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今日のテーマトークは、『落下の解剖学』です。
では、ここからネタバレを踏み込んでいきますので、見てから聞きたいという方は、ぜひ一旦聞くのを止めていただけたらと思います。
では、あさりの感想、まいださん、いかがでしたか?
今年に入って劇場で見た映画の中では、一番面白かったです。
でも、なんか、そうですね、包帯劇が好きっていうのもあるんですけど、
何が面白かったかって言われたら、ちょっと難しいところもあるんですけど、
なんか、私は結構、普段だったら静かな映画って、絶対眠くなっちゃうんですけど、
もう、なんかこう、なんていうのかな、会話をずっと聞いていたいって思うような映画で、はい、好き、好きな映画でした。
はい、マリオさん、いかがでした?
そうですね、僕もめちゃくちゃ面白かったですね。
確かにほんとに、ほとんど喋ってるだけ、包帯劇なのもありますし、
じゃあ、なんかめちゃくちゃショッキングなことが目の前で起こるとかっていう、
ある意味、目の前で広がるって広がるシーンがあるんですけど、
録音聞いてるシーンはある意味ショッキングかもしれないですけど、
けど、なんかめちゃくちゃそんなに起伏があるみたいな感じでもないんですけど、
でも全然、確かに僕もまいださんとして全然眠くなることもなく、
なんかどんどんこの会話の応集の中で繰り広げられる深みにどんどんはまっていく感じがすごく心地いいというか、
めちゃくちゃグサグサさしてくるけど、めちゃくちゃ深いところまでどんどん行くなみたいなのが、
ほんとに見ていてすごくグイグイと見てしまう自分がいましたね。
ほんとにちょっと深い話をしてるっていうのに、
自分もこういうことについて考えたことあるわみたいなことがやっぱり、
すごく映画の中に出てきたりとかもすごくして、すごく興味深いなっていうふうに思いました。
あと結構普通にキャッチーな映画でもあるっていうか、
犬とかめちゃくちゃホットな弁護士とか、そういうあたりのキャッチーさもあるのもすごい魅力の一個かなっていうふうに思いました。
はい、大井さんいかがでしたか?
そうですね、僕はなんかこう、映画のテーマみたいなものがすごいこの映画面白いなと思ってて、
ある種補手劇なので、補手劇だったらよく取り上げられるテーマではあるんですけど、
真実とは何かっていうところ、裁判っていうものがただ事実によって真犯人を明らかにするっていうものが目的ではなくて、
彼らにとっての真実をつかみ取っていく話になっていくっていうのが、
なるほど、これは深いテーマだなというか、
最近昨今ポストトゥルースなんて言われて久しくなりましたけど、
分かりやすい真実みたいなものがつかみづるい世の中になってきたわけですよね。
そもそも真実であるから正義とも限らなくなってきて、
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そういう中で、映画の中の劇中のセリフでありましたけど、
あなたが選ぶのよっていうセリフが向けられるわけですけど、
なんかその言葉って観客にも向けられてるなって気もちょっとして、
結局僕らは選び取っていくしかないんだなっていうのを再認識させられたというか、
そういう映画としてめちゃくちゃ面白かったです。
あとやっぱりマリアさんも触れてますけど、犬すごいっすね。
あれ演技らしいですよ。
ね、いやいや、マジっていうか、そんな、
いやもう、なんで役者部門に飲み寝されてないのぐらい飲みにいんでしょうあれはっていう、素晴らしかったですよね。
さすがパレム読書を取るだけあるなっていう。
すごかったですね。
ちょっとあの犬の演技にはすごってなりましたね。
はい、そんな感じです。
はい、僕はですね、皆さんとちょっとだけ違うかもしれないですね。
いわゆる面白い映画だとはあまり思わなくて、ただインターネスティングだと思いました。
興味深いテーマかなとは思って、特に前半はかなり退屈してて、眠さがちょっと勝ってました。
法廷映劇になってからは注目してみれたかなっていう感じでしたね。
ただ意外と言うことは本当に興味深いなと思って、さっきオープニングで話したんですけど、
恋の微笑と共通している部分はあるんですけど、恋の微笑ってむちゃくちゃ主観の話なんですよね。
あの女がこういうふうに見えるっていうところにどんどんどつばにはまっていく話なんですけど、
本作はその主観が徹底的に省かれてるというか、客観しかないですよね。
だから映画の側は、こういうふうに見えるっていう見せ方はしないんですよね。
ただ何かに見えるとしたら、それは僕たちがもともと持ってるものがそう見せてるんだよっていうことを突きつけてくる。
起きてることは、ただ静かに淡々とした事実が並べられてるだけ。
そこに何を真実と思うかっていうのは、あなたの裁量ですよねっていうふうになってるのが非常に現代的だなぁと思いました。
それこそ現代のインターネットのあり方をものすごく意識して作られてるんじゃないかなとは思いましたね。
っていう感じです。
はい、ではお便り紹介していきたいと思います。
お便り4通いただいてますので順番に紹介していきます。
では前田さんお願いします。
はい、ムーニンワンさん。
はじめまして。いつも楽しく拝聴しております。初めてのお便り。ドキドキです。
本作鑑賞後は、私の中の内なる悪魔が大暴れで、あんたのエンパシーのない言動や態度で、夫の身も心も落下させた後に飲む酒はうまいか?
弁護士と勝利のチューでもするのか?
あの息子は殺人者の息子として生きていくことよりも、母親を継続的な被護者とすることを論理で決めたんだ。
私は耐えきれず走り出しました。
蝶々が小さな爆発を起こして足に現れるのはよくあることです。
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ただ本作の衝動をはらんだ間、というか予感めいた映像の連続の割に何も起きないという静けさに、簡単してんのか?ってくらいにあくびを噛み殺してしまいました。
それでも善悪のない事実が人間社会に提出され、各人がお気持ちを表明する様は悲惨に飛んでいってとても楽しめました。
長文乱文失礼いたしました。これからもずっと応援しています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
主人公にちょっと辛口めの視点でご覧になられてたって感じだと思うんですけど、
エンパシーのない言動や態度、人の立場をおもんぱからない行動、おっしゃる通りかなと思うんですけど、
私、完全に自分はエンパシーのない側の人間やなと思いました。
エンパシーのない言動の人に対して我々はフェアなジャッジをできるかっていう話なわけじゃないですか。
というか、エンパシーがないのか?そこからエンパシーがないですか?そんなに。
いや、そんなことないと思います。
ないと思うけどなっていうのは。
エンパシーがないと、もしかしたら世間では言われるかもしれないです。
向こう側の方がエンパシーないと思いました、私は。
まあね。
なんか下側の方が。
それは、だからお互いなんですよ。
お互いにこいつだと思ってます。
果てのあの喧嘩ですもんね、あれってねっていうのはあって。
やっぱ真実は見えないっていう、簡単に言われちゃえばそういう話じゃないですか、これっていうのを。
なんかまざまざと感じるというか、見えないというか見えにくいって言った方がいいのかなっていう感じが今回ちょっと映画を見ながら思ったというか。
いろいろ提示はされて確かにそうっぽく見えるけど、でもめっちゃ不透明だなこれみたいな。
ぼけてんなみたいな感じが、ものがやっぱどうしても残っちゃうみたいな。
見えそうで見えにくいなこれみたいな感じなのがどんどん書きつなげられていてっていう感じがすごい今回映画を見ながら思いましたね。
この映画のその真実の見えにくさをうまく表現してるなと思ったのが、2人の科学検証というか、実験をしてどうだったっていう立場の人が2人出てくるじゃないですか、弁護側と検事側で。
そこのロジックは2人とも通ってるっていうところだと思うんですよ。
つまり科学はこの裁判においては何の役にも立たないっていう。
ってなった時に事実はもうわかんないってなって、そうした時に僕らは何を基準にこの人たちの罪を決めればいいんだって話になってくるわけですよね。
そこで僕結構、あ、そっか、実験を早速排除したかと思って。
あそこうまいなって思いました。
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なんか、私逆に身を乗り出して殴るしかないみたいな話になった時に、その時点で疑わしきは罰せずの法則で言ったら、全く裁きようがないのではって私は思ったんですけどね。
もう犯人にしようとしてるとしか思えない、まあそういう仕事なんでしょうけど、なんか無理がないかそっちの言い分はっていうのは、私はずっと思いながら見てましたけど。
あんまり真実どっちだっていう感じは私はあんまなくて、真実がどうかわからないけど、50-50には思えないその判断材料としてはっていうのは私は思いました。
まあね、それはそうかもね。
まあ結局どう見えるかっていうのが大事って話やと思うんですね、実際どうかというよりも。
で、そこでこの弁護士と勝利のチューですよ。
中華料理屋のシーンマジでやべえなと思って、あそこでチューしてたら僕らももう味方できなくなってたと思うんですよ、さすがに。
僕としてはね、さすがにそれはやめといてくれよって、もうある程度フェアな話として見てたつもりだけど、あそこでチューしたら僕はちょっと味方ではなくなっちゃうなっていうラインをこう吹きとどまるから、ちょっと僕ヒヤヒヤして見てて。
映画としてやっぱりその答えを出さない映画じゃないですか。
なのでやっぱり選択としてあそこでキスがしないっていうのは本当に正しいんですけど、絶対やるよなあれって思いながら見ましたよね、正直。
いやこれ映画とかじゃなかったら絶対イエーイってやってるよなーっていう気はめちゃくちゃしちゃいましたけどね。
