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2025-01-22 1:07:57

第196回(2)『陪審員2番』正義って12通りあんねん

『陪審員2番』の話をしました。

本作の総合的な完成度の高さや、民主主義下における司法がもつ責任の重さや不完全さ、個々人の正義を一つの意見にすり合わせることの難しさなどについて話しています。

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00:00
今日のテーマトークは、『陪審員2番』です。 はい、ではバリオンさん、解説お願いできますでしょうか。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。 許されざるもの、ミリオンダラーベイビーのクリント・イーストットが94歳を迎えた2024年に発表した監督作。
ある殺人事件に関する裁判で、賠審をすることになった主人公が、思いがけない形で事件との関わりが明らかになり、反問とする姿を描いた法廷ミステリー。
ジャスティン・ケンプは、雨の夜に車を運転中何かを引いてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。
その後、ジャスティンは恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で、賠審を務めることになる。
しかし、やがて思いがけない形で彼自身が事件の当事者となり、被告を有罪するか釈放するか深刻なジレンマに陥ることになる。
マット・マックス・怒りのデスロードのニコラス・ホルトが主人公ジャスティンを演じるほか、ヘレディタリー継承のトニコレット、セッションのJK・シモンズ、24のキーファー・サザラランドが共演。
バイシーンの一人として、リアリティ番組テラスハウスなどに出演した日本人俳優の福山千佳子も出演している。
では、内容に触れる話を入っていきますので、ネタから気にされる方がいたら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、裁の感想をマリオさんいかがでしたでしょうか。
そうですね。いやー、無駄がないとはこういうことですかみたいなぐらい、なんというか、脚本の巧みさとも手際の良い演出、さすがですという感じでしたね。
堂々たる映画というか、手だれの映画でしたよねみたいな。まず作りとしてめちゃくちゃ素晴らしかったです。
やっぱりでもやっぱり一番今回すごく良かったのは、やっぱり丁寧な脚本ですよね。法と倫理を問う脚本と言いますか、
法の不完全さ、それ故に起こる人間の様々な倫理観というか、線引きの揺れ動きみたいなのがすごく丁寧に描かれていて、それがやっぱりすごくスリリングでもあるし、
なんかちょっとこう、簡単にスカッともさせてくれないっていうのがやっぱりとても良いなって思っていて。
なんか正しいことを語ろうとしている人がそんなに正しくないみたいな現象が起こってたりとか、なかなかこれ飲み込みにくいみたいなことがずっと続く。それが考えさせられるなっていうのを最後までやってて、なんか見事だなと。
落下の解剖学とかもちょっと連想する話ではあったんですけど、またそれとはまた違うやり方で見事なことを描いてるなぁと思いました。
はい、大井さんいかがでしょうか。
はい、僕前回ちょっとオープニングトークでも話したんですけど、まずとにかくプロットがいいなというか、よくこんな脚本作れたなっていう。
もうなんかそもそも話の設定だけで、どうなんのってしっかり引き込まれるような強さがあって、それがまずいいなと思いましたし、あと役者陣の顔がいいなと。
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特に主人公ニコラス・ホルトの揺れ動いてるなぁこの人っていう顔の表情であったりとか、あとそのトニコレットのあれ?なんか私も知ったら間違ったことしてる?っていう。
なんかその表情の大きなところには出ないんですけど、端にちょっと出てるなみたいな。その絶妙さ、役者陣の絶妙さがまあとにかく良くて、なんか本当に見応えのある映画だったなっていう印象はありますね。
もちろんそのオープニングでも言ったんですけど、もうちょっと例えば絵作りとか、もう少しリッチになってもよかったのかなと思う部分も無きにしてもあらずでは、個人的にはあるんですけど、でもそれでもやっぱり全然満足できるというか、なんならもうお釣りが帰ってくるぐらい楽しめた映画だなぁと思ってます。
僕はですね、2024年ベストですね。見てたら。少なくとも5番には入ってたかなぁとは思います。それぐらいにはむちゃくちゃ面白かったですね。
クリントイストウッドだと、近作だと、箱火屋とかありましたけど、結構箱火屋が僕的には何とも言えない作品だったなと思ってるんですけど、達人がバケツに入った炭を壁にベチャーってぶちまけたのを、これが芸術じゃ!って言ってるような大雑把ゆえのパワーみたいなのから作品だったと思うんですね、箱火屋は。僕の言い方ですけど。
本作はむしろ、こう全く無駄がなくて、最短ルートだけを通って拳を繰り出すような、もう何かを極めた。もうなんていうか、持ってる部分もないし、欠けてるとこもない。ただ的確に繰り出されるストーリーテリークがちょっと完璧すぎだなって思いましたね。
あと、最近コンテの裁判物みたいな映画見た時に、あ、これSNSのメタファーだなぁみたいに感じること結構多いなとは思ってて、落下の解剖学とかもやっぱりSNS意識してるよなっていうのあったんですけど、本作なんかSNS感、僕全然感じなかったんですよ。
それはやっぱり出てくる人物が全員背負ってるからだと思うんですよ。状況を、そして民主主義を。そこの重さがやっぱりそのSNSの軽薄短小さがない、責任を負ってない感じがない話になってるなぁと思って。やっぱりあのイーストット、SNS興味ないんだろうなぁと思って。
俺が描きてるのはさ、SNSとかじゃなくてさ、人間なんだよねっていう声が聞こえてきましたね。僕には。はい。あとあの思い出したのは、12人のイカれる男を思い出しました。で、思いっきりなぞってんなっていうとこもありました。
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あとイーストットだと、僕結構許されざる者とかっていうのも思い出して、結局罪に染まったら出れないよっていう。その上でどう生きるっていう。俺はもう罪にはまった。お前は罪にはまった。じゃあどう生きるっていう。この罪にはまらざるを得ないこの世界でどう生きるんだっていう試しの話やなって思って。
なんかもう西部の荒野だろうが、現在の法治の社会の中だろうが、正義とかって自分だけに問われ続けるものなんだなって思いましたね。
はい。そんな感じででは、お便りいついただいてますので紹介させていただきます。大石さん、じゃあお願いできますか。
