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2025-06-18 1:16:58

第216回(2)『MaXXXine マキシーン』研ぎ澄まされしジャンルの刃、ムダもなければネタもなし

『MaXXXine マキシーン』の話をしました。 ジャンル性が凝縮された本作、前2作との比較しつつも、ジャンル要素が多すぎて逆に話せることがなく、ネタが早々に尽きたところを絞り出しながら話しています。 ■メンバー ・山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana ・マリオン https://x.com/marion_eigazuke ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年7月5日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

『MaXXXine マキシーン』は、1985年のハリウッドを舞台に、ポルノ女優として成功を目指すマキシーンが連続殺人鬼ナイトストーカーの恐怖に直面しながら夢に向かって進む様子を描いたスリラー映画です。映画は過去の作品へのオマージュを持ちつつ、80年代の雰囲気と現代的な鋭さを併せ持ち、観客に痛快さを提供します。『MaXXXine マキシーン』は、女性の映画業界における位置づけやその複雑な感情を描くホラー映画です。作品を通じて、男性優位の価値観に挑む女性たちと、ジャンル映画のシンプルさを再確認する要素が強調されています。 ポッドキャスト第216回では、映画『MaXXXine マキシーン』のスラッシャー映画としての特徴や、その中で描かれるホラー要素について詳しく掘り下げます。特にキャラクターや引用を通じて、ベティ・デイビスやヒッチコックへのオマージュが感じられ、映画界のメインテーマである夢と現実の間での葛藤が描かれています。 また、ポッドキャスト第216回では、映画『MaXXXine マキシーン』について語り、VHSの文化やホラー映画の魅力を考察します。現代の映画における親子関係や抑圧についてのテーマも掘り下げられています。さらに、スラッシャー映画としての特徴や80年代の文化との関連性についても考察がなされ、作品のキャラクターやストーリーラインの魅力が語られ、特に80年代のアメリカの娯楽文化が映画に与えた影響に焦点が当てられています。

第3作目の概要
今日のテーマトークは、マキシーンです。はい、ではマリオンさん、解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 タイウェスト監督&ミアゴス主演によるスリラー映画
Xパールに続くシリーズ第3作。 実在の連続殺人鬼ナイトストーカーの恐怖に包まれた1985年のハリウッドを舞台に、Xで描かれたテキサスでの猟奇殺人事件から
生還した女優志望のマキシーンが邪魔する者たちに立ち向かいながら、ハリウッドの頂点を目指す姿を描く。 テキサスで起きた悲惨な殺人事件の現場から、マキシーンがただ一人生き残ってから6年が過ぎた。
ポルノ女優として人気を獲得した彼女は、新作ホラー映画の主演の座をつかみ、 ハリウッドスターへの夢を実現させようとしていた。
その頃、ハリウッドでは連続殺人鬼ナイトストーカーの恐慌が連日ニュースで報道されており、 マキシーンの周囲でも次々と女優仲間が殺されていく。
やがてマキシーンの前に、6年前の事件を知る何者かが近づき、 ミアゴスが引き続きマキシーンを演じ、彼女を主演に抜擢する映画監督役で、
エリザベス・デビッキ、スクリームクイーンとして人気を博す女優役で、 リリー・コリンズ、6年前の事件を知る私立探偵役で、ケビン・ベーコンが共演。
はい、では内容に触れる話入っていきますので、ネタバレが気にされる方がいたら、 ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、サニーの感想、マリオンさんいかがでしたでしょうか。
そうですね、この3部作って、一応それぞれ全部テイストが違う映画にはなっていってるのかなと思うんですけど、
これまでの2作と結構打って変わって、結構痛快な作風になったなぁという感じがしましたね。
だからそこがまぁちょっと、だいぶこれまでと経路が違うなぁという感じがして、 けどまぁ見ててすごい楽しかったのは楽しかったんですけど、
で、あとやっぱり今回の80年代のハリウッドが舞台で、 まぁすごい雰囲気からしてすごいノストラジックな雰囲気。
プラス多分その年代ぐらいのとかその以前とかの、 まぁいろんな映画たちのオマージュみたいなのもふんだんに散りばめてあってみたいな感じは、
まぁありつつ、でもよいしょよいしょちゃんと現代的なシューニングがすごいされてるみたいな。 ところもなんかすごいよく相変わらず素晴らしい感じだなというふうには思いました。
まぁほんと痛快で楽しかったっていう感じで、 まぁこれ以上話すことあるのかって感じもちょっとしてるんですけど、
まぁこれちょっとしょうがないのかなぁと思いつつも、なんとなくちょっと、 まぁ少しだけ女性像の打ち出し傘みたいなのがちょっと前っぽい映画に見える気もちょっとしたというか、
いわゆる強い女みたいな感じのなんかその、 エンパワーメントみたいな感じもちょっと見えて、
まぁこれは悪いわけじゃないんですけど、 なんかちょっと前の映画っぽい感じがしたなっていうのはありましたかね。
観客の反応と映画の魅力
まぁこの間にもいろいろなんかいろんな映画が公開されたりとかしてる中でのちょっと比較としてちょっとそういうふうに感じるだけなのかもしれないんですけど、
まぁちょっとそんなふうには思ったりはしたかなぁという感じですかね。 まぁでも、
ここも、まぁミアゴスはもう当然素晴らしいですし、 見ていてなんかそんなつまらないというわけじゃなく、
やっぱもういい締めきくり方はして終わったことには間違いない楽しい映画でしたね。 はい。
はい、僕はですね、結構好きな映画ではあるんですよね。 で、
映画が終わって劇場出る時があんまり周囲のお客さんの反応がかんばしくないというか、
中途半端だったねーみたいな声が聞こえてきてたんですけど、 結構僕それを言われるとちょっとイラっとするぐらいには本作のこと好きではあるんですけど、
同時に、じゃあどこが良かったって言われると結構言葉に詰まるというか、 あんまりここがっていう強い見どころないなっていう感覚なんですよね。
うん。 うん。
で、本当に80年代のジャンルをなぞったっていうことをやりましたっていう、 そこに尽きるなっていうのがあって、
タイ・ウエスト監督の80年代、あるいはそれ以前のジャンル映画に対する愛みたいなものに対する フィーリングに同調できなかったら結構楽しみどころがない映画なのかなって気もしてはいるんですよね。
うん。 ちょっとそこが、まあ全2作に比べると弱さとしてあるかなとは思ってます。
ただまあ、結局やりたかったことずっとこれだったのかなって気もちょっとしてて。
結構、パールとかはかなり作品としての個性が強い作品だったと思うんですけど、 それもまあなんか結果的にそうなったってだけだったのかなって気もせんでもないというか、
詰まるところ、なんか昔の映画に対する愛みたいな、そこに尽きるのかなっていう気もしています。
あとは本年で言うと、アノーラとサブスタンスっていうちょっと本作を見るときのガイドラインになり得る作品が続いたっていうのがあって、
その2作の強烈な個性に比べると、本作があまりにこう丁寧にジャンルをなぞりすぎているっていうところが、
まあちょっと、癖がなく感じてしまう部分としてあったかなっていうのもあります。