別にチューしてもいいんですけどね。何が悪いなんてこともないんだけど、この事実を遠くから眺めていた我々が判断するものってやっぱりもうこうなんというかポサになってくるっていうので、
あ、ここでチューする人のポサにはあまり無実ってしにくいなって気持ちにこっちがなりそうだなっていうところで、僕めちゃめちゃ試されてるわと思って。
いや怖いなってあそこ観客を天秤に乗せてきたわと思って僕ヒヤヒヤしましたね。
あと息子もね、選んだっていうのはすごい印象的だと思うんですけど、あのタイミングで法廷に出てくるのとか正直賢すぎるでしょ?戦略が。
いやそうなんですよね。あの子の振る舞い結構ずっとめっちゃ考えた動きしてるのでは?みたいな。最初の証言とちょっと食い違ってたけどごめん間違ってたみたいなこと言って、
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試そうとしてる感じはめちゃくちゃしたというか、それで本当に自分の真実をあそこで決定付けたわけですけどみたいな感じですけど、そこまで思ってそれやってたとしたらめちゃくちゃこの子頭良すぎやんっていう。
どんだけ戦略立ててんな?みたいな感じちょっとなりますけどね。
でもなんかどちらかというと戦略というよりも本当にただ悩んだだけなのかなって僕の目には見えたんですけど、多分あの直前まで母親を有罪にすることも無罪にすることも両方彼の中に情報としてあったんじゃねえかなと思って、
父親側に寄り添った話をするか母親側に寄り添った話をするのかっていうのは自分の中でずっと二択で迷ってて、だから犬の実験の話がちょっとありましたけど、でもあれって別にだから父親が悪いんだって話じゃないじゃないですか。
全然ね。
あれって決め手になったように描いてるけど、でも決め手でもなんでも実はないわけですよ。だからやっぱ彼の中では直前まで多分どっちにしようって思ってたんじゃないかなって気がして。
でもなんかどっちに寄り添うかっていう話と本当に殺してるかどうかってちょっと剥離がある気がしてて。
剥離してるんですよ、だから。
でもなんか本当に彼の言った、自分も母がやったんじゃないかっていうのも考えたけど、母親にはそれをする理由がないって言ったのは本当にそうだなって私は思って、殺したっていうことにするのであればその理由がないなって私は思いました。
彼女の言動が、例えば自殺に追い詰めたっていう可能性はあったとしても、彼女が夫殺す理由ってないよなっていうのは私も思ったので、結構その一言はすごいまっすぐ入ってきたんですけど。
あとその直接手をかけたどうとかっていうのは別にして、実際彼にとって息子さんにとって母親に対する感情と父親に対する感情の落とし所ってああしかならない気がするんですよ。
父親が殺されていようが自殺だろうがどっちのことも嫌いじゃないというか好きで、そこでまあもちろん母親が父親を追い詰めたっていう側面はあるにせよ、それが落としたのであろうが追い詰めて自殺に追いかんだのであろうが彼にとってそんなに変わらないんじゃないかなって気がするんですよ。
そこの事実、だから法が裁くための事実としては彼にとってそんな重要じゃないんじゃないかなって気がするんですよね。
だとしたらその母親と入れるし、父親も別に父親が悪かったとかじゃなくて父親の弱さがもしかしたら何らかこの状況に影響してるかもしれないですよね。
ただもうそこで母親が実際に有罪かどうかなんて彼にとってはあんまり意味がないことなんじゃないかなって気はするんですよ。
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彼にとってその有罪無罪で別れるのは母親がここからいなくなるかいてくれるかの差じゃないですか。
もうそれより手前で彼にとっての父親像母親像はもうある程度決まってるから、だったら母親が残ってくれる方いらんの方がいいよねってなるんじゃないかなって気はするんですよね。
自殺したかどうかっていうのはわかんないですけどね。
わかんないよ結局ね。
そう、そういうふうなイメージになっちゃってますけどね。
でもこういうミステリーでどっちでも取れるようにってするのむずいですよね作るの多分って思ったんですけど。
なんかこういうのやっぱ見る前としてはやっぱりなんか真相はこうで出るんかなみたいな思ったら全く出ないしっていうのもあるし、
あとこうかなって思ったらやっぱこうじゃないなみたいなのをこうなんか絶妙にこうなんかいろいろ理由をつけてわかんないように、
これ真相わかんないよねっていうふうに衆投に作られてるからこそなんでしょうけど、
なんかここまでこうやって持っていかれるの結構すごいなってちょっと思いましたね。
そうですね、本作ってそこが徹底して省かれてるなっていうふうに思うんですよね。
僕さっき恋の微笑の話しましたけど、恋の微笑見てたら絶対これシャロンストーンが殺してるわってなるんですよ。
で、そういうふうに作劇してるんし、そこを軸に主人公の心の動きが描かれていくからそこにドラマがあるんですよね。
でもそこがないんですよね。こういうふうに見えるっていうふうにしてない話自体が。
客観的事実、客観的事実。で、たまに再現映像が入るけど、もうあれ再現映像でしかないから事実じゃないから。
法廷で説明してる人の言ってることを再現VTRにしてるだけで、実際にそこで何が起きたかっていうことは描かれないし、
どういう風になったんだろうなっていうことを作ってる側がそういう風な道筋を誘導せずに作ってるんですよね。
だから正直その手のミステリーとしての面白さはないと思うんですよ。
例えば犬神家の一族でスケキオってマスク被ったやつが出てきたらこいつむちゃくちゃ怪しいやんって言ってそこに乗って見れるわけじゃないですか。
ミステリーって大抵そういうものがあると思うんですよね。なんかね、燻製煮身っていう用語があるらしいです。
そういう匂わせるもの。煮身の燻製って匂いきついじゃないですか。
そのミステリーにおいて読者をそっちに誘導していくものとしての、そういう燻製煮身っていうミステリー用語があるらしいんですけど、
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その燻製煮身がないんですよね。
だからそこがね、本作すげえなと思って。そこは僕ちょっと前半退屈したところではあるんですよ。
僕やっぱスケキオとか出てきてほしい人だから。
そこがすごい挑戦的な映画だなと思って。
めっちゃ試してくるやんって。
言い方がちょっと面白くない。
めっちゃ試してくるやんって。
僕、その試されてる間、眠気を噛み殺してましたけどね。
まず眠気との戦いだったってことですね。
次のお便りいきましょうか。
アヒールさんからです。
落下の解剖学を見てきました。
途中までは妻が犯人なのか、自殺なら旦那本人の気持ちが明かされるのか、息子が真犯人を知っているのか、
とにかく何か真相を知りたい気持ちで見ていましたが、
描きたいのはそういう謎解きではなく、
映画館で見ている私たち観客も傍聴席にいる人たちと同じように真相は決してわからないままにされ、
わからないことが真実なのだと思い知らされます。
その中で、自分が知る範囲のことで自分で考えて自分なりの結論を導き出す息子が力強かった。
何か事件があるたびに、SNSでガヤガヤ言う人たちへの批判を感じました。
弁護士かっこ色気ありすぎるとの関係もギリギリで一線を超えないところが良かったです。
動物に似た人じゃないと好きにならないという妻。
後半で旦那が犬に似てるなぁと思い、
ラストで犬がベッドに来て抱き寄せたときは、妻の旦那への愛情を垣間見た気がしました。
長文乱文失礼しました。皆様の感想を楽しみにしています。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
最後の感想でも触れましたけど、やっぱSNSすっげー意識して作ってんじゃねーかなって思ったんですよね。
なんか、劇中SNS出てこないじゃないですか。一切。テレビは出ますけど。
けど、映画自体はすごいSNSっぽいなっていう感じって、英雄の証明っぽいなって思いましたけど。
ですよね。それは思った。
だから、SNS出てくるとちょっと安っぽくなるし、
なんかあんまり偶和化できなくなると思うんですよね。やっぱり。
英雄の証明もそうだったけど、背景に多分あるんだろうなっていう感じに合わせつつ、
そこの代表的なものとして、英雄の証明だったら近所の人のやりとりであるとか、本作だったらワイドショーですよね。
もう事実はどうかわかんねーけど、作家の妻が殺してるほうが面白いよなって言ってるのって、
めちゃめちゃズバリじゃないですか。
信じたい方を信じます。我々はっていう、それってまさにSNS的なものの端的な表彰だし、
そこはすごい、あのバランスで出てるのはすごく良かったですね。
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あと、検察側と弁護人とで、いろいろ話を始めるじゃないですか。事件についての。
あの感じ、すげーSNSっぽいなって感じしましたよね。
わかりますわかります。
なんかもう、そういうふうに組み立てて話始めてるじゃんみたいなっていう感じって言ったらいいんですかね。
なんか勝手に自分で作り変えた話してるなこいつみたいな時とか、結構お互いにある感じがすごい、
あーこれもSNSでうんざりするくらい見て、もうしばらくは触れたくないなって思うような感じのものを、
ちゃんとなんか映画ではすごいなんというかクレバーな形で見せてるなっていう感じがすごくしましたね。
そう、なんか劇中でもこう、交手でやりとりしてるのに対して、
それってあなたの感想ですよねみたいなことを言い合いしてるじゃないですか。
言ってた言ってた。なんかひろゆきっぽかった。
いやでもほんまに感想やったもん。
それはそう。
確かにほんとに感想だった。
ほんまに感想やったもん。
あの印象操作で罪が決まるとしたら、もうその私みたいな人間絶対ギルティーになるやんと思って、
だからもうほんとに頼むよ、頼むよって思いながら見てました。
その印象操作込みでその有罪かどうか決められるのって思っちゃって。
だからまあ物的証拠が確たるものがないから、もうそういう状況証拠、状況証拠って言うのかな?
