では、映画ドットコムから解説読ませていただきます。
変更、言葉が消えた日。2017年に発売された台湾の大ヒットホラーゲーム、変更を実写映画化。
国民党政権下の白色テロ時代を題材に描いたダークミステリーで、第56回金馬賞で最優秀新人監督賞など5部門を受賞した。
1962年、台湾では中国国民党による独裁政権の下、市民に相互監視と密告が強制されていた。
ある日、スイカ高校の女子生徒ファンが放課後の教室で眠りから目を覚ますと、周囲から人の気配が消えていた。
誰もいない校庭をさまよう彼女は、政府によって禁じられた本を読む読書会メンバーで、密かにファンを慕う男子生徒ウェイに遭遇。
一緒に学校から脱出を図るが、どうしても外に出ることができない。
やがて二人は、学校で起きた政府による迫害事件と、その原因を作った密告者の悲しい真相にたどり着く。
はい、例によって皆様の騒ぎの感想を伺っていこうかと思うんですけども、原口さんいかがでしたか。
はい、こういう人は先に試写で見て、また劇場で見たんですけど、オンラインでイヤホンをしてみると音がゾワッとホラー感があって面白かった。
で、やっぱり見ながら、その現実の世界と閉じ込められた悪夢のような世界の、どっちを見てるんだと錯覚起こしながら、混乱しながら見ながらも、
最終的になんかこうね、いろんな嫉妬にまみれながらも面白かったですね。まずはサーリーそんなとこから。
はい、前田さんいかがでした。
えっと、すごくバランスのいい作品だなと思っていて、なんかもっとこうホラー映画っていう感じかなと思ってたんですけど、
一概にこうホラー映画っていうジャンルでくくれないような、いろんな面白さがあったなと思い、結構感動しましたね。
はい、まにもさんいかがでしたか。
やっぱりあの僕ホラー、日々なので結構何でもすぐ驚いちゃうんですけど、やっぱり見ながら普通にホラーシーンに関してはめちゃくちゃビクビクしながら見てすごく怖かったし、
やっぱりその当時のちょっとラマっぽい感じも含めて、この映画見るまで僕やっぱ台湾の歴史みたいなの全然知らない状態で見たので、
実際こういう自由が迫害されてた時代があったっていう、これを見ながら初めて知る機会になったし、
やっぱりそこで粛清とか密告とかに怯えながらも、でも自由に行きたかったっていう、その当時の人々の切なる思いみたいなのとか、
あと今回の現の真相にあたる部分での後悔とか、っていうのがちゃんとなんか息づいたすごくいいホラーだったなというふうに思いました。
僕はですね、ちょっと前田さんの感想に近いかもしれないですね。
バランスのいいホラー、ホラーって感じがそこまでなくて、ホラーでもあるし、青春の話でもあるし、社会派の話でもあるしが、
それぞれちょうど同じぐらいの大きさで入ってる感じの映画になってて、
一概にそのホラー映画ですって感じではないというか、結構どの側面で見てもそれなりの完成度になってる映画で、
結果的に結構たまむしろというか、見方が結構多様な映画になってたかなとは思いましたね。
なんか結構楽しく見たって感じで、ちょっともうちょっと怖くてもよかったかなっていうのが、
僕も怖いのめちゃくちゃ苦手なんですけど、見終わった後あんま怖くなかったなとかっていう生きりを出しちゃうんですよね。
もうちょっと怖くてよかったみたいな。
見てる最中は死ぬほど怖くて、これもうわーって思ってたんですけど、
もうちょっと怖くてもよかったなっていう気持ちが少しだけあったりっていう、欲張ったことを思ったりはしました。
じゃあ詳細に語っていこうと思うんですけど、
このラジオ基本的にネタバレと言いますか、見てる方前提で我々4人喋っていきますので、
こっから先はどちらかというと見てる方向けの内容になります。
もしまだ見てなくてネタバレ的な要素がない方がいいなって方は、