ただまあ本作を読み取るガイドラインにその2作がなってるっていう部分もあるかなとは思うので、
まあそこは良し悪しかなっていう感じですかね。はい、ってな感じで、ではお便り紹介させていただきます。
まず1通目、ほしなさんからいただきました。
シリーズの核にあった切実さが本作では幾分後退してしまった印象を受けました。
X、パールと積み重ねてきた人間の業や変貌が、今回はより一層パスティッシュの衣に包まれてシュリンクしてしまったように感じます。
結局シリーズを振り返って残されたのは悪魔の生贄風の断片、テクニカルアイメージカル風の幻想、そして探偵の悪風の筋書きでは、
いずれも魅力的ではあるけれど、それらが物語に魂として結びついてはいない。
仏作って魂入れずという言葉が浮かびました。
特にパールで感じられた他人事では済まされないような絶望や表現、その強度が薄まった分、
今作は娯楽としては精錬されているけれど、より至高品に近づいたようにも思います。
もちろんそれはそれで楽しいんですけどね。
でも、あのシリーズが持っていた痛みの感触までは戻ってきませんでした。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
この感想はかなり聖穀を射た感想なんじゃないかなっていう風に思うんですけど、
もうどんぴしゃかなって気がしますね。
そうですね。
僕も結構、星名さんのお便りの感じにちょっと近い感覚で見てたとこはちょっと確かにあるかも。
ちょっと前2作と違うよね、立ち位置がみたいな。
感じがやっぱ僕もしましたね。
その結構前2作って怨念を描けていたとは思うんですけど、
なんかその本作も怨念あるんですけど、
ジャンルが描いている怨念に見えちゃうとこがあるというか。
パスティッシュの心を持って表現していただいてますけど、
何かの引用というか、模倣というか、
ホロ映画ってこういうのありますよねっていうのが言ってるようにちょっと見えちゃうかなって気はせんでもないかなとは思って。
そうですね。いわゆるクリシェになってるっていうか。
仏作って魂入れずって表現していただいてますけど、
劇中のイリザベス・デビッキが演じる監督も結構B級映画の皮をかぶってなんか魂を込める的なことを言ってたと思うんですよね。
僕、前作パールには特にそれは感じたんですけど、
本作はちょっとまあそのウェルメイドなB級映画に留まっているかなとは思っているとこはあるんですけど、
ただ、そもそも目指してたのはどこなのかなっていうのもあって。
劇中の女性監督もそうだと思うんですけど、作ってるものはあくまでジャンル映画を作って、
そこの細部に魂を込めてるようにも見えて、
そのジャンルを作り上げるっていう、そこの細部にめちゃめちゃ根を詰めてるような感覚もあるので。
そこなのかなって、タイ・ウェス監督が目指してるとこと、我々が言ってる魂って違うものを指してる可能性があるなっていうのがちょっと思ってて。
たしかに、なんかすごい今作の終わり方って、もうその映画作りそのものをこれからやるぞって終わり方してるじゃないですか、やっぱり。
いわゆるもうB級映画と言われてるようなジャンルムービーを、これを続けたいのよみたいな感じで作り始めるみたいな終わり方をしてるっていうところからしても、ちょっとそういうところがあったんじゃないかなっていうか。
こういった映画への愛、そして作り続けなきゃいけないみたいな、気持ちの方が強かったかなみたいな。
っていう気はちょっとあったかもしれないですね。
そうなんすよねー。だから結構その、魂がこもってないっていう表現結構際どいかなって気もしてて。
いや、ここまでジャンルを細部まで作り込んでるのには魂こもってるでしょって言われたら、そうかもなって思っちゃう部分もあったりとかで。
ちょっと多分そこは、ジャンルに対するそもそもの愛の置きどころみたいなカルチャーギャップもある気はするんですよね。
まあそうですね。
Xにしろパールにしろなんかやっぱりその、合の部分だったりとか、なんか一個強烈な何かみたいなのはちょっとやっぱあった作品だったと思うんですよね。
なんか特にパールの終わり方とかも強烈だったじゃないですか。 だからやっぱそういうのがあんまり今回巻きシーンはなかったかなーって結構まあスルスル見れちゃったっていう。
ことがまあ、なんか物足りないというわけじゃないけど、印象薄いなーみたいな気持ちになる要因って感じがちょっとしますね。
まあそういうことやってるっちゃやってるんですけど。
そこは僕も引っかかっているとこではあって、その前作パールで描かれたパールの怨念みたいなものって、
その一作目の巻きシーンと背中合わせではあるとは思うんですよね。
巻きシーンがそうなったかもしれない一つの姿がパールだったと思うので、その背中合わせみたいな感じが緊張感としてある。
だからその3作目のこの巻きシーン、ついにまあ前作のパールにならって主人公がタイトルになった3作目なので、
巻きシーンがパールのような怪物になってしまうのか、あるいはみたいなその緊張感が、まあそもそも前提としてあったと思うんですけど、
そんなでもないなって思って。
全然本作の巻きシーンより周囲にいる人々の方がよほど異常な人多かったから、
なんだろうな、その巻きシーンのスターになるっていうものに対する執念みたいなものが、
あくまで常識的な範疇に見えんことはないかなっていう気もしたんですね。
そうですね、なんかその緊張感というか、その巻きシーンもまたパールと同じ道をたどってしまうのかみたいな。
というかそのXでの出来事みたいな影がちらつくみたいなシーンがありましたけど、
そういったのもどう抜け出せるのかみたいな緊張感みたいなのはないっていう話、プラス、
まあそもそもの今回の敵って誰よっていうことも、もうはっきり最後まで実はみたいな感じにとっておかれましたけど、
分かってるしなーみたいな感じもちょっとしたので、なんかその話の推進力みたいなのも、
なんか知ってたなーみたいな感じにちょっとなってしまっている気はちょっとしましたけどね。
そこが弱いんすよね、やっぱり。
だからまあ、そこで見せるというわけではないんでしょうけど、
だからなんか、今作に関してはなんかその、果敢にその自分の夢に向かってというか、
まあそののし上がっていくみたいなことで、その呪いとか、その世界のなんかそのいびつさ、構造みたいなのを乗り越えるみたいなところに重きを置いてるのかなーみたいなふうに思ったんですけど、
なんかそんな呪い知らんがなみたいな感じで、結構あっさり全部乗り越えてしまうみたいな。
なんかそれこそがなんか、そうすることでこう、問題をこう、なかったことじゃないな、なかったことじゃない、に立ち向かうみたいな。
っていうあっさり立ち向かえるからこそその問題が小さく思える、てか小さくさせるみたいな、
ふうなやり方をとっているのかなーっていうのは思ったんですけどね。
はい、まあ、では次のお便りいきましょうか。 じゃあマリオさんお願いします。
はい、タウルさんからいただいてます。 ヒッチコックのサイコ、ポランスキーのチャイナタウン、デパロバのボディダブルといった名作が諸に引用されますが、
女性と映画業界の描写
現代ではメイルゲイズやミソジニを感じる作風や監督です。 そしてこういったホラー、ノワールサスペンスの分野での女性の扱われ方が、
やたら死んだり裏切ったり裸になることが多かったことを思い出す仕掛けがされていました。 これらは60年代、70年代、80年代の作品ですが、この3部作では、
いつの時代でも男性がめでて楽しむ、男性優位の映画業界で、作品世界でも実際の現場でも苦しんできた女性たちを描いてきたように思います。
と同時に本作では、その中で輝きを放った女優への参加も捧げていて、映画に対する複雑な感情を覚えました。
巻きシーンが顔の造形を撮られるシーンで死にかけ、最後はその顔が一人歩きするような様子が印象的で、