状況でもないじゃないですか。
状況でもないです。
状況でもないじゃないですか。
いやあれはね、ちょっとね、法律ではないのではって思いました。
法としてのさばきではないのではっていう。
人としてさばいてるだけではっていう。
法廷でのバトルの内容も、それってあなたの感想ですよねって言い合うわけですけど、
あれじゃあさっきあなたが言ってたのって感想じゃないのかな?みたいな。
そうなんですよね、そうなんですよね、みたいな話になったりするし。
あまりにも物的な証拠とかが今回ない事件ですけど、
ない割にはお互いに自由にいろいろお前の印象だけで喋ってること多くね?みたいな裁判やってて、
フランスってこうなの?みたいな。
日本やアメリカとはちょっと違うような形式らしいんですけど、やっぱりフランス語って。
だから、なんか面白いなっていうか、なんかちょっと怖いなと思いましたけど。
確かに。
絶対フランスで裁判せんとこ。
もしね、だってフランスで裁判になりましたとなって、
まずフランス語しゃべれないっていう段階で、絶対無理じゃんって気持ちになるじゃないですか。
途中フランス語がんばってね、しゃべってましたけど、
もう英語でしかしゃべれるからっていう途中英語に切り替わりましたけど、
なんかああいう状況に追い詰められてちょっともうストレス半端ないなっていうふうにはちょっと思いましたよね。
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その本作、たぶんSNSはすごい意識してるっていうのもあると思うんですけど、
法廷さえSNSなんやらっていう、
もうめちゃめちゃあれのいわゆるトーンポリシングが行われてるじゃないですか。
自分の論理を押し付け合ってることが行われてるから、
あれ、なんか法廷でさえこれなんだったら、
どこに真実を争う場が存在しえるのだろうってなっちゃうぐらい。
でもなんか結構日本の法廷でも何だっけ、三度目の殺人とかかな、
なんかインタビューとかで見たんですけど、
わりと脚本じゃないけど結構決めてから行くっていうのあるらしいんですよ。
その検察弁護人だと裁判長と、今回こういう流れで行きますみたいな打ち合わせがあって、
それから裁判が行われるみたいなことは結構あるっぽくて。
そういうシーンがありましたね。
だからわりと裁判ってもうそういうもんなのかなってちょっと僕思ってて。
なんていうか真実という名のストーリーを描くための場所というか、
その場で描いて民意を固めるみたいなそういう場所なのかなって思うと、
わりと穴勝ち、これそんな異常でもないのかってちょっと思いきたりもして。
確かになんか日本の裁判の有罪率がえげつないって話とかあったじゃないですか。
無罪ほとんどないよみたいな話って。
それってやっぱもうそういうストーリーありきでは多少は違うこともあるんでしょうけど、
なんかやっぱでも大筋みたいなのはなんかもう決まってるよねみたいな感じで、
なんかちょっと進んでるところはやっぱあるんだろうなっていうのは感じますよね。
そうですね、真実って本作でもそんなに重要視されてないというか、
やっぱり社会に対して応答しどころを設けるっていう感じじゃないですか。
実際の裁判もそうやと思うんですよ。
もうわかんないよねっていう、ただこうしようってするっていうのはそうだとは思うので、
まあちょっとそこが端的だから怖さを感じる作品ではあるんですよね。
そうですよね、だってなんか自分が身に覚えられないことに巻き込まれる可能性もあるわけじゃないですか。
その場合地獄ですよね。
そうですよ。原罪に巻き込まれるのめっちゃ怖いですもん。
私も怖い。しかもなんかアホやからやったと思い、なんかだんだん思ってしまいそうじゃないですか、自分も。
なんか証言してください。その時は前田さんは実はそんな人間じゃないんだよって。
ちゃんとエピソード出してくださいね、いっぱい。
ただそれって印象でしかないから、どうすれば前田さんをかばえるのかがちょっと難しい気もするんですけど。
そうなんだな。
難しいとか。
でもこういうとこひどくないですかみたいなふうに指摘されたりすると、何も答えられないみたいになっちゃう。
そういう可能性だったらありますからね。
どんなに善意で、前田さんこんないい人なんですよって言っても、いやでもこれちょっと違くないですかって言ったら、
うーんみたいになってしまっても何も言い返せなくなったら。
たぶん敵が印象操作してくると思うから、それにちゃんと印象操作で対抗してねって言うんですよ。
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もう印象操作勝負だとこっちは。
もう印象操作でしかないと思うから、この犯人は信じてくれると思ってます。
いや信じてますよ。前田さんほどのモラリストそんないないと思ってるから。
モラリスト。
いやマジでね、マジでそう思ってますよ。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
なんか心当たりあるんですか?今後そういう裁判に巻き込まれるような心当たりがあるってことですか?
いやないですけど、ないけど、もし巻き込まれたら、すごい弱い気がします。
いやもうそれこそ絶対私、法廷で笑ってたら辞世しまいますもん。
笑うやろな、法廷で笑うやろな。
で、もうそれをなんかスケッチとかで書かれて、なんか前田被告笑っていたみたいなの書かれますから。
わーもう絶対あれや。盛り上がるやつはSNSが。
僕ちょっとゴーンガールのベアフレック思い出しちゃいましたね。
なんであの場面で笑ったんだお前みたいな。
あれと一緒ですよね。
絶対ね、そういう人いると思いますよ。
笑ったらいけないとこで笑ってしまうっていう癖のせいですごい誤解をされてる人っていると思うんですよ。
絶対あるそれ。
前田さん絶対裁判で笑うわ。
絶対笑うわ。
とかですよ、あとそのカタクソ作とか入られて、持ってる映画とか漫画とか見て、この人はすごい暴力的な人であるとか、どうします?もう嫌でしょっていう。
確かに、ほんとや。
そんな嫌ですよ、そんな言われる方はされたくないわって。
そうなんですよ。で、私は絶対そういうことどういうことか知らないですけど、しないんですけど、もし疑われたらもう弱さしかないと思うんで、つけ入れられることしかないと思うんで、だから本当にお願いします。
ホラー映画のVHSとか実力犯罪レポの雑誌とか集めてるわけじゃないですか。
いや、そうなんですよ。どうしよう。捨てようかな。
ダメです。捨てちゃダメです。捨てちゃダメです。
で、SNSには虫の死体ドットコム。
いや、ほんまや。
確かに。
ほんまや。逃げられない。
ケンジが生き生きとして喋りますね、多分。
前田被告は虫の死体を毎日。
こういう人なんですね、喋って、この人やっぱダメじゃんみたいに言われちゃうから、負けちゃいそうだなっていう。
被害者のことを虫と重ねたんじゃないんですかとか言われるんですか、私。
そこで絶対笑ってしまうじゃないですか。
そこ繋げるみたいな。笑っちゃいますね。
僕、それどうやって擁護していいかわからんかも。
虫の死体ドットコムは、これはあくまで虫の死体を被殺体にすることで、
逆的に命の尊さを訴えかけてるんですよとかって。
いや、多分響かんやろなって。
証言者、やばい奴しかこうへんやんってなる。
30:02
ねえ。
こいつら本当に擁護しに来てんのかっていう。
後ろから撃ってないかみたいな。
今ちょっとお笑い話になってますけど、
これ前田さんだけの話じゃないわけですよね、別にこれって。
誰もがみんなちょっと後ろめたかったりとか、
これちょっと間違えられたりするじゃんみたいなの持ってたりするわけですよ。
成人空手はいないわけで、やっぱそう思うと本当に怖いですよね。
それは本当にちょっと、ああいう場で裁判じゃなかったとしても、
SNSとかの場でジャッジされる側になるみたいな風になるって、
すごい怖いなっていうふうに思うし。
できるだけなんかそういうのとかはちょっとやっぱ、