ぜひこの映画見てからこっから先聞いていただけたらなと思います。
ではまず原口さんあれでしたっけ、結構台湾詳しいみたいなことをおっしゃってましたっけ。
旅行で2回行ったりしてて、あと私の妻が台湾中国語、いわゆるファ語というものを学んだりしてて、
家にも結構台湾の資料がいろいろあるので、ちょっと今手元にも持ってきてるんで、
なんか疑問点あればできる限り答えさせていただきます。
いいですね、助かりますね。僕バックボーン何も持ってないんで。
実際あれなんですか、関銀礼時代みたいなの、中国国民党時代の名残みたいなのって今の台湾って見られるもんなんですかね、どうなんでしょう。
今はそうじゃないけども、資料感は結構あるからちょっと。
でもそんなには学校授業でもあんまり闇の歴史触れられていない、いわゆる近代史の闇の部分やから、
日本の学校授業でも近代史がそこまで授業時間中触れられないみたいな感じであんまり知られてない。
どうしても半分当時者だと触れにくいみたいなところがありますよね。
だからあんまりこの時代の映画ってそんなになくて、ゴハットみたいな感じのところがあって、
空輪って少年殺人事件とか非常上司ぐらい。
だから最近の台湾選手選外だとも全然開原例が明けた後の話が多い。
いやちょっと恥ずかしながら本当知らなくて、台湾と中華人民共和国の対立があるとかっていうのはある程度もちろん大前提として、
ある程度知りつつも、じゃあそこにあった具体的な歴史とかって本当知らなかったんだなと思って、
いやここまですごかったのねっていうのは本当ちょっと僕初めて知ったぐらいでした。
なんかあれですよね、時代的にはテルサテンとかジュリワングとかオーヤンフィーフィってこの大変な時代を生きてた人たちなわけですよね。
いやなんか、あっそうなんやと思って。
具体的にその映画のシーンでここがみたいなのがあります。
ホラー的な意味で言うとやっぱりその前半の方がホラーとしてより強調されて描かれてたと思うんですけど、
ホラーのジャンルで言ったらなんて言うんですかね、ちょっとうまくそんな詳しくないから言えないですけど。
なんか監督が意識したのがサイレントヒル。
僕はどっちかというとサイレントヒルを思い出しました。
はいまさにそこらしいです。パンフレットの元まさに。
そうですね僕も記事で見かけて、サイレントヒルやったことある方います?ゲームのサイレントヒル。
ないですかね、基本謎の断絶された空間の中をずっと彷徨って、
稀に異形の怪物、こういうモンスターみたいな、なんかわかりやすい形をしてないんですよね。
すごい異形の何かがいて、それをから戦ったり逃げたりしながらって行くんですけど、
僕がやったことあるのはサイレントヒルのプレイステーション1の時代の、
まず街中にずっと霧がかかってて、主人公ラジオを持ってるんですよね。
で、謎の異形の怪物が近づくと、ラジオのノイズ音が強くなっていくんですよ。
で、こっち行ったらオルワっていうのを、こう行きたくないなって思いながら、
こう彷徨って道を見つけていくんですけど、その中で学校の中に入ったり病院の中に入ったりするんですよ。
で、その霧が出てる屋外は、まだ霧が出てるものの明るくて、単に荒廃した街みたいな感じなんですけど、
建物の中に入ると、なんか血塗られたような真っ黒な壁面の空間になるんですよね。
で、その中をヒントを探していかないといけないんですけど、
ズバリこの変更の中で描かれた学校の雰囲気そのものだと思います、サイレントヒルの雰囲気は。
本当に何が嫌って、自分が操作してここを歩いていかないといけないのが嫌なんですよ、サイレントヒルは。
映画だと勝手に進んでくれるわけじゃないですか。
でもゲームって主体的なんですよね。
自分がここを歩いていくってことは選ばないといけないっていうことが死ぬほど嫌なんですよ。
