今日のテーマトークは、ボディビルダーです。はい、ではマリオンさん解説をお願いします。
はい、映画.comより解説を読ませていただきます。 世界一のボディビルダーを目指す孤独な男の純粋な夢が狂気へと変わっていく様を描いたヒューマンドラマ。
アメリカの田舎町で病気の祖父を介護しながら暮らす青年、キリアン・マドックス。 低収入で友人も恋人もおらず、孤独な毎日を過ごす彼には、
一流ボディビルダーとなり、雑誌の表紙を飾るという揺るぎない夢があった。 過酷なトレーニングと食事制限に打ち込むキリアンだったが、体は悲鳴をあげ、
社会の不条理と孤立が彼の精神を蝕んでいく。 そしてある事件をきっかけに、キリアンは狂気の世界へと突き進んでいく。
クリード 過去の逆襲のジョナサン・メジャースがハードな肉体改造を重ねて主演を務め、強靭な肉体と脆く危うい心を合わせ持つ主人公キリアンを熱演。
スワローのヘイディ・ベネット、ゾラのテイラーペイジが共演。 ホットサマーナイツのイライジャ・バイナムが監督、脚本を手掛け、制作にはナイトクローラーの監督
ダン・ギルロイとプロデューサーのジェニファー・フォックスが名を連ねた。 IFBB国際ボディービルディングフィットネス連盟プロボディービルダーの山岸秀忠が日本語字幕監修を担当。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では最後の感想、マイオンさん、いかがでした?
そうですね、めちゃくちゃ辛い映画だったなというふうに思いました。
本当にボディービルダー版ジョーカーみたいな触れ込みがあったので、確かにすごくジョーカー味のあるような映画ではあったんですけど、
この映画結構すごいなって思うのは、ある種突き抜けすぎないところで止まって終わるっていう着地が、それをなんとか逃げ切れないというか、あまり切れ味のない味わいだったなって思う人はいるかもしれないんですけど、
僕は結構その着地を選んでるあたりが結構なかなか渋いじゃないかというふうにすごい思いましたね。
もう本当にギリギリなんですけど、ギリギリ絶望から踏み留まっているぐらいかなみたいな。
ぐらい結構本当に過酷で辛い現実がそのままではあるんですけど、その突き抜けてなんかヒャッハーしちゃうみたいなところまでいかないっていうあたりがすごくこの映画らしいなというか、いい持ち味のある映画かなっていうふうにすごい思いました。
やっぱりなんかその彼の問題というか、いろいろな要素とかが絡まっているので、なんか彼が悪いっていうふうに突き放すこともやっぱちゃんとできないというか、
なんかそのあたりのキャラクターの複雑さもすごく印象に残りましたし、本当に雑誌の表紙を飾るっていう夢、
ヒイテはそうやって本当に愛されたいっていうことだと思うんですけど、みなに、世界にみたいな、けど彼の思い描く理想みたいなのには全然たどり着けないっていうか、愛されないっていうのがまたとても辛いし、
彼なりにすごく努力して、努力しないとあの肉体はね、出来上がらないので、努力はしてるんだけど、でもそれがうまいこと回ってくれないっていうあたりのままならなさみたいなのが本当に辛くて、
ちょっと僕も何か苦しい思いになったりもしたなっていうような映画かなというふうに思いました。
はい、大井さんいかがでしたか。
これそれこそ前田さんからお勧めされてみたっていう経緯があって、確かその時にサブスタンスを挙げてたと思うんですよね。
サブスタンスを女性の話として捉えている我々に対して、いやいや、その、あんたにだってあるだろサブスタンスっていう話だったと思うんですよ。
で、ボディービルダーちょっと見てみようかなっていう形になった流れだったと思うんですけど、
えーと、本当に男性版サブスタンスといって差し支えない気がしたなと思っていて、
共通しているのは、評価される、他者に評価されてその軸に乗っからなきゃいけないっていう人の辛さだなって思ったんですよ。
事故の中ではそれを、自分自身のことを評価できず、他者に評価してもらうしかない、これはそもそも評価というものを事故の価値に置く以上はどうしても生じる問題だと思うんですけど、
で、今回はそれをボディービルディングという形で非常にわかりやすく描いているし、それはまさにサブスタンスという年齢であったり体型みたいなものともすごい近いものだなっていうふうに、女性におけるそういうものとすごい近いものだなっていうふうに思ったんですけど、
なんか、男性に置き換えてさらにそこに評価者がいて、で、ちょっとそこを逆転するっていうところがまた面白いところであったと思うんですけど、この絵柄とあるシーンにおいて。
なんかそれって結局、ボディービルディングに限らず誰でもそうだなっていうのは確かに納得できたんですよね。
例えば仕事において上司に評価されたいであるとか、あるいはお客様から評価されたい、会社が評価されてほしいみたいな、何かそこに根差した欲求だけで動いた時の危険性みたいなものが、
多分この映画の奥底にある辛さなんだろうなぁ、地獄感なんだろうなぁっていうのを結構ひしひしと感じながら見てました。
で、仮にそこが評価されなかったり、突き放された時に、もうじゃあいいよって反発できてしまう。
なんかそれは、朝日ジョーカーとかで描いていた商人よりももうちょっとこう、我々側のと言えばいいのかな、その結構日常生活の中で納得できる感覚だなって個人的には思って、
なんかあんまり他人事じゃなくしっかり自分事として見れた映画だったなっていうのは、タイミングもあるかもしれないんですけど、結構思いながらこの映画を見てました。
いやー、辛かったな。うん、きつかったですね。はい、って感じです。
はい、僕はですね、まず見たの結構前なんですよね。もう2週間、3週間ぐらい前かな。公開日に見たんで結構もう間空いてて、
ちょっとこう、解像度がフワッとしている部分はあるんですけど、実はそんな刺さってなくて、話としても多分そんなに嫌いじゃないタイプの話だと思うんですけど、ちょっと刺さってないんですよ、あんまり。
ただよくよく考えると、タクシードライバーとか見た時も僕そんな刺さってなかったなと思って、なんか社会から認められない男の話、結構好きなんですけど、
なんか刺さる時と刺さらん時の差が何なのか、ちょっとまだどっかいしきれてないんですよね、自分の中で。
なんでなのかなっていうのは、ちょっと喋る中で見つけられたらいいかなぐらいには、ちょっと今日割と自分の中にあんまり手がかりがない状態ではあって、