ベティー・デイビスの引用や歌とともにハリウッドをうまく表していました。 はい。
はい、ありがとうございます。 ありがとうございます。
ヒッチコック・チャイナタウン・ボディーダブル。 ボディーダブルは見てないんですけど、
サイコとかチャイナタウンはあるよなっていうのは、すごい違和感があって。
で、本作でもそのメイル・ゲイズみたいなものはほんどりと表されてたなぁと思って。
で、巻きシーンが、ポルノじゃない映画の撮影に参加し始めたタイミングで、結構その映画のスタッフとか、
あと、ゲイトの関心してる人とかが、君のこと知ってるよーとかファンだよとか言ってくるんですけど、それってポルノ見てたってことじゃないですか。
それで、巻きシーンのこと知ってるし、わざわざあれを言ってくるっていうこと自体が、
ポルノをやってる人に対する接触っていう、間接的な性的接触を意味してるとは思うんですよね。
そういう男性側から、肉体的じゃないにしろ、精神的に性的接触を試みてくる男性みたいな存在は、ほんのりと描かれてはいるよなっていうのはあって。
そういうのは、この手のジャンルにはめちゃめちゃ付きまとうというか、それを前提として作られてる側面もあるジャンルだと思うので、
ありますよねっていう。
で、そこでパールが、それらを踏まえた上で、そこに挑んでいくというか。
ま、巻きシーンですね。パールって言ってるの。
あ、ごめんなさい。ごちゃになってる。すいません。失礼しました。
巻きシーンが、分かった上でそこに挑んでいくっていうところで。
なんかこの感じって、最近で言うとサブスタンスの時も感じたんですけど、
この頃の映画業界、あるいは映画みたいなものの、どうしようもないダメさ、クソ作動、同時にそれに対する強烈な愛を併せ持ってるなってすごい思うんですよね。
いや、ほんとあの頃の映画業界ってどうしようもなくって、もうろくでなしばっかりなんですけど、でもその中から生まれてきた映画のこと大好きなんですよねっていうのを言ってるのが、
ひしひしと伝わってくるんですよね。
そうですね。そこは、やっぱサブスタンスのことは正直見ながら思い出してしまうというか、
のはあったんですけど、まあでもちょっとやっぱその、どちらもなんか大きな構造に対して個人がどう立ち向かえるのかみたいな話かなぁと思っていて、
まあどちらもその大きな構造っていうのがハリウッドとか、まあ賞美使いっていう感じなんですけど、それが。
でなんかまあ、サブスタンスはそこにもう完全にまあ敗北するというか。
現実がそうだからっていうことを見せた、映画を見た後だっただけに結構そこを軽やかにこう飛び越えていっちゃう巻き芯っていうのが、
まあそれはそれで痛快なんだが、なんかちょっと軽いなみたいな気持ちにもちょっとなっちゃうみたいな。
まあちょっとサブスタンスが強烈だったというのもあるんですけどね、それはね。
その、そういうの分かった上でそこに行きますよっていう覚悟を描いている話ではあると思うんですよね。
巻き芯は特にそのポルノを経験しているから、そういうのはあるし、そういうのってえげつない世界ですけど、それも含めて、私は勝ちに行くっていう覚悟を表明している作品だとは思うんですね。
ただ、その覚悟をした上でも、その果てにめちゃめちゃ傷つくっていうことをサブスタンスで描いてたし、
その、その覚悟をするってこと自体が強烈な痛みを伴いすぎるっていうことをアノーラで描いてたと思うんですよ。
世界ってそうですけど、それって残酷すいませんかって。
そう、そうなんですよね。
だからちょっと無邪気に今回巻き芯を見えちゃうよなぁとは、ちょっとどうしても思っちゃって。
で、一方でそのなんかその構造とかの大きさが、もうほんと個人にとってとんでもなく大きくすぎて、
もうそこにもう苦しい思いをせざるをえないみたいなのって、それこそXとかパールではできてたじゃんみたいなことをちょっと思ったりもするというか。
まあ、なので前2作までがなんかちょっとサブスタンスとかアノーラ的。
で、まあそれを経た上でじゃあもう1本作るってなった時にどうするかって言った時にまあ、こうするんだねっていう感じ。
だからそれが良い悪いとかではなく、そういう選択を取ったんだねっていう感じなんですけどそれは。
そうなんですよね。だから戻ってるって言うとちょっと言葉としては違うかもしれないんですけど、
Xパールで描いてた、そのなんかわかりやすさの果てにある、その裏にあるちょっと複雑さみたいなのをもう1回シンプルに戻してるなっていう。
このジャンルが持ってたシンプルさに戻してるっていうのがあるし、
それを80年代っていう時代の欲望に振り切ってる感じが、その無邪気さを許容してくれている気もするんですね。
性楽合わせ飲むというか、まあダクダクなんですけど、あの時代。
ただまあその薄汚い欲望も含めて、その欲望を利用することも含めて何かを成し遂げようとする強さっていうものは描いてるんだけど、
それってやっぱりちょっと古いというか、自分が性的に見られているっていうことを利用する女性を強さとして描くのって、
まあ古いっちゃ古いとは思うんですけど。
そうですね。ちょっとその古さ、ちょっと前の映画っぽいなーって思ったらそういう感じのとこもあるかなとは個人的には思ったんですけどね。
そう、なんかその、そういうちょっとそもそも構造がおかしいじゃんってところにしたたかで強い女性が活躍するみたいな。
それがなんかこう、女性の強さ、エンパワーメントだみたいな感じっていうのが、
まあなんかちょっと前の映画かな、ちょっと前ぐらいの映画だなって感じはしちゃったっていう。
まあ個人的な感覚ですけど、これも。
には思いましたかね。
その、タイ・ウエスト監督のインタビューをちょっとだけ調べてたんですけど、
その映画とかにメッセージを直接込めるとプロパガンダになっちゃうから、まあサブテキストとして忍ばせるみたいなことを言ってたんですね。
ちょっと言い回し変わっちゃってるかもしれないですけど、本作で言うとスラッシャー映画を撮ってた女性監督の存在であるとか、
まあその後ろでやってたスクリームクイーンの女優であるとか、あるいはマキシンそのものとかっていう、
男性社会、男性優位の価値観で動いてる賞美使いの中で、もがいて戦った人っていう存在を別にそれを主題にはしてないっていうふうな着地になってる。
ただ特にパールは、そこをちょっと飛び越えてたように見えてたからっていう。
だからなんでしょうね、こっちが勝手に語尾してた可能性もあるのかなって思っちゃう部分もあって。
現代的な映画のメッセージ
そうですよね。本当にその、劇中でエリラベスでビッキー演じる女性映画監督とか、リリー・コリンズ演じるスクリームクイーンとかのキャラ造形とかすごい現代的でいいなって思ったんですよね、そこを本当に。
しかもそれを本当にことさら、代々的にというか、こんなもんですがみたいな感じでサラッと入れ込んでるあたりとかもすごく良いと思ったんですけどね。
僕結構あの設定、あんまり見たことがなかったというか、80年代にスラッシャー映画の監督を女性がやってたっていうのが、あんまり僕が知る限りで思いつかなかったんで、ちょっと調べたんですけど。
超有名作にはいないんですけど、結構女性監督、スラッシャー撮ってた女性監督はいたんですよね。
ハートロッカーのキャスリン・ヴィクローとか、80年代にスラッシャー映画撮ってるみたいで。
そうなんですね。
だからいるし、キャリアを積んでる人がいるんですよね、やっぱり。
なんかそれ、そっかちゃんとそういうものを踏まえてんのかなと思いつつ、別に多分本作が直接的にそれらの監督たちをモチーフにしてるわけでもなさそうっていうのが結構難しいなっていう。
まあでも、やっぱそういうジャンル映画とかホラー映画がスターの登竜門みたいになるってことはあるじゃないですか、監督じゃないにしろ。