で、ラジオのノイズ大きくなっていってるけど、どう考えても行く先こっちやわっていうのを、
自分が操作していくっていうことをしないといけなくて、
話の軸はサイレントヒル寄りに寄っちゃったんですけど、
自分がすごく無力な状態、謎の回と戦うような力も持ってない状態で、
ただ謎の閉ざされた空間を抜き出すためにはどうしても前に進んでいかないといけないと。
そこにはどんどん意味ありげなものがあって、
それをトレースしていって、ここから抜け出そうとしなければならないっていう、
ここから出ないといけないって考えてること自体が怖いみたいなのは、
結構この変更と近しい部分はあるなと思って。
ズバリズバリそうです。
僕も見ながら、これ絶対サイレントヒルやわと思いながら見てました。
まさに抜け出せない学校。
そうですね。
本当に監督自身がめっちゃゲーマーらしくて、
この変更のゲームをリリースされた日にクリアした。
すごいですね。
メランコリックで美しいストーリーにも強く心を動かされて、
これ映画にしたい、したいって業界関係者に言いまくったら、
プロデューサーが映画を買って、実にこれが出来上がった。
全然怖いの苦手なんで、ホラーゲームとか持ってのほかなんですけど、
やっぱり映画見ながら思ったのは、やっぱりゲーム原作なだけあって、
ゲームっぽいなとは思いましたね。
やっぱり学校を探索する感じとか、
何かちょっとヤバい怪物に追いかけ回されて隠れるっていうあたりのシチュエーションとかは、
モロニターゲームとかで見たような感じのシーンだなという風には思ったんですけど、
やっぱりそういう業はめちゃくちゃあるんですね。
あの横スクロール感とかすごいよなと思う。
それもちょっとですね。
サイレントヒルとかは、真横から見るようなアングルってそんななくて、
いわゆるバイオハザードみたいな斜めの固定カメラがあって、
そこを歩いていくって感じなんですけど、
サイレントヒルはバイオハザードもそうだったんですけど、
固定カメラなのが操作しにくいっていうのが
怖さに繋がっていったっていうのがあったと思うんですよ。
で、一番初めのバイオハザードとかもそこを狙って作ったって話は聞いたことあって、
要は完全主観だと操作しやすいんですけど、
自分が操作しにくいから、
後ろ!後ろ!後ろ!みたいな感じを、
自分が思い通りに動かせないことの怖さ。
ホラー映画で何でか知らんけど追いかけられてた転ぶみたいな、
もどかしさをゲーム自体が表現してるみたいなところがあったかなと思うんですけど。
どっちかというと変更って、
プレイ結局、この映画見るにあたってゲームやろうと思ってたんですけど、
時間なかったんですけど、
ゲーム画面のキャプチャーとか、
この映画を扱った記事の中でいくつかが出たのを見る限りだと、
結構真横アングルのカメラ、商品からのカメラが多いなって思って、
多分その感じはあんまないなと思ったんですよ。
どっちかというと背景に何が飾ってあるっていうのを、
めっちゃちゃんと見て欲しいカメラの置き方だと思うんですよね。
廊下に真横から開くカメラがあって、
そこに何が貼ってあるか。
言論統制時代の、
されてたことのモチーフとかが、
めっちゃパパパって貼ってあったりとか、
その何らかの人の写真が、
天地逆さまに貼られてたりとか、
横に貼られてたりとか、
ちょっと何かまがましさがあったりとか、
映画の中でも出てましたけど、
人が亡くなった時に貼り出す、
モチーフの貼り出しみたいなのがあったりとかっていう、
操作性というよりも、
散りばめられた不穏さみたいなのを楽しむゲームなのかなと思って、
そのあたりは映画にもちゃんと引き継がれてた感じはありましたね。
前田さん、ホラージャンル的にはこの方向性のものって、
慣れ親しんでる感じなんですか?