今のSNSの感じだとやっぱちょっとどうしても過剰にどんどん行ってしまうところがあるので、
やっぱそことはちょっと距離を置きたいなっていうムードには個人的にはそうになりますね。
そういう時は。
次のあたりに行きましょうか。
辰田さんからいただきました。
夫の死体が序盤で現れるこの構図にまず驚く。
彼については登場人物からの伝聞形式でしか語られず、
観客の私はまるで傍聴席にいる人々のようだ。
だからこそ途中で出てくる録音データはインパクトがある。
怒涛の言葉が流れ込み頭の中で何が何やら錯綜していく様は、
子供のダニエルが法廷に立たされた時のカメラワークのようで泣き気味になってしまいました。
見ていると裁判にはかけられたくないと思う。
どんどん他者から自分の存在を決められていく感じや、
家族の関係が解体されてバラバラに崩壊していく様はしんどい。
これは事故か事件か自殺か。
日本語のポスターを改めて見た時、ふと事故の可能性はなかったんだろうかと考えることもあります。
皆様の感想を楽しみにしております。
ありがとうございます。
めっちゃピックアップした要素があるんですけど、
例の録音データですよね。
あれを聞かされたら、
ゾウがあったんだなってなるのは分かるっちゃ分かるんですけど、
正直、夫婦喧嘩ってああいうもんですよ。
ああいうもんよ、本当に。
多分そうですよね。
あれは、夫婦立場が逆の方がよりありふれてるんですよ。
そうですよね。
だから、夫は社会に出てて、妻は家で我慢してるんだっていう、
そこが事故に喧嘩することなんて、多分世の中にはありふれてるんですよ。
あそこだけ取り出したら、正直普通の夫婦喧嘩。
そこで、そこに強烈な殺意みたいなものが垣間見える気がするのは、
あそこが法廷だからってだけで、
盆白の夫婦喧嘩ですよ、あれは。
33:00
かつ、あれがよりセンシテーショナルに見えるのは、
やっぱり妻が上っていうところだと思うんですけど、
夫が上でっていうふうな夫婦喧嘩だったら、
そこに殺意なんて垣間見えないんですよ。
なぜなら、それが世の中にとって多いからです。
でも、そうじゃなくてレアケースだから、
それって像が籠りますよね、とか殺意を帯びますよねっていうふうに、
世間が見ちゃうっていうだけ。
だから、これって男女をミラーリングすることで、
問いかけている要素だと思うんですよね。
ここはやっぱり、他を思い出します。
わかります。
他は、権威の側に女性がいるっていう状態で、
どういうふうに見えるかっていう。
男性が同じことやってもよくあるよねってなるところ、
女性がやってると、よりセンセーショナルに見えるというか、
なんだったら悪女に見えるわけですよね。
それは、恋の美少とかも思いっきりそうなんですけど、
恋の美少もあれ、作家で、
人を殺した人のエピソードを、
自分の作品に活かすために、
そういう殺人経験がある人にどんどんアプローチしていくんですよね。
シャロンストーンが。
そういう人の周りで殺人事件が起きたら、
むちゃくちゃ怪しいじゃないですか。
だって、知人殺人犯ばっかなんですよ。
しかも、成功してる。
小説家として成功してて、
人から保険金、死んだ人の保険金を受け取ってたりして、
社会的な立場もある人。
めちゃくちゃ怪しいやんっていう人が、
話の真ん中にいるっていうのが、
恋の美少なんですけど、
やっぱそれにも繋がるとこがあるというか、
やっぱ女性って、
社会的な成功とかとは離れてるはずのものだよねっていう、
固定観念がまずあるからこそ、
そうじゃない成功している小説家の妻、
主人公が何か感情を発露するときは、
より悪しきものに見えちゃうっていうのが、
すごくあると思うんですよね。
だってこれで、
その主人公が夫で妻が死んだって状態だったら、
別にそこに殺意って、
この作品そのものよりも、
殺意って弱く見えると思うんですよ。
普通の夫婦喧嘩をして、
で、その後に殺人が、
人が死んだとしても、
事故かなって見えやすい。
なぜならありふれてる喧嘩だから。
でも今回は、
ありふれていないケースの夫婦関係の中で起きた、
ありふれていないように見える夫婦喧嘩だからこそ、
それは特殊なもの、
殺人に至りかねないようなものに見えるっていうのがね、
やっぱすごく、
男女ミラーリングが効いてるとこだなとは思うんですよね。
なんかその、私が思い出したのは、
そこかよって感じなんですけど、
もっと超越したところで、
もっと超越したところへの中で、
2人とも子役上がりの俳優のカップルいましたよね。
36:05
あれ思い出したんですけど、
これなんていうのかな、
ミラーリングしても成り立たないっていうのは、
なんでかっていうと、
男の人が上になった場合に、
女性がそこまで嫉妬しないからだと思うんですよ。
才能に。
才能にというか、
劣等感を感じないんだと思うんですよね。
才能に嫉妬することはあるかもしれないけど。
だからあの喧嘩の肝って、
家庭内の役割の分担がどうとかこうとか言ってますけど、
やっぱり根本的な本質の部分って、
夫が妻に対する劣等感の部分だと思うんですね。
そりゃそうですね。
だからこそ妻が殺す理はないと思ったんですよね。
それは本当にそうだと思う。
そうなんです。だから恨みを持つっていうのはやっぱり、
下とか上とかって言い方したらちょっとあれですけど、
自分が下だと感じてる側だと思うので、
恨みを持つのは。
だからそういう意味で、
単純に立場がミラーリングした時に、
家事の分担とかっていうことで喧嘩にはなるかもしれないけど、
今回と全く同じようなことにはならないとは思います。
そこはやっぱり男性女性の、
男性女性というか、まあ男性女性なのかな。
ここは男性女性でいいと思います。
の、やっぱりちょっと得なものはあるのかなっていうのは思いましたね。
それこそ本作の監督、女性監督ですけど、
この脚本って旦那さんも映画監督なんですよ。
これコロナ禍で確か、
結構家にこもらなきゃいけないって言った時に、
2人で家にいる時間が長くなって、
そこでいろいろいざこざが夫婦の間にあったらしいって、
それを2人で脚本に起こしたって言ってるんですよ。
なんかさ、映画の夫婦まんまじゃんっていうことじゃないですか。
喧嘩の内容も無し、自分にあったことを作品として物語にして出しましたって、
一緒じゃんっていうことなんですけど、
怖ぇわ、この2人。
よく特に旦那さん側、今回脚本として伝わってる彼が、
自分が殺される可能性のある脚本を書くなと思って。
何て言うか、殺されるかあるいは死ぬか。
あるいは自分がそうなったと仮定して書いてる感じも面白いなっていうか、
この映画の制作過程、脚本ができてる過程自体がすごい、
自分たち自身を切り刻んでるようで面白いなって思いました。
作家は自らの経験を作品にしたいものなんじゃないですか、やっぱり。
劇中でも語られたようにそうなんですかね。
その辺の話もすごく、別に作家に限らないというか、
39:00
みんな自分の物語があって、それはやっぱりSNSという場で語るじゃないですか。
やっぱりやることは別に作家だからって関係ないよなってすごく思ったんですよね。
それは本当にそうだわ、確かに。
なので、そこが本当に、そこにやっぱり、
例えばちょっと客食って絶対入るじゃないですか、語る時って。
例えばちょっとあるエピソードがあって、
ちょっとオチをつけるために話の順番を変えるとか、
言い方を変えるとかっていうことをやっぱり日常的にやってるみたいなことだと思うんですけど、
そういったこともすごく連想したし、
なんかそれってみんながやってるからこそ、
ちょっと真実って本当わかりにくくて、やっぱり不思議だなっていうふうに思っちゃうっていうのは、
本当にちょっと2人の設定とか、さっきの大井さんの話から見てすごくそれは感じましたね。
そうですね。
みんなそうですね、確かに。作家に限らず。
誰しもが自分の人生を表現したいと思ってる。
それはそうだわ、確かに。
だからこそ、途中でケンジ側が妻の書いて、小説の文章、
かいつまんでこういう人だっていうシーンあるじゃないですか。
あのシーンとか、痛いほど我々やってませんか?