はい。ユーさんからいただきました。ニコラス・ホルトが気づくのが15分目。キファー・サザーランドに告白すれば実刑を食らうという現実を突きつけられるのが30分目。
山脈構成とか意識説もこれが正解なんだと。SNSなど使わずとも、アメリカの伝統的な司法制度のもとに現代性を反映させる確からしさ。地平線、画面に現れる地平線が、水平線がしっかり意識された完璧なショットの連続。
役者の顔ではなく映画に放出する見事な証明。論国と弁論をザッピングさせる映画の嘘を織り混ぜる編集の妙。極めて平易な言葉で局面を作る脚本も相まって、ここ15年ぐらいでそこもったりした語り口が嘘のような洗練度合いに驚きました。
映画を見る側はことのあるましを知っているので、神のごとく真実なるものを理解していますが、映画シーンたちの心情もまた真実とも言えます。
生活に追われているから早く決心したいのもならずものの入れ墨を入れている奴は刑務所に入っている方が治安維持になるというのも本当といえば本当のこと。
我々のうちどれだけがそうした個人の価値観をもとにジャッジ、私の刑とかで死刑を下さずに生きていられるのか、特に自分はリベラル側だと認識しているものこそ、いつも心に氷結不能をと強く思いました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
なんていうか、完璧です。
言いたいことを全部きれいにまとめてくださって、僕特に喋ることなさそうだなって思っちゃいましたけど。
見事な人です。
その通りですみたいな。
本当にそうなんですよねっていう。
そうですね、この売信制の中で話していく中で、もうちょっと悪役作るってできたとは思うんですよね。
明らかにこいつ偏見で言っとるなぁみたいな。
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で、その偏見が物語の設定している倫理観から悪と見なされるようなものになってたら、あ、こいつを言いまかしたいなっていうモチベーションの下で見られるんですけど、やっぱりそれがない話になってるかなっていうのがあって。
もちろん各々が偏見に基づいてはいるんですけど、ただその偏見って実はそれぞれの個々人が生きてきた経験則には基づいているっていうのがあって、これが偏見の難しいところだと思うんですよね。
俺が見てきたことはこうだったんだから一般的にそうだろうっていうのは、数字は通ってないことはないと思うんですよ。
あんなやつやったに決まってるじゃんとか、あるいはやってよがやってまいがあいつは悪だよとかっていうのも、それはこうある側面からは正しさを含んでるっちゃ含んでるっていう。
でもそれに基づかないでやるのが少なくとも民主主義下での裁判だよねっていう、司法ってそうあるべきだよねっていうもので問われるっていうのが重たいわけですよね本当に。
だから12人13人いるっていうのが、ある種そのいろんな主観を持ってそれを共通解みたいなものを探すからこそ民主主義っていうものが成り立つとも言えるし、とはいえ結局本当のゴブゴブになった時には判決が下せないっていう。
そこをどういうふうに処理していくのかっていうところもすごいサスペンス風だなと思いながら見てはいましたし。そこでやっぱりこう、最初にニコラスホルダーの主人公がある意味いややっぱり彼は罪を犯してないんじゃないかって話にもって行動するものの、いざ自分の部分自分が実刑を喰らうとなるといややっぱ違う、もっと別の人なんじゃないかなみたいな感じで議論をまた霧の中に持っていったりとか。
なんかもうそこがね、彼自身の揺る動きにもなっているし、見事なんですよね。その評議会、評議の場の展開がしっかり感情描写にもなっているというか、感情のアクションにもなっているっていう。
ちゃんとなんか、そうなるべくしてこの議論をこう持っていってるなみたいなのはすごい感じました。いかにもなやつがなんかめっちゃかき乱して議論があれ?みたいになるみたいな始まり方じゃなかったので、じんわりじんわりあれでもなんかちょっと疑念、ちょっとありますよね皆さんみたいなところから、
なんかもうその疑惑一回気づいちゃったらもう、もうそれ取り消せないなみたいな感じにどんどんなっていくみたいな。でやっぱり氷結がなかなか揃わなくてみたいな流れになっていく展開って結構すごい丁寧だったなって思って。
12:05
総考の物語の起伏見てるだけでも結構スリリングだし、あと同時に若干ストレスフルな感じでも見てるというか、お前どの口で言っとんねんとかいう感じの主人公が見えてくるわけですよね。正直ね。
いや、言ってること本当真っ当でわかるんですけど、でもあんた、やったこと棚にあげてそれ言うんすか?みたいな感じもちょっと受けながらするっていう。そこがすごいやっぱいいなって思ったんですよね。飲み込めねえなっていうことですね。もう最初から清廉潔白で正しい人が言うその言葉と、ちょっとそれ自分にも刺さってるみたいな。
ブーメランデス王みたいな感じの人が言うそこの複雑さみたいなのが本当この作すごく魅力的というか見事だったなっていうところですよね。
はいじゃあ我々からトピック出して話していこうと思うんですけども、どっから行きましょうかね。
オープニングも完璧じゃなかったですかって話ちょっとしたいんですけど。
確かに。タイトル出るところが、法を司る女神の像が目隠しした天秤持っている女神像からの目隠しした妻の子っていうところですよね。
なんかもうそこでうーってなりましたよね、確かにね。なったなった、なりました。
なんかあんま、すっげーしてやったり感があるわけじゃないけど、しるっと上手いなっていう感覚がありましたね。
そうなんですよ。なんかわざとらしさがなく、でもしっかり映画ってこういう繋い方するのが楽しいじゃんっていう感じで見せてくれる感じが、すげーっていうか音体さすがですみたいな。
お便りも確か多分触れられてたと思うんですけど、論国と弁論が交互に、本当はそんなんじゃないはずなのに交互に言ってるように、同時に2人喋って聞こえてるみたいな感じの編集とかも、やだかっこいいですよね。
なんか当たり前なんだけど、これちゃんとできる人あんまいないですよねみたいな。なんかそれを当たり前にやっぱできるっていうのがもうさすがですって思いました。
映画が何でできているかっていうのに対する理解がやっぱ深いやって思って。映画って編集なんだぜっていうね。
だからめちゃくちゃこちらも裁判物って割とこっちがだんだん追えなくなっていったりとか、どこまでが真実なんだっけってある意味一緒に闇に飲まれていく感じっていうのが多分ある種裁判物によくある。
特に落下の解剖学とか特にそういう作品だったかなと思うんですけど、この作がやっぱ面白いのは真実はあると。古畑忍者ブロー的な感じではあるんですけど、真実はもうすでに観客は知っていて、で、どこに向かえばいいんだっけっていうのがすごい筋が追いやすいなと思ったんですよ。
