今日のテーマトークは、『めまい』です。はい、ではマリオさん、解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 アルフレッド・ヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも傑作と名高いミステリーサスペンス。
刑事ジョン・ファーガソンは逃走する犯人を追撃中に屋根から落ちそうになる。 そんな自分を助けようとした同僚が誤って転落死してしまったことにショックを受けたジョンは、
高いところに立つと目前に襲われる高所恐怖症になってしまう。 そのことが原因で警察を辞めたジョンの前に、ある日、旧友のエルスターが現れる。
エルスターは自分の妻、マデリンの素行を調査してほしいと依頼。 マデリンは双祖母の亡霊に取り憑かれ、不審な行動を繰り返しているという。
ジョンはマデリンの美行を開始するが、そんな彼の見ている前でマデリンは入水自殺を図り、 原作はフランスの作家ポアロー・ナルスジャック、
ピエール・ポアロー&トーマス・ナルスジャックのミステリー小説。 ジョンが見る悪夢やヒロインによる真実の告白など、
賑わげられた演出が冴える。 はい、それでは内容に触れる話を入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいたら是非見てから聞いていただけたらと思います。
はい、ではアサヒの感想、マリオンさんいかがでしょうか。 ええそうですね。
いや好きっすよね、こういうやつね。 やっぱり。
まあキモいなと思いましたけど。 ちゃんとそこは注釈入れときたいんですけど。
でもやっぱり基本的にこういう、なんていうんですかね、過去に囚われちゃう男の、なんていうか、なんでしょうね、ちょっと自分にも近いところ、
若干あるなっていうのもあるし、そこに何か惹かれてる? 過去にある意味狂わされてるし、狂いたいみたいな、そういう危ない欲望を、
現実ではね、そこまでのぼり込みたくないんですけど、フィクションというああいう映画としてはガンガンやってほしい派なので、
なんかそういった欲望をこうなんか映画の中でめちゃくちゃこう、もう最高の映像と、なんかこう、一個一個描写もめちゃくちゃかっこいいじゃないですか、もう。
それでなんか描いてくれてるのが本当に素晴らしいなぁと思いましたね。
もうなんか、ずっと美行してるシーンが結構なかなか続きますけど、もうそのシーンでもなんか十分かっこいいんですよね。
美術館でこう、マデリンを見守る時のジョンのショットとか、あらやだかっこいいみたいな感じとか、そういったのも含めて僕はもう本当大好きだなって思いましたし、
あとやっぱり別れる決心の時に結構めまいだめまいだって言われた理由もよく、今回見てわかりましたね。
でもやっぱりちょっと主人公、キモいよなぁあれはなぁみたいなのは、さすがにちょっとね、思いましたね。
ちょっとやっぱこう、なんでしょうね、染め上げたいみたいな感じの欲望っていうんですか、あれがね、ちょっとまたには違うんすよね、みたいなというかね、僕。
あれはやっぱりちょっと男のダメなところというか、出てますよねみたいなのは、やっぱちょっとすごい見ながら思いました。
はい、大井さんいかがでしたでしょうか。
僕、一度オープニングトークで喋って、今回もう一回見直したんですけど、やっぱり傑作だなと思いましたね。
色使いがまずすごい印象的だなと思って、テクニカラーで確かこの絵が撮られてると思うんですけど、緑と赤の使い方ですよね。
反対色みたいなところでよく目立つ色として使われるやつですけど、真っ赤なレストランの中に緑のドレスのマデリンがいるっていうところに目が惹かれていったりとか、
逆にそれが後半になってまたちょっと反転していたりとかっていうところとかもすごいですし、
2人のある意味、象徴のカラーとしてそれが使われているところも見てて目に優しいというか、すごいわかりやすく描かれてるし。
僕も確かに主人公のジェームズ・ストワートの気持ち悪さはもう言わず儲がななんですけど、
ただ結構、キム・ノバック演じるマデリン、別にジュディですよね。
彼女の側にも主体性が描かれているところは結構僕は好きなところで、
都合よく扱われているある種のファンファタルとしての前半があって、ただ後半はそこに意思を持った女性としてジュディとして出てくるっていうところ。
そこがすごい対等ってわけじゃないんですけど、どちらか片方だけの権力関係じゃない感じがして、むしろ恋愛を描いてるなっていう風に見てて思えたんですよ。
その部分とかもある意味先進的といえば先進的な気もするし、
それに対してそれをある種の暴力で覆い隠してしまう男、ジョンの悪しき男性性みたいなものもより、だからこと顕著に映るしっていう。
その辺のバランスが見ててめちゃくちゃ現代的でもあるし、今見ても全然新しく見れる。
何ならいろんな作品に影響与えてるよねって言っても全然頷けるような作品になってるなっていう風に見てて思いました。
あとね、ミッチーの扱いに関してはいろいろ思うところありって感じですけど。
あー、そうね。
ね、本当に。
そういうとこだぞっていう感じですよね。
本当にそういうとこなんだよな、こいつっていうね。
ダメですよねっていう。
そういうとこも含めて、ジョンのダメなとこ、スコッティのダメなとこっていうのも話したいし、
いかにそのジュディをその、なんていうかな、の体制の奪われていく過程としてのある意味悲劇としての一面みたいなものもすごいこの映画は語れそうな気がしてるので。
いやー、喋れて嬉しいですこの映画のこと。
そんな感じです。
えーと、僕はですね、さっきも言ったんですけど、この三人体制でやるテーマ作品の中での集大成と言っていいんじゃないかなっていう作品かなと思います。
もう絶対に今まで話してきたこういう作品のことを踏まえた流れに絶対なるとは思うので。
まあその一つの起着点みたいなものとして話できるかなっていうふうには思ってるんですけど。
あとまあやっぱり僕はもうこの作品に関してはキム・ノバックすごいなっていうのを話したい。
本当にあのファム・ホタルの究極系だなっていう。
なんかオーラすごすぎてちょっとビビるんですよね本当に。
で後半で僕同一人物と思わなかったんですよ本当に。
あれ別の人なのかなみたいなのでちょっと混乱してたんですけど。
いやでも服装を変え髪色を変えてってしたらなるんですよねこれが。
ちょっと怖いぐらいやなって思いました。
あとは本作において主人公が求めてたの何だったんだろうっていう。
だって本当のこと打ち明けたらそれでお互いを受け入れ合うのがラブストーリーなんじゃないのっていうのを突っ跳ねるじゃないですか。
じゃあ求めてたもの何ってなるんですよね。
この世のどこにもなかったじゃないってなるんですよ。
でそこから先の彼の行動とかを見てると、
あしき男性性ってこれのことだなっていう風になるっていう。
結局自分のプライドとか、あるいはその男性機能みたいなものが許されるのが嫌だっていう。
そこにたどり着いていくよなっていう。
結局それを成り立たせるための材料として女性を使ってるよなっていう。
後半のずっと機嫌悪い感じとか、それだなっていう風に思ったんですよね。
っていう感じでした。
では内容に触れる話入っていこうかと思うんですけども。
さあどっから行きましょうかねっていう感じですけど。
どっから。冒頭のオープニングから触れてもいいかなと思ってるんですけど。
オープニングまずかっこいいですよね。
いいですよね。
いいですよね。ソウルバスですか?