ただ考えたくなる部分というか、本作見た中で、ラストすごい見終わった後も結構考えてて、世の中から注目されないまま自分を肯定していくって、結構高度な領域にたどり着いてるなって思いながら見てたんですよね。
あれ、なかなかたどり着けないと思うんですよ。特に彼みたいに本当に周囲に恵まれてないじゃないですか、やっぱり周囲に恵まれてないというか、導いてくれる人が全然いない中で、あの領域にたどり着くってすごい難しいことなんじゃないかなと思って、結構複雑な思想だなって思うんですよね。
なんだったら僕、ある種のダブルスタンダードなんじゃないかなとさえ思うぐらいなんですけど、何者でもないまま自分が何者かであるって認めるって結構高度な精神の作用なんじゃないかなと思うんですけど、なんかそれってたどり着けるのかなって未だに僕ちょっと不確かなんですよね。
なんか結構そのあたり僕、確信できないまま今日も生きてるんで、むしろ全然最後で追い抜かされたわと思って。なんか結構複雑な気持ちであのラストを見てましたね。はい。
てな感じで、お便り3つ頂いてますので紹介させて頂きます。おじさんお願いします。
はいタウルさんから頂きました。こんにちはタウルです。
生きすぎたマッチョ体型を見るのが苦手でパスしようかと思っていましたが、前田さんのおすすめということでしたし、こちらの番組で取り上げられるということで新春の映画館で見てきました。
いやー予想以上にしんどい映画でした。アメリカニューシネマの孤独な負け犬像を想起させますが、そこに現代の黒人差別、精神疾患、介護の現実などが重なってきてかなり辛いです。
アンチヒーローのカタルシスといった映画の快楽にさえ背を向けます。
さらに彼の恐ろしさに人種的なことを重ねて見てしまったり、彼が慕うのは白人だなぁと思ってしまったりしている自分に、それはお前の差別意識のせいではないかと突きつけてくるような嫌さもあります。
それでも彼がたどり着くささやかな救いは私にも見覚えのある日常で、辛いけど見てよかったと思える作品になりました。
それでは皆さんのお話楽しみにしております。
PS、たまにはバチバチに意見が分かれる回があっても楽しいなと思っています。勝手に言ってすいません。とのことです。
はいありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
もうちょっとプロレス意識した方がいいんですかね。
まあこれそうですね、多分これあれなんですけど、前田さんがこの間入られてから多分余計に思われたんかなって思ったんですけど。
まあ確かにな、はいはいはいはいはい。
そうですね、確かに我々ちょっとあんまりこう意見が割れるという感じじゃないので。
そうですね。
たぶんあの頃の時以来、たぶん全然割れてないですもんね。
あんまないですよね。
やっぱこう同じルールで我々喋っているから、こう引っ掛け回す人、まあ前田さんみたいな人がいるとだいぶこうテンポが変わっちゃ変わるんですよね。
うんうんうん。
まあできる範囲で。できる範囲でやります。
そうですね、はい。今年のラジオの目標かもしれないです。バチバチに意見が割ってみるみたいな。どんな目標?
まああえてやる必要はないかなと思いますけど、ただもちろん作品選んでみるのは面白いかもしれない。
作品自体はね。
うん。そういう、そうなりそうな作品をあえて選ぶという。
そうですね。それは。
はい。で、作品の内容に関してなんですけど、本当にこう、もっと振り切れる要素、いくらでもある映画だと思うんですよね。
はい。
もう完全に破滅するであるとか、あるいはもうめちゃくちゃに社会を攻撃する存在になるとか、もうできると思うんですよね、本当に。
それこそアメリカンニューシネマだったら、シネコがラスト破滅して終わるとか、あるいはまあ例えばタクシードライバーとかジョーカーみたいに逸脱している人間が社会に反撃してある種のカタルシスが生まれる、ファイトクラブとかちょっとそういう要素あると思うんですけど、そういうものになったら、もっとうわーってなる作品にもなり得たと思うんですけど、
本当にこう、むずかゆいところにすべてが向かっていくというか、腰の座りどころがないなーみたいなのにはなるとこはあると思うんですよね。
あ、なんか振り切らないなーというか、やっぱアンチヒーローじゃなくて単に嫌な人になっていくところとか、結構見ててしんどいなっていう部分はあったっちゃったんですよね、僕が見てて。
なるほど。むしろ僕は、多分マリオさんも冒頭で話してましたけど、そうならなくてよかったなが結構今後の作品は強くて。
そうですね。まあだいぶ一戦超えてる方ではあるんですけど、やってる内容的には。
まあ銃とか買ってますしね。
買って、ちゃんと脅したりとかしてるんで、買ってることとしてはあんまりよろしかないんですが、
本当にタオルさんのお便りとか山口さんがおっしゃってたように、すごい振り切ったラストに全然できたじゃんっていう内容ではあったと思うんですよ。
ジョーカーみたいに。結構ジョーカーになりそうじゃんみたいなところまでいってたじゃないですか、途中まで。
あ、なったねって思ったら実は妄想でしたみたいなというか。
っていうところとかをやってるあたりが、やっぱりなんというか、アンチヒーローというよりかは、普通の人なんじゃないかなって思っちゃうんですよね。
もちろんその普通の人と呼ばれる人の中から、本当にそこに踏み外してしまう人っていうのはもちろんいるし、っていうのはあるんですけど、
でも多分大半の人って、やっぱ実際にそこまで行ききらないってモヤモヤしてるけど、めっちゃ納得してるわけでもないけど、それでもこの人生生きていくしかないみたいな。
そうやって生きていくみたいな感覚ってあるなと思うんですよね。
そういうところに根差した作品だったんじゃないかなと僕は思ってるんですけども。
僕も結構似た意見で、カタルシスのあるラストにしてしまうと、よく山口さんがおっしゃってる、映画には代わりに死んでほしいっていう欲求は確かに満たされると思うんですよ。
ただ、なんていうんですかね、この映画はその縁ためにはいかないっていう境地がすごいあるなって思いながら見てて。
それは、この映画があくまで当事者に向けられた映画だからだなってすごい思いながら見てたんですよね。
当事者これ見てどう思うんだろうと思いつつもですけど、広い話というか広くみんなに受け入れられるエンタメ作品として描くのではなく、
狭く、この物語を必要としている人だけに届けて、その人を現実に振り向き留まらせるための物語だなっていう感じがすごくして。
なので、この種の題材でそれができている、その型にはまらないって選択をすることで、そこに届くような作品には届くというか、届けたいっていう作り手側の意思は少なくとも感じる作品にはなってると思うので。