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で、めちゃくちゃそこまでの持ってき方もすごくわかりやすい。でも扱ってる題材というか扱ってること、問題自体は非常に結論が出せない問題を扱ってもいる。
だからエンタメのわかりやすさにしっかりパッケージングされながら、じゃあその問いをまさにどうすればよかったんだろうってこっちが持ち帰られるようなテーマをしっかりこっちにメッセージとして返してくるっていう。
本当なんかやっぱこのバランス感ってなかなかできない。できないのかわかんないですけど、でも絶対少なくてもあんまり見たことないですよね。本当に。
見てて思ってたのが、もう少し真実をぼかすっていうやり方はあったよなとは思ってたんですよ。
だから本当に主人公の彼が引いてたのかどうかっていうのも不確かとか、あるいはあのお酒を飲んでたか、店を出る前にグラスの酒を飲んでたかどうかっていうのもわかんないなみたいなこともできたかなって思ったんですけど、
あ、酒は飲んでなさそうだなとか、あ、ヒータンはやっぱこいつだなっていうのは確かな真実としてありそうっていう。その主観による曖昧さみたいなのがないものを、だから客観的事実がちゃんとありますっていう話にはなってるっていうのがちょっとクールだなと思ったりというか、だから本作で曖昧なものって正義なんですよ。
正義が曖昧であって事実が曖昧なわけではない。ただその確かな事実を本当に把握できてる人はいないっていう、その上で正義をなさなければならないっていう民主主義における司法の不完全さが描かれてて、ただ完璧じゃないけどないよりマシっていう。
がやっぱりあの小気味い酒場のセリフなんだけど、やっぱりこの話の一番根っこの部分に刺さってるセリフでもあって、上手いなって。あれを決め台詞にしないのがいいですよね。
確かに司法って言うのは完璧じゃないかもしれないけれども、それでも我々はこれに縋って生きていくんだみたいなことは言わないんですよ。カンパーイみたいな感じでね。あそこですよね本当。
いや、あそこね。あのフレーズってこの間のビーキーパーのお便りにもあったじゃないですか。ああ、出たーって思って。本当だーって思って。でもその出たところがかっこいいし、本当にこれ見よがしじゃないっていうのがすごいいいねって思いました。
あそこ、検事と弁護士が飲んでるシーンですからね。そうですよね。一応裁判の法庭の中ではある種、敵って言ったじゃないですけど、双方戦うみたいなポジションですけど、基本的には法を守るべきものであるっていうところからの人であるっていう、あの関係性すごくいいですよね。
18:20
そうですよね。あとまあ、元を戻れば同じこと学んだ同士であって、なんだったら同級生だったっていうね。まあそうですね。界隈は狭いっていう。まあそうですね。
だからその、互いのやってることに対して思うところはありつつも、やっぱり同じ業界にいる業界人同士だし、なんだったら一番よく会ってる同業者でもあるっていうね、この感じが。まあああなんだろうなっていうのは察しはつきますね。
もちろん法庭の場ではしっかり真実を争う人たちではあるんだけども、その法庭といえば一歩抜けた時には、ある種その友人にまた戻れるような、ビジネスライクな関係、だいぶ関係っていうところもまたすごい良かったですし。
あとそのトニー・コレットの背景もすごい良いなと思って、その検事長の選挙がまずあると。そこである種、女性の権利を獲得するんだって、それ自体はすごく正しい主張。で、その代表の例としてこの裁判を行ってるっていう。
この裁判は女性の権利、奪われた女性の権利を取り戻すための裁判なのだっていう風な立ち付けになっていて、そこは確かに多分ニュースだけで僕らが見たらそっちにつきたくなっちゃうような立ち付けになってるところもすげーうまいなと思ったんですよね。
そうですね。あの辺の事件との背景、というかトニー・コレット演じる検事の背景とかの作り方が、やり方間違えたら結構偉いことになるじゃないですか。
お前はこれを仮想的と置くんだな、みたいなことになりかねないなって思ったんですけど、けどきっちり最後まで見たら、ちゃんと正義を貫く話になってるっていうのが、やっぱねそこ見事というか、一回、クリント・イーストットで言うとリチャード・ジュエルでそれちょっと失敗してたなーってところがあったんで。
そうそうそうそうなんですよ。それそれ。
ね、ありましたよね。女性の新聞記者の扱いがだいぶひどかったんですよね、あの時。そういうのからだいぶ離れて、いやこれはめちゃくちゃうまくいってるなって思いましたね。
もう一個設定というか背景っていう意味で言うと、主人公とその主人公の奥さんとの関係性もまた良くて、要はもちろん多分主人公一人だったら全然実形認めてたタイプの人だろうなと思うんですけど、それを認められない事情ができてしまうというか、そこも結構その理性と感情がぶつからせるのすごい上手いなと思ったんですよね。
21:18
主人公的には理性的には多分自分が罪を受けた方がおそらくいいなってことは、おそらく理性ではわかってるけど、そうはできない感情と人間関係があるっていう。
でもそれリアルだよなっていうのをすごい思って、もうすぐ子供が生まれる状況で、自分がじゃあ捕まったらその子どうなんだよっていうところが引っかかってくるっていうのは、ただただ正義を貫けない理由としては、個人と社会じゃないですけど、その天秤のたけられてる感じが上手いというか、そりゃそうなるよなって納得させられちゃう気がしたんですよね。
すごいですよね。全然観客側が安心できないっていう。
ちゃんと感情移入させた上で、その感情移入して立ってる石の上がガタガタですよっていう。グラグラですよっていう。
そうなんですよ。だからこそ全然僕らも同じ石の上に立ってんじゃんってことに気づかされるんですよね。
そこに感情移入してるってことは、自分もまたそうっていうことだから、全然確かじゃない誠意の上に自分がいるっていう。
全然その立ち位置によってグラグラになるんだっていうのが、彼に感情移入することでわかるんですよね。自分はこうなんだっていうのがめっちゃわかるんですよ。
ほんとですよね。何回もブーメラン刺さってるなって見ながら見てましたもんね。
だからそれこそよく世界系とかうちの中でも話したりするじゃないですか。大切な人を守るためになったら世界を犠牲にしてもいいとかっていう。
まさにこれある種世界系的な読み取り方も多分できるってできて。もちろんそうすることはじゃあ正義なのかっていう問いでもあるんですけど。
だからこそ感情的にはこの人を守らなきゃいけない。守りたい。守るべきだってすごく強く思うと同時に、自分は罪を犯していてこの罪をどうにかしなければならないっていう。
全然この映画だから見てる最中にこちらを巻き込んでくるというか。
天の目線で真実は知った上で、それは主人公も同じだと思うんですけど、知った上で全然傍観者では居させてくれないというか。
あー面白いって思わせてもらえない感じがやっぱめちゃくちゃ面白いというか。
こっちがサスペンスの中に汲み入れられちゃう感じ。