ソウルバスの。
裏窓だとソウルバスじゃないんですよね。
サイコとかもソウルバスだったと思うんですけど、ちょっとこの辺りだいぶふわっとしてるんだよな。
七国作品もうちょっとちゃんと見ていったら、ソウルバスのオープニングはもっとたくさん見ていくことになるんでしょうけどね。
いやでもかっこいいですよねほんと。
かっこいい。しかももう冒頭、キムノバクの口元から始まるっていう。
そこからある種めまい的なモチーフが流れていってっていう。
円を重ねてなんかこう、するみたいな感じですよね。なんかあれの図形っていうか。
小学校の頃、ああいうあれを描ける定規ありましたよね。
なんかありましたよね。
歯車みたいなやつですよね。
あれでこう、すごいいろんなところに円を重ねて重ねてすると瞳の形に見えるというか、
になっても見えるし、
なんかあれ絶対真ん中あたりがどうしてもライン引けないというか、空白というかできるじゃないですか。
そこでなんかこう、なんて言うんでしょうね。
この物語のトータル最後まで見終わった後にあのことを考えると、
なんか何もこいつは見ていなかったなみたいな。
感じの本質を何も見ていないからこその空白がそこにあったのかなみたいなこともちょっとこう、
連想するみたいな。
これはちょっと勝手なこじつけですけど。
っていうようなこともちょっと思ったりとかしましたね。
いや確かに確かに。
で、その後そのトラウマとなる事件というかあるじゃないですか。
あの辺すごいですね。
別れる決心でパロディじゃないですかその展開みたいな感じでしたよね。
途中追いかけるシーンね、ありましたけど犯人を。
ここから撮ってるのかしらみたいな感じでしたよね。
屋根の上も走りますしあれも。
っていうのは思いましたよね。
相当別れる決心は影響元といってもいい作品ですよね。
それこそなんていうか、容疑者というか女性のことをこうある意味車で探っていくって展開もすごい似てますし。
その随に徐々に近づいていってしまうとか引かれていってしまうっていう関係性の結果ともすごい似ているし、
あと僕結構別れる決心に似てるなと思ったのはさっき冒頭でも話したんですけど後半、女性側の視点に変わっていくっていうところとかもすごい影響を受けてるんだろうなっていう風に。
むしろ追っかける側が変わるというか反転するっていうところとかもすごい思いましたね。
そうですね。結構僕、別れる決心忘れてるなと思って聞いてて。
山中の寿司片付けるところとかそんなこと言ってるんですよね。
あそこは印象的ですよ、そりゃ。
あと、覗いてる方がちょっと覗かれてるみたいな感じとか。
なんかそういうとこばっか覚えてて。なんかそこは、ひちこく繋がりでやっぱり裏窓は思い出すんですけど、覗く感じとか。
確かに怪しいと思われてた女性がっていう部分では、もろ別れる決心ですよね、本当に。
そうなんですよ。
それこそでも本作も覗き描写、特に前半のジェーブズ・ストアートが怪しいと思われるというか、まあ友人の頼みで追うことになるわけですけど。
そこもすっごい裏窓的ですよね。裏窓を車窓からやってるっていう。
あの追跡の仕方バレるのかなってすごい。だいぶ見えるところに走ってますよね、あれ。
そうなんだよな。こいつ本当に元刑事かってぐらい追跡下手なんですよ。
近いっすよね。
海岸走るところとかもう、後ろそれしか走ってないやろってなってるから。
そうなんすよね。
それこそデパートで花屋に入るの覗くシーンとか怪しすぎるだろうと思って。
しかも花屋で覗くシーンとかは鏡うまく使ってて、2人の顔がフレームに入るじゃないですか。
イエーイって思いましたよね。もうそういう瞬間が見たいみたいな。
映画って最高って思う瞬間でしたね。
マジで一個一個の絵がバキバキに決まってるんですよね、絵画的というか。
そうなんすよね。
もうちょっと展開的には飛びますけど、悪夢のシーンとか最高だなと思いましたし。
チカチカする怖いっていうかね。
僕すごい絵として好きなシーンは、中盤奥さんが飛び降りちゃって、
で、カメラがすっごい上の方から塔を撮っていて、
で、そこに主導者の方々が屋根の上に遺体が転がってるところに助けというか、様子を見に来る。
反転で端っこの方で主人公がヨロヨロと塔を出ていくっていう。
あそこの絵が決まりすぎちゃってて。
めちゃくちゃ好きなんですよ、あそこの絵。
ちょっとデキリコっぽいというか。
デキリコっぽい。なるほど。
建物の雄大さに対して人間のちっぽけさみたいなものがすごい強調されてるように見えて。
僕そんなヒチコック見てないんですけど、すごい印象残ってるのがあって、
最古なんですけど、犯人が人を襲うシーンで、真上から撮ってるシーンがあるんですよ。
で、最近のホラー映画って多分そういうことしないと思うんですよね。
もっと誰かの視点っぽいものから見せたりとか、驚かすような視点みたいなのを使うと思うんですけど、