いや、でも結構なんか、
ジャンル分けするの難しいなっていうのはちょっとあって、
ゲーム原作のホラーっぽいところもあるけれども、
全体的にはちょっとそうじゃない要素の方がやっぱり強かったりするなと思うんで、
そういう意味で原作のゲーム自体がちょっとやっぱりすごいなと思っていて、
単純に映画としてストーリーとして面白いし、
途中からどんどんミステリーの要素も強まってきて、
ミステリーだったり、ちょっとラブストーリーというか、
人間ドラマ部分が入ってくる中で、
最後の方にクリーチャーみたいなやつがバーンって出てくる時に、
怖いんだけど、この怖さの正体って何なんだろうっていうのを、
そこで改めてもう一回考えさせられるというか、
単純にその化け物の見た目の奴らが怖いんじゃなくて、
こいつらがそういう権力を持っていたり、
そういう自由を永遠に奪われるっていうことが、
それを具現化しているっていう描き方がものすごく上手いなと思って、
だから本当に最後ボロ泣きしてしまいましたもんね。
めっちゃ恥ずかしかったです。
ちょっとずれた意見になっちゃうかもしれないんですけど、
日本で学校でホラーを描こうとしたら、
基本学校の階段になると思うんですよね。
で、学校の階段ってちょっと何なのかなと、
その比較として考えてみてたんですけど、
学校の階段って基本小学校でしか出てこないものだと思うんですよ。
本作みたいにあるって基本高校生の年代ですよね、変更の。
日本の高校で学校内のホラーってあんまないような気がしたんですよ。
なんかあるとしたら、こっくりさんとか、
あっち系ですかね、都市伝説系とか、
そういうのは一時的にJホラーでは流行ったなって。
都市伝説とかになるんですかね。
だから学校の階段で妖怪みたいなものが、
もうちょっと重大なティーンエイジャー向きになって、
都市伝説になったようなイメージがある。
なるほど、そうですね、確かに確かに。
僕が思ってたのが、学校の階段って小学校でしか、
基本あんまり聞かれないものかなと思うんですけど、
なんで小学生って階段好きなのかなってちょっと思ってたんですよね。
幼稚園とか保育所とか、あるいは家庭で育ってたのを出て、
大々的に社会に触れる初めてのとこだと思うんですよね、小学校って。
そうなった時に、あれ思ってたよりこの世界って自分に優しくないぞっていうのに、
気づいていっちゃうんじゃないかなと思うんですよ、小学生って。
ちょっと待って、本当にまた私の中で山口さんが…
ごめんなさい、ごめんなさい。
いやいやいや、これはすごいなって思いながら聞いてる意味なんですよ。
いや、思ってたより世の中が自分に優しくなくて、
そんな優しくなさを咀嚼するために、
何か形のある恐怖を作ろうとするのかなってちょっと思ったんですよね。
それが学校の階段だったりするんじゃないかなと思って。
自分が今、家とは違う場所にもともと恐怖っていうものが存在して、
例えば七不思議とかがあって、
そうやって怖いけど同時に知りたいっていう願望もあると思うんですよ。
それってやっぱりその、なんかこの世の中の恐怖というか、
得体の知れなさに対して咀嚼したいというか、
飲み込みたいみたいなのが思いとしてあるのかな、
本能的にあるんじゃないかなってちょっと思ったりはして。
都市伝説とかもそうだと思うんですよ。
世の中って実はこうなんだぜって言いたい。
僕はそこはちょっと肝が冷えるタイプの怖さがあったなって思ったんですけど。
あのお母さんは道教をやっていて、念仏を唱えている犯人けど、
あそこで木のみくじを振ってるのを覚えてた。
あれって結構台湾でポピュラーなやつで、
お寺がたくさんあるんですけど、お参りをしてもらったらおみくじを引くんですね。
で、あれだからね、見た目が柿の種みたいなやつの木のおみくじで、
2つを投げて、いわゆる柿の種の丸く盛り上がった部分と平らな部分、
あれが口号に出たら、自分の願いとかお願いが神様からよろしあっていますって言われてるってことになる。
あれちょうど口号に出て、だから父親に対する呪いに対してえでって言われてるっていう。
なるほど。
っていう怖さがありますね。
あそこって生浴び打仏って唱えてませんでした?