なんかそこは結構、まさにそのジョーカーに対するジョーカー2みたいな感じですけど、その誠実さみたいなものはすごい、なんていうかな、感じるなとは思いながら見てました。
なるほどな。
いや、それは本当におっしゃる通りだと思うんですよ。
その破滅すりゃいいってもんじゃないって、爆発すりゃいいってもんじゃないっていうのはおっしゃる通りなんですよね。
何が自分に刺さってないのかが、未だにちょっとよくわかってないっていうのがあるんですけど、
自分を重ねるのがおこがましいっていう気持ちもちょっとあるっちゃあるんですけど、
社会から逸脱した人を描くときって、もうなんかめっちゃ刺さるかめっちゃ反発するか二択だなっていう風な感覚なんですよね。
全然刺さんないか、めっちゃ刺さるかで、例えば僕、アンダー・ザ・シルバーエレクトとかめっちゃくちゃ刺さるんですよ。
もう自分のことすぎるなみたいな感じで刺さるんですけど、あの今回の主人公の逸脱感、大学時代の僕とか、あれとそんな変わんなかったなって感覚はあるんですけど、
何だろうな、そこを抜け出せたと思っているんですかね。
なんかこれ感覚ですけど、この映画に関するの。ちょっとカメラが遠い気がするんですよね、この映画。
例えばですけど、テレビの中に入りたいとかって、かなり主人公の目線というか世界観にカメラが寄り添ってるじゃないですか。
なんかその観客も含めて世界の中に取り込まんとする、まあそれがあるからラストが非常に響くわけですけど、
この映画って割とカメラは他者だなって思って見てたんですよ。
それはそうですね、はいはい、うん、うん、だと思います。
ずっと、まず多分ジョーカーも結構こっち側に、その観客側をジョーカー側に引き寄せようとする話だし、
多くの多分アメリカニューシネマの、まあそれをやるからこそその価値観というか信念みたいなのが揺らがされる、それがカタルシスに繋がるってことだと思うんですけど、
この映画は適度な距離を永遠に取り続けてるんですよ。だから本当に物語の途中でセラピストというかカウンセラーが出てきますけど、
本当観客はあくまでその位置にしかいない。彼が言っている妄言や嘘をカウンセラー側として受け取るしかないっていう、
なんかこの人、主人公と我々は別の人間ですよっていう線が常に引かれてる映画だなって思ったんですよね。
なんかそれ、前田さんもちょっと近いようなことを言ってたような気がしたんですけど、
なんか幸せになってほしいけど、この人のことを真面目に愛せるかっていうとそうはならないみたいなっていう、結構ちょっと残酷なとこもあるよねみたいな。
前田さんのニュアンス、どう言いたかったニュアンスかはちょっと、本当はちょっと違うとこあったかもしれないんですけど、
なんかそんな感じのことを言ったときに、なんかちょっとそれを思い出したというか、
確かにこのキリアンですね、今回のキャラクターに、なんかすごく寄り添ってあげたいというか、
辛いなっていうのはわかるよって言ってあげたいんだけど、じゃあどうすることも僕らできないし、
市民になることってできないよねっていう、まあもちろんそれはカメラの外っていうのもありますしっていうのもあるんですけど、
なんかそういうのも結構ちゃんと感じられる作品だったなっていうのはすごい思ったんですよね。
だからこの映画見ててすごい特徴的だなと思ったのは、そのキリアンの妄想は描かれるんですけど、それもなんか外側で見てる感じだし、
あくまでキリアンの内面世界はあんまり描かれてない気がするんですよね、この映画において。
そのキリアン側の視点と言えばいいのか、キリアンの主観はあまり実は描いてないんじゃないかっていう。
たぶん、あえて描いてない。
はいはい、確かに確かに。そうですね、だからずっと何考えてるかそんなよくわかんないなとは思ってて、
で、その良心の話も話題にはちょこちょこ出てくるけど、最終的なフラッシュバックみたいなところまで出てこないじゃないですか、メインでは。
で、そこも全体像がつかめるほどには描かれないしって、
で、彼がなぜこう、なぜボディービルディングでなければならないのかっていうのも、ちょっとよくわかんないなとは思うんですよね。
その、まあ自分を語らないっていうのもありますし、あのボディービルディングのチャンピオンを殺すかもみたいなところも、あれはまあ幻想みたいなものを見てるけど、
なんかこう、内面って感じというよりも単純に幻想を見たみたいな感じやなっていう、難民が投影されたものって感じがあんまなくって、
本当にずっと他者だなっていうのはあるんですよね。
で、それで言うと、僕ちょっと感覚的に近いものがあるかなと思ったのが、こちらあみ子なんですけど、
はいはいはいはい、なるほど。
こちらあみ子も別に、あみ子が考えてることはわかんないじゃないですか、あの小説版はわかるんですよ。
小説のこちらあみ子は、あみ子の考えてることはわかるんですけど、映画のこちらあみ子は、あみ子が考えてることはわかんないんですよね。
で、あみ子のやってることを許せる許せないみたいな評価軸がこの映画に入ってくるわけじゃないですか。
確かに確かに。
僕、やっぱりね、このキリアンがやってたことは嫌なんですよ。
あまりに他人に優しくなさすぎるなと思って、不遇なのはわかるんですよ。
不遇なのはわかるんだけど、やっぱり他人に優しくない人間、僕あんま好きじゃないから。
まあ確かにね、本当に劇中でやってることを全くもって褒められたことはないんですよね。
その怒りが噴出してしまって暴れるシーンとかまだわかるんですよ。
スーパーで働いてる時にお客さん侮辱したりするじゃないですか。
そうそう、なんかちょっと彼が置かれてる環境というか、もう勝負の話になってしまって、それはもうなんていうか、それはもうお前のせいやろみたいに思っちゃう部分はあるんですよね。
ただ、結構それも大事な部分やと思ってて、だからこれよく言われることだと思うんですけど、
本当に救いの手を差し伸べるべき人は、救いたいと思える見た目をしていないみたいな言い方、ちょっと言い方違うと思うんですけど、
本当に困ってる人って、助けようとする人が助けたいと思えるような振る舞いをできるわけじゃないっていうのは、何より本人に余裕がないからっていうのもあると思うんですけど、
だから困ってる人がいい人だったら助けがいがあるわけじゃないですか。助けたいと思うし。
でもそうとは限りないんですよね。彼が置かれてる環境、あるいはその人種的な問題とか、貧困、あるいはそのヤングケアラーになってしまってあるとか、