真上から人に襲いかかってるところを見せてるシーンがあって、僕それがすごい印象残ってて。
恐怖ともまた違うんですけど、無力だなって思ったんですよね、見てて。
見てて、自分がそれに何の投擲させもなく関わることができないものをただ見せられるっていう、
観客の傍観者性みたいなものを見せつけるような構図があって、怖っていう。
そのシーンに対する恐怖というより、それを映画としてやってることへの威負みたいなものを感じた時があって、
その客観性を突き放す感じの上手さみたいなのはヒッチコックに感じたんですよね。
その塔の上から見下ろすシーンも、何でしょうね、映画の中に他人事を落とし込むのが上手いなっていう感覚があったんですよね、ヒッチコック。
たしかに。
1人称、2人称、3人称の組み合わせみたいなんじゃなくて、もっと全然関係ないところにあるカメラみたいな、
映画でしかないカメラみたいなものがあって、それってもう神の視点でもないんですよね。
神は関与できるか、でも関与できない。ただ見させられるだけの立場としてのカメラっていうものを観客に押し付けてくるものみたいな、
それがすごい上手いなと思ったのを思い出しました、今聞いてて。
たしかに、たしかに。まさに僕らは全てを、あの段階では知らないわけですけど、知っててもどうにもできないっていう立場なわけですもんね。
そうですね。
たしかに、それをすごい強調してるとしたら納得いく気がしますね。
そうですね。あんまり主観とかないですよね。
あんまり、今作特にそうですよね。
唯一主観っぽいショットは、高所恐怖症のところの、今となっては定番になってる、引きながらズームしていくショット。
スピルバーグとかがよくやるショットでもあるんですけど、あれ、たぶん真似して。
あれのたぶん一番最初が目眩だって言われてるんじゃなかったかな、たしか。
そうなんですね。たしかにちゃんと高さ感じますもん。
あれ初めて見たらびっくりするでしょうね。
あれ発明ですもんね。
あの映画、不思議なのが、どこまでがセットでどこまでが本物で撮ってるのかっていうのは結構わかりづらいなと思って。
たしかに。結構ちゃんとサンフランシスコでロケしてそうじゃないですか、みたいなのはめっちゃ感じたんで。
たしかにほんとすごいサンフランシスコ映画だなってすごい見てて思ったんですけど。
いわゆる明らかセットであろう部屋のシーンとかも背景とかに映ってるのは、なんかでもちゃんとリアルな感じがめっちゃ感じられたりとかすごいしたし。
すごいサンフランシスコ感じるなーっていうのは前編からそれは感じて撮りましたね。
いやー裏窓見てほしいな。感動しますよ、セットの作り込みに。
なるほど、そうかそうか裏窓は完全なセットの撮影ってことですもんね。
今回見直してあれ僕セットだと思ってたけどセットってこんだけ作り込めるっけみたいなのでちょっと逆に疑ってしまうぐらいには異常な作り込みをしてるんですよね本当に。
なるほど。
すごいですよ裏窓は本当に。もう裏窓はこの嘘で映画を作るっていう覚悟に満ちているのに本当に感動します。
このセットを作ったっていうことでカメラの中に映っていることだけがこの世界なんだっていうものを実現させている覚悟が画面の中に詰まってて本当にそれだけで感動しますね。
なるほどな。
だからロケもロケですごい魅力的な絵をたくさん撮ってる監督だなと思ったんですけどやっぱりセットで本領発揮というか、
フィクションっていうところをどう作るかが上手い人なんだなっていうのを改めて思いますよね。
そうやって結局その見えているものが世界っていう映画の作りとすごい噛み合ってると思うんですよねそういうセット撮影って。
だって観客に見えないものは世界としてないんだからっていうその映画としての何というかスタンスが明確化されるというか。
その引き算効いてる感じって言ったらいいんですかね。
やっぱりロケとかで撮ると完成度は下がると思うんですよ画面に対しての。
物語ろうとしていることに対しての何というか密度は絶対に下がると思うのでその密度高えなって思うんですよね。
そうですねだから作り物だからリアルじゃないってわけじゃないっていう。
むしろ作り物だからこそリアルなんだっていう。
語れる情報量はむしろ多くなるなっていう。
映画っていう範疇ではむしろ有弁さを増すっていうのはあるなと思うんですけど。
確かに確かに。
そして主人公はまず追っかけてくるわけですけどね。
前半までは本当に探偵役というか謎に秘密に迫っていくみたいな感じで。
ちょっとハードボイルド感あってすごいかっこいいなっていうふうには思うんですけど。
本当に教会の党から死んでからの彼の完全に猛念に囚われてる振る舞いというか。
いやーもうこういうの見ると本当にゾカゾカしますよね。
いやーもうたまんねーなーって思いますけど。
まず病院に入ってそこから抜けた後のなんていうか。
僕はあのシーン勝手に山崎正義がワンモアタイムワンモアチャンスが流れ続けるんですけど。