そうですね。今青石さんが世界形になぞらえて話されたことでちょっと思ったことなんですけど、物語において誰かか世界かっていう選択肢ってよくあるっちゃよくあるというか、
24:13
ドラマ作る上でよくあるモチーフなんですけど、そこでこの世界形とそうじゃないものの境界がどこにできるのかなっていうのを考えたら、
多分その選択に世界の側が寄り添うかどうかっていうのがあると思うんですよね。
その選択をする主体となる主人公に、その世界の側のルールが寄り添ってくれるかどうかっていう。
例えばそれが超常的なパワーだったりとかするかもしれないし、あるいはその話の流れ全体がその主人公を肯定あるいは否定するような方向性を持ったものになることで、
その世界形的になれるのかなって気がするんですけど、やっぱ本作見てて思うのは世界の側は何も与えてくれないっていうその選択に対して、
世界の側は無なんですよ。お前の中にだけある正義とかお前の中にだけにある罪悪感によって苦しめって言ってるんですよ。
世界が。何も与えないよ、意味を。お前だけが苦しめって言ってくるから。だからその世界から何も、世界の寄り添わなさがやっぱりそこの境界線なのかなって思うし、
そのドライさって特にやっぱイースト・ウッドはそういうものを描く人だよなって気はしますね。
確かに。
あと思ってたのは、第3者の犯人現れたらめっちゃ楽になるなって思ってたんですけど、
それも自然なっていうのも、そこが軸じゃないからっていうのがあるんですけど、
そういう面白がらせ方とか気持ちよくならせ方しないなっていうのは思いましたね。
逃がさんぞって言われてるなって思って。
主人公が多分真相を望んでるものはそれですもんね。
そうなんですよ。容疑者のやつが無罪になってかつ、俺じゃないやつが犯人だってーって。
そうですよね。今回結構がっつり見てる側としても、彼が犯人っていうのが分かった状態で見てますけど、
マジで偶然だった可能性もあるじゃないですか。
一応僕らが彼が犯人であるっていうのを見てるのは、一応映画として提示はしてくれてるけど、
これマジで偶然かもみたいなことを願ってそうな感じもあるから、あの振る舞いなんだなっていうのはちょっと思ったりはして。
いやー、なんかちょっとあれですもんね。
JKシモンズ演じるケイジからもらった資料をなんかすっげーわざとらしく落とすところとか、びっくりするぐらいわざとらしい映画というか。
あれとかなんか見てるとなんか、おいおいおいおいみたいな。
27:01
ほんとマジでかき乱してるやつだなって。
それはめっちゃお前どういうつもりだって怒られるじゃないですか。
黒人の男性から。そりゃそう思われてもしゃーないわみたいな。怪しすぎるっていう。
でも面白かったですね。最初は、いや彼は無罪だと思うよっていうのを始めに言ったからJKシモンズに目つけられるというか。
お前いい感してんなっつって。
でなんかこうバディものになるのかなと思ったら全然ならないとかっていう裏切り方。贅沢ですよねJKシモンズの使い方が。
あのJKシモンズ良かったですほんとに。
あれだけですからね。
めちゃくちゃいいっすよね。
でもあの資料渡してくるシーンの流れってなんかケージコロンボみたいなと思って。
ケージコロンボとか古畑忍三郎みたいな。
いやそんな感じありましたよね。
やばい奴に目つけられてるみたいな。
確かに確かに。古畑ですよ。古畑とかコロンボですよ。最初に犯人がわかってるタイプの。
でもそれをJKシモンズ早々に退場させるっていう。
気持ちいい物語には一切してくれてないっていうのはほんとその通りですね。
僕最初見てた時にやっぱりそのこの感じだとまあなんだめちゃくちゃ苦しい思いして打ち明けるんだろうなって正直思ってたんですよ。
僕それこそあのロバート・ゼミキシンのフライトっていう映画が好きなんですけど。
そういう映画になるのかなーと思ってたんですよ。
あれもなんかまあどうしよう。フライトもバイシーン2番も主人公がある中っていう話なんですけど。
それを告白するかどうかみたいな話でフライトは告白するっていう選択するっていう映画になるんですけど。
まあそういう映画なのかなって思ったら全然しないのっていうのがなんかすごかったな。そういう意味で。
対局だしやっぱそこ突き放すというかしっかり描くっていうのがなんか渋いなっていう。
そこやっぱ見事だなとは思いますけどね。
そうですね。
もちろん子供が生まれるからでもあるんですけど結局被疑者に有罪っていう結論が下る瞬間彼は法廷にいない。
そのバイシーンの結論として出す時はいなくてその判決を見にだけは来るっていうその後に。
弱いですよね。
弱い。本当に弱い。
弱いですよね本当に。
だってもうだからこそ疑われるわけじゃないですか。トニコレットにおやつって。
そうですね。
確かに犯人は現場に戻るじゃないですけど本当に清ったって感じですよね。
30:04
でもあのなんか弱さというか罪を抱えられない感じがもう人間くさいっていう。
なんかカッコつけられてない感じがやっぱいいんだなっていうか。
絶対ないんですけどこれがイーストーッと自分で主演になったら別にカッコつけて終わることするじゃないですか。
そうじゃない人の話としてちゃんとこれは描こうとしてるから本当に正しいなっていうか。
まあやっぱ結構ねその判決言わずされた後ベンチで2人喋る時の感じの喋り方というか。
これ良かったんだろうかというか。
あれはねすげえなって思って。
ギリギリ断言しないぐらいの匂わせだけして帰るっていう。
そうそうそうそう。
でもあそこでやっぱりニコラスホルドという主人公が言う感じは完全にその悪側の理論的な感じのうるまいになってるじゃないですか。
大義のためであるならばみたいな言い方にも近いような言い方をしてますよねっていうのがやっぱああーっていう。
でも平気でそういうこと僕らもなんか言っちゃうことあるなっていうのはすごい思いました。
前までめっちゃ綺麗にこんな良くないよって言ったけどでもなんかしょうがないかってなんか次の日に言ってるみたいなこと普通にあるよなって思って。
本当なんか悪は存在しないって感じの。
やっぱラスト悪だったなっていうふうには僕も見えたんですよ。
悪が降臨したなっていうその悪を許容しちゃったなっていう感じがしてだからまたそこに至るまでは罪悪感に苦しんでたけど
罪悪感に苦しまないロジックを内面化したからそれって悪だなっていうふうに僕は見えたんですねあそこは。
あの理屈を使いこなせたら悪だわと思って。
その下りの前後あたりで子供生まれた後子供の面倒を見てる時に窓の外パトカーが通ったとこにめっちゃ怯えてるシーンがあって。
すごい僕あのシーン印象残ってるんですけど。
彼は自分の選択によってその家族といられる人生を選択してそれを自分の中で正当化して一旦一件落着はしているんですけど
ただ彼はもう自分の中でその悪を許容した世界を作っちゃったんですよね。
彼はその許容してしまったらこの世界に悪が一個増えることになって
でその悪が増えた世界に自分の子供を生まれ落としたんだっていうすごいシーンに見えて