そういうのとかもある中で、特にマキシンターのレンタルビデオ屋の彼との話の中で出てた、女優と男性の話?男優の話であったみましたよね。
女優の方はポルノ映画から出てたけど、そっからメインストリームの映画が出たけど結局スターにはなれなくて、もう片方の男性の方はヌードになったけどそっから普通にスターになったよねみたいな。
ニュアンスの話とかがあったりしたので、そういうとこでいろいろ、ああそうだよねみたいな構造の不均衡さみたいなとか、忍ばせてるなーみたいなとかはすごい感じられたりしましたし。
なんかそこにいたひきこもごもみたいなのもちゃんと描いてるよなーっていうか、そういうのは感じられましたよね。
そうですね、途中でゲイのカップルがジュディー・ガーランドの墓参りに来たみたいな話あったんですけど、あれをわざわざ入れるって、ちょっと意味あるなっていう感じするんですよね、あそこ。
まあそうですよね、ジュディー・ガーランドってそういう象徴ですしね。
LGBTQのモチーフというか、象徴としてレインボーって彼女が由来ですよね、確か。
そうですね。
わざわざそれ入れるって、直で言わんけど、そういうものの存在をちゃんと含んでるというか、レンタルビジュアルの彼もおそらくゲイだし。
そうですね。
あと、たぶん断章をしてたかなっていうのが、ちょっと匂わされているっていう、言わないけどありますみたいなのは入ってる映画だとは思うんですよね、ちょこちょこと。
だからその辺の感覚とかやっぱすごい現代的で、見てて安心できるなとは思うんですよね。
でも一番上のレイヤーも、ちょっと古臭い前にクラシックだから。
そうそうそう。
だから、そうなんですよね。難しいなというか。
ちゃんと現代的にチューニングされているんだが、だからジャンル映画以上それ以下でもないみたいな、それはあるべき形なんでしょうけど、それがね。
むしろ今一番飲み下しやすいジャンルとして作られているかもしれないです、そこは。
そうですね。
今、我々が引っかかってるのって、たぶん全2作っていう前提があるからだと思うんですけど、
巻きシーンがいきなりポンと現れたら、お、クラシックなジャンル映画をちょっとだけチューニングして今見やすくしてくれてるじゃんって思えた可能性全然あると思うんですよね。
確かに。うん。確かにそうだし、なんならいきなり巻きシーンから見て絶対楽しい映画でしたよね、今回。
うんうん。
もちろんなんか過去作の似合わせというかね、過去に何かこんなんがありましてみたいなのとかはありましたけど、
だから別にたぶん見てなくても楽しい一本だったよなっていう。
うんうん。
一番狩りで見ちゃってる分、ちょっと食い足らんな面白いけどみたいなふうに思っちゃってるとこはありますよね。
うんうんうん。
一発目にこれ見てたら面白いと思ったと思うんですよ、純粋に。
うん。確かにそうかもしれない。
むしろいろんなめくばせが適度にあることで、ストレスなくこの80年代スラッシャーのある探偵法のホラーみたいなものを、
いい湯加減で見られた可能性があるかなっていう。
それこそがやりたかったことの可能性はあるかなって気はしますかね。
うんうんうん。
まだやれるよっていう。このジャンルまだ絞れますよっていう。
確かにそれは、なんかさらっとやってるけどこれはすごいことなんだなっていうことですよね、本当に。
ちょっとそれはなんかあれですね、ちょっと僕らがなんかちょっと見方を、ちょっとチューニング、見方のチューニングを間違えてた感がもしかしたらあったかもなっていうか。
映画の基本テーマ
うんうんうん。パールがちょっとその、僕ら好みすぎたっていうのがあると思うんですよね、やっぱり。
まあまあ、そうそうそう。パールは本当に、本当、ここのトークテーマとして扱ってないんだっていうのが意外なぐらいですけど、本当に。
はいはい。
オープニングでしか喋ってないんだって思いましたけど。
テーマ外で結構喋りましたからね。
そうですね。
パールに関しては。
で、かつ、僕らそこまでそのスラッシャーとかホラーっていうジャンルそのものに対してそんなには明るくないから、やっぱり自分たちのフィールドでジャンルを語りがちなんですけど、
ジャンルはジャンルとしてそのジャンルの中に価値判断基準っていうものが確かにあって、
それでの評価は我々としては十分にはできてないっていうのはあるとは思うんで。
そうですね。
もう詰まるところホラーなんて、人が死んでたらいいぐらいの感じもあると思うんですよね。
まあまあまあね。
その、人が死ぬ完成度をどこまで上げれるかっていう。
テーマへメッセージなんて二の次っていうのはもうそれおっしゃる通りで、人が死んでる映画ばかり何をメッセージを求めてるんだって言われたらちょっとそれはそうかなって気もせんでもないんで。
なんかそういう意味では、スラッシャームービー的なゴアシーンみたいなのは、どれも面白かったし楽しかったですよね。
途中襲ってくるバスター・キートンみたいな男に対して、金玉をハイヒールでぶっ潰すみたいな。ああいうのとかは、うわーって思いましたし。
ケビンベーコンが潰されるシーンとか、大変情けなくて最高だなって思いましたし。
ケビンベーコンはめちゃくちゃ情けなくて最高でしたよね、ほんとに。
いやー、汚いオヤジやりますね。
いやー、ケビンベーコンはちょっとそういうねちょっとした役やるのがほんと得意だなって思いますよね。
僕の中のケビンベーコンでそれの印象があるのはインビジブルとかなんですけど、すんごいねちょねちょしてるんですよね、もう。
その感じがしっかり出てて最高でしたけど。
本作もね、清潔感なくてね、見てて不愉快なのがほんといいんですよね。
あとまあなんかプロフェッショナルかと思ったらいきなり思念で動き出すから、意味わかんねえと思ってこいつ。
だからほんと大したことないやつなんでしょう、たぶんね。
俗物でしたね、ほんとに。
あと、あの、ベティ・デイビスの引用。本作かなり意図的なチョイスなのかなって気はしているんですけど、
あの、ベティ・デイビスといえば、作品としてはイヴのすべてが上がると思うんですね。
スラッシャーの特徴
で、イヴのすべてって、そのブロードウェイでのし上がる女性の話なんで、かなり重ねられてるかなって。
あの、僕実はイヴのすべては見てないんですけど、まあ結構その有名な一作として、ベティ・デイビスといえばみたいな感じかなっていうのと、
あともう一つ僕が見てるベティ・デイビス作品で言うと、何がジェインに起こったかっていう作品があるんですけど。
あー、聞いたことありますね。
これ、ベティ・デイビス演じる昔超人気だった子役が、歳をとってもうすっかり注目もされなくなって、家に引きこもってるっていう役なんですけど、
この子供の頃の幻想にとらわれてるって、本作における巻きシーンに対するお父さんというか、お父さんの視点。
かなり近しいものがあると思ったんですよね。
その、親から見て最も好ましいと思う子供像みたいな。
それがまあその、何がジェインに起こったかでは、そのベティ・デイビスが演じてた役の子供時代の、アメリカ中に好かれたアメリカの娘みたいな感じだった存在なんで、
そこも重ねられてる気はしたんですよね。
で、あとベティ・デイビスすごい演技力で売れた人って言われてて、結構タフな役もやったっていうので、本作のそのミア・ゴスというか、ミア・ゴス自体がベティ・デイビスに重ねながら作られてるようにもちょっと見えたですね。
うんうんうん。
なるほどな。
はい。
まあ、本作まあ引用多いですかね、ほんとに。
そうですね、多いですね。まあそれはもうXとかパールの時からもそうでしたけどね。
だから本当にあの、パンフレット必須なんだよな。本当にこの3作個人的には毎回引用がわかんなくて、僕は。
そうですね。