あのシーン見て。
完全にね過去をしか見てないんだよねっていうのがもうね。
僕はすごいあのヒュージャックマンのレミニセンスを思い出しましたけど。
いや最高なんだよな。なんでこんなに惹かれちゃうんだろうなっていうか。
すごい気持ち悪いんですけど。
なんだろうな。
なぜそこまでっていうのは見ててどうしても思っちゃうとこではあって。
何がきっかけなんかなっていうのは。
ちょっと見てて僕はあんまりよくわからなかったんですよね。
まあ初めて会う時点で一目惚れしてるのはそうだと思うんですけど。
そんな呪われるほどのものって何なんだろうっていうのはすごい考えてしまってはいるんですけど。
でも一個はなんか出会い方とかなんじゃないかなと思うんですけど。
まあまあそれは。
入水自殺を救うという話が、
すごい彼の求めている理想みたいな出会いというかなんかその男らしさが、
あそこでかなってると思うんですよねあそこで。
それゆえにやっぱりよりその二人の関係というか、
さらにグッと縮まってっていうのがなっていくかなと思うので。
でもそうなんだよな。
なんかやっぱり出会い方って呪いになると思うんだよなっていうのはあるんですけど。
スーパーハッピーフォーエバーの二人の出会い方とかあれは呪いになりませんかとか思いますし。
出会い方は結構大事なんじゃないかなとはちょっと思います。
海外式解放してますからね、その後ね。
そこなんですけど、後半でネタがバラされるわけじゃないですか。
そもそも本当の妻とは一瞬たりとも会ったことはないわけでしょあれ。
そうですね。
で、本来はマデリンじゃない女の人が演じてるマデリンと時間を過ごしてたわけで、
街で見かけたその人を追っかけて行っちゃう、あそこもほんまにさみたいな。
あそこどうかしてる、どっかしてるなっていう。
キモいというか怖いんですよ。
大丈夫?みたいな。まだ病院出てきちゃダメだったんじゃない?みたいな。
なんですけど、ネタバレされたら、僕が追ってた女性はあなただったんだねってならないじゃないですか。
そうなんですよ。この絵がならないんですよね、そこ。
そう、ならないんですよね。
とことんあいつは幻影を追いかけて死ぬじゃないけど、終わっちゃうのが。
だいぶ狂ってて、僕はそこが好きですけどね、ある意味でね。
レムニセンスもそういう映画だったなっていう感じなんですよね。
そこがちょっと僕、わからんとこかもしんないです。
なんなんすかね、彼は結局何を理想と思っていたんだろうっていうところですよね。
マデリンという存在のことを理想に思っていたようにも見えないじゃないですか。
要はガワワマデリンになったわけだから、彼女は。
そしたらそれを愛せばいいじゃんっていう風になるんだけど、そこにはどうも本質はないわけですよね。
そこに気づいちゃうわけですけど、彼が。
だからストーリー上、あそこで役割終わっちゃうんだけど、結構全体としてすごい重要な役割というか、
あいつの女性感みたいなのを表現としてすごい重要なんですよね。
さっき言ってた謎を見ているっていう。
ありましたよね、そういう謎は女のアクセサリーダー的な言説っていう。
バカ照れと思うんですけど。
本当に。
いやーねー、本当そうなんですけどね。
男女は分かり合えないからこそみたいなこと。
僕あんまりピッときてなくて、分かり合った方がいいに決まってるだろうと思ってるんで。
分かり合った方がいいはずだけど分かり合えないからむちゃくちゃ苦労していろんなことをここまできてるわけじゃないですか。
それを苦労があるから逆に楽しもうみたいな、心構えみたいなものとしてそういうものがあるのは理解できるんですよ。
そう思わないとやってられないみたいなのはあるかもしれないですけど、それが主題になっちゃったら本末転倒もいいとこでしょ。
相互理解のための疑問だったはずなのに、もうそのクエスチョンだけ追っちゃってるじゃないですか。
そうなんよねー、そこがね、愚かで好きってなるんじゃないかなっていう。
愚かなんですけどね、なんかね、好きでしょうがないんですよね。
ダメさが好きなのかなって。
僕ちょっと今回思ったんですけど、僕も男のダメさを描いた映画好きなんですけど、
マリオンさんのダメさの好きと僕のダメさの好き違うなっていうのを最近うっすらと気づいてきてて。
そうですね、そうですね。
僕なんだったらそのダメさはもう打滑のごとく嫌いなんですよ。
その嫌いすぎて好きというか、ちょっとホラー映画を見るとの心境をしてて。
そうなんですよね。
人間死なない方がいいじゃないですかって思いながら、ホラー映画で人が死ぬのを楽しんでるみたいな感じなんですけど、
ちょっとそのマリオンさんと温度感ちゃうなって最近思うことがあって。
僕はそのダメさをめでたいんですよね。
めでたくって。
なんでかって言うと、自分にも絶対あるからっていうことがあるので、それを嫌いなんですよ。
嫌いなんですけど、僕は激ヤマなので自分に。