もうおそらく何らかの障害があるのかなっていうふうに見えることもない患者のコントロールに、もしかしたら何か障害があるのかもしれないですけど、
ただ、そうなった時に彼には何らかのサポートが必要なのかもしれないんですけど、個人として見た時にあまりに好ましくなさすぎる人間じゃないですか。
ただ、そういう人に対しても救いの手は差し伸べられるべきだとは思うんですよね。
ただ僕は彼のことあんま好きじゃないなと思ってるんですよ、今。
なんかそういうものを見せられたなって思って、良い人が良い人なのに不遇で苦しんで不幸になりましたとかじゃなくて、
嫌な人が苦境に置かれてて不幸なのでどうしたらいいですかみたいなのを見た時に、見てる側が試されるなと思って。
良い人の不遇って当然我々助けたいと思いますけど、そうじゃない時にどう感じるかって結構試されてるなっていうのはあるんですよね。
うんうんうんうんうん。
で、うーん、そうですね。
その、だから劇中、彼がある種アンチヒーロー的に行き切らないっていうのって、ギリギリ彼の中にある前世を唯一見れる瞬間だなって思ってて。
うんうん。
まあ、度胸がないからとも言えるんですが、でもそれでもやらなかったのは前世じゃないですかっていう、なんていうか。
だからそこに希望があるようにも見えるなっていう映画だと思ってて。
そうですね。
なんか、やってしまったら負けなんでっていうとこですよね。
うんうんうんうん。
やらないっていうことを維持し続けるって、まあそれ、ある意味勝ってる状態っていうか。
それはなんかすごい、めちゃくちゃ勝ちましたみたいな、快感的な勝利の瞬間ではないんだけど、
ただそれを耐え忍ぶというのもまた勝利ですよっていう、っていう感じなのかなっていう。
うんうんうんうんうん。
だから前提として確かにキリアンのこと好きになれないは、めちゃくちゃ共感できます、すごいわかりますけど。
なんか逆にだからこそ、その感情とか情で揺さぶられずに、構造の部分とか、その部分がむしろ見えやすい映画にはなってる。
うん。
し、その自分を角に重ねなくても、この構造はどこにでもあるなっていうふうには自分は思えたので。
うん。
そうですね。確かに結構、彼の置かれてる状況みたいなのは、結構確かに手に取るようにわかりやすかったなっていうのはあって。
逆に僕、こちらアミコンのときはそれがわかりにくかったから、より怒ってる部分はやっぱあったしなっていうのはある。
うんうんうん。
あ、一応僕、本作のこと嫌いなわけじゃないですよ。
あんまり刺さってないだけで、ちょっとそういうふうに聞こえてたらあるやなと思って、補足だけ。
でも大丈夫です。たぶんそのぐらいの温度感なのかなっていうのはなんとなく触ってるんですけど。
そうですし、僕もなんていうんですか、こちらアミコンに対しての感情って似てると思うんですけど、いい映画なのは認めます。
合いませんっていうだけなので、ちょっと違うのかな、それは。
いや、でもなんかありますよね、その好き嫌いとでも傑作であるみたいなのってまた別の評価軸だというか。
評価軸、そうそうそうそう。あるので、自分にとって刺さったか刺さってないっていう評価軸と、映画としてのクオリティの良さ悪さみたいなのは、ちょっと軸として違うというか。
あと、差別の話触れてもらってるんで、たぶんさんに。
ちょっとそこを掘り下げると、僕、家の補修してくれた業者あったじゃないですか。
で、ちゃんとなってないぞみたいなので、クレーム入れに行くシーンあるじゃないですか。
あれはクレームだよって思いながら見てたんですけど、
その気持ちの流れ見てると、やっぱちゃんとしてなかったのかなっていうふうに見えるなぁとは思って。
あの工事やった業者、結構差別的な感じやったなぁとは思ったんですよね、やっぱり。
やっぱそれはあるんだなっていう、その主人公の主観、思い込みだと思ってたものも、どうもあったっぽいぞみたいなのは、ちょっと見え隠れするというか。
そうですよね。だから、なんか当たり前のように、その構造的な悪性みたいなものが社会の側にまずあってっていうのは前提としてはあるし、
そこもなんかそんなに熱量高くなく、サラッと描かれてますよね。
なんかそこが大テーマってわけじゃないんですけど、日常の中のストレスとして、特に目打たないまま積み重ねていってるというか、
これが言いたいことですとかじゃなくて、平然とある差別として積み重ねられていってて、
あ、やだなぁみたいな、このジョギングしてるだけでパトカーついてくるとか、買い物してた隣の人が避けるとか、めちゃくちゃイエーイなぁと思いますよね、あれ。
だから状況的に、劇中の彼がそれこそ結構、ちょっと人間性的にこう受け入れられない部分が多い人物ではあるなぁと思うんですけど、
なんかそうなってしまう背景が、じゃあ彼だけにあったんだろうかっていうのも、だんだん見てくうちに思わされてしまうというか、
この映画の中で描かれてないその背景、後ろ側にあるものみたいなのが、なんか匂わされてるというか、染み出してくるというか。
なんかその辺がすごい地味に嫌な、日常の地獄性を描いてるなっていう。
そうですよね。ともすると結構、主人公のやっちゃいけない行動の数々みたいなところに目が行っちゃいがちじゃないですか、どうしても。
店めちゃくちゃ破壊しまくるとか、あと、ちょっと彼女になりそうだなぁみたいな人との食事会のいたたまれなさとか、
なんかそういうところに目がどうしても行っちゃうんですけど、そこに関しては猛烈にうわーって気持ち嫌だなーってなってるんですけど、
かといって、じゃあなんか実際の彼の背景って、なんか彼だけじゃどうしようもないこともたくさんあるなぁみたいな部分も、
よしよしとやっぱちゃんと描かれてはいますよね。
本作見てて一番悲しくなるシーン、暴飲暴食してるシーンなんですけど、
ハイカロリー、高脂質な食べ物をもうむしゃむしゃ食べてるシーン、泣きそうになるんですよね、あれ。
なんかもう本当、暴食という暴力って感じですもんね、ほんとね、あそこのシーン。
そうですよね、あれね。
あれってセルフネグレクトなんですよね。特に彼のようなボディビリーディングやってる人からしたら、ありえないセルフネグレクトだと思うんですよ。
うんうんうんうんうん。
こうね、あの深な目でただ胃に流し込むだけみたいな、なんかあの人生で一番深い絶望を表現してるなって思う。
うん。
やっぱそれこそ連想したの、ザ・ホエールの。
あー、そうですね。主人公も確かにそうですね。絶望して、暴飲暴食に走ってしまうというか、過食症に走ってしまうというか。
