことはねえかもしんねえけどみたいな感じでじゃあねってするわけですけど、
まあしてもいいですけど、ちょっとは引き受けた方が良くねって思う。
全部なかったことにする感じありませんかみたいなあのラストみたいな、綺麗なラストってちょっと思っちゃって。
もちろんそのお互いの人生それぞれ、あの時はすれ違っちゃったけどお互いなんか自分の道生きてんだねみたいな。
分かち合うみたいな希望はあっていいんですけど、そのまあ希望を見せるみたいな。
人生を肯定するって意味はいいんですけど、さすがに肯定しすぎやしねえかみたいな。
本当にあの時間ってそこまで、
あの二人にとって大事だったのかなっていう描写足りなくねってちょっと思ってて、
はいはいはいはい。
だから翼とギョー太郎の関係が、
マドカとホムラぐらい強くないと成立しないんじゃないかってちょっと思ったというか、
たとえ関係が不安になって、
お前のせいで俺の人生こうなったとしても、
時が経ったらじゃあねーって言うほどの関係じゃないといけないと思うんですけど、
幼い時の友達って別にああいうもんだと思うんですよ。
むちゃくちゃ仲良かったけど、
ずれたらそのままお互いに薄れていって、
もはや覚えてさえいなくなったりするみたいなもんだと思うので、
子供の時の何々組んだって思っても、
なかなか声かけたりまではいかない。
もう人生ってずれてるから、すれ違ってるから、
声かけたりしないと思うんですよ。
じゃあそこまでの酸いも甘いも噛み分けた先に、
30歳になってじゃあねーって声をかけるほどの関係って、
ただの幼い頃の関係以上じゃないと無理くねってちょっと思っちゃったというか、
私あのじゃあねーに対して、
ちょっとお互いに言ってない感じがあるなと思っていて、
自分ですよね。
そうそうそうそう。
結局青春時代の終わりだんだなって思ったんですよ、あれを見て。
自分自身に対して言ってるそうですね、自分の過去に対してね。
そうそうだからパストライブスのラストに近いなって思ってて。
それはわかるんですよね。
で、なんかそういうのはもう2人の呪いの連鎖というか、
それぞれ何かしらの枷は背負ってるっていう風な描写はあるわけで、
そういうものを自分自身で許すっていう風な描写なんだろうなとは思ったんですよね。
だからそれをね過剰にエモくするためにじゃあねっていうのは言わせてるんだと思うんですけど、
言いたいことはそういうことだろうなって解釈してて。
そっちの解釈だったらわかるわって思います。
もう自分で許すしかないじゃないですか。
他人からの許しなんて求められるもんじゃないからこれ。
それは全然納得します。
だからまあ要は呪いの抽象化というか、
特にギョウ太郎にとっては青春時代を送れなかった呪いの象徴としての翼なわけじゃないですか。
翼にとっても罪悪感の象徴としてのギョウ太郎なわけで、
もうそこはそれぞれでも存在というか象徴なんだと思うんですよね。
わかるんですけど、
本作ってものすごい幼少時の感覚をものすごいリアリズムを持って描いてるから、
象徴っていうことを取り入れるのにちょっと違和感がある。