そこそこホラーもめでてあげないと自分がどんどん下がっちゃうというか、自分のことどんどん嫌いになっちゃうのでみたいな。
とこはちょっとあるかなーっていうのはありますかね。
僕も全然あるからこそなんですけど、
最終的には出力だけ微妙に違うんですよね。
でもなんかね、このダメさを突き抜けちゃってるのに、ロマンというかちょっとあるよなーみたいなのがあるんだよな。
難しいんですけど、それを言葉にするのが。
ダメなものはダメだってわかってるんですけど、けど惹かれちゃうみたいなのってあるじゃないですか。
ちょっとだけ言語化できたような気がして、喋ってみるけどもしかしたらずれてるかもしれないですけど、
僕は男性のダメさをめでたいんじゃなくて、そのダメさを徹底的に削り落として、その果てに完璧な男性がいてほしいと思ってるんです。
だから僕の方が男性の理想像を好きなんですよ、多分マリオンさんより。
で、本当に理想の男性像がこんなにあってほしいから、その邪魔になる理想的じゃない悪しき男性像っていうものを徹底的にほじくり出したいと思ってて。
もうそれがなくなるまで削り取りたいんですよ。
男って本当にダメだなダメだなって言って、もうその肉がえぐれるとこまで削って、その果てに完璧な男性がそこにいてほしいと思ってて、
そのために僕はもう徹底的に男はダメっていうものを映画の中に見出そうとしてるんですよね。
だから僕の方が男性性を好きなんだと思います、マリオンさんより。
僕の方が男性を崇拝していると思います。
なるほどな。
だから県警隊組織暴力とかが大好きなんですよ。
あれをうっとりしながらそのダメな部分を削り取ることで、自分が削るっていう行為を経たことでその中に理想化された男性像を見出すことができるというか、
自分が良くない男性像っていうものを削るっていう、批評するっていう行為を経ないと、そこに理想の男性像はないと思ってるからそれをやってて。
僕が良くない男性性を批評することでようやくそこに理想の男性がいてくれるっていう。
そのために僕は徹底的にダメな男像っていうものをほじくり返し続けてるんですよね。
なるほどなるほど。
なるほどな。
僕もその嫌いな男性の理想像というか、男性のダメなところみたいなところを自覚的に見て、そこはダメだって思うし、めちゃくちゃ嫌だねって思うんですけど、
結局僕全てのことはロマンチックがこいつに言っちゃう節があるので、結局そこがやっぱ重要になっちゃうことがあるので、
多分そこなんだと思うんですよね結局。だからある意味で男性性信じてないっていうかもしれないですし。
なるほどな。
僕全然男性性信じてます。めちゃめちゃマッチョ憧れありますもん。
その反応としてめっちゃマッチョ嫌いなんですけど。
マッチョ嫌いで、僕は嫌いで、本当嫌いで嫌だなっていう、なりたくもねえなみたいな感じなんですよね。
あの、ごめんなさい、ちょっと僕喋りすぎてますね。
いい感じのエンジンが解いてる気がするんですけどね。
お二人に比べると僕は割と本気で男性が嫌いなんだと思います。むしろ。
なるほどな。
普通に男性嫌悪なんですよ。僕の場合は。
なるほどな。
だから山口さんが映画の中の男性の批評することで男性の理想像を掘りたいんだったら、僕は自分の中から男性を削り取りたいんですよ。どちらかというと。
だから映画を見て、映画の中に映ってる男性の悪しきところを見て、自分でそれを削ろうっていう努力をしようって思って見てるところがあって。
なるほどな。
僕は男性という性から離れたいんですよ。結構。
ジェンダーを削ぎ落としたいっていう理想があって。
それ違うと思います。僕やっぱり良き男性性がこの世にあると信じようとしてますもん。
僕だからそこよりも、そこはもう諦めてますもん。だって、男性である以上は絶対に悪しきものになるって思っちゃってるから。
なるほどな。
そこまでは確かに行かないかな。
それはちょっと僕も全否定されるしなみたいな。
結果ここに落ち着くみたいな。
それだったらロマンの方を追い求めるみたいな、形のない幻想かもしれないものを追い求めちゃうのが、それは良くねえんだろうなというね。
本当にダメなところを自分でもめちゃくちゃ変えなきゃなっていう理念でもって映画のことを見てるし、
そこに端的してる、甘えてるわけじゃないよっていうのは言っておきたいですけど。
そっか。そう違うんだ、この3人って。
めちゃくちゃ違うじゃんって感じがしますけどね、似てるようで。
そうなんですよそうなんですよ。だから男性性っていうタームというか、ジャンルの上では話が合うんですよ。多分語彙も同じだし。
だけど目指してる先は多分違う気がするんですよ。だからこそアノーラの感想もずれるし、そこが面白いんだろうなと思っているんですけど今。
そうだわ、アノーラの感想のズレとか多分その感じ近くて、
イヴァンでしたっけ?イヴァンか。
イヴァン。
じゃあイゴールでしたっけ?