道教って生浴び打仏なんですか?
ちょっとその辺は僕知らないけど、とりあえずあれは道教なんですよ。台湾。
台湾行くとそういったお寺さんがたくさんあって会うことができます。
なるほど。
そうなんだ。
ああってあれを見て。
なんかその主人公、主人公というか女の子がそんな母を見てすごく嫌になるわけじゃないですか。
だけど自分も同じようにその子といなくなればいいって願うときに、
お母さんの映像が入ってくる瞬間の感じとか、
ああいう人を憎んだり、人を呪うような気持ちでいる自分がすごく怖くなるような感覚とかもすごく伝わってきて。
さらに前山口さんがヘレディタリーの話のときに言ってて、すごくそうだなと思ったんですけど、
自分のせいでそうなってしまうという恐怖ってあるわけじゃないですか。
しかもそんなつもりじゃなかったのに、ちょっと嫌がらせしてやろうと思っただけなのに、
自分のせいで同級生とか大好きな人とかが死んでしまう状況の怖さっていう、
そういう結構いろんな種類の恐怖が入れられてるなっていうのがあって、
そういう精神面でも追い詰めてくる感じもすごく良かったですね。
そうなんですよね。サイコロジカルな怖さもあるんですよね。
単にモンスターとかだけじゃなくて。
内面的な後悔とか罪悪感とか恐怖とかが具現化した世界に行っちゃうみたいなのって、
割とよくあるのかなとは思って。
そこに関してはかなり丁寧なぐらい説明してくれる映画でしたね。そこに関しては。
もっと分かりにくくても良かったのではぐらいにはちょっと思ったんですけど、
後半とか割とこのホラー的な現象は何を意味してたのかの説明していくぐらいの勢いになるじゃないですか。後半。
もっと意味わからなくても良かったのかなってちょっと思ったりはして、
そんな説明しなくても伝わるし、
多少その説明が足りなくて、どうはついつまが合うんだろうみたいなその行間があるぐらいの方が怖かったりするのかなとも思ったので、
割と純粋にその罪悪感の話になっていくので、そういう意味での怖さは少しうるすれたところはあったんですよね。
なんかもうちょっと突き放してくれても僕は良かったなと思って。
確かに怖いのって本当第1章ぐらいでしたもんね。後半はちょっともう悲しさというかいろんな格は上回って。
そうですね。やっぱりなんか切なさの方が見終わったとはめちゃくちゃ感じるところだったかな。
やっぱりその自由じゃなくなっていく世界、やっぱり何が辛いってやっぱりいろんな余裕とか豊かさがなくなっていくことだと思うんですよね。
女の子は先生に恋をしているというか、
インモラルというか、あんまりちょっと禁断の恋じゃないけど、ちょっと屈折した恋にはなるんですけど、
やっぱりそういうある意味、たとえば不倫とかもそういう系風になると思うんですけど、
やっぱりそういったものをする余裕とか、すらもやっぱりああいう束縛された世界は奪っていくっていう、
やっぱりそういうところに僕はすごく切なさを覚えるというか、
やっぱりそういうことができる、普段こういう不倫の騒動とか見ると何だこれはみたいなことが多いけれど、
そうなっているという風なことは一喜一憂できるぐらい本当に平和なことなんだなっていうのは思うんですよね。
そうですね。
この話に関しても結局、生徒と教師が恋愛関係になること自体の何らかのロマンチックさであるとか、
問題性みたいなところじゃなくて、あくまで結局その政治的なものにそれが利用されていくっていうところになっちゃうっていう怖さというか、
全部そこに集約していっちゃうんですよね。
ちょっとした嫉妬心とか猜疑心とか不安とか、本来いろんな形で現れてくるものだと思うんですけど、
全部それが政治的なものに集約していっちゃうんですよね。
それが実現できてしまうから、
あの人を密告すればあの人を排除できるとか、
今持っている自分の不満であるとか、
満たされなさが満たされるっていうことで、