その自分が人を傷つける側になるとかあるいはその人に傷つけられる側になる可能性があるっていう
33:05
加害者になり得るし被害者にもなり得るしあるいはその
売信員としてその罪を裁く立場になったりとかあらゆる意味でこの世の正しくないもの
悪みたいなものがあってそれに巻き込まれる世界をお前は続けたんだぞっていう
子供をその世界に居続けさせることにしたんだぞっていう風なシーンに見えて
あのパトカーのライトがちょっと窓の向こうで輝いてるのの時刻感が
ああああって思ったんですよね。
一生多分あれに怯え続けるんだろうなみたいな感じはやっぱすごい受けたんですけど
そこぐらいで終わるのかなって思ったらもうちょっと続くからびっくりしちゃったんですよね。
そこで終わってもあるしクールっていうか
こっちに持って帰っていただくような終わり方でもあるなと思ったんですけど
そこでもう一つ正義っていうものを問う人が出てくるっていう
今のまると完全に冤罪事件のまま集結してしまうところとはいえやっぱりその正義を
人であるケンジ、トニコレットがその正義自分自身の正義をもう一回問い直すっていう話にもなって
で結局そうじゃないですかその売信員っていう存在に任せるのもそうだし
あるいは警察弁護士っていう人たちがその当事者じゃないところから見るっていうのもそうだと思うんですけど
結局それぞれの正義があるからこの社会が成り立ってるっていう
本当最後の最後に見事に見せてくれたなと思って
もちろん途中で現れたJKシモンズもこれは司法の外側なんだけど正義をやろうとしていたし
だから各人それぞれに自分の中の正義の軸っていうのがあって
そのを持っておいて行動する限りはその司法というのはもしかしたらマシな動きをするものなのかもしれないし
この社会というのはマシになっていくのかもしれないなっていうのもちょっと匂わせられるというか
そうですよね
本当にこの正義の曖昧さとでも正義あるって信じないといけないなっていうのを描いてて
なんかめちゃめちゃ正義について考えちゃったんですけど
結構見終わって持って帰るものくしくも先週のビーキーパーにちょっと共通してる部分あるんじゃないかってちょっと思って
そうですかなるほど
あれは法じゃないものによって正義をなすっていうむちゃくちゃな人間ですけど
結果的にあれ正義ってこれで良かったんだっけみたいなのをめちゃめちゃ考えたっていう意味では
確かに確かに
なんかちょっとほんまに共通あるんじゃねって思い浮かんだんですけど
36:02
そうですね
本当にそれこそ目撃者のおじいちゃんも俺は間違ったことをしたのかもしれないっていうある種の罪悪感に囚われていきますし
本当になんかさっきの一瞬触れた小滝正義官の弁論でも出てましたけど
何かの形である人の罪、非義者の罪を問うところに立ち会ってしまったら
それはもう正義っていうのももちろんあるんだけど
それを抱えていくしかないんだなっていうことをすごい考えさせられたというか
さっき小滝正義官のライブで1時間前に見た人がわからないけど
でも多分この人って言っちゃうみたいな
3人挙げられたらじゃあこの人だと思いますってポロって僕らも言いうるわけじゃないですか
そういうことに関わり得る社会なわけじゃないですか今僕らが生きているのって
明日自分が何かの事件を目撃者になったりあるいは当事者になったりした時に
この人って言った人が間違いだったら本当に例えば墓又事件だったらその後
50年?
数十年間その人の人権を奪うことになるわけですよ
なんなら本当に命を奪っちゃうかもしれないっていう
その危うさみたいなものって全然僕らのすぐ近くすぐ側にあるものだし
ちょっと油断したらそこに足を踏み入れてしまうかもしれない
それは自分が被疑者になるあるいは何かの犯人になってしまうというのも含めてだと思うんですけど
っていうのをなんかやっぱり1回心を立たさなきゃなというか
しっかりしなきゃなってちょっと考えさせられるような気持ちはすごい見終わった後にしましたね
そうですねだから年末ランキングで陽子さんが言われた
正義の行方とかもこの後ちょっと見てみたいなみたいな
ちょっと思ったのはやっぱり結構今回の映画の中で法がある意味間違いを犯すというか
不完全であるってことが結構ちゃんとわかるみたいな
そういう中で正義をどう通せるのかっていうか
法が全てじゃないよっていうそれも言い方おかしいんですけど
不完全なものなんだからそこブラッシュアップしていかなきゃいけないっていうか
法は守らなきゃいけないがそれは本当に正義に立って法を使ってるんですかみたいな
ことを結構問われてるよなっていうか最後のトニー・コレットが玄関出てくるみたいなところからめちゃくちゃそれを思ったんですけど
なんかそういうこと最近SNSで見たなーってすごい思って
事断した内容を無視返すのどうなんみたいな話
でもそれ本当に正義に立ってるのかっていうかってめちゃくちゃ思ったんですよね
被害に遭った人めちゃくちゃ苦しんでるんですけどそれはマジ無視するんですかみたいな
ところとかを無視してそういう言動というか意見を言ってるの結構最近よく見て
39:03
嘘だろってちょっと思っちゃったんですよね正直
法、ルールはそうですよっていうけど正義に悪用されてたらそれ別にもうダメなのでみたいな
あるからそれはダメだろうみたいなことは言わなきゃいけない
やけに法の方におもねるなお前らみたいな
それどうなんみたいなっていうのをめちゃくちゃ思って
だからなんかハックできるものっていう感覚ですよねいわゆる
どの立場で言ってんのみたいなふうにめっちゃ思って結構イライラしてたんですけど
なんかそういうイライラをこう思ってた時にやっぱこの映画を見たので
やっぱそうだよねっていうのを改めて思いました
いやいや本当にそれ正義ですかっていう
誰の立場に対しての法ですかっていうのはめちゃくちゃ思いました
みんな仮面ライダーとか見たことないんすかねって
あの仮面ライダーそれするかなとかって考えたことないかなって思うんですけど
仮面ライダーこれせんなみたいな結構僕思考をする時があって
じゃあせんほうがいいかもみたいなのはあるんですよ自分の中で
何なんだろうみんな仮面ライダーをただの暴力装置として楽しんでるってことなんですかね
逆に平成ライダーになってからその正義が相対化されたからっていうのもあるかもしれないですよ
分かんないです例えで言いましたけど今
まあなんというか仮面ライダーならしないんだろうみたいなことが
全部語れるとは思ってはないんですけど
なんかそれやるとなんかビーキーパーみたいなことになるかもしれないので
それはそう
まあねそれはそう
これだけ全部語れないと思うんですけども
けどなんか明らかになんか自分の倫理観的にどうかなみたいなことを
なんかさもなんか私冷静ですよみたいな感じで
言ってんのどういう神経してんのかなとは思うっていうのは結構最近ちょっと思いましたね
まあ最近ちょっとSNS見てて思うのある出来事を見て思ったことなんですけどそれは
だから結局正義って今作の中でもそうと思うんですけど
個々人の中にしかないし何かにおもねられるようなものでも