イゴールだ、イヴァンは若い音頭者の方ですね。
ボンボンの方ですね。
僕のアノーラの感想の最終的な結論って、イゴールに良き男性で会ってくれよっていう願いなんですよね。
そう会ってくれなかったっていう絶望なんですよ、僕にとっては、あの映画のラストって。
そこだわ。
僕はイゴールを男性なんだから信じちゃダメだろって思っちゃってるところがあるんですよ、ちょっと。
僕はあそこの2人だけにしかないロマンティックな何かがあるじゃないかって思ってるから、アノーラの感想を出力されるし。
いや、そうだわ。
いや、その、ちょっとこの番組的にもフェミニズムとかってよく語るじゃないですか、作品的にも。
はいはいはい。
で、ちょっと話掘り下げる時にも触れると思うんですけど、あの僕にとってフェミニズムって、良き男性であれば当然フェミニズムも需要するでしょっていう感覚なんですよ。
なるほどなるほど。
だからその、なんかインターネット見てて、あー良くない男いるなーみたいなのってあるじゃないですか。
その男性そのものを憎んでるというより、良き男であってくれよっていう感じなんですよ、僕やっぱり。
そうじゃないと、僕も含めて良くない方向に飲まれちゃうから、そうじゃなくて、この世に良き男性がいてくれる可能性を示す努力をみんなでしようよって思っているところがあるので、
そのためにはフェミニズムとかも必要じゃんって思ってるんですよ。
いや多様性とか必要でしょっていう感覚があって、いや僕めちゃくちゃマチズモ進歩しているところがあるなって。
確かにその良き男性になるというマチズモはありますもんね、確かに。
めちゃくちゃありますよ。
努力せんよっていう。
そう、女性差別ってめっちゃ正しくない男でしょって思ってますもん。
それは本当そうで、そうです。
そのためには、だから血の滲むような努力をすべきだっていうのはある種のマチズモですもんね。
まあ確かにちょっとどうかと思う人がたくさんネットによって可視化されてしまってるので、本当にそれに関してはマジでどうにかなりませんか、この方々みたいなふうには思いますよ。
なんかわかってきましたよ、この3人のことが。
それもちょっとなんかこう全部否定しきれないからこそなんかそういうのに縋っちゃうというか、っていうのはあるかなっていう。
これあんまり目眩の話じゃないのでごめんなさいね。
だからこれまでの209話の集大成なんですよ、目眩の話じゃなくて。
本当ですね。
すげえ、こんなんでよくやれてますね。
だからこそね、話してて面白いなったらなとも思いますけどね。
いやまあでも、まさに本作だとその理想を貫くからこそ、
キムノバクがジュリーからマデリンになる瞬間の霊が顕現するみたいなシーンあるじゃないですか。
亡霊が。
あそこのシーンめちゃくちゃ美しくないですか。
怖いって感情が勝ちましたね、あそこ。
あーでもそれもわかります。
ゾッとする美しさというか。
ゾッとはします、ゾッとしたわ。
うわー実現しちゃったよーみたいな感じですかね本当に。
あの照明、見てるのは照明のせいだと思うんですけど、最初本当に透けてますもんね。
あー。
そうか、照明のせいなのか。
おそらく、いや演出のせいじゃないと思うんですよ。
多分あれ照明でそう見せてるんだと思うんですけど。
いやあれ普通に撮ってて、あの絵が撮れたらそれはもう完成だよなっていう気がして。
僕普通に途中まで別人やと思ってましたからね。
ですよね。完全にだからジェームズ・スパートのヨマイ事だと思ってますもんね。
ちょっと思ってましたそれ。
彼女に出会う前に本当にマジで街中のそれっぽい女性のとこ行ったら全然違うみたいなの繰り返すじゃないですか。
はいはいはい。
いよいよ本当にヤバいと思ってたんですけど、その流れで彼女と出会うので、またこいつ、本気でこの人、知らん人の家に入り込んだぞこいつみたいな感じがしたんですけど、
あ、この人本当にそうだったんだみたいな感じになりますよね。
それこそメイクとか喋り方から全然違いますからね。
そうですね。だから一応事件の真相というか、オチ的なのも結構トリッキーでわーって驚くような内容かなと思うんですけど、
あんまそこどうでもいいっすよねみたいな感じで進むのが、やっぱり描きたいのはそこじゃないんだなっていうかって思いましたね。
ミステリーだったら多分あれ最後に灯台の上に昇っただけで言わなきゃいけないじゃないですか。
そうそう。なんだってっていう瞬間が欲しいじゃないですか。
真相こっちもうね、彼女が書いた手紙でわかってる状態で見るから。
そうそうそうそう。だからもう結果的に見てるのって、そこっていうの妄言というか妄想がどこに向かうかを見るっていう。
そうそうそう。そこのなんか本当男のそのマジで幻想しか見ていないっていうところが、
そこがハードボイルドって言ってしまえばそうなのかもしれないし、大変気持ち悪いと思いますみたいなことにもなるしっていう。
あとあの、あいつのね、ちょっと冗談めいた口調なんですけど、
まあ序盤ね、その口調を出してるんですけど、後半その口調がなくなるんですよね。
そうですね。
もう余裕がなくなって。
ただあの、マネリンの予想を取り戻した後で口調戻ってんのは、こいつやばいなと思って本当に。
確かにそうだ。
だからあの、なんていうか、ひょうひょうとした口調って、僕の見立てだと、男性の理想とするロールモデルみたいなものだと思うんですよね。
ひょうひょうとしてて、女性を軽やかにいなせる男性像みたいな。
そこに対して必死で入れ込むようなことはないっていう風なものを、余裕があるときはそれを演じることができるけど、余裕がなくなるともうずーっとドヨーンとしてて、
で、理想の女性像を取り戻したらまたひょうひょうとしだして、こいつさあみたいな。
お前も持ってる理想としてる男性像、マジで薄っぺらやからなみたいな。
確かにな。
本当に。
で、実際その真相を明かされたら、またそのベールが剥がれるわけですよ。
いや、そうなんですよね。
結局それって、上位に立ってるっていう余裕がそれを生んでるわけですよね。
で、自分が騙された側っていう、自分が下位になるのが許せないんですよ。
そこがやっぱり、悪しき男性性やなと思いましたね。
女性の側が騙してたっていうことは許せないっていう。
自分が弱い側であるのが許せないっていう、その話になっていくじゃないですか。
そうっすよね。
あそこが本当にね、グロテスクだなと思ってるんですけど。
自分の思うがままに女性に振り回されたいみたいな欲望?