うんうんうんうんうん。
なんか、食べるという暴力というか、結構過食ってストレスの発散になる人も一定数いるかなと思うんですけど、
その、結局セルフネグレクトってその、リスカとかと同じなんだなっていう。
うんうんうん。
なんかそういう症状の一つなんだなってことを、結構この映画見ても、あ、そっかーっていうふうに思いながら見てましたね。
うーん。
普段どんだけ我慢してるかとかも、表れてると思うんですよね。
うんうんうん。
そうですよね。普段はもう、しっかりとした食事制限とかした上で、
で、まあ、きちんと栄養というかタンパク質とか調整とかした上で運動というか、体力づくりしてるわけですもんね。
そうですね。だって、彼にとってボディビルディングって貧困であるとか、自分の環境へのアンティテーゼだと思うんですよ、ずっと。
うん。
途中スーパーで近くの、自分のうちの近くのスーパーには安くて健康に悪いものしか売ってないっていう話をしてたシーンがあると思うんです。
で、だから遠くまでここまで来なきゃ買えないんだっていう話をしたと思うんですけど、
ともすれば普通に暮らしたら、その体を作れないわけですよね、彼の環境的に。
だから、なんとかしてそこを保ってるっていう、彼がボディビルディングというか筋肉を保てるのがギリギリの、
そもそも生活の中で起きるギリギリの、カネダリの、なんていうか、一線なんだろうなーっていうのも見ながら思ったので、
あんまりってやっぱり上がらないボディビルディングシーンというか。
そうですね。いやー、やっぱりトレーニングシーンをなんかすごいダウナーにとる映画って好きじゃなっていうか、
アイアンクローとかそうでしたけど、めちゃくちゃ苦し、なんか嫌な感じになるというか、
本来そこはなんか、なんていうか、自分の体が少しまた健康になるじゃないけど、より良くなるみたいな。
好ましいものであるはずなのに、なんでこんなに苦しそうなんだろうみたいなのばかりが目についちゃうんだろうみたいな。
感覚がすごい今作も、アイアンクローもそんな、なんかトレーニングシーンがすごい印象に残る映画だったなというふうに思うんですよね。
やり方もちゃんと聞いてんのかなみたいな、なんかやけくそに見えるんですよね。丁寧にやってるというか、
もうなんか自己破壊的だなって。もう怒りを自分の肉体にぶつけてんなみたいな感じにも見えてたなぁとは、
思ってたんですけど、いろんな要因、経済面とかもそうですし、トレーニング環境も、もしかしたら十分なものを用意できてなかったりするのかもしれないんですけど、
成績上がんないじゃないですか、彼が求めてるほどには。やっぱりちょっと筋肉ちっちゃく見えちゃうかなとは思って、
本当にもうめちゃくちゃにでかい人たちからしたら、もうその平均的な体型からしたらもう考えられないぐらいの肉体なんですけど、
本当にボディービルディングのトップの人たちからしたら、あ、やっぱ肩ちっちゃいかもとか肝心ちょっと細いかもって、なんか見える加減になってるような感じはして、
前の大会6位みたいな、リアルな順位なのかもしれないなって思ったり、あとはポージングが下手っていうのとかも。
そうですよね、なんかね、まず笑顔を作るのめっちゃ苦手そうじゃないですか。全然なんか、僕ちゃんとボディービルの大会とかちゃんと詳しいわけじゃないんですけど、
あれニコってするイメージあるじゃないですか。めちゃくちゃなこう、いろいろポーズを決めてニカってこうするみたいな、なんかそういう感じ全然できてなかったですし、
これもちょっとわかんないんですけど、アメリカのボディービルの大会ってなんかあんな暗いんですかみたいな。なんかあるじゃないですか、
なんか筋肉が冷蔵庫みたいだよみたいな掛け声するのあるじゃないですか、なんか。
なんか日本のねボディービルドからでよくね、テーマがあってますよね。
ありますよね、なんかこう褒め合うみたいな文化というか、あの空間はすごく僕いいなって思ってるんですけど、なんかそれって日本だけなの?よくわかんないなってちょっと思ったんですけど、この件はなんか。
どうなんでしょうね。
詳しい人に聞きたいなってめっちゃ思いましたけどね。
あくまで劇中でしたのが本選というよりも予選なんすかね、わかんないですけど、なんか審査員しかいなかったじゃないですか、観客ゼロ人で。
そっか、いなかったのか。
純欠ぐらいまでしか挙げられてない気がするんで、劇中の中では。決勝まで行ったらそこまで行くのかもしれないんですけど、なんかそういうことなのかなーと思って見てました。
チャンピオンのところにはやっぱめちゃくちゃ人がたかってるんで。
まあそうですね、だからよりこう大会っていうのが本当になんか見られて、その時の評価がどうだったかみたいな、めっちゃ際立つというか、ただそれだけの場所になってるみたいな。
なんかもしそこでお互いに褒め合うじゃないけどみたいな、スポーツマンシップ的なことがちょっとでも、形式だけかもしれないんですけど、あったとしたら、なんかもうちょっと捉え方というか、彼にとっての捉え方もちょっと変わるとこあるんじゃないかなって思ったりはしたんですよね。
なんかでも、これを言うの意地悪かもしれないですけど、もしそういう場だったとした場合、彼に声をかける人が誰もいなくて辛そうだなってちょっと思っちゃいました。
そういう近い場面はあれですよね、YouTubeのコメント欄とか。
そうそうそうそう。結果周りの人は声をかけられてるけど、自分には誰も振り向いてくれないみたいな、より辛い形になっちゃうんじゃないかなと思って心配になりましたね。
それはそれで見てみたさありますけどね、悲惨な顔して。
地獄さは増しますが。
地獄だな。もうほんとYouTubeのコメント欄辛かったですよ、みたいな。
動画撮るのも思いつかないのも辛かったな、あれな、ほんとに。
でも、人たどり着くんですかね、あのYouTubeチャンネルに。って少し思ったりとか。
でもやっぱ、たどり、何だろう、探してるわけじゃなくて、勝手に流れてきて、やっぱりゾウゴンだけ書いて去っていく人たちはいるんじゃないですか。
いると思いますけどね。
正直YouTubeのアルゴリズムって、あんまり再生図のみてないやつで見つけにくいとこあるんですけど、勝手にどうすか、みたいな感じにあげてきた時があって、それを見ては前やったな、みたいな。
たまにあるじゃないですか、突然7年前の動画がバズ、流行るというか、みんなのタイムラインに出てくるみたいな。
あるある、ありますね。
多分そういう形でキリアンの動画は突然誰かのところに出てくるんだろうなと思って。