そうなんですよ。
なるほどね、確かに。
じゃあ例えばですけど、ある映画監督がいて、
監督の作家性とやらを語るときに映画の連なりとかで、
この人こういうこと描いてるからやっぱりこの人高男じゃねって言いがちよねっていうことって、
我々知ってるしなっていうのをすごくグサッと刺されましたけどっていう。
映画作家側から言うとそんな勝手に解釈してくれんじゃねえよって思ったりするんだろうなと思って。
なんだよなーみたいなとかでやっぱちょっとめちゃくちゃ、
うーってなりました。
うーやってるーみたいな気持ちになって。
確かに。
身につままされますね。
あと話を少し戻るんですけど、
同業者で夫婦になるってやっぱり、
前さんの話もちょっと出てたと思うんですけど、大変だよなって思って。
お互いのキャリアと夫婦生活が今度一体化となってしまうときって、
うまく言ってればいいんでしょうけど、
片方の才能にめちゃくちゃ嫉妬してとか、
そんなんなったらもうえげつないなーみたいなことになるとか、
だからオフィスラブとか要できないと思うんですけど、
どうする?なんか。
でもたぶん同じ仕事じゃなくても、
まあ人によっては単純に収入とか。
そうですね、収入とかでも。
まあでもそういう場合でも、
やっぱ一般的には女性は男性の収入が自分より高いことに対して
劣等感を抱いたりすることはないとは思います。
むしろ尊敬だったりプラスに捉えると思うんですけど、
42:04
その逆がどうかっていうところは、
今回の話の肝でもありかなとは思いますけどね。
まあ逆だったときよりも、
夫はより追い詰められてたかもしれないですね、そこは。
なぜ男性はそうやって嫉妬してしまうんですかね。
いやもうそういうふうに育ってられてるからとしか言いようがないかなって気はしますけどね。
なんかそういう感じはしますよね。
暗くならないで。
まあ次のお便りいきましょうか。
ゆうきゆうさんからいただきました。
こんにちは。いつも更新お疲れ様です。
日本で暮らす身としては法廷での信仰のあり方など文化の違いが新鮮で面白かったです。
鑑賞中、私の中に渦巻いていた感情は、
当事者でもない人が人を裁くことの違和感であり、
自分の欲望を主語を社会に言い換えることで正当化し、
押し通そうとする様、
自らが代弁者話であるような振る舞いに対する違和感でした。
これは昨今のSNSの中でも顕著に思われます。
特に検察側は仕事とはいえ、あのような考え方をしていて辛くないのかな?
絶対的なルールのおかげで私たちの生活が守られています。
とはいえ、誰しも他人には分からない関係を持っているもの。
事実は一つ、真実は人の数だけ。
夫婦、息子、弁護士、検察など、皆さんは誰の視点で見ていましたか?
それにしても、弁護士で万三役のスワン・アルローの色気はすごくないですか?
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
弁護士の色気ヤバいですよね。
ヤバい。
ヤバいですよね。
ヤバいですよね、あれ。
映画を見終わった後に、ミームでホットロイヤーってあるのを知って、
いや、確かにホットロイヤーだわって思いました。
ホットだわって。
そうなんですよね、ちょっと線も細いタイプの人なんだけど、
でも、頼れるというか、寄り添いたくもなるような
頼りたくもなるような、あの感じすごいですよね。
あとね、目が大きいんですよ、目が。
目ね。
目が大きいんですよ。すごいですよね。
で、あとちゃんと犬っぽい人なんですよね。
犬っぽい。
旦那さんも犬っぽいって言ってた話でありましたけど、
この人も犬っぽい人なんで、
本当に好みとしてバッチリなキャスティングというか、
妻のキャラクターとしてね、犬系彼氏になる存在があるのかって思いましたけど。
でも、けっこうどっちかというと、先に惹かれてたのは弁護士側じゃないですか。
そうそうですね。
だから、弁護士が色っぽいっていうのはもちろんなんですけど、
妻というか、彼女が、なんて言ったらいいんですかね、表現難しいんですけど、
45:03
すごく女っぽい服装とか仕草とかをしてるわけじゃないのに、
あの人にすごい色気を私は感じて、
なんかこの弁護士の人が惹かれるのもなんかわかるなっていうか、
もっと言ったら、その夫がこの人に惹かれた理由もすごくわかるよなっていう、
だから本当に愛憎が入り混じる感じもあったんやろうなっていうのが、
すごく伝わるキャラクターだったんで、
それがなんかすごいなと思って、
あの魅力がどこから来てるのかっていうのが、
だって私たちは彼女のことをその瞬間でしか知らないわけじゃないですか、
弁護士はきっと関係性が前昔からあったんだろうけど、
っていうところで、それがちょっとすごいなと思って、いいなと思いました。
なんだろう、なんか勝手な印象ですけど、
その妻の彼女って、なんか自分から人を好きになったことあんまないんじゃないかなってちょっと思って、
もちろん愛することはあるんだけど、好きになられた人生なんじゃないかなって、
すごいなんか映画見ながら思ったんですよ。
だから多分弁護士もめちゃくちゃ片思いだし、
途中その最後、裁判に処理したとキス直前ぐらいまでいて、
思い通じ合うかみたいになりますけど、
彼女って別にそんなにバンさんに惚れてたかって言ったらそうでもないと思うんですよ。
でもなんかそれは多分、惚れた側の男性から見たらきっと悪女的に振られた跡は見えちゃうんだろうなと思って、
きっと夫も、確か裁判の中でもありましたけど、結構彼女に急婚をしていったっていうような話があったように、
なんか彼女側から、彼女は彼女の人生を歩んでるだけなんですけど、
そこに男性が好きになってきてて、
だけど彼女の人生を歩んでいくうちに彼女についていけなくて、
どんどんどんどん嫉妬の渦に巻かれてしまうみたいな。
だから仮にもし、あの後バンさんともし何かあったとしても、
きっと同じことが繰り返されるし、
なんならその前もなんかそういうのあったんじゃないかなとかちょっと思ってて。
いろいろなんか、これまでの人生いろんな人間関係があったっぽいなっていうのは、
やっぱり言わされるわけじゃないですか、なんかそもそも。
裁判の中で。
いろいろあったやろうなーってしかやっぱり思えない。
我々からはもうそれ以上言えることはないですよね、やっぱり。
そうですね、やっぱり主人公の彼女の魅力って、自由さとか自立してるところにあると思うんですけど、
性的にもすごく自由じゃないですか。
そこもね、やっぱ氷の美少を思い出すんですけど、
シャロン・ストーンはズバリあんな感じだからもろそういう話なんですけど、
本作でもそういう性的にもすごく自由だし、バイセクシャルだし、
48:00
それは氷の美少もそうなんですけど、
そういう人だからこそ惹かれるっていうのもあるし、
そういう人だからこそ悪く見えるっていうのもあると思うんですよね。
夫がいるのに別の人とそういう繋がりを持つ。
しかも女性、バイセクシャルなんて、
そのより中心にある倫理観から外れていってるからこそ、
この人は変な人だって見える。
変な人、だから普通の倫理観の人じゃない人だっていう風に見えるっていうのが、
裁判上マイナス方向に見えるというか、
検察官もそこを利用した論を展開してましたけど、
そこが、その見え方がどう違うのかっていうのが本作のテーマっちゃテーマですよね。
だからきっとその変さに男性たちは惚れていっているんだろうな、
もちろん観客である僕らもそうだと思うんですけど、
まさに自由さに惚れていくんだけど、
その自由さについていきたいと思って一緒になるわけじゃないですか。
一緒になるんだけど、全然その彼女の自由さの中に自分がいないんじゃないかなって思って。
だから、だとしたらすごい寂しいだろうなと思って。
ちょっとだから夫のメンタルヘルスの問題に、
もちろん彼女の仕事がうまくいってないっていうのもあると思うんですけど、
夫婦間の問題っていう意味で、ちょっと共感しちゃう部分はあって、
これは確かに苦しいだろうなっていうのはすごい思いながら見てました。
ただね、結構私、彼女視点で見てしまってたんですけど、
やっぱり彼女フランスに来てるわけですよ。
それがどれほど大きいことかっていうのに対する、
想像力とか自覚がやっぱり夫側になさすぎると思って。
あるあるだわ。
すごい自分のことばっかりやんって思って。
あるあるだわ、それ。
ほんとにそれって、めちゃくちゃ大きい人生をだって、
もう全部ついていってるわけじゃないですか。
住むところも。
だからそれが、それはなんていうんですかね、
同じ位置ポイントじゃない、
相手の国に住むっていうのは、
情と押し合ってる同じ位置ポイントではないと思うから、私は。
確かにそう。
そこだけ加味しても、
ちょっとあの喧嘩において私はちょっと、
夫側の言い分は飲み込めないなって思いました。
たぶんそれは、
ほんとに思いますよ。
確かにそう。
なんかあの夫がわざわざなんでフランスまで来させたかっていうのもちょっと、
さっきの仮説から考えると、
そうでもしないと自分、
彼女の人生の中に自分っていう色が生まれなかったんじゃないかなと思って、
そこまでして夫は、
彼女に振り向いても欲しかったんだと思うんですよね。
いやそう。
で、劇中彼は構想だけの男って言われるじゃないですか、
51:05
全部恨みに出るわけですよ。
そこが今腐って刺さるわ、今思い出して。
そうしたいんだけど、
結局もうエソラ事じゃんってなるので、
で、そっちに振り回されるのは妻の側でっていう話って、
いや最近もそういう映画見たぞみたいな感じですよね。
ちょっと思い出した、不都合な理想の夫婦って映画もそんな映画だったなって思い出しちゃいましたけど。