だと思うんですよね。
だから本当に、彼女から思いのよらぬというか、自分の思い通りにならないっていうことがわかったし、
本当にこの人はどんどんズタボロになっていくし。
そこの欲望っていうのが確かに本当に身勝手よなっていうのは本当に思いますね。
だから女性の上に立ちたいけど、上から見える景色は怖いっていう。
なんか本当、高所恐怖症のそれを二重に出してるような気がして。
その末に結局、マデリンになったジュディも落としてしまうというか。
自分が上に立つことを優先するがゆえにっていう。
ラストの塔を登るところとかもすごい象徴的だなと思ってるんですけど、
あいつ最終的にこだわってるのって、これをクリアしたら高所恐怖症が治るかもしれないみたいなのが目的かしてて。
なんていうか、妻を殺した夫を捕まえたいとか、なんかそういうところにモチベーションはないし、
ジュディの騙してた罪悪感を解決するとかそういうことでもないし、
結局自分の高所恐怖症を治したいって、僕あれって男性機能のことだなと思ったんですよね。
自分の女に騙された状態の自分では男性機能が満足に働かないから、
そうじゃなくて俺の方が上だっていうことを証明して男性機能を取り戻したいっていう。
その俺は男性機能があるんだっていう強いオスなんだっていうことを、
自覚したいために女性を使ってる状態になってて、
あそこが本当にグロいなって思ったんですよね。
本当ひどいシーンですよね。
すごいですよ。この映画って恋愛を描いてなかったんだってことが判明するんですよね。
途中まで本当にロマンス、それこそジュディ側が思ってるっていうところで、
あ、これはロマンス、ミステージじゃなくてサスペンシャルでロマンスなんだって思って見てたら、
最後の最後さらにそれを反転してくるっていう。
ひどい。本当ひどい。
だからそれ考えるとやっぱりミッジに彼が惹かれなかった理由もわかる気がして。
ミッジって大学の同期だから対等な関係なんだと思うんですよね。
彼のことを昔からわかってるからこそ、弱みも知ってるし、
完全なマウンティングが取れない人だと思う。
だからお母さんって途中からなってるじゃないですか。あれもグロいんですけど。
彼が惚れるっていうのは、自分の男性性が保てる人じゃなきゃそもそも惚れられないっていう。
でもこれって彼に限らず男性によくある構図でもある気がしてるので。
よくあります。
そうですね。自分のポテンシャルを一段階上に見せた上で女性に振る舞えるみたいなのを望んでる感じっていうか。
そういうのもめちゃくちゃ感じるし。
いやーよくねーって感じですけど。
だから男を立てるっていう概念あるじゃないですか。
はいはいはい。
例えば処生術として良きものとして語られてるのを聞いたことがあってすっきり嫌だなと思ったことがあったんですけど、
年上で経済的に男性の側よりも女性の方が余裕がある場合に、
例えば食事に行った時に、その食事のお金を経済的に余裕がある女性の側が払うんじゃなくて、
年下かつ経済的余裕がない側の男性に払わせてあげるみたいな振舞いをするのが良い女だみたいなのを見たことがあって、
めちゃくちゃしょうもないと思うんですよ。
それで守られる男性のプライドなんてヘッシュ折れって上等だと僕は思うんですよね。
もう折れてから始めようみたいな感じで思うんですけど、そこは。
ただそういうのがそうじゃないケースで自分に全くないっていうのは言い切れないんで、
そういう自己反省も含めて僕はこういうのを徹底的に批判したいなと思ってるんですけど、
それをやってる映画だなっていう。
あとそのミッジに関してはやっぱり自立してる女性っていうのがあるなと思って、
彼女はファッションデザイナーとしてちゃんとやられてるじゃないですか。
自分は警察を続けられなくなって、本来のキャリアを失った状態。
でも彼女はファッションデザイナーとして新しいブラジャーを開発してるっていう、
自立した女性としてあって、
目前の1950年代ってむしろ戦争が終わって女性に家庭が入ることを推奨していってる時代だから、
彼女の女性像ってむしろちょっとノイジーな存在と言っていいと思うんですよね。
だからそれのままでいて、それこそもうこの先ですよね。
いいんだっけっていうのはずっと思っていて、
いいはずがないのは確かなんですけど、
じゃあそれを捨てれるためには、個人の中で生きてるうちに変われるのか、
それとも世代交代が必要なのかっていうのはずっと考えてることではあるんですよね。
それこそ今ある別のポッドキャストで、めためた仮面女儀定職っていうポッドキャストで僕よく好きで聞いてて、
その人、一人が漫画の作家さんなんですけど、
その人が言ったのが、現代はフェミニズムというのがすごい主流になっていて、
基本的にはヴィランが男性になってると。
おじさんになってると。
だからおじさんの話を描くことが多くなったんだけど、
少年の話が逆に描かれなくなったっていう風にその人が言っていて、
今の10代の子たちって、自分を自ずとおじさんに重ねざるを得ないんだと、ヴィランの。
だから、悪しき男性性、悪いよねっていうところのロールモデルしかフィクションにいなくて、
本当の若い子たち、10代の子たちがこうなりたいって思える男性像はどこにあるのかっていうのは、
男性作家が提示すべきものなんじゃないかって話をしてたりしたんですよ。
そうかもな。
いや、これまたアドレスにそういう話繋がっちゃうよなーって思うんですけど。
だからそこに入っちゃうんだよなーっていう、マノスフィアっていうワードが出てくるんですけど。
そういう、いわゆるそういう男らしさみたいなのに結構こう、
男性同士のコミュニティでめちゃくちゃこだわるみたいな。
それゆえにすごいミソジニーな、ミソジニックな考えも広まるし、