で、見てみて、うわー、なんか嫌なもん見たわー、みたいな感じで、低評価ボタンを押したりとか、心ないコメントを回して、みたいな。
いうのも、まぁあるでしょうね、っていう。
だから、ここで描かれてるもの、ほんとこの世にある地獄すぎて。
見たことあるなっていう。
そう、だいたい見たことあるな、身の回りにある地獄だなっていう。
そうですね。
この映画見て、それこそ最後まで含めて思ったのは、この人ここから抜け出せる未来は見えないなっていうのはちょっと思ったんですけど。
いや、無理ですよね、抜け出すの。
うーん、そうなんだね。だから、終わり方渋いなって思ったんですけど。
で、ある意味行き切らない、抜けすぎないみたいなラストを、まぁ良かったなって言ってるんですけど、
希望か絶望かっていうと、全然絶望寄りだなとは思ってます。
もう、ここで与えられてしまったのであれば、もうそれを生きるしかないぞっていう。
割と、そう、だから、いやまぁ、そうなんですけどっていう。
うん。
いや、あの、それ、すっごい分かるなと思って。
で、ボディビルディングを捨てるんだったら、すごいしっくりくるなと思って、あのラスト。
うんうんうんうんうん。
だって、彼にとってボディビルディングって呪いだから、それを捨てて楽になるっていうのは、理解しやすいなって思ったんですよ。
うんうんうんうん。
ただ、彼、辞めてなかったじゃないですか。
はい、続けてましたね。
で、その中で、自己肯定も一応見出してたと思うんですよね。
うんうんうんうん。
結構レベル高い領域やなって思って、それ。
なかなか行けないと思うんですよね。
うん。
その、彼ってまあ、要は注目されたいっていうのが、そもそもボディビルディングをやってる動機だと思うんですよね。
その、ラスト手前までは。
うん。
だって、彼がその、ボディビルディングそのものを愛している描写はなかったと思うんですよ。
はい。だから、唯一チャンピオンのことだけを、その、憧れという意味で愛してる。
うん。
それって目標だから、だと思うんですよね。
その、ボディビルディングっていう競技じゃなくて、その、雑誌の表紙を飾りたいみたいな、注目されたい、承認されたい、自己堅持したいっていうもののあらわれとしての、ボディビルディングをやってるっていう感じだなと思って。
その、ボディビルディングそのものを好きっていう描写がなかったなって思ってたんですよね。見てて。
うんうんうん。
その、ボディビルディングっていう競技性は描いてない映画だったと、僕は思ったんですけど、だから、その、彼にとって究極、ボディビルディングじゃなくていいかもしれないし、そこを抜け出すんだったら、ボディビルディングを捨てるっていうのが一番わかりやすいと思うんですけど、彼、やるじゃないですか。
うん。
その、精神の転換が、ちょっと僕、飲み込みきれてなくって、だって何者かになるための手段だったのに、で、それに至るまでに別に競技を好きになれるタイミングも別になかったし、なんやったら、中盤以降、ボディビルディング捨ててたし、ただ憎む対象になってたのが、ラストそれをやって終わるって、結構ムズイなって思いながら僕見てたんですよね、そこ。
うんうんうんうんうん。
そうなれるのかなっていう、その、それがダメとかじゃなくて、すごいことだと思うんですよ。あのラストすごいなと僕思ったんですけど、僕はそうなれんなと思って、僕が自分が何かになりたいと思って、それを目指したもので、なれないってなった時に、そこそこで続けるって、別にそれを好きになれるタイミングもなかったものを好きになるというか、それをやるのが自分だって言いながら続けていくこと、僕は無理やなって思ったんですよ、自分は。
うんうんうんうんうん。
そこそこ好きやったら続けれると思うんですけど、彼にとって手段に見えてたんで、その手段、何者かになる、注目されるっていう手段としてのボディビルディングじゃなくなってもまだ続けれるっていう、その転換点は僕は見つけられなかったんですよ、この映画。僕が見ててそれを見つけられなくて、多分僕がそこ一番この映画をキャッチできてない部分かもしれないです。
だから僕、この映画どっかでボディビルディングの競技を好きになるフェーズがあったらよかったと思うんですけど、そのシーンがなかった気がして、あれ?なんか、だからこの映画自体がボディビルディングを手段として使ってるじゃないですか、ボディビルディングを描こうって意気はそんなにないから、あくまで何者かになる手段だから、別にこれがフェイスブックを作る話でもいいわけじゃないですか、これが。
うんうんうんうん。
なぜボディビルディングなのかっていうのが別にそんなかったなとは思ったんですよ。ごめんなさい、これ見方足りなかったら申し訳ないんですけど。
いやでも僕もそれはすごいわかるなと思って話聞きながら。だから彼が最後に自分を飾りますよね、部屋にね。ある種の理想像としての自分を飾るわけですけど、現時点での。
それってボディビルディングを愛してるのかなっていうのが、多分そうじゃないなって思いながら見てて、これは多分ね、ちょっとこの他者として見てる観客に都合が良い捉え方な気がしながら言うんですけど、
自分のこれまでやってきた過去のことを愛そうっていう方向というか目標を決めたってだけなんじゃないかなっていう。愛してみようかなぐらいで終わってるっていう感じに見えるんですよね。
自己愛ってものを育んでみるか、とりあえずまずはみたいな感じに見える。から彼の中で実は変化はまだ起こってない、起こる間際で終わってる気がするんですよ、映画が。
おー、なるほど。
うん。で、それって確かに現実的な解決策として大事っていうのはわかるし、現実でそういう立場にいる場合に、まず大前提そこから始めるよねっていうのもわかるんですよ。
ただ一方で、やっぱりちょっと引っかかるなと思うのは、結局それってまさにアメリカニューシネマがやろうとしてたことだと思うんですけど、構造というか社会のそういった理不尽の固定化じゃね?とも思うんですよね。
結局、そういう立場にいる人であったり、社会から逸脱した人は自分の中で完結してくださいねって言ってるようにも見える。
だから、セルフケアって自己責任ですよねって言ってるように僕にはちょっと見えるんですよ、あの映画。
いや、そう思います。そう思います。
それは残酷じゃね?っていうのは思ってもいる。
いや、そう思ったというか、この映画見て、自己責任って何だろうってめっちゃ考えたんですよね。
これたまたまなんですけど、多分大井さんとか見てるんですかね?つんどくチャンネルって見てます?