はい、まあちょっとお便りの流れで来たので、我々から改めてトピックを出せたらと思うんですけれども、
まずちょっと僕見ながら思ってたんですけど、本作ってスラッシャーなのかなって見てたんですけど、あんま人死なないっすよね。
そうですね、あんま死んでないというか、死んだ後の姿が出てくるって感じですよね。
うーん。
あんまり、まあもちろん巻シーンの、友達のレンタルビデオの彼とかは殺されるシーンありましたけど。
はい。
なんかそこメインではないのかなーみたいな感じはしましたね。
うん。で、巻シーンの友達の女性2人が殺されるシーンもあるんですけど、あれもちょっとぼかされてるんですよね。
うん。
直接描かなくて、むしろその死がちゃんと描かれてるのって死体が出てくるシーンで、
これってどっちかというとその、サスペンスというか探偵ものというか、殺人捜査者の感じだなと思って。
うん。
で、スラッシャーってやっぱり殺すシーンを現在進行形で見せるっていうのが多分肝かなと思って。
しかも女性がね。
うん。
女性が現在進行形で殺されるっていうのが肝だと思うんですけど、それがないから、あんまりスラッシャー感を感じなかったなと思って。
直接の殺人シーンほんと少ないんですよね、本作。
うん。少ないですね。だから本当に、本作スラッシャームービーとしては全然作ってないですね。
ほんとに探偵の悪者。まあ一作目だけがある意味そこだと、まあでもパールもまあしっかりギャーみたいなグロシーンはあったから、まあ盗修してたってしてたんですけど、まあ今回一番その影が薄いのかなっていう感じですね。
そうなんですよねー。
うんうん。
まあビデオショップの彼が殺されるシーンの作法みたいなものはかなりスラッシャー感はあったと思うんですけど。
はい。
ハリウッドの描写
ただ、まあ殺人ってああ描かれるかなっていう、そのスラッシャーじゃなくても殺人ってああいうふうな描かれ方になるかなって気もして。
うーん。まあ直接的になんか殺されるシーンがまあ女性じゃないっていうのがまあ今のチューニングなのかなというか、考えてるのかなというのはちょっと思いましたけど。
それはそうですよね。
なんかXの時もやっぱ一番良い殺され方するのは男だったじゃないですか。
はいはいはい。
地下バーって行って窓に、車の窓にバーってなるみたいなとか。
はい。
なんかそことかも多分意識的にやってそうな感じはしますよね。
うんうんうん。そうっすねー。
うん。
一応やっぱそのハリウッドの舞台なんで、そういうこう、まあララランドとか、それこそアンダー・ザ・シルバー・レイクとか、そういうちょっとハリウッドの夢にうつつを抜かれたようなみたいな感じの映画群とかもやっぱり見ながら思い出したりはしたんですけど。
そうっすよね。うんうんうん。
特にあの、ハリウッドサインの下とかにある豪邸みたいなのってなんか、一体どこにこんな訳の分からないとこがあるんだみたいな感じというか。
なんかあそこの場所の感じとかはすごいあの、アンダー・ザ・シルバー・レイクの彼が最後にたどり着く謎の真相の変な場所みたいな感じはすごいしたんですけど。
そうですねー、うーん。
いやー、ほんと、ろくでもない場所ですね、あの街って。
いや、そうだろうなって思いました、ほんとに。
なんか、ろくでもない場所だろうなというか。
そうですね、うーん、なんか、ちょっとアンダー・ザ・シルバー・レイクの話は後に置いとこうかな。
いや、ちょっと後で触れようと思ってたんですけど。
あー、そうだったんです。あ、すいません、なんか振りちまいました。
いや、あのー、ちょっとタイミングを測って出そうかなと思ってて。
あー、わかりました、一旦。
熱がこもっちゃうんで。
わかりました、一旦、一旦別のお話にしましょう。
引っ込めます、はい。
ただ、まあその、ハリウッド残酷者としての、まあ残酷者でもないか、別にその夢に破れてるわけでもないんですよね、まだ、登場人物たちが。
まだ戦ってる最中だから。
まあそうですね、メインの人はまあそういう人が多いですけど、まあそのマキシンの友達だったりとか、ムザンにも死体となってしまったりですとか、
まああと最初のオーディションのとこにはずっとやっぱたくさんこう、未来のスターを目指してこう並ぶオーディションを待っている女性たちもいるわけで、
だからそういったこともやっぱちゃんと匂わされてるというか、その大きな夢の、現実感のない夢の中にこう生かされてもいるし、すごい作詞もされてるみたいな。
のもやっぱりこう世界観としてはやっぱ描いてますよね。
うんうん、そうですね。やっぱちょっと面白いんだよな、そういう切り口自体が。
うん。
何度となく見てきたし、そこの面白さも感じてきた身として惹かれてしまう部分はあるんですけどね、やっぱり。
意外と、というか案の定というかあんま喋ることないっすね。
そうですね、ちょっとまあ見終わった時にはそう思ったんですけど、これ喋ることあるかなっていう、まあちょっとは思ってはいたんですけど。
お便りの段階でわりと触れ切った感もちょっと。
そうですね、まあお便りのおかげですけどね、おかげで喋れたっていうのもありますけどね。
でも僕全然知らなかったんですけど、すごいどうでもいい話なんですけど、最古のセットって残ってるんだって。
ああ、そうですね。
全然知らなかったんで、見たことあるみたいな。あるんだって思いました。
いやー好きなんやなーって本当に。
そうですね。
そう、だからね、わざわざ後半でマキシーンがブロンドのウィッグ被ることになるから、
いやもうめっちゃヒッチコックやりたいんやーみたいなの。
言われてましたもんね。ヒッチコックのブロンドみたいねみたいな。って言われてましたけど。
ちょっとその、喋ることがあんまりないんで、おそらくタイ・ウエスト監督が望んでるであろう元ネタ探りをちょっと。
いやーあの、ホラーから売れた役者話みたいなので、ジョン・トラボルタが出たじゃないですか。
あーとか出てましたね、はい。
あれおそらくキャリーのことやと思うんですよね。
あー。
キャリーにジョン・トラボルタ出てて、まあ非常に良い役というか、良い死にざまをするんですけど。
出てたっけ?見たのに覚えてないや。
いや、あの結構メイン寄りの役どころで出てて、ちょうど僕この前見たとこだったんで。
あーそっかそっか。
ジョン・トラボルタ触れとるやんみたいな。
あとまあ、ジェイミー・ディ・カーティスとかは触れたかったんだろうなっていう、スクリーム・クイーンといえば。
もうなんかすごい、一種の尊敬の念を持って取り上げられてる感はありましたね。
そうですね。あとなんか、謎にセント・エルモス・ファイアーが出てくるのは好きだからなんですかね。その年代だからっていうことなんですかね。
やたらと見ませんでした?劇中で。
いや、めっちゃ出てましたよね。ちょっとそこの感覚、僕分からないんだよな。どういうあれなのか。
年代を表す記号なのかな、ただのみたいな感じなのかなーとか思ったんですけど。
あとまあ、元ネタ作品というか、80年代そのものに対する憧れがむちゃくちゃあるんだろうなと思って。
あんな俗悪な時代、そうないと思うんですよね。
で、それの象徴として、VHSがある気がするんですけど、VHSってもう、僕の中のイメージ、ポルノとスラッシャーなんですよね。
スラッシャー映画といえばVHSだし、ポルノといえばVHSみたいな。
なんかそういう、本当に、僕が子供の頃にTSUTAYAのカタログとか見て、本当にいかがわしいものとしてあって。
まあ映画も、SAの映画とかも結構、まあ、グロいというか、
VHSの文化と印象
有勢からのブッダXとかヒデンとかなんか、ネチョネチョなイメージなんですよね、あの時代の映画って。
ああ、そっか。確かに。僕あんまりVHS、まああったんですけど、重なってはいるんですけど、あんまりイメージないかなーって思ってたんですけど、