今の話、規模を小さくしても、
伴侶の実家はしんどいもんだよ。
めちゃくちゃ僕は、
僕のあたりあるから。
自分の実家は楽やけど、
相手はめっちゃしんどいっていうのは、
僕、互いに経験してるからそれは。
あるし、しかも外国じゃないですか。
で、僕この話、後で出そうと思ってたんですけど、
ちょうど流れで出そうと思うんですけど、
本作ね、僕、
英語とフランス語のディスコミュニケーションって
むちゃくちゃ大事な要素だと思うんですよね。
主人公は英語は喋れるけど、フランス語は達者じゃない。
でもまだ国がフランスだから、
どうしてもフランス語を主体的に使わないと
十分なコミュニケーションが取れない。
で、それを法廷っていう場でやらされるわけじゃないですか。
ものすごい負担だと思うんですよね。
でも、恥ずかしながら僕は、
フランス語も英語も達者じゃないので、
あんまり違いがわからなかったんですよ。
見始めて、あれ?これってフランスの話なのに
英語喋ってる気がするなって。
なんでだろうって思って、
途中でフランスの、もともとフランスに住んでた人が
警察とか来てフランス語喋ってても、
あれ?これってフランス語だっけ?みたいな感じで
ふわふわ見てたんですよ。
だからこの程度なんです、僕。
僕の不悪力がね。
で、そこを字幕上は全く差異なく表現してるじゃないですか。
で、僕、表現してほしかったんですけど、
去年の映画で、ヨーロッパ新世紀っていう映画があって、
あれは、どこだったかな。
東欧の国舞台なんですけど、
アジアから来た移民労働者とか、
あるいは周辺のヨーロッパの国ですよね。
東欧の国、ハンガリーとか来た人とか、
あるいはドイツ、フランスとか英語喋る人も入り混じってて、
すごい言語がぐっちゃぐちゃの話なんですよ。
で、作中でアジアの人が喋ってることは、
あえて字幕出さなかったりしてるんですよね。
あと、どの言語圏の言葉が喋られてるかによって、
字幕の色を変えてたりするんですよ。
だから、さっきまで喋ってた人と、
コミュニケーションが取れてないっていうのが、
字幕の色が変わることでわかるんです、あの映画。
それすごい大事で、
僕みたいに言語全く達者じゃなくって、
なんかよくわかんねえまま字幕だけ読んでるだけの人でも、
54:01
さっきまで白だった字幕が今ピンク色になってるってことは、
今ディスコミュニケーションが生じてるってことがわかるんですよね。
で、それってそのまま登場人物のストレスでもあるわけですよ。
今相手と会話ができていないっていうことが、
字幕上で表現されてるんですけど、
本作そこがなかったから、
フランス語と英語をリスニングできたらそうじゃなかったかもしれないですけど、
日本で公開される映画としては、
そこまでやってもよかったんじゃないかなっていうぐらい、
多分英語とフランス語の違いはめちゃくちゃ大事な要素のはずなんですよね。
それって要は、
主人公だけが英語喋ってるっていうのを字幕上で表現した方が、
彼女の孤独が表現できたはずなんで、
っていうのが思います。
たぶん一応字幕、使い分けはしてたと思うんですけど、
フランス語かどっちか忘れました。
最初に不統合みたいな句の字で囲いみたいな、
そういうやつとかはあるので、
一応区別はありましたとは思うんですけど、
じゃあ僕はデクノボーやったと。
でも、確かにそこあんまりなんていうのかな。
あんまり意識はしないですよね。
最初と最後とかしかつかないので、
文章、セリフだと全部に必ずつくわけじゃないので、
長かったら途中そこカットされるし、
なので別にそこ違いが分かりにくいっていうのは確かにそうなんですよね。
色つけたほうが絶対分かりやすいと思うんです。
なので一応使い分けはしてはいるんですけど、
あと一応英語とフランス語は結構ちゃうくらいってちょっと個人的に思ったりしたんですけど、
音の感じとか、意味はわからんでもというのはちょっと思ってたりしたんですけど、
個人的にはですけど。
すいません。
別に攻めるつもりじゃなかったんですけど、
彼女は英語をしゃべってるというか、
あの夫婦の間では英語をしゃべるっていうのが、
夫婦の分配の妥協点として使ってるのがおもろいなって思いましたよね。
そうですよね。
奥さん側はドイツ人だからドイツ語か母国語で、
旦那さんはフランス語。
で、お互い使う言語違うから、
お互いが母国語でない英語を使うっていうことで、
夫婦の妥協点を作るっていうのって、
いや、日本にいたら全然そんな考えつきませんけど、
ヨーロッパとかそういう国と国との距離が近かったりとかすると、
そういう形もあるのかって思って、
そこは映画だけの設定なのかもしれないですけど、
ちょっとすごい感心しましたね。クレッシュだなって思いました。
初めて見たので。
しかもそれが途中、子供と親との暗号としての英語っていう側面も出てくるじゃないですか。
だからこそフランス語しか使わないでくださいみたいな話になってくるわけですけど、
ああ、そうかってそれもすごい思って。
既成のフランス人からしたら英語のリスニングはできないから、
それは暗号になり得るんだと思って。
57:01
勝手なイメージで、ヨーロッパの人ってみんな英語できるのかなって思いながらもはや見てたんで、
逆に英語を使うことがストレスだったりするんだと思って。
やっぱその辺ちゃんと文化が分かってないと分からなかったとこかなと思うんですけど。
あんまりそこを普段映画とかを見ていても意識したことなかったので、
そういう視点に気づかせてくれたのも今回の映画見ていてよかったなっていうところでしたね。
誰の視点で見てたとかってありました?
前田さんさっき主人公の視点で見てたとおっしゃってましたけど。
そうですね、主人公の視点というか、主人公の主張、特に喧嘩のシーンですよね。
喧嘩のシーンは、私はもう100%ぐらい主人公の意見に同調してしまったというか、
すごく鬱陶しいなって思いました。
夫が。
僕どうなんだろう。
立場としてはどこまで言っても傍聴席の人にしかなり得ないと思うんですけど、
でも気持ち的には弁護士側かもしれないなっていうか、
どっちかっていうと僕も物語の主人公である妻のことをちょっと信じたいなって思ってる人って感じですかね。
もちろんある意味の信用できない語り手としての主人公でもあるんですけど、
この人が例えばそうだったとしても真実がどうだったかわかりませんけど、
どちらにしても彼女の側に寄り添って終わりたいなっていうふうに見ながら思いました。
僕はこれ難しいですけど、
割と夫側に寄り添ってって言い方すごいこの絵が難しいんですけど、
でも彼がどうして自身にしても多担にしても、
どちらにしてもどうしてその選択というかそういうことになってしまったんだろうっていう視点でずっと見てたので、
いわば夫視点と言ってもいいのかもしれないですね。
だからこそあの喧嘩のシーンで、もちろん堅入りをするってわけではないですが、
しかも夫が言ってることもロジックとしては間違ってると思い、頭では結構思いつつも、
ただ彼の辛さっていうのも結構あるなって同時に思ってて、
すごいこう弱い男性性ってわけじゃないんですけど、
なんかやっぱりすごい彼に志して見てたところは最後まで見終わって考えてみるとあるところあるかもしれないです。
僕誰の視点でも見てなくて、というか誰の視点にも慣れないようなっていう感覚なんですけど、
立場的には最も傍観している、たぶん傍聴席の聴衆とかが一番近いかもしれないですけど、
彼らって裁判の情報とかあるいはメディアから流れてくるニュースでしか知らないわけじゃないですか。
1:00:03
絶対バイアスかかりますよね、それ。
だから僕たちみたいなこの映画に対する観客ほど状況を客観視できてる人って、
あの映画の中に誰もいないから、誰でもないっていう感覚なんですよね。
誰にも寄り添うことなどそもそもできるはずがないって感覚で、
もうひたすら遠いって感じ。遠くから見てるって感じなんですよね。
ただ立場として本作、やっぱ妻が責められる、裁かれる立場だから、
それに対して肩を持ちたくなる気持ちはありますけどね。
事実ってもっと意味もなく存在してるから、
その罪とかって要は解釈じゃないですか。
その人が死んだっていう状況に対して罪が発生するっていう風なことが裁判として生じてるから、
そうなってるだけで、もう事実はただ平坦に存在してるだけだから、
それに対してお前悪いって言われてる妻の肩を持ちたくなるなとは思いますかねっていう感じかなとは思いましたね。
いやでもみんなそれぞれやっぱり4人見てても全然視点が全然違ってて面白いですね。
だからある意味映画自体がこうかなりフラット、さっき山口さんもおっしゃってましたけど、
すごーく突き放して客観的なところから描いてるからこそ、
主観を見てるうちに僕らって主観を入れるじゃないですか、どうしたって。
観客席であってもそうだと思うんですけど、傍観席であっても。
なんかその自分の主観があらわになっていく話だなって気がして。
だからなんか落下の解剖学ってこの事件を解剖していく話なんだけど、
なんか自分の主観が解剖されてるような気にもだんだんなってくるというか。
なんか私ってこういうここにきっかかっちゃう人間なんだとか。
それが逆にこの映画の感想を語ることで解剖されるっていう。
確かになんかすごい丸裸にされたような気持ちになるよなっていう。
劇中の事件そのものもすごいなんかいろんなものを解剖していくというか、
丸裸にしていくような話だと思うんですけど、
真実についてとかっていうものですけど、
見てるこっちもめちゃくちゃ解剖されたような気持ちにもとなります。
はい、じゃあそんな感じでお便りは終わっとこうかなと思うんですけども。
お便り193まで読みましたっけ?