はい、見てます。
ちょうど自己責任の幻想っていうか、自己責任について取り扱った本を取り上げてたんですよね、その時に。
自分のことは決めろとか、自分の感情とかは自分で制御しろだったりとか、そういうのをしなきゃいけない世界なんですけど、でも全部が全部、意思だけじゃどうにもならんくねえかみたいな。
それって辛くねえかっていうのをちゃんと言ってるみたいな。
話を、つんどくチャンネルの自己決定の落とし穴っていう本について語ってて、いや、ほんまそうやなって思って。
ってなった時に、じゃあこれをこいつこうだから悪いじゃんって、どこまで言えるのかなっていうのとかもあるし、
どこまでがこの人たちの自分のことを自分で制御できるかどうかっていうのが、
それ、むっちゃ難しい話やなと思うんですけど、
その話をしだすと、彼が置かれている生活環境みたいなのとは別に、
彼は競技をやってるわけじゃないですか。
生活においては、彼は競技をやってるわけじゃないんですけど、
競技においての責任の話って、むちゃくちゃむずいと思うんですよね。
生活においてはケアされるべき、フォローされるべきだとしても、競技って完全に物差しで測るわけじゃないですか。
その、えっとね、ごめんなさい、ちょっと、
アクセル踏んじゃって、
えーと、だからその、
あーしまった、言語化リーチしきれない状態で始めちゃいました、この話。
じゃあ、何となく引き継いでもいいですか。
多分、その、ボディビジョン、
人として知ってもらえるのかなぁ、
この話
じゃあなんとなく引き継いでもいいですか
たぶんそのボディビルディング を続けるという選択って結局他者
の評価軸に乗り続けることだと思 うんですよね比べられ続けるという
か競争の中に居続けるという選択 だと思うんですよでそれは結局
ベースとしては他者承認だしそこで 承認されないってことを分かって
もそこに続けるって負け続ける っていう選択でもあると思うん
ですよ彼が
負け続けるけど自己愛があれば いいよねって言ってるラストって
結構自己責任論的じゃないですか っていう
そうなんですけどこれ むずいんですけど物語って結局
納得を至上命題としがちやなと思 ってて納得したからいいよねって
言うこと多いと思うんですよフィクション ってそれがすっごい分かるんですよ
結局納得したいだけなんですよ 究極幸せじゃなくても
納得できるとは思ってるんですよ でもそれってその理屈って自分に
適応してるからいいけどそれを 引っ張るのにした瞬間むちゃくちゃ
暴力やぞみたいなのが思うんですよ なんかそれを語るのってむず
すぎるなと思っててこいつは納得 したからいいけど次の日になったら
またボロボロの人生始まってます けどみたいなことをなんか本人
はボディビルディング続けられ ましたね以上って終わるって怖い
なって気もするしなんやったら 本当にボディビルディング好き
になれてるかどうかも怪しいイラスト その天気って別にちゃんと描かれた
わけじゃないからむしろもう徹底 的に擦りつぶされた果てにたどり
着いた領域だから彼の中にプラス って何も生まれなくねみたいな
のそれをある種の美しいイラスト になってんのいやー怖いなっていう
そうなんだよな本当に自己責任 じゃんこれみたいなのめっちゃ
考えちゃう自己責任って何だろう みたいなことをめっちゃ考えて
しまったんですよねっていうの プラスちょっとたまたま本当に
そういう本を取り上げてる回を 見てめっちゃ今回の話って通じる
やんみたいなふうに僕は思って しまったというか
最近ちょっと思ってるのがセルフ ケアってもともと結構ポジティブ
なニュアンスで言われることが 多かったと思うんですよね出て
きた当初は自分自身で自分をケア していくっていう部分それが足り
てないよねだからもうちょっと 男性のセルフケアっていうのを
していかなきゃいけないよねみたいな ところ2010年代ぐらいまではかなり
ポジティブな意味合いで照射されて たなって思うんですけどここ最近
になっていや最低限それやっと かなきゃいけないそれって自分
で自分のケアするのって自分の 責任でしょっていうなんか攻める
ニュアンスが多くなってきてる 気がするんですよセルフケア
という言葉に対してでこの映画 のラストってもうそれができれば
いいじゃんだからみんなセルフケア で生きていけばいいんじゃない
っていうすごいなんていうかな ネオリベ的なラストだなって思って
て現実そこに落としどころがある のはわかるんですよだってそうだ
もんっていうただそれを肯定して しまうのはちょっと心どこかで
やばい気がするっていうそうなんですよ そうなんすよって思ってなんか納得
はするが認めたくないみたいな 認めたくはないぞって
だからしんどいんですよ
だからみんな辛いんだなっていうこと を本当に思ったんですよねだって
それってあなたの責任でしょって 言われたら何も言い返せないし
そう言ってくるやつって明らかに 主人公よりもそれなりに恵まれた
人たちがそう言ってること言って くるしねっていう
そうなんだよな世の中の ルールってこうだよっていうやつ
って基本恵まれてるやつがいます からね
強者が言いますからねその ルールを破りたくないから言うわけ
で
っていうねいやもうこの 映画も辛いし本当に自己決定の
落とし穴についてさ喋ってる動画 見たらわかるんですけどマジで
辛くなりました
だからなんて言うんすかねやっぱ
この映画はさっき作り手側がそれは 多分ジョーカー2にも言えること
誠実ではあると思うんですよ社会 という大きな枠組みを崩さない