確かにレンタルビデオ屋で見た、スピーシーズのジャケットだけめちゃくちゃ覚えてるみたいな。
スピーシーズね、印象が起こりますよね。
全然見たことはないんですけど。
なんかそういう確かに、こう、レンタルビデオ屋で、その怖いホラー映画のなんかジャケットのVHSを見るみたいなのは確かに印象として残ってはいるので、
やっぱりなんかそのVHSが持つ、ある種のインモラルな雰囲気みたいなのに、こう、ゾクゾクさせられてるみたいなところはありますよね。
あのVHSのショップの雰囲気がすごい、なんか、怖さと同時に憧れを感じるとこがあるんですよね。
うんうんうん。
いまだにあの、VHS集めてる人とかって、あの、棚から独特のオーラ放つじゃないですか。
棚から独特のオーラ。
まあやっぱね、今でもやっぱ集めてるとかね、ちゃんとビデオデッキも持ってみたいなのはやっぱすごいですよね。
やっぱそれってあの、あれですかね、その、VHSの背の部分の厚みがあることで、ちゃんとタイトル見えるじゃないですか。
はいはいはい。
あれ自体が結構、こう、雰囲気に影響してる気がちょっとして。
うーん。
DVDの厚さでどんだけたくさん棚に詰まってても、一個一個のタイトルあんまり目立たないから、あんまりその、絵的な強みがない気がするんですよね。
ほぼ文字で使っちゃうというか。
はいはいはいはい。
VHSの厚みだと結構、ロゴとして、ビジュアルとして結構ガッと入ってくるので、
この棚、すごいいかがわしいぞーみたいなオーラを感じるとこがあるんですけど。
あー。
それがホラーにせよポルノにせよ、オーラを放てるなって感覚あるんですけど、ちょっとやっぱそれが厚みがなくなってくると、棚に並んでる状態から放てるオーラの量が減るなって気がする。
確かに、ちょっとそれはあるかもって思ったんですけど、やっぱほんと幅狭いからタイトルぐらいしかね、文字とかね、ちょこっと写真とかも小さくなるし、
なんか、なんだろう、映画の壁紙?とかかな。でこう、ビデオのその横のラベルみたいなの側を向けて、だからそれがこう積み上がってるみたいな。
でそこに書く映画のなんかいろんな映画のタイトルがこう重なってるみたいな。そういう画像というか壁紙とか見たとき、なんかやっぱオシャレに見えますもんね。今の時代から見るとすごく。
うんうんうん。
やっぱ物としてでかいものがちゃんとあるみたいなのが結構、そこはいいよなーって思いますね。場所めっちゃ取るんでしょうけど。
いまだにVHS扱ってるお店、まあほぼないですけど、たまに見たらすごい憧れ感じますもんね。
ホラー映画のテーマ
僕行ったことないですけど、京都にありますよね、なんかレンタルできるとこ。
富山市映画タウンですかね。
あーそうですそうですそうです。
あのー、濃いめの映画ファンの中では有名なお店ですね。
ね、ありますよね。
はい。1,2回だけ行ったことがあるんですけど、もうね、すごいオーラ放ってるんですよね、ほんとに。
そうかー、なんかそのオーラだけ吸いに行きたいなーみたいな、もう冷やかしじゃねーかって感じですけど。
いやでも、やっぱその、喰らってきます。ただ、僕が行ったのも、ほんとに20年前とかなんですけど、ただその、目録を見せられるんですよね。
あー。
VHSの目録を見せられて、そっから選んで、棚から出してきてもらうんで、VHSそのものは倉庫の中というか奥に入ってるんで、もの自体は見れないんですけど。
だったら、目録自体がオーラを放っております。
こんな映画やーみたいな、知らない映画かーみたいなことですもんね。
はい、もうなんかネクロノミコンみたいな感じで見えますね。
ネクロノミコン。
そう、その、なんか、そうなんですよ、ネクロノミコンとかが出てくる映画っていう感じじゃないですか、VHSって。
そういうものがね、VHSにこもってるよね、みたいなのは、ありますあります、それは。
VHS自体がネクロノミコン、みたいなとこ、あの厚みが魔法書みたいな雰囲気ね、ちょっとあるなとは。
そうですね、なんか怨念がこもってるって、まあもうそれはリングになっちゃいますけど、それね、いうと。
なんかその、VHSが持ってた憎悪しさ自体を、街全体が持ってる感じもするんですよね、あの時代の映画って。
この時代のローサンゼルス、絶対行きたくねーよ、みたいな。
そうですね、あとなんかやっぱパンフレット書いてましたけど、やたらとちょっとギラついた感じは、なんかあえてなんかジャッロ映画の結構取り入れてるみたいな書いてて、ああなるほどなーとは思いました。
そのいかがしさがよりこう、カラフルに映画としてこう封じ込められてる感はすごいありましたね。
80年代スラッシャーだの、ジャルロだの、本当ホラーがお好きなんだなっていうのが。
そうそうそうそう。いやだから、本当はすごい映画なんだなっていうか、僕らが真にこう魅力をしゃぶり尽くせてないなっていうか。
そうなんですよね、結局ちょっと知識でアプローチしてるじゃないですか、我々も。
そうですね。
こういうのがあって、それを入れ込んでる映画なんだねっていうことが、まあその、わかるっていう範疇で本作を理解しようとしてるんですけど、やっぱその、波長を共有するっていうのが多分大事なんだろうなと思って。
僕はその時代に対する憧れはあるし、その僕の子供時代ってその80年代の残りがあった時代なんで、そのパルスには共感できるんですよね。
それがまあ僕本作のすごい魅力だなと思ってて、うわーもういかがわしい、最高と思いながら見てて、ただ話薄いっていう部分もあるんですけど、結構そこが大事な作品なんじゃないかなって気はしてるんですけど。
あとまあその、なんていうか、表現に対する献衍みたいな部分で、すごいポルノをやめろ、殺人の映画をやめろみたいな。
ありましたよね。
ありましたよね。別に今もあるけど、なんかそれがまあ濃い時代だったのかなっていう、そこに対する監督の思いみたいなのもちょっと見え隠れしてるなとは思って。
そうですね、やっぱりホラー映画持ってたら、この人そういうのが好きなんだというかね、人でも殺しそうなのかなみたいな、もうすごい変なイメージ持たれるみたいな、そういうに対する反発みたいなのはやっぱああいうのこもってますよね、おそらく。
うんうんうんうんうん、そうっすよね。で、まあ本作もそうですけど、そのホラー映画の世界観の根幹にすごい強いキリスト教の価値観、特にその親がそれを持ってて、抗争によって抑圧してるってモチーフってよく出てくるじゃないですか。
で、実際その有名なシリアルキラーでも親がもう信仰心が厚すぎて虐待になってたみたいなのもちょこちょこあるしで、すごいモチーフとしてその親への反発としての反社会的なものへの趣向とか、あるいはまあそのホラー映画みたいなものが当然あるっていう感覚で作られてるのかなっていうのがあって。
まあ実際劇中でもちょっと、エリザベスでピック演じる監督が言ってたと思うんすよね。その、なんか、ちゃんと思い出せないセリフが。出ない、出ない、出ない、出ない。覚えてます。
覚えてないな、僕多分。
あー、何だったっけな、お行儀いいのが嫌いじゃない、えーと、何だっけ、なんだっけ、ふわふわだ。
まあ、あの、親からの束縛ってよく出てくるわけですね。まあキャリーもそうだし、サイコもそうだし。
現代的なエンディング
そうですね、はい。
当然それをやりたいっていうのもあって。で、本作はそれに対する、抑圧に対する反発が誰かに対する殺人じゃなくて、親は直接殺すっていうとこに行ってるのが、まあちょっと面白いかなと思ったんですけど。
まあ、あの、何だろうな。逆襲、まああるか。親に対する逆襲もあるか。普通にあるな。
まあ、あるっちゃありますけど、まあ、そこら辺のなんかそういう、親からの抑圧、なんかそこに裏付けられてるそのキリスト教的な、その価値観、教権的な、みたいなものに対する反発みたいなのは、まあ、まあその分ストレートにはやってるというか。