194来てます。
あ、そうか。すいません。
ちょっとあんまり残り時間ないんで、
お便りちょっと取り上げるだけ取り上げさせていただきますね。
8さんからいただいてます。
落下の解剖学真実は何かというより、
この事象を社会がキャッチできるのかを実験するような非常に慣れた脚本が印象的でした。
1:03:05
映画のケースを当てはめると、
バイセクシャルの人が夫とは別に同性と関係を結ぶのは不定にあたるのか。
サンドラのケースは現行法や、
反例では救い取れないセクシャリティとリレーションシップの多様性に関わる複雑さをはらんでいると思われます。
また同業カップルで女性の方が評価された際、
男性の心理的裏切と衝突を描いた側面も最近のトレンドで良かったです。
ただ最も意欲的に見えたのは作者の支援の姿勢です。
主人公が小説家ですし、ここに力点を置いているのを感じました。
監督や作家の発言やアイデンティティが作品語りの主になっている原作員において、
作者の死を今一度直接的に思い直させるようなところに一番知り入れました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
すみません、ちょっとお便り掘り下げる時間なくてごめんなさい。
じゃあちょっとお便りここまでで終わらせていただきたいと思うんですけども、
じゃあ我々から話、トピック出してみたいかなと思うんですけど、
あんま時間ないですけどね。
だいぶですね。
結構触れたかなという気がして話していて思うんですけど。
ちょっと僕から一つ議論のテーマをあげたいんですけど、
この映画もっと短くて良くねって思ってるんですけど。
いや、もう私全部の映画に思ってますよ。
全映画に思ってます。
ちょっと長いんですよね。2時間超えてますよね。
3時間弱くね。
3時間もあった?そんなあった?
2時間半くらいだったかな。
2時間半くらいですよね。
ちょっと長いなと僕は思って。
正直構成はそんな複雑な話じゃないんですよね。
前半の事件が起きて操作するパートと裁判パートっていう
大まかには二部構成じゃないですか。
その裁判パートの中で何とか転換はあるとは思うんですけど、
基本的には割と一幕二幕かそれぐらいだと思うんですけど、
正直合間が多いと思って。
別にそれがいけないとかじゃないし、
むしろ客観的技術を連ねていくっていう作品において、
省略はその客観性と相反するものではあると思うんですよね。
突き詰めると要はそのまんまの時間、
リアルタイムの時間そのままあるのが客観性の本来のあれだと思うんですけど、
どうしてもそこは圧縮して2時間半になってるとは思うんですけど、
そこまで余白っているのかなって思って。
なぜならこの作品ってそもそも全部余白だと思うんですよ。
全部余白のところにそこまでまあまあでしっかり取るのって
なくてもありなんじゃないかなって僕は思ったんですよ。
特に事件が発生して操作をしていくパートって
1:06:04
間しかないようなものだと思うんですよね。
そこに味付けがされてないから本作って。
だから多少間を詰めても基本的には余白だと思うんです。前半丸ごとが。
そこをもっとタイトにしてもよかったんじゃねと僕は思ったんですけど、
意見いろいろあるとは思うんですけど、
ミステリーとしてのスマートさみたいなのも
僕はちょっと求めてしまったところがあったかなというか、
そこまで緩やかじゃなくてもよくねって思ったんですよね。
ミステリーを期待しちゃったから。
確かにこの話が2時間にまとまってたら普通に面白いと思うんですけど、
確かに最近ちょっとどんな映画も長くやりすぎじゃね?みたいな気あるんですけど、
それは僕もわかるし、結構お便りもちょっとありましたけど、
ちょっと見ながらあくびでもしそうな感じもあるよねって結構言ったりもしてるので、
その気持ちはわかります。
わかりつつ、でも本当にこの長さをめちゃくちゃ宙吊りのまま過ごすっていう時間もまたちょっと愛おしいって思ってるというか、
これ大切な時間だったなとも思ってる自分がいるって感じですかね。
余白とか考えるのって結構大変じゃないですか。
答えがわかんなくて、これ何だろうってずっと考えるのってすごい大変なことだと思うんですよ。
それを本当にあの映画を見るということですごく体験として残るんだなっていうのはすごく個人的にはあったので、
まあ確かに僕も短かったらもっといいなと思いますけど、
思いつつも決してこの時間は僕は全然無駄ではなかったし、すごく意義のある時間だったなというふうにはすごく思いました。
僕もすごいマリオさんの意見には同意で、
この映画多分このあくびが出るぐらいの間に若干の意味がある気もしていて、
多分間を詰めてすごく端的にわかりやすい、
まあわかりやすいと言っても結局あの話なんで余白なんですけど結論は、
話になったらあんまり印象残んないんじゃないかなって気もちょっとして、
結局何も語られなかったので終わる感じというか、
なんか2時間半ずっとこれどうなんだろうっていうか、
その吊り下げられたサスペンスな状態で考えさせられる無理やりっていう時間が多分意味のある映画な気がして、
要はその観客側にお前ら主観持てよって言われてる映画じゃないですか。
こっちは提示しねえぞと。
こっちは物語としては提示しません。
だからあなた方が主観でこの物語を組み立て上げて監視させてくださいっていうための時間なんだろうなと思って。
1:09:00
そのためにはこれだけちょっと長く時間を空けて、
向こうにこちら側、観客側に考えさせるための余白を設けておく必要があるのがあるのかなっていうのもちょっと思いました。
多分これ早かったらあんまり考えなかった気がするんですよ。
わかんないで終わる気がして。
そうかも、確かに。やっぱ真実ってわかんないよねぐらいで終わってたかもしれない。
もしかしたら。
私はこういう法廷物って絶対相手の弁護士とか検察官がめっちゃ嫌なんじゃないですか。
で、もうほんまにあいつのターンが来るたびにむかつきでテンションが上がってくるというか。
で、法廷のシーンが終わってひゅーってちょっとクールダウンして、またむかつきが来るっていう感じだったんで。
私はあんまり飽きはこなかったんですよね。
むかむかしてるときってその人の言ってることに対してどう反論っていうか、わかります?