どんどん利用されちっちゃうんですよね、すべての感情が。
それで一旦は解決するというか、
分かりやすい答えを与えてくれるから、
誰かが連行されてひどい目にあって自分はそうはならないっていうので、
そこでその分かりやすさ、自分は残される側だから正しくって、
あいつが間違ってるっていう答えを与えてくれるのってすげえ怖いなと思って、
実際の物事ってそんな分かりやすい答えってないと思うんですよ。
でもああいう体制、密告社会とかになると、
魔女狩り的な言い方もできると思うんですけど、
俺が正しい、あいつが間違ってる。
で、あいつはひどい目には拷問を受ける、あるいは殺される。
私は生きると。
このシンプルさってすごい甘美だなと思うんですよね。
ちょっとした心の隙間に忍み込んできて、
それを享受したくなるってめっちゃあると思うんですよ。
この映画の恐怖って多分そこですよね。
もちろんその体制そのものの恐怖ももちろんあるんですけど、
自分がその隙間にひるっと忍び込まれたら、
誰かを巻き込んでしたくなるっていう。
で、ちゃんとそれに呪い返されるっていうのがあの世界ですよね。
あの異形の学校の姿というか。
やー、やだなーって。あそこ行きたくねーなーって。
だからあのクリーチャーみたいなのがやっぱ顔が鏡っていうのもすごくそういうことですよね。
呪われたり呪われ返されたりっていう。
真影を覗くとき真影をまたお前も見ているのだっていう、
ああいうやつっていうことですよね。モチーフとしては。
剣兵のような姿をしたモンスターがいて、
サハシソウに系統している人間を追いかけてきて殺すと。
その殺し方も首を掴んで持ち上げて首を絞めて殺すっていう。
要は首吊りをイメージした殺し方をしてくる感じですけど。
そいつの顔が鏡でっていう。
ちょっとわかりやすいなっていうのは思っちゃったりはしたんですけど。
あれ自体が結局自分の外側にある体勢の恐ろしさだけじゃなくて、
その体勢の恐ろしさを成り立たせているものって一人一人の弱さってことですよね。
だから言論統制とかして支配的な社会構造を生んでしまうのは、
その一人一人の弱さが形作って、
ああいう何かを弾圧するような怪物的なものを生んでしまうと。
それは一人一人の中にあるものだから、
そいつの顔をまっすぐ見ることはできないってなると。
ただやっぱりその最後主人公、女性との決断が、
いやもう私は忘れないと見つめると。
その罪性であるとかおぞましさ、
自分が選んでしまった決断の恐ろしさを私は忘れない。
その被害に遭った人たちのことも忘れないってなったら、
そいつは壊れちゃうんですよね。
みんながそれぐらい強かったら、
あんな世の中にはならなかったんだろうけれども、
残念ながらそうではなかったと。
ただ、あの瞬間だけは、
主人公はそれに勝てたというカタルシスはあるなと思って。
ちょっとビジュアルの話になるんですけど、
椅子並んでるの怖いですね。
椅子並んでるの怖いなって思うし、
何が怖いんですかね。
椅子だけ並んでるのめちゃくちゃ怖いなと思って。
なんて言ってるのか。
規則正しくその椅子が並べられてるっていう辺りに
ちょっとした全体主義感が漂うとかじゃないですかね。
そこに当てはまっていくようにならなければならないっていう
器だけが存在してるっていうのが怖いのかなってちょっと思って。
人間が、そこに一人一人の人間はいないのに、
そこに整然と並ばなければいけないという構造だけが存在してるっていうのが。
どこまでがそこでこう急に主人公の男の子のところに戻って、
現実とその子が見てた夢というか、
なんかその話がどこまで本当のことってあれですけど、
あの女の子が先生とか他のみんなは処刑されちゃったんでしょうけど、
あの女の子のことをどういうふうに捉えたらいいのかなってちょっとずっと思ってて、
でもいなくなっちゃったなっていうのは分かるんですけど、