自分の望むというか、私の望む人生を歩んでほしいという、歩むということに対して、まあ綺麗な回答ですよね。私の人生これですって言って頭打ち抜くっていう。
私の夢はそこに、あなたの思う中にありませんが、ありけども、みたいな。っていうのはやっぱり、まあストレートで伝わるなと思いますよね、今回。
うーん、そうなんですよね。だから、こう、親がその負けシーンのことを肯定してるかのように終わるじゃないですか。味方によってはね。多分そうじゃないんだけど。
単に親のことを否定するんじゃなくて、親側が、なんか、味方によっては肯定しているかのようにして終わるっていう。そして、ドタマ打ち抜かれて終わるっていうのが、ちょっとまあ、あんまり他ない気はして、ここもちょっと知識足りないんだよな。あるのかもしれない、全然。
まああと、その頭打ち抜く直前にその、なんというか、その未来みたいなシーンが描かれるじゃないですか。あの事件の後、人気になってみたいな。なんかそれ、もうなんというか、ある種、ちょっと悲劇のヒロイン感みたいな。
なんかそこから悲劇のヒロインが、そうやってなんか、悲劇的だったねーみたいな感じで持ち上げられるみたいな、未来だなと思って。でも、あれはあくまで、幻想というか、イフでしかなくてみたいな、描き方してるのかなと思って。そういう未来が待ってるんでしょうと思わせといて、ただのイフでしたみたいな。
なんかそこもありきたりなものから、そんなもんじゃねえよみたいな、あえてやってるように見えたりとかしたんですよね、そういえば。うん。
なんかそこもすごく現代的というか、そこもストレートにやってるなというふうには思ったりしましたね、はい。はいはい。
あとラスト、確かに僕もこれ、現実かなっていうのはちょっとだいぶ、いぶかしみながら見てたんですけど、まず、ホラー映画を撮ったことで、あんなに代々的な場に出れるのかなっていうのがあって、ピューリー単一作目ってまあ、結構なジャンル映画だったわけじゃないですか。
だし、劇中でもビデオで受けてみたいな感じでしたよね、確かに。はい。2作目であんな代々的な、ハリウッドの一戦映画みたいなことならないだろうし、
ましてやその、マキシーンが世間から注目されてるのって、まあ殺人犯をやっつけたけどそれが実の親でしたって、それちょっと、
だいぶそこからスターになるの厳しくね、みたいな状況だったとは思うんで、だいぶ飛躍したなと思って、現実かどうか相当怪しいなと思ったし、あのラストの首、生首も、
あれ?そんな使い方するシーンだったっけ?みたいな。だからそもそも作れてたんだっけ?とかっていうのも、間急に飛ぶから、あれれれれ?ってなったんですよね。
なんかそこはすごい怪しいなとは、思って。
結局マキシーンの未来ってどうなのかなっていうのは、まあ結構油断でられてるというか我々に。それこそ、ホラー映画出たけど、中須蕎松でしたーみたいなことになるかもしれないし、
まあそれこそ本当にあのスターとなって輝く存在になるのかもしれないし、みたいな。だからそこはやっぱりわからないんだけど、ただ、
私は映画の世界に生きてたいっていう。ことだけは確かなので、そこにやっぱ満ち込んでいくっていうことが叶うという意味では、すごく良かったねということだし、というふうには思うんですけどね。
そうですね。だからあの終わり方好みなんですよね。
その、あれで、まあマキシーンはちゃんとその繋がった形でスターになりましたとか、あるいはまあ結局中須蕎松でしたっていうその結論を見せるより、
いろんなものが不確かなエンディングを迎えるっていうのが、結構作りとしては上手いなとは思うんですよね。
そこはまあ、嫌いじゃないけど、まあなんだろうなーやっぱり。
そうですね。僕も喋っててすごい文句が多い感じになってしまったんですけど、別につまらなくないというか面白かったんだけどなっていう。
まあ、落とそうなんですけどね。
本当にその、これ、ジャンル映画を語る難しさだと思うんですけど、ジャンル映画としてよくできてるものって、ジャンルの文脈でしか基本的には語れないと思うんですよね。
ジャンル映画としての『マキシーン』
それをこう、読み取ってこういうふうに捉えるとかっていうのは基本的にできないというか。
なんかそれが、本作が一番三部作の中で、ジャンル映画として完成されてるというか、ジャンル映画に徹している作りになっているからこそ、語れることがそんなないっていう。
そうですね。なので、まあ、傑作だったってことですね。我々が語れないイコール傑作であるみたいなというか、両作であるみたいな。
ことですね。
傑作かどうかもちょっと、微妙に怪しい気もする。
スラッシャー映画として見たら、人が死ななさすぎるんですよね。
そうですね。だし、やっぱりその、一連の三部作ですという意味では、なんかちょっとパンチかけるやんみたいになっちゃうからなっていう。
スラッシャーとしてはやっぱり、一作目は結構面白かったですし。
そうですね。一作目がほんとすごい。あれはやっぱり、ジャンル映画の文脈がなくてもすごいセンセーショナルで楽しかったしっていう、いろいろ読み解きがいもあったかなーという感じがしたんですよね。やっぱり。
一作目も二作目も、殺人鬼側、同一人物ですけど。
まあまあまあまあ、同一人物ですけどね。
まあ、あの、どっちもキャラクターとしてすごい魅力的だったんですよね。パール。一作目のパールも二作目のパールも魅力的だったんですけど、本作のお父さんやっぱ、ちょっと弱いんだよな。
お父さん弱かったですね、今回。
お父さんの存在感、一作目のテレビで演説してるだけの時の方が存在感あったなと思って。
ありましたね。あれ確かに確かに。
で、その一作目の時のマキシーンの出自、おそらく家は敬虔なキリスト教徒で、しかもその、すごいキリスト教の中ですごい重要な役割を持ってる人だったじゃないですか。
はい。
だからすごい、あの、それが重になってるっていう、なんとなくそのマキシーンのバックボーンが匂わされてたし、それに反発してポルノ業界に行こうとしてるっていう、それが彼女の選択としてあるんだっていうのが、
わかるっていうのが、それが匂わされてるってバランスがめちゃくちゃ良かったんですよね。
うんうんうん。
その、テレビの中でだけ演説してるお父さんの薄気味あるさみたいなものが、あの作品全体の空気にめちゃめちゃ寄与してて、
なんかこの世界嫌だぞっていうのがあったからすごいパンチ効いてたんですけど、
なんか正体表すと、ただただ小物感が強く。
それは、そうかなぁ。
もっとその話として、もうちょっとバランスを壊すぐらいでも、あの秘薬を求めるんだったら僕、
殺人犯は、あのエリザベス・デビッキの監督でも良かったんじゃないかなってちょっと思ってて。
それぶっ飛んでて面白い。
マキシンを育てるために殺してたぐらいの秘薬ですけどね、無茶苦茶な秘薬ですけど、
そうだったらちょっと無茶苦茶すぎて面白いぞって思ってたんですよね、途中まで。
あ、なんか、温等な着地って。
そう、そう、そうなんですよね、なんか、
なんかやろうとしてたこともなんか、うん、そうか、みたいな。
まあ、カルトがカルトなことしてたね、みたいな。
あの背中合わせ感は面白いなと思ったんですけど、そのポルノとか、
80年代の文化とその影響
バイオレンスを否定しようとしてる人たちが結局その、味付けの濃いカルト的な信仰に走ってて、
それを映像として撮って、それを発信することを手段として使おうとしてるっていう。
一緒じゃんっていう、お前たち、暴力をポルノとして広めて利用しようとしてるの一緒でしょっていうのが、
一緒なのは面白いなとは思うんですよね。結局、味付けの濃い料理を食べたいだけなんでしょっていう、
それが信仰だろうがポルノだろうが暴力だろうが、詰まるところは広い意味でのポルノでしかないっていう、