多分ないのかなっていうのをすごい見てて思って
例えばそのバイシンでずっと彼のことを有罪だって言ってた個々人の
人の中の正義っていうのは自分の人生経験から来るものなわけじゃないですか
入れ墨してる人に息子がそれで亡くなってっていう話だったりして
あれは多分彼の正義なんですよね
だからやっぱこの作品見てて思ったのは
そもそもやっぱりもちろん何か括弧たる
この世をこの社会を良くしたらいいよねっていう正義はもちろんあるんだけど
とはいえ結局正義って個々人の中の不可信な部分にしかない
でその不可信な部分にあるはずの正義を
それぞれがそれぞれの心情に基づいて実行していくっていうことでしかなくて
42:02
結局それは多分バラバラの形でしか多分実行できていかないと思うんですよ
ニコラスホルトの主人公が確かに最後悪になったんですけど
多分彼は彼の中の論理だったら子供のためあるいは奥さんのための正義だって
多分言い換えてると思うんですよね彼の中では
それは僕らから見たら悪なんですけど
結局その個々人の中でそういうふうに練り上げていくしかない正義っていうのを
だからこれを見て何かを誰かを見習おうではなく
自分の中に正義ってそういやあったなって思い出させてくれるというか
そうだそうだちょっとそれをもう1回見つめ直した方がいいなって
思わせてくれる覚悟があって
確かにちょっとともすれば忘れるじゃないですか
ルールは持ってればいいしっていうところ
さっきマリオさんがおっしゃってたような
ルールの中で罰せられてないじゃんっていうところって
ちょっとズルしちゃおうみたいなことも
普通に生活ではあると思うんですよ
ちょっとこっちの方がルールに従ってるしお得だしみたいなことって
全然あると思うんですよね
悪いことだけじゃなくて
でもその先にある自分の中の何か守りたいことだったり守りたいものって
何か自分の行動でそれを侵害してたりしないかなっていうのは
改めて考えてみたくなりましたね
そうですね
その意味で結構本作いいなって思った部分なんですけど
そのバイシーン全員の倫理観のそれぞれはちゃんとしてるっぷり
あと同時にそれぞれの正義観の半径の狭さも明確やなって思って
本当の意味で司法における正義を体現してる人っていないじゃないですか
あくまでみんな自分たちの半径数メートルの中での良き人であって
その中での正義を体現してる存在としてはそこにはいるんですけど
やっぱり法そのものの中での正義を誰も体現できてなくって
ここが12人のイカれる男と違う部分やなって思うんですけど
12人のイカれる男って一人の法における正義を体現してる人が
氷結の意見を全部塗り替えていくっていう話なんで
あの話反則なんですよ
めちゃくちゃ面白いですけどそうなんですよ
一人だけ概念がいるみたいな感じだから
そうそうそうそう
やってることはニコランスホルドと一緒なんですよね
もうちょっと考えてみようよって
それが民主主義だからっていう
それが司法だからってやるんですけど
彼は別に何も背負ってるわけじゃなくって
その法がいいからやってるだけなんですよね
法の基での正義においてそれがいいと思ってるからただやるだけで
もはや概念なんですよ彼は
12人のイカれる男のメインとなる
主人公はもう12人全員だと思うんですけど
その一人だけ無罪を言ってその後みんなを塗り替えていく一人は
45:00
法の体現者
法治下における正義の体現者なんですけど
っていうのがあってやっぱそうじゃなくて
正義って個人では絶対に持ち得ないよってなってたと思うんですよね
やっぱそこは正直
賠金陰謀の名作映画って死ぬほどあると思うんですけど
正直僕12人のイカれる男ぐらいか知らないから
ちょっと引き出し狭くてあれなんですけど
やっぱりこの映画は明確に12人のイカれる男を
なぞってるとは思うんですよ
でまあ単純にこの話の
賠金陰謀の面白くしようと思ったら
12人のイカれる男テンプレートになぞらえるのが
一番面白いからっていうのはあると思うんですけどそれは
一人だけ無罪って言ってだんだん意見を塗り替えていくっていうね
お決まりのやつがあるんですけど
やっぱちょっとエピソードをなぞらえてるっぽいなっていうところが
ちょこちょこあるなっていうのが
まず目撃者のおじいちゃんの描き方がほぼ一緒
なるほどなるほど
あの男を見たっていう人がいて
目撃者がいるってなるんですけど
あの老人は孤独で
人から求められてる意見を言うことで
人から認められたいと思っている孤独な老人なんだっていう
あれもろに12人のイカれる男における
目撃者の老人描写と一緒だったと思うんですけど
あと最後まで有罪であることを譲らない人が
自分自身がそういう実体験に根差してて
そういったやつは裁かれなければならないって思いで
意見を譲らないっていうのが
その自分の意見の根幹にある人がいるっていう
そこもやっぱり共闘してたなと思うんですけど
ただ12人のイカれる男と違うのは
その人が譲らないっていうところだと思うんですよね
だから12人のイカれる男は
全部くるくるひっくり返っていくんですけど
本作は6対6で止まるんです
それが多分限界を示してると思って
全員の正義を塗り替えるであるとか
あるいは事実そのものを我々が観測することなど
できないっていう限界を示してて
絶対に誰かが折れないといけない
そこはってなってるなって思ったんですよ
レトリックが上手い人が勝つとかじゃなくて
それでも絶対に譲らない人がいるよっていう
この世界にはっていう
その難しさがあるなと思って
だからなんか12人のイカれる男たちみたいに
圧倒的な概念としての正義があるわけではない
感じが多分あると思うんですよね
48:01
結局個人の正義があるだけっていう風に見えるというか
それがそれぞれの線引きの中で
どうだっていう風にさばいていく話に見えるのは
リアリティでもあるし
でもやっぱりそれが世界を映してる
今の世界を映してるなっていうのは
すごいあるじゃないですか
いろんな人種的もそうだし
性別的もそうだし
いろんな背景
いろんな人生が個人にあるっていうのを
当たり前だけどそろそろ認めなきゃね
ってなってる中で
それは正義だって分かれるさっていう
本当だから現代で12人やったらこうなるんだよな
っていうのをすごいちょっと思ったんですよ
見てて
たぶんニコラス・ホールドが主人公じゃなくて
JK・シモンズが主人公だったら
たぶん現代の順次に行かれる男たちになったような気がするんですよね
なんとなく
なるほど
その役を早々にすごく権力のある権威的正義っていうのが
一瞬で消えるので
確かに面白いなって思ったのが
入れ替わった人がめちゃくちゃ犯罪ドキュメンタリー
見てますみたいなおばちゃんだったのが
めちゃくちゃこの落差おもろいなって思ったんですけど
そういえば
あれあの日の代わり相当おもろいですよね
あれよく考えたらすごい笑いどころだったんではって
今ちょっと思って
2人ともたくさん犯罪を見てきた人じゃないですか
そうだよね
犯罪私見てますよとか