むかついてることに対して言いたくなることを考えるじゃないですか。
それ考えてたら時間が全然長く感じなかったです。
そういう見方か、なるほどな。
いい役者やなって思いました、検察官の人。
いいですよね。むかつきますよね、あいつ。
ちょっと触れ忘れてたんですけど、あの検察官の人もめっちゃホットじゃないですか。
ホットかな。
なんか検察官っていうイメージとちょっと違うような人がやってる感じもちょっと含めて印象に残るんですよね。
僕あの人見た目なんかサッカーのフーリガンとかにいそうなやつだなって思ってたぐらいですけど。
自分のチームが負けて暴れまくってそうな人みたいなスキンヘッドの感じがすごいしてたんですけど。
こんな人が検察官やってるっていう意外性とかもちょっとあったりとかして。
かっこいい人ではあるような、イライラはしてたんですけど。
フックは結構かっこいいというか、ちょっとなんかね、ちょっとラッパー感というか、見た目、ちょっとチャラい感じとかもちょっと印象に、ちょっと連想したりとかもして、結構印象に残ってます。
なるほどな。
でもきっと私は、あの夫側の人、夫側に共感する人の人ともっとちゃんと話をして生きていかなきゃいけないんだろうなって思った。
でもあれは、夫も悪者なんですよ、基本。
やってる人は悪者なんですけどね。
そう、なんかあの、その夫側の気持ちも頭ではすごい理解できるんですよ。
ただやっぱりああいう感じのぶつけられ方をするのは本当に得意じゃないので、すごく拒絶してしまうんですけど、
でもなんかこう、大石さんが、なんかそのそこの、なんていうのかな、だって大石さんとこんなイライラで喋ってるのにさ、なんか大石さんが共感するものに対して拒絶したままだったらダメかなって思った。
1:12:16
そんなことは絶対ないと思うんですけど。
ただなんていうか、彼のやっぱあの状態ってまともじゃない状態ではあると思うんですよね。
事件化してる時って。
おそらくそのメンタルヘルス的には一番最低の、たぶんそこみたいな状態だし、その時に、もちろんそれ、たぶんその時期にそれも兼ねてフランスに引っ越しちゃってると思うんですけど、
なんかそういう何をやったら自分が上手くなるかわからないみたいな状況の中で人を傷つけちゃうのは、もう仕方ないと思うしかないなって自分自身が思ってる。
どう見てもそれは自分自身に関してもそうだからなんですけど。
冒頭でそのオープニングの時に挙げたテッドラストって映画の中で、一番落ち込んでる時に人を傷つけたことは許してやらなきゃいけないっていうセリフがあるんですけど。
なんか夫に関しては、自殺だったとしても殺されたとしても、そういう時期だったんだろうし、彼が助かる道はなかったのかなってちょっと考えちゃうんですよ。
フランスにどうせこうしたんだったら友達と話すとかは結局彼はなかったのかなとか。
そうですよね。彼の家族とかわかんないですけど、フランスの知り合いとか。
あえてそこから離れた場所を選んでる感じもありましたもんね。フランスまで来たのに。
そうなんですよね。
ご近所をめっちゃ隣の家まで盛りはさんでしかないみたいな感じの雪だったじゃないですか。
やっぱそれはちょっと思ったんですよね、すごく。
せっかく自分のホームに来たはずなのに、めちゃくちゃ孤独な場所を選んでるのって何なんだろうなってちょっと思いました。
妻が、それは裁判上もしかしたらポーズかもしれないですけど、結構自分の弁護士が弁護した後に、
たぶん弁護士が夫のことを、彼はこういう精神状態だったんじゃないかだから、これは自殺の可能性があるんじゃないかみたいな話をしたときに、
その弁護が終わった後に、彼はそんな人じゃないみたいな、そういうジェスチャーをするシーンがあったと思うんですけど、
だから私は、山口さんもおっしゃったみたいに、喧嘩は喧嘩として、そのときの一時的な感情だったり、ギュッてなってると思うんですけど、
本当に夫のことを知ってたのは彼女なんじゃないかなって思いますし、
お便りでスルーしちゃったんですけど、アヒルさんが言ってた、最後に犬を抱きしめるっていうところ。
この映画において結構重要じゃないですか、犬の存在って。
そうなんですよね。
犬の存在をどう考えるかっていう話は、時間足りないっていけないと思うんですけど、
1:15:02
でも確かに彼女が動物みたいな人が好きって言って、男が犬っぽいっていうところで、最後に犬を抱きしめるっていうところで、
夫への愛情を感じたっていう意見は、なるほどなって結構思ったんですけど、
私は結構ね、事故なんじゃないかなっていうのもすごい思ってて、
そうであってほしいし、きっと妻もそう思ってるんじゃないかなって思います。
話せば話すほどに面白いなっていうか、いろいろ話題出てくるなっていうか、
すごいしますね、全然。
夫婦2人の話をとってだけしても、夫婦倦怠者として最高だったなっていう感じがまずするじゃないですか、そもそも。
子供と犬の話、全然できなかったですもんね。
そっちに降っちゃったなっていう。
そうです、半分は子供と犬の話なのに。
だから、夫がいないマリッジストーリーみたいなもんですからね。
いや、そうなのかっていうか、めちゃくちゃ思った。
入りがゴーンガールで、終わりはマリッジストーリーと母を足して2で終わったみたいな感じだなってずっと思ってて、
すごいそれを思って、あらゆる夫婦倦怠者の映画を思い出したよ。
ファントムスレッドだったりとかさっていうのとか、ブルーバレンタインとかそういうの好きやもんなって思いました。
別れる決心も入ってると思うんですよね。
好きですよね。
特に弁護士と関係性はすごい別れる決心を思い浮かびました。
そっか、そうだな、言われてみればそうだ。
喋るほうが断然面白いです、この映画。
よかった、でもそれならよかったですね。
この映画、味わったって感じがしますね、ここまで。
正直それ用の映画だと思うんですよ。
その節はある。
間違いない。
その節はある。
2時間半、頑張ってためたものを今喋って、
むしろこっちこそ本番なんじゃないかっていう。
ちょっと子供の話し足りなかったのはあるかもしれないですね。
結構ほんと大事な部分なんですけど。
彼が自分の意思でちゃんと真実を取ったっていう事実が
今の時代めちゃくちゃ大事なことやなとめちゃくちゃ思いましたし。
あの屋根裏に一人で行ってるシーンどう見ました?
最後の証言の手前ぐらいにあったと思うんですけど。
屋根自体に歩いて行って窓から外を覗くようなことをしてたと思うんですけど。
でも彼極度に視力悪いから多分見えないじゃないですか。
1:18:00
じゃあ何を見たんだろうってすごく思って。
僕はあそこが僕本作の一番の空白だなと思ってて。
あそこが一番よくわかんない。
だって見てないかもしれないですよね。
何を確認したんだろうって。
それか何かを考えに行ったのかもしれない。
決めに行ったのかもしれないですけど。
そこはすごく興味深く見てたし。
それを経て最後の証言に至るわけですよね。
でもね、あの証言なかったら多分有罪だった気がするから。
そうですよね。
戦略上言ってたわけではないにしてもすごい駆け引きですよね。
ただ迷ってただけなんでしょうけど、めちゃくちゃ戦略的ではみたいに見えるしなみたいな。
どこかそういうふうに見える不信があったみたいに勝手に思ってましたけど。
視力が極端に悪い少年っていう。
見えない人が真実を見るみたいなっていう話の流れ。
作り方とかもうまいじゃんってなるっていう普通にっていう。
映画としてもうまいなって感じがすごいしたし。
あとなんだろう、なんとなくですけどちょっとシャイニングっぽいなとか勝手に思いましたけど。
ちょっとだけですけど。
少年が何かを見つけるっていうのと、あと作家の話でありあと雪山の話やなぐらいしかないんですけど。
シャイニングの話とは若干あれかもしれないですけど、見えないっていうモチーフに関してだったら、
この映画で大事なのって匂いの関する勘違いとか、
あるいは音、冒頭は音で始まるわけですけど、この映画。
音も結構重要な。
突然陽気なラテンの音楽から始まるわけですけど。
あの音楽もすごい裁判でなんか言われてたよね。
50セントの客でこういう意味のある曲をかけてるから、これにはこういう意味があってみたいな話しだしたとき。
あれ映画ファンだよなって思って見てました。
50セントって。
頭クラクラしたと思って、もうあんなこと言い出したらダメみたいな。
言いましたよね。
あんな爆音でかけられたら誰でもイライラするやろって思いました。
そうそうそうそう。
でもなんか匂いっていうのを彼が勘違いしてるって、あれまさにちょっと顕示的な感じになっちゃうかもしれないですけど、
僕らのメタファーでもあると思うんですよ。
見えないものを勘違いしちゃうというか、
正しい情報を受け取ったとしても、結局その解釈自体で変わるよねっていうことを、
彼のあのシーンだけでもすごい的確に示しているわけですよね。
そこも含めてすごい、要は僕ら含めて人間の盲目さというか、
真実っていうものに対する盲目さみたいなものをすごい突きつけてくるような設定になってて、
そことかもうまい脚本だなとは思いますね。
1:21:03
ちょっとこれあんまり膨らますつもりないつもりで言うんですけど、
その裁判における嘘と真実っていう対立構造とは別に、
現実とフィクションっていう対立構造も微妙に話の中に織り込まれてたと思うんですよね。
ただそこが交差するようなこともなく、例えばそれが交差すると、
それこそシャイニングみたいになると思うんですよね。
盲衆に取り憑かれている嘘と真実と、
あるいは現実とフィクションがぐちゃぐちゃとなっているニューロティックスリラーみたいな話にもなりかねないけど、
そこもドライなんですよね。
あくまでそう言ってる人がいるだけっていうところで切り離してるっていうのも、
客観性を重視した作劇の妙だなと思いながら見てたりはしたんですけど、
もっと交えたらわかりやすく面白くなるんですけど、
そこを混同するのってもう主観そのものじゃないですか。
そうですね。
そこをやらないっていうのがやっぱ本作のスタンスだなとは思いましたね。
そろそろ終わりましょうか。
というわけで、落下の介護法学の話はここで終わっておこうと思います。
次回はアメリカンフィクションでもいきますね。
ではお知らせになります。
映画の話したすぎるバー、次回は3月30日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊曲がり、19時オープン、23時クローズです。
そして映画の話したすぎるバー、次回東京開催は5月25日土曜日の予定です。
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またこの番組ではお便りを募集しております。
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それでは映画の話したすぎるラジオ第156回、落下の介護法学の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。