あの子だけが結構その現実じゃない世界の話の中で終わっちゃってるんで、
結構そこを私どう捉えたらいいかなとは思ったんですよね。
確かにそこは踏み終えるような感じは僕もしました。
他の人は基本的にその弾圧によって拷問とかあるいはその死刑で亡くなってるっぽいですけど、
その事実として言われてたっぽいことは、
舞台の壇上で首吊ったみたいなことは言ってましたよね。
そうかそうか、そういうシーンありましたもんね。
ただ、あのおそらく罪悪感とか後悔を生んであろうその内面世界の中で、
おそらくその何だろう、それじゃないものを選んだのかなとは思うんですけど、
それが何かって言われるとちょっと僕もよく分からなかったかもしれないです。
残る意味はそんなによく分からないというか、
前向きになった後なので、残らなくてもいいのではと。
生きるという役割を果たしてもよかったのではないかなとは思って、
よく分からなかったんですよね、確かにそこは。
やっぱりあの時代っていうのは、いわゆる精神世界的な頃なので、
やっぱりその子は自責の念に駆られて火をつってしまって亡くなってるんだろうなっていうところで、
やっぱりあの世界の中だけでは私が救われたっていう感じだって思ったので、
でも死んだ事実として言うのはもう、どう考えてもひっくり返らないので、
やはりあそこはやっぱり残るしかなかったというか、
ここで残らざるを得なかったっていうのが悲しいんじゃないかなって思いますけど、
最後の学校のシーンっていうのを含めて思ったのは、
やっぱり事実を忘れないでほしいという切なる願いなんじゃないかなっていう感じが捉えてて、
だから結構映画っていう範囲で見てたけど、
結構見終わった後はすごい社会派な映画見たなっていうふうな感じで、
後味を持って劇場後にした感じだったんでしたね、僕的には。
やっぱりお墓参りするのにも、結構年経ってましたけど、おじさんになってましたけど、
ようやく来れたって言ってたじゃないですか。
それだけやっぱりあの時代ことがすごいトラウマというか、心の傷になってることになってるし、
ようやくこの長い年月が経ってようやく母前に立つことができたっていうぐらい、
やっぱりひどい時代だったんだろうなって思うし、
やっぱりそれは忘れちゃいけないことだろうなっていう。
そこにやっぱり願いというか、ちゃんと当時の人たちの誤解とか思いとかもちゃんと描いてるからこそやっぱり忘れないでほしいなっていう意味が、
ここは結構強いメッセージ出てたんじゃないかなって思いましたけど。
あの最後の学校の様子がすごい印象的で、
おぞましい世界になってたあの学校。
闇と血のような色で血塗られたような学校の世界。
精神的にはそういう恐ろしい世界になってたし、
現実においても弾圧が吹き荒れてた地獄のようなところだったんですけど、
ラストの現代パートのところで何もないただの廃校になった学校のようにも見えて、
普通に今日本にある廃校になった学校とそこまで景色変わんないのかなと思って、
あんなに恐ろしいことがあった場所なのに客観的な状況としては何もなかったかのようにちょっと見えてしまうと。
不良とかが入ってきて落書きしたりとかの荒れてる雰囲気はあるんですけど、
あの恐ろしい時代のことなんてまるで何もなかったかのようになってるのがすごく寂しいし怖いなと思って、
覚えておこうとしなければ消えてしまうものなんだなと思って。
で、それを覚えてる人はごく一部。
しかもその覚えておくっていう選択をする勇気を持ってた人しか多分覚えておけないのかなって、
その忘れようとしてしまう人もいてしまうと思うんですよ。
その中でちゃんと覚えておくというよりは向かい合おうとする人って感じですかね。
覚えておくことだけができるかもしれないけど、だから墓参りしたりだとか学校の中に帰ってくるっていうことを選べる人ってきっとそんないないんじゃないかなって思ったりはして、