柔中ハックもこうよみたいな
分け知り側でそうなんですけど確かに
言ってる人があまりにも普通のおばちゃんというか
説得力があんまりない
信頼度が足らない人っていうのがめちゃくちゃ面白いっていう
ある意味民意の代表みたいな感じで出てきますからね
あれちょっと面白かった
本作でも分かりやすいジャグやと思ったんですけど
一番怪しい人は犯人じゃないのっていうところで
いやいやいやっていう
シーンは食ってるんですけどね実際ね
めちゃくちゃ食ってるんだけど
あの場にいる全員もうやめてくれっていう感じでしたよね
いつまでも召使いされてもうみたいな状態だったら
同じことでも言う人が変わるだけでコーンも変わるかっていう
それもやっぱなんていうか
イメージの話としてね
印象的な感じで
イメージの話としてね
印象の話としても聞いてますよね
ちょっとそこを比べだすと
警察官として働いてきた権威ある男性と
ゴシップ好きの女性っていう比較にも見えかねないから
結構危うい
めっちゃ危ういところではあるんですよね
確かにな言われたらそうですね
51:00
だから
ちょっと気づいたときにクスッとなるぐらいなんでしょうかね
見てるときガーッと笑うタイプのネタじゃないというか
ちょっと頭抱えるというか
そのぐらいですもんね
おーみたいな感じ
あと
法っていうものの限界もそうなんですけど
法相会の業界的な限界も描かれてたなと思ってて
法相会の業界的な限界も描かれてたなと思ってて
単純に人手足りないとかっていう話もあったじゃないですか
国宣弁護人はいくつも案件抱えてるから
不均衡があるみたいな話もあったし
ちゃんと調べきれてないみたいな話もあったじゃないですか
それ僕ずっとめっちゃ思ってて
まずこれ交通事故疑わへん
ずっと思ってたんですよ
あの状況
その直前に喧嘩して喧嘩おかれしたから
冤婚だなみたいな風に見えたっていうのは分かるんですけど
あの橋常に交通事故疑うべきではって
結構起きてるでしょあそこ
あんなに野宮が近い位置の
真っ暗なろくな手すりもない橋
下が落ちたらむき出しの岩場の川で
結構起きてるんじゃないかなって思ったんですけど
また起きたんかみたいになりかねないぐらい
の場所かなと思ったんですけど
まあおそらくみんな車で移動するんでしょうねあそこは
歩いて移動するような人って基本的にいないような場所だから
っていうのはあるんでしょうけどにしても
交通事故疑うんじゃないかっていうのは思ってたんですけど
後々人手が足りなかったっていうのがちょこちょこ
言われていってて
だからまあ初めから的絞ったんだろうなっていうのは
なんとなく察せたんですよ
売信員側も交通事故だったら
引き逃げだったらそんなの特に疑ってるでしょ
っていう検証はされてるでしょ
売信じゃないかポニコレットの検事側が言ったのかそれは
検察側は言ってたんですけど
引き逃げだったら特の昔に検証されてるでしょ
っていうのも十分検証されてなかったっていうのって
それってもうシステム側の穴じゃないですか
それをそうですね
でもそれはそれとしてやるしかないっていう
仕組みがそうだからっていう
なんかそのそういうのって全然あるなと思うんですよ
仕事でちょっとした穴が後まで続いていって
大きな事故になるって
全然あり得る話じゃないですか
でその四方が完璧じゃないっていうのは
本作のテーマとしてあるんですけど
完璧じゃないたまに傷で
全体としてはある程度ちゃんとなってるけど
ちょこちょこ傷がついてるみたいなものがあって
でもその傷って人一人の人間の人生に
飲み込むくらいの傷なんですよね
54:00
だから完璧じゃないっていうのは
全員が70点のものを受けられるんじゃなくて
たまに誰かが0点を食らわされるっていう
その0点に自分が不意に
落ちてしまった時に
助けてくれないのめちゃめちゃしんどいなと思って
それが警察側の人手不足とか
思い込みとか
だったりするのかあるいは
働き方改革かもしんないですよね
これ以上調べきれないから
一旦ここで見切りつけたらじゃあ容疑者やつだよねっていう
じゃあそこに焦点絞ってやっていこうっていう
そうするしかないからっていうのは
あり得るなって思って
それがすっげえ怖かったんですよね
そうですね
責任は例えばそれこそ調査機関である警察だったり
あるいは弁護士側
もう一回調査をすべき弁護士側にあるかもしれない
責任を問えばですけどね
基本的にルールに則ってルール上の手続きを踏んでいるわけだから
その責任を問うのだけでもめちゃくちゃ大変だし
実際それで博多事件はめちゃくちゃ最新まで時間がかかったわけじゃないですか
どうすりゃいいんだろうっていう
人材不足自体はもう
多分どこの業界というか
日本でも日本だったらそこら中で
どの会社でもどの組織でも起こってますし
それは多分アメリカでもおそらくそうだと思うので
そのしょうがないものをどう埋めていけばいいのかしらっていうのは
だからってAIに一部任せたら
それはそれでまた偏見を助長したりするわけじゃないですか
むしろAIって偏見加速装置ですからね
そうそうそうそう
そうですね
多分これからの社会って
そこが多分何なら大きな課題になっていくんだろうなっていうのも感じますよね
でもそれも全体としての完璧じゃないけど
ないよりマシとして許容するしかないのかな
どうなんだろうな
より良きものになってくれというのはもちろんあるけども
仕組みでどうにかできるレベルなのかもっていう
そうなんですよね
ないよりはあったほうがいいんだけど
それはそれとして世界はそれよりはるかに巨大で複雑で
全然補えてないっていう
完璧じゃないにしても足りてなさすぎるよなっていう
しかもそこに何も大体が現状ない中で
大変な世界を生きてるな自分はと
そこに許されざるもの要素を感じたんですけど
57:00
あれって西部開拓時代に
商婦が賞金稼ぎを雇って人を殺させるっていう話なんですけど
その法がない中で賞金とかっていう
暴力装置を使って正義を成す世界っていう
それって全然良くはないけど
でもこれぐらいしか自分たちが
よすがにできる正義みたいなものがないからっていう
すごい不確かさの話やったように記憶してるんですけど
法の元の現代社会になっても
正義ってすごいヨルベないぞって
無法の大地だろうが法治の現代社会だろうが
正義ってどこまで行っても不確かだなっていうのを
めちゃくちゃ思って
僕それ結構感じてたのは
テイラーシェルダーの作品見るたびに結構感じてたんですけど
彼はもう現代アメリカでセレブ劇を作ってる人なんで
おのずとそうなってはくるんですが
彼が描く悪って司法では裁けない悪をよく描くんですよ
で裁けないから結果的には
それを暴力装置なり何かの形で別の形である種
死刑していくって話にはなっていくんですけど
ウィンドリバーのこととか思い出したんですけどね
そうなんだよな
法ってサイズが足りないというより
めちゃめちゃ穴開いてるんだなって思って
もちろん網自体のサイズから外れたら
無法の大地でセレブ劇みたいなものになるんだけど
その網目の隙間からひるって抜けちゃうケースが