ために多分作られてる映画まさに そういう人たちに向けて作ってる
映画なんだけどめちゃくちゃ強者 の理屈ではあるんですよこの映画
の背景にある構造というか結論 自体がなんかこれをなんかさっき
言っちゃいましたけど作り手側 は多分そう本気で思ってるんですけど
いいのかなっていう
そのぼちぼちの人間はぼち ぼちさに納得して生きていけって
怖いメッセージですよね
そうそうそうなんですよね
だいぶ残酷ですよこれっていう
そんなこと言わないでくれよ とはやっぱもう委託はなるんです
けど反発と納得というのがない まぜになってるというかにはちょっと
気持ち的にはなっててむずっと 思ったんですよこのラストって
もうただ突き抜けてうわーみたいな もう全部ぶっ壊したぜどりゃー
みたいなことにならなかっただけ 本当嬉しかったのだけはあるんです
けどかといってこれがなんかすごく 晴れやかかっていうと全くそんな
感じも当然ないしっていう
だってなぜならこのラスト って僕らが現実でやってるラスト
だもんっていう
そうなんですよこの映画は 結局やってるんですよ僕らこれ
別に1位取れないって言ってもなんか そこそこでやっていこうぜ納得
しながらって言ってやってるの 僕らなんですよこれ
そうそうそうそう全然 日常なんですがっていう
そうそう
だってそうじゃないと動いて いかないからさっていうのがある
じゃないですか自分の人生もだし 社会も動かないっていうのはちょっと
あるんですけどそれを大きくしちゃう と思ったけどさーみたいなね気持ち
がなるわけですよみたいな
改めて言うんじゃねーよっていう ねっていうとこはやっぱあります
よね
だからそのちょっと多分 僕がこの映画に感じてたこととは
違うことをこの話の中で言語化 できたんで言うんですけどやっぱり
僕そのフィクションに現実の延長 の回答を求めてないとこはある
かなと思って現実を描くのは描いて 欲しいんですけどそれが現実の
延長である必要はないというか 現実の延長じゃない方がもしか
したらいいかなって思っててそれが 僕の中でものすごい極端な二択
としてあるんですよむちゃくちゃ キレイごと言うかあるいは代わり
に死んでくれる映画っていう二 択なんですよ僕の中でだからその
間の現実に花飾ってるぐらいの ちょっと飾り立てた感じはそれは
そんなになのかなってなぜなら それは面白くないとかじゃなくて
やってるからそれをそれはやってる から
それは毎朝家を出る時に見てます みたいなね玄関に飾ってる花を
見ていますみたいな
そうですね
っていうのがあるかなと思って
そうだから触ってはいるんですよ 触ってはいるんですけどなんか
なんていうんですかねじゃあ傑作 というかこのメッセージを善として
受け取るかって言われるとなんか それはしたくないっていう結構
そういうちょっと複雑なもちろん たぶん作る手も完全に善として
描いてるとも言い切れないんですが それはそれで悲劇だよねという
ふうに暴れみで描いてるかもしれないん ですがでも現実すぎるよなっていう
そうなんだよななんかねほんと 人生一回でもややこしきくとか
だったらいいんですけど人生一回 しかないから余計にそれつらいん
だよなって思うんですよね責任 って言葉で片付けられちゃうと
さっていう
この話ってじゃあマジでどうしたら 良かったんですかにしかならない
ですよね
ならないです
っていうぐらいにはだいぶ逃げ切 らないラストというか気持ちよく
させてくれないですよっていう
ここ最近増えましたけどねそういう カタルシスを描く現実に生き戻す
タイプのラスト
そうかいや難しいですねフィクション 物語って何言っても嘘になるから
そうですねとはいえ結局それで 提示したいものっていうのは意外
と本当だったりするんで理想を 描いてくれるのかもう極端に描いて
みるのかっていうなんか今フィクション って何を求められてるんだろう
っていうのをちょっと考えさせ られちゃいますね
現実画をこういう紳士に描く物語 があって全然いいんですけどそれ
が存在すること自体は全然いいん ですけどただうーんっていうどう
なんだろうな描きたいけど求め られてるかどうかまた別なところ
はちょっとあるかもしれないっていう のをジョーカー2の不評ぶりを
見ると思う
そう
そうですよねあれあれで良かった けどなって思ってるんですけど
120%で負けに行く映画があるんだ なっていうねあれはそうでした
けど
うん
いやみんな負けんの嫌だんだな って思いますよ
いやまあね負けたことないですよ それはなんかただ一方でめちゃ
くちゃその100%的にその快楽ばっかり ある映画も出てきてるのは事実
なんでこの2曲かっていうのもある っちゃうんですが
だからやっぱりあの映画というか 映画に限らずフィクションの中で
物語られること自体に答えはない なと改めて思うんですよねやっぱり
それをキャッチした自分たちの 側が何を物語るかなんじゃない
かなっていうのを改めて思います かね
だからやっぱり批評っているな って思うんですよね批評しないと
完成しないですよやっぱり僕たち のやってることが批評かどうか
っていうのをちょっと一旦置いて おきましょう
批評じゃないですよこれ
批評じゃないですけど
感想です
ただなんか自分たち用に再解釈 するのはいるなというかそこを
吟味するプロセスはいるなっていう のは思いますかね
そうですねだから改めてこの映画 を見て僕ちょっとぼーっと言いました
けどサブスタンスをもう1回再解釈 できるっていう補助線にはなる
なと思いましたしなんかそうい った意味で無駄ではないとは思