そういうちゃんと覚えておこうとする人、向き合おうとする人っていう人がいなければそこはただの廃校になった学校になってしまうけれども、
そこに伝えようとする人、覚えておこうとする人がいればこのおぞましい歴史を後世に伝えたことができると。
ただ油断したら単なる建物になってしまいますよっていう。
割とヒリヒリした感じがあるなと思って。
なんかね、すごい寂しかったんですよね、あれ。油断すると消えちゃうんだなって思って。
なんかあの懺悔って概念があるじゃないですか。穢れが残るっていうの。
いや、残んないんだなって。
残んないんだわ。
死んだ人の思いとかって残念ながら残んないんだわって。
ちゃんと意思がないと消えるんだわって。
消されるんだわって、誰かによって。
怖ぇなって思ったんですよ。
なんかある意味で、ちょっと前のシーンで、先生が捕まって牢屋から出ていくときに、直前に男の子に、
お前は生きろって言うじゃないですか。
未来は自由だっていうセリフがあったと思うんですけど、
その時に私、未来は自由だっていう、未来に今自分たちが生きてるんだなと思ったんですよね。
だから、何て言うんだろう。
何もなくなっちゃったっていうのは、ある意味で自由になったからなんだろうなっていうのはちょっと思ってて。
だからそれが今の私の状態というか。
だから忘れちゃいけないものは本当あるんだけど、
もうそれが忘れちゃうぐらい平和な状態に今あるっていう。
そこのありがたさというか、結構そういうのを最後のシーンは思ったりしましたね。
そうですね。でもそこで覚えておかない自由とかを享受してしまうと、
あっという間にあいつら帰ってくると思うんですよね。
覚えておかない自由というよりかは、そもそも知らんとかそういう時期になっちゃってるじゃないですか。
もはや。
知ろうとしない自由というか。
人類として伝え続けていかなきゃいけないっていうとこですよね。
あの憲兵モンスター帰ってくるんですよ、また。
帰ってきてなんか首絞められるなと思ったら自分の顔してるんですよね。
嫌ですよね。嫌ですよね。自分なんですよ、やってるのは。嫌ですよね。
サブクロみたいなの被せられるわけですからね。ほんと嫌です。
ほんまや。
あれ被せられるの嫌っすよね。なんかほんと嫌。
嫌。あのビジュアルきついですね、なんか。
やっぱこれフィッシング・ヤングーマンの時にも言いましたけど、
直接的に口をつぐませるみたいな殺し方って結構つらいですよね。
顔って声を出すところだし、個人を特定するところじゃないですか。
何かを見るところだし、何かを聞くところだしって、
その人間の尊厳みたいなのが詰まってるところですよね、顔って。
でもないですって。尊厳ないですってされるの嫌だわと思って。
ですね。
だからね、これ日本版のサブタイトルは言葉が消えた日だけども、
現代の方はディテンションっていう英語のサブタイトルがついてて、
これ、身柄を拘束する行為の拘禁っていう。
だから変更拘禁っていうのが非常にあれを表してるのかなっていう。
拘束じゃなくて拘禁。
だいたい話できた感じですかね、どうだろう。何かあります?
ちょっと見てないけど、30年後ぐらいの世界がNetflix版のドラマになる。
そうなんですか。だから90年代ってことですかね。
そうそう。でもちょっと69年ぐらいの時代の振り返りがあるらしいんだけど、
結局同じような話らしいんだけど。
だから日本だとNetflix版がさっき公開されたけど、
現場としては映画ドラマって流れる。
見方によってはなんかあれですね、ITみたいな話にできるかもしれないですね。
なんかあいつが帰ってくるから頑張って止めようぜって。
オカルトと戦うというか、めちゃめちゃ具体的な政治活動をするって話になっちゃいますけどね。
ドラマ版も興味が湧いたので、Netflixで見てみようかなと。