全然あるなっていう
そうなった時に別に法そのものの正しさって
すごい頼らないものになるんだなっていうのを
すごい感じましたね
だからそれこそ虎に翼とかで描かれた通り
法ってのは常に作り変えていくべきものでもあるし
間違っているものがあったら
やっぱりそこをどういうふうに正すかっていうのを議論して
新しい形でそれを裁判という形で実例を作ってるのももちろんそうですし
おそらく国会で行われてることもそういうことではあるわけで
だからよりマシなものにしていくしかない
多分完璧にはいずれならなくて
結局個人の正義で判断せざるを得ない瞬間は
いつでも出てくるんだと思うんですよね
っていう中でいかにマシなもの
その正義がある程度コンセンスが取れてないにしても
よりマシであると思われるものに近づけていくかっていう作業を
みんなでやっていくってのが民主主義なんだなっていう
1:00:01
民主主義がいかに重たいかっていうのを
なんか考えましたよねこれ見てて
だから本作全員めちゃくちゃしんどそうじゃないですか
雑に楽してる人誰も出てこないから
楽しようとしてる人はしてる人で
背負ってはいるんですよやっぱり早く帰りたいとか言いながら
ちゃんとその売信員っていう制度にのっとって
責任は果たしてるから
民主主義って全員が等しく
めっちゃくちゃ重いものを背負うんだからなって
てめえ逃げんなよっていうのをね
見せつけられたなと思って本当に
仕組みとしてはもちろんそれがあるからこそ人権が認められているし
自由にいることができるわけですけど
とはいえその思想ある種理想主義だと思うんですよ
民主主義ってめちゃくちゃな
その理想を叶えるためには
どんなに重たい責任が僕らの双方に
背負わされているのかっていう
すごい重たい荷物を背負ったなんだそういえばっていう
できんのかな不安になる
まず自分が背負えてる自信がないから
そうっすよね
それを全員がってなったら
できんのかなってめちゃくちゃ不安になるですね
未だかつて多分完璧な民主主義が成り立ったことって
おそらくないと思うので
何かの穴が結局は出てきて
それを埋めていって
おそらく行き着かないであろう完璧に
どんどんどんどん近づけていく作業を
みんな今頑張ってやってるところ
だと思うんで
進んだかと思ったら
5歩ぐらい下がってるの繰り返しみたいな
その穴を減らす努力をして
その穴を作ろうっている最中も
その穴には何人もの人間がポコポコポコポコ落ちて
いってるわけじゃないですか
そうですね
それでもねしんどいですよね
そういったことが多すぎるっていうことですけどね
なんでこれが法として整備されてないんだみたいな
とか本当にたくさんありますよ
すごく思ったのは
映画の中で結構この穴というか
仕組みとしてここが抜けてるよねっていうことを
ある種訴えるような映画って
庵野こととかたくさんあったと思うんですけど
あると思うんですよ結構
ただやっぱりそれを
僕らは見た上で
じゃあどうすればいいかを考えなきゃいけないんだな
っていうのをすごく思って
それを見た時に
政治行動でもそうかもしれないんですけど
結局じゃあそれを見て
どう社会とか仕組みを変えていくために
アクションできるのかっていうことを
還元しなきゃいけないんだろうな
っていうのをすごい思わされるというか
1:03:01
本当にアクションが大事なんだなっていう
ここそういうねむしろすごい感じではいて
もちろんそれこそ投票とかも
どちらかというと
私のところに出すっていう感じにはなっているわけですけど
自分の中では
それでもなんか
社会に関わるってそういうことだよな
そういうことを会社の中でどういうふうに
仕事していくかだって社会に関わることだし
だから間違ってると思った仕組みに対してやっぱり
すごく声を上げる必要はないかもしれないけど
常に何か機会があれば
そこに対して義を唱えたりとかしていくしかないんだろうなと思って
それが多分責任だし正義ってことなんだろうな
改めて考えさせられましたね本当に
やっぱできるだけ
例えば法に不備というか抜け穴があったとしても
法に立つんじゃなくて
倫理の方に立ちたいよねっていうことは
本当にちょっと思うなっていう
最後だったので映画に関しては
それが倫理ってなんだよって不確かなものですけど
やっぱそれは大切なことは忘れちゃいけないことあるじゃんみたいな
そこだけは冷静ぶってそこ踏み外すようなことだけ
絶対しちゃダメだなっていうのは本当に思いました
94歳で撮ってるんだよな
すげーよ
なんかここ20年ぐらい
衣装みたいな作品ずっと作ってるなみたいな
衣装だったんですけど
あれ?なんかまだ死ぬ気ないんかなって
まだ生きる気やなっていうのにね
過去いらって思いましたそこは
本当に去年のリドリー・スコットもそうですけど
いやー元気ですよね本当に
まだ全然作るっしょみたいな感じで
毎回やっぱ出るたび出るたび
特にイースト・ウッドは異作かみたいな
言われ方しますけど
今回も言われてましたしね
異作が配信だけなのどうなんだみたいな
異作じゃないぞっていうか
作品なるかもしれない作品が配信だけならどうなんだみたいな
ありましたけど
なんか作ってくれやって思ってますけどねみたいな
やっぱちょっとね
この映画の出来はずぬけているなと思いました本当に
すごすぎるですよ本当
確かにボリューム感みたいなのは本当にないんですよ
わーゴージャスとか
そういう感じの満足感はないんですけど
ただ最適解
黙々と繰り出され続けるっていう
いやもう
ゴージャス感の無さはもうあれなんですけど
1:06:01
僕クリント・イースト・ウッドの最近の映画見てると
枯れ山水を見てるような感じなんですけど
もう枯れ山水と思って見てるんで
ゴージャスなの全然オッケーって感じなんですよ
なるほどなるほど
詫びしければ
殺風景であればあるほど良いみたいな
感じで見てる趣はちょっとあるので
今回のも全然アリっすね
めちゃくちゃサクサク進むし
しかも最高って思いますけどね
じゃあそんな感じで
Yシーン2番の話を終わっておこうかなと思います
ではお知らせになります
映画の話したすぎる場
次回は1月27日月曜日開催予定です
場所は大阪南森松中川曲がり
6時オープン23時クローズです
今回月曜開催となっておりますので
もし平日なら来れるという方
ぜひお越しいただけたらと思います
またこの番組ではお便りを募集しております
番組全体や特定の作品へ向けて
ご自由にお送りくださいませ
バーの最新情報
次回テーマはXおよびインスタグラムにて
告知しております
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ
それでは映画の話したすぎるラジオ第196回
バイシーン2番の回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
01:07:57

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