で、そこにはインセル的な人が結構多く集中してみたいなとかもあるらしいんですけど。
多分本当にそういう圧式男性像みたいなとか、
あとフェミニズムっていうのをかなりオープンになってきてる中で、
それで自分っていう存在が子供の時からというか、
思春期の時からちょっとそこに不安というか、覚えるがゆえにそこに、
なんか逃げ道じゃないですけど、そこに救いを求めちゃうっていうのは、
やっぱ発生しちゃうんだろうなっていうのは本当にあるので、
だから本当にその理想像をどうやって、それが物語の中なのか、
リアルでそういうふうな振る舞いしてる人と出会うのかとかはまたちょっと別かもしれないですけど、
そういったのは確かに求められるよなーというのは本当に思いますね。
だから山口さんがおっしゃったその完璧な男性と言えばいいのか、
その圧式男性性を削り取った先にある男性性っていうものに、
多分今の10代の子たちって多分ある意味欲しいでもいる気がして、
でもそれって描くことができるんだろうかっていう、描かなきゃいけないんだけど。
なかなか難しいですよね。
それってかつては男性に対しては父親っていう理想の男性像があって、
女性に対しては母親っていう理想の女性像があって、
そのロールモデルを描いてたらよかったんですけど、
そのロールモデルをそっくりそのまま描いたら、
むしろ今って悪しきものって言われかねないものになってしまうと。
じゃあその先にあるそのロールに頼らない、
次の良き人間像って言っていいと思うんですけど、
良き人間像っていうものをこれだけジェンダーに縛られた我々が、
描いて次の世代に伝えていくことってできるのかなっていうのは、
すごい難しいだろうなっていうのは思うんですよ。
単純に想像できないっていうのもあるし、
あるいはフィクションが描こうとした時に、
商業的に何かそれを避けちゃうみたいなこともあると思うんですよね。
何か売れなさそうっていう。
そこがやっぱ難しいところではやっぱあるので、
でもやっぱほんと、
努力します日々みたいなことしか我々はできないよなっていう。
踏みとどまるしかできないですかね。
やっぱり僕らとしては。
理想を見せることよりも。
100そのまま言っても伝わらないと思ってやるしかないかなっていうのは、
これは妥協なのかもしれないですけどね。
こうなった方がいいよっていうものをそっくりそのまま言っても、
伝えたい人に伝わらないっていう感覚はあるんですよ。
僕自分の人生の中ですっごい大事な人が、
めっちゃめちゃ左側とめっちゃめちゃ右側にいたりするんですよ。
僕にとってその両方ともめっちゃ大事な人なんですけど、
僕の中でその2人を同じテーブルにいさせるためにはどうしたらいいかっていうバランスを、
測りながら僕は生きてるなと思うんです。
なるほどなるほど。
その2人に幸せになる可能性を示せる自分でありたいというか。
なるほどな。
というふうに僕もだいぶ極端で偏った人間だと思うんですけどね。
それ多分ここ3人何かしら偏りはある。
そうですよ。
自分が忠実だなんてそんなとてもじゃないけど思いませんけどね。
本当に。
男性生徒今後どう向き合っていくかっていう。
めまい関係あるけどすごい遠いとこまで来た話をしてるような気がするんですけどめちゃくちゃすごい。
でもめまいが最もエクストリームに男がキモい言い方からこうなるのかなって思ったんですよね。
そうですね。
さすがにやっぱこれは気持ち悪いなって思いながらは見てたので好きなんですけどこういうの。
でもこれが気持ち悪いよなっていうのは本当に重々承知ですよ。
よく本当この年代というか1958年にこのバランスになったなと思いますよね。
ヒチコック別にそういうバランス感覚で映画撮ってる人じゃないとは思うんで。
そうなんですよ。多分ヒチコックこういう男性性悲観みたいなことをやらない人だと思ってたんでむしろ。
むしろブロンの女性のこととかよくない目で見てるタイプの人ですからね。
金髪に染めるシーンとか僕ヒチコックのキャラ含めてめちゃめちゃ希釈悪いシーンとかやってましたもんね。
やっぱそもそもですけどやっぱ好きな女性になんかこうなってほしいってこういう指定してくるのってもうだいぶやべえでしょっていう。
もう髪の色はこうでとかもう勘弁してくれやっていうかその人の順にさせたれやって思うわけですけど。
本当にぐったりしてますからねそれ終わった後。
何してんのって思いますよそれ。
でも結果的に思考実験としてめちゃめちゃいい映画だと思うんですよね。
これを見て自分の距離感を測れるかなって思って。
なんかここまでしっかり気持ち悪く描いてるからこそその気持ち悪さの白紙にあるのは何かっていう風に考えが至りますしね。
という意味でもやっぱ面白い映画だと思いますよ本当に。
本当に面白かったです。めちゃくちゃ面白かった。
いや本当にやっぱヒチコック見なきゃダメだなって思いました。
本当そうっすね。
失礼しましたって思いました。
本当敬遠してましたっていう。
はいまあそんな感じで目前の話。
してましたかっていう無理くり最後した方みたいな感じですね。
これ聞いた人は目前の話じゃねえって思うかもしれませんけど。
本当ごめんなさいね今日期待されてなかった方。
はいまあそんな感じで終わっとこうかなと思います。
はいではお知らせになります。
映画の話したすぎれば次回開催日は5月31日土曜日です。
場所は大阪南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
我が家の最新情報次回テーマはxおよびインスタグラムで告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第210回目前の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。