一緒でしょお前たちっていうのは言いたさとしてあるんだとは思うんですね、そこ。
まあ、としても。としてもまあ、結論としてはありふれてる気もする。それは。
いや、むずいっすね、喋るの。
こんなむずいと思ってなかったんだよなぁ。
そうですね、ちょっと、おいさんもいたらどう話が広がってたかわからないですけど。
やっぱちょっと、ジャンルに不正通なところが働いてますね、今。
それは完全にね。
まあ、本作の魅力はやっぱり80年代っていう部分だとは思ってはいます、そこは。
もう絶対的にそこかなって。主役は80年代にあるとは思ってて、本作に漂ってるある種の無邪気さとか、
ジャンルに純粋であろうとしてるところとかも、80年代っていう時代が成立させてるとは思うんですね。
現代でこれやられたらちょっと無理だよってなる、その無邪気さはってなるとは思うんですね。
あの、その薄汚れた、薄汚い欲望に溢れすぎている街が、現代にあってほしいとは思わないんですよ。
それは半ば神話化している、僕たちにとって半分神話として存在している80年代のハリウッドっていうものだからこそ許されているものとしてあるかなと思うし、
まあ、それを分かって80年代っていう舞台にしているとは思うんですね。
で、今までこの三部作の中で描かれてきた1920年代、70年代、80年代って中で、
最も俗学に振り切って成立するのが80年代かなって気はするんですよね。
まだ70年代ってスラッシャーとかが出始めたぐらいだし、むしろそのアメリカニューシアマーとかの時代だから、
なんていうかちょっと複雑な時代だと思うんですけど、むしろ80年代って、そのもう娯楽に振る、というか欲望に振りまくる時代かなっていう。
それに、まあ本作のジャンルとしての割り切りがマッチしてる気はしてて。
で、その殺人を追っかけるっていう探偵の悪者としても、その80年代っていう時代がすごいちょうどいい塩梅になってるなとは思うんですよね。
で、さっきも作品名出ましたけど、アンダー・ザ・シルバー・レイクは僕やっぱり、このハリウッドを舞台にした探偵者としてやっぱり思い出しちゃうんですけど、
アンダー・ザ・シルバー・レイクは2010年代の話で、2010年代前半のはずなんですけど、やっぱあの、そういう俗学な神話がなくなった時代の話だなって思ってて。
その、たとえそれが薄汚れてて醜くて、正しくないとしても、ある種の煌めきを持った神話として存在してた80年代っていう時代があって、
それの魔力で世の中が動いてた、その魔力が世界からなくなった話だなって思うんですよね、アンダー・ザ・シルバー・レイクが。
だからなんか、きらめいてないというか、負け犬やるにしても、なんかその負け犬としてのロマンさえない感じがあるなっていう。
自分は負けてても、神話の中にはいるっていう感覚さえないみたいな。だからあれ、80年代のファミリーコンピューターマガジンみたいなのを追っかけ続けてるっていう。
昔の映画とか昔のゲームとか、そういう、まだポップカルチャーとかサブカルチャーが魔力を帯びてた時代の憧れで動いてる話だから、
現代にはもう魔力残ってないですねっていう諦めが根幹にある話だと思うんですよね、アンダー・ザ・シルバー・レイクって。
だからなんか多分、この本作巻きシーンも今撮れないと思うんですよ。今あんな男性中心の映画界では少なくとも80年代よりはないはずだし、
あんな俗悪なことに振り切ったこともできないしっていう。それは正しくないんだけど、ロマンではある、80年代は。
それを今やるには80年代を舞台にした映画を撮るしかないっていうタイ・ウエスト監督の判断は僕は正しいとは思うんですね。
現代と過去の葛藤
うーん。うん、なるほどな。ちょっとそれ感じ、ラストナイトイン奏法とかもちょっと難しいものがありますよね。
あー。あ、そう、ちょっとあの、連想してました。
あーやっぱそうですよね。
あれも、自分の憧れてるものが正しくない時代っていうことがある話だったと思うので。
そうですよね。でもあれですかね、いつかその2000年代、前半2010年代とかが、その憧れの対象として、時代として描いてくれる映画ってできるんですかね。
そろそろでしょ、多分。
そろそろなんかな。
もう2000年代って憧れというか、ちょっと一世代おいて、なんか遠くにある文化として消費されてると思うんですよね、現代進行形で2000年代って。
2010年代もそろそろなのかなって気もするけど、2010年代ってなんなんすかね。
なんか規定するものがなんかない感じしますよね、なんか。
もうインターネットなんですよね、2010年代って。
もうそうです。インターネット以降ほぼほぼなんかその、あんまり社会感が変わんないというか、飛躍的な何かがあまりないようにも思うし、なんかあらゆるものが禁止化した感じもするし。
だからなんかこう、この年代のだからこそみたいな作品?映画?みたいなのが、今後できるのかしらみたいな。
まぁ憧れを持ってくれてる人がいて作ってくれることを願いますけど。
どうなのかなぁ。なかったらどうしようっていう。
ちょっとそれに似た絶望を感じたことがあって、レディープレイヤー1っていう映画があったじゃないですか。
あーはい、ありましたね。
僕あれ見てすごい絶望したんですよね。
あれって未来の話で、ゲームの中に入れるみたいな話だったんですけど、
ゲームの中に出てくる登場キャラクターとかが、90年代とか80年代とかのキャラクターばっかなんすよね。
あーそうなります。そうですね、確かに確かに。
その、バックトゥーザーフィーチャーとか、ゴジラとかガンダムとかっていう、
未来に新しいものって出てこないんだっていう絶望があって。
もう70年代から90年代ぐらいのカルチャーを煮込み続ける未来しかないのかっていう絶望があったんですよね。あれ見てて。
うーん、なんかそれはどのジャンルにもありそうですよね。いわゆる過去のリバイバルが続いてるみたいな。
うんうん。
なんか続編ばっかりだったりとかみたいな。
喉ちょっと近いところありますよね。
最近もう20周年みたいな作品が、サミダレ式に飛び込んでくるから、もう、アニバーサリーにそこまで価値はないなって感覚なんですけどね。
そうっすよね、なんかもう、あの時の懐かしの作品がリメイクみたいな。
それで、もうその時を懐かしいと思った人がお金を払ってみたいな感じですもんね、なんかね。
そこに全然僕も乗っかってるとこ全然あるしなーっていうのはありますしね。
だから、いろんな意味で本作の評価難しいです。なんか僕は80年代だから本作は好きなんですけど、
そこから出ていけなさみたいなのもちょっと感じるとこあるんで。
好きなんだけど、この好きさは咀嚼しきれないかもしれないですね。
もう出ないかもしれないです、何も。
そうですね。もう時間もいい時間なんで良いんじゃないでしょうか。
はい。難かったですね、なんか。
難かったですね。
前回時間足りねーって言ってたら今回、まあ人数少ないのもありましたけど。
そうですね。
無事ーってなりましたね。
いやー、ちょっと自分の引き出しの無さにもちょっとガーってなりますけども、はい。
まあ、ではそんな感じでマクシーンの話を終わっていこうかなと思います。
ではお知らせになります。映画ナンシュタスイルバー次回開催日は7月5日土曜日です。
通常は月末土曜日に開催していますが、今回は7月初秋土曜日の開催になりますのでご注意ください。
場所は大阪南門町週間曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画ナンシュタスイルラジオ第216回マクシーンの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